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2013年6月13日 木曜日

2010年8月号 『GM~踊れドクター』は総合診療の醍醐味を伝えられるか

『GM~踊れドクター』というテレビドラマが先月(2010年7月)から始まりました。

 このドラマが始まることを聞いたときに私は大変驚いたのですが、その理由は「総合診療科が舞台になる」というものです。

 これまでも、医師が登場するドラマというのはいくつもあったと思いますが、登場人物は、外科医であったり、救急医であったり、あるいは精神科医や法医学者であったり、と、ある意味で”わかりやすい”設定となっていました。例えば、外科医が主人公なら難易度の高い手術を完璧にやりとげるスーパー外科医がドラマになりますし(代表が『ブラックジャック』でしょう)、救急医療の現場を舞台にすれば生死の間(はざま)を描いた臨場感あふれるシーンは視聴者をひきつけます(代表は『ER』でしょうか)。また、難解な事件に挑む刑事ドラマでは、精神科医や法医学者がキーパーソンになることはよくあります。

 一方、総合診療科医が日頃診ている患者というのは、診療所やクリニックであれば、複数の訴えがある患者や大病院に行く必要のない重症でない患者であり、大病院の場合は、どこに行ってもなかなか診断がつかない症例が中心になります。この場合、長時間に渡る問診と検査が中心になりますが、これでは見せ場もなくドラマになりません。総合診療科医の現場というのは、一言で言えば”ジミ”なのです。

 『GM~踊れドクター』の舞台は大病院の総合診療科です。主人公の後藤医師は、アメリカで活躍していた総合診療科医であり、他の医師に分からなかった難易度の高い症例に取り組み、最終的に正しい診断をつけて患者が回復する、というのが毎回のストーリーの展開です。

 これまでのストーリーを簡単に紹介しておくと、第1回は、神経内科の大御所ドクターが「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」と診断をつけた手足が動かず呼吸困難の男性患者を、ALSではなく「キアリ奇形Ⅰ型」という脳の外傷でおこる疾患であることを後藤医師が見抜きます。ALSに合わない症状を呈していることに注目し、そこからいくつかの別の疾患の可能性を考え、最終的に正しい診断に結びつけたのです。

 第2回は、意識障害で入退院を繰り返している若い女性に対し、「患者は水をよく飲む」「低い山ではなんともないのに高い山に登れば意識をなくす」、といったヒントなどから、「鎌状赤血球症」という病気にたどりつきます。

 第3回は、リンパ節腫脹、尿閉(尿がでなくなること)、神経障害などを呈している30代男性患者に対し、「蚊アレルギー」があることや「最近生まれて初めてのキスをしたこと」、「血球貪食症候群があること」、などからEBウイルス感染症、さらに、EBウイルス感染症のなかでも、大変稀(まれ)で難治性の「慢性活動性EBウイルス感染症」であることをつきとめます。

 私自身も、以前大学の総合診療科で外来を担当していたとき、「どこの科に行っても診断がつかない」という症例をいくつも経験しましたし、現在の太融寺町谷口医院の患者さんのなかにも「どこに行っても分からないと言われて・・・」と言って、多くの医療機関の検査データを持参して受診される人がいますから、<他の医療機関で分からなかった症例に取り組む>という医療行為は私にとっては馴染みの深いものです。(実際に正しく診断できるとは限りませんが・・・)

 そのような私の立場からこのドラマを見ても、「なかなか上手くできているなぁ・・・」というのが率直な感想です。これまでの3話とも、いくつもの偶然が実際にはあり得ないほどに重なっていて、現実はこんなふうに診断がつくなんてことはないだろう、とは思うのですが、それでも「なくはないかもしれない・・・」、とも感じられます。

 また、ドラマですから、正しい診断にたどりつくまでにヒントが小出しにしか出てこず、医師がみていてもストーリーの前半では病名がわからないように構成されていて、この点も「上手くできているなぁ・・」と感じます。例えば、先に紹介した第3回の話であれば、もしも「蚊アレルギー」と「血球貪食症候群」が初めからわかっていれば、おそらく医師の大半はドラマの前半で診断がつけられたでしょう。

 と思って調べてみると、このドラマの監修をされているのが千葉大学医学部附属病院総合診療科の生坂政臣教授でした。生坂教授は、総合診療をおこなう者であれば知らない者はいないこの世界で最も著名な医師のひとりです。

 なるほど、生坂先生が監修されているからこのような構成になっているのか・・・。改めてドラマを振り返ってみると、このように感じるシーンがこのドラマにはいくつかあります。

 まず、先にも述べたように、一般の人だけでなく、医師が見ていても、正しい診断名は最後の方にならないと分からないような構成にしていることです。

 次に、総合診療科医に対して、病院事務長が毎回のように言う「総合診療科は病院の赤字部門」というセリフです。実際、大病院の総合診療科の大半は利益がでず、そのために閉鎖に追い込まれているところもあります。(下記コラムも参照ください) 私の考え過ぎかもしれませんが、総合診療科は利益は出ないけれども日本の医療に必要なんですよ、ということを生坂先生は訴えたかったのではないでしょうか。

 もうひとつ、このドラマにでてくる総合診療科医がやる気のない医師ばかりの設定にしていることも興味深いと言えます。主人公の後藤医師でさえ、「本職は医師ではなくダンサー」と公言しますし、潔癖症で患者に触れることができません。他の医師は、ガッツのあるひとりの若い女性の研修医を除けば、問題を抱えた医師ばかりです。登場人物をこのような設定にしているのは生坂先生の”自虐的”とも言える謙虚さではないかと私には感じられます。

 さて、このドラマを見て、どれだけの人がおもしろいと感じているのでしょうか。私自身は、ドラマの医師たちと同じ総合診療科の医局に所属している医師ですから、「後藤医師よりも早く正しい診断にたどりついてやるぞ!」という気持ちでストーリーを追いかけているのですが、この<正しい診断にたどりつく>というのは、(不謹慎な言い方ですが)どこか推理小説を読むような楽しさがあります。複雑怪奇な凶悪事件の謎を解く刑事の醍醐味に似ているかもしれません。

 医師や医療従事者でない人も、そのように「犯人探し」や「トリック探し」に似た「正しい診断にいたる過程」を推理ドラマのような観点から見ることができれば、このドラマを楽しめるのではないかと思います。

 ところで、このドラマは医療ドラマでありながら<コメディ>でもあります。第1回をみたときの私の率直な感想は、「シリアスな総合診療のドラマにするか完全なコメディにするかどちらかにしてほしい、これは中途半端だ・・・」、というものでしたが、第2回、第3回と回を重ねるにつれて、コメディとしてもこのドラマを楽しめるようになってきました。

 ドラマの細かいところに笑えるシーンがいくつも登場するのですが、やはり何と言っても一番注目すべきは主人公の後藤医師でしょう。極度な潔癖症から患者には一切触れず、誰もいない部屋(医局)でひとりでムーンウォークをしながら症例について思いを巡らせ、診断がつくと突然「ファイアー!」と大声を出すのです。

 後藤医師を演じるのは、元少年隊の東山紀之さんなのですが、後藤医師の設定も、「自分に似ていると言われる東山紀之に憧れ、かつてアイドルグループ「アミー&ゴー」としてデビューし、『仮面ぶどう狩り』という歌を出したが・・・」、ということになっています。第1回の冒頭では、少年隊の『仮面舞踏会』のビデオクリップが使われていました。私と同世代の人にはたいへんなつかしく感じられたのではないでしょうか。

 それにしても、このドラマを見始めてから、私の頭から『仮面舞踏会』の旋律がこびりついて離れないのですが何とかならないでしょうか・・・。

参考:
メディカルエッセイ第76回(2009年5月) 「大学病院の総合診療科の危機 その1」
メディカルエッセイ第77回(2009年6月) 「大学病院の総合診療科の危機 その2」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2013年6月13日 木曜日

2010年7月号 学会参加で迷惑をかけてます・・・

以前のマンスリーレポート(2009年5月号 「学会に参加できないという苦痛」 )でお伝えしましたが、医師にとっての学会参加はというのは必要なものであり、また楽しみでもあるのですが、時間的な制約からなかなか思いどおりに参加することができません。

