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2013年10月21日 月曜日
第129回(2013年10月) 危険な「座りっぱなし」
前回は、「同じ時間に起きて同じ時間に寝ること」が生活習慣病にはもちろん、片頭痛やうつ病の改善にもつながる、という話をしました。
今回は、もう一度生活習慣病に話を戻したいと思います。前回この「同じ時間に起きて同じ時間に寝る」という習慣を紹介したのは、医学誌『Stroke』に掲載された脳卒中の予防のための「7つの生活習慣」に付け足したかったからです。
私はこのサイトの「マンスリーレポート」2013年7月号「感染症と感染症以外のすべての病気の違いとは?」で、「感染症以外のすべての病気は自己内部に原因があり・・・」、と述べました。さらにこれは、「感染症以外のすべての病気はかなりの部分で予防することが可能である」、と言うこともできます。そして、次のステップとして、「ではどのように予防すればいいのか」ということを考えていけばいいわけですが、その答えが前回紹介した「7つの生活習慣」と、私が提唱した「同じ時間に起きて同じ時間に寝る」と言いたいわけです。
今回は、この私の考えをもう少し詳しく述べたいと思います。
感染症以外の病気といっても実に様々なものがあり、分類するのも大変ですが、ざっと眺めてみると、生活習慣病、悪性腫瘍、精神疾患、アレルギー疾患、自己免疫疾患、先天性疾患、遺伝的な疾患、くらいになると思います。このうち生死にかかわる病気に絞ってみてみると、ほとんどが生活習慣病と悪性腫瘍ということになります。悪性腫瘍のなかには感染症が原因であるもの(例えばB型肝炎ウイルスによる肝臓ガン)や、遺伝的な要因の強いもの(家族性大腸ポリポーシスなど)もありますが、悪性腫瘍の大半は生活習慣が関与しています。
ということは、例外があることは認めますが、頻度で言えば、生死にかかわるほとんどの病気は生活習慣に関連がある、ということになります。ここは重要なところなので、しっかり確認しておきたいと思います。式にすると、
生死にかかわる疾患 = ①感染症 + ②生活習慣に関連する疾患(脳卒中、心疾患、悪性腫瘍など) + ③一部の遺伝的疾患 + ④一部のアレルギー疾患・自己免疫疾患 + ⑤外傷・事故 + ⑥自殺・他殺 + ⑦その他
となります。①の感染症は発展途上国であれば死因のトップになります。③④⑤⑥⑦は生活習慣の改善ではどうしようもないものもありますが、これらをすべて合計しても②での死亡者とは比較にならないほど少数です。
ということは、健康に長生きしようと思えば、感染症に気をつけて(正しい知識をもつ、ワクチン、予防薬など)、生活習慣の改善をおこなうのが賢明であることがはっきりとしてきます。
では、生活習慣の改善に何をすればいいか、ということになるわけですが、『Stroke』の7つの生活習慣に、「同じ時間に起きて・・・」を加えるべき、というのが前回述べたことです。
今回はあと2つ、生活習慣に関連する疾患の予防になる対策について述べたいと思います。7つでも覚えるのが大変なのに増やせばいいってもんじゃないだろ、という声が聞こえてきそうですが、後で覚え方も言いますのでもう少しおつきあいください。
1つは「ストレス」です。ストレスを取り除くのは大変ですが、ストレスがほとんどの疾患の原因もしくは悪化因子になっていることは多くの人が実感していることでしょう。ストレスがあると、それだけで規則的な生活がしにくくなります。眠れない、朝起きられないなどという睡眠障害にもつながり、こうなれば「同じ時間に起きて同じ時間に寝る」というのが困難になります。ストレスからジャンクフードを食べ過ぎてしまうこともあるでしょう。やめていたタバコを再び吸い出した・・・、という人もいるに違いありません。ストレスを減らすことはときに簡単ではありませんが、それでもストレス軽減のために何ができるかは常に考えていくべきです。
生活習慣に関連する疾患の予防に必要なもうひとつは「座りっぱなしを避ける」ということです。過去にこのサイトで何度かお伝えしましたが(下記医療ニュース参照)、現在座りっぱなしのリスクは世界中で大変注目されています。長時間テレビの前に座ってお菓子でも食べながらダラダラしている様子が不健康なことは誰にでもわかりますが、現在議論されている座りっぱなしというのはそういうレベルのものではありません。例えば、定期的な運動をしていようが、適正な体重を維持し健康的な食事をしていようが、座りっぱなし、ただそれだけで生活習慣病のリスクが上昇する、というわけです。
もう一度言いますが、定期的な運動をしていたとしても、長時間座りっぱなしの生活をすれば、運動のベネフィット(利益)が台無しになることを最近の研究は示しているのです。これではまるで「喫煙」のようです。いくらいい食生活をしていようが、定期的に運動をしていようが、タバコを吸っていれば生活習慣病のリスクが上昇するということは周知されていると思いますが、そのタバコと同じように「座りっぱなし」がリスクになるのです。実際、アメリカでは「座りっぱなしの健康被害は喫煙に匹敵する」と言われることが増えてきています。
これまでの予防医学の歴史のなかで「座りっぱなし」の弊害はそれほど注目されていませんでしたし、現在でも日本ではそれほど関心が高いとはいえないでしょう。しかし近いうちにこのことは大きく注目されるようになりマスコミなどでも報道されるようになってくると私はみています。
さて、ここで生活習慣病の予防も含めて、健康を維持するために何をすればいいか、ということをまとめてみたいと思います。まずは前回紹介した医学誌『Stroke』に掲載された7つの生活習慣、すなわち、①血圧、②脂質(コレステロール)、③血糖、④BMI(体重÷身長の2乗)、⑤運動、⑥食事、⑦禁煙、があります。これに⑧「同じ時間に起きて同じ時間に寝る」を加えました。そして、⑨ストレスコントロール、さらに⑩座りっぱなしを避ける、の2つを加えました。
これでは多すぎて覚えにくいので整理してみたいと思います。これらを分類すると(やや恣意的な分類ではありますが)、(1)楽しくできること、(2)とにかくやめなければならないこと、(3)検査データ、の3つに分けられます。
具体的には、(1)楽しくできること、には、⑤運動(運動は苦痛ではなく誰でも楽しんでおこなうことができますし、そうすべきです)、⑥食事(食事は制限するだけでなく栄養のあるものを楽しんで食べるべきです)、⑧同じ時間に起きて同じ時間に寝る(早起きが習慣になるといいことばかりです。良質な睡眠の確保にもつながります)、があります。(2)とにかくやめなければならないこと、には、⑦禁煙、⑨ストレス、⑩座りっぱなし、があります。血圧、コレステロール、体重(BMI)、血糖の4つは、検査(測定)で分かるものです。
これらを「3つのEnjoy、3つのStop、4つのデータに注意して」とテンポよく口ずさむと覚えやすくなります。まとめると次のようになります。
3つのEnjoy
・Exercise(運動は楽しくおこないましょう)
・Eating(食事は身体にいいものを楽しんで食べましょう)
・Early-morning waking up(毎朝早起きして1日を充実したものにし、夜はぐっすりと眠りましょう)
3つのStop
・Smoking(タバコはすぐにやめましょう)
・Stress(ストレスは上手にコントロールしましょう)
・Sitting too much(喫煙に匹敵するほど危険です)
4つのデータ
・血圧
・コレステロール
・体重(BMI)
・血糖
健康で長生きするために、みなさんも是非実践してみてください。
参考:医療ニュース
2013年4月2日「座りっぱなしの生活がガンや糖尿病のリスク」
2010年7月30日 「座っている時間が長い人は短命?」
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2013年10月21日 月曜日
第122回 飛行機の中の病気 2013/10/21
数年前の12月31日午後、東南アジアに向かう機内で2本目のビールをあけた私は、機体の小さな揺れを心地よく感じまどろんでいました。読んでいた英字新聞が頭に入ってこなくなり前の座席に押し込んで腕を組んで少し本格的に眠ろうと思ったときにその機内アナウンスが聞こえてきました。
