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2013年6月15日 土曜日

第30回 コーヒー摂取で心筋梗塞!? 2006/04/15

以前、このコーナー(「はやりの病気」第22回)で、コーヒーは様々な病気の予防に効果があるという研究結果を紹介しました。具体的には、癌、糖尿病、高血圧、パーキンソン病などの疾患において、各国の大規模調査でコーヒーの有用性が証明されたというものです。

 ところが、最近、コーヒーは心筋梗塞のリスクを上昇させるのではないかという研究が発表され話題を呼んでいます。『JAMA』という医学専門誌の2006年3月8日号にその研究が紹介されています。

 その研究によりますと、「カフェイン代謝速度が遅い個体においては、コーヒーの摂取が非致死性心筋梗塞のリスク増加と関連した」と結論づけています。この表現は少しむつかしいように思いますので分かりやすく解説していきましょう。

 まず、「カフェイン代謝速度が遅い個体」というのは、この研究に協力した個人の遺伝子を調べています。つまり、個人によってカフェインを代謝する速度が異なり、その原因は個人が持っている遺伝子にあるというわけです。「代謝」というのは、要するにカフェインを分解してしまう生体の能力のようなものです。

 そして、カフェインを代謝するのが遅い遺伝子を持っている人が、コーヒーを摂取することによってカフェインが体内に長い時間とどまることになり、それが心筋梗塞を起こしやすくする、というわけです。

 心筋梗塞という病気は、あまりにも有名なために解説はいらないかもしれませんが、ここで少し復習しておきましょう。

 心臓は寝ているときも起きているときも意識に関係なく24時間働いてくれています。全身に血液を送り出さなければならないわけですから、かなりの重労働でそのため心臓の筋肉は多量の血液を必要とします。したがって心臓の周囲の血管というのはしっかりとした太いものです。

 ところが動脈硬化がおこると、血管の内部にドロドロした物質が付着することによって血管の内径が細くなってしまいます。そして少しの血液しか流れなくなり、やがて完全に血管がつまると心臓の筋肉が悲鳴を上げ、心筋梗塞が起こります。

 この論文で述べられているように、カフェイン摂取で心筋梗塞のリスクが増加するなら、カフェイン大量摂取で動脈硬化が促進される可能性があると言えます。しかし、今回発表されたこの論文では、それに対する説明があまりなされていません。まだ発見されていない未知のメカニズムがあるのかもしれません。

 周知の動脈硬化を促進する要因はいくつかあります。その代表が糖尿病と高血圧です。しかし、「はやりの病気第22回」でご紹介したように、コーヒーは糖尿病も高血圧も予防する効果があるという研究があります。これらは矛盾しているようですが、医学とはそんなに単純なものではありませんから、いつの日かこれらをクリアカットに説明できるときがくるのかもしれません。

 ところで、カフェイン代謝速度が遺伝子で決まるなら、自分の遺伝子はどうなんだろう、と疑問を持たれる方もおられるでしょう。遺伝子を調べて、もしもカフェイン代謝速度が遅い遺伝子をもっているなら、これからカフェイン摂取を控えることによって心筋梗塞のリスクが減らせるかもしれないのですから、知りたいと思うのも当然です。

 しかしながら、今回の研究で調べられたようなカフェイン代謝速度の遺伝子というのは、まだまだ研究レベルのものであり、実用的ではありません。もしもカフェインと心筋梗塞の関係が今後の研究ではっきりとすれば、遺伝子検査が実用化されるかもしれませんが、当分先のことだと思われます。

 一般に「心臓病」と言うときは、この心筋梗塞を指すことが多いといえます。それだけ心筋梗塞とは重大な病気であり、日本人の三大死因のひとつでもあります。心筋梗塞はもしも発生すれば一刻を争う病気であり、すばやく救命処置がとられなければ命に関わる疾患です。

 したがって、心筋梗塞を防ぐための食品やサプリメントの研究は多々ありますが、最近は否定的なものも相次ぐようになりました。記憶に新しいショッキングな報告は、ビタミンEについてのものです。心筋梗塞の原因である動脈硬化を予防するには抗酸化物質を摂取すればいいと考えられており、その代表のひとつであるビタミンEの摂取がこれまで推薦されていました。

 ところが2001年11月29日に『New England Journal of Medicine』という雑誌に発表された論文で、心筋梗塞の予防には抗酸化物質の効果がないことが報告され、その後も特にビタミンEの効果については否定的な結果があいついでいます。

 青い魚の脂肪にたくさん含まれているオメガ3脂肪酸という物質をご存知でしょうか。これは、心筋梗塞の発症率に地域差があることから発見につながった物質です。元々心筋梗塞は欧米に多く、日本や地中海沿岸地方では発症率が低いという特徴があります。地域差があるということは、食生活に原因があるに違いないと考えられ、その結果特定されたものがこのオメガ3脂肪酸というわけです。つまり、日本や地中海沿岸地方では従来から青身の魚を食べる習慣があり、日頃からオメガ3脂肪酸を摂取しており、そのため心筋梗塞になりにくいのではないかと考えられているというわけです。

 オメガ3脂肪酸は心疾患だけでなく癌の予防効果もあると言われており、現在世界の多くの国で積極的な摂取が薦められています。生活習慣病を防ぐために青身の魚を食べましょう、というようなことはきっと聞かれたことがあると思います。実際、サプリメントにもオメガ3脂肪酸が含まれているものがありますし、一部の医薬品にもあります。

 ところが、です。最近、このオメガ3脂肪酸の効果を疑問視する研究が発表され議論を呼んでいます。2006年3月24日の『British Medical Journal』(電子版)に、英国のある大学がおこなった研究が掲載されました。この研究によりますと、これまでに発表されたオメガ3脂肪酸に関連した89の研究を再分析したところ、健康増進効果を導きだせなかったそうなのです。この報告では、「狭心症(心疾患のひとつで心筋梗塞の一歩手前のような状態)などの人は、念のため、(オメガ3脂肪酸の)多量の摂取は控えた方がいい」としています。

 ところで、食生活やサプリメントというのは、マスコミの報道や宣伝広告ほど効果が期待できない、と考えるべきだと私は思っています。今回は心臓病を取り上げて、研究発表を振り返ってみましたが、例えば癌に効果があるとされているようなものは、ほとんど何ひとつきちんと証明されていません。それどころか、かえって有害であるという報告も見られます。

 アガリクス製品が、癌を予防するどころか、発癌物質を含んでいることが分かり、厚生労働省管轄の食品安全委員会が販売中止を命じたのがいい例でしょう。(例えば共同通信社2006年2月14日)

 また、以前、大腸癌を予防するということで脚光を浴びていたベータカロチンが、実際には大腸癌を予防するどころか、かえって肺癌のリスクを上昇させることが分かったというのもよく知られていることです。

 話を心臓病に戻しましょう。

 心筋梗塞を予防することを考えたとき、コーヒーは逆効果である可能性があり、ビタミンEを代表とする抗酸化物質やオメガ3脂肪酸には期待することができないかもしれない・・・。では、我々は、いったい何をすればいいのでしょうか。

 心配しなくても、的確に心筋梗塞を予防する方法はきちんとあります。わざわざ最新の医学情報、あるいはサプリメント情報に精通している必要はありません。では、その方法をご紹介しましょう・・・、といきたいところですが、その前に「サプリメントとの付き合い方」について片付けておきましょう。

 まず、サプリメントというのはどうしても摂らなくてはいけないものではありません。かといって、度を越さなければ摂ってはいけないものでもありません。期待はそれほどせずに、「摂取することによって体調がよくなれば儲けもの」、くらいの気持ちで考えればいかがでしょうか。

 コーヒー、酢、大豆、など、健康にいいとされている食品についてはどうでしょうか。私はこれらも、「好きなら摂取する」、くらいでいいと考えています。「健康にいいから摂取するんだ!」という気持ちでいればおいしいものもそうでなくなってしまいます。「おいしくて自分が好きなものだからよく食べている(飲んでいる)」くらいがちょうどいいのではないかと私は考えています。

 次回は、「確実な心臓病予防法」についてお話することにいたします 。

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2013年6月15日 土曜日

第29回 HIV、施設から家庭へ 2006/04/01

私が始めてタイのエイズ関連施設を訪問したのは2002年の秋ですが、そのときにもっとも驚いたことのひとつが、患者さんが地域社会や病院から、さらに家庭からも差別的な扱いを受けているというものでした。

 病院からは診察を拒否され、家庭からも追い出された患者さんが、パバナプ寺をはじめとするエイズ施設への入所を余儀なくされていたのです。さらに、施設の収容人数にも限りがあるため、行くところがないまま彷徨い歩く患者さんが多いという話もよく聞きました。

 その後、私は2004年、2005年、そして今年(2006年)にも様々なタイの施設を訪問していますが、あきらかに変化していることがあります。

 それは、少しずつですが、それでも着実に、HIV/AIDSに対する差別が減少してきている、ということです。たしかに、今でもHIV/AIDSの患者さんの入店を拒否している食堂はあるようですし、就職差別は根強いですし、病院からの差別も完全になくなったわけではありません。

 しかしながら、「家庭での差別」というのは大きく減少してきているように見受けられるのです。

 今から4~5年前までは、家族のなかでHIV陽性が分かると、多くの人が家から追い出され、行き場をなくしていました。当時は、特に北タイなどでは、正しい知識が浸透しておらず、なかにはエイズは容易に空気感染する、などと言われていた地域もあり、そのような地域では患者さんはその土地を離れなければならなかったのです。