 しかし、学会の内容によってはどうしても参加しなければならない(あるいはどうしても参加したい)ものもあるわけで、その場合は、クリニックを休診とさせていただくことになります。6月の第4土曜、7月の第2金曜と土曜、と臨時の休診が集中してしまい、一部の患者さんには大変ご迷惑をおかけしています。

 今回は、最近私が参加した学会や研究会について簡単に報告しておきたいと思います。

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 6月10日は、第28回大阪プライマリケア研究会というものが大阪市立大学で開催され、私は「プライマリケア医が診る尋常性ざ瘡」というタイトルで演題を発表しました。

 尋常性ざ瘡というのはニキビのことです。太融寺町谷口医院にもニキビの患者さんはよく来られます。ニキビは生涯罹患率(一生の間に一度でもかかる割合)が9割以上とも言われている誰にでも起こりうる疾患であるのにもかかわらず、医療機関を受診する人はごく一部だと言われています。軽症だから受診しない、のであれば問題ありませんが、実際は、きちんと治療したいけどどこに行っていいかわからない、あるいは、ニキビだけで受診してもいいのかわからない、などと考えている人もいます。

 太融寺町谷口医院は、総合診療(プライマリケア)を実践しており、「どのような症状でもお話ください」というのを開院以来のモットーとしています。ですから、別の病気でかかっている人が「ニキビの相談もしていいですか・・・」といった感じで悩みを話される方が大勢いるのです。もちろん、ニキビを訴えて初診で受診する患者さんも少なくはありません。

 最初はニキビで受診しても、そのうち他の症状や疾患の相談をされる患者さんも多く、結果として、太融寺町谷口医院には、ニキビと花粉症、ニキビと不眠、ニキビと慢性の下痢、といった患者さんが多くなっています。あるいは、ニキビと水虫と慢性肝炎と繰り返す風邪と頭痛と・・・、といった数多い訴えのひとつがニキビというケースもあります。

 ニキビの治療については、以前、はやりの病気第75回 「ニキビの治療は変わったか」 で標準的治療法について紹介しましたのでここでは述べませんが、現在の治療は世界のどこへ行ってもさほど変わらず、ほぼ万国共通のガイドラインがあります。太融寺町谷口医院でも、基本的にはガイドラインに基づく治療をおこなっているのですが、今回の発表では、ピルを用いたニキビの治療や、日本未発売のスキンケア製品などについても触れました。

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 先月(6月)は、プライマリケア関連の大きな学術大会が東京で開催されました。マンスリーレポート2010年3月号 「大阪プライマリケア研究会の「世話人」として」 で述べましたが、プライマリケア関連の学会としてこれまで存在していた日本プライマリケア学会、日本家庭医療学会、日本総合診療医学会の3つの学会は、2010年4月1日付けで合併され「日本プライマリケア連合学会」という名前で生まれ変わりました。

 6月26日、27日に、その日本プライマリケア連合学会の第1回の学術大会が東京で開催されたのです。
 
 さすがに記念すべき第1回の学術大会ということで、全国からかなり大勢のプライマリケア医が集まったと思われます。会場は東京フォーラムというかなり広いところだったのですが、それでもシンポジウムや講演によっては椅子に座れずに立ち見がでるほどでしたし、ワークショップ(受講生を数十人程度の少人数に限定して実技なども加えた実践的な講義)は事前に申し込みが必要だったのですが、私が申し込もうとした日(5月中旬)にはすでにどのコースもいっぱいで締め切られていたような状態でした。

 参加者には学生も多く、将来プライマリケア医を目指す若い人が多いことを実感しました。学生が多く集まる学会というのはそれほど多くありません。例えば、私がよく行く学会を振り返ってみても、皮膚科関連の学会や一般内科関連の学会で学生を見かけることはほとんどありません。エイズ学会には学生が大勢いますが、この場合は、エイズ関連のボランティアをしている看護学生や医学部以外の学生がほとんどであって、将来エイズの診療に携わりたいと考えている医学部の学生が大勢参加しているわけではありません。

 一般に学会(学術大会)というのは、同じ時間にいくつものホールや会議室で様々なシンポジウムやセッションがおこなわれます。ですから、是非とも聞きにいきたいシンポジウムが同じ時間に重なるということもしばしばあり悩まされます。今回、私がこの学会に参加して感じたのは、人気のある(というか聴衆者の多い)シンポジウムはメンタル関係のものが多かったということです。これは、メンタル関係のシンポジウムに出演していた演者に著名な医師が多かったということもありますが、やはりプライマリケア医の多くが日頃メンタルケアに苦慮しているからではないかと思われます。(実際、私もそうです・・・) 今後、ますますプライマリケア医がメンタルヘルスに関わる機会が増えるというのはほとんどの医師が認識しているところです。

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 さて、これを書いているのは7月7日の早朝ですが、今晩診療を終えてから私は再び東京に行きます。明日(8日)から開催される産業医学講習会に参加するためです。太融寺町谷口医院は都心部に位置していることもあって、「働く人の病」を診ることが少なくなく、益々増えてきています。最近特に多いのが、働く人たちのメンタルヘルスに関わる問題です。先に述べたように、プライマリケア医としてメンタルヘルスに関わらなければならないのと同時に、私は産業医としてもメンタルヘルスに関わるべき立場にいます。今回の講習会は、新しい知識を吸収して診療能力を向上させることが目的です。

 東京は土曜日の夕方に発ちますが、大阪には直行せずに今度は大津に行きます。11日の日曜日に大津で「第26回日本臨床皮膚科医会近畿支部総会・学術大会」が開催されるためです。私自身は演題を発表するわけではないので、これも純粋に新しい知識を吸収し診療力を向上させることが目的です。

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 このように先月から学会や研究会、講習会などへの参加が相次ぎ、そのためクリニックを休診とさせていただいています。代診の医師を見つけることができればいいのですが、この医師不足のご時勢では、なかなかそういうわけにもいかないのが現状です。患者さんにはご迷惑をおかけしますが、何卒ご理解の程よろしくお願い申し上げます。

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2013年6月13日 木曜日

2010年6月号 「朝活ブーム」がブームでなくなる日はくるか

突然ですが、「日中(日本と中国)について語る若手として最も有名な日本人」、とは誰のことか分かるでしょうか。

 この「最も有名な日本人」は、若手政治家でもベンチャー企業を立ち上げた青年実業家でもなく、またスポーツ選手やタレントでもありません。日経新聞2010年4月10日に掲載された特集記事によりますと、この「最も有名な日本人」とは、加藤嘉一氏という北京大学の大学院生、年齢は25歳です。

 加藤氏は、大学院で国際関係論を学ぶ傍ら、中国の雑誌やネットに載せるコラムを書き、テレビに出演し、家の前で待つ記者の質問に答える日々を送っているそうです。昨年(2009年)の中国メディアからの取材は318回、コラムは200本、といいますから、「最も有名な日本人」と呼ばれても不思議ではありません。中国では「加藤現象」なる言葉も誕生しているそうです。

 加藤氏がどのような記事やコラムを書き、何を主張したいのかをここで紹介したいわけではありません。2ヶ月も前の新聞記事(これを書いているのは6月10日です)のことがずっと頭に残っているのは、加藤氏のライフスタイルに私が興味をもったからです。

 加藤氏は、夜10時に寝て朝4時に起きることを日課にしているそうです。加藤氏は記事やコラムを書くのも、テレビに出演しインタビューに答えるのもすべて中国語でおこなうそうですが、まだ25歳という若さで、読み書きだけでなく、あの難解な発音をマスターして中国語で議論しているわけですから、語学の勉強は相当おこなっているはずです。おそらく、勉強したり物を書いたりするのに朝が適していることに加藤氏は気づいているに違いありません。

 このコラムの2007年4月号 「働いている人は早朝の勉強を!」 で、私は朝早く起きて勉強をおこなうのがどれだけ効率がいいか、ということを述べました。朝の勉強は、単に集中できて効率がいい、というだけの話ではありません。ウソのような”利益”もある、ということをそのコラムでは紹介しました。

 しかし、このコラムの評判はそれほどよくなかったようで、私のところには医学部受験や他の受験勉強をしている人からよくメールをいただくのですが、「勉強がんばっています」という内容のものは多いものの、「早朝から勉強するようにしました」というメッセージはほとんどありません。

 私は今も朝5時の起床を続けており、仕事や勉強は集中して早朝におこなっているのですが、そんななか、中国在住の加藤氏が朝4時に起きている、という記事を読んで少し嬉しくなったのです。(「勉強している」とは新聞記事には書かれてないので私の想像と実際は異なるかもしれませんが・・・)

