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2013年6月13日 木曜日

2008年7月号 研究会での発表(精神疾患編)

 マンスリーレポート4月号では、「研究会での発表」と題して、4月に開催された「大阪プライマリケア研究会」で私が発表した内容(演題のタイトルは「プライマリケア医が担うべきワクチン接種」)を簡単に紹介しました。今回は、6月に開催された「第19回大阪プライマリケア研究会」で私が発表した内容を紹介いたします。

 今回の演題のタイトルは「プライマリケアにおける精神疾患治療の限界」というものです。

 すてらめいとクリニックには、軽症、重症を問わず、様々な心のトラブルを抱えた患者さんが来院されます。すぐに入院が必要なケースや、そうでなくても直ちに専門医を受診した方がいいようなケースは適切な医療機関を紹介するようにしていますが、軽症の場合や、軽症ではないかもしれないけれども緊急性がなく、なおかつ患者さんがすてらめいとクリニックでの治療を強く希望される場合は、すてらめいとクリニックで治療をおこなうことがあります。

 まず、すてらめいとクリニックを受診する患者さんのなかで、どれくらいの割合の人が精神的ケアを必要としているかを調べてみました。

 6月のある日に受診した患者さん(初診・再診を合わせて)は70人でした。そのなかで、抗うつ薬や抗不安薬といった心の病に対する薬を処方した患者さんは12人でした。また、薬は処方していないものの、カウンセリングを含めた何らかの精神的ケアが必要な患者さんが4人いました。ということは、(12人+4人)/70人=23%の人がなんらかの心のトラブルを抱えていることになります。

 心のトラブルといっても内容は様々で、過労や超過勤務から心が疲れている人、家庭やプライベートのトラブルが発端となって不安症状や不眠に苦しんでいる人、ガンや感染症に罹患したに違いないと思い込んで(実際にはかかっていないことがほとんどですが)不安症状から抜けられなくなった人、また、特に思い当たる理由は見当たらないのだけれどうつ状態に陥っているといったような人もいます。

 このなかで、自殺願望の強い人、アルコールや(違法)薬物に強く依存している人、幻覚(特に幻聴)の強い人、などは初めから患者さんに話をして専門の医療機関を受診してもらうようにしています。

 そうでないケースは、すてらめいとクリニックで診ていくことになるのですが、治療によって症状が改善したケースもあれば、結果としてうまくいかなかったケースもあります。今回の発表では、うまくいったケースといかなかったケースをそれぞれ数例ずつ紹介し、さらにプライマリケアで診るべき(あるいは診るべきでない)精神疾患について考察をおこないました。

 個々の症例について詳しく紹介するようなことはここではしませんが、すてらめいとクリニックで上手くいったケース、逆に今も患者さんの精神状態がそれほど改善していないケース(大半は患者さんの同意を得た上で専門性の強い医療機関を紹介しています)の特徴をまとめてみたいと思います。

 まず、比較的短期間で改善するケースは、不安やうつになった原因がはっきりしている場合です。「過労」が最も多い理由で、この場合は、診断書を発行したり、場合によっては患者さんの上司や人事担当者に話をさせてもらったりすることもあります。また、過労が原因でうつ状態になるケースで意外に多いのが経営者の方です。特に責任感が強く真面目な性格を有している人に多く(そういう性格だから経営者になれたのかもしれませんが)、この場合は社内に相談できる人がいないためにひとりで苦しまれていることが少なくありません。

 原因がはっきりしている不安やうつの原因に、職場やプライベートでの人間関係があります。こういう場合も比較的短期間でよくなる場合がありますが、その理由は、医療行為が功を奏したというよりも、社会的に原因が解決したことによる場合の方が多いと思われます。例えば、「イヤな同僚が会社をやめてから元気を取り戻せた」、といったケースや、「前の彼氏に裏切られたことが原因でうつ状態になりカウンセリングに通っていたけど、すべてを理解してくれる新しい彼氏ができてすっかり元気になった」、というようなケースです。

 また、比較的時間がかかったけれど、うつや不安状態から抜け出せたというようなケースもあります。この場合も原因がはっきりしていることが多く、例えば、難治性の慢性疾患にかかってそのショックからうつ状態を発症したけれど、その病気と向き合うことができるようになって元気を取り戻したケースや、長い間憎み続けていた家族を許せるようになったことで精神状態が改善したという症例もあります。

