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2014年11月28日 金曜日

2014年11月28日 腰痛もちはギャンブル好き!?

  脳の研究というのは非常に魅惑的な領域であり、大昔から多くの学者が学者生命をかけて脳機能の究明に取り組んできました。これまで多くの説が提唱され、いくつかは治療にも応用されるようになってきています。しかし、脳には依然未知のことも多く、すべてが解明できているわけではありません。

 そんな脳の研究のなかで「側坐核」と呼ばれる部位がここ数年でクローズアップされてきています。側坐核とは脳の「前脳」と呼ばれる領域に位置しており、報酬、快感、嗜癖などに関与しているのではないかと言われています。

 快感や嗜癖はいいとして、「報酬」という言葉は分かりにくいかもしれませんので補足しておきます。ここでいう「報酬」とは端的にいえばギャンブルのことと考えて差し支えありません。「報酬」への欲求が強くなりすぎると、その人にとって魅力的なもの(お金)を獲得するために大きなリスクをとってしまうのです。

 今回紹介したい研究は「慢性の腰痛があれば、ギャンブルに依存してしまうかもしれない」というものです。医学誌『BMC Research Notes』2014年10月20日号(オンライン版)に掲載されています(注1)。

 研究者らはまず側坐核について研究をおこないました。側坐核が身体のどの部分と関連しているかについて調べると、慢性腰痛がある人では側坐核の機能が変化していることが分かったそうです。

 そこで研究者らは、慢性腰痛があるグループと、健康で腰痛のない対照グループを比較しました。ギャンブルを実践してもらい、fMRI(機能的MRI、通常のMRIに加え脳の血流を評価することができる検査)を用いて側坐核の状態を解析し、報酬行動との関連性を比較検討しています。

 その結果、慢性腰痛があるグループでは、報酬獲得への感受性が有意に高い、つまりギャンブルにのめりこみやすいことが分かったそうです。

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 この研究が興味深いのは、ギャンブル依存という精神的な病態と腰痛という身体的な病態が側坐核という共通項で関連づけられているということです。

 もちろん腰痛には様々な要因があり、例えば腰椎椎間板ヘルニアによる腰痛の人がギャンブル好きとはいえないでしょう。しかしながら、画像検査をいくらおこなっても原因のよく分からない腰痛は非常に多く、最近では腰痛のほとんどが精神的な要因であろう、という考えもでてきています。もしかすると、こういう腰痛もちの人のいくらかは側坐核に問題があるのかもしれません。

 この研究を臨床に応用するのは時期尚早です。先に側坐核に問題があり、その結果としてギャンブル依存や腰痛が生じるのか、腰痛が先にあり側坐核に影響を及ぼしその結果ギャンブル依存になっていくのか、あるいは元々ギャンブル依存があると側坐核が機能的に変性しその結果腰痛が生じるのか、そのあたりは分かりません。

 ですが、重度のギャンブル依存の人がもし腰痛があるなら、先に腰痛の治療を試みるのは価値があるかもしれません。あるいはその逆に、原因不明の難治性の腰痛があるという人でギャンブル依存症があるなら、自助会や患者会などを利用して、ギャンブル依存の克服に努めるのはやってみてもいいかもしれません。

(谷口恭)

注1:この研究のタイトルは「Risky monetary behavior in chronic back pain is associated with altered modular connectivity of the nucleus accumbens」で、下記のURLで全文を読むことができます。
http://www.biomedcentral.com/1756-0500/7/739

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2014年11月21日 金曜日

第142回(2014年11月) 速く歩いてゆっくり食べる(後編)

 前回は、忙しくて運動の時間がとれない人は日頃から速歩きを心がけましょう、ということを述べましたが、早速何人かの患者さんから「始めました」という声を聞きました。

 なかには「活動量計を買いました」という人もいました。活動量計とは1日の活動量(消費キロカロリー)が計測できる小さな器械で、最近急速に市場に登場してきているようです。ある患者さんはキーホルダーに付けてズボンのベルト通しにかけていました。胸ポケットに入れている患者さんもいましたし、腕時計と一体化したものを持っている人もいれば、ブレスレット型のものを付けている人もいました。

 また、ある患者さんからは「先生はMETs(メッツ)のことを言ってるんですよね」と指摘されました。METsというのは身体活動を評価するための指標で、スポーツ医学や循環器科の領域でよく使われるのですが、最近では随分と世間に浸透してきているようです。この患者さんの言うとおり、運動は単に時間だけで評価するのではなく強度も考慮しなければなりません。そしてこれが私が前回述べた「ゆっくりのウォーキングでは効率が悪い」ということでもあります。

 さて今回は食事について述べていきたいと思います。メディカルエッセイ第129回(2013年10月)「危険な「座りっぱなし」」で提唱した、健康を増進させる「10個の習慣」のひとつにEating(食事)があります(注1)。これは、食べる内容と量に注意しましょう、というのが一番言いたいことですが、「食べる早さ」にも注目しましょう、というのが今回のテーマです。

 このサイトで「フレンチ・パラドックス」について何度か取り上げたことがあります(注2)。フレンチ・パラドックスとは、フランス人はあぶらっこい肉料理を好んで食べて、おまけに喫煙率も高いのに、心筋梗塞など心血管系疾患の罹患率が低いことを表した言葉です。この原因として「赤ワイン」が注目されたことがありました。

 現在では「フレンチ・パラドックス」は否定的な意見の方が多いのですが、この言葉はまだ生きているように思えます。疫学調査というのは統計の取り方によって随分変わりますし、研究者の恣意性が入る可能性は否定できません。また心筋梗塞で死亡した例が統計から漏れることはないでしょうが、軽度の狭心症レベルを心血管系疾患に加えるかどうかというのは議論が分かれるところでしょう。つまり、統計の取り方によって、フレンチ・パラドックスが正しくなることも正しくなくなることもありえるということです。

 虚血性心疾患や脳血管障害を他国の基準と同様に把握することは困難ですが、身長と体重なら客観的に評価することが可能です。そこで世界の肥満者の割合を調べてみると興味深い結果がでてきます。ビジネス誌『Forbes』のウェブサイト(注3)に世界各国の肥満者の割合の表が掲載されています。このデータはBMI(体重(kg)÷身長(m)の2乗)が25以上の人の割合を示しています。例えばアメリカは世界第9位で国民の74.1%がBMI25以上であることを示しています。イギリスは第28位で63.8%、オーストラリアは21位で67.4%です。ちなみに日本は第163位で22.6%です。

 さてフランスですが、この表では第128位で40.1%です。フレンチ・パラドックスを否定する人たちも、この数字を見せられるとフランスでは肥満者の割合が相対的に少ないことを認めないわけにはいきません。そしてフランス料理は高脂肪のあぶらっこい料理がメインであり、朝からクロワッサンとカフェオレという高脂肪・高炭水化物の食事を摂るのが日常なのです。

 つまり、フレンチ・パラドックスが正しいかどうかは別にして、フランス人は脂っこいものを好んで食べるのにも関わらず肥満者が少ない、というのは客観的な事実なのです。

 これはなぜなのでしょうか。結論を言えば「ゆっくる食べるから」が答えではないかと私は考えています。私がフランス人と一緒に食事をしたのは会社員時代の経験を入れても数える程しかありませんが、彼(女)らは話をしながらゆっくりと食べる、という印象があります。