 さて、早朝から勉強や仕事をおこなうのはかなりの少数派だろうと思っていたのですが、最近になり、早朝から活動している人が増えている、というマスコミの報道をしばしば目にするようになりました。

 最近は、フィットネスクラブや英会話教室などにも朝から通う人が増えてきているそうです。早朝に勉強というのも流行ってきているようで、東京には「丸の内朝大学」が、大阪には「西梅田朝大学」というものができていて、どちらも人気があるそうです。講座の内容も、「伝統学部」「環境学部」「コミュニケーション学部」といったかなり本格的な学問もあれば、「心体学部」「美人学部」といった美容に重点を置いたようなものまで様々なことを学べるようです。

 また、早朝から会社に出勤して、就業時間の前までにメールやFAXをチェックし返信を済ませておくことを日課にしている社員も増えてきているそうです。就業時間の前に出社して仕事をしても残業代はおそらくつかないでしょうから、早朝から出社している人たちは残業代以上の利点があることに気付いたに違いありません。

 このように朝から活動を開始することを「朝活」と呼ぶそうです。なんでも、最近では「朝活」をすすめる自己啓発書のようなものも発刊されているそうで、こうなれば「朝活ブーム」と呼ぶべきかもしれません。

 改めて「朝活」のメリットを考えてみると、通勤電車がすいている、朝は仕事の能率がよい(これには夜型の人からの反論もあるでしょうが、朝は夜に比べるとオフィスが静かで電話が鳴らないのは事実です)、他の社員が出社したときには自分はある程度の仕事が済んでいてスタートダッシュに成功している、などが挙げられます。

 デメリットは・・・、特に思いつきません。しいて言えば、深夜番組が見られないことでしょうか。しかしこれはビデオをセットしておけば済むことですし、他に夜間でなければできないことというのはそう多くはないでしょう。(深夜に小さな子供に起こされることがある、深夜帰宅する娘を叱るために起きて待っている、とか、終日介護が必要な親と同居していて深夜に起きていなければならない、ということはあるかもしれませんが・・・)

 「朝活」に難点があるとすれば、デメリットがあることではなく、「メリットは分かるんだけど実行するのはちょっとしんどそうで・・・」、という思いではないでしょうか。

 しかし、この点は大丈夫です。実は、私は元々朝が起きられなくて、高校生の頃はよく遅刻をしていましたし、大学の1時間目というのは初めから諦めてできるだけ2時間目以降のクラスを選択するようにしていたくらいです。

 会社に就職した1991年、22歳のとき、英語の勉強時間をなんとしても捻出できなければ永遠に仕事ができない、と追い込まれて初めて私は朝5時起床を始めました。最初の数日はかなりつらかったのですが、それでも「私には早朝勉強法しかない」と自分を追い込むことで続けてみました。すると、しばらくして、「こんなにも効率がいいものなのか・・・」ということに気付いたわけです。つまり、【「朝活」のメリット>>早朝起床のつらさ】、ということに私は気付いたのです。もちろん、いろんな生活方法があるべきで、他人から強制されるようなものではありませんから、私としては「朝活」を他人に押し付けるつもりはありませんが、一度試してみて「朝活」のメリットを体験することは悪くないと思います。

 「朝活」はしんどいが故に長続きしないのでは・・・、このように考える人もいるでしょう。たしかに、何かのきっかけで(深夜まで続いた宴会とか、新しい恋人ができて夜中までの電話が日課になったとか、悩み事ができて朝まで眠れなくなったとか・・・)、「朝活」があっけなく終わってしまうこともあります。

 けれども、「朝活」は何度でもやり直せるのです。禁煙の経験がある人ならわかると思いますが、吸いたくて吸いたくて理性を失いそうになるあの苦しさなどに比べると、「朝活」を続けるしんどさなどささいなものです。禁煙は一度失敗すると、次に開始するときまでにある程度時間を置くのが普通ですが、「朝活」は失敗してもまた翌日から開始することができます。そして、「朝活」によって何かが達成できると、それが励みになり、気がつけば「朝活」をしないことがなんだかとても”損”をするような感覚になります。

 ですから、「朝活」はごく気軽に始めてもかまわないのです。明日失敗すれば、またあさってから始めればいいのです。実は、「朝活」を始めるのは、日の出時間が早くて寒くないこの季節が最適です。同じ「朝活」でも冬はしんどさが倍増します。

 さあ、あなたも早速明日からいかがでしょう。まずはあなた自身のなかで「朝活ブーム」を起こしてみませんか・・・。

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2013年6月13日 木曜日

2010年5月号 ドラッカーはどこまで社会に浸透するか

ピーター・ドラッカーが大変なブームになっています。

 ドラッカーが書いた古い書物が売れており、ドラッカーの解説本も次々と出版されているようです。『週間ダイヤモンド』は4月17日号で、丸々1冊をドラッカーの特集としました。

 このように”バブル”とも言えるドラッカーのムーブメントが巻き起こったのは、おそらく昨年(2009年)末に発刊となった『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』がきっかけだと思われます。

 この本は、発売から半年足らずですでに51万部を突破しており、驚異的なベストセラーとなっています。しかし、私はこの本のことを初めて知ったとき、「こんな本、きっと売れないだろう・・・」と感じていました。

 そもそも、高校の野球部のマネージャーがドラッカーの書物を手にすることが不自然ですし、たとえ手に取ったとしても、難解なドラッカーを読みこなすことなど考えられません。しかも、ストーリーは、ドラッカーを読んだマネージャーが野球部を甲子園に連れて行く、というではないですか・・・。こんな現実離れした物語にいったい誰が興味を示すのだろう、私はそのように感じました。さらに、表紙の絵が子供向きというか、最近はこういうのが流行りなのかもしれませんが、あまり手に取る気のしないものだったので(もっともこれは好みの問題ですが・・・)、まあ、ともかくこの本はミーハーな人たちが読むようなもので、私には縁がないだろうと思っていました。

 ところがところが、私の予想に反して、『もし高校野球の・・・』(以下『もしドラ』)は驚異的なスピードで売上を伸ばしています。多くの週刊誌やビジネス雑誌が『もしドラ』を取り上げるようになり、インターネットでも話題となり、ついにドラッカーの難解な本までもが書店に平積みされるようになりました。

 しかし、決して易しくはないピーター・ドラッカーはどこまで社会に受け入れられているのでしょうか。

 私が初めてピーター・ドラッカーの著作を読んだのは、まだ社会学部の学生だった頃、1980年代でした。ドラッカーは今では「経営学者」という肩書きがつくことが多いですが、当時は「社会学者」、あるいは「未来学者」と言われることの方が多かったように記憶しています。

 私にとって最もインパクトがあったのは、(どの本に書かれていたかは覚えていませんが)、「知識労働」という言葉で、従来の大量生産の時代は終わり、知識集約型の産業が中心となる、という説明がなされていました。実際その後の約20年間でドラッカーの予言(?)どおりの社会になっていると言えるかもしれません。

 このようなことを書くと、私自身がさんざんドラッカーを読みこなしているように聞こえてしまいますが、私個人の経験を言えば、ドラッカーは大変読みにくく難解で、著書のタイトルには興味をひかれるのですが、内容は理解できるところがあまり多くないものでした。「ドラッカーの本はきっと何度も読み返して初めて有用なんだ」と考えて、いずれ繰り返し読むことを誓うのですが、結局どの本も1~2度読んだだけ、ひどいときは3分の1くらい読んでそのままほったらかしにしているものもあります。

 ですから、『もしドラ』のように、高校生がドラッカーを読みこなし、それを応用し弱小野球部を甲子園に連れて行くなどと言われても、「そんなことあり得ない!」と考えてしまうのです。

 しかしながら、ドラッカーの書物は難解なことには変わりないのですが、気合いを入れて1行1行読んでいけば、まったく読めないこともないと言えます。例えば、ヘーゲルやマルクス、あるいはマックス・ウエーバーやミシェル・フーコーといった古典的な哲学者・社会学者の書物は、1ページを読むのに1時間かかり、3ページ目で挫折・・・、ということが多いのですが(この手の書物の読解ができないことで私は「能力の限界」を感じています)、ドラッカーの場合は、1行1行は集中して読めば理解できなくもないのです。また、抽象的な言葉の後には例となるエピソードが紹介されていることも多く、このあたりは読者に親切なように感じます。さらに、日本語訳が大変丁寧で工夫されているのもドラッカーの日本語版の特徴といえるでしょう。

