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2013年6月21日 金曜日
60 救急搬送拒否とクリニックの待ち時間 前編 2008/1/31
昨年末に大阪府富田林市で、30もの病院から救急搬送を拒否されて89歳の女性が死亡したという事件は一般の方からは不可解にうつるかもしれません。
”30もの病院から拒否”などと聞くと、「いったい日本の病院は何をやっているんだ!」と憤りを感じる方もいるでしょう。
しかし、現場で仕事をしていると、30というのはさすがに多いような気もしますが、このようなことは”ないことはないだろうな・・・”と感じられます。
私は、現在は救急の仕事から離れていますが、少し前までは月に数回は救急車を受け入れ入る病院で夜間の勤務をしていましたし、以前は大病院の救急部で働いていたこともあります。
救急車受け入れ要請の電話は救急隊から入ります。比較的小さな病院で働いているときは、救急隊の話から判断して、「その症例はこの病院で受け入れるには重症すぎる。もっと大きな病院に行ってもらうべきだ」と判断して断ることがあります。
これは、無理して受け入れて、その結果、「やはりこの病院では人員も設備もこの症例をみるには不充分だった」などということは避けなければならないからです。初めから大病院に搬送されていれば助かったのに、無理して小さな病院で受け入れたために救える命が救えなかった、などということは絶対にあってはならないことです。
ただ、この判断がいつも正しいとは限りません。
例えば、私が以前ある中規模病院で夜間勤務をしていたとき、30代男性の交通事故の患者さんが運ばれてきました。事前の救急隊の情報によれば、「意識も清明で、頭をうっているかもしれないが両手両足は動く。あるとしても軽度の骨折程度だろう」ということでした。それならば、受け入れ可能です。私は、「頭蓋内出血や胸部・腹部の損傷を確認して、あとは骨折の治療をおこなえばいいだろう・・・」、そのように考えていました。
ところがです。実際に運ばれてきた患者は、意識は比較的保たれているものの、四肢に力が入らないといいます。これは脊髄損傷の可能性があります。もしも、脊髄損傷なら初めからそれなりの対応のできる高次病院に行かなければなりません。私は初期診察をすませ、やはり脊髄損傷の可能性のあることを確認し、それから大阪府中の高次病院に連絡をとりました。
そのときはたしか7件目くらいの病院で受け入れてもらえることになりました。その病院まではかなり距離がありましたが、私も救急車に同乗しておよそ1時間後に搬送することができました。
逆に、高度な救急をあつかっている大病院で勤務しているときは、救急隊や中規模病院からの救急搬送依頼が頻繁にあります。
もちろん、大病院としては、重症の症例を積極的に受け入れたいという気持ちはあるのですが、すべての依頼に対応するわけにはいきません。生死をさまよっているような患者さんの治療には、かなりの人員と時間がとられます。生命の危機がある患者さんをひとり受け入れれば、その後数時間は救急要請に応えることはできないのです。
また、救急外来があいているときでも、ベッドが万床であれば受け入れられないということもあります。重症の症例は、原則として入院することが前提です。空きベッドがなければ人員に余裕があったとしても救急要請を受け入れることはできないのです。
では、日本の医療現場では、なぜこのような問題が起こるのでしょうか。
最大の原因は「医師不足」でしょう。
もしも医師の数が大幅に増えれば、それだけで救急要請を断ることはかなり少なくなるはずです。夜間の当直医が1から2人しかいない病院であれば、少し時間のかかる中等度の症例が搬送されてくればそれで手がいっぱいになってしまいます。救急医療をおこなう医師が(それが交代性であったとしても)増加すれば、なかなか搬送先が見つからないという問題は大きく減少するはずです。
ちなみに、日本の人口あたりの医師数は、先進国30ヶ国中27位(2005年9月の財団法人社会経済生産性本部によるデータ)です。
そして、もうひとつの大きな問題は、「空きベッドの少なさ」です。
医師数と同時に財団法人社会経済生産性本部が発表した、人口あたりの病院ベッド数は、先進国30ヶ国中なんと第2位です。
これは一見奇妙にうつります。ベッドの数は多いのに万床で救急搬送が受け入れられないとはどういうことでしょうか。
この原因は、日本では入院を希望する患者さんが他国に比べ多くて、さらに入院期間が長いという特徴があるからです。
これが日本の医療費を圧迫しているのは事実で、そのため厚生労働省はあの手この手で入院患者数を減らして、入院期間を短くする政策を常に検討しています。
現在の日本の医療現場は、「少ない医師が大勢の入院患者を診ている」というのが現状なのです。
では、入院機能をもたないクリニック(診療所)ではどうなのでしょうか。
病院の搬送拒否とある意味で同じ問題を孕んでいるのが、「クリニックの待ち時間の長さ」です。
現在のすてらめいとクリニックの最大の問題点のひとつが、この「待ち時間の長さ」です。
特に1月は待ち時間の長さが顕著でした。正月明けで患者さんが一気に増えたこともあり、予約があっても2時間待ち、予約がなければ4時間待ち、などという事態にもなってしまいました。
現在は予約システムを大幅に見直し、待ち時間の短縮がある程度実現化し、少なくとも予約のある患者さんの待ち時間は最長でも30分程度になっています。
しかし、一方では新たな問題も出現しています。次回はそのあたりを述べたいと思います。
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|2013年6月21日 金曜日
59 不可解な医療費 -その2- 2007/12/25
前回は、「なぜ同じような治療でも医療機関によって治療費に差がでるのか」という点について、院内処方と院外処方の差を述べました。
前回お話したように、医療機関側からみたときには院外処方にする方が経営的に安定するのですが、患者さん側からみたときには、院内処方は「治療費が安くつく」以外にもいくつかのメリットがあります。
ジェネリック薬品、あるいは後発薬品という言葉をご存知でしょうか。これは、新しい薬が発売されてから一定期間(通常は10年)が過ぎ、特許が切れた後に、他の製薬会社が製造した”同じ”薬です。ジェネリック薬品に対して、もともと先にあった薬を先発品と呼びます。
同じではなく”同じ”としているのは、まったく同じものではないからです。その有効成分を錠剤やカプセルにする際に用いる材料に違いがあることがあり、有効成分の質と量には差異がありませんが、体内で作用する際には差がでるのではないか、とする考えもあります。
しかし、たしかに一部のジェネリック薬品には効果が劣る(あるいは副作用がでやすい)可能性がありますが、あきらかに先発品と同等の効果があるものも少なくなく、同じもので値段が安いなら安い方(ジェネリック薬品)の方がいいと考えるのは当然のことでしょう。
現在、医療費抑制のために、厚生労働省はジェネリック薬品をもっと普及させようとしています。
ところが実際は、ジェネリック薬品はそれほど普及していません。
例えば、2007年2月8日の共同通信によりますと、医師が処方箋に「後発品への変更可」と記載しても、実際に薬局で後発品が出されるケースは、このうち5.7%しかないことが分かりました。(詳細は、医療ニュース2007年2月10日「普及しない後発医薬品」)
つまり、院外処方ではジェネリック薬品をそれほど多く入手できないのが現状なのです。
院外処方に比べて院内処方の方が便利な理由は他にもいくつかあります。