乗客の中に医師、看護師、または他の医療従事者はいませんか? お客様の調子が悪く機内の一番後ろのスペースにいます・・・。
いくらお酒を飲んでいても、いくら眠たくても、それが日本語か英語なら医師の聴覚を司る細胞は敏感に反応します。直ちに目が覚めて腰を上げかけた私は、しかしここでたじろぎました。そしておそらくわずか1分程度の短い時間にいくつかのシーンが脳裏をよぎりました。
患者は心臓に持病のある高齢者。診察の結果、緊急性はないと判断しそのままフライトを継続。しかし着陸前に発作が起こり着陸時に患者は死亡。最初は、結果が報われなかったとはいえ、全力で診察し治療を検討した医師を非難する声は上がらなかったが、数日後、その医師が飲酒して正常な判断ができていなかった可能性があることが発覚し・・・。
あるいは・・・。患者は軽症だったのにもかかわらず医師が過剰な診断をし、飛行機は緊急着陸へ。患者は元気で、予定通りの旅行ができなかった乗客からは大変なブーイング。この日は12月31日で、なかには年に一度の家族との再会を楽しみにしていたという乗客も。そして診断した医師が飲酒していたことが判明し・・・。
このようなシーンが次々と浮かび心臓の鼓動が早くなっています。そのとき2回目の機内アナウンス、「乗客の中に医師、看護師、・・・」が流れてきました。もう一度考えよう・・・、しかし、心の奥から聞こえてきたその声は無視され、私の身体はすっと立ち上がっていました。そして後先のことは考えずに小走りで機内後方に向かいました。
奥のスペースで寝かされていたのは10代半ばの白人女子。母親と思われる中年の白人女性が付き添っていました。フライトアテンダントとその母親から情報収集すると、搭乗時には問題なかったが食事をとってしばらくしてめまいと嘔気が出現、気分不良がおさまらないためにフライトアテンダントを呼んだ、とのことでした。母親によれば過去にも何度か同じ状態になったことがあるとのことでした。
私が呼びかけるとその女子は反応しきちんと受け答えができます。呼吸・脈は正常であり、学校は好きか、とかペットは飼っているか、とかたわいもない世間話をしばらくしていると少しずつ笑顔が戻ってきました。血圧が正常であることを確かめた私は、母親とフライトアテンダントに「大丈夫です。気分不良が続くならもう少しこのまま寝ていてもらってもいいですが、着陸する頃には元気になっていると思います」と答え、席に戻りました。
席に戻ると一気に疲労感が出てきましたが、これは一仕事終えた充実感ではなく、「軽症でよかった~」という安堵感からくるものでした。
さて、私が機内で診察した(というほどのものではありませんが)この女子は、普段は健康だけれどもときどき乗り物酔いを起こすとのことでした。当たり前ですが、飛行機で途中下車はできませんし、乱気流に入ると大きな揺れを避けることもできません。水は用意してくれますが薬はごく一部のものを除きあらかじめ自分で準備しなければなりません。
飛行機の中は危険な環境で病気を発症しやすい・・・、などと言うと航空会社や旅行会社からクレームが来そうですし、機内は食事や飲み物を用意してくれて映画や音楽も楽しめるのだから極楽じゃないか・・、という声もあるでしょう。そういう私にとっても、先に紹介した<恐怖の呼び出し>がなければ、ゆっくり本を読めて飲み物をサービスしてくれる機内は大変快適な時空間です。
しかしながら、機内というのは場合によっては大変危険な時空間となります。なぜ危険かというと、揺れるとかテロの標的にされるとか、そういった問題は除くとしても、飛行機に乗る限り絶対に避けられない環境の変化が2つあるからです。ひとつは気圧が低いということ、もうひとつは空気が乾いている、ということです。
機内の気圧は0.8気圧程度しかありません。それがどうしたの?と感じる人もいるでしょうが、気圧の変化というのは一部の病気、特に呼吸器や心血管系の病気を悪化させます。また、乾燥もときに問題になります。一般に機内の湿度は5~15%程度に調節されており、これはサハラ砂漠よりも乾燥していると言われることもあります。
乾燥のせいで皮膚がかゆくなる、という程度であればいいのですが、例えば、気管支喘息があれば、普段は安定しているとしても機内で悪化することがあります。飛行機に長時間乗ると咳が出るとか、喉がイガイガする、という人がときどきいますが、これも機内の乾燥に原因がある可能性があります。
気圧と湿度が低いことで悪化する可能性のある疾患は多数あり、喘息の他、COPD(酸素ボンベは持ち込めませんから必要な場合はあらかじめ航空会社に酸素の用意をお願いしなければなりません)、気胸(過去に気胸を起こしたことがあれば搭乗できないこともあります)、狭心症や心筋梗塞、間質性肺炎、などですが、普通の風邪でも咳が悪化することがあり注意が必要です。
特に喘息については、日頃落ち着いていたとしても、突然機内で発作を起こすことがありますから、発作時用の吸入薬と、場合によっては内服ステロイドを持参してもらうこともあります。機内で喘息発作が起これば本人も大変ですが、周囲の人も慌てることになりますから充分な準備をしておかなければなりません。
普通の風邪で症状が軽ければ搭乗してもかまいませんが、インフルエンザの場合は確定がついておらず疑いがあるという程度でも搭乗は見合わせることを検討すべきです。日頃健康な方であれば機内で急変という可能性はほとんどありませんが、他人へ感染させるというリスクがあります。もしも新型インフルエンザに罹患しており、それを機内で蔓延させたとなると責任を追及される可能性もなくはありません。
注意すべき感染症はインフルエンザだけではありません。SARSやMERS(中東呼吸器症候群)、あるいは結核などは確定診断がついていなくても、感染の可能性があることを知っていながら搭乗したとなると大変な問題になります。また、風疹や麻疹(はしか)も同様です。もしも風疹にかかっていて、機内に妊婦さんが乗っていたとすると、国際問題にもなりかねません。
機内の病気で忘れてはならないのがエコノミークラス症候群(ロングフライト血栓症、旅行者血栓症)です。この疾患については過去に取り上げたときに述べましたが(下記「はやりの病気」参照)、エコノミークラスかどうかに関係なく同じ姿勢をとり続けることが発症のリスクになります。長くてもせいぜい2時間程度の国内線であればそれほどリスクは高くありませんが、4時間を超える国際線では注意が必要です。
特に、高齢者、肥満がある人、女性、手術の後、喫煙、薬を用いている人などは要注意です。薬で特に忘れてはいけないのがピルや更年期障害に用いるホルモン剤です。低用量ピルを飲んでいる人のなかには薬という意識に乏しい人がいますし、貼り薬のホルモン剤を使っている人も危険性を理解していないことがあります。特に低用量ピルを飲んでいる女性で喫煙している人は要注意です。このような場合、まずはできるだけタバコをやめることが必要で、機内の中では、通路側の席をとる、こまめにトイレに行く、水分をとる、お酒を飲まない、足を組まずに定期的に足を動かす、などの対策が必要になります。
太融寺町谷口医院の患者さんのなかにも低用量ピルを服用している患者さんは少なくなく、なかにはタバコを完全に止められてないこともあり、飛行機に乗ることがあるか何度も聞くことがあります。きっと一部の患者さんにはしつこいと思われていることでしょう・・。しかしこれは大変重要なことで、もしも機内で血栓症を起こして呼吸困難にでもなれば大変なことになります。特に、個人輸入でピルを買っているという人のなかに、このような知識がないことが多く驚かされることがあります。
今何らかの病気がある人、過去に呼吸器や心血管系の病気をしたことがある人、現在何らかの薬(個人輸入のピルなども含めて)を飲んでいる人などで、飛行機に乗る機会のある人はかかりつけ医に相談するようにしましょう。
参考:
トップページ:旅行医学・英文診断書など → 機内での注意
はやりの病気第92回(2011年4月)「エコノミークラス症候群を防ぐには」
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2013年10月11日 金曜日
2013年10月号 安易に理系を選択することなかれ(前編)
