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2013年6月13日 木曜日
2007年4月号 働いている人は早朝の勉強を!
すてらめいとクリニックをオープンさせてから私生活が随分と変わりました。やはり最も大きな変化は、深夜の勤務が大幅に減ったということでしょう。
いわゆる当直勤務(以前から勤務している病院で)が現在では月に3~4回のみとなりましたから、医師のなかではかなり規則的な生活をしていることになります。(月に10回以上当直勤務をしている先生方がたくさんおられることを考えると申し訳ない気持ちになります・・・)
すてらめいとクリニックの診療時間は夜8時までです。8時まで受付をおこなっていますから、診察が終わり、患者さんが帰られてその日の業務がすべて終了となるのは9時を回ることもあります。
私がいろんなところで繰り返し述べているように、医師の仕事は診療だけではありません。患者さんと接していないときは、学会や研究会発表の準備や、論文の作成などもしなければなりません。また、月に10冊以上送られてくる学会誌や医学関連の雑誌を読み、それ以外にも勉強をしなければなりません。
そのため、医師という職業をしている以上は、診療以外の仕事(勉強)の時間を最低でも1日に2~3時間程度は捻出する必要があります。
すてらめいとクリニックを開業するまでは、深夜勤務で救急の患者さんが来られないときなどに細切れの時間を見つけて勉強するようにしていましたが、先月からは夜は11時か12時には眠り、朝5時に起きて勉強するようにしています。
実は、この方法は私が会社員時代におこなっていた方法です。
私は会社員時代に勉強時間の捻出にあれこれ試行錯誤を繰り返し、1年目の終わりごろから朝5時からの勉強を日課にするようにしました。
『偏差値40からの医学部再受験』にも書きましたが、私は英語がまったくと言っていいほどできなかったのにもかかわらず、就職した会社ではなぜか「海外事業部」に配属されてしまいました。
このため、好きとか嫌いとかそういう問題ではなくて、ともかく英語をがむしゃらに勉強するしかなかったのです。とはいえ、会社員、特に1年目の会社員というのは夜遅くまでの残業が当たり前ですし、多くの付き合いもあります。若い社員は上司からの誘いを断るわけにはいきません。そのため週に1~2度はお酒を飲むことにもなります。
残業を終えて深夜に帰宅したとき、あるいはお酒が入った状態で帰ってきたときに机に向かう気にはなれません。最初の頃は、それでも帰宅後に勉強していたのですが、能率が上がらずにいつのまにか寝ていることもしばしばでした。
そんななか、あるとき朝5時に起床して勉強するという方法を思いつきました。これなら、疲れが蓄積していたり、お酒が残っていたりすることもありません。効果はてきめんで想像以上の能率の良さを実感することができました。
朝5時に起きているわけですから、夜になると眠たくなってきます。それが分かっているために、日中の仕事は意識的に効率よくテキパキとおこなうようになります。また、眠たくなるときにお酒が入れば早く家に帰りたくなりますから、深酒をしたり、自らが率先して2次会、3次会を企てたりすることもなくなります。
私が勤めていた会社では朝7時半とか8時から勉強会や週例会がありましたが、それでも勉強時間として朝5時から7時までの2時間が確保できます。この2時間は私にとって大変有意義な時間となりました。この日々の2時間がなければ、私の英語はいつまでたっても幼稚なままで、さらに医学部合格もなかったかもしれません。
会社を退職してからは、医学部の受験勉強を始めましたが、このときも私は朝5時からの勉強を義務付けていました。そして、このときには会社員時代に英語を勉強していた頃には気付かなかった”利益”があることが分かりました。
それは、「朝になると難問が解けている!」ということです。
私は元々理数系の科目が苦手なので、数学や化学の計算問題は解答をみてもよく分からないものが少なくありませんでした。身近に質問できる人がいればよかったのですが、予備校も行かずにひとりで勉強していた私には気軽に質問できる人が皆無でした。しかし、医学部受験をする以上は、解答を見ても分からない問題があれば絶望的です。
ある夜、数時間考えても分からない数学の問題を諦めて眠ることにしました。そして、明け方に夢を見ました。夢のなかでも私はその難問を解いていました。すると、数時間考えて分からなかった難問が夢のなかで解答が導けたのです!!
目覚まし時計で目を覚ました私は、実際にノートを使ってその問題を解いてみました。すると、本当に解けたのです!!