まず、院外処方では薬をすぐに入手できないという問題があります。病気や症状によっては、その薬を一刻も早く飲まなければならない場合があります。こういったときにも、患者さんはクリニックでいったん精算を済ませ、その後薬局に行かなければなりません。クリニックの会計で待たされた上に、薬局でもある程度は待たなければなりませんから薬を飲むのが遅れてしまいます。
日中ならまだいいかもしれませんが、夜間の場合は一日遅れることもあります。例えば、すてらめいとクリニックの診察時間は午後8時まで(受付は7時45分まで)となっていますが、混んでいるときは診察の終了が午後9時を過ぎることもあります。9時以降にも空いている薬局もあるでしょうが、多くの院外処方せんを受け付けている薬局はこれよりも早く閉まります。すると、患者さんは薬を入手するのは早くても翌日の朝になってしまいます。仕事などで忙しい人であれば服薬開始が大きく遅れることもあるでしょう。
薬が合わなかった場合や副作用が出た場合もやっかいです。薬局では薬を勝手に替えるわけにいきませんから、患者さんはクリニックを再度受診することになります。電話で問い合わせるにしても、薬局とクリニックのどちらに聞いていいかわからない場合もあるかもしれません。これが院内処方なら、薬局を通さない分だけ、医師や看護師がすみやかに対応できます。
また、飲み方に注意がある場合も、院内処方の方がスムーズです。例えば、「この薬は1日1錠飲むことになっているけれども、症状が強い場合は2錠まではかまわない。ただし2錠飲んでいいのは1週間まで。そして1日2錠にした場合は○○といった副作用がでるかもしれない」といったケースがあるとします。この場合、この情報を薬局に伝えて、さらに薬局で患者さんに伝えるのに相当な手間と時間がかかります。院内処方なら、看護師が実際に患者さんに薬を見せながら説明することができるというわけです。
さて、「なぜ同じような治療でも医療機関によって治療費に差がでるのか」という問題に対する答えのひとつとして、院内処方と院外処方の違いを述べましたが、治療費に差がでる理由は他にもいくつかあります。
「同じ病気に対して検査方法がいくつもある」というのも大きな理由です。
例えば、クラミジア感染を例にとってみましょう。
すてらめいとクリニックでは、クラミジアに対しては、数十分で結果が分かる検査方法を採用しています。この検査の費用は、3割負担で510円です。ただし月に一度は「判断料」という明目で430円が別にかかります。しかし、この「判断料」というのは月に一度ですから、例えば前の週にインフルエンザでかかっていた場合は、すでにそのときに430円を徴収されていますから、510円のみとなります。
これは患者さんに教えてもらったことですが、泌尿器科や産婦人科を含めて多くのクリニックでは、結果がすぐにわかる検査ではなく、結果が出るまでに1週間ほどかかる別の検査方法を採用しています。この検査法だと検査代が630円で、「判断料」は450円となります。さらにこの検査法では、1回で1箇所しか検査できないため、例えば女性で子宮けい部とのど(咽頭)の双方を調べたいという場合には検査を2回しなければなりません。そしてこの場合は保険診療ができません。混合診療となりますが、(混合診療の良し悪しは別にして)、例えば子宮けい部は保険診療とし、のどの検査を自費にした場合は、(10割負担とすれば)2,100円が別途必要となります。
クラミジア以外の性感染症を考えた場合、すてらめいとクリニックでは、女性の場合、淋菌性咽頭炎、淋菌性子宮頸管炎、外陰部カンジダ症、腟カンジダ症、腟トリコモナスの検査をすべて顕微鏡でおこなっています。これらの検査はすべて50円です。しかも、これらすべては保険請求しても認められないことが多いため、はじめから2回分(100円)しか請求していません。(ただし、これら検査の「判断料」として別途450円がかかります)
ひとりの女性がおりものの異常があって性感染症を疑い、クラミジア頸管炎・咽頭炎、淋菌性頸管炎・咽頭炎、外陰部カンジダ症、腟カンジダ症、腟トリコモナス症の検査をした場合、初診代820円、尿検査80円、クラミジア頸管炎+咽頭炎940円(510円+430円)、クラミジア以外のすべての検査550円(50円x2+450円)、子宮頸管粘液採取代90円、腟洗浄代140円、となり合計約2,600円となります。診察時には、性器ヘルペスや尖圭コンジローマなどができていないかどうかも確認しますから、事実上、HIVや肝炎などを除くほとんどすべての性感染症が2,600円で検査できることになるのです。
性感染症のように、一度にいくつもの項目を検査しなければならない場合、すてらめいとクリニックで最も重視しているのは「すべての項目の結果を早く」ということです。早く結果を出す検査にこだわった結果として、検査代が安くなっているというわけです。
「早く結果を出す」ためには、ひとりの患者さんにかける時間が長くなりますし、利益も出なくなってしまいますし、それなりの経験をつまなければなりませんから(顕微鏡で複数の感染症の検査ができるようになるには最低でも数千枚のスライドを観察しなければなりません)、経営的にはマズイかもしれませんが、患者さん側からの需要は「結果を早く!」なのです。
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|2013年6月21日 金曜日
58 不可解な医療費 -その1- 2007/12/3
ここのクリニックはどうして医療費が安いのですか?
これは、患者さんからときどき言われる言葉です。すべての患者さんがこのように感じているわけではないと思いますが、逆に「ここは高いですよ」と言われたことは一度もないので、もしかすると相対的にみて、すてらめいとクリニックでの治療費は安いのかもしれません。
しかし、これは極めて不思議なことで、医療費というのは保険点数で決められていますから、その決まりを無視して勝手に値段を上げたり下げたりすることはできません。つまり、医療費というのは日本全国どこのクリニックを受診しても同じであるはずです。
では、なぜ一部の患者さんは、すてらめいとクリニックの治療費を安いと感じているのでしょうか。
実は、恥ずかしながら私自身がまだ複雑な保険点数のシステムを理解しておらず、日々カルテに保険点数を記載していて、「わかりにくい」「複雑すぎる」と感じることが頻繁にあります。
クリニックの院長である私がそのように感じているわけですから、一般の患者さんにはこの保険点数というものが複雑怪奇なものにみえるのではないでしょうか。
今回は、私自身がようやく少しだけ分かりかけてきた保険点数のシステムを、「なぜどこの医療機関を受診しても同じはずの医療費に差が出るのか」という観点からお話したいと思います。
ひとつめは、すてらめいとクリニックは院内処方をおこなっているという点があげられます。
患者さんが薬を受け取るには、「院内処方」と「院外処方」があります。院内処方とは、診察の後、そのクリニック内で薬を受け取る方法で、院外処方とは、クリニックでは「院外処方せん」を受け取り、それを持って調剤薬局に行って、その薬局で院外処方せんに書かれた薬を受け取る方法です。
細かい説明は省略しますが、結論から言えば、患者さんの立場に立てば院内処方の方が安くつきます。
では、すべての人が院内処方を好むかというと一概には言えません。複数の医療機関を受診している場合、薬の飲み合わせといった問題が発生します。医療機関を複数受診していても自分のかかりつけの薬局を決めておくと、薬の飲み合わせに問題が発生したとしても薬局でそれが分かります。
かかりつけの薬局なんてもたなくても、医療機関を受診する度に、他の病院で処方されている薬を話せばいいだけじゃないの・・・