 これを映画のシーンで考えてみましょう。アメリカの映画ではオフィス内でハンバーガーを頬張ったり、紙の容器に入った中華料理らしきものをスプーンで食べたりしながら仕事をしている場面がしばしばありますし、立ちながらホットドッグを食べているシーンなどもよくあります。『オーシャンズ11』を見たことがある人はブラッド・ピットが食事をするシーンを思い出してください。この映画ではブラッド・ピットが何かを食べているシーンが繰り返し出てきますがいつも慌てて何かをかきこんでいる感じです。

 一方、フランス映画ではどうでしょうか。家でゆっくりとディナーを楽しんだり、カフェで長時間くつろいだりするシーンはよくありますが、オフィスで慌てて何かを食べているシーンは思いつきません。オードリー・ヘップバーンの名作『シャレード』では、ニセ刑事がオードリー・ヘップバーンをオフィスに招いてサンドイッチを食べるシーンがありますが、これも緊迫した状況だというのにワインを飲みながら食事をしています。

 映画のシーンで医学を論じるのはあまりにも非科学的ですから、ここからは最近の研究を紹介したいと思います。

 1つめは医学誌『BMJ Open』2014年9月5日号(オンライン版)に掲載された論文で日本の研究です(注4)。2011年に日本国内の健康管理センターの健康診断を受け、心筋梗塞など冠動脈心疾患や脳卒中にかかったことがない56,865人(男性41,820人、女性15,045人)について、食べる速度とメタボリックシンドロームの関係について分析したところ、食べる速度が早いとメタボリックシンドロームになりやすいことが判ったそうです。

 2つめも日本の研究で、医学誌『Obesity』2014年7月10日号(オンライン版)に掲載されています(注5)。この研究では岡山大学の学生が対象とされています。対象者は元々肥満がなかった(BMI25未満)学生1,314人で、入学から3年間の追跡調査がおこなわれています。その結果、元々肥満でなかった学生が早食いを続けるうちに肥満していくことが判ったそうです。「早食いだ」と答えた人は、そうでない人より4.4倍も肥満しやすいという結果となり、性別では男性は女性の2.8倍肥満しやすいことがわかったそうです。

 幼少児期の家族との団らんが肥満を予防する、という研究もあります。医学誌『Pediatrics』2014年10月13日号(オンライン版)に論文が掲載されています(注6)。研究によりますと、暖かさ(warmth)、家族での団らん(group enjoyment)、親の積極的な関わり(parental positive reinforcement)などが小児肥満の予防になるそうです。

 この研究では、合計120の家庭の食事風景をiPADで録画してもらい、食事に費やす時間、食事の内容、家族同士の交流などが分析されています。その結果、肥満児の家庭では、食卓に明るい雰囲気が少なく、秩序がない傾向だったそうです。また標準体重児の食事時間が平均18.2分なのに対し、肥満児では13.5分と短くなっていたようです。

 なぜ早食いは肥満につながるのでしょうか。いろんな理由があるでしょうが、最も大きいのはいわゆる「満腹中枢」の作動開始時間でしょう。よく言われるように、食事を開始してしばらくすると、脳が「これくらいにしておきなさい」という指令を出しますがこの指令塔が満腹中枢というわけです。満腹中枢は、胃を支配している神経や血糖値からの情報を総合的に判断し、食事開始後およそ20~30分後に指令を出すと言われています。

 つまり、満腹中枢が指令を出すまでの間は食欲はそのまま続いているわけで、20~30分の間に大量に食べることができてしまうのです。こう考えるとフランス料理というのは実に理にかなっています。ワインと会話を楽しみながら「前菜」をゆっくり食べると、食べ終わる頃には満腹中枢が働き始めるのです。メインディッシュの高脂肪の肉や魚は食べ過ぎることなく適量に抑えられ、食後のデザートを食べても肥満につながりにくい、というわけです。

 とはいえ、何かと慌ただしい日本人の多くはフランスの家庭のようにゆっくりと前菜を楽しむ余裕はないでしょう。しかし、「ゆっくり食べる」ことが肥満を抑制し健康増進につながるということは覚えておくべきでしょう。

注1:このコラムは下記を参照ください
メディカルエッセイ第129回(2013年10月)「危険な「座りっぱなし」」

注2:例えば下記医療ニュースを参照ください。
医療ニュース2014年7月7日「「赤ワインが健康に良い」は、もはや幻想・・・」

注3:『Forbes』のこのサイトは下記を参照ください。
http://www.forbes.com/2007/02/07/worlds-fattest-countries-forbeslife-cx_ls_0208worldfat.html

注4:この論文のタイトルは「Self-reported eating rate and metabolic syndrome in Japanese people: cross-sectional study」で、下記URIで概要を読むことができます。
http://bmjopen.bmj.com/content/4/9/e005241.abstract?sid=f10f5de6-55c4-4fd1-b10c-a5408a3925da

注5:この論文のタイトルは「Relationships between eating quickly and weight gain in Japanese university students: A longitudinal study」で、下記URLで概要を読むことができます。
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/oby.20842/abstract;jsessionid=CA99332C6C7E60AFB6700A3CF19DC102.f03t04

注6:この論文のタイトルは「Childhood Obesity and Interpersonal Dynamics During Family Meals」で、下記URLで概要を読むことができます。
http://pediatrics.aappublications.org/content/134/5/923.abstract?sid=652cabe4-27eb-4c4d-b1f4-1b617ef23df0

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2014年11月21日 金曜日

第135回 乾癬(かんせん)の苦痛 2014/11/21

  あなたは「見た目」で差別されたことがあるでしょうか。例えば、背が低いことでバカにされた、太っていることでいじめられた、ヨーロッパに留学していたときに東洋人というだけで差別をされた、髪が薄いことを笑われた、といったあたりは自身に経験がなくても比較的よくある話だと思います。このようなことで差別をするのが「間違っている」ことは自明ですが、世界中から完全になくなることはないでしょう。

 では、他人に危害を加えるわけでもないのに患っているというだけで温泉や銭湯の入場を拒否されるとしたらどうでしょう。こうなると「間違っている」を越えて「決して許してはいけない」というレベルになります。

 今回お話したいのは乾癬(かんせん)という皮膚の疾患についてなのですが、この疾患は患者数が多い割にはそれほど有名でなく、患者さんの苦痛が伝えられることは比較的少ないように感じられます。しかし、この疾患を患うと痛みや痒みよりもむしろ、見た目から相当辛い思いをする場合があります。

 乾癬とは慢性の皮膚疾患のひとつで、痒みとともに独特の皮膚症状を呈します。重症化すれば痛みの伴う関節炎症状が加わることもあります。皮膚症状には特徴がありますから、多くは見ただけで診断がつきます。

 乾癬の皮膚症状は、よくなったり悪くなったりします。後で詳しく述べますが、生活習慣の乱れやストレスなどから一気に増悪することがあり、そうなると全身に皮疹が出現し、赤みが強いことからかなり目立つようになります。

 このような状態で銭湯や温泉に行くと、ひどい場合は入場を断られるのです。乾癬は悪化すると見た目が”派手”になりいかにも重篤な疾患のように見えるのですが、他人に感染させる疾患ではありません。しかし実際には社会から正しく理解されていません。

 私はこれまでに何度か「この病気は感染させるものではないということを会社や家族に伝えてほしい」と患者さんから頼まれたことがあります。おそらく乾癬(かんせん)も感染(かんせん)も発音が同じために「他人にうつす病気」というイメージがなんとなくできてしまうのでしょう。