この経験をして以来、私は難問を見つけるとその日の最後に回すようにしました。そして眠りにつく前にその問題を考えるのです。もちろん、いつもそう上手くいくとは限りませんが、それでも解答に書いてあることが部分的にでも理解できることも度々ありました。英語の場合は、明け方に自分が英語でしゃべっている夢を見たこともあります。
現在の私の勉強は、受験勉強ではないために、難問に頭を悩ませるといったことはありませんが、記憶すべきことを頭で反芻してから眠ることがしばしばあります。こうすればかなりの確率で記憶が確かなものとなっています。
早朝勉強法は、日中の仕事もはかどり、飲酒量も減り、おまけに眠る前の思考と組み合わせれば難問の理解や記憶の向上にも役立ちます。
あなたもさっそく試してみませんか・・・
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|2013年6月13日 木曜日
2007年3月号 都心のプライマリケア・クリニック
すてらめいとクリニックがオープンして2ヶ月がたちました。
すてらめいとクリニックの最も基本的なコンセプトは”どんな方のどんな症状でも診ます”ということもあり、この2ヵ月の間に、本当に様々な患者さんが来られました。
単に、「風邪をひいた」「包丁で指を切った」「肩がこる」「じんましんが出た」「眠れない」などの訴えもあれば、問診だけで数十分かかる大変複雑な悩みもあります。
また、遠方から来られる方も少なくなく、遠いところでは、岐阜県、高知県、広島県などからも、すてらめいとクリニックに受診する目的で大阪までやって来られた方もいました。診察代よりも往復の交通費の方がはるかに高額になることを考えると、申し訳ない気持ちになります。
よく、「日本の医師は僻地では不足しているけれど都心部では余っている」と言われることがありますが、すてらめいとクリニックの最初の2ヶ月だけをみても、医師は余っているどころか、まったく足りていないことが分かります。
ちなみに、2005年に財団法人社会経済生産性本部が発表した「国民の豊かさの国際比較」によりますと、「人口あたりの医師数」は先進国30か国中、日本は27位です。「人口あたりの看護師数」は19位で、医師よりは少しはましにみえますが、これは看護師の資格を持っている人数で算出されていますから、日本の看護師が結婚や出産を契機に辞めていく人が多いという特徴を考慮すると、看護師不足も医師不足と同様に深刻であると言えます。
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この2ヵ月間のすてらめいとクリニックの患者さんを振り返ると、やはり季節の影響もあって花粉症とインフルエンザが目立ちます。また、すてらめいとクリニックでは提携エステティックサロンと協力して美容医療もおこなっていますので、ピーリングや脱毛といった施術を希望される患者さんもおられます。さらに、プラセンタの注射で通院される方も少しずつ増えてきています。
問診だけでけっこうな時間のかかる複雑な悩みをもたれている患者さんが多いのもすてらめいとクリニックの特徴かもしれません。その内容は、ここに書くべきではないと思いますが、家族や友達、恋人にも言えないような悩みを抱えている方も少なくありません。クリニックの診察室が防音設備をかねそろえていることもあって、患者さんの多くは様々な想いを話されます。なかには、思い余って涙を見せる方もおられます。
もうひとつ、すてらめいとクリニックを受診される方でよくあるのが、HIVやB型/C型肝炎、クラミジアなどの性感染症の検査や治療目的で受診される患者さんです。実際、ほぼ毎日これらの悩みを持っている人が来られます。すてらめいとクリニックは”どんな方のどんな症状でも診ます”とは言っているものの、標榜科目に「泌尿器科「産婦人科」「性病科」などはありません。にもかかわらず、HIVやB型/C型肝炎の検査目的の受診が多いのは、こういった感染症の増加に対して日本の医療機関が全体として対応できていないということなのかもしれません。
患者さんの層を年齢別でみてみると、やはり都心部に位置していることから若い方が目立ちます。データはまだきちんととっていませんが、平均患者年齢はおそらく30歳前後だろうと思います。これは(小児科を除く)医療機関ではかなり若いのではないかと思われます。(私は今でも毎週木曜日にある大病院の皮膚科外来をおこなっていますが、そこでの平均年齢はおそらく70歳前後だと思います)
男女比については、おそらく半々くらいであろうと思われます。これが不思議なことに、ある日は男性が多かったりまた別の日は女性が多かったりと、なぜか日によって偏りがあります。
外国人が多いのも特徴といえるかもしれません。いずれ英語のホームページも作成することを検討しているのですが、遅れていてまだ着手すらできていません。しかし、都心部に位置するクリニックでは必然的に外国人の患者さんの割合が増えます。今のところ、英語以外の外国語でコミュニケーションをとらなければならない機会はありませんが、今後は英語以外の母国語しか話せない方も来られるでしょうから、これからの課題となりそうです。
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すてらめいとクリニックのような都心部でのプライマリケア・クリニックは、従来のステレオタイプ的な古典的なクリニックとは少し趣が異なります。さまざまな環境におられる方がさまざまな悩みを抱えて受診されます。
電話帳や広告、チラシ、看板などの一切のPR活動をおこなっていないにもかかわらず、いろんな患者さんが来られるのは、それだけ日本の医師が不足しているからというだけでなく、「都心のプライマリケア・クリニック」が不足しているからではないでしょうか。
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|2013年6月13日 木曜日
2007年2月号 『偏差値40からの医学部再受験改訂第4版』発売
先月10日に、私の処女作『偏差値40からの医学部再受験』の改訂第4版が出版されました。
3回目の改訂となった今回は、これまでのものと比べると少し内容が変わっています。もともと私がこの本を出版しようと思ったのは、偏差値の高さから医学部受験をあきらめてしまっている人たちに対してエールを送りたいという気持ちが強かったからで、そういった人たちに訴えたかったことのひとつは、「医師とはこんなにも素敵な職業なんですよ」、ということです。
そこで初版から改訂第3版までは、第1章をまるまる使って、「医師はなぜそんなに魅力的な職業なのか」ということを述べました。しかし、今回はその第1章を、「医師はこんなにも大変な職業なのです」、ということを、具体例を挙げながらお話しています。
給料はそれほど高くなく、勤務時間は長く休みはほとんどなし、一生勉強を強いられる、退職金や福利厚生はなし、いつ訴えられるかわからない、うつや不眠に悩まされることもある、・・・
改訂第4版では、これが医師という職業の現実であることを述べた上で、「それでも医師は素敵な職業である」、ということをお話しています。
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「日経メディカル」という雑誌の2007年1月号に、医師を対象としたアンケートが掲載されています。
「子供に医師になってほしいか」という項目では、「はい」と答えた医師が27.9%、「いいえ」と答えた医師が26.7%となっており、両者に差はありません。
さらに、「子供に自身の病院やクリニックを継がせたいか」という項目では、「はい」が21.9%、「いいえ」が32.8%と、「継がせたくない」と答えた医師の方が多くなっています。
注目すべきは、子供に医師になってほしくないと考える理由で、回答者数の多かった上位3つをご紹介いたしますと、
・仕事の忙しさに見合う報酬を得られないから
・患者とのトラブルなど、患者、家族との関係で気苦労が多いから
・医療訴訟に巻き込まれる可能性があるから
となっています。
『偏差値40からの医学部再受験』改訂第4版では、ちょうどこれら3つの理由(割に合わない報酬、患者・家族とのトラブル、医療訴訟)について、具体例を挙げながら説明をしています。
しかしながら、私が強く訴えたいのは、「それでも医師は素敵な職業である」ということであり、こういったマイナス面を補い、尚且つ魅力を感じることのできる醍醐味が医師という職業にはあるということです。
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1月から診療を開始した「すてらめいとクリニック」は今日で24日目となります。(これを書いているのは2月7日の午前6時です)
今はまだ患者さんがそれほど多くないということもあり、ゆっくりと患者さんのお話をお聞きする時間をとることができ、多くの患者さんは、自身が感じている健康上のいろんな問題について話されます。
(健康上の)いろんな悩みを聞いてもらえてよかったです、遠いところから来た甲斐がありました、家族にも言えないことをここでは気軽に話せてすごく楽になりました、・・・・、などと言われて感謝の気持ちを表す患者さんもおられますが、そういった感想を持たれる患者さんたちよりも、私自身の方がむしろ医師の醍醐味を実感できやりがいを感じているということは、もしかすると患者さんたちは気づいていないのかもしれません。
目の前にいる苦悩を抱えた人の力になりたいという欲求、これが、医師が医師であり続けることのできる力の源です。
この欲求があれば、収入が低くても、気苦労が多くても、様々なリスクを抱えなければならなくても、やはり医師とは素敵な職業なのです。
医学部を目指している方がおられれば、世論の医師に対する社会的評価の低さや、マスコミの医者叩きに惑わされずに、原点に戻って医師という職業の醍醐味について思いをめぐらせてほしいと思います。
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|2013年6月13日 木曜日
2007年1月号 感謝!!