そう感じる人もいるでしょう。その通りで、我々医師は診察の際には、必ず今飲んでいる薬を聞くようにしています。このときにサプリメントや健康食品、市販の薬などについても尋ねるようにしています。
しかし、かかっている医療機関が極めて多い場合や、飲んでいる薬が大量にある場合はかかりつけの薬局をもった方がラクであると考える人もいるわけで、そのような人たちは院外処方の方が安心できるでしょう。
現在の日本では、院外処方にすることが推奨されており、これを促進するため医療機関にとっても院内処方よりも院外処方にする方が利益が出るような仕組みになっています。
これは一般の人からすれば、極めて不可解に感じられるのではないでしょうか。市場経済を考えたときに、その商品を自社で販売するよりも他社に販売させた方が儲かるなどといったことは普通はあり得ないからです。
このカラクリは、処方せん発行料と薬の差益額にあります。
まず、院内で調剤する調剤料や処方料に比べて、処方せん発行料の方が価格(保険点数)が高く設定されているのです。しかし、薬そのもので利益が出るのだから、薬をたくさん処方すれば院内処方の方が医療機関は儲かるのではないかという疑問が出てきます。
しかし、薬の差額(販売額マイナス仕入額)というのは、その薬にもよりますがほとんどありません。なかには、仕入額と販売額が同じものもあります。つまり、その薬をいくら処方しようが医療機関の儲けはゼロなのです。
したがって、医療機関からみたときには院内処方をやめて院外処方にした方が経営的に安定するのです。
さらに、薬を処方する際のヒューマンエラーの問題があります。すてらめいとクリニックでも、薬を患者さんにお渡しするまでに、その薬の種類と量に間違いがないかを複数のスタッフが確認しています。これにけっこうな手間と時間がかかります。
また、薬が品切れするようなことがあってはいけませんから、仕入れ業務にも相当な手間と時間がかかります。薬には使用期限がありますから在庫を置くリスクもありますし、薬のスペースを確保しなければなりませんし、定期的な棚卸しも必要になりますから、院内処方で薬を処方するというのはかなりの負担になります。
低い利益、ヒューマンエラーのリスク、在庫のリスク、仕入れ業務の手間、などを考えると、医療機関にとってみれば院外処方にする方が経営的に有益であると言えるのです。実際、新しく開院するクリニックの大半は院外処方にしているそうです。
では、すてらめいとクリニックでは、なぜ利益が出ずに手間と時間のかかる院内処方にしているのか・・・。
実は、すてらめいとクリニックでも、患者さんには、院内処方、院外処方のいずれかを選択してもらうようにしています。しかし、今年1月のオープン以来受診された約3,500人の患者さんで院外処方を選ばれた方はまだひとりもいません。
つまり、患者さんが院内処方を希望する(あるいは院外処方を希望しない)のがひとつめの理由です。
次回は、患者さんからみたときの院内処方の利点の続きを述べて、さらに医療機関によって医療費に差がでる理由について考えてみたいと思います。
つづく・・・
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|2013年6月21日 金曜日
第57回(2007年10月) 覚醒剤大国ニッポン
2007年9月18日、新宿のあるクリニックが依存性の高い向精神薬「リタリン」を投薬の必要のない患者に不適切に処方したとして、東京都と新宿区が医療法に基づいて立ち入り検査をしたことが大きく報道されました。
一連の報道で一躍有名となったこの「リタリン」という向精神薬は以前から一部のジャンキーの間ではよく知られており、医療者の頭を悩ませていました。
リタリンの一般名は「メチルフェニデート」、分かりやすく言えば「覚醒剤類似物質」です。そのような薬物が本当に治療に使われるのか、疑問に感じる人もいるかもしれませんが、ナルコレプシーという日中に突然眠ってしまう病気に対して処方されることがあります。また、保険適用はなく自費での処方となりますが、注意欠陥性多動障害(ADHD)の治療に使われることもあります。
さらに、重症のうつ病に使われることもあります。しかし現在では、うつ病には副作用が少なく安全に使えてなおかつ効果の高い抗うつ薬が多数ありますから、うつ病に対してリタリンが使用されるケースはごく限られています。
以前から、リタリンを大量に服用すると覚醒剤(メタンフェタミンやアンフェタミン)と同様の効果が得られることはよく知られており、そのため一部のジャンキー(シャブ中)は複数のクリニックを訪れリタリンの処方を求めていました。
(私の記憶が正しければ)2003年には、全国の医療機関に「リタリンを安易に処方しないように」との通達がなされました。その頃には少なくとも医療関係者の間では「リタリン中毒」は大きな問題でした。
リタリンを欲しがるジャンキーのなかには巧妙な手口を使う者もいます。ナルコレプシーについて勉強し、自分があたかもナルコレプシーに苦しんでいるかのように医者の前で演技するのです。実際、当院にも「ナルコレプシーの薬を処方できますか」という問い合わせが過去何回かありました。
今回立ち入り検査を受けた東京のクリニックは、リタリンをほしがる患者に対し無秩序に処方していたと報道されています。こういった報道が本当だとすると、患者を守るべきはずの医療機関が逆に患者を苦しめることを助長していることになり(リタリン中毒≒覚醒剤中毒で、覚醒剤中毒者が身を滅ぼすのは時間の問題です)、にわかには信じがたいことです。
ただ、この東京のクリニックは、2006年12月、院長が診察結果の説明を求めた女性患者に対し「説明しても分からないだろう」と暴言を吐いた上に、この患者を壁に叩きつけるなどの暴行を加え3週間のケガを負わせたとして翌月逮捕されていますから、今回のリタリン不適切処方もあり得ることかもしれません。
医師をしていると遺法薬物のユーザーを診る機会が少なくありません。遺法薬物にもいろんなものがありますが、日本ではやはり最多を占めるのは覚醒剤(アンフェタミンとメタンフェタミン)でしょう。内服が主流なことから安易に服用されるMDMA(エクスタシー)に依存している人も少なくありませんし、(関西では比較的少ないですが)コカインも流通していますが、日本の覚醒剤ユーザーの多さは異常ではないかと私には思えます。麻薬については日本での乱用者は諸外国に比べるとかなり少ないようです。尚、頻度で言えば大麻の方が覚醒剤よりも多いのは自明ですが、これはあまり問題にならない、というか「大麻中毒(依存症)で受診」という人はほぼ皆無です。
日本で覚醒剤がこれだけ広がっている理由のひとつに「過去には合法だった」ことが挙げられます。かつての日本では、覚醒剤が「ヒロポン」という名で薬局で合法的に販売されていたのです。世界広しと言えども、覚醒剤が一時的にでも合法だった国は日本を置いて他にはないでしょう。インドの一部の州やオランダで大麻が合法であることは広く周知されていますが、大麻と覚醒剤では危険性に天と地ほどの差があります。
日本で覚醒剤が広く流通している他の理由としては、「やせる目的で使う」「友達とホンネで話すときのツールに使う(特に若い女性)」「眠らずに働かなければならない」、などが考えられます。
「眠らずに働かなければならない」ときに使える薬は他にはなく、実際「ヒロポン」のハードユーザーは、深夜のタクシードライバーや長距離トラックのドライバーに多かったと聞きます。
また、深夜勤務の多い医師の間にも、(人数は多くないと信じたいですが)覚醒剤ユーザーはいます。実際、毎年公表される医師免許停止の処分となった医師の免許停止理由として「覚醒剤取締法違反」というのが必ずあります。2005年に逮捕された覚醒剤中毒の女医については各メディアで大きくとりあげられました。
では、どうすれば覚醒剤ユーザーを減らすことができるのか……。
