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2026年10月18日 日曜日
2026年10月18日 乳児の感染症予防には母乳が有利
「母乳の方が赤ちゃんの健康にいいですよ」という言葉は、母乳を出したくても出ない女性、あるいは(例えば向精神病薬など)母乳に移行する薬を手放せない女性を傷つけることになります。よって、あまり大きな声では主張しにくいのですが、診察室で質問されたときには「できるだけ母乳をあげるようにしましょう」と私は答えています。メールで相談を受けた場合もそのように案内していますし、読者が限られているメルマガでもそう伝えています。
しかし最近は、母乳を広く勧めることが、母乳をあげられない女性を傷つけるよりもむしろ、そのような気配りがかえって母乳をあげられない女性に失礼になる場合も多いと考えるようになり、診察室やメルマガ以外でも正しい知識を伝えていくようにしています。
すでに、今年の7月の医療ニュース「生まれるなら長男か長女が有利な理由は感染症」では、「母乳を6か月以上与えられた場合、疾患に罹患するリスクが大きく低下する」という研究を紹介しました。
今回取り上げるのも「母乳は感染症の予防になる」という論文です。タイトルは、2026年10月に科学誌「Science Advances」に掲載された「母乳由来のポリクローナル分泌型IgAは、複数の呼吸器ウイルスに対して広範な抗ウイルス防御をもたらす(Polyclonal breast milk–derived secretory IgA confers broad antiviral protection against multiple respiratory viruses)」です。
論文では、ヒト母乳プールから抽出したポリクローナル分泌型IgA製剤「LCTG-001」の試験結果が紹介されています。
先に語句を説明します。「ポリクローナル」とは、定義としては「多数の異なる抗原に対する」という意味です。対義語が「モノクローナル」で、モノクローナル抗体といえば、1つの抗原(≒1つの病原体)に対する抗体(その病原体を攻撃する蛋白質)です。つまり「ポリクローナル抗体」は、様々な抗原(≒様々な病原体)を攻撃できる多数の抗体が混ざった物質と考えれば分かりやすいと思います。
次にIgAについて。血中で病原体を攻撃する抗体がIgG抗体なのに対し、鼻や腸などの粘膜ではIgA抗体が主役となり、病原体の侵入口で感染を防いでくれます。
よって「ポリクローナル分泌型IgA製剤」とは、「粘膜で待機して、多数の病原体とその場で戦ってくれる薬」と考えれば分かりやすいと思います。そして、その製剤の名前が「LCTG-001」と命名されている、というわけです。
LCTG-001は、RSウイルス、アデノウイルス、インフルエンザA型ウイルスなど、臨床的に重要な呼吸器感染をもたらす複数のウイルスに対して抗ウイルス活性を示しました。また、新型インフルエンザ(高病原性H5N1亜型)にも免疫応答を呈しました。
その夢のような万能薬LCTG-001が母乳に含まれているというわけです。
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母乳からそんな夢みたいな成分が抽出できるなら、母乳が出ない女性は、製薬会社にその薬をつくってもらって赤ちゃんに投与すれば済む話では?と思えてこないでしょうか。たしかにその通りで、だからこそ現在製薬会社が母乳を集めてこの薬を販売できるように研究を続けているわけです。
ただし、一般にポリクローナル抗体は高価です。ポリクローナル抗体として使用されている薬品で有名なものに、例えばB型肝炎ウイルスの免疫グロブリンがあります。これは1バイアル10万円近くします。LCTG-001の製品化が現実的になったとしても、まず母乳を集めるのにそれなりの費用がかかるでしょうし、製品として完成するにはまだまだハードルがあります。それに、今回この論文で報告されたのはマウスの実験の話です。今から数年以内に生まれてくる赤ちゃんには間に合いません。
そう考えると母乳というのは、母親が自分の赤ちゃんにあげるぶんには(母親がしっかり栄養を摂る必要があるため無料とは言いませんが)低コストで、しかも安全性の確立したポリクローナル抗体を含むスーパードリンクと言えるわけです。
母乳は人工乳に比べ、アレルギー疾患を予防し、肥満リスクを低下させ、糖尿病や小児白血病のリスク低減にもつながると言われています。最近は人工乳がかなり栄養価に富むすぐれたものになってきていますが、やはり母乳にはかないません。どうしても母乳があげられない事情がある場合は止むを得ませんが、可能な限り母乳を検討すべきです。
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2026年10月18日 日曜日
第278回(2026年10月) 早い閉経は認知症のリスク、ホルモン補充療法が有効
2026年4月の「はやりの病気」(「『ホルモン補充療法(HRT)は安全』が世界の見解に」)で取り上げたこともあり、更年期前後、あるいはそれ以上の年代の女性から、ホルモン補充療法(以下「HRT」)についての相談・質問が増えています。
なかでも「ホルモン補充療法は危険だと思っていたけれどそんなに安全なのでしょうか」というコメントがよく聞かれます。もっとも、これは当然だと思います。上記のコラムでも述べたように、私自身が以前はHRTに反対していたのですから。
最近、ますますHRTの有効性と安全性に注目が集まっています。まず、2026年8月に医学誌「Alzheimer’s & Dementia」に掲載された「閉経後女性におけるホルモン補充療法と認知症リスク:UK Biobankにおける反応性の高いサブグループの特定(Hormone replacement therapy and dementia risk among postmenopausal women: Identifying responsive subgroups in the UK Biobank )」の要点を紹介しましょう。研究の対象者は「UK Biobank」というデータベースに登録された閉経後女性183,450人で、平均追跡期間は13.3年です。
・HRTはあらゆる原因による認知症リスクを1割下げる
・外科的閉経(手術で卵巣の両側または片側を摘出)の場合、HRTは認知症のリスクを26%低下させる
・ApoEをε4保有者で保有する場合、HRTは認知症のリスクを13%低下させる
・生涯を通してエストロゲンの分泌量が少ない場合、HRTは認知症のリスクを16%低下させる
・46~56歳の間にHRTを開始した場合に、最大の恩恵が得られる
閉経が早ければ、全般的認知機能とエピソード記憶の低下が速く、アルツハイマー病のリスクが上昇することは最近では周知の事実となってきています。最近の論文を紹介しましょう。同じく2026年8月に医学誌「JAMA Network Open」に掲載された「高齢女性における閉経年齢と脳萎縮(Age at Menopause and Brain Atrophy Among Older Women)」です。
研究の対象者は「Religious Orders Study」および「Rush Memory and Aging Project」という2つのデータベースの登録された女性で、最長18年間追跡されています。解析対象は、認知機能データが得られた女性2,603名です。閉経年齢が早ければ、全般的な認知機能低下の進行が早く、エピソード記憶の低下が早く、アルツハイマー病の診断時期が早いことが分かりました。自然に閉経した場合よりも外科的閉経(手術で卵巣を摘出したことで起こる閉経)の場合に、より顕著であることも分かりました。