当ウェブサイトでもお知らせしましたように、12月14日にすてらめいとクリニックのレセプション・パーティをおこないました。午後6時から12時までのお好きな時間にお越しください、という形式だったこともあり、100人を超える方々が来てくださいました。この場でお礼申し上げたいと思います。
パーティに参加された方々は本当に多種多様で、私が所属する大阪市立大学医学部総合診療センターの教授や助教授から、いわゆる社会的マイノリティとカテゴライズされることの多いコミュニティの方々まで、また、家族総出で出席された方や、遠方から(なんと東京からも!)お越しいただいた方もおられました。
なかには私が初めてお会いする方もいました。以前からこのウェブサイトを読んでいてくれていた方、このウェブサイトや私の書いた本がきっかけで私とメールのやりとりをおこなうようになった方、また、私が普段懇意にしている人の友人の方など、多くの新しい出会いがありました。
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すてらめいとクリニックは今月から保険診療が開始されました。これを書いている時点では、まだ診療開始から3日しかたっていませんが、それでもいろんな訴えの方が来られ、早くも「総合診療」の醍醐味を実感しているところであります。
なかには、「(自分のこの症状は)どこの病院に行っても、分からないって言われるんです・・・」、と、まるで大学病院の総合診療科の外来でお会いする患者さんたちと同じような悩みを抱えている方も多く、総合診療の重要性を実感します。(尚、現在の医療法では「総合診療科」という科の標榜ができないために、すてらめいとクリニックでは「皮膚科・内科・アレルギー科」と標榜しています)
すてらめいとクリニックでは、いろんな症状や疾患に対応できるようなクリニックを目指していますから、私だけでなく看護師をはじめとするスタッフも新たに覚えなければならないことの連続で大変です。幸いなことに、非常にやる気のあるスタッフばかりが集まったおかげで、私自身がスタッフに助けられることもしばしばです。スタッフの方々に感謝!!です。
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私は毎年、年の初めに一年間のテーマを決めるのですが、今年のテーマは「貢献」としました。(去年は「勉強」、その前は「奉仕」でした)
思い起こせば私の2006年は幸運の連続でした。NGOとしてGINAを立ち上げることができ、11月にはNPO法人GINAが誕生しました。国内だけでなくタイ人をはじめとする外国人の協力者も次々と現れ、タイでの支援活動も(まだまだ不十分ですが)一応は軌道に乗り、私が出張に行かなくても現地スタッフと電話やメールでやりとりするだけである程度の活動ができるようになりました。まだまだ寄附金は不足しており、今後どうやって支援額を増やしていくかが課題ですが、それはこれから対策を考えていく予定です。
GINAだけではありません。日頃の臨床においては、指導をしてくださる先生方のおかげで医師としての知識や技術が向上したことを自覚できますし、多くの患者さんたちからも学ばせてもらうことができました。
そして、やはりいい物件が見つかって、すてらめいとクリニックをオープンできたことはこの上ない幸運でしょう。なにしろ、日頃から「こんなきれいなビルで仕事ができればいいなぁ・・・」と思っていたビルが私に紹介され、ビルのオーナーのご好意でクリニックを開院することができたのですから。さらに、やる気のあるスタッフが集まったことも私に運があるからでしょう。
これだけ幸運に恵まれたことに対して私がすべきことは、社会に対する「貢献」であるに違いありません。貢献するのは、患者さん、GINAが支援しているタイのエイズ患者さんやエイズ孤児、そして私を日々支えてくれているスタッフに対してもです。
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|2013年6月13日 木曜日
2006年12月号 パーティへようこそ!! 2006/12/11
ひょんなことからいい場所が見つかって、来月から大阪市北区にクリニックをオープンすることになったことをマンスリーレポート10月号でお伝えしました。一応予定通り準備はすすんでいるのですが、予想していたこととは言え、クリニックの設立は本当に大変です。事務長をはじめスタッフの方々が一生懸命頑張ってくれるからこそ、なんとか予定通りにすすみそうですが、これが私ひとりだととてもできるものではありません。
私は、先月に2週間ほど学会出席とGINA関連でタイに出張に出ており、帰国後はすぐに東京に出張し、第20回日本エイズ学会に出席し演題を発表しました。(発表はNPO法人GINAからのもので、タイトルは「HIV陽性者によるHIV陽性者の支援ータイ国パヤオ県の現場からー」というものです)
東京から大阪に戻らずにそのまま福岡に飛び、福岡市内のある形成外科クリニックで研修を受けてきました。
福岡から大阪に戻ると、やらなければならないことは山積みとなっていました。このため12月9~10日の金沢出張(学会出席の予定でした)もキャンセルしたほどです。
さて、12月14日はすてらめいとクリニックのレセプションパーティをおこないます。
パーティは午後6時から12時頃まで開く予定です。好きな時間に来ていただいて好きな時間にお帰りいただく方式ですので、これを読まれている方で興味がある方がおられましたらどうぞお気軽にお越しください。もちろん無料です。ただし、高級なものごは用意できませんが・・・
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|2013年6月13日 木曜日
2006年11月号 「人の役に立ちたい」という欲求 2006/11/10
11月1日、ついにGINAがNPOとして承認されることになりました。あとは、登記が終わるのを待つだけです。おそらく二週間もあれば登記の手続きが完了するでしょうから、そうなればついに特定非営利活動法人(NPO法人)GINAが正式に誕生することとなります。
GINAは正式にNPO法人となってからPRをおこなおうと思っていたため、これまで私は、比較的身近な友人も含めてGINAのことをほとんど話していません。にもかかわらず、GINAのウェブサイトには月に33,000以上のアクセスがあるようで、この数字は大きくはないでしょうが、PRをほとんどしていないことを考えれば小さくもないと感じています。最近の日本は「エイズへの関心が低い」と言われることが多いのですが、実際はそうでもないのではないか、という気もします。
