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2017年7月9日 日曜日

2017年7月9日 鎮痛剤は心筋梗塞のリスク

 鎮痛剤(痛み止め)は安易に飲むべきでない、ということはこのサイトでも繰り返し訴えていますし、日々の診察室でも毎日伝えています。世の中には、痛み止めを安易に使いすぎる人が少なくなく、初診時にはすでに「薬物乱用頭痛」を起こしている人もいます(注1)。

 なぜ鎮痛剤を飲みすぎてはいけないのか。たくさんの理由があります。まずは「依存性」があることを自覚すべきです。重症化するとベンゾジアゼピン系睡眠薬と同じかそれ以上にやめることに苦労することもあります。次に臓器への障害があります。特に腎臓の障害を起こすことは珍しくなく、短期間であっても急性腎不全になり入院が必要になることもあります。長期的には心血管系病変のリスクがあります。

 今回紹介したい研究は「鎮痛剤の使用で心筋梗塞のリスクが顕著に増加する」というもので、特筆すべきなのは「最初の1ヵ月が最もリスクが高い」ということです。以前から長期使用での心血管系疾患のリスクは指摘されていましたが、短期間でも危険性があることになります。

 医学誌『British Medical Journal』2017年5月9日号(オンライン版)に件の論文が掲載されています。研究は過去に発表された論文を総合的に分析する方法がとられています。研究の対象者は合計446,763例で、このうち61,460例が急性心筋梗塞を発症しています。

 今回検討されているのは「イブ」や「ロキソニン」などのNSAIDs(非ステロイド性消炎鎮痛薬)と呼ばれる鎮痛剤です。驚くべきことに調査対象となったすべてのNSAIDsで心筋梗塞のリスクが増加しています。使用量は多いほど高リスクとなっています。内服開始1週間でリスク上昇が認められ、1カ月でリスクがピークとなります。各NSAIDsのリスクは次の通りです。

・イブプロフェン(イブ、ナロンエース、バファリンルナなど) 1.48倍
・ジクロフェナク(ボルタレン)               1.50倍
・ナプロキセン(ナイキサン)                1.53倍
・セレコキシブ(セレコックス)               1.24倍

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 各NSAIDsの特徴を簡単に記しておきます。きちんとしたデータは見たことがありませんが、おそらく日本で最も使用されているNSAIDsはイブプロフェンだと思われます。理由は薬局で簡単に買えるからです。商品名で言えば、「イブ」の各シリーズ、バファリンプレミアム、バファリンルナ、ノーシンピュア、ナロンエース、フェリア、リングルアイビーなど多数あります。「ブルフェン」という名称の処方薬もありますが、医療機関ではあまり処方されず他のNSAIDsが好まれる傾向にあります。

 医療機関で処方量の多いNSAIDsとしてロキソプロフェン(先発の商品名は「ロキソニン」)が挙げられます。これはなぜか日本で特に処方例が多く、海外ではさほど用いられていません。ですから、今回紹介したものも含めて海外の論文にはあまり登場しません。ロキソプロフェンはイブプロフェンと性質が似ていますが、胃腸への副作用がイブプロフェンよりも少ないという特徴があります。ですが、まったくないわけではなく、ロキソプロフェンで胃に穴があいた、という症例も珍しくはありません。(ロキソプロフェンについては下記メディカルエッセイ(注3)も参照ください)

 ここ数年、使用量が増えているのがセレコキシブです。これは他のNSAIDsに比べて胃腸障害が少ないのが特徴で、そのため慢性の疼痛のために長期間鎮痛薬が必要な人に好まれます。ですが、今回の研究で明らかになったのは、胃腸障害が軽減されたとしても心筋梗塞のリスクはあるということです。

 どのNSAIDsも内服開始後1週間から1か月くらいの間に心筋梗塞のリスクが上がることは覚えておいた方がいいでしょう。また、NSAIDsは血圧をあげるという副作用も忘れてはいけません。

注1;薬物乱用頭痛については下記コラムを参照ください。
はやりの病気第96回(2011年8月)「放っておいてはいけない頭痛」

注2:この論文のタイトルは「Risk of acute myocardial infarction with NSAIDs in real world use: bayesian meta-analysis of individual patient data」で、下記URLで全文が読めます。

http://www.bmj.com/content/357/bmj.j1909

注3:下記を参照ください。
メディカルエッセイ第97回(2011年2月)「鎮痛剤を上手に使う方法」

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2017年6月30日 金曜日

2017年6月30日 咳止めの「コデイン」が12歳未満は禁止に

「コデイン」というのは咳止めの代表的な薬剤で、医療機関でよく処方されますし、また、多くの市販の風邪薬に含まれています。一般的に使用されるようになってからおそらく50年以上はたっているでしょう。

 2017年6月22日、厚労省は12歳未満へのコデインの使用を原則禁止することを発表しました。具体的には、製薬会社に対し2019年中に添付文書を改訂するように指示するそうです。報道によれば、コデインが含まれる市販の風邪薬は600種類にものぼるそうです。

 これまで普通に使われていたコデインをなぜ厚労省が禁止とするのか。どうやら米国FDA(米食品医薬品局)が2017年4月に12歳未満への処方を禁じたことを受けて、まったく同じ処置をとろうと考えたようです。

 医師がコデインを処方するときは慎重に投与しますが、それでも副作用の報告があります。日本では2004年4月~2017年5月に、呼吸不全や意識障害などの子供の重篤な副作用が4例報告されています(毎日新聞2017年6月4日)。

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 コデインは「劇薬」というよりは「麻薬」そのものと考えた方がよく、実際アヘンから抽出されるものです。大量摂取すればいわゆるダウン系の薬物と同様の作用があり、80年代には随分と問題になりました。アンプル剤の咳止め(製品名は伏せます)にコデインがそれなりに含まれていて、これを10~20本ほど一気に飲んで「トリップ」する遊びが流行したのです。しかもこのアンプル剤、同じく咳止めとして使われる「エフェドリン」もそれなりに含まれていて、こちらは大量摂取すると覚醒剤と同じような作用があります。つまり、ダウン系の麻薬とアッパー系の覚醒剤を同時摂取することになり、いわば「スピードボール」が作用したときと同じような状態になるのです。

