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2020年9月22日 火曜日

第205回(2020年9月) インフルエンザのワクチンはいつ何回うつべきか

 インフルエンザのシーズンが来ると毎年必ず寄せられて、そしてときに返答に困る2つの質問があります。「インフルエンザのワクチンはいつ打てばいいのですか?」、もうひとつが「インフルエンザのワクチンは1回だけでいいのですか?」というものです。

 「いつ打てばいいか?」については、たいていは「10月末までには打ちましょう」と答えています。その年にもよりますが、早い年だとインフルエンザは11月頃に流行が始まります。そして、ワクチンの効果が期待できるのは接種してから2週間程度経ってからです。ならばできれば10月には打っておきたいところです。それに早い年だと11月中旬になくなってしまうこともあります。

 「10月中に……」と言うと、「早すぎませんか?」と聞かれることがしばしばあります。こういう質問をする人は「ワクチンの効果はそんなに長くないんでしょ。10月だと早すぎると聞きました」と言います。また、今年もある看護学生から「学校からは11月になるまで打たないようにと指示されています」と言われました。

 これらの考えは正しいのでしょうか。日本では昔から「インフルエンザのワクチンの効果は3~5か月程度」と言われることが多いようです(注1)。インフルエンザは4月に流行することもあります。効果が5か月で切れるのだとすれば、10月にワクチン接種すれば年によっては4月まで持たないことになります。先述した看護学校では、10月11月よりも3月4月に流行すると予想して「11月まで打たないように」という指示を出したのかもしれません。

 ワクチンについては行政の、つまり厚生労働省の見解を聞きたいところです。厚労省によれば、インフルエンザワクチンは「12月中旬までにワクチン接種を終えることが望ましいと考えられます」とされています。この”表現”がなんともいやらしいというか、患者さんに案内する我々医師を困惑させます。「終えることが望ましい」という表現は断定を避けた曖昧なものです。そして、「○ヶ月有効です」という表記がありません。

 他方、2020年年9月11日付けの厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部からの事務連絡では「高齢者の新型コロナウイルス対策を最優先に考え、定期接種対象者を10月1日から25日まで優先的に接種」としています。つまり、インフルエンザに罹患すれば重症化すると考えられている高齢者に対しては、厚労省は10月25日までに終わらせるよう勧めているわけです。

 インフルエンザのQ&Aのサイトでは「12月中旬までに」としておきながら、新型コロナウイルス感染症対策推進本部では「ハイリスク者は10月まで」と言っているわけです。ここから理論的に考えられる結論はひとつしかありません。ハイリスク者が当然優先されるわけですから、「ハイリスクである高齢者は10月中に接種してね。ハイリスクでない人はハイリスク者が打ち終わるまで待ちなさい。けど遅くても12月中旬には終わらせてね」ということになります。

 この考えは公衆衛生学的には正しいと言えるかもしれません。行政は国民一人一人を見ているわけではなく、社会全体を考えているからです。全体として重症者・死亡者が少なくなればそれが行政の”勝利”です。一方、我々臨床医は厚労省や他の行政組織の言うことにいつも従うわけにはいきません。なぜなら、我々は個々の患者さんを診ているからです。目の前の患者さんを理屈抜きで守らなければならないのです。

 ここで、冒頭で投げかけたもうひとつの質問を考えてみましょう。「インフルエンザワクチンは1回だけでいいのか?」です。厚労省によれば、「(13歳以上の場合)インフルエンザワクチン0.5mLの1回接種で、2回接種と同等の抗体価の上昇が得られるとの報告があります」と書かれています。つまり、一見したところ「ワクチンは1回でも2回でも効果は同じ」と読めるわけですが、解釈には注意が必要です。

 厚労省は「報告があります」と言っているだけです。その「報告」がどのような研究をもとにしているのかが分かりません。注釈として、その報告の出処が載せられてはいますが、詳細をネットで調べることができず、その報告書を入手するのは簡単ではありません。その報告書を苦労して入手しようと考える人は少数でしょうし、仮に入手してエビデンスのレベルがそれほど高くないことに気づいたとしても、厚労省の表現が間違っているとは言えません。なにしろその報告が正しいとも間違っているとも厚労省は言及しておらず、単にそのような報告があると言っているだけだからです。
 
 厚労省は、「ただし、医学的な理由により、医師が2回接種を必要と判断した場合は、その限りではありません」とし、医学的な理由として「13歳以上の基礎疾患(慢性疾患)のある方で、著しく免疫が抑制されている状態にあると考えられる方等は、医師の判断で2回接種となる場合があります」と書かれています。つまり、厚労省は「ワクチンは1回だけど、身体が弱っている人は2回必要。それは担当医の責任です」と言っているわけです。要するに、厚労省のサイトをよく読めば「ワクチンが1回か2回かについて厚労省は関知しません」が同省の立場であることが分かります。

 話をすっきりさせましょう。もしもワクチンの効果が充分に高くて長く、1回接種で11月から4月までの半年間しっかりと効くのであれば、「10月になれば国民全員が1回だけうってね」と言えば済む話です。ですが、実際には片方で「12月中旬」、もう片方で「高齢者は10月まで」と言い、「2回接種するかどうかは担当医に決めてもらってね」と言っているわけです。

 なぜ厚労省はあえて複雑な表現をとって分かりにくくしているのか。最大の理由は「ワクチンが足らないから」です。2番目の理由は「10月に国民全員が押し寄せれば医療機関がパンクするから」でしょう。他にも「ワクチン接種回数が増えればそれだけ副作用のリスクが上がるから」ということも考えているかもしれません(ワクチンの健康被害は国が保証することになっています)。

 では、もしも私が厚労大臣であれば「全員が2回、1回目を10月に」と宣言するでしょうか。私がその立場でもそのような宣言はしません。ただ、現在のような分かりにくい表現はやめます。私なら次のように言います。「インフルエンザのワクチンは全員が2回接種できればいいのですが全員に供給する余裕はありません。また、10月に皆さんが一斉に受診すれば医療機関は対応できません。そこで社会全体で優先順位を決めなければなりません。小児(注2)や高齢者や持病がある人などハイリスクの人が先に、そして2回接種を検討すべきです。健康な若い人は1回接種のみ、そしてハイリスクの人が済んでからにしてください」

 2回目はいつ接種すればいいのでしょうか。ワクチンの効果が5か月であったとしても、6か月であったとしても(米国では最低6か月有効と考えられています。米国CDCのサイトでは10月末までに接種するようにと書かれています)、前日まで100あった効果が次の日に突然ゼロになるわけではありません。効果はゆっくりと減弱していき、一定の数値を下回ると無効となるわけです。その効果を長続きさせるために2回目接種が有効で、これをブースター接種と呼びます。では、ブースター接種はいつが望ましいのか。これを検証したデータは見たことがありませんが、他のワクチンのように1~2カ月後が適切だと思われます。

 では、2回接種が望ましいなら太融寺町谷口医院では全員に2回接種をしているのかというとそういうわけではありません。ワクチンの入荷数はクリニック毎に決められていてそんなにたくさん割り当てられないからです。そこで谷口医院では次のような説明をしています。

・インフルエンザのワクチンは可能なら2回接種が望ましい
・しかし供給量が多くなく全員に2回接種は不可能
・そこで2回接種が必要なハイリスク者(高齢者、糖尿病、腎不全、膠原病、喘息、HIV陽性など)を優先している
・ハイリスク者でない13歳以上の人は、2回接種はハイリスク者に譲ってほしい
・1回接種の人は10月末までが望ましい(あまり遅くなると在庫がなくなる)
・10月に接種して4月に流行した場合は効果が切れている可能性はある
・谷口医院未受診の人は1回接種でも断っている

 今シーズンは新型コロナが脅威となるでしょうから、似たような症状を呈するインフルエンザは何としても避けたいところです。「ハイリスク」の”敷居”を下げて2回接種者を増やすべきだと考えているのですが、下げ過ぎると1回も接種できない人が出てくるかもしれません。何とも悩ましい問題です……。

