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2022年8月28日 日曜日

2022年8月28日 「10秒間の片足立ち」ができなければ死亡リスク増

 大変分かりやすくて興味深い論文を一流誌から見つけましたので報告しておきます。医学誌「British Journal of Sports Medicine」2022年6月21日号に掲載された「10秒間の片足立ちができるかどうかが中高年の生存リスクを予測する(Successful 10-second one-legged stance performance predicts survival in middle-aged and older individuals)」です。

 この研究の対象はブラジル人です。2009年2月10日~2020年12月10日に医療機関を受診した51~75歳の合計1,702人(平均年齢61.7歳、男性67.9%)を調査しました。「10秒間片足立ち」ができなかった割合は次の通りです。

全体       20.4%
51~55歳      4.7%
56~60歳      8.1%
61~65歳    17.8%
66~70歳       36.8%
71~75歳       53.6%     

 全体として7年間(中央値)を追跡した結果、合計123人が死亡しました。内訳は、がん、心血管疾患、呼吸疾患、新型コロナウイルス関連が、それぞれ、32%、30%、9%、7%でした。

 死亡率をみてみると、「10秒間片足立ち」が「できたグループ」の死亡率が4.6%なのに対し、「できなかったグループ」では17.5%と大きく差がつきました。

 両グループの既往(持病)は次のようになります。

      できたグループ   できなかったグループ
肥満      22.6%        40.2%
冠動脈疾患   30.0%        40.5%
高血圧     43.5%        65.3%
脂質異常症   52.7%        63.0%
糖尿病     12.6%        37.9%

 年齢、性、BMI、どのような病気を持っているかを調整した後の解析結果は、「できなかったグループ」は「できたグループ」に比べて「10年以内の全死亡リスクは84%高い」と推定されました。

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 この研究からは少なくとも次の3つのことは言えそうです。

・加齢と共に「10秒間片足立ち」ができなくなっていく

・「10秒間片足立ち」ができない人は生活習慣病を持っていることが多い

・生活習慣病があっても「10秒間片足立ち」ができれば死亡リスクは低くなる

 ということは、日ごろから生活習慣病の予防に努めるとともに、日々「10秒間片足立ち」をおこないリスクの確認と(片足立ちすることによる)ワークアウト(筋トレ)をすべきだ、という結論が導かれます。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2022年8月18日 木曜日

2022年8月18日 国税庁が若者にアルコール飲料を勧める日本

 医学的というよりも社会的な話になります。

 「Enjoy SAKE! プロジェクト」というイベントをご存知でしょうか。これは、日本産のアルコール飲料の販路拡大及び消費喚起に向けた事業であり、企画しているのは国税庁です。なぜ国税庁がこのような事業を立てるのか不思議な感じがしますが、おそらく税収を上げるためにアルコール飲料を売り込もうという考えなのでしょう。

 国税庁は他にも「サケビバ!」というビジネスコンテストを実施しています。同庁によると、日本産酒類の発展・振興を考えるコンテストだそうで、応募資格者は20歳以上39歳以下の個人またはそのグループとされています。

 税収が増えるのは国にとっていいことなのでしょうが、国税庁が飲酒を促すこういう企画に違和感を覚えないでしょうか。世界ではアルコールは”悪”とみなされ、飲酒しない人がスマートな人とみなされる傾向にあります。

 例えば、New York Timesは(ちょっと古いですが)2019年6月15日に「新しい「シラフ」~今や、みんながシラフ。ちょっとだけ飲む人もシラフ~(The New Sobriety ~Everyone’s sober now. Even if … they drink a little?~)」というタイトルの記事を載せ、記者は「シラフでいても取り残される心配はなく、かっこ悪いと思う必要はない(No longer do you have to feel left out or uncool for being sober.)」と述べています。

 医学的にみれば、たしかに飲酒は適度であれば生活習慣病のリスクを軽減するとされています。しかし、過去の記事で紹介したように「飲酒は少量でも認知症のリスクを高める」とする研究がありますし、そもそもアルコールは依存性がとても強い物質です。

 あなたの周り(やその知人)にも「アルコールで人生を台無しにした人」がいるのではないでしょうか。実際、アルコール依存症になると治療するのは極めて大変です。アルコールの危険性は周知の事実であり、それを知っているからこそ大麻愛好家はもちろん、他の違法薬物を摂取している人たちのなかにも「自分は依存性の強いアルコールはやらない」などとうそぶく人もいます。

