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2024年9月6日 金曜日

2024年8月29日 エムポックスよりも東部ウマ脳炎に警戒を

 2年ぶりにエムポックスが大きな流行を見せたということで、一部の世論が大騒ぎしているようですが、たとえ海外渡航が多い人でも現時点ではそう心配する必要はありません。一方、現在米国に渡航するなら最大限の警戒をしなければならないのが東部ウマ脳炎です。

 まずはエムポックスからみていきましょう。「2022年に流行したタイプと異なり、重症型が流行り出した」と世間では言われているようですが、これは必ずしも正しくありません。報道論文から下記にエムポックスを分類してみます。

 「クレード」という言葉は「タイプ」と考えてもらって差支えありません。また、DRCはコンゴ民主共和国のことなのですが、この言い方は西隣のコンゴ共和国と混乱してしまいますから、ここではDRC(=Democratic Republic of the Congo)とします。なお、この国のかつての名称「ザイール共和国」の方が今も名は通っていると思います。

クレードⅠa:DRCの中央部から西部で以前より報告がある。小児に多く重症化する。致死率は10%とも言われている

クレードⅠb:DRCの東部で比較的最近流行が始まり、これが現在世界のメディアで話題になっている。感染者のほとんどが成人で、性感染による。感染者の1/3が女性のsex worker。致死率は0.6%と低い。現在、DRCのみならず隣国の ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、さらに隣国のケニアに広がり、感染した旅行者がスウェーデンとタイで発覚

クレードⅡ:2022年5月ナイジェリアより広がったタイプ。世界116ヵ国で以上約10万人感染し208人が死亡。ゲイが多数。致死率は3.6%とされる

 「2年前のタイプと異なり、今流行しているタイプは恐ろしい」と言われていますが、こうやって数字をみてみると、むしろ2年前のタイプ(クレードⅡ)よりも致死率が低いことが分かります。ただし、この疾患はまだまだ分かっていないことが多く、そもそもアフリカ諸国の統計がどこまで正確か、という問題があります。また、クレードⅠaの致死率が高いのは、死亡者が「不衛生な環境に置かれた小児」であることを考慮しなければなりません。

 目下のところ、エムポックスは、性的接触などヒトとの濃厚な接触に注意していれば充分だと思われます。ただし、2年前とは異なり「男性・男性間」だけでなく、その他の”組み合わせ”の場合も気を付けた方がいいでしょう。

 あまり注目されていないようですが、現在最も注意しなければならない感染症のひとつが(米国に渡航した場合ですが)、東部ウマ脳炎です。この感染症、感染すれば極めて重症化します。致死率は33%、助かっても何らかの後遺症を残すと言われています。

 感染経路は「蚊」です。蚊対策といえば東南アジアや中南米でのデング熱などの対策が重要なことは有名ですが、実は北アメリカの東部でも必要になります。

 最近、米国マサチューセッツ州で夜間外出禁止令(curfew)が発令されました。同州は東部ウマ脳炎の好発地区で、報道によると、同州で2019年から2020年にかけて東部ウマ脳炎を発症したのは17人、うち7人が死亡しています。
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 新型コロナウイルスの流行が終わり、入れ替わるようにデング熱が猛威をふるっています。蚊対策は思いのほか面倒で「蚊対策が大変だから渡航先を変える」という人もでてきています。米国は安心だと思われていますが、一部の地域では蚊のせいで「夜間外出禁止令」が出されているのが現状です。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2024年9月5日 木曜日

2024年8月4日 いびきをかけば認知症のリスクが低下?

 意外な研究結果です。一般には「ない方がいい」とされているいびきが「あれば認知症のリスクが低下する」というのです。

 医学誌「Sleep」2024年6月29日号に掲載された「いびきと認知症のリスク:前向きコホートおよびメンデルランダム研究(Snoring and risk of dementia: a prospective cohort and Mendelian randomization study)」です。

 研究の対象は英国のデータベース(UK Biobank)に登録された451,250人で、自己申告によるいびきの有無と認知症との関係が調べられました。フォローアップ期間が中央値で13.6年で、その間に8,325人が認知症を発症しました。

 結果、驚くべきことに、いびきをかく人は認知症全体のリスクを7%、アルツハイマー病のリスクを9%低下させることが分かったのです。特に、高齢者とApoEε4をホモで持つ人(遺伝的にアルツハイマー病のリスクが最も高い人)でその傾向が強いことも分かりました。

 メンデルランダム研究という方法で解析すると、アルツハイマー病は体重と関係がある(やせている方が発症しやすい)ことが分かりました。

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 この研究には注意が必要です。一般に体重は重いほどいびきをかきやすくなります。そして、一般にアルツハイマー病では体重が減ってきます。ということは、いびきをかくから認知症のリスクが低いのではなく、認知症になったから体重が減って、その結果いびきが少ない、ということなのかもしれません。

 つまり、若い頃からいびきをかく人が認知症のリスクが低いのではなく、高齢者でいびきが少ないということは体重が減ってきている可能性があり、その体重減少が認知症によるものかもしれないわけです。

 そもそもいびきを伴う閉塞性睡眠時無呼吸症候群は認知症のリスクになることは明らかです。つまり、いびきをかく人は認知症のリスクが少ないと喜ぶのではなく、そのいびきが閉塞性睡眠時無呼吸症候群のサインではないかという点に注意しなければなりません。

 ただし、すべてのいびきが閉塞性睡眠時無呼吸症候群と関係があるわけではありません。いくら音が大きくてもそのいびきが規則的であればまず心配いりません。他方、音が小さくても不規則ないびきや呼吸停止があるようなきちんと検査をすべきです。最近は、保険診療で簡単に夜間の計測ができるようになりましたし(当院でも実施しています)、(AppleWatchやAura ringなどの)ウェアラブルデバイスで睡眠の状態を調べることもできます。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2024年9月5日 木曜日

2024年7月27日 べンゾジアゼピンは脳を萎縮させる

 これまで繰り返し紹介してきているように、ベンゾジアゼピンの長期使用は認知症のリスクになるのかならないのかは研究によって結果が分かれています。過去の医療ニュース「やはりベンゾジアゼピンは認知症のリスク」で紹介した大規模調査では、認知症のリスクが1.51倍となります。他方、リスクが上がらないとする研究もあります。

 今回紹介する研究も、一応は「ベンゾジアゼピンは認知症のリスクを上げない」とされています。しかし同時に、「脳を萎縮させる」という結果が出ています。

 論文は「BMC Medicine」2024年7月2日号に掲載された「ベンゾジアゼピンの使用と長期的な認知症リスクおよび神経変性の画像検査との関連:人口ベースの研究(Benzodiazepine use in relation to long-term dementia risk and imaging markers of neurodegeneration: a population-based study)」です。

 研究の対象者はオランダ人の男女5,443人(平均年齢70.6歳、女性57.4%)です。対象者のなかで2,697人(49.5%)が、調査開始前15年間のいずれかの時点でベンゾジアゼピン系薬剤を使用していました。平均11.2年間の追跡期間中に726人(13.3%)が認知症を発症していました。