 そのような危険なものをなんで使うの?という声もあるでしょうが、適量をうまく使えば劇的に咳の苦しみから解放されることがあるのです。特に体力のない幼児が眠れないほどの咳をしているときは、短い日数を条件に少量を処方する(というか水薬に混ぜる)のです。今後、コデインが使えないとなると咳の対処に苦労しそうです。

 もっとも、コデインを代表とした中枢性の咳止めは安易に処方すべきではありませんし、市販の咳止めも安易に飲むべきでないのは事実です。咳反射を司っている神経を無理やり抑え込むようなやり方ですから、使用はやむを得ない場合に限定すべきです。咳で最も重要なのは「原因究明」です。咳の原因は様々であり、これらを解明することが何よりも重要なのです。太融寺町谷口医院には昔から「長引く咳」で受診する人が大勢います。安易に「咳止めをください」という患者さんに私が毎回伝えているのは「まず咳止め」ではなく「まず原因」です。

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2017年6月28日 水曜日

2017年6月28日 60歳未満の高血圧は認知症のリスク

 少し前、高齢者の血圧低下は認知症のリスクになるという興味深い研究を紹介しました(注1)。今度はその逆で、若年者(60歳未満)の高血圧はアルツハイマー病のリスクになる、という研究です。

 論文は医学誌『Alzheimer’s research & therapy』2017年5月31日号(オンライン版)に掲載(注2)されています。

 研究はノルウェーの研究者によりおこなわれ、対象者は「HUNTスタディ」(Nord-Trondelag Health Study)と命名された研究に参加した合計24,638人です。そのうち579人が、アルツハイマー病、血管性認知症、または両者の混合型認知症と診断されています。

 データが分析された結果、60歳以上では、収縮期血圧(上の血圧)が高ければアルツハイマー病および混合型認知症の発症リスクが低いことがわかりました。(血管性認知症には相関関係は認められませんでした)

 一方、60歳未満で降圧薬を服用している人では、収縮期血圧が高いとアルツハイマー病とのリスクが上昇することがわかりました。

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 最近の流れをまとめると、高齢者(何歳からかは議論がありますが)の場合は、血圧が下がるとアルツハイマー病のリスクが増えて、中高年者の場合は逆にリスクが上がる、ということになります。

 こういった研究はすべての人に当てはまるわけではなく、自分の判断で薬を中断したり開始したりするのは極めて危険です。気になる人はかかりつけ医に相談してください。

注1:医療ニュース2017年4月7日「血圧低下は認知症のリスク」

注2:この論文のタイトルは「Association between blood pressure and Alzheimer disease measured up to 27 years prior to diagnosis: the HUNT Study」で下記URLで全文を読めます。

https://alzres.biomedcentral.com/articles/10.1186/s13195-017-0262-x

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2017年6月26日 月曜日

2017年6月26日 少量の飲酒でも認知症のリスク!?

「酒は百薬の長」は昔からよく使われることわざですが、私の経験上、この言葉を述べる人のほとんどが「酒飲み」ですし、この言葉を考え付いたのも酒飲みでしょう。ですが実際に、少量の飲酒は血圧を下げ、生活習慣病を予防でき、寿命を延ばすという報告は多数あります。おそらくほとんどの医療者もこれを支持しています。

 最近、一流の医学誌にこの「常識」を覆すかもしれない論文が掲載され医療者の間でも話題となっています。その論文とは『British Medical Journal』2017年6月6日号(オンライン版)に掲載されたもので、なんと「少量の飲酒でも認知症のリスクになる」と結論づけています(注1)。

 研究の対象者は550人のイギリス人。公務員を対象とした「Whitehall II」と命名された大規模調査に参加した6,306人のなかから無作為に1,380人が選ばれ、その中で研究の趣旨に同意した人たちです。30年間にわたり1週間のアルコール摂取量が調べられ、認知機能が調査され、さらに脳MRIが撮影されています。550人の中からデータ不備などを除いた527人が分析されています。

 結果、30年間のアルコール摂取量が多ければ多いほど海馬(脳の記憶をつかさどっている部分)の萎縮のリスクが上昇していることがわかりました。アルコールをほとんど飲まないグループ(週1未満単位、1単位はアルコール8g)と比べると、週30単位以上摂取しているグループのリスクは5.8倍と最も高くなっています。週に14~21単位であっても、右側海馬萎縮のリスクが3.4倍となっていました。さらに少量摂取(週1~7単位)であったとしても認知症の予防効果は認められていません。

 アルコール摂取量が多ければ、言語を流暢に話す能力も低下していたようです。

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 この論文を読むときには「単位」に注意しなければなりません。アルコールの「単位」はいくつかの基準があり、日本のアルコール健康医学協会は純アルコール20gを1単位と決めています。この方式なら1単位が日本酒1合で(だから日本人にはわかりやすい)、ワインなら1単位が180mLとなりワイングラスに入りきらないくらいの量になります。一方、イギリス式の単位は、この論文ではワイン5杯で14単位と説明されています。以前紹介した論文(下記「医療ニュース」)では「ワイン1杯で3単位」と述べました。

 さて、週に14~21単位で海馬のリスクが3.4倍というのは大変ショッキングな結果です。ワインで言えば週にグラス5~7.5杯。ビールで言えば大雑把に行って週に中ジョッキ4~6杯程度です。毎日飲酒するから人からみれば「少量」になります。さらに、これら以下の摂取量であっても少なくとも認知症の予防効果はなかったということになります。