 一方で、数ヶ月にわたり治療をおこなったけれど、結果としてあまりよくなっていないようなケースもあります。よくならないケースで多いのが、社会的に問題を抱えているようなケースです。代表的な例は、親や配偶者と憎しみ合っていてその関係性に修復の兆しがないような場合です。また、幼少児から他人と馴染めないような性格を有している場合もむつかしい場合が多いと言えます。小さい頃から「キレやすい」性格だったり、常に他人に全面的な依存を求めたりするような性格の場合です。こういうケースは治療に難渋することが少なくなく、専門の医療機関を受診してもらう場合もあります。

 都会で暮らしている人々は実に様々な悩みを抱えており、そのせいで心身に不調をきたす人は少なくありません。これからも、心のトラブルを抱えてすてらめいとクリニックを受診される人がおられると思いますが、まずは、その悩みをひとりで抱え込まずにお話いただくことが大切です。

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 学会や研究会などで発表する予定が今年はあと3~4回程残っています。すべてとはいかなくても引き続き機会があればマンスリーレポートで紹介していきたいと思います。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2013年6月13日 木曜日

2008年6月号 風邪をひいてしまいました

 すてらめいとクリニックを始めてから、病気らしい病気はしていなかったのですが、先日ついに風邪をひいてしまいました・・・。

 医師という仕事をしている以上は、いつも感染症のリスクはあります。採血や手術(最近はほとんどしていませんが・・・)のときには血液感染のリスクがありますし、咳やくしゃみをしている患者さんからは飛沫感染のリスクがあります。特に子供ののどをみるときなどは大粒の唾液が自分の顔にかかることもあって、いつも予防に気をつけていなければなりません。私は、咳やくしゃみをしている患者さんを診察したときは、次の患者さんの診察にうつる前にうがいをするようにしています。もちろん、一日の診察が終わったときにも手洗い・うがいはおこなっています。

 けれども、先日はついに風邪をひいてしまいました。

 いつもは、少し寒気がする、少しのどに違和感がある、などといった風邪の初期症状のときには葛根湯を少し多めに飲むようにしています。これまでの経験で少々の風邪ならこの方法ですぐに治ることが分かっているからです。一方で、私は風邪薬というものは市販のものも含めてあまり飲みません。いわゆる「風邪薬」というものは、熱をさましたり、くしゃみや鼻水をおさえたりする成分をよせあつめたもので、風邪のそれぞれの症状を和らげることはできますが根本的に治すものではないからです。

 今回も少しのどが痛くて寒気があったので葛根湯を飲んで様子をみることにしました。

 ところが、です。喉の痛みはどんどん激しくなって身体の奥底から悪寒がでてきて体温まで上がってきました。しかし、この段階ではウイルス性の感冒だろうと思って、少量のアセトアミノフェン(風邪薬の主成分として使われることの多い解熱成分、海外では「パラセタモール」として薬局でも買えるものです)と、トラネキサム酸(最近は美白作用があるとのことで美容領域で使われることが多い薬ですが、のどの痛みにもよく効きます)を飲んで様子をみることにしました。実際、たいがいの風邪ならこの方法で症状がおさまります。

 しかし、私の症状は一向に改善しません。のどの痛みもどんどん強くなってきたので、「これはおかしい・・・」と思って、綿棒で自分ののどをぬぐって、それをスライドガラスにこすりつけ、特殊な染色液で染めてのどの様子を顕微鏡で観察してみました。

 すると、好中球(白血球の一種で一般的には細菌感染の際に増える)が大量に見つかり、さらにその好中球がとらえている細菌が多数見つかったのです。(これを好中球の貪食(どんしょく)作用と呼びます。簡単に言えば「好中球が悪い細菌を食べている」様子です)

 好中球の貪食作用が確認されたということは、私の風邪はウイルス感染ではなく、細菌感染であると言えます。病名で言えば「細菌性急性咽頭炎」ということになります。

 こうなれば抗生物質の出番です。私は院内に置いてある抗生物質を内服し、さらに別の抗生物質を看護師に頼んで点滴してもらいました。

 抗生物質の点滴まですればすぐに治るだろう・・・。

 このように考えたのですが、実際は抗生物質の投与を開始してから熱が下がるまでに丸二日もかかってしまいました。

 患者さんをみていると、若い人であれば細菌性の急性咽頭炎や扁桃炎の場合、抗生物質の点滴をおこなうと、半日くらいで嘘のように改善することがあります。当然、私の場合もすぐに治るだろうと期待していたのですが、丸々二日もかかってしまったのです。私はもう若くないということなのかもしれません・・・。