 これらを分析した結果、ベンゾジアゼピンの使用で認知症発症リスクは統計学的には上昇していませんでした。

 しかし、脳MRIを調査した結果、ベンゾジアゼピンの使用により、海馬、扁桃体、視床が萎縮することが判りました。また、ベンゾジアゼピンを使い続けると、海馬が加速度的に委縮し、さらに扁桃体も海馬ほどではないにせよ萎縮していることが判りました。

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 認知機能が統計学的に低下していなかったとしても、ベンゾジアゼピンの使用により記憶を司る海馬が萎縮することがはっきりしたわけです。

 やはり、ベンゾジアゼピンは初めから使わないのが最善であり、使用せざるを得ないにしても「依存性が強く、認知症リスクも否定できず、海馬は萎縮する」ということを認識した上で開始すべきです。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2024年9月5日 木曜日

第252回(2024年8月) 乳がんの遺伝子検査を安易に受けるべきでない理由

 前回は、乳がんは病理学的に次の5つに分類することができ、予後の良さ(治りやすさ)は#1>#2>#3>#4>#5であると述べました。

#1 ルミナールA(+HER2陰性)の乳がん
#2 ルミナールB+HER2陰性の乳がん
#3 ルミナールB+HER2陽性の乳がん
#4 ホルモン受容体陰性でHER2陽性の乳がん
#5 トリプルネガティブ乳がん(ホルモン受容体もHER2も陰性)

 今回は、乳がんの「遺伝性」についての話をしましょう。遺伝性か遺伝性でないかという視点は、上記の病理学的なものとはまた別の分類となります。#3のトリプルネガティブに遺伝性が多いのは事実ですが、ホルモン受容体陽性乳がん(ルミナールA,B)やHER2陽性乳がんにも遺伝性のものがあります。尚、米国の乳がんの関連サイトによると、遺伝性の乳がんは乳がん全体の5~10%を占めています。

 遺伝性乳がんのほとんどがBRCA1またはBRCA2という名の2つの遺伝子の変異に関連しています。同サイトからポイントをまとめてみます。

・BRCA1遺伝子に変異がある女性は70歳までに乳がんを発症するリスクが50~70%

・BRCA2遺伝子の場合は40~60%

・BRCA1またはBRCA2遺伝子の変異に関連する乳がんは、若い女性に発症する傾向があり、両側の乳房に発生しやすい

・BRCA1またはBRCA2遺伝子に変異を持つ女性は、乳がんのみならず、卵巣がん、結腸がん、膵臓がん、悪性黒色腫を発症するリスクも高い

・BRCA2遺伝子に変異を持つ男性は、80歳までに乳がんを発症するリスクが8%。これは男性全体に比べて約80倍のリスク増

・BRCA1遺伝子に変異を持つ男性は、前立腺がんになるリスクがわずかに高くなる。BRCA2 変異を持つ男性は、変異を持たない男性に比べて前立腺がんを発症する可能性が7倍高い。皮膚がんや消化管がんなどのリスクも、BRCA1またはBRCA2遺伝子に変異を持つ男性の方がわずかに高い

・小児および青年のBRCA2遺伝子の変異は、非ホジキンリンパ腫のリスクが高い可能性がある

 「乳がんは検診が重要なことは分かったけれど、遺伝性のタイプに注意すべきなら、遺伝子検査を先にすればいいんじゃないの?」という質問がときどきあります。これは「がんの早期発見だけ」を考えるのならまったくその通りです。

 遺伝性の乳がんのリスクがあるということは、同時に卵巣がんのリスクもあることを意味します(双方に生じるがんを「遺伝性乳がん卵巣がん(Hereditary Breast and Ovarian Cancer = HBOC)」と呼びます)。前回述べたように、乳がんには有効な検診(スクリーニング検査=マンモグラフィーか超音波検査)がありますが、卵巣がんには早期発見に適した検診がありません。

 有用な検診がないということは「早期発見は困難」であることを意味します。ならば、遺伝的に乳がんと卵巣がんに罹患しやすいのか否かを、あらかじめ遺伝子検査により知っておくことは有益だと考えられます。

 BRCA1またはBRCA2遺伝子の変異は常染色体優性遺伝(最近は「優性」ではなく「顕性」とされることもあります)です。つまり、父・母のいずれかに変異があれば50%の確率で子供に遺伝します。男子に遺伝した場合、乳がんを発症する可能性は女性に比べるとかなり低いのですが、その男性に娘がいればやはり乳がんや卵巣がんのリスクが高くなります。

 では、BRCA遺伝子に変異がある(=乳がん・卵巣がんのリスクが高い)人はどれくらいの割合で存在するのでしょうか。これについては、だいたい人口の0.1~0.2%程度とされています。人種で偏りがあり、一部のユダヤ人(アシュケナージ系ユダヤ人)では2~2.5%に変異があり、アイスランド人、スウェーデン人、ハンガリー人にも多いとされています。

 日本人は世界平均と同等、つまり0.1~0.2%程度であろうと言われていますが、家族歴がある場合(血縁者に乳がんや卵巣がんを発症した人がいる場合)は10~20%に達するとする報告もあります。ならば、血縁者に乳がん・卵巣がん患者がいる場合はもちろん、家族歴がない場合でも、将来のがんのリスクを知るために誰もが調べるべきではないか、という考えがでてきます。その考えは見方によっては正しいと思いますが、実際には日本ではほとんど普及していません。その理由のひとつは「高すぎる費用」にあります。少なく見積もってもこのような検査は20~30万円ほどします。

 しかし、将来のがんのリスクを知ることができるのならこの程度なら検査を受けたいと考える人もいるでしょう。さらに、もしも陽性ならがんを発症していなくても乳房と卵巣を先に取ってしまえばいいではないか、という考えがでてきます。そして、これを実践した人のなかでおそらく最も有名なのがアンジェリーナ・ジョリーです。未発症の臓器を切除したアンジェリーナ・ジョリーのこの行動には賛同する声が多い一方で、発症するかどうか分からない臓器を摘出することには医療倫理的な問題があるとする意見もあります。

 乳房を切除すれば乳房形成術が必要になり(不要とする考えもあるかもしれませんが)、これには保険適用がありません。卵巣を切除すれば女性ホルモンの分泌がなくなりますからホルモン補充療法をその後かなり長期間続けなければなりません(この費用も保険適用にならないとされています)。現時点では、20~30万円近くのお金を払って遺伝的リスクを調べるべきか否か、検査した結果BRCA遺伝子の変異がみつかればがんを発症していなくても臓器を切除すべきかどうかは個人の判断に委ねられています(ただし、日本でがん未発症の臓器摘出をしたという話は聞いたことがありません)。

 この遺伝子検査が保険で受けられることもあります(その場合6万円ちょっとだったはずです)。例えば、45歳以下の乳がん、60歳以下のトリプルネガティブ、2個以上の乳がん、近親者に乳がんか卵巣がんの患者がいる、男性の乳がん、などの場合は該当します。