最近は少し減ってきていますが、私は過去に受験関連の書籍を上梓していることもあって、受験生やその親御さん、あるいは、今は社会人だけど医学部受験を考えているという人たちからの相談メールがしばしば私の元に届きます。
私は、相談してくる人が本当に医学を学びたいのであれば、原則として現在の偏差値などには関係なく受験をすすめるようにしています。本当に医学を学びたいのであれば、挑戦せずに諦めてしまう苦痛と、夢に向かって努力するときの苦痛を天秤にかけたとき、後者の苦痛など取るに足らないものだからです。
しかし、これは「本当に医学を学びたいのであれば」という前提があってのことです。私に(医学部)受験の相談をしてくる人のなかにも、「この人、本当に学問をやりたいのかな・・・」と疑問に感じるような人もいます。
はっきり言って、医学部の6年間の講義、実習、テストなどは生やさしいものではありません。大学受験の勉強が大変なのは容易に想像がつくでしょうが、医学部在学中の講義、実習、テストなどでは、大学受験の何倍、何十倍もの努力が必要になります。つまり、苦痛を差し引いて楽しいと感じることができなければ到底続けられるものではないのです。
現在大学受験の世界では「理系」がブームのようです。かつて日本は技術大国として世界から一目置かれる存在であり、それが現在では衰退しつつありますから、若い優秀な学生に工学や理学を学んでもらい、もう一度「世界一の技術大国」に返り咲きたいという国民全体の意識があるのかもしれません。
そういう私自身も、優秀な日本人の科学者が次々と現れ、日本の企業が世界をリードする製品を開発してほしいという気持ちはあります。資源がなく平地面積が充分にあるとはいえないこの国が世界でやっていくためにはすぐれた技術の開発が不可欠であり、優秀な学生にはそういった道に進んでほしいと思います。
しかしながら、これから理系の学部の受験をする若い人、また現在社会人で医学部を含めて理系の大学受験を考えている人は、今一度「本当に自分自身は理系の勉強を続けられるのか」を問い直してほしいのです。
なぜ私がこのようなことを言いたいのか。それは私自身が散々苦しみ、あのような辛い思いは二度としたくないと考えているからです・・・。
私が文系・理系の選択を迫られたのは高校2年の4月、時は1985年です。1985年といえば9月にプラザ合意がおこなわれ、それ以降急激な円高となったのにもかかわらず、結果として日本は空前の好景気に突入していきます。しかし、プラザ合意以前は「不景気」が続いており、「これからは手に職がなければ食べていけない。だから理系に行きなさい」という言葉をよく聞かされました。
将来に向けたはっきりとした夢や目標がなく、得意科目のまったくなかった私は”なんとなく”理系を選択してしまいました。そして1987年の春、第一志望の関西学院大学理学部に現役合格しました。そんな気持ちでよく理系の大学に通ったな、と今から振り返ると自分でもそう思いますが、私には勉強のモチベーションがあったのです。
しかし、そのモチベーションは「理学を研究したい」という純粋なものとは正反対で、「大学生活を楽しみたい」という不純なものでした。高校時代の私は、勉強にはまったく興味がありませんでしたが「大学生活」にはとても憧れていました。私の出身は三重県伊賀市(旧・上野市)で、大変な田舎であり大学など近くにありません。そんな田舎者の私にとって大学生活のイメージの元になっていたのは田中康夫氏の『なんとなくクリスタル』で、この小説に描かれている、ふわふわとした夢のような生活が、大学生にさえなれば誰にでもできるんだ、と私は本気で思い込んでいたのです。
つまり、私は学問に取り組みたいという気持ちでなく「大学生活を楽しみたい」という気持ちだけで高いモチベーションを維持し、わずか2ヶ月ほどですが、ほとんど文字通り寝食を忘れて一心不乱に受験勉強に打ち込んだのです。
けれども、合格したのはよかったのですが、(今考えれば当たり前のことですが)現実は『なんとなくクリスタル』の生活とは似ても似つかぬものでした。まず、私にはお金がありません。アルバイトをしようにも、文系学部とは異なり、朝一番から夕方6時までびっしりと授業がつまっていますし、レポートも大量にあり、その上頻繁にテストがありますから自宅でも勉強しなければならないわけで、私は大学生活を楽しむどころか、アルバイトにも時間がとれず食費にも困るほどでした。
元々理学に興味がなかった私にとっては、授業も苦痛でしたが、それ以上に辛かったのが実験です。1987年の4月から約1年間、毎週火曜日は午前中に物理学の実験、午後からは化学の実験があり、週によっては実験がうまく行かず日が暮れても帰れませんでした。実験が終われば、試験管などをきれいに洗わなければなりません。今でもその光景をはっきりと覚えていますが、粉石けんと専用のブラシを使って使用した試験管1本1本を丁寧に洗わなくてはならず、洗った後、水を切ったときに試験管に水滴がついていると、まだきれいに洗えていない証拠だと言われ、さらに洗い直しをさせられるのです。(完全にきれいに洗えると試験管にかかった水はす~っと流れていき水滴がつきません)
ぐったりして大学近くの下宿(風呂なし、トイレとキッチンは共同)に帰り、そこからレポートを書かねばならないわけですが、実験の内容も結果もきちんと理解できていない私にまともなものが書けるはずがありません。期日までに同じ班の誰かにレポートを見せてもらって作成するしか方法はありません。
しかし、レポート作成にはそれなりの時間がかかりますし、そのレポートを見せてもらい、丸写ししたとバレないように少しアレンジを加えて作成しなければなりませんから、班のメンバーには無理を言って少なくとも期日の前日までに見せてもらうようお願いしなければなりません。この交渉がまた大変なのです。なにしろ当時は携帯電話どころか、下宿生では固定電話を持っている者もあまりおらず、たいていはその下宿の玄関に置いてある取り次ぎの赤電話を使います。その電話に10円玉を入れて電話をするのです。
結局私は、第1回目の実験の日にこのような方法で同じ班のメンバーにレポートを見せてもらうことをお願いして、それから1年間ずっとこの方法でレポートを書き上げました。しかし、このようなことを続けていれば担当教官にもわかるようで、同じような結論を導いているレポートになっていたはずですが、この友達の成績は「優」で、私は「可」でした。
実験のレポートはこのような方法で切り抜けられたとしても、テストはそういうわけにはいきません。まさかカンニングをするわけにもいきませんし、なんとか合格ギリギリの点数がとれるように自分で勉強するしか道はありません。
話はズレますが、医学部に入ってから私が驚いたことのひとつはカンニングをおこなう学生がいる(いた)ということです。拙書『偏差値40からの医学部再受験』にも書きましたが、医学部でカンニングをする学生がいて、しかも日本中どこの医学部ででもあることという話を聞いて大変驚きました。私が関西学院大学理学部に在籍していたとき、カンニングの話など聞いたことがありませんでしたし、そもそも理学部のテストは解答用紙が数式のオンパレードになりますから、カンニングなどしようがありません。それに関西学院大学はキリスト教系の大学ということもあり不正行為には大変厳しいのです。文化系学部の学生が、カンニングが見つかり、その科目だけでなくその年に履修した科目がすべて無効とされ、さらに学内にあるチャペルで牧師さんの前で懺悔をしたという話も聞きました。
話を戻しましょう。苦痛以外の何ものでもない実験、テスト、文化系学生とのあまりにも大きなギャップ・・・、これらが次第に大きな重荷になってきて、あれほど憧れて入学した関西学院大学を去ることを考え出したのは入学して2ヶ月ほどしかたっていない初夏の頃でした・・・。
つづく
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2013年10月5日 土曜日
2013年10月5日 電子タバコは本当に有効なのか
電子タバコの危険性については、このサイトでも取り上げたことがありますし(下記医療ニュース参照)、厚労省は何度か注意喚起を促しています(注1)。しかし、国内外を問わず電子タバコで禁煙を試みる人は増加しており(イギリスでは禁煙に取り組む人の27%が利用しているという報告もあるほどです)、あらためて科学的な危険性と有用性の検証が急がれます。