似たような研究は他にもあります。2019年に医学誌「Neurology」に掲載された論文「医療従事者から成る多様なコホートにおける生殖可能期間と認知症リスク(Reproductive period and risk of dementia in a diverse cohort of health care members)」によると、初経年齢が13.0歳の場合と比較して、初経年齢が16歳以上であった場合は認知症発症リスクが23%、47.4歳未満で自然閉経した場合は19%、子宮を摘出していれば8%上昇していたことが分かりました。
閉経前の卵巣摘出(両側の場合だけでなく片側摘出も)は、認知症のリスクを高め、摘出時の年齢が若いほど、また術後にホルモンを使用しなかった場合ほど、リスクが大きくなるとする報告もあります。閉経前に卵巣を摘出した全人数でみると認知障害または認知症のリスクが46%も増すとされています。
次に、HRTの「限界」もみておきましょう。閉経前後にHRTを開始した場合、心血管疾患の予防になることが指摘されています。ところが、International Menopause Society (=IMS=国際更年期学会)によると、「閉経から10年以上経過した後に開始した場合には心血管系疾患に対する効果は認められない」とされています。
「危険性」も確認しておきましょう。まずは「血栓症」について。2019年に医学誌「BMJ」に掲載された有名な論文「HRTの使用と静脈血栓塞栓症のリスク:QResearchおよびCPRDデータベースを用いた研究(Use of hormone replacement therapy and risk of venous thromboembolism: nested case-control studies using the QResearch and CPRD databases)」をみてみましょう。
研究の対象者は1998年から2017年の間に静脈血栓塞栓症と診断された40~79歳の女性80,396人です。対照グループは年齢などの条件を合わせた391,494人の女性です。HRTの内服(経口投与)の場合、HRTを実施すると、実施していないグループと比較して、静脈血栓塞栓症のリスクが58%増加することが分かりました。
他方、貼付薬(経皮製剤)の場合、リスクとは関連していませんでした。
血栓とならぶもう1つのリスク「乳がん」をみてみましょう。英国の女性向け健康情報提供団体「Women’s Health Concern」(=WHC)は、2024年11月に公開されたNICE(=National Institute for Health and Care Excellence=英国国立医療技術評価機構)のガイドライン(NG23)「更年期:特定と管理(Menopause: identification and management)」の改訂版を受け、50~59歳の乳がん発症リスクを比較しています。各リスクが、女性1,000人あたりどれだけ発生率に差を及ぼすかを分かりやすくグラフにまとめています。今後5年間で乳がんを発症する女性の推定人数の比較です。

HRTの使用や低用量ピルの使用はたしかに乳がんのリスクを上昇させますが、BMI30以上の肥満に比べればかなり小さいと言えるでしょう。飲酒がHRTよりもハイリスクであることも分かります。運動による乳がんリスクの減少率はHRTを上回るようにみえますから、「HRTでリスクがやや上昇するけれど運動でカバーする」という考えは理に適っています。
他方、HRTの危険性が気になる研究もあります。2019年に「The Lancet」に掲載された「閉経後HRTの種類・開始時期と乳がんリスク(Type and timing of menopausal hormone therapy and breast cancer risk: individual participant meta-analysis of the worldwide epidemiological evidence)」です。
調査対象は1992年1月1日から2018年1月1日までの期間中に公表されている情報源から抽出した、閉経後に乳がんを発症した108,647人です。このうち55,575人(51%)がHRTを使用した経験がありました。発症時の平均年齢は65歳で、膣錠以外のすべてのHRT(内服、貼付薬、ジェルなど)において、乳がんリスクの上昇が認められました。このリスクは使用期間が長くなるほど増加し、エストロゲン単独製剤よりも、エストロゲン・プロゲストゲン併用製剤の方がリスクが大きいことが分かりました。
「エストロゲン単独製剤よりも、エストロゲン・プロゲストゲン併用製剤の方が乳がんのリスクが大きい」と言われても、子宮がある女性がエストロゲン単独製剤を使うと子宮体癌のリスクが大きく増加します。よって、原則としてエストロゲン・プロゲストゲン併用製剤を使用すべきです。
冒頭で述べたコラムで紹介した米国FDAが2026年2月に公表したページでは、乳がんに関するリスクが、FDAが定める最重要警告「boxed warning」から削除されていますが、家族歴がある場合、肥満や飲酒など他の乳がんのリスクがある場合などには、HRTには慎重になった方がいいでしょう。
他方、血栓のリスクは内服を避けて貼付薬にすることで避けられそうです。そのあたりも含めて総合的な判断が必要になります。
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2026年10月1日 木曜日
2026年10月1日 米国、若年者の脳梗塞が急増。原因は大麻か
米国では、20歳から54歳の脳卒中発症率が、1993年から2020年の間にほぼ倍増していることが分かりました。医学誌「Neurology」2026年9月23日号に掲載された「若年者の脳卒中 集団ベースの研究における経時的な発生率、30日症例致命率、および危険因子(Stroke in the Young Incidence, 30-Day Case Fatality Rates, and Risk Factors Over Time in a Population-Based Study)」を紹介します。
この研究では、米国の5つの地域での20歳~54歳の脳卒中発症者を経時的に調べたデータが解析されています。対象期間は1993年~2020年です。この期間中に初回脳卒中発症例が2,076例特定されています。調査開始時の1993年から1994年においては、人口10万人・年あたり33.90人でしたが、2020年には62.18人と大幅に上昇していることが分かりました。
一方、高齢者では脳卒中発症率が低下していました(1993年から1994年は人口10万人・年あたり618.78件、2020年は453.04件)。
脳卒中には、脳梗塞、脳出血、くも膜下出血があります。このなかで増えているのが脳梗塞で、1993年から1994年の10万人・年あたり23.8人から、2020年には47.3人と約2倍に増加していました。他方、脳出血、くも膜下出血は減少しています(それぞれ27.5%→21.2%、27.9%→18.6%)。