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注1:ワクチンの添付文書に「(ワクチンの効果は)接種後3カ月で有効予防水準が78.8%であるが、5カ月では 50.8%と減少する」と書かれています。 

注2:新型コロナウイルスとは異なり、インフルエンザは小児もハイリスクとなります。このため、厚労省がワクチンを高齢者を優先としたことに対し、日本小児科医会は提言を出しています。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2020年9月13日 日曜日

2020年9月 新型コロナ、楽観論に流されてはいけない

 東京、次いで大阪や沖縄を中心にこの夏流行した新型コロナウイルスのいわゆる「第2波」も終息しつつあります。そして、重症者の割合が第1波の3~4月に比べると少なくなっていることもあり「新型コロナは実はたいしたことがない」「すでに弱毒化した」といった意見を言う人たちの声が大きくなってきています。医療者のなかにも「新型コロナ軽症説」を訴える人たちが増えてきています。

 ですが、実際にはまだまだ油断は禁物です。今回は巷で流行している軽症説を紹介していきましょう。現在流布している軽症説は主に3つあります。

軽症説#1:ウイルス弱毒化説

 3~4月は死亡者が多かったし、死亡率も高かった。それに比べて第2波では死亡者も死亡率も低い。死亡率(死亡者/感染者)が低いのは検査をした人が増えたことが要因だとしても、死亡者が少ないことの説明はつかないではないか。そして、ウイルスの変異はすでに報告されている(参考:「新型コロナ 第2波で重症や死亡が少ないわけ」)。日本でこの夏流行した新型コロナウイルスは毒性が低くなった。

軽症説#2:日本人には「ファクターX」がある

 日本人は他国の人たちと異なり、重症化しない要因「ファクターX」が存在する。そのおかげで日本人に新型コロナが感染しても抗体ができるまで待つ必要もない。もっと簡単な免疫(これを「自然免疫」と呼ぶ)で充分に対処できる。

 補足しておくと、「ファクターX」というのはノーベル賞を受賞された山中伸弥先生が提唱された概念です(ちなみに私は医学部の学生時代、山中先生に薬理学を教わっていました)。このファクターXの正体はまだ分からないけれども、このおかげで日本人は軽症で済んでいるとし、その理論を構築されたのが国際医療福祉大学大学院の高橋泰教授です。高橋教授はファクターXの正体は未知としつつも、「すでに日本人の3人に1人はウイルスに触れているが大半は感染が成立しなかったか、感染しても軽症で済んだ」という自説を展開されています。

軽症説#3:日本人の多くはすでに中和抗体を持っている

 実は日本人は第1波の前、つまり1~2月に新型コロナに感染して抗体ができた。その抗体のおかげで感染しにくいし重症化もしない。

 この説を提唱されているのは、京都大学大学院医学研究科の上久保靖彦特定教授です。上久保教授によると、新型コロナウイルスには三つのタイプがあるそうです。「S型」「K型」「G型」の3つで、「S型」と「K型」は軽症ですみ、「G型」と「G型」の変異型が重症化すると言います。先に「S型」にかかり、その後「G型」にかかれば重症化し、これが欧米で死亡者が多い原因だそうです。一方、「K型」に先に感染し、その後「G型」にかかった場合は「K型」によってできた抗体が「G型」にも有効なおかげで軽症で済む。そして日本人の多くは1~2月に「K型」に感染していたというのです。

 ではこれら3つの説を解説していきましょう。まず軽症説#1は、支持する医師も多いものの根拠がありません。遺伝子が変異したからそれが弱毒化につながったというのは話が飛躍しすぎています。それを証明した実験もありません。つまりエビデンスがまったくないのです。エビデンスがないからと言って否定もできませんが、重症化している人の割合が減ったとは言え存在するわけです。この説を信じるのは危険すぎます。

 軽症説#2については、高橋先生の理論構築は充分に筋が通っていますし魅力的な仮説です。ですが、この説を実証するには「ファクターX」の正体を明らかにしなければなりません。山中先生も高橋先生もファクターXとしてBCG(結核のワクチン)を考えています。そして、高橋先生の説が登場する前からBCGがファクターXではないかと考える日本人の医師は少なくありませんでした。

 私の意見は否定的です。すでにイスラエルからBCGは新型コロナに有効でないという論文が出ています。BCGを支持する医師たちはイスラエルのBCGと日本のBCGは種類が異なるという理由を持ち出します。では他の国をみてみましょう。現在新型コロナの勢いが止まらずに感染者数世界第2位のインドもBCGが定期接種となっています。ただ、インドのBCGも日本のタイプとは異なります。ですが、アジアでは、インド、バングラディシュについで3番目に感染者数が多いフィリピンでは日本と同じタイプのBCGが使われています。BCGが当初から注目されていたのは、もともとBCGは自然免疫力を増強する効果があると考えられているからです。それは正しいのですが、だからといって新型コロナに有効とするには無理があるように私には思えます。

 軽症説#3はユニークで魅力的です。しかし、この説が正しいとすると日本人の大半は新型コロナに対する抗体を持っていなければならないことになり、抗体陽性率が極めて低い事実と相反します。これを説明するのに上久保教授は「現在おこなわれている抗体検査では精度が低くて陰性とでてしまう」と説明します。たしかに一言で抗体といってもウイルスのどの蛋白質に対する抗体なのかを明らかにしなければきちんとした議論ができません。現在の抗体検査はそこまで厳密には測定できませんから、上久保教授の説も筋が通っています。しかし上久保教授の主張する「S型」「K型」「G型」について客観的なデータがあるわけではなく仮説の域を超えません。

 上久保教授は、「免疫を維持するためにはウイルスと共に生活していかなければならない」と説き、「再度自粛すれば、かえってその機会(ウイルスと接する機会)が失われかねない。『3密』や換気など非科学的な話ばかりだ」と自説を強調されます。これは現在の日本も含めた世界の政策とまったく異なる立場です。日本人だけがすでに抗体を持っていて、自粛を全面的に中止せよ、というのは私には乱暴すぎる考えに聞こえます。

 ここで実際の新型コロナをもう一度振り返ってみましょう。まず日本でも他国に比べると人数は少ないとは言え、若者も命を奪われています。40代、50代は若者とは呼べないかもしれませんが、日ごろ健康で持病がない成人も死亡したり、重篤な後遺症を残したりしています。新型コロナとよく比較されるインフルエンザでこのようなことはあり得ません。ちなみに、私が新型コロナは最悪の事態となるかも……、と考えるようになったのは中国の30代の医師が死亡した2月です。中国では次いで20代の医師も亡くなりました。

 高い確率で後遺症を残すのもインフルエンザとは異なる点です。治癒して体内にウイルスはいないはずなのに息苦しさや倦怠感が残るという人が少なくありません。海外でも日本でも後遺症が残るのはもはや間違いないというレベルに来ています。私は5月の時点で、後遺症と思われる症状を訴える人を複数診察したことから「ポストコロナ症候群」という言葉を勝手に名付けました。そのときはまだ確定はできないと考えていましたが、もはや後遺症(=ポストコロナ症候群)が存在するのは自明です。

 まだあります。健康で若い人は無頓着になりがちですが、「無症状でも他人にうつす」という事実は世界にパラダイムシフトをもたらせました。正確に言えばまったくの無症状(asymptomatic)ではなく発症前に無症状(pre-symptomatic)ですが、pre-symptomaticの時期に他人に感染させやすいのはもはや疑いようがありません。いくら若者は軽症で済んだとしても、高齢者を死に至らしめる可能性があるのですから、マスクなしで他人と気軽に接することができないのです。

 軽症説#3の上久保説では「まったく自粛不要」ですが、#2の高橋教授は高齢者には注意が必要と言われます。そうであるなら、やはりプレコロナの時代には戻れないということになります。

 無症状でも他人に感染させ、高齢者のみならず若年者も重症化することがあり、それなりの確率で後遺症をもたらす感染症と共に生きていかねばならないのなら、我々は元の世界に戻れないと考えるべきです。楽観論に頼りたくなる気持ちは分かりますが、現実に目を背けてはいけません。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2020年8月30日 日曜日

