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2017年9月25日 月曜日
第176回(2017年9月) 臍帯血移植の罪と医師の掟
私はほとんどテレビを見ないこともあり、恥ずかしながら小林麻央という人について他界されるまで名前すらも知りませんでした。有名人が亡くなったとしても、それが医師の間で話題になることはそう多くありませんが、小林さんの場合は医師の掲示板に多くのコメントが寄せられていました。
その最大の理由は「効果が期待できるとは到底思えない民間療法を受けていた」というものです。医師の掲示板にはその民間療法を実施していたクリニック名と医師の名前(ここからは「S医師」とします)も記載されていました。そして、S医師の名前を忘れかけていた頃、再び新聞で目にすることになりました。
S医師は「臍帯血」を使った”再生医療”を「無届け」で行い、しかも極めて高額な料金を患者に請求していた、というのです。私が言いたいのは「無届け」という違法行為が許せない、ということではありません。それも歴然とした罪ですが、そんなことよりも、臍帯血を「再生医療」として用いて、高額な料金を取っていたことの方が遥かに問題です。
このS医師、本当にこんなことをして患者さんに有益だと思っていたのでしょうか。いくらひいき目にみても、こんな治療が「再生医療」になるはずがありません。
私は「広く認められていない治療をすべきでない」と言っているわけではありません。患者さんが望む治療であれば、エビデンス(科学的確証)のレベルが低いものであったとしても、安全性が担保されるのであれば、患者さんが強く希望したときには「では一度試してみますか」と答えることもあります。
ですが、こういった充分なエビデンスのない治療、それも実績のない治療については、医師の側から勧めるべきではありません。もしも、勧めるとするなら、その科学的根拠を示さなければなりません。また、根拠を示すのは患者さんに対してだけでなく、他の医師に対しても、です。歴史のない新しいことをおこなうのであれば、きちんとデータをとって報告する義務が医師にはあります。
ここで、このような臍帯血移植が「治療になるはずがない」ことを説明したいと思います。
そもそも「臍帯血移植」というのは、白血病など難治性の血液疾患に行われる治療で、対象は「小児」のみです。血液をつくる幹細胞(血液幹細胞)が「悪い血球」を作り出すのが病気のメカニズムですから、この役立たずの幹細胞を殺してしまって、他人の健康的な血液幹細胞に取り換えるという方法です。臍帯血移植であっても、治療方法は原則として通常の骨髄移植と同じです。臍帯血移植が小児のみを対象としているのは、臍帯血には幹細胞がわずかしか含まれておらす、成人では量が足らないことが最大の理由です。
臍帯血移植の治療方法は骨髄移植のときと同じですから、移植前には役立たずの血液幹細胞を殺さなければなりません。全身に放射線を照射し、抗がん剤を投与します。これを「前処置」と呼び、これで元の血液幹細胞が消滅し、血球がまったくつくられなくなります。このような状態ではわずかな病原体にも打ち勝つことができませんから、移植を受けるときは無菌室に入ります。
「前処置」が終わればドナーの臍帯血を「移植」することになります。移植といっても肝臓や腎臓の移植とは異なり、静脈に臍帯血を点滴するだけです。通常の骨髄移植の場合、入ってきたドナーの骨髄細胞が、治療を受ける側の組織を破壊しだすことがあり、これを「GVHD」と呼びます。これは移植に伴うとてもやっかいな副作用なのですが、臍帯血移植の場合は、このGVHDのリスクが大幅に低下します。
さて、逮捕されたS医師らはどのように「臍帯血移植」をおこなっていたのでしょうか。S医師のクリニックにはもちろん無菌室などありません。報道から推測すると、単に臍帯血を希望者の静脈に注射していただけのようです。報道にあるように、これでがんが治り若返ると言っていたということが本当だとすると「罪」以外の何ものでもありません。
少し医学的に解説しておくと、”患者”に静脈注射された臍帯血は、その人にとっては異物ですから、免疫系の細胞が立ち上がり、入ってきた臍帯血を”処分”して、それで終わりです。当たり前ですが、前処置をしていない状態で臍帯血を注射しても臍帯血に含まれる細胞が、骨髄に住み着くことなどあり得ません。
一連のマスコミの報道を見聞きして「だまされて臍帯血移植を受けた人たちはなぜ怒りを表明しないのか」と疑問に感じる人もいるでしょう。この理由は主に3つあります。
1つは、「一度信じたものは簡単に覆らない」ということです。高額の治療費を払ったんだから何らかの期待ができるに違いない、それは今は起こらなくても数年後に起こるかもしれない、という心理が働くのです。実際にプラセボ効果で体調がよくなることもあるでしょう。2つめはこういう治療を受けたからといって「危険性」はほとんどない、ということです。治療をして悪くなったとすれば(最たる例は手術を受けて死亡)「訴えてやる!」という気持ちになりますが、この治療で悪くなるわけではありません。3つめが「効果には個人差がある」などといった文章です。こういった文言が同意書に書いてあるはずで、文句を言っても「この同意書にこう書いてあるでしょ」と言われれば反論できなくなるのです。小林麻央さんのご遺族がS医師に苦情を申し立てているかどうかは分かりませんが、おそらくこの3つめの理由から、訴えても勝ち目はないでしょう。
さて、医学部受験は簡単ではありませんが、医学部を卒業するのはもっと大変です。医師国家試験はほとんどの医学生が合格しますが、6年間で学ぶこと、実習、試験などは本当に酷烈です。それらを乗り越えた医師が、今ここに述べたことを知らないはずがありません。つまり、マスコミが指摘しているように、S医師らははじめから効果がないことを知っていて金儲けのためにこのような悪事を働いたとしか考えられないのです。
ですが、なぜなのでしょう。どこで道を踏み外したのでしょうか。社会では「悪徳医師」のイメージがよく風刺されますが、実際に金儲けを考えている医師など(ほとんど)いません。むしろ、お金よりも価値がありやりがいのある仕事をしていることに医師は誇りを持っています。これは医師の「矜持」と言っていいと思います。
このような話を医師以外の人と話すとよく言われるのが「どの世界にもおかしな人がいる」という意見です。たしかに学校の先生にも政治家にもおかしな人はいるでしょう。それは分かります。ですが、医師には「ヒポクラテスの誓い」があり、日本医師会の倫理要綱には「医師は医業にあたって営利を目的としない」という文章があります。
これらは「法律」ではありませんから”法的には”強制力はありません。ですが、法律が最も重要なわけではありません。我々医師にとって「営利を目的としない」というものは法律よりも遥かに重要ないわば「掟」なのです。「掟」に背けばこの世界ではもはや生きていくべきではありません。
今後このような”罪”を犯す医師をどうやって未然に防げばいいのでしょうか。以前も述べたことがありますが、「医師の年収に上限を設ける」が最も現実的ではないでしょうか。そして、できれば下限もつくってもらえれば安心して医療がおこなえます。例えば、医師の年収は「国家公務員と同等とする」として、国家公務員の最低年収と最高年収の間にするのです。保険診療の財源の大半は、国民から徴収している税金と保険料であることを考えると、この私の案もまんざら的を外していないのではないでしょうか。
参考:メディカルエッセイ
第155回(2015年12月)「不正請求をなくす3つの方法」
第79回(2009年8月)「”掟”に背いた医師」
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|2017年9月7日 木曜日
2017年9月7日 地中海料理が健康にいいのは高学歴か高収入のみ!?
