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2015年3月20日 金曜日
2015年3月20日 海外旅行でいったいどこに行けばいいのか
2015年3月18日、チュニジアの首都チュニスにて、国民議会議事堂と国立博物館が武装集団により襲撃され、複数の観光客を人質に立てこもる事件が発生しました。3月20日時点で日本人3名の死亡が確認されています。
この事件との関係は明らかではないものの、チュニジアではISIL(イスラム国)に外国人戦闘員として参加した後に帰還している者がいることが確認されています。そしてこのような帰還者がテロを起こすことが懸念されています。
今回の事件を受けて、外務省は次のような注意喚起を発表しています(注1)。
・チュニジアの他、サウジアラビア、ヨルダン、モロッコ等のアラブ諸国についてもISILに参加した戦闘員が帰還している。
・欧米諸国も例外ではなく、フランス、イギリス、ドイツ、オーストラリア、ベルギー、オランダ等からISILに参加した外国人戦闘員が帰還している。
・テロの標的となりやすい場所(政府・軍・警察関係施設、公共交通機関、観光施設、デパートや市場など不特定多数が集まる場所)を訪れる際には、周囲の状況に注意を払うこと。
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この注意喚起を読んで「では注意しよう」と素直に思える人はどれくらいいるでしょうか。アラブ諸国はともかく、ヨーロッパやオーストラリアに旅行に行って、公共交通機関を使わずに、観光施設を訪れず、デパートや市場に行ってはいけない、と言われれば、では旅行先で何をすればいいのでしょうか。
とはいえ、私は外務省のこの注意勧告を批判したいわけではありません。国家としてこのような注意を促すのは当然でしょう。それだけISILが異常な集団であるということです。
太融寺町谷口医院の患者さんは、仕事、観光、ボランティア、留学などで海外に行かれる人が多く、そのための英文診断書作成やワクチン接種、マラリア予防薬や高山病予防薬の処方を日々おこなっています。私がすべての患者さんに注意しているのは、「海外では自分の身は自分で守らなければならない」ということです。
海外で何かあったときに外務省は頼りになりません。海外に渡航するときは、自分の行動に責任をとりリスクのある行為は慎まなければなりません。冤罪で逮捕されたときですら外務省は何もしません(注2)。
海外では助けてくれない外務省ですが、今回の発表はその通りです。今後世界史の教科書の多くのページにISILのことが書かれるかもしれない。私はそのように考えています。
注1:詳しくは外務省の下記ページを参照ください。
http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcwideareaspecificinfo.asp?infocode=2015C075
注2:詳しくは下記コラムを参照ください。
GINAと共に第99回(2014年9月)「薬物密輸の罠と罪」
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|2015年3月13日 金曜日
2015年3月13日 最大のストレスは「お金がないこと」
米国心理学会(American Psychological Association, APA)という学会があります。2015年2月4日、この学会が「Stress in America: Paying With Our Health」(日本語にすると、「アメリカのストレス~健康の代償~」くらいになるでしょうか)というタイトルのレポートを発表しました(注1)。
このレポートで最も興味深いのは、米国人の最大のストレス要因を「お金」としていることです。
レポートは、2014年8月に3,068人の米国人を対象におこなわれた調査に基づいています。調査の結果、ストレス源の第1位が「金銭上の悩み」で64%、2位以下は、仕事(60%)、家族への責任(47%)、健康問題(46%)と続きます。
金銭のストレスを強く感じているのは男性よりも女性に多く、年齢では50歳未満に多いようです。
このレポートでは、低所得者と高所得者の比較もおこなわれています。年収5万ドル(約600万円)以上を高所得者、以下を低所得者とすると、低所得者の方がストレスを強く感じていることがわかったそうです。同じ調査は2007年にもおこなわれており、このときは所得による差はなかったそうです。
精神的支えがない人とある人の比較もおこなわれています。過去1年でストレスが増大したと答えたのは精神的支えがない人では43%、支えのある人では26%となっています。
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お金がないのがストレスになるのは当然といえば当然で、格差が開いていくとさらに深刻になるでしょう。このレポートでは病気との関連性についてはあまり触れられていませんが、ストレスがいろんな疾患のリスクになるのは周知の事実であり、最近では低所得者の寿命が短いことも指摘されています。
ということは「お金がないこと」は二重の意味で健康に悪影響であるといえます。つまり、お金がないこと自体が生活習慣病などの罹患率を高め、またお金がないことによるストレスから多くの疾患のリスクを高めるのです。
このレポートを読んで、私は数年前にタイのある施設で知り合った日本人男性のことを思い出しました。
その男性は日本でリストラに合い、新しい仕事が見つからずに生活が困窮し、不眠と抑うつ感が出現し知人のすすめで精神科クリニックを受診したそうです。医師からは「うつ病」と診断され、何種類もの薬を処方してもらったものの何一つ効果はなかったそうです。
そこで、お金がかからずに住み込みでボランティアができるこのタイの施設にやってきたそうです。ボランティアに専念している時間は、気分は悪くないものの、将来のことを考えると憂鬱な気分が消えないそうです。この男性が興味深いことを言っていました。
「一生食べていける大金をもらえるか、安定した仕事に就けるなら、僕のうつ病はすぐに治ります。世の中のうつ病の大半は単にお金がないことが原因なんですよ・・・」
極論ではありますが、この男性の気持ちが分からなくはありません。お金がないことで病気が増えて医療費がかさむなら、初めからお金の不安を抱かせないような政策をとる、例えば生活保護を充実させる、というのはひとつの考えとして吟味すべきかもしれません。
「お金がない」ということとストレス、さらにいくつかの疾患との関連性については、私自身これからも考えていきたいと思います。
(谷口恭)
注1:このレポートは下記URLで全文が読めます。
http://www.apa.org/news/press/releases/stress/2014/stress-report.pdf
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|2015年3月10日 火曜日