 実際、数百人を収容しているパバナプ寺でも、家族は一度も見舞いに来ないばかりか、患者さんが亡くなって遺骨を家族の元に送っても送り返されることが多々ありました。

 それが、現在では施設に入るのではなく、HIV陽性が分かっても、あるいはAIDSを発症していても家族と過ごす人が増えてきているのです。

 差別が少なくなってきた最大の理由は、正しい知識が浸透するようになってきた、というものです。HIVは容易に感染するような感染症ではないということ、感染しても適切なタイミングで適切な薬を内服することによりAIDSの発症を防げるということ、そして、何よりも、もともと差別されるような病気ではないことが、社会に認知されるようになってきているのです。

 これはもちろん歓迎されることであり、正しい知識を普及させたタイの行政、マスコミ、多くのNPO、多くのボランティアなどの貢献の結果であります。私は最近(2006年3月)、タイ北部を中心に多くの患者さんやその家族とお会いしましたが、少なくとも患者さん(正確に言えばHIV陽性であるだけの人を「患者」と呼ぶのはおかしいですが・・・)が家族に暖かく受け入れられていることを実感しました。

 現在、家族とともに生活されているHIV陽性の患者さんの多くは同じことを言います。

 「家族とともに過ごすのが一番です。」

 「家族は私の病気のことをよく理解してくれています。」

 と、言い、そして家族の方も

 「できるだけ(患者さんと)一緒に過ごす時間を増やしたい」

 と言います。

 こういう話を聞くと、感動を覚え家族愛というものが大変素晴らしく感じられます。

 しかし、問題がないわけではありません。

 患者さんの多くは、家族から受け入れられ、適切な薬剤を内服することによりAIDSを発症していないと言っても、疲れやすい、あるいは発熱しやすいという症状を有している人も少なくありません。ですから、通常の社会人と同様に仕事をするわけにはいかないのです。また、普段は健康に過ごしている人でも、重労働をおこなえば、すぐに倦怠感などの症状が出現するという人もいます。

 HIV陽性というだけで、例えば国から手厚い保障があるわけではありませんから(タイは日本に比べると社会保障がほとんど発達していません)、仕事をしなければ生活がままならなくなります。結局、わずかな賃金しかもらえない自宅での軽作業などしかできず、そのため充分な生活ができない状況にあるのです。

 HIV陽性の方も、その家族の方も、

 「お金はなくてもいい。それよりも少しでも家族一緒の時間を増やしたい」

 と言います。

 ただ、現実に目を向けると、いくら貧乏を受け入れるといっても食べるものがなければ問題です。そして、一部の人は外国人の寄付金を頼りにすることになります。

 「何を言っているんだ。HIV陽性と言っても働けるんだから、初めから寄付金をあてにするのはおかしいじゃないか!」

 そのように考える人もおられるでしょう。たしかに、いくつかのNPOではこの点をジレンマに感じているようです。「自分たちが、患者さんが容易に寄付金を当てにする慣習をつくってしまったのではないか・・・」、そのような自責の念にとらわれている人もおられます。
 
 HIVに対する差別が減少し、家族と共に過ごすことができるようになったといっても、この社会から差別が完全になくなったわけではありません。患者さんは自宅や近所の集会所でおこなえるような簡単な軽作業はできても、なかなか正式な社員、もしくは労働者として勤めることはむつかしいのです。

 その理由は先に述べた、体調のこともありますが、それよりも大きな理由は、HIVに対する就職差別です。雇用者の多くは、HIV陽性の志願者を採用しないということが日常茶飯事なのです。

 そういう現状があるので、HIV陽性であることを隠して、就職活動をおこなう感染者の方もおられます。けれども、その地域ではHIV陽性であることを隠すことはできませんし(田舎の村ではすぐに噂が広がります)、都会に出稼ぎに行くようなことをすれば交通費や宿泊費がかかりますし、家族とまったく会えなくなってしまいます。

 そして、もうひとつ忘れてはならないのが、HIV陽性であることに対する精神的な不安定さです。いくらタイ人は笑顔が絶えなくて、自殺もしないし、楽天的だといっても(国民全体でみればそうかもしれませんが)、HIV陽性であることを背負って生きていくということは、私も含めた健常者からは想像もできないような苦痛を抱えていることを意味します。

 日本でも、例えば、薬剤エイズの被害者の36%が「死んでしまいたい」と答えています(日本経済新聞2006年3月26日)。日本の患者さんは、タイと比べると手厚い保障があるのにもかかわらず、です。

 家族の支えによって、この精神的な不安定さがいくぶんか和らいでいるところを、出稼ぎに行くことによって家族から離れなければならなくなるというわけです。

 結局のところ、家族から受け入れられるようになったといっても、実際には生活することは依然としてできずに、家族と過ごすことを断念し体調や精神状態を悪化させるリスクを抱えて出稼ぎにいくか、寄付金を頼りにするかしか選択肢がないという人も大勢いるわけです。

 さらにこの出稼ぎということには別の問題も孕んでいます。もともと田舎出身でHIV陽性の人というのは、学歴のないことが圧倒的に多いのです(タイでは日本では考えられないほど学歴による就職差別があります)。高い賃金が得られる仕事に就けない人は、男性であれば身体に相当の負担のかかる肉体労働に従事することになりますし、女性であれば、売春に流れることもあるわけです。

 HIV陽性の女性が売春をするというのはもちろん問題ですし、その母親の姿をみて、自分が代わりに働かなければと考える10代前半の子供もでてきます(タイでは日本からは考えられないほど子供が親を大切にします)。すると、その子供が女性であれば、やはり売春に流れていくということがあるわけです。

 こういった状況を改善するには、行政からの社会保障を手厚くするか、あるいはNPOやボランティアの力を借りざるをえません。前者はすぐには期待することができませんから、直面している問題を解決するためには、NPOやボランティアの役割が依然大きいというわけです。

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2013年6月15日 土曜日

第28回 急性アルコール中毒② 2006/03/16

前回は、自分の過去の恥ずかしい話も披露して、急性アルコール中毒がいかにキケンかということをお話しました。

 今回は、あるひとつの症例をとりあげて、急性アルコール中毒の患者さんに、医療従事者がいかに苦労して対応しているかについてお話したいと思います。

 その患者さんは21歳の男性、大学生(仮に佐山さんとしておきましょう)です。

 大阪市内のとある病院に佐山さんは救急搬送されてきました。救急隊からの連絡では、かなり泥酔しており、衣服に嘔吐物が付着しているが、血圧や心拍数は正常で重症度はそれほど高くないとのことです。

 病院に到着してからも、佐山さんは状況が分かっていないようです。救急車に同伴してきた友人らしき人物も相当酔っています。なんとかベッドでおとなしくしてもらい、点滴をつなぎ様子をみることにしました。ときどき訳のわからないことを口にしますが、少しは自分が申し訳ないことをしたという意識があるのでしょう。「すいません、すいません」と何度も口にしています。

 衣服は泥だらけ、嘔吐物だらけですから、外来はかなり汚れてしまいましたが、これは仕方ありません。こんな状況になるのは、急性アルコール中毒の患者さんを受け入れる以上は避けられません。

 しばらくすると、佐山さんの「友人」がやってきました。救急車に同伴してきた友人が、自分も泥酔しているために付き添いを交代してほしいと依頼したのでしょう。

 この新しく来た「友人」は、お酒を飲んでいないようです。しらふの付き添いが側にいるのは患者さんにとって心強いものです。実際、佐山さんはこの「友人」に「すまんなぁ、ありがとう」と繰り返し話しています。

 ちょうどその頃、別の急性アルコール中毒の患者さんが救急搬送されてきました。この患者さん(50代の男性)はなにやら大声で怒鳴っています。誰かとけんかをしていたのかもしれません。「おい、田中はどこや、田中はどこいった!」と大声で叫んでいます。

 そのときです。つい先ほどまでおとなしくしていた佐山さんが、むくっと上半身を起こし、「誰が田中や! 俺は佐山や!」と怒鳴りました。「なんやと! お前は関係ないんじゃ。黙っとけ!」「お前、誰にむかって口きいとんじゃ、ボケ!」・・・・・

 泥酔しているふたりが口げんかを始めました。とりあえず、救急隊員が新しく搬送された患者さんを、院内のスタッフと付き添いの「友人」が佐山氏をおさえました。

 佐山氏はようやく状況を理解したようで再びおとなしくなりました。そして1時間ほど経過した頃、「トイレに行きたい」と言い出しました。

 「トイレ」と言われても、佐山氏は相当泥酔していて、ひとりでトイレまで歩けるような状態ではありません。それに点滴をおこなっていますから、途中で外れるようなことがあれば大変です。看護士が、自分が持つ尿瓶に尿をするよう何度も説得し、ようやく佐山氏は同意しました。

 ところが、佐山氏はなんとか排尿する姿勢はとるもののなかなか自分のペニスを出そうとしません。尿瓶をもっている看護士が、「恥ずかしくないから大丈夫ですよ」と何度も言うのですが、ペニスを出すまでに5分以上も経過しました。

 ようやく取り出したペニスは、いわゆる「包茎」でした。おそらくそれが原因で若い看護士に自分のペニスを見せたくなかったのでしょう。
ようやく排尿を開始した瞬間です

 悲劇はこのとき起こりました。ペニスが包茎であったことから、排尿のコントロールが上手くいかず、尿は尿瓶をとらえずに、なんと看護士の顔にかかってしまったのです。それまで笑みを絶やさなかった看護士も、これには我慢ならなかったようです。

 「もう、あんたなんか知らんわ! 勝手にしい!」彼女はそう言ってその場を去っていきました。若い看護士が、泥酔した男性患者に尿を顔面にかけられたのです。怒るのも無理はないでしょう。

 そのときです。それまでおとなしくしていた佐山氏の態度が急激に変わりました。「なんやと! オレを誰やとおもてんねや!」、そのようなことを口走り突然暴れだしました。点滴を自ら引き抜きました。血液が床にしたたり落ちています。すでにフロアは、さきほどとびちった尿でぬれています。これに血液が加わり、また床に落ちた衣服についた嘔吐物が混ざり合います。もう見ていられない光景です。