2020年8月17日 小児のヘディングは禁止すべきか

 コロナ禍でもできること・すべきこととして、私はアウトドアのレジャーやスポーツを推奨しています(参照:「新型コロナ この夏にレジャーを楽しむ方法」)。ただし、スポーツにはリスクが伴うものもあります。それは他者と密接になる競技であり、具体的にはダンスと格闘技になります。

 ではコンタクトスポーツのひとつであるサッカー(football)はどうでしょうか。私はOKだと思います。もっともサッカーでは反則行為などから乱闘になることがあり、こうなると感染のリスクが出てくるわけですが……。そういったリスクを一応考えた上で、自粛を強いられる子どもたちに延び延びとサッカーを楽しんでもらえればと個人的には思います。

 ただし、新型コロナとは関係のない話ですが「ヘディング」は中止すべきかもしれません。

 少し古い情報ですが、BBCが2020年2月24日に報道した「(UKの)サッカー協会、子供にはヘディング禁止を通達」からポイントを紹介します。

 子どもがヘディングを繰り返すと、脳の発達に悪影響を与えるリスクがあるとして、イングランドサッカー協会(FA)が練習でのヘディング禁止を発表しました。スコットランド協会、北アイルランド協会も同様の見解を発表しています。ウエールズ協会だけは正式には発表していませんが、現在検討中とのことです。

 グラスゴー大学の調査によると、元サッカー選手は脳疾患で亡くなる可能性が3.5倍高く、パーキンソン病で死亡する可能性は5倍高いことが示されています。

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 CTE(慢性外傷性脳症)のリスクについてはこのサイトで繰り返し取り上げ、私自身は日ごろの外来で患者さんに伝えるようにしています。もはやCTEという疾患が存在するのは明白であり、目をつぶるわけにはいきません。今まで当たり前のようにできていたことができなくなるのはプレイする側も応援する側も辛いものですが、ここは科学的見解に従うべきです。

 残念ながら日本ではどの競技もCTEについて充分に議論されているとは言えません。CTEは発症してからでは取り返しのつかない疾患です。日本の各スポーツ協会で早く検討されることを願っています。

参考:
はやりの病気第137回(2015年1月)「脳振盪の誤解~慢性外傷性脳症(CTE)の恐怖~」
医療ニュース
2019年11月23日「やはりサッカーも認知症のリスク」
2017年8月30日「アメリカンフットボールの選手のほとんどがCTEに!」
2017年3月6日「ヘディングは脳振盪さらに認知症のリスク」
2016年12月26日「未成年の格闘技は禁止すべきか」
2016年10月14日 「コンタクトスポーツ経験者の3割以上が慢性外傷性脳症」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2020年8月24日 月曜日

第204回(2020年8月) ポストコロナ症候群とプレコロナ症候群

 新型コロナが「インフルエンザより少し重い程度」と言われていたのが遥か昔のようです。若くして、しかも基礎疾患(持病)がないのにもかかわらず、心筋炎を発症したり、脳梗塞を起こしたり、あるいは米国の40代の舞台俳優のように足を切断しなければならなくなったり、とインフルエンザとは比較にならないほど重症化するのが新型コロナの実態です。しかし、一方では今も「新型コロナはただの風邪」と考え、自粛やマスク着用に反対する人たちも(医療者のなかにも)いることが興味深いと言えます。

 ただの風邪やインフルエンザと新型コロナが決定的に異なる理由のひとつが「後遺症」です。新型コロナに感染した後、ウイルスは体内から消えているのにもかかわらず、倦怠感、咳、胸痛、動悸、頭痛などが数か月にわたり続くことがあります。私はこれを「ポストコロナ症候群」と勝手に命名しています。ただし、これらの症状が本当に新型コロナウイルスに罹患したことが原因なのかどうか、証拠があるわけではありません。また、日本では新型コロナの検査のハードルが高く保健所はなかなか検査を認めてくれませんから、「あのときの症状はおそらく新型コロナだろう」という推測の域を超えず、現在ポストコロナ症候群と思わしき症状がある人が本当に感染していたのかどうか分からないこともあります。

 ただ、私ひとりがこういった現象があるんだと主張しているわけではなく、世界中で同じような事例が報告されています。例えば、4月から5月にかけてイタリアで行われた研究によれば、新型コロナから回復した患者143人の87.4%が、約2カ月が経過した時点で何らかの症状を呈していました。まったく無症状は18人(12.6%)のみで、32%は1つか2つの症状、55%は3つ以上の症状が認められています。内訳は、倦怠感53.1%、呼吸苦43.4%、関節痛27.3%、胸痛21.7%です。こういった症例は世界中で報告されており、米国のメディア「Voice of America」は「Post-COVID Syndrome」と呼んでいます。

 太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)にも現在数名のポストコロナ症候群と思われる患者さんが通院されています。ただ、有効な治療法があるわけではありません。d-dimerという血栓の指標となる数値がしばらく高い人がいますが、この状態で抗血栓療法をおこなうことにはコンセンサスがありません。それに、d-dimerが正常化してからも症状がなくなるわけでもありません。微熱が持続する人もいますが、解熱剤を内服するのが賢明な治療とは言えません。

 今のところ、すべての医療者が「ポストコロナ症候群」の存在を認めているわけではありませんし、機序は不明です。どれくらい持続するのか、悪化してやがて社会生活ができなくなるような可能性はあるのか、といったことも分かっていません。今後の世界からの報告を待つことになります。

 さて、今回紹介したいのは「新型コロナに一度も感染していないんだけれど新型コロナのせいで健康を損ねている状態」で、これをポストコロナ症候群に対して「プレコロナ症候群」と呼んでみたいと思います(私は新しい言葉をつくるのが好きなわけではなく便宜上名前をつけているだけです)。

 感染していないのになぜ健康を損ねるのか。そしてどのような症状を呈するのか。私は3つに分類しています。

 1つは「新型コロナに感染したと思い込んで社会生活ができなくなる状態」です。単なる下痢や客観的にはごく軽度の倦怠感、軽度の喉の痛みなどが出現すると「新型コロナに感染したに違いない」と思い込み、いわば強迫神経症のような状態となり社会活動に支障をきたすのです。

 「なぜ、そういった症状がコロナでないと言えるのか」という疑問があると思います。たしかにごく軽度の症状があり、それが新型コロナによるものだったということはしばしばあります。ですが、すべての軽症例が新型コロナに起因しているわけではありません。彼(女)らのなかには他院で高額なPCR検査を受け結果が陰性だったのにもかかわらず「感度は高くないんでしょ」などと言い、自分は感染したに違いないと言う人もいます。ひどい場合は高額な検査を繰り返し受けようとする人もいます。検査がすべてでないという考えは正しいのですが、検査がすべてでないからこそ医師が総合的に判断するのです。いったん「コロナに違いない」と思い込むと、彼(女)らは自分の考えを修正することができなくなります。

 なかにはまったくの無症状の場合もあります。彼(女)らは、外出先で他人と接したときに「あのとき感染したかもしれない」と思い込み、いったんその思考に陥ると何も手に付かなくなってしまいます。このタイプは責任感の強い真面目なタイプが多く、「無症状の私が他人にうつしてしまったらどうしよう……」という自責の念に駆られます。

 プレコロナ症候群の2つ目は「コロナを恐れて外出を控えたことにより心身が不調となる状態」です。最も分かりやすいのが「コロナ肥満」でしょう。谷口医院の患者さんのなかにも、体重が増え、血圧が上がり、中性脂肪と肝機能が悪化して……、という人が何人かいます。体重や血液検査値という分かりやすいものばかりではありません。生活リズムが崩れ昼夜が逆転し、睡眠障害、さらに不安感、抑うつ感が強くなり、社会復帰が困難になるケースもあります。高齢者の場合は認知症のリスクが上昇します。それだけではありません。ストレスから家庭内の人間関係が悪化することもあり、すでに欧州(特にフランス)ではドメスティック・バイオレンスの報告が相次いでいます。