 さてさて、『もしドラ』なんて売れるはずがないし自分は興味が持てない、と私は考えていたわけですが、インターネットや各雑誌での書評を読むと、軒並み評判がいいことが気になりだしました。驚異的な売上を記録し、各界の評論家がそろって高得点をつけているのです。先月末、東京で開催されるある研究会に参加することになっていた私は、ついに『もしドラ』を購入し、新幹線のなかで読み始めました。

 感想は・・・、正直言って驚きました。物語の出だしの部分は、「描写の表現が少し物足りないなぁ」とか「高校生が本屋でドラッカーを勧められることなんてないだろう」とか感じながら読んでいたのですが、途中から物語に引き込まれ一気に最後まで読んでしまいました。

 読み始める前は「あり得ない」と感じていたストーリーも面白く読めましたし、随所でドラッカーの名言が引き合いに出されているところが大変興味深いと感じました。難解なドラッカーの理論が、上手く引き出され分かりやすく紹介されているのです。

 私が最も印象に残ったのは、野球部にとって「顧客」とは誰か、というテーマに主人公の女子高生が思いを巡らせるところです。「顧客」は、最終的には野球部以外の生徒や地域社会にも及び、さらに野球部のメンバー自身も含まれる、という結論に到達します。

 野球部の各部員だけでなく、複数のマネージャー、監督、他のクラブ活動の部員、地域社会などが見事に協力し合い、最後は見事に目標を達成し、全員が(そして読者も!)感動します。個人そして組織のそれぞれが長所を上手くいかし、他の個人や組織と協調し新たなものを生み出していきます。いくつかのシーンは身体がゾクゾクする程の読み応えがあります。

 もし高校野球の女子マネージャーだけでなく、世界の人々全員がドラッカーの「マネジメント」を読んだら・・・。きっと誰もが幸せな世界が待っていることでしょう。当初の思惑とは異なり、すっかり『もしドラ』に夢中になってしまった私は、改めてドラッカーの書物を手にとってみました。ほこりがかぶったドラッカーの作品を何冊かとりだし、以前中途半端なところで読むのを止めていた『非営利組織の経営』をまずは再読することにしました。

 どうやらミーハーなのは私だったようです・・・。

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2013年6月13日 木曜日

2010年4月号 もしもあのとき目が覚めなかったら…

最近の新聞報道をみていると、景気が回復し各国とも株価が上昇・・・、のような記事が目立つようになってきていますが、実感として景気が回復したと思える人はそう多くはないのではないでしょうか。

 太融寺町谷口医院を受診する患者さんのなかにも、「仕事が見つからなくて保険証がない状態が続いています・・・」という人がいますし、自営業をしている人などは、「仕事が激減して従業員に給料が払えるかどうかが心配で・・・」、という人もいます。この人は2年前には、「仕事が多すぎてまったく休めない」と愚痴をこぼしていましたから景気というのは怖いものです。

 患者さんだけではありません。私の友人や知人のなかにも、優秀な能力をもっているのに仕事を得ることができない人たちがいます。「選ばなければ仕事などいくらでもある」という意見もありますが、若いうちやあるいはリタイア後ならまだしも、私と同年代の40代前半くらいになると「仕事なら何でも・・・」というわけにはいかないのです。完璧な理想の仕事などあるはずがないにしても、それでもある程度の将来性ややりがいのようなものがなければ残りの人生の見通しが立たないのです。

 最近私がよく見る夢があります。実際に体験した過去のあるシーンなのですが、繰り返し繰り返し夢にでてくるのです。このシーンは拙書で紹介していますので少し引用してみたいと思います。

 (前略)おかしいなと思いながらも、間違っているはずがないので、たまたま自分に有利な問題が集まったのかなと思って少し眠ることにしました。しかし、勉強の神様が寝ている私に訴えかけたのでしょうか、もう一度だけ見直さなければならないような気がして、試験終了10分前に目を覚ましました。
 そして最後の見直しを始めた瞬間、背筋が凍りつくような感覚に襲われたのです。
 なんと、私は経済学部や法学部など文科系受験者用の問題を解いていたのです。(エール出版社『偏差値40からの医学部再受験』より)

 医学部受験の数学の試験のとき、わずか20分程度で全問を解いた私は他にすることもないので眠ることにしました。そして試験終了直前で目覚め、私が解いていたのは、医学部受験用の問題ではなく、文科系の問題だったことに気づいたのです。大阪市立大学は総合大学のため、入試用の数学の問題が全学部で1冊になっていたのです。

 試験終了直前に目覚めて必死で残りの問題を解き始める・・・、いつも夢にでてくるのはこのシーンです。

 もしも1996年2月のあの日あの時、試験終了のチャイムが鳴るまで私が目覚めていなかったとしたら、間違いなく不合格となっており、今頃はまったく別の人生を歩んでいたに違いありません。

 医学部入学をあきらめ他の仕事についているのでしょうか。それともアルバイトをしながら何か勉強をしているのでしょうか。あるいは、アルバイトすらもなく、ネットカフェ難民やホームレスになっているかもしれません・・・。

 試験中にケアレスミスに気づくかどうかでその後の人生が大きく変わってしまうのです。ケアレスミスをしないのも実力のうち・・・、と言われるかもしれませんが、私は自分自身がこのような経験をしていることもあって、「実力」という一言では片付けられないように感じています。

 もしかすると、あの日あの時、私と同じように文科系の問題を解いてしまい、試験終了まで気づかなかった受験生があの教室にいたかもしれません。あるいは、私がしたのとはまた別のケアレスミスが原因で、実力があったのにもかかわらず不幸にも不合格となった受験生もいたことでしょう。

 試験とは、ほんのささいなミスで結果が大きく異なり、場合によってはその後の人生がまったく別のものになってしまうものであり、私には「真の実力を測るもの」というよりもむしろ「運だめし」のように思えます。

 幸なことに現在の私は、労働時間こそ長いものの、それ以外は恵まれた生活をしていると言っていいでしょう。16年落ちの国産中古で購入価格が45万円、とはいえ一応自家用車を持っていますし、数千円もする専門書はなかなか手が出ませんが、1冊千円以下の文庫本や新書は躊躇せずに購入しています。あの日あの時、もしも目覚めていなかったらこのような生活は夢のまた夢だったかもしれないのです。

 最近、作家の渡辺淳一さんが週刊誌のなかで興味深いコラムを書かれていました。「東大合格者記事に?」というタイトルで、東大合格者の出身高校とそのランキング、さらに合格者のインタビューまで載せている週刊誌に苦言を呈しておられます。少し引用してみましょう。

 とにかく、この種の記事は多くの人に差別感を与えるだけである。
 まず、大学にすすんでいない人は、大きな不快感を覚えるに違いない。さらに、「大学を出ていない俺は駄目だ、東大を出た奴には勝てない」と自己否定をしかねない。
(中略。そして、東大に行った者が)そのまま官僚などになったら、それこそプライドのみ高い、世間知らずの人間になるだけだろう。(週刊新潮2010年4月8日号より)

 まったくその通りだと思います。
 
 医学部も含めて一般に難関と言われている試験に合格するためにはもちろん「実力」が必要です。しかし、それだけでは合格できません。まず周囲の理解が必要です(両親が大学受験に反対していればまず無理です)。次に、ある程度のお金が必要です(国公立ならそれほどいりませんが家が借金まみれであればむつかしいでしょう)。さらに受験までに何らかの「縁」があったはずです(例えば私の場合、元々社会学部の大学院を目指していましたが、いくつかの社会学関連の書物をきっかけに生命科学に興味が芽生え、そこから医学部を考えるようになり、当時お世話になっていた社会学部の教授に理解をいただきました)。そして、ケアレスミスをしない、あるいはミスをしたとしてもすぐに(目が覚めて!)気づく「運」が必要なのです。
 
 「実力」以外に、「周囲の理解」「お金」「縁」「運」、この5つがそろって初めて試験に合格できるわけです。このように考えることができれば、東大に合格した受験生も「プライドのみ高い、世間知らずの人間」にはなりにくいのではないでしょうか。