そんななか、ニュージーランドのオークランド大学で電子タバコの有効性と安全性についての評価試験がおこなわれ、医学誌『Lancet』2013年9月9日号(オンライン版)に論文が掲載されました(注2)。
研究の対象者はオークランドの18歳以上の禁煙希望者で、調査期間は2011年9月6日~2013年7月5日です。対象者は、電子タバコ(16mgニコチン入り)使用グループ、ニコチンパッチ(21mg/日)使用グループ、プラセボ(ニコチンなし電子タバコ使用)グループの3つのグループに無作為に分けられて検討されています。
その結果、6ヶ月が経過した時点で禁煙できていた人は、電子タバコのグループで7.3%(21/289例)、ニコチンパッチのグループで5.8%(17/295例)、プラセボでは4.1%(3/73例)だったそうです。数字だけでみると、電子タバコで禁煙成功率が高いように思われますが、統計学的に分析すると有意差はでなかったようです。
危険性については、それぞれの有害イベント(副作用)の発生は、電子タバコのグループで137例、ニコチンパッチのグループで119例、プラセボでは36例で、これもまた数字だけみると電子タバコで危険性が高そうですが、統計学的には有意差はないようです。
この研究からは、電子タバコは危険性があるとは言えないけれども、有効性も統計学的にはあるとは言えない、ということになります。
****************
この研究結果をみて私が最もひっかかったのは、電子タバコであろうがニコチンパッチであろうが禁煙成功率が低すぎる、ということです。
厚労省が平成21年度に調査し公表している「ニコチン依存症管理料算定保険医療機関における禁煙成功率の実態調査報告書」(注3)によりますと、ニコチンパッチでの治療終了9ヶ月の時点で禁煙を継続しているのが49.2%ですから、今回のニュージーランドの調査とあまりにも数字がかけ離れています。
日本での禁煙治療はパッチよりも飲み薬(チャンピックス)が用いられることが多いのですが、厚労省のこの報告書によれば、飲み薬を用いての治療終了9ヶ月の時点の禁煙維持率は50.1%とされています。
私がこの論文を読んで最初に思ったのは、電子タバコの有効性を論じる前に、「禁煙は薬を飲めばそれだけで成功するわけではない」ということです。この研究では、対象者は禁煙希望者(smokers wanting to quit)とされていますが、本当にやめる意思があったのかどうか、そして医療者は禁煙のサポートをしたのかどうか、という点が疑問なのです。
研究の目的は「禁煙を支援すること」ではなく「電子タバコの有効性の検討」ですから、例えばカウンセリングなどのサポートはすべきでなかったということかもしれませんが、この研究でよくわかったのは「禁煙で重要なのは何を用いるかではなく禁煙を希望する人の意思と医療者のサポートこそが最重要」ということではないかと私はみています。
そういう意味で、電子タバコも使うなら本人の強い意志と医療者のサポートがあればOKといえるかもしれません。ただし安全性が確立していれば、です。現時点では厚労省が電子タバコの使用に注意勧告をしていますから、安易な使用は控えるべきでしょう。
(谷口恭)
注1:平成22年12月27日付けで「ニコチンを含有する電子タバコに関する危害防止措置について」というタイトルで発表しています。詳しくは下記URLを参照ください。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000000zlvf.html
注2:この論文のタイトルは「Electronic cigarettes for smoking cessation: a randomised controlled trial」で、下記URLで概要を読むことができます。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2813%2961842-5/abstract
注3:この報告書は下記URLで読むことができます。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/06/dl/s0602-3i.pdf
参考:医療ニュース
2009年7月31日「「電子タバコ」はやはり危険!」
2008年9月26日「「電子タバコ」に要注意!」
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2013年10月4日 金曜日
2013年10月4日 女性も多量飲酒で脳卒中のリスクが増加
ビール大ビン1本を毎日飲む女性は脳卒中のリスクが3倍近くに・・・
これは大阪大学と国立がん研究センターの共同研究の結果で、同センターが2013年9月25日にウェブサイトで公表しています(注1)。大量飲酒で脳卒中になるという研究はこれまでにもありましたが、男性を中心としたものばかりで、日本人女性を対象とした大規模調査では今回の研究が初となるようです。
研究の対象となったのは40~69歳の日本人女性約47,000人で、平均17年間の追跡調査がおこなわれています。アルコール摂取量を、「飲まない」、「時々飲む」、「週にエタノール換算で1-74g」、「週に75-149g」、「週に150g-299g」、「週に300g以上」の6つのグループに分けて検討されています。
追跡期間中に1,864人が脳卒中になり、その内訳は、脳内出血532人、くも膜下出血338人、脳梗塞964人、その他12人とされています。これらを飲酒量により分析すると、「時々飲む」を基準としたとき、「週に300g以上」では全脳卒中のリスクが2.30倍、出血性脳卒中(脳内出血+くも膜下出血)で2.38倍、脳内出血では2.85倍、脳梗塞では2.03倍と増加が認められています。
尚、心筋梗塞などの虚血性心疾患については292人が発症していますが、統計学的には発症例が少なく、飲酒との明らかな関係は認められなかったそうです。
***************
同センターのサイト(注1参照)には、6つのグループの飲酒量ごとのリスクが棒グラフで分かりやすく示されています。これをみれば、300gで極端にリスクが上昇することがよく分かります。150-299gでもリスクが1.5倍になっていますから、脳卒中のリスクを減らすためには149g以下にした方がよさそうです(注2)。
ただ、このグラフをよくみれば、「飲まない」グループの方が、「時々飲む」よりも脳卒中のリスクが高くなっています。昔からよく言われるように「健康維持にはほどほどの飲酒がいい」ということなのでしょうか。
(谷口恭)
注1:「女性における飲酒と循環器疾患発症との関連について」というタイトルで概要が紹介されています。下記URLを参照ください。
http://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/3310.html
また、この研究は医学誌『Preventive Medicine』2013年7月13日号(オンライン版)にも掲載されています。タイトルは、「Alcohol consumption and risk of stroke and coronary heart disease among Japanese women: The Japan Public Health Center-based prospective study」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0091743513002272
注2 150-299gでビール大ビン1~2本、300gで2本以上が目安です。日本酒なら150-299gで1~2合、300gで2合以上になります。(いずれも1日あたりの平均量)
参考:医療ニュース
2009年10月8日「酒飲みの女性は乳ガンになりやすい」
2009年12月28日「ビール週7本で乳癌のリスク急増」
2011年10月26日「女性は中年期の適量の飲酒で高齢期が健康に」
2010年4月8日「適度な飲酒は女性の体重増加を抑制」
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2013年9月30日 月曜日
2013年9月30日 デキサプリンを飲まないで!
