マンスリーレポート

2024年10月3日 木曜日

2024年10月 コロナワクチンは感染後の認知機能低下を予防できるか

 最近は新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)以外の質問や相談が増えているのですが、今月よりコロナワクチンの第8回目の接種が開始されたこともあり、過去1~2週間は再びコロナの質問が増えていて、ほとんどがワクチンに関するものです。谷口医院は過去7回のコロナワクチン接種を見送っていましたが、ついにこの秋から院内で接種を開始することにしました。といっても、適応はかなり絞り込み、こちらから勧めることはほとんどありませんし、また希望されてもすぐに接種できるかどうかは分かりません。このワクチンには充分な問診が必要だと考えているからです。

 初めに「谷口医院ではこれまでやっていなかったのになんで今になってコロナワクチンを始めたのですか?」という質問に答えておきましょう。谷口医院が過去7回のワクチン接種に不参加だったのは、「mRNAワクチンは副作用が未知。アナフィラキシーショックなどが生じたときの対応が困難」と私自身が考えていたからです。薬についても同じことがいえて、谷口医院では発売された直後から処方を開始した薬は過去にもほとんどありません。登場してから「当初は想定していなかった副作用が……」という事態が日本の薬剤の歴史にはいくらでもあるのです。

 ただし、コロナワクチンが重要であることは認識していましたから私自身が集団会場に出掛けて接種していました。そして、実際アナフィラキシーを疑う事例に遭遇したこともあります。会場には止まった心臓を動かす薬やAED(自動体外式除細動器)が準備され、救急車がすぐ近くに待機していました。このような環境でなければ自院でのワクチン接種に手を出すべきではないと考えていたのです。

 そして現在。諸事情から移転を余儀なくされた谷口医院のすぐ近くには偶然にも新しい大きな病院が誕生しました。院内スタッフも緊急事態に対応できるような体制になってきました。今ならたとえ大きな副作用が起こったとしても対処できます。これが谷口医院が今秋からコロナワクチンを開始するようになった理由のひとつです。

 もうひとつの理由は「ワクチンの誤解を解きたい」という気持ちが私のなかで次第に高まってきたことです。繰り返し述べているように、私自身のコロナワクチンに対する見解は「うってもリスク、うたなくてもリスク」です。副作用がこれだけ多いワクチンですから、ワクチンをうつことにリスクがあるのは自明でしょう。

 しかし、コロナワクチンが登場した2021年の時点では、まだコロナは強毒性のウイルスであり、感染すれば日頃健康な人でも死に至る可能性があり、薬がじゅうぶんに揃っておらず、しかも病床逼迫とやらで、感染しても治療を受けることができないおそれすらありました。そんななかで颯爽と救世主のように登場したワクチンはいわば「唯一の武器」だったわけです。しかも国民の8割がうてば”集団免疫”とやらができて未接種者も救われるのだとか……(これを主張していた専門家には是非現時点の見解を述べてもらいたいものです)。

 一方、2024年の現時点では、ウイルスは弱毒化し、内服薬も出そろい(必ずしも効果が高くないという声もありますが、谷口医院での実績をみているとパキロビッドはもちろん、ゾコーバでもかなり効いている印象があります)、病床逼迫で入院できないということもありません。つまり、ワクチンは「唯一の武器」から「数多い対策のひとつ」に成り下がったのです。ならば重篤な副作用が生じるリスクを抱えてまで受ける必要性は大きく低下します。

 しかし、それはコロナを「死に至る病」とみたときの話です。「死ぬか生きるか」という視点で考えればすでにコロナだけに注目する必要はあまりありません。この議論になると必ず出てくる「重症化リスクのある人は……」という話も、「それを言うなら他の呼吸器感染症、インフルエンザやRSウイルスでも重症化するのでは?」となります。

 では後遺症はどうでしょうか。いっときに比べればコロナ後遺症で悩んでいるという声は随分と減りましたが、今もなくはありませんし、最近は「諦めている」人が増えています。どこに行っても治らない、どんな治療を受けても治らない、と考えている人が多いのです。実際には根気よく治療を続けていれば回復していくことが多いのですが、「治療を続ける」モチベーションが維持できず、さらに認知機能が衰えてくることがあり、こうなるとまともな思考ができなくなってしまいます。ここで論文を紹介しましょう。

 2022年4月に公開されたバングラデシュでコロナに感染した401人を対象とした研究によると、感染者の19.2%に記憶障害が認められました。興味深いのは、理由は不明ながら都心部よりも農村部の住民で記憶障害が顕著であったこと、もうひとつは年齢・性別・コロナの重症度と記憶障害の有無に関連がなかったことです。つまり、若年者でもコロナ感染時の症状が軽症であっても記憶障害が起こるときは起こるのです。

 2024年7月のTIMESの記事にも「30代や40代でも、軽度の認知症のような神経認知障害を発症する」とする意見が掲載されています。

 コロナ罹患後の記憶障害は高齢者で顕著だ、とする研究もあります。イタリヤのトリエステの医療機関の外来に通う平均年齢82歳の111人(男性32%)が対象者です。調査期間中31人がコロナに感染し、44人に認知機能低下がみられました。コロナ感染者では認知機能が低下した人が約3.5倍多いという結果がでました。

 これまでにコロナ感染と認知症の関連が調べられた研究を総合的に解析しなおした研究(メタアナリシス)もあります。過去に発表された質の高い11件の研究が解析されています。コロナ感染者が939,824人、対照者が6,765,117人です。コロナに感染すると認知症を新たに発症するリスクが58%増加することがわかりました。

 イギリスでは80万人の成人を対象にオンラインによる認知機能評価が実施され結果が発表されました。やはりコロナに感染するとその後認知障害を発症するリスクが上昇しています。この研究では、感染時に重症であったときに認知症のリスクが上昇しやすいという結果がでています。

 規模は小さいものの、若年者を対象とした非常に興味深い研究が最近発表されました。対象者は若くて健康な過去にコロナに感染していないボランティア34人で、この研究ではなんと人工的にコロナに感染させています。34人中、感染したのが18人(感染しなかったのが16人)で、1人は無症状、残り(17人)は軽症でした。34人は急性期及び、30、90、180、270、360日後に追跡され認知機能検査を受けました(調査期間は2021年3月から2022年7月)。結果、感染したボランティアは、急性期および追跡期間中のいずれの時点でも非感染ボランティアに比べ認知機能のスコアが低かったのです。ということは、コロナに感染すれば急性期には軽症であったとしても、少なくとも1年間は認知機能や記憶力が衰えることを意味します(下記のグラフは一目瞭然です)。

 もちろん、コロナに感染しても認知機能低下どころかまったく何の後遺症も残さない人の方が圧倒的に多いわけですが、上記の若年者の研究も自覚症状があるわけではないことに注意が必要です。認知機能検査が実施されたことで機能が低下していることが判ったのです。これを考えると、やはりコロナは侮ってはいけないと考えるべきでしょう。

 ではワクチンは認知機能低下を予防するのでしょうか。残念ながらそれを検証した報告は見当たりません。ですが、「ワクチンが後遺症を減らす」とした研究は数多くあり、オミクロン株登場以降は感染リスクや重症化リスクはデルタ株までに比べれば効果が低下していると言われていますが、オミクロン株以降も後遺症のリスクを下げるとした研究もあります。下記のグラフをみればそれはあきらかでしょう。

 さて、今秋以降コロナワクチンをうつべきか否か。たしかに登場して間もないレプリコンワクチンは未知数だらけで安全性が担保されているとは言い難いですが、ファイザー製(またはモデルナ製)であれば従来のmRNAワクチンと同様のリスクとみなしていいでしょう。それでも従来のワクチン(mRNAワクチンが登場するまでのワクチン)と比べれば副作用のリスクは桁違いに高いわけですが。また、mRNAワクチンのリスクが背負えないのであれば武田薬品製のワクチンを接種するという方法もあります。こちらは不活化ワクチンですからmRNAワクチンのリスクはありません(ただし、mRNAワクチンに比べて効果はやや劣るとする声もあります)。

 いずれにしても当分の間、ワクチンをうつべきか否かで悩むことになるでしょう。そういう意味でコロナは「まだ終わっていない」のかもしれません。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2024年9月8日 日曜日

2024年9月 「反ワクチン派」の考えを受けとめよう

 新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)について私が記事やコラムを書くと、興味深いことに、ワクチン賛成派からもワクチン反対派(以下「反ワクチン派」)からも苦情やクレームがきて、一部の人たちからは「私の人格を否定するようなメッセージ」が届けられました。以前から薄々気付いていた、コロナを通してはっきりと分かった自分自身のことが2つあります。

 1つは「私自身は他人からの悪口に極めて鈍感」なことです。医師によっては、自分が非難されたり否定されたりすることが耐えられないらしく、例えばX(旧ツイッター)で非難されると、すぐさまそれに対して攻撃的な言葉を使って”応酬”することがあります。私にはそういうことをする人たちの”神経”が理解できず、そんな”攻防”を冷めた目でみてしまいます。

 なかには非難されたことに耐えられず、名誉棄損の訴訟を起こした医師が何人もいると聞きます。たいていは医師側が勝利するそうですが、お金よりも、そういう面倒くさいことにかける時間がもったいないのに……、と私は考えてしまいます。たしかに、SNSの書き込みで自殺にまでいたったケースがあるわけですから言葉が人間を傷つけることは理解できるのですが、ネット上の文字が人間の身体に変化して画面から飛び出して襲ってくるわけでもあるまいし(こんなホラー映画がかつてあったような……)、と私は考えてしまいます。

 そもそも見ず知らずの人たちから非難されてなぜ自分が傷つく必要があるのでしょう。そういう人たちはもしかすると、世界のすべての人から承認されたい、とでも思っているのでしょうか。「承認欲求」の話はこのサイトで何度も述べましたからここでは繰り返しませんが、私の考えを再度紹介しておくと「承認されるのは数人の身内からだけでじゅうぶんであり、見ず知らずの人たちからは何を言われてもかまわない」となります。

 念のために付記しておくと、これは「人格に対して」という意味です。例えば、あなたが芸人だったとして、その芸が誰からも認められなければ食べていけなくなります。しかし、万人から支持される芸人がいたとすればまず間違いなくその芸は面白くありません。また、芸人に限らず芸術家の場合、「人格は承認されずに作品は認められる」ということもよくあって、これでOKなのです。