 ただし、高額の費用を捻出できたとしても、あるいは保険適用があったとしても、この検査は安易に受けるべきではない、と当院では言い続けています。遺伝子の検査は必然的に血縁者に影響を与えます。例えば、あなたが(乳がんを発症していたとしてもしていなかったとしても)BRCA遺伝子に変異があったとしましょう。すると、その時点であなたの兄弟・姉妹も50%の確率で変異があることが決定してしまいます。

 例えば、あなたに妹がいたとして、妹がそれを知れば結婚や出産をためらうことはないでしょうか。あるいはあなたにすでに子供がいる場合、子供の人生に影響が及ばないでしょうか。弟がいた場合、その弟ががんを発症する確率はそう高くありませんが、その弟に娘がいた場合、娘の将来の発がんリスクが上昇します。この検査をするときはそこまで考える必要があります。実際、当院の患者さんのなかにも「妹に不安を与えたくないので検査をしない」という選択をした乳がんの患者さんもいます。

 治療の話にうつりましょう。ホルモン受容体陽性乳がん(ルミナールAまたはB)はホルモン剤が良く効きます。通常はホルモン剤で小さくしてから手術をおこないます。このタイプは他のタイプに比べて予後良好(治りやすい)とされています。HER2陽性乳がんの場合は、HER2タンパクを標的とする抗HER2薬を投与した上で手術をします。抗HER2療法が実施されるようになったのは21世紀になってからで、この治療法の登場により劇的に予後がよくなったと言えます。

 一方、トリプルネガティブの場合はホルモン剤や抗HER2薬は使われずに抗がん剤が使用されます。この場合、抗がん剤がよく効くこともあればあまり効かないこともあります。

 ここで話は(前回に引き続き)再び小林麻央さんに戻ります。まったくの私の推測ですが、小林麻央さんが「標準治療」を受けなかったのはトリプルネガティブであったからであり(つまりホルモン剤や抗HER薬が使えなかった)、抗がん剤の否定的なイメージから使用を躊躇したのではないでしょうか。実際、世間ではトリプルネガティブには「予後不良」というイメージがつきまとっているようで、当院の患者さんや相談メールを寄せてくる人からそのようなコメントを聞くことがしばしばあります。

 ですが、トリプルネガティブに対して抗がん剤を試す価値は充分にあります。発見が早期であればあるほど抗がん剤の効果が期待できます。抗がん剤の早期使用でがんを小さくすることができれば、トリプルネガティブであったとしても手術でがんを取りきることが期待できるのです。前回も述べたように、早期発見ができていれば(≒Ⅰ期の段階で発見できれば)、トリプルネガティブの5年生存率は9割とも言われています。

 乳がんも他のがんと同様、早期発見につとめることが重要であり、もし発見が遅れたとしてもその時点で最善の治療を検討すべきです。当院では(私は)がんに対する標準治療以外の治療(サプリメントや食事療法など)をすべて否定しているわけではありませんが、こと乳がんに関していえば、薬(ホルモン療法、抗HER2療法、抗がん剤)+手術(+放射線治療)を推奨します。もしも発見が遅れ「手遅れ」と言われた場合は、残りの人生をどのように過ごすべきなのかを患者さんと共に考えていくことになります。

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2024年9月5日 木曜日

2024年8月 谷口医院が「不平等キャンペーン」を手伝うことになった経緯

 すでに2024年7月号の「GINAと共に」でも述べたように、ついに谷口医院も(すでに一部の人からは)悪名高い「不平等キャンペーン」に手を貸すことになりました。

 まずは、このキャンペーンの概要を説明し、その上で何が不平等なのかを、実際に過去に当院に寄せられた”クレーム”を通してみていきたいと思います。

 キャンペーンの内容は「HIV、梅毒、B型肝炎の検査を行政のお金(税金)を使って無料でおこなう」もので、一見気前のいいキャンペーンに思えます。不平等なのは「ただし、この検査を受けられるのはゲイ(性自認が男性で性指向が男性である者)のみ」だからです。

 数年前、初診のある女性から「HIVと梅毒の検査、無料って聞いていたX診療所に行ったらゲイだけだと言われたんです。ここ(谷口医院)なら女性でも受けられますか?」と問われました。X診療所は性病検査で有名なところで、その診療所がこのゲイを対象とした無料検査を実施していることは我々も知っていました。なぜなら、事前に行政から「谷口医院もこのキャンペーンに参加してほしい」と依頼されていたからです。

 こんな検査、谷口医院でできるはずがありません。あきらかに「差別」だからです。そもそも私が、大学の医局に籍を置きながらとはいえ、比較的早い段階で開業したのはその「差別を許せなかったから」です。現在はある程度ましになっていますが、谷口医院が開業した2000年代当時、セクシャルマイノリティという理由で医療機関でイヤな思いをしたという声が私に多数寄せられていました。なぜ、私のところに寄せられていたのかというと2006年にNPO法人GINAのウェブサイトを立ち上げていたからです。

 今でこそウェブサイトなど何も珍しくありませんが、当時はウェブサイトを設けて読者の相談を受け付けていた、医師が中心となりHIVの支援をする団体はさほど多くなかったのです。毎日のように相談メールが寄せられ、そのなかに医療機関で差別的な扱いを受けたというゲイを含むセクシャルマイノリティの人たちからの相談がたくさんありました。

 こういう相談メールを読む度に、私の身体の奥から「こんなことが許されていいはずがない!」という怒りの感情が湧いてきて、いつしか「これが現実なら自分が差別のない医療機関をつくればいい」と考えるようになりました。セクシャルマイノリティのなかでも「差」はあります。最も差別的な扱いを受けているのはトランスジェンダーの人たちです。

 ゲイの場合、それをカミングアウトしなければいいわけですが、しかし疾患によってはそれを伝えた方が診察がスムースにいくと思われるケースがあります。例えば、肛門疾患がそうですし、あるいは精神疾患も該当することがあります。ところが勇気を振り絞って自身のセクシャリティを医師に伝えたところ、態度が急変し、なかには「専門のところに行ってください」と冷たく言われたり(「専門のところ」ってどこなのでしょう?)、なぜか名前ではなく番号で呼ばれるようになったという人もいました。看護師の対応があきらかに変わったという人もいました。また、当時は(残念ながら今でも似たような話があるのですが)HIV陽性であることを伝えると医師の態度が急変し「もう来ないでください」と露骨に言われたという話も珍しくありませんでした。

 こんなことが許されていいはずがありません。そこで私はHIVの有無に関わらず、セクシャリティに関わらず、平等に診察するクリニックをつくることを決意しました。この「平等」の意味はHIVやセクシャリティだけではありません。当時は(やはり今でも、ですが)、外国人だから診てもらえないとか、職業によって差別されたとか、あるいは「それはうちの科ではありません」と言われ、ドクターショッピングを繰り返さざるを得ない人たちが少なくなかったのです。