まずは、覚醒剤の危険性を充分に認知させることが必要です。(元)覚醒剤ユーザーと話をすれば分かりますが、彼(女)らはごく軽いきっかけで覚醒剤を始めています。「友達と一緒だったから……」、「(静脈注射ではなく)アブリなら安全だと思ったから……」、「何回かやればそれで終わりにするつもりだった……」、などと答える者が多いのですが、あまりにも覚醒剤を安易に考えすぎです。覚醒剤の味を知ってしまえば、並大抵の努力ではやめられません。タバコとはわけが違うのです。
次に、覚醒剤に関する罪を重くすることも必要だと思います。現行の法律では、初犯なら密造や密売をしておらず個人使用であればほとんどが執行猶予がつくと言われています。この罪の軽さが覚醒剤使用の敷居を低くしているのではないかと、私には思えてなりません。
しかし最も問題なのは、これほどまでに覚醒剤がたやすく入手できてしまう日本の環境でしょう。実際、日本ほど覚醒剤が簡単に入手できる国はないと言われています。他方、(私の知る限り)麻薬の日本での入手は難しいように思えます。
想像を絶するほどの辛い体験をして覚醒剤を断ち切ることに成功した人を私は何人か知っていますが、彼(女)らでさえ、「今でも目の前にシャブを置かれると誘惑に勝つ自信がない」と言います。実際、「日本に帰ると再びシャブに手を出してしまいそうで怖い……」と言って、海外移住を決めるような人もいるのです。
地域の行政と警察にはもっと本腰を入れて覚醒剤追放に力を注いでもらいたいと思います。また、他人任せにするのではなく、学校や家庭にもできることはあるはずです。マスコミの役割も重要です。私が子供の頃には強烈なインパクトのあるテレビCMがありました。
もちろん、我々医療従事者の使命もあります。私個人としては、覚醒剤に手を出したくなるような精神状態の改善に注力すべきだと思っています。また、「覚醒剤を断ち切りたいと考えている人」に対するサポートは絶対に必要です。
ですから、薬物の誘惑に駆られている人や断ち切りたいと考えている人は気軽に医療機関を訪ねてください、と言いたいのですが、患者側からも少し注意が必要かもしれません。
冒頭で述べた東京のクリニックのウェブサイトを見てみると、トップページの目立つところに次の言葉がありました。
過眠性の慢性睡眠障害(ナルコレプシー)治療剤の処方を開始しました
参考:
メディカルエッセイ第20回「覚醒剤中毒の女医」
メディカルエッセイ第21回①(全4回)「クスリ」を上手く断ち切るには 」
メディカルエッセイ第22回②(全4回)「クスリ」を上手く断ち切るには 」
メディカルエッセイ第23回③(全4回)「クスリ」を上手く断ち切るには 」
メディカルエッセイ第24回④(最終回)「クスリ」を上手く断ち切るには 」
NPO法人GINA GINAと共に 第13回「恐怖のCM」
NPO法人GINA GINAと共に 第5回「アイスの恐怖」
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|2013年6月21日 金曜日
第56回(2007年9月) 安倍首相と朝青龍と医師の守秘義務
2007年9月12日、安倍首相が突然の辞任を発表したことには誰もが驚いたことでしょう。参議院選挙の敗退などで、首相に対する支持率が低下していたのは事実ですが、その一方で依然根強い支持を集めていたのも事実であり、まさか突然の辞任をするなどと予想していた人は皆無だったのではないでしょうか。
突然の辞任をおこなったその原因が病気によるものと説明され、安倍首相の主治医は、その病名を「機能性胃腸症」と発表しました。
「機能性胃腸症」とは精神的ストレスが原因となっている、言わば「心身症」のひとつであります。(「機能性胃腸症」についての詳しい説明は、「はやりの病気2007年9月号」を参照ください)
ところで、通常、医師は診察で知りえたことを他言することはありません。これは診察室で知りえた患者さんの情報に対して守秘義務が発生するからです。この守秘義務は、刑法134条で定められたものであり、違反すれば厳しく罰せられることになります。
では、なぜ安倍首相の主治医が患者である安倍首相の病状について記者会見をおこない、機能性胃腸症という病名まで発表したのかというと、それは「公益性が守秘義務に優先する」という考えがあるからです。
つまり、一国の首相という公人のなかの公人に関する情報は、それが病気であったとしても国民に知らせる義務がある、という考え方です。これは、社会の安定化という点から意味があり、かなりの部分で公人にはプライバシーが保護されないのは止むを得ないことなのです。
一方、横綱の朝青龍が母国のモンゴルでサッカーをおこなっていたことに端を発し、体調不良が報じられるにつれ、病名がマスコミで報道されるようになりました。
朝青龍はプロのスポーツ選手ですから専属の医師がいるはずです。その医師から、スポーツ医学的な観点から病状が発表されるのは、やはりプロスポーツ選手という公的な人物である以上は必要なことだと思われます。
しかしながら、最近の朝青龍の病状に対して、マスコミの報道によりますと、実に様々な医師から様々な病名が発表されています。それら病名は、「うつ病の一歩前」、「急性ストレス障害」、「解離性障害」などです。
「うつ病」「ストレス障害」というのは、その病態を想像しやすいでしょうが、「解離性障害」については一般的には馴染みのない言葉だと思われますので、少し説明をしておきます。
「解離性障害」とは、むつかしく定義すると、「過去の記憶、同一性と直接的感覚の意識、そして身体運動のコントロールの間の正常な統合が、一部ないしは完全に失われた状態」となります。これでは分かりにくいので、噛み砕いていうと、「極めて強いストレスによって、記憶や意識に統一性がなくなる状態」です。もっと噛み砕けば、「過去の記憶や現在の思考がむちゃくちゃになっている状態」です。
解離性障害が進行すると日常生活もままならなくなります。要するに精神疾患のなかでもかなり重症の部類に入るのです。
このような重度の精神疾患をマスコミに堂々と発表することに対して、私は医師として大変疑問に感じます。プロスポーツ選手だからといって、精神疾患の名前まで公表することに違和感を覚えるのです。
今回の一連の報道に対して、「診察した医師が様々な精神疾患を発表したのは、実は朝青龍が望んだことではないか・・・」、という噂もあるようですが、たとえそうであったとしても、医師には刑法上の守秘義務がある以上、(この場合はスポーツ医学に関する病名を除く)病名を発表するのは許されないのではないかと私は思います。
ところで、当院を受診される患者さんのなかにも、診察室で話したことに対して守秘義務が徹底されるのかどうか不安に感じる人がいます。
当院の電子カルテは何重にもセキュリティがかかっていますから、コンピュータを介して患者さんの情報が漏洩されることはありません。もちろん、電子カルテの情報は私も含めてスタッフは外部に持ち出すことができないルールが確立しています。
そして、医師には刑法上の守秘義務があります。
医師以外はどうかというと、看護師には「保健師助産師看護師法」という法律の第42条に守秘義務が定められています。
医師と看護師以外のスタッフにも、個人情報保護法によって守秘義務が発生します。ただし、法律の重みが刑法とはかなり違うことは否めないでしょう。
医療機関で働く者のなかには守秘義務を守っていない者も実際にいます。ある病院の事務員が、「あたしの働く病院にこの前有名人の○○が健康診断で来たよ」などと自慢げに話しているのを私も聞いたことがあります。
しかし、たとえ有名人であれ(公人の主治医が記者会見をおこなうのは例外)、その内容が健康診断であれ、医療機関で働く者が患者さんの情報を他人に話すことは絶対にあってはならないことです。ここでいう「他人」とは自分の家族も含みます。