 例えば、私自身はピカソという人物を”尊敬”していますが、それは一人で15万点もの作品を残したことにあります(芸術性の高さはよく分かりませんがこれは私に芸術のセンスがないからです)。しかし、その尊敬は作品(の多さ)に対するものであり、だらしない女性遍歴については異なります(ロマンスやセックスへの執着の強さと作品に関連があるかもしれないという意味で興味はありますが)。

 コロナワクチンに話を戻すと、公衆衛生学者や感染症専門医の立場からはワクチンを推奨するしかないわけで、少なくともオミクロン株登場までは、コロナワクチンが多数の命を救ったのは事実です(この点について、反ワクチン派から正統なコメントを聞いたことがありません)。だからそういう立場の人は「ワクチンは有効だ(だった)」と言えばいいわけです。

 しかし、ワクチンというのは元々全員が賛成するものではありませんし、ワクチンの被害に遭う人もいるわけですから、万人から支持されないことは初めからわかっていたはずです。SNSで「ワクチンをうちましょう」と言えば、当然「ワクチンなんて誰がうつか!」というコメントが届くことも予想できたのです。そして、それがエスカレートして人格が攻撃されることも起こり得るのは自明です。ですから、たとえ「殺すぞ」などと強迫めいたメッセージが届いたとしても放っておけばいいのです。実際に殺しにくることなどあり得ないからです。

 私の場合は初めから一貫して「コロナワクチンはうってもうたなくてもリスクがある」と言い続けて一度も主張を変えていません。これを最初に書いたコラムを公開したとき、多数の苦情がきました。編集者がタイトルを変更したほどです。このコラム、もともとは「コロナワクチン、うってもうたなくても『大きなリスク』」だったのですが、これなら炎上するだろうとのことで編集者に「新型コロナワクチン 打つも打たぬもリスク大きい」に替えられました。ところがこれでも炎上したために「新型コロナ ワクチン接種はよく考えて」という何の変哲も面白味もないタイトルに替えられてしまったのです。

 つまるところ、ワクチンというもともとコントロバーシャルなものを取り上げて文章を書くのなら(それが140字であっても、医療プレミアのように長いコラムであっても)批判されるのは初めからわかっているわけで、それが過激な表現になることも予想できるのです。ホラー映画のように画面から何かが飛び出してくることはないわけですから、こんなことを気にするのは時間の無駄です。

 もうひとつ、私が以前から気づいていたことでコロナを通して確信したことは、「反医学的な話を聞くことに抵抗がない」です。このことに対して「あれっ、自分はどこか違う……」と初めて気付いたのは、20年以上前の皮膚科での研修時代でした。ステロイドをやたら忌避する患者さんに対して、ほとんどの医師は「ああいう非科学的な人たちは来ないでほしい」などと言うわけですが、私にはこの感覚が理解できませんでした。むしろその逆に「そのような考えに至るまでにきっといろんなことがあったんだろう。この人のそんな人生を一緒に振り返ってみたい」と感じてしまうのです。

 コロナワクチンが始まったとき「ワクチンにはマイクロチップが埋め込まれていてワクチンをうてば国家に監視されてしまう」というデマがありました。ほぼすべての医師がこのようなデマを一蹴したわけですが、私が感じたのは「それを信じている人と話をしたい!」でした。もっとも、あの頃にそんな時間を捻出する余裕はなかったわけですが。しかし、谷口医院にも何人かこの説を信じている患者さんが受診されました。できるだけ表情に出さないようにして冷静に話すように努めましたが、誤解を恐れずに言えば、私はそういう人たちとの会話が楽しいのです。もっとも診察室ではあまり踏み込んだ話はできませんが。

 ちなみに、いまだに私が出会ったことがなくていつか巡り合えることを楽しみにしているのは「地球が平面だと信じている人」(英語では「flat earther」と呼びます)です。地球が平面だなんて馬鹿げていると思う人が多いでしょうが、実は国際学会「Flat Earth International Conference」も存在します。

 では、なぜ私がそんな非科学的な説を信奉している人(=science denier)に関心があるかというと、そういう人たちは「過去に人生に挫折していたりそれなりの苦悩を経験していたりするから」です。ステロイドを毛嫌いする人たちは、まず間違いなく自分か知人がステロイドをうまくつかえずに余計にアトピーが悪化した、またはステロイドの副作用に苦しんだ経験があります。「そんな経験があるならステロイドを嫌いになるのは無理もない」と私には思えますが、大半の医師はそうは考えず「自分の言うことが聞けないならもう来るな!」という態度になります。

 コロナワクチンの場合も同様です。そして、その”苦悩”はワクチンによるものとは限らずに、どんな背景でも起こり得ます。例えば、仕事や人間関係でうまくいかないことがあって人生に絶望しているときに「政府や専門家が推薦しているコロナワクチンは実は有害で、真実は別にある」と”理解”すれば、自分だけが正しいことを知っているという優越感、さらには高揚感が出てきます。そしてさらにこの感覚が生きがいにつながることさえあるのです。

 そういう人たちに対して正論を唱えてもまったく効果がないばかりか逆効果になります。反ワクチン派の人に対して、ワクチンが有効だとするエビデンス(科学的証拠)を示せば示すほど、「”真実”が分かっていない気の毒な人」と思われるだけです。ならば、初めから正論を主張するのではなく、まずは目の前の患者さんがなぜそのような考えを持つにいたったのかを理解すべきです。「オレの言うことが聞けないならもう来るな!」という態度をとれば医師・患者の双方にとっていいことが何一つないのは明らかでしょう。

 残念なことに、コロナワクチンが原因で、あるいはマスクや自己隔離などに対する考えを巡って友達や家族の間で対立が生まれてしまい関係を修復できなくなった人たちがいます。そのような経験がある人は、この次その相手に出会ったときに、どうかこのコラムを思い出してみてください。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2024年9月5日 木曜日

2024年8月 谷口医院が「不平等キャンペーン」を手伝うことになった経緯

 すでに2024年7月号の「GINAと共に」でも述べたように、ついに谷口医院も(すでに一部の人からは)悪名高い「不平等キャンペーン」に手を貸すことになりました。

 まずは、このキャンペーンの概要を説明し、その上で何が不平等なのかを、実際に過去に当院に寄せられた”クレーム”を通してみていきたいと思います。

 キャンペーンの内容は「HIV、梅毒、B型肝炎の検査を行政のお金(税金)を使って無料でおこなう」もので、一見気前のいいキャンペーンに思えます。不平等なのは「ただし、この検査を受けられるのはゲイ(性自認が男性で性指向が男性である者)のみ」だからです。

 数年前、初診のある女性から「HIVと梅毒の検査、無料って聞いていたX診療所に行ったらゲイだけだと言われたんです。ここ(谷口医院)なら女性でも受けられますか?」と問われました。X診療所は性病検査で有名なところで、その診療所がこのゲイを対象とした無料検査を実施していることは我々も知っていました。なぜなら、事前に行政から「谷口医院もこのキャンペーンに参加してほしい」と依頼されていたからです。

 こんな検査、谷口医院でできるはずがありません。あきらかに「差別」だからです。そもそも私が、大学の医局に籍を置きながらとはいえ、比較的早い段階で開業したのはその「差別を許せなかったから」です。現在はある程度ましになっていますが、谷口医院が開業した2000年代当時、セクシャルマイノリティという理由で医療機関でイヤな思いをしたという声が私に多数寄せられていました。なぜ、私のところに寄せられていたのかというと2006年にNPO法人GINAのウェブサイトを立ち上げていたからです。

 今でこそウェブサイトなど何も珍しくありませんが、当時はウェブサイトを設けて読者の相談を受け付けていた、医師が中心となりHIVの支援をする団体はさほど多くなかったのです。毎日のように相談メールが寄せられ、そのなかに医療機関で差別的な扱いを受けたというゲイを含むセクシャルマイノリティの人たちからの相談がたくさんありました。

 こういう相談メールを読む度に、私の身体の奥から怒りの感情が湧いてきて「こんなことが許されていいはずがない。しかしこれが現実なら自分が差別のない医療機関をつくればいい」と考えるようになりました。セクシャルマイノリティのなかでも「差」はあります。最も差別的な扱いを受けているのはトランスジェンダーの人たちです。

 ゲイの場合、それをカミングアウトしなければいいわけですが、しかし疾患によってはそれを伝えた方が診察がスムースにいくと思われるケースがあります。例えば、肛門疾患がそうですし、あるいは精神疾患も該当することがあります。ところが勇気を振り絞って自身のセクシャリティを医師に伝えたところ、態度が急変し、なかには「専門のところに行ってください」と冷たく言われたり(「専門のところ」ってどこなのでしょう?)、なぜか名前ではなく番号で呼ばれるようになったという人もいました。看護師の対応があきらかに変わったという人もいました。また、当時は(残念ながら今でも似たような話があるのですが)HIV陽性であることを伝えると医師の態度が急変し「もう来ないでください」と露骨に言われたという話も珍しくありませんでした。

 こんなことが許されていいはずがありません。そこで私はHIVの有無に関わらず、セクシャリティに関わらず、平等に診察するクリニックをつくることを決意しました。この「平等」の意味はHIVやセクシャリティだけではありません。当時は(やはり今でも、ですが)、外国人だから診てもらえないとか、職業によって差別されたとか、あるいは「それはうちの科ではありません」と言われ、ドクターショッピングを繰り返さざるを得ない人たちが少なくなかったのです。

 研修医を終えてから開業するまでの約3年間、私は総合診療の修行をしてきました。まずタイのエイズ施設で約半年間にわたり米国人の総合診療医の指導を受け、帰国後は大学の総合診療部に籍を置き、大学以外にも様々な病院や診療所で研修を受けてきました。開業時には、すべての病気を治せるわけではありませんが、どのような症状であっても初期対応はできる自信がありました。そのうち9割以上は自分自身で治療できることを確信していて、残りの1割も紹介はしますがその後のフォローは自分でするようにしていました。決して「それは分かりませんから自分で別のところを探してください」とは言いませんし、実際、言ったことはありません。