 酒は百薬の長・・・、本当に正しいのか疑う必要がありそうです。

注1:この論文のタイトルは「Moderate alcohol consumption as risk factor for adverse brain outcomes and cognitive decline: longitudinal cohort study」で、下記URLで全文を読むことができます。

http://www.bmj.com/content/357/bmj.j2353

参考:医療ニュース
2015年9月29日 どのような人がお酒を飲み過ぎるのか

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2017年6月25日 日曜日

第166回(2017年6月) 5種類の「サバを食べてアレルギー」

 最近、アニサキス症について患者さんから質問を受ける機会が増えています。これはおそらくマスコミで頻繁に報道されるようになったからでしょう。(胃)アニサキス症は、魚に寄生するアニサキスという寄生虫が胃の粘膜に侵入しようとすることが原因ですから、内視鏡(胃カメラ)で寄生虫そのものを取り除けばそれで終了です。七転八倒するような激しい痛みが嘘のように消え、1時間もすれば食事が摂れるほどに回復します。

 ですが、アニサキス症が怖いのはここからで、その後それなりの確率でアニサキスアレルギーを起こします。そうなればその後魚介類は煮ても焼いても一生食べられないことになります。だから「アニサキス症を甘く見ないで!」ということは多くの人に理解してほしいことであり、そういう気持ちもあって、毎日新聞「医療プレミア」にもそれを書きました。

 私が「医療プレミア」で担当しているのは「感染症」であり、アレルギーは担当外となるために、アニサキスアレルギーについてはアニサキス症の「番外編」のようなかたちで少しだけ書きました。ただ、私としては「サバを食べてじんましん」には5種類あって、それぞれ原因や対処法が違うんですよ、というところまで言及したかったのですが、文字数の制限もありそれができませんでした。そこで、今回の「はやりの病気」で、「医療プレミア」の補足をしたいと思います。

 実は過去にも関連のコラムを書いたことがあります。このときは魚介類の「アレルギー」には3種類あり、ひとつはその魚そのものに対するアレルギー、ふたつめはアニサキスサレルギー、3つめは実際にはアレルギーでないじんましんでこれは古い魚を食べたことが原因です。

 今回は、それをさらに細分化したものを、最近学会などで議論されることも踏まえて「サバを食べてアレルギー」を5つに分類して紹介したいと思います。

①アニサキスアレルギー

 アニサキスが寄生したサバを食べるとじんましんや呼吸苦が生じます。生のサバだけでなく煮ても焼いても起こりえます。詳しくは「はやりの病気第98回」「医療プレミア」を参照してください。

②ヒスタミン中毒

 古いサバを食べたときに出現するじんましんです。これは厳密には「アレルギー」ではありません。詳しくは「はやりの病気第98回」を参照ください。

③パルブアルブミンなどによるアレルギー

 最近よく話題になるアレルギーです。パルブアルブミンというのは多くの魚に含まれる共通のタンパク質で、最も多く含まれるのが「アカウオ」のようです。私が経験した症例でいえば、ほぼ全例が小学生から10台後半の若者で、じんましんよりも、食後すぐに口の中に違和感を覚えて息苦しくなったというケースです。アカウオ以外にも多くの魚に含まれていてサバでの報告もあります。また、他のアレルギーの原因になる共通のタンパク質として「コラーゲン」があります。

④サバ摂取+運動によるアレルギー

 サバを食べた直後に運動をすると全身にじんましんや呼吸苦がでるタイプで、正式名を「食物依存性運動誘発性アナフィラキシー」と呼びます。これは過去の「はやりの病気」で紹介したことがあります。そのときは、「茶のしずく石ケン」が問題になっていたときで小麦を食べて運動して症状がでることを述べました。(「茶のしずく石ケン」の運動誘発性アナフィラキシーは、従来の小麦摂取後の運動誘発性アナフィラキシーとはメカニズムが異なるのですが、今回のコラムの本意から外れますのでこれ以上の言及は避けます)

 これを発症するのは若い人に多いようですが、私の印象でいえば小学生未満の子供ではほとんどないように思えます。またサバに限らず他の魚介類でもでます。というより圧倒的に多い魚介類はカニやエビであり、サバは少数です。

⑤サバが原因のじんましん

 かつてはサバそのもののアレルギーも多いと思われていましたが、現在では、実際には①~④というケースがかなり紛れ込んでいると考えられています。ただ、①~④のいずれでもないサバアレルギーがないのかと言えば、私は「ある」と考えています。それほど多いわけではありませんが、サバのIgE抗体が陽性であり、アニサキスのIgE抗体が陰性(①が否定できます)、サバ摂取直後に重症のじんましんがでたものの(②③は比較的軽症のため考えにくい)、運動をしていない(④を否定)、という症例があるからです。

 さて、それぞれの対処方法について説明していきましょう。①はアニサキスのIgE抗体陽性が確認できればほぼ「確定」です。この場合、原則としてほぼすべての魚介類が食べられなくなります。(金輪際、まったく食べられないかと言われれば、そういうわけでもありません。興味のある人は「医療プレミア」の注釈を参照ください)

 ②は古いサバを避ければOKです。サバだけでなく他の魚でも出ますから鮮度の高いものを食べるようにすればいいのです。(とはいえ、素人に鮮度が高いかどうかは分かりません。私が発症したときに食べた「きずし」は絶品でした…)

 ③は経皮感作でアレルギーが成立するのではないかと言われています。「経皮感作でアレルギーが成立」のメカニズムはこのサイトで何度か述べています。英国の小児科医ラック氏が提唱している「二重アレルゲン曝露仮説」(図)に基づくもので、図の右のように食べ物が口から入ればアレルギーが起こらずに(これを「寛容」と呼びます)、食べ物が皮膚から侵入すればアレルギーが成立する(これを「感作」と呼びます)というメカニズムです。③がアトピー性皮膚炎など湿疹のある子供に多いことからもこの可能性が強く、対策としてはまず湿疹を治すことです。湿疹や傷がある場合は、魚を食べるときには十分に注意して皮膚に魚が触れないように気を付けなければなりません。

 ④についても経皮感作でのアレルギーが指摘されています。これも成人よりも20歳未満に多いという特徴があります。この場合は③と同様、湿疹や傷があるときに注意を要することと、一度でも発症したことがあるなら摂取後の運動を禁止しなければなりません。また、重症化した経験がある場合は、主治医と話をした上で魚介類を避けるという選択肢もでてきます。

