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2013年6月15日 土曜日

第27回 急性アルコール中毒① 2006/02/28

少し前になりますが、急性アルコール中毒で夜間に救急病院を受診した大学生が、帰宅後に死亡し、病院が適切な処置を怠った、という理由での医事紛争がありました。判決では、全面的に原告側の主張が認められ、病院及び担当医師の注意義務違反が立証され、病院側は8800万円(原告側の要求は9000万円)を支払うことになりました。

 急性アルコール中毒といえば、夜間の救急外来ではおきまりの疾患のひとつです。この症例のように、ときには命にかかわることもありますし、中毒症状自体が軽症であっても、理性をなくした患者さんが医療従事者に暴言を吐いたり、暴力をふるったりということも日常茶飯事で、我々医師からみれば少々難儀するケースがあります。せっかくつないだ点滴を自ら引き抜いたり、診察室を駆けずり回ったり、と他の患者さんとは趣を異にするのが特徴といえるかもしれません。

 そんな急性アルコール中毒の患者さんたちに、私は思い入れがあります。どのような症状で来られようが、患者さんによって差をつけてはいけないというのが、我々医師のルールなのですが、私はどうしても、急性アルコール中毒という疾患に特別の思い入れを持ってしまいます。

 それは、私の(医学部でなく以前の)大学生の頃の経験によるものです。

 ときはバブル経済真っ盛りの頃、私は関西の私立大学に通っていました。通っていたといっても、大学にはとりあえず籍を置いているという程度のもので、勉強はほとんどせずに、アルバイトや遊びに精を出していたというのが正直なところです。(最近、大学の出席率が上昇しているということがよく言われますが、80年代後半当時は、国全体がお祭り騒ぎをしていたような時代で、授業よりも「遊び」が重要視されていたのではないか、と私は考えています。もちろん大学や学部にもよりますが・・・)

 私は、今でこそほとんどお酒を飲みませんが、当時はほぼ毎日、しかも大量に飲んでいた、というか、飲まされていました。実際、お酒を飲んで吐かなかった日はほとんど記憶にありません。もともと私は、お酒は好きではないのですが、当時の関西では、「酒も飲まれへんようなやつは男やない」とか「つがれた酒をイッキにあけないやつはヘタレや」とか、そういうことが言われており、飲まないわけにはいかなかったのです。(時代や地域のせいにするのもよくありませんね。私の性格もあるかと思います・・・。)

 で、ともかくお酒を飲まないやつは信用されない、みたいな空気が(少なくとも私の周囲には)ありましたから、なんとしてでも飲まなければならなかったのです。

 飲まなければならない、と言っても、飲めないものは飲めません。それで、私を含めたお酒が強くない者がとる道は、「アルコールが身体にまわる前に吐く」というものです。ただ、「吐く」と言っても「トイレで吐いてきます」と言うわけにはいきませんから(そんなことはお酒を拒否するのと同様とみなされ許されません)、なんとか自分が注目されていないような場の空気になるのを待って、タイミングをみて、一気にトイレに駆け込むのです。

 しかし、こういう方法もいつもいつもうまくいくとは限りません。ビールだけ、あるいは薄い水割りだけなら、アルコールが身体にまわるのにある程度の時間の余裕がありますが、これが60度以上の焼酎とか、84度のラムとか、96度のウォッカとかになると、もうほとんど瞬間的に酔っ払ってしまいます。

 そもそも、96度のウォッカなどは、ボトルに「ストレートで飲まないでください」と表示されているのです。それをストレートどころか、イッキで飲まされていたのですから、今振り返るとゾッとします。

 このあたりで、アルコールの致死量についてみていきましょう。

 アルコールの致死量は、成人で体重1キロあたり、5~8グラムと言われています。例えば体重50キロの人であれば、50キロ×5グラム/キロ=250グラムですから、アルコール250グラムでも死にいたることがありうるわけです。5%のビールだけを飲んでいたとすれば、X×0.05=250グラムとなり、X=5000グラムとなります。1グラム=1ミリリットルとすると、5000グラム=5000ミリリットル=5リットルのビールを急激に飲めば死にいたるということになります。5リットルといえば、大ビン7本程度でしょうか。

 ウイスキーの場合はどうでしょうか。例えば40%のウイスキーでは、Y×0.4=250グラムとなり、Y=625グラム(=625ミリリットル)となり、ちょうどボトル1本程度になります。なんと、ウイスキーボトル1本を急激に飲めばそれだけで死にいたる可能性があるのです。

 では、私が学生の頃、無理やり飲まされたことのある96%のウォッカではどうでしょう。Zx0.96=250グラムとなり、Z=260グラム(=260ミリリットル)となります。ほとんどグラス1杯で死にいたるということになります。

 もちろん、致死量には個人差があります。お酒の強い人と弱い人では当然これらの数字は違ってきます。実際、患者さんにお話をお聞きしていると、信じられないくらいにお酒に強い人がいます。つい先日、診察した患者さんは、毎日ビールを1ケース(350ミリリットルの缶)飲むと言っておられました。私が聞いた最高記録は、毎日ビール大ビン2ケース!というものです。この方は元力士の方で、結局お酒が原因で肝臓を壊されています。

 一方、私のようにお酒が苦手な者は、体重あたり5グラムでも危ない、という意識を初めからもつべきだと思います。

 「正しい知識の欠落」とは恐ろしいものです。医師になるなんて微塵も思ってなかった当時の私には、アルコールの致死量なんてことはまったく知りませんでしたし、知ろうと思ったことすらありませんでした。現在、命のあることに感謝しなければなりません。
 
 急性アルコール中毒の症状についてみてみましょう。まず、多くの人が経験的に知っているのは、顔面紅潮(顔が赤くなる)、頭痛、嘔吐、などでしょう。これが重症化すると血圧低下をきたします。さらに重症化すると、意識がなくなってきます。そして意識がなくなり呼吸状態が悪化することもあります。急性アルコール中毒の主たる死因のひとつは、「呼吸不全」です。

 臨床的にときどき遭遇するのは、嘔吐物が気管につまり窒息するというものです。意識状態が正常であれば、嘔吐物が気管に入るなんてことは起こらないわけですが、アルコールのせいで意識が朦朧としている状態であればこういうことが起こりうるのです。

 また、嘔吐物による窒息や呼吸不全が起こらなかったとしても、意識が朦朧としている状態では、転倒して頭をぶつけ、脳内出血や脳細胞の挫滅が起こることも予想されます。ときに、これらは救急外来での発見が遅れることがあり、命にかかわることもあります。

 また、こういった命にかかわるようなことが起こらなかったとしても、意識がなくなるというのは非常に危険なことです。盗難に合う可能性もありますし(実際私も何度か被害にあったことがあります)、もっと凶悪な犯罪に巻き込まれることもあるかもしれません。

 私はよく意識をなくし、翌朝、銀行の前で寝ているところを警備員に叩き起こされたり、駅前で浮浪者に起こしてもらったり、あるいは次の店で大騒ぎしていたことの一切の記憶がない、なんてこともよくあり、それらをまるで自慢のように話していた時代がありましたが、今思えば恥ずかしいこと極まりない行為であったと深く反省しています。

 一度、「このまま死んでしまうんじゃないか・・・」と思ったことがあります。その日は初めから体調が悪かったのですが、いつものようにトイレで吐いていると、いつのまにか便器に顔をうずめ意識をなくしていました。そして、胃の痛みで目覚めると、トイレが血だらけになっているのに気付きました。かなり大量の血を吐いていたのです。
 今思えば、直ちに救急車を呼んででも病院に行くべきだったのですが、当時の私にはそんな意識はありませんでした。しばらくトイレで休憩し、その後ふらつきながらなんとかタクシーで家に帰りました。胃の痛みはしばらく続いて数日間は何も食べることができませんでした。
 
 医学部入学後、ある講義中にこの状態の正体が分かりました。それは「マロリー・ワイス症候群」と言って、主にアルコールで嘔吐を繰り返し、その結果、胃粘膜に亀裂が入り、そこから大量の出血がおこる病態です。確定はできませんが、私が苦しんだ吐血はこの疾患であったのではないかと思われます。この疾患の講義を受けているときに、私は過去の自分のあさはかな行動が恐ろしく、そして恥ずかしくなりました。

 このように、恥ずかしく、そしてキケンな行為をしていたため、私には急性アルコール中毒がひとごととは思えないのです。過去の自分に対する反省もこめて、現在は治療にあたっています。

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2013年6月15日 土曜日

第26回 薬で胃に穴があいた! -薬剤性胃潰瘍- 2006/02/15

先日、ある病院で当直業務をしていたときのことです。

 救急搬送された患者さんを診察し、入院の手続きを終え、少し休憩をとろうと当直室に入ったときに私の携帯電話が鳴っているのに気づきました。

 画面を見ると、私の父の携帯電話の番号が表示されています。時間は午前1時半、こんな時間に電話があるのはただことではありません。

 嫌な予感を感じながら、電話に出ると母がなにやらあせった様子です。父が腹痛で救急搬送され、そのまま緊急手術になった、と言うのです。

 緊急手術とは、ただごとではありません。私は頭のなかで、緊急手術になりうる腹痛をきたす疾患をいくつか思い浮かべましたが、どの疾患にしても重症のものばかりです。母はもちろん医学的知識を持ち合わせていませんから、主治医、あるいは執刀医から、病状や手術の説明を受けているはずですが、状況をよく分かっていないようです。よく分かっていないながらも必死で言葉をつなぎ合わせている母の説明から、父はおそらく胃に穴があいた状態(これを「胃穿孔(いせんこう)」と言います)で、その穴をふさぐ手術を受けているのだということが分かりました。