 そして「どのような症状も診る」の他に、もうひとつ開院当時から今も遵守していることが「どのような属性の人も診る」です。つまり、どのような職業であっても国籍であっても、そしてどのようなセクシャリティであっても診ることを信条としてきたのです。しかし、セクシャルマイノリティを優先して診るようなこともすべきではありません。いわゆる逆差別もまた差別に変わりないからです。

 そして、ゲイだけが無料で受けられる検査はあきらかに(逆)差別です。こんなキャンペーンなどできるはずがありません。2007年の開院した当初、行政の職員からこのキャンペーンに参加してほしいと依頼され、お断りしました。以降、毎年のように「今年こそ」とお願いされ続けてきて、毎回断ってきました。

 しかし、2024年8月19日から始まる今年のキャンペーンにはついに参加することにしました。理由は主に2つあります。1つは依頼する大阪府の職員の方々が大変熱心で、ゲイを(逆)差別する悪意があるわけではないからです。行政がこのようなキャンペーンを実施するのは公衆衛生学的な理由です。つまり、「大阪のHIV陽性者はゲイが最多だから、母集団をゲイに絞って検査を促せば効率がいい」からこのような企画をするのです。

 もちろん、この理屈は(ゲイ以外の)市民からは受け入れられません。なぜなら「なんで(ゲイ以外の者からも集めた)税金を、ゲイだけのために使うんだ?」という質問に誰も答えられないからです。これは例えて言えば、同じように年会費を払っているホテルなどで「あんたはゲイじゃないから宿泊させません」と言われているようなものです。こんな理屈許されるはずがありません。だから、この点については「ご指摘の通りです。このキャンペーンが不平等なのは明らかです」と謝るしかありません。そこで当院では無料にはできませんが、こういった検査を格安ですべての人に提供することにしました。無料ではなくまだ高いですが(HIV検査は2,200円)、これが限界です。「ゲイは無料なのに……」と言われればやはり謝るしかありません。

 谷口医院がこの不平等キャンペーンに参加することにしたもう1つの理由は、先述したX診療所が閉院したからです。この診療所は通常の診療所とは異なるいわゆる「性病クリニック」で、多数の性病検査希望者が訪れていた有名なところです。

 当院で苦情を言っていたその女性は、sex worker(フーゾク嬢)のようで、普段からX診療所で定期的に性病検査を受けていたそうです。その”世界”では性病検査の情報の拡散が早いらしく、女性は「ゲイなら無料で検査ができる」という噂を聞き、「ゲイが無料なら私達フーゾク嬢も無料になるはずだ」と考え(おそらく「私達もゲイと同じように性病のハイリスクだから」と考えたのでしょう)、X診療所を定期受診したときに、「いつも受けているHIVと梅毒の検査を無料にしてほしい」とお願いして、あっけなく断られ、気分を害して当院を受診した、というのが経緯でした。

 ちなみに、この女性の友達が当院のかかりつけ患者で、その女性はsex workerではありませんが、過去に当院で性感染症の検査を受けたことがあるとのことでした。

 性感染症の検査は一見簡単そうでどこの医療機関でも受けられそうな気がしますが、ちょっと複雑な部分があります。例えば、淋菌やクラミジアは、一般のクリニック(泌尿器科や婦人科)では、尿検査や子宮頸部の検査をしますが、性交渉の仕方によっては咽頭や肛門粘膜も診なければならず、柔軟で適切な対応ができないことがあります。梅毒は今でこそありふれた疾患ですが、2000年代は(泌尿器科や婦人科でも)診察の経験がない医師が多く、X診療所の医師のように日々性病を診ていないと診察しにくいことがあります(尚、私の場合はタイのエイズ施設でかなり多数の梅毒を診てきましたから開業当初から梅毒は”見慣れた”疾患でした)。

 行政の人から「X診療所はゲイのキャンペーンに貢献してくれていた。X診療所が閉院して困っている」と聞きました。この言葉が決め手となって、谷口医院もついに参加することにしたという次第です。ただし、そうは言っても「不平等であることへの違和感」が私のなかで解消されたわけではありません。「GINAと共に」に書いたように、ゲイだけでなく対象者の幅を広げるつもりです。

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追記(2024年8月10日):大阪府は「レズビアンは本キャンペーンの対象ではない」と通知してきました。納得できませんが、府の意向には従うしかありません。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2024年8月22日 木曜日

2024年8月 谷口医院が「不平等キャンペーン」を手伝うことになった経緯

 すでに2024年7月号の「GINAと共に」でも述べたように、ついに谷口医院も(すでに一部の人からは)悪名高い「不平等キャンペーン」に手を貸すことになりました。

 まずは、このキャンペーンの概要を説明し、その上で何が不平等なのかを、実際に過去に当院に寄せられた”クレーム”を通してみていきたいと思います。

 キャンペーンの内容は「HIV、梅毒、B型肝炎の検査を行政のお金を使って無料でおこなう」もので、一見気前のいいキャンペーンに思えます。不平等なのは「ただし、この検査を受けられるのはゲイ(性自認が男性で性指向が男性である者)のみ」だからです。

 数年前、初診のある女性から「HIVと梅毒の検査、無料って聞いていたX診療所に行ったらゲイだけだと言われたんです。ここ(谷口医院)なら女性でも受けられますか?」と問われました。X診療所は性病検査で有名なところで、その診療所がこのゲイを対象とした無料検査を実施していることは我々も知っていました。なぜなら、事前に行政から「谷口医院もこのキャンペーンに参加してほしい」と依頼されていたからです。

 こんな検査、谷口医院でできるはずがありません。あきらかに「差別」だからです。そもそも私が、大学の医局に籍を置きながらとはいえ、比較的早い段階で開業したのはその「差別を許せなかったから」です。現在はある程度ましになっていますが、谷口医院が開業した2000年代当時、セクシャルマイノリティという理由で医療機関でイヤな思いをしたという声が私に多数寄せられていました。なぜ、私のところに寄せられていたのかというと2006年にNPO法人GINAのウェブサイトを立ち上げていたからです。

 今でこそウェブサイトなど何も珍しくありませんが、当時はウェブサイトを設けて読者の相談を受け付けていた、医師が中心となりHIVの支援をする団体はさほど多くなかったのです。毎日のように相談メールが寄せられ、そのなかに医療機関で差別的な扱いを受けたというゲイを含むセクシャルマイノリティの人たちからの相談がたくさんありました。

 こういう相談メールを読む度に、私の身体の奥から怒りの感情が湧いてきて「こんなことが許されていいはずがない。しかしこれが現実なら自分が差別のない医療機関をつくればいい」と考えるようになりました。セクシャルマイノリティのなかでも「差」はあります。最も差別的な扱いを受けているのはトランスジェンダーの人たちです。

 ゲイの場合、それをカミングアウトしなければいいわけですが、しかし疾患によってはそれを伝えた方が診察がスムースにいくと思われるケースがあります。例えば、肛門疾患がそうですし、あるいは精神疾患も該当することがあります。ところが勇気を振り絞って自身のセクシャリティを医師に伝えたところ、態度が急変し、なかには「専門のところに行ってください」と冷たく言われたり(「専門のところ」ってどこなのでしょう?)、なぜか名前ではなく番号で呼ばれるようになったという人もいました。看護師の対応があきらかに変わったという人もいました。また、当時は(残念ながら今でも似たような話があるのですが)HIV陽性であることを伝えると医師の態度が急変し「もう来ないでください」と露骨に言われたという話も珍しくありませんでした。

 こんなことが許されていいはずがありません。そこで私はHIVの有無に関わらず、セクシャリティに関わらず、平等に診察するクリニックをつくることを決意しました。この「平等」の意味はHIVやセクシャリティだけではありません。当時は(やはり今でも、ですが)、外国人だから診てもらえないとか、職業によって差別されたとか、あるいは「それはうちの科ではありません」と言われ、ドクターショッピングを繰り返さざるを得ない人たちが少なくなかったのです。

 研修医を終えてから開業するまでの約3年間、私は総合診療の修行をしてきました。まずタイのエイズ施設で約半年間にわたり米国人の総合診療医の指導を受け、帰国後は大学の総合診療部に籍を置き、大学以外にも様々な病院や診療所で研修を受けてきました。開業時には、すべての病気を治せるわけではありませんが、どのような症状であっても初期対応はできる自信がありました。そのうち9割以上は自分自身で治療できることを確信していて、残りの1割も紹介はしますがその後のフォローは自分でするようにしていました。決して「それは分かりませんから自分で別のところを探してください」とは言いませんし、実際、言ったことはありません。

 そして「どのような症状も診る」の他に、もうひとつ開院当時から今も遵守していることが「どのような属性の人も診る」です。つまり、どのような職業であっても国籍であっても、そしてどのようなセクシャリティであっても診ることを信条としてきたのです。しかし、セクシャルマイノリティを優先して診るようなこともすべきではありません。いわゆる逆差別もまた差別に変わりないからです。

 そして、ゲイだけが無料で受けられる検査はあきらかに(逆)差別です。こんなキャンペーンなどできるはずがありません。2007年の開院した当初、行政の職員からこのキャンペーンに参加してほしいと依頼され、お断りしました。以降、毎年のように「今年こそ」とお願いされ続けてきて、毎回断ってきました。

 しかし、2024年8月19日から始まる今年のキャンペーンにはついに参加することにしました。理由は主に2つあります。1つは依頼する大阪府の職員の方々が大変熱心で、ゲイを(逆)差別する悪意があるわけではないからです。行政がこのようなキャンペーンを実施するのは公衆衛生学的な理由です。つまり、「大阪のHIV陽性者はゲイが最多だから、母集団をゲイに絞って検査を促せば効率がいい」からこのような企画をするのです。

 もちろん、この理屈は(ゲイ以外の)市民からは受け入れられません。なぜなら「なんで(ゲイ以外の者からも集めた)税金を、ゲイだけのために使うんだ?」という質問に誰も答えられないからです。これは例えて言えば、同じように年会費を払っているホテルなどで「あんたはゲイじゃないから宿泊させません」と言われているようなものです。こんな理屈許されるはずがありません。だから、この点については「ご指摘の通りです。このキャンペーンが不平等なのは明らかです」と謝るしかありません。そこで当院では無料にはできませんが、こういった検査を格安ですべての人に提供することにしました。無料ではなくまだ高いですが(HIV検査は2,200円)、これが限界です。「ゲイは無料なのに……」と言われればやはり謝るしかありません。