 研修医を終えてから開業するまでの約3年間、私は総合診療の修行をしてきました。まずタイのエイズ施設で約半年間にわたり米国人の総合診療医の指導を受け、帰国後は大学の総合診療部に籍を置き、大学以外にも様々な病院や診療所で研修を受けてきました。開業時には、すべての病気を治せるわけではありませんが、どのような症状であっても初期対応はできる自信がありました。そのうち9割以上は自分自身で治療できることを確信していて、残りの1割も紹介はしますがその後のフォローは自分でするようにしていました。決して「それは分かりませんから自分で別のところを探してください」とは言いませんし、実際、言ったことはありません。

 そして「どのような症状も診る」の他に、もうひとつ開院当時から今も遵守していることが「どのような属性の人も診る」です。つまり、どのような職業であっても国籍であっても、そしてどのようなセクシャリティであっても診ることを信条としてきたのです。しかし、セクシャルマイノリティを優先して診るようなこともすべきではありません。いわゆる逆差別もまた差別に変わりないからです。

 そして、ゲイだけが無料で受けられる検査はあきらかに(逆)差別です。こんなキャンペーンなどできるはずがありません。2007年の開院した当初、行政の職員からこのキャンペーンに参加してほしいと依頼され、お断りしました。以降、毎年のように「今年こそ」とお願いされ続けてきて、毎回断ってきました。

 しかし、2024年8月19日から始まる今年のキャンペーンにはついに参加することにしました。理由は主に2つあります。1つは依頼する大阪府の職員の方々が大変熱心で、ゲイを(逆)差別する悪意があるわけではないからです。行政がこのようなキャンペーンを実施するのは公衆衛生学的な理由です。つまり、「大阪のHIV陽性者はゲイが最多だから、母集団をゲイに絞って検査を促せば効率がいい」からこのような企画をするのです。

 もちろん、この理屈は(ゲイ以外の)市民からは受け入れられません。なぜなら「なんで(ゲイ以外の者からも集めた)税金を、ゲイだけのために使うんだ?」という質問に誰も答えられないからです。これは例えて言えば、同じように年会費を払っているホテルなどで「あんたはゲイじゃないから宿泊させません」と言われているようなものです。こんな理屈許されるはずがありません。だから、この点については「ご指摘の通りです。このキャンペーンが不平等なのは明らかです」と謝るしかありません。そこで当院では無料にはできませんが、こういった検査を格安ですべての人に提供することにしました。無料ではなくまだ高いですが(HIV検査は2,200円)、これが限界です。「ゲイは無料なのに……」と言われればやはり謝るしかありません。

 谷口医院がこの不平等キャンペーンに参加することにしたもう1つの理由は、先述したX診療所が閉院したからです。この診療所は通常の診療所とは異なるいわゆる「性病クリニック」で、多数の性病検査希望者が訪れていた有名なところです。

 当院で苦情を言っていたその女性は、sex worker(フーゾク嬢)のようで、普段からX診療所で定期的に性病検査を受けていたそうです。その”世界”では性病検査の情報の拡散が早いらしく、女性は「ゲイなら無料で検査ができる」という噂を聞き、「ゲイが無料なら私達フーゾク嬢も無料になるはずだ」と考え(おそらく「私達もゲイと同じように性病のハイリスクだから」と考えたのでしょう)、X診療所を定期受診したときに、「いつも受けているHIVと梅毒の検査を無料にしてほしい」とお願いして、あっけなく断られ、気分を害して当院を受診した、というのが経緯でした。

 ちなみに、この女性の友達が当院のかかりつけ患者で、その女性はsex workerではありませんが、過去に当院で性感染症の検査を受けたことがあるとのことでした。

 性感染症の検査は一見簡単そうでどこの医療機関でも受けられそうな気がしますが、ちょっと複雑な部分があります。例えば、淋菌やクラミジアは、一般のクリニック(泌尿器科や婦人科)では、尿検査や子宮頸部の検査をしますが、性交渉の仕方によっては咽頭や肛門粘膜も診なければならず、柔軟で適切な対応ができないことがあります。梅毒は今でこそありふれた疾患ですが、2000年代は(泌尿器科や婦人科でも)診察の経験がない医師が多く、X診療所の医師のように日々性病を診ていないと診察しにくいことがあります(尚、私の場合はタイのエイズ施設でかなり多数の梅毒を診てきましたから開業当初から梅毒は”見慣れた”疾患でした)。

 行政の人から「X診療所はゲイのキャンペーンに貢献してくれていた。X診療所が閉院して困っている」と聞きました。この言葉が決め手となって、谷口医院もついに参加することにしたという次第です。ただし、そうは言っても「不平等であることへの違和感」が私のなかで解消されたわけではありません。「GINAと共に」に書いたように、ゲイだけでなく対象者の幅を広げるつもりです。

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追記(2024年8月10日):大阪府は「レズビアンは本キャンペーンの対象ではない」と通知してきました。納得できませんが、府の意向には従うしかありません。

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2024年8月22日 木曜日

2024年8月 谷口医院が「不平等キャンペーン」を手伝うことになった経緯

 すでに2024年7月号の「GINAと共に」でも述べたように、ついに谷口医院も(すでに一部の人からは)悪名高い「不平等キャンペーン」に手を貸すことになりました。

 まずは、このキャンペーンの概要を説明し、その上で何が不平等なのかを、実際に過去に当院に寄せられた”クレーム”を通してみていきたいと思います。

 キャンペーンの内容は「HIV、梅毒、B型肝炎の検査を行政のお金を使って無料でおこなう」もので、一見気前のいいキャンペーンに思えます。不平等なのは「ただし、この検査を受けられるのはゲイ(性自認が男性で性指向が男性である者)のみ」だからです。

 数年前、初診のある女性から「HIVと梅毒の検査、無料って聞いていたX診療所に行ったらゲイだけだと言われたんです。ここ(谷口医院)なら女性でも受けられますか?」と問われました。X診療所は性病検査で有名なところで、その診療所がこのゲイを対象とした無料検査を実施していることは我々も知っていました。なぜなら、事前に行政から「谷口医院もこのキャンペーンに参加してほしい」と依頼されていたからです。

 こんな検査、谷口医院でできるはずがありません。あきらかに「差別」だからです。そもそも私が、大学の医局に籍を置きながらとはいえ、比較的早い段階で開業したのはその「差別を許せなかったから」です。現在はある程度ましになっていますが、谷口医院が開業した2000年代当時、セクシャルマイノリティという理由で医療機関でイヤな思いをしたという声が私に多数寄せられていました。なぜ、私のところに寄せられていたのかというと2006年にNPO法人GINAのウェブサイトを立ち上げていたからです。

 今でこそウェブサイトなど何も珍しくありませんが、当時はウェブサイトを設けて読者の相談を受け付けていた、医師が中心となりHIVの支援をする団体はさほど多くなかったのです。毎日のように相談メールが寄せられ、そのなかに医療機関で差別的な扱いを受けたというゲイを含むセクシャルマイノリティの人たちからの相談がたくさんありました。

 こういう相談メールを読む度に、私の身体の奥から怒りの感情が湧いてきて「こんなことが許されていいはずがない。しかしこれが現実なら自分が差別のない医療機関をつくればいい」と考えるようになりました。セクシャルマイノリティのなかでも「差」はあります。最も差別的な扱いを受けているのはトランスジェンダーの人たちです。

