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2020年11月10日 火曜日

2020年11月 米国大統領選挙と新型コロナでみえてくる「勝ち組」の愚かさ

 2020年11月の米国大統領選挙で民主党のバイデン氏が勝利しトランプ氏が失脚したことが報じられました。今回の選挙は私自身としてはどちらが勝ってもおかしくないと思っていましたが、4年前の大統領選ではトランプ氏が勝利するなどとは微塵も思っていませんでした。就任してからでさえ、「誇り高きアメリカ人がこんな人物を大統領と認めるはずがない。近いうちに選挙がやり直しされるだろう」と本気で思い込んでいたほどです。

 しかし、世界中のメディアを見聞きし、実際にラストベルト地域などトランプ氏を支持する地域への取材記事などを読むにつれて「なるほど、そういうことか」と思うようになっていきました。トランプ氏がいくら差別発言をしようが、下品な言動を披露しようが支持者には関係がない。いや、むしろトランプ氏がそういった非理性的な行動をとればとるほど、一部の人達からは熱狂的に支持される理由が次第にわかってきたのです。

 その「理由」とは「リベラルへの反逆」です。つまり、民主党を支持するリベラルの言うきれいごとや偉そうな態度に我慢ならない人たちの「怒り」がトランプ氏支持へとつながっているのだと思うのです。「怒り」というのは反理性的な感情です。ですから、トランプ氏が非理性的・反理性的な言動を示せば示すほど、日ごろ感じているリベラルへの怒りが発散できるというわけです。つまり、トランプ氏は、リベラルを嫌う人たちの「代弁者」となっていたのです。

 ではなぜ彼(女)らはリベラルに対して「怒り」の感情を抱くのか。極端なエピソードを創作するとこんな感じです。

 あるハイスクール。勉強はたしかにできるけど付き合いが悪くて冗談が通じないビル。いいとこ育ちで、ちょっとは美人かもしれないけど愛想のないケイト。そして俺たち。ビルやケイトは有名大学に行き、俺たちは地元の工場勤務。不景気で工場が閉鎖に追い込まれた。他の工場で雇ってもらおうと思っても不法滞在のヒスパニック系がマジョリティになってしまっている。そんななか、ビルは弁護士に、ケイトは会社の社長をしていると聞いた。ビルは「平等が大切だ」とかきれいごとを言って移民に権利を与える運動をしているらしい。ケイトは「黒人を守る」などと言っているが本音は黒人へのマーケットを増やしたいだけなのは見え見え。今度の選挙? ビルやケイトは民主党を支持しているって? じゃあ俺たちは……。

 私の印象でいえば、FOXニュース以外の米国の主要メディアはほぼすべてリベラルで、民主党支持です。大手メディアのスタッフは(ほぼ)全員が高学歴者で、差別反対主義者で、ポリティカルコレクトネス大好き、きれいごと大好きです。つまり「エリート」もしくは「ブルジョア」です。

 こう言ってしまうと、マルクス主義でいうブルジョアジーとプロレタリアートの対立に聞こえるかもしれませんがそうではありません。実際、トランプ氏はプロレタリアートの代弁者でないのは自明です。大金持ちなのですから。むしろ、生まれは貧しかったけれど一所懸命に努力をして成功している人たちや、人種差別の被害に遭いながらも努力を重ね高収入を得ている人たち、つまり自身をプロレタリアートと考えているような人たちが民主党を支持しているのが現在の米国だと思うのです。

 マルクス主義の用語でこれらの対立を説明できないのならどう考えればいいのでしょうか。その答えが「勝ち組」です。つまり、「勝ち組への怒り」がアンチ民主党、そしてトランプ氏支持につながったのではないかというのが私の推論です。

 では、なぜ勝ち組が怒りや反感を買うのか。それは彼(女)らに「謙虚さ」が欠落しているからだ、というのが私の考えです。現代社会というのは努力が美化される社会です。努力して這い上がり栄光を手にすれば他人から賞賛を集めます。ロースクールに入り苦労して弁護士になった、メディカルカレッジに入学して努力を重ね医者になった。彼(女)らは欲しいものを手に入れるために自分の時間を犠牲にし、がんばってきたわけです。

 そういう人たちの中には自分にだけでなく他人にも厳しい人が少なくありません。「成功していないのは努力が足りないからだ」という考えに固執するようになり、自分が勝ち組になったのはあれだけ頑張ったのだから当然だ、とうぬぼれるようになります。

 そして、彼(女)らがその後も自分のアイデンティティを維持するには、自分が成功しているのは「公正で正しい競争社会で勝ち抜き、今も平等な社会で勝負しているのだ」と思いこむ必要があります。だから彼(女)らは「平等」という概念を大切にします。性的指向や性自認に関わらず、有色人種も、外国人も、身体障がい者も、みんなが”平等に”チャンスが与えられている世界で自分は正当な競争を勝ち抜いたんだ、という「幻想」が彼(女)ら”エリート”には必要なのです。

 そして、これは日本にもそのままあてはまります。「勝ち組」の人たちの多くは、たしかに真面目に努力を重ねて成功しているのでしょう。一方、「勝ち組」の人たちのいくらかはきれいごとが好きで、努力を重ねて成功したのは自分ががんばったおかげだと思いこんでいます。

 東日本大震災のときには被災者を支援し、ラグビーで日本が善戦したときには「ワンチーム」という言葉に熱狂し支え合いを美化していた「勝ち組」の人たちも、新型コロナが流行しはじめると「他者を思いやる発言」が減っていないでしょうか。仕事をなくすかもしれないと考え始めると他人のことを考える余裕がなくなるのかもしれません。

 新型コロナの流行で「勝ち組」の立場を脅かされそうになった人たちのいくらかは、また新たな努力を始めるでしょう。会社を経営している人なら、助成金を上手に申請してこの状況を耐え忍び、そして再び成功することでしょう。成功を確認した時点で「苦境のなかでここまでこれたのは自分ががんばったからだ」と再び思うに違いありません。一方、コロナ禍でも雇用やお金の不安を感じることなく働いている人は「これまで一生懸命がんばってきたからだ」と自分自身をねぎらっているのではないでしょうか。