医師や看護師だけでなく受付スタッフなども含めて、勤務先で知りえた情報は、たとえそれがどれだけ些細なことであったとしても、文字通り「棺おけまで持っていく」というルールを徹底しなければならないのです。
だからこそ、当院では、ミッションステイトメントの第2条を「患者のプライバシー遵守を徹底し、クリニックで知り得た情報は自分の家族にも言わない」と、明文化してスタッフ全員が守秘義務をいつも意識するようにしているのです。
実際、守秘義務というのはいつも意識していなければ遵守するのがむつかしいことがあります。
例えば、私の友人(Aさんとします)が、風邪で私のところに受診したとしましょう。翌日に私とAさんの共通の友人であるBさんが同じく風邪でやってきたとしましょう。BさんはAさんと長い間会っておらず、ふと私に「そういえばAさんは最近どうしているのかな・・・」と言ったとします。
このとき、「Aさんとは昨日会ったよ・・・」、とは言ってはいけないのです。こんなときは、「さあ、どうしているのかな・・・」と、昨日会ったことに対しても守秘義務を守らなければなりません。病気の内容を話すわけではないのだから、Aさんが受診したことを話すくらいいいんじゃないの?、そのように感じる人もいるでしょう。しかし、「Aさんと会った」と言ってしまえば、BさんはAさんがどんな病気で受診したのかが気になってしまいます。
守秘義務を徹底するというルールを習慣化できていないと、このケースでいえば、Bさんをだましているような気持ちになってしまうため、慣れるまでは罪悪感に苦しむこともあります。
医療従事者が守秘義務を遵守する、ということは、おそらく一般の人が思っているよりも大変なことだと思います。
朝青龍の病名を発表した医師たちは、守秘義務についてどのように考えているのか聞いてみたいところです。
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|2013年6月21日 金曜日
55 「ダイエットに報奨金」の意味するもの 2007/8/22
先日、イタリア北部のバラッロ・セシアという町で、ダイエットに成功した住民に報奨金が贈られる、という制度が導入されました。
この制度では、1ヶ月で、男性なら4キロ、女性であれば3キロの減量に成功すれば、50ユーロ(約8千円)の賞金がもらえます。さらに、5ヶ月後にその体重を維持していれば、100ユーロ(約1万6千円)の賞金が交付されます。
人口約7,400人のこの町では肥満が深刻化しており、町長自らがこの制度を提案したそうです。当初の予算は1万ユーロ(約160万円)です。
この地域では、すでに多くの住民が医師や薬局で「肥満証明書」を発行してもらい、「肥満」の登録をおこなっているようです。
イタリアでは人口のおよそ1割に相当する500万人が肥満と言われており、トゥルコ保健相は、この制度を「革新的で前向きな自治体の施策」とたたえ、「結果次第で国として導入できるかもしれない」とコメントしているそうです。
この制度が大変有益なのは、住民と行政の双方にメリットがあるからです。住民側からすれば、健康で美しい身体を手に入れることができる上にボーナスまでもらえます。ボーナスを励みにダイエットをおこなえば成功しやすいかもしれません。
一方、行政側からみれば、住民の肥満を減らせばそれだけ病気が減り、医療費の削減が期待できます。
「肥満は万病の元」と呼ばれるように、肥満はほとんどの生活習慣病の原因です。メタボリック・シンドロームの診断基準に肥満が含まれていますし、高血圧、高脂血症、糖尿病、高尿酸血症などは、初期の段階で肥満の改善を図れば薬に頼らなくてもすみます。
こういった病気が進行すると、いずれ心筋梗塞や脳梗塞がおこることになります。突然心筋梗塞が起こった場合は急死することもありますし、命が助かったとしてもその後の人生はたくさんの薬を飲み続けることになり、また定期的な検査も必要になりますから、医療にかなりの時間とお金をとられます。
ときどき「好きなものを食べまくって心筋梗塞でそのまま逝ってしまえば苦痛も少なくて幸せ」と言う人がいますが、肥満の結果が心筋梗塞になるとは限りません。動脈硬化が進行し、脳梗塞を患った場合、若くして「寝たきり」となることもあります。こうなれば、その後の何十年の人生を「寝たきり」で過ごすことになります。
肥満を放置し糖尿病になった場合、その後の人生は大きく変わります。目が障害され視力を奪われ、足が腐り切断を余儀なくされ、腎臓が破壊され人工透析を強いられます。週に何度も透析を受けるために通院しなければなりませんから、病院が生活の中心になります。
このような「肥満の成れの果て」は、患者当事者からみれば、できるだけ、というよりなんとしても避けたいものですが、行政側からみても同じです。例に示した、心筋梗塞、脳梗塞、糖尿病からの人工透析などは、ひとりあたりの年間の医療費が数百万円になります。入院を繰り返せば1千万円を軽く越えるでしょう。
さて、報奨金目当てにダイエットをおこなう人で実際に成功するのはどれくらいの割合でしょうか。もちろん、誰もが成功するような課題であればこのような制度は誕生しませんから、「肥満」の登録をおこなった住民が全員報奨金を手にするということはないでしょう。ダイエットとはそんなに容易なものではないからです。
つまり、行政が報奨金を出してさえも成功しない人は少なくない・・・、これがダイエットの真実なのです。
すてらめいとクリニックに通院されている患者さんのなかにもダイエットに取り組んでいる人は少なくありません。なかには、1ヶ月で7キロの減量に成功した人もいれば、数ヶ月たってもまったく進展のない人もいます。
すてらめいとクリニックでは、効果的な減量ができるような薬剤(主に漢方薬)を患者さんの特性をみながら処方していますが、これは食事療法と運動療法の双方をしっかりとおこなってもらうのが前提です。食事と運動の重要性をないがしろにして「ヤセル薬」に頼ろうとしても結果は目に見えています。ダイエットに「王道」はない、というわけです。
薬剤に詳しい人なら、マジンドールやシブトラミンがあるじゃないか、と思われるかもしれません。これらはいずれも食欲抑制剤で肥満の治療に使われることのある薬剤です。マジンドールは日本でも極めて高度な肥満症の場合には保険適用があります。しかし、使用は長くても3ヶ月までと決められていますし、副作用の少ない薬剤ではありません。シブトラミンは日本では取り扱われていませんが、インターネットで海外から比較的簡単に入手できます。
こういった薬剤の危険性はこのウェブサイトでも何度か指摘してきましたが、実際、個人輸入の結果、死亡にいたったというケースは少なくありません。おおざっぱに言ってしまえば、食欲抑制剤というのは覚醒剤に近いようなものです。覚醒剤をキメれば食欲がなくなりますから若い女性が覚醒剤にハマる理由のひとつがダイエットです。(日本では以前は覚醒剤(ヒロポン)が合法でしたが、その効果・効能に「痩身」と書かれていたことを思い出しましょう)
先日、知人から興味深い体験談を聞きました。その知人の知人(主婦)がアルバイトをしたそうなのですが、その内容は「3ヶ月で10キロ太れば10万円」というものです。しかもアルバイト先の会社に行くのは初めの日と3ヵ月後の2回だけで、あとは家でテレビをみながら好きなものを食べるだけだそうです。
このいかがわしいアルバイトのカラクリは次のようなものです。太りだす前の写真と太ってからの写真を撮影します。そしてそれら2枚の写真は週刊誌のダイエット製品の広告に載せられます。
もちろん、ダイエット製品使用前が3ヵ月後の10キロ太った写真、使用後が太りだす前のやせているときの写真です。