 プレコロナ症候群の3つ目は「皮膚のトラブル」で、原因はふたつあります。ひとつは「マスク」、もうひとつは「過剰な手洗い」です。

 せっかくアトピー性皮膚炎やニキビが上手くコントロールできていたのに、マスクのせいで悪化したという人はものすごく大勢います。また、それまで顔面の皮膚のトラブルなど経験したことがなかったのに、マスクを常時着用するようになってから湿疹やニキビができたという人も少なくありません。

 しかし、これには対処法があります。ひとつはまずしっかりと治すことです。谷口医院をマスクのトラブルで受診した患者さん(特に初診)のなかには、薬局の薬で余計に悪化させてから来た人もいます。まず短期間でしっかりと治療をおこない完全に治してしまうことが大切です。もうひとつの大切なことは「予防」です。いったん治っても、同じようにマスクを使用しているとかなりの確率で再発するからです。

 ではどうやって再発を防げばいいのか。有効なのは「マスクの使い分け」です。サージカルマスク(不織布のマスク)は、暑いなかで着用していると皮膚が丈夫な人でも痒くなってきます。汗で痒くなって掻いて余計に悪化させている人もいます。また、むれた環境は皮膚の細菌増殖を促し、これがニキビの原因となることもあります。ですから、サージカルマスクの着用時間をできるだけ少なくして、布マスクを使用すればいいのです。

 布マスクで感染予防の効果があるのか、という疑問があると思いますが、例えばCDCはウェブサイトでサージカルマスクが入手できないときは布マスクで代用することを推薦し、手製の布マスクの作り方をイラスト入りで紹介しています。私自身も、外出時は布マスクを使用しています。汗をかいて不快になったときのための予備の布マスク、複数枚のサージカルマスク、それにN-95と呼ばれる医療者用のマスクも携帯しそのときの環境に応じて使い分けています。これらを携帯用のアルコールジェルと共にひとつのポーチに入れて持ち歩いています。私はこのポーチを「コロナセット」と勝手に命名しています(やっぱり私は新しい言葉を作るのが好きなのかもしれません)。

 「過剰な手洗い」で手荒れを起こしている人も少なくありません。コロナウイルスが手から感染することはありませんが、手荒れのせいで皮膚の防御力が弱くなり、他の病原体が皮膚に感染する可能性がでてきます。それに、いくら手洗いをしっかりしても次に何かを触ればそれで”終わり”です。「何か」とは、他人も触れるファイルやパソコン、硬貨、カードなどです。一方、いくら手が汚くても大量にコロナウイルスが付着していたとしても、その手で顔(特に鼻の下)を触らなければ感染することはありえないわけです。ですから手洗いよりも「顔を触らない」に注意すべきなのです。当然のことですが「顔を触らない」を一生懸命に実践しても皮膚にトラブルは生じません。

 ただの風邪やインフルエンザには「ポスト」も「プレ」も(ほとんど)ありません。新型コロナは、感染する前も、感染しているときも、治癒してからもやっかいな感染症なのです。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2020年8月6日 木曜日

2020年8月 ポストコロナで加速する医療崩壊

 2020年5月、愛知県の大村秀章知事は「医療崩壊が東京と大阪で起きた」と発言し、大阪府の吉村洋文知事は「大阪で医療崩壊は起きていません。何を根拠に言っているのか全く不明です。受け入れてくれた大阪の医療関係者に対しても失礼な話です」とツイッターで反論しました。

 吉村知事が「医療関係者に対しても失礼な話」と言ってくれたことには我々医師は喜ばなければなりませんが、実際には4月の時点で医療崩壊はすでに起こっていました。救急車を要請して救急車が来てくれても搬送先が見つからずに自宅に戻されるケースが増えだしたのです。呼吸苦と胸痛があり救急車を呼んだのに搬送先が見つからず、翌日当院を受診した患者さんは幸いなことに軽症でしたが、こういった症状は早く治療を開始しなければ命を失うこともあり得ます。これが医療崩壊でなくて何なのでしょう。

 そして、医療崩壊は7月になり急速に進行しています。

 当院の電話が鳴りやみません。谷口医院の過去14年間の歴史でこれまで最も電話問い合わせが多かったのが麻疹(はしか)の流行でワクチンが枯渇した2016年の秋でした。ウェブサイトには「ワクチンは谷口医院をかかりつけ医にしている人のみが対象」と目立つように書いたのですが、「なんとかなりませんか」と必死で訴えてくる当院未受診の人が大勢いました。

 7月中旬以降、そのときの状況をすでに上回り、今やパニックといってもいい状態です。私がクリニックに朝到着する6時45分頃の時点ですでに電話が鳴っています。5分から10分に一度くらいの割合でコールが響きます。ただし、電話受付は8時からとしているのでこの時点で私は電話をとりません。

 8時になると息つく暇もなくなります。電話を切れば数秒以内に次の電話が鳴ります。それを延々と繰り返すわけです。他のスタッフに変わってもらう10時半頃までずっと電話で話しているような状態です。

 電話が鳴りやまない原因はもちろん新型コロナです。といっても新型コロナに感染した人たちからの電話ばかりではありません。その内訳を紹介しましょう。

#1 新型コロナに感染しているかもしれないのに診てもらえない

 現在発熱や咳など風邪の症状があると、それだけで受診を拒否する医療機関が増えています。当院ではこういった行き場を失くした人たちをこれまではある程度積極的に診てきました。4月には、かかりつけ医を含めて10軒以上のクリニックから断られ、保健所に相談しても検査を拒否され、遠方からやって来られた患者さんが新型コロナ陽性だった、ということもありました。

 しかし、当院も発熱などの症状がある人を診られるのは1日2人までです。なぜなら一般の患者さん全員に帰ってもらってからでないと来てもらうわけにはいきませんから、午前と午後の診察終了後の1枠ずつしか「発熱外来」の時間がとれないのです。7月上旬頃までは、まだ少し余裕があったので当院未受診の人にも来てもらっていたのですが、風邪症状を訴える人が増えたため現在は当院の発熱外来の対象は谷口医院をかかりつけ医にしている人のみとしています。

 電話ではその旨を伝えるのですが、すんなりと理解してもらえることはあまりありません。なぜなら必死で訴えてくる人たちの多くは当院に電話するまでにすでに何軒からも断られているからです。保健所に相談しても「コロナの検査はその程度ではできないから近くの医療機関を受診するように」とすでに冷たくあしらわれています。なかには声を荒げたり泣き出したりする人もいます。熱があるのにどこも診てもらえない、保健所からは相手にされない……。医療崩壊が進行しています。

#2 無症状だが職場や取引先、学校、帰省先などからコロナの検査を求められている

 すでにいろんなところで指摘されているように新型コロナのPCR検査はキャパシティがあるために無症状の人は希望してもほとんど受けられません。谷口医院では当初はこういった検査を実施するつもりはありませんでしたが、6月上旬に「PCRを受けられないと夫と生き別れてしまうんです!」と主張するある女性からの訴えを聞いて考えを変えました。妙齢のこの女性、東南アジアのある国でご主人と生活していたのですが、2月に自身のみ一時帰国しその後再入国できなくなってしまいました。

 当院でPCRを実施していなかった最大の理由は、無症状者の検査は精度が必ずしも高くないからです(有症状者の場合は現在の大阪市ではクリニックでの検査が正式に認められていません)。しかし、診察室でそんな理屈を言っていても意味がありません。PCRを受けなければご主人と再会できないのですから。ただし、1日の検査枠には上限があります。そこで、検査会社と話をして、①当院をかかりつけ医にしている人、②入国先から求められている海外渡航者、の2つに限定することとしました。よって、職場や学校から求められているという理由での当院未受診の人のPCRは実施できません。