 今から14年前のコラム「医者は「勝ち組」か「負け組」か」で、私は「勝ち組」と言う考え方に疑問を投げかけ、何でもお金に換算する考えを強く批判し、お金が勝ち負けの指標にはならないことを主張しました。また、お金を求めることが馬鹿馬鹿しいことをタイの農民と日本のビジネスマンの逸話を用いて述べたこともあります(「なぜ「幸せ」はこんなにも分かりにくいのか」)。成功の原因として自分の実力が占める割合はほんのわずかであり、「人生を決めるのは99%の運と1%の努力」だということを過去のコラム「『偏差値40からの医学部再受験』は間違いだった」で述べました。

 私は自分自身のことを「勝ち組」とは思っていませんし、また「勝ち組」を目指すつもりもありません。過去のコラムでも述べたように自分自身の役割を演じるだけです。米国の大統領選については他国の人間が口をはさむべきではありませんが、日米問わず、勝ち組の人たちには”勝っている”要因をもう一度考えてもらいたいと思っています。”勝っている”のは自分ががんばったからなのか?ということを。

 最後に旧約聖書から興味深い言葉を引用しましょう(日本聖書協会の和訳を引用しようとしたのですが著作権の関係でできないようなので私が勝手に英文を訳しました。尚、英文にも複数あり、下記に示したのはその一例です。興味のある方はBible Hubのサイトを参照ください)。

私が白日のもとで見てきたのはこういうことだ。すなわち、足の速い者が競争に勝つとは限らない。強い者が闘いに勝つとは限らない。知恵のある者がパンを手にできるわけではない。賢者が金持ちになれるわけでもない。しかし、これらを成し遂げた者たち全員に「時」と「運」が味方したのだ。

“I have seen something else under the sun: The race is not to the swift or the battle to the strong, nor does food come to the wise or wealth to the brilliant or favor to the learned; but time and chance happen to them all.”

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2020年11月1日 日曜日

2020年10月31日 認知症予防には「食の多様性(ダイバーシティ)」

 ここ数年よく耳にする言葉に多様性(ダイバーシティ)があります。よく使われるのは、主に職場で「人種、宗教、性的指向・性自認などの違いからくる人それぞれの考えを尊重しよう」という文脈です。最近の日本では、セクシャルマイノリティの人権の話になると決まって引用されます。

 しかし多様性(diversity)というのは社会的な言葉だけではなく、医学の分野でも用いられることがあります。今回の話題は「食の多様性」です。

 多様性に富んだ食事をしている人ほど加齢による海馬(記憶を司る脳の部位)の萎縮が抑制される……

 医学誌『European Journal of Clinical Nutrition』9月2日(オンライン版)に「食の多様性は、日本人の海馬の体積の変化と関連(Dietary diversity is associated with longitudinal changes in hippocampal volume among Japanese community dwellers)」というタイトルの論文が掲載されました。著者は日本人の学者です。

 海馬は記憶を司る脳の領域で、加齢に伴い誰もが萎縮していきますが、アルツハイマー病などの認知症があれば早期から萎縮することが分かっています。

 研究の対象者は「国立長寿医療研究センター」の老化に関する研究に参加している1,683人(男性50.6%)、調査期間は2008年7月~2012年7月です。海馬の萎縮の程度と食事内容との関係が解析されています。

 食の多様性を5段階に分類すると、多様性が最も少ないグループでは海馬の体積の減少率が1.31%、次いで順に1.07%、0.98%、0.81%、0.85%となりました。

 研究者は「様々なものを食べること(食の多様性を増やすこと)が認知症のリスク低下につながる」と結論づけています。

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 太融寺町谷口医院の患者さんのなかに「身体にいいもの」にこだわりすぎて、特定のものばかり食べて「身体に悪い(かもしれない)もの」を一切避けているという人がいます。たとえば発芽玄米のみばかり食べて、小麦、卵、大豆製品などを一切食べないという人がいます。そして、「魚には重金属が…」「コーヒーにはカビが……」などと言って食べるものをどんどんと制限しています。こういう人たちはビーガン(徹底した菜食主義者)の人たちよりもさらに健康のリスクがあるのは自明なのですが、なかなか聞く耳をもってくれません。

 組織と同じで食にも多様性が必要、といってもこういう人たちの耳には届かないのでしょうか……。

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2020年11月1日 日曜日

2020年10月31日 胃薬PPIは糖尿病のリスクにもなる

 このサイトでは特定の薬を充分な根拠もないままに高評価したり、逆に低く評価したりはしていないつもりです。常に客観的な観点から医療情報をお伝えすることを心がけています。ですが、胃薬PPIに関しては否定的なものを取り上げる機会が増えています。認知症、脳梗塞、骨粗しょう症などのリスクになることが指摘されているPPIは新型コロナのリスクにもなる可能性があることを過去に伝えました。今回は糖尿病との関係です。

 医学誌『Gut』2020年9月28日号(オンライン版)に「胃薬PPIの定期的な服用と2型糖尿病のリスク:3つの前向きコホート研究の結果(Regular use of proton pump inhibitors and risk of type 2 diabetes: results from three prospective cohort studies)」というタイトルの論文が掲載されました。中国人の学者による研究ですが、対象は米国の医療従事者が対象の3つの大きな研究(Nurses’ Health Study(NHS)、NHSⅡ、Health Professionals Follow-up Study(HPFS))です。

 調査開始時に糖尿病を発症していない人が204,689人で、調査期間中に10,105人が糖尿病を発症しています。PPIを使用していない人に比べて、PPIの長期使用者で糖尿病のリスクが24%上昇していました。リスクは使用期間が長いほど上昇するようで、使用期間が0~2年のグループでは発症リスクが5%上昇するのに対し、2年以上の使用では26%になっています。

 興味深いことに、このリスクはPPIを中止すると減少するようです。使用中止期間が0~2年であれば17%、2年以上になれば19%のリスク低下が確認されています。

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 過去にも述べたように、これまでPPIを内服していた人でも、少しの生活習慣の改善と薬の変更でいい状態が維持できる人は少なくありません。PPIは頼りになる薬ですが、長期使用を減らしていく対策も必要です。

医療ニュース
2020年8月6日 胃薬PPIは新型コロナのリスクになる
2019年12月28日「やはり胃薬PPIは認知症のリスクを増やすのか」
2018年9月28日「胃薬PPIで認知症のリスクは増加しない?!」
2018年5月14日「PPI使用で脳梗塞のリスク認められず」
2017年4月28日「胃薬PPIは認知症患者の肺炎のリスク」
2018年4月6日「胃薬PPIは短期使用でも骨粗しょう症のリスクに」
2017年1月23日「胃薬PPIは精子の数を減らす」