 看護士が怒ってしまったことに対して、感情を抑えきれない佐山氏の怒りの矛先が次に向いたのは、付き添いの「友人」でした。今度はこの「友人」に襲い掛かりだしました。佐山氏は、身長約180センチ、おそらく体重は90キロはあるでしょう。そんな体格の佐山氏がアルコールで理性を失っているのです。まともに襲われれば危険です。

 「友人」は必死で逃げました。佐山氏は泥酔しているわけですから、足元がふらついてもよさそうなのですが、意外にしっかりとしています。このままでは「友人」がつかまるのも時間の問題かもしれません。

 身の危険を感じたこの「友人」は廊下に逃げました。ところが、佐山氏も後をおいかけます。真夜中の病院の廊下での追いかけ合いは、相当異様な光景です。おそらくこの「友人」もこの病院に来るのは初めてなのでしょう。玄関から逃げればよいのですが、院内の地理が分かりません。

 長い廊下をまっすぐ進むと、不幸なことにそこは行き止まりでした。この「友人」が壁に背を向け立ち止まっているところに、佐山氏は突進してきました。この「友人」には逃げ場がありません

 アブナイ! 佐山氏が襲い掛かってくるその瞬間、この「友人」はいちかばちかで身体をふと横にそらしました。

 ドシーン! 大きな音とともに佐山氏が壁にぶつかりました。泥酔した上での加減のない突進ですからかなりの衝撃です。まるで、トムとジェリーのワンシーンのように、いったん壁に張り付いた佐山氏はヒラヒラと壁から床に倒れました。

再び意識をなくした佐山氏は、この「友人」と看護士によってベッドにうつされました。

 幸い、この壁との衝突で大事にいたることはありませんでしたが、佐山氏は翌日このことを一切覚えていませんでした。このことだけではありません。佐山氏はこの病院に搬送されたこと自体が記憶にないそうです。

 さて、この患者さんの話を読まれて皆さんはどのように思われたでしょうか。きっと読まれているうちに、私に対して怒りの気持ちが出てきたのではないでしょうか。

 「お前、医者やったら、客観的に観察してる場合やないやろ。看護士や友人がキケンな目にあってるんやから、医師であるお前がしっかりしやなあかんやろ!」きっとそのように思われたことでしょう。

 この症例はつくり話などではなく、もちろん実際のものですが、時は1989年2月某日のものです。つまり、私が医師になる遥か以前の話です。では、なぜ、私がこれだけ詳しくお伝えできるかというと、実はここで登場する「友人」が私自身だからです。そして佐山氏は仮名ですが、私の実際の知人です。

 急性アルコール中毒に対し、実際に我々がどのような治療をおこなっているかについて簡単にご紹介しておきましょう。

 まず、呼吸や血圧などに注意し、外傷がないことを確認し、点滴を開始します。もしも、呼吸状態が悪ければ、万一にそなえて気管挿管の準備をおこないます。念のため血糖値を測定したり、頭部のCTを撮影したりすることもあります。

 今回ご紹介した症例(私の思い出?)のように、患者さんによっては、いったんおとなしくなって、意識が戻っているように見えても、その後凶暴化することもあるわけです。この経験があるから、私は急性アルコール中毒の患者さんを診察したときは、たとえ本人が「もう大丈夫です」と言っても、完全に酔いが覚めるまでは帰らずに院内で休んでいてもらうようにしています。
 
 アルコールは、決してあなどってはいけないのです。

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2013年6月15日 土曜日

第27回 急性アルコール中毒① 2006/02/28

少し前になりますが、急性アルコール中毒で夜間に救急病院を受診した大学生が、帰宅後に死亡し、病院が適切な処置を怠った、という理由での医事紛争がありました。判決では、全面的に原告側の主張が認められ、病院及び担当医師の注意義務違反が立証され、病院側は8800万円(原告側の要求は9000万円)を支払うことになりました。

 急性アルコール中毒といえば、夜間の救急外来ではおきまりの疾患のひとつです。この症例のように、ときには命にかかわることもありますし、中毒症状自体が軽症であっても、理性をなくした患者さんが医療従事者に暴言を吐いたり、暴力をふるったりということも日常茶飯事で、我々医師からみれば少々難儀するケースがあります。せっかくつないだ点滴を自ら引き抜いたり、診察室を駆けずり回ったり、と他の患者さんとは趣を異にするのが特徴といえるかもしれません。

 そんな急性アルコール中毒の患者さんたちに、私は思い入れがあります。どのような症状で来られようが、患者さんによって差をつけてはいけないというのが、我々医師のルールなのですが、私はどうしても、急性アルコール中毒という疾患に特別の思い入れを持ってしまいます。

 それは、私の(医学部でなく以前の)大学生の頃の経験によるものです。

 ときはバブル経済真っ盛りの頃、私は関西の私立大学に通っていました。通っていたといっても、大学にはとりあえず籍を置いているという程度のもので、勉強はほとんどせずに、アルバイトや遊びに精を出していたというのが正直なところです。(最近、大学の出席率が上昇しているということがよく言われますが、80年代後半当時は、国全体がお祭り騒ぎをしていたような時代で、授業よりも「遊び」が重要視されていたのではないか、と私は考えています。もちろん大学や学部にもよりますが・・・)

 私は、今でこそほとんどお酒を飲みませんが、当時はほぼ毎日、しかも大量に飲んでいた、というか、飲まされていました。実際、お酒を飲んで吐かなかった日はほとんど記憶にありません。もともと私は、お酒は好きではないのですが、当時の関西では、「酒も飲まれへんようなやつは男やない」とか「つがれた酒をイッキにあけないやつはヘタレや」とか、そういうことが言われており、飲まないわけにはいかなかったのです。(時代や地域のせいにするのもよくありませんね。私の性格もあるかと思います・・・。)

 で、ともかくお酒を飲まないやつは信用されない、みたいな空気が(少なくとも私の周囲には)ありましたから、なんとしてでも飲まなければならなかったのです。

 飲まなければならない、と言っても、飲めないものは飲めません。それで、私を含めたお酒が強くない者がとる道は、「アルコールが身体にまわる前に吐く」というものです。ただ、「吐く」と言っても「トイレで吐いてきます」と言うわけにはいきませんから(そんなことはお酒を拒否するのと同様とみなされ許されません)、なんとか自分が注目されていないような場の空気になるのを待って、タイミングをみて、一気にトイレに駆け込むのです。

 しかし、こういう方法もいつもいつもうまくいくとは限りません。ビールだけ、あるいは薄い水割りだけなら、アルコールが身体にまわるのにある程度の時間の余裕がありますが、これが60度以上の焼酎とか、84度のラムとか、96度のウォッカとかになると、もうほとんど瞬間的に酔っ払ってしまいます。

 そもそも、96度のウォッカなどは、ボトルに「ストレートで飲まないでください」と表示されているのです。それをストレートどころか、イッキで飲まされていたのですから、今振り返るとゾッとします。

 このあたりで、アルコールの致死量についてみていきましょう。

 アルコールの致死量は、成人で体重1キロあたり、5~8グラムと言われています。例えば体重50キロの人であれば、50キロ×5グラム/キロ=250グラムですから、アルコール250グラムでも死にいたることがありうるわけです。5%のビールだけを飲んでいたとすれば、X×0.05=250グラムとなり、X=5000グラムとなります。1グラム=1ミリリットルとすると、5000グラム=5000ミリリットル=5リットルのビールを急激に飲めば死にいたるということになります。5リットルといえば、大ビン7本程度でしょうか。

 ウイスキーの場合はどうでしょうか。例えば40%のウイスキーでは、Y×0.4=250グラムとなり、Y=625グラム(=625ミリリットル)となり、ちょうどボトル1本程度になります。なんと、ウイスキーボトル1本を急激に飲めばそれだけで死にいたる可能性があるのです。

 では、私が学生の頃、無理やり飲まされたことのある96%のウォッカではどうでしょう。Zx0.96=250グラムとなり、Z=260グラム(=260ミリリットル)となります。ほとんどグラス1杯で死にいたるということになります。

 もちろん、致死量には個人差があります。お酒の強い人と弱い人では当然これらの数字は違ってきます。実際、患者さんにお話をお聞きしていると、信じられないくらいにお酒に強い人がいます。つい先日、診察した患者さんは、毎日ビールを1ケース(350ミリリットルの缶)飲むと言っておられました。私が聞いた最高記録は、毎日ビール大ビン2ケース!というものです。この方は元力士の方で、結局お酒が原因で肝臓を壊されています。

 一方、私のようにお酒が苦手な者は、体重あたり5グラムでも危ない、という意識を初めからもつべきだと思います。

 「正しい知識の欠落」とは恐ろしいものです。医師になるなんて微塵も思ってなかった当時の私には、アルコールの致死量なんてことはまったく知りませんでしたし、知ろうと思ったことすらありませんでした。現在、命のあることに感謝しなければなりません。
 
 急性アルコール中毒の症状についてみてみましょう。まず、多くの人が経験的に知っているのは、顔面紅潮(顔が赤くなる)、頭痛、嘔吐、などでしょう。これが重症化すると血圧低下をきたします。さらに重症化すると、意識がなくなってきます。そして意識がなくなり呼吸状態が悪化することもあります。急性アルコール中毒の主たる死因のひとつは、「呼吸不全」です。

 臨床的にときどき遭遇するのは、嘔吐物が気管につまり窒息するというものです。意識状態が正常であれば、嘔吐物が気管に入るなんてことは起こらないわけですが、アルコールのせいで意識が朦朧としている状態であればこういうことが起こりうるのです。