もうひとつ興味深いのは、若年者の脳梗塞は大幅に増加しているものの、救命率は向上していることです。発症30日以内の致命率は、1993年から1994年が11.7%だったのに対し、2020年には9.4%へ減少しています。
では、なぜ若年者の脳梗塞が増えたのか。論文によると原因は4つ。高血圧、糖尿病、心房細動、薬物等の使用です。この論文を報道したCNNによると、具体的には、高血圧が原因の脳梗塞は47%→60%と増加、糖尿病は19%→26%、心房細動は1%→6%、薬物使用は5%→40%です。
最も大きく上昇しているのは薬物使用で8倍にもなります。CNNと同様、この論文を紹介しているHealth Dayは、薬物のなかでも「大麻による影響が最も大きい」としています。
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この論文だけで、「若者の大麻使用が増加 → 脳梗塞増加」と断定できるわけではありませんが、可能性は多いにあるでしょう。そして、日本でも若年者の大麻使用者が大幅に増えています。私の肌感覚で言えば、見つかっていないだけで、実際には確実に、しかも大きく増加しています。米国は(多くの地域で)大麻が合法であり、また違法の州であっても調査で大麻使用を認める人たちが多いのに対し、日本では大麻取締法の存在が大きいですから、使用者の多くはそれを隠し、調査では正直に答えません。
日本でもこれだけ大麻使用者が増えている現状に鑑みると、米国と同じように若年者の脳梗塞が増加していくのではないでしょうか。尚、オランダ、フランスにも若年者の脳梗塞が増加しているとする報告があります。
救命率が上昇したのは喜ばしいことですが、脳梗塞は何らかの後遺症を残すことが多く、若年時に発症するということは、残りの長い人生を障害を抱えて生きていかねばならないことを意味します。
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2026年10月1日 木曜日
2026年10月 認知機能低下が進む時、友人の傍での自殺は許されるか
あらかじめ予想していたことではあったのですが、1年前のマンスリーレポート「私が安楽死に反対するようになった理由(前編・後編)」で、安楽死に反対するという意見を公開したところ、反対意見が相次いで寄せられました。私が「反ワク」呼ばわりされて大量の誹謗中傷メールが届いた2021年の夏に比べれば比較にならないほど穏やかなのですが(尚、私は新型コロナワクチンに反対しているわけではなく、私自身は初回から毎年接種しています。「未知のワクチンには注意が必要」と述べただけなのですが、当時の世論は私を「反ワク」と糾弾しました)、「安楽死は本人が決めるものだ」「どのように死ぬかを決めるのは個人の自由だ」、あるいは「あんたは医者のくせに本当に苦しんでいる患者を知らないのか?」というややけんか腰のコメントもありました。
そのコラムでも述べたように、過去の私は、安楽死どころか「自殺の自由」も認められるべきだ、という考えをもっていました。その考えが変わったきっかけは「人間には生まれてこない自由はない」に気付いたことです。「生まれてこない自由がないのは自明なのだから、自殺する自由もなくて当然だろう」と考えるようになったのです。ただし「条件」をつけています。そのコラムでも述べたように、「自殺(安楽死)を希望していて、死んでほしくないと考える人が世界に一人もいないこと」という条件を満たすのであれば、自殺や安楽死が許されるのではないかという考えは今も持っています。
ただ、そのような人は実際に存在するでしょうか。私がその人の主治医であれば、私自身がその人に自殺や安楽死で生涯を終えてほしくありません。私以外にも、少なくともカトリック教徒の人たちがその人に関わっていればやはり自殺や安楽死に反対するでしょう。私自身はキリスト教徒ではありませんが、他者の殺人に手を貸すことはできませんし(安楽死は英語でeuthanasiaと呼び、これは専門用語というよりは日常的に使われる単語ですが、mercy killing、つまり「慈悲ある殺人」と呼ばれることもあります)、人為的に死を早める行為には賛成できません。
そういうわけで、自殺または安楽死を望んでいるという人に対して、私は「死は自然なものであるべきで、自ら終わらせる自由はないとする考えをどう思いますか」と聞いてみたいのですが、もしも、この人の認知機能が低下している場合はどうすればいいのでしょうか。現行の法律で安楽死が認められている国であっても「本人の意思」は必要です。認知機能が低下して意思が確認できないときは対象外となります。ですから、安楽死を希望するのなら認知機能が低下する前に意思を表明していなければなりません。
では、認知機能が日ごとに低下していくことを感じている人が、最低限の認知機能を保っているうちに終わらせたいと考えたときはどうすればいいのでしょうか。2026年4月にThe New York Timesに掲載された興味深い記事「あなたの傍で人生を終えてもいいですか?(May I End My Life With You?)」を取り上げて検討したいと思います。まずはこの記事(というかコラム)を簡単にまとめてみます。
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2023年12月中旬、Beth Mazurという名の中年女性が筆者(おそらく同世代の中年女性)の住むサンタフェにやってきました。筆者と夫のJohnは、ちょうど家の横に小さなゲストハウスを建てたばかりでBethを歓迎しました。筆者とBethが過去に会ったのはほんの数回、しかも短時間でした。Bethの滞在予定は5日間でしたが、その5日間が終わる頃には、Beth、筆者、Johnの3人はすっかり仲良くなり、筆者はクリスマスまでそのまま滞在するよう提案しました。Bethは猫のLao、犬のRooともすっかり仲良くなっていました。
Bethと筆者の出会いは12年前に遡ります。あるオンラインの患者グループがきっかけでした。Bethも筆者もME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)と呼ばれる難治性の慢性疾患に罹患していたのです。Bethはマサチューセッツ工科大学卒業でコンピュータの科学者、筆者は科学ジャーナリストという背景もあり、二人は気が合ったのかもしれません。BethはME/CFSの患者団体を設立し精力的に活動を広げ、筆者は科学ジャーナリストとしてME/CFSに関する記事や書籍を上梓していました。
Bethがゲストハウスに滞在している間、筆者はBethの痛みの部位をマッサージするようにしていました。同じ疾患に罹患しているわけですから、どの部位がどのように痛み、どのようなマッサージが効果的なのかがよく分かるのです。滞在中、Bethの様態が悪化したわけではなく、筆者と二人でスパに出掛けることもありました。
クリスマス直前の冬至の夜、3人で焚火を囲んで話し込みました。その翌朝、筆者のもとにBethからメールが届き、Bethの認知機能の検査結果が添付されていました。ある項目ではBethの成績は下位1パーセントタイル、つまり最下層に位置付けられていました。そのメールを読んでいるとき、FedExの配達員がドアをノックしました。Bethが注文したチョコレートでした。そして配達員が奇妙なことを口にしました。「あそこで誰かが横たわっているのを知っていますか?」
Bethは凍った小川のそばに横たわっていました。周囲には何かの残滓がこびりついた空のグラスが置かれていました。変わり果てたBethを見つけた直後、筆者に次のメッセージが届きました。その時間に送信されるよう設定されていたのです。