 谷口医院がこの不平等キャンペーンに参加することにしたもう1つの理由は、先述したX診療所が閉院したからです。この診療所は通常の診療所とは異なるいわゆる「性病クリニック」で、多数の性病検査希望者が訪れていた有名なところです。

 当院で苦情を言っていたその女性は、sex worker(フーゾク嬢)のようで、普段からX診療所で定期的に性病検査を受けていたそうです。その”世界”では性病検査の情報の拡散が早いらしく、女性は「ゲイなら無料で検査ができる」という噂を聞き、「ゲイが無料なら私達フーゾク嬢も無料になるはずだ」と考え(おそらく「私達もゲイと同じように性病のハイリスクだから」と考えたのでしょう)、X診療所を定期受診したときに、「いつも受けているHIVと梅毒の検査を無料にしてほしい」とお願いして、あっけなく断られ、気分を害して当院を受診した、というのが経緯でした。

 ちなみに、この女性の友達が当院のかかりつけ患者で、その女性はsex workerではありませんが、過去に当院で性感染症の検査を受けたことがあるとのことでした。

 性感染症の検査は一見簡単そうでどこの医療機関でも受けられそうな気がしますが、ちょっと複雑な部分があります。例えば、淋菌やクラミジアは、一般のクリニック(泌尿器科や婦人科)では、尿検査や子宮頸部の検査をしますが、性交渉の仕方によっては咽頭や肛門粘膜も診なければならず、柔軟で適切な対応ができないことがあります。梅毒は今でこそありふれた疾患ですが、2000年代は(泌尿器科や婦人科でも)診察の経験がない医師が多く、X診療所の医師のように日々性病を診ていないと診察しにくいことがあります(尚、私の場合はタイのエイズ施設でかなり多数の梅毒を診てきましたから開業当初から梅毒は”見慣れた”疾患でした)。

 行政の人から「X診療所はゲイのキャンペーンに貢献してくれていた。X診療所が閉院して困っている」と聞きました。この言葉が決め手となって、谷口医院もついに参加することにしたという次第です。ただし、そうは言っても「不平等であることへの違和感」が私のなかで解消されたわけではありません。「GINAと共に」に書いたように、ゲイだけでなく対象者の幅を広げるつもりです。

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追記(2024年8月10日):大阪府は「レズビアンは本キャンペーンの対象ではない」と通知してきました。納得できませんが、府の意向には従うしかありません。

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2024年6月9日 日曜日

2024年6月 人間の本質は「憎しみ合う」ことにある

 今からちょうど4年前の2020年6月のマンスリーレポート「『我々の本質は優しくて思いやりがあり助けあうもの』ではない」で、オランダの歴史家ルトガー・ブレグマンが主張する「人間の本質は優しくて思いやりがあり助けあうもの」という主張には到底同意できないとする自論を述べました。

 私には人間の本質が優しくて思いやりがあるなどとは到底思えず、未来を楽観視することができないのです。そのコラムでも述べたように、30代の頃にはまだ人間の未来に期待していました。人間の諍いのほとんどはコミュニケーション不足からくる誤解によるものであり、たいていの場合話し合いをすれば互いを理解しあえると本気で思っていたのです。しかし、その後年をとり、40代半ばくらいには人への不信感が芽生えるようになり、次第に大きくなっていきました。

 そして新型コロナウイルスのパンデミックが起こりました。4年前のそのコラムで述べたように、日本人(東アジア人)というだけで見知らぬ人たちから差別され、襲われるようになりました。谷口医院の患者さんの当時欧米諸国に住んでいた人たちのなかにも逃げるように帰国した人がいます。当時バンクーバーに住んでいたある患者さんは「コロナ流行を機に隣人が豹変したかのようだった」と話していました。バンクーバーはそもそも移民が多く、国籍や民族で差別されないことで有名な街だったはずです。その街で最近まで仲良くやっていた隣人たちが豹変したというのですから、元々保守的な地域であればもっと恐ろしい光景が繰り広げられていたことが想像できます。

 2022年2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻しました。もしも人間がブレグマンの言うように「人間の本質は優しくて思いやりがあり助けあうもの」ならば、世界の首脳は軍事で協力するのではなく、話し合いで解決することに力を注ぐのではないでしょうか。もちろん、突然軍事侵攻を開始したロシアに非があることは否めませんが、この戦争の”発端”は2004年のオレンジ革命にあります(と、私は考えています)。そして、オレンジ革命を事実上”煽動”したのは米国を中心とする西側諸国であることにはコンセンサスがあると言っていいでしょう。資金面ではジョージ・ソロスが大きく加担したと言われています。
 
 日本も含めた西側の報道では、2022年の軍事侵攻に先立つロシアの間違った行為として2014年のクリミア併合を挙げます。しかし、その併合は選挙の結果によるものですし、仮に選挙が公平でなかったとしても、ロシアに併合を決意させた原因はユーロマイダン革命にあります。そもそも、このユーロマイダン革命というものは革命と呼ぶにはふさわしくなく「西側諸国がしかけたクーデター」です。ヤヌコーヴィチ大統領を西側諸国が煽ったクーデターでウクライナから追放したのですから。ヤヌコーヴィチ大統領がロシアへの亡命を余儀なくされたため、ロシアはいわばその”仇”をとるためにクリミア半島を併合した、しかも民主的な選挙で、というのが私の見方です。ここでは私の史観が正しいかどうかは別にして、こんなことをやっている人間の本質が優しくて思いやりがあり助けあうものなどとは到底思えないわけです。

 2023年10月7日、パレスチナのガザ地区を支配するハマスがイスラエルに戦争をしかけました。「先に手を出した方が悪い」という理屈が正しいのなら、1948年のパレスチナ戦争(第一次中東戦争)まで遡って議論すべきです。そもそも1947年に国連が採択した「パレスチナ分割決議」の段階で、土地の43%がアラブ系住民に、57%がユダヤ系住民に与えられるという不公平なものでした。そんななかで勃発したパレスチナ戦争でイスラエルが勝利し、国連による分割決議よりも広大な地域を占領したのです。国連決議に従わないイスラエルが正しいとなぜ言えるのでしょうか。

 アラブ人とイスラエル人の対立をみていると、人間の本質は優しくて思いやりがあり助けあうものとは到底思えません。ハマスがイスラエルに侵攻した直後、イスラエルのヨアン・ガラント(Yoan Gallant)国防相はハマスの軍人を「human animals」、つまり「人間の顔をした獣」と呼びました。しかも、公式な記者会見の場で、です。

 国連にはさほど力がないのは事実ですが、それでも人間の本質が優しくて思いやりがあり助けあうものならば、こと平和に関しては世界各国は国連に従うべきです。ですが、イスラエルははなからそのつもりがありません。先月の国連総会において、イスラエルのエルダン国連大使は壇上で国連憲章の表紙を小型のシュレッダーにかけて細断しました。

 2024年5月31日、米国バイデン大統領はウクライナに対して、米国が供与した兵器でロシア領内を攻撃することを認める決断を下しました。ここまでくれば完全に代理戦争です。つまり、西側連合軍とロシアがいよいよ本格的な戦争に突入したといえなくもなくなります。イスラエルは攻撃をやめません。ここで、もしも北朝鮮が何かをしかけてくるようなことがあればこのまま一気に第三次世界大戦に進んでいくでしょう。

 しかし、本来戦争ほど馬鹿げた政策はないはずで、我々はそれを歴史から学んでいたのではなかったでしょうか。ではなぜこんな愚かな行為を繰り返すのか。私なりの答えは「人間が愚かだから」というよりも、「人間の本質が憎しみ合うことだから」です。

 そのことを証明するのに戦争のようなマクロな憎しみを持ち出す必要はありません。SNSをみればいかに人間が醜い罵り合いをしているかが自明です。

 個人的な話をすれば、私は医師になってからも数年間は「医師は他人に優しい」と思っていました。なぜって、困っている人を救いたいという気持ちがあって医者になるわけだから、優しくなければ務まらないではないですか。だから、私のように医学部入学時点で医師になることを考えておらず研究者を目指していたような者は、小さい頃から医師を目指していたようなタイプの医者にはかなわないと考えていて、そういう意味で少なからず劣等感もあったわけです。

 ところが、実際には医者なんて、特に開業医なんて全然優しくないわけです。新型コロナのパンデミックでそれが露わになりました。いつも診ている患者さんが発熱で苦しんでいるのに、「うちでは診られないから診てほしかったら自分で診てもらえるところを探せ」と言われ、すがるように当院にやって来た患者さんがどれだけいたか。それが、発熱外来を実施すれば点数アップという方針が決まるや否や、手のひらを返したように、今度は発熱患者の取り合いになったわけです。

 私はSNSはやっていませんが、何度か医師の投稿を見たことがあります。驚いたのは自分の意見に反するコメントに対し、汚い言葉を使って相手を攻撃する医師がいることでした。また、汚い言葉とは言えなくても「上から目線」の態度が目立つ医師もいました。オレは専門医だから、あるいは大学教授だから言うことを聞け、のような態度の書き込みもあり、当然のことながら、そういうコメントに対しては一般人から激しい反論がくるわけですが、私からみればそれは当然です。それで「名誉棄損だ」とか「人権侵害だ」などと被害者ぶるのはちょっと違うと思います。

 医者だけではありません。私は子供の頃、なんとなく「お金持ちの人は優しい」と思っていましたが、それはまったく正しくなかったのです。私は以前、マイルがたまったので飛行機のビジネスクラスに乗ったことがあります。たまたま私の周りだけがそうだったのかもしれませんが、ビジネスクラスの乗客は、フライトアテンダントに対する態度がとても横柄なのです。赤ちゃんが泣いたことに文句を言ったり、到着が遅いと言ってみたり(それはフライトアテンダントのせいではないでしょう)、辟易としました。

 ちなみに、South China Morning Postによると、日本人のビジネスクラスを利用する乗客は最悪だそうです。同紙では「the worst culprits(最悪の犯人)」という言葉まで使われています。彼(女)らは「ビジネスクラスに乗っているから特別だと思い込んでいて、地上職員を含め他の全員を見下している」そうです。