 では抗原検査はどうかというと、この検査も1日にできる検査数には限りがあります。こちらは当院未受診の人も受け付けていますが、すぐに予約が埋まってしまいます。

 検査希望者がすごく大勢いるのにもかかわらず、実施している医療機関はどうしてこんなに少ないのでしょうか。その最大の理由は「検査結果が必ずしも正確でない」と多くの医療者が考えているからです。ですが、当院の経験でいえば、そんなことは多くの患者さんも分かっているのです。それは分かっているけれど、職場や学校から求められているのだから仕方ないでしょ、というわけです。

 よくあるのが、「同じ職場で新型コロナの感染者が出たから自分も検査しなければならなくなった。保健所に相談すると濃厚接触には該当しないから検査できないと言われた」、というものです。このケース、私には「感度が高くなく……」などといった理論を並べるのではなく検査するしかないと思うのですが、どうも多くの医師はそれでも正論を述べるのが好きなようです。

#3 ポストコロナ症候群に苦しんでいる

 ポストコロナ症候群というのは私が勝手に命名した病名です。新型コロナにかかった後(あるいは本当はかかっていないけれどかかったと思い込んだ後)倦怠感、頭痛、動悸、めまい、咳などが続くことを言います。いわばコロナの後遺症です。この人たちは、すでに何軒かのクリニックを受診しています。しかし、「異常がない。気のせいだ」などと言われドクターショッピングを繰り返しているのです。最近はたいてい毎日このような電話がかかってきます。たしかに、積極的な治療法はなく、これを病気と呼べるのか、というケースが多いのですが、患者さんが困っているのは事実です。
 
 以上みてきたように、熱や咳といったコロナを疑う症状があるのにどこからも診てくれない、検査を受けないといけないのに受けられない、ポストコロナ症候群なのにどこからも相手にされない、という悲鳴に近いような訴えを延々と聞いているのが現況です。電話がつながらないので当院をかかりつけ医にしている人も予約が入れられずに困っています。

 医療崩壊はすでに加速しているのです。

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2020年8月6日 木曜日

2020年8月6日 胃薬PPIは新型コロナのリスクになる

 このサイトで繰り返し伝えているように、現在最もよく使われている胃薬であるPPI(プロトンポンプ阻害薬)は、認知症、脳梗塞、骨粗しょう症などのリスクになるという報告があります(詳しくは下記の「医療ニュース」参照)。今回お伝えしたいのは、そのPPIを服用していると新型コロナにかかりやすくなるという研究です。

 医学誌「The American Journal of Gastroenterology」(2020年7月7日オンライン版)に掲載された論文「PPI使用者の新型コロナウイルス感染リスク増加(Increased Risk of COVID-19 Among Users of Proton Pump Inhibitorses)」を紹介します。

 この研究の対象者は米国在住の18歳以上の男女53,130人、調査期間は2020年5月3日~6月24日です。対象者の中で新型コロナウイルスに感染したのが3,386人で全体の6.4%です。感染とPPI内服の相関関係を解析すると、1日1回PPIを飲んでいる人は、飲んでいない人に比べて2.15倍感染のリスクが上昇し、1日2回飲んでいる人はそのリスクが3.67倍にも上昇することが分かりました。

 では、なぜPPIを服用することにより、新型コロナに感染しやすくなるのでしょうか。論文の著者らは、PPIで胃酸の分泌が減少することによりウイルスに対する抵抗力が弱まる可能性を指摘しています。

 尚、この研究では、PPIと同じように胃の治療に使われるH2ブロッカーとの関係も調べられています。解析の結果、H2ブロッカーは新型コロナ感染のリスクは認められていません。

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 PPIには5種あります。先発品の商品名(かっこ内は一般名)を挙げていくとオメプラールまたはオメプラゾン(オメプラゾール)、タケプロン(ランソプラゾール)、パリエット(ラベプラゾール)、ネキシウム(エソメプラゾール)、タケキャブ(ボノプラザン)です。日本の保険診療上たいていは1日1回しか認められていませんが、重症例に限っては2回が認められているものもあります。

 この研究が(私にとって)興味深いのは、新型コロナウイルスが消化管から感染する可能性を示唆しているからです。新型コロナでは下痢などの消化器症状も出現しますたが、それは肺の細胞から侵入したウイルスが血流に乗って腸管に移動するからだと考えられています。ですが、この研究はダイレクトにウイルスが消化管に感染することを物語っています。

 過去にも述べたように、日々患者さんを診ているとあまりにも気軽にPPIを内服している人がかなりたくさんいます。といってもその患者さんが悪いわけではなく、前の医療機関で処方されているものを指示通りに飲んでいるだけなのですが。

 太融寺町谷口医院の経験でいえば、PPIに頼っていた人の約8割は多少の生活習慣の改善と組み合わせることでH2ブロッカーに切り替えることができています。現在PPIを内服している人はもう一度リスクを見直してみるのがいいでしょう。

参考:医療ニュース
2019年12月28日「やはり胃薬PPIは認知症のリスクを増やすのか」
2018年9月28日「胃薬PPIで認知症のリスクは増加しない?!」
2018年5月14日「PPI使用で脳梗塞のリスク認められず」
2017年4月28日「胃薬PPIは認知症患者の肺炎のリスク」
2018年4月6日「胃薬PPIは短期使用でも骨粗しょう症のリスクに」
2017年1月23日「胃薬PPIは精子の数を減らす」

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2020年7月29日 水曜日

2020年7月29日 パートナーとベッドを共にすればぐっすり眠れて長生きできる

 不眠で悩んでいるという人はかなり多いような印象があります。受診理由が「不眠」でない人に対して「最近眠れていますか」と尋ねたときも、自信をもって「ぐっすり眠れています」と答える人はわずかしかいません。睡眠に悩みがない人の方が少ないのではないか、と思わずにはいられません。

 「睡眠薬を処方してください」という人は大勢いますが、太融寺町谷口医院では、「睡眠薬は安易に処方しない」という方針を開院以来続けています。不眠を訴えるほとんどの人に「健康づくりのための睡眠指針 2014 ~ 睡眠12箇条 ~に基づいた保健指導ハンドブック」を紹介しています。これは医療者用のテキストなのですが、一般の方が読んでも分かりやすくよく書けています。

 不眠を訴える人のほとんどに、私は「パートナーと一緒ですか」と聞くようにしています。この私の意図は、「パートナーのいびき(や寝言)が睡眠の妨げになっていないか」ということであり、特にいびきで眠れないという人には寝室を別々にすることを提唱していました。

 ところが、どうも私のこのアイデアは間違っていたようです。「良質な睡眠を得るためにはパートナーとベッドを共にすべき」という論文が発表されました。医学誌『Frontiers in Psychiatry』2020年6月25日(オンライン版)に掲載された「カップルでベッドに入るとレム睡眠が増加しリズムが安定する(Bed-Sharing in Couples Is Associated With Increased and Stabilized REM Sleep and Sleep-Stage Synchronization)」です。

 論文によると、カップルでベッドに入るとレム睡眠が約10%増加し、安定することが分かりました。研究の対象となったのは18~29歳の12組のカップルです。カップルには研究のため4泊してもらっています。2泊を別々で、残りの2泊をパートナーと共に睡眠をとってもらいその差が調べられたのです。

 ところで、いわゆる「浅い睡眠」であるレム睡眠が増えるのは本当にいいことなのか、という疑問があります。深い睡眠をしっかりとっていればそれでいいではないか、という考えが根強くあるからです。しかし、「レム睡眠を充分にとらないと死亡率が上昇する」という研究があり注目されています。

 医学誌『JAMA neurology』2020年7月6日号(オンライン版)に「中高年における死亡率とレム睡眠との関係(Association of Rapid Eye Movement Sleep With Mortality in Middle-aged and Older Adults)」という論文が掲載されました。

 この研究の対象グループは2つあり、1つは平均年齢76.3歳の男性2,675人で、12.1年間(中央値)追跡されています。もうひとつは、成人男女1,386人(男性54.3%、平均年齢51.5歳)で、20.8年間(中央値)追跡されています。レム睡眠の長さと死亡リスクとの関連が調べられ、総睡眠時間に占めるレム睡眠の割合が5%減少するごとに、心血管疾患による死亡率および全死亡率がいずれも13%上昇することが分かったのです。さらに、この傾向は年齢が若くても認められています。