「どうかご自身を責めたり、心を痛めたりしないで。私にとって昨日の夜はこれ以上ないほど満ち足りた、かけがえのない最後のひとときだったの。RooもLaoもそばにいてくれて、一緒に寄り添い、優しさを紡いでくれたのよ(Please don’t feel bad in any way ? I cannot imagine a better last evening. Even Roo and Lao joined in the nurturing.)」
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筆者はBethの自殺を受け入れたのでしょうか。この点について記事でははっきりとは書かれていませんが、「彼女の選択に賛成か反対かに関わらず、それを受け入れ、彼女の死後に彼女が築いたコミュニティを大切にすることこそが、彼女への愛の形なのだ」と筆者は述べています。Bethの死を受け入れ、これからもBethへの「愛」を示し続けることを誓っているのです。
ですが、これをハッピーエンドと捉えていいのでしょうか。そして、死後Bethの気持ちを受け入れたからといって、自宅のすぐ近くで親友(と呼んでいいでしょう)が自殺を遂げたことは間違いなく、筆者及び夫のJohnの記憶から消えることはありません。筆者やJohnは、例えば「なぜあの夜Bethがゲストハウスで眠りについたことを確認しなかったのだろう」、あるいは「自分たちにBethのために何かできることがあったのではないだろうか」などといった自責の念に苦しむことはないでしょうか。
一方で、認知機能が落ちていくBethの気持ちも理解しなければなりません。Bethはあの夜、焚火の前で筆者に対し「もし自分の人生を終わらせてしまえば、愛する人たちをどれほど傷つけることになるかは分かっているつもり。でも、それじゃああたしはただ他人のために生きているだけ……」と述べています。
Bethは「愛する人たちを傷つけること」を選択しました。しかし、認知機能が落ちていく自分の姿に耐えることができず絶望していました。「それでも生きる」という選択は死ぬことよりも遥かに辛いはずです。そんな「死ぬことよりも遥かに辛いこと」に耐えなければならない人を目の前にしたときに「それでも死なないで」と言えるかどうか……。
安楽死の議論では、「激烈な痛みに耐えなければならないなら早く死にたいと考える患者の希望を聞くべきだ」という意見がでます。しかし、この問題はかなりの部分で「強力な鎮痛と鎮静」をかければ対処できます。単に痛みを取るだけではなく、強力な鎮静(heavy sedation)をかけて意識レベルを落とすのです。意識がなければ生きていることにはならないではないか、とする意見もありますが、目の前に横たわる大切な人が呼吸をして心臓が動いていて皮膚が暖かければ生きていることを実感できるという人も少なくないでしょう。
一方、「認知機能が衰えていく辛さ」に対しては、鎮痛も鎮静も効果がありません。大切な人がそのような状態になったとき「それでも私のためでもいいから生きていて!」と言う人もいるでしょうが、「あなたがそこまで言うなら先に逝ってらっしゃい」と考える人もいるかもしれません。その場合、安楽死は認められるべきでしょうか。私は現在安楽死にも自殺にも反対の立場ですが、この状況でも反対し続けるべきかについては結論が出せていません。
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2026年9月28日 月曜日
2026年9月28日 8年間の禁煙で認知症のリスク4割低下、タクシードライバーも低下
喫煙がアルツハイマー病を含む認知症のリスクになるのはあきらかですが、それが分かっていてもやめられないのがニコチン依存症の辛いところです。しかし、どれだけがんばればどれだけの効果を期待できるか、という目安があれば禁煙に取り組む気持ちになる人もいるのではないでしょうか。
興味深い論文を紹介しましょう。医学誌「Alzheimer’s Research & Therapy」に2026年6月29日に公開された「禁煙期間とアルツハイマー病のリスク:韓国における全国規模のコホート研究(Smoking cessation duration and risk of Alzheimer’s disease: a nationwide cohort study in Korea)」です。
この研究の対象者はデータベース「Korean National Health Insurance Service」に登録されている1,403,636人で、調査期間は2002~23年。2年ごとの定期健康診断で、喫煙状況が調査されています。「非喫煙者」「現在喫煙者」「継続的禁煙者」の3つのグループに分類し、アルツハイマー病との関係が調べられました。
平均10.5年の追跡期間中に、58,519人がアルツハイマー病を発症しました。禁煙が続いている人は、禁煙期間が長ければ長いほど、アルツハイマー病の発症リスクが低下していることが分かりました。
禁煙期間が2年未満であれば1割のリスク減少(調整ハザード比=aHR:0.899)、8年以上禁煙を続ければ40%以上のリスク低下(aHR:0.582)が認められました。
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禁煙以外にできることはないか、と考えている人は、まずは2024年の「はやりの病気」「『コレステロールは下げなくていい』」なんて誰が言った?」をご覧いただきたいのですが、ここではそれ以外のことを紹介しましょう。
それは職業です。タクシードライバーは脳の記憶を司る領域の海馬の体積が大きいことが分かっていて、「タクシードライバーになるための訓練中に海馬が実際に大きくなる」こともすでに示されています(興味がある方は、毎日メディカル「認知症リスクは努力で下げられる!老化進む山場は三つの年齢」を参照ください)。
ここでは、実際に、タクシードライバー(及び救急車のドライバー)のアルツハイマー病による死亡の割合が他の職種と比べて大幅に低いことを示した論文を紹介しましょう。2024年の「BMJ」に掲載された「タクシーおよび救急車のドライバーにおけるアルツハイマー病による死亡:集団ベースの横断研究(Alzheimer’s disease mortality among taxi and ambulance drivers: population based cross sectional study )」です。
下のグラフをみればあきらかのように、他の職業に比べてタクシー及び救急車のドライバーのアルツハイマー病による死亡の割合が際立って低いことがよく分かります。

研究の対象者は、米国のデータベース「National Vital Statistics System」に登録された8,972,221人。2020年1月1日から2022年12月31日に死亡した成人が443職種に分けて解析されました。対象者のなかでアルツハイマー病で死亡したのは全体の3.88%。タクシードラーバーは1.03%、救急車のドライバーは0.91%でした。年齢・性別・人種・学歴等で調整すると、全体では1.69%、タクシードラーバー1.03%、救急車のドライバー0.74%と、この2つの職業は大きくリスクが低下していることが分かりました。