日本料理は健康にいいとされていますが、より多くの論文が発表され有効性が世界的に認められているのは日本料理よりも地中海料理です。特に動脈硬化を予防し、心筋梗塞や脳梗塞を防ぐことができると言われています。ですが、気になる研究が最近発表されました。
なんと、地中海料理で心疾患予防の恩恵を受けられるのは、高学歴者か高収入者のみというのです!!
医学誌『Epidemiology』2017年8月1日号(オンライン版)で研究が報告されています(注1)。研究の対象者は、35歳以上のイタリア人の男女合計18,991人です。調査期間の4.3年間の間に合計252人が心筋梗塞などの心血管疾患を発症しています。全体で評価すると「地中海料理スコア(Mediterranean diet score)」が2ポイント増加(ポイントが高いほど健康的な地中海料理をたくさん食べている)すると、心血管疾患発症リスクが15%減少していました。
興味深いことに、このような関連性は高学歴者に顕著であり、高学歴者の場合は地中海料理により57%も心疾患のリスクが減少するのに対し、高学歴でない人はわずか6%しか低下していません。収入でみてみると、高収入の人は61%も低下するのに対し、高収入でない人にはリスク低下は認められません。
なぜこのような差が出るのか。高学歴・高収入の人は、有機野菜、全粒パン、ポリフェノールを含む食品など、多くの種類の抗酸化物質が豊富に含まれる食品を摂取していることが判明し、研究者らはこれが原因であろうとみています。
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どうやら本当の理由は「抗酸化物質を豊富に含む多種類の食品」にありそうです。おそらく、上等のワインやオリーブオイル、新鮮な魚などは安くないのでしょう。高収入者はそういった食品を抵抗なく購入することができ、高学歴者はさほど収入が高くなかったとしても食事にお金をかけるべきだということを知っている、ということでしょうか。
注1:この論文のタイトルは「High adherence to the Mediterranean diet is associated with cardiovascular protection in higher but not in lower socioeconomic groups: prospective findings from the Moli-sani study」で、下記URLで概要を読むことができます。
参考:
はやりの病気第131回(2014年7月)「認知症について最近わかってきたこと」
医療ニュース:
2014年6月2日「オリーブオイルで心房細動が予防できる可能性」
2014年1月6日「ナッツを毎日食べると健康で長生き」
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|2017年9月3日 日曜日
2017年9月4日 危険な陰毛処理
過去のコラムでも述べたように、総合診療を実践している太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)には「外陰部の悩み」を訴える女性の患者さんがしばしば訪れます。婦人科に行くと「皮膚科に行け」と言われ、皮膚科を受診すると「婦人科に行け」と言われたという気の毒な患者さんも少なくありません。
そのコラムでは「精液アレルギー」という稀な疾患について解説しましたが、今回紹介したいのは非常によくある皮膚のトラブルについてです。そしてその原因は「剃毛」もしくは「脱毛」にあります。
皮膚のトラブルの話に入る前に、私が数年前から感じている素朴な疑問について触れておきます。それは「陰毛処理をする女性が急増している」ということです。これはあまり医学的に意味がないことですからそれほど気に留めていたわけではないのですが、ある論文を読んで「そうか!」と腑に落ちました。
医学誌『JAMA Dermatology』2016年10月号(オンライン版)に掲載された論文(注1)によれば、米国女性の8割以上が陰毛処理をおこなっています。調査対象は米国の3,372人の女性で、期間は2015年11月と12月、インターネットを用いた質問票での調査です。結果、全体の83.8%に相当する2,778人が陰毛処理をおこなっていました。
処理をする理由は、衛生的だから(59.0%)、日々のルーチンとして実施している(45.5%)、外性器の魅力向上のため(31.5%)、パートナーの好み(21.1%)となっています。また、理由は明らかにされていませんが、若い女性と高学歴女性に陰毛処理をする傾向が高いという結果がでています。
多くの”文化”は米国から入ってくると言われますから、日本女性の「処理率」の上昇も米国由来なのかな、と私は思っています。
今回の本題はここからです。同じ医学誌『JAMA Dermatology』2017年8月16日号(オンライン版)に掲載された論文(注2)によると、陰毛処理する女性の27.1%が処理により皮膚に障害を負った経験があります。研究対象は米国人の女性3,372人で、期間は2014年の1月、やはりインターネットでの調査です。
どのような障害かについて、最も多いのが「傷」で61.2%、その次が熱傷(23.0%)、発疹(12.2%)、感染症(9.3%)と続きます。また、処理をする人全体の1.4%に医学的な治療が必要とされていたことが判りました(この調査は男性にもおこなわれており、これらの数字は男女合わせてのものです)。
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後半の論文では男女ともにトラブルが多いとされていますが、谷口医院に「陰毛処理後のトラブル」で受診するのは女性が圧倒的に多いといえます。この理由は、米国に比べて日本では男性は陰毛処理をしないということかと思いますが、もしかすると男性は皮膚科を受診して治療を受けており、女性のように、「皮膚科に行けば婦人科に、婦人科に行けば皮膚科に」ということがないからかもしれません。
谷口医院の女性患者さんの陰毛処理で最も多いトラブルは「毛嚢炎」または「毛包炎」で、毛穴に起こった細菌感染、分かりやすく言えば「ニキビ」です。軽症であれば抗菌薬の外用剤だけで治りますが、最近は内服を使わざるをえないケースが増えてきています。
また、エステティックサロンでのレーザー脱毛による熱傷(やけど)や、脱毛クリームやワックスによる「かぶれ」も増えています。
注1:この論文のタイトルは「Pubic Hair Grooming Prevalence and Motivation Among Women in the United States」で、下記URLで概要を読むことがでいます。
http://jamanetwork.com/journals/jamadermatology/fullarticle/2529574