 問題は、胃穿孔の原因です。医師というのは重症のものをまず念頭におきます。そして、胃穿孔でもっとも重症の原因は胃癌によるものです。私の祖父(父の父)は胃癌で亡くなっていることもあり、私がまっさきに頭に浮かんだのは胃癌です。しかし、私がこれまで診察した胃穿孔の患者さんの原因でもっとも多いのは胃癌ではなく、薬によるものです。そして薬剤のなかでも多いのが鎮痛剤とステロイドです。

 私は母に、父は最近薬を飲んでいなかったかを尋ねました。ステロイドを飲まなければならないような病気を父が患っていたとすれば、私が知らないはずはないですから、可能性があるのは鎮痛剤です。痛み止めを飲んでいなかったかどうか母に尋ねると、父は最近肩の痛みに対して鎮痛剤を飲んでいたことが分かりました。

 おそらく鎮痛剤による胃穿孔と思われるが、癌によるものであることも覚悟しなければならないな、私はそう思いました。そして、もし癌なら、胃穿孔をおこすほどに進行したものということになり、これは命にかかわります。

 私は翌日の外来をキャンセルし(幸い、その日の私の外来予約は入っておらず、新規の患者さんはすべて他の医師にお願いすることにしました)、早朝に車を飛ばして実家に帰りました。

 母を拾って、すぐさま父が手術を受けた病院へと向かいました。父は痛みから苦しそうにしていましたが、様態は落ち着いているようです。

 執刀医の説明から、あいた穴はきれいなかたちをしており、父が鎮痛剤を飲んでいたことと合わせて考えると、まず間違いなくその鎮痛剤が原因の胃穿孔であろう、ということでした。

 幸いなことに、手術はうまくいき、その後父は無事退院することができました。

 私の父が体験したような胃穿孔を「薬剤性胃穿孔」と呼びます。穿孔は十二指腸に起こることもあるため、「薬剤性上部消化管穿孔」と呼ぶこともあります。(一般に、「上部消化管」とは、食道、胃、十二指腸のことを指し、「下部消化管」とは小腸と大腸のことを言います)

 先に述べたように、原因薬剤はステロイドと鎮痛剤のことが多いと言えます。なかでも多いのが、慢性の関節痛や頭痛のために痛み止めを長期で服用している場合です。私の父も、肩の痛みのために「ロキソニン」という鎮痛剤を1日に3錠、3ヶ月間飲んでいたことが分かりました。

 私の臨床上の経験から言っても、この「薬剤性上部消化管穿孔」により、緊急手術を余儀なくされた患者さんは少なくないように思います。また、「穿孔」までいかなくても「薬剤性上部消化管潰瘍(かいよう)」の患者さんにはよくお会いしますし、「潰瘍」まで進んでいなくても鎮痛剤を飲めば胃が痛くなる、という人は何も珍しくありません。

 関節痛や頭痛、あるいは生理痛といった痛みがある以上は、鎮痛剤に頼ることが増えるのは仕方ありません。もちろん、他にも治療法がある場合もありますが、軽症であれば、とりあえず価格も安い鎮痛剤で様子をみよう、ということになるのが普通です。「安易に痛み止めを飲むのはよくない」と考えている人もいますが、医学的には大部分の痛みは取り除いてあげた方がいいことが分かっています。これは、痛みを我慢すると、痛みを引き起こす自律神経が興奮したり、あるいは痛みに関与する神経伝達物質が過剰に分泌されたりして、かえって痛みを増強することがあるからです(これを「痛みの悪循環」と呼びます)。
 
 では、鎮痛剤を飲みながら、この「薬剤性胃潰瘍」を防ぐ方法はないのでしょうか。

 痛み止めを飲んで胃が痛くなるという人は決して少なくありませんから、私は鎮痛剤を処方するときに、必ず「胃は強い方ですか」と質問します。「それほど強くありません」という返答ならば、通常は鎮痛剤と一緒に胃薬を処方します。胃薬にもいろんな種類のものがありますが、もっとも頻繁に使用されているのは、価格の安い、胃の粘膜を保護する作用のある胃薬です。私の父も、「ロキソニン」と一緒に胃粘膜保護剤が処方されており、父はこれらの薬を同時に飲んでいました。

 にもかかわらず、父の胃は「ロキソニン」が原因で穴があいたのです。

 実はこういうことはよくあります。患者さんは、医師から胃の痛みや胃潰瘍の副作用のことを聞いていても、胃薬と一緒に飲んでいるから大丈夫、と考えていることが多いのです。私は、鎮痛剤を処方するときには、胃薬と一緒に出したとしても、「胃が痛くなるようなら服用をやめてすぐに相談してください」と言うようにしていますが、患者さんのなかには、胃薬の力を過信している方がおられます。

 胃潰瘍や胃穿孔は急激に起こることもありますが、それでも少なくとも胃穿孔の発症前には、胃の痛みを感じているのが普通です。

 実際、私の父も数日前から胃の痛みを感じていたことが後になって分かりました。母としても、父は普段はささいなことでも「痛い、痛い」と言いますから、まさか胃の痛みを我慢していたとは思っていなかったそうです。
 
 「胃薬と一緒に飲んでも胃に穴があくなら痛み止めなんて恐くて飲めない!」、そのように考えられる方もおられるかもしれません。しかし、そんなことはありません。痛みが出現するようなら主治医にまずは相談してみましょう。痛み止めを変更するとか、胃薬の種類を代える、あるいは他の胃薬を併用する、などして対処することは充分に可能です。実際、胃の弱い人でも、うまく痛み止めと胃薬を使うことによって何十年も痛みに対応できているという患者さんは決して少なくありません。(もっとも痛み止めを飲まなくてもいいように痛みの原因の病気を治せれば一番いいのですが・・・)
 
 最後に、ときどき遭遇する、患者さんのふたつのキケンな行動をご紹介しておきましょう。

 ひとつは市販の痛み止めを長期に(あるいは短期間でも大量に)飲んでいる場合です。医師が処方する鎮痛剤よりも市販の痛み止めの方が、副作用が少ないか、というと決してそうではありません。しかも、市販の痛み止めで対処しようとする人のなかには、胃薬を併用するという意識が初めからない人もいますからキケンです。痛みが慢性化していたり、長期で市販の痛み止めを飲んでいたりする人は、一度かかりつけ医に相談することをおすすめします。

 もうひとつキケンなのは、「痛み止めは坐薬ならば大丈夫」、と考えている人がいることです。これはまったくの誤解です。飲み薬の鎮痛剤は、何も胃の粘膜に直接作用するわけではありません。詳しい説明は省略しますが、痛み止めの成分がいったん血中に吸収された後に胃の粘膜の血管に悪い影響を与えることによって、胃が痛くなったり、胃潰瘍をきたしたりするのです。したがって、飲み薬でも坐薬でも胃に障害を与える機序はまったく同じなのです。

 私の診察した患者さんで、痛み止めの坐薬を1週間で5個使って胃穿孔を起こし、救急搬送された方がおられました。この患者さんも胃の痛みを我慢していたそうです。わずか5個!で胃に穴があいたのです。どれだけ痛み止めを安易に使うことがキケンかが、お分かりいただけるでしょうか。
 
 痛み止めというのは、なくてはならないものですし、効果的に使うことによって生活の質を劇的に改善します。ただし、私の父のように胃薬を併用していても緊急手術を受けることもあるのです。

 安くて頻繁に使われているからといってあなどらず、他の薬と同様、使用するときは、しっかりとかかりつけ医の話を聞きましょう。

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2013年6月15日 土曜日

第25回 生理前の様々な苦痛 -月経前緊張症候群- 2006/02/01

私がまだ研修医で、皮膚科のトレーニングを受けていた頃、「生理の前になるとニキビや肌アレがひどくなる」という患者さんにたくさんお会いしました。

 現在は、内科や総合診療科の外来もおこなっていますが、例えば、腹痛、腰痛、むくみといった症状が、なぜか生理前だけに起こる、という患者さんは少なくありません。また、総合診療科に来られる患者さんは、心理的・精神的な悩みを話されることもありますが、集中力が出ない、イライラする、気分が落ち込む、涙もろくなる、といった症状が生理前に集中して起こると訴えられる方がおられます。

 これらの症状は、すべて「月経前緊張症候群」の可能性があります。

 私が、患者さんの話をお聞きしたあとで、「それは月経前緊張症候群の可能性があります」と言うと、「先生、病名を言ってくれてありがとうございます。これまでいろんな病院に行きましたけど、いつも、『医学的には異常がなくて気持ちの問題や』、などと言われて軽く扱われていたように思っていました。今日は病名を言ってもらって少しすっきりしました。」と言われることがあります。

 患者さんの気持ちが少しでもすっきりするのは確かにいいことなのですが、だからと言って症状がラクになるわけではありません。「症候群」という文字の付く病気のいくつかは、いろんな症状をひとまとめにして、とりあえずの病名を付けているだけであることもあり、原因や有効な治療法がはっきりしているわけではありません。

 月経前緊張症候群も原因や治療法を一元的には説明できず、現段階ではまだまだ発展途上の疾患と言えるかもしれません。

 しかし、この疾患に悩んでいる女性は決して少なくありません。統計によって異なるのですが、少ないデータでは数パーセント、多いものなら90%以上の女性が、軽症のものも含めればこの疾患に生涯に一度は苦しめられるそうです。

 では、この不可解な疾患の実態は何なのでしょうか。

 まずは、原因についてみていきましょう。症状は生理周期に関係しているわけですから、女性ホルモンのバランスに原因がありそうです。ところが、患者さんに採血させてもらっても、ホルモンの数字は正常であることも少なくなく、これだけでは説明できないような症例も多々あります。女性ホルモン説以外には、神経伝達物質代謝異常説、ビタミン欠乏説、骨盤内うっ血説、心因説、などいろいろな説が提唱されており、まとまった見解は現在のところありません。また、引越しや転職、進学などが発症の契機になったという方もおられます。