 カリフォルニア大学バークレー校の社会心理学者ポール・ピフ(Paul Piff)氏は、車によって社会階級を5つに分け、どのグレードの車が横断歩道の手前で止まって歩行者に道を譲るかを調べました。結果、高級車であればあるほど歩行者のために止まることはせずに自分勝手な行動をとることが分かったのです。

 調べてみると、「金持ちが他人に優しくない」ことを示した研究は多数あります。米誌「New York」の記事は「お金が人を反社会的にする」ことを示しています。ポール・ピフ氏の車のグレードの研究にも触れています。

 こうして考えると、ブレグマンはなぜ「人間の本質は優しくて思いやりがあり助けあうもの」などと言えるのでしょう。彼の周囲には優しい人ばかりが集まっているのでしょうか。そしてビジネスクラスに搭乗したことがないのでしょうか。

 などと言っていてもしかたありません。私自身は(私自身が優しいかどうかは分かりませんが)「利他の精神」が、たとえ人間の本質でなかったとしても「人間のあるべき姿」だと信じています。そして、優しくない人間はこれまで山ほどみてきましたが、利他の精神を発揮し他人に優しい人たちも知っています。そういう人たちとのネットワークを大切にし、たとえ戦争が起ころうとも、たとえ地球温暖化が進行し豊かな暮らしが失われようとも、「人間のあるべき姿」を貫いてみせるつもりです。

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2024年5月5日 日曜日

2024年5月 小池百合子氏のカイロ大学”卒業”が真実と言える理由

 8年前のコラム、マンスリーレポート2016年6月「己の身体で勝負するということ」には大勢のコメントをいただきました。当時、学歴詐称で表舞台から姿を消したタレントのショーンK氏を引き合いに出し、私自身の経験から、後に行き過ぎた私見であることは認めるようになったものの、現在も学歴・職歴にこだわる人たちを冷ややかにみている、という話をしました(尚、8年前には社会からバッシングされている氏をかばうために「SK氏」としていましたが、現在では氏を悪く言う人はもういないでしょうから「ショーンK氏」と”実名”にします)。

 自分の学歴・職歴を前面に押し出そうとしている人を私が哀れに感じるのは、「あなたは自分に自信がないから、そういったことを持ち出すのですね」と思えるからです。その大学(院)やその企業はエライのかもしれませんが、「だからあんたは何なの?」と私には思えます。他人の学歴・職歴を気にする人に対しては「あなたは人を見る目がないから、そうやって他人の属性でしか人を判断できないんじゃないんですか」と言いたくなります。

 しかし、学歴(や職歴)で人を判断する人、自分の学歴を自慢したがる人は世の中に少なくありません。最近、立て続けにそのような”事件”が3件も報道されたことからもそれはよく分かります。まず、その3件を振り返ってみましょう。

 米国で活躍するプロ野球選手大谷翔平氏の元通訳で、違法賭博と銀行詐欺の罪を犯したとされる水原一平氏が学歴を詐称していたことが報道であきらかとなりました。水原氏は、2007年にカリフォルニア大学リバーサイド校を卒業とされていましたが、NBCによると、同校は「水原氏が通っていた記録はない」と回答しています。

 「県庁はシンクタンク。 野菜を売ったり牛の世話をしたりモノを作ったりとかと違い、皆さまは頭脳・知性の高い人たち」など、信じられないような差別発言を繰り返し、辞意を表明した静岡県知事の川勝平太氏は「オックスフォード大学で博士の資格を取ったこと」が自慢だそうです。川勝知事の場合、学歴を詐称しているのではなく学歴を自慢していることがなんとも滑稽です。日本学術会議任命拒否問題のとき、川勝知事は菅首相(当時)に対し「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した」と発言し非難されました。調べてみると、菅首相(当時)は法政大学出身でした。

 川勝知事は、かつて自身が学長を務めていた大学の女子学生に「11倍の倍率を通ってくるんですから、もうみなきれいです」、「めちゃくちゃ顔のきれいな子は賢いこと言わないとなんとなくきれいに見えないでしょう。ところが全部きれいに見える」などと発言したことがNHKに報道されました。オックスフォードで博士号をとれる優秀な人になら分かるのでしょうが、私には「めちゃくちゃ顔のきれいな子は……全部きれいに見える」の日本語がいまだによく分かりません。

 カイロ大学文学部社会学科を1976年10月に主席で”卒業”した東京都知事の小池百合子氏は、90年代初頭からその学歴が虚偽であると繰り返し指摘されています。その都度、小池氏は卒業の”証拠”を公表し反論しています。ここで経緯を簡単に振り返ってみましょう。

・1992年の参院選の際、カイロ大学卒業を疑う報道が相次いだため、小池氏は当時連載していた『週刊ポスト』のコラム「ミニスカートの国会報告」1993年4月9日号でカイロ大学の卒業証書を写真で紹介した

・2016年の東京都知事選挙の際、6月30日放映のテレビ番組「情報プレゼンター とくダネ!」が学歴詐称疑惑を扱ったため、小池氏は卒業証書と卒業証明書を担当者に送った(ことを「週刊文春」が報じた)。

・2018年6月8日、「文藝春秋」が、「小池氏はカイロ大学を卒業していない」ことを証言した、小池氏がカイロ滞在時に同居していた女性(後に実名を公開)に取材をし、記事を発表した

・2020年5月27日、「週刊文春」が「『カイロ大学卒業は嘘』 小池百合子東京都知事の学歴詐称疑惑 元同居人が詳細証言」との記事を配信し、卒業関係書類のロゴやスタンプが偽物であると報じた

・同日、「プレジデントオンライン」に「『カイロ大学卒業は本当』小池百合子東京都知事の学歴詐称疑惑 カイロ大学が詳細証言」が掲載された。カイロ大文学部日本語学科の教授が「確かに小池氏は1976年に卒業している。72年、1年生の時にアラビア語を落としているが、4年生の時に同科目をパスしている。これは大学に残されている記録であり、私たちは何度も日本のメディアに、同じ回答をしている」と証言している、と報じた

・同年5月29日、石井妙子氏の『女帝 小池百合子』が出版され、(上述の)元同居人の証言などに基づいた学歴詐称疑惑が明らかにされた

Wikipediaによると、同年6月8日、カイロ大学のモハンマド・エルホシュト学長が「(小池氏は)1976年にカイロ大文学部社会学科を卒業したことを証明する」「卒業証書はカイロ大の正式な手続きにより発行された」「日本のジャーナリストが証書の信ぴょう性に疑義を示したことは、大学と卒業生への名誉毀損で看過できない」との声明を発表した

・同年6月9日、駐日エジプト大使館が、カイロ大学が発表した「小池氏が1976年10月に卒業したことを証明する旨の声明文」をフェイスブックで公開した

・2024年4月9日、「文藝春秋」が、元都民ファーストの会事務総長の小島敏郎の記事「『私は学歴詐称工作に加担してしまった』小池百合子都知事 元側近の爆弾告発」を公開。さらに、上述の同居人が実名を公表し「百合子さん、あなたが落第して大学を去ったことを私は知っている──」を公開した

 ここまでくると、小池氏がカイロ大学を「卒業」していないことはもはや疑いようがないでしょう。そもそも小池氏は(wikipediaによると)自著『振り袖、ピラミッドを登る』(1982年)の58ページに、「1年目に落第し、次の学年に進級できなかった」と記述しています。卒業には最低で5年かかり、早くても1977年となるわけですら、1976年10月に卒業していないのは自明です。

 ですが、私自身は小池氏が”卒業”したのもまた事実だと思っています。なぜ、そんなことが言えるのか。私はエジプトに渡航したことがありませんし、この国について詳しいわけではありませんが、「この地域の卒業証書なんて(少なくとも70年代には)金さえ払えばどうにでもなった」という話を複数の人から聞いているからです。

 学歴を金科玉条のように持ち出す人がいますが、しょせん学歴なんてそんなものです。実は、学歴や職歴を詐称している人など日本国内にもいくらでもいますし、バレない方法もあります。せっかくですから、その「方法」をここで伝授しましょう。

 提出先にもよりますが、例えばあなたが中小企業に就職するとして、その企業が卒業証書や職歴を証明する書類を求めたりすることはまずありません。だから、履歴書に嘘を書いてもバレることはまずないのです。

 では、大企業などに就職を考えるときはどうすればいいのでしょうか。その場合、今はない大学、今はない企業名を書くという方法があります。例えば関西出身の私の知人(といっても海外で知り合ったバックパッカーで今は交流はありませんが)は、「神戸商船大学卒業、兵庫銀行で勤務」と履歴書に書くそうです。神戸商船大学は今はなき国立大学で、兵庫銀行はすでに倒産しています。銀行はともかく、商船大学の卒業証明書は国立大学だったのですからどこかで発行してもらえると思うのですが、その知人によると「そこまで求められたことは一度もない」そうです。

 また、たぶんこれは「言ってはいけないこと」でしょうが、実は医者の世界には「裏口入学」や「替え玉受験」の話などいくらでもあります。医師国家試験に合格しているからいいではないか、と言う人すらいます。筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う京都在住の女性を殺害して起訴された40代の(元)医師は韓国の医大を卒業したとされていましたが、これが虚偽であったことが事件後に発覚しました。

 学歴なんてこんなものです。自分の学歴を自慢したり、学歴で人を判断することがいかに馬鹿げているかが分かるでしょう。学歴や職歴などの「付随するもの」ではなく、今あなたの目の前にいるその人が信用できる人物か否かを見極めるのはあなた自身の「眼力」にかかっています。その眼力を身に着けるためにあなたに必要なのが学歴や職歴でないことはもはや言うまでもないでしょう。

 ちなみに私は大阪市立大学(現・大阪公立大学)と関西学院大学を卒業していて、前者は一部の医師や医学生から(特に阪大の医師から、と聞きます)「阿倍野ドクター教習所」と揶揄され、後者は元大阪府知事の橋下徹氏から「8流大学」とこき下ろされています……。

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2024年4月10日 水曜日

2024年4月 サプリメントや健康食品はなぜ跋扈するのか~続編~

 小林製薬の「紅麹」のサプリメントで少なくとも5人が死亡し100名以上が入院した事件が連日報道されています。報道によると、プべルル酸による腎障害が指摘されているようですが、紅麹の危険性は随分前から分かっていたことで、谷口医院では以前から患者さんから相談されたときは(ほぼ)全例で「飲まない方がいい」と伝えてきました。