GINAは、趣旨に賛同してくれた仲間と共に立ち上げたのですが、このようなNPOの必要性を訴え始めたのは私自身です。
ところで、最近、「NPOって何のメリットがあるの?」、と聞かれることが多いのでこの場でお答えしておきたいと思います。
「メリットは何?」と尋ねる人に、「社会貢献ができるから」と答えると、「???」という反応が少なくありません。彼(女)らは、「社会貢献」がキレイ事に聞こえるのでしょう。しかしそういう彼(女)らの気持ちが分からないわけでもありません。私も、20代の頃なら、NPOをつくって「社会貢献」をするなどということは思いつきもしませんでしたから。
私がタイのエイズ問題に興味を持ち出してNPOの設立を考え出したときから、絶えず頭から離れなかったひとりの男性がいます。
といっても私はその男性を直接知っているわけではありません。数年前にある雑誌でその男性が書いた文章を読んだことがあるだけです。それを読んだときは、その内容が私の人生に影響を与えるなどということは微塵も思いませんでしたから、その雑誌は捨ててしまって今は手元にありません。しかしその男性の言葉は今も私の心に根付いています。
その男性は50代で、ひきこもりの青年を社会復帰させることを目的としてNPO法人を設立しました。通常はひきこもっている青年の両親から依頼を受けて、あの手この手で社会復帰を企てます。その男性は、そのNPOを設立するまで、いわゆる「裏社会」で生きてきており、まともな仕事をしたことがなかったそうです。数々の修羅場をくぐりぬけ、かなりの悪事にも手を染めているその男性は、50代になって、「人の役に立ちたい」と思うようになったそうです。
この男性はひきこもっている青年に対して、ときには脅しを使ったり(裏社会で生きてきただけあり、得意とするところなのでしょう)、ときには涙を見せたり、あらゆる手を使ってひきこもりたちを社会復帰させているそうです。成功したときにしか報酬を受け取らないためなかなか黒字にはならないそうですが、それでも他の同じような組織に比べると、ひきこもりの社会復帰成功率は格段に高いそうです。
その雑誌は現在手元になく、正確な言葉を思い出すことはできませんが、その男性はたしかこのようなことを述べていました。
「若い世代には分かってもらえないと思うが、私のように無茶苦茶な人生を歩んでいると、死ぬまでに人のために役立つことをしたいっていう欲求が強くなるんだ」
この言葉が、なぜか私の胸にずっと引っかかっており、私がGINA設立を決意するきっかけとなったのは事実です。
私の人生など、この男性のものからみると、比較するのもおこがましいほど取るに足らないものです。そしてこんなことを言えばこの男性に失礼だとは思うのですが、私はこの男性の言葉に「共感」しています。
私は20代前半までは、社会貢献どころか、低次元の利己的な欲求のみに支配されて生きてきました。25歳のときに、社会学部大学院の受験を考え、それが最終的に医学部受験に変わりました。この動機は「勉強がしたい」という欲求で、これは必ずしも低次元とは言えないでしょうが、それでも「利己的」な欲求であったことには変わりありません。
私が医師になることを考え始めたのは医学部3年生、30歳のときでした。病気から社会的な差別を受けている人の力になりたい、というのがそのときの理由でした。これは「利己的」とは言えないとは思いますが、この時点ではNPOなどはまだ頭にのぼることはありませんでした。
医師3年目のとき、タイに出向き、社会から家族から、そして病院からも差別を受けているエイズに苦しんでいる人たちに直面し、次いでエイズ孤児たちの存在を知るようになり、少しでもこういった人たちに貢献したいと感じた気持ちがGINAの設立につながりました。
私は当分の間、日本で医師をおこないますが、これは異国の地で苦しんでいる人よりも力になるべき人は身近にいると考えているからです。しかし、それでも日本では考えられないような過酷な環境で暮らさざるを得ない人たちに少しでも貢献し続けたいと考えています。
最近、ある雑誌でNPOを設立した人の記事を読みました。その人は40代半ばで地域社会に貢献するためのNPOを設立し、さらに現在はインターネットを使った人生相談もおこなっています。
この人が書いた記事のなかに興味深い文章があります。自分の値打ちということを考えたとき、20代ならそれは「モテるか?」、30代なら「カネあるか?」と「社内的なオレのポジションは?」で、40代になり「オレは人の役に立てるのか?」となったそうです。
やはり人間は年齢を重ね、経験を積むにつれて、「人の役に立つ」あるいは「社会貢献」といったことに対する欲求が強くなってくるものなのでしょう。
私は20代の頃には、ボランティア活動など考えたことすらありませんでしたし、「利他的な行動」などといったことは、家族のための行動を除けば、あり得ないと思っていました。
もちろん、ボランティア、社会貢献などをすることによって、充足感が得られますから、人の役に立つ行動も「利己的」な側面を孕んでいるという見方もできるでしょう。しかしながら、結果としてそれが「貢献」につながるなら、「利他的」であるとも言えるわけで、他人にも自分自身にも満足感を与える、極めて安定した力強い欲求が「人の役に立ちたい!」というものだと私は考えています。
ところで、現在日本に存在するNPO法人は約2万8千、NPO法人への寄附金総額は約7千億円です。一方アメリカは、NPO法人数が約90万、寄附金総額は24兆円です(日本経済新聞2006年11月3日)。日本はアメリカの3%にも満たないのです。
NPOを設立したり、NPOに寄付したりすることだけが「人の役に立つ」わけではありませんが、NPO法人なら活動内容も会計報告も透明化していますから、「人の役に立つ」きっかけとしてもっと注目されてもいいのではないかと思います。
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|2013年6月13日 木曜日
2006年10月号 新天地 2006/10/10
先月のマンスリーレポートは「卒業」というタイトルで作成しましたが、その原稿を書いた後、偶然にも新しい世界に踏み込むことになりました。
来年年明けから大阪市北区に新たにクリニックを開院することになったのです。