 ここでもう一度「見た目」で銭湯や温泉の入場を断られるという辛さを考えてみてください。このようなことはあってはならないわけで、実際に起こってしまっているのは社会に対しての啓発活動が不充分な我々医療者の責任もありますが、銭湯や温泉、あるいは宿泊施設の方々にもきちんと理解してもらいたいと思います。

「見た目」の病気を理由に温泉施設の利用を断られた最近の事件として有名なものに、2003年の熊本の「ハンセン病元患者宿泊拒否事件」があります。これは国立療養所菊池恵楓園というハンセン病の元患者さんが入所している施設の行事として計画されていた温泉旅行で、いったん予約を入れた宿泊先のホテルから「他の宿泊客への迷惑」という理由で宿泊を断られたという事件です。

 もっとも、ハンセン病はすでに「治る病気」であり、この事件は”現在の”「見た目」で宿泊を拒否されたのではなく(もしかすると後遺症で手指や鼻が変形していた人がいたのかもしれませんが)、ハンセン病のイメージがホテルにこのような行動をとらせたのでしょう。この事件についてここではこれ以上深入りしませんが、結論を言えば、このホテルは社会から非難をあび、現在は廃業しています。

 ハンセン病がなぜこれほどまでに差別を受けるのでしょうか。ハンセン病の感染力というのは非常に弱く、よほど緊密な接触がなければ感染しません。にもかかわらず隔離されて差別を受けていた歴史があるのは「見た目」の理由が大きいでしょう。顔面にも特徴的な皮疹が出現しますから重症化するとかなり目立ちます。感染力が弱いとはいえ、感染症であるのは事実ですからあってはならない差別が生まれてしまったのです。

 ちなみに私は医学生の頃からハンセン病に何らかのかたちで関わりたいと考えており、宿泊拒否事件で報道された国立療養所菊池恵楓園にも訪れたことがありますし、北タイにあるMcKean Hospitalというハンセン病の専門病院にも数年に一度は訪問しています(注1)。そういう事情もあって、ハンセン病の話をしだすと止まらなくなるので、このあたりで乾癬に話を戻したいのですがもうひとつだけ。

 日本映画史に残る名作中の名作に『砂の器』というものがあります。著名な音楽家がなぜ殺人を犯したのか、それがラストのオーケストラの演奏と同時に描写されるのですが、これをみればハンセン病という病がどれだけ差別を受けてきたか、ハンセン病を家族にもつ者がどれだけ辛い思いをしてきたかが分かります。

 この映画の最後に「本浦千代吉(映画に登場するハンセン病の患者)のような患者はもうどこにもいない」というキャプションが流れるのですが、今の時代にこれを見ると少し違和感を覚えます。「もうどこにもいない」とするより「今も差別は完全になくなっていない」とする方がいいのではないかと私には思えるのですが、おそらくこの映画が作製された1970年代には今よりも差別が根強く残っていたのでしょう。「現在は治療できる病気です」ということを強く訴えたかったがゆえにこのようなキャプションが入れられたのではないかと私は推測しています。

 さて乾癬に話を戻しましょう。信憑性のあるデータを見つけることができなかったのですが、この病気は確実に増えています。元々は白人に多い疾患でしたが日本人にも増えています。これは生活習慣病と同様に戦後欧米型の食事が普及したからだと思われます。

 また、これもきちんとしたデータは見たことがないのですが、あるベテランの皮膚科の先生から、日本人よりも在日韓国人に多いようだ、と聞いたことがあります。これは日本人に比べて韓国人の方が肉を食べる機会が多いからではないかとその先生は話されていました。

 肉食が乾癬を悪化させるのはほぼ間違いありません。糖尿病や高脂血症(特に高トリグリセライド血症)のある人が、西洋型の食事から和食に替えると数値が改善しますが、乾癬も(あるいは乾癬の方がむしろ顕著に)大きく症状が改善することが多いのです。一部の症例では”劇的に”とも言えるほど改善します。私が研修医時代に診た患者さんは、入院を要する程重症化していましたが、入院後1週間もすれば入院前と薬を替えたわけでもないのにもかかわらずほとんど完全に皮疹が消えた程です。

 乾癬の患者さんのなかには、食事に気をつけて規則正しい生活を送っているのにもかかわらず重症化していく人もいます。そういう人のなかには、爪や関節にも症状が及び、やがて日常生活もままならなくなっていく人もいます。そこまでいくと強力な免疫抑制剤や生物製剤といって関節リウマチに用いるような高価な薬剤が必要になります。まだ完全に解明されたわけではありませんが乾癬は関節リウマチと遺伝子学的に近い病態であることが指摘されています。

 規則正しい生活を送っていても関節リウマチを発症するのと同様に、乾癬の場合も生活習慣に問題がなくても発症することがあります。ですから、乾癬は生活習慣が乱れているからだ、ということを言い過ぎると”差別”を生むことになりかねません。

 ですが、それなりに重症の人でも食事の内容を変えるだけで、あるいは禁煙をするだけで見違える程改善する人が少なくないのも事実です。実際、太融寺町谷口医院の乾癬の患者さんの多くは、初診時には「皮膚をなんとかしてほしい」といって受診されますが、そのうちに生活習慣病の治療や指導、禁煙治療などが主になっていきます。

 そして、全例とは言いませんが、大部分の人は生活習慣病がよくなり、禁煙も成功します。これは、辛い思いをした皮膚症状に二度と悩まされたくないという気持ちがあるからではないでしょうか。皮膚のところどころが真っ赤になり他人から避けられるという辛さ、さらに実際に銭湯や温泉の入場が断られる(かもしれない)という恐怖は並大抵のものではありません。

 ところで「世界乾癬デイ」はいつかご存知でしょうか。私はこれまでいろんな医師に尋ねてみましたが、皮膚科専門医も含めて答えられた医師はひとりもいません。しかし私は知っています。なぜかというと「世界乾癬デイ」は私の誕生日と同じ10月29日だからです。私は自分の誕生日が近づくと、「見た目」で温泉の入場を断られたという乾癬の患者さんを思い出すのです。

注1:McKean Hospital及びタイのハンセン病の事情についてNPO法人GINAのサイトで詳しく書きました。興味のある方は参照してみてください。
GINAコラム「タイのハンセン病とエイズ」2006年5月

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2014年11月10日 月曜日

2014年11月号 「総合」なるものの魅力(前編)

  「専門は何ですか」というのはプロフェッショナルの領域ではよくある質問であり、医師の世界でも同様です。医師にこの質問をすると、例えば「脳外科です」とか「循環器内科です」という答えが返ってきます。もう少し踏み込んで聞いた場合は「てんかんの外科を専門としています」「心臓のカテーテルアブレーション専門です」といった回答になります。

 では私の場合はどうかというと、医療者から聞かれたときは「大阪市立大学の総合診療部に所属していて、日本プライマリ・ケア連合学会の認定医と指導医をもっています」となります。もう少し具体的なことを聞かれた場合は、「日頃は大阪の都心部にあるプライマリ・ケアのクリニックで働いており、働く若い世代を中心に診ています」となります。

  一般の人や患者さんから聞かれた場合は、最近は随分「プライマリ・ケア」という言葉が浸透してきましたが、まだまだ周知度は低いために「総合診療をおこなっています」と答えています。「総合診療」という言葉もまだ充分に認知されているとは言えないかもしれませんが「プライマリ・ケア」という言葉に比べると、まだなんとなく理解してもらいやすいかな、という気がします。