 ゆえに、アルコールの危険性を知っている医療者からすれば国税庁のこういった試みはたいへん滑稽に見えます。日本のメディアはそういったことを報じませんが、世界のメディアは放っておかないようです。

 英紙Financial Timesは2022年8月18日「日本の最新のアルコールに関する助言は『もっと飲んでください』(Japan’s latest alcohol advice: please drink more)」という記事を掲載しました。

 同記事では、日本人の飲酒量が減っていることを指摘し、上述した国税庁の企画を紹介しています。同記事によると、日本の成人1人当たりの年間平均飲酒量は、1995年が100リットルだったのに対し、2020年には75リットルにまで減少しています。WHOによると、2018年の日本人の1人あたりの年間飲酒量 (純粋なアルコールに換算した量)は8リットルです。中国は7.2リットル、英国は11.4リットルです。

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 飲酒量が増えて税収が増えるのはそれだけを考えると歓迎すべきことかもしれません。ですが、アルコール依存症となる人が増えれば、生産性が低下し消費が減ります。また、依存症の治療には税金が費やされます。依存症が進行すれば、家庭が崩壊し人間関係が破綻します。自殺者も増えます。

 国税庁はきっと「適量なら大丈夫」というのでしょう。厚労大臣の見解を聞いてみたいところです。

参考:医療ニュース
2017年6月26日「少量の飲酒でも認知症のリスク!?」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2022年8月18日 木曜日

第228回(2022年8月) GLP-1ダイエットが危険な理由~その2~

 「はやりの病気」第223回「GLP-1ダイエットが危険な理由」では、その「危険な理由」として、肥満どころか、やせている女性、さらには拒食症を患っている女性にさえ、気軽にGLP-1受容体作動薬を処方(というよりは”販売”)している医療機関の存在を指摘しました。

 今回は、例えばBMIが30以上といったあきらかな肥満がある場合でも、やはりこのダイエットが危険である理由について述べたいと思います。

 現在GLP-1ダイエットの先陣を切っているのは、デンマークのノボ・ノルディスクファーマ社(以下、「ノボ社」)です。市場に最も早く登場したGLP-1ダイエット薬「サクセンダ(Saxenda)」もノボ社の薬品です。日本では一部のクリニックが自費診療でこの薬を”販売”(ここからは「販売」で通します)していますが、アイルランド、オランダ、スイスなどでは肥満に対して保険適用されています。

 しかし、現在ノボ社が最も注力しているのはサクセンダではなく、セマグルチド(Semaglutide)で、日本では糖尿病の薬(注射薬・内服薬の双方があります)として保険診療にて処方されています。日本での商品名は、注射薬は「オゼンピック」、内服薬は「リベルサス」です。

 ノボ社によると、サクセンダよりもセマグルチドの方がダイエット効果が高く、また、注射の場合、サクセンダは毎日注射しなければならないのに対し、セマグルチドは週に一度でOKです。週に一度でよくて効果がより高いわけですから、ノボ社としてはセマグルチドに力を注ぐのは当然です。また、サクセンダにはない内服薬(リベルサス)があるわけですから、この点も、今後セマグルチドを普及させやすい理由になるでしょう。実際、日本の美容クリニックなどではオゼンピックよりもリベルサスが積極的に宣伝されているようです。

 ただし、現在ノボ社の世界的な戦略は、日本とは異なり、内服(リベルサス)ではなく注射薬を販売促進しています。商品名はオゼンピックではなく、Wegovy(日本語にすると「ウェゴビー」でしょうか。

 すでに、Wegovy専用のウェブサイトが作成されています。そして、ノボ社はWegovyの売り上げ目標を2025年までに37億ドル(約4930億円)にすると公表しました。これまでの目標から2倍以上引き上げたことになります。

 この目標を到達すべく、ノボ社の社員は色めき立っています。英紙Financial Timesの取材に答えたノボ社のある社員は「このホルモン(GLP-1)の発見者はノーベル賞に値する!」と力説しています。Financial Timesのこの記事を読んでいると、この社員が取材に対し興奮している様子がありありと伝わってきます。この社員は「GLP-1は製薬業界のスイスアーミーナイフだ!」と形容し、GLP-1受容体作動薬が糖尿病、肥満のみならず、腎疾患、非アルコール性脂肪肝炎(NASH)、さらにはアルツハイマー病の治療にも使えることを主張しています。

