マンスリーレポート
2015年3月号 競争しない、という生き方
日頃温厚な人が突然怒り出すと驚かされますし、自分が何か悪いことをしたのだろうか・・・、と反省させられます。そしてこのような経験をすると記憶からなかなか消えないものです・・・。
私は大学(医学部ではなく関西学院大学社会学部)を卒業した後、大阪に本社がある中堅の商社に就職しました。1991年4月25日(だったと思います)は、私が生まれて初めて給料をもらった日です。学生の頃にアルバイトはしていましたが、それほど稼いでいたわけではなく初めて「大金」を手にした日です。もちろん「大金」といっても20万円ほどですが、それでもまとめてこのようなお金を手に入れたことはありませんでしたから嬉しいものです。
初めての給料日には同期で飲みにいきました。そこで給与明細の見せ合いをしたときに、その席にいた同期の二人よりも私の基本給が低いことがわかりました。たしか2千円くらいの差で、私はそれほど気にならなかったのですが、この出来事を翌日の昼休みに上司に話すと、普段は温厚なその上司が突然怒り出したのです。そして、「総務部に抗議しにいってくる!」と言って部屋を飛び出しました。
基本給の差の原因は年齢にありました。給与明細を比べた二人は一浪で大学に入っていたために、私よりも実年齢が1つ上だったのです。その会社ではキャリアよりも年齢をベースに給与を算出していたのです。総務部でこの説明を聞き、その上司も納得して戻ってきました。私自身は、まだ仕事らしい仕事が何一つできていない自分が給料をもらうこと自体に後ろめたさも感じていましたから、同期より低くても全然問題はなかったのですが、その上司の行動には驚かされました。
平成不況が深刻化した1997年から1999年にかけて、私と同年代のサラリーマンは自主退職もしくはリストラの危機にさらされるようになりました。1968年生まれの私と同世代の大卒は「バブル組」と呼ばれ、希望すればどこにでも就職できた恵まれた世代です。しかし平成不況が長引くと、自社にとどまるのがむつかしく退職すれば仕事がない、という悪夢のような時代へと移っていきました。
その後、いったん持ち直したかのようにみえた日本経済はリーマンショックで再び奈落の底へ落ちていきました。大卒でも就職できない若者がクローズアップされたためにあまり目立ちませんでしたが「バブル組」たちのリストラは一層過酷なものとなっていました。
私と同世代のある男性は「次は自分かもしれないと思うと、同僚がみんなライバルにみえて本音で話せない」と言っていました。また、別の男性は「人事部の自分は、これまで仲良くやってきた同期の人間も解雇しないといけなくて辛い・・・」と話していました。結局この男性は良心の呵責に耐えきれずに自ら辞表を提出したそうです。「今になって思えば、自分から退職を申し出ることを会社は予測していたに違いない」と言っていました。
資本主義は競争社会と言われることがあります。ライバルの同僚が会社に残れば自分はクビになる・・・。他人を蹴落とさなければ出世できない・・・。会社に残るためには勝ち続けなければならない・・・。これらはたしかに見方によっては「事実」かもしれません。けれど、こんなことばかり考えていればて生きていくのがイヤになってこないでしょうか。
いっそのこと競争社会からおりてみればどうでしょう。あるいは、初めから競争社会に入らない、という選択肢はどうでしょう。
実は私自身は、それを初めから意識していたわけではないのですが、競争とは縁のない人生を送っています。先に述べた新卒で入社した会社は、当時全従業員が800人程度の会社で決して大企業ではありませんでした。希望すればほとんどの大企業に内定がもらえたあの時代に私はあえて大企業を避けました。その理由はいくつかありますが、「大企業の中での競争がしんどそう」というものと「全体を見渡せるようになりたい」というのが大きなものです。
大きくない企業なら会社全体を把握しやすく、いろんな勉強ができると考えたのです。また、大きくない企業なら同じ部署内での競争もあまりないだろうと考えました。私は海外事業部に配属されましたが、同期は女性一人のみ。その女性は外国語大学出身で入社時からすでに英語を話せていましたから、まったく英語のできない私は競争相手にすらならなかったのです。
結局、勉強させてもらうだけさせてもらい、会社にほとんど貢献することなく退職することになった私は、その会社や当時の先輩社員には今も頭が上がりません。いろんな意味で私を成長させてくれたその会社は、今も安定した実績を維持しており平成不況のなかでもリストラをしなかったと聞いています。
私が就職活動をしているとき、同級生のなかに、「電通と伊藤忠と住友銀行とNTTを受ける」と言っていた者がいましたが、私にはいったい何をやりたいのかが分からないこういう考えが理解できません。とはいえ、当時はこのような「ブランド志向」の若者が大勢いましたし、おそらく今もこのような者はいるでしょう。