 ⑤はサバを避けるしかありませんが、サバのみを避ければOKということになります。

 以上みてきたように、一言で「サバを食べてアレルギー」と言ってもいろんな原因があり対処法も様々です。確定診断には検査も必要ですから、気になる人はかかりつけ医に相談してみてください。

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2017年6月25日 日曜日

第173回(2017年6月) 長時間労働の是正よりも大切なこと

 長時間労働と自殺の問題が大きく取り上げられるようになり、労務管理のあり方を見直す企業が増えています。過重労働が自殺の原因、という話題になると世間でよく取り上げられるのが、2015年のクリスマスに若い命を絶った東大卒の電通の女性新入社員ですが、我々医師の間では、その直後、2016年1月に自殺した新潟市民病院の37歳の女性研修医のことがよく話題に上がります。

 この二人の自殺、共に入職して間もない若い女性であった、二人とも長時間労働が原因であった、という以外にも「共通点」があるように思えてなりません。今回は、そのあたりを分析し、真の原因は何だったのか、同じことを防ぐにはどうすればいいのか、といったことを考えてみたいと思います。

 被害者の性格は報道からは本当のことがわかりませんし、余計な想像はすべきでありませんが、ふたりともある程度責任感が強く真面目な性格だったのは間違いないでしょう。そして真面目すぎるがゆえに上司や同僚からのプレッシャーを人一倍強く感じていたということは推測できます。一部の報道では「イジメ」「パワハラ」といった言葉も出ていますが、こういったことがあったのかどうかは司法に委ねるべきであり、私は言及すべき立場ではありません。

 太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)にも、過重労働やパワハラが原因(または原因の一部になっている)と思われる患者さんは少なくありません。受診した患者さんが大企業勤務の場合は、「まず社内の産業医に話をすべき」という説明をします。薬はまったく処方しない、または最小限の処方とし、「今の状態は薬で治すようなものではない」と説明します。産業医に手紙を書くこともよくあります。産業医がしっかりしていればたいていこれで”とりあえずは”うまくいきます。産業医が患者さんの話を聞いてくれて、必要あれば休職制度などを利用してくれるからです。ですが、その後過重労働やパワハラがなくなり、安心して働けるようになるかというと、それはいろいろなケースがあります。

 電通も新潟市民病院も大きな組織ですから社内(院内)に常勤の産業医がいるはずです。自殺した二人は産業医との面談はしていなかったのでしょう。していれば勤務時間が見直されていたはずだからです。そして、私が日々患者さんから相談を受けているようなかたちでは、二人は一般の医療機関を受診していなかったに違いありません。もしも受診していたら、私がしばしばおこなっているように診察医は産業医に連絡を取るはずだからです。

 日ごろ、労働環境が原因で心身に不調をきたしている患者さんを診ている私としては、この二人の自殺の話を聞いたとき、「なんで私に相談してくれなかったの!?」と思わず叫びたくなりました。東京と新潟ですからそんなことできるわけがありませんし、もしも相談してくれたとしても救えた保証はどこにもないのですが、特に新潟の研修医のことは何度もそのようなことを考えてしまいます。

 自殺した研修医は37歳。一方私が研修医だったのは33~35歳のときですから、私がその場にいれば…、とついつい考えてしまうのです。もちろん、私がいれば…、などと考えるのは単なる私の「傲慢」であり、実際にはまったく無力だったかもしれません。そもそも、この病院にも年はずっと若かったでしょうが同期の研修医はいますし、研修医でなくても医師は大勢いるわけですから、私が感じるよりももっと強く「なんで相談してくれなかったの」と感じている医師はたくさんいるに違いありません。

 電通の社員も同じはずです。同期の社員というのは共通の悩みを抱えていますから、どこか”戦友”のような結びつきがあるのが普通です。私が会社員をしていた頃も、同期の悩みをよく聞いていました。もしも私が会社員時代に同期が自殺するようなことがあれば「できることがなかったのか…」と生涯にわたり後悔するに違いありません。また同じ部署の上司も同様の思いでしょう。一部の報道では「イジメ」などと言われているようですが、部下が困っていて喜ぶ上司などいるはずがありません。自殺した女性の保護者の方は電通を憎んでも憎み切れないという気持ちになられるでしょうが、一緒に仕事をしていた同僚や上司も深い悲しみに苦しめられているはずです。

 ではどうすればよかったのか。〇〇さえしていれば…という「回答」はありません。そんな単純な話ではないのです。もしも同期の社員が話を聞いていれば…、上司が相談に乗っていれば…、産業医との面談を受けていれば…、体調不良から医療機関を受診していれば…、いろんなことが考えられますが、これは後から言えることですし、もしもこのうちの1つが実行されていたとしても悲劇が防げた保証はありません。

 ですがこれだけは言えるということがあります。それは現在議論されているような「長時間労働を改善すれば防げた」という考えに固執すべきではない、ということです。たしかに、長時間労働と過労死や自殺を裏付ける報告は多数あります。最近では、長時間労働の実態が判れば、比較的簡単に労災の認定がおりるようになってきています。長時間労働が様々な心身疾患の危険因子であることは間違いありません。ですが、その影に隠れて「他の要因」が見過ごされるようになってはいけない、というのが私の考えです。

 以前、研修医の過労死を調査していたジャーナリストから取材を受けたことがあります。当時は私自身が研修医を終了して間もない頃であり、現場の意見を聞きたい、と言われたのです。そのときに私が答えたのは、「研修医の場合、どこまでが勉強でどこからが仕事かという境界が非常にあいまい。事務仕事はあきらかに仕事だけれど、自分が診察している患者さんの関連の論文を読んだり、手術の前日に縫合の練習をしたりするのは<仕事>とは言い難い。どこまでが労働時間と言えない以上は、単に研修医の過重労働はNGといっても話が始まらない」というものです。