ダイエット目的の危険なサプリメントがときどき問題になりますが、最近注目されているのが「デキサプリン」です。
2013年9月17日、厚生労働省は各地域の衛生主管局宛てに「健康食品(デキサプリン)の取り扱いについて」というタイトルで注意喚起をおこないました(注1)。
厚労省は、オランダ食品・消費者製品安全局(VWA)からの情報に基づき注意喚起をおこなっています。VWAによりますと、デキサプリンを服用し重篤な副作用が生じた例が受理しただけで11例にのぼるそうです。副作用は、動悸、胸痛、嘔気、頭痛などですが、なかには心停止もあるそうです。
****************
ダイエット効果を謳ったサプリメントに危険なものが少なくないことは過去にもお伝えしたことがあります。それらに含まれていたのは、国内未承認の医薬品成分「シブトラミン」や甲状腺ホルモンである場合が多く、大変危険であるのは明らかでした。
今回オランダの当局が発表した「デキサプリン」が薬理学的にどのようなものなのかよく分からないのですが(正式な文書はオランダ語で書かれています・・)、報告された副作用が動悸、嘔気、頭痛などであることを考えると、シブトラミンや甲状腺ホルモンに似たようなものではないかと推測できます。これら以外の副作用としては、発汗過多やイライラ感、不眠なども起こりうるでしょう。
心停止になった人がそのまま死亡したのかどうかは厚労省の文書からは分かりませんが、このようなサプリメントを摂取すると命の危険が脅かされることもあるということは充分に知っておく必要があります。
(谷口恭)
注1:厚労省の注意喚起は下記で閲覧することができます。
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/hokenkinou/dl/dexaprine.pdf
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2013年9月20日 金曜日
第121回 肌が白くなる病気のいろいろ 2013/9/20
カネボウなどの一部の化粧品メーカーがスキンケア製品に配合していたロドデノールが肌を白くすることが判り現在大変な問題になっています。一部のマスコミがこの副作用を過剰に報道していることもあり、不安を抱えている人も少なくないようです。(詳しくは下記医療ニュースを参照ください)
一般に肌が白く抜ける現象を「白斑」と呼びます。白斑には様々な原因があり、そのひとつが今回のロドデノールのように、何か物質に触れることによって生じるタイプの白斑です。きちんとした病名があるわけではありませんが、病名をつけるとすると「化学物質性白斑」くらいになるかと思います。
さて、今回は「肌が白くなる疾患」についてまとめてみたいと思います。肌が白くなる疾患には様々なものがあり、簡単に治るものから、生涯つきあっていかなければならないものまで様々です。また白さの程度も様々で、周囲の皮膚と比べると少し白いかな、というものから、明らかに白くて目立って外出もためらわれる、というものまであります。
まずは軽症のものから紹介していきましょう。夏になると増える疾患に「癜風(でんぷう)」と呼ばれるものがあります。これはマラセチアという真菌(カビ)による感染症です。マラセチアは誰の皮膚にも存在しているいわゆる常在(真)菌なのですが、汗をかいて真菌が増殖しやすい環境になると一気に仲間を増やして皮膚の色を変色させます。
通常、癜風は痛みも痒みも伴いません。そして発症部位は、手足など自分で見つけやすいところではなく、胸や背中、首のうしろなど、改めて鏡をみないとわかりにくいところですから、医療機関を受診するのはそれなりに進行してからであることが多いと言えます。
癜風は、色が白く抜けるタイプ以外にも、赤くなるタイプや黒っぽくなるタイプのものもあります。一度発症すると、汗をかく季節になると必ず出るという人もいます。(実は私も20年以上ほぼ毎年この癜風が出現します。しかしこの後述べるようにすぐに治ります)
癜風は診断も治療も簡単です。疑えばその部分をピンセットやセロテープを使って検体を採取し(痛くありません)、顕微鏡で癜風そのものを確認すれば確定診断がつきます。薬は軽症であれば外用薬だけ、やや重症化していれば飲み薬を1週間程度併用すればまず間違いなく治ります。その後は再発を防ぐために、マメにシャワーをするようにしてもらいます。
癜風は夏に患者さんが増えますが、一年を通してときどき相談されるのが「老人性白斑」と呼ばれる治療の必要のないタイプの白斑です。「老人性」という名前がついていますが、実際は早ければ30代から生じます。大きくてもせいぜい1センチ未満で痛くもかゆくもありません。境界は不鮮明でよく見ないとそれほど目立ちません。相談されるのは男性よりも圧倒的に女性に多いのですが、これは女性に多いからではなくおそらく女性の方が気になるからでしょう。治療は不要です。気になる人にはコンシーラーなどでメイクするよう助言しています。
子供の顔が部分的に白くなれば単純性粃糠疹を疑うことになります。これは別名「はたけ」と呼ばれるもので頬部にできることが多いと言えます。通常かゆみはないかあっても軽度ですし、境界不鮮明でそれほどくっきりと目立つわけではありませんので放置しておくことが多いと言えます。アトピー性皮膚炎があると生じやすいと言われています。アトピーがあると鱗屑(りんせつ)と呼ばれる粉がふいたような状態になりやすく、ここを強くこすると余計に色が薄くなりますから、触りすぎるのはよくありません。
日常の診療で比較的よく遭遇して難治性の肌が白くなる病気は「尋常性白斑(じんじょうせいはくはん)」と呼ばれるものです。別名「しろなまず」とも呼ばれます。尋常性白斑は日本人の1~2%に生じると言われており決して珍しい病気ではありません。マイケル・ジャクソンもこの病気に罹患していました。
尋常性白斑の原因は免疫異常であると言われています。また他の疾患を合併していることもあり、実際に尋常性白斑から甲状腺異常や膠原病が見つかることもあります。また円形脱毛症を合併することは少なくないような印象があります。治療は、ステロイド外用のみで治ることもありますが、重症化していくこともしばしばあります。
急速に進行していくような場合にはステロイド内服を使うこともないわけではありませんが、ステロイドは長期で内服すべきではありませんし、使用量が増えていくことも避けなければなりませんから、多くの場合においてあまり現実的な治療ではありません。
ここ数年で普及してきているのは「ナローバンドUVB」と呼ばれる紫外線を当てる治療法です。大病院の皮膚科であればこの治療がおこなえる機械を置いてあるのが普通ですが、最近はクリニックでも置いているところが増えてきています。(当院には置いていませんが・・)
では、ナローバンドUVBで尋常性白斑が何事もなかったかのように完全に治るかというとそういうわけではありません。治療には長期間を要しますし、症状が改善したとしても患者さんが満足のいくレベルまでは届かない場合もあります。では、そのような場合どうするのかと言うと「化粧品」を使います。カモフラージュメイクと呼ばれるメイクが有効で、一部の化粧品メーカーが積極的に開発しています(注1)。
日常よく診る「肌が白くなる病気」でもうひとつおさえておきたいものがあります。それはきちんとした病名があるわけではありませんが、「炎症後の色素脱失」とでも呼ぶべきものです。アトピー性皮膚炎などで慢性の皮膚の炎症があると、ときに一部が白くなることがあります。また、何らかの物質で「かぶれ」を起こすと、その治癒後に肌の一部が白くなることもあります。「炎症後色素沈着」と呼ばれる炎症の後に色素沈着が残ることはよく知られていますが、その逆に色が白くなることもときどきあるのです。
何か物質に触れることによって起こる白斑をまとめてみたいと思います。ロドデノールが一躍有名になりましたが、このいわば「化学物質性白斑」とでも呼ぶべき原因物質で比較的多いのがハイドロキノンです。ハイドロキノンは美白剤として有名で一般の化粧品にも低濃度で含まれていることもあります。医療機関で処方するのは化粧品よりも高濃度であり、たしかに高い効果は期待できるのですが、色が白くなり過ぎてトラブルになることもあるのです。