 さて、私は数年に一度このように高熱をだして寝込むことがあるのですが(といっても、クリニックを閉めるわけにもいかないので診療は続けていました)、高熱でダウンするといつも「健康のありがたみ」を実感することになります。

 当たり前のことですが、人間にとって何よりも大切なことは健康でいることです。いくらやりがいのある仕事をしていても、守るべき大切な人がいたとしても、あるいはたくさんのお金があったとしても、健康を害していればそれらのありがたみを実感することはできません。

 夜間高熱にうなされながら、ここしばらくの自分の生活のことを考えてみました。今年に入ってから、すてらめいとクリニック以外の勤務は月に2~3度に抑えており、睡眠時間は以前よりも取るようにしていましたが、事務的な仕事や学会発表などの準備に追われ、いつも期限を気にしながら仕事を続けていたため、「いつも追い込まれているような感覚」に囚われていたような気がします。けど、しなければならないことは山ほどあって、どれも手を抜くわけにはいかなくて、それに仕事が多いのはほとんどの日本人は同じでしょうし・・・、というわけで生活を抜本的に改めるような名案は思いつきませんでした・・・。

 今回風邪をひいて高熱でダウンして、とてもよかったことがあります。

 それはクリニックのスタッフのありがたみを再認識できたということです。スタッフ全員が私に気をつかってくれて、休憩時間に診察台で休んでいる私に毛布をかけてくれたり、飲み物を運んできてくれたり、なかには休日にクリニックにでてきて点滴をしてくれたスタッフもいました。(高熱があっても私は休日には事務作業をしなければならないのです)

 健康のありがたみを確認できて、スタッフのありがたみを実感できた私は、今ではほとんど治癒しており、軽い咳と痰を残すのみとなっています。

 今日は日曜日でクリニックは休みですが、これから来週の研究会で発表予定の資料(パワーポイント)をつくります。風邪が治ったからといってゆっくりしている暇はなさそうです・・・

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2013年6月13日 木曜日

2008年5月号 GINAを通して思う2つのこと

私は、すてらめいとクリニックで勤務すると同時に、NPO法人GINAの代表もつとめているわけですが、クリニックをオープンさせたと同時に、ほとんどタイに行くことができなくなりました。

 もちろん、このようになることはクリニックのオープン前から分かっていたことでしたから、オープン前にタイでの支援活動をある程度かたちのあるものにしたつもりです。

 GINAが支援している施設とはきちんとした関係を築いて、施設とかかわりをもつタイ人もしくは日本人とはいつでも連絡をとれるようにしました。そして、集めた寄附金を定期的に送付するようにしています。

 寄附金やその他寄贈品を現地に送ることはそれなりに満足感もありますし、現地からエイズ患者さんやエイズ孤児の声を聞くと(それが間接的なものだったとしても)、やりがいを感じることができます。

 つい先日も北タイのある施設から手紙が届き、それは大変嬉しいものでした。そういう手紙をもらうと、もっともっと寄附金を集めて患者さんに貢献したいという気持ちになります。(すてらめいとクリニックに置いてある募金箱にもたくさんの寄附をいただいています。この場でお礼申し上げたいと思います)

 ただ、長い間タイのエイズ患者さんやエイズ孤児と会えないことで、ときどき寂しくなるというか、初めから分かっていたこととはいえ、なんだか少し物足りなく感じることがあります・・・。

 今回は、GINAを通してタイのエイズに関して思う2つのことをお話したいと思います。

 まずひとつは、タイと日本の格差というか、エイズ患者(孤児)の置かれている状況の違いです。日本でもタイと同様、HIV陽性者に対する偏見は存在します。会社ではカムアウトできない人の方が圧倒的に多いですし、家族にさえも話せない人は少なくありません。更生医療が使えるため、医療費が馬鹿高いということはありませんが、それでも体力が低下して働くことができない人が月数千円の医療費を支払うのは大変です。