注2:この論文のタイトルは「Prevalence of Pubic Hair Grooming-Related Injuries and Identification of High-Risk Individuals in the United States」で、下記URLで概要を読むことができます。
http://jamanetwork.com/journals/jamadermatology/article-abstract/2648859
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|2017年9月3日 日曜日
2017年9月 「ジェネラリスト」の違和感
私の経歴が純粋な医師コースでないことが原因なのか、医学部生や医師が使う言葉に違和感を覚えることが度々あります。過去のコラムで取り上げた「ditto」もそのひとつで、私以外のほぼすべての医療者がこれを「do」と書いて「ドゥー」と発音します。長い単語を略すならわかるのですが、「ディトー」と「ドゥー」をそれぞれ声に出したときにいったいどれだけの差があるというのでしょう。いまだに理解不能です。
他にも、例えば医学用語には「pseudo-」で始まる単語が多く、これをほぼすべての医療者は「シュード」と発音します。素直に「スド」と言えばそれでいいではないか、とずっと思っているのですが、私に同意してくれる医療者はほとんどいません。しかし、興味深いことにこれを「シュード」と発音する医療者以外の人を私は一人も知りません。医療者はあえて「シュード」と読むことにプライドを持っているのでしょうか…。
今回取り上げたい「ジェネラリスト」という単語も私には違和感が拭えません。ジェネラリストの対極にあるのが「スペシャリスト」で、これは私にもよく分かります。何かの専門家のことを指しているわけです。医学の分野では、例えば「彼は心臓弁膜症の手術のスペシャリストだ」とか「彼女は新生児の遺伝性疾患のスペシャリストだ」という言い方をします。
一方、ジェネラリストというのは、おそらく最近使われるようになった言葉で、専門医の反対側に位置する総合診療医、プライマリ・ケア医、家庭医などを指します。(これら3つを厳密に区別すべきだという意見もありますが、ここでは同じものを指すこととし、以降「総合診療医」で統一します)
私がジェネラリストという言葉に違和感がある最大の理由は、この単語を日本人の医師以外から聞いたことがないからです。以前、ベルギーの医師とこの話になったときに、「それはGP(general practitioner)のことだ。普通はgeneralistとは言わない」と指摘されました。米国人の医師にこの話をすると、「意味は分かるが、やはりGP(general practitioner)と言うか、home doctorがより一般的だ」と言われました。つまり、外国人は医師でさえジェネラリストという言葉に違和感を覚えているのです。
この話が興味深いのはここからです。日本人の医師でない知人(会社員)に聞いてみると「ジェネラリストはよく使う」と言うのです。私自身も医学部入学前の90年代前半には4年間の会社員の経験があります。しかし、ジェネラリストなどという単語は聞いたことがありませんでした。ということは、医療者が最近よく使うようになったのと同じように、一般社会でも比較的新しい言葉なのかもしれません。
話はさらに興味深くなります。この男性の会社で使う「ジェネラリスト」は、昔で言う「一般職」とほぼ同義だというのです。私が会社員だった90年代前半には、短大卒でルーチンの事務職をおこなう女性が「一般職」、男性や四大卒で複雑な仕事を担う女性が「総合職」と呼ばれていました。これが男女差別だという意見がでたのでしょうか。現在はこういう呼び方はあまりしないと聞きます。
話はまだ続きます。知人男性によると「ジェネラリスト」は呼び方を替えても結局一般職と同じような職種であり、率直に言えば「簡単なルーチンワークをする人」を指すことが多いそうです。
なぜこの話が面白いかというと、医療界の意見と似ているからです。医師の間でも、例えば「心臓外科専門医」「脳外科専門医」といった人たちがなんとなくエライような雰囲気があり、なんでも診る総合診療医は一番「下」にみられることがあります。そういう専門医がよく使う言葉は「多芸は無芸」です。なにかひとつのことを極めるのが最も優れた医師であり、どのような疾患も診る医師は結局専門性がなく何もできないのと同じだ、という考えです。
もちろんこれは極めて極端な意見で、実際は「専門医」と「総合診療医」がいがみ合っているわけではありません。ですが、やはり医師の”花形”は「専門医」であると考える風潮は存在します。実際、医師の多くは、人数不足が明らかな総合診療医には関心がなく、分野によってはすでに飽和している専門医を目指すのです。(だから、「医師は余っている」と言う医師はたいてい専門医で、「足りていない」と考えているのは総合診療医なのです)
ところで、ジェネラリストという言葉は欧米ではどのように使われるのでしょうか。先に紹介した欧米の医師たちは「意味は分かるが使わない」と言っていました。英英辞典の『Oxford Living Dictionaries』(オンライン版)をみてみると「A person competent in several different fields or activities.」(いくつかの異なった領域や活動において有能な人)と書かれています。つまり、私の知人が言うようなルーチンワークのみをこなす「一般職」とはまったく正反対であり、competent(有能な人)を指しているのです。「多芸は無芸」ではなく「多芸は多芸」が英語本来の意味というわけです。
これですっきりとします。なぜジェネラリストという単語が欧米では使われないのか。その答えは「そんな人、めったにいないから」です。いくつもの領域で「competent(有能な人)」はそうそういませんし、いたとしても自分から「私はいくつかの分野で優れた能力を持っています」とは言わないでしょう。一方、スペシャリストが自己紹介をするときは「自分の専門は〇〇〇です」という言い方をするわけで、そう聞くと「この人は日ごろ〇〇〇に取り組んでいるんだな」と理解できます。同時に、「他のことにはそれほど熟知していなくて当然」と認識します。
医師の世界で言えば、「私は総合診療医です」と言えば、「この医師は日ごろ患者さんから最も近い立場にいて、患者さんの話に耳を傾け、難治性・重症性の疾患に遭遇した時は専門医を紹介しているんだな」と理解します。これが総合診療医の定義と考えて差支えありません。『Oxford Living Dictionaries』の定義を基準とすると、もしも「私はジェネラリストです」と言えば、「ん?、この人は難易度の高い心臓弁膜症の執刀もおこない、稀な遺伝性疾患のカウンセリングもできて、iPS細胞を用いたパーキンソン病の治療もおこなえて…、ということ??」となってしまいます。もちろんそんな医師は存在しませんから、自分から「ジェネラリストです」などと言えば、人格が疑われることになりかねません。