 しかし世の中の現実は、偏差値が高い生徒には東大や医学部など難関大学を目指すようなプレッシャーが与えられ、合格者は週刊誌に名前が載せられ、その週刊誌を学校の先生や親が見せびらかす・・・。こうなれば若い合格者は”勘違い”してしまって、優秀な人間には絶対に必要であるはずの謙虚さを忘れてしまうのも無理もないのかもしれません。

 今になり、あの日あの時のシーンが頻繁に夢に出てくるようになった私は、勉強の神様から「謙虚さを忘れるなよ!」というメッセージを与えられているのかもしれません・・・。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2013年6月13日 木曜日

2010年3月号 大阪プライマリケア研究会の「世話人」として

私は現在、医療法人太融寺町谷口医院の院長であると同時に、大阪市立大学医学部附属病院総合診療センターの非常勤講師という立場でもあります。その大学医学部附属病院総合診療センターが中心となって運営している研究会に「大阪プライマリケア研究会」というものがあります。

 同研究会の代表は、総合診療センター教授の廣橋一裕教授がつとめられているのですが、2月中旬、教授から私に、同研究会の世話人になるように、とのご連絡をいただきました。同研究会に対して私が貢献できることなど微々たるものではあるが、できる限りのことをさせていただこう・・・。そのように考えた私は、この「世話人」という役職を引き受けることにしました。

 「世話人」といってももちろん私だけではありません。私などよりはるかに立派な先生方が名を連ねており、私は一番下っ端の立場であります。当分の間、先輩の先生方のお手伝いをさせていただくのが私の使命だと考えています。

 さて、プライマリケアについてはこのサイトでも何度も紹介していますが、最近の医学界におけるプライマリケア医の動向をここでまとめておきたいと思います。

 まず、プライマリケア関連の大きな学会が4月1日に誕生します。この学会は「日本プライマリケア連合学会」といいます。「連合」という名前が付いているのは、既存の3つの学会が言わば”合併”することになるからです。既存の3つの学会とは、日本プライマリケア学会、日本家庭医療学会、日本総合診療医学会です。

 これら3つの学会は、少しずつ”違い”はあるものの、総じて言えばプライマリケア医の知識と技術を向上させることを目的としています。医学界全体でみると、3つの学会はいずれも小さな学会ではありませんが巨大というわけでもありません。ならば、合併した方が会員にとっては有益なことが多いと思われます。例えば、学術大会を大きくすることによって発表のレベルが高くなったり、海外から著明な講師を招待しやすくなったり、といった利点が考えられます。

 私個人としては3つの学会が合併することには賛成です。これまでは3つそれぞれの学会に入っていて、どの学会の学術大会に参加すべきか悩まされていましたが(3つとも参加できるような時間的余裕はありません)、これからは連合学会の年に一度の学術大会に参加できるようにスケジュールを調節したいと考えています。(実際は、クリニックの都合で参加できなくなる可能性もありますが・・・)

 私と同様、多くのプライマリケア医が3つの合併に賛成の立場かというとそういうわけでもありません。一部にはこの合併に対して反対する意見もあります。

 2月5日から6日にかけて、「日本病院総合診療医学会」の第1回総会が福岡市で開催されました。この学会は、日本総合診療医学会が日本プライマリケア連合学会に合流することに反対した大学総合診療部の責任者が中心となって設立したものです。

 なぜ「日本病院総合診療医学会」を設立した医師たちは「連合学会」に賛同しなかったのかというと、おそらく連合学会が開業医や地域で働く「家庭医」の育成を主たる目的としているのに対し、日本病院総合診療医学会はあくまでも大学病院など大きな病院での総合診療を目指しているからではないかと思われます。

 以前、このサイトの「メディカルエッセイ」(下記注参照)で、大学病院の総合診療科が縮小方向にあるというお話をしましたが、この傾向は現在も続いています。大学病院の総合診療科には、患者さんがそれほど多く集まらないのです。(この理由については下記「メディカルエッセイ」を参照ください) 一方、中小の民間病院や診療所・クリニックには総合診療のできる医師(プライマリケア医)が必要です。これは、大学病院のような高次病院は専門医療を担う場所であって、小さな医療機関は幅広く多くの症状・疾患に対応できなければならないからです。

 しかしながら、大学病院の総合診療科のメリットもあります。このメリットは患者さんからみたときよりも、総合診療(プライマリケア)を学ぶ医師の側からみたときのものが大きいと言えます。大学病院だからできる検査や治療もありますし、大学病院でおこなうカンファレンスだからこそ幅広い学術的な観点から議論ができる、というようなこともあります。

 私がクリニックを開業する前は、大学の総合診療科で週に1回(毎週水曜日)外来を担当し、それ以外の日は、週に1~2回ほど大学の総合診療科の他の先輩医師の外来を見学させてもらっていました。そして、それ以外の日には、大学には行かずに、他の診療所や病院に出向いて研修を受けたり、見学をさせてもらったりしていました。このような勉強の仕方をとると、クリニックから大学病院まで様々な医療現場を体験することができ、そして多くの科の勉強をおこなうことができます。

 私の場合、例えば、月曜日は産婦人科の見学、火曜日は地域の診療所で小児科・内科の外来担当、水曜日に大学病院総合診療科の外来担当、木曜日は中小病院で皮膚科の外来、金曜日は整形外科クリニックで研修、土日は中規模病院の救急外来・・・、と、このような感じでクリニックから大学病院まで、そして各科の勉強をおこなっていました。見学や研修というのは基本的には無給ですから、経済的にはかなり大変ですし、自由時間はほとんどありませんが、結果として私はこのような体験をして本当によかったと思っています。

 さて、「大阪プライマリケア研究会」に話を戻したいと思います。私はこの研究会に世話人として、これから若い医師たちにプライマリケアの醍醐味を伝えていきたいと考えています。そして、勉強・研修の仕方としては、地域のクリニックで学ぶことのできる家庭医療に力を入れたプライマリケアと、大学病院など高次医療機関で学ぶことのできるプライマリケアの両方を勉強してもらいたいと考えています。

 大阪プライマリケア研究会は、大阪市立大学医学部附属病院が中心になっているわけですから、大学病院の総合診療を学ぶことができます。また、同研究会には地域の開業医の先生方や市中病院で活躍されている先生方も参加されており、家庭医療に重きを置いたプライマリケアの勉強もおこなうことができます。

 同研究会は、今年から年に3回開催される予定です。研究会を充実させていくためには、まず多くの医師、特に若い医師の参加が不可欠です。そして、数多くの優れた発表の場としなければなりません。
 
 6月に次回の研究会が開催されるので、そのときに何か発表できるように私も準備を開始するつもりです。まだ白紙の状態ですが、太融寺町谷口医院に特色のある内容にできればと考えています。太融寺町谷口医院は大阪市北区の繁華街という都心に位置しており、プライマリケアを実践していますから、働き盛りの若い患者さんが多く、症状や疾患も、例えば住宅街や農村地区のものとは大きく異なります。都心のプライマリケアとして特徴的な内容を発表することを考えています。

 そして、研究会を充実させるには多くの若い医師の参加が必要です。これを読まれている関西地区の医師の方がおられましたら参加を検討いただければと思います。

注:プライマリケアは「プライマリ・ケア」と表記されることも多いのですが、ここではすべて「プライマリケア」で統一しています。

参考:
メディカルエッセイ第76回(2009年5月号)「大学病院の総合診療科の危機その1」
メディカルエッセイ第77回(2009年6月号)「大学病院の総合診療科の危機その2」

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2013年6月13日 木曜日

2010年2月号 強いられる勉強と本来の勉強

1月はセンター試験が実施されることもあって、私の元には年末あたりから受験の相談のメールが多数寄せられています。

 以前にも述べましたが、不景気になると「資格をとりたい」と考える人が増えるからなのか、社会の「勉強熱」が上昇してくるように感じています。ちょうど1年前のこのコラム(マンスリーレポート2009年2月号「”不況”を感じる2つの兆候」)で、2008年10月頃から、じわじわと医学部受験の相談数が増えてきていることをお話しましたが、その傾向は今も続いています。

 最近送られてくるメールの特徴としては、医学部受験以外の勉強をしている方からの相談が増えています。例えば、税理士や会計士といった資格をとるための勉強をしているという人、公務員試験や教員試験を考えているという人、子供の高校(あるいは中学)受験について相談にのってほしいという人、あるいは社会人枠の大学院を考えているといった人まで、勉強の目的は様々です。