 また、嘔吐物による窒息や呼吸不全が起こらなかったとしても、意識が朦朧としている状態では、転倒して頭をぶつけ、脳内出血や脳細胞の挫滅が起こることも予想されます。ときに、これらは救急外来での発見が遅れることがあり、命にかかわることもあります。

 また、こういった命にかかわるようなことが起こらなかったとしても、意識がなくなるというのは非常に危険なことです。盗難に合う可能性もありますし(実際私も何度か被害にあったことがあります)、もっと凶悪な犯罪に巻き込まれることもあるかもしれません。

 私はよく意識をなくし、翌朝、銀行の前で寝ているところを警備員に叩き起こされたり、駅前で浮浪者に起こしてもらったり、あるいは次の店で大騒ぎしていたことの一切の記憶がない、なんてこともよくあり、それらをまるで自慢のように話していた時代がありましたが、今思えば恥ずかしいこと極まりない行為であったと深く反省しています。

 一度、「このまま死んでしまうんじゃないか・・・」と思ったことがあります。その日は初めから体調が悪かったのですが、いつものようにトイレで吐いていると、いつのまにか便器に顔をうずめ意識をなくしていました。そして、胃の痛みで目覚めると、トイレが血だらけになっているのに気付きました。かなり大量の血を吐いていたのです。
 今思えば、直ちに救急車を呼んででも病院に行くべきだったのですが、当時の私にはそんな意識はありませんでした。しばらくトイレで休憩し、その後ふらつきながらなんとかタクシーで家に帰りました。胃の痛みはしばらく続いて数日間は何も食べることができませんでした。
 
 医学部入学後、ある講義中にこの状態の正体が分かりました。それは「マロリー・ワイス症候群」と言って、主にアルコールで嘔吐を繰り返し、その結果、胃粘膜に亀裂が入り、そこから大量の出血がおこる病態です。確定はできませんが、私が苦しんだ吐血はこの疾患であったのではないかと思われます。この疾患の講義を受けているときに、私は過去の自分のあさはかな行動が恐ろしく、そして恥ずかしくなりました。

 このように、恥ずかしく、そしてキケンな行為をしていたため、私には急性アルコール中毒がひとごととは思えないのです。過去の自分に対する反省もこめて、現在は治療にあたっています。

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2013年6月15日 土曜日

第26回 薬で胃に穴があいた! -薬剤性胃潰瘍- 2006/02/15

先日、ある病院で当直業務をしていたときのことです。

 救急搬送された患者さんを診察し、入院の手続きを終え、少し休憩をとろうと当直室に入ったときに私の携帯電話が鳴っているのに気づきました。

 画面を見ると、私の父の携帯電話の番号が表示されています。時間は午前1時半、こんな時間に電話があるのはただことではありません。

 嫌な予感を感じながら、電話に出ると母がなにやらあせった様子です。父が腹痛で救急搬送され、そのまま緊急手術になった、と言うのです。

 緊急手術とは、ただごとではありません。私は頭のなかで、緊急手術になりうる腹痛をきたす疾患をいくつか思い浮かべましたが、どの疾患にしても重症のものばかりです。母はもちろん医学的知識を持ち合わせていませんから、主治医、あるいは執刀医から、病状や手術の説明を受けているはずですが、状況をよく分かっていないようです。よく分かっていないながらも必死で言葉をつなぎ合わせている母の説明から、父はおそらく胃に穴があいた状態(これを「胃穿孔(いせんこう)」と言います)で、その穴をふさぐ手術を受けているのだということが分かりました。

 問題は、胃穿孔の原因です。医師というのは重症のものをまず念頭におきます。そして、胃穿孔でもっとも重症の原因は胃癌によるものです。私の祖父(父の父)は胃癌で亡くなっていることもあり、私がまっさきに頭に浮かんだのは胃癌です。しかし、私がこれまで診察した胃穿孔の患者さんの原因でもっとも多いのは胃癌ではなく、薬によるものです。そして薬剤のなかでも多いのが鎮痛剤とステロイドです。

 私は母に、父は最近薬を飲んでいなかったかを尋ねました。ステロイドを飲まなければならないような病気を父が患っていたとすれば、私が知らないはずはないですから、可能性があるのは鎮痛剤です。痛み止めを飲んでいなかったかどうか母に尋ねると、父は最近肩の痛みに対して鎮痛剤を飲んでいたことが分かりました。

 おそらく鎮痛剤による胃穿孔と思われるが、癌によるものであることも覚悟しなければならないな、私はそう思いました。そして、もし癌なら、胃穿孔をおこすほどに進行したものということになり、これは命にかかわります。

 私は翌日の外来をキャンセルし(幸い、その日の私の外来予約は入っておらず、新規の患者さんはすべて他の医師にお願いすることにしました)、早朝に車を飛ばして実家に帰りました。

 母を拾って、すぐさま父が手術を受けた病院へと向かいました。父は痛みから苦しそうにしていましたが、様態は落ち着いているようです。

 執刀医の説明から、あいた穴はきれいなかたちをしており、父が鎮痛剤を飲んでいたことと合わせて考えると、まず間違いなくその鎮痛剤が原因の胃穿孔であろう、ということでした。

 幸いなことに、手術はうまくいき、その後父は無事退院することができました。

 私の父が体験したような胃穿孔を「薬剤性胃穿孔」と呼びます。穿孔は十二指腸に起こることもあるため、「薬剤性上部消化管穿孔」と呼ぶこともあります。(一般に、「上部消化管」とは、食道、胃、十二指腸のことを指し、「下部消化管」とは小腸と大腸のことを言います)

 先に述べたように、原因薬剤はステロイドと鎮痛剤のことが多いと言えます。なかでも多いのが、慢性の関節痛や頭痛のために痛み止めを長期で服用している場合です。私の父も、肩の痛みのために「ロキソニン」という鎮痛剤を1日に3錠、3ヶ月間飲んでいたことが分かりました。

 私の臨床上の経験から言っても、この「薬剤性上部消化管穿孔」により、緊急手術を余儀なくされた患者さんは少なくないように思います。また、「穿孔」までいかなくても「薬剤性上部消化管潰瘍(かいよう)」の患者さんにはよくお会いしますし、「潰瘍」まで進んでいなくても鎮痛剤を飲めば胃が痛くなる、という人は何も珍しくありません。

 関節痛や頭痛、あるいは生理痛といった痛みがある以上は、鎮痛剤に頼ることが増えるのは仕方ありません。もちろん、他にも治療法がある場合もありますが、軽症であれば、とりあえず価格も安い鎮痛剤で様子をみよう、ということになるのが普通です。「安易に痛み止めを飲むのはよくない」と考えている人もいますが、医学的には大部分の痛みは取り除いてあげた方がいいことが分かっています。これは、痛みを我慢すると、痛みを引き起こす自律神経が興奮したり、あるいは痛みに関与する神経伝達物質が過剰に分泌されたりして、かえって痛みを増強することがあるからです(これを「痛みの悪循環」と呼びます)。
 
 では、鎮痛剤を飲みながら、この「薬剤性胃潰瘍」を防ぐ方法はないのでしょうか。

 痛み止めを飲んで胃が痛くなるという人は決して少なくありませんから、私は鎮痛剤を処方するときに、必ず「胃は強い方ですか」と質問します。「それほど強くありません」という返答ならば、通常は鎮痛剤と一緒に胃薬を処方します。胃薬にもいろんな種類のものがありますが、もっとも頻繁に使用されているのは、価格の安い、胃の粘膜を保護する作用のある胃薬です。私の父も、「ロキソニン」と一緒に胃粘膜保護剤が処方されており、父はこれらの薬を同時に飲んでいました。

 にもかかわらず、父の胃は「ロキソニン」が原因で穴があいたのです。

 実はこういうことはよくあります。患者さんは、医師から胃の痛みや胃潰瘍の副作用のことを聞いていても、胃薬と一緒に飲んでいるから大丈夫、と考えていることが多いのです。私は、鎮痛剤を処方するときには、胃薬と一緒に出したとしても、「胃が痛くなるようなら服用をやめてすぐに相談してください」と言うようにしていますが、患者さんのなかには、胃薬の力を過信している方がおられます。

 胃潰瘍や胃穿孔は急激に起こることもありますが、それでも少なくとも胃穿孔の発症前には、胃の痛みを感じているのが普通です。

 実際、私の父も数日前から胃の痛みを感じていたことが後になって分かりました。母としても、父は普段はささいなことでも「痛い、痛い」と言いますから、まさか胃の痛みを我慢していたとは思っていなかったそうです。
 
 「胃薬と一緒に飲んでも胃に穴があくなら痛み止めなんて恐くて飲めない!」、そのように考えられる方もおられるかもしれません。しかし、そんなことはありません。痛みが出現するようなら主治医にまずは相談してみましょう。痛み止めを変更するとか、胃薬の種類を代える、あるいは他の胃薬を併用する、などして対処することは充分に可能です。実際、胃の弱い人でも、うまく痛み止めと胃薬を使うことによって何十年も痛みに対応できているという患者さんは決して少なくありません。(もっとも痛み止めを飲まなくてもいいように痛みの原因の病気を治せれば一番いいのですが・・・)
 
 最後に、ときどき遭遇する、患者さんのふたつのキケンな行動をご紹介しておきましょう。

 ひとつは市販の痛み止めを長期に(あるいは短期間でも大量に)飲んでいる場合です。医師が処方する鎮痛剤よりも市販の痛み止めの方が、副作用が少ないか、というと決してそうではありません。しかも、市販の痛み止めで対処しようとする人のなかには、胃薬を併用するという意識が初めからない人もいますからキケンです。痛みが慢性化していたり、長期で市販の痛み止めを飲んでいたりする人は、一度かかりつけ医に相談することをおすすめします。