クリニックの開院は、もともと今年の4月を考えていたのですが、なかなかいい物件が見つからず、やっと見つかって仮契約書まで交わすところまでいっても、同じビルに入っているクリニックの反対で中止になったり、間一髪で他人に借りられてしまったり、ということが相次ぎ結局実現できませんでした。
その後も物件は探し続けていたのですが、なかなかいいものが見つからずに時間だけが過ぎていました。ところが、最近になって、ひょんなことからある業者が大変魅力的な物件を探してきてくれたのです。
その物件は、日頃私がよく通る道沿いにあり、以前から、「こんなところでクリニックができたらいいなぁ・・・」と思っていたビルでしたから、物件を探してきた業者が、「ここです」と案内してくれたときは大変驚いてしまいました。
そのビルはその地域で最も大きなビルのひとつで、外観は大変美しく、そのビルで働けること自体に喜びを見出させると言っても言い過ぎではないようなところです。
これからやらなければいけないことは、融資の交渉、スタッフの確保、機器の購入、内装・・・、など大変ですが、患者さんに満足してもらえるようなクリニックを構築できるように頑張っていきたいと思います。
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新しいクリニックの準備で大変忙しくなるな・・・、と思っていたところ、エール出版社から問い合わせがありました。
拙書『偏差値40からの医学部再受験』の改訂第4版を出版したいというものです。
新クリニックの準備を始めるからといって、現在の医師の仕事を減らすわけにはいきませんし、GINAの仕事も次第に増えてきていますから、もしもお金で時間が買えるなら買いたいくらいに忙しく、本の執筆をする時間の捻出はかなりむつかしいのですが、結局この依頼も引き受けることにしました。
最近、医療における情勢が大きく変わってきており、医師に対する風当たりがきつくなってきているように見受けられます。医事紛争は急増していますし、最近では、生体腎移植に金銭授与が絡んでいたという事件が発覚し、その責任を病院と医師に求める世論も強くなってきています。
もちろん、医療というのは患者さんのためにあるべきもので、いかなるときにも患者さんの立場から考えなければなりません。医師側の都合というものは尊重されるべきではありません。
しかしながら、医療を始める前から医事紛争や患者さんどうしの金銭介入という問題まで想定しなければならないとなると、医師側の精神的な負担がかなり重くなりますし、結果として患者さんに最善の利益をもたらすことができなくなる可能性もあります。つまるところ、これからの医師は以前に比べると、純粋に「患者さんに元気になってもらいたい」という気持ちだけではつとまらなくなってしまうかもしれません。
けれども、私が言いたいのは、「それでも医師とは大変やりがいのある魅力的な職業である」ということです。新しく改訂する本には、そのあたりのことを詳しく書きたいと思います。
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医師の仕事のひとつに学会参加や発表というものがあります。小さな規模のものも含めると私の場合、月に1~2回は参加していますが、毎年年末には重要なものが重なります。
11月中旬には、バンコクでWONCAという国際プライマリケア学会があります。タイに出張し、その学会に参加して、ついでにGINA関連の仕事もしてくるつもりですが、帰国するとすぐに日本エイズ学会があります。まだ正式には決まっていませんが、今年のエイズ学会ではひとつ演題を発表する予定です。
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12月に入ると、新しいクリニックを一応はオープンさせなければなりませんし(現行の医療法では保険診療をおこなう一月前から開院させなければなりません)、学会出席のため出張しなければなりませんし、さらに新しいクリニックで効果的な診療がおこなえるよう、何日かは別のクリニックに研修を受けに行くことも考えています。
以前会社員をしていた頃は、12月と言えばボーナスが支給され、「忘年会」と称して週に何度も飲みに行く機会があったのですが、今となってはあの頃が大変なつかしく感じられます。
あの頃に戻りたい・・・という気持ちが沸いてきても、すぐに打ち消すようにはしていますが、多忙さのなかに埋もれてしまっている自分に気付き、昔の自分がうらやましくなることもあります。
けれども、ふんばらなければならない時期だ! と自分に言い聞かせて今は頑張るしかないのでしょう。
新天地を目指して・・・
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|2013年6月13日 木曜日
2006年9月号 卒業 2006/09/09
先月の大学病院でのカンファレンスで、「卒業試験の問題をつくるように」との業務命令が私に下されました。医学部の卒業試験は問題数が莫大なものですから、私のように教壇に立つ資格のない者も問題作成をおこなうことになるのです。もっとも、私がつくった問題は実際のテスト問題に組み入れられる前に何人かの教員のチェックを経て、必要があれば修正が加えられることになっています。
私の大学では、卒業試験は11月と12月の2ヶ月間かけておこなわれます。現在は、医師国家試験は2月末におこなわれますから、医学部の6年生は卒業試験が終わればすぐに国家試験のために猛勉強しなければなりません。そのため、11月からは勉強以外にほぼ何も考えられなくなります。
大学によっても異なりますが、私の大学では、10月までは臨床実習として大学病院以外の大きな病院での研修(実習)を受けなければなりませんから6年生の後半はかなり多忙になります。もっとも、医師になってからの方がこのような生活よりもはるかに多忙なのですが・・・。
日頃の臨床で多くの症例にあたっていると、題材は豊富にありますから、卒業試験の問題をつくること自体は、そんなにむつかしいことではありません。ただ、せっかくつくるなら、医学生にはそれを考えることによって将来の臨床に役立つような問題をつくりたいものです。
だから、私はこれまでの卒業試験や医師国家試験を参照することなく、オリジナリティの強い問題をつくりました。(オリジナリティが高いといっても、問題を考えるプロセス自体は奇抜なものではなく、過去問を解いて基本的な考え方を理解していれば、そんなにむつかしくはありません。もしもこれを私の大学の6年生の人が読んでいれば、あまり不安にならないように・・・)