 おそらく、「勉強の仕方」というのは、それが医学部であっても中学受験であっても、あるいは教員試験であっても、その本質は何ら変わることがないと考える人が増えてきたから、相談メールを私に寄せる人が増えてきたのではないかと私は考えています。

 拙書などでも述べましたが、効果的に勉強をし「合格」という目的を達成するためにはいくつかの”秘訣”があります。

 最も大切な”秘訣”は、なぜ自分がその勉強をするのか、医学部受験の勉強ならなぜ医師になりたいのか、その目的や動機をはっきりさせることです。「なんとなく医学部に行きたい」と「将来○○をするためにどうしても医学部に行くんだ!」というのでは、動機の強さが全然違ってきます。

 もちろん医学部受験(他の資格試験もそうでしょうが)は、決して簡単なものではなく、並大抵ならぬ努力が必要です。勉強に費やす時間もそれなりに必要になりますし、勉強のために犠牲にしなければならないものも少なくありません。それだけの苦労をしてでも、本当に医学部に行きたいのかどうか、ということは勉強を開始する前に何度も自問すべきです。

 「勉強とは本来楽しいもの」ということを私はこれまで何度も述べていますが、それは「本来の勉強」であって、受験を目的とした勉強は楽しさだけでは乗り切れません。当然受験勉強にはそれ相応のストレスがかかりますし、スランプという厄介なものもほとんど誰にでも(それも何度も!)やってきます。

 ですから、受験勉強の期間、上手に自分をコントロールするには効果的なストレス対策をおこなう必要があります。私は、この点については、拙書『偏差値40からの医学部再受験』で「光と闇」という理論を用いて紹介しています。ポイントを簡単に紹介すると次のようになります。

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 受験生の勉強は<生産的>であり、会社員の仕事や農民の作物生産に相当する。仕事ばかりしていると人間はいずれ破綻するため何らかの<闇>の行動が必要となる。例えば、農民は収穫後”祝祭”という行為を通してそれまで一生懸命つくってきた貴重な農産物や酒を一気に消費(浪費、あるいは”蕩尽”とも言える)することによってバランスをとっている。会社員であれば、典型例で言えば「のむ・うつ・かう」といった<闇>の行動を適度にとることによって、ストレスのかかる日常の仕事との間にバランスをとっている。受験生も同じように、勉強という生産行為で蓄積されたストレスをうまく発散(蕩尽)させなければ長期的な「勉強ロード」を乗り切れない。

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 要するに、勉強そのものがストレスを蓄積させるような受験勉強を上手に乗り切るには、確実にやってくる苦痛やストレスをコントロールする必要があり、それには「のむ・うつ・かう」に相当するような、短時間で一気にリフレッシュできるような<闇>の時空間が必要ですよ、ということを主張したかったわけです。

 さて、受験勉強がこのようにいくらかの苦痛を伴うものに対し、勉強そのものは本来楽しいものであるはずです。勉強することにより、新たな知識が増えて物の考え方が深くなりまた広がるわけですから、勉強しないのはもったいないことです。

 ところで、勉強という言葉が私は好きではありません。「勉を強いる」と言われているわけで「やりたくないことを強制される」というイメージにつながるからです。本来の勉強は、別の言い方、例えば「知の探検」とでも呼ぶ方がずっと的を得ているように私は考えていますが、こんなことを提唱しても誰も賛同してくれないでしょうから、やはり「勉強」としておきます。

 私に勉強に関するメールをくれる人(以前からの知人も含めて)のなかで、この本来の勉強をされている人が最近少しずつ増えてきています。「(学生時代は嫌いだった)日本史を本格的に勉強しだした」「京都や奈良の寺や神社の探索を本格的におこなっている」「世界の遺跡を訪問する計画をたてている」「(仕事のためでなく)中国語の勉強を開始した」、などです。

 このようなメールをくれる人は、私と同世代の40代前半の男女に多いような印象があります。おそらく、彼(女)らも、学生時代は勉強がそれほど好きでなくて、社会人となり様々な経験を経て、本来の勉強の楽しさに気づいたのではないでしょうか。

 勉強する方法は、昔に比べれば随分と選択肢が広がりました。私が最初に大学に行っていた頃(1987~1991年)は、必要な本を探すのに図書館で半日を費やし、英語の教材も充実していませんでしたし、あっても高価なものばかりでした。現在はインターネットが普及したおかげで、昔なら入手しにくかった発行部数の少ない書物でもすぐに手に入りますし、洋書も比較的簡単に、そして(昔に比べれば)安く買えます。本を買わなくても、インターネットで入手できる情報は格段に増えています。医学誌でも最近は、要約だけでなく論文そのものが読めるようになってきています。英字新聞はどこの国のものでもほとんど無料でいくらでも読むことができます。歴史や地理などはDVDを使って勉強するのも効果的です。

 誰にも強制されず自分の好奇心の向くままにおこなう勉強の面白さに気づくと、人生の楽しさが何倍にもなります。私の場合、たまの休日に日頃の疲れを癒す目的で興味ある分野の本を読み、老後の楽しみとして本格的な語学の勉強を考えています。そしてこういった楽しさを得るために必要なコストはごくわずかなのです。

 本来の勉強とは、低コストで楽しめる<闇>にもなるというわけです。

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2013年6月13日 木曜日

2010年1月号 「仲間」と過ごす時間

2009年の年末から2010年の年始にかけて、私は国内のある地方都市でゆっくりと過ごしました。

 新型インフルエンザの勢いは少しましになったとはいえ、多くの医師が年末年始もどこかの医療機関で寝食をできないほど忙しくしているなかで、私だけが(「だけ」というわけでもないでしょうが)、仕事もせずにのんびり過ごすことには抵抗がなかったわけではありませんが、日頃は自分自身の時間がほとんどとれませんから、たまにはいいだろう、と自分のなかで言い訳をした上で今回の休暇を決めました。

 思えば、医師になってから3年前までは、年末年始はどこかの病院で働いており(そのため3年前には楽しみにしていた高校の同窓会にも参加できませんでした)、昨年と一昨年はNPO法人GINA(ジーナ)の関連でタイに出張に行っていましたから、まったく仕事をせずにのんびりできたのは随分と久しぶりでした。

 去年(2009年1月)のマンスリーレポートにも書きましたが、私は年末年始に自分自身のミッション・ステイトメントを見直し、新しい一年間の目標を立てるということを10年以上前から続けています。

 今回ミッション・ステイトメントを改訂するにあたり、私が昨年までと比べて最も重要視したことは、「仲間との時間を大切にする」というものです。

 思い起こせば、いつの頃からか私は<付き合いの悪いヤツ>になっていたと思います。いえ、もう少し正確に言うと、「思い起こせば」、というよりは、「これまでもうすうす気づいていたが気づかないようにしていた」という方が正しいでしょう。

 いつから私は<付き合いの悪いヤツ>になってしまったのでしょうか。

 高校を卒業して、私は関西学院大学の学生となり4年後に卒業しました。その後は一般企業に就職して4年間過ごしました。この間は、決して付き合いの悪いヤツではなかったと思います。友達や先輩から誘われればよほどのことがない限り断りませんでしたし、むしろパーティや飲み会などは私自身が主催することが多かったと言えます。夜中に電話がかかってきても当たり前のようにでかけていました。会社に入ってからも、他部署の人や他の会社の人ともよく食事や飲み会にでかけていました。12月にはほぼ毎日が忘年会のような年もありました。

 それが、会社を退職し医学部受験の勉強を本格的に開始しだした頃から大きく変わりました。夜中に電話がかかってきても・・・、どころか、この頃の私はまず電話に出ませんでした。受験勉強が終わり、医学部に入学してからも、私は生活の中心を「勉強」に置いていましたから友達からの誘いは断ることの方が多くなっていました。医学部の6回生の頃には医師国家試験の勉強が始まり、さすがに電話に出ないというところまではいきませんでしたが、かなり付き合いは悪かったと思います。

 医師になってからは、休日がほとんどありませんでしたし、時間ができたとしても病棟に受け持ちの患者さんをみにいったり、救急外来に自主的に行ったりしていましたから、プライベートの時間はほぼありませんでした。最初の2~3年の間は、まだ医師としては駆け出しなんだからプライベートの時間など持つべきでない、とまで考えていました。