 もうひとつキケンなのは、「痛み止めは坐薬ならば大丈夫」、と考えている人がいることです。これはまったくの誤解です。飲み薬の鎮痛剤は、何も胃の粘膜に直接作用するわけではありません。詳しい説明は省略しますが、痛み止めの成分がいったん血中に吸収された後に胃の粘膜の血管に悪い影響を与えることによって、胃が痛くなったり、胃潰瘍をきたしたりするのです。したがって、飲み薬でも坐薬でも胃に障害を与える機序はまったく同じなのです。

 私の診察した患者さんで、痛み止めの坐薬を1週間で5個使って胃穿孔を起こし、救急搬送された方がおられました。この患者さんも胃の痛みを我慢していたそうです。わずか5個!で胃に穴があいたのです。どれだけ痛み止めを安易に使うことがキケンかが、お分かりいただけるでしょうか。
 
 痛み止めというのは、なくてはならないものですし、効果的に使うことによって生活の質を劇的に改善します。ただし、私の父のように胃薬を併用していても緊急手術を受けることもあるのです。

 安くて頻繁に使われているからといってあなどらず、他の薬と同様、使用するときは、しっかりとかかりつけ医の話を聞きましょう。

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2013年6月15日 土曜日

第25回 生理前の様々な苦痛 -月経前緊張症候群- 2006/02/01

私がまだ研修医で、皮膚科のトレーニングを受けていた頃、「生理の前になるとニキビや肌アレがひどくなる」という患者さんにたくさんお会いしました。

 現在は、内科や総合診療科の外来もおこなっていますが、例えば、腹痛、腰痛、むくみといった症状が、なぜか生理前だけに起こる、という患者さんは少なくありません。また、総合診療科に来られる患者さんは、心理的・精神的な悩みを話されることもありますが、集中力が出ない、イライラする、気分が落ち込む、涙もろくなる、といった症状が生理前に集中して起こると訴えられる方がおられます。

 これらの症状は、すべて「月経前緊張症候群」の可能性があります。

 私が、患者さんの話をお聞きしたあとで、「それは月経前緊張症候群の可能性があります」と言うと、「先生、病名を言ってくれてありがとうございます。これまでいろんな病院に行きましたけど、いつも、『医学的には異常がなくて気持ちの問題や』、などと言われて軽く扱われていたように思っていました。今日は病名を言ってもらって少しすっきりしました。」と言われることがあります。

 患者さんの気持ちが少しでもすっきりするのは確かにいいことなのですが、だからと言って症状がラクになるわけではありません。「症候群」という文字の付く病気のいくつかは、いろんな症状をひとまとめにして、とりあえずの病名を付けているだけであることもあり、原因や有効な治療法がはっきりしているわけではありません。

 月経前緊張症候群も原因や治療法を一元的には説明できず、現段階ではまだまだ発展途上の疾患と言えるかもしれません。

 しかし、この疾患に悩んでいる女性は決して少なくありません。統計によって異なるのですが、少ないデータでは数パーセント、多いものなら90%以上の女性が、軽症のものも含めればこの疾患に生涯に一度は苦しめられるそうです。

 では、この不可解な疾患の実態は何なのでしょうか。

 まずは、原因についてみていきましょう。症状は生理周期に関係しているわけですから、女性ホルモンのバランスに原因がありそうです。ところが、患者さんに採血させてもらっても、ホルモンの数字は正常であることも少なくなく、これだけでは説明できないような症例も多々あります。女性ホルモン説以外には、神経伝達物質代謝異常説、ビタミン欠乏説、骨盤内うっ血説、心因説、などいろいろな説が提唱されており、まとまった見解は現在のところありません。また、引越しや転職、進学などが発症の契機になったという方もおられます。

 原因がはっきりしていないということは、決定的な治療法がないということにもなります。そのため、この疾患で悩んでいる患者さんのなかには、相当な苦労をなさっている方がおられます。

 先に挙げた症状以外には、乳房緊満感、頭痛、発汗、ほてり、不安、対人不適応といったものまであり、家族関係や子育てにトラブルを来たしたり、職場の人間関係に亀裂が入ったりすることもあります。アメリカのある研究では、月経前緊張症候群を含めた月経前後の症状によって、労働効率が4分の3に低下するそうです。

 では、月経前緊張症候群にはどのようにして対処していけばいいのでしょうか。もちろん、重症であれば、あれこれ考えずにまずは自分のかかりつけ医に相談すべきですが、ここでは自分でできる対処法について考えていきましょう。

 まずは、こういった症状が本当に月経前緊張症候群かどうかを確かめるために、基礎体温をつけるのが有効です。この疾患は月経前の3から10日間の間(黄体期)に起こるとされていますから、これにあてはまるかどうかを確認するのです。そして基礎体温をつけていれば、排卵が正しく起こっているかどうかを確認することもできます。排卵が起こっていて、黄体期に症状が出現していれば月経前緊張症候群である可能性が極めて高くなるというわけです。自身でここまでの作業をおこなっていれば、後にかかりつけ医に相談することになったとしても話がスムースにすすみます。

 それでは、具体的な症状にどのように対応していくべきかをみていきましょう。まずは、当たり前と言えば当たり前のことですが、「規則正しい生活」をしましょう。「そんなこと分かってます!」と言われるかもしれませんが、これが非常に大切です。「規則正しい生活」とは、睡眠、運動、食事、ストレスを貯めない、などです。実際、運動を開始したり、栄養のバランスを考えた食事に変更したりしてから症状が随分ラクになった、という患者さんは少なくありません。食事については、カフェインを摂り過ぎない、ビタミンを適切に摂る、あるいはγリノレン酸のサプリメントで効果があったという報告もあります。

 ただ、現代生活をしている以上、「規則正しい生活」といっても限界があるでしょう。ストレスを貯めないように、と言っても、「じゃあ先生、私のストレスの原因をなんとかしてよ!」と思う方もおられるでしょう。たしかに、責任ある仕事を負わされていたり、子育てをひとりでされていたりする方などは、ストレスを貯めないといっても限度があるものと思います。

 そんなときの対処法ですが、「症状のことを周囲の人に話しておく」ことが大切なのではないかと私は考えています。こういった女性特有の疾患というのは、男性はなかなか理解できません。私も医師になってたくさんの患者さんと接するまでは、患者さんの気持ちが分かっていたとは言えませんでした。(もっとも今でも理解できていない部分があるでしょうが・・・)

 私が会社員をしていた頃のことを振り返っても、「なんで女性っていうのは、ああも浮き沈みが激しいんやろ。仕事はクラブ活動やないんやからやるべきことはやってくれないと困るのに・・・」と、突然不安定になった女性に対して感じたことは一度や二度ではありませんでした。

 今思えば、そのときの女性社員は月経前緊張症候群だったのかもしれません。自分の思いやりのなさを痛感します。自分に対する反省の意味もこめて、月経前緊張症候群のことを世間の方々に知っていただきたいと今は思っています。
 
 さて、腹痛、腰痛、ニキビなどといった身体的な症状に対してはどうすればいいのでしょうか。患者さんにもよりますが、これらのひとつひとつはそれほど重症化することは少ないですから、まずは一般的な対症療法でいいと思います。私が診させてもらっている患者さんでも、軽症の月経前緊張症候群の方には、生理前だけニキビの外用薬を使用してもらったり、鎮痛剤を飲んでもらったりしている方もおられます。

 痛みや皮膚症状が重症化したり、精神的な症状が原因で、人間関係にヒビが入ったりする(もしくは入るかもしれない)ような場合には、医師に相談することをおすすめします。医師に相談せずにひとりで対処しようとするとどんどん症状が悪化することもありますから、医師にかかるかどうか迷うような段階であれば、思い切って相談してみましょう。

 中等からやや重症と思われるようなケースで、特に精神症状が強い場合は、患者さんと相談した上で薬剤を処方していくことになります。漢方薬やホルモン剤、あるいは抗うつ薬を試すこともあります。

 ホルモン剤は、保険診療で処方できる中容量ピルも有効ですが、副作用のことを考えて低容量ピルをおすすめすることもあります。(なぜか日本の保険では中容量ピルは保険適応があって低容量ピルにはありません。)最近のアメリカの研究で、活性成分を24日分とした低容量ピルが、重症の月経前緊張症候群に有効であったという報告があります。この新しい低容量ピルはまだ市場には出ていませんが今後注目したいところです。

 抗うつ薬も、患者さんによってはかなり有効です。ただ、抗うつ薬までは使いたくないという患者さんもおられますし、必ずしも効果があるとは限りませんし、妊娠を考えている人にも使えませんから、(少なくとも私は)最初から積極的には薦めていません。

 ときに、月経前緊張症候群が重症化した方に遭遇することがあります。人間関係に大きな亀裂が入っていたり、職場を休まなくてはならなくなっていたりするような場合です。おそらく、これまで誰にも相談できずに、ひとりでかなりの苦労を背負われていたのでしょう。

 重症化しているような場合には、専門医に診察してもらう必要があります。より専門的な治療では、偽閉経療法や男性ホルモンの投与をおこなうこともあるそうです。重症化した状態になる前に、なんらかの治療をおこなっていれば、そんなに大きな苦痛や苦労を背負わなくてもよかったかもしれないわけですから、周囲の人やかかりつけ医に早めに相談するのが非常に大切なのです。

 「病院の敷居は高い」という人がいますが、「なんでも気軽にかかりつけ医に相談している人は苦痛を感じずに済んでいることが多い」、ということは覚えておいて損はないでしょう 。

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2013年6月15日 土曜日

第24回 風邪の予防にうがい薬は無効?! 2006/01/13

「外から帰ったらうがいをしましょう」

 私が子供の頃から言われ続けてきた言葉です。成人してから言われなくなったと思ったら、医師になってからは、今度は逆に、同じ言葉を言う立場になってしまいました。

 この冬も同じ言葉を患者さんに何度言ったか分かりません。こんなこと誰もが何度も聞かされていることですから、患者さんによっては「そんなことわかっとるわい!」と口にはしませんが、そう思われている方も少なくないでしょう。