***
私は受験の本を出版していることもあり、大学4年生の人からもメールや手紙をもらうことがあるのですが、今年は去年までに比べると、その内容に変化がみられるように思います。去年までは、「今、大学4年生ですが、就職はせずに医学部受験の勉強を始めます(続けます)」、というものが多かったのですが、今年は「いったん就職してお金をためてから再度医学部受験を検討します」、というものが増えています。
この理由はおそらく景気がよくなって、就職状況が一気に売り手市場に突入したからでしょう。新聞をみていても、今年はバブル経済以来の売り手市場で、複数の内定をもらう学生が続出し、企業側は優秀な人材の確保に必死であるという記事を目にします。
企業に就職しようが、就職せずに受験勉強の生活に入ろうが、3月になれば「卒業」がやってきます。同じ卒業式を迎えるにあたって、就職が決まっている人とそうでない人は気分が違うかもしれません。
私は関西学院大学社会学部を1991年に卒業しましたが、卒業式の頃は、これから始まる社会人としての生活にワクワクしていたのを覚えています。
卒業試験の問題を考えながら、そんなことを思い出してしまいました。
***
私は、受験の本を出版しているだけであり、就職についてこれまで言及した記憶がないのですが、なぜか私のところに就職活動の相談をされる方がいます。すべての問い合わせに返事を書いているわけではありませんが、手紙やメールの内容によっては、悩みや考えが真剣に伝わってきて、相談にのらせてもらうこちらの方も(不謹慎な言い方ですが)楽しませてもらっています。
「楽しませてもらっている」というのは、私自身がその人の気持ちになってこれから始まる暮らしのことを考えるとワクワクしてしまうからです。みんなにそれぞれ夢があって、その夢を少しだけ共有できたような気がして嬉しくなってくるのです。
人間というのは贅沢なもので、私は今の生活は自分に与えられたミッションを遂行していると感じられるため、幸せだとは思うのですが、それでも、「前みたいに日本の会社でビジネスマンをしたいな・・・」とか、「新興企業に就職して海外市場を開拓してみたいな・・・」とか、はたまた「もう一度大学に行って勉強や研究に没頭してみたいな・・・」などと思うこともあります。
***
今月から、GINAのwebsiteで、『イサーンの田園にルークトゥンが流れる時』という小説を連載することになりました。この物語はフィクションで、主人公は架空の人物です。これまでの生活に終止符を打ち、新しくNPOのスタッフとして働き始めた主人公(元看護士の男性)が、ある女性との出会いをきっかけに新たな発見をしていく、というストーリーなのですが、私はいつしかこの主人公に感情移入をするようになり、現実では体験できないことをストーリーのなかで実現させることの面白さが分かるようになりました。
新しい世界に飛び込むというのは、一度きりの人生のなかでそう何度もできるわけではありません。しかし、どんな人にもその機会は確実にやってきます。
そのひとつが「卒業」です。
卒業試験の問題を考えながら、新しい世界に飛び込む感動について想いを巡らせてしまいました・・・。
投稿者 記事URL
|2013年6月13日 木曜日
2006年8月号 医師が家族と過ごす時間 2006/08/10
「黎明」という表現はおこがましいでしょうが、組織を起こすのはやはり初めが肝心であり、また大変であり、現在のGINAもそういう真っ只中にいます。
で、何が大変かというと、もちろんいろいろとあるのですが、現実的には「時間」と「お金」です。
私が以前から何度も指摘しているように、医師という職業は他に類をみない売り手市場であります。つまり、慢性的な人手不足です。ですから、週末勤務や夜勤の仕事はすぐに見つかり、こういう仕事を増やせばある程度はお金を稼ぐことができます。GINAは非営利組織でありますから、活動を活発にすればするほど出費がかさみます。これを補うために、現在私は週におよそ100時間のペースで医師としての仕事をしています。
けれども、週末勤務や夜勤を増やすことによって、GINAの活動の時間そのものが制限されてしまいますから、GINAの費用を捻出しなければならないが、そちらに傾きすぎるとGINAの活動が充分にできなくなってしまう、という微妙なバランスに常に注意を払っていなければなりません。
医師という職業の特徴のひとつは、勤務時間だけが仕事ではない、ということです。診断がつかなかったり、初期治療にそれほど効果が認められなかったりする場合には、それに対する調査(勉強)をおこなわなければなりません。最終的に、他の専門病院に行ってもらうことになることもありますが、その場合でも、その施設での診断や治療を学ばなければなりませんから、これはこれで大変です。
日頃から最新情報を知っていなければならない、という使命が医師にはあります。私が研修医の頃にはなかった薬剤や検査法、治療法などがたくさん登場してきていますし、以前からある薬剤でも、注意書きの内容が変わったり、新たな効果が報告されたりすることも頻繁にありますから、こういったことにも対応できなければなりません。
手術件数を増やしたり、あるいはセミナーなどに出席したりして、技術の向上につとめなければなりませんし、新しく出版される教科書も読まなければなりませんし、所属学会からは定期的に学会誌が送られてきますし、世界中で毎日大量に誕生している論文にも目を通さなければなりませんし、文字通り時間はいくらあっても足りません。
さらに、医師であれば学会や研究会での発表をおこなわなければなりませんし、論文も書かなければなりません。これらに取られる時間も相当なものです。発表や論文は英語でおこなわなければならないことも多く、そのためほとんどの医師は日頃から英語の勉強を欠かしていません。私の場合は、英語に加えタイ語が加わります。GINAの活動はタイ国に関連するものが多いため、タイ語が不可欠になってくるのです。
以前、ある人が、「医者は高級車を乗り回して、毎日のように高級クラブに通って、週末はゴルフ三昧なんでしょ」、と言っているのを聞いたことがあるのですが、少なくとも現在の日本においてはこんな医師はひとりもおらず、このような医師像は「都市伝説」のようなものです。