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2020年10月25日 日曜日

第206回(2020年10月) 新型コロナのPCR、ようやく保険で可能に

 PCRや抗原検査といった検査をするのにも一苦労する新型コロナ。ここにきて太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)でもようやく保険診療でこういった検査ができるようになりました。さらに、もうすぐ検査代は全額無料になりそうです。ただ、東京を含めて全国の多くの地域では、数か月前からすでに医師が必要と判断すれば無料でできていました。なぜ大阪市ではこんなにも時間がかかるのでしょう。谷口医院の経験を振り返りながら説明していきましょう。

 新型コロナが日本でも流行しだした2月下旬から5月中旬ごろまでの間、「保健所(発熱センター)に電話してもなかなかつながらない。つながっても検査はできないと言われる。熱があるのにどうすればいいの?」という問い合わせを電話やメールで何百件と聞きました。そもそも、保健所の電話回線はたかがしれているのですから「4日発熱が続けば電話を」などという方針には初めから無理があったのです。
 
 ですから、谷口医院では2月下旬から「4日待たなくてもいいし、保健所に電話する必要もない。うちに連絡してくれればPCRの手配をする」と答えていました。(これは非公開ですが)医療機関からならつながる保健所の電話がありますし、患者さん自身が「検査をしてください」とお願いするよりも、我々が「〇〇の理由から新型コロナを疑います。PCRをお願いします」と交渉する方がスムースにいくからです。

 ところがこの考えが誤っていたことに気づくのにそう時間はかかりませんでした。私が保健所に交渉しても断られるのです。「あきらかにコロナですよ」という患者さんの検査を依頼しても認めてもらえないのです。仕方がないから、保健所は諦めて、大きな病院に「不明熱」という名目で入院してもらい、そこでコロナ陽性であることが判明した患者さんもいます。

 こんな状況では保健所に交渉するだけ無駄です。そこで5月中旬、保健所に勤務する医師に対して「保健所はあてにできないから当院で検査をさせてほしい」と直談判しました。すると、意外にも答えはあっさりと「OKです」とのこと。しかし、考えてみればこれは当然で、保健所も我々や患者さんにいじわるをして「検査できません」と言っているわけではないのです。それだけキャパシティが少なかったのです。そんななか、クリニックで検査をすると言われれば保健所からみても「渡りに船」です。

 ただ、谷口医院で患者負担ゼロで検査をするには、法律上、保健所と谷口医院が「行政契約」を結ばねばならないとのことでした。しかし、「その契約にはそんなに時間がかからない。近々連絡するから少し待ってほしい」とのことでした。「これで、患者さんに不安な思いをさせなくて済むんだ」と、そのときはそう思い、暗闇に光が差したような感覚になったのを覚えています。

 ところが、です。待てど暮らせど連絡はこない。たまりかねて何度か保健所に催促の電話をするのですが、いつも「もう少し待ってほしい」との回答。10月になれば医師会と保健所が「集団契約」をすることになり、そうなれば医師会に加入しているすべての医療機関(もちろん谷口医院も加入しています)が患者負担ゼロで検査ができるようになると聞いていたのですが、この話も進展がありません。

 そんななか、ある医師から「大阪市も保険診療でなら検査できるようになったらしいよ」という話を聞きました。これは私が聞いていた話と異なります。5月に保健所で「OKです」と言われたとき、行政契約が済むまでは保険診療でも検査はできないと聞いていたからです。そこで、ある行政機関に尋ねてみました。すると、「少し前から保険診療でなら検査ができるようになった。つまり無料にはならないが3割負担でなら検査可能」との回答を得たのです。

 というわけで、10月中旬から谷口医院でも新型コロナウイルスのPCR検査及び抗原検査が保険診療でできるようになりました。ただし、診察した結果、感染の可能性があると判断された場合のみとなります。無症状だけど盛り場に行ったから心配、というような理由では保険診療で検査をおこなうことは認められていません。

 では、なぜ大阪市では診療所での新型コロナの検査にこれだけ消極的なのでしょうか。ある情報によると、大阪では院内感染で医師が二人亡くなり、そのことがあるから診療所での検査に抵抗がある、とのことです。

 ですが、私に言わせれば、院内感染で医師が死ぬこともある重要な感染症だからこそ、各医療機関は「発熱外来」を設けて、院内感染対策を万全にした上で検査を積極的におこない、早期発見に努めなければならないのです。

 一部のメディアが報道したように「保健所からも医療機関からも検査を断られて受診が遅れて死亡した」という症例が全国で相次ぎました。この人たちは、症状が出てから他界されるまでずっとひとりで過ごしていたのでしょうか。多少しんどくても、保健所が断ったんだからコロナじゃないんだろうと思って、仕事や買い物に行った人はいないでしょうか。そして、他人に感染させた可能性はないでしょうか。

 つまり、疑いがある患者さんを迅速に検査するのも我々医療者の使命なのです。そして、院内の感染対策をしっかりとおこなえば新型コロナウイルスはそれほど恐れる必要はありません。ただし、感染力の強さについては患者さんにも知っておいてもらう必要があります。

 ここ数か月、我々の説明に対して怒り出す患者さんが目立ちます。「発熱外来に来てください」と言うと気分を害するのです。2月以降、「症状があれば発熱外来に」と言い続けているのですが、「軽症ですから」(そもそも風邪が軽症なら受診は不要)とか、「味覚障害はありませんから」(全員に味覚障害が出現するわけではない)といった理由で「普通の診察時間に受診したい」という人が(多くはありませんが)週に1~2人いるのです。なかには受付にやって来て「今、診てください」と言う人もいます。慌てて外に出てもらって「一般の時間では診られません。発熱外来に来てください」と言うと、怒って帰る人もいます。

 新型コロナウイルスは適度には恐れるべきです。症状があるときに人が集まるところ(医療機関の待合室も)に行ってはいけません。しかし、過度に恐れる必要はありません。患者さんから感染して亡くなった大阪の2人の医師は気の毒だと思いますが、きちんと対策をとっていれば感染することはありません。検体採取のときに患者さんがくしゃみや咳をするのでそのときに感染することが報告されていますが、これも対策で防げます。