 今回は2018年11月のコラム「サプリメントや健康食品はなぜ跋扈するのか」の続編としたいと思いますが、まずはなぜ紅麹が以前から危険だったのかを振り返っておきましょう。

 そもそも紅麹は効果及び安全性が医薬品と同等と考えなければならないものです。紅麹の主成分はモナコリンKと呼ばれる物質で、これはコレステロールを下げる薬「ロバスタチン」(名前が似ている「ロスバスタチン」とは別の薬です)と同じ成分です。ロバスタチンは日本では承認されていませんが、海外ではコレステロール降下薬として処方されています。しかし、他の「スタチン製剤」と同様、ときに腎機能障害をはじめ重篤な副作用が起こり得ます。妊娠中は絶対に内服してはいけません。

 2010年代初頭より、世界中で紅麹の安全性が問題視されてきました。例えば、スイスでは販売が違法とされました。ドイツでは摂取しないよう注意喚起が出され、フランスEUは安全性の懸念を表明し、台湾では「慢性疾患がある場合は服用前に医療機関に相談するよう」勧告されています。

 有名な論文もいくつかあります。医学誌「JAMA Internal Medicine」は2010年10月に「市販の紅酵製品のモナコリンにはバラつきが顕著。購入者は注意して!(Marked Variability of Monacolin Levels in Commercial Red Yeast Rice Products / Buyer Beware!)」という論文を掲載しました。論文のタイトルに「購入者は注意して!」と入っているのは極めて異例です。

 医学誌「British Journal of Clinical Pharmacology」は2017年1月に論文「紅麹サプリメントの副作用:イタリアの監視システムによる症例の評価(Adverse reactions to dietary supplements containing red yeast rice: assessment of cases from the Italian surveillance system)」を掲載しました。紅麹の副作用として、筋肉痛および/またはCK値上昇(その後腎機能障害が起こります)、横紋筋融解症(こちらも腎機能障害を伴います)、肝機能障害を挙げています。これは当然と言えば当然で、スタチンの副作用とまったく同じです。

 症例報告も上がっています。医学誌BMJは2019年に「紅麹サプリメントによる急性肝障害(Acute liver injury induced by red yeast rice supplement)」の報告を掲載しています。

 そもそもスタチンの内服が必要なら、安全性が確立されていて値段も安い通常の医薬品のスタチンを使うべきであり、品質保証がなく、副作用が出ても自己責任となるこのようなサプリメントをあえて使う必要はありません。

 ここでよくあるサプリメントの「誤解」を改めて述べておきましょう。「サプリメントは飲んでもたいして意味がない。意味があるなら医薬品になるはずだから」と言う人がいますが、これは完全に誤りです。誤解している人が多いので改めて強調しておくと、医薬品になるのは「効果があるから」ではありません。医薬品になるかどうかは「会社が医薬品にした方が儲かると判断したから」で決まるのが現実です。

 医薬品として承認を受けようと思えば、時間と費用がものすごくかかる臨床試験(治験)をしなければなりません。しかしいったん医薬品として認められ、そして医師に気に入ってもらえれば利益は自ずとついてきます。だから製薬会社は医者を取り込もうとするわけです。臨床試験に協力してもらい、論文を書いてもらい(ときには製薬会社の社員が書いて医者は名前を貸すだけのようなものもあります)、処方してもらおうとするのです。

 他方、このような戦略をとらず医薬品ではなくトクホ(特定保健用食品)を取得するという方法もあります。医薬品なら発売までにおそらく100億円を超える費用がかかりますが、トクホならその10分の1程度で済むと思われます。しかし、それでもとてつもない大金です。小さなメーカーにはとても捻出できません。そこで「サプリメント(機能性表示食品)として承認を得る」という選択肢がでてくるわけで、紅麹もそのひとつです。

 患者さんから質問を受けて危険性を伝えてやめるように私が助言したことがあるサプリメントは紅麹以外にも多数あります。比較的頻度が多いのは、ラクツロース(ラクチュロース)(便秘薬として使いますが医療者の管理のもとで内服すべき)、活性炭(下痢、薬疹などがそれなりに多い)、プロテイン(腎機能障害を起こしうる)、クレアチン(腎機能障害)、ムクナ(様々な神経症状)などがあります。輸入品になってくるとさらに注意が必要です。最近ある患者さんが腎機能障害を起こし、その原因はアーユルヴェーダで使われる「スペマン」というサプリメントでした。

 個人輸入という方法をとればサプリメントだけでなく通常の医薬品が簡単に入手できます。谷口医院の患者さんで最もトラブルが多いのはHIVの予防に使うツルバダ(またはデシコビ)の後発品です。他にも利尿薬、内服ミノキシジル、各種やせ薬などのトラブルが目立ちます。

 では日本製の市販薬なら安全かというと、これがまったくそういうわけではありません。最近風邪薬や咳止めの大量摂取がメディアで取り上げられることが増えていて、実際の検挙数も多いようですが、私の実感でいえばこういう「ドラッグ摂取」は昔から珍しくありません。検挙者が増えているのはおそらく警察がSNSなどを解析して売買情報を入手しているからでしょう。

 これら”ドラッグ”は初めから間違った使い方をするケースだけではありません。あまり指摘されませんが市販薬のなかには危険なものが多数あり、気付かぬ間に副作用や依存症を起こすことがあります。例えば、鎮痛薬の「イブ」を取り上げると、純粋な「イブ」には純粋なイブプロフェンしか含まれておらずこれはまだ安心できますが、「イブA」、「イブクイック」などの製品にはイブプロフェン以外にアリルイソプロピルアセチル尿素が含まれていて、これは眠気をもたらせる以外にも依存性がある薬物で、海外(のたいていの国)では市販が禁止されている物質です。他にもこのような例は無数にあります。また、そもそもイブプロフェン自体も使用は最小限にせねばならず腎機能障害のリスクになります。頭痛など慢性の痛みがある場合は医師の診察の下に服用すべきです。

 「サプリメントは効果は乏しいけれど副作用が少ない」が完全な誤解であるのと同様、「市販薬は安心」もとんでもない勘違いです。

 ではすべてのサプリメント、健康食品、市販薬には手を出さない方がいいのかというとそういうわけではありません。たとえば、妊娠中の鉄、葉酸は摂取すべきですし、たいていの日本人はビタミンDが不足していますからサプリメントでの摂取を検討すべきです。しかしこれらも摂りすぎるのは危険です。

 医師や薬剤師が常に正しいとは限りませんが、それでも身体に作用するものを摂取するときには専門家の助言を参考にすべきです。かかりつけ医をもつべき理由のひとつです。

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2024年3月10日 日曜日

2024年3月 「谷口医院がすてらめいとビルを”不法占拠”していた」裁判の判決

 2022年6月7日、旧谷口医院が入居していたすてらめいとビルを運営する会社「株式会社すてらめいとジャパン」が谷口医院に対し、「貸していないスペースを谷口医院が不法占拠していた」という理由で3120万円の損害賠償請求の裁判を起こしてきました。

 我々がビルを不法占拠していたとは穏やかではありません。当然のことながら谷口医院はすてらめいとジャパン(以下「すてらめいと」)と賃貸契約を結び、その契約どおりにビルを利用していました。もちろん契約書もあります。では、なぜ「すてらめいと」はこんな無茶苦茶なことを言ってきたのか。

 すでに本サイトでお伝えしているように、階上に突然入居して振動をまき散らすキックボクシングジムに対して当院は防振工事をしてほしいとお願いしました。すてらめいとにとってはどうやらそれが気に入らなかったようです。以下、簡単に経緯を振り返っておきます。

2020年12月 階上にキックボクシングジムが事前相談もなく入居。振動をまき散らし始める

2021年5月 ジムが「防振工事を6月20日を目途に開始する」と文書で連絡してきた

2021年7月  「やっぱり工事はやらない」という連絡が届いた。そのため「約束どおり防振工事を求める」訴訟を起こすことをジム・すてらめいとの双方に伝えた

2021年12月 すてらめいとの弁護士が「家賃を2倍にする」と文書を送って来た。裁判所で当院の弁護士と「調停」がおこなわれ、「調停不成立」となった

2022年1月 当院の弁護士が「当初の約束通り防振工事をすること」を求め大阪地方裁判所に訴状を提出

2022年6月 「谷口医院がビルを不法占拠しているから3120万円を支払え」という裁判(以下「不法占拠裁判」)をすてらめいとが起こしてきた

2023年1月 振動裁判の終結時期の見通しが立たず、振動が悪化したことで針刺し事故のリスクが急増し、また移転先が見つからなかったため「閉院」を決定

2023年6月5日 不動産業を営む当院の患者さんから紹介されたビルを使えることになり「閉院」でなく「移転」できることになった

2023年8月 移転先で新しい「谷口医院」の再開

2024年1月12日 「不法占拠裁判」で谷口恭が尋問を受けた

 「鉄筋」ではなく単なる「鉄骨」のビルで診療している医療機関の階上にキックボクシングジムを入れること自体がおかしいわけですが、今回は振動裁判の件はおいておくとして(現在も裁判中)、当院が防振工事をお願いしたことに対し、すてらめいとは腹を立てたのか、「そんなこと言うなら家賃を倍にする!」と訴えてきたことにまず驚かされます。

 こんなこと法律に詳しくなくても認められないことは明らかでしょう。ですが、法律に詳しい人に相談すると「社会の常識と司法の判断は異なることもあるし、こちらも弁護士を立てるしかない」と言われました。そんなものか、と考えて当院の弁護士に相談したところ「調停」がおこなわれました。

 結果は、もちろん「不成立」です。裁判所もいくら社会常識と異なる判断をするのだとしても、まさかこのケースで「家賃倍増に応じなさい」と当院に忠告することはないでしょう。

 分からないのはすてらめいとの弁護士です。ときに一般人が感情的になって滅茶苦茶な要求を突きつけることはあります。ですが、弁護士はプロの専門家なわけです。専門家ならそんな感情的な訴えは認められないと考えないのでしょうか。私が裁判官なら「この弁護士、ちょっとおかしいな」と判断すると思います。

