マンスリーレポート
2018年12月 人生は自分で切り拓くものではなかった!?
特に「50歳の誕生日」というものを気にしていたわけではないと思うのですが、去る10月に50歳になってから強く意識しだした「考え」があります。それは「自分の人生は自分で切り拓くものではない」というものです。
実は、初めてこういう考えが頭の中に出てきたのは30代半ばの頃です。ですが、その頃はあまり深く考えずに過ごしていました。しかしこの思いは次第に強くなり、数年前からは「人は自分の力、とりわけ努力することにより厳しい社会に立ち向かっていかなければならない」という考えは間違いとは言えないにしても、正確ではないのでは、と思うようになってきていました。
以前の私は、とにかく「社会は厳しくて誰に対しても冷たい。他人に頼ってはいけない。ひたすら努力して強く生きていかなければならない」というような考えをもっていました。これはもう物心がついてからと言っても過言ではなく、できないことがあればそれは努力が足りないからだ、と自分に言い聞かせてきました。そしてそう信じることで自分を奮い立たせることができていたのも、それなりに努力ができていたのも事実です。
私のこれまでの文章や拙書を読まれた方はご存知だと思いますが、高校時代には行ける大学はないと言われたものの、どうしても行きたかった関西学院大学理学部に2カ月間だけですが猛勉強で合格しました。しかし入学後、これが自分の進む道ではないと気付き、「前例がないから無理だ」と言われながらも社会学部に編入しました。就職するときには「大企業の名刺を持ちたくない、自分の力で勝負できるところに行くんだ」と言って中小企業に就職し、ある程度好きなことをさせてもらいました。医学部受験は誰ひとり賛成してくれず孤立無援で挑みました。当初志望していた研究者への道は断念しましたが、臨床医としての道を見つけ、タイ渡航時にHIVの現実を知りNPO法人を立ち上げ、さらに総合診療のクリニックが日本にも必要と考え太融寺町谷口医院をつくりました。
このように私はこれまでの人生で「やりたいこと」が見つかれば、他人の忠告には耳を貸さず、ひたすら努力し自分の力と「運」を味方に自分の道を進んできました。
では、私はこれからも自分で決めた道を進み続けるのか、と考えたときに、それはどうも違うのではないかという感覚がいつの頃からか芽生え、それが次第に大きくなってきているのです。
まず私の人生はこれまで何度も「運」に助けられてきています。努力が実ったというよりは、幸運に支えられてきたおかげで今の自分があります。ほとんどの場面で他人の忠告に耳を貸さなかったのは事実ですが、私に社会学のおもしろさを教えてくれたのも、「大企業で歯車になるな、己の身体で勝負せよ」という人生のルールを示してくれたのも私の先輩ですし(そういった先輩たちには今もお世話になっています)、医学部に入ってから、あるいは医師になってから素晴らしい先輩医師の指導を受けることができたからこそ現在患者さんに貢献できているわけです。私が幸運なのは論を待ちません。
ならば、私はこれからもこの「幸運」に期待していいのでしょうか。いいかもしれませんが、私がすべきことはこれまで通り自身のミッション・ステイトメントに従い(参考:マンスリーレポート2016年1月「苦悩の人生とミッション・ステイトメント」)、やるべきことをやるだけです。そして、重要なのは幸運に感謝すること、そしてもうひとつ。「〇〇」に恥ずかしくないよう生きることだと思っています。
「〇〇」とは何なのか。これが自分でもよく分からないのですが、宗教を持っている人なら「神」と呼ぶものかもしれません。最近になってよく思うのは、私はもしかすると「生きている」のではなく「〇〇」により「生かされている」のではないか、ということなのです。
つまり私が自分の努力で自分の道を切り拓いてきたと思っていたのは自分の「実力」ではなく、「〇〇」に支えられてのことだったのではないか、その「〇〇」が私に「運」を運んでくれているのではないかと思わずにはいられないのです。さらに、私の行動や思考すべてが「〇〇」に監視されているのではないかとも思えます。監視という言葉は通常は否定的な意味で使われますが、私にとって「〇〇」による監視は不快なものではなく、むしろ「〇〇」に見られているから頑張らなくては、と思える、いわば私を応援してくれている存在なのです。
なんだか宗教的な話になってしまいましたが、私は特定の宗教を持っていません。ですが、今改めて思えば、こういう考えをもつきっかけになったのはタイのエイズ施設「パバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)」を訪問しだしてからです。ただ、寺そのものや仏教と私の考えにつながりがあるわけではありません。おそらく、私がこの施設で死が直前に迫った若い人達と濃厚な日々を過ごしたことが原因です。
親に売り飛ばされ春を鬻ぎHIVに感染し死を直前にした若い女性。ストリートチルドレンとしてしか生きる術がなくそのうちに違法薬物に手を出してエイズを発症した若い男性。母子感染したHIV陽性の子供たち。こういった人たちの存在を想像したとき、多くの人が感じるのはおそらく「かわいそう。気の毒」ということだと思います。私も最初はそうでした。実際にそういった人たちと会うまでは。
ところが、実際に患者さんと会って治療をおこなうようになると「かわいそう」などという気持ちを持っていては何もできません。というより、そのような気持ちを持つこと自体が失礼になります。患者さんを「かわいそう」などと上からの視線でみてはいけないのです。患者さんの年齢にかかわらず、たとえ子供であっても一人の人間として尊厳を尊重すべきであり、先進国から来た医師が偉いわけでも何でもないのです。
これは当たり前のことなのですが、この当たり前のことをきちんと理解できたとき、それまでの私はこんなに重要なことをなおざりにしていたんだ、と反省せねばなりませんでした。よく考えると日本で診るすべての患者さんに対しても、その人がどれだけ不幸な生い立ちであったとしても、不治の病に罹患していたとしても、「かわいそうだ。気の毒だ」などと思ってはいけないのです。一人の患者さんを前にしたとき、こういった感情を持つことは診察に悪影響を与えるだけではなく、大変失礼なことなのです。
こう考えると、私がこれまで努力して自分の道を切り開いてきたという考えも正確ではなく、私自身がそういう「役割」を与えられているのではないか、と思えてきます。私のことを昔からよく知る友人や知人からは「医学部受験もGINAもクリニックもよくやったな」と言われますが、私は担った役割を単に実演しているだけではないのか、と考えるようになってきたのです。つまり、私が「不治の病を負った患者」ではなく「患者を治療する医師」なのは、私の努力によるものではなく、そういう役割を与えられているからではないかと思えてくるのです。
若い頃と比べると、何をするときも、それは大きな決断だけでなく日常生活の些細なことも含めて、選択に悩むことがかなり少なくなりました。その理由として、まず私は自分のミッション・ステイトメントを持っていることが挙げられます。しかし、そのミッション・ステイトメントに忠実に生きるように「〇〇」が私を監視しているようにも思えるのです。
「〇〇」とは神のような仰々しいものではなく、単に私の中にある「良心」と呼ぶべきものかもしれませんし、もっと世俗的な単なる「大人の分別」に過ぎないのかもしれません。しかしその一方で、例えば私がお世話になった故人の「霊」かもしれないし、宇宙を支配する「原理」であるような気もします。
いずれにせよ、これからの私の人生は「〇〇」を裏切らないように、与えられた役割を実演していくのみです。
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