会社を辞めた私は医学部受験に専念することになります。医学部受験も競争、という意見があるでしょう。しかし、私が言っている「競争社会からおりる」とは意味が全然違います。私は、努力を放棄せよ、と言っているわけでは決してありません。むしろその反対で、人間は生涯に渡り努力をし続けなければならない、という考えをもっています。私が避けるべきと考えている「競争」とは、「身近な人との競争」です。
医学部受験では自分が合格すれば誰かが不合格になります。しかし合格した者はその不合格の者の顔を知りませんし、不合格の者も合格した者の顔が分かるわけではありません。同じクラス全員が同じ医学部受験をすればそういうことが起こるでしょうが、もしもこのようなことがあるとすれば、むしろ一致団結し、顔の見えない他校の生徒に勝つことを考えるはずです。
TOEICを私が初めて受けたのは会社に入って間もない頃ですが、このときの点数は500点に満たないものでした。それから、努力を開始し、もちろん身近な人に勝つためではなく自分の英語力を高めるためですが、毎回受ける度にちょうど50点ずつくらい面白いように上がっていきました。会社を辞める直前に受けたときの点数が、たしか896点で、これが私の生涯の最高得点です。それからは医学部時代に一度だけ受けましたがこのスコアを超えませんでした。今も受けたいのですが、試験を受ける時間がないという言い訳をしてさぼっています。次回は医師をリタイヤしてから受けるつもりです。
社員全員がTOEIC受験を義務づけられ下位10%がリストラの対象になる、とされればどうなるでしょう。もしもこのようなことが起こると職場はギスギスしたものになり、例えば過去問が手に入ったとしても、同僚に秘密にするかもしれません。つまり、このような社内での競争はすべきでないのです。
もしも会社が社員の英語力を上げたければ、部署ごとの平均点を出して、前年よりも平均点が高くなればプレゼントを贈る、というような方式にすべきです。こうすれば全員が努力するようになりますし、英語の得意な者は苦手な者に率先して教えることをするはずです。コミュニケーションが潤滑になり団結力が向上します。
私のもうひとつの母校である大阪市立大学医学部にはキャンパス内に「グループ学習室」という素晴らしい部屋があります。この部屋に気の合ったグループが集まり、分からない問題を提示してグループ全員で考えたり、当番の者が事前に勉強してきたことを披露したりするのです。もちろんグループ学習をしようと思えば、自分ひとりだけ分からない、ということがあれば進行の妨げになりますから、グループ学習に備えて独りで勉強する時間も確保します。
医師の世界を競争社会と思っている人もいるようですが、実際はそうではありません。教授選のときはそうなんじゃないの?という人もいますが、そもそも医学部の教授を目指す人自体があまりいませんし、多くの医師は「ポスト」というものを重視しません。役職がつけばかえって余計な仕事が増えますから出世を嫌う医師も少なくないのです。私自身もそうです。純粋に医療をおこなうのが医師の醍醐味なのです。
私自身は現在クリニックの院長という立場ですが、医療機関どうしの競争というものも存在しません。これが例えばコンビニなら、1位はどこで利益が前年比いくらアップで・・・、という話になりますが、医療機関はそもそも営利団体ではありませんし、患者数が多すぎるのも困りますし、目の前の患者さんの健康に貢献できればそれでOKなのです。
身近な人と競争しなければならない・・・。これほどしんどいこともないのではないでしょうか。たしかにこのような境遇に身を置かねばならない人もいます。代表はスポーツ選手や芸能人でしょうが、政治家、官僚なども該当するでしょう。大企業の社員もそうなのかもしれません。競争大好き!という人はそれでもいいでしょうが、私のようにそういうのをストレスと感じる人も少なくないはずです。
勉強でも仕事でも努力を怠らない。身近な人とは競争するのではなく協力してグループ全員が能力を高める。こうすれば努力が苦痛でなくなります。
冒頭で述べた初任給の出来事について、私はそのとき口には出しませんでしたが上司に対して内心このように思っていました。「僕のために行動してくれたことは感謝します。しかし今自分には給与をもらう価値はありません。これから努力を重ね給与を上回る仕事をします。そのときには給与が少なければ自分自身で総務部に抗議にいきます。ただし、同期と比べてではなく、そのときの自分の能力と比べてです・・・」
結局、能力はさほど上がらずに、先に述べたようにほとんど何も貢献できないまま退職してしまいましたが・・・。
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