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というわけで、認知症が気になる喫煙者は禁煙を考えてみるのがいいでしょう。認知症リスク低減のためだけに仕事を替える必要はありませんが、タクシー・救急車のドライバーでリスクが低いという事実は興味深いと言えるでしょう。先に紹介した「はやりの病気」で取り上げた「Lancet」が指摘するリスクも再度見直してみてください。
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2026年9月10日 木曜日
第277回(2026年9月) 睡眠時無呼吸、認知症のリスクも予想以上に深刻
「はやりの病気」の5月号と6月号は片頭痛の、7月号は低用量ピル(OC/LEP)の、8月号はアトピー性皮膚炎とじんましんの治療について、過去20年間で大きく変わったことを取り上げました。これらはいずれも治療法は大きく変わったものの、疾患の概念や特徴自体には変化がありません。他方、疾患そのものに対する認識や検査方法、診断方法が大きく変わった疾患もあります。今回取り上げる睡眠時無呼吸症候群(SAS=Sleep Apnea Syndrome)(以下、「睡眠時無呼吸」)もそのひとつです。
谷口医院を開院した2007年当時から睡眠時無呼吸の存在は知られていましたし、重症例にはCPAP(=Continuous Positive Airway Pressure=持続的陽圧呼吸療法)と呼ばれる、睡眠中に気道に空気を送り込む器械が使用されていました。気道が閉塞して空気が吸えないのだから圧力をかけて空気を肺に押し込めばいい、という単純な発想から生まれた器械です。決して軽いものでも小さいものでもなく持ち運ぶのは困難です。そのため出張が多い患者さんには不評で、特に海外渡航が多い人に説明すると嫌がられることも多々ありました。
ところが、いったん使用を開始すると、ぐっすり眠れるようになるだけではなく、日中の疲労感が大きく減少し、おまけに体重は減り、血圧が下がり、といいことばかりになり「こんなに優れたものならもっと早めに使っていればよかった」とコメントする人が少なくありません。
しかしながら、そうは言っても、診断にたどりつくのは一苦労で、当時は専門的に治療している医療機関で一泊入院してもらって検査を受けなければなりませんでしたし、器械の導入にはやはりそれなりの抵抗を感じる人が少なくありませんでした。
ここで、先に進む前に基本事項を補足しておきましょう。通常「睡眠時無呼吸」というと「閉塞性無呼吸」(OSA=Obstructive Sleep Apnea)のことを指します。これは単純に(例えば扁桃肥大や肥満、あるいは持って生まれた解剖学的な特徴のせいで)気道が閉塞し、睡眠時に空気が吸えなくなる状態です。他方、「中枢性無呼吸」(CSA=Central Sleep Apnea)という概念があります。例えば心不全や脳機能障害などの基礎疾患があって、その結果呼吸がうまくできない状態を指します。この場合もCPAPを使うことがありますが、空気ではなく酸素や薬剤を使うこともあります。もちろん基礎疾患の治療もしっかりおこなわねばなりません。頻度としては圧倒的に閉塞性無呼吸が多く、ここでの話も閉塞性無呼吸を前提として進めます。
もう1つ、念のため補足しておくと、CPAPで送り込むのは普通の空気です。ときどき酸素吸入と間違えている人がいますが、それはまた別の治療で、CPAPは単純に空気を送り込むだけの装置です。流入の圧も通常は一定です。APAP(=Auto CPAP)といって患者の状態に合わせて空気圧が変わるタイプのものもあり、少しずつ普及してきていますが、最初に試すべきは従来のCPAPです。
谷口医院では、以前は睡眠時無呼吸を疑った患者さん、あるいは自己申告があった患者さんに対しては入院して検査を受けられる病院を紹介していたのですが、2023年の移転時に、谷口医院で検査(ポリソムノグラフィー=PSG)(以下「PSG」)を実施し、CPAPも谷口医院で開始するようにしました。
「谷口医院で検査(PSG)」といっても、谷口医院に入院してもらうわけではありません。手続きをすると、CPAPのメーカーから患者さん宅にPSGを測定する器械が送られてきます。使用方法は極めて簡単で、説明を読みながら患者さんが自分自身で装着します。するとデータはメーカーから谷口医院に送られてきます。患者さんとしては、メーカーから器械が届くのを待つ → 器械を装着して一晩寝る → 器械をメーカーに返却する → 谷口医院を再診して結果を聞く、という流れになります。
PSGを受けると睡眠時無呼吸の状態が点数で評価されます。その指標をAHI(=Apnea–Hypopnea Index=無呼吸低呼吸指数)と呼びます。通常、クリニックでは簡易PSGをおこないますので、AHIの前にp(=portable)がつき、pAHIと呼びます。谷口医院で実施しているのは簡易PSGで、ここからは(AHIでなく)pAHIで話を進めます。
pAHIは数値が高いほど睡眠時無呼吸の重症性が高いことを示します。そして一定の数値を超えればCPAPの適応となります(保険適応になるという意味です)。この基準が最近変わりました。今年(2026年)の5月まではpAHIが40を超えなければCPAPが使えなかったのですが、これが30まで緩和されました。簡易検査をしてpAHIが30を超えればそれなりに重症の睡眠時無呼吸とみなされCPAPが使えるようになったのです。
ではCPAPが、例えば10程度なら問題がないのかというと、そういうわけではありません。29.9が正常でないのは分かるでしょうが、pAHIが10であっても、就寝時に空気がうまく吸えていない時間があるはずです。一応の基準としてはpAHIが5未満なら正常です。
では、pAHIの値が5から29.9のときはどうすればいいのでしょうか。結論からいえば、最もお勧めしたいのはマウスガード(マウスピース、ナイトガードとも呼びます)の利用です。歯科医院を受診してもらってオーダーメイドのマウスガードをつくってもらうのです。通常は保険診療の対象となります。歯科医院は自身で探してもいいですし、医療機関から紹介することもできます。
谷口医院の経験でいえば、このマウスガードの評価はすこぶる良好です。睡眠時無呼吸の状態が改善することがもちろん最大の理由ですが、意外なことに(よく考えると意外でもなんでもないのですが)一緒に寝ているパートナーからの評判がすごくいいのです。いびきが激減するからです。横に寝ているパートナーがいびきをかけば、それが仰臥位(仰向け)なら身体を横にすれば止むことが多いのですが、なかには体位に関係なくいびきをかくという人もいます。ですから、最近当院ではマウスガードに抵抗がある患者さんに「一緒に寝ているパートナーのためにもつくってみませんか」と助言することもあります。
医師が歯科領域の話をするのは越権行為かもしれませんが、私は個人的に大勢の患者さんにマウスガードを推薦しています。睡眠時無呼吸以外にも、歯ぎしりが気になる時、顎関節症がある場合などは特に強く勧めています。なにしろ使用するだけで熟睡できて、翌日の疲労感がなくなって、おまけにパートナーからも感謝されるのですから。
それに、睡眠時無呼吸の改善によるベネフィットは「翌日の疲労感解消」だけではありません。前半にも述べたように、肥満が解消され、血圧が下がり、血液検査のデータも軒並み改善します。さらに、最近は認知症のリスクが軽減することも分かってきました。2026年6月29日に医学誌「Alzheimer’s & Dementia」に掲載された論文「認知機能が正常な中年成人における、自己申告による閉塞性睡眠時無呼吸と認知機能および認知症リスクとの関連(Associations of self-reported obstructive sleep apnea with cognition and dementia risk in cognitively unimpaired middle-aged adults)」を紹介しましょう。