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 人間はレム睡眠の間に夢を見ると言われています。今回紹介した2つの研究を合わせて考えると、パートナーとベッドを過ごすことで、素敵な(とまでは言えないかもしれませんが)夢を見ることができて、それが健康で長生きすることにもつながる、というわけです。

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2020年7月26日 日曜日

第203回(2020年7月) コロナ時代の風邪対策

 医療崩壊が確実に進行しています。今年(2020年)3月以降、発熱や咳のある患者さんには通常の診察時間に来てもらえなくなりましたから、当院では午前と午後の一般の外来が終わってから「発熱外来」の枠を設けています。午前も午後も1名のみの枠です。

 4月には「もう限界!」という状態になりました。なにしろ1日2人までしか診られないわけですから、希望されても当日には診ることができず、翌日まで待ってもらうこともしばしばありました。当然、当院をかかりつけ医にしている人が優先となりますから、一度も受診したことのない人はいくら希望されてもなかなか診ることができません。

 5月に入り、風邪症状の患者さんが減少し、穏やかな日常に戻っていくかと思われましたが、6月末から再び増加し始めました。しかし、1日2人の枠をこれ以上増やすことはできません。今後、「風邪症状があるから診てほしい」というすべての要望に応えられなくなることが予想されます。

 そこで今回は「コロナ時代の今、風邪をひけばどうすればいいか」を考えていきたいと思います。

 まずは、当然のことながら「風邪をひかないように日ごろから予防に努める」ことが大切ですが、これについては過去のコラム「医師が勧める風邪のセルフケア6カ条」などを参照いただくこととし、ここでは実際に風邪をひいてしまったときの対処方法を考えていきましょう。

 結論を言えば、「風邪をひいたときにはかかりつけ医に相談する」のが最善です。もちろん、軽症であり放っておいても自然に治ることが予想できる場合は相談せずに自宅安静でOKです。ただし、新型コロナの場合、初期は通常の軽度の風邪と区別がつかないことが多く、軽症だからといって新型コロナを否定できるわけではありません。一人暮らしの場合は自宅安静とし、職場には事情を話して職場の指示に従えばいいと思いますが、同居している家族がいる場合はどうするんだ、という問題がでてきます。

 可能であれば(あなたではなく)同居している家族全員にホテル暮らしなどをしてもらうのが理想ではありますが、少しの風邪症状で毎回これを実践するのは現実的ではないでしょう。その場合、できるだけ家族と顔を合わせないようにして食事の時間も別にします。完全な自宅安静ができず外出した場合は、かばんや上着は玄関に置いてリビングには持って入らないようにして直ちにシャワーを浴びるようにします。身体に付着したかもしれないウイルスを洗い流すためです。

 ここで「保健所に相談しなくていいの?」という質問に答えておきましょう。地域にもよりますが、軽度であれば保健所は新型コロナウイルスのPCR検査をまず受けてくれません。5月以降は随分ましになったとはいえ、まだまだ検査の「敷居」は高いのです。陽性者と”濃厚接触”があった場合ですら、(少なくとも大阪市では)断られていることが多いのが現実です。

 かかりつけ医を持っていない場合はどうすればいいでしょうか。「薬局で薬を……」と考えるのがひとつの選択肢になりますが、気軽に薬局に訪れるのは問題があります。コロナウイルスについては、理論的にはサージカルマスクをしていれば他人に感染させることはないのですが(参考:「新型コロナ 感染は「サージカルマスク」で防げる」)、薬局側が症状のある人の来店を断る可能性があります。ですから、医療機関だけでなく薬局に行くときも事前に電話で行っていいかどうかを確認するべきでしょう。

 医療機関よりも薬局の方が”敷居”は低いとは思いますが、日本の薬局ではできることが限られていますから、日本に住んでいる限り、診療所/クリニックにかかりつけ医を持っていた方がいいのは間違いありません(注)。実際、当院にはほぼ毎日、風邪症状の患者さんから電話やメールで問い合わせが入ります。診察時間中に医師が電話を取ることは困難ですが、看護師が話を聞いて助言をすることはできます。緊急性があればその場で医師に代わります。そして、さらに緊急性があれば、直近の「発熱外来」に来てもらうこともあります。

 電話で新型コロナが疑わしいと判断でき、ある程度重症化している場合は、患者さんには自宅待機をしてもらい、当院から保健所にPCR検査の交渉をします。患者さん自身で保健所に依頼してもたいていは断られますが、医療機関から交渉すればうまくいくことが多いのです。ただし、さほど重症でない場合は医療機関が依頼しても直ちに認めてくれるわけではありません。新型コロナは「指定感染症」に分類されており、行政のルールのもとで診療がおこなわれます。PCR検査は公費(患者負担ゼロ)でおこなえますが、その代わり検査の可否や順番については行政の指示に従わなければならないのです。

 そういった行政の立場は分かるのですが、我々からすると日ごろ診ている患者さんが辛い思いをしているときに、保健所の意向に従うわけにはいかないこともあります。実際、4月には私自身が保健所にしつこく食い下がってPCR検査を依頼したけれども断られた患者さんが新型コロナ陽性で、結果的に長期間の入院を余儀なくされました。後からその保健所から電話がかかってきたとき、「だから、あれほど言ったのに!!」と怒鳴りたくなる衝動を抑えるのに苦労しました。

 そういう経験もあるために、保健所の方針は理解はできるのですが、我々としてもなんとかして保健所の職員を説得せねばなりません。そこで、新型コロナは疑われるが軽症の場合は、まず当院の「発熱外来」に受診してもらい、必要に応じてレントゲン撮影や採血をおこないます。あまり知られていないかもしれませんが、新型コロナに感染すると血液検査では特徴的な結果がでることがあります。リンパ球低下、LDH高値、C反応性蛋白上昇、腎機能悪化、d-dimer高値などです。特にd-dimerが上昇しているケースは、新型コロナを強く疑う根拠になり、これを保健所に伝えればたいていはPCR検査OKと言われます。

 さて、話を戻すと「発熱外来」のキャパシティが少なすぎて、「需要>>供給」となり患者さんの期待に応えられない、のが現実です。7月に入り「熱があるから診てほしい。近くの医療機関からはことごとく拒否されている」という問い合わせがかなり増えてきています。けれども、先述したように、当院としては、日ごろ当院をかかりつけ医にしている人からの依頼には応えていますが、当院未受診の患者さんには対応できません。

 他の医療機関の悪口は言いたくないのですが、熱がある、あるいは咳があるというだけで診察を拒否する医療機関が増えています。実は上述した保健所から検査を拒否され続けた新型コロナの患者さんも10軒以上の近くのクリニックから受診拒否され、仕方なく車で1時間以上かけて当院を受診されたのです。

 しかし、もちろんそのような医療機関ばかりではありません。当院が実施しているように、一般の患者さんと時間を分けて診察をし、必要あれば保健所へPCRの交渉をしてくれたり、大きな病院への入院の手続きをしてくれたりする医師も少なからずいます。

 谷口医院は、14年前の開業時から「他院から断られ、行き場をなくした患者さん」を積極的に診てきました。もちろん、その後は近くを受診するように促しますが、現在も他府県から長時間かけて来られる人は少なくありません。受診する時間がないときはメールや(皮膚疾患の場合)写真を送ってもらい診察しています。風邪症状の場合は、メールや電話で状況を聞いて、患者さんが希望されれば当院まで来てもらっていました。しかし、コロナの時代はそうはいきません。公共交通機関が使えませんし、先述したように「発熱外来」の枠は1日2枠しかとれないからです。
 
 発熱があるという理由で「うちは診ないから自分でなんとかしなさい」という医療機関が多いのは明らかに問題です。ですが、大切なのはそういう医療機関を糾弾することではなく、そういうところは無視して、あなた自身が困ったときに何でも相談できるかかりつけ医を”近くで”見つけることです。これが「コロナ時代の風邪対策」の最重要事項なのです。