 ゲイの場合、それをカミングアウトしなければいいわけですが、しかし疾患によってはそれを伝えた方が診察がスムースにいくと思われるケースがあります。例えば、肛門疾患がそうですし、あるいは精神疾患も該当することがあります。ところが勇気を振り絞って自身のセクシャリティを医師に伝えたところ、態度が急変し、なかには「専門のところに行ってください」と冷たく言われたり(「専門のところ」ってどこなのでしょう?)、なぜか名前ではなく番号で呼ばれるようになったという人もいました。看護師の対応があきらかに変わったという人もいました。また、当時は(残念ながら今でも似たような話があるのですが)HIV陽性であることを伝えると医師の態度が急変し「もう来ないでください」と露骨に言われたという話も珍しくありませんでした。

 こんなことが許されていいはずがありません。そこで私はHIVの有無に関わらず、セクシャリティに関わらず、平等に診察するクリニックをつくることを決意しました。この「平等」の意味はHIVやセクシャリティだけではありません。当時は(やはり今でも、ですが)、外国人だから診てもらえないとか、職業によって差別されたとか、あるいは「それはうちの科ではありません」と言われ、ドクターショッピングを繰り返さざるを得ない人たちが少なくなかったのです。

 研修医を終えてから開業するまでの約3年間、私は総合診療の修行をしてきました。まずタイのエイズ施設で約半年間にわたり米国人の総合診療医の指導を受け、帰国後は大学の総合診療部に籍を置き、大学以外にも様々な病院や診療所で研修を受けてきました。開業時には、すべての病気を治せるわけではありませんが、どのような症状であっても初期対応はできる自信がありました。そのうち9割以上は自分自身で治療できることを確信していて、残りの1割も紹介はしますがその後のフォローは自分でするようにしていました。決して「それは分かりませんから自分で別のところを探してください」とは言いませんし、実際、言ったことはありません。

 そして「どのような症状も診る」の他に、もうひとつ開院当時から今も遵守していることが「どのような属性の人も診る」です。つまり、どのような職業であっても国籍であっても、そしてどのようなセクシャリティであっても診ることを信条としてきたのです。しかし、セクシャルマイノリティを優先して診るようなこともすべきではありません。いわゆる逆差別もまた差別に変わりないからです。

 そして、ゲイだけが無料で受けられる検査はあきらかに(逆)差別です。こんなキャンペーンなどできるはずがありません。2007年の開院した当初、行政の職員からこのキャンペーンに参加してほしいと依頼され、お断りしました。以降、毎年のように「今年こそ」とお願いされ続けてきて、毎回断ってきました。

 しかし、2024年8月19日から始まる今年のキャンペーンにはついに参加することにしました。理由は主に2つあります。1つは依頼する大阪府の職員の方々が大変熱心で、ゲイを(逆)差別する悪意があるわけではないからです。行政がこのようなキャンペーンを実施するのは公衆衛生学的な理由です。つまり、「大阪のHIV陽性者はゲイが最多だから、母集団をゲイに絞って検査を促せば効率がいい」からこのような企画をするのです。

 もちろん、この理屈は(ゲイ以外の)市民からは受け入れられません。なぜなら「なんで(ゲイ以外の者からも集めた)税金を、ゲイだけのために使うんだ?」という質問に誰も答えられないからです。これは例えて言えば、同じように年会費を払っているホテルなどで「あんたはゲイじゃないから宿泊させません」と言われているようなものです。こんな理屈許されるはずがありません。だから、この点については「ご指摘の通りです。このキャンペーンが不平等なのは明らかです」と謝るしかありません。そこで当院では無料にはできませんが、こういった検査を格安ですべての人に提供することにしました。無料ではなくまだ高いですが(HIV検査は2,200円)、これが限界です。「ゲイは無料なのに……」と言われればやはり謝るしかありません。

 谷口医院がこの不平等キャンペーンに参加することにしたもう1つの理由は、先述したX診療所が閉院したからです。この診療所は通常の診療所とは異なるいわゆる「性病クリニック」で、多数の性病検査希望者が訪れていた有名なところです。

 当院で苦情を言っていたその女性は、sex worker(フーゾク嬢)のようで、普段からX診療所で定期的に性病検査を受けていたそうです。その”世界”では性病検査の情報の拡散が早いらしく、女性は「ゲイなら無料で検査ができる」という噂を聞き、「ゲイが無料なら私達フーゾク嬢も無料になるはずだ」と考え(おそらく「私達もゲイと同じように性病のハイリスクだから」と考えたのでしょう)、X診療所を定期受診したときに、「いつも受けているHIVと梅毒の検査を無料にしてほしい」とお願いして、あっけなく断られ、気分を害して当院を受診した、というのが経緯でした。

 ちなみに、この女性の友達が当院のかかりつけ患者で、その女性はsex workerではありませんが、過去に当院で性感染症の検査を受けたことがあるとのことでした。

 性感染症の検査は一見簡単そうでどこの医療機関でも受けられそうな気がしますが、ちょっと複雑な部分があります。例えば、淋菌やクラミジアは、一般のクリニック(泌尿器科や婦人科)では、尿検査や子宮頸部の検査をしますが、性交渉の仕方によっては咽頭や肛門粘膜も診なければならず、柔軟で適切な対応ができないことがあります。梅毒は今でこそありふれた疾患ですが、2000年代は(泌尿器科や婦人科でも)診察の経験がない医師が多く、X診療所の医師のように日々性病を診ていないと診察しにくいことがあります(尚、私の場合はタイのエイズ施設でかなり多数の梅毒を診てきましたから開業当初から梅毒は”見慣れた”疾患でした)。

 行政の人から「X診療所はゲイのキャンペーンに貢献してくれていた。X診療所が閉院して困っている」と聞きました。この言葉が決め手となって、谷口医院もついに参加することにしたという次第です。ただし、そうは言っても「不平等であることへの違和感」が私のなかで解消されたわけではありません。「GINAと共に」に書いたように、ゲイだけでなく対象者の幅を広げるつもりです。

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追記(2024年8月10日):大阪府は「レズビアンは本キャンペーンの対象ではない」と通知してきました。納得できませんが、府の意向には従うしかありません。

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2024年8月5日 月曜日

第251回(2024年7月) 乳がんに伴う2つの誤解

 谷口医院の17年半の歴史のなかで、最も多数見つかったがんは子宮頸がん、そして2番目に多いのが乳がんです。子宮頸がんが最多であるのは当然といえば当然で、当院は「婦人科」を標榜していませんが(=看板を出していませんが)、2007年の開院当初から、月経困難症、子宮内膜症、子宮筋腫、更年期障害、性感染症などの診療をしていますから、視診上(内診上の所見で)がんを疑えばその場で検査をしています。また、いわゆる「がん検診」(大阪市民なら400円)で発見されることもまあまああります。

 他方、当院では「乳がん検診」をしていません。その理由はマンモグラフィーという特殊なレントゲン設備がないからです。つまり実施しようと思ってもできないのです。ときどき超音波検査(エコー)で「乳がん検診をしてほしい」と依頼されますが、原則として症状のない人の超音波での検診もお断りしています。私の技術に自信がないからです。