 原因がはっきりしていないということは、決定的な治療法がないということにもなります。そのため、この疾患で悩んでいる患者さんのなかには、相当な苦労をなさっている方がおられます。

 先に挙げた症状以外には、乳房緊満感、頭痛、発汗、ほてり、不安、対人不適応といったものまであり、家族関係や子育てにトラブルを来たしたり、職場の人間関係に亀裂が入ったりすることもあります。アメリカのある研究では、月経前緊張症候群を含めた月経前後の症状によって、労働効率が4分の3に低下するそうです。

 では、月経前緊張症候群にはどのようにして対処していけばいいのでしょうか。もちろん、重症であれば、あれこれ考えずにまずは自分のかかりつけ医に相談すべきですが、ここでは自分でできる対処法について考えていきましょう。

 まずは、こういった症状が本当に月経前緊張症候群かどうかを確かめるために、基礎体温をつけるのが有効です。この疾患は月経前の3から10日間の間(黄体期)に起こるとされていますから、これにあてはまるかどうかを確認するのです。そして基礎体温をつけていれば、排卵が正しく起こっているかどうかを確認することもできます。排卵が起こっていて、黄体期に症状が出現していれば月経前緊張症候群である可能性が極めて高くなるというわけです。自身でここまでの作業をおこなっていれば、後にかかりつけ医に相談することになったとしても話がスムースにすすみます。

 それでは、具体的な症状にどのように対応していくべきかをみていきましょう。まずは、当たり前と言えば当たり前のことですが、「規則正しい生活」をしましょう。「そんなこと分かってます!」と言われるかもしれませんが、これが非常に大切です。「規則正しい生活」とは、睡眠、運動、食事、ストレスを貯めない、などです。実際、運動を開始したり、栄養のバランスを考えた食事に変更したりしてから症状が随分ラクになった、という患者さんは少なくありません。食事については、カフェインを摂り過ぎない、ビタミンを適切に摂る、あるいはγリノレン酸のサプリメントで効果があったという報告もあります。

 ただ、現代生活をしている以上、「規則正しい生活」といっても限界があるでしょう。ストレスを貯めないように、と言っても、「じゃあ先生、私のストレスの原因をなんとかしてよ!」と思う方もおられるでしょう。たしかに、責任ある仕事を負わされていたり、子育てをひとりでされていたりする方などは、ストレスを貯めないといっても限度があるものと思います。

 そんなときの対処法ですが、「症状のことを周囲の人に話しておく」ことが大切なのではないかと私は考えています。こういった女性特有の疾患というのは、男性はなかなか理解できません。私も医師になってたくさんの患者さんと接するまでは、患者さんの気持ちが分かっていたとは言えませんでした。(もっとも今でも理解できていない部分があるでしょうが・・・)

 私が会社員をしていた頃のことを振り返っても、「なんで女性っていうのは、ああも浮き沈みが激しいんやろ。仕事はクラブ活動やないんやからやるべきことはやってくれないと困るのに・・・」と、突然不安定になった女性に対して感じたことは一度や二度ではありませんでした。

 今思えば、そのときの女性社員は月経前緊張症候群だったのかもしれません。自分の思いやりのなさを痛感します。自分に対する反省の意味もこめて、月経前緊張症候群のことを世間の方々に知っていただきたいと今は思っています。
 
 さて、腹痛、腰痛、ニキビなどといった身体的な症状に対してはどうすればいいのでしょうか。患者さんにもよりますが、これらのひとつひとつはそれほど重症化することは少ないですから、まずは一般的な対症療法でいいと思います。私が診させてもらっている患者さんでも、軽症の月経前緊張症候群の方には、生理前だけニキビの外用薬を使用してもらったり、鎮痛剤を飲んでもらったりしている方もおられます。

 痛みや皮膚症状が重症化したり、精神的な症状が原因で、人間関係にヒビが入ったりする(もしくは入るかもしれない)ような場合には、医師に相談することをおすすめします。医師に相談せずにひとりで対処しようとするとどんどん症状が悪化することもありますから、医師にかかるかどうか迷うような段階であれば、思い切って相談してみましょう。

 中等からやや重症と思われるようなケースで、特に精神症状が強い場合は、患者さんと相談した上で薬剤を処方していくことになります。漢方薬やホルモン剤、あるいは抗うつ薬を試すこともあります。

 ホルモン剤は、保険診療で処方できる中容量ピルも有効ですが、副作用のことを考えて低容量ピルをおすすめすることもあります。(なぜか日本の保険では中容量ピルは保険適応があって低容量ピルにはありません。)最近のアメリカの研究で、活性成分を24日分とした低容量ピルが、重症の月経前緊張症候群に有効であったという報告があります。この新しい低容量ピルはまだ市場には出ていませんが今後注目したいところです。

 抗うつ薬も、患者さんによってはかなり有効です。ただ、抗うつ薬までは使いたくないという患者さんもおられますし、必ずしも効果があるとは限りませんし、妊娠を考えている人にも使えませんから、(少なくとも私は)最初から積極的には薦めていません。

 ときに、月経前緊張症候群が重症化した方に遭遇することがあります。人間関係に大きな亀裂が入っていたり、職場を休まなくてはならなくなっていたりするような場合です。おそらく、これまで誰にも相談できずに、ひとりでかなりの苦労を背負われていたのでしょう。

 重症化しているような場合には、専門医に診察してもらう必要があります。より専門的な治療では、偽閉経療法や男性ホルモンの投与をおこなうこともあるそうです。重症化した状態になる前に、なんらかの治療をおこなっていれば、そんなに大きな苦痛や苦労を背負わなくてもよかったかもしれないわけですから、周囲の人やかかりつけ医に早めに相談するのが非常に大切なのです。

 「病院の敷居は高い」という人がいますが、「なんでも気軽にかかりつけ医に相談している人は苦痛を感じずに済んでいることが多い」、ということは覚えておいて損はないでしょう 。

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2013年6月15日 土曜日

第24回 風邪の予防にうがい薬は無効?! 2006/01/13

「外から帰ったらうがいをしましょう」

 私が子供の頃から言われ続けてきた言葉です。成人してから言われなくなったと思ったら、医師になってからは、今度は逆に、同じ言葉を言う立場になってしまいました。

 この冬も同じ言葉を患者さんに何度言ったか分かりません。こんなこと誰もが何度も聞かされていることですから、患者さんによっては「そんなことわかっとるわい!」と口にはしませんが、そう思われている方も少なくないでしょう。

 けれども、うがいというのは本当に大切なのです。毎日丁寧にうがいをおこなっていれば、風邪を防げるというのは、自分自身の経験からも、患者さんを観察していてもよく分かります。

 最近、それを裏付けるデータが発表されました。

 京都大学が発表したこのデータによりますと、1日に3回以上、水でうがいをしたグループは、まったくうがいをしないグループに比べて、36%も風邪をひく人が少なかったそうです。この「水」というのは、生理食塩水や滅菌水などではなくて、普通の水道水です。

 風邪の予防に有効とされているサプリメントは少なくありません。ニンニクやビタミンCあたりが身近なところでは有名だと思います。けれども、これらはまだはっきりとその予防効果が認められたわけではありません。研究によっては有効とするものもあるようですが、36%もの予防効果があったという発表は私の知る限りありません。

 サプリメントが好きな方のなかには、エキナセアを摂取されている方もおられるでしょう。エキナセア(別名コーンフラワー)とは、元々北米のインディアンが、感染症や傷の治療に使用していたハーブで、感冒(風邪)、インフルエンザをはじめとする感染症の治療や予防に使用されてきた歴史があるということが、米国代替医学センター(NCCCAM)のウェブサイドで述べられています。

 ところが、このエキナセアが風邪に無効であるという発表があります。New England Journal of Medicine(NEJM)誌2005年7月28日号によりますと、エキナセアはライノウイルスの感染をまったく予防できないことが分かったそうです。ライノウイルスとは鼻かぜをもたらす病原体で最多のものです。また、エキナセアは予防できないことに加え、出現した症状を緩和する効果も認められなかったとのことです。

 総合ビタミン剤が、風邪を含めた感染症の予防に有効であると考えている人は多いように思います。ところが、この説も最近の研究によって否定されています。『British Medical Journal』2005年4月1号に掲載された論文によりますと、総合ビタミン剤を毎日服用することで、免疫系の活性化や感染予防につながるとは断言できないことが明らかになったそうです。

 ただ、この研究は総合ビタミン剤の感染症に対する効果の検討であって、他の疾病に対する効果は検討されていません。この研究だけで総合ビタミン剤の摂取をやめる必要はないと思われます。(例えば、抗酸化サプリメントで男性の全癌罹患率が低下するという報告が『Archives of Internal Medicine』(2004; 164: 2335-2342)に掲載されています。)

 さて、風邪の予防の話に戻りましょう。

 エキナセアやビタミン剤には、風邪を予防したり、風邪症状を緩和したりする効果がないとされている一方で、水道水のうがいでは36%も風邪を予防できるという研究が発表されたわけです。

 しつこいようですが、「生理食塩水」や「滅菌水」ではなく「水道水」です。したがって、ほとんど無料で36%も風邪が予防できるということになります。

 予防ができるだけではありません。もし風邪をひいたとしても、うがいをしていれば、咳や痰などの気管支症状が緩和されることが分かったと、この京都大学の研究では述べられています。