2015年3月号 競争しない、という生き方
日頃温厚な人が突然怒り出すと驚かされますし、自分が何か悪いことをしたのだろうか・・・、と反省させられます。そしてこのような経験をすると記憶からなかなか消えないものです・・・。
私は大学(医学部ではなく関西学院大学社会学部)を卒業した後、大阪に本社がある中堅の商社に就職しました。1991年4月25日(だったと思います)は、私が生まれて初めて給料をもらった日です。学生の頃にアルバイトはしていましたが、それほど稼いでいたわけではなく初めて「大金」を手にした日です。もちろん「大金」といっても20万円ほどですが、それでもまとめてこのようなお金を手に入れたことはありませんでしたから嬉しいものです。
初めての給料日には同期で飲みにいきました。そこで給与明細の見せ合いをしたときに、その席にいた同期の二人よりも私の基本給が低いことがわかりました。たしか2千円くらいの差で、私はそれほど気にならなかったのですが、この出来事を翌日の昼休みに上司に話すと、普段は温厚なその上司が突然怒り出したのです。そして、「総務部に抗議しにいってくる!」と言って部屋を飛び出しました。
基本給の差の原因は年齢にありました。給与明細を比べた二人は一浪で大学に入っていたために、私よりも実年齢が1つ上だったのです。その会社ではキャリアよりも年齢をベースに給与を算出していたのです。総務部でこの説明を聞き、その上司も納得して戻ってきました。私自身は、まだ仕事らしい仕事が何一つできていない自分が給料をもらうこと自体に後ろめたさも感じていましたから、同期より低くても全然問題はなかったのですが、その上司の行動には驚かされました。
平成不況が深刻化した1997年から1999年にかけて、私と同年代のサラリーマンは自主退職もしくはリストラの危機にさらされるようになりました。1968年生まれの私と同世代の大卒は「バブル組」と呼ばれ、希望すればどこにでも就職できた恵まれた世代です。しかし平成不況が長引くと、自社にとどまるのがむつかしく退職すれば仕事がない、という悪夢のような時代へと移っていきました。
その後、いったん持ち直したかのようにみえた日本経済はリーマンショックで再び奈落の底へ落ちていきました。大卒でも就職できない若者がクローズアップされたためにあまり目立ちませんでしたが「バブル組」たちのリストラは一層過酷なものとなっていました。
私と同世代のある男性は「次は自分かもしれないと思うと、同僚がみんなライバルにみえて本音で話せない」と言っていました。また、別の男性は「人事部の自分は、これまで仲良くやってきた同期の人間も解雇しないといけなくて辛い・・・」と話していました。結局この男性は良心の呵責に耐えきれずに自ら辞表を提出したそうです。「今になって思えば、自分から退職を申し出ることを会社は予測していたに違いない」と言っていました。
資本主義は競争社会と言われることがあります。ライバルの同僚が会社に残れば自分はクビになる・・・。他人を蹴落とさなければ出世できない・・・。会社に残るためには勝ち続けなければならない・・・。これらはたしかに見方によっては「事実」かもしれません。けれど、こんなことばかり考えていればて生きていくのがイヤになってこないでしょうか。
いっそのこと競争社会からおりてみればどうでしょう。あるいは、初めから競争社会に入らない、という選択肢はどうでしょう。
実は私自身は、それを初めから意識していたわけではないのですが、競争とは縁のない人生を送っています。先に述べた新卒で入社した会社は、当時全従業員が800人程度の会社で決して大企業ではありませんでした。希望すればほとんどの大企業に内定がもらえたあの時代に私はあえて大企業を避けました。その理由はいくつかありますが、「大企業の中での競争がしんどそう」というものと「全体を見渡せるようになりたい」というのが大きなものです。
大きくない企業なら会社全体を把握しやすく、いろんな勉強ができると考えたのです。また、大きくない企業なら同じ部署内での競争もあまりないだろうと考えました。私は海外事業部に配属されましたが、同期は女性一人のみ。その女性は外国語大学出身で入社時からすでに英語を話せていましたから、まったく英語のできない私は競争相手にすらならなかったのです。
結局、勉強させてもらうだけさせてもらい、会社にほとんど貢献することなく退職することになった私は、その会社や当時の先輩社員には今も頭が上がりません。いろんな意味で私を成長させてくれたその会社は、今も安定した実績を維持しており平成不況のなかでもリストラをしなかったと聞いています。
私が就職活動をしているとき、同級生のなかに、「電通と伊藤忠と住友銀行とNTTを受ける」と言っていた者がいましたが、私にはいったい何をやりたいのかが分からないこういう考えが理解できません。とはいえ、当時はこのような「ブランド志向」の若者が大勢いましたし、おそらく今もこのような者はいるでしょう。
会社を辞めた私は医学部受験に専念することになります。医学部受験も競争、という意見があるでしょう。しかし、私が言っている「競争社会からおりる」とは意味が全然違います。私は、努力を放棄せよ、と言っているわけでは決してありません。むしろその反対で、人間は生涯に渡り努力をし続けなければならない、という考えをもっています。私が避けるべきと考えている「競争」とは、「身近な人との競争」です。
医学部受験では自分が合格すれば誰かが不合格になります。しかし合格した者はその不合格の者の顔を知りませんし、不合格の者も合格した者の顔が分かるわけではありません。同じクラス全員が同じ医学部受験をすればそういうことが起こるでしょうが、もしもこのようなことがあるとすれば、むしろ一致団結し、顔の見えない他校の生徒に勝つことを考えるはずです。
TOEICを私が初めて受けたのは会社に入って間もない頃ですが、このときの点数は500点に満たないものでした。それから、努力を開始し、もちろん身近な人に勝つためではなく自分の英語力を高めるためですが、毎回受ける度にちょうど50点ずつくらい面白いように上がっていきました。会社を辞める直前に受けたときの点数が、たしか896点で、これが私の生涯の最高得点です。それからは医学部時代に一度だけ受けましたがこのスコアを超えませんでした。今も受けたいのですが、試験を受ける時間がないという言い訳をしてさぼっています。次回は医師をリタイヤしてから受けるつもりです。
社員全員がTOEIC受験を義務づけられ下位10%がリストラの対象になる、とされればどうなるでしょう。もしもこのようなことが起こると職場はギスギスしたものになり、例えば過去問が手に入ったとしても、同僚に秘密にするかもしれません。つまり、このような社内での競争はすべきでないのです。
もしも会社が社員の英語力を上げたければ、部署ごとの平均点を出して、前年よりも平均点が高くなればプレゼントを贈る、というような方式にすべきです。こうすれば全員が努力するようになりますし、英語の得意な者は苦手な者に率先して教えることをするはずです。コミュニケーションが潤滑になり団結力が向上します。