 アメリカでは、研修医の勤務時間は週に80時間以内に制限されています。日本の労働法では週あたりの労働時間は40時間ですから、数字だけで考えるとアメリカの研修医は日本人の倍働いている、となりますが、日本の研修医というのはほとんど病院に入りびたりですから80時間どころではありません。私が研修医2年目の頃は、寮が病院の敷地内にあったこともあり、やっと深夜に戻って寝ようとするとポケベルですぐに病棟に呼ばれて、なんてことは日常茶飯事であり、24時間とまでは言いませんがプライベートなどほとんどありませんでした。

 そのときの苦労があるから医師としての今がある、などというと過重労働を肯定することになってしまいますが、私が言いたいことは、過重労働は悪くないということではなく、過重労働を減らすべきことには同意しますが、それ以外の「心身をいい状態に保つ方法」があるということです。

 私の場合、会社員時代も研修医時代もかなりの長時間働いていましたが「楽しいこと」あるいは「癒されること」が多数ありました。同期との語らいや先輩の助言などです。また、私の場合は自分が「おせっかい」な性格であることもあり、悩んでいる同期や後輩を放っておけずよく話を聞いていました。(なかには、おせっかいが度を越して嫌がられたことがあったかもしれませんが…)

 自殺した若い二人の共通点。二人とも同期や先輩に腹を割って話すことができなかったのではないでしょうか。もちろん「何でも話さなければならない」わけではありませんし、人間関係には相性もあります。ですが、二人の近くにいた人たちは「あのとき声をかけていれば…」と後悔しているに違いありません。

 同じような悲劇を防ぐために考えるべきこと。長時間労働の是正も重要ですが、それ以上に大切なのは周りに悩んでいる人がいないかどうか日ごろから気に掛けることではないでしょうか。もしも「話したくない」という性格の持ち主なら、産業医と面談できることや、体調不良があれば医療機関を受診するのもひとつの方法であることを伝えてあげてほしい。それが私の考えです。

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2017年6月16日 金曜日

2017年6月 「やりたい仕事」よりも重要なこと~前編~

「やりたいことを仕事にしなさい」とか「好きなことで稼ぎましょう」などと言われてもどこか空々しく感じてしまうのは私だけではないでしょう。そのようなセリフは成功者が言えることであって、一生懸命がんばったけど夢が叶わず挫折して、本意でない仕事に従事している人もたくさんいるからです。

 ですから、こういったタイトルの本やブログを見つけたとしても実際に役に立つことはあまりない、というのが私の意見です。ひどい場合は成功者の「自慢話」を聞かされるだけです。

 今回も前回に続いて「職探しの極意」について述べていきたいと思います。前回も指摘したように「受験」と「就職」はまったく異なります。受験は何といっても本人の努力がものをいいます。もちろん「運」も作用します。そもそも受験を許される家庭環境にいることが「幸運」ですし、たまたま知っている問題が出ることもあります。適当に選んだ選択肢が偶然当たることもあります。

 ですが、受験は(難易度にもよりますが)努力なしでは絶対に合格することができません。それも他人よりもずっと努力をしなければなりません。そして、「努力できるかどうか」は、本当に大学でそれを勉強したいのか、その気持ちに比例する、というのが私の考えです。どうしてもその大学で勉強したいという気持ちが強ければ強いほど努力が苦にならずスランプから速やかに脱出できる、ということを拙書で述べました。私の場合、医学部の受験勉強をしていて調子が上がらなかったときは、医学部のキャンパスで勉強している自分の姿を想像したり、あるいは実際に志望校(大阪市立大学)まで出向いて、「このなかの研究室でいずれ働くことになるんだ…」という空想を楽しんだりしていました。こうすると再びやる気がみなぎってくるのです。

 一方、就職はそうはいきません。ほとんど、とまではいいませんが、多くは「運」が左右するからです。就職したい会社の前に行って自分が働いているところを想像するようなことを繰り返せば、そのうち不審者として通報されるでしょうし、そもそも会社によっては縁故で大半が決まるところもあります。これがアンフェアだという意見もあるでしょうが、世の中とはそういうものです。賄賂が少ない日本はまだましな方です。また、多くの会社は認めないでしょうが、容姿の見栄えの良さや声の質といった個人の努力ではどうしようもない要因で採用が決まることは多々あります。

 芸術やスポーツの分野では、求められる才能や能力も受験とは桁違いに厳しくなります。ある意味「勉強」で生きていく方がラクです。例えば、学年一ピアノが上手だったとして、さらに努力を重ねても将来ピアノだけで食べていける可能性は極めて低いのが現実です。学年一のストライカーがプロのサッカー選手になり、しかも選手時代に一生食べていけるだけ稼げるかというと、これも極めて困難でしょう。

 その点「勉強」で勝負するなら、例えば小学生時代の算数の成績が上位3分の1くらいに入っていれば、その後の努力次第では、保護者の理解と支援は必要ですが、理系学部の大学院まで行くことも可能でしょう。そこまでいけばよほどの不景気でない限り、どこかの企業の研究職に就ける可能性は充分にあります。ただし、この会社しかイヤだ、というふうに考えると道はかなり険しくなりますから、どうしてもやりたいこと、を幅広く考えておかなければなりません。

 さて、私が考える「職探しの極意」。「やりたい仕事」よりも重視しなければならないことがあるというのが今回の話です。それは、「今、目の前にある仕事が少しでも興味があるなら”卒業”できるまでがんばる」ということです。そしてこれは若ければ若いほど大切なことです。私自身のことを例にとって解説したいと思います。

 私はひとつめの大学(関西学院大学)に入学して初めて、おもしろそうだな、と思って始めたのが旅行会社のアルバイトです。動機は極めて不純なもので「タダで沖縄に行きたい」というものです。ですが入ってみてすぐに「これは自分にはムリだ」と感じました。