 風邪で病院を受診されたときに、うがい薬を処方された経験はないでしょうか。病院で処方されなくても、薬局でうがい薬を買ってうがいをしている人も大勢おられるでしょう。

 しかしながら、「うがい薬には風邪を予防する効果がない」ということが、この研究で同時に述べられています。この研究では、水道水でうがいをしたグループ、まったくうがいをしなかったグループの他に、うがい薬を用いてうがいをしたグループの検討もされています。使用されたうがい薬は、ヨード液の入った茶色のもので、一般的に最も用いられているタイプのものです。

 うがいが風邪の予防に効果があるということは、なんとなくみんなが分かっていたことですが、うがい薬を用いたうがいには風邪を予防する効果がない、という結果は多くの医療関係者を驚かせました。というのも、今でも風邪で受診した人にヨード液の入ったうがい薬を処方する医者は少なくないからです。

 では、なぜ、単純な水道水のうがいにこれほどの風邪を予防する効果があり、その一方で、うがい薬を用いたうがいには効果が認められないのでしょうか。

 この研究ではその理由についてははっきり述べられていませんが、私はある仮説を持っています。

 実は、私は2年前まで、風邪の患者さんにヨード液入りのうがい薬を処方していたのですが、昨シーズンから一切処方しなくなりました。それは、うがい薬の効果を疑問視するようになったからです。

 では、なぜ疑問視するようになったかというと、以前別のところでも述べた、「キズの治療に消毒は無効」という考えからです。

 キズの治療に対する消毒薬というのは、病原体に対する殺菌力がないだけでなく、消毒薬が正常な皮膚や粘膜を障害するために、かえってキズの治癒を遅らせます。キズの治療に消毒薬を用いなければ、キズが早く治るだけでなく、患者さんが痛みを感じることもなくなりますから、患者さんからみれば、消毒薬というのは、まさに「百害あって一利なし」なのです。

 キズの治療で消毒薬を用いない方がいいのであれば、同じ成分のうがい薬も用いない方がいいのではないか、と私は単純に考えました。それで、患者さんにその話をした上で、一切うがい薬を処方しなくなったのです。

 ヨード液入りのうがい薬を用いれば、咽頭粘膜がヨードで障害される可能性があります。すると、病原体に対する抵抗力が落ち、障害された粘膜を通して病原体が侵入してしまうことになるのです。

 おそらく、風邪に対する最善の予防法は、水道水で繰り返し繰り返しうがいをすることだと思います。だから私は患者さんに対して、「水道水でいいですから一日に何度もうがいをしてください。特に外から帰ったときは真っ先にうがいをしてください」と言うようにしています。

 まだうがいのできない子供はどうすればいいでしょうか。個人差は大きいですが、だいたいうがいができるようになる年齢というのは5歳くらいだと思います。それまでの間は、「水分を何度も摂取する」という方法で、ある程度の効果が得られるのではないかと私は考えています。うがいというのは咽頭に付着した病原体を吐き出す行為です。ならば、別に吐き出さなくても飲み込んでしまっても同じ効果が得られるはずです。呼吸器症状をもたらす病原体は、咽頭に付着することによって様々な症状を引きおこすわけですから、病原体を含んだ水分を吐き出そうが飲み込もうが効果はそれほど変わらないはずです。
 
 ただ、毎日何回もうがいをする、というのは口で言うほど簡単ではありません。私は診察が終わる度に、その場でうがいをするようにしていますが、それでも忘れてしまうことがけっこうあります。今も、帰宅してからうがいをしていないことにこれを書きながら気付きました。

 これから本日3回目のうがいをしにいきます。

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2013年6月15日 土曜日

第23回 手足の冷え 2005/12/31

冬になると手足が冷えて困るという患者さんは少なくありません。いわゆる「冷え症」というやつです。中高年の女性が最も多い印象がありますが、不規則な食生活からなのか、無理なダイエットからなのか若い女性でも手足が冷えて困っているという人は少なからずおられます。

 女性に比べると頻度は少ないですが、男性のなかにもおられます。また、冬になると悪化するが夏でも冷えで悩んでいるという人は珍しくありません。

 いったい、この冷えの原因は何なのでしょうか。もちろん、一言で「冷え症」と言っても原因も程度もいろいろあります。まずは原因からみていきたいと思います。

 いわゆる「冷え症」の大部分は、器質的疾患がありません。「器質的疾患がない」というのは少し専門的な言い方ですが、要するに、例えば癌などといった内蔵の病気があったりとか、糖尿病や膠原病などの血管が直接ダメージを受けるような病気があるわけではないということです。つまり、なんらかの理由で血管が収縮し、手足の先まで充分に暖かい血液が循環しないために、冷えを感じるが、それ自体は放っておいても大事には至らないという意味です。

 ただ、頻度は少ないと言っても冷えをもたらす重要な病気は存在しますからそれらをまずはみておきましょう。

 重要な病気で比較的頻度が高いのは、糖尿病と動脈硬化です。糖尿病の初期は、喉が渇くとか夜中に何度もトイレに起きるとかいったものが有名ですが、初期であっても少しずつ血管にダメージが加えられています。このため特に手足の先の方の血管には充分な血液がいきわたらずに、そのために冷えを自覚するのです。手足の冷えが糖尿病発見のきっかけとなったというケースもありますから、ある程度の年齢以上の方で、健康診断を受けていない人は一度疑ってみてもいいかもしれません。

 動脈硬化でも手足の冷えはおこりえます。血管の内側にドロドロしたものが付着し、それが硬くなって結果的に血液が流れる領域が小さくなってしまいます。すると末端の方には充分な血液が流れなくなってしまい、やはり結果として手足の冷えをきたすことがあります。動脈硬化の場合は、両側に起こることもありますが、例えば又の付け根のあたりの血管の左右どちらかのみに強い硬化がおこり、足先のどちらか一方だけが冷えをきたすようになることもあります。中高年以上の方で左右どちらかのみに冷えを感じるという人は疑ってみるべきかもしれません。

 糖尿病や動脈硬化に比べるとぐっと頻度は下がりますが、膠原病や膠原病に類似した疾患でも手足の冷えが生じます。膠原病というと関節リウマチが有名ですが、関節リウマチのなかの一部は、全身の血管に炎症が起こり、このため手足の先の方に充分な血液が流れなくなってしまうことがあります。(もちろんリウマチは本来関節の病気ですから大部分は血管まで病気が波及することはありません。)

 関節リウマチ以外の膠原病というのはどれもあまり有名でありませんが、一応名前だけを挙げておくと、全身性エリトマトーデス、全身性硬化症(強皮症)、皮膚筋炎、多発性筋炎、混合性結合組織病、などです。これらの病気になると必ず血管に炎症がおこり冷えが生じるというわけではありませんが、これらの病気のない人に比べるとおこしやすいということは言えると思います。また、さらに名前が知られていない病気ですが、膠原病に類似した疾患で特に血管に病変をきたしやすいものがあります。結節性多発動脈炎、Churg-Strauss症候群、Wegener肉芽腫症などです。また、喫煙で発症することで知られているバージャー病も広い意味ではこれらの仲間といえるかもしれません。

 先に述べましたように、冷えを訴える患者さんの大半は、こういった器質的な疾患がありません。原因疾患がはっきりしていればその治療をおこなえばいいわけですが、それがないときは、では冷たくなった手足をあたためる治療をおこないましょう、となるわけです。

 ところが、です。21世紀の医学をもってすれば手足を温めるくらい何でもないだろう・・・、そう思いたいのですが、残念ながら現代医学(西洋医学)においては身体を温めることを目的とした治療薬は、私の知る限りありません。逆に、熱を下げることを目的として開発された薬剤(解熱剤)は山ほどあります。西洋医学が最も苦手としている領域のひとつが「冷え症」だと言えるわけです。

 西洋医学が苦手なら、じゃあ東洋医学に頼ろうか、となるわけですが、その前に日常生活で冷え症に対応する方法を考えていきましょう。

 まず冬場は素足になるのは避けましょう。そしてぬるめのお風呂にゆっくりと入るようにしましょう。お風呂でなくても足湯でもいいと思います。足湯とは洗面器にお湯を入れて両足をつけることです。これは足を暖めるばかりではなくリラックス効果も得られます。

 それから、特に女性の方に言えることですが、炊事をするときは必ずお湯を使うようにしましょう。なぜか、お湯は使わないようにしている、という人が少なくありません。冷たい水に指先がさらされると「しもやけ」や「あかぎれ」ができることもあります。こういう方に限って、冷たいのを我慢して水を使っているような印象があります。「なぜお湯を使わないのですか」、と質問すると、よく返ってくる答えが「お湯を使うと皮膚の脂分が取れてしまいそうであかぎれがひどくなるような気がするのです」というものです。

 しかしながら、そういう心配はまったく不要です。冷たい水に指先をさらすと血管が縮こまって皮膚が余計に冷たくなってしまいます。脂分のことは心配せずに適度な温度のお湯を使うようにしましょう。

 脂分がとれてしまうのは、お湯ではなくて洗剤が原因です。皮膚の弱い方は洗剤を代えてみるとか、あるいは炊事するときには手袋を使うのも効果的です。また炊事をする度にハンドクリームを使うのもいいでしょう。薬局に相談してみてもいいですし、医薬品のなかにも脂分を補うようなものもありますから医師に相談するのもひとつの方法です。

 日常生活の注意として食事を見直してみるのもいいかもしれません。一般的に身体を冷やすといわれている食べ物があります。冷たい水やビール、ジュースなどもそうですし、キウイやパパイヤといった南国の果物もそうではないかと言われています。こういったものは冬場は避けた方がいいかもしれません。