 ノボ社のこの社員が言うように、GLP-1受容体作動薬が、腎疾患や非アルコール性脂肪肝炎の治療薬として有力視されているのは事実です。ですが、スイスアーミーナイフに例えているということは、GLP-1受容体作動薬をまるで「夢の万能薬」として捉えているような印象を受けます。

 GLP-1ダイエット薬が莫大な利益を期待できる以上、他社も黙っていません。Financial Timesの別の記事によれば、イーライリリー社が「Tirzepatide」(日本語では「チルゼパチド」でしょうか)を上市することが決まっています。なんと、この薬、同社のデータによると、使用者の3分の2が体重20%減少に成功したというのです。セグマチルドと直接比較した研究は見当たりませんが、この数字だけをみればセグマチルドよりもTirzepatideの方が効果が高い可能性があります。

 新型コロナウイルス関連で次々と”ヒット作”を送り出しているファイザー社も黙っていません。また、新型コロナのワクチンで脚光を浴びたアストラゼネカ社や、新型コロナの特効薬カシリビマブ/イムデビマブ(ロナプリーブ)を開発したリジェネロン社、さらには製薬界のスタートアップとして注目されているVersanis社やGelesis社もGLP-1ダイエット薬の販売を狙っています。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの複数の製薬会社が鎬を削っているのです。ここに日本の製薬会社が入っていないのは少し寂しい気がしないでもありません……。

 薬というのは、食品や化粧品と異なり、CMなどで直接消費者にアピールすることはできません。そこでノボ社がとった方法はクイーン・ラティファを起用したプロモーションビデオです。そのタイトルはIt’s bigger than me. タイトルにはおそらく「本当の私より脂肪がついているこの身体は病気なの。だから”治療”をおこなって病気をなおさなければ」というニュアンスが含まれているのでしょう。このビデオにはノボ・ノルディスクファーマ社という社名もセグマチルドという薬の一般名もWegovyという商品名も一切出てきません。まずは消費者(肥満者、というよりもやせたいと思っている人)に「肥満は治療可能な病気だ」ということを訴えたいのでしょう。

 GLP-1ダイエットの効果が高いのは事実だとして「欠点」を考えてみましょう。まず費用です。米国ではWegovyは1ヵ月あたり約1350ドル(約18万円)もします。これは自費の値段ですから保険であればずっと安くなるはずです。ところが、米国の高齢者向けの公的医療保険「メディケア」では保険適用が認められていません。一部の私的保険では認可されているようですが、上述のFinancial Timesによれば、申請すれば無条件で適用となるわけではないようです。

 日本では主流の内服のリベルサスはこの米国の費用から考えると驚くほど安く、月に15,000円ほどですから米国の10分の1以下となります。その程度なら痩せるための”必要経費”と考える人もいるでしょうが、経済的に続けられない人も少なくないでしょう。

 では、中止すると何が起こるか。当然体重の「リバウンド」が起こります。Financial Timesの取材によれば、ある経験者は、薬を止めると体重が7%増えました。また、薬を止めてから1週間も経たないうちにパニック発作に襲われた人もいます。

 リバウンドについて言えば、過去のコラム「はやりの病気」第214回(2021年6月)「やってはいけないダイエットとお勧めの食事療法」で紹介したように、ダイエットをやめたときのリバウンドは”必然”とさえ言えます。これから言えることは「ダイエットをするならば一生続けられる方法を選ばなければならない」ということです。

 では、「GLP-1ダイエットを死ぬまで続ける」という考えはどうでしょうか。その場合は、安全性、つまり副作用について慎重に考えなければなりません。ここで、過去の「ダイエット薬」が中止に追い込まれた歴史をみてみましょう。

・アンフェタミン(1930~60年代):覚醒剤ですから危険性は言うまでもありません。尚、日本でも保険適用のあるサノレックス(マジンドール)はアンフェタミン類似物質であり、添付文書にも「依存性について留意すること」と記載されています。覚醒剤(類似物質)ですから、当然「耐性」もでてきます。

・フェンフェン(1990年代):フェンフルラミンとフェンタミンを組み合わせたダイエット薬。米国では一大ムーブメントとなったが躁状態になるリスクと弁膜症のリスクで販売中止に