私のもうひとつの母校である大阪市立大学医学部にはキャンパス内に「グループ学習室」という素晴らしい部屋があります。この部屋に気の合ったグループが集まり、分からない問題を提示してグループ全員で考えたり、当番の者が事前に勉強してきたことを披露したりするのです。もちろんグループ学習をしようと思えば、自分ひとりだけ分からない、ということがあれば進行の妨げになりますから、グループ学習に備えて独りで勉強する時間も確保します。
医師の世界を競争社会と思っている人もいるようですが、実際はそうではありません。教授選のときはそうなんじゃないの?という人もいますが、そもそも医学部の教授を目指す人自体があまりいませんし、多くの医師は「ポスト」というものを重視しません。役職がつけばかえって余計な仕事が増えますから出世を嫌う医師も少なくないのです。私自身もそうです。純粋に医療をおこなうのが医師の醍醐味なのです。
私自身は現在クリニックの院長という立場ですが、医療機関どうしの競争というものも存在しません。これが例えばコンビニなら、1位はどこで利益が前年比いくらアップで・・・、という話になりますが、医療機関はそもそも営利団体ではありませんし、患者数が多すぎるのも困りますし、目の前の患者さんの健康に貢献できればそれでOKなのです。
身近な人と競争しなければならない・・・。これほどしんどいこともないのではないでしょうか。たしかにこのような境遇に身を置かねばならない人もいます。代表はスポーツ選手や芸能人でしょうが、政治家、官僚なども該当するでしょう。大企業の社員もそうなのかもしれません。競争大好き!という人はそれでもいいでしょうが、私のようにそういうのをストレスと感じる人も少なくないはずです。
勉強でも仕事でも努力を怠らない。身近な人とは競争するのではなく協力してグループ全員が能力を高める。こうすれば努力が苦痛でなくなります。
冒頭で述べた初任給の出来事について、私はそのとき口には出しませんでしたが上司に対して内心このように思っていました。「僕のために行動してくれたことは感謝します。しかし今自分には給与をもらう価値はありません。これから努力を重ね給与を上回る仕事をします。そのときには給与が少なければ自分自身で総務部に抗議にいきます。ただし、同期と比べてではなく、そのときの自分の能力と比べてです・・・」
結局、能力はさほど上がらずに、先に述べたようにほとんど何も貢献できないまま退職してしまいましたが・・・。
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|2015年3月6日 金曜日
2015年3月6日 Twitterでの表現が心疾患のリスクを予測
心筋梗塞などの虚血性心疾患のリスクとして「A型気質」がしばしば指摘されます。「A型気質」というのは性格のことで、血液型のA型とはまったく関係ありません。Active(活動的)、Aggressive(攻撃的)、Ambitious(野心的)、Angry(怒りっぽい)といった性格で、「頑張り屋で積極的。いわゆる”やり手”で出世するタイプ」です。さらに「真面目で努力家」とも言えると思います(注1)。
ときに、他人を蹴落としてまで出世を目指す、といったような否定的な感じで語られることもありますが、総じて言えばA型気質は悪くないキャラクターと認識されていると思います。辛いことがあってもそれを口にせず努力で解決する、といったイメージもあります。
ところが、A型気質とはある意味で正反対の性格が心疾患のリスクになる、という研究が発表されました。
Twitter上の言葉が否定的な人は心疾患死亡率が高い・・・
医学誌『Psychological science』2015年1月20日号(オンライン版)にこのような報告がされています(注2)。
この論文のポイントをまとめると次のようになります。
まず、Twitter上の表現が、否定的な社会関係や、離別(原文はdisengagement、おそらく嫌いな人と関係を絶つ、という感じの意味だと思います)、また否定的な感情、特に怒りを露わにしたものであれば、そういった言葉を使う人は心疾患による死亡率が高いそうです。
さらに驚くべきことに、Twitter上の表現による心血管系疾患死亡予測リスクは、一般的な人口統計学的因子(人種による差異など)、社会経済的因子(収入や職業による差異など)、そして、健康リスク因子(喫煙・糖尿病・高血圧症・肥満など)よりも正確だという結果がでたそうです。
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この研究が正しいなら、従来のリスク評価を根底から見直さなければならなくなります。私が日頃患者さんをみている印象として、何事にも否定的なコメントを述べる人は、あまり健康的でないイメージがありますが、かといって心疾患になりやすいとか、死亡しやすい、といったような印象はありません。
また、喫煙や糖尿病よりもTwitterでの否定的な表現の方が高リスクとは到底考えられません。もしも今回の研究が普遍的なものなら、健康診断のときは血液検査や血圧測定よりも、過去1ヶ月間のTwitterでの発言をチェックすることの方が重要ということになります。(それが事実なら、健診の費用も安くなり望ましいことですが・・・)
この研究を正しいとしてしまうには時期尚早であり、今後のさらなる研究を待つべきだと私は思います。
とはいえ、日頃からTwitterで否定的なコメント、特に怒りの感情を並べている人は、心疾患の一般的なリスク、つまり、喫煙、肥満などには注意すべきでしょう。
(谷口恭)
注1 以前、A型気質は心疾患だけでなく、AGA(男性型脱毛症)にもなりやすいのではないかという私の仮説を述べたことがあります。興味のある方は下記を参照ください。
医療ニュース2013年5月13日「男性型脱毛症(AGA)は心筋梗塞のリスク」
注2 この論文のタイトルは「Psychological Language on Twitter Predicts County-Level Heart Disease Mortality」で、下記URLで概要を読むことができます。
http://pss.sagepub.com/content/26/2/159.abstract
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|2015年2月28日 土曜日
2015年2月28日 温泉で痛みがとれてぐっすり睡眠
湯治(とうじ)という言葉があります。温泉地に長期間滞在し、温泉につかることで持病を治す、という治療法です。最近はそれほどおこなわれていないとは思いますが、今も一部の温泉ではリウマチなどの慢性疾患の患者さんが訪れるといった話をときどき聞きます。
ただ、こういった治療法は疾患ガイドラインに記載されているわけではありませんし、必ずしも効果が実証されているとは言い難く、標準的な治療とは呼べません。また、通常湯治では長期間の滞在が必要になりますから多くの人にとって現実的ではないでしょう。