 当時の旅行業界というのは(すべてではありませんが)とても”いい加減”で、現地に着いたけど宿が取れていない、といったお客さんからのクレームは日常茶飯事でした。ここで私のような未熟者は怒っているお客さんの前であたふたするだけで、とてもその場をまとめることができません。しかし、仕事のできる先輩は怒り心頭のお客さんを上手にもてなし、笑いをとり、その後感謝の手紙をもらうのです。宿がなくても、旅館の宴会場に泊めたり、ひどい場合は場末のラブホテルに交渉に行ってそこに宿泊してもらうのです。常識的に考えてこんなことをされてお客さんは納得するはずがないのですが、当時の私の先輩たちはこれくらいのことを当たり前のようにやってのけていたのです。

 このような先輩たちの「パワー」を目の当たりにすると、学校の勉強なんかしている場合じゃない、と思わずにはいられません。私はそのアルバイトを辞めるのではなく、こういった先輩たちのいわば「カバン持ち」をするようなつもりで、可能な限りプライベートの行動も共にさせてもらいました。

 最初の頃は、そのような先輩たちと一緒にいればいるほど、自分は何もできない人間なんだ…、という劣等感を感じるだけでしたが、そのうちに単純に先輩の「マネ」をすればいいのかも、ということに気づきました。そこで先輩たちがいないところでは、話す中身のみならず、話し方や声の抑揚のつけ方なども真似るようにしてみました。そのうち、「こんなとき〇〇先輩ならこんなふうに言うに違いない。△△先輩ならひとつ”間”を入れてからこう言うかもしれない」などというように考えるようになったのです。

 すると、百発百中とまではいきませんが、ある程度はその場で気の利いたことが言えるようになり、コミュニケーションの苦手意識がなくなってきたのです。これは「タダで沖縄に行きたい」と考えてアルバイトを始めた頃にはまったく予想もしていなかった私の「財産」となりました。相手が老若男女どのような人であったとしても、自分とはまったく異なる社会で生きている人であったとしても、初対面で苦手意識を持つことがなくなったのです。医師の多くは初めて接する患者さんと話すときに緊張するといいますが、私にはそれがほとんどないのはこの「財産」があるからです。

 過去にも述べたように、大阪で深夜の救急外来をやっていると、泥酔者、暴力的な人、自殺未遂をした人などが次々とやって来ます。ときには「指をつめたから縫ってくれ」と言って受診する「そのスジの人」もいます。夜間の救急外来にやってくる人のいくらかは医療者に暴言を吐きますから、それが辛いと考える医師ももちろんいますが、私の場合、こういったことがほとんど苦痛になりません。これはちょっとマズイな…、と感じたときも旅行会社でのアルバイト時代を思い出し、「〇〇先輩ならどうするかな」というふうに考えます。

 そのアルバイトを始めた頃は、百回生まれ変わっても先輩たちにはかなわないな…、と感じていて、それは変わっておらず、当時の先輩たちはいつまでも私の「永遠の先輩」であり、今も私など足元にも及びません。ですが、先輩たちから学ばせてもらった私の「財産」は、その後の人生で何度も私を救ってくれています。

 もしも私がそのアルバイトをすぐにやめていれば、自分のコミュニケーション能力は低いままで、きっとまったく異なる人生を歩んでいたに違いありません。私が先輩たちから学んだことはいくら教科書を読んでもわからないことであり、「自分には向いてないから他にやりたいバイトを探そう」と諦めていれば身につかなかったことです。

 しかし、その後の私の人生はこの「財産」でいいことばかり…、というわけではありません。関西学院大学を卒業し、満を持して入社したはずの会社で再び挫折を味わうことになります。

 つづく。

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2017年6月2日 金曜日

2017年6月2日 ピロリ菌除菌で酒さが大きく改善

 難治性の皮膚疾患で患者数が少なくないのにもかかわらず、なぜかマスコミではあまり取り上げられない酒さ。先日は白ワインが酒さ発症のリスクになるかもしれないという研究をお伝えしましたが、今回はその何倍も衝撃的な報告(注1)を紹介します。

 その報告とは、まず酒さの原因のひとつがヘリコバクター・ピロリ菌(以下「ピロリ菌」)かもしれない、というものです。この説は突然湧き出てきたものではなく、以前から一部の医師からは指摘されていました。しかし、反対意見も多く、また高いレベルのエビデンス(科学的確証)をもってピロリ菌と酒さの因果関係を証明した研究は存在しないことから、これまでそれほど強調されてこなかったのです。

 今回の研究では、酒さの患者をまず集めたのではなく、その逆で、ピロリ菌陽性者を先に観察することから始めています。研究の対象者はイラン・タブリーズ医科大学(Tabriz University of Medical Sciences)に2013年5月から2015年11月の間に受診したピロリ菌陽性者872名。そのうち167名(19.15%)が臨床的に酒さと診断されました。酒さは血液検査や画像検査で診断がつくのではなく「臨床的」すなわち医師の視診で診断をつける疾患です。

 167名のうち150名がピロリ菌の除菌がおこなわれ138人(92%)が除菌に成功しました。除菌に成功した患者が酒さも治ったかどうかについては、酒さのそれぞれの症状について検討されています。ほてり、紅斑、丘疹、熱感、落屑、乾燥、浮腫、眼症状については除菌後に有意差を持って改善しています。一方、血管拡張、周辺部位の症状(これが具体的に何を意味するのかは論文からはよく分かりません)、腫瘤様変化については改善は認められませんでした。

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 酒さは人種差があると言われています。私はイラン人の知人が多いわけではなくイランの医療事情のことがよく分からず、それが故にこの報告を日本人にあてはめていいのかどうか判断できません。ですが、ピロリ菌の除菌に成功すればこれだけの統計学的有意差を持って酒さが改善するという結果は注目すべきだと思います。

 まだあります。酒さを治すのは困難ですが、ピロリ菌の除菌は一次除菌に失敗したとしても二次除菌(さらに二次除菌に失敗すれば三次除菌…)があります。この報告は酒さで悩んでいる患者さんは一度は検討してもいいと思います。