この研究の対象者は「Healthy Brain Project」と呼ばれる豪州のデータベースに登録されている2,795人。睡眠時無呼吸の有無と、認知症の最大の遺伝リスクであるApoEε4の有無との関係が分析されています。結果は驚くべきものです。

睡眠時無呼吸があるグループは、ないグループに比べ、記憶力が低下し、認知症リスクを評価するCAIDEスコアが高くなっていました。ただし、以前から「睡眠時無呼吸は認知症のリスクになるであろう」という指摘がありましたからここまでは予想できた結果です。驚くべきなのはApoEε4との関係です。睡眠時無呼吸があればε4の有無にかかわらずCAIDEスコアが高かったのに対し、ε4を持っていて睡眠時無呼吸がないグループではスコアが上がっていなかったのです。
このことだけを取り上げればApoEε4は認知症のリスクでないのでは?と思いたくなりますが、ε4がアルツハイマー型認知症のハイリスクであることはこれまで何度も実証されてきています。この研究が興味深いのは、ε4の有無よりも睡眠時無呼吸の有無の方が認知症のリスクになるという結果が出たことです。ということはε4をもつ人はそれを替えることはできないわけですが、睡眠時無呼吸を治療することにより、認知症のリスクを大きく軽減させることが期待できるわけです。
睡眠時無呼吸は検査をして初めて分かる疾患です。忙しい人や早く結果が知りたい人はPSGよりも先にwearable device(スマートリングなど)で調べてみてもいいかもしれません。2025年に耳鼻科系の医学誌「Oto Open」に掲載された論文「Oura Ringと医療用睡眠検査の比較:システマティックレビューおよびメタアナリシス(The Oura Ring Versus Medical-Grade Sleep Studies: A Systematic Review and Meta-Analysis)」によると、Oura RingはすでにPSGと同等の精度を誇ります。(p)AHI自体が計測できるわけではありませんが、医療機関で使用するPSGと同様の精度で、総睡眠時間、睡眠効率、中途覚醒時間、各睡眠段階(浅睡眠・深睡眠・REM)などが計測できるとされています。
いずれにしても気になる人はかかりつけ医に相談しましょう。
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2026年9月3日 木曜日
2026年9月3日 CTE(慢性外傷性脳症)をこれ以上無視すべきでない
このサイトで初めてCTE=慢性外傷性脳症(以下「CTE」)の危険性を報告したのは2015年です。サッカーやアメリカンフットボールの経験者はかなりの高確率でこの疾患を発症し、いずれ認知症や人格崩壊で人生が大きく狂うことになります。実例を含めた詳しい話は下記の「参考」を参照してほしいのですが、今回は「いったいどれくらいの確率でCTEを発症するのか」について新しい論文が出たので報告したいと思います。
その前に過去の「数字」についてみておきましょう。2017年のコラム「アメリカンフットボールの選手のほとんどがCTEに!」で紹介した医学誌JAMAに掲載された論文「アメリカンフットボール選手における慢性外傷性脳症の臨床病理学的評価(Clinicopathological Evaluation of Chronic Traumatic Encephalopathy in Players of American Football)」はCTEの有病率を次のように報告しています。
・元アメリカンフットボール選手202人のうち177人(87%)がCTE
・NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)の選手111人のうち110人(99%)がCTE
アメリカンフットボールに本格的に取り組めば9割近くがCTE、プロになれば99%がCTEというこの数字、あまりにも衝撃的ですが、この報告に対しては冷ややかな視線もあります。それは「調べられたほとんどの患者がCTEを疑う症状が出ていたのだから、高確率になるのは当然」とする意見です。
では、症状が出ていない人も含めて、どれくらいの人にCTEの脳の所見が認められるのでしょうか。それを検証した論文が医学誌「BMJ」2026年8月25日号に掲載されました。タイトルは「NFL選手における死亡時の慢性外傷性脳症(CTE)の有病率:2008~2021年の後ろ向き集団ベースコホート研究(Prevalence of chronic traumatic encephalopathy at death in National Football League players: retrospective population based cohort study, 2008-21)」です。
研究の対象とされたのは死亡したNFL選手1712人で、そのうち、338人(19.7%)の脳が解剖され、そのうち315名(93.2%)にCTEの診断が認められました。したがって、死亡したNFL選手1712名全体における死亡時のCTE有病率は、18.5%から98.7%の範囲ということになります。脳の提供が最も頻繁に行われた2016年から2021年の期間において、死亡時の推定有病率は24.5%から97.7%の範囲でした。結論として、「2016年から2021年の間に死亡したNFL選手の少なくとも4人に1人がCTEを発症していた」とされていす。
************
この論文を報じたメディア、例えばScienceは「少なくとも4人に1人がCTE」という表現を使っていますが、これはかなり控えめな報道です。実際は、18.5%から98.7%、または24.5%から97.7%の間ですから、「少なくとも4人に1人」という表現は間違ってはいませんが、もっと高確率に発症すると考えるべきでしょう。
一番いいのはCTEを生前に(死ぬ前に)診断することです。しかし血液検査でも画像検査でも現時点ではCTEを的確に評価する方法がありません。CTEの診断方法は「剖検(脳の死後解剖)」しかないのです。治療法として、アルツハイマー病に使う薬を用いる試みもあるようですが、奏功したという話は聞きません。予防法としては「はじめからコンタクトスポーツを避ける」とか「サッカーをやるならゴールキーパーにする」(ディフェンダーのCTE発症リスクが4.98倍なのに対し、ゴールキーパーは1.83倍。下記の医療ニュース参照)という対策を取るしかありません。
CTEのリスクを抱えてコンタクトスポーツに取り組むのなら問題はないでしょう。ですが、これだけリスクがはっきりしていてエビデンスもあるのに、それを(特に子供に)知らせずにこういったスポーツを奨励することが続けられていいのでしょうか。
参考:
はやりの病気第137回(2015年1月) 脳振盪の誤解~慢性外傷性脳症(CTE)の恐怖~
医療ニュース2016年10月14日 コンタクトスポーツ経験者の3割以上が慢性外傷性脳症
医療ニュース2017年3月6日 ヘディングは脳振盪さらに認知症のリスク
医療ニュース2017年8月30日 アメリカンフットボールの選手のほとんどがCTEに!