 私が「総合診療」を医師としての専門にしたいと本格的に思ったのは、医師になりたての研修医1年目の夏休みでした。大学病院から1週間の夏休みをもらった私は、かねてから訪れたかったタイのロッブリー県にある世界最大のエイズ・ホスピスであるパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)を訪問しました。わずか1週間という短い期間でしたから、ボランティアをするつもりで訪れたものの、患者さんの役に立つことはほとんどできませんでした。

 何もできなくて患者さんや施設のスタッフには迷惑をかけただけでしたが、私にとっては、人生の中でこれほど重要な1週間もなかったといっても過言ではないと思います。まずエイズという病の凄絶さを目の当たりにしました。当時のタイではまだ抗HIV薬がなくその施設では毎日数人が死亡していました。当時のタイではHIV陽性者は生きる場所がなく、職を失い、道を歩けば石を投げられ、バスに乗ろうとすると引きずり下ろされ、病院では診察を拒否され、家を追い出され、行く場がなかったのです。それでも前を向いて生きていこうとしている患者さんがその施設にいて私は胸を打たれました・・・。この話をしだすと止まらなくなりますので話を元に戻します。

 その施設に訪問して私はエイズという病に本格的に取り組みたいと思ったわけですが、もうひとつ、私の人生に大きなインパクトを与えた出来事がありました。それは、当時その施設でボランティアとして活躍していたベルギー人の男性医師です。この医師はエイズ専門医ではありません。いわゆるGPと呼ばれる医師だったのです。

 GPとはgeneral practitionerまたはgeneral physicianの略で、日本語にすると「一般医」または「総合診療医」となります。ベルギーを含むヨーロッパ諸国の多くは、日本のようにどこの医療機関でも受診できるわけではなく、まずGPを受診します。そして必要あればGPの紹介状を持って「脳外科」「循環器内科」などの専門医や大きな病院を受診するシステムになっています。

 GPのそのベルギー人医師はエイズ専門医ではなく抗HIV薬を処方しているわけではありません。GP(総合診療医)として、HIVに伴う諸症状、というよりはHIVが原因かどうかに関係なく、患者さんの悩みをすべて聞いていました。間違っても(日本の医師がよく言う)「それは自分の専門外だから分からない」とは言わないのです。

  もちろんこの医師にできないこともありますが(というより、充分な薬剤や検査装置のないこのホスピスでできることは限られていました)、少なくとも「なぜそのような症状が出現していて、どのような経過をたどることが予想されるか、その症状を取り除くのに今できることにはどのようなものがあるか、そしてどの程度その症状が改善することが見込めるか」といった説明をするのです。「できることは限られているが、それでもあなたにできる最大限の医療をします」というメッセージがそばで診ている私にもビシビシと伝わってくるのです。

 ここで言葉を整理したいと思います。欧米諸国では「GP」という言葉が一般的ですが、医療者でない日本人にGPという言葉はほとんど普及していません。そもそも日本では少し前まで医学部を卒業すれば、整形外科とか産婦人科といった何らかの臓器を専門とする医局に入るのが普通であり、欧米諸国のようにGPという制度が存在しませんでした。

 しかし日本でも、今から10年くらい前から、臓器だけをみるのではなくすべてを診ることのできる医師が必要だという声が大きくなり、「プライマリ・ケア」「総合診療医」「家庭医」などという言葉が注目されるようになりました。学会としては日本プライマリ・ケア学会、日本総合診療医学会、日本家庭医療学会があり、これらは独自で活動していたのですが、目指すところは共通している部分も多く、紆余曲折があったものの、2010年に「日本プライマリ・ケア連合学会」として統一されました。

 したがって、現在の日本では医療者の間では「プライマリ・ケア」という言葉が最も浸透していると思われます。GPという言葉は日本では医療者の間でもあまり使用しません。一般の人たちの間ではプライマリ・ケアという言葉はまだそれほど浸透していないでしょうから、私自身が、専門は?と聞かれれば、プライマリ・ケアというよりも「総合診療」という言葉を用いるようにしているのです。(GP、プライマリ・ケア医、家庭医、総合診療医と多くの言葉を使うとややこしくなりますので、ここからは「総合診療医」で統一します)

 話を戻します。研修医時代に夏休みを利用してタイのエイズ施設を訪問し、そこで私はベルギー人の医師から総合診療の魅力を感じとりました。帰国後、残りの研修医の期間は、将来総合診療が担えるようにできるだけ多くの科でトレーニングを積み、毎日のように救急外来を手伝わせてもらい、可能であれば手術見学もさせてもらっていました。

 研修期間が終了しても私の実力などまだまだです。しかし、2年前に訪れたタイのエイズ・ホスピスにもう一度訪れたいと考えた私は再びタイに渡航しました。元々の予定では最低でも半年はボランティアを行う予定でしたが、諸事情から急きょ帰国しなければならなくなり、いったん1ヶ月ほどでボランティアを打ち切りました。

  しかし、この1ヶ月間で私が学んだことは非常に実りのあるものでした。このときは2年前にいたベルギー人の医師はいませんでしたが、アメリカ人の総合診療医(GP)が長期間のボランティアに来ていたのです。私はこの医師からも日本では学べないような多くのことを学ぶことができ、大変貴重な経験となりました。

 帰国後、いくつかの事情からタイに長期間滞在することができなくなり、日本で総合診療を学びたいと考えた私は、母校の大阪市立大学医学部の総合診療科の門を叩きました。当時は、日本で、しかも大学病院で総合診療を本格的に学ぶのは困難であることは分かっていましたが、それでも大学に所属しておくことで勉強がしやすくなるのではないかと考えたのです。

 大学病院にも総合診療科の外来がありますが、やはり大学病院を受診する患者さんには偏りがあります。そこで私は、大学での自分の外来は水曜日だけにさせてもらい、金曜日には他の先生の診察(主に婦人科)を見学させてもらうことにし、月、火、木は別の医療機関(内科、整形外科、皮膚科、アレルギー科など)に研修に行かせてもらうことにしました。(今考えればよくこんなわがままを聞いてもらえたものだと思います。自分の厚かましさに辟易とします・・・) 

  見学や研修ではお金はもらえませんから、平日の昼間はほとんど無収入でした。そこで土日や平日の夜中にいくつかの救急外来でアルバイトをして生活を凌ぎ、そして次回のタイのエイズ・ホスピス訪問にかかる費用を捻出していました・・・。

 今回のコラムでお伝えしたかったのは「総合診療」がなぜ興味深いのかということであり、さらに「総合」というものの魅力について話したかったのですが、自分の医師としての経歴の振り返りで文字がオーバーしてしまいました。

 実は、私のこれまでの人生で「総合」というものの魅力にとらわれたのは、総合診療というものを知った今回述べたタイでの出来事が初めてではありません。つまり過去にも何度か「総合」というものに魅せられたことがあるのです。次回はそのあたりについても述べていきたいと思います。

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2014年11月8日 土曜日

2014年11月8日 グレープフルーツでダイエット

  すでに糖尿病がある人や、その予備群の人、あるいは血糖値は正常だけれどもダイエットをしているという患者さんから言われる言葉に「果物は糖分が多いので食べないようにしています」というものがあります。

 また、医療従事者の中にも、果物の摂取が血糖コントロールに悪影響を与えることを懸念する声もあります。

 しかし、果物の制限は不要という意見もありこれを実証した研究があります。医学誌『Nutrition Journal』2013年3月5日号(オンライン版)(注1)に掲載された論文によりますと、肥満があり糖尿病の診断がついている患者に対して、果物摂取を制限しても血糖値や体重減少がみられることはないようです。