このように同じ「ジェネラリスト」という言葉で想起される人物像が使用者によりまったく異なります。まとめてみると、私の会社員の知人がいう「ジェネラリスト」は、比較的簡単なルーチンワークのみをおこなう職種のことで、昔でいう「一般職」に相当します。日本の医師がいう「ジェネラリスト」は「総合診療医」のことで、患者さんに最も近い位置にいる医師です。そして、欧米人(医師も含めて)がいう「generalist」は、複数のことがらに極めて高い能力を発揮する、まさに「スーパーマン(ウーマン)」のことなのです。
これだけ意味が異なればもはや会話が成り立たなくなる可能性があります。「一般職」をジェネラリストとするのは「和製英語」でしょうし、日本の医師がいうジェネラリストも欧米の医師は使いません。和製英語のすべてがいけないわけではありませんが、やはり呼び方を替えるべきではないでしょうか。私は日本の医師との会話でも「ジェネラリスト」という単語は用いずに「GP」「総合診療医」「プライマリ・ケア医」などと言います。
企業の「ジェネラリスト」に替わる適当な表現は思いつきません。興味深いのは、ビジネスの現場では、医師の世界とは異なり、「一般職」に対極するのが「総合職」であり「専門職」でないことです。私はビジネス界におらず口を出す立場にありませんが、就職活動をする学生はややこしくならないのでしょうか…。
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|2017年8月31日 木曜日
2017年8月31日 長時間労働で心房細動発症のリスクが大幅上昇
心房細動と呼ばれる不整脈はときに「死に至る病」となることがある重要な疾患です。心臓の疾患として有名な狭心症や心筋梗塞は、適正体重を維持し、禁煙し、適度な運動をおこない、血圧・血糖・コレステロールなどに注意していればリスクを大幅に下げることができます。
一方、心房細動はこれらに注意していても起こるときは起こります。よく議論されるのが「激しい運動」です。マラソンが心房細動のリスクになるという意見は昔からあり、またその逆に激しい運動がリスクを下げるという研究もあり、現時点ではコンセンサスが得られていません。
では「長時間労働」はどうでしょう。
週55時間の長時間労働をおこなうと、週35~40時間のときに比べて4割も心房細動発症のリスクが上昇する…。
米国の医療者向け用サイト『Medscape Family Medicine』にこのようなレポート(注1)が掲載されました。
研究の対象はヨーロッパの8つの患者データベースに登録されている85,494人(うち65%が女性)です。調査開始時に週55時間以上労働していたのが全体の5.2%、35~40時間勤務が62.5%です。追跡機関平均10年の間に1,061人が心房細動を発症しました。
心房細動の発症率と週あたりの労働時間を解析した結果、週55時間以上働く人は、週35~40時間の人に比べて42%も発症リスクが高いことが分かったのです。
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今回の研究だけで長時間労働と心房細動の因果関係を証明するまでには至りませんが、それでも示唆に富む報告です。週55時間というと週休2日を維持したとして、出勤日に1日あたり3時間勤務すればこのレベルになります。日本人の労働者の多くはこれ以上働いているのではないでしょうか。医師の99%はこのレベルを軽く超えています。
日本にも心房細動で悩んでいる人は少なくありません。日本での長時間労働との関係を調べた研究はおそらくないと思いますが、現在でも過去でも長時間労働の経験がある人は定期的な心電図検査をおこなうべきでしょう。心房細動は健診時に本人の自覚がない状態で発見されることが多いからです。
注1:このレポートのタイトルは「New-Onset AF Risk Seen to Rise With Longer Work Hours」で、下記URLで全文を読めます。
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|2017年8月31日 木曜日
2017年8月31日 韓国の加湿器殺菌剤、死亡者は1,200人以上
昨年(2016年)5月にこの「医療ニュース」でお伝えしたように、UKを拠点とした他国籍企業オキシー・レキット・ベンキーザー社が韓国で発売していた殺菌剤が原因で、同国では多数の犠牲者が出ています。昨年紹介したBBCの報道では「約100名が死亡」とされていましたが、韓国のメディア(注1)によると、2017年7月の時点で、被害者総数は5,657人、うち1,212人が死亡しています。
この事件で最も問題なのは、この殺菌剤が肺を損傷させることはすでに2011年にはその可能性が指摘されていたのにもかかわらず、同社がそのまま販売を続けたことです。製品は結局20年近く販売されていたようです。
また、当初の報道ではこの会社だけが問題なのかと思われていましたが、最終的に同社の「Oxy」と呼ばれる製品の被害者は181人のみ(死者は73人)です。同社のこの製品による被害者数が最多なのは事実ですが、全体の被害者数はその30倍以上になります。これは同社だけではなく、スーパー大手の「ロッテマート」や「ホームプラス」も同類の製品を販売していたからであり、これらの業者も有罪判決を受けています(注2)。
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この事件を医学的に検討した論文を探してみましたが見つかりませんでした。BBCなどの一般メディアから得られる情報を総合的に勘案すると、おそらくこの薬剤で起こる肺疾患は「肺線維症」ではないかと思われます。
韓国メディアは、文在寅大統領が2017年8月8日、政府の責任を認めて大統領として初めて謝罪したことを伝えています。政府と企業のどちらが悪いかを論じてもあまり意味がないと思いますが、オキシー・レキット・ベンキーザー社はこの製品をなぜ韓国のみで発売していたのでしょう。同社は日本にもありますが、日本では一切販売されていません。
ですが日本人も安心はできません。過去20年間で韓国のホテルに複数回宿泊した日本人は大勢いるはずです。最近、息苦しさや原因不明の咳が続いている人で韓国渡航歴のある人は、ホテルの部屋に加湿器がおいてなかったかどうかを思い出すべきかもしれません…。
注1:韓国の英字新聞「Korea JoongAng Daily」が報道しています。
http://mengnews.joins.com/view.aspx?aId=3036910
注2:UKのメディア「Independent」が報道しています。
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|2017年8月31日 木曜日
2017年8月30日 アメリカンフットボールの選手のほとんどがCTEに!