・リモナバント:2006年に欧州各国で承認されたが、抑うつ感や自殺企図などが高頻度で生じることが判り2008年に発売中止

・シブトラミン:日本ではエーザイにより2007年に医薬品製造販売承認が申請されたが、副作用が強く2009年9月26日に却下された

・甲状腺ホルモン:ネットで入手できる「いかがわしいやせ薬」に含まれていることがある

・ベルヴィーク:2020年に発がん性を理由に米国FDAが承認を取り下げた

 尚、動物実験とはいえ、ノボ社のセグマチルドにより甲状腺がんが発生しています。ちなみに、安全性と有効性が共に高いダイエット治療には、BMIが35以上などの条件を満たせば「肥満手術」があります。

 では、そこまで手術の適応を満たさない場合、効果的で安全なダイエットをするにはどうすればいいでしょうか。谷口医院で昔から推薦しているのは、総摂取カロリー制限(または糖質制限)+有酸素運動(+筋トレ)+食事前の水(または牛乳か豆乳)摂取です。反対に「絶対にすべきではないダイエット」として言い続けているのが、方法は何であれ「期間限定のダイエット」です。

参考:
はやりの病気:
第223回2022年3月「GLP-1ダイエットが危険な理由」
第214回(2021年6月)「やってはいけないダイエットとお勧めの食事療法」
メディカルエッセイ:
第94回(2010年11月)「水ダイエットは最善のダイエット法になるか」
医療ニュース:
2013年9月30日「デキサプリンを飲まないで!」
2009年10月26日「タイ産やせ薬で相次ぐ死」


投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2022年8月10日 水曜日

2022年8月 元首相暗殺犯の”完全勝利”

 安倍晋三元首相を暗殺した山上徹也は今、どんな心境なのでしょう。

 拘置所のなかでメディアの報道を見聞きすることはできないでしょうから、自身が世界でどのように報じられているかについては分からないでしょう。しかし、自分が成し遂げたことを冷静に考えれば、自身を否定的に論じる意見だけでなく、英雄視する声もあることを想像しているに違いありません。

 自身が逮捕された時の写真が世界中のメディアで掲載され、ネットで拡散され世界の人々に自分の存在が広く知れ渡っている様子を思い浮かべていることでしょう。山上の価値観から判定すれば、成し遂げたことは「完全勝利」と言えます。そして、おそらく自身が予想したよりも”成功”しています。

 日本の全国紙や週刊誌は、事件から1ヶ月以上が経過した今も、ほぼ毎号この事件について何らかのかたちで取り上げ、山上が恨みを抱いていた宗教団体と政治家との癒着が次々にスクープされ、さらには他の宗教と政治家とのつながりがクローズアップされています。

 海外メディアは統一教会(現・世界平和統一家庭連合。本稿では人口に膾炙している「統一教会」とする)の各国での活動や被害者の声を取り上げ、元信者にインタビューを重ね、統一教会へのバッシングが世界中で巻き起こっています。おそらく霊感商法などの被害者への返金をせよ、という社会の声が強くなり、統一教会の活動は縮小されることになるでしょう。山上にとっては、「これ以上の成功はない」というくらいの成功ではないでしょうか。

 一般的な日本人は山上のことをどのようにみているのでしょか。動機がどのようなものであれ、右寄りの思想家の安倍元首相を殺害したわけですから、一部の左翼系の思想家・活動家からは歓迎されていることでしょう。中国、韓国、北朝鮮の民族主義的な思想をもつ民衆からは英雄視扱いされているに違いありません。

 では、イデオロギーの視点からではなく、ひとりの日本人が元首相を殺害したということに対して一般の世論はどうなのでしょうか。意外なことに、イデオロギーを抜きにしても山上を支持する声が小さくありません。

 オンライン署名サイトのChang.orgに、7月中旬、ひとりの有志が「山上徹也容疑者の減刑を求める署名」を立ち上げました。これを書いている8月7日現在、すでに5,600人以上の署名が集まっています。

 このオンライン署名を立ち上げた人は、山上を減刑すべき2つの理由として「過酷な生育歴を鑑みての温情」と「本人が非常に真面目、努力家であり、更生の余地のある人間である事」を挙げています。人がどのような考えを持とうが自由ですが、私はこの2つの理由にはまったく同意できません。「過酷な成育歴」があれば人を殺しても減刑されるという理屈には納得できませんし、「真面目、努力家」が減刑されるなら「不真面目、非努力家」が差別されることになります。