たしかに、高級車に乗っている医師もいますが、残念なことにそれを乗り回す時間はそれほどありません。医師であれば夜間に呼び出されることも頻繁にあり車が必要になるため、自動車所有率は高いと思いますが、必ずしも高級車に乗っているわけではありません。(ちなみに私の車は12年落ちの国産で、購入価格は45万円。「当て逃げ」されてへこんでいるところを修理する金銭的余裕はありません。)
高級クラブやゴルフに通う、というのも医師である限り事実上不可能です。その医師の立場にもよりますが、夜間や休日に呼び出されることもあるため、お酒を度々飲むわけにはいかないのです。私の場合、医師になってからお酒を飲むのは2~3ヶ月に一度程度になりました。(ちなみに商社勤務時代には週に3~4度程度はお酒を飲む機会がありました。)
そんな医師にも家族というものがあります。
私は、結婚の経験がなく、ひとりで暮らしていますから、夜勤や週末の勤務を積極的におこなうことができますが、パートナーや子供がいれば、いくら多忙でも家族のための時間をどこからか捻出しなければなりません。
職業人としての医師の立場からすれば、いくら遅い時間に帰宅しても、先に述べたように「勤務時間以外の仕事」をおこなわなければなりません。語学の勉強も待っています。
しかし、家族の一員としての立場からすれば、パートナーや子供との語らいの時間が必要です。
そして、実際かなりの医師が、仕事と家庭の両立の困難さに悩んでいます。
以前新聞に、ある大学病院の男性産婦人科医の話が載っていました。その産婦人科医は、夫婦や家族関係についての研究や臨床で有名で、夫との人間関係がうまくいかないという女性の患者さんをたくさん診ており、なかには、この医師に相談にのってもらうために遠方から来られる患者さんもおられるそうです。
ところが、この医師は、自分の奥さんから、「あなたは夫としても父親としても最低」と言われているそうなのです。この原因は、おそらく、この医師の多忙さが家族との語らいの時間をなくしてしまっていることと無関係ではないでしょう。
先日発表された、国立女性教育会館の実施した「家庭教育に関する国際比較調査」によりますと、父親が子供と平日に一緒に過ごす時間は、日本が3.1時間で韓国の2.8時間についで世界6カ国中下から2番目だったそうです。その一方で、母親が接する時間は7.6時間と6カ国中で最長だったそうです。
もしもこの調査を日本の男性医師でおこなうと、とても3.1時間などには及ばず、想像するのも恐ろしいような数字になるでしょう。仮に子供が夜10時に寝るとすると、3.1時間を確保しようとすれば夕方の6時50分から接し始めなければならないことになります。毎朝1時間を確保するとしても、夜7時50分には帰宅していなければならないことになります。医師は朝も早いため、毎朝1時間もの子供と接する時間を確保することは不可能です。
この調査によれば、父親が最も子供と長い時間接しているのはタイ国で5.9時間です。一般的なタイ人はよほどのことがない限り残業をしませんし、子育ては夫婦でおこないますからこのような数字になるのでしょう。実際、タイ人と話していると、彼(女)らの強い家族の絆を感じることが頻繁にあります。「多くの日本人は残業をしている」、という話を以前タイ人にしたことがあるのですが、「日本人はいったい何のために働いているの?」、と不思議そうに質問されてしまいました。
しかし、そのタイでも医師は例外的な職業であるようです。給与は高いが勤務時間が長すぎるために医師は人気職業ではない、という記事を以前タイの新聞で読んだことがあります。タイ人にとっては、いくら高級でも家族との時間が減るのなら意味がないようです。
「医者の不養生」という言葉があり、通常は、「患者さんに健康指導をすべき医師自身が不健康な生活をしている」、といった意味で使われますが、家族との絆という意味でこの言葉をあらためて考えてみればどうでしょう。
「患者さんを診る前に、自分の家族と良好な関係を維持すること」、が大切だと私は考えていますが、現在の日本の医師が担っている役割と責任を考えると、現実的ではないかもしれません。
医師の数を倍にして、勤務時間を半分にして、できた時間を家族と接する時間と勉強にあてる、というのが私の提案ですが、今の日本では絵に描いた餅なのでしょう。勤務時間が半分になれば、当然収入は半減しますから、この点に同意が得られない、という問題もあります。
けれども、年収数十万円で家族一同幸せそうにしているタイの家庭をみると、やっぱり羨ましいなぁ・・・と思ってしまいます。
GINAが始まったこの時期は仕方がないですし、新しいクリニックをオープンさせてからしばらくも、長時間の勤務は避けられないでしょうが、それでもいずれは、家族との時間や勉強時間をゆったりととりたいものです。
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|2013年6月13日 木曜日
2006年7月号 邂逅 2006/07/10
GINAの活動を本格的に開始してからおよそ4ヶ月が経過いたしました。
この4ヶ月間で、多くの施設訪問、患者さん宅への訪問、研究者との対談、ボランティアとの話し合い、オリジナルの研究開始、など様々なプロジェクトをおこなうことができました。
GINAはNPOですから、活動を活発にすればするほど経費がかさみ、金銭的にはしんどくなります。そのため、現在も医師としての仕事は以前と変わりなく続けています。医師の仕事として、1週間に100時間程度はとられ、さらに空き時間には医学の勉強を続けなければならず、その上語学の勉強がありますから、GINAのための時間を捻出するのは相当大変です。
にもかかわらず、GINAの活動が予定通り、あるいは予定以上に順調に進んでいるのは、もちろん周囲の方々の支えのおかげです。
例えば、私はGINAの事務的な仕事は、GINA副代表の浅居氏に全面的に任せています。websiteの管理についても、浅居氏及び浅居婦人にすべておこなってもらっており、私は、ただレポートや記事の下書きをしているだけで、その校正も浅居夫妻に任せています。彼らの活躍、さらに他のGINA正会員の働きがなければ、これほどまでにGINAは順調に進んでいないはずです。
もちろん、GINAの順調な進行は、GINAスタッフの力だけによるものではありません。GINAの趣旨に賛同してくださり、アドバイスや寄付金をくださる方々がおられるからこそ、我々は活動を続けることができるのです。
もちろん、タイで我々の活動に賛同してくださり、多くのアドバイスを授与してくださる方々や、実際に本音をお聞かせくださるエイズ患者さんの存在も、我々が活動を続けていく上で大変貴重なものであります。