 谷口医院で実際に検査をしたことがある人が近くにいれば聞いてほしいのですが、検査のときには大きな窓の外に顔を向けてもらい、私はPPE(ガウン、N-95、フェイスシールド、グローブなど)を装着し、患者さんの後ろに立ち、後ろから柔らかい綿棒を鼻の奥に入れます。痛くはありませんがその際、けっこうな確率でくしゃみや咳がでます。この処置中、私の背後から業務用扇風機で強風を窓の外に送っています。この状態で感染するはずがないのです。もっとも、実際の感染は飛沫(やエアロゾル)ではなく、接触感染が多いと言われています。ですから患者さんの触った保険証、紙幣、硬貨などはウイルスが付着しているものとして扱います。谷口医院ではすべてのスタッフに対し、顔を触る前には両手を消毒することを義務付けています。

 話を戻します。この数か月、実に多くの患者さんから「なんでここで(谷口医院で)検査できないの?」と言われ続けてきました。現在は保険診療でなら検査可能となりました。そして、もうすぐ負担ゼロでできるようになるはずです。しかし、他の疾患のように「気になればいつでもお越しください」というわけにはいきません。「発熱外来」の枠に受診してもらうことになります。

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2020年10月12日 月曜日

2020年10月 不幸の原因は他人と比較すること

 「不幸の原因は他人と比較すること」という命題は正しいでしょうか。私は「真」だと考えています。ではその「対偶」の「他人と比較しなければ不幸にならない」はどうでしょうか。対偶とは「PならばQ」に対して「QでないならPでない」ことを示す数学の用語です。

 不幸の代表のようにみなされることの多い「貧乏」を考えてみましょう。「貧乏は不幸か?」と尋ねられれば、おそらく多くの人は「その質問に答える前に、貧乏の定義を教えてほしい」あるいは「どの程度の貧乏かによる」と返答するのではないでしょうか。つまり、漠然と「貧乏は不幸か?」と問われても答えようがないのです。

 では、「失業して無一文の人」と「無借金の公務員」はどちらが貧乏で不幸でしょうか。よほど屁理屈が好きな人を除けば「無一文の人」が貧乏で不幸と答えるでしょう。では「失業して無一文だが健康な30歳」と「消費者金融から300万円の借金がある65歳」はどちらが不幸でしょうか。この質問なら屁理屈が好きな人も「より貧乏で不幸なのは65歳」と答えるのではないでしょうか。つまるところ、「貧乏」は他人と比較することで初めて成立する概念なのです。

 ところで、人はなぜ他人と自分を比較するのでしょうか。それは、おそらく生物学的な本能です。「他人より優位に立たねば生存競争に不利」と考えるプログラムが人の遺伝子に刻まれているはずです。「他人より強くなければ獲物にありつけず飢え死にする」「他人より強くなければ子孫が残せない」という生き残る上での「戦略」があり、その戦略にのっとった行動をとる者が勝ち残り自身の遺伝子を残していったわけです。現代の社会は原始社会から大きく変化していますが、それでも「他人より金を稼がねば高級な物が食べられない」「他人より魅力がなければ素敵なパートナーを得られない」という”戦略”は本能として残っているのです。ですから、自己啓発でよくある「自分らしさを大切に」という言葉には生物学的な観点からは説得力がないわけです。

 ならば、やはり人は本能に逆らえず他人と比較し続けなければならないのでしょうか。私の答えは「ノー」です。実際、このサイトで繰り返し述べているように、すでに私は「競争社会」から降りています(「競争しない、という生き方」 「競争しない、という生き方~その2~」)。出世にはまったく興味がなく、無一文では困りますがお金に執着したこともありません。他人より目立ちたいとか、他人よりモテたいと思ったことも若い頃にはありましたが、今はまったくありません。そしてこの生き方がとても心地いいのです。しかし、この考えのまま原始社会にタイムスリップしたとすれば、私はたちまち生き残ることができなくなるでしょう。ですが、そのようなことが起こるはずがありませんし、たとえ新型コロナウイルスよりも恐ろしい感染症が猛威をふるったとしても人類が原始社会に戻るとは思えません。

 「貧乏」に話を戻しましょう。私は自分がどれくらい貧しいかについて他人と比較することは(馬鹿らしいので)しませんが、比較しようと思えばできないことはありません。私はアラブの石油王に比べると極端に貧乏ですが、北朝鮮の農民と比べると驚くほど金持ちです。日本人で比較してみると、私は一部上場企業の役員たちよりもずっと貧乏ですが、戦中にルソン島で人肉を摂取しなければならなかった人たちや戦後シベリアに抑留され馬糞に含まれる麦の屑をあさっていた人たちよりもはるかに金持ちです。他者との比較が馬鹿らしいのは「上には上がいて下には下がいる」からです。先に例として挙げた「失業して無一文の人」でいえば、周囲が借金を抱えている失業者ばかりだとすれば相対的に貧乏と言えませんし、スタートアップの準備をワクワクしながら開始しているかもしれません。

 他人よりいい成績をとっていい大学に行けば出世できる、という考えがあります。これはある意味で正しいと思います。一流大学で優秀な成績を収めた方が大企業に就職するのが有利でしょうし、その後もがんばって成績を伸ばせば出世できるでしょう。そして、そういったことを望む人は勝手にやればいいわけです。しかし、いい成績がとれずいい大学に行けなかった人がそれが理由で不幸になるわけではありません。大企業で出世する以外にも人生には「幸せを感じられること」がいくつもあるからです。過去のコラム「なぜ「幸せ」はこんなにも分かりにくいのか」で紹介した「タイの農民と日本のビジネスマン」の逸話からも分かるように「出世」や「お金」は見方を変えれば馬鹿馬鹿しいものにさえなるのです。

 なぜ現代社会では比較することが馬鹿げているのでしょうか。原始社会のように、全員の食糧がないといった事態になれば他人より優位に立たねばならないわけですが、現代ではそのようなことはありません。そして、貧乏な人も金持ちの人も胃袋の容積はたかがしれています。高級な物しか美味しく感じられないという人もいるのでしょうが、そうでない人の方が多いでしょう。ちなみに、私はマクドナルドが今も大好きで、スマホのトップページにアプリを置いています。過去のコラム(「”貧乏”な者が医師に向いている理由」)でクーポンを使う30代が気持ち悪がられるという逸話を述べましたが、私は50代になった今もそれをやっています。吉野家と王将のアプリもトップページに置いていますし、王将は現在スタンプをためています。