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注:これは海外に行くと異なります。日本では医療機関でしか処方できない薬を薬局で買えるという事実もありますが、それ以上に国民が薬剤師を信頼しているように見えます。例えば、タイでは国民は何かあれば薬局にいる薬剤師を頼りにします。薬剤師がまるで医師がおこなうような問診をし、軽症なら薬のみで、治療が必要であればきちんと医療機関を紹介します。私は初めてタイ人からこういった話を聞いたときに大変驚かされました。尚、日本の薬剤師がタイの薬剤師より劣っているわけではありません。日本では制度上、薬剤師ができないことが多いのです。

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2020年7月13日 月曜日

2020年7月 『偏差値40からの医学部再受験』は間違いだった

 私が『偏差値40からの医学部再受験』という本を上梓したのは2003年です。それなりに多くの人に読んでもらったようで、出版後の約10年間で数百通のお手紙やメールをいただきました。勤務先まで会いに来てくれた人も何名かいますし、嬉しいことに「本を読んで医学部に合格できました」というお便りもいただきました。

 当時私がこの本を通して世間に訴えたかったのは「医学部合格はそんなに難しいことではなくて、ちょっとしたことを知っていればほとんど誰にでも可能ですよ」ということです。タイトルは『偏差値40からの……』ですが、これは編集者が考えたタイトルであり、実際の私の偏差値は高校3年の12月で30台でした。その私が大した苦労もせずに医学部受験に合格できたわけですから、たいていの人に可能だと考えたのです。

 今回は、「当時は正しいと思っていたその考えが間違っていた」ということを述べたいと思います。実はこの思いは上梓した直後からあり、それが少しずつ大きくなってきています。とはいえ、『偏差値40からの……』に書いたことのすべてが間違っているわけではなく、私と同じような境遇の人にとってはかなり参考になるのではないかと今も思っています。

 では「私と同じような境遇の人」とはどのような人でしょうか。それは、1日12時間以上の勉強を1年間程度続けることができる体力と環境と貯金と、そして受験勉強開始時点で偏差値50程度の学力があることです(私は、高校時代は偏差値30代でしたが医学部の受験勉強を開始した時点では50くらいはあったと思っています)。

 『偏差値40からの……』を書いた頃の私は、まだまだ世間知らずでした。医学部入学前に4年間の社会人経験もあった私は、少しは社会というものを知っているつもりでしたが、これは今になって考えるととんでもない思い上がりです。当時の私は自分がいかに恵まれた環境にいたのかが分かっていなかったのです。

 今は、医学部受験は誰にでもできるわけではないという考えを持っています。そう思うに至ったいくつかの経験を紹介しましょう。

 まずは医学部を目指しているという20歳のある男性との出会いです。現役で医学部に合格できるほどの実力があったのにもかかわらず不合格。ある日予備校に通学する途中で交通事故に遭いました。1週間後に意識が戻り命はとりとめたものの高次機能障害が残りました。MRIなどの画像では異常所見を認めませんが、事故の前に比べると、集中できなくなり、物覚えが明らかに悪くなったと言います。少し勉強するとすぐに疲労感が強くなり横にならずにはいられないそうです。この男性が医学部に入学するのはほぼ不可能だと私は思います。仮に入学できたとしてもその後の勉強についていけないでしょう。

 次に紹介したいのはタイでの経験です。研修医1年目の頃、私はタイのエイズ施設にボランティアに行きました。当時のタイではまだ抗HIV薬がなくHIV感染は死へのモラトリウムを意味していました。その施設で何人もの患者さんと接していると「なんで自分は医師で、彼(女)らは患者なんだろう」という気持ちがでてきました。私が日本に生まれ、恵まれた家庭ではなかったとしても、大学まで卒業させてもらう援助を親から受け、その後仕事をして貯金をし、それから医学部受験を経て医師になったのに対し、彼(女)らは、境遇によっては小学校も卒業しておらず、なかには大人から性的虐待を受けてHIVに感染した人や、母子感染の子供たちもいました。私は自分が努力したから日本に生まれ医師になれたのでしょうか。

 2011年3月11日に人生が大きく変わった人は少なくありません。太融寺町谷口医院にも東日本大震災の被害に遭ったという患者さんが何人かいます。彼(女)らのなかには、家族を失い、仕事を失い、何もかもなくした状態から立ち上がっている人もいます。被災された人たちのなかには、医学部受験を諦めざるを得なくなった人もいるに違いありません。彼(女)らが被害に遭ったのは運以外の何物でもありません。決して”天罰”などではないわけです。

 他にもこういったエピソードは多数あります。今の私はこのように考えています。「人生を決めるのは99%の運と1%の努力」だと。エジソンの名言に「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」というものがあります。また、日本には「運も実力のうち」という言葉があります。私はこれらの言葉に賛成しません。

 エジソンが大変な努力をしたのは事実でしょう。ですが、もしもエジソンが母親から理解されず、自宅で勉強や実験ができる環境が与えられなかったとしたらまったく別の人生を強いられたに違いありません。私がタイのエイズ施設で出会ったHIV陽性のある少年は、幼い頃から複数の(男性の)大人たちからレイプをされ続け、自身の性が女性なのか男性なのかもわかっていませんでした。この青年は小学校にもいかせてもらえず文字も充分に読めません。

 「運も実力のうち」という人は、努力を続けていれば幸運がそのうち巡ってくるというようなことを言います。しかし、努力を続けていても、突然交通事故に遭ったり、震災の被害にあったりする人もいるわけです。「運」は「運」であり、実力や努力で変えられるものではないのです。
 
 自分の夢がかなえられた人はそれだけで幸運です。だから少々努力して医学部に入学できて医師になったとしてもそれは必然ではなく偶然と考えるべきだというのが私の考えです。つまり、健康な身体、ある程度のお金、震災に遭わなかった、1日12時間の勉強ができる環境があった、などの幸運が偶然重なった結果なのです。タイのエイズ施設で患者さんと向き合っているなかで、私は次第に「あなたが患者で僕が医師なのは単なる偶然。今世では運によってそれぞれの役割が与えられただけ」という気持ちが強くなってきました。

 そして、この考えは帰国後にさらに強くなりました。医師と患者は対等という言葉が文脈によっては正しくないのは医師の方が圧倒的に知識と技術があるからです。ですが、それは医師が患者より上の立場であるということではなく、医師と患者はそれぞれ別の立場にいるということだけなのです。これをそれぞれの「役割」という言葉で言い切ってしまうと反感を買うかもしれませんが、次第に私は「人生とはそれぞれの役割を”演じる”こと」ではないかと思うようになってきています。

 シェイクスピアの『As you like it(お気に召すまま)』のなかに、次のセリフがあります。

All the world’s a stage, and all the men and women merely players.  They have their exits and their entrances.

 これを私流に訳すと「すべての世界は舞台だ。すべての男と女は単に役者を演じているだけだ。我々には初めから出口と入口が与えられているのだ」となります。なぜ出口が入口より先に来ているのかも興味深いのですが、この言葉は人生というものを上手く表現していると思います。

 尾崎豊の『街の風景』の歌詞のなかに「人生は時を演じる舞台さ……」という箇所があります。尾崎豊がこの曲を書いたのは15歳と聞いたことがあります。15歳の時点ですでに人生の”真実”に気付いていたのでしょうか。

 日本では新型コロナに感染して差別的な扱いを受ける人が大勢います。リスクのある行動をとった結果感染した人もいますが、感染予防対策をしっかりと実践していたのにもかかわらず感染した人もいます。結局のところ、感染するかしないかの最大の要因は「運」に他なりません。

 知人がコロナに感染して自分が感染していないのは「運」、自分の住む地域に震災が来なかったのも「運」、勉強する時間と貯金があったから医学部に合格できたのも「運」、交通事故に遭っていないのも「運」、現在の私が患者さんから話を聞き診療が行えるのも「幸運が重なったから」なのです。