 逆に身体を温める効果があるとされている食べ物があります。黒ゴマ、ショウガ、ニンニク、納豆などです。食卓にこういった食べ物を加えてみてはいかがでしょうか。

 日常生活や食生活を見直してみて、それでも症状がひどいようなら薬剤の力を借りるべきかもしれません。先ほど、西洋薬には身体を温めるものはない、と言いましたが、末梢血管を拡張させることのできる薬はあります。症状によってはそういった薬が有効かもしれません。

 そして、一般的には身体を温めるのが得意なのは漢方薬です。漢方薬のなかには身体をあたためるものがたくさんあり、有名な葛根湯もそのひとつです。風邪の初期に一時的に身体を温めることにより免疫力をあげてしまおうという考えです。

 ただし、葛根湯は手足の冷えにはそれほど効果があるようには思えません。手足の冷えには、別の有効な漢方薬がきちんとあるのです。ただ、漢方薬の処方がむつかしいのは、同じ冷えの症状を訴える人がいても、その人の他の特徴によって処方すべき漢方薬が異なるということです。その逆に、まったく違う症状であっても処方される漢方薬は同じということもよくあります。

 私の場合は、手足の冷えに対しては、だいたい4~5種類の漢方薬を使い分けています。効果は、残念ながら100%というわけにはいきませんが、一部の人にはかなりの効果が認められます。また、漢方薬を変更してみて効果がでてきたという人もいますから、まずは諦めないことが肝心です。

 「冷え症」というのは慢性の病態でありますから、一日二日で劇的に改善するということは望めません。しかしながら、日常生活を見直し、食生活を工夫し、必要に応じて様々な薬剤を主治医と相談しながら試していくうちに、少しずつよくなってくる、ということは充分に期待できるのです。

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2013年6月15日 土曜日

第22回 癌・糖尿病・高血圧の予防にコーヒーを! 2005/12/17

以前、別のところで、「安易にサプリメントや健康食品を摂取すべきでない」ということを、実際の薬害を例に挙げてお話いたしました。

 日々の診療では、患者さんから、「先生、○○は身体にいいんですか?」とか「今度△△を飲もうと思っているんですけど先生はどう思いますか?」ということをよく聞かれます。

 ほとんどのサプリメントや健康食品は、有効性を証明する科学的な証拠(evidence)がありませんし、逆に、βカロチンの肺癌へのリスクや、ビタミンEの心疾患へのリスク(以前ビタミンEは心疾患のリスクを下げると言われていたのに実際は逆だったというわけです)、またコエンザイムQ10の肝障害などが報告されていることから、私は積極的には薦めないようにしています。

 ただ、酢やニンニク、ショウガといった伝統的に良いとされている食品について尋ねられたときには、「度を越さなければ摂取すべきかと思います」、と答えるようにしています。

 そんな伝統的な食品のなかで、最近注目されているのがコーヒーです。

 私が子供の頃は、コーヒーはカフェイン含有率が高いから摂りすぎてはいけない、と言われていました。実際に、胃が弱い人は空腹時にコーヒーを飲むと胃痛を感じることがよくあります。

 けれども、そんなコーヒーの有用性が最近相次いで報告されているのです。今回はそれらを見ていきたいと思います。

 まずは癌の予防です。『Journal of the National Cancer Institute』という医学誌の2005年2月16日号に掲載された記事によりますと、コーヒーを飲むことによって肝癌と大腸癌のリスクが下がるそうなのです。

 肝癌については日本の研究が引用されています。肝癌は日本に多いのが特徴なのですが、日本でおこなわれた大規模調査によると、コーヒーを毎日摂取する人は摂取しない人に比べて肝癌のリスクが半分になるというのです。それだけではありません。コーヒーを飲めば飲むほど肝癌発生のリスクが下がるそうなのです。これはB型肝炎ウイルスやC型肝炎ウイルスを保有している人にも当てはまるそうです。

 大腸癌についてはアメリカの研究が引用されています。ハーバード大学公衆衛生学部の研究によると、コーヒーを毎日飲む人は飲まない人に比べて大腸癌のリスクを約半分に減らせるそうなのです。

 次に糖尿病についてみていきましょう。以前は、コーヒーは糖尿病のリスクを上げるのではないかと考えられていました。もちろん甘い缶コーヒーを毎日何本も飲んでいれば糖尿病になるのは時間の問題です。実際に、甘いものや高脂肪食はほとんど摂らずタバコも吸わないけれど缶コーヒーは毎日数本飲んでいた、という糖尿病の患者さんを私は何人か知っています。

 コーヒー摂取が糖尿病のリスクを下げるという報告は世界各国で相次いでいます。

 まずは、米国の研究です。『Annals of Internal Medicine』という医学誌の2004年1月6日号の記事によると、男性4万人、女性8万人を最長18年間追跡した大規模調査で、コーヒーを1日6杯以上飲む人では、2型糖尿病の発症率がコーヒーを飲まない人より大幅に低いことがわかったそうです。具体的には男性で5割、女性で3割も糖尿病を発症しにくいそうなのです。そして、意外なことに、この効果はカフェイン抜きのコーヒーよりもカフェイン入りのコーヒーで顕著に認められたそうです。

 男女1万7000人を7年間追跡したオランダの研究でも、同様の効果が認められています。また、日本の同様の調査でもやはり同じ結果が発表されています。そして、ヨーロッパや日本ではカフェイン抜きのコーヒーというのは一般的ではありません。要するに、カフェインが入っている普通のコーヒーに糖尿病を抑制する効果があるということが世界各地の調査で明らかになりつつあるということなのです。

 一般的に、カフェイン入りの強いコーヒーが好きな人というのは、高脂肪食を好み、喫煙者が多いのではないでしょうか。そういった要素はある程度は差し引いて比較統計処理がなされていると思われますが、この結果を意外と捉える人は少なくないのではないかと思われます。

 しかしながら、この調査は、研究対象としている人数が極めて多く、また各国で同じ結果が出ていることから信憑性はかなり高いと言えるのです。

 強いコーヒーを飲むと、なんとなく血圧が上がるような気がしないでしょうか。私自身にそういう印象がありますし、そう思っている患者さんは少なくありません。

 しかし、コーヒーと高血圧の関係も意外なものであることが分かりました。

 『Journal of American Medical Association(JAMA)』という医学誌の2005年11月9日号の記事によりますと、米国の女性看護師を対象とした健康調査のデータから、コーヒー摂取により高血圧のリスクは上昇しないどころか、摂取量が増えるとむしろリスクが減少することが分かったそうなのです。

 この研究ではコーヒーだけでなく、紅茶とコーラによる高血圧のリスクも分析されています。結果は、紅茶ではややリスクが上がり、コーラでは有意にリスクが上昇するそうです。同じカフェインの入っている紅茶やコーラでは、高血圧になりやすく、逆にコーヒーでは摂取量が増えるほど高血圧になりにくい・・・。コーヒー好きには最高の結果となったわけです。

 コーヒーはこれら以外に、パーキンソン病の予防になるという報告もあります。2000年に『Journal of the American Medical Association(JAMA)』で発表されたハワイ大学の研究によると、コーヒーを飲めば飲むほどパーキンソン病になりにくいことが分かったそうなのです。

 また日本のコーヒーメーカーであるポッカの研究によれば、運転時に缶コーヒーを飲めば、眠気が取れるだけではなく、ストレスホルモンも減少することが分かったそうです。

 なんだかいいことばかりのコーヒーですが、本当に身体によくないことはないのでしょうか。

 アクリルアミドという発癌物質があります。これはフライドポテトなどの揚げ物にたくさん含まれており、大量投与すると癌が発生することが動物実験で明らかになっています。

 『Journal of American Medical Association(JAMA)』2005年3月16日号に掲載された、スウェーデンの女性を対象とした研究によれば、アクリルアミドの摂取はコーヒーで最も多いことが分かったそうです。この研究はアクリルアミドの摂取と乳癌の発生率を調べているのですが、アクリルアミドを常識的な範囲で大量に摂取しても(つまりコーヒーをたくさん飲んでも)、乳癌の発生リスクは上昇しないそうなのです。

 アクリルアミドに関しては、日本で意外な報告がなされています。それは、2003年に農林水産省が発表したデータで、従来健康的とされてきた麦茶やほうじ茶に多量のアクリルアミドが含まれていることが分かったというのです。缶入りの麦茶(350mL)を二本飲むと、スナック菓子100gと同程度のアクリルアミドを摂取することになるとのことです。ただし、同省は、「直ちに茶類の摂取方法を変える必要はないと思われる」というコメントを付記しています。

 以上を振り返ると、コーラはもちろん、紅茶やほうじ茶、麦茶までが健康を害する可能性があるのに対し、コーヒーは健康を害さないどころか、複数の癌や糖尿病、高血圧、パーキンソン病などの病気を有意に減少させ、なおかつストレスまでも軽減させる、「超健康食品」ということになります。

 健康食品やサプリメントには安易に手を出さないと決めている私でさえも、これらの報告は気にせずにはいられません。

 これを書きながらも、私の机にはブラックコーヒーが置かれていますから・・・・。

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2013年6月15日 土曜日

第21回(2005年12月) 冬季うつ病

 「先生は病気をしないの?」

 患者さんからよく聞かれる質問です。私が病気をしないかというと、そんなことは全然なくて、冬場はしょっちゅう風邪を引きますし、去年はインフルエンザにも罹患しました。稀とはいえ、ときには睡眠剤を服用することもあります。

 そして、現在私自身が罹患しているかもしれない病気、それが「冬季うつ病」です。

 冬季うつ病とは、だんだんと寒くなり日も短くなってくると、気分が滅入って何もする気がなくなる、秋から冬に限って現れるうつ状態のことです。

 私自身は、気分が滅入って何もする気がなくなる、というところまではいきませんが、とにかく朝起きるのが辛いのです。「二度寝ができたらどれだけ幸せだろう・・・」、そう考えながら毎日重たい身体を起こします。会社員時代には、辛さのあまり理性がなくなると、「自然災害でもテロでも何でもいいから地下鉄が麻痺して仕事が休みにならないかなぁ・・・」と感じたこともありました。もっとも、今は医師という立場ですから、もしそんなことが起これば、逆に寝る時間がなくなってしまいますが・・・。