医療ニュース2019年11月23日 やはりサッカーも認知症のリスク
医療ニュース2020年8月17日「小児のヘディングは禁止すべきか」
医療ニュース2021年4月27日 たった一度の頭部外傷で認知症リスクが上昇
医療ニュース2021年12月22日 サッカーは直ちにやめるべきかもしれない
医療ニュース2023年4月23日 やはりサッカーは危険
医療ニュース2024年11月22日 アメリカンフットボール経験者の3分の1以上がCTEを自覚、そして自殺
毎日メディカル2025年3月31日 スポーツ界にとって「不都合な真実」? 日本では周知されない脳へのダメージ
日経メディカル2024年2月21日 コンタクトスポーツによる慢性外傷性脳症リスクの周知を!
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2026年9月3日 木曜日
2026年9月 薬剤師と分かちあえることはない、のか
2026年8月の日経新聞「私の履歴書」は、調剤薬局やドラッグストアを全国展開するアインホールディングスの代表取締役社長・大谷喜一氏でした。一代で大手チェーンを築き上げたサクセスストーリーで、家電店経営にまで乗り出し、企業買収を繰り返す姿はドラマティックだと言えるのかもしれません。著名な政治家や経済人、スポーツ選手も登場し、読み物としては世間から好評だったのではないかと思います。しかし私は、強烈な違和感を覚え続けました。
なぜか。最初はこの違和感は何だろう?と自分でも分からなかったのですが、毎日読み進めていくうちに気付きました。大谷氏は薬剤師ですが、医師の私からみて「同志」とか「仲間」とはどうしても思えないのです。
医療の醍醐味のひとつは多職種との「協働」です。視点は異なっても、目指すものはひとつ、すなわち「患者への貢献」です。このミッションを共有しているからこそ、議論には熱が生まれ、ときに「感動」すらあります。医師には医師の役割があり、看護師には看護師の役割があり、そして薬剤師には薬剤師の役割があります。多職種カンファレンスでは「そうか、そういう視点があるのか」と気づかされる瞬間が多く、医療は多様な職種があって初めて成り立つことを改めて実感できます。
薬剤師は薬のプロフェッショナルであり、医師が文献から得た知識以上の経験を持っています。例を挙げましょう。甲状腺手術で副甲状腺機能が失われた場合、患者は生涯にわたりカルシウム製剤を1日3回飲まねばなりません。研修医の頃の私は「飲み続ければ不足しないのだから問題ないだろう」と考えていました。しかしこの粉薬は非常に飲みにくく、生涯にわたり1日3回となれば誰でもくじけます。執刀医から「うまくいきましたよ」と言われても患者は納得できないわけです。しかし薬剤師はその辛さを理解し、どうすれば飲み続けられるかを助言してくれます。
私が以前タイのエイズ施設でボランティアをしていた頃、交通事故にあって(爆走したトラックにバイクの私が当て逃げされて)捻挫したことがありました。骨折はないだろうと自己判断して病院ではなく薬局に行きました。すると、まず捻挫した足を見てくれて、私が「日本では通常湿布を使う」と言うと、「タイでも同じだけどタイの湿布には薬草が入っている」といって、詳しく説明してくれました。私はタイ語が中途半端、その薬剤師は英語が中途半端だったため、完全にコミュニケーションが取れたわけではありませんが、私は薬剤師のスピリットのようなものを感じました。
その薬局は私がロッブリー県で宿泊していたゲストハウスの近くで、何かあれば、いえ何もなくてもときおり立ち寄るようになりました。驚いたのは地域住民が薬局、そして薬剤師を信頼していること、薬剤師と客の会話時間が長いこと、そして必ずしも薬を売ることを目的としていないように見えたこと、です。「患者さんのために」などという言葉は使い古された陳腐な表現で、こんなことを堂々と宣う医療者はたいてい偽善者ですが、その薬局の薬剤師は間違いなく患者に貢献することをミッションとしていました。その後、バンコクやチェンマイでも薬局を見つけると覗くようにしています。タイの薬局は店の前に「ยา」(日本語で発音すると「ヤー」)とたいていは緑色で書かれた看板が出ていますからすぐに分かります。私が訪れたほとんどの薬局では顧客が薬剤師を信頼していることがよく分かりました。
薬剤師がお金を稼いでいけないわけではありませんし、薬局も赤字にするわけにはいかないのも分かるのですが、儲かるからという理由で臨床検査に手を出し、家電製品にも食い込もうとし、他の薬局を買収し、東証プライムに上場を果たすことが薬剤師のあるべき姿だとは私にはどうしても思えないのです。そこには「患者に貢献する」というミッションはあるのでしょうか。もっとも、患者からみたときの利便性をよくする、あるいは待ち時間を短くする、さらには宅配サービスをする、といった取り組みは患者からも評価されるでしょう。ですが、上場企業になってしまえば、会社は株主のものとなり、株主が求めているのは一人ひとりの患者の健康ではなく己の利益でしょう。そうなると、薬局を訪れる患者から少しでも多くの利益を得たいという発想にならないでしょうか。
率直に言うと、私は薬剤師のいくらかをすでに信用していません。これまでもいろんなところで述べてきたように、危険性や副作用のリスクを説明することなく薬を売りまくっている薬剤師があまりにも多いからです。ブロムバレニル尿素は90年代の名作『完全自殺マニュアル』で「最もお勧めの自殺薬」として紹介されている成分です。しかし、例えばこの成分を含む「ナロンエース」を”愛用”している患者さんに「薬局ではどのような注意点を聞きましたか」と尋ねて、そのリスクを教えてもらったという答えが返ってきたことは谷口医院の20年の歴史のなかで一度もありません。
アリルイソプロピルアセチル尿素は依存性があり、広義の麻薬ともいえる鎮痛剤です。韓国の航空会社Air Premiaはウェブサイトに「麻薬成分を含む鎮痛剤の持ち込み禁止」として、イブA、バファリンプレミム、ロキソニンSプレミアム、新セデス、ノーシンピュアといった商品を名指しして、この成分を含む鎮痛薬の持ち込みを禁止しています。ここに挙げられている鎮痛薬を薬局で購入したという患者さんに「薬局でどのような注意点を聞きましたか」と尋ねると、やはりリスクを教えられたという人は皆無です。ほぼ全員が「そんな危険な成分が入っているなら初めから買わなかった」と言います。
こんなことが許されていいのでしょうか。ブロムバレニル尿素にしてもアリルイソプロピルアセチル尿素にしても、その危険性を知らない薬剤師はいないわけです(薬剤師免許を持っていれば)。(麻薬を”楽しむ”目的以外で)こんな薬を飲む薬剤師はいませんし、自分の大切な人に勧めることもないわけです。ブロムバレニル尿素やアリルイソプロピルアセチル尿素に依存してしまって人生を台無しにしている人も少なくありません。薬剤師はそれを知っているのです。知っているのにそのリスクを説明せずに販売を続け、良心の呵責に苛まれることはないのでしょうか。