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|2013年6月21日 金曜日
54 ある薬物中毒者との約束 2007/7/23
以前、私がある病院の救急外来をしていた頃の話です。
深夜に50代の男性が救急車で運ばれてきました。救急隊の話によれば、その男性は二階にある自分のアパートの窓から飛び降りて足を骨折している疑いがあるとのことでした。それを見た通りがかりの人が救急車を要請したそうです。
救急隊は「患者さんとコミュニケーションがとれなくて困っている」と言っていましたが、私はその患者さんの姿をみたときに、覚醒剤中毒者であることがすぐに分かりました。
両手が震えており、こちらの質問には一切答えず、なにやら呪文のようなものをぶつぶつと呟いています。目の診察をすると瞳孔が開いています。
覚醒剤が怖い理由のひとつは、キマったときに必ずしも”いい状態”になるわけではない、ということです。
女子高生らがおこなうことのある「スピード・パーティ」(覚醒剤は以前はシャブと呼ばれていましたが、最近は”スピード”、あるいはその頭文字をとって”エス”と呼ばれることが多いようです)では、みんながホンネで話せるようになりますし、試験前に徹夜をしたり、深夜のドライバーが眠気覚ましに使ったり、あるいはヤセル目的で使うときには、当事者にしてみれば”いい状態”になります。(もちろん、本質的には”いい”ことでは絶対にありません)
しかし、いつも”いい状態”になるわけではなく、”悪い状態(バッド・トリップ)”にはまってしまうこともあります。これは、本人の精神状態があまり良くない状態で覚醒剤がキマったときにおこりがちです。
こうなると、恐怖感や被害妄想が増幅され、ときには自傷行為にいたることもあります。救急車で運ばれてきたこの男性も、「FBIに追跡されているので逃げようとして窓から飛び降りた」と小さな声で話していました。
(医学の教科書には、「統合失調症になると、FBIに追跡されている、と言うことが多い」、と書かれています。たしかに、統合失調症の場合も患者さんはそのように言うことがあるのですが、私の経験で言えば、統合失調症の場合に比べて、覚醒剤中毒者の発言の方が話に整合性があるように思えます)
覚醒剤がキマっていることを確信して尿検査を実施したところ、案の定、メタンフェタミンに陽性反応がでました。レントゲンで骨折はありませんでしたが、この状態で家に帰すわけにはいきません。入院の手続きをおこない、点滴を開始しました。
翌日のことです。その患者さんに覚醒剤の話をしたところ、その患者さんは「お願いだから警察には言わないでほしい」、と私に嘆願してきました。
詳しく話を聞いてみると、その患者さんは、「以前は覚醒剤にどっぷりとつかっていたけれども、ここ数年は手を出していなかった。最近、会社をクビになって自暴自棄になってついつい手をだしてしまった。もう二度と手を出さないから警察には言わないでほしい」と言います。
医師をしていると、覚醒剤中毒者に会う機会は少なくありません。深夜に眠れないと言って救急病院に飛び込んでくる患者さんのなかで覚醒剤中毒者は珍しくありませんし、独特の振る舞いを観察すれば比較的簡単に診断がつきます。
そして、覚醒剤中毒者が”嘘つき”なのは世間の常識です。覚醒剤を買うために家族や知人から金を借りるときにはありとあらゆる嘘をつきますし、いったん依存症になった人が「もう覚醒剤はやめた」という発言は、結果としてそのほとんどが嘘です。
ですから、この患者さんがいくら真剣な顔をして一生懸命に訴えたとしても”二度と手を出さない”という言葉は簡単には信用できません。
しかしながら、この患者さんが覚醒剤を使用していたことを警察には通報すべきなのでしょうか・・・。
医師には守秘義務があります。これは個人情報保護などのレベルの話ではなく、医師には刑法上の守秘義務があるのです。「診療上知りえた情報は決して他言してはいけない」という厳しいルールです。もしも違反をすれば、個人情報保護法ではなく、刑法で裁かれることになります。
しかし、その一方で、公益性を優先するという考えがあってもいいと思われます。この患者さんの覚醒剤使用を警察に通報することにより、治安が維持でき不利益を被る人を未然に防ぐ、という考え方です。実際、もしも、この患者さんが覚醒剤の個人使用だけでなく販売もおこなっていたとすれば、私は躊躇せずに警察に通報したでしょう。
しかし、この患者さんは密造や密売をしているようには思えませんでしたし、”もうやらない”という言葉は結果的には嘘になるとしても、「数年ぶりに手をだした」というのは本当かもしれません。
悩んだ私は、ある法医学の先生を訪ねることにしました。その先生のコメントは次のようなものです。
「例えば、その患者さんが数年前に覚醒剤に手をだしていたけれど現在は完全に断ち切っているような場合は守秘義務を守るべきだろう。しかし、今現在も使用している場合は通報しても守秘義務違反を問われるようなことにはならない。たしかに法学者の間でも意見の分かれる問題ではあるが・・・」
結局、私はその患者さんの「もうやらない」という言葉を信じることにしました。結果として「もうやらない」という言葉が嘘になる、つまり約束を破ることになる可能性が強いのですが、そのときはその言葉を信じることにしたのです。
これは、今になってふりかえってみても「守秘義務を守るべきだと思った」というようなものではなく、なんとかその患者さんに立ち直ってほしかったという気持ちが強かったからだと思います。
その患者さんは、覚醒剤のために、仕事をなくし、家族をなくし、新しい仕事もなくしています。友人にも見放され、信用してくれる人は皆無です。
入院中、娘に会いたいとの希望を話されたために、私は娘さんに連絡をとり一度だけ病院に来てもらったのですが、その娘さんには父親との仲を修復する意思はありませんでした。
「あの人は父親ではありませんからもう二度と連絡をしないでください・・・」
その娘さんは私にそう言って帰っていきました。娘さんが帰った後、その患者さんが私に言いました。
「(覚醒剤は)もうやらない・・・」
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|2013年6月21日 金曜日
53 ”気付いたモン負け”というルール 2007/6/25
私が医学部に入学したのは27歳のときですが、それまでは在阪の商社で四年間サラリーマンをしていました。この会社は、大企業とは呼びがたく、また世間での知名度はそれほど高くないのですが、今思い出してみても本当にいい会社だったと思います。
実際、私はサラリーマン時代を通して、実に様々なことを学びました。私が多少なりとも習得できたことは、ビジネス英語、貿易事務、翻訳・通訳業務、ビジネスレターの書き方、英文タイプ(おかげで私はパソコンは苦手ですがブラインドタッチはできます)、会議資料の作り方、プレゼンテーションの仕方、様々なマーケティング手法、・・・、などが挙げられます。
しかしながら、私がこの会社で四年の月日を過ごし最も収穫となったのは、同僚や先輩から数多くのことを学べたということです。あれだけ素晴らしい方々と一緒に仕事ができたことは自分の財産でありますし、今の自分があるのはあの頃の経験があったからだと自負しています。現在の私の最大の楽しみのひとつは、ときおり開かれる(元)社員の飲み会です。
さて、今日は、私がサラリーマン時代に学んだことのなかでもとりわけその後の自分自身に影響を与えてきたひとつのルールをご紹介したいと思います。
そのルールを、”気付いたモン(者)負け”のルールと呼びます。
今の世の中では、社員どうしで飲みに行って仕事の話をする、というのはあまり格好のいいことではないのかもしれませんし、社員どうしで飲みに行くこと自体が流行らないのかもしれませんが、私がその会社にいた頃は、よく社員どうしで飲み会を開き、仕事の話で盛り上がりました。