 けれども、うがいというのは本当に大切なのです。毎日丁寧にうがいをおこなっていれば、風邪を防げるというのは、自分自身の経験からも、患者さんを観察していてもよく分かります。

 最近、それを裏付けるデータが発表されました。

 京都大学が発表したこのデータによりますと、1日に3回以上、水でうがいをしたグループは、まったくうがいをしないグループに比べて、36%も風邪をひく人が少なかったそうです。この「水」というのは、生理食塩水や滅菌水などではなくて、普通の水道水です。

 風邪の予防に有効とされているサプリメントは少なくありません。ニンニクやビタミンCあたりが身近なところでは有名だと思います。けれども、これらはまだはっきりとその予防効果が認められたわけではありません。研究によっては有効とするものもあるようですが、36%もの予防効果があったという発表は私の知る限りありません。

 サプリメントが好きな方のなかには、エキナセアを摂取されている方もおられるでしょう。エキナセア(別名コーンフラワー)とは、元々北米のインディアンが、感染症や傷の治療に使用していたハーブで、感冒(風邪)、インフルエンザをはじめとする感染症の治療や予防に使用されてきた歴史があるということが、米国代替医学センター(NCCCAM)のウェブサイドで述べられています。

 ところが、このエキナセアが風邪に無効であるという発表があります。New England Journal of Medicine(NEJM)誌2005年7月28日号によりますと、エキナセアはライノウイルスの感染をまったく予防できないことが分かったそうです。ライノウイルスとは鼻かぜをもたらす病原体で最多のものです。また、エキナセアは予防できないことに加え、出現した症状を緩和する効果も認められなかったとのことです。

 総合ビタミン剤が、風邪を含めた感染症の予防に有効であると考えている人は多いように思います。ところが、この説も最近の研究によって否定されています。『British Medical Journal』2005年4月1号に掲載された論文によりますと、総合ビタミン剤を毎日服用することで、免疫系の活性化や感染予防につながるとは断言できないことが明らかになったそうです。

 ただ、この研究は総合ビタミン剤の感染症に対する効果の検討であって、他の疾病に対する効果は検討されていません。この研究だけで総合ビタミン剤の摂取をやめる必要はないと思われます。(例えば、抗酸化サプリメントで男性の全癌罹患率が低下するという報告が『Archives of Internal Medicine』(2004; 164: 2335-2342)に掲載されています。)

 さて、風邪の予防の話に戻りましょう。

 エキナセアやビタミン剤には、風邪を予防したり、風邪症状を緩和したりする効果がないとされている一方で、水道水のうがいでは36%も風邪を予防できるという研究が発表されたわけです。

 しつこいようですが、「生理食塩水」や「滅菌水」ではなく「水道水」です。したがって、ほとんど無料で36%も風邪が予防できるということになります。

 予防ができるだけではありません。もし風邪をひいたとしても、うがいをしていれば、咳や痰などの気管支症状が緩和されることが分かったと、この京都大学の研究では述べられています。

 風邪で病院を受診されたときに、うがい薬を処方された経験はないでしょうか。病院で処方されなくても、薬局でうがい薬を買ってうがいをしている人も大勢おられるでしょう。

 しかしながら、「うがい薬には風邪を予防する効果がない」ということが、この研究で同時に述べられています。この研究では、水道水でうがいをしたグループ、まったくうがいをしなかったグループの他に、うがい薬を用いてうがいをしたグループの検討もされています。使用されたうがい薬は、ヨード液の入った茶色のもので、一般的に最も用いられているタイプのものです。

 うがいが風邪の予防に効果があるということは、なんとなくみんなが分かっていたことですが、うがい薬を用いたうがいには風邪を予防する効果がない、という結果は多くの医療関係者を驚かせました。というのも、今でも風邪で受診した人にヨード液の入ったうがい薬を処方する医者は少なくないからです。

 では、なぜ、単純な水道水のうがいにこれほどの風邪を予防する効果があり、その一方で、うがい薬を用いたうがいには効果が認められないのでしょうか。

 この研究ではその理由についてははっきり述べられていませんが、私はある仮説を持っています。

 実は、私は2年前まで、風邪の患者さんにヨード液入りのうがい薬を処方していたのですが、昨シーズンから一切処方しなくなりました。それは、うがい薬の効果を疑問視するようになったからです。

 では、なぜ疑問視するようになったかというと、以前別のところでも述べた、「キズの治療に消毒は無効」という考えからです。

 キズの治療に対する消毒薬というのは、病原体に対する殺菌力がないだけでなく、消毒薬が正常な皮膚や粘膜を障害するために、かえってキズの治癒を遅らせます。キズの治療に消毒薬を用いなければ、キズが早く治るだけでなく、患者さんが痛みを感じることもなくなりますから、患者さんからみれば、消毒薬というのは、まさに「百害あって一利なし」なのです。

 キズの治療で消毒薬を用いない方がいいのであれば、同じ成分のうがい薬も用いない方がいいのではないか、と私は単純に考えました。それで、患者さんにその話をした上で、一切うがい薬を処方しなくなったのです。

 ヨード液入りのうがい薬を用いれば、咽頭粘膜がヨードで障害される可能性があります。すると、病原体に対する抵抗力が落ち、障害された粘膜を通して病原体が侵入してしまうことになるのです。

 おそらく、風邪に対する最善の予防法は、水道水で繰り返し繰り返しうがいをすることだと思います。だから私は患者さんに対して、「水道水でいいですから一日に何度もうがいをしてください。特に外から帰ったときは真っ先にうがいをしてください」と言うようにしています。

 まだうがいのできない子供はどうすればいいでしょうか。個人差は大きいですが、だいたいうがいができるようになる年齢というのは5歳くらいだと思います。それまでの間は、「水分を何度も摂取する」という方法で、ある程度の効果が得られるのではないかと私は考えています。うがいというのは咽頭に付着した病原体を吐き出す行為です。ならば、別に吐き出さなくても飲み込んでしまっても同じ効果が得られるはずです。呼吸器症状をもたらす病原体は、咽頭に付着することによって様々な症状を引きおこすわけですから、病原体を含んだ水分を吐き出そうが飲み込もうが効果はそれほど変わらないはずです。
 
 ただ、毎日何回もうがいをする、というのは口で言うほど簡単ではありません。私は診察が終わる度に、その場でうがいをするようにしていますが、それでも忘れてしまうことがけっこうあります。今も、帰宅してからうがいをしていないことにこれを書きながら気付きました。

 これから本日3回目のうがいをしにいきます。

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2013年6月15日 土曜日

第23回 手足の冷え 2005/12/31

冬になると手足が冷えて困るという患者さんは少なくありません。いわゆる「冷え症」というやつです。中高年の女性が最も多い印象がありますが、不規則な食生活からなのか、無理なダイエットからなのか若い女性でも手足が冷えて困っているという人は少なからずおられます。

 女性に比べると頻度は少ないですが、男性のなかにもおられます。また、冬になると悪化するが夏でも冷えで悩んでいるという人は珍しくありません。

 いったい、この冷えの原因は何なのでしょうか。もちろん、一言で「冷え症」と言っても原因も程度もいろいろあります。まずは原因からみていきたいと思います。

 いわゆる「冷え症」の大部分は、器質的疾患がありません。「器質的疾患がない」というのは少し専門的な言い方ですが、要するに、例えば癌などといった内蔵の病気があったりとか、糖尿病や膠原病などの血管が直接ダメージを受けるような病気があるわけではないということです。つまり、なんらかの理由で血管が収縮し、手足の先まで充分に暖かい血液が循環しないために、冷えを感じるが、それ自体は放っておいても大事には至らないという意味です。

 ただ、頻度は少ないと言っても冷えをもたらす重要な病気は存在しますからそれらをまずはみておきましょう。

 重要な病気で比較的頻度が高いのは、糖尿病と動脈硬化です。糖尿病の初期は、喉が渇くとか夜中に何度もトイレに起きるとかいったものが有名ですが、初期であっても少しずつ血管にダメージが加えられています。このため特に手足の先の方の血管には充分な血液がいきわたらずに、そのために冷えを自覚するのです。手足の冷えが糖尿病発見のきっかけとなったというケースもありますから、ある程度の年齢以上の方で、健康診断を受けていない人は一度疑ってみてもいいかもしれません。

 動脈硬化でも手足の冷えはおこりえます。血管の内側にドロドロしたものが付着し、それが硬くなって結果的に血液が流れる領域が小さくなってしまいます。すると末端の方には充分な血液が流れなくなってしまい、やはり結果として手足の冷えをきたすことがあります。動脈硬化の場合は、両側に起こることもありますが、例えば又の付け根のあたりの血管の左右どちらかのみに強い硬化がおこり、足先のどちらか一方だけが冷えをきたすようになることもあります。中高年以上の方で左右どちらかのみに冷えを感じるという人は疑ってみるべきかもしれません。

 糖尿病や動脈硬化に比べるとぐっと頻度は下がりますが、膠原病や膠原病に類似した疾患でも手足の冷えが生じます。膠原病というと関節リウマチが有名ですが、関節リウマチのなかの一部は、全身の血管に炎症が起こり、このため手足の先の方に充分な血液が流れなくなってしまうことがあります。(もちろんリウマチは本来関節の病気ですから大部分は血管まで病気が波及することはありません。)