 辛いのは朝だけではありません。家を出たときに肌を刺すような冷たい風に曝されると、それだけで家に引きこもりたくなります。そんなとき、いつも思い出すのが、ヘビやトカゲなどの爬虫類です。「もし、爬虫類に生まれてたら冬はずっと冬眠できるのに・・・」、寒さが大の苦手な私は、日々こんなことを考えているのです。

 夕方にも辛さはやってきます。まだ5時過ぎだと言うのに日が落ちて暗くなっていくのを見ていると、わけもなく涙があふれそうになります。

 さて、うつ病(うつ状態)については、また改めてじっくりと述べたいと考えていますが、うつ病とは、決して特殊な病などではなく、多くの人が一度は罹患するありふれた疾患であるということを確認しておきたいと思います。最近では、「こころの風邪」などと表現されることもあります。

 実際にうつ病の生涯罹患率は決して小さくありません。報告にもよりますが、一生のうち、だいたい男性の11~13%、女性の15~21%がうつ病に罹患すると言われています。つまり、男性では10人に1人、女性では5人に1人という高い割合でうつ病になるということです。

 そんなうつ病のなかのひとつの形態として「冬季うつ病」があるというわけです。一般のうつ病は、罹患率にそれほど大きな男女差がないのに対して、この「冬季うつ病」は、明らかな男女差があるのが特徴です。女性の方が圧倒的に多くて、男性の4倍近くになると言われています。

 そして、一度発症すると毎年ほぼ同じ時期に繰り返し起こる傾向があります。ただ、このうつ病がそれほど深刻でないのは、心配しなくても春になればすっかり回復するからです。(回復しなければ冬季うつ病ではありません。)

 原因として考えられているのが、日照時間の減少により、ホルモン分泌や体温のリズムが変調する、というものですが、はっきりとしたことは分かっていません。

 では、どうやってこの冬季うつ病に向き合っていけばいいのでしょうか。

 一般的に、うつ病やうつ状態であれば、ひとりで悩まずに医師に相談すべきです。最近は、副作用の少ない効果的な抗うつ薬がたくさんありますから、そういったものを試してみるのもひとつの方法でしょう。必要に応じて、睡眠薬や抗不安薬を加えるべきかもしれません。

 ただ、冬季うつ病の治療については別のアプローチが有効かもしれません。

 冬季うつ病でまず試みるべきなのは、「光にあたること」だと言われています。日射時間の減少によって発症している可能性があるわけですから、それならば、光に当たれば効果が期待できるのではないか、という単純な発想です。

 専門施設によっては、院内で患者さんに強い光を照射する「光療法」という治療法が試みられているそうです。単に光を当てるだけなら、副作用はほとんど気にしなくていいでしょうから、興味のある方は医師に相談されてはいかがでしょうか。

 私が罹患しているかもしれない冬季うつ病は、いつから発症したのかよく分かりませんが、少なくとも高校生の頃には冬の朝は地獄になっていましたから、かなりの長期間お付き合いしているように思います。そして、これが改善するとも思えませんから、一生の付き合いになるのではないかと危惧しております。

 私は医学部在学中に、この冬季うつ病というものを勉強し、光が有効という話を聞いたときに、「なるほど」と思いました。というのも、私は冬は大嫌いですが、たまに体験する風のない冬の昼下がりのポカポカとした日差しが大好きだからです。冬の日の暖かい光は、身体に急速にエネルギーを吹き込んでくれるような気がします。

 もし、この暖かい日差しを一日のうち数分間でも毎日浴びることができればどんなに幸せだろう・・・、と思うことがあります。しかし現実は、このような気持ちのよい日差しを体験できるのは年に数日しかありません。

 そこで、私が現在とっている対策は、「暖かい日差しを実際に浴びているように思い込む」という方法です。本当の体験ではなく「思い込む」という行為であるならば、冬の日差しに限定する必要はありません。思い切って南国の光を想像し、あたかも今体験しているかのように「思い込む」ようにすればいいのです。

 私は十八歳の夏以降、沖縄の魅力にとりつかれています。初めて沖縄に行ったとき、「ここは天国か!」と感じました。それくらい、沖縄の暑い光と乾いた空気は私の精神を高揚させてくれました。タイに行くようになってからは、タイの光と空気の方が好きになりましたが、今でも沖縄の光景は毎日のように目に浮かびます。

 ですから、冬の間は、私は気分が沈みそうになると、沖縄やタイのことを思い浮かべるようにしています。これでなんとか私の冬季うつ病は、専門施設で光を浴びたり、薬物に頼ったりすることなく克服できそうです。(念のために付け加えておきますが、私はこの方法が万人に有効とは考えていません。もしもあなたが冬季うつ病を疑っているなら、早めに医師を受診することを薦めます。)

 ただ、私個人としては、この「思い込む」という方法を非常に重要視しています。

 最近、「思い込み」に関した興味深い研究が報告されました。米科学アカデミー紀要に発表されたその研究では、「痛くない」と思い込むことによって、実際に感じる痛みが軽減することを、MRIを用いた脳の分析で明らかにしています。「注射の前に、痛くないと医師が患者に伝えたり、患者が思い込むことは根拠がある鎮痛法だ。」、とこれを発表した研究者は話しているそうです。

 医学部受験で最も大切なのは、「勉強を開始する前に合格を信じる(思い込む)こと」だということを、私は自分の本で述べています。

 過信しすぎるのもよくないかもしれませんが、まったくお金のかからないこの「思い込む」という方法は、人生の多くの局面で応用できるのではないかと私は考えています。

 ところで、病気の種類にもよりますが、一般的に夏場よりも冬場の方が病院を訪れる患者さんが多いような印象があります。特に時間外や夜間の救急外来をしているときにそれを顕著に感じます。

 風邪やインフルエンザが多いというのが最たる理由ですが、それだけではありません。血圧が冬に高くなることは分かっていますし、心筋梗塞や脳卒中で救急搬送されるのは冬場に多いという統計もあります。そして心筋梗塞や脳卒中といった疾病は致命率が高いのです・・・。
 
 冬という季節は、血圧を上げ、心筋梗塞や脳卒中のリスクを高め、もちろん風邪やインフルエンザももたらし、さらにはうつ病まで引き起こす・・・・。

 どうやら、私のリタイヤ後の人生は南国がメインとなりそうです。

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2013年6月15日 土曜日

第20回 赤ちゃんが泣き止まない 「疝痛」 2005/11/15

「疝痛」という言葉をご存知でしょうか。

 赤ちゃんは普通、生後3週間から3か月にかけて最も良く泣き、特に午後から夕方にかけて激しく泣きます。それは「疝痛」と呼ばれるものかもしれません。

 一般的には、3時間以上泣く日が週に3日以上あり、それが3週間以上続くとき、それを「疝痛」と呼びます。

 「疝痛」の原因は、実はよく分かっていません。これまで提唱されている最も有力な説は、赤ちゃんのいろいろな体験が未熟な神経系統に負担になり、その結果、胃や腸などの赤ちゃんの身体の器官が過剰に反応する、というものです。胃や腸などの消化管が過剰に反応した結果、落ち着かなくなって泣いてしまう、というわけです。

 ただ、この説にはしっかりとした証拠がなく、そのため「疝痛」に対してどのようにすべきか、という言わば治療法については確立したものはありません。そのため、特に最初の赤ちゃんをもうけたご両親は、どのように対処していいか分からず悩まれることになるでしょう。なかには、育児問題、夫婦のストレス、産後うつ病、不必要な救急室受診、あるいは揺さぶられっ子症候群などに苦しまれる親御さんもおられることでしょう。
 
 「疝痛の原因は何かという3,000年も前からの医学の謎が、これで解明される可能性がある。」

 そのような画期的なコメントを携えながら、最近ある米国の学者が自説を発表し注目を集めています。その学者は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部小児科准教授のHarvey Karp博士(以下、Karp博士)です。

 Karp博士によると、「疝痛」は、従来言われてきたような消化管の反応ではなく、「子宮内の一定の音と刺激を恋しがっているから」生じるそうなのです。ほとんどの場合、乳児が泣くのは緊急事態のせいではなく、乳児が世話を必要としているためであると博士は言います。

 Karp博士の理論では、乳児はいわば「第4三半期」の前に、すなわち完全に発育する前に、母胎から出されてしまうのです。

 これには、なるほど、と思われるところがあります。考えてみると、動物のなかで人間だけが未熟なかたちで誕生します。他の動物は、生まれると同時に歩行が可能であり、まだ自分でエサを探しに行くことはできませんが、人間の赤ちゃんほどは手間がかかりません。

 一方、人間の赤ちゃんは、生まれると同時に手厚いケアがなければ、数時間あるいは数日で死んでしまいます。動物に比べて、人間は早く生まれすぎているのではないか、そのように感じずにはいられません。

 では、なぜ人間の赤ちゃんだけがまだ未熟なうちに子宮から追い出されて誕生しなければならないのか・・・。

 人間は他の動物に比べ、脳が発達し大きくなりすぎたために子宮に収まりきらなくなったのではないか・・・、私はそのように考えています。

 もしも脳ではなく、他の臓器が発達して大きくなりすぎ、そのために早く生まれなければならないとしたら、数時間で死んでしまうかもしれません。けれども、人間は脳を発達させたおかげで、高い知能を持つことができるようになり、そのために未熟な赤ちゃんが誕生しても、適切なケアをおこなうことができるのです。