 症状がある場合(つまりしこりがある場合)は、その部位の超音波検査を実施すればがんの疑いがあるか否かは診断できますが、これは通常の「診察」です。他方、検診というのは「無症状の(つまりしこりが触れない)ときの検査」になります。私がいくら丁寧に超音波検査を実施しても、毎日何人もの乳がん検診を超音波検査で実施している乳腺外科医や放射線技師にはかなわないのです。

 しかし、当院をかかりつけ医にしている女性に「乳がん検診を受けていますか」という質問はできるだけするようにしています。受けていない人には受けられる医療機関を紹介します。当然といえば当然ですが、これにより乳がんが見つかることがまあまああります。また、先述したように乳房にしこりを訴えて受診する患者さんには私自身が超音波検査を実施して乳がんが見つかることがあります。かくして、谷口医院で(+谷口医院が乳がん検診を促したことで)乳がんがみつかるケースは少なくないのです。

 当院の患者さんからの声を集めると、乳がんには2つの大きな誤解があります。

 ひとつは「乳がん検診は精度が低い」というものです。これは完全に誤解で、検診を受けたから早期発見できたという事例は枚挙に暇がありません。しかし「検診を受けていたのに診断がついたときには手遅れだった」という事例は少数でも目立つために、メディアに取り上げられることも多く、何かと話題になります。検診で見逃される例としては、「乳首の真下にがんができていてマンモグラフィーでも超音波でも分かりにくいとき」、「がんなのにしこりができなかったとき」、「乳房全体が腫脹してしこりとなっていないとき」などです。しかし、大半は乳房にしこりができるタイプですから、検診を受けない選択肢はありません。

 もうひとつの誤解は「乳がんは治りにくい」で、こちらも完全な誤解です。しかし、この誤解が蔓延っているために、乳がんが見つかったときに手術や化学療法を拒否して民間療法で治そうとする人がいます。「乳がんは治すことのできるがんですよ」という話をすると、決まって言われるのが「小林麻央さんが治療を拒否したのは現代医療では治せないからでしょ」というものです。

 私は(恥ずかしながら)小林麻央さんという人を知らなかったのですが(テレビを見ないので)、アナウンサーをされていたそうですから、医療に対してもある程度の知識はあったのではないでしょうか。また、人脈が広く医療者の知り合いもいたでしょうから、現代医療を拒否されたのには何か事情があったはずです(小林さんを知らない私が推測するのは失礼であることは承知していますが、世間の誤解を解くために意見を述べることを許していただきたいと考えています。小林さんの話は次回にも登場します)。

 乳がんには(病理学的に)3つのタイプがあります。最近はインターネット上で分かりやすいサイトがいくらでもあると思いますが、ここでもそれら3つのタイプを簡単にまとめてみたいと思います。タイプは病理学的な分類(顕微鏡でどのような細胞が存在しているかに基づいた分類)です。

・ホルモン受容体陽性乳がん(乳がん全体の約70%)
・HER2(「ハーツー」と呼ばれます)陽性乳がん(乳がん全体の15~20%)
・トリプルネガティブ乳がん(乳がん全体の15~20%)

 ここでややこしいのは、ホルモン受容体が陽性で、かつHER2も陽性の乳がんもあるからです。だから、単純な病理学的分類ではなく、合計が100%になるように分類すると次のようになります。

・ホルモン受容体陽性かつHER2陽性の乳がん
・ホルモン受容体陽性でHER2陰性の乳がん
・ホルモン受容体陰性でHER2陽性の乳がん
・トリプルネガティブ乳がん(ホルモン受容体もHER2も陰性)

 しかし、まだ腑に落ちないところがあります。「トリプル」ネガティブと言っておきながら、1つめがホルモン受容体、2つめがHER2なら、3つめは?という疑問がでてくるからです。実は、ホルモン受容体には2つあって、1つはエストロゲン受容体(ER)、もうひとつはプロゲステロン受容体(PgR)です。つまり、「トリプル」は、ER、PgR、そしてHER2の3つ、トリプルネガティブとは、ER、PgR、HER2のすべてが陰性という意味です。

 ホルモン受容体陽性の乳がんは、ER、PgRが陽性か陰性かでルミナールAとルミナールBの2種類に分けられます(ルミナールは「ルミナル」と書かれている文献もあります)。基本的に、ルミナールAはER、PgRの双方が陽性、ルミナールBはERが陽性、PgRは陰性(ただしさらに複雑なことに例外もあります)です。尚、ERが陰性、PgRが陽性の乳がんはありません(そのはずです)。これらをまとめなおすと次の5つになります。

#1 ルミナールA+HER2陰性の乳がん
#2 ルミナールB+HER2陰性の乳がん
#3 ルミナールB+HER2陽性の乳がん
#4 ホルモン受容体陰性でHER2陽性の乳がん
#5 トリプルネガティブ乳がん(ホルモン受容体もHER2も陰性)

 ここまできてもまだすっきりしない部分が残るのは、「ルミナールA+HER陽性は?」が気になるからです。分類学上はこのタイプもあってよさそうですが、実際には(少なくとも文献上は)ほとんどありません。よって、もしもあなた(やあなたの大切な人が)が乳がんを宣告されたときには、まずこれら5つのどのタイプかを確認すればいいのです。

 治りやすさ(=予後)は、おおまかにいえば、#1>#2>#3>#4>#5となります。割合としては、#1+#2で約7割、#5が約15%、#4が8%、#3が7%程度です。

 さて、乳がんは治りにくいかどうかの話に戻りましょう。長々と説明してきましたが、最も予後が悪いのはトリプルネガティブであるというのは(少なくとも統計上では)事実です。では、トリプルネガティブの予後がどれくらい悪いのかというと、厚労省の資料では、トリプルネガティブの5年無再発生存率はⅠ期で90%程度、Ⅱ期で85%程度、Ⅲ期で40%程度とされています。つまり、最も予後が悪いトリプルネガティブでさえ、早期発見ができていれば(≒Ⅰ期の段階で発見できれば)、5年生存率は9割と”予後良好”とも言えるのです。検診がどれだけ重要かがよく分かるでしょう。

 では、小林麻央さんをはじめ、定期的に乳がん検診を受け、早期発見ができたのにもかかわらず治療を拒否したり、あるいは治療がうまくいかなかったりするケースがあるのはなぜなのでしょうか。また、今回は乳がんの病理学的な分類についての話だけで「遺伝性」については触れていません。それらの話は次回おこないます。

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2024年8月5日 月曜日

2024年7月15日 感謝の気持ちで死亡リスク低下

    過去のコラム(マンスリーレポート2022年12月「誰もが簡単に直ちに幸せになれる方法」)で、他人に感謝の気持ちを伝えることで、その人も、あなた自身も、さらにその光景を見ていた他の人も幸せな気持ちになるという話をしました。今回は幸せになるだけでなく、死亡リスクを減らすことを示した研究を紹介しましょう。