また、ステロイドの副作用としての色素脱失もあります。ステロイドの副作用に色素沈着がある、と世間では”噂”されているようですが、これは間違いです。(ちなみに、このような”噂”があるのは世界広しといえども日本だけだそうです) ステロイドを外用して色素沈着が起こるのは、ステロイドによるものではなく皮膚の炎症の後の色素沈着です。しかし、ステロイドの副作用で色素脱失があるのは事実です。
産業医学の分野では、フェノール化合物による色素脱失(白斑)が有名です。特にp-t-ブチルフェノール(PTBT)と呼ばれる物質はよく知られており、過去には多くの労働者が白斑の被害に合っています。以前は粘着テープなどの原料として用いられていたそうです。
肌が白くなる病気は教科書的には今回述べた以外にも複数あります。例えば先天性の「眼皮膚白皮症」や、眼症状を伴うことの多い「Vogt-小柳-原田病」などは、医師であれば知っておかなければならない(医師国家試験対策には必須です)疾患です。しかし、日常の診療で目にする機会はあまりありません。
さて、ロドデノールに話を戻したいと思います。現時点ではロドデノールは「化学物質性白斑」とでも呼ぶべき白斑でありメカニズムは不明です。(PTBTは色素細胞に対する毒性作用が指摘されていますがロドデノールでははっきりしていません)。もしもロドデノールの白斑が、上に述べた炎症の後の一次的な色素脱失であるならばロドデノールの使用をやめれば何もしなくても治っていくはずです。色素細胞に毒性があるなら、何もしなければ治らない可能性もあります。その場合、ナローバンドUVBは治療の選択肢となるでしょうが、有効性は現時点では不明です。
白斑はロドデノールで有名になりましたが、実際の臨床の現場では「色が白くなりました」と言われて受診される原因は様々です。気になることがあればかかりつけ医に相談してみてください。
注1:カモフラージュメイクに積極的に取り組んでいる代表的なメーカーは
GRAFA(http://www.grafa.jp/individual/)
資生堂(パーフェクトカバー)(http://www.shiseido.co.jp/pc/)
マーシュフィールド(http://www.marsh-f.co.jp/)
などです。
一部の大学病院の皮膚科外来では、白斑の患者さんのためのメイクアップ外来をおこなっています。またリハビリメイクという言葉が有名になったかづきれいこさん(http://www.kazki.co.jp/rehabilimake/)は白斑のメイクにも積極的に取り組んでおられます。
参考:
トップページ:ロドデノール含有化粧品が原因の白斑
医療ニュース:2013年9月13日「ロドデノールの被害に対する”誤報”」
はやりの病気第58回(2008年6月)「カビの病気1(癜風・水虫)」
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2013年9月20日 金曜日
第128回 同じ時間に起きて同じ時間に寝るということ 2013/9/20
7つの生活習慣の改善で脳卒中のリスクが大幅に減少する・・・。
これは医学誌『Stroke』に今年(2013年)掲載された論文(注1)で発表されたものです。この研究については日本の一部のマスコミも取り上げていましたので、すでに知っているという人も多いでしょうが、ここで簡単に振り返ってみたいと思います。
7つの生活習慣とは、①血圧、②脂質(コレステロール)、③血糖、④BMI(体重÷身長の2乗)、⑤運動、⑥食事、⑦禁煙、です。調査の対象は、45歳以上のアフリカ系および白人の米国人、合計22,914人です。7つの生活習慣それぞれに点数をつけて脳卒中の罹患との関係を調べると、これら7つの生活習慣が適切であれば脳卒中になりにくいことが分かった、というのが研究の結論です。
この研究結果を聞いて、「なるほど、これはすごい研究だ!」と思える人はそう多くないでしょう。ここで言われている「7つの生活習慣」というのはどれも真新しいものではなく、「そりゃそうでしょ。今さら言われなくてもわかってますよ」と言いたくなるものばかりだからです。
適正体重を維持して、食事内容に気をつけて、タバコを吸わず、運動を続ける、血圧や血液検査(血糖値、コレステロール)は定期的に測定して必要があれば薬を飲む、と、これだけやっていれば、「そりゃ脳卒中も防げるよな・・・」と感じてしまいます。
私自身もこの論文をみたときに、大規模調査は大変だったろうけれど結果は別段驚くものでもないし・・・、と感じました。もしもこの調査で、例えば「タバコを吸っていても運動を週10時間以上すればリスクは帳消しになる!」とか、「食事の内容に気をつけていれば体重はいくら増えてもOK!」、など常識をくつがえすような結果であれば興味を持てるのですが・・・。
しかし私はこの論文に価値がないと言っているわけではありません。禁煙、運動、食事などが結局は健康への確実な対策であることを再認識させられた、ということで意味のある研究だと思っています。つまり、「〇〇さえすれば・・・」などという安易な健康法は存在しないことを改めて教えてくれた研究というわけです。
そして、これまた当たり前と言えば当たり前なのですが、私が日々診ている患者さんのことを考えてみても、これら7つの生活習慣改善で健康になることは間違いありません。
禁煙と減量、というのを同時におこなうのは極めて困難なのですが、まずはどちらかに取り組んでもらい、時期をみてもう一方の対策をとり、運動を続けてもらうと、そのうちに血圧も血液検査の値も正常になり、一時は毎月受診してもらっていたのが年に一度でOKになった、ということも珍しくありません。そして、この7つの生活習慣を改善することにより防げるのは何も脳卒中だけではありません。心筋梗塞や生活習慣病のほぼすべて、そして多くの悪性腫瘍に対しても有効なのは間違いありません。
というわけで、私が言いたいのは、「これら7つの生活習慣改善は当たり前のことで、言われなくてもわかってますよ、というものだけど、それでもこの地味な生活改善対策に勝るものはない」、ということです。
そして、前置きが長くなりましたが、これら7つの生活習慣に加えて、私はもうひとつの生活習慣を提唱したいと考えています。それは、「毎日同じ時間に起きて同じ時間に寝る」というものです。
「そりゃ、そんな生活したら健康になるでしょ。言われなくてもわかってますよ」と言われそうですし、『Stroke』の7つの生活習慣よりもさらに”地味”な習慣ではありますが、これはある意味では7つの生活習慣よりも重要ではないかと私は思っています。というのは、毎朝同じ時間に起きて規則正しい生活をすると、暴飲暴食が防げて、適正体重が維持できて、少しの努力はいりますが1週間の生活プランに運動の時間を組み入れいることができて、その結果、検査値も改善していくからです。
例えば、30代のある女性患者さん(仮にMさんとしておきます)は、軽度の肥満と高血糖、高コレステロールがあり、失業中であるということもあり、好きな時間に起きて好きな時間に寝る、という生活をしていました。それが、仕事(それも彼女が以前から切望していた仕事)が決まり、朝5時半起きの生活となりました。職場の女性がほぼ全員スリムな体型をしていることから自身もダイエットに取り組む気になり、週に3回フィットネスクラブに泳ぎに行くようになり、さらに禁煙にも成功し半年後には通院の必要がなくなったほどです。
このケースでは「新しい仕事」がMさんの生活習慣を改善したわけですが、それは「同じ時間に起きて同じ時間に寝る」ということを心がけたからでもあるわけです。また、Mさんがよかったのは、休日も同じ時間に起きてその時間を有効に利用していたということです。
『Stroke』の研究は、脳卒中という生活習慣病に対してのリスクを調べているわけですが、この「同じ時間に起きて同じ時間に寝る」という習慣は、脳卒中などの生活習慣病に有効であるだけではありません。これを習慣にすることによって劇的に症状が改善する疾患が少なくとも2つあります。