しかし、小規模ながら温泉が様々な疾患に有効とする研究もあり、湯治のように温泉地に何ヶ月にもわたり滞在しなくても、今は交通手段も発達していますから、短い期間の温泉入浴が健康に寄与するなら考えてみたいものです。
12日間の温泉治療プログラムで、健康な高齢者の疼痛、気分状態、睡眠、抑うつ状態が有意に改善・・・
このような研究結果が医学誌『Psychogeriatrics』2014年12月16日号(オンライン版)に掲載されました(注1)。この医学誌のサブタイトルは「The Official Journal of the Japanese Psychogeriatric Society」で、日本語にすると「日本の老年精神医学会の公式な医学誌」となりますから、対象とされたのは日本の温泉かと思いましたが、スペインの温泉地での研究でした。
スペイン人の高齢者52名(男性23名、女性29名)を対象とし、12日間の温泉治療プログラムに参加してもらい、疼痛(pain)、気分(mood state)、睡眠(sleep)、抑うつ状態(depression)の改善度が評価されています。
その結果、温泉療法により、全員のすべての症状が改善したそうです。男女差もあったようです。疼痛については男性の方が改善度が高く、抑うつ状態については女性の方が高かったようです。
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この研究は規模がさほど大きくなく、症状の評価は主観によるものであり、科学的確証度(エビデンスレベル)が高いとは言えないかもしれません。しかし、参加した52人の全員の気分が良くなり、痛みがとれ、ぐっすり眠れるようになっているわけで、一方では、この治療による「副作用」は一切ありません。(入浴場で転倒するといったリスクはあるかもしれませんが)
温泉は世界中にあるといえばありますが、温泉地の数、質、衛生度、旅館の心地よさ、周囲の風景、食事、お酒、と、どの観点からみてもおそらく日本が世界一でしょう。日本の次は台湾でしょうか。(今回の研究の舞台となったスペインを含め南欧の温泉も有名なようですが私は詳しくありません・・・)
湯治とまでいかなくても、ぐっすり眠り気分を良好にし、身体の痛みを和らげるために温泉地に長期滞在する、あるいはリタイア後の人生を温泉地で過ごす、という高齢者が今後増えてくるのではないでしょうか。太融寺町谷口医院は旅行医学をおこなっている関係で、リタイア後の海外移住の相談をされる患者さんがときどきいますが、案外、海外よりも日本の温泉地の方が快適に過ごせるかもしれません。
(谷口恭)
注1:この論文のタイトルは、「Effect of a 12-day balneotherapy programme on pain, mood, sleep, and depression in healthy elderly people」で、下記URLで概要を読むことができます。
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/psyg.12068/abstract
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|2015年2月27日 金曜日
2015年2月27日 プラセボは「高価な」方が有効
「プラセボ」または「プラシーボ」という言葉はかなり有名だと思います。日本語では「偽薬」つまり、本当は薬でないのだけれど患者さんに薬と偽って処方する薬のことです。不思議なことにこのようなものでも効くときは効きます。(プラセボは英語ではplaceboで、これを無理にカタカナにすると、プラシーボ(シにアクセント)ですが、なぜか日本語の文章では「プラセボ」とされることが多いので、このサイトでもプラシーボではなくプラセボと表記することにします)
同じプラセボでも「高価な薬剤」と言えば高い効果が得られる・・・。
医学誌『Neurology』2015年1月28日号(オンライン版)にこのような研究結果が報告されています(注1)。研究内容は以下の通りです。
研究の対象とされたのは中等度のパーキンソン病の12名の患者です。2つのグループにわけて、一方には「1回あたり100ドル(約12,000円)の新しい薬」と伝え、もう一方には「1回あたり1,500ドル(約180,000円)の新しい薬」と伝え、同じように注射をしています。両方とも注射の中身は単なる生理食塩水です。
その結果、どちらのプラセボも症状改善に有効であり、高価なプラセボは安価なプラセボよりも高い効果が得られた、ことが分かったようです。
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なんだか倫理的に問題のありそうな研究に思えなくもないですが、その後被験者にはその注射がプラセボであったことを伝えたそうです。被験者のなかに、「高価な薬剤だからといって期待はしていなかった」と答えた人が4人いたそうで、この4人では偽薬の効果はあまり出ていなかったようです。
プラセボを上手く使いこなせるのが一流の医者、と昔どこかで聞いたことがありますが、私自身はまだまだその域に達しておらず、とてもそのような芸当はできません。ただ、なんとなくではありますが、医師としての経験が長くなるにつれてプラセボ効果は間違いなくある、というのが実感できるようになってきました。
そういう意味で、私自身は、例えばサプリメントの相談をされたときには「効果が実証できていないだけでなく有害性の報告もありますよ」というような説明をすることが多いのですが、すでに気に入って飲んでいる人には「そのまま続けてもいいのでは」と助言することも少なくありません。
(谷口恭)
注1:この論文のタイトルは「Placebo effect of medication cost in Parkinson disease」で、下記URLで概要を読むことができます。
http://www.neurology.org/content/early/2015/01/28/WNL.0000000000001282.short
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|2015年2月20日 金曜日
第145回(2015年2月) Choosing Wisely(不要な医療をやめる)(中編)
Choosing Wiselyという言葉を日本のマスコミで見聞きしたことはまだありませんが、今後数年以内に取り上げられる機会が増えていくのではないかと私はみています。
というのは、「不要な医療をやめる」べきなのは誰が見ても明らかであり、これに異論のある人などいるはずがないからです。では、なぜ現代の医療がこれほどまで「不要な医療」が多いのでしょうか。
そのキーワードは<念のため>と<利益のため>です。