 クリニックを開業してからも、診察時間以外は事務仕事をしているか、他の医療機関に働きに行っているか、あるいはGINAの関連の仕事に追われることもあり、やはりプライベートな時間はほとんど持てませんでした。

 2009年を振り返ると、2007年、2008年に比べると、診療に費やす時間が少し減ったように感じています。2007年の後半から2009年の頭くらいまでは、毎日のように診察が終わるのが夜の10時を回り、それからカルテの記載や画像や採血データ、症例写真の整理などをおこなうと日付が変わっているのが普通でした。ところが、2009年の1月後半あたりから、患者数が減りだし、早ければ午後8時過ぎに、遅くても午後9時を少し回る程度で診察が終了できるようになったのです。

 これは、2008年秋に始まった世界的な不況と無関係ではないでしょう。「仕事がなくなり保険証がなかったので受診できなかったんです」と答える患者さんが少なくありませんし、いつの間にか来られなくなった患者さんのなかには、いまだに保険証がない人もおられるに違いありません。これまで通り来られている患者さんからも、「薬も検査もできるだけ減らしてください」と言われることがときどきありますが、このようなことを以前は経験したことがありませんでした。

 不況、そして医療費の支払に不安を感じている患者さんがいることは大いに問題で、早急に改善されなければならないことですが、その結果として、医療機関を受診する人が減り我々医療従事者は少し時間が取れるようになってきました。

 そんななか、昨年(2009年)の中ごろあたりから、偶然にも昔の友達からの連絡が頻繁に入るようになってきて会う機会が増えだしました。例えば、昔からの友人(というか後輩)に桂三若(かつらさんじゃく)という落語家がいるのですが、私はこれまで彼の舞台をほとんど見にいったことがありませんでした。たいがいは仕事と重なるからです。
 
 11月のある日、桂三若からメールで舞台の案内を聞いていた私は劇場まで足を運び、独演会を観賞しました。15年ほど前に舞台を見たときと比べてものすごく上手くなっていることに私は感動しました。彼とは再びメールのやりとりをしています。近いうちにはプライベートで飲みにいこうと考えています。

 また、12月には高校のミニ同窓会が開催されました。卒業20年後の大きな同窓会には参加できませんでしたし、小さな集まりにもこれまでは仕事を理由に不参加ばかりだったのですが、今回は参加することができました。高校卒業以来、22年ぶりに再会した同級生もいて、大変有意義な時間を過ごすことができました。

 また、他にも昔の友達からメールが届くことがあり、いつの間にか私のメールソフトの受信箱にはプライベートなメールが増えだしてきました。そして、初めて気づいたのですが、私のメールソフトには、プライベートなメールを保存するフォルダーがありませんでした。私は、頻繁にやりとりする人からのメールはカテゴリー別のフォルダーに入れて整理しています。例えば、よく使うフォルダーには「医師(からのメール)」「GINA関連」「プライマリケア関連」「患者さん(からのメール)」「トラベル」「ショッピング」、などがあります。どこにも当てはまらないメールはそのまま「受信箱」に入れたままにしています。

 昨年秋ごろから増えてきたプライベートな知人からのメールは、これまで「受信箱」に入れたままにしていたところを、新たに「プライベート」というフォルダーを作ってここに入れるようにしています。

 さて、私は今年、「仲間との時間を大切にする」というテーマ(ミッション)を大切にするつもりです。「プライベート」と命名されたフォルダーの中身が増えるだけでなく、実際に顔を見合わせて積もり積もった話をしたいと考えています。

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2013年6月13日 木曜日

2009年12月号 スポーツ医という仕事

太融寺町谷口医院にときどき来られる40代男性の患者さん(仮に「Mさん」としておきます)がおられます。

 Mさんは最初、「健康診断で中性脂肪が高いと言われた」と言って受診されました。健康診断の結果を見せてもらうと、中性脂肪が高いといってもたいしたことはありません。この程度なら薬を飲む必要がなく、食事と運動、特に中性脂肪は効果的な運動で大きく改善する可能性があることを伝えて、薬の処方はおこないませんでした。

 その3ヵ月後、Mさんは肩が凝ると言って受診されました。最近は頭痛や頭重感も自覚することがあると言います。しびれや腕の症状はなくレントゲン撮影までは必要なさそうです。私は、またもや薬を処方することなく、運動、特に肩や背中の筋力を鍛えるような運動をおこなうよう指導しました。

 その半年後、今度は「眠れない」と言って、Mさんは受診されました。Mさんは私に睡眠薬を処方してもらうつもりで受診されたようですが、眠れない→睡眠薬、と単純に話をすすめるわけにはいきません。よく話を聞いてみると、2か月前に勤務先で部署が移動となり、新しい環境に馴染めず上司ともソリが合わないと言います。さらに問診を重ねるとうつ状態になっていることが分かりました。

 しかし、うつ→抗うつ薬、と単純に考えるわけにもいきません。よく聞くと、週末におこなっている趣味のサークル活動(詳しくは聞いていませんが何やら同人誌の発行までおこなっているようです)はこれまで通り楽しくおこなっているようです。このようなケースでは、薬の力を借りなくても状況を客観的に見直すことによってうつ状態や不眠症状がとれていくケースが少なくありません。そして、生活のなかに運動を取り入れることをすすめました。運動は、それほど重症でない気分の落ち込みやうつ状態に有効なことが多いのです。

 Mさんは別々の訴えで私の元を3回受診されましたが、私は薬の処方は一度もおこなわず、3回とも「運動」をするように助言しました。

 このように、私は薬を処方する代りに(あるいは薬の処方と同時に)運動をすすめることが多いのですが、これは私に限ったことではなく、おそらく多くの医師が同じような助言をおこなっているのではないかと思われます。

 しかしながら、私は運動を助言してそれで満足しているわけではありません。というより、実は運動の助言をおこなうときにはいつも不安を感じています。それは、いくら運動の重要性を患者さんに訴えたところで、必ずしも運動をおこなってくれるとは限らないからです。

 むしろ、「先生に言われて運動をするようになってこんなに元気になりました!」と言われたことはこれまで数えるくらいしかなく、ほとんどの患者さんは運動に取り組まれたとしても長続きしていません。私が運動の有用性を話して勧めると少しは始められるのですが、そのうち「忙しくて時間がなくて・・・」といった理由で断念してしまう患者さんが大半ですし、なかには「大切なのは分かるのですが・・・」と言って一度も運動されない方もいます。

 運動ができなかったり継続できなかったりするのは、何も患者さんだけの責任ではありません。やはり、結果として効果的な助言をできなかった私にも責任があると考えるべきでしょう。なんとか患者さんに運動をしてもらえる方法はないものか・・・。悩んだ挙句に私がだした結論は、「スポーツ医」の資格をとる、というものです。スポーツ医という資格をとったからといって患者さんに運動してもらえるわけはありませんが、まずは私自身がスポーツ医学を勉強する必要があると考えたのです。

 「日本医師会認定スポーツ医」という資格があります。一般的に「スポーツ医」と言えば、スポーツをする人々の健康管理や、スポーツ傷害に対する予防、治療等の臨床活動を行う医師のことと考えられると思いますが、スポーツ医は何もプロのスポーツ選手を専属で診る医師だけではありません。一般の患者さんに運動の指導をおこなう医師もまたスポーツ医なのです。

 というわけで、私は10月と11月の合計4日間、東京に「日本医師会認定スポーツ医」の講習を受けに行ってきました。この資格は講習を受けるだけで取得できるもので、テストや面接もありません。ラクと言えばラクな資格なのですが、一方ではこの資格があれば何か特別なことができるわけでもありません。一応資格はもらえますが、講習を受ける目的は資格取得よりもむしろ講習の内容そのものにあります。

 循環器内科、内分泌内科、整形外科、脳外科などの分野で特に運動療法やスポーツ障害を診ている専門家の講習が聞けますし、なかにはプロのアスリートを専属にみている医師の講習もあります。教科書を読むだけではなかなか分からないことも、直接講義を聞けば知ることができますから、なかなか価値のある講習なのです。

 さて、私は合計4日間の講習を終え、現在は使用したテキストとノートを中心に復習をしているところです。これからもスポーツ医という資格を維持していくためには、ときどき講習を受ける必要があるのですが、講習はそう度々あるわけではありませんから(あっても参加する時間が確保できません)、日頃は自分自身で勉強していくしかありません。