 この論文が正しいとすると、肥満があっても糖尿病があっても好きな果物をやめる必要はない、ということになるわけですが、さらに「グレープフルーツで血糖値改善+体重減少」という論文が出ましたので紹介したいと思います。

 医学誌『PLOS one』2014年10月8日号(オンライン版)に掲載された論文(注2)でマウスにグレープフルーツを与えた実験が紹介されています。実験では12匹のマウスを2つのグループに分け、双方に高脂肪食を与えながら、一方のグループにはグレープフルーツジュースを、もう一方のグループには水を飲ませています。

 100日後、グレープフルーツを与えたグループのマウスは、水のグループに比べ体重増加は18%低く、血糖値も13%低かったそうです。

 研究者は、グレープフルーツに含まれるnaringin(ナリンギン)と呼ばれる成分に血糖値を下げる効果があることを確認したそうです。

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 この研究はマウスを対象としたものでヒトでも同様の効果が得られるかどうかは判りませんし、食事療法の大原則として「同じものばかりを摂取するのはNG」です。間違ってもグレープフルーツジュースを1日1リットルというような日課を課してはいけません。

 しかしながら、過剰な効果は期待しない方がいいとは思いますが、グレープフルーツが好きな人は積極的に摂取してもいいと思います。糖尿病(予備軍も含めて)のある人や体重を気にしている人たちのなかには、日頃から食事制限で辛い思いをしている人も少なくありません。グレープフルーツが好きな人はどんどん食べればいいと思います。

 ところで、以前私はある患者さんから「あたしはマンゴーとドリアンが大好きなんですけど食べ過ぎると太りますか?」と質問されて答えに困ったことがあります。この患者さん(女性)は東南アジアが大好きで年に4~5回は短期旅行にでかけるそうです。

  熟れたマンゴーやドリアンはたしかにかなり糖分が多そうで、グレープフルーツとは同じように考えられないかもしれません。このようないかにも糖分が多そうな果物の研究について知っている人がいれば教えてください。

(谷口恭)

注1:この論文のタイトルは「Effect of fruit restriction on glycemic control in patients with type 2 diabetes – a randomized trial」で下記のURLで全文を読むことができます。
http://www.nutritionj.com/content/12/1/29

注2:この論文のタイトルは「Consumption of Clarified Grapefruit Juice Ameliorates High-Fat Diet Induced Insulin Resistance and Weight Gain in Mice 」で下記のURLで全文を読むことができます。
http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0108408

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2014年11月7日 金曜日

2014年11月7日 米国のA型肝炎流行は輸入ザクロが原因

  このサイトの「はやりの病気」の第127回(2014年3月号)「A型肝炎に要注意、可能ならワクチンを」でお伝えしましたように、日本では今年(2014年)A型肝炎が流行しました。米国では2013年に複数の州でA型肝炎がアウトブレイクしたのですが、その感染経路が特定され医学誌『The Lancet Infectious Diseases』2014年9月4日号(オンライン版)(注1)に掲載されましたので紹介します。

 2013年3月31日から8月12日に米国の10の州で合計165人がA型肝炎を発症しています。このうち153人(93%)がA店のBという商品(イチゴ、ラズベリー、ブルーベリー、チェリー、ザクロの実を含む冷凍ミックスベリー)を摂取していたことが判りました。合計69人(42%)が入院し、2人(1%)が劇症肝炎を発症し、そのうち1人は肝移植まで実施したそうです。幸いなことに死亡者はなかったようです。

 A型肝炎を発症した人から採取した検体を用いて遺伝子解析をおこなった結果、トルコから輸入されたザクロが疑わしいことが判明しました。

 A店は顧客カードに基づいて商品Bを購入した約25万人の顧客に電話で連絡し、Bを食べないように指導したそうです。さらにA店は、1万人を越える顧客のワクチン代金を支払っています。

 尚、アメリカでは2006年より生後12~23ヶ月の小児全員にA型肝炎ウイルスのワクチン接種をしており、小児での感染者はゼロだったようです。

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 この論文を読んで私が驚いたのは、A店及び行政の対応です。25万人に電話連絡し謝罪するのも大変だと思いますし、1万人以上のワクチン代金を負担したということに驚きました。また、暴露後(商品Bを食べた後)2週間以内の人にワクチンと免疫グロブリンを速やかに投与した州や地域の保健局の対応も見事です。

 同じことが日本で起こったとき、果たして今回のアメリカと同様の対応ができるでしょうか。

 A型肝炎ウイルスが混入したザクロを輸出したトルコがけしからん!と感じる人、あるいは、輸入時に検疫をすべき、と考える人もいるかもしれません。しかし、A型肝炎ウイルスというのは、日本や欧米を除いた地域ではいくらでもありますから、私自身の考えをいえば、国に頼るのではなく対策は個人でおこなうべきです。

 日本でのA型肝炎の発症の原因で最も多いのは生ガキの摂取です。次いで多いのは海外(特にアジア)で屋台などの現地料理を食べての感染です。タイの大洪水以降、A型肝炎ウイルスのワクチン接種希望者が増えていますが、無関心の人も依然少なくありません。

 ワクチン後進国のこの日本で、米国のようにA型肝炎ウイルスのワクチンが定期接種に組み入れられるのは現時点では絶望的だと私は思っています。ならば自分の身は自分で守るしかありません。

 劇症肝炎を起こしたアメリカ人は肝移植で救われたようですが、日本ではアメリカほどスムースに肝移植がおこなえるわけではありません。生ガキを食べたい人(ただし生ガキはノロウイルスのリスクもあることをお忘れなく)、海外(特にアジア方面)に行く人は、自分の身を守るためにワクチン接種を検討すべきです。

(谷口恭)

参考:はやりの病気第127回(2014年3月号)「A型肝炎に要注意、可能ならワクチンを」

注1:この論文のタイトルは「Outbreak of hepatitis A in the USA associated with frozen pomegranate arils imported from Turkey: an epidemiological case study」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://www.thelancet.com/journals/laninf/article/PIIS1473-3099%2814%2970883-7/abstract

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2014年10月29日 水曜日

2014年10月29日 糖尿病新薬「SGLT2阻害薬」服用で5人が死亡

  今年(2014年)になり、糖尿病の新しい薬「SGLT2阻害薬」が次々と発売になり、現在6つの製品(スーグラ、フォシーガ、ルセフィ、デベルザ、アプルウェイ、カナグル(9月3日発売))が発売されています。さらに、今年中にもう1種類「エンパグリフロジン」という一般名のものが発売になる予定です。わずか1年で同じ機序の薬が7種類、それも合計で15もの製薬会社が発売するという過去に例をみない事態となっています。これは、それだけSGLT2阻害薬が大きなマーケットになっているということです。

 新しい薬が発売になるときは、しばらくの間は副作用に注意しなければならないのですが、医療ニュース2014年7月3日「糖尿病新薬「SGLT2阻害薬」の副作用」でお伝えしたように2014年6月13日の時点で脳梗塞3例を含む重篤な副作用が報告されています。

 その後の副作用の情報が『日経メディカル』2014年10月17日号(オンライン版)でまとめられているので、ここで簡単に報告したいと思います。同誌によりますと、これまでで合計5人の死亡例が報告されています。