<念のため>からみていきましょう。前回紹介した頭をぶつけた男の子のお父さんは、「自分の息子が頭をぶつけ痛い痛いといって泣き止まない。もしかすると脳内に出血したかもしれない。そうでないことを祈りたいがきちんと検査をして調べる必要がある」と思い込んだわけです。つまり<念のために>検査をしておきたい、と考えたのです。
医師の側からみてみると、前回紹介した私の先輩医師は「CT撮影の必要はない」と医学的に判断しました。これは自分の診察に自信がないとできないことです。自信のない医師であれば「大丈夫だと思うけど、もしも微小な出血があったらどうしよう・・・。後から訴えられるかもしれないし・・・」という思考になり、「<念のために>CTを撮りましょう」となるのです。
次は行政サイドからみてみましょう。医療費削減のことを考えると、行政としては「少し頭をぶつけたくらいで貴重な保険を使ってCTを撮るのはやめてほしい」と考えます。しかし、例えば保険診療のルールに「重症の頭部外傷でなければ頭部CT撮影をおこなってはいけない」とすることまでは思い切れないのです。重症と軽症の線引きが明確にできるわけではなく、後で医師や患者から「保険のルールが厳しくなければあのときにCTを撮って迅速に診断がつけられたのに・・・。診断が遅れたのは行政の責任だ」と言われることを避けたいわけです。ですから医師が<念のために>CT撮影が判断したと言われるとそれに従うしかないのです。
医療の世界に<利益のため>などという思惑があるなど言語道断だ、と感じるのが普通の感覚でしょう。私もそう思います。しかし製薬会社は民間企業であり、公的機関ではありません。ほとんどの製薬会社は株式会社であり、市場から株を通して資本を集め、その資本で研究開発をおこない薬を製造します。会社は誰のものか、という議論には様々な意見がありますが、経済学的には株式会社は株主のものです。つまり製薬会社は株主から配当と株価上昇を期待されているのです。
しかし、薬というのは「使わないのが最善」です。我々医師がいかに薬を使わないようにするか、減らしていくかを考えているのと同様、本来は製薬会社につとめる人たちも同じように考えていなければなりません。実際、製薬会社の従業員も、自分自身が患者になったときは、薬の使用は最小限にしたいと考えるはずです。
以前にも述べたことがありますが(注1)、製薬会社というのは他の一般の企業とこの点が異なります。一般の企業、それは自動車でも家電製品でも通信でも不動産でも、食品、アパレル、貴金属でもなんでもいいのですが、これらは生活を豊かにするものです。高性能の自動車や高級な食材が売れるのはそれらを手に入れることにより生活が豊かになるからであり(それが「思い込み」や「幻想」という意見はあるにしても)、消費者も売り手も共に満足するものです。市場社会が発展するのはまさにこの点にあります。
一方、薬というのは、可能なら生活の中に入ってきてほしくないものですし、できることなら見たくもありません。薬なしの生活が最善なのです。高級車に乗って流行の衣装でドレストアップして美食に舌鼓をうつ、のが多くの人にとって憧れになるのとは正反対なわけです。車も衣装も欲しくなく質素な生活に幸せを感じるという人もいるでしょうが、そのような人たちも一流品でなくとも自分の気に入った服を買ったり、美味しいものを求めたりはするはずです。
まともな薬剤師であれば、自分たちのミッションが「薬をたくさん飲んでもらうことではなく最小限にすべきこと」を知っています。しかし、これが会社になるとどうでしょう。複数の不正行為が発覚し業務停止に追い込まれたノバルティス社は、「100Bプロジェクト」と命名された社内目標を掲げていたことが報道されました。100Bとは10億の100倍で1,000億を目指すプロジェクトのことだそうです。
繰り返しになりますが、本来、薬というのは最小限でなければならないはずです。1,000億円の売り上げを目標にするというのはその逆を目指しているということにならないでしょうか。
ちなみにノバルティス社は2015年2月に厚生労働省が業務停止処分にすることを決定したことが報道されています。私はこのニュースを日経新聞で最初に知ったのですが、日経の記事には業務停止処分の期間が記載されていませんでした。私は「これだけの問題を起こしたのだから当分は業務停止が解かれないだろう」と勝手に解釈したのですが、これが間違いだということを医師の掲示板で知りました。朝日新聞と毎日新聞では15日程度の処分という記載があるのです。たった15日の業務停止、同社の社員にとっては2週間の特別休暇になるだけじゃないか!という怒りの声がその掲示板には多数載せられていました。そして改めて日経の記事をみると、意図的に、つまり15日では短すぎるではないかという世論をかわすために、ノバルティス社に気を遣ってあえて期間を書かなかったのではないかと疑いたくなってきます。ちなみに産経新聞にも期間の記載はなく、読売新聞には業務停止の記事すら見当たりませんでした(これらの新聞はすべてオンライン版です)。
念のために付記しておくと、私は世の中の製薬会社が悪の中枢と言っているわけではありません。製薬会社のおかげで命が救われている人が大勢いるわけで我々は製薬会社に感謝しなければなりません。
谷口医院に自社製品の情報提供をしにきてくれるMR(製薬会社の営業のこと、以前はプロパーと呼ばれていました)は、私が考えていることを理解してくれています。過去に二度と顔を見たくないと感じたMRもいますが彼(女)らは、「どんな理由でもいいから薬買ってください」という対応をしてきます。もちろんこんな言葉は直接は使いませんがそこには「薬は患者さんのために」という視点が抜けています。一方、現在谷口医院に定期的に来られるMRの人たちは、私が必要とする情報、つまり患者さんにとって有益な情報を届けてくれます。また、薬局で勤務するまともな薬剤師は、薬を無理に売るようなことはしません。「町の健康相談員」のような存在となり地域で頼りにされている薬剤師も少なくないはずです。
私が最も懸念しているのは製薬会社でもなく薬局でもなく「ネット業者」です。ここに名前は出しませんが、そのサイトでは副作用の注意が充分に必要な薬がごく簡単に買えて翌日には自宅に届けられます。私には、こういったネット業者が購入者の健康のことを第一に考えているとは到底思えず<利益のため>だけにやっているのではないかと考えずにはいられないのです。
一方、医療機関は<利益のため>に診療をしているわけではありません。たしかに、例えば、必要のない手術をおこない患者さんを死亡させ2009年に院長が逮捕された奈良県大和郡山市のY病院などのような特殊な医療機関が存在したのは事実ですし、もしかすると現在でも同じような<利益のため>に患者さんに不要な検査をしたり薬を出したりしている悪徳病院があるかもしれません。
もちろん、ほとんどの医療機関は<利益のため>ではなく、いかに患者さんの負担を減らすかを考えています。しかし、この点が一部の患者さんからは誤解されており、ここから医師・患者間のコミュニケーションに齟齬が生まれます。私が患者さんから言われる言葉で最も疲れるのは、「お金を払うって言っているのに何で検査してくれないの!」というものです。なぜ患者さんからこのような言葉が出るかというと、この人は「検査をしたら医療機関の利益にもなるでしょ」と考えているからであり、こういう患者さんは医療機関も<利益のため>に診療をしていると考えているのです。