 しかし、短期間ですでに5千人以上の署名が集まっていることを山上が知れば、支持する理由はともかく(この2つの理由以外の理由で減刑を望む者もいるでしょう)ほくそ笑むことになるでしょう。

 山上が”完全勝利”したといえる理由は大勢の支持者が国内外にいるからだけではありません。父と兄がすでに自殺しており、統一教会に洗脳され、もはや家族とは呼べなくなった母を除けば家族がいないことが大きいのです(注)。つまり、このような事件を犯しても”身内”が社会から追いつめられることはありません。

 この点が他の無差別事件と異なるところです。例えば、7月26日に死刑が執行された「秋葉原通り魔事件」の加藤智大は、事件や自身の生い立ちや環境の情報が大きく報道され、一部の人たちからは”神”と崇められていましたが、残された両親と弟は悲惨な経緯をたどっています。

 弟はどこに就職しても”弟”であることがそのうちに発覚してしまい、報道によれば、一時は婚約していたパートナーからも、「一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は」と罵られ、そして自死を選びました。取材を受けていた記者に「死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」と訴えたそうです。加藤の両親も、事件の後、世間から身を隠すように暮らしていると聞きます。

 加藤に対しては「残された家族のことを考えなかったのか?」という非難の声があるでしょうが、山上の場合にはそのような声が上がる前提としての絆がないのです。まさに「失うものは何もない(Nothing To Lose)」状態だったのです。

 山上は死刑を覚悟で暗殺を遂行した可能性がありますが、もしもこれだけ世間から”好意的に”見られていることを知れば「死にたくない」と考え直すようになるかもしれません。死刑を免れても娑婆に出られることは当分ないわけですが、それでも塀の中でいくらかの自分に関する報道を読むことができ、希望者(いくらでもいるでしょう)と面会することができ、加藤のように本を出版することもできます(加藤は合計4冊の本を出版しました)。本が出版されれば、その英訳もつくられるでしょう。さらに多言語で出版され、世界中で読まれることになるかもしれません。

 犯行の方法は「自家製の銃」ですから、ストーリー性もかなり高いと言えます。何年か後には映画にもなるかもしれません。日本最長就任期間を誇る元首相を手製の銃で暗殺し、その目的が世界にはびこる巨大な宗教組織の悪を暴くことだったわけです。ハリウッドが取り上げてもおかしくありません。山上は日本史のみならず世界史にも名を残すことになるでしょう。

 と、ここまで書くと私自身が山上を絶賛しているかのようです。考えなければならないのは、「なぜ山上がこのような犯行に至ったのか」、そして「同じような犯行を未然に防ぐには我々は何をすべきなのか」でした。

 この事件から改めて浮き彫りになったのは、「人間は失うものが何もない状態になれば恨みをもつ者を殺害することへの抵抗がなくなる」という真理です。では、この事件を未然に防ぐ方法はあったのでしょうか。

 それがあるとするならば「人とのつながり」を置いて他にはないでしょう。もしも、山上の兄が自殺をせずに生きていれば……、山上に恋愛のパートナーがいれば……、中高の同級生が連絡をとっていれば……、職場に気の置けない同僚がいれば……、山上は事件を企てたでしょうか。「あなたが(お前が・先輩が)そんなことをすれば私が(俺が・僕が)悲しい!」と言える者がひとりでもいれば、山上は犯行に及ばなかった可能性があるのではないでしょうか。

 もしも山上のように、人との「つながり」がない孤独な者がいて、その者が恨みを抱く対象がいたとすれば、同様の事件が起こり得ます。そして、安倍元首相がそうであったように、悪意がなくても他人から恨みを買うことはあります。ならば事件を防ぐには、人との「つながり」を築くことで孤独な者を救うしかありません。

 では、どのようにして「つながり」を持たない孤独な人を探せばいいのでしょうか。私自身は以前から引きこもっている患者さんや精神症状を訴える患者さん(男女ともに)に、「何でも話せる人はいますか?」と尋ねるようにしています。「いません」と言われることも少なくありません。そのようなとき、そんなに簡単な話ではありませんが、一緒に解決策を考えるようにしています。

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注:本コラムの脱稿後、山上には妹がいることを週刊誌の報道から知りました。妹はこれから身元を隠して生きていかねばならなくなるでしょう。ということは山上の”完全勝利”とは言えないかもしれません。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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