慢性外傷性脳症(以下「CTE」)…。世間では今もあまり知られておらず名前も地味ですが、もっともっと注目されなければならない、と数年前から私が(他に仲間もおらず)ひとりで言い続けている疾患です。
詳しくは過去のコラム(注1)を参照いただきたいのですが、ここでも簡単にまとめておくと、アメリカンフットボールの選手の多くが度重なる頭部への衝撃が原因で脳に損傷が生じ、若くして認知症、うつ病、パーキンソン病様症状などの神経症状を発症し、やがて死に至る極めて悲惨な疾患です。また自殺率が高いことも判っています。
アメリカンフットボールが原因であることが自明でありながら、これまでそれが大きく報道されておらず、また野球やサッカーでも同じ被害が出ることも指摘されていますが、こちらも(特に日本の)メディアはあまり取り上げません。
今回紹介したい研究は、CTEが従来考えられていたよりもずっと起こりやすいことを明らかにしました。
医学誌『JAMA』2017年7月25日号(オンライン版)に掲載された論文(注2)によると、死亡した元アメリカンフットボール選手202人(死亡時年齢中央値66歳)のうち、なんと177人(87%)もが神経病理学的にCTEの診断がついたのです。177人の死亡時年齢中央値は67歳、選手をしていた期間は平均15.1年でした。
また、NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)の選手111人だけで検討すると、なんと110人(99%)がCTEの診断がついているのです。つまり、選手としてのレベルが高いほど有病率が高いということです。
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この研究、海外のSNSでどれだけ話題になっているのか私にはわかりませんが、少なくとも海外のメディアでは大きく報道されています(注3)。一方、日本のメディアは沈黙しているようにしか見えません。日本では欧米諸国と比べると、アメリカンフットボールをプレイする人数は少ないでしょうが、サッカーや野球は大勢います。
また、CTEは過去に「パンチドランカー」と呼ばれていたものとほぼ同じ疾患であり、ボクサーをはじめとする格闘家に多いことも分かっています。
日本でもこういったスポーツがCTEのリスクになっていないかどうかを調査し、危険性がどの程度か明らかにし世間に伝えるべきだと私は考えています。
注1;下記コラムを参照ください。
はやりの病気第137回(2015年1月)「脳振盪の誤解~慢性外傷性脳症(CTE)の恐怖~」
医療ニュース2017年3月6日「ヘディングは脳振盪さらに認知症のリスク」
医療ニュース2016年10月14日「コンタクトスポーツ経験者の3割以上が慢性外傷性脳症」
注2:この論文のタイトルは「Clinicopathological Evaluation of Chronic Traumatic Encephalopathy in Players of American Football」で、下記URLで概要を読むことができます。
http://jamanetwork.com/journals/jama/article-abstract/2645104?resultClick=1
注3:下記を参照ください。
BBC:http://www.bbc.com/news/world-us-canada-40718990
CNN:http://edition.cnn.com/2017/07/25/health/cte-nfl-players-brains-study/index.html
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|2017年8月28日 月曜日
第175回(2017年8月) 「少子化」と「保育園不足」の矛盾
「保育園落ちた日本死ね」という言葉を初めて耳にしたとき、私はあまりいい気分がしませんでした。しかし、一度頭に入ると追いやることができず、国会で取り上げられたと聞いたときはさすがに驚きましたが、2016年の流行語に選ばれたという報道を目にしたときは納得がいきました。
この言葉が多くの日本人の心に(良くも悪くも)響いたのは、自分の子供を保育園に入れたくても入れられない、そしてそのために働くことができない保護者が少なくないということをある程度は感じているからでしょう。なかでも、シングルマザーたちは、子供のために身動きが取れず、支援者がいなければ生活もままならなくなります。(「保育園落ちた…」を投稿した人が男性か女性か、またシングルマザーか否かについて私は知りません。この人がシングルマザーだろうと言っているわけではないことをお断りしておきます)
一方、「少子高齢化」が叫ばれて長い年月がたちます。私が前の大学(関西学院大学)で社会学を勉強していたとき、これが討論のテーマになったこともありましたから、少なくとも80年代後半には少子高齢化が問題になっていたのは間違いありません。
「少子」つまり子供の数が減っているなら、保育園や幼稚園の数は余るのでは?と常識的には考えられます。ですが、現実はその逆であり、地域によっては最寄りの保育園に入れるのが絶望的だそうです。そして、ついに「日本死ね」という言葉が日本全国を駆け巡り、国会でも取り上げられたというわけです。
保育園に入れないと困るのは誰か…。「子供」と答える人もいるでしょうが、やはり保護者、特にシングルマザーです。日本では「子育ては神聖なもの」と言わんばかりの価値観があり、子育ての不満や愚痴はなかなか簡単には口にできません。実際、「生まれてきてくれてありがとう」のような文章をSNSで発すると、好意を持たれるという話を聞いたことがあります。ですが、実際には不満どころか子供の「悪口」を言いたくなることがあっても不思議ではありません。いえ、実際に悪口どころか暴言を吐いてしまう、さらに「虐待」と呼べるレベルにまで及んでしまうこともあります。
私が医学部の学生のとき、ある会合でこの話題が取り上げられたことがあります。その場にいた私以外の医学部生全員は、「そんな母親に子供を育てる資格はない」「ただちに児童相談所が介入すべき」といった意見で一致していました。しかし、私の意見はまったく正反対でした。「むしろ母親の声に耳を傾け、母親を支援することが先決だ」、これが私の考えでした。そのとき私に賛同する声はなく、完全に私は「異端児」となりました。
ですが、私のこの考えは今も変わっていません。太融寺町谷口医院にもシングルマザーの患者さんは少なくありません。子供にはもちろん愛情はあるけれども(それは言葉だけではなく真実だと思います)、時に暴言を吐いてしまう、あるいは叩いてしまう、と告白する人もいます。私はできるだけ客観的に評価するように心がけ、必要あれば、児童相談所や地域の保健所や役所に相談するよう助言しています。その結果、子供を施設に預けることになった、というケースもあります。