次回は、Choosing Wiselyの具体例を当院での実際の症例に基づいて紹介し、前回取り上げた子どものCTを執拗に迫る父親にはどのように理解してもらうか、といったことについて述べたいと思います。
注1:下記コラムを参照ください。
メディカル・エッセイ第135回(2014年4月)「製薬会社のミッションとは」
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|2015年2月20日 金曜日
第138回(2015年2月) 不眠症の克服~睡眠時間が短い国民と長い国民~
その昔、誰に聞いたかは忘れましたが、それは学校の先生か、塾の先生か、あるいは勉強のできる友達か先輩あたりだと思うのですが「四合五落」という言葉を教えてもらいました。これは、受験生は四時間の睡眠時間なら合格できるけれど五時間も眠れば落ちる、という意味です。
この言葉は私が高校を卒業してからは一度も聞いていないので、すでに「死語」になっているのではないでしょうか。今、このような言葉を生徒に教えている教師がいるとすればそれは問題です。
私自身は「四合五落」という言葉を心底から信じたわけではありませんが、高校三年の終盤、受験勉強を初めて真剣にやりだした時は睡眠時間が五時間を越えないように努めていた記憶があります。もっとも、私の場合、無理をして睡眠時間を短くしていたわけではなく、中学・高校とラジオの深夜放送にはまっていたために、中一の夏頃にはすでに連日が睡眠不足という日々が続いていました。中高時代はその生活に慣れてしまっていて、五時間の睡眠時間でも、日中に(つまり授業中に)30分程度の昼寝をすれば、それほど苦痛ではありませんでした。
ただ、もう一度人生をやり直せるとしたら、今度はもっと睡眠をとるような生活を心がけます。「寝る子は育つ」が事実だということを知ったのは私が医学部に入学してからで、このときに10代の頃毎日深夜まで起きていたことを後悔しました。私の身長は172cmでこれは中3から止まったままです。もしもしっかり睡眠を取っていたらあと5cmは伸びたかな・・、といった空想をときどきしてしまいます。もっとも、私が中学・高校時代を過ごした1980年代はラジオの深夜放送の全盛期であり、タイムスリップしたとしてもやっぱり同じことをしてしまうかな・・・、などとも考えてしまいます。
話をすすめましょう。睡眠は1日に何時間くらいが適切か、というのは誰もが考えたことがあり、過去に多くの考察があります。だいたいは、7時間程度が適切だが個人差がある、といった内容のものが多く、経験的にも、そんなものかな・・、という感じがします。しかし、科学というのはもっときちんとしたものでなければなりません。
医学誌『Sleep Health』2015年2月2日号(オンライン版)に、NSF(National Sleep Foundation、和訳すると「米国睡眠財団」くらいになるでしょうか)と呼ばれる組織が、これまでの研究を総括するような睡眠時間の勧告をおこないました(注1)。
専門家たちからなる研究チームは、これまでに報告されている多数の論文を拾い上げ、合計575本の論文を吟味し、最終的に科学的に有用と判断された312の論文を解析しています。これだけ大規模な研究ですから、信憑性はかなり高いといえると思います。
結果は年齢別に公表されています。14~17歳では、最適睡眠時間は8~10時間で、これより短くても長くても適切でない、とされています。18~64歳では7~9時間、65歳以上では7~8時間です。18歳でも7時間以上は必要なわけで、昔の大学受験生が聞かされていた「四合五落」などというのは完全な誤り、ということになります。
「四合五落」といった馬鹿げた言葉があるのはおそらく日本だけでしょう。では、世界各国ではどれくらいの睡眠時間を取っているのでしょうか。OECD(経済協力開発機構)が興味深いデータを公表しています(注2)。各国の平均睡眠時間が比較されているのです。
このデータによりますと、OECD加盟国の平均睡眠時間が8時間19分で、日本は7時間43分とかなり短く順位は下から2番目です。ちなみに最も睡眠時間が短いのは韓国で7時間41分ですが、全体からみれば日本と韓国の二国が群を抜いて短い睡眠時間であることが分かります。
一方、睡眠時間が多いのは、このデータではニュージーランドの8時間46分ですが、南欧はどこも多いようです。どこで聞いたかは忘れましたが、世界一睡眠を大切にする国はフランス、という言葉を耳にしたことがあります。そこでフランスをみてみると8時間29分とやはり長いようです。
このサイトで何度か「フレンチ・パラドックス」について述べたことがあります。フランス人は脂っこい料理をよく食べておまけに喫煙率も高いのに心筋梗塞などの心疾患の罹患率が少ない、というものです。一部の学者は統計の取り方に問題があり、フランス人に心疾患が少ないわけではない、すなわちフレンチ・パラドックスは存在しない、と言いますが、依然フレンチ・パラドックスを支持する意見も多数あります。またフランス人は肥満が少ないというデータがありこれは客観的な事実です(注3)。
フレンチ・パラドックスが生じる理由に赤ワインが指摘されることがありますが、私は「何を食べるか何を飲むかではなく、ゆっくりと食べることが健康にいいのでは?」という自説を述べました(注4)。
私はフレンチ・パラドックスの本当の理由としてもうひとつ、「睡眠時間の長さ」があるのではないかと考えています。私がこれまでに接したフランス人はそれほど多くはありませんが、彼(女)らは「よく眠れたか」など睡眠に関する話題をよく口に出します。フランスベッドが高級品であることからも分かるように、フランス人は睡眠時間だけでなく睡眠の質にこだわります。
健康を維持する秘訣として、私が以前から提唱しているのは「3つのE」です(注5)。これは「3つのEnjoy」と覚えてほしいのですが、Early-morning wake up(早起きして質のいい睡眠を確保する), Exercise(運動), Eating(食事)です。Early-morning wake upは、早く起きることそのものよりも重要なのは毎日同じ時間に起きて同じ時間に眠る、ということです。フランス人は、これができて、食事もゆっくりと食べることで健康を維持できているのでは、というのが私の考えです。
以前フランスに詳しいある人(日本人男性)から興味深いことを聞きました。その男性は強靱な肉体を維持していて自衛隊に入隊していたこともあるそうなのですが、フランスで街を歩くと、ヒールを履いた女性に追い抜かされるというのです。つまりフランス人は速く歩くことによって効果的な運動(Exercise)もできているというわけです。歩く速さは大阪が世界一とどこかで聞いたことがあるのですが、フランス人の歩く速度は大阪人よりも速いのでしょうか。ちなみにこの日本人男性によると、フランス人(特に女性)に抜かれることと、犬の糞があまりにも多いことがフランスの歩道の特徴だそうです。