 ならばその幸運に感謝して、これから起こり得るすべてのことを「運」と受け入れて、与えられた舞台で自分の役割を演じていくだけです。今年はコロナのせいでタイに渡航できなくなりましたが、タイで知り合った患者さんたちのことを毎日のように思い出します。これからも彼(女)らを支援する”役割”を演じる舞台に立ち続けるつもりです。

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2020年6月18日 木曜日

第202回(2020年6月) アトピー性皮膚炎の歴史を変える「コレクチム」

 アトピー性皮膚の治療の歴史が(ほぼ)確実に変わりそうです。

 一般に、新しい薬が登場するときには慎重すぎるくらいの姿勢でいるべきです。発売してから当初は予想されていなかった副作用が報告されることがしばしばあるからです。しかし、2020年6月下旬に発売されることが決まっている「コレクチム」(一般名はデルゴシチニブ)は、(私個人の印象ですが)まず間違いなくアトピー性皮膚炎(以下単に「アトピー」とします)の治療の歴史を変えることになります。

 今回はこのコレクチムの特徴を紹介したいと思いますが、その前にアトピーの歴史を、私見を交えて振り返ってみたいと思います。

1999年まで:プレ・タクロリムス時代
1999年:タクロリムス登場
2008年:シクロスポリン登場
2010年頃:タクロリムスが見直される
2018年:デュピルマブ登場
2020年:コレクチム登場

 順番に解説していきましょう。90年代まではアトピー性皮膚炎に有効で安全な治療薬があるとは言えませんでした。ステロイドでいったん炎症を抑えることはできますが、中止すると元の木阿弥になります。だからと言って使用を続ければまず間違いなく副作用に苦しむことになります。なかには取り返しのつかないような副作用もあり、これが医療不信につながりました。現在の「知識」があれば、いい状態を維持するための「プロアクティブ療法」を実践すれば、ステロイドの副作用を最小限に抑えることができますが、90年代当時はまだこの言葉すらありませんでした。

 医療不信が生み出したともいえる「民間療法」は様々な社会問題を引き起こしました。医療機関受診を頑なに拒否した(親が拒否させた)患者さんのなかには、不幸なことにアトピーの悪化から命を落とした人もいます。また、悪徳業者に高額な料金を要求されたり、高価なものを買わされたりといった事件が相次ぎ、これらは「アトピービジネス」と呼ばれました。

 当初の名称は「FK506」、後にタクロリムス(先発の商品名は「プロトピック」)と呼ばれることになった外用薬は発売前からかなり注目されており、当時まだ医学生だった私のところにもたくさんの問い合わせがありました。「これでステロイドなしで治せる!」という声が多数あったのです。ところが、前評判が高すぎたことと、医師側が使用方法をきちんと説明しなかった(というより、発売された当時は医師もよく分かっていなかった)ことから「副作用が多すぎて使えない」という声が相次ぎました。この薬は炎症が残っている部位に塗れば余計に悪化することもあり、またけっこうな確率でニキビを代表とする感染症を引き起こします。

 そして90年代後半から2000年代の終わり頃まではニキビのまともな治療薬がありませんでした。結局のところ、タクロリムスは正しい使用方法が伝わっていなかったことと、正しく使用してもニキビが高確率で発症しそのニキビを予防するためのいい薬がなかったことから、当初の期待ほどには普及しませんでした。この頃はまだ相も変わらず民間療法が跋扈し、被害者が続出していたのです。

 2008年にシクロスポリンという内服の免疫抑制薬が登場しました。これはたしかに炎症を抑える効果は強いのですが、副作用が多すぎて非常に使いにくい薬でした。おまけに高確率で腎機能障害が起こるため定期的な採血をしなければなりません。そもそも長期では使えないという前提で発売されたものです。私の印象としては、内服ステロイドとそう変わりません。内服ステロイドも飲めばほぼ確実にそのときは改善しますが、副作用のリスクから飲み続けるわけにはいきません。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)ではシクロスポリンは一度も処方していません。

 2018年4月、デュピルマブ(商品名は「デュピクセント」)が発売されました。この薬(注射薬)は劇的に効きます。発売して2年以上が経過しますが、いまだに大きな副作用の報告もほとんどありません。効果も安全性も高いわけですから薬としては非常に優秀です。欠点は「費用」です。3割負担でも年間60万円程度かかります。現在、薬価は少し下がりましたが、それでも今でも注射1本19,900円(3割負担の場合)します。これを2週間に一度注射していかねばなりません。その他の費用と合わせると現在でも年間50万円以上はかかりますから「お金持ちにしかできない治療」となってしまっています(尚、谷口医院では現在デュピルマブを処方しておらず希望者には病院を紹介しています)。

 そんななか2020年6月末に登場することになったのが冒頭で紹介したコレクチムです。この塗り薬の特徴を一言で言えば「タクロリムスの副作用を大きく軽減した薬」です。ここでタクロリムスの大きな2つの欠点を振り返ってみましょう。

 ひとつは塗ったときの刺激感です。炎症がある部位に塗ると、痛み、熱感、痒みなどが出現します。これを我慢するという人もいますが、毎日の治療で我慢を強いられるのは避けたいものです。よって、こういった副作用が出現すれば直ちに洗い流して、再度ステロイドを塗るのが一番いい方法です。つまり、タクロリムスはステロイドで炎症を完全に取ってからでなければ使うべきでないのです。

 もうひとつの欠点は先述したニキビです。タクロリムスは免疫抑制剤ですから皮膚表面の「免疫能」を低下させます。その結果、細菌が繁殖することになりこれがニキビをもたらすのです。他の感染症にも注意しなければなりません。特にヘルペスには注意が必要で、ヘルペスの治療のタイミングが遅れるとカポジ水痘様発疹症と呼ばれる重症型に移行し、こうなると入院しなければならないこともあります。

 新薬コレクチムも刺激感がゼロではなく、またニキビの副作用もないわけではありません。ですが、いずれの副作用もタクロリムスに比べると起こる可能性が格段に少ないと言われています。ということは、タクロリムスがステロイドで完全に炎症をとってからでしか塗れないのに対して、コレクチムはまだ痒みがある状態でも塗っていいということになります。また、ニキビのリスクが低いのであればこれはありがたいことです。

 アトピーがない人からはなかなかわかりにくいと思いますが、タクロリムス外用もニキビ予防薬の外用もとても面倒くさいものです。なぜなら、タクロリムスが塗れる状態というのはステロイドで炎症をとった後だからです。つまりかゆくないときにベトベトするタクロリムスを全身に塗らねばならないのです。タクロリムスには「軟膏」しかありません。タクロリムスの「ローションタイプ」をつくってください、と私は個人的に複数の製薬会社に10年以上言い続けているのですが今のところ技術的に難しいようです。そのベトベトするタクロリムスをまったく痒くないところに塗るのも大変ですが、さらにニキビの予防薬も塗らなければならない、というのもかなり面倒です。

 コレクチムがタクロリムスより使いやすいのは間違いなさそうです。ならば全面的にタクロリムスがコレクチムに取って代わるのかと言えば、現時点ではその可能性はそう高くありません。費用の問題があるからです。コレクチムはタクロリムスの3倍近くします。正確には1本(5グラム)の値段が、タクロリムスは3割負担で76.05円(谷口医院で処方している後発品の場合)なのに対し、コレクチムは209.55円です。谷口医院の患者さんで言えば少々重症のアトピー性皮膚炎の患者さん(目安として非特異的IgEが10,000~60,000IU/mLくらい)が使用するタクロリムスの量は月あたり30~60本程度です。これをすべてコレクチムに替えるとなると経済的にしんどくなります。

 とはいえ、デュピルマブに比べればコレクチムの費用ならほとんどの人が検討できる範囲内だと思います。谷口医院のポリシーは「新薬は原則として発売1年間は処方せずに様子をみる」というものですが、コレクチムは例外的に発売と同時に必要と思われる患者さんに紹介していく予定です。

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参考:はやりの病気
第99回(2011年11月)「アトピー性皮膚炎を再考する」
第177回(2018年5月)「アトピー性皮膚炎の歴史が変わるか」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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