 関節リウマチ以外の膠原病というのはどれもあまり有名でありませんが、一応名前だけを挙げておくと、全身性エリトマトーデス、全身性硬化症(強皮症)、皮膚筋炎、多発性筋炎、混合性結合組織病、などです。これらの病気になると必ず血管に炎症がおこり冷えが生じるというわけではありませんが、これらの病気のない人に比べるとおこしやすいということは言えると思います。また、さらに名前が知られていない病気ですが、膠原病に類似した疾患で特に血管に病変をきたしやすいものがあります。結節性多発動脈炎、Churg-Strauss症候群、Wegener肉芽腫症などです。また、喫煙で発症することで知られているバージャー病も広い意味ではこれらの仲間といえるかもしれません。

 先に述べましたように、冷えを訴える患者さんの大半は、こういった器質的な疾患がありません。原因疾患がはっきりしていればその治療をおこなえばいいわけですが、それがないときは、では冷たくなった手足をあたためる治療をおこないましょう、となるわけです。

 ところが、です。21世紀の医学をもってすれば手足を温めるくらい何でもないだろう・・・、そう思いたいのですが、残念ながら現代医学(西洋医学)においては身体を温めることを目的とした治療薬は、私の知る限りありません。逆に、熱を下げることを目的として開発された薬剤(解熱剤)は山ほどあります。西洋医学が最も苦手としている領域のひとつが「冷え症」だと言えるわけです。

 西洋医学が苦手なら、じゃあ東洋医学に頼ろうか、となるわけですが、その前に日常生活で冷え症に対応する方法を考えていきましょう。

 まず冬場は素足になるのは避けましょう。そしてぬるめのお風呂にゆっくりと入るようにしましょう。お風呂でなくても足湯でもいいと思います。足湯とは洗面器にお湯を入れて両足をつけることです。これは足を暖めるばかりではなくリラックス効果も得られます。

 それから、特に女性の方に言えることですが、炊事をするときは必ずお湯を使うようにしましょう。なぜか、お湯は使わないようにしている、という人が少なくありません。冷たい水に指先がさらされると「しもやけ」や「あかぎれ」ができることもあります。こういう方に限って、冷たいのを我慢して水を使っているような印象があります。「なぜお湯を使わないのですか」、と質問すると、よく返ってくる答えが「お湯を使うと皮膚の脂分が取れてしまいそうであかぎれがひどくなるような気がするのです」というものです。

 しかしながら、そういう心配はまったく不要です。冷たい水に指先をさらすと血管が縮こまって皮膚が余計に冷たくなってしまいます。脂分のことは心配せずに適度な温度のお湯を使うようにしましょう。

 脂分がとれてしまうのは、お湯ではなくて洗剤が原因です。皮膚の弱い方は洗剤を代えてみるとか、あるいは炊事するときには手袋を使うのも効果的です。また炊事をする度にハンドクリームを使うのもいいでしょう。薬局に相談してみてもいいですし、医薬品のなかにも脂分を補うようなものもありますから医師に相談するのもひとつの方法です。

 日常生活の注意として食事を見直してみるのもいいかもしれません。一般的に身体を冷やすといわれている食べ物があります。冷たい水やビール、ジュースなどもそうですし、キウイやパパイヤといった南国の果物もそうではないかと言われています。こういったものは冬場は避けた方がいいかもしれません。

 逆に身体を温める効果があるとされている食べ物があります。黒ゴマ、ショウガ、ニンニク、納豆などです。食卓にこういった食べ物を加えてみてはいかがでしょうか。

 日常生活や食生活を見直してみて、それでも症状がひどいようなら薬剤の力を借りるべきかもしれません。先ほど、西洋薬には身体を温めるものはない、と言いましたが、末梢血管を拡張させることのできる薬はあります。症状によってはそういった薬が有効かもしれません。

 そして、一般的には身体を温めるのが得意なのは漢方薬です。漢方薬のなかには身体をあたためるものがたくさんあり、有名な葛根湯もそのひとつです。風邪の初期に一時的に身体を温めることにより免疫力をあげてしまおうという考えです。

 ただし、葛根湯は手足の冷えにはそれほど効果があるようには思えません。手足の冷えには、別の有効な漢方薬がきちんとあるのです。ただ、漢方薬の処方がむつかしいのは、同じ冷えの症状を訴える人がいても、その人の他の特徴によって処方すべき漢方薬が異なるということです。その逆に、まったく違う症状であっても処方される漢方薬は同じということもよくあります。

 私の場合は、手足の冷えに対しては、だいたい4~5種類の漢方薬を使い分けています。効果は、残念ながら100%というわけにはいきませんが、一部の人にはかなりの効果が認められます。また、漢方薬を変更してみて効果がでてきたという人もいますから、まずは諦めないことが肝心です。

 「冷え症」というのは慢性の病態でありますから、一日二日で劇的に改善するということは望めません。しかしながら、日常生活を見直し、食生活を工夫し、必要に応じて様々な薬剤を主治医と相談しながら試していくうちに、少しずつよくなってくる、ということは充分に期待できるのです。

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2013年6月15日 土曜日

第22回 癌・糖尿病・高血圧の予防にコーヒーを! 2005/12/17

以前、別のところで、「安易にサプリメントや健康食品を摂取すべきでない」ということを、実際の薬害を例に挙げてお話いたしました。

 日々の診療では、患者さんから、「先生、○○は身体にいいんですか?」とか「今度△△を飲もうと思っているんですけど先生はどう思いますか?」ということをよく聞かれます。

 ほとんどのサプリメントや健康食品は、有効性を証明する科学的な証拠(evidence)がありませんし、逆に、βカロチンの肺癌へのリスクや、ビタミンEの心疾患へのリスク(以前ビタミンEは心疾患のリスクを下げると言われていたのに実際は逆だったというわけです)、またコエンザイムQ10の肝障害などが報告されていることから、私は積極的には薦めないようにしています。

 ただ、酢やニンニク、ショウガといった伝統的に良いとされている食品について尋ねられたときには、「度を越さなければ摂取すべきかと思います」、と答えるようにしています。

 そんな伝統的な食品のなかで、最近注目されているのがコーヒーです。

 私が子供の頃は、コーヒーはカフェイン含有率が高いから摂りすぎてはいけない、と言われていました。実際に、胃が弱い人は空腹時にコーヒーを飲むと胃痛を感じることがよくあります。

 けれども、そんなコーヒーの有用性が最近相次いで報告されているのです。今回はそれらを見ていきたいと思います。

 まずは癌の予防です。『Journal of the National Cancer Institute』という医学誌の2005年2月16日号に掲載された記事によりますと、コーヒーを飲むことによって肝癌と大腸癌のリスクが下がるそうなのです。

 肝癌については日本の研究が引用されています。肝癌は日本に多いのが特徴なのですが、日本でおこなわれた大規模調査によると、コーヒーを毎日摂取する人は摂取しない人に比べて肝癌のリスクが半分になるというのです。それだけではありません。コーヒーを飲めば飲むほど肝癌発生のリスクが下がるそうなのです。これはB型肝炎ウイルスやC型肝炎ウイルスを保有している人にも当てはまるそうです。

 大腸癌についてはアメリカの研究が引用されています。ハーバード大学公衆衛生学部の研究によると、コーヒーを毎日飲む人は飲まない人に比べて大腸癌のリスクを約半分に減らせるそうなのです。

 次に糖尿病についてみていきましょう。以前は、コーヒーは糖尿病のリスクを上げるのではないかと考えられていました。もちろん甘い缶コーヒーを毎日何本も飲んでいれば糖尿病になるのは時間の問題です。実際に、甘いものや高脂肪食はほとんど摂らずタバコも吸わないけれど缶コーヒーは毎日数本飲んでいた、という糖尿病の患者さんを私は何人か知っています。

 コーヒー摂取が糖尿病のリスクを下げるという報告は世界各国で相次いでいます。

 まずは、米国の研究です。『Annals of Internal Medicine』という医学誌の2004年1月6日号の記事によると、男性4万人、女性8万人を最長18年間追跡した大規模調査で、コーヒーを1日6杯以上飲む人では、2型糖尿病の発症率がコーヒーを飲まない人より大幅に低いことがわかったそうです。具体的には男性で5割、女性で3割も糖尿病を発症しにくいそうなのです。そして、意外なことに、この効果はカフェイン抜きのコーヒーよりもカフェイン入りのコーヒーで顕著に認められたそうです。

 男女1万7000人を7年間追跡したオランダの研究でも、同様の効果が認められています。また、日本の同様の調査でもやはり同じ結果が発表されています。そして、ヨーロッパや日本ではカフェイン抜きのコーヒーというのは一般的ではありません。要するに、カフェインが入っている普通のコーヒーに糖尿病を抑制する効果があるということが世界各地の調査で明らかになりつつあるということなのです。

 一般的に、カフェイン入りの強いコーヒーが好きな人というのは、高脂肪食を好み、喫煙者が多いのではないでしょうか。そういった要素はある程度は差し引いて比較統計処理がなされていると思われますが、この結果を意外と捉える人は少なくないのではないかと思われます。

 しかしながら、この調査は、研究対象としている人数が極めて多く、また各国で同じ結果が出ていることから信憑性はかなり高いと言えるのです。

 強いコーヒーを飲むと、なんとなく血圧が上がるような気がしないでしょうか。私自身にそういう印象がありますし、そう思っている患者さんは少なくありません。

 しかし、コーヒーと高血圧の関係も意外なものであることが分かりました。

 『Journal of American Medical Association(JAMA)』という医学誌の2005年11月9日号の記事によりますと、米国の女性看護師を対象とした健康調査のデータから、コーヒー摂取により高血圧のリスクは上昇しないどころか、摂取量が増えるとむしろリスクが減少することが分かったそうなのです。

 この研究ではコーヒーだけでなく、紅茶とコーラによる高血圧のリスクも分析されています。結果は、紅茶ではややリスクが上がり、コーラでは有意にリスクが上昇するそうです。同じカフェインの入っている紅茶やコーラでは、高血圧になりやすく、逆にコーヒーでは摂取量が増えるほど高血圧になりにくい・・・。コーヒー好きには最高の結果となったわけです。