 ですが、酒さの原因は様々であり、おそらくピロリ菌が原因の酒さというのはごく一部だと思います。(この研究でピロリ菌陽性者の19.15%が酒さというのは数字が大きすぎるように感じます。日本ではここまでの数字にはならないと思います) ちなみに、太融寺町谷口医院を受診している酒さの患者さんでいえば、原因として最も多いのがステロイドの不適切使用です。ステロイド外用を長期間使用していたことが原因と考えられるのですが、なかにはステロイドの内服や注射を実施しその後酒さを発症したと思われるケースも少なくありません。

 他の酒さの原因として、紫外線曝露、飲酒などが挙げられますが、なかにはまったく原因不明のものもあります。そういったケースではピロリ菌感染の有無を調べてみてもいいかもしれません。

注1:この論文のタイトルは「Effects of Helicobacter pylori treatment on rosacea: A single-arm clinical trial study」で、下記URLで概要を読むことができます。

http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/1346-8138.13878/abstract

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2017年5月29日 月曜日

2017年5月29日 ワクチン1回では不十分~後遺症も残る麻疹脳炎~

 感染研感染症疫学センターが毎月発行している「病原微生物検出情報」2017年5月号に興味深い麻疹(はしか)の症例が報告(注1)されました。この症例は、非常に示唆に富むもので、私がこの報告を読んだ最初の印象は「起こるべくして起こった」というものです。まずはこの症例を簡単にまとめてみましょう。

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【症例】36歳男性。生来健康。

2016年8月中旬より出張でジャカルタ滞在。渡航前は会社から推奨のあったA型肝炎ウイルスワクチン(以下HAV)、 B型肝炎ウイルスワクチン(以下HBV)、日本脳炎ワクチン(以下JE)の3種を接種。9月上旬顔面腫脹、その2日後に高熱と全身の発疹、さらに意識が混濁し現地病院に緊急入院。気管内挿管がおこなわれ人工呼吸器管理となった。様態改善せず、入院4日目にシンガポールへ移送。移送後も痙攣発作を認め麻疹脳炎の診断確定。抗けいれん薬開始。症状改善傾向にあり人工呼吸を中止。発症26日後に帰国し日本の医療機関に入院。

入院時、意識清明であったが、舌が正常に動かない、飲みこむのが不自由など麻疹脳炎の後遺症を認めた。胃に管を入れ栄養を摂りリハビリテーションが開始された。発症から68日後に退院となり退院時には食事が可能となったが、現在も後遺症が残存。
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 さて、この症例、渡航前にワクチンを接種していなかったのはなぜでしょう。会社から推奨のあったのは、HAV、HBV、JEの3種のみ。ジャカルタのみなら狂犬病は必須ではなくこれはいいとして、なぜ麻疹と風疹が含まれていないのか、この点が大いに疑問です。そして、会社は医学の専門家ではないですから責任を問われないかもしれませんが(とはいえ、なぜ産業医がこの従業員に麻疹ワクチンの推奨をしなかったのかは追及されることになるかもしれません)、ワクチンを接種していた医師は何をしていたんだ、と感じる人もいるでしょう。

 では医師は何をしていたのか。ここからは私の予想です。おそらくワクチンを実施した医師は、麻疹や風疹ワクチンの必要性についても説明したはずです。そして、おそらくこの会社員の男性は、「会社から推奨されていないので大丈夫です」というようなことを言ったのではないでしょうか。

 なぜ私にこのような推測ができるかというと、太融寺町谷口医院にも同じようなケースが多数あるからです。この患者さんが言う「大丈夫です」というセリフ、最近頻繁に聞くのですが(もしかすると「流行語」なのでしょうか)、言葉以外から伝わってくるニュアンスとしては「余計なことを言わないで」というふうに感じられることもあり、そうなると現実的にはそれ以上のことが言えず、せいぜい「他の感染症のこともしっかり学んでおいてくださいね」と助言するくらいのことしかできません。

 実際には、ほとんどのケースで「大丈夫」でなく、たいへん危険な状態で現地に渡航することになります。では、患者さんがすべて悪いのか、というとそうではなく、会社の辞令や命令で現地渡航するわけで、それに伴う費用は会社が出すべき、という考えは分からなくはありません。決して安くないワクチンを自分のポケットマネーで負担しなくてはならないのは腑に落ちないと考えるのでしょう。

 ですが、海外では(本当は日本でも)「自分の身は自分で守る」が原則です。特に感染症は「正しい知識」があれば防げることが多いのです。もしもこの男性が会社に頼らずに、自分自身でジャカルタの医療状況について調べていたらきっとこのようなことにはならなかったに違いありません。

 また、もしも会社の上司や人事部が、または産業医がもう少し現地の疾患のことを知っていたら違った対策をとることになったに違いありません。あるいは、ワクチンを接種した担当医が、聞くのを嫌がる男性を引き留めてでも麻疹の危険性を忠告していたら…。

 この男性の後遺症が今後どうなるのかは公表された報告からは分かりません。今のところ、この症例は一般のメディアでは報じられていないようですが、関係者のみならず、海外旅行(それは観光も含めて)に行く機会のあるすべての人が知っておくべきだと私は思います。

注1:下記URLを参照ください。

https://www.niid.go.jp/niid/ja/id/1047-disease-based/ma/measles/idsc/iasr-in/7279-447d02.html

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2017年5月28日 日曜日

2017年5月28日 妊娠中のマクロライド系抗菌薬は流産のリスク

 妊娠中は薬に頼らざるをえない事態を可能な限り避けなければなりません。規則正しい生活を心がけて感染症の予防をしっかりとおこなうことが重要です。

 しかし、いくら気を付けていても妊娠中に風邪をひくことはあります。ほとんどの風邪はウイルス性ですから治療には何もせずに休養をとるのが一番です。そして、市販の風邪薬の多くは妊娠中には飲んではいけない成分を含んでいます。