 「格差」という言葉に敏感に反応する人がいます。格差社会では王将のスタンプをためてマクドナルドのクーポンを利用しているような私は「下」に位置するのでしょうが、そんなこと気にしなければいいのです。いつか、高級中華料理と高級ハンバーグを食べてやる、などと思う人は格差を気にして他人との比較をすればいいと思いますが私には興味がありません。

 科学誌「PNAS」2016年5月17日号に「機内の物理的および状況の不平等はエアレイジを予測する(Physical and situational inequality on airplanes predicts air rage)」という興味深い論文が掲載されています。機内で乗客の怒りが生まれることを「エアレイジ」と呼ぶそうです。そのエアレイジはファーストクラスがある機内で起こりやすくなり、エコノミーの人がファーストクラスを通って席につくと怒りはさらに強くなるそうです。つまり、他人との格差を見せつけられ自分が「下」にいることが分かると怒りモードに入りやすいというわけです。

 しかしながら、当然のことですが、エコノミーの人全員が怒りやすくなるわけではもちろんありません。おそらくファーストクラスの席を見ただけで怒りやすくなるような人が高級料理を求め、私のようにクーポンやスタンプについて楽しく語る者を蔑むのでしょう。ただし、たしかに座り心地がよくてスペースの広い座席は魅力的です。この夏もタイに渡航する予定だった私は今年初めてエアアジアのビジネスクラスを予約しました(タイ航空や日本航空など既存の航空会社は高すぎて初めから論外です)。とても楽しみにしていたのですが、新型コロナのせいで渡航できず、さらに日本のエアアジアが倒産したせいで大金(私にすれば大金です)を失ってしまいました……。やはり慣れないことはすべきでないのかもしれません。

 「自分らしく生きる」という言葉を私は好きになれません。なぜなら「自分らしく」という表現自体が他人の存在を意識しているからです。自分らしいかどうかなど気にせずに、他人と比較することを放棄して、むしろ他人と自分との比較が馬鹿げていると認識することを勧めたいと思います。ファーストクラスとの差にイライラするよりも、初めからそんな比較などせずにさっさとエコノミーの席について好きな本にでも熱中する方がはるかに有益で健康的です。

 「他人と比較しなければ不幸にならない」が「真」であることにあなたは同意されたでしょうか。同意されたのならば「不幸の原因は他人と比較すること」もあなたは認めたことになります。なぜなら、ある命題が真だとすればその対偶もまた真となるからです。これは数学及び論理学の基本です。

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2020年9月27日 日曜日

2020年9月28日 やはり「咳」には蜂蜜が最善

 少し古い話になりますが、2020年1月に毎日新聞社主催で私がおこなった講演で、質問が多かったひとつが「咳に対する蜂蜜の効果」でした。その講演で私が述べたのは、次のことがらです。

・いわゆる「咳止め」は脳の咳中枢を抑える薬か、気管を拡張させる薬であり、双方とも可能なら使わない方がいい。

・咳中枢をおさえる薬は麻薬(コデイン)、気管を拡張させる薬は覚醒剤(エフェドリン)であり双方とも中毒性がある。

・これらも含めてエビデンス(科学的証拠)のある咳止め薬はほとんどない

・しかし蜂蜜は有効とするエビデンスがある

・実は蜂蜜は保険診療で処方ができる。太融寺町谷口医院で処方していないのは、わざわざ処方薬を使わなくてもスーパーで売っているもので充分だから。

・薬のなかでは蜂蜜と同じ程度の効果があるかもしれないのが「デキストロメトルファン」(商品名は「メジコン」など)

 これらは主にコクランライブラリーというエビデンスを集めたサイトで紹介されている「小児の急性咳嗽に対する蜂蜜(Honey for acute cough in children)」という論文が元になっています。

 2020年8月、医学誌「BMJ(British Medical Journal)」に「上気道炎症状に対する蜂蜜の効果~体系的考察とメタ分析~(Effectiveness of honey for symptomatic relief in upper respiratory tract infections: a systematic review and meta-analysis)」というタイトルの論文が掲載されました。

 内容は「風邪の咳には蜂蜜が有効で、薬には効果がない」とするもので、コクランライブラリーに掲載されている論文と同じような結果です。ただ、コクランライブラリーでは小児だけが検討されているのに対し、今回発表されたBMJのものでは成人に対する効果も検証されており、やはり蜂蜜は有効とされています。

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 これは私見(というか私的な経験)でエビデンスはありませんが、私は蜂蜜は風邪の予防にもなると思っています。以前も述べたように私は8年近く風邪をひいておらず、その理由は「谷口式鼻うがい」ですが(参照:はやりの病気第198回(2020年2月)「世界一簡単な「谷口式鼻うがい」」)、蜂蜜をよく食べるようになったのもそのひとつかもしれません。食べるといってもスプーン1杯程度を舐めるだけですが。

 蜂蜜ですべての風邪を予防できてすべての咳に有効というわけではありませんが、少なくとも従来の咳止めは使うべきでないでしょう。「咳にはまず蜂蜜、それで改善しなければ受診を」と太融寺町谷口医院では言い続けています。

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2020年9月27日 日曜日

2020年9月27日 9種の降圧薬に抗うつ効果

 信じられないほど”希望”のある研究を紹介しましょう。「9つの降圧薬に抗うつ効果がある」とする研究です。

 医学誌「Hypertension」2020年8月24日号に掲載された論文「降圧薬とうつ病のリスク(Antihypertensive Drugs and Risk of Depression)」によると、デンマークの調査でいくつかの降圧薬には抗うつ効果があることが分かりました。

 研究はデンマークのデータベースを使用して、使用頻度の高い41の降圧薬がうつ病の発症リスクに関連しているかどうかが調べられています。その結果、下記の9種類に抗うつ効果があることが分かりました。

〇ACE阻害薬:エナラプリル、ラミプリル(日本未発売)
〇カルシウム拮抗薬:アムロジピン、ベラパミル、ベラパミル合剤
〇βブロッカー:プロプラノロール、アテノロール、ビソプロロール、カルベジロール

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 降圧薬を分類すると、上記3つ以外に、ARB(アンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬)、利尿薬、αブロッカーの3種があります。このうち、利尿薬については論文では「検討したがうつ病を改善させることも悪化させることもなかった」とされています。一方、ARBとαブロッカーについては記載がありません。αブロッカーはめまいや立ち眩みなどの副作用が多いことから日本ではあまり使われないのですが、おそらくデンマークでも同じでしょう。ARBについては日本ではかなり処方されていますが、デンマークでは普及していないのかもしれません。