 その研究は、医学誌「JAMA Psychiatry」に2024年7月3日に掲載された論文「米国の高齢女性看護師の感謝と死亡率(Gratitude and Mortality Among Older US Female Nurses )」に掲載されています。

 研究の対象者は「米国看護師健康調査(Nurses’ Health Study=NHS)」に登録した米国の49,275人の高齢女性看護師で、質問に答えた期間は2016年から2019年、データ分析は2022年12月から2024年4月まで実施されました。

 結果、参加者のうち4,608人が死亡していました。質問に答えた時点での感謝の気持ちが大きいほど、死亡リスクが低下していたことが判りました。(様々な因子を調節した後)、感謝の気持ちが最も高い上位3分の1の人たちは、下位3分の1の最も低い人たちに比べて、全死因死亡リスクが9%低かったのです。死因別にみてみると、心血管疾患による死亡は死亡リスクが15%も減っていたことが判りました。

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 この研究は規模が大きいだけでなく、対象が看護師ですから質問にきちんと答えている可能性が高く追跡調査も比較的おこないやすかった、つまり研究の信ぴょう性はそれなりに高いと考えられます。

 他人への感謝の気持ちを持ち続けていれば、特に心臓の安定につながるのでしょう。いつも怒っている人に比べて、いつも穏やかで他人に感謝しニコニコしているような印象の人は自律神経のバランスが適切にとれていて心拍数も安定していることが想像できますから、統計上の数字だけでなく我々の感覚としても納得しやすいのではないでしょうか。

 人間は他人と争ってもろくなことはありません。

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2024年7月11日 木曜日

2024年7月 お世話になったあの先生がまさか反ワクチンの代表だったとは……

 コロナワクチンの是非、マスク着用の効果などについては、医師や専門家の言うことがバラバラで、いったい何が正しいのかが分からずに困っている人々が少なくありません。不安に駆られてSNSなどで分かりやすい意見を主張する医師や専門家の意見にすがるようになる人もいます。さらにエコーチャンバー現象が加われば「自分の考えが正しい。あの専門家もそう言っているんだから」という思考に陥ることになります。ですから、一般市民のこのような思考停止を防ぐには、異なる考えをもつ複数の医師が対話を重ね、それを公開すべきだと私は言い続けています。しかし、現実は極端な方向に進んでしまい、もはや後戻りができないところまできてしまっています。

 2024年5月31日、東京で「WHOから命をまもる国民運動大決起集会」が開催されました。全国から日比谷公園大音楽堂に集まった人たちが霞が関に顔を向け「日本政府はテドロス(WHO)事務局長の解任を要求せよ」、「WHO脱退を閣議で決めろ」などと叫んだそうです。一般メディアではほとんど報道されなかったようですが、一説によると参加者は4万人とも5万人とも言われました。

 この集会、単にWHOを批判しているわけではなく、主の目的は「コロナワクチン反対」に他なりません。当院にこの集会の情報を教えてくれたある患者さんによると、参加者は「コロナワクチン=毒」と頑なに信じ、「マスクは無意味」、「抗コロナ薬も毒で、有効なのはイベルメクチンだけだ」と主張しているそうです。そして、驚くのはそれだけではありません。この集会を主催した団体の幹部には有名な医師も複数いるといいます。

 集会を収録したyoutubeは2時間以上もあるようでとても見る気が起こりませんが、触りだけでも確認してどんな医師が登場するのかを見てみたくなりました。そして、驚愕しました……。集会を主催した「WHOから命をまもる国民運動」の幹部たちがステージに登場したとき、堂々と先頭を歩いていたのは、なんと私が医学部の2回生のときに生化学を教わっていた井上正康教授(当時)だったのです! 実はこれまでも井上先生が反ワクチン派として活動しているという噂は耳にしたことがあったのですが、やはり真っ先にステージに登壇し、自信ありげに闊歩する姿を見るとなんとも言えない複雑な気持ちになってしまいました。

 現在の井上先生について調べてみました。『月間東洋療法』に連載をもたれているようで、361号にコラムを書かれていました。一部抜粋してみます。

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テドロス事務局長率いるWHOの主張や行動が、現代医学の常識とは相容れない異常なモノである事に驚愕した。新型コロナウイルスのコウモリ起源説や武漢研究所漏出説の検証に関する消極的な対応、感染ルートの誤情報、免疫の地域特性に関する発言抑制、イベルメクチンや既存特効薬の使用禁止や入手妨害、ワクチンと詐称した未治験遺伝子薬の接種推奨など、マトモな科学的判断や政策は皆無であった。
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 集会に話を戻しましょう。率直に言えばこの集い、雰囲気が異様で画面越しに妙な熱気が伝わってきます。マイクを持って大衆に演説を始めたのは井上先生ではなく別の医師でした。調べてみると東京の美容クリニックで働く医師のようです。医師の他にも、政治家や学者がこの会の幹部を務めているようです。彼(女)らの発言を時間が許す限り聞こうと思ったのですが、途中で辟易としてきてすぐにやめました。いくつかの発言を毎日新聞の記者が綴った記事から引用してみます。

「WHOと日本政府、厚労省は悪魔と考えてください。不服従を貫きます」
「(ここに集まった)みなさんは光の戦士です」
「パンデミックはワクチンを接種させる目的で人工的に計画されたものだ」
「(WHOは)ワクチンを接種させて人口を削減しようとしている」
「日本人がワクチンの実験台にされている」

 さらに、この団体にはテーマソングもあるそうです。上記毎日新聞の記事から転載します。

♪闇が私たちをのみ込もうとしている
♪私たちは戦士
♪光の戦士
♪真実のために戦う

 ここまでくれば、もはや「顔を合わせて科学に基づいた対話をしましょう」というレベルではなく冒頭で述べたような「対話」は不可能です。では、なぜ人はここまで偏った考えに狂信するのでしょうか。単に「正しい知識がないからだ」では答えになっていません。もっと深い理由があるはずです。そして、それを私自身は当院を受診する複数の患者さんから感じ取っています。ここからは私見を述べます。

 当院にも反ワクチンの患者さんが数人います。また、母親が(兄が、妹が)反ワクチンになって家庭の雰囲気が崩壊した、という話も複数聞いています。反ワクチン派となり過激な主張をするようになったそんな人たちには共通点があって、それは「生き生きとしている」です。まるで何かに目覚めたように、あるいは生きる目的を取り戻したかのように情熱的になるのです。集会があれば少々遠くても自腹で参加することを厭いません。実際、日比谷音楽堂にも全国から多数の”戦士”が集まったのですから……。

 ところでこの現象、何かに似ていないでしょうか。話は脱線しますがもう少し私見を披露します。

 私はトランプ前米国大統領がこんなにも支持されるとは思っていませんでした。2016年の大統領選挙から1年遡った2015年11月、トランプ氏は先天性の関節疾患を患う記者セルジュ・コバレスキ氏の物まねをしました。キャンセルカルチャーが幅を利かせる現在の社会通念から考えれば障害者の物まねなど到底許されるはずがありません。このような人物が人権・平等を至上とする米国の大統領になれるわけがないと思いました。ところが私の(そして大方の)予想に反してトランプ氏は当選しました。なぜか。私が考える最大の理由は対立候補のヒラリー・クリントン氏の「失言」です。