 では、ウイルス性ではなく細菌性の風邪をひいたとき、あるいは細菌性の膀胱炎や腸炎に罹患したときにはどうすればいいでしょうか。細菌性であったとしても日ごろ健康な人であれば、上気道炎でも膀胱炎でも腸炎でも水分摂取と安静で治ることもあります。ですが、高熱が続いたり倦怠感が強くなってきたりした場合は抗菌薬を使わざるを得ません。

 では、妊娠中の抗菌薬はどれくらい危険なのでしょうか。抗菌薬と流産の関係を検証した研究が最近発表されました(注1)。

 研究の対象者はカナダ・ケベック州在住で1998年から2009年の間に妊娠して自然流産した15~45歳の妊婦8,702人。対照者は妊娠週数及び妊娠した年を一致させた87,020人の妊婦です。

 流産と抗菌薬使用の関係を検討した結果、流産した女性の16%が妊娠初期に抗菌薬を使用していたことが判りました。一方、対照者は13%未満でした。特筆すべきなのはマクロライド系抗菌薬のアジスロマイシン(先発品の商品名は「ジスロマック」)の流産のリスクは1.65倍、クラリスロマイシン(同じく「クラリス」「クラリシッド」)なら2.35倍にもなることが判ったことです。(尚、この研究では、メトロニダゾール、ニューキノロン系、テトラサイクリン系などの流産のリスクにも触れていますが、これらは日本では妊娠中には「禁忌」とされており使用されることはありませんからここでは言及しないでおきます)

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 太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)にも妊娠中の患者さんが少なくありません。妊娠前から谷口医院をかかりつけ医にしている人のみならず、従来かかりつけ医を持っていなくて妊娠後に谷口医院を受診するようになったという人もいます。妊娠中は、出産に関することであれば産科の担当医を受診しなければなりませんが、妊娠中に風邪をひいたときなどは、産科医を受診すると他の妊婦さんにうつすリスクがありますから、産科医を受診しにくいのです。

 妊婦さんが受診された場合、それがどのような疾患であったとしても薬の処方は最小限にします。(もっとも、谷口医院ではどのような患者さんにも「薬は最小限にすべき」と伝えていますから、実際には妊娠の有無でそれほど変わるわけではありません)

 妊婦さんに抗菌薬を処方せねばならない場合、効果が期待できそうであればペニシリン系を選択します。なぜなら、この世界最古の抗菌薬(注2)は、歴史的に大勢の妊婦さんに使用されてきており相対的に安全であることが分かっているからです。

 問題は、ペニシリンが役に立たないケースです。ペニシリンはグラム陽性菌とカテゴライズされる細菌には比較的よく効きます。グラム陰性菌に対しては過去にはよく効いていましたが、最近は耐性菌が多く効かないケースも目立ちます。また、細胞内寄生菌といって顕微鏡では観察できない菌のいくらかはペニシリンがまったく無効です。比較的よくあるのがマイコプラズマ、クラミドフィラ(クラミジア)(注3)など咳が主症状となる上気道感染です。この場合、通常は日本ではマクロライド系の抗菌薬を選択するのが一般的です。けれども、今回の研究が示しているように、これだけ流産との相関が高いなら、症状をみながら薬を使わずに自然治癒に期待する選択を積極的に考えるべきかもしれません。

 細菌性のものも含めて風邪(上気道炎)を予防するには日ごろのうがい・手洗いが重要です。また、夫に風邪症状があるときには家に帰らないようにしてもらうこともあります。妊娠すれば、可能な限りの風邪をひかない対策を実行すべきなのです。

 さて、谷口医院でもしばしば相談を受けるのが「性器クラミジア感染症」です。この疾患は大半が無症状であり、妊娠初期におこなわれる「妊婦検診」で発覚します。谷口医院をかかりつけ医にしている人は、「産科で薬を飲まないといけないと言われたけど大丈夫でしょうか」と言って受診します。また、何らかの事情(おりものの異常がある、無症状だが危険な性交渉があった)などで谷口医院を受診し、性器クラミジア感染症が見つかることもあります。そして妊娠していたという場合がときどきあります。

 上気道炎(風邪)の場合とは異なり、性器クラミジア感染症(クラミジア子宮頚管炎)の場合は自然治癒の期待はできません。そして、無症状であったとしても治療しなければなりません。大切な胎児をつつんでいる子宮にそのような細菌が棲息していれば胎児に感染するリスクが出てくるからです。そして、クラミジアにはペニシリン系(およびセフェム系抗菌薬)は一切無効です。また、妊娠していなければクラミジアにも使用できるニューキノロン系やテトラサイクリン系抗菌薬は妊娠中の使用は「禁忌」とされています。結局、マクロライド系抗菌薬しか選択肢がないのです。

 しかし、今回の研究が示しているようにマクロライド系は流産のリスクがあるわけです。結局のところ、妊娠する前にきちんと性感染症の検査をしておく、というのが最も大切ということになります。

 
注1:この論文のタイトルは「Use of antibiotics during pregnancy and risk of spontaneous abortion」で、下記URLで概要を読むことができます。

http://www.cmaj.ca/content/189/17/E625.abstract?sid=48adccb6-9169-4c74-b40e-8a8f1f50dcd9

注2:世界最古の抗菌薬はペ二シリンではない、という意見もありますが、世界的にコンセンサスが得られているのはペニシリンです。詳しくは下記コラムの注2を参照ください。

毎日新聞「医療プレミア」「日本初の女性医師を生涯苦しめた病とは」

注3:クラミドフィラ(クラミジア)には「言葉の混乱」があります。①クラミジア肺炎、②クラミジア・シッタシ(オウム病)、③クラミジア・トラコマティス(性器クラミジア感染症)のうち、①と②はクラミドフィラという呼び方が正確なのですが今も「クラミジア」と呼ばれるのが一般的です。最近(2017年4月)、2人の妊婦が死亡したことが報じられたクラミジアは②です。詳しくは下記コラムを参照ください。

毎日新聞「医療プレミア」「子どもも妊婦もかかる 三つの「クラミジア」の混乱」

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