 興味深いのは、ACE阻害薬、カルシウム拮抗薬、βブロッカーのすべてに抗うつ効果があるわけではないことです。もちろん、患者さんの精神状態は個別に検討すべきではありますが、高齢とともに抑うつ感を自覚する人が増えるのは事実です。ならば、例えばカルシウム拮抗薬の処方を検討するなら、アムロジピンかベラパミルを優先すべきかもしれません。

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2020年9月22日 火曜日

第205回(2020年9月) インフルエンザのワクチンはいつ何回うつべきか

 インフルエンザのシーズンが来ると毎年必ず寄せられて、そしてときに返答に困る2つの質問があります。「インフルエンザのワクチンはいつ打てばいいのですか?」、もうひとつが「インフルエンザのワクチンは1回だけでいいのですか?」というものです。

 「いつ打てばいいか?」については、たいていは「10月末までには打ちましょう」と答えています。その年にもよりますが、早い年だとインフルエンザは11月頃に流行が始まります。そして、ワクチンの効果が期待できるのは接種してから2週間程度経ってからです。ならばできれば10月には打っておきたいところです。それに早い年だと11月中旬になくなってしまうこともあります。

 「10月中に……」と言うと、「早すぎませんか?」と聞かれることがしばしばあります。こういう質問をする人は「ワクチンの効果はそんなに長くないんでしょ。10月だと早すぎると聞きました」と言います。また、今年もある看護学生から「学校からは11月になるまで打たないようにと指示されています」と言われました。

 これらの考えは正しいのでしょうか。日本では昔から「インフルエンザのワクチンの効果は3~5か月程度」と言われることが多いようです(注1)。インフルエンザは4月に流行することもあります。効果が5か月で切れるのだとすれば、10月にワクチン接種すれば年によっては4月まで持たないことになります。先述した看護学校では、10月11月よりも3月4月に流行すると予想して「11月まで打たないように」という指示を出したのかもしれません。

 ワクチンについては行政の、つまり厚生労働省の見解を聞きたいところです。厚労省によれば、インフルエンザワクチンは「12月中旬までにワクチン接種を終えることが望ましいと考えられます」とされています。この”表現”がなんともいやらしいというか、患者さんに案内する我々医師を困惑させます。「終えることが望ましい」という表現は断定を避けた曖昧なものです。そして、「○ヶ月有効です」という表記がありません。

 他方、2020年年9月11日付けの厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部からの事務連絡では「高齢者の新型コロナウイルス対策を最優先に考え、定期接種対象者を10月1日から25日まで優先的に接種」としています。つまり、インフルエンザに罹患すれば重症化すると考えられている高齢者に対しては、厚労省は10月25日までに終わらせるよう勧めているわけです。

 インフルエンザのQ&Aのサイトでは「12月中旬までに」としておきながら、新型コロナウイルス感染症対策推進本部では「ハイリスク者は10月まで」と言っているわけです。ここから理論的に考えられる結論はひとつしかありません。ハイリスク者が当然優先されるわけですから、「ハイリスクである高齢者は10月中に接種してね。ハイリスクでない人はハイリスク者が打ち終わるまで待ちなさい。けど遅くても12月中旬には終わらせてね」ということになります。

 この考えは公衆衛生学的には正しいと言えるかもしれません。行政は国民一人一人を見ているわけではなく、社会全体を考えているからです。全体として重症者・死亡者が少なくなればそれが行政の”勝利”です。一方、我々臨床医は厚労省や他の行政組織の言うことにいつも従うわけにはいきません。なぜなら、我々は個々の患者さんを診ているからです。目の前の患者さんを理屈抜きで守らなければならないのです。

 ここで、冒頭で投げかけたもうひとつの質問を考えてみましょう。「インフルエンザワクチンは1回だけでいいのか?」です。厚労省によれば、「(13歳以上の場合)インフルエンザワクチン0.5mLの1回接種で、2回接種と同等の抗体価の上昇が得られるとの報告があります」と書かれています。つまり、一見したところ「ワクチンは1回でも2回でも効果は同じ」と読めるわけですが、解釈には注意が必要です。

 厚労省は「報告があります」と言っているだけです。その「報告」がどのような研究をもとにしているのかが分かりません。注釈として、その報告の出処が載せられてはいますが、詳細をネットで調べることができず、その報告書を入手するのは簡単ではありません。その報告書を苦労して入手しようと考える人は少数でしょうし、仮に入手してエビデンスのレベルがそれほど高くないことに気づいたとしても、厚労省の表現が間違っているとは言えません。なにしろその報告が正しいとも間違っているとも厚労省は言及しておらず、単にそのような報告があると言っているだけだからです。
 
 厚労省は、「ただし、医学的な理由により、医師が2回接種を必要と判断した場合は、その限りではありません」とし、医学的な理由として「13歳以上の基礎疾患(慢性疾患)のある方で、著しく免疫が抑制されている状態にあると考えられる方等は、医師の判断で2回接種となる場合があります」と書かれています。つまり、厚労省は「ワクチンは1回だけど、身体が弱っている人は2回必要。それは担当医の責任です」と言っているわけです。要するに、厚労省のサイトをよく読めば「ワクチンが1回か2回かについて厚労省は関知しません」が同省の立場であることが分かります。

 話をすっきりさせましょう。もしもワクチンの効果が充分に高くて長く、1回接種で11月から4月までの半年間しっかりと効くのであれば、「10月になれば国民全員が1回だけうってね」と言えば済む話です。ですが、実際には片方で「12月中旬」、もう片方で「高齢者は10月まで」と言い、「2回接種するかどうかは担当医に決めてもらってね」と言っているわけです。

 なぜ厚労省はあえて複雑な表現をとって分かりにくくしているのか。最大の理由は「ワクチンが足らないから」です。2番目の理由は「10月に国民全員が押し寄せれば医療機関がパンクするから」でしょう。他にも「ワクチン接種回数が増えればそれだけ副作用のリスクが上がるから」ということも考えているかもしれません(ワクチンの健康被害は国が保証することになっています)。

 では、もしも私が厚労大臣であれば「全員が2回、1回目を10月に」と宣言するでしょうか。私がその立場でもそのような宣言はしません。ただ、現在のような分かりにくい表現はやめます。私なら次のように言います。「インフルエンザのワクチンは全員が2回接種できればいいのですが全員に供給する余裕はありません。また、10月に皆さんが一斉に受診すれば医療機関は対応できません。そこで社会全体で優先順位を決めなければなりません。小児(注2)や高齢者や持病がある人などハイリスクの人が先に、そして2回接種を検討すべきです。健康な若い人は1回接種のみ、そしてハイリスクの人が済んでからにしてください」