私は6月30日から7月8日にかけて今年4度目の訪タイをしてまいりました。今回はやや強行的なスケジュールを実行しましたが、7月から航空料金が大幅に上昇するので、できるだけ経費を抑制するために6月中の出発にしたというわけです。
GINAのタイをベースとした初期の活動が、今回の出張でとりあえずは落ち着きましたから、これから当分の間GINAの活動は国内が中心となります。次回の訪タイは、11月中旬にバンコクで開催されるプライマリ・ケア関係の国際学会に合わせてとなる予定です。
さて、今回の訪タイでお会いし、その献身的な生き方に大きな感動を教えてくれた方々がおられますので、ここで簡単にご紹介させていただきたいと思います。
まずは、パヤオで「21世紀農場」を運営されている谷口巳三郎先生です。巳三郎先生のことは、「マンスリーレポート4月号」でもご紹介いたしましたが、この方の生涯を通しての献身的な態度は、ただただ敬愛するばかりです。
巳三郎先生は、60歳を過ぎてから単身タイに渡り、20年以上にわたり現地の農業指導に従事されています。21世紀農場はタイ北部のパヤオ県にありますが、この地域では90年代初頭からエイズが蔓延し、その結果行き場を失った人々が、巳三郎先生を頼って21世紀農場を訪問したのです。
巳三郎先生は、そんな彼(女)らに対して農業指導やミシンの使用を学ばせ生活を支援し、適切な医療が受けられるように現地の行政や病院に対する計らいをされました。
また、パヤオ県さらには隣県のチェンライ県にも、巳三郎先生の農業指導のおかげで自立され、さらに農業を学びたい人に対する指導をされているタイ人の方が大勢おられます。
巳三郎先生は、タイの歴史に残るタイに貢献した日本人、として今後も大勢の方に語られることでしょう。
パヤオ県では、依然エイズで困窮されている方々が大勢おられます。そんな方々のために日々尽力されているトムさんというタイ人がおられます。この方の夫は日本人の赤塚さんという方で、ご夫婦でエイズにまつわる諸問題に取り組んでおられます。
このご夫婦の献身的な行動にも私は深い感銘を受けました。おそらくこういった方々がおられなければ、パヤオ県のエイズ問題は依然進展を見ていないのではないかと思われます。
タイ北部の高地民族の出身でおられる、パンさん、ヨハンさん、ダイエさんには、彼らが運営する高地民族のための学生寮を拝見させていただきました。
高地民族とは、タイ北部の山岳に住まわれている少数民族で、アカ族、カレン族、リス族、ラフ族、モン族など、11の民族があります。彼(女)らの地域では、学校がほとんどなく充分な教育を受けることができません。そこで、パヤオ県やチェンライ県の学校に通うことになるのですが、通うと言っても、とても山岳部からは通うことができません。
そのため、子供たちが安心して勉強や寝泊りができる施設(寮)が必要となり、彼らが私財を投げ打って寮を設立されたというわけです。運営費の一部は日本からの寄附金にも頼っています。
寮を設立し、子供たちが安心して生活するためには、どうしてもある程度の費用がかかり、どの寮もけっして裕福ではありません。そのため、彼らは、私生活をかなり犠牲にして子供たちのために献身されています。
高地民族のために寮を設立されているのはタイ人だけではありません。チェンライ県の外れに、「ルンアルンプロジェクト」という高地民族の生徒寮があるのですが、この寮を設立したのは、中野穂積さんという日本人女性です。
中野さんは、高地民族の子供たちのために日々尽力なさっています。彼女のおかげで多くの高地民族の子供たちが安心して勉強を続けることができるのです。
高地民族のなかには、すでに両親を亡くしている子供たちが少なくありません。その最たる原因はエイズです。こういった子供たちは、いわゆる「エイズ孤児」となり、そのままでは勉強どころか生活することもできなくなるため、高地民族の寮を運営されている方がいなければ路頭に彷徨うことになってしまうのです。
エイズ孤児のみを収容している施設もあります。チェンマイ県のドイサケートには「希望の家」と呼ばれる施設があり、両親をエイズで亡くしたおよそ20人の子供たちが生活しています。現在はタイ人のご夫妻が中心となって運営されていますが、寮の名前からも分かるように、この施設はある日本人女性が設立に大きな役割を果たしています。
その方は、大森絹子さんという女性で、私と同じ大阪市立大学出身です。大森さんは看護師及び助産師の免許を所得され、現在の私と同じ大阪市立大学医学部附属病院でも勤務されていました。タイに渡られ少数民族の医療に従事され、その後訪米し医療人類学を学ばれた後、再びタイに渡航し、高地民族のために尽力され、「希望の家」を設立されるに至ったのです。
不幸なことに、大森さんは48歳という若さで他界されました。しかし、その後も生前から大森さんと懇意にされていたプラセン&タッサニーさんご夫妻の活躍のおかげで「希望の家」は現在も子供たちにとってはなくてはならない存在であり続けています。
日本に帰国する機内で、私は今回お世話になった方々のことを考えているうちに深い眠りに落ちていました。毎度のことなのですが、訪タイ時には強引なスケジュールを組んでいるためにかなり疲労が蓄積します。今回は極端に疲れており、機内サービスで出された食事にも気づかない程でした。
機内でひとつの夢を見ました。私の中学時代の授業の再現シーンです。なぜか科目は「道徳」。中学の授業などほとんど何も覚えていないのに、よりによって道徳の授業が夢に出てくるとは不思議なものです。
教壇に立つ先生は、黒板にある文字を書きました。
邂逅・・・
漢字の読めない私は、先生が振り仮名を振ってくれて初めて、それが「かいこう」と読むんだ、ということが分かりました。「思いがけなく巡り合う」という意味だそうです。
考えてみれば、私がGINAを通してめぐり合った人たちは、以前から希望してお会いしたというよりは、いくつもの偶然が重なってお会いしています。私は元々、この3月から新しいクリニックを設立する計画を立てていましたから、それが実現していればこういった方々にお会いしていない可能性が高いのです。
こういった人たちとの巡りあいは、まさに「邂逅」ではないでしょうか。
夢のなかで先生は続けました。
「邂逅に始まって一生のお付き合いをすることになる人もいるのですよ・・・」
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