 スーグラ服用者で1人、フォシーガが3人、デベルザ/アプルウエィで1人です。(デベルザとアプルウェイは同じもので、一般名は「トホグリフロジン」です)

 いずれのケースも、これらSGLT2阻害薬の服用と死亡との因果関係は断定はできません。合計投与患者数は明らかでなく、医療機関が必ずしも届出をおこなっているとも限らず、正確な死亡発現頻度は不明です。また、どのSGLT2阻害薬でリスクが高いかといった比較ができるわけでもありません。

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 合計5人の死亡は、SGLT2阻害薬との因果関係は断定はできませんし、仮にSGLT2阻害薬が原因だとしてもそのメカニズムは明らかにされていません。しかしながら、以前お知らせしましたように脳梗塞が3例発症したことと合わせて考えると、急激な脱水が起こったことが原因である可能性があります。

 SGLT2阻害薬は、血中の”不要な”糖を尿と一緒に排出する薬です。ということは、糖と一緒に血中に”必要な”水分も排出してしまう可能性があります。実際、糖と一緒にナトリウムの排出が増えることが分かっており、ナトリウムの排出が増えると水分の排出も増えるのです。

 ここからいえることは、SGLT2阻害薬を内服するときは水分摂取に気をつけよう、ということになります。しかし、糖尿病のせいで尿量が多いために日頃から積極的に水分を摂取しているという人も多いわけで、そのような人たちに「さらに水分を・・・」というのは大変かもしれません。

 どうしてもSGLT2阻害薬が必要な人は、そのあたりに注意して服用を続けなければなりませんが、果たして、「どうしてもSGLT2阻害薬が必要な人」はそんなに多いのでしょうか。古くから使われている安くて安全な薬もあるわけです。

 わずか1年で同じ機序の薬が7種類、それも合計で15もの製薬会社が発売するという事態が私には異様に感じられます・・・。

(谷口恭)

参考:
医療ニュース2014年7月31日「糖尿病新薬「SGLT2阻害薬」の副作用」
はやりの病気第125回(2014年1月)「糖尿病治療の変遷」

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2014年10月27日 月曜日

2014年10月27日 歩く速度が遅いのは認知症のリスク

  認知症のリスクにはいろんなことが言われていて、生活習慣病や喫煙はその最たるものです。その逆に、認知症のリスクを下げる方法には絶対的なものはありませんが、運動がリスク低下につながるとした報告はいくつかあります。

 では、運動不足はどうかというと、直感的には運動不足は認知症のリスクにつながりそうです。今回は「運動不足」ではなく「歩行時の速度」ですが、認知症のリスクについて興味深い研究が発表されましたので紹介したいと思います。米国Yeshiva University(イェシーバ大学)のJoe Verghese氏らがおこなった研究が医学誌『Neurology』2014年8月19日号(オンライン版)に掲載されました(注1)。

 研究者らは、まず「運動認知リスク症候群」(motoric cognitive risk syndrome, 以下MCR)という概念に注目しています。この概念は、まだ日本の教科書などには登場していませんが、近年少しずつ注目されるようになってきており、定義としては「遅い歩行速度と軽度の認知異常がある状態」となると思います。

 今回の研究の対象者は、認知症になっていない60歳以上の男女26,802人です。過去におこなわれた疫学データを分析し、MCRと認知症の関係が調べられています。

 研究開始時点で全体の9.7%がすでにMCRと呼べる状態になっていたそうです。高齢になる程有病率は高くなったものの男女差はなかったようです。また、興味深いことに高学歴者にMCRは少なかったそうです。

 次いで、最長で12年間にわたる対象者の追跡調査がおこなわれました。その結果、研究開始時点でMCRの診断がついていた人は、そうでなかった人に比べて認知症の発症率が約2倍であることが判ったそうです。

 MCRの診断で歩行速度が「遅い」とされるのは、時速3.5キロメートル以下だそうです。

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 この研究が興味深いのは、認知症の決定的なリスクが分かりにくいなかで「歩く速度」という客観的な観察がしやすい事象に注目していることです。認知症の初期というのは、本人からも家族からもなかなかわかりづらいものであり、自他が気付いたときにはすでに進行していて薬開始のタイミングが遅れた・・・、ということがよくあります。

 ただ、MCRは、認知症が起こり始めているから歩行速度が遅くなるのか、歩行速度が遅くなることで認知症のリスクが上がるのかは現時点の研究では判定できません。前者であれば予防にはつながりませんが、後者であればもしかすると日頃から歩行速度を速くするように意識することで認知症のリスクが低減できるかもしれません。

 歩行速度を速くすれば、生活習慣病の予防にもなりますし、適正体重の維持にもつながります。逆に、交際を開始しだしたばかりのカップルのデートやウィンドウショッピングを除けば、歩行速度を遅くしていいことはあまりなさそうです。

 ならば通勤時の歩行速度を速くして、仲睦まじいカップルは速歩きを心がけたウォーキング・デートを考えてみてはどうでしょうか。

(谷口恭)

参考:
メディカルエッセイ第141回(2014年10月)「速く歩いてゆっくり食べる(前編)」
医療ニュース(2010年4月14日)「歩くのが速い女性は脳卒中を起こしにくい」

注1:この論文のタイトルは「Motoric cognitive risk syndrome Multicountry prevalence and dementia risk」で下記URLで概要を読むことができます。
http://www.neurology.org/content/83/8/718.short?sid=06e461c3-cb03-48d0-b1e0-ee5d0684c385

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2014年10月21日 火曜日

第134回 誤解だらけの脂肪肝とNASH 2014/10/21

 患者さんの病気に対する認識が我々医療者の認識と随分と異なっていて驚かされることがしばしばあります。例えば、抗ガン剤は百害あって一利なしと思っている人、ステロイドが猛毒だと信じている人、すぐれた薬が開発されたからHIVは予防しなくてもよいと思っている人、活性酸素が怖いといって一切の運動を行わない人、などいくらでも挙げることができます。

 今回はそんな患者さんの”誤解”のなかで、最近特に目立つと私が感じている「NASH」について紹介したいと思います。NASHは「ナッシュ」と呼び、正式名は「Nonalcoholic Steatohepatitis」で、日本語では「非アルコール性脂肪肝炎」と言います。(steato-というのは脂肪という意味の接頭語で医学用語ではよくでてきます)

 患者さんにこの病気について最初に話をするときは「非アルコール性脂肪肝炎と呼ばれる病気で・・・」というような説明をすることもありますが、患者さんにも「ナッシュ」という呼び名を覚えてもらうように私はしています。ナッシュという言葉の響きがどこかかわいらしいですし(病態自体は憎いものですが)、ほとんどの患者さんは「非アルコール・・・」よりも「ナッシュ」の方が覚えやすいと言います。

 このNASHについて何が”誤解”かというと、NASHという病気の名前を知っていてもただの脂肪肝と思っている人が非常に多いのです。これは完全な誤りで、NASHとは放っておけばガンになるかもしれない大変重要な病気です。実際、NASHの診断がついた人の1~2割は10年後に肝臓ガンになることが指摘されています。

 ここで言葉を整理したいと思います。NASHすなわち非アルコール性脂肪肝炎という病名に、わざわざ「非アルコール性」と付けられているのは「アルコール性」と区別する必要があるからです。