 2回目はいつ接種すればいいのでしょうか。ワクチンの効果が5か月であったとしても、6か月であったとしても(米国では最低6か月有効と考えられています。米国CDCのサイトでは10月末までに接種するようにと書かれています)、前日まで100あった効果が次の日に突然ゼロになるわけではありません。効果はゆっくりと減弱していき、一定の数値を下回ると無効となるわけです。その効果を長続きさせるために2回目接種が有効で、これをブースター接種と呼びます。では、ブースター接種はいつが望ましいのか。これを検証したデータは見たことがありませんが、他のワクチンのように1~2カ月後が適切だと思われます。

 では、2回接種が望ましいなら太融寺町谷口医院では全員に2回接種をしているのかというとそういうわけではありません。ワクチンの入荷数はクリニック毎に決められていてそんなにたくさん割り当てられないからです。そこで谷口医院では次のような説明をしています。

・インフルエンザのワクチンは可能なら2回接種が望ましい
・しかし供給量が多くなく全員に2回接種は不可能
・そこで2回接種が必要なハイリスク者(高齢者、糖尿病、腎不全、膠原病、喘息、HIV陽性など)を優先している
・ハイリスク者でない13歳以上の人は、2回接種はハイリスク者に譲ってほしい
・1回接種の人は10月末までが望ましい(あまり遅くなると在庫がなくなる)
・10月に接種して4月に流行した場合は効果が切れている可能性はある
・谷口医院未受診の人は1回接種でも断っている

 今シーズンは新型コロナが脅威となるでしょうから、似たような症状を呈するインフルエンザは何としても避けたいところです。「ハイリスク」の”敷居”を下げて2回接種者を増やすべきだと考えているのですが、下げ過ぎると1回も接種できない人が出てくるかもしれません。何とも悩ましい問題です……。

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注1:ワクチンの添付文書に「(ワクチンの効果は)接種後3カ月で有効予防水準が78.8%であるが、5カ月では 50.8%と減少する」と書かれています。 

注2:新型コロナウイルスとは異なり、インフルエンザは小児もハイリスクとなります。このため、厚労省がワクチンを高齢者を優先としたことに対し、日本小児科医会は提言を出しています。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2020年9月13日 日曜日

2020年9月 新型コロナ、楽観論に流されてはいけない

 東京、次いで大阪や沖縄を中心にこの夏流行した新型コロナウイルスのいわゆる「第2波」も終息しつつあります。そして、重症者の割合が第1波の3~4月に比べると少なくなっていることもあり「新型コロナは実はたいしたことがない」「すでに弱毒化した」といった意見を言う人たちの声が大きくなってきています。医療者のなかにも「新型コロナ軽症説」を訴える人たちが増えてきています。

 ですが、実際にはまだまだ油断は禁物です。今回は巷で流行している軽症説を紹介していきましょう。現在流布している軽症説は主に3つあります。

軽症説#1:ウイルス弱毒化説

 3~4月は死亡者が多かったし、死亡率も高かった。それに比べて第2波では死亡者も死亡率も低い。死亡率(死亡者/感染者)が低いのは検査をした人が増えたことが要因だとしても、死亡者が少ないことの説明はつかないではないか。そして、ウイルスの変異はすでに報告されている(参考:「新型コロナ 第2波で重症や死亡が少ないわけ」)。日本でこの夏流行した新型コロナウイルスは毒性が低くなった。

軽症説#2:日本人には「ファクターX」がある

 日本人は他国の人たちと異なり、重症化しない要因「ファクターX」が存在する。そのおかげで日本人に新型コロナが感染しても抗体ができるまで待つ必要もない。もっと簡単な免疫(これを「自然免疫」と呼ぶ)で充分に対処できる。

 補足しておくと、「ファクターX」というのはノーベル賞を受賞された山中伸弥先生が提唱された概念です(ちなみに私は医学部の学生時代、山中先生に薬理学を教わっていました)。このファクターXの正体はまだ分からないけれども、このおかげで日本人は軽症で済んでいるとし、その理論を構築されたのが国際医療福祉大学大学院の高橋泰教授です。高橋教授はファクターXの正体は未知としつつも、「すでに日本人の3人に1人はウイルスに触れているが大半は感染が成立しなかったか、感染しても軽症で済んだ」という自説を展開されています。

軽症説#3:日本人の多くはすでに中和抗体を持っている

 実は日本人は第1波の前、つまり1~2月に新型コロナに感染して抗体ができた。その抗体のおかげで感染しにくいし重症化もしない。

 この説を提唱されているのは、京都大学大学院医学研究科の上久保靖彦特定教授です。上久保教授によると、新型コロナウイルスには三つのタイプがあるそうです。「S型」「K型」「G型」の3つで、「S型」と「K型」は軽症ですみ、「G型」と「G型」の変異型が重症化すると言います。先に「S型」にかかり、その後「G型」にかかれば重症化し、これが欧米で死亡者が多い原因だそうです。一方、「K型」に先に感染し、その後「G型」にかかった場合は「K型」によってできた抗体が「G型」にも有効なおかげで軽症で済む。そして日本人の多くは1~2月に「K型」に感染していたというのです。

 ではこれら3つの説を解説していきましょう。まず軽症説#1は、支持する医師も多いものの根拠がありません。遺伝子が変異したからそれが弱毒化につながったというのは話が飛躍しすぎています。それを証明した実験もありません。つまりエビデンスがまったくないのです。エビデンスがないからと言って否定もできませんが、重症化している人の割合が減ったとは言え存在するわけです。この説を信じるのは危険すぎます。

 軽症説#2については、高橋先生の理論構築は充分に筋が通っていますし魅力的な仮説です。ですが、この説を実証するには「ファクターX」の正体を明らかにしなければなりません。山中先生も高橋先生もファクターXとしてBCG(結核のワクチン)を考えています。そして、高橋先生の説が登場する前からBCGがファクターXではないかと考える日本人の医師は少なくありませんでした。