以上をまとめると、フランス人は、睡眠、食事、運動のすべてにおいて健康的ということになります。OECDのデータによると、フランスの平均寿命は82.1歳(2012年)で、これは、日本、アイスランド、スイス、スペイン、イタリアについで第6位になります。もしもフランス人の喫煙率が下がればもっと伸びるのではないでしょうか。(尚、ここで詳しい言及は避けますが、日本人の平均寿命が長いのは「寝たきり」が多いからであり、健康年齢でみると海外諸国よりも短いのでは?という意見もあります)
さて、問題はここからです。18歳以上は7時間以上の睡眠が必要、と言われても、残業時間の多い人などは物理的にそんなに睡眠時間を確保できないと考えるでしょう。また、時間を確保できたとしても眠りたいのはやまやまだが眠れなくて困っている、という人もいるでしょう。
眠れないなら睡眠薬、という考えは間違いです。実際、医療機関では「眠れないから睡眠薬を処方してください」という患者さんに、「はい。では出しましょう」と簡単に睡眠薬を処方するわけではありません。まずは、薬なしで睡眠がとれる生活習慣の指導から始まります。次回はそのあたりをお話したいと思います。
注1:この論文のタイトルは「National Sleep Foundation’s sleep time duration recommendations: methodology and results summary」で、下記URLで全文を読むことができます。
http://www.sleephealthjournal.org/article/S2352-7218%2815%2900015-7/fulltext
注2:OECDのこのデータは下記で参照することができます。
http://www.oecd.org/gender/data/balancingpaidworkunpaidworkandleisure.htm
注3、注4:詳しくは下記コラムを参照ください。
メディカルエッセイ第142回(2014年11月)「速く歩いてゆっくり食べる(後編)」
注5:逆にすぐにでもやめるべきなのは「3つのS」です。詳しくは下記コラムを参照ください。
メディカルエッセイ第129回(2013年10月)「危険な「座りっぱなし」」
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|2015年2月10日 火曜日
2015年2月号 神戸の貴婦人と小さな幸せ
たしか阪神大震災から半年くらい過ぎた頃だと思うので1995年の夏頃でしょうか。新聞か雑誌のコラムで被災したひとりの女性のことが取り上げられていました。
その女性は、たしか40代か50代で、裕福な家庭に育ったものの身内の不幸が相次ぎ独りで暮らしていたそうです。そこに震災が起こり自宅まで失ってしまいます。その女性をひとりの記者が取材をしてコラムを書いていたのです。
その記者によると、震災前に家族をなくし震災で家までなくしたその女性は、悲しい顔を一切見せず、それどころか澄んだ瞳で「家は全壊したけれどあたしはこのとおり元気よ。神様に感謝しなくちゃ」とこのようなことを言ったそうなのです。そして始終笑顔で被災者の人たちのケアをしているというのです。被災者の人たちに何ができるだろうか、と考えて被災地に乗り込んだこのジャーナリストが被災者であるこの女性に逆に元気づけられた、といったようなことが書かれていました。
私はこの記事を読んだとき、それなりには感動したと思うのですが、何度も反芻したわけではなく、しばらくするとすっかり忘れ去っていました。
2005年のある秋の日、ある病院の当直室。時間は深夜0時頃のことです。その頃私は極度の疲労感を引きずっていました。当時の私は、タイのエイズ施設に関わっており、数ヶ月に一度はタイに渡航しボランティア活動をおこなっていました。一方、日本では大学の総合診療部の医局に所属し、文字通り休日ゼロで仕事をしていました。「仕事」といっても当時の私はまだまだ勉強しなければならないことが多く、複数の医療機関で無給の修行をさせてもらっていた、というのが実情です。
しかし、完全に「無給・無休」では生活ができませんし、タイの施設に支援もできません。そこで、週に何日かは短時間の外来のアルバイトや病院の当直のアルバイトをおこなっていました。その秋の日は、午前中は大学病院で自分の外来をおこない、午後は他の先生の外来を見学させてもらい夕方は会議に出席していました。その後、大阪の郊外のある病院で当直のアルバイトをおこなっていたのです。
アルバイトとはいえ、その日のその病院の当直医は私ひとりです。夜間の救急外来にやってくる患者さんはすべてひとりで診なければなりませんし、入院中の患者さんが急変したときにもひとりで対処しなければなりません。結果として軽症であったとしても何かあれば患者さんは看護師経由で医師を呼びますから当直室でゆっくりすることはできません。
その日の私は疲労がピークに達していました。夜間に外来にやってきた捻挫の患者さんに対する処置を終え当直室に戻ると、何もする気が起こらず床にしゃがみこんでしまいました。元気のある時なら、かばんの中に入っている医学の教科書を取り出すのですが、どうしてもそのような気にはなれません。
ふと棚に目をやると昔なつかしい紅茶のパックが置かれていることに気付きました。その横にはお湯の沸いたポットがあります。私は紅茶よりもコーヒーが好きなので、この病院でポットを利用するのはインスタントコーヒーを飲むときとカップラーメンをつくるときだけです。紅茶のパックは私がいつも飲んでいるインスタントコーヒーのすぐ横に置かれていたのですが、このときまで存在に気付いていませんでした。
たまには気分をかえて紅茶を飲んでみよう。そう思った私は紅茶のパックをカップに入れお湯を注ぎ、スティックの砂糖を入れてかきまぜました。このとき私の鼻腔にふわっと広がった温かく清涼感にあふれた香り・・・。がむしゃらに走り続けようとする私はこの香りに呼び止められたような気がしました。そして、冒頭で述べた被災地の女性のことをなぜか思い出したのです。
たった一杯の紅茶、それも高級品ではなく、私が小学生の頃に自宅にあったのと同じ紅茶です。子どもの頃何気なく飲んでいた紅茶がこんなにも心を落ち着かせてくれるとは・・・。一杯の紅茶を味わって飲むと、現在の私自身が非常に恵まれていることに気付きます。まず健康であり、日々勉強することができて、患者さんから感謝の言葉をもらい、そしてタイにいるエイズに苦しむ人たちにほんの少しではありますが貢献しています。貯金はほぼゼロで、それどころか奨学金の返済も随分と残っていましたが、若いうちはお金などなくてもなんとでもなります。