 周知のようにアルコールを飲み過ぎると肝臓がやられます。まず「アルコール性脂肪肝」という状態になり、これが進行すると「アルコール性肝炎」となり、さらに進行すると「アルコール性肝硬変」あるいは「肝臓ガン」にまで進展します。こうなれば命にかかわる状態となります。つまりアルコールというのは肝臓の組織を崩壊させ死に至る病に移行させることもある大変危険な物質なのです。(もちろん適量であれば病気をもたらすどころか、その逆に健康増進につながるものでもあります)

 一方、アルコールによるものではない、単に食べ過ぎや肥満から起こる脂肪肝はそれほど重要視されてきませんでした。アルコールは依存性があるために簡単にやめられないのに対し、食べ過ぎや肥満から起こる脂肪肝は「やせればいいんでしょ」というふうに捉えられることが多いからでしょう。(実際はやせるのも大変な場合が少なくないのですが)

 NASHの詳しい説明に入る前にもうひとつ別の病名を紹介したいと思います。それは「NAFLD」というもので「ナッフルディー」と呼びます。正式名称は「Nonalcoholic Fatty Liver Disease」で日本語では「非アルコール性脂肪性肝疾患」です。ナッシュと同様、これも日本語の「非アルコール性・・・」は覚えにくいでしょうから、ナッフルディーと呼ぶ方がいいでしょう。

 NAFLDはNASHを含む非アルコール性の肝障害をすべて包括したものです。NASHは「肝炎」ですから肝細胞に炎症がある状態で、NAFLDの重症型と言うことができます。そして日本人のNAFLDの1~2割がNASHであると言われています。日本では健康診断を受けた人の1~3割、あるいは日本人の1,500万人~2,000万人がNAFLDであることが指摘されています。ただ、健診の結果の説明を受けるときは、「あなたはNAFLDですよ」という言われ方はあまりしないと思われます。実際には、「肝臓の数字が少し悪いですね」とか「脂肪肝になってますね」という言い方をされているはずです。

 日本で1,500万人~2,000万人がNAFLDで、そのうち1~2割がNASH、そしてNASHが進行すると肝硬変や肝臓ガンになる、10年後の発ガン率は1~2割・・・、と言われればなんとしても防ぎたい疾患であることがわかると思います。

 ではNAFLDにならないように肥満に気をつけよう、という考え方は間違っていません。さらに、NASHは脂肪の摂り過ぎという生活習慣の乱れからきているんだから、他の生活習慣病も一緒に予防すればいいんだな、という考えも正しいといえます。実際、NASHのなかで肝臓ガンが発生しやすい人というのは「肥満が顕著で生活習慣病を合併している人」です。例えば、NASHがあり、BMI35(身長160cmなら約90kg、170cmなら約100kg)で肝臓ガンの発生率が4倍になり、糖尿病があれば2~4倍、また高血圧も発ガンのリスクであることが分かっています。

 NASHは肥満があれば起こりやすいわけですから、男性では肥満者が増加する30~40代から増え出します。女性の場合は閉経後に増えるという特徴があります。しかし、男女とも小児期から肥満があれば20代でも起こりえます。

 では、やせていれば問題ないのかというと、そういうわけでもありません。特に怖いのが極端にやせている人、とりわけ拒食症を患っている人です。拒食症が「死に至る病」であることは以前紹介しましたが(注1)、拒食症の死因のひとつがNASHであろうと言われています。カレン・カーペンター(といっても若い人は知らないかもしれませんが)は拒食症から心不全を来したとされていますが、直接の死因はNASHだったのではないかとの噂もあります。

 肥満がある人はやせること、あるいは拒食症の人は食べること、つまり適正体重を保つことがNASHの予防になるわけですが、では進行してしまったNASHに対してはどのような治療をすればいいのでしょう。残念ながら現在NASHに有効な薬はほとんどありません。新しい薬に期待できないのかというと、最近(2014年8月)米国でNASHに対する新薬が承認されましたので近いうちに日本でも処方可能になるかもしれません。しかし、大切なことは薬に頼るのではなく、どの段階であったとしても、つまりすでに肝細胞の障害が進行していたとしても、適正体重にもっていく努力をすることです。

 どうしてもやせることができないという人には手術という選択肢もあります。どこの医療機関でもおこなっているわけではありませんが、食事量を減らすことを目的とした胃の手術がいくつかあります。(ただし、現時点ではこれらの手術に保険適用はなく全額自費診療となります)

 最も侵襲性が低い(身体への負担が小さい)手術は「内視鏡的胃内バルーン留置術」と呼ばれるもので、簡単にいえば、胃カメラを用いて胃の中でバルーン(風船)を膨らませてそれを胃内に留置するという方法です。バルーンのせいで胃の体積が減ることで食事量が減るというわけです。

 全身麻酔下で腹腔鏡を用いた手術(腹部を大きくあけるのではなく小さな穴を3カ所ほど開けてそこから器具を挿入する手術)もあります。「腹腔鏡下調節性胃バンディング術」といって胃全体を外側からバンドでくくって胃内の体積を小さくする方法や、「腹腔鏡下スリーブ状胃切除術」といって胃の大部分を切除して胃を腸のような細い管にしてしまう方法があります。

 NASHは生まれたときから患っている人はいないわけですし、感染するものでもありません。たしかに、遺伝的に太りやすい、脂肪をためやすい、そしてNASHになりやすいということはあります。実際、米国でもヒスパニック系はNASHに遺伝的になりやすいことが指摘されています。

 ただしすべて遺伝で決まるわけではなく、実際には遺伝よりも生活習慣の占める割合の方が大きいのです。ならば肥満(あるいは極端なやせ)がある人は、今一度肥満(やせ)のリスクについて再考し、生活習慣の見直しをするべきということになります。

 NAFLDという言葉を聞いたことがないという人も、もしも健康診断などで「軽度の肝機能障害がある」、「肝臓の数字が少し悪化している」、「脂肪肝がある」などということを言われたことがあれば、NASHの可能性はないのかどうか、日常生活でどのようなことに気をつければいいのかについてかかりつけ医に聞いてみることをすすめます。

 おどかすようで恐縮ですが、NAFLDの1~2割がNASHであり、NASHの1~2割が10年後に肝臓ガンになるということは覚えておいた方がいいでしょう。

注1:詳しくは下記を参照ください。
はやりの病気第38回(2006年10月)「本当に恐ろしい拒食症」

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2014年10月21日 火曜日

第141回(2014年10月) 速く歩いてゆっくり食べる(前編)

  歩くことが健康増進につながるのは間違いないのですが、日常の診療では、よく歩いているのにもかかわらず生活習慣病が改善しない、という人がいるのも事実です。また「1日1万歩」という言葉が一人歩きしていますが、例えば20代の健康な人が1日1万歩をゆっくりと歩いても健康増進にはほとんど意味がないでしょうし、その逆に80代の高齢者であれば早歩きで4千歩も歩けば充分健康に寄与します。

 日頃の患者さんをみていても、「営業職で歩くことが多いから大丈夫です」とか「会社から帰宅するとき散歩をしてから電車に乗るようにしています」という人でも生活習慣病が改善せず悪化していくような人もいます。その逆に、「運動の時間はとれず内勤なのでほとんど歩いていません」という人でも日常の中のちょっとした工夫でダイエットに成功し、生活習慣病が改善する人もいます。

 私は医師として生活習慣病を抱える患者さんを多くみてきましたが、運動をしていても(食事の量が増えているわけでもないのに)生活習慣病が改善しない人がいること、また、その逆にあまり時間がとれなくて最低限のことしかしていないという人でも改善することも多いことが数年前から気になっていました。