 私はタイのエイズ患者(孤児)に比べて、日本の患者さんは恵まれているというつもりはありませんが、タイでは日本ではあまりないような困難さが当たり前のように存在します。

 例えば、両親をエイズで亡くし、親戚がひきとってくれるようになったものの学校までの交通費を工面するのが大変な孤児が、北タイでは珍しくありません。タイでは小学校でさえも教科書は有料です。昼食代を捻出するのも大変です。(暑いタイでは弁当をもっていく習慣はありません)

 医療費は一応無料ですが、病院までの交通費がでるわけではありません。また、医療費が無料なのはタイ国籍を有する人だけです。ラオスやミャンマーから不法に入国してタイ国内でHIVに感染した人や、少数民族はタイの無料の医療を受けることはできません。

 このように、タイと日本の格差はエイズという視点からみてもあきらかですが、もっと広い視点から眺めてみても歴然とした格差があります。

 最近は日本でも「格差社会」という言葉が頻繁に使われるようになってきて、「ニート」や「ネットカフェ難民」などの言葉が一般的になっていますが、タイの貧困層と比べると、格差のレベルが違うというか、誤解を恐れずに言うならば、「日本ほど平等な社会はないのではないか・・・」とさえ思うのです。

 ネットカフェ難民は仕事がなくて困っているわけですが、一方では人手が集まらなくて倒産していく会社もあるのです。日本人の働き手がないために外国人に労働力を求めている企業もあります。職を選ばなければ、最低限の生活はなんとかできるのではないでしょうか。

 もしも最低賃金の仕事しか見つからなかったとしても、日本の最低賃金は東京や大阪なら時給700円以上、最低の沖縄でも時給600円以上はあります。(ちなみにタイの最低賃金は、地域にもよりますが日給で500円以下のところもあります)

 私の知人に、普段の生活をギリギリまで落として、ほとんど最低限の時給で働いている人がいますが、その人の楽しみは年に一度タイに旅行することだそうです。この人などは見る人が見れば”格差社会がもたらした負け組み”ということになるのでしょうが、”負け組み”であっても海外旅行できるのが日本人なのです。つまり、日本国籍を有していれば、日本のパスポートを取得できて、タイのような物価の安い国に旅行することができるのです。一方タイ人で、日本に来ることができるような人は人口の数パーセントもいないのです。

 タイと日本の格差の他にGINAを通してもうひとつ思うことがあります。それは、主にヨーロッパからタイに来ているボランティアのことを思い出したときに感じることです。

 ヨーロッパ人は日本人の大勢のボランティアとは異なり、長期にわたりボランティア活動をおこないます。母国で貯めたお金を元に長期滞在の覚悟をもってやって来るのです。といっても私の知るボランティア達は裕福ではありません。彼(女)らの年収は日本円で300万円以下です。国にもよりますが、一般的にヨーロッパでは日本よりも物価が高く、年収300万円の日本人よりも貧しい生活をしています。しかし、それでも長期でボランティアにはるばるタイまでやって来るのです。

 例えば、私がタイで仲良くなったノルウェー人女性は主婦です。普通の主婦がアルバイトで貯めたお金を持って1年間タイのエイズ施設にボランティアに来ているのです。私は彼女のボランティアに対する態度にも驚きましたが、さらに驚いたのはこの女性の大学生の息子が母親を訪ねてタイの施設にやって来たことです。異国の地でボランティアとして働く母親を一目見ようと、やはりアルバイトで貯めたお金でタイまでやって来たのです。

 日本も北欧に見習って福祉国家を目指すべきと考えている日本人がいますが、私は今の日本人では無理ではないかと思います。日本が北欧並みの福祉政策をとれば、働かずにラクをしようと考える人が現れるのではないでしょうか。もちろん、ヨーロッパ人のすべてが勤勉で他人に親切にするわけではありませんが、当たり前のようにボランティアに従事する人が大勢いる文化があるからこそ高福祉国家を実現することができるのでしょう。