これは私の個人的な意見ですが、子育てとはそもそも親だけがおこなうものではなく地域社会が担うものではないでしょうか。実際、昭和時代には親がほったらかしにしていても、地域に育てられてまともに成長する子供が当たり前のようにいました。こういう話になると「昭和レトロを懐かしむ」ようになってしまいますが、私は昭和時代を盲目的に絶賛しているわけではありません。私自身がもう一度人生をやり直せるとして、昭和か平成、どちらがいいかと問われれば迷わず「平成」と答えます。平成生まれはうらやましいと思うことが多々あります。
ですが、子育てということに関して言えば、両親だけでも相当しんどく、シングルマザーがすべてを担うというのはほとんど不可能だと思います。何もかもひとりで背負って一人、ときには二人のお子さんを育てているシングルマザーをみると、もしも時代が昭和だったら…、と考えてしまうことがあります。
保育園落ちた日本死ね、に話を戻します。これが国会でも取り上げられたということは、国会議員のセンセイ方にも、保育園不足の現実および子供を育てる保護者の苦悩を理解いただけたのではないかと私は思いました。いざなぎ景気を抜く好景気などと言っているわけですから、予算を子育て支援に回してもらえるに違いないと…。
ところが、実際はどうでしょう。2017年の国会で盛り上がり、連日新聞や週刊誌で取り上げられていたのは、ナントカ学園がどうのこうのとか、防衛大臣が不適切な発言をしたとかしないとか…。改めて言うまでもないことですが、国会を開くのに必要な費用は税金から支払われています。国会議員のセンセイ方の給料は決して安くありませんから、1日国会を開けば億を超える税金が消えてしまうはずです。(一説によれば1日あたりの費用は3~4億になるそうです)
ところで景気がいいと言われていますが、ならば税金が増えて各地域の保育園への費用も増えているのでしょうか。日経新聞2017年7月29日によると、都心部で住民税の減収が目立ち、東京都世田谷区では前年比で89%(11%の減少)、31億円も減ったそうです。これだけ減れば市民サービスの質は当然落ちることになります。実際、同区では、児童養護施設を巣立つ若者の学費支援など8基金への寄付募集を開始したそうです。
住民税が大幅に減っているその最大の(そしてほとんど唯一の)理由が「ふるさと納税」です。周知のようにふるさと納税は誰でも好きな地域に寄付することができて、その分自身が住んでいる地域の住民税が軽減されます。本当に寄付をするその地域の支援がしたくて寄付をするのであればまだいいのですが、高価な「返礼品」を目的にふるさと納税に励んでいる人が多いと聞きます。
この良し悪しをここで論じるつもりはありません。私が言いたいのは「政治家のセンセイ方はいったい何をしてるの??」ということです。「保育園落ちた…」が国会で取り上げられたおかげで問題意識は俎上に上がったはずです。では、これまでに具体的にどのような対策が取られ、どのような成果が出ているのでしょうか。
保育園不足をなんとかしなければならない、ということについては与党も野党もないでしょう。ナントカ学園などの問題は、国会が終わってからどこか別の場所で与野党数人で話し合ってもらえばそれで充分だと思います。
私個人は政治的にはニュートラルで特定の支持政党を持っておらず、選挙の度に投票する政党が異なるような中途半端な市民ですが、もしも「国会では大切な話をしよう。ナントカ学園の問題などは後でファミレスで」と発言する政治家が入れば票を入れたいと思います。
新聞の報道によれば、全国の児童相談所が2016年度に対応した児童虐待の件数は前年度比18.7%増の122,578件。1990年度の集計開始以来、26年連続の増加で過去最多を更新したそうです。もう待ってられません…。
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|2017年8月28日 月曜日
第168回(2017年8月) 電子タバコの混乱~推奨から逮捕まで~
電子タバコを巡る意見や情勢が混乱しています。
フィリップ・モリス社が「アイコス」(iQOS)を日本で発売したばかりの頃、これを「電子タバコ」と呼ぶことがまだ一般的でした。しかしその後、従来の電子タバコとは方式が異なることから「加熱式タバコ」と呼ばれることが増えてきました。アイコスがほぼ独占状態になりつつあるなか、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ社が「グロー」(glo)の販売を開始し、さらにJT(日本たばこ)も負けてられないと言わんばかりに「プルーム・テック」(Ploom TECH)を市場に投入しました。
現在では「電子タバコ」と「加熱式タバコ」を区別するような風潮にありますが、WHOや厚労省が定めたきちんとした言葉の定義は現在のところありません。定義を確認した上で議論をするのが分かりやすいのですが、それができませんから、私流に最近の流れをまとめてみたいと思います。
まず電子タバコが登場したのは2004年頃で、香港の企業が開発したと言われています。2007年頃から世界中で普及するようになり、日本では比較的早い段階で市場に登場しました。禁煙補助に使えるという意見もあり、次第に利用者が増えるなか、健康上の被害があるのかどうかがよく分かっていませんでしたが、2008年にWHO(世界保健機関)が、「安全性が確認されず正しい禁煙療法とは考えられない」「製品に使用されている多くの化学物質の中に強い毒性があるものが含まれている可能性がある」との見解を表明しました。
つまり、この時点では安易には勧められないという考えが優勢でした。しかし、利用者はその後急激に増加します。世界中で数百種の電子タバコが販売されるようになり、健康被害を指摘する声も上がり始めます。2015年7月には、日本の厚労省の研究班が、電子タバコから通常のタバコに含まれる濃度を上回る発がん性物質が検出されたことを発表しました。
しかしその直後の2015年8月、英国保健省が画期的な発表をおこないました。これは私の見解ですが、この発表が世界の電子タバコの流れを一気に変えました。英国保健省は電子タバコの安全性に言及するどころか、「禁煙支援ツールになり得る」と正式に発表したのです。同省によれば、電子タバコは従来のタバコに比べて有害性が95%も低いというのです。
この時点では(私の知る限り)、電子タバコに肯定的な正式発表をおこなったのは英国のみで、米国は慎重な態度を示していました。
ところがついに米国にも動きがみられました。医学誌『British Medical Journal』2017年7月26日号(オンライン版)に掲載された論文(注1)によれば、米国での電子タバコ使用者の増加が、国民全体での禁煙率上昇に寄与していることが分かったのです。喫煙者を対象としたこの研究の結果は、電子タバコ使用者は非使用者(従来のタバコのみ使用)よりも禁煙を試みる可能性が高く、また、禁煙に成功する確率も高かったのです。
英国がおこなったような、FDAなどの米国の当局による電子タバコを肯定する正式な声明は現時点で発表されていませんが、『British Medical Journal』という一流の医学誌にこのような報告がなされたことを考えると、今後メディアの報道などにより、電子タバコがさらに普及することはほぼ間違いないでしょう。