 当初私は、(患者さんには失礼ですが)患者さんが本当のことを言っていないのではないかと考えていました。つまり、「営業職で歩く」といってもわずかな距離を大袈裟に言っているのではないかと考え、その逆の「さほど運動できていない」と言って効果がでている人は謙遜して控えめに話しているのではないか、と思っていたのです。

 しかし、数多くの患者さんを診ているなかで、どうもそういうわけでもなさそうだ、ということに気付くようになりました。ここで私が太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)で診ている2人の患者さんを紹介したいと思います。(といっても患者さんの情報を公開するわけにはいきませんので、本人が特定できないようにアレンジを加えています)

 ひとりめの患者さんは40代の男性(Aさん)で、仕事は通信機器の営業です。軽度の高血圧と高脂血症、さらに肥満があり、3~4ヶ月に一度私の元を受診しています。運動は得意でもないけれど苦手というわけでもないそうです。営業には電車を使い、歩く距離は少なくないと言います。また、仕事が早く終われば一駅分歩くようにしていて、さらに週末は自転車に乗ることを心がけているそうです。
 
 できるだけ薬は使わないというのが生活習慣病の治療の基本ですし、またAさんもそのように考えているために、生活習慣の改善、具体的には食事の量と内容の見直し、そして運動をおこなうよう私は助言しています。診察を開始して2年近くがたちますが、残念ながら中性脂肪の値も血圧の数値も良くなるどころか少しずつ悪化してきています。このままでは薬を開始しなければならなくなります。

 ふたりめの患者さんは50代の公務員の女性(Bさん)です。BさんもAさんと同じように軽度のメタボリック・シンドロームがあり、谷口医院受診のきっかけは、健診で異常を指摘されて、というものでした。BさんはAさんと異なり、運動は苦手とはっきりと言います。そして、主婦でもあるために運動時間をとることはできない、ウォーキングは定年退職後におこなうことを考えているけれども今は無理、ということでした。

 そこで私は、今の状態でもできることをアドバイスしました。職場が3階だというので、まず職場では階段を使うこと、駅でも可能な限り階段を使うことをすすめました。電車では座らずにつり革を持って可能な範囲でつま先だちを繰り返す運動をおこなってもらうようにしました。(これを「カーフ・レイズ」と呼びます。本格的なカーフ・レイズはバーベルを持っておこないますが、自体重だけでも充分な運動になります) そして速歩きを心がけるように助言しました。結果は、これを3ヶ月おこなっただけで2kgの減量と、肝機能、中性脂肪の値が改善し、血圧も血糖値も下がったのです。(ちなみに、自宅でダンベルを用いた筋トレもすすめたのですが、これはやってもらえませんでした)

 筋肉量を維持するには筋肉にある程度の負荷をかける必要がありますし、丈夫な骨を維持して骨粗鬆症を予防するのにもある程度の負荷が不可欠です。ならば筋トレをすればいいではないか、となるわけですが、先に紹介したBさんのように、理屈では分かっていても実際には・・・、という人は少なくありません。ジョギングは、特に下半身の筋肉量維持や股関節の骨折予防、また膝関節症の予防にもなるのですが、継続しておこなうのはそれなりに大変で、運動が苦手という人には相当ハードルが高いといえます(Bさんもそうでした)

 ではどうすればいいのか、ですが、私はウォーキングをすすめています。ただしどのようなウォーキングでもいいというわけではありません。私は直接Aさんが歩いているところを見たことがありませんが、おそらくAさんの歩く速度では遅すぎるのです。つまり、一般的な歩行速度では、あまり意味がないということです。高齢者ならまだしも40代で普通の速度(おそらく時速はせいぜい5km/hr程度でしょう)であればあまり生活習慣病の改善にはつながらないのです。

 Aさんは自転車にも乗っていると言っていましたが、市内で自転車に乗ってもあまり健康増進には寄与しません。ウォーキングにしてもサイクリングにしても少し心拍数が上昇するくらいにもっていく必要があります。しかし、心拍数が上がるほど自転車をこぐとスピードが出過ぎて危険です。ウォーキングであればこのような危険性はありませんし、少し心拍数が上昇するくらいの速度を意識するようにすれば大変有効な運動になります。
 
 Bさんが実践しているように「階段を使う」というのも大変優れた方法です。谷口医院の何人かの患者さんは、駅では原則として階段を使うというのをルールにしています。実際にやってみると分かりますが、日頃運動をしていない人がエスカレーターを使わないというのはけっこうしんどいものです。しかし、慣れてくると階段の利用がそれほど苦痛でなくなってきます。

 ウォーキングは速く歩いてこそ意味がある、というのは私ひとりが主張していることではなく科学的に実証した疫学データもあります。日本で最も有名なのは、東京都健康長寿医療センター研究所の青柳幸利医師がおこなった青柳研究(中之条研究とも呼ばれています)です。この研究は、群馬県中之条町の65歳以上の高齢者約5,000人を対象として13年間の追跡調査をおこない、1日の歩数や運動強度と健康の関係を調べたものです。その結果「1日8,000歩、20分の速歩き」が健康の鍵という結論が導かれています(注1)。

 海外でも歩く速さと生活習慣病の関係の研究はときどき報告されており、例えば医学誌『Journal of the American Heart Association』2010年4月6日号に掲載された論文では、歩くのが速い女性は脳卒中を起こしにくい、ということが述べられています(注2)。

 また、最近では「運動認知リスク症候群」(Motoric cognitive risk syndrome、MCRと略されます)という疾患の概念が確立されてきています。これは、遅い歩行速度と軽度の認知異常がある状態のことをいい、認知症の前段階と言われています。ここで重要なのは、「軽度の認知異常」は本人にも家族にも分かりにくいけれども、「遅い歩行速度」なら気付きやすい(気付かれやすい)ということです。早い段階で認知症のリスクが評価されると、適切なタイミングで薬を開始することが可能になります。

 私は、メディカルエッセイ第129回(2013年10月)「危険な「座りっぱなし」」で健康を増進させる「10個の習慣」を提唱しました(注3)。「10個の習慣」の1つがExercise(運動)であり、今回はそのひとつのExerciseについて述べました。まとめると、次のようになります。

・本格的な運動のハードルが高い人にはウォーキングがおすすめ
・ウォーキングのためのまとまった時間がとれないという人は日頃から速歩きをこころがける
・エスカレーターやエレベーターは極力避けて階段を使う
・漠然とゆっくり歩いて歩数を稼いでも健康増進には寄与しない
・日常生活で筋トレもできる。電車の中でのカーフ・レイズはそのひとつ
・年齢に応じたトレーニングを考慮する

 次回は「10個の習慣」のひとつであるEating(食事)について、最近の研究結果を踏まえて効果的な食事について述べていきたいと思います。

注1:この研究は下記URLで詳しく知ることができます。
http://www.yakult.co.jp/healthist/221/img/pdf/p20_23.pdf
また、青柳医師の著書『病気の9割は「運動」が原因』(あさ出版)でも詳しく知ることができます。このタイトルは一見すると運動を否定したもののようにとれますが、実際には適度な運動が推薦されています。おそらく出版社や編集者がインパクトのあるタイトルを求めたためにこのような誤解を招くものになったのだと思います。

 
注2:詳しくは、下記医療ニュースを参照ください。
2010年4月14日「歩くのが速い女性は脳卒中を起こしにくい」

注3:下記コラムを参照ください
メディカルエッセイ第129回(2013年10月)「危険な「座りっぱなし」」

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