 私の意見は否定的です。すでにイスラエルからBCGは新型コロナに有効でないという論文が出ています。BCGを支持する医師たちはイスラエルのBCGと日本のBCGは種類が異なるという理由を持ち出します。では他の国をみてみましょう。現在新型コロナの勢いが止まらずに感染者数世界第2位のインドもBCGが定期接種となっています。ただ、インドのBCGも日本のタイプとは異なります。ですが、アジアでは、インド、バングラディシュについで3番目に感染者数が多いフィリピンでは日本と同じタイプのBCGが使われています。BCGが当初から注目されていたのは、もともとBCGは自然免疫力を増強する効果があると考えられているからです。それは正しいのですが、だからといって新型コロナに有効とするには無理があるように私には思えます。

 軽症説#3はユニークで魅力的です。しかし、この説が正しいとすると日本人の大半は新型コロナに対する抗体を持っていなければならないことになり、抗体陽性率が極めて低い事実と相反します。これを説明するのに上久保教授は「現在おこなわれている抗体検査では精度が低くて陰性とでてしまう」と説明します。たしかに一言で抗体といってもウイルスのどの蛋白質に対する抗体なのかを明らかにしなければきちんとした議論ができません。現在の抗体検査はそこまで厳密には測定できませんから、上久保教授の説も筋が通っています。しかし上久保教授の主張する「S型」「K型」「G型」について客観的なデータがあるわけではなく仮説の域を超えません。

 上久保教授は、「免疫を維持するためにはウイルスと共に生活していかなければならない」と説き、「再度自粛すれば、かえってその機会(ウイルスと接する機会)が失われかねない。『3密』や換気など非科学的な話ばかりだ」と自説を強調されます。これは現在の日本も含めた世界の政策とまったく異なる立場です。日本人だけがすでに抗体を持っていて、自粛を全面的に中止せよ、というのは私には乱暴すぎる考えに聞こえます。

 ここで実際の新型コロナをもう一度振り返ってみましょう。まず日本でも他国に比べると人数は少ないとは言え、若者も命を奪われています。40代、50代は若者とは呼べないかもしれませんが、日ごろ健康で持病がない成人も死亡したり、重篤な後遺症を残したりしています。新型コロナとよく比較されるインフルエンザでこのようなことはあり得ません。ちなみに、私が新型コロナは最悪の事態となるかも……、と考えるようになったのは中国の30代の医師が死亡した2月です。中国では次いで20代の医師も亡くなりました。

 高い確率で後遺症を残すのもインフルエンザとは異なる点です。治癒して体内にウイルスはいないはずなのに息苦しさや倦怠感が残るという人が少なくありません。海外でも日本でも後遺症が残るのはもはや間違いないというレベルに来ています。私は5月の時点で、後遺症と思われる症状を訴える人を複数診察したことから「ポストコロナ症候群」という言葉を勝手に名付けました。そのときはまだ確定はできないと考えていましたが、もはや後遺症(=ポストコロナ症候群)が存在するのは自明です。

 まだあります。健康で若い人は無頓着になりがちですが、「無症状でも他人にうつす」という事実は世界にパラダイムシフトをもたらせました。正確に言えばまったくの無症状(asymptomatic)ではなく発症前に無症状(pre-symptomatic)ですが、pre-symptomaticの時期に他人に感染させやすいのはもはや疑いようがありません。いくら若者は軽症で済んだとしても、高齢者を死に至らしめる可能性があるのですから、マスクなしで他人と気軽に接することができないのです。

 軽症説#3の上久保説では「まったく自粛不要」ですが、#2の高橋教授は高齢者には注意が必要と言われます。そうであるなら、やはりプレコロナの時代には戻れないということになります。

 無症状でも他人に感染させ、高齢者のみならず若年者も重症化することがあり、それなりの確率で後遺症をもたらす感染症と共に生きていかねばならないのなら、我々は元の世界に戻れないと考えるべきです。楽観論に頼りたくなる気持ちは分かりますが、現実に目を背けてはいけません。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2020年8月30日 日曜日

2020年8月17日 小児のヘディングは禁止すべきか

 コロナ禍でもできること・すべきこととして、私はアウトドアのレジャーやスポーツを推奨しています(参照:「新型コロナ この夏にレジャーを楽しむ方法」)。ただし、スポーツにはリスクが伴うものもあります。それは他者と密接になる競技であり、具体的にはダンスと格闘技になります。

 ではコンタクトスポーツのひとつであるサッカー(football)はどうでしょうか。私はOKだと思います。もっともサッカーでは反則行為などから乱闘になることがあり、こうなると感染のリスクが出てくるわけですが……。そういったリスクを一応考えた上で、自粛を強いられる子どもたちに延び延びとサッカーを楽しんでもらえればと個人的には思います。

 ただし、新型コロナとは関係のない話ですが「ヘディング」は中止すべきかもしれません。

 少し古い情報ですが、BBCが2020年2月24日に報道した「(UKの)サッカー協会、子供にはヘディング禁止を通達」からポイントを紹介します。

 子どもがヘディングを繰り返すと、脳の発達に悪影響を与えるリスクがあるとして、イングランドサッカー協会(FA)が練習でのヘディング禁止を発表しました。スコットランド協会、北アイルランド協会も同様の見解を発表しています。ウエールズ協会だけは正式には発表していませんが、現在検討中とのことです。

 グラスゴー大学の調査によると、元サッカー選手は脳疾患で亡くなる可能性が3.5倍高く、パーキンソン病で死亡する可能性は5倍高いことが示されています。

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 CTE(慢性外傷性脳症)のリスクについてはこのサイトで繰り返し取り上げ、私自身は日ごろの外来で患者さんに伝えるようにしています。もはやCTEという疾患が存在するのは明白であり、目をつぶるわけにはいきません。今まで当たり前のようにできていたことができなくなるのはプレイする側も応援する側も辛いものですが、ここは科学的見解に従うべきです。

 残念ながら日本ではどの競技もCTEについて充分に議論されているとは言えません。CTEは発症してからでは取り返しのつかない疾患です。日本の各スポーツ協会で早く検討されることを願っています。

参考:
はやりの病気第137回(2015年1月)「脳振盪の誤解~慢性外傷性脳症(CTE)の恐怖~」
医療ニュース
2019年11月23日「やはりサッカーも認知症のリスク」
2017年8月30日「アメリカンフットボールの選手のほとんどがCTEに!」
2017年3月6日「ヘディングは脳振盪さらに認知症のリスク」
2016年12月26日「未成年の格闘技は禁止すべきか」
2016年10月14日 「コンタクトスポーツ経験者の3割以上が慢性外傷性脳症」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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