では、世界的に電子タバコが受け入れられる時代になったと言えるのでしょうか。残念ながらそうは言えません。タイの奇妙な規制のせいで、世界中で議論が巻き起こっています。なぜか日本のマスコミはこれについてほとんど報道していませんが、世界的には大きな問題になっています。電子タバコで逮捕者が出たからです。
偶然にも上記論文が公開された2017年7月26日、タイの路上でスイス人の男性が電子タバコを使用していたという理由で逮捕されました。報道(注2)によれば、この男性は逮捕され6日間留置されたそうです。
タイの刑務所に私は出向いたことがありませんが、過去に何人か訪問したことがあるという日本人から話を聞いたことがあります。タイでは刑務所に知り合いがいなくても「収監されている日本人に会いたい」と言えば、比較的簡単に入れてくれるそうです。タイの刑務所は、ある程度予想できることではありますが、日本のそれとは様相がまったく異なり、不潔で不衛生でいつ死んでもおかしくないような環境だと皆が口をそろえていいます。床にはゴキブリやムカデが這いまわり、トイレは不衛生そのもの、もちろんトイレットペーパーなどは支給されません。食べ物は言わずもがな…だそうです。
逮捕されたスイス人の男性はどうやら刑務所に入っておらず留置所どまりだったようですが、運が悪ければ(としか言いようがありません)有罪判決をくらい長年刑務所に入れられるかもしれません。
なぜこのようなことが起こるのか。実は2014年10月、タイ政府は電子タバコと水タバコを禁止する措置を取り始めました。私はこの情報を入手してから3回タイに渡航していますが、この規則が実行されているような印象は受けません。例えば、バンコクのアラブ人が集まる界隈のカフェでは、以前と変わりなく堂々と水タバコを吸っているアラブ人がいたからです。どうせ、形だけの法律だろう…。私だけでなくタイをある程度知っている者はみんなそのように考えたのではないでしょうか。
そもそもタイという国は薬物に関しては「いい加減」という表現がピッタリです。一時タクシン政権の頃は、それはやりすぎだろう…、と言うくらい薬物に厳しくなりましたが(冤罪で射殺された者も少なくないと言われています)、政権が変わり、以前のように薬物に甘い国に戻っています。さすがに麻薬は実刑を逃れられないと思いますが、覚醒剤にいたっては、2016年6月法務大臣が驚くべき発表をおこないました。なんと「覚醒剤の依存性はアルコールやタバコよりも低いから合法にすべき」と発言したのです(注3)。
覚醒剤でこの扱いですから、大麻となると事実上野放しというか、個人使用であれば少々の賄賂で見逃されることが多いと聞きます。(ただし、罪は罪で少数ながら逮捕される日本人もいます。決して「賄賂を渡せば見逃される」などと思ってはいけません)
スイス人のこの逮捕について、日本のメディアではほとんど取り上げられていませんが、タイ好き日本人のコミュニティの間では話題になったようです。そこで一部の人が「アイコスやグローなどは加熱式タバコで電子タバコじゃないから大丈夫」と嘯いていますが、これは危険です。タイの警官はまず英語ができませんから、これらをタイ語で説明し、納得させる必要があります。また、理屈でねじ伏せることができたとしても賄賂を求められることもあるでしょう。タイには電子タバコも加熱式タバコも持ち込んではいけない、と理解すべきです。
尚、同じような法律はカンボジアにもあります。この原稿を書くにあたってカンボジアの状況を入手しようと試みたのですが、有益なものは入りませんでした。カンボジアの警察は腐敗しきっていると聞きますし、実際にアイコスを持っていて逮捕・留置ということはないとは思いますが過信しない方がいいでしょう。
英国・米国が電子タバコを有益なツールとみなし、その逆に持っているだけで逮捕という国もあるなか、日本政府は見解を表明せず、「受動喫煙防止対策」で規制するタバコに電子タバコ・加熱式タバコを含めるかどうかすらも決められていません。
新しい製品の場合、科学的なデータが集められませんからある程度はやむを得ませんが、なんらかの分かりやすい発表をしてもらいたいものです。同時に、「海外渡航時には電子・加熱式タバコの携帯に注意」という警告をもっとおこなうべきではないでしょうか。
************
注1:この論文のタイトルは「E-cigarette use and associated changes in population smoking cessation: evidence from US current population surveys」で、下記URLで全文を読むことができます。
http://www.bmj.com/content/358/bmj.j3262
注2:下記を参照ください。
http://vaping360.com/vaper-arrested-thailand/
注3:下記を参照ください。
参考:医療ニュース
2015年9月4日「電子タバコ、有害でなく禁煙補助にも有効?」
2015年7月15日「電子タバコ、未成年には禁止すべきでは?」
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|2017年8月7日 月曜日
2017年8月 「やりたい仕事」よりも重要なこと~後編~
医学部に入学しても、直ちに実験や病院実習が始まるわけではありません。臨床医学の勉強もまだまだ先です。では医学部1回生が何をするかというと、他学部と同様の一般教養、基礎的な生命科学、そして語学です。たいていの医学部生は、勉強はそこそこにして、クラブ、サークル活動、アルバイトなどにも時間を取りますが、私は勉強が大部分を占める生活をしました。そして、そんな私が医学部一年目に最も力を入れたこと、それは「フランス語」(以下仏語)です。
なぜ仏語かというと、医学部入学の時点では、将来は社会学部の大学院に進む予定だったからです。社会学の研究は英語だけでもできなくはありませんが、私の場合、取り組みたかったテーマが、人間の行動、感情、思考といったことで、これらを解明するにはフランスの学者の書物を読み解く必要があると考えていました。例えば、ミシェル・フーコー、ジャック・ラカン、ドゥルーズ=ガタリといった学者の本です。これらは日本語訳も出ていますが、その日本語を読んでも私にはほとんど理解できません。1ページ読むのに1時間以上かかり、次のページに入るとやっぱり前のページが理解できていないことに気づいてまた戻って読み直す…、という感じです。
ここで自分の能力のなさを素直に自覚すればよかったのですが、それを認められないほど当時の私は”若かった”のでしょう。「日本語訳が悪いから読めないのだ」などと無茶苦茶な理屈をつけ、そして無理やりそう言い聞かすようにして、ならば仏語を学べばいいのだ、と考えたわけです。