きっと、あの被災地の女性も同じようなことを思ったのではないだろうか・・・。そのとき私はそう感じたのです。家族を亡くし、自宅が全壊し、着るものもなくなった。けど自分は生きている、身体も動く、自分より困っている人に少しとはいえケアをすることさえできる。だから自分は幸せなんだ・・・。その女性はそう感じたのではないかと思えてきたのです。
それ以降私はこの女性のことを「神戸の貴婦人」と勝手に名付けています。いくら私の記憶がいい加減でも、この記事自体のことを私の脳が作り上げたとは思えませんから、ジャーナリストがこの記事を書き、取材をうけたこの女性が実在したのは間違いないと思います。阪神大震災から今年(2015年)で20年が経過しますから「神戸の貴婦人」は今60~70代くらいでしょうか。
病院の当直室での一杯の紅茶のこの出来事があってから、私は辛いことがあると「神戸の貴婦人」を思い出すようにしています。そして辛いことがあると、一杯の紅茶のような「小さな幸せ」を探すようにしています。
私が日々診ている患者さんのなかには「生きていても何もいいことがない・・・」と言う人がいます。うつ病がある程度進行している人の場合は、まず休養をとり、場合によっては抗うつ薬や専門のカウンセリングが必要になりますが、軽症の人であれば、「日々の生活のなかで少しでも幸せなものを見つけてみませんか」とアドバイスすることがあります。
ある患者さんは、いつも行くコンビニで店員さんにこちらから「おはようございます」と声をかけると笑顔で「おはようございます」と返してくれたんです、と言って喜んでいました。ある患者さんは、朝の散歩できれいな朝日をみてその日一日気分が良かったと話していました。
反論もあるでしょうが、私自身は「人生は辛いことが大半であり、幸せなことはわずかしかない」と考えています。こんな私は悲観論者になるのかもしれませんが、それが故に「小さな幸せ」が心を落ち着かせてくれることを知っているのです。
私は2014年1月から左腕が不自由になり、2014年8月に手術を受けました。現在は少しずつ回復していて、手術直後は茶碗を持つことすら覚束なかったのが、現在は手は震えるものの「吉野家」の牛丼並盛りの丼が持てるようになってきました。少しの時間でも左手で丼を持てることがどれだけ嬉しいことか・・・。これも「小さな幸せ」です。
私がよく利用する吉野家では2014年11月から3ヶ月間、カードにスタンプを貯めれば吉野家特製の茶碗がもらえるというキャンペーンがおこなわれていました。なんとしてもスタンプを貯めて茶碗をもらいたい、と考えた私は11月からちょこちょこと吉野家を利用するようにして、ついに1月末に7つのスタンプが貯まり念願の特製茶碗を手に入れました。ただ、私は牛丼を頼んだときに出てくる丼鉢そのものがもらえると勘違いしていて、実際にもらったのはミニサイズの茶碗でした。しかしそれでもあの模様が入った茶碗を手に入れた幸せ感はもしかすると「小さな幸せ」以上のものかもしれません。
なんだか最後は自慢話みたいになってしまいました・・・。一杯の紅茶で小さな幸せを見つけたことから、昔新聞か雑誌で読んだ「神戸の貴婦人」のことを思い出し、その後は辛くなると「小さな幸せ」を探すようにしている、ということが今回言いたかったことです。
日常を振り返ってみると「小さな幸せ」はいろんなところに転がっています。普段はなかなか気付きませんし気付いたとしても照れくさくて口には出せませんが、家族がいる人は家族の笑顔を見ることも幸せなことです。日頃、家族と離れて暮らしている人や家族がいない人でも、何気ない日常を見渡してみると意外なところに「小さな幸せ」がきっと埋もれているはずです・・・。
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|2015年2月6日 金曜日
2015年2月6日 男性の喫煙は痛風を抑制
私は元喫煙者ですが、現在の立場は「すべての人が禁煙すべき」というものです。自分が喫煙していた頃は、禁煙推進者から「タバコには何のメリットもない」と言われると、「わずか5分間でリラックスできることと、喫煙所で友達ができることは明らかなメリットだ!」と反論していたのですが、医師になってからはこのようなことも言わなくなりました。
喫煙が身体にも精神にも有害だとする研究が相次ぎ、誰もが禁煙すべきというのは自明でしょう。しかし科学は公平でなければならず、盲目的になってはいけません。喫煙が身体に良いという研究があれば伏せてはいけないのです。
男性の喫煙は痛風の発症を抑制する・・・
この意外な結論が導かれた研究が医学誌『Rheumatology』2015年1月号(オンライン版)に掲載されました(注1)。
この研究は、研究開始時に痛風をおこしたことがなかった米国人の男性2,279人と女性2,785人を対象とし、1948年~2002年となんと最長54年間もの追跡データを解析しています。この間に痛風を発症したのは合計399人(男性249人、女性150人)です。発症者を喫煙者と非喫煙者に分けて発症率を分析したところ、全体(男女合算)では、喫煙者の発症リスクは非喫煙者の0.76倍と、なんとタバコを吸うことにより24%もリスクが低減されるという結果がでたのです。
これを男女別々で分析すると、男性ではリスクが0.68倍、女性では0.92倍と、女性よりも男性で有意にリスク低下があることが判ったのです。
*************
この研究に影響を受けて痛風発作を起こしたことがある人が喫煙を開始する、などということはあってはならないことであり、この論文の執筆者も喫煙をすすめているわけでは決してありません。
しかし、禁煙を開始した人が、その後尿酸値が高くなり痛風発作を起こすリスクがあるというふうには考えるべきでしょう。禁煙を開始するとほとんどの人は食欲が亢進し、一時的ではありますが体重が増えます。すると高血圧、高血糖、高脂血症という生活習慣病のリスクが上昇します。尿酸値も上がるのであれば、禁煙後の健診は非常に大切になってきます。もちろん一時的にこれらの数値が上昇したとしても、禁煙をおこなうことで生活習慣病のリスクが大きく下がることが最も重要なことです。
尚、なぜ喫煙で痛風が抑えられるかというメカニズムについては、プリン体から尿酸が生成されるときに必要となる「キサンチンオキシダーゼ」という酵素が、喫煙により不活化されるからではないかと考えられます。
(谷口恭)
注1:この論文のタイトルは「Cigarette smoking is associated with a reduction in the risk of incident gout: results from the Framingham Heart Study original cohort」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://rheumatology.oxfordjournals.org/content/54/1/91.abstract?sid=5c8d98e7-c04e-4eec-b3a8-002a2714ffe2
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