 ヨーロッパからタイにはるばるやって来て長期に渡りボランティアに従事する人たちを思い出したとき、私は自分がいかに無力なのかを認識せずにはいられないのです。

 日本人とタイ人の格差、日本人とヨーロッパ人の奉仕に対する考え方の相違・・・。GINAを通してこれら2つのことが私の頭を支配することがあります。

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2013年6月13日 木曜日

2008年4月号 研究会での発表

医師の仕事には患者さんの診察以外にも、研究、学会や研究会での発表、論文作成、講演など多数のものがあります。私は、発表や講演などを月に一度くらいのペースでおこなうようにしています。先々月はあるNPO法人で、先月はある学校で講演をおこないました。

 今月は、「大阪プライマリケア研究会」という研究会で発表をおこないました。この研究会は、私が所属する医局である大阪市立大学医学部総合診療センターが中心となって運営されており、2ヶ月に一度くらいのペースで開催されます。

 私はこれまでも過去に何度かこの研究会で発表をしており、すてらめいとクリニックで経験した症例の報告をおこなったこともあります。

 今回は、私が今月から大学の非常勤講師となり、大学でおこなわれる行事にはより積極的に参加しようと思ったこともあって、第18回大阪プライマリケア研究会でひとつの演題を発表することにしました。

 発表した演題のタイトルは「プライマリケア医が担うべきワクチン接種」というもので、すてらめいとクリニックが取り組んでいるワクチン接種のなかでも特に重要と思われる麻疹(はしか)とB型肝炎ウイルスのワクチンを中心とした内容にしました。

 今回発表した内容をここで簡単に紹介しておきます。

 麻疹については、抗体陽性率がいかに低いかということを示しました。

 抗体はその感染症に罹患するか、あるいはワクチンを接種すれば形成されます。ところが、麻疹については、現在では一度のみのワクチン接種では抗体ができないことがあります。以前から世界的には麻疹のワクチンは二度接種するのが標準でしたが、日本は昨年になってようやく二度接種がおこなわれるようになったばかりです。

 「日本は麻疹の輸出国」と世界各国から揶揄されているということは、このウェブサイトでも過去何度かお伝えしたとおりです。そもそも先進国ではすでに麻疹という病気は過去のものです。お隣の韓国は2006年に「麻疹撲滅国」としてWHO(世界保健機構)から認定されています。

 すてらめいとクリニックで麻疹の抗体検査をおこなった全患者さんを調べたところ、全体の抗体陽性率はわずか40.7%でした。これを年代別でみると10代は約2割、20代は約4割、30代でも5割しかありません。

 日本では「はしかにかかったようなもの・・・」という言葉の存在が示すように、昔から麻疹が軽視されているように思われます。しかし麻疹は実際にはたいへん恐ろしい病気で命を奪うこともありますし、SSPE(亜急性硬化性全脳炎)という神経の病気になることもあります。

 すてらめいとクリニックでは、麻疹の抗体検査及びワクチン接種を積極的におこなっていますが、こういった検査やワクチン接種の重要性を訴えていくべきなのは専門医ではなくプライマリケア医ではないかというのが私が主張したかったことのひとつです。

 今回の発表では麻疹以外にB型肝炎ウイルスについても報告しています。

 すてらめいとクリニックでは、B型肝炎ウイルスに罹患している人が見つかることも少なくありませんが(症状がある場合もありますが無症状の場合もあります)、抗体検査をおこなったところ、ワクチン接種をしていないのに抗体陽性がみつかる人がいます。

 麻疹とB型肝炎では抗体検査の意味が少し異なります。

 麻疹の場合は、過去に一度ワクチンを打っているから、あるいは過去にかかったかもしれないから「抗体があることを期待して」抗体検査をおこなう場合がほとんどです。最近では、麻疹抗体がなければ教育実習ができない教育機関が増えてきており、そのため実習に参加する学生は「抗体ができていますように・・・」と祈るような気持ちで抗体検査を受けにきます。

 B型肝炎の場合は、通常この逆になります。以前からこのウェブサイトでも何度か指摘しているように、日本人のB型肝炎ワクチン接種率の低さは”驚異的”ですらあります。先進国ではワクチン接種が当たり前なのに、日本できちんとB型肝炎のワクチン接種をしているのは、医療従事者や海外勤務の経験のある人をのぞけば、けっして多くありません。ちなみに韓国では、90年代初頭から幼少時に全員がワクチン接種の対象となっています。