谷口医院の患者さんのなかに、咳止め(コデインとエフェドリン)の依存症となり、仕事を辞めざるを得なくなり、今も依存症で苦しんでいる若い女性がいます。なぜ薬局は連続購入を阻止しなかったのでしょう。もしもこの女性が初めから”楽しむ”目的で購入していたのなら話は分かります。ですが、この女性の場合、知らない間に依存症となり、大切なものの多くを失ったのです……。
依存性の説明をせずに危険な薬を売りつけているのが大手薬局だとは言いませんが、利益を増やすことに集中しすぎるあまり営利主義になっている薬局はないでしょうか。同じ医療者としては、日本医師会倫理要綱第6条の「医業にあたって営利を目的としない」と同じように「薬業にあたって営利を目的としない」という気持ちを持ってもらいたいと思いますが、これは叶わぬ望みでしょうか。一応、旧薬剤師倫理規定第10条には「薬剤師は、その職務遂行にあたって、品位と信用を損なう行為、信義にもとる行為及び医薬品の誤用を招き濫用を助長する行為をしない」と書かれているのですが……。
稼ぎたいのでそんなこと言ってられない、というのなら、せめて稲盛和夫さんの名言「動機善なりや、私心なかりしか」を思い出してもらうことはできないでしょうか。そういえば私が稲盛さんのこの言葉を知ったのも、医学部の学生の頃、たしか「私の履歴書」だったはずです……。
参考:メディカルエッセイ第86回(2010年3月)「動機善なりや、私心なかりしか」
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2026年8月27日 木曜日
2026年8月27日 認知症、余暇の運動でリスク減少、仕事で身体を動かせばリスク増加
「運動していますか?」と尋ねると「仕事で身体を使うのでそれが運動になっています(だからそれ以上運動する必要はありません)」と答える患者さんは少なくありません。実際、ホワイトカラーからブルーカラーに転向し(最近増えています)、給料が上がり、減量に成功し、血糖値や中性脂肪の数値が下がり、精神状態も良くなったったという人はいます。ですが、どうやら全員がそうではなさそうです。
これは谷口医院でもしばしば経験することで、仕事で身体を使っているおかげで生活習慣病の数値はある改善したとしても、倦怠感が取れない、あるいはメンタルの状態が芳しくない人がいます。運動は生活習慣病の改善のみならず、中等症までのうつ病にも有効なはずなのですが……。
興味深い論文が発表されました。医学誌「The Lancet Public Health」2026年9月号に掲載された「領域別の身体活動レベルと認知症リスク:システマティック・レビューおよびメタ解析(Domain-specific physical activity levels and risk of dementia: a systematic review and meta-analysis)」です。
研究チームは、認知症やアルツハイマー病についての74件の研究に基づき、世界30カ国、計4,227,297人(女性52.8%、男性47.2%、年齢中央値67.3歳)のデータを分析しました。
結果、自発的な運動量(余暇の運動量)が多い人は、活動量が少ない人に比べて認知症のリスクが24%低いことが明らかになりました。また、家事に伴う身体活動では15%低下していました。一方、仕事中の身体活動量が多い人では認知症のリスクが20%高く、通勤に伴う身体活動では10%高いという結果が出ました。
自発的な運動量には「限界」もあります。用量反応解析では一定のレベルを超えると横ばいになります。

職業上の身体活動については、正の相関が認められました(身体活動量が多ければ多いほど認知症のリスクが上昇することが分かりました)

************
ここまではっきりとデータが出ると、仕事の内容を検討しなおした方がいいかもしれません。身体を使う仕事からはいろいろと学ぶことも多いわけで、一律に控えるのはよくありませんが(全員が控えれば社会が成り立たなくなります)、一定の期間に区切るとか、将来的にはホワイトカラーに転職する、などといったことも検討してもいいかもしれません。
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2026年8月23日 日曜日
2026年8月23日 GLP-1で仕事とパートナーを手に入れる
最近は医学論文のみならず一般の新聞雑誌でもリベルサス、オゼンピック、マンジャロといったGLP-1受容体作動薬及びGLP-1/GIP受容体作動薬(以下、単に「GLP-1」とします)の話題にあふれていて、関連記事を目にしない日はほぼありません。今回もGLP-1の話題です。「GLP-1で仕事がみつかり、新しいパートナーができる」という話をします。
米国のNBER(National Bureau of Economic Research=全米経済研究所)が2026年6月に公表したワーキングペーパー(研究途中の論文を公開したもの)を紹介します。タイトルは「GLP-1による減量及び女性が直面する肥満の不利益(GLP-1–INDUCED WEIGHT LOSS AND THE FEMALE OBESITY PENALTY)」です。
結論から言えば、「米国において肥満の女性は就職でも結婚市場でも不利を強いられていて、GLP-1を使って減量すればどちらも手に入りやすくなる」とするものです。NBERのこのレポートを解説した英紙The Economistはこれらを分かりやすいグラフにまとめています。


これらグラフをみればGLP-1による利点はあきらかです。研究は15,000人を対象とした「Understanding America Study」と呼ばれる長期調査のデータが用いられています。減量目的でGLP-1を開始した女性と、使用を希望しつつもまだ開始していない類似の属性を持つ女性とが比較されています。
それまで無職だった女性のうち、上のグラフが示すように、GLP-1を服用したグループでは就業率が27ポイント上昇しています。交際・結婚市場でも同様の結果がみられます。下のグラフが示すように、GLP-1を使用した独身女性が結婚したりパートナーと同居したりする確率は、使用しなかった女性と比べて29ポイントも高くなっています。
興味深いことに、すでに職に就いていた女性がGLP-1を開始しても、その後昇進したり収入が増えたりすることはなかったようです。尚、男性についてはこの研究では調べられていません。
************
女性がGLP-1を使ってやせれば、なぜ仕事もパートナーも見つかりやすくなるのでしょうか。糖尿病が治って健康になったから、やせて自信がついたから、なども考えられると思いますが、NBERは「obesity penalty(肥満ペナルティ)」という言葉を使ってこの理由を説明しています。
つまり、太っていること自体が就職市場においても恋愛市場においてもペナルティになっているということです。
それが正しいかどうかは別にして、The Economistも指摘しているように、米国ではすでにGLP-1の使用経験者が女性22%、男性14%に達しています。
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