もちろん、初めから終わりまで仕事の話をするわけではありませんが、みんなが仕事にやりがいを感じ、楽しんで仕事をしていましたから、自然に話題は仕事に向かうのです。よく、社員どうしで飲みに行くと上司や会社の悪口に始終する、という人がいますが、当時の私たちの話題の大半は、「今すすめているプロジェクトをもっと拡大すべきだ」、とか、「今の○○部の問題点はここにあるからこう改善すべきだ」といった夢のある(と言えばおおげさでしょうか・・・)話になります。
その会社の飲み会が大変おもしろかった理由のひとつは、いろんな部署の人たちが集まってきていたことです。昼間の勤務時間には、他部署の人とはなかなかホンネで話せませんから、飲み会の場で初めて、「ああ、△△部の人たちは、あの問題にはそのような考えを持っていたのか・・・」、などということが分かるのです。
それで、例えば、ある人が、「現在の◇◇という商品は、大変すぐれたモノで、かつ価格も安い。関東では売れているのに関西では売り上げが芳しくない。だからやりようによってはもっともっと売れるはずだ」、というようなことを言ったとします。それに対して、その場にいる人たちが賛同したとします。
「それではその企画について実現していこう」というコンセンサスが得られたとき、「じゃあ、誰がリーダーとなるんだ」、というのが問題になります。このとき、リーダーとなるのは、必ず「その問題を提起した人」です。そして、これを「気付いたモン(者)負けのルール」と呼びます。
この場合、たとえその問題を提起した人が新入社員であってもかまいません。新入社員であろうが課長であろうが、言い出した者がリーダーとなるのです。もちろん、リーダーだけが仕事をするのではなく、その場にいてその案に賛同した人たちはフォローワーとなります。
というわけで、私が働いていたその会社では、非公式のプロジェクトチームが次々と誕生していました。こういったプロジェクトはなにも売り上げに直接寄与するものだけではありません。例えば、業務システムの改善とか、新しいファイリングシステムの構築、といったプロジェクトも数多くありました。
「気付いたモン負け」の”負け”というのは、もしかすると関西特有の表現なのかもしれません。(少なくとも英語に直訳すれば意味不明になります・・・)
給料がアップするわけでもないのに、自分が言い出したがために仕事の量が増えます。当初は考えてもみなかった困難が次々に現れ予想外の苦労を強いられることもよくあります。それに、プロジェクトはいつも成功するとは限りません。狭い意味での「損得」という概念で考えると、気付いたモンが”損=負け”となります。
もちろん、プロジェクトが成功すれば純粋に嬉しいですし、その後の飲み会はさらに楽しくなります。では、成功したときの喜びだけを考えて我々がそのプロジェクトに取り組んでいたのかと言えばそういうわけでもありません。
「気付いたモン負け」という言葉の本質は、「損得でなく問題を見つけたならば取り組まなければならない。それが社会でスジを通すということだ」ということなのです。
何をするにも自分にとって損か得か、と考える人もいるかもしれませんが、世の中とはそんなものではないのです。「なぜ(得にもならない)そんなことをするのか」と尋ねられれば、「問題に気付いたからする!」、これで充分な答えとなっています。
このことを学んだことが、私がサラリーマン生活を通して得た収穫のひとつです。
さて、その後の私の人生は、特に転機となる場面では、この「気付いたモン負け」というルールがよく適用されています。
医学の知識を得た後に社会学を研究すると決めたこと(結局、臨床医となりましたが・・・)、患者さんは必ずしも医療機関を信頼しているわけではないことを知り、そんな患者さんの力になることを決意したこと、エイズで困窮している人たちと知り合いNPO法人GINAを立ち上げたこと、都心で苦しんでいる人たちが気軽にアクセスできるクリニックがないことを知り、ならば自分がつくろうと決心したこと、・・・、これらのモチベーションは、すべて私が問題点に”気付いた”ことによるものです。
不器用な生き方かもしれませんし、要領が悪いかもしれません。損得勘定だけで行動をとっている人からは理解されないでしょう。
それでも私は、今後もこの「気付いたモン負け」のルールを守っていくことになるでしょう。
それは、このルールが社会の真実であることに”気付いた”からです・・・。
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|2013年6月21日 金曜日
52 目標は患者数ゼロ?! 2007/5/22
以前、尊敬するある医師から質問されました。
「医師の究極の目標は何か分かるか?」
何と答えていいか分からず黙った私にその先輩医師は言いました。
「それは、患者数をゼロにすることや」
患者数ゼロ・・・、これでは病院の経営が成り立たなくなりますし、医師は失業してしまいます。
その先輩医師は患者数ゼロが目標であるその理由を話してくれました。先輩医師の話をまとめると次のようになります。
現在、日本の病院には、本当は病院に来なくてもいいと思われる患者さんが少なくない。過剰に心配しすぎて些細なことで何度も医師にかかろうとする人もいれば、まるで待合室をサロンのように考えて近所の人たちとの話を目的に通院しているような人すらいる。このような人たちに通院は不要であることを分かってもらうことも医師の仕事のひとつである。
たしかに、この先輩医師の言うことは正論です。実際、ごく軽度の頭痛でMRIを撮ってほしいと言って病院を受診する患者さんや、「胸のレントゲンを撮りましょうか」と言うと、「レントゲンではなくCTを撮ってください」と言う人もいます。「もう注射や点滴は必要ないですよ」と言っても、「点滴をうたないと元気がでないんです」と言って毎日のように点滴を希望する人もいます。
もちろんすべての事例にあてはまるわけではありませんが、医師からみて「それは過剰な検査や投薬だろう・・・」と思うことでも、ときに患者さんは求めてきます。
そんなとき、ほとんどの医師は、なぜ今その検査や投薬が必要でないかを患者さんに理解してもらおうと努めます。つまり、医師というのは、できるだけ過剰な検査や投薬を避けようと考えているのです。
しかしながら、このことは世間一般ではあまり理解されていないようです。
例えば、ある大手新聞の5月11日の夕刊に掲載された医療関係の記事には次のような表現があります。
「医療機関は検査や投薬をすればするほど収入は増えるため、必要のない診療行為をする例も目立つ」
果たしてこのようなことを考えている医師は本当に存在するのでしょうか。言うまでもなく、医師は患者さんのために存在するのであって、常に患者さんにとって最善の方法を考えながら治療をおこなっています。検査や投薬は患者さんの利益になるからこそおこなうのであって、それは医療機関のためのものではありません。
しかし、先に述べた大手新聞の記事にみてとれるように、この点はあまり理解されていないのかもしれません。
昨今、病院を株式会社にしようとする議論が浮上していますが、私を含めてほとんどの医師が反対する理由はここにあります。医療機関は患者さんのためのものであって、株主のものとなるようなことは絶対に避けなければなりません。アメリカでは医療機関にも市場原理を取り入れて株式会社化している病院が増えているようですが、株式化して治療成績や患者満足度が低下している施設が少なくないと聞きます。
もしも病院が株主のものであれば、不必要な事例に対してまで高額な検査や投薬がおこなわれることになりかねません。そんなことは絶対にあってはならないのです。