しかし、仏語の勉強を始めてみると、これが予想をはるかに上回るむつかしさ…。当時の私は会社員時代の英語の勉強のおかげで英語の本はまあまあ読めるようになっていましたし、医学部受験をクリアしていましたから、「やればできる!」と思い込んでいたのです。ところが仏語はやってもやっても文法すらよく分からない…。名詞に姓があるのはいいとしても、冠詞の変化は嫌がらせとしか思えませんし、動詞は変化するだけでなく、時制が複雑で半過去、大過去、複合過去…、とわけが分かりません。それでも私は仏語の勉強を毎日おこない、なんとかついていこうと努力したつもりですが、あるとき”線”が切れました。
それは突然やってきました。1回生の後期試験の勉強中です。やってもやっても先が見えないような気持ちになり、ある瞬間に「や~めた」と匙を投げたのです。この時点で仏語とは「縁」を切ることとし、その後は後期試験をクリアするためだけに勉強しました。
その5年後、私はタイのエイズ施設を訪れることになりタイ語の勉強を始めます。タイという国は絶望的なほど英語が通じないのです。仏語の「挫折」があったため、当初はタイ語の勉強にも抵抗はありましたが、始めてみると仏語との違いに驚きます。まずタイ語には冠詞そのものがありません。また動詞は変化しないどころか時制がないのです。たしかに発音がむつかしく、例えばタイ語にはT、P、Kが2種類ずつあります。特にTとPの2つの音を使い分けるのは至難の業ですが、会話では前後関係や話の文脈からなんとかなりますし、文字ではきちんと区別できますから問題ありません。よくタイ語は文字がむつかしいという人がいますが、慣れればそれほどでもありません。私にしてみれば仏語の文法の方がはるかに難易度が高いのです。
話を戻します。仏語を断念した私は、社会学の理論を極めるのは無理だということを認識するようになりました。しかし私にはこれから学ぶ「医学の知識」があります。その医学の知識をもってすれば、社会学部でこれまでにない研究ができるのではないかと考えました。そして2回生からはいよいよ科学の実験が始まりました。
ところが、です。最初の頃は実験も解剖も楽しくおこなえていたのですが、そのうちについていけなくなる実験がでてきました。大学でおこなう実験というのは、何も未知の物質を生成するわけではなく、新たな理論を発見するわけでもなく、与えられた手順に従って予想される結果を導くのが目的です。ですから、その手順に従って実験器具を用いてデータをとっていけば問題なくできるはずです。実験に向いている人というのは、こういった作業を楽しんでおこなうことができます。私も当初は「そのつもり」でいたのですが、いつの頃からかこういった作業が苦痛になってきました。また、なぜか私が班のなかで中心になっておこなうと上手くいかないのです。悔しさはもちろんありましたが「自分は実験に向いていない」と認めざるを得ませんでした。
この頃の私の実験や基礎医学に対するイメージは「乗り越えられない壁」でした。その「壁」は分厚く、高く、ハンマーで壊したり、はしごをかけたりすることができません。その「壁」の前に呆然と立ち尽くすしかないのです。そして90度横を向くと、平坦ではないもののどこか遠いところに通じる道がみえます。結局私はその「道」を選択することになります。
その「道」とは臨床医学。つまり患者さんと接する「医師」です。実は私は医学部に入学した頃から、複数の知人から医療に関する相談を受けていました。もちろん相談する人たちも、医学生にできることなどたかが知れていると思っていたでしょうが、それでも他に持っていくところがないやり場のない気持ちを私にぶつけてくるのです。そのなかには「それは仕方がない」というものもありましたが、逆に「その気持ちは分かる」というものも少なくなく、こういった人たちの力になることが自分の「使命」なのかもしれない、と考えるようになります。
そして6回生のとき。民間病院の救急部で実習を受けることになりました。このときの実習は、私にとっては勉強や研修というよりも「楽しくて仕方がない」ものでした。あまりにもエキサイティングだったために、指導医の先生にお願いして、特別に夜間の救急外来でも実習させてもらいました。この病院は繁華街に位置しており、夜間の救急部はとても「にぎやか」です。大声でどなりこんでくる人は来るわ、外国人がどこの言葉か分からない言葉でわめくわ、初めから医療者に攻撃的な人はいるわ、で、こんなに非日常的な時空間は他にありません。待合室ではまずヘアースタイルが奇抜でとてもカラフル。黒い髪の人は皆無で、よくみると3分の1くらいの人はタトゥーか刺青を入れていて、血だらけの中国人やリストカットをした直後の若い女性など…。
研修医の頃も私が最も興味を持てたのはやはり夜間の救急外来でした。緊急手術になることもありますし、一見軽症でも実は命に関わる重傷疾患であったり、と救急外来はとても勉強になります。様々な疾患を勉強することができて、交通事故や重度の熱傷などは一刻を争う危機感があります。そしてこれがとても面白い(不謹慎な表現ですが…)。いっそのこと、救急医を目指そうか…、そのように考えたこともありました。ですが、私が取り組むべきことは、その場限りで医師患者関係が終わる救急の仕事ではなく、身体のみならず、精神的にも社会的にも苦痛を抱えている慢性疾患を有した患者さんの力になることではないのか…。結局、そういう結論に達しました。
その後私はタイのエイズ施設でのボランティアを経て母校の大阪市立大学医学部の総合診療部の門を叩きます。そして、大学病院以外にもいくつかの医療機関でも研修を受け、タイに戻るのではなく、日本で困っている患者さんに貢献することを選びました。
では、今やっていることが私が望んでいた「やりたい仕事」なのか…。実はこれについては自分でもよく分かっていません。これまでの人生でいろんなことをしてきた私が最もやりたいと思ったのは社会人の頃に夢見た社会学の研究です。次にやりたかったのは就職活動をしているときに考えた新規事業(アントレプレナー)でしょうか。大学生の頃はクラブのDJにも憧れていました。医学部に入学したときは基礎研究にも強い興味がありましたし、救急の現場は今もなつかしく思います。
太融寺町谷口医院は都心部に位置していて、働く若い世代を中心に、国籍、ジェンダー、職業、宗教などに関係なく、どのような人のどのような疾患も診させてもらう、という方針を貫き10年が過ぎました。やりたい仕事をやっているのかどうかは分かりませんが、他に同じようなクリニックもいまだに見当たりませんから、ならば自分が続けるしかない、と考えています。そして、これは「やりがい」にはなります。
18歳以降、目の前に与えられた仕事が自分の勉強になると思えば挑戦するということを繰り返してきました。やりたい仕事を見つけても自分にセンスや能力がないことに気づいて諦めることが何度かありました。今の仕事が「やりたいこと」なのかどうかはいまだにわかりません。宗教を持っている人なら「それが神から与えられた仕事だ」と思えるのかもしれませんが、私にはそのように思えませんし、また「やらされている」という感覚とも少し違います。
結局、仕事というのもこれまでの「縁」と「運」、それに「努力」で決められるのかな、と今は納得するようにしています。「やりたいこと」「好きなこと」を求めるだけが人生ではないということです。
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