メディカルエッセイ
第68回(2008年9月) 「医療はサービス業」という誤解
医療はサービス業と捉えている人がいますし、なかには医療従事者のなかにもこのような発言をする人がいるようですが、私自身は、医療はサービス業ではないと思っています。
日頃の診察で、患者さんの希望に応えられないときにこのことを感じることがあります。今日はそのあたりを考えてみたいと思います。
診察室で患者さんから言われる言葉に次のようなものがあります。
Aさん「これだけ待たされたんだから、○○(薬の名前)を処方してください」
Bさん「点滴をしてほしくて長時間待ったのに、なぜしてもらえないんですか」
Cさん「友達はここで血液検査を受けることができたのに、どうして私には検査をしてくれないんですか」
これらを詳しくみていきましょう。
まずはAさんの事例です。Aさんはある症状が気になって忙しい合間をみつけて受診しました。Aさんはその症状には○○という抗菌薬(患者さんは「抗生物質」「抗生剤」などと言います)が効くと信じています。ところが、医師が診察をするとAさんの症状は細菌感染を示唆するものではなく、抗菌薬が不要な状態です。しかし、それを医師がいくら説明してもAさんは納得しません。そして最後に出たのが「これだけ待たされたんだから・・・」という言葉です。
たしかにレストランなどのサービス業では、長時間お客さんを待たせてしまった場合、料金を安くする、サービス券を贈呈する、料理を一品無料で出す、などの”サービス”をおこなうことがあるでしょう。
しかし、医療機関では「待たされたんだから希望の薬をだしてほしい」という理屈は通用しません。たしかにお待たせすることは我々医療従事者も申し訳ないと感じていますが、待ち時間の長さと処方する薬の内容や量とはまったく関係がありません。
次にBさんの事例をみてみましょう。点滴を希望する患者さんは少なくありません。日本人には”点滴神話”というものがあり、「点滴をすればすぐに元気になる」と信じている人もいます。また医師の側も、海外に比べるとすぐに点滴をおこなう傾向にあると指摘されることがあります。(私がタイのエイズホスピスで医療活動をおこなっているとき、欧米の医師はよほどのことがない限り点滴をしませんでした。エイズ末期で食事を摂れないような患者さんにさえ「一度点滴をおこなうと癖になってしまうから・・・」という理由で点滴を許さないのです。日本人医師の私がタイ人の看護師に点滴の指示を出しても翌日には欧米の別の医師が点滴中止の指示を出すということがよくありました。タイ人の看護師にしてみればさぞかし困惑したものと思います・・・)
さてBさんの事例に戻りましょう。原則的に、「緊急的に薬剤を体内に入れる必要があるとき」、「ひどい脱水がある場合」、「吐き気や下痢がひどく放置すれば脱水になるような場合」、「絶飲しなければならないような場合」などを除けば、点滴が医学的に必要になることはありません。
東京には「点滴バー」などというものがあって、栄養剤の入った点滴をおこなうサービス機関があるそうですが、これは保険診療ではありません。こういう機関は「サービス業」をしているわけですから待ち時間に関係なく希望すればお好みの点滴をしてくれるでしょう。(私なら栄養剤が必要と感じればドリンク剤を買いますが・・・)
保険診療をおこなっている医療者からみれば、いくら待ち時間が長くなろうが「医学的に適用のない症例に点滴はできない」のです。
次にCさんの事例をみてみましょう。健康診断や人間ドックなどを除けば、血液検査を保険診療でできる場合は、何らかの症状があったり、それなりに病気を疑ったりする場合に限ります。ですから、「友達が血液検査を受けた」のは、その検査が医学的に必要だったからであり、誰もが受けることができるわけではありません。(自費での検査なら可能です。また比較的頻度の高い疾患で自覚症状が出にくいようなものであれば場合によっては無症状でもできることがあります)
Cさんの事例を一般のサービス業で考えてみましょう。例えば、Cさんの友達が先週末新しくできたホテルに泊まったとします。友達が良かったと言っているのを聞いて、Cさんもそのホテルに泊まろうとやってきました。ところが、満室でもないのにホテル側がCさんの宿泊を断ったとします。この場合、Cさんが激怒するのは当然です。「お金を払わないと言っているわけでもないのになんで友達は泊まれて自分は泊まれないんだ!」、となり、場合によっては訴えることを考えるかもしれません。
基本的に、社会常識を逸脱した言動をとらない限りは、「支払うお金に対等するサービスを提供する」のがサービス業の役割です。
一方、医療機関では「いくらお金を積まれても医学的に適用のない検査や薬の処方は(少なくとも保険診療の範囲では)できない」のです。
では、医療機関はサービス業でないなら何なんだ、という疑問が出てきますが、私自身は、医療機関は「公共の資源」と考えています。公共の資源だからこそ、国民ひとりひとりが毎月払っている保険代を使って、病気や怪我の人の治療をおこなうことができるのです。
ただ、確かに医療機関を受診すれば通常は3割の自己負担代金を徴収されますし、もしも医療従事者の態度が悪かったり、待合室が汚かったりすれば腹立たしい気持ちになるでしょうから、「医療機関はサービス業じゃないんだから患者はおとなしくしていればいいんだ」などと思っているわけではありません。
それに、公共の資源といっても、会計上は「利益」を出して「税金」を払えなければ医療機関はつぶれてしまいます。(このあたりが、「医療=サービス業」と思われる所以かもしれません)
そろそろまとめに入りましょう。
我々医療者は、できるだけ患者さんの待ち時間を減らし、要望に応えたいと考えています。当院では、待ち時間をできるだけ少なくするために予約制度を何度も見直し、待合室の快適さを追求しています。またご要望をできるだけお聞きするために「診察室では気になることをなんでもお話ください」という方針を開院以来貫いています。
もちろんまだまだ未熟な点が多々ありますが、常に患者さんの立場にたって・・・というのはミッションステイトメントにもある通りです。
ただ、「これだけ待ったんだから・・・」「お金を払うんだから・・・」という理論はちょっと違うのでは・・・ということをご理解いただきたいのです。
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