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2025年12月11日 木曜日
2025年12月 「振動裁判」は谷口医院の全面敗訴
すでに「日経メディカル」の連載コラム「階上ジム振動裁判は控訴審でも全面敗訴、『医療機関が勝手に出ていけ』が司法の判断」で報告したように、移転前の谷口医院の階上キックボクシングジムによる振動で、谷口医院の患者さんと我々スタッフが針刺し事故のリスクに晒されていたことに対する訴訟は谷口医院の全面敗訴に終わりました。「振動で針刺し事故が起こったのならそれは谷口医院の責任。振動は起こしても問題ない」が司法の最終判断だったのです。
もちろんこの大阪高裁の判決に対し、「最高裁に上告すべきだ」という患者さんからの声は多数届いています。しかし、我々としてはこれ以上司法に時間とお金をかけるべきでない、という結論に達しました。振動のせいで悲鳴を上げたり、恐怖のあまりしゃがみ込んで動けなくなってしまった患者さんたちのことを思うと「なんとか無念を晴らさねば……」という気持ちは消えないのですが、司法とはそういうものだ、と認識するようになりました。その経緯は冒頭で示したコラムやメルマガにもある程度は書いたのですが、日経メディカルは医療者しか読めないこともあり、ここで深く取り上げてみたいと思います。
まず地方裁(一審)の判決で我々が納得できなかったのは、判決文には「針刺し事故」の「は」の字も見当たらなかったからです。また、振動のなかで医療行為ができないことを証明するために神経内科の大家である池田正行先生に法廷で「振動下では医療ができない」ことを証言してもらったのに、判決文には池田先生の「い」の字も出てきませんでした。これではとうていきちんと検討してもらえたとは思えません。そこで、「一審では本当に振動下での医療行為の危険性について考えてもらえたのでしょうか」と訴えて控訴審に臨んだわけです。
すると、裁判官から「和解」の申し入れがありました。我々としては「大切な患者さんやスタッフを針刺し事故の恐怖に陥れたキックボクシングジム『リフィナス』と『すてらめいとビル』を許せない」と考えていたわけですが、ジムとビルに直接話をできるのはまたとないチャンスです。なぜ、あれだけひどいことが平然とできたのかを聞きたかったのです。そもそも、「壁にヒビが入るほどの振動(計測では64.4dB)のなかで患者として診察を受けろ」と言われて誰ができるでしょう。もしも、自分や自分の家族が被害者になればどう思うのかを聞いてみたかったのです。
ところが、和解というのは原告(我々)と被告(ジムとビル)のそれぞれが裁判所に出向いて裁判官の立ち合いのもとで話し合いをするのではなく、裁判官と原告、裁判官と被告が別々に話をするだけだったのです。このことを後から司法に詳しい知人数人に聞いてみると、「そりゃそうだ」と言われたのですが、私はてっきりジムとビルの社長及び彼らの弁護士と話ができると思い込んでいたのです。なにしろ、ビルの社長は振動問題が起こってからどこかに雲隠れし、ジムの社長もいつのまにか見かけなくなっていたのです。
ただ、すてらめいとビルの社長は谷口医院がビルから退去する直前に偶然に会いました。そのとき私は「どういうことですか?!」と詰め寄ったのですが、社長は何のことか分かっていない様子で、何を聞いても何を言っても「暖簾に腕押し」という感じでまったく要領を得ませんでした。おそらくこの”事情”が、すてらめいとビルが社長を我々に合わせなかった理由でしょう。
ジムの社長は何度か話し合いの機会を持ちましたが、目を合わせることすらできない人物で、まるで話がかみ合わず、まともにコミュニケーションが取れたことが一度もありません。裁判官がいればきちんと話ができるかも、と期待したのですが結局最後まで実現しませんでした。振動問題が苦痛だった最大の理由は針刺し事故のリスクですが、この「ビルの社長ともジムの社長ともまともなコミュニケーションが取れない」というのも大きなフラストレーションになっていました。
話を戻すと、その和解では「進展」もありました。一審の判決文には針刺し事故のリスクが一切触れられていませんでしたが、和解の場では、その裁判官は「針刺し事故のリスクを理解できる」と言ったのです。しかも、その裁判官自身が過去に医療裁判に関わっていて、針刺し事故の被害者の証言を聞いていると言うのです。針刺し事故というのは、もちろんそのときに単に「痛い」という話ではありません。まず感染症のリスクがあります。B型肝炎については我々はワクチン接種をし抗体形成を確認していますし、HIVについては暴露後予防(PEP)という方法があります。ですが、C型肝炎やHTLV-1については針刺しをしてしまえば「感染していませんように」と祈るしかないのです。C型肝炎は現在ほぼ治癒する疾患となりましたが治療費には700万円ほどかかります。HTLV-1については感染してしまえば生涯にわたり複数の難治性疾患のリスクに怯えなければならなくなります。
針刺し事故のリスクは感染症だけではありません。CRPS(Complex Regional Pain Syndrome=複合性局所疼痛症候群)と呼ばれる、疼痛が長期間残る疾患のリスクもあります。この疾患を発症すると数年、ときには数十年間にわたり、耐えがたい疼痛に苦しめられることになり、社会復帰できなくなる場合もあります。
裁判官は、針刺し事故のリスクを認識し、実際にCRPSの被害者の声も聞いているのです。これは我々に有利になるはずです。実際「針刺し事故がいつ起こるか分からないような状況で医療行為が続けられるはずがない」ことには同意してくれました。しかし、ここまでくれば我々の逆転勝利が約束されたようなものでは……、と考え始めた次の瞬間、地獄に突き落とされるような言葉が待っていました。「ただし、司法の判断はまた別のところにあります」……。
控訴審の判決文を一部抜粋すると「本件診療所で(針刺し事故を起こすかもしれないという)心理的不安を抱えながら診療を継続すると、実際に針刺し事故が生じてしまう可能性を否定できず、一度でもそのような事故が発生したら取り返しがつかないと考え、安全性の確保を最優先にして本件建物から移転するという控訴人の判断は、医療機関として正当な判断であると考えられる」とされています。しかしその後には「被控訴人が賃貸人の義務として(移転にかかる費用などを)負担すべき立場にあったということはできない」と書かれていました。
要するに、「振動のなかでは医療行為が続けられず移転を余儀なくされたことは認めるが、だからといってその費用を振動を起こし続けた『リフィナス』や『すてらめいとビル』が負担する必要はない」、もっと端的に言えば「針刺し事故を防ぎたいなら勝手に出ていけば?」が司法の判断だというわけです。
上告して最高裁判所で戦ってください、と訴えられる患者さんには大変申し訳ないのですが、本音をいえば、我々はこの大阪高裁の判断ですっきりしました。そもそも、司法が絶対的に正しいものでないことは初めから分かっていたことです。私自身、本サイトを含めこれまでいろんなところで述べているように、人間にとって大切なのは法律よりも「掟」です。どれだけ人道に悖る行為に手を染めても、それを裁く法律がなければその輩は無罪です。ですが、人の掟に背いた者は許されることはありません。病気で医療機関を受診した患者さんを振動で恐怖に陥れる行為が掟に背いているのは明らかでしょう。それが理解できない者とは関わらないのが一番です。
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