1つは片頭痛です。Mさんが私の元を受診したのは片頭痛がきっかけで、最初は鎮痛剤が効かずに苦労していたのですが、就職が決まり規則正しい生活をするようになると、あれほど苦痛だった片頭痛がほとんどなくなったのです。実は、Mさんの就職が決まって朝が早くなると聞いたときに、私は「休日も早く起きるようにしてください。うまくいけば片頭痛からも解放されますよ」と助言しておいたのです。
片頭痛は寝不足がリスクになりますが、寝過ぎもリスクになります。休日の朝、寝坊をして起きたら頭痛、というのはよくありますし、昼寝をして起きたら・・・、という場合もあります。お盆明けに片頭痛の患者さんが増えるのは、旅行や帰省で生活が乱れたり、あるいは新幹線の中で寝てしまったり、ということも原因になっています。
もうひとつ、「同じ時間に起きて同じ時間に寝る」ことで症状が大きく改善するのを期待できる疾患があります。それは「うつ病」です。うつ病といっても症状の内容や重症度はそれぞれですし、典型的なうつ病は朝がしんどいですから、朝早く起きるのは困難なことも多いのですが、それでも同じ時間(昼でも夜でも)に起きて、同じ時間に寝るようにすることを心がければ症状が次第に改善していくこともあるのです。
うつ病があって引きこもっている人はえてして生活が不規則になっています。朝が起きられずに昼頃まで寝ていて、夕方になってまた眠たくなってうたた寝をして、夜には目が覚める、そして睡眠薬を使うけれども眠れなくて、翌日の昼に起きると身体がダルくて、眠ってはいないけれど横になっていると時間が過ぎていって・・・、と悪循環に入り込み、こうなると社会復帰が遠のきます。無理をしてはいけませんが、可能なら、それは何時でもいいですから、同じ時間に起きて同じ時間に寝る、昼寝をするなら短時間に、という習慣を守るようにすれば、それだけで精神症状が改善していくこともまあまああります。
休日の朝は二度寝をするのが楽しみ・・・、週末には夜更かししたい・・・、私自身もこのように思うことがありますし、特に週末の夜更かしはこれまでさんざんしてきましたが、現在はできるだけ同じ時間に起きて同じ時間に寝るということを実践するようにしています。
深夜にも働いている医療者には申し訳ないのですが、現在の私は、夜勤をしておらず、夜中に病棟や救急外来から呼び出されたりすることもありません。二度寝したいな・・と感じる休日の朝は、前夜から寝ずにがんばっている医療者のことを思い出して早起きするようにしています。
みなさんも、この「同じ時間に起きて同じ時間に寝る」ということを第8番目の習慣として考えてみてはいかがでしょうか。
注1:この論文のタイトルは「Life’s Simple 7 and Risk of Incident Stroke」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://stroke.ahajournals.org/content/44/7/1909.abstract?sid=7bee462d-05f0-40e7-896c-b64685f8ac6e
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2013年9月13日 金曜日
2013年9月13日 ロドデノールの被害に対する”誤報”
塗ると色が白く抜ける「白斑」を起こすという理由で、カネボウなどの化粧品会社が自主回収を開始したというニュースは先日お伝えしました。(下記医療ニュース参照)
自主回収は2013年7月上旬から始まり、2ヶ月経過した9月上旬で、白斑を訴えている人が1万人を超えているそうです。
この事件については各マスコミも頻繁に取り上げており、特集番組も組まれているようです。しかし、マスコミの報道には偏りがあるようで、例えば2013年9月2日に放送されたNHKの「クローズアップ現代」では、視聴者に誤解を与える表現が少なくなく、ロドデノール含有化粧品の安全性に関する「特別委員会」が反論をおこないました。
「クローズアップ現代」の”誤報”に対する「特別委員会」の反論は以下のようになります。
①「1年経っても治らない」との報道について
多くは化粧品使用中止後8週間で明らかな改善がみられている。2年経過しても白斑が残っている症例が数例あるのは事実だが、これらも原因を突き止めて治療をおこなうことは可能。
②「2割の患者しか治らない」との報道について
現時点でのカネボウ社の見解では「完治に近い人が2割いる」であり、「2割の患者しか治らない」わけではない。現時点では化粧品を中止しきちんと経過を追えている症例数が少ない(ので統計的な数字は算出しにくい)。(化粧品自主回収から2ヶ月しかたっていないのですから当然です)
②「色をつくる細胞がなくなっている」という報道について
実際に皮膚を生検してみると、多くの症例で色をつくる細胞(メラノサイト)は残っている。(生検とは皮膚組織を一部採取して、どのような細胞が存在しているのか顕微鏡で調べる検査のことです)
現時点での治療について委員会では、ステロイドやタクロリムスの外用、トラネキサム酸やビタミン剤の内服、光線療法などについて言及しています(注1)。
***************
特別委員会の委員長は藤田保健衛生大学の松永佳世子先生です。私は皮膚科関連の学会などで過去に何度も松永先生のご講演を拝聴していますが、いつも深い感銘を受けます。松永先生は「茶のしずく」などの小麦アレルギーの調査の際にも大変ご活躍されています。(当院は「茶のしずく」については協力施設としてお手伝いさせていただきましたが、「ロドデノール」については現在パッチテストに対応していないことや光線療法の設備がないことなどから他施設を紹介させてもらっています)
「クローズアップ現代」への反論で松永先生が最も強調されているのが、患者さんに対する「不安にならないで!」というメッセージです。反論の文書の冒頭に「(マスコミの心ない)言葉に深く傷付き、不安になられたのではないでしょうか。心配しております」と記載されています。何よりもまず患者さんの立場にたった視点から対処されていることが伝わってきます。
ロドデノールの被害に会われた方は大変つらい思いをなさっているかと思いますが、委員会の先生方や、実際に患者さんを診ている専門の先生方は一生懸命に取り組まれていますのでどうか不安にならないでください。
(谷口恭)
注1:これらの治療は患者さんの判断でおこなうのではなく医師の指導の下でおこなうべきです。現在当院では対応していませんが、適切な医療機関を紹介しますので、当院にかかりつけ医の方でロドデノールの被害に会われた方は相談ください。(メールで相談されてもかまいません。また適切な医療機関をご存じであれば当院への連絡なしに直接受診されてもかまいません)
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2013年9月10日 火曜日
2013年9月号 幸せの方程式
誰もみな自らの幸せを追求している、ということに異論を唱える人はそう多くはないでしょう。では、「あなたにとって幸せとは何ですか?」と聞かれたとすれば何と答えるでしょうか。
日本国憲法第13条には「幸福追求権」というものがあり、誰もが幸せを求める権利が保障されています。しかし憲法には「幸せとは何か」についての記載が(当たり前ですが)ありません。「幸せ」というものは、法律上定義されるものではありませんし、法律上でなくとも、何を持って幸せとするかを定義付けすることはできません。つまり、月並みな言い方ですが、幸せとは人それぞれ、という以上のことは言えないのです。(ですから、「あたしの幸せは憲法で保障されているはずなんだから国はあたしを幸せにする義務がある」、などと言う人がときどきいますが、このような考えはお門違いもいいとこです)
一見わかりやすいようで実はわかりにくいこの「幸せ」について学術的に思考してきた人たちは大勢います。人文科学、とりわけ哲学の領域では「幸せ」は最も根源的なテーマのひとつであり、古今東西大勢の学者が思索に耽り考えを述べてきました。