 さて、私の仮説はさておき、Karp博士の理論をもう少しみてみましょう。

 「疝痛」は生後3ヶ月を過ぎると止まるようになります。また、早期産児の場合は、予定日の2週間後になるまで「疝痛」は認められないそうです。「いろいろな意味で、新生児は出生時には誕生の準備ができていないため、やさしく撫で、抱き、しーっと声をかけてもらう第4三半期を必要とする」、と博士は言います。

 要するに、通常分娩であれば2~3週から3ヶ月の間が、本来、子宮内に滞在すべき期間であり、子宮内の環境が突然剥奪されたために、泣き出すというわけです。

 であるならば、治療法は決まってきます。子宮内の環境をできる限り人工的につくりだせばいいのです。Krap博士は、子宮内の経験の模倣をすべき、と述べた上で、具体的に次の5つの方法を提唱しています。すなわち、

 ①布でくるむ(swaddling)

 ②横向き・うつ伏せにして(side/stomach positioning)親が抱く

 ③しーっと言う(shushing)

 ④ゆらす(swinging)

 ⑤おしゃぶりを吸わせる(sucking)

の5つです。

 覚えやすくするために、Krap博士はこれら5つの行動をすべて「s」で始まる単語で説明し、「5つのS」を覚えるように薦めています。

 さらに、これらの行動に補足を加えています。

 「泣いている乳児を両腕を体の横につけ伸ばした状態でぴったりと布でくるむと、最初はよけいひどく泣くかもしれないが、乳児を横向きに抱いて頭と首を支えてやさしくゆらすと、乳児は直ちに泣き止む。必要ならば、さらに、乳児の泣き声と同じくらい大声でしーっと言うべきである。」

 Krap博士は、単に自分の考えを主張しているだけではなく、実証科学的な検証もおこなっています。ひとつは、従来言われてきた「胃腸障害説」の否定です。胃腸障害の最たるものは胃酸逆流ですが、博士の研究によると、救急室に搬送された号泣乳児50例のうち実際に逆流が認められたのは1例のみだったそうです。

 また、胃腸障害以外ではミルクアレルギーの関与が以前から指摘されていましたが、実際にミルクアレルギーで疝痛を起こしている乳児は10-15%程度に過ぎないそうです。

 ここで一点補足しておくと、ミルクアレルギー以外にも赤ちゃんの疝痛の原因になっていると思われるものがあります。

 それはお母さんの食事の内容です。たばこ、アルコールはもちろんですが、強い香辛料、ぶどうなどで母乳の味が変わり、赤ちゃんが嫌がったり母乳を飲まなくなることがあります。また油類のとり過ぎにも注意しなければなりません。

 Krap博士の理論に戻りましょう。

 胎内では、胎児は電気掃除機よりも大きなシューッという音を聞いているそうです。しかし、出生後は静寂であるためにこの点が子宮内の環境との相違になります。そこで博士は、「乳児は、眠りを誘うリズミカルな音と動きを恋しがっている」と述べ、さらに「過剰な刺激を与えることは、刺激が足りないことほど大きな問題では到底ない」と続けます。

 刺激が足りないよりも過剰な刺激を与える方が乳児にとってはいいことであるなら、静かな環境でミルクを飲んでいるときに寝てしまった赤ちゃんに対してはどのようにすべきなのでしょうか。

 博士は、「もう少し乳児を起こしておかなければならない」と言います。またそうすることにより、結果として現在よりも1-2時間長く眠ることができる、と続けます。

 しかし、このKrap博士の理論は完全に信用していいのでしょうか。ミルクを飲んで気持ちよく眠っている赤ちゃんを起こすとなると、お母さんにかなりの心理的抵抗が生じるのではないでしょうか。

 一度提唱された理論が、実は間違っていることが分かった、などということは科学の世界ではよくあります。この博士の理論もいつ撤回されるか分かりません。

 実際に、Krap博士の「5つのS」を堂々と自信を持っておこなえる日はもう少し先になりそうです。

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2013年6月15日 土曜日

第19回 咳 2005/10/27

咳を訴えて、外来を受診される患者さんは大勢おられます。時間もバラバラで、明け方の咳がひどくて、朝一番の外来に来られる方もおられれば、夜間の突然の咳で、救急外来に飛び込んで来られる方も少なくありません。

 もちろん、咳の原因にもいろいろあって、我々は治療を考える前に、まずは、その原因探索をおこないます。今日は、もしも咳で悩んだときにどうすればいいかを考えていきましょう。

 まず、咳というのは誰もが自覚する症状ですから、ごく軽症であれば病院を受診せずに、しばらく様子をみようということになると思います。例えば、風邪をひいたときのような場合です。

 前回このコーナーで、風邪も放っておいていいものから、直ちに高度な医療行為の必要なものまで様々である、というお話をしましたが、そうはいっても、風邪の大半は軽症ですから、経験的に病院には行かずに、あるいは市販の風邪薬や咳止めで様子をみよう、となることも多いと思います。

 よくあるのが、風邪は治ったのに、つまり、熱は下がって喉の痛みもとれたのに、なぜか咳だけが続いて、何か他の病気にでも罹患したのかな、と思って心配になって受診されるというケースです。

 こういうケースの多くは、「感冒後咳嗽」と言って、多くの患者さんが経験されているようです。特に悪い病気ではないのですが、市販の咳止めを飲んでも一向に治らないために、医療機関を受診されることが多いようです。

 実は、医療機関でも、このタイプの咳はなかなな治療するのがむつかしいことがあります。一般的な咳止めが効かないことが少なくないからです。そのため、医療機関を次々と代える患者さんもおられます。

 けれども、このタイプの咳は、根気よく、医者と相談しながら、自分にあった治療薬を探していくと、そのうちにいいものが見つかることも多いと言えます。どんな薬剤が効くかというと、これは本当にケースバイケースで、標準的な西洋薬が効く人もいれば、漢方薬が劇的に効く人もいます。

 なかには、喘息の治療で使用する吸入薬がよく効く人もいます。特に、明け方の咳に悩まされているという人は、気管支喘息の治療と同じような薬剤が極めて有効なケースが少なくありません。

 この状態は「咳喘息」という病態の可能性があります。「咳喘息」というのは、気管支喘息のように、レントゲンを撮影しても、聴診器で肺の音を聞いても異常がないのですが、気管支喘息と同じような治療をおこなえば劇的に改善するという疾患です。

 そして、この「咳喘息」の患者さんというのは、軽いアレルギー疾患を持っていることがあります。例えば、花粉症のような、季節によっては軽い鼻炎と結膜炎に悩まされるようなタイプのアレルギー疾患を有している人に多く見られるような印象があります。

 日頃、外来で咳を訴えて受診される患者さんで、もっとも頻度の高いもののひとつが、気管支喘息です。気管支喘息は、誰もが知っている国民病のような病気で、治療法も確立していますが、不幸なことに、毎年何千人もの方が喘息が原因で命を奪われています。

 気管支喘息という病気は、これまでに世界中で多くの研究がなされ、現在ではすぐれた薬剤がたくさんあります。医師の指導のもと、適切な治療をおこなっていれば、命を失うようなことはかなりの確率で防げるはずです。

 にもかかわらず、年間何千人もの方が亡くなるというのはどういうことでしょうか。
 私の印象としては、適切な治療を受けていない人がいることがひとつの原因ではないかと思います。

 というのは、特に夜間に救急外来をしているときに、喘息発作を起こして患者さんが搬送されてくることがあるのですが、こういった患者さんのなかには、自己判断で通院をやめている人が少なくないからです。

 気管支喘息という病気は、慢性の疾患であり、根気強く治療を続けていく必要があります。年中呼吸困難に苦しめられるというわけではなく、ときには数ヶ月にわたり、調子いい状態が続くこともあります。そういうときに、医師の判断によるのではなく、自分で「もういいだろう」と判断して治療をやめてしまう人がおられるのです。

 これが、非常に危険なことなのです。喘息の治療は、毎日規則的に吸入したり内服したりする薬剤もありますが、発作時のみに使用するタイプの薬もあります。勝手に治療をやめてしまう患者さんは、「定期的な薬を吸ったり飲んだりしなくても、発作が出たら(あるいは出そうになったら)、すぐに効くタイプの吸入薬を使えばいいや」、と考えていることがあるのです。

 気管支喘息の患者さんは、病気とかなり長いお付き合いになる、ということを自覚して、医師と一緒に病気に向き合っていくことが大切なのです。

 ところで、医師の立場からみると、喘息の患者さんは、特に夜間などではもっとも多くみる疾患のひとつなのですが、ときに重症な患者さんも来られますから、もっとも緊張感の要する疾患である、と言えます。

 軽症であれば、吸入のみをおこなってもらいますが、ある程度重症化していれば、点滴をおこなうことになります。点滴で劇的によくなることも多いのですが、なかには、点滴をおこなってもほとんど改善せず、緊急入院してもらって、持続的な点滴をしながら、同時に酸素を吸ってもらうこともあります。
 こういう患者さんの多くは、先に述べたように自己判断で治療をやめていることが少なくありません。

 もしもあなたが、喘息に罹患していたり、喘息の疑いがあると言われているなら、きちんとかかりつけ医を持って、そのかかりつけ医と一緒に喘息という病気としばらく付き合っていくんだ、という気持ちを持たれるべきだと思います。

 咳で悩んでいる患者さんのなかには、重大な病気に罹患しているというケースもあります。その代表が、肺ガンと肺結核です。

 肺ガンは、誰もが知っているガンのひとつで、発見が遅れがちになることがよくあります。健康診断で発見された、というケースがもっとも多いでしょうが、なかには長引く咳から発見された、ということもあります。ですから、風邪を引いたわけでもないのに、突然咳が始まって、しかもなかなか治らない、というときには疑ってみるべきかもしれません。