 さて、私が勉強している間も、健康のためにスポーツや運動に取り組んでいる患者さんもおられるでしょうし、これからどのように効果的な運動を始めようかと悩んでいる人もおられるでしょう。私がおこなう医師としての勉強とは少し趣が異なるかもしれませんが、患者さんの方も健康のための運動に対する情報を集め勉強なさっていることでしょう。

 運動の仕方にもいろいろあって、その人によって適切な運動の内容は違ってきます。例えば、ウォーキング中心が適切で激しい運動はすべきでない人、筋トレ中心の運動がいい人、余裕があればフルマラソンに出場してもいい人など、その人の年齢、スポーツ歴、病気の種類・重症度、日頃の活動の度合い、などによって適切な運動の種類や時間、負荷のかけ方などが変わってきます。

 当分の間、私は運動が必要と思われる患者さんを診察するときは、患者さんと一緒にどのような運動が適していて、そして実際にできるかどうかを検討してみたいと考えています。運動は続けなければ意味がありませんから、一方的に運動内容を助言するのではなく、一緒に考えていければと思います。

 そして、私自身も運動を始めることにしました。これまでも時間があるときはフィットネスに通ったこともありましたが、もう何ヶ月も足を運んでいません。なかなか時間が確保できないのがその理由なのですが、これでは重要性が分かっていながら一向に運動を始めてくれない患者さんと同じです。

 なかなか時間が確保できないながらも私がおこなっている運動は、仕事から帰ってきたとき(だいたい10時半から11時半くらい)、腕立て伏せ、腹筋、ダンベルを使った筋トレなどを15分程度おこなうというものです。これを週に3~5回程度おこなっています。まだ1ヶ月半ほどしか続いていませんが、最近は負荷も上げられるようになってきて少しだけ楽しさを見出しています。

 このような運動ならほとんどの人がすぐに始められるのではないでしょうか。これからクリニックを受診される患者さんにも積極的にすすめてみたいと考えています。

注:Mさんは、当院に受診している複数の患者さんをモデルにして私がつくりあげた架空の人物です。もしももあなたに、Mさんと似たような知り合いがいたとしても、それは単なる偶然であるということをお断りしておきたいと思います。

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2013年6月13日 木曜日

2009年11月号 医師という職業のジレンマ

2009年2月のマンスリーレポート「”不況”を感じる2つの兆候」(下記参照)で、医学部受験の相談メールが増えていることについて報告しましたが、相変わらず医学部受験を考えている人たちからのメールがよく届きます。

 なぜ医学部を目指すかについて、その想いを熱く語られているメールが多く、読ませてもらう私が感動することもよくあります。2003年あたりに私の元に寄せられたメールでは、「医師は安定しているから」「高収入が期待できるから」などが目立ったのですが、最近はそういった内容のものはあまりなく、「医師になってこんなことをしたい」とか「この病気に生涯をかけて取り組みたい」といったものが増えています。

 さて、私はこれまで拙書やこのウェブサイトでのコラムを通して、「医師はとてもやりがいのある職業ですよ」ということを伝えてきたつもりですが、今回は医師であるが故に感じるジレンマについてお話したいと思います。

 そのジレンマを一言で言えば、「資本主義のなかで資本主義的でない業務を遂行しなければならないジレンマ」です。

 もう少し分かりやすく言うとこのようになります。我々医師は、営利を追求しなければ生きていけない社会のなかで営利を追求してはいけないというジレンマを抱えている・・・。

 もっと分かりやすく、そして医師の立場からのホンネで言えば、「利益を求めてはいけないのに利益をださなければ失業してしまうというジレンマ」となります。そして、このジレンマは、実際に医師になってみないと分かりません。私自身も医師となり、そしてクリニックを開業するという立場になって、このジレンマと日々闘わなくてはならない現実に直面するようになりました。

 短い文章でこのことを伝えるのはなかなかむつかしいのですが、現在医学部受験を考えている人に少しでも分かってもらえればと思います。

 まず、医師は営利活動をしてはいけません。実際、日本医師会が作成している『医の倫理要綱』の第6条に「医師は医業にあたって営利を目的としない」という条文が定められています。もちろん、営利を追求しないのは日本の医師だけでなく、これは世界中のどこの国にいっても同じことです。

 少し考えてみれば分かることですが、もしも医師が営利目的で診察をすればとんでもなく恐ろしいことになります。しなくてもいい検査をされたり、必要でない薬を処方されたりすれば、患者側にとってみれば出費がかさむだけでなく、検査や薬の副作用に苦しめられることになるかもしれません。

 ときどき、患者さんから、「なんでお金を払うって言ってるのに薬を出してくれないのですか」と言われますが、それは、我々医師は、薬は必要最小限の処方にすることが当然と考えているからです。もちろん、薬をたくさん処方する方が医療機関や医師の利益にはなるわけですが(ただし薬による利益はそれほど多くありませんが)、薬の処方と、例えば健康食品の販売などとはまったく異なるわけです。

 医師という職業は資本主義にはまったく馴染みません。私はすべての医師は公人としての自覚を持つべきだと考えています。世の中に医師と似ている職業があるとすれば、警察官や消防士、あるいは自衛官などです。

 つまり、医師とは、国民が安心して平和に暮らすことができるように困ったときに支援するような職業であるわけです。病気や事故が起こったときに、その人を治療し早く社会復帰できるように支援するのが医師の使命なのです。

 私は拙書『偏差値40からの医学部再受験』のなかで、国や社会をプロのスポーツチームに例えると、医師はチームドクターのような存在であると述べました。スポーツ選手が安心して練習や試合に打ち込めるように支え、ケガなどのトラブルが起こったときには速やかに対処して少しでも早く練習に復帰できるように支援するのがチームドクターの使命です。同じように、国民が身体の不調を訴えたときに適切な診療をして少しでも早く社会復帰できるように支援するのが医師のミッションなのです。

 警察官や消防士、自衛官は公務員であるわけですから、私は、医師は開業医を含めて全員が公務員としての扱いを受けるべきではないかと考えています。

 ところが、実際には医師は(特に開業医は)身分や収入が保障されているわけではありませんし、一般の企業と同じように医療機関は税金を納めなければなりません。

 先日、開業医の年収が平均で2,522万円であるという報道がなされました。2,522万円という数字をみると、「開業医は儲けすぎじゃないの」と感じられます。しかし、この数字にはトリックがあります。

 この2,522万円という数字は会計上の経常利益に相当する金額だと思われます。ここから借入金の返済やその他経費として認められない費用を引けば、それほど手元に残るわけではありません。いまだに世間では、「開業医は金持ちで土地や高級車を所有している」のようなイメージを持っている人がいるようですが、実際は大半の医師はそうではありません(例外もあるでしょうが)。(参考までに、私の年収はこの2,522万円という数字からはほど遠いですし、家は一応ありますが11坪しかない狭い家で、車は15年落ちの国産中古車、走行距離はとっくに10万キロを越えています・・・)

 もしも本当に開業医が多くの利益を得ており贅沢な暮らしをしているとすれば、是正されなければならないでしょう。しかし、ほとんどの医師はそうではないわけです。しかも、労働時間はかなりの長時間に及びます。(私の場合、週の労働時間を計算すると、事務仕事やカルテや画像の見直しなどを入れれば、週あたりの労働時間は少ないときでも80時間を越えますし、多いときは100時間を越えることもあります。こういうコラムを書いている時間が”ささやかな息抜き”となっているのが現状です)

 ではどうすればいいのか。究極的にはやはり開業医も含めてすべての医師を公務員にして給与を固定にするのがいいのではないかと私は考えています。しかし、ある程度の金銭的モチベーションが必要であるという意見もあります。それならば、年収の上限と下限を決めればいいのではないでしょうか。上限を決めることによって、医師は儲かると考えている勘違いした者が医学部受験することがなくなるでしょうし、また下限を決めることによって税金の支払いや借入金の返済で頭を悩ますこともなくなるわけです。

 利益を追求してはいけない一方で利益を出さなければ生きていけないというこのジレンマは、私が開業医となって強く認識するようになったことです。

 これから医学部を目指す人には、このようなことも考えていただければと思います。

参考:マンスリーレポート2009年2月号「”不況”を感じる2つの兆候」

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