 大統領選挙まで残り2ヶ月を切った2016年9月9日、ヒラリー・クリントン氏は演説のなかでトランプ氏を支持する人たちのことを「嘆かわしい人たちの集まり(Basket of deplorables)」と呼びました。民主党の主張はリベラル思想に基づいたもので、端的に言えば「黒人・ヒスパニックの擁護」「男女平等」「同性愛擁護」「キリスト教以外の宗教の擁護」です。そういった主張を掲げる民主党の、しかも女性の党首が放った「嘆かわしい人たちの集まり」という言葉に最も反応したのは「キリスト教徒で異性愛者の白人男性」でした。そしてそんな彼らの”共同幻想”が生みだしたのが「ヒラリーが代表の組織がピザ屋の地下で小児虐待を繰り返している」とするピザゲートと呼ばれる陰謀論です。そしてその陰謀論に付随して誕生した”救世主”がトランプ氏だったのです。トランプ氏を支持する人たちは氏の掲げる政策に同意したからではありません。自分たちの存在を否定するきれいごとで身を固めた”敵”を打ちのめしてくれる救世主がついに登場したが故に理屈を超えた狂信性を持って支持するのです。

 コロナワクチンの登場前後、日本の専門家たちはSNSを駆使してワクチンを接種するよう呼びかけました。海外の論文や研究を引き合いにだして正当性を強調し、「集団免疫」なる用語を用い「みんなのために」という美辞麗句を並べました。反ワクチン派のある男性は、「専門家とやらの上から目線のうさん臭い物言いに吐き気を覚えた」と言っていました。そんな専門家たちを否定しワクチンの危険性を優しくわかりやすく解説してくれる”救世主”たちに惹かれた人たちが、反ワクチンを堂々と主張し始め、他人にその考えを広めようとし、そして集会に参加するようになったのです。だから彼(女)らにとっては、「WHOから命をまもる国民運動」の幹部は”英雄”であり、集会ではその”英雄”から「光の戦士です」と讃えられて高揚し、同志たちとテーマソングを熱唱し恍惚に浸ったのです……。

 私の妄想はこれくらいにして思い出話をしましょう。1997年のある夏の日、生化学の講義に感動を覚えた私が訪ねたのは井上正康先生の教授室。当時の私はまだ臨床医になることは考えておらず基礎研究を希望していました。何を質問しても分かりやすく答えてくれる井上先生についつい甘えて長居してしまいました。帰り際には「勉強になるからあげるよ」と言われ、当時流行していた本川達雄氏の『ゾウの時間ネズミの時間』を頂戴しました。その日に読み終えた私はますます生命科学の虜になり、科学の研究に邁進する井上先生の姿に憧れるようになりました……。

 結局私はその後、研究者になるには能力もセンスもないことを思い知り臨床の道を進むことになりました。もはや研究職に未練はありませんが、それでも文献の探索は続けています。コロナに関しては、臨床だけでなく基礎医学者の論文も随分読みました。先生はこのウイルスをどのように考えているのだろうとふと井上先生の顔が脳裏をよぎったこともあります。私のことを覚えてはいないでしょうが、私は井上先生の講義を受けたことを誇りに思い、研究室で長々と付き合っていただいたことに今も感謝しています。私は研究者にはなれませんでしたが、臨床の現場では「医療は常に科学的であらねばならない」と肝に銘じています。そういえば『ゾウの時間ネズミの時間』の主題は「おのおのの動物はそれぞれに違った世界観を持っている」でした。現在の井上先生の世界観と臨床医の私のそれにはどれくらいの差があるのでしょうか。

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2024年6月30日 日曜日

2024年6月30日 マルチビタミンで死亡率上昇?

 2007年の開院以来、谷口医院には数多くのサプリメントに関する相談が寄せられています。当院の方針としては、ほとんどのサプリメントにおいて「必ず摂取してください」とも「してはいけません」とも言いません。その時点で分かっているエビデンスについて説明するだけです。

 ですが、例外的に「摂取してください」とするものと「摂取してはいけません」と伝えているものがいくつかあります。

 最も「摂取してください」と助言しているのはビタミンDです。2007年の時点でははっきりしていませんでしたが、その後、食事からの摂取では限度があることがよりはっきりしてきました。谷口医院のスタッフの健診でもビタミンDのサプリメントを摂取していない人で基準量に達していた人はほぼゼロです。日本人を対象とした疫学データをみても、8~9割の日本人は規定量に達していません。

 他方、「摂取してはいけません」の代表は、小林製薬の事件にもなった「紅麹」です。これはそもそも国によっては禁止されているスタチンですし、高いお金を出さなくても安全なスタチンが保険で処方できるからです。わざわざ高いお金を出して危険なスタチンを内服する意味がないわけです。

 紅麹ほどではないにせよ、質問されれば「やめた方がいいのでは?」と助言することが多いのがウコンです。使用者の数を考えれば割合は少ないとは言えますが、肝不全を起こすことがあり海外では死亡例も出ています。米国豪州イタリアでは危険性が公表されています。

 さて、前置きが随分と長くなりましたが、今回お伝えしたいのは「マルチビタミンは死亡率を減らさない」とした論文、医学誌「JAMA」2024年6月26日号に掲載された「3つの米国前向きコホートにおけるマルチビタミンの使用と死亡リスク(Multivitamin Use and Mortality Risk in 3 Prospective US Cohorts)」です。

 この研究は対象者の数が多いため、エビデンスレベルは高いと言えます。米国の健康な成人390,124人を対象に20年以上追跡され、「マルチビタミンを毎日摂取しても死亡率が減らない」ことが分かりました。

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 マルチビタミンは意味がないのになぜビタミンDは必要なのか、と疑問に感じる人もいるでしょう。実は、当院では推奨しているビタミンDも「摂取すれば死亡リスクが減る」ことを示したエビデンスレベルの高い研究があるわけではありません。

 それに、ビタミンDはかつては骨折や骨粗しょう症を予防するとされていましたが、この考えは現在では完全に否定されています。では、ビタミンDは何に役立つのでしょう。アレルギー疾患を予防する、感染症を予防する、コロナ後遺症のリスクを減らす、などいろいろと言われますが、これらを証明した大規模研究があるわけではありません。

 ではなぜ必要なのか。骨折を例にとれば、ビタミンDのレベルが少なければ骨が脆くなるのは事実です。しかし、大規模調査でみればビタミンD摂取が骨折を減らすわけではありません。これはどういうことでしょうか。「社会全体でみればみんながビタミンDを摂取しても全体の骨折が減るわけではないけれど、個人でみればビタミンDが少ない人は骨折しやすいですよ」と解釈するしかありません。

 摂取の適正基準値が本当に正しいのか、という問題もありますが、決められた量に達していなければ不安になります。えらそうに言っている私自身もその程度の知識しかないことをここで告白しておきましょう。

参考:はやりの病気
第248回(2024年4月) 危険なサプリメント
第188回(2019年4月) ビタミンDが混乱を招く2つの理由

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