さて、冒頭で紹介した先輩医師は、患者ゼロを目標にすべき理由としてもうひとつの例を話してくれました。まとめると次のようになります。
予防をしていないことが原因で病院に来ざるを得ないような患者さんも少なくない。糖尿病や高脂血症といった生活習慣病がその典型で、日頃から食事や運動に取り組んでいれば病気になることを防げたと思われる人があまりにも多く、そのような人たちに対しては健康なときから予防の大切さを理解してもらうのも医師の仕事である。
これもまさに正論であり異論はありません。私は常日頃から患者さんに、「最低でも年に一度は健康診断を受けるようにしてください」と言っています。特に生活習慣病は早期発見が大切だからです。
生活習慣病の他にも早期発見・早期治療が大切な病気はいくらでもあります。
もう少し早く来てくれたらごく軽い薬だけで済んだのに結果として強い薬を使わざるを得なくなった事例や、点滴に通ってもらわなければならなくなってしまったケースもあります。
心の病でも同じです。早めに来てくれれば対処方法があったかもしれないのに、症状が進行し、仕事を辞めてから初めて受診する人や、なかには自殺未遂の後にようやく受診された人もいます。
一方では些細なことを過剰に心配する人がいて、その一方ではなかなか医療機関にかからずに症状が進行するまで放っておく人もいるのが現実なのです。
都心に住む人たちのなかには(地方でも同じかもしれませんが)、健康診断を何年も受けていない、という人が少なくありません。大きな企業に勤めていなければ健康診断の機会がないのかもしれませんが、健康診断くらいならたいていのクリニックで実施できます。
また、健康診断の機会を待たなくとも、気になる症状があれば気軽にクリニックで相談すればいいのです。過剰に心配して不必要な通院を繰り返す前に、その症状に対する適切な検査と(必要なら)治療をおこなえば、無駄な時間と無駄なお金を費やさずにすみます。
「患者数ゼロ」という究極の理想には届かなくても、私自身は当面の目標を「患者さんの通院を最小限に」としています。
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|2013年6月21日 金曜日
51 ある同級生に感謝していること 2007/4/25
以前別のところにも書きましたが、私が医師になってまだ2ヶ月しかたっていない2002年の7月、大学病院の近くの路上で交通事故に会いました。
結局、その後27日間の入院生活を強いられることになったのですが、この入院生活は今思い出してもかなりの苦悩が伴うものでした。
激痛ではないものの鈍い痛みが首と右腕を常に支配し、どのように表現していいか分からない不快な頭重感、それに右腕のしびれや脱力感と共存しなければなりませんでした。右手にはほとんど力が入らずに、ペンや箸はなんとか持てるものの、少し重いドアを開けることすらままならない状態でした。
しかし、私を最も苦しめたのはそういった身体的な苦痛よりもむしろ精神的な閉塞感でした。なにしろ、医師になってまだ2ヶ月しかたっていない時の入院生活です。早く仕事を覚えなければならない時期なのにもかかわらず安静を強いられるのです。
医師の仕事を続けることはもうできないかもしれない・・・、そんな考えさえいつしか頭を支配するようになりました。特に辛いのが夜です。ほとんどの患者さんがそうであるように、私の痛みも日中よりも夜間に増強されます。少しでも痛みが軽減される姿勢を探すのに一晩中かかって、結局ほとんど眠れないという日もありました。強力な睡眠薬を使っても、不安感が薬の効能を打ち消します。
入院生活を通して何人かの友人・知人が見舞いに来てくれたことは心の支えになりましたが、単に挨拶に来ただけ、と明らかな社交辞令風の人もいて、そういうときはかえって精神状態が悪くなります。
一方で、私の立場に立って話を聞いてくれるような人たちもいて入院生活の励みになりました。今回は、そんな心優しい人たちのなかでも私が最も印象に残っているひとりの女性について思い出してみたいと思います。
その女性は私の医学部の同級生です。私が医学部に入学したのは4年間のサラリーマン生活を終えた後の27歳のときですが、その女性は現役で入学していますから私とは9歳年が離れていることになります。
当時は医学部を卒業した後は卒業生の大半が大学病院で研修を受けていました。私もその同級生も大学を卒業し、そのまま大学病院で研修医生活を送っていました。
入院してちょうど1週間が過ぎようとしていたある夜にその同級生は私のベッドサイドにやってきました。それまでも他の同級生たちが何人かは見舞いに来てくれていましたが、仕事が忙しいこともあって、たいていは挨拶程度の話しかせずに数分で去っていきました。同じフロアで働く同級生さえも、それほど長い時間滞在せずに仕事に戻っていました。
1年目の研修医は寝る時間もないほどに忙しいものですから、短時間でもベッドサイドに来てくれることに感謝しなければならないのは分かるのですが、やはりひとりの患者としてみると少し寂しい気もします。
そんななか、その同級生はある晩突然やって来て、1時間以上も私のそばにいてくれたのです。私はその女性とは学生の頃から仲がよかったとは思いますが、例えばふたりで食事にいくような関係ではありません。おそらくふたりでじっくり話をしたことなどそれまではなかったと思います。
けれども、そのときその同級生は、どこからか椅子をもってきてベッドに横たわっている私の横に座り、ゆっくりと私の話を聞いてくれたのです。
私はどちらかと言うと、自分が話すよりも相手の話を聞くことの方が多いのですが、そのときは、彼女の話を聞くのではなく、一方的に私が話しをしていることに会話の途中で気づいたのを今でも覚えています。
しかも、私の話していたことは他愛もないことばかりで、彼女にとって興味深い話はほとんどなかったと思います。それでも彼女は、ときには相槌を打ち、ときには笑顔を浮かべ、ときには私の気持ちが分かると言い、私の話に付き合ってくれたのです。
気がつくと1時間以上も経過していました。私は、彼女が仕事を途中で中断して見舞いに来てくれていることを思い出しました。おそらく、彼女はこれからカルテの整理やレポートの作成などで少なくとも数時間は病院に残らなければならないはずです。私は、大変申し訳ない気持ちに駆られましたが、あえて謝りの言葉は述べず、代わりにお礼を言って彼女の背中を見送りました。
彼女が去ってからも、心の重荷がすーっとおりて身体が軽くなったような感じが続いていました。前日まで強力な睡眠薬を倍量飲んでも寝られなかったのが、その日は担当の看護師が睡眠薬を持ってくる前に深い眠りに落ちていました。
薬よりも手術よりも優れた治療法・・・、とまでは言えないでしょうが、「患者のそばでじっくりと患者の話を聞く」というのは、患者さんの精神状態を安定させるだけでなく、身体的苦痛を取り除くことさえあるということが、ひとりの同級生のおかげで分かりました。
実際の臨床の現場では、ひとりの患者さんに時間を取り過ぎることが許されないケースが多々あります。他の患者さんを待たせることになりますし、病院やクリニックの経営的な観点からは非効率だからです。
しかしながら、ときに医師が患者に共感すること(これを「ラポール」と言います)が既存のどんな治療法よりも優れていることがあるということは、医療者はもっと注目すべきではないかと私は考えています。
これを書いている今、あのとき見舞いに来てくれたあの同級生とはもう5年近くも会っていないことに気付きました。彼女がいま、どこの病院で働いているのかを私は知りませんが、きっと患者さんから大きな信頼を寄せられる医師になっているに違いありません。
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