 私には司法は分かりませんが、ビル会社の立場に立つなら「階上に入ったキックボクシングジムのせいで患者さんや医療スタッフに恐怖を与え危険な目に遭わせて申し訳ない。直ちに防振工事をおこなうから待ってほしい」と言うか、たとえ針刺し事故などのリスクが分からなかったとしても「家賃を下げることで我慢してもらうわけにはいきませんか」という申し入れをするのが普通の感覚ではないでしょうか。

 それを「家賃を倍にする!」と主張するとは今から考えても理解できません。

 2024年1月12日、大阪地方裁判所で「尋問」があり私が呼ばれました。通常、生まれて初めての裁判で、しかも「被告人」となり、相手方の弁護士や裁判官の尋問を受けるのは相当の緊張が強いられると思いますが、私にはそういったものがありませんでした。むしろ馬鹿馬鹿しくてやる気が起こりませんでした。そもそも「当院は契約書どおりに借りていただけです」と答える以外に何を言えばいいのでしょう。

 他のことを聞かれれば正直に答えるだけです。しかしすてらめいとの弁護士があまりにも無茶苦茶なことを言ってくるので、つい「嘘を言わないでください!」と一喝してしまいました……。なんと、「入居後数年してから貸していないスペースに勝手にレントゲンを置いた」と言い始めたのです。

 レントゲンは2007年の開院当初から設置してあることは調べればすぐに分かることです。レントゲンは一般のオフィス機器とは異なり保健所への登録が必要で、保健所の職員がきちんと法律に従って設置しているかを見に来ます。当然その記録も残っています。器械の販売会社にも記録があるはずです。それに、2007年にはすてらめいとの社員の健康診断も請け負ったのです。当然レントゲン撮影もしています。つまり、すてらめいともすてらめいとの弁護士も自分たちの主張が嘘であることが分かっていて、しかも調べればすぐにバレる嘘であることも知っていながら堂々と嘘をついてきたのです。裁判では嘘を言ってはいけないのではなかったでしょうか。さすがに私が一喝した後は黙っていましたが。

 呆れる嘘はまだありました。弁護士はなんと「不法占拠するために谷口医院がドアを改造して医院のスペースを広げた」と言ってきたのです。しかし、すてらめいとビルはセキュリティの関係でそのような改造や工事をすることができません。実際、他のフロアと同じ構造になっていることはビルに立ち入ればすぐに分かることです。そもそも、すてらめいとの本社はビルの2階にあって、その2階の入り口と谷口医院が入居していた4階のドアの構造や外観はまったく同じなのです。なぜこのようなすぐにバレる嘘をつくのか。そもそもこの弁護士は賃貸契約書を何と思っているのでしょうか。
 
 2024年3月4日、大阪地方裁が判決を下しました。「原告の請求を棄却する」というものです。つまり、当院の全面勝訴です。しかし、我々としては達成感や充実感はまったくありません。馬鹿らしい裁判に付き合わされた上、費やさざるを得なかった総額200万円ほどは裁判に勝利しても返ってこないからです。数字だけみれば「3120万円もの訴えを起こされ無傷ですんだんだから200万円程度の費用は安いものだ」となるのかもしれませんが、やりきれないものがあります。

 おそらくすてらめいとの目的は我々を疲弊させることにあるのでしょう。勝ち目のない裁判でも我々の時間と費用を奪うことはできます。彼らも時間と費用がかかるわけですが、いわば「Lose-Loseの関係」を目指したのでしょう。あるいは、この裁判の敗訴が”貸し”になり、振動裁判では有利になると考えたのでしょうか。「不法占拠では負けてあげたんだから振動裁判では谷口医院が譲歩しなければならない」と思っているのでしょうか。

 司法の世界では当事者が相手側の弁護士と会うことは禁じられているそうですが、いつかすてらめいとの弁護士から真相を聞きたいと考えています。その前に、メインの振動裁判の方を終わらせなければなりませんが。

参考:階上ボクシングジムの振動・騒音の問題について


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2024年2月10日 土曜日

2024年2月 「競争しない」という生き方~その3~

 谷口医院は「精神科」を標榜していませんが、総合診療のクリニックということもあり、2007年1月の開院当初から精神症状を訴える患者さんも少なくありませんでした。開院当初は患者さんが拒否しない限りは、精神科クリニックに積極的に紹介していました。ところが、精神科を受診してもらっても必ずしも上手くいくわけではなく、それなりの患者さんが再び谷口医院に戻ってきます。これは「その精神科医がよくない」という意味ではなく、精神疾患とはそういうものだとそのうちに気付きました。

 2010年代半ばからは「精神科で処方されている薬をやめたい」という訴えが少しずつ増えてきました。特に依存性のある薬を長期間内服している人たちはその悩みが深刻で、「どうしてもやめられない。そういう薬を出す精神科には行きたくない」と訴えます。

 「その診断、合っているのかな?」と思わずにはいられないケースもあります。最近顕著なのが発達障害です。本来、発達障害は幼少時のエピソードを確認する必要もあり、簡単には診断できなかったはずなのですが、初診時に簡単な問診で確定診断を下され、いわゆる「精神刺激剤」が処方されているケースが少なくありません。しかも薬の説明がほとんどされておらず、「(従来の発達障害の薬と異なり)依存性はない」と言われたという患者さんがたくさんいます。しかし、アトモキセチン(ストラテラ)、グアンファシン(インチュニブ)などの精神刺激剤は、これらが登場する前によく使われていたメチルフェニデート(リタリン、コンサータ)、あるいは米国でよく処方されているリスデキサンフェタミンメシル(ビバンセ)のような覚醒剤類似物質とは異なるカテゴリーではありますが、決して副作用がない薬ではありません。そして、こういった処方に疑問を感じて谷口医院を受診する患者さんがいます。

 こういった経緯もあって、数年前から(あくまでも患者さんが希望すれば、ですが)谷口医院で精神疾患の治療をおこなうことがあります。

 まず気付いたのは、精神疾患の大部分は「環境に原因がある」という当たり前の事実です。以前、精神科でうつ病と言われたという男性が「僕はうつ病なんかじゃありません。安定した仕事と貯金があればすぐに回復します」と言っていました。そして後日、これが真実であることを身をもって証明していました。ある患者さんは失恋から立ち直り新しいパートナーができた瞬間に精神症状がすっかりなくなりました。その後、そのパートナーと入籍し今も元気にしています。

 では、どのような人がなかなか改善しないか、というと、もちろん持って生まれた素因や自身では変えようのない環境なども原因になるのですが、最近よく感じるのは「競争によるプレッシャーから逃れられない人」は治りにくいんじゃないか、ということです。

 というわけで、精神状態を改善させるために「競争から降りること」を提唱したいと思います。といっても、すでに過去に2回、「馬鹿らしい競争なんてさっさとやめて楽しく生きましょうよ」というコラム(「競争しない、という生き方」「競争しない、という生き方~その2~」)を書いていますので、今回は視点を変えて、「競争することは人間らしくない」ことを歴史的に”証明”したいと思います。

 歴史上、初めて人が人らしくなったのはおそらく集団で狩りをする狩猟生活をするようになった頃ではないかと私は考えています。一人一人がバラバラに行動していれば人どうしで殺し合いになることもあったでしょうし、獲物が効率よく獲得できません。仲間で力を合わせて狩猟生活を開始したことで人は集団生活の必要性と利便性を理解したはずです。

 次の転機は農耕生活の始まりです。身体能力にさほど恵まれていなかった弥生人が頑強な肉体を有する縄文人になぜ勝利できたかについては諸説ありますが、「集団行動に長けていた」が最たる理由ではないか、つまり一致団結できる力を有する集団の方が最終的には強いのではないか、というのが私の見立てです。そして集団での力を向上させるには「協調性」が不可欠となります。

 狩猟生活であれば、その集団が嫌になれば他のグループに移ることもできるでしょうが、農耕生活の場合は自身の土地を持っているわけですし、持っていない場合でも、他の村に入れてもらおうとしてもよその集団からやってきた者は不審者とみなされるでしょう。ならば多少嫌なことがあったとしても自身が生まれたその村で生きていくしかありません。

 村の中には他人の言うことを聞かず、すぐに争いごとをおこす者もいたでしょう。そのような者たちは村八分にされ子孫を残すことができません。「革命家」が現れ、村の有志を引き連れて新しいコミュニティをつくるというケースもあったでしょうが、それは極めて稀だったと予想されます。また、誰にも頼らず一人きりで生きていくことはほとんど不可能だったわけです。ということは、よほどの人物でない限りはその村のルールに従い、ある程度は自身の欲求を抑えて仲間に合わせていく他はなく、そのようなことができる人間のみが子孫を残すことができたわけです。そして「我々はその末裔だ」ということが重要です。

 つまり、我々現代人の大半は、歴史的に、そして遺伝的に「集団のなかでしか生きていくことができない」のです。そして、集団のなかでは弱肉強食ではなく、強い者が弱い者を守ろうとする文化が構築されたことが予想されます。なぜなら、誰もがいつ病気や怪我で身体が不自由になるかもしれない状況の中、「我々の社会では弱い者を助ける文化が根付いている」とメンバー全員が理解していれば、その村全体に安心感が広がるからです。村人の大半が頻繁に喧嘩している集団より、助け合いの精神にあふれている集団の方が存続しやすいのは当然です。このような集団ではひとりひとりの精神状態が良好であったに違いありません。

 では、この歴史上の”事実”を現代社会にあてはめてみましょう。同僚との競争を強いられ、いつリストラに遭うかもしれないという環境は、例えていえば「村人の大半が頻繁に喧嘩している集団」、あるいは「誰もが革命家を目指さねばならない集団」のようです。これではストレスから逃れられないのは当然で、同僚を蹴落として勝ち続けることができる人はほんのわずかしかいない、まさに弱肉強食の社会です。しかも、(私の仮説が正しければ)人間は”遺伝的に”助け合いの精神を持っているはずで、他人を蹴落とす行為はその”自然”に逆らうことになるわけですから心が痛くなるのは当然です。