現在においても「幸せ」が人文科学的に語られるときに必ず引き合いに出されるのがアリストテレスの唱えた「エウデモニア(eudaemonia)」という概念です。エウデモニアという哲学用語について、きちんと人文科学的に定義付けようとすると学術的言葉の”深み”にはまってしまってわけがわからなくなりますから、とりあえずは「エウデモニア型の幸せとは、即時的な快楽ではなく、生きがいや夢につながるもの、そして道徳的に善とされている行為」と簡略化してさしつかえないと思います。
このエウデモニアに対して用いられるもうひとつの「幸せ」はヘドニック(hedonic)と呼ばれるもので、これは簡単に言えば「目の前にある快楽」のことです。人文科学の世界では「ヘドニック・トレッドミル(hedonic treadmill)」という言葉がしばしば用いられます。これは、トレッドミル(スポーツジムにあるランニングマシーン)にたとえて、快楽が得られるとそのうち飽きてきてさらに前に進もうとするけれど、結果的にまったく前に進めていない、ということを表しています。
前置きが長くなりましたが、今回お話したいのは、この対極にある2つの幸せ、エウデモニアとヘドニックの違いが遺伝子レベルで解明された、という大変興味深い研究についてです。しかし、それを述べる前に、私の知人の「幸せ」について紹介したいと思います。
私の知人にはいろんなタイプの人がいますが、この「エウデモニア-ヘドニック」を軸に考えてみると、極端にエウデモニアの人もいれば、その正反対の、ヘドニックそのもの、という人もいます。そして、改めて自分の周囲のことを考えてみると、私が10~20代のときはどちらかというとヘドニックな友人・知人が多く、医師になってから、そして40歳を超えてからはエウデモニアに傾いている友人・知人が身の周りに多いような気がします。ここでは極端にヘドニックな私の知人2人を紹介したいと思います。(ただし本人が特定できないように若干のアレンジを加えています)
1990年夏、当時21歳の私がある会社の就職説明会で知り合った北村君(仮名)の信条は「そのときにやりたいことをやる」というものでした。そのとき食べたいものを食べ、そのとき遊びたい女の子と遊び(実際、北村君は”超”のつくほど男前で、放っておいても女性が寄ってくるという感じでした)、そのとき行きたいところに行くという生活をしていました。夜中に突然愛車のBMWで東京に行くというようなライフスタイルが気に入っている、と言っていました。いずれ親の会社をつぐので、就職はそれまでの準備期間のようなもの、仕事はできる範囲でがんばるつもりだけど残業や休日出勤はあり得ない、と話していました。
1999年秋、当時30歳の私があるアルバイト先で知り合った関原さん(仮名、当時32歳の男性)は、アルバイトでまとまったお金ができるとアジアで”まったり”という生活を続けていました。海外旅行が好きな人には、各地の遺跡や文化財をみたりとか、バックパックを背負ってバスでアジア横断をしたりとか、そのような活動的な人もいますが、関原さんの場合は、プノンペンやバラナシなどの安宿にこもり、一日中ダラダラと、タバコと酒と、あるいは大麻を吸って過ごすそうです。「定職に就くことは考えないんですか」という私の質問には、「今の生活が自分に向いている。好きなことをやって60歳くらいで死ぬのが幸せ」と話していました。
医学誌『Proceedings of the National Academy of Sciences』2013年7月29日号(オンライン版)に掲載された論文(注1)によりますと、2つの対極的な幸せには遺伝子の発現に差異があることが判ったそうです。
この研究では健康な成人80人が対象とされています。対象者の遺伝子発現の様子を調べると、エウデモニア型幸福を追求する人では、免疫に関与する遺伝子に発現が強くみられ、炎症惹起に関与する遺伝子はあまり発現していなかったそうです。一方、ヘドニック型幸福を追求する人では、エウデモニア型の人とは正反対に、炎症の遺伝子の発現が高く、免疫系の発現は低かったそうです。これはすなわち、エウデモニア型の人は、免疫力がパワーアップされ健康を維持できることを示唆しています。その逆に、ヘドニック型の人では、ストレスを受けたときと同様の遺伝子が発現し身体に悪影響を及ぼす可能性があるということになります。
この研究が興味深いのは、同時に2つの幸福追求のタイプの「うつ傾向」についても分析がおこなわれているということです。結果は、エウデモニア型でもヘドニック型でも「うつ傾向」は低く、幸福を感じていることについてはほぼ同じであることが判ったそうです。
これらをまとめると、エウデモニア型であろうがヘドニック型であろうが、幸福を追求している人はうつ傾向が少なく幸福感の自覚がある。しかし、ヘドニック型の場合は、遺伝子レベルではストレスを受けたときと同じような状態になっている(のでよくない)。つまり、精神的にも身体的にも最も優れているのはエウデモニア型の幸福を追求する人であり、アリストテレスは正しかった!、ということになります。
エウデモニア型幸福を追求する人は、この結果を聞くと嬉しい気持ちになるのではないでしょうか。実は私もそのひとりです。
今から21年前、当時25歳の私が、会社を辞めて医学部受験をする、と宣言したとき、賛同してくれた人は周囲にひとりもいませんでした。「会社に不満がないんやったらほどほどに人生楽しめたらそれでいいんじゃないの」という人ばかりで、私が「受験に失敗してこのような会社員の生活に戻れなくても、いや、そのまま社会復帰できなくても、もっと言えば、努力半ばで死ぬようなことがあったとしても、それでも勉強したい」、と言うと、ほとんどの人が「バカじゃないの?」という態度をとりました。
私が正しかった、と言いたいわけではありません。また、私はエウデモニア型だから健康だとか長生きできるんだと思っているわけでもありません。この研究自体が小規模ですし、この研究から「さあ、みなさん希望と目標をもって努力して、エウデモニア型幸せを求めましょう」と言うには時期尚早だと思います。ヘドニック型の人も幸福感を自覚しているのは事実であり、誰もそれに口出しすることはできません。
現在の私の周りには私などよりもずっとエウデモニア型の人がたくさんいます。私財を投げ打って困窮している人たちに支援活動をおこなっている人、障がいを抱えた家族を必死に支えていることに生きがいを感じている人、休日を返上して障がい者の施設を訪問するような人などもいます。今回の研究が正しいと考えると、このような人たちは大変だろうけど幸福感を自覚し健全な遺伝子が発現しているのかな、と思えて嬉しくなってきます。
先に紹介した北村君はその後、親の経営する会社が倒産し北村君自身も消費者金融にまで手をだして、という噂を聞くのですが、当時の友達は誰も連絡がとれなくなっています。関原さんは暴飲暴食がたたり糖尿病で入院しました。退院後、再び暴飲暴食を繰り返しているそうです。60歳で死ねればいい、が今も口癖ですが、もっと短命に終わるかもしれません。
どのような生き方をするかは各自の自由であり、私はやみくもに「いきがいを持て」とか「他人に貢献せよ」、「ヘドイックを捨ててエウデモニア型になれ」などと言いたいわけではありません。そもそもすべての人をエウデモニア、ヘドイックのどちらかに単純に2つに分類できるわけではありません。多くの人が中間であるか、少しどちらかに傾いているという程度でしょう。
自分にとっての幸せは何なのか・・・。そのようなことを考えることがあるならば、今回の遺伝子発現についてのこの研究、つまりエウデモニア型幸福を追求するときには免疫力がパワーアップする(可能性がある)という事象を参考にしてみるのもいいでしょう。たった1つの研究に人生を左右される必要はありませんが、「幸せ」について考えるときのヒントくらいにはなるのではないでしょうか。
注1:この研究のタイトルは「A functional genomic perspective on human well-being」で、下記のURLで全文を読むことができます。
http://www.pnas.org/content/110/33/13684.full?sid=38d5ff31-0e27-4e9b-bcfe-fb609bfc7e05
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