 肺結核も、長引く咳から発見されることがよくあります。

 肺結核という病気は、衛生状態が悪い地域に住んでいる栄養がきちんと摂れていない人が罹患しやすいという特徴があります。ですから、通常は、先進国ではあまりみられない病気です。

 ところが、この病気は、なぜか先進国のなかでは、日本だけが例外的に多いという特徴があります。

 私が、タイのエイズホスピスでボランティアをしているとき、アメリカから来ていた同じくボランティアの医師に、「日本では結核が依然多い」という話をすると、「Surprising!」と言われました。先進国であるはずの日本に、結核が多いことが理解できない、と言うのです。

 ただ、日本に多いと言っても地域的な偏りがあって、関西で言えば、大阪の「どやがい」というか、ホームレスの多い地域に集中しています。

 けれども、それだけではありません。最近では、ごく普通の若い人が結核に罹患している場合が珍しくなくなってきているのです。どういう人に多いかというと、「無理なダイエット」をしていて、極端な低栄養状態になっているような人です。

 ダイエットについては、また別の機会にゆっくりと述べたいと思いますが、何事も極端なことをおこなうと、思わぬ落とし穴が待っているというわけです。

 咳には、これら以外にも、心不全、後鼻漏、気管異物、逆流性食道炎、気胸、肺塞栓、など様々な原因疾患がありますから、気になるようなら、お近くのかかりつけ医を受診するようにしましょう。

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2013年6月15日 土曜日

第18回 風邪に抗生物質は必要か 2005/10/15

 私は医師になるまでは、数年に一度程度しか風邪をひいていなかったのですが、医師になってからは、毎年必ず、それも年に数回は風邪をひくようになりました。季節の変わり目はほぼ必発で、今年はインフルエンザにも罹患しました。

 なぜ、突然風邪をひきやすい身体になったかというと、過労という問題もありますが、年中風邪の患者さんと接していることが最大の原因です。特に、私は現在も週に一度、小児科の外来を担当していることもあって、子供から風邪をうつされることが少なくありません。子供の咽頭を診察するのは大変で、なかなか口を開けたがらない子供の喉の奥まで見せてもらおうとすると、どうしても唾液が私の顔にかかるのです。

 さて、今回は「風邪の適切な治療」について考えてみたいと思います。というのも、最近、一般の(医療従事者でない)ある人から、「風邪に抗生物質を出す医者ってどうなんですかね~」というコメントを聞いたからです。

 この人は、風邪で抗生物質を処方するのは過剰診療と考えているようです。こういう意見が出てくるのは、一部のマスコミが「風邪に抗生物質を処方するのはいい加減な医者」というような報道をしているからなのかもしれません。

 では、本当に風邪に抗生物質は不要なのでしょうか。
 
 「風邪」というのは、実は定義が曖昧で、こういう状態が風邪、とはっきり示すことはできませんが、ここで医学的に言葉を整理してみたいと思います。

 まず、「風邪」とは広い意味では、「鼻から肺にいたるまでの気道に炎症をきたす病原体による急性感染症」となると思います。さらには、「感染性胃腸炎」など、気道よりもむしろ、腹痛や下痢、嘔吐などを主症状とする感染症も「おなかの風邪」などと言われることがあります。「おなかの風邪」まで議論を広げると、ややこしくなりますので、今回は、「気道に炎症をきたす病原体による急性感染症」だけを取り上げてみたいと思います。

 さて、「気道に炎症をきたす病原体」には、どのようなものがあるのでしょうか。最も一般的で頻度の多いのがウイルスで、次に多いのが細菌、頻度はぐっと下がりますが真菌(カビの一種)や、さらに頻度は低いものの原虫などによるものもあります。

 「風邪」をごく狭い意味で使うと「ウイルスによる気道感染症」ということになると思います。一般的に、このタイプの風邪は、それほど高熱が出ず、症状も軽く、仕事を休むまでもないことが多いと言えます。医学的にはこのタイプの風邪は「感冒」と呼ばれ、英語では「cold」となります。以前、アメリカ人に聞いたことがあるのですが、風邪で会社を休むときは「cold」だと言ってはいけないそうです。「cold」は軽い風邪であるという社会的な認識があり、そんなことで会社を休むのはけしからん、と思われるそうです。

 このタイプのウイルスによる軽い風邪には、抗生物質は不要です。抗生物質は、細菌を死滅させることはできますが、ウイルスを殺すことはできませんから、投与しても意味がないのです。このタイプの風邪に抗生物質を処方するのは、たしかに過剰診療であるといえるでしょう。

 さて、ウイルスによる風邪がすべて軽症かというとそうではありません。何事にも例外はあるのです。一般的に軽症の風邪をもたらすウイルスは、ライノウイルス、エコーウイルス、コロナウイルスなどですが、インフルエンザウイルスは誰もが知っているように簡単に重症化します。老人がインフルエンザに罹患すると、命にかかわることもあります。

 また、一時マスコミを騒がせた「SARS」も、原因ウイルスはコロナウイルスの一種だという説が有力でありますし、小児に感染しやすいアデノウイルスも、ときに入院が必要なほどの重症化をきたすことがあります。このように、インフルエンザウイルス以外にも重篤な症状をきたすウイルスがあるのです。

 次に細菌感染による風邪をみていきましょう。細菌感染による風邪は、通常「感冒」とは呼ばれず、炎症の強い部位に応じて、急性咽頭炎、急性扁桃炎、急性気管支炎、急性肺炎などという病名がつけられます。細菌感染は、感冒に比べて、高熱が出ることが多く、咳や咽頭痛などの症状も強くできます。病原体が細菌なわけですから、この場合は抗生物質が非常によく効きます。原因菌は、溶血連鎖球菌、黄色ブドウ球菌、肺炎球菌、インフルエンザ菌など様々です。(インフルエンザ菌というのは細菌であり、一般にインフルエンザと呼ばれているのはインフルエンザウイルスのことを指します。)

 さて、我々医師が風邪症状を呈している患者さんを診察するときには、ウイルス感染なのか、インフルエンザウイルス感染なのか、細菌感染なのかを見極めなければなりません。どのようにして見極めるかというと、これは臨床症状と血液検査、レントゲンなどから総合的に判断するしかありません。このときにどのような病原体に感染しているかということを迅速に判定できればいいのですが、今のところ、迅速に判定できるのは、溶血連鎖球菌、インフルエンザウイルス、アデノウイルスの3つだけです。これら以外は医師の経験に頼るしかないのです。そして、細菌感染と判断すれば、抗生物質を投与し、インフルエンザと診断すれば抗インフルエンザ薬を処方し、通常のウイルス感染と判断すれば、抗生物質は処方しません。

 患者さんのなかには、「あなたは一般のウイルスによる感冒だから抗生物質は不要だと思います」と言っても、どうしても抗生物質を処方してほしいという人が少なくありません。先ほど述べたように、ウイルス感染か細菌感染かの判定は、最終的には医師の力量に委ねられ、100%の確信はもてませんから、「これから重症化するかもしれないからどうしても抗生物質を処方してください」と言われれば、現実的には処方することもあります。この点が、抗生物質の過剰投与につながっており、実際、全世界の抗生物質消費量のおよそ4分の1が日本で消費されているというデータもあります。

 医師が自分の力量に頼りすぎたために、結果的には患者さんを不幸にさせたかもしれないという症例があります。

 以前、3ヶ月の乳児が、風邪症状を訴え、ある病院を受診しました。その乳児の血液検査ではC反応性蛋白(CRP)の値が3.18と軽度であったために、診察医は抗生物質を処方しませんでした。ところが、その後症状が急激に悪化し、10時間後には死亡してしまったのです。病理解剖の結果、その乳児はWaterhouse-Friderichsen症候群という、急激に副腎の機能が低下し、死にいたる病態に移行したのです。

 この症例は訴訟になり、医師側が敗訴しました。抗生物質を投与していれば死亡はまぬがれたかもしれないというのが判決理由です。ただ、Waterhouse-Friderichsen症候群は極めて稀な疾患であることと、重症化するのがあまりにも急激なために、たとえ抗生物質を投与していても助かったかどうかは分からないという弁護側の言い分も一部は認められたようです。

 一見ただの風邪にみえる症状が実は極めて危険な状態であるということは、それほど多くはありませんが、充分にありえることは知っておいた方がいいでしょう。

 1歳1ヶ月の小児が、喘息性気管支炎(小児に多い風邪の一種)と診断され、帰宅したとたんに呼吸困難になり死亡したという事例があります。

 子供だけではありません。風邪症状を訴えた35歳男性が、喉頭蓋炎(気管の入り口が腫れあがるため窒息してしまう)をきたし、入院直後に死亡したという例(この患者さんは抗生物質を数日前より投与されていました)もあります。

 また、一般開業医を受診した45歳男性は、急性気管支炎、急性扁桃炎と診断され、解熱鎮痛薬を処方され(抗生物質は処方されず)帰宅しました。しかし、その後呼吸困難が出現し、その診療所を再診しました。医師は重症と診断し、すぐに救急病院に行くように指示し、自らは自分の車でその救急病院に向かったそうです。ところが、この男性も急性喉頭蓋炎の状態になり窒息死しました。

 このように一言で「風邪」といっても様々であり、薬剤が一切必要ない状態から、直ちに入院して高度な医療を受けなければならないような場合まで様々なのです。

 「風邪に抗生物質は必要か」、この問いには、イエスともノーとも言えません。ケースバイケースであり、気になるようなら自分で重症度を判断せずに、医療機関を受診することが必要なのです。

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