 コーヒーはこれら以外に、パーキンソン病の予防になるという報告もあります。2000年に『Journal of the American Medical Association(JAMA)』で発表されたハワイ大学の研究によると、コーヒーを飲めば飲むほどパーキンソン病になりにくいことが分かったそうなのです。

 また日本のコーヒーメーカーであるポッカの研究によれば、運転時に缶コーヒーを飲めば、眠気が取れるだけではなく、ストレスホルモンも減少することが分かったそうです。

 なんだかいいことばかりのコーヒーですが、本当に身体によくないことはないのでしょうか。

 アクリルアミドという発癌物質があります。これはフライドポテトなどの揚げ物にたくさん含まれており、大量投与すると癌が発生することが動物実験で明らかになっています。

 『Journal of American Medical Association(JAMA)』2005年3月16日号に掲載された、スウェーデンの女性を対象とした研究によれば、アクリルアミドの摂取はコーヒーで最も多いことが分かったそうです。この研究はアクリルアミドの摂取と乳癌の発生率を調べているのですが、アクリルアミドを常識的な範囲で大量に摂取しても(つまりコーヒーをたくさん飲んでも)、乳癌の発生リスクは上昇しないそうなのです。

 アクリルアミドに関しては、日本で意外な報告がなされています。それは、2003年に農林水産省が発表したデータで、従来健康的とされてきた麦茶やほうじ茶に多量のアクリルアミドが含まれていることが分かったというのです。缶入りの麦茶(350mL)を二本飲むと、スナック菓子100gと同程度のアクリルアミドを摂取することになるとのことです。ただし、同省は、「直ちに茶類の摂取方法を変える必要はないと思われる」というコメントを付記しています。

 以上を振り返ると、コーラはもちろん、紅茶やほうじ茶、麦茶までが健康を害する可能性があるのに対し、コーヒーは健康を害さないどころか、複数の癌や糖尿病、高血圧、パーキンソン病などの病気を有意に減少させ、なおかつストレスまでも軽減させる、「超健康食品」ということになります。

 健康食品やサプリメントには安易に手を出さないと決めている私でさえも、これらの報告は気にせずにはいられません。

 これを書きながらも、私の机にはブラックコーヒーが置かれていますから・・・・。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2013年6月15日 土曜日

第21回(2005年12月) 冬季うつ病

 「先生は病気をしないの?」

 患者さんからよく聞かれる質問です。私が病気をしないかというと、そんなことは全然なくて、冬場はしょっちゅう風邪を引きますし、去年はインフルエンザにも罹患しました。稀とはいえ、ときには睡眠剤を服用することもあります。

 そして、現在私自身が罹患しているかもしれない病気、それが「冬季うつ病」です。

 冬季うつ病とは、だんだんと寒くなり日も短くなってくると、気分が滅入って何もする気がなくなる、秋から冬に限って現れるうつ状態のことです。

 私自身は、気分が滅入って何もする気がなくなる、というところまではいきませんが、とにかく朝起きるのが辛いのです。「二度寝ができたらどれだけ幸せだろう・・・」、そう考えながら毎日重たい身体を起こします。会社員時代には、辛さのあまり理性がなくなると、「自然災害でもテロでも何でもいいから地下鉄が麻痺して仕事が休みにならないかなぁ・・・」と感じたこともありました。もっとも、今は医師という立場ですから、もしそんなことが起これば、逆に寝る時間がなくなってしまいますが・・・。

 辛いのは朝だけではありません。家を出たときに肌を刺すような冷たい風に曝されると、それだけで家に引きこもりたくなります。そんなとき、いつも思い出すのが、ヘビやトカゲなどの爬虫類です。「もし、爬虫類に生まれてたら冬はずっと冬眠できるのに・・・」、寒さが大の苦手な私は、日々こんなことを考えているのです。

 夕方にも辛さはやってきます。まだ5時過ぎだと言うのに日が落ちて暗くなっていくのを見ていると、わけもなく涙があふれそうになります。

 さて、うつ病(うつ状態)については、また改めてじっくりと述べたいと考えていますが、うつ病とは、決して特殊な病などではなく、多くの人が一度は罹患するありふれた疾患であるということを確認しておきたいと思います。最近では、「こころの風邪」などと表現されることもあります。

 実際にうつ病の生涯罹患率は決して小さくありません。報告にもよりますが、一生のうち、だいたい男性の11~13%、女性の15~21%がうつ病に罹患すると言われています。つまり、男性では10人に1人、女性では5人に1人という高い割合でうつ病になるということです。

 そんなうつ病のなかのひとつの形態として「冬季うつ病」があるというわけです。一般のうつ病は、罹患率にそれほど大きな男女差がないのに対して、この「冬季うつ病」は、明らかな男女差があるのが特徴です。女性の方が圧倒的に多くて、男性の4倍近くになると言われています。

 そして、一度発症すると毎年ほぼ同じ時期に繰り返し起こる傾向があります。ただ、このうつ病がそれほど深刻でないのは、心配しなくても春になればすっかり回復するからです。(回復しなければ冬季うつ病ではありません。)

 原因として考えられているのが、日照時間の減少により、ホルモン分泌や体温のリズムが変調する、というものですが、はっきりとしたことは分かっていません。

 では、どうやってこの冬季うつ病に向き合っていけばいいのでしょうか。

 一般的に、うつ病やうつ状態であれば、ひとりで悩まずに医師に相談すべきです。最近は、副作用の少ない効果的な抗うつ薬がたくさんありますから、そういったものを試してみるのもひとつの方法でしょう。必要に応じて、睡眠薬や抗不安薬を加えるべきかもしれません。

 ただ、冬季うつ病の治療については別のアプローチが有効かもしれません。

 冬季うつ病でまず試みるべきなのは、「光にあたること」だと言われています。日射時間の減少によって発症している可能性があるわけですから、それならば、光に当たれば効果が期待できるのではないか、という単純な発想です。

 専門施設によっては、院内で患者さんに強い光を照射する「光療法」という治療法が試みられているそうです。単に光を当てるだけなら、副作用はほとんど気にしなくていいでしょうから、興味のある方は医師に相談されてはいかがでしょうか。

 私が罹患しているかもしれない冬季うつ病は、いつから発症したのかよく分かりませんが、少なくとも高校生の頃には冬の朝は地獄になっていましたから、かなりの長期間お付き合いしているように思います。そして、これが改善するとも思えませんから、一生の付き合いになるのではないかと危惧しております。

 私は医学部在学中に、この冬季うつ病というものを勉強し、光が有効という話を聞いたときに、「なるほど」と思いました。というのも、私は冬は大嫌いですが、たまに体験する風のない冬の昼下がりのポカポカとした日差しが大好きだからです。冬の日の暖かい光は、身体に急速にエネルギーを吹き込んでくれるような気がします。

 もし、この暖かい日差しを一日のうち数分間でも毎日浴びることができればどんなに幸せだろう・・・、と思うことがあります。しかし現実は、このような気持ちのよい日差しを体験できるのは年に数日しかありません。

 そこで、私が現在とっている対策は、「暖かい日差しを実際に浴びているように思い込む」という方法です。本当の体験ではなく「思い込む」という行為であるならば、冬の日差しに限定する必要はありません。思い切って南国の光を想像し、あたかも今体験しているかのように「思い込む」ようにすればいいのです。

 私は十八歳の夏以降、沖縄の魅力にとりつかれています。初めて沖縄に行ったとき、「ここは天国か!」と感じました。それくらい、沖縄の暑い光と乾いた空気は私の精神を高揚させてくれました。タイに行くようになってからは、タイの光と空気の方が好きになりましたが、今でも沖縄の光景は毎日のように目に浮かびます。

 ですから、冬の間は、私は気分が沈みそうになると、沖縄やタイのことを思い浮かべるようにしています。これでなんとか私の冬季うつ病は、専門施設で光を浴びたり、薬物に頼ったりすることなく克服できそうです。(念のために付け加えておきますが、私はこの方法が万人に有効とは考えていません。もしもあなたが冬季うつ病を疑っているなら、早めに医師を受診することを薦めます。)

 ただ、私個人としては、この「思い込む」という方法を非常に重要視しています。

 最近、「思い込み」に関した興味深い研究が報告されました。米科学アカデミー紀要に発表されたその研究では、「痛くない」と思い込むことによって、実際に感じる痛みが軽減することを、MRIを用いた脳の分析で明らかにしています。「注射の前に、痛くないと医師が患者に伝えたり、患者が思い込むことは根拠がある鎮痛法だ。」、とこれを発表した研究者は話しているそうです。

 医学部受験で最も大切なのは、「勉強を開始する前に合格を信じる(思い込む)こと」だということを、私は自分の本で述べています。

 過信しすぎるのもよくないかもしれませんが、まったくお金のかからないこの「思い込む」という方法は、人生の多くの局面で応用できるのではないかと私は考えています。

 ところで、病気の種類にもよりますが、一般的に夏場よりも冬場の方が病院を訪れる患者さんが多いような印象があります。特に時間外や夜間の救急外来をしているときにそれを顕著に感じます。

 風邪やインフルエンザが多いというのが最たる理由ですが、それだけではありません。血圧が冬に高くなることは分かっていますし、心筋梗塞や脳卒中で救急搬送されるのは冬場に多いという統計もあります。そして心筋梗塞や脳卒中といった疾病は致命率が高いのです・・・。
 
 冬という季節は、血圧を上げ、心筋梗塞や脳卒中のリスクを高め、もちろん風邪やインフルエンザももたらし、さらにはうつ病まで引き起こす・・・・。

 どうやら、私のリタイヤ後の人生は南国がメインとなりそうです。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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