 だからこんな競争社会からは降りてしまえばいいのです。例えば、私の知人に出世などにははなから興味がなく、職場のグチは言うものの家族や近しい友人との週末のキャンプやドライブを楽しみにしている男性がいます。また、パートナーはいないものの友達は男女共に多く、馴染みの客だけを対象に小さな飲食店を経営している女性がいます。彼(女)らは、金持ちではなく、世間がいうステイタスも高くありません。けれども、気の置けない身内に囲まれ楽しくやっています。いろんな愚痴を私には言いますが、どこか微笑ましいというか、話のネタとしてそのような不平不満を話すことを楽しんでいるようにすら見えます。診察室で患者さんから聞く苦しみとは異なるものです。

 出世、高収入、高級車、高級品、名誉、ステイタスなど、このようなものに興味を持たず、友達やパートナーとお金をかけずに楽しく過ごす人生の方が魅力的だと思えてこないでしょうか。このことを私は谷口医院の患者さんやプライベートの友人・知人をみていて強く感じます。社会的なステイタスや収入が低くても、仕事のグチは言うものの、プライベートを楽しんでいる人の精神状態は軒並み良好です。他方、中年の男性で精神的に弱っているのは昔から優等生をやめられない大企業の人たちに多いのです。

 中年の女性でいえば、メンタルが不安定なのはいつまでも他人との”比較”をやめない人たちです。特に高学歴の女性で専門職に就いている人たちは、世間では「男社会の不平等さに苦しんで……」というようなことが言われていて、「不平等」についてはその通りなのですが、精神状態にフォーカスして言えば、私はむしろ、女性どうしの「ライバル意識」が不幸を招いているような気がします。たとえば「同僚の〇〇さんはすごく恵まれているのに私はいつもひどい目に遭って……」というようなことを繰り返し訴える人がいます。このような人たちは他人との比較をやめるだけで随分と精神状態が改善すると思うのですが、これがなかなか困難です。

 ちなみに私自身は、「医者はステイタスが高いでしょ」と言われることがありますが、実際にはそんなことはありません。年収は医師の平均よりも(たぶんずっと)少ないですし、今も大学に籍を置いていますが役職は「非常勤講師」のままですし、医師会や学会には入っていますが役職はありませんし、論文は読むのは好きですがほとんど書きませんから誰からも評価されません。つまり、医師のなかでは最低のランクです。農耕社会で言えば「小作人」くらいでしょうか。しかしそれを悔しいなどとは思ったことは一度もなく、競争社会に乗る気は一切ありません。競争社会から距離をとることで気楽な生活が楽しめているのですから。

 出世、高収入、名誉などに初めから興味を持たなければそれなりに楽しくやっていけます。逆に、そのようなものにこだわって他人と競争しようとしても、人類は歴史のなかで集団内のメンバーとは争わない方が有利なように”進化”してきたわけですから、その進化に抗うのは賢明ではないのです。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2024年1月10日 水曜日

2024年1月 世界は終末に向かっている

 「世界終末論」というのはノストラダムスの大予言に代表されるようなオカルト、あるいはかつてオウム真理教が予言していたような新興宗教の独自の教義であり、信頼できる科学的な根拠はありません。そういった終末論を求める(特に若い)人たちというのは、「現状が満たされておらず”一発逆転”で自分の時代が来ることに賭けている人たち」と、私は考えていました。

 誰かの予言などそもそも信じられませんし、古文書を曲解したような理屈も信用できません。そもそも古文書に書かれていることが科学的に正確とは思えません。よって「世界が近々終焉することなどはあり得ず、淡々とした日常が続くのがこの世界であり、世界が変わるのを待つのではなく自分自身が変わらねばならない」と私は(特に若い)人たちに言うことがあります。

 けれども、数年前から私の心のなかでずっと引っかかっていたことがあります。それは2018年のIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)の報告です。IPCCとは地球温暖化を研究する国際組織で、国土交通省は「気候変動に関する政府間パネル」と呼んでいます。IPCCは2007年にノーベル平和賞を受賞しました。受賞理由は「人為的に起こる地球温暖化の認知を高めた」です。

 ノーベル平和賞というのは、生理学・医学賞や物理学賞などの自然科学系のノーベル賞に比べると、どうしても(狭義の)科学的信頼度が低いように思えますが、それでもエビデンスに裏付けされた報告をしています(そうでなければ困ります)。

 2018年、IPCCは「早ければ2040年までに地球は(温暖化により)壊滅的な状態になる」との内容を報告しました。The New York Timesは「(IPCCの)報告書によると早ければ2040年にも危機が訪れるリスクがある(Major Climate Report Describes a Strong Risk of Crisis as Early as 2040)」とのタイトルでこの発表を報じました。

 これ、かなりのビッグニュースではないでしょうか。もしも私が政治家や官僚なら、ことあるごとにIPCCのこの報告を取り上げ「地球を守りましょう!」と叫びます。SNSを駆使して「2040年まであと〇年!」とPRに努めます。地球が壊滅的になれば食料確保にも苦労し日々生き残ることが困難となります。「生きがいが……」とか「本当の自分は……」などと言っている場合ではありません。2040年といえば、残り16年しかありません。焦っているのは私だけなのでしょうか。IPCCの勧告がまるで顧みられていない現在の世界の状況は、人類が集団自決に向かっているかのように私には見えます。

 もしも、例えば知識人、特に地学に詳しい学者から「いや、2018年のIPCCの発表には計算間違いがあって実際にはあと数千年は地球は問題なく暮らせる場所だ」と言ってもらえれば安心できるわけですが、私の知る限りそういう話はほとんどありません。

 正確に言うと、安心できそうなことを主張した学者が(私の知る限り)1人いました。英国ノーサンブリア大学の天体物理学者で数学教授のヴァレンティーナ・ザルコバ(Valentina Zharkova)博士です。ザルコバ博士は地球温暖化どころか、「これから地球はミニ氷河期に入る」との自論を発表し、これをカナダのメディアがIPCCの報告と同じ2018年に取り上げました。尚、この主張を科学的に発表しているザルコバ博士の論文は難解すぎて私には読破できませんでした……。

 この記事がそれなりに注目されたのは(といっても日本ではおそらく報道されていなと思いますが)、2018年のカナダでは前年より平均気温が低かったことが原因のひとつだと思われます。カナダ政府によると、2018年のカナダは2005年以降最も平均気温が低い年でした。おそらく「このまま毎年寒い冬を迎えるのか……」という大衆心理に応じるかたちでザルコバ博士の論文が紹介されたのでしょう。

 ところが、その後の数字を追ってみると、翌年からカナダの気温は再び上昇傾向に転じています。私が知る限り、現在もザルコバ博士の主張を積極的に取り上げている世界のメディアはありません。

 では、2018年のIPCCの報告以降、地球温暖化はどのような状態になっているのでしょう。2023年に生じた具体的な災害をみてみましょう。これについてはすでに「GINAと共に」の10月号「他人の不幸や未来はどうでもいいのか」の後半で、世界各地の温暖化の状況を数値を挙げて紹介しました。よってここでは繰り返しませんが、中東やアフリカ大陸では深刻な洪水が発生し、カナダでは史上最悪の山火事が起こったことは記憶に新しいと思います。

 本稿執筆時、タイムリーなことに、通称「C3S」と呼ばれる「EUコペルニクス気候変動局(European Union’s Copernicus Climate Change Service)」が、「2023年の世界平均気温は、記録が残る1850年以降で最高、おそらく過去10万年で最高で、業革命前からの世界の平均気温上昇が1.48 ℃だった」と発表しました(発表は2023年1月9日)。2015年のパリ協定では「1.5℃未満を目指す」とされましたから、目標の上限ギリギリまで近づいたことになります。

 1.48℃という数字を目の当たりにすると、2018年のIPCCの報告にある「2040年」が前倒しされるのではないかと思えてきます。では、パリ協定(及びその前の京都議定書)に従い、地球温暖化を防ぐにはどうすればいいのでしょうか。国連は「ゼロカーボン」の重要さを強調し新しい技術に期待していると言っていますが、この主張、なんだか虚しくないでしょうか。

 その理由は、人類の愚かさを象徴するような紛争や戦争が世界で相次ぎ、さらに兵器を製造し輸送し消費することで多量の(二酸化炭素などの)「カーボン」を発生させているからです。呑気にゼロカーボンなどと言っている場合ではなく、優先順位を考えなければならないのは明らかです。ここで現在人類はどれくらい兵器製造に熱心なのかをみてみましょう。

 世界各国の軍事支出の年間総額を算出しているストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によれば、2022年の全世界の軍事費(兵器、人件費、その他諸費用)は合計2兆2000億ドル(300兆円以上)にもなります。The New York Timesによると、2022年の時点で世界の武器輸出量が最も多い国は米国で世界全体の45%です。

 驚くべきことに、イスラエルは戦争相手のハマスが武器を購入することを「奨励(encourage)」しています。The New York Timesによると、ネタニヤフ首相はカタール政府に対しハマスに武器輸出の停止ではなく奨励しているというのです。私にはこの理由がよく分かりませんが、おそらく右派のネタニヤフ首相にとっては派手な戦争を起こした方が自分のプレゼンスが高まると考えているのではないでしょうか。

 そして、我が国もすでに戦争に加担しています。日本政府は12月22日、防衛装備品の輸出ルールを定めた「防衛装備移転三原則」とその運用指針を変更しました。日本で製造されたパトリオットミサイルが直接ウクライナに運ばれることはありませんが、米国で備蓄されることになるようです。日本のメディアはこの件について事の重要さをさほど報じているようには思えませんが、例えばアルジャジーラ(カタールの英字新聞)は「致死性武器の輸出を認めない姿勢を長年取ってきた日本にとって大きな転換を示すものであり、攻撃能力の強化は、武力行使を自己に限定するという第二次世界大戦後の原則からの脱却」と緻密な言葉を使って深刻さを伝えています。

 尚、日本のパトリオットミサイルは三菱重工グループが製造しており、フィナンシャル・タイムズによると、米国政府は過去数ヵ月間、日本(政府)に対し、同社のパトリオットミサイルの輸出を許可するよう迫っていました(ちなみに12月中旬頃より三菱重工の株価が急騰しています)。

 「ゼロカーボン」の前に「ゼロ兵器・ゼロ戦争」にすべきなのは自明だと私は思いますが、どうも世界の権力者たちはそうは考えないようです。2040年まであと16年しかありません。このまま戦争が続けられるのなら「淡々とした日常」はもうすぐ終わり、世界終末論が現実化するかもしれません。
 

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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