 すてらめいとクリニックでB型肝炎ウイルスの抗体検査をおこなう人は、「ワクチンを接種する前提で」検査を受けます。「B型肝炎ウイルスは大変怖い感染症だから予防接種をうけておこう、けどその前に念のため抗体ができていないことを確認しておこう」、というのが抗体検査をおこなう理由です。

 つまり、B型肝炎ウイルスの場合は「抗体がないことを確認するために」検査を受けるのです。

 ところが、です。すてらめいとクリニックでB型肝炎ウイルスの抗体検査をおこなったところ、受検者の6.4%がすでに抗体を有していたのです。

 麻疹が簡単に空気感染するのに対し、B型肝炎では”日常生活”では感染しません。抗体陽性が判った人を詳しく調べてみると、母子感染は一例もなく、おそらく全員が性感染でうつっていたのです。

 B型肝炎ウイルスは、場合によっては感染後数ヶ月後に命を失うこともある大変恐ろしい感染症ですが、実は自然治癒もあります。なかには無症状でいつのまにか感染していていつのまにか治っていたという場合もあります。これら6.4%の人たちは”無防備”なことをした結果感染してしまったのだけれど自然治癒して抗体が形成された大変ラッキーな人たちなのです。大変な危険をおかしたものの、いわば天然のワクチンを無料で手に入れたようなものです。

 けれども、こういった人たちはたまたま運がよかったと考えるべきであって、最も大切なことは、できるだけ早いうちに(できれば性交渉を開始する前の年齢に)ワクチン接種をして抗体が形成されていることを確認するということです。

 B型肝炎ウイルスは”日常生活”ではよほどのことがない限り感染しないものの、性的接触があればごく簡単に感染することがあります。

 B型肝炎ウイルスについてもワクチンの重要性を患者さんに伝えるべきなのは、患者さんとの距離が最も近いプライマリケア医ではないだろうか、というのが私の伝えたかったことです。

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 これからも私がおこなう研究発表をマンスリーレポートでときどき紹介していきたいと思います。

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2013年6月13日 木曜日

2008年3月号 ”新聞が読める”という幸せ

以前にも書きましたが、私は今年に入ってから仕事を大幅に減らしています。去年の年末までは、すてらめいとクリニックが休診の木曜と日曜のほとんどは、別の病院で勤務をしていたのですが、今年に入ってからは、他病院での勤務は月に1から2回のみとしています。

 ただ、休みにしているとはいっても、大学病院(医局)の行事や、学会や研究会、他の会合などで丸一日休める日はほとんどありません。けれども、それでも去年までに比べれば自由になる時間がかなり増えたのは間違いありません。

 今年になってから、集中してやらなければならない事務仕事などを木曜と日曜に回して、平日の朝と勤務終了後(といってもカルテを書き上げる頃には日付が変わっていますが・・・)に少し自由時間をつくるようにしています。

 時間をつくることで、私が真っ先におこなったのは「新聞を読む」ということです。

 私は、おそらく20歳頃から、新聞を読む習慣があって、半年ほど前まではほとんど毎日読んでいました。医学部受験のときにも新聞だけは毎日読みましたし(受験生だからこそ新聞を読まなければならない理由は、拙書『偏差値40からの医学部再受験 実戦偏』にも書いたとおりです)、医師国家試験の前も、研修医時代にも、数日間遅れることがあったとしても夕刊も含めてできる限り読むようにしていました。

 GINAの活動などでタイに渡航しているときも、「Bangkok Post」、「The Nation」などの英字新聞、あるいはタイ語の「タイ・ラット」などを読むようにしていました。

 ところが、昨年の秋ごろからクリニックの仕事が多忙を極めるようになり、新聞を読む時間すら捻出できなくなってしまったのです。これが、私にとっては大変なストレスで、「時間を使う」のではなく「時間に追われている」といった感覚で毎日を過ごさなければなりませんでした。

 今年に入って、平日に時間がつくれるようになり新聞を読めるようになったことは私にとって大変”幸せ”なことだと感じています。

 ところで、最近は「インターネットで記事が読めるのだから(紙の)新聞は不要ではないのか」と言われることあります。

 しかし、私はそうは思いません。紙の新聞にはインターネットにはない長所がいくつもあるからです。

 まずひとつは、紙の新聞であれば、重要な記事とそうでない記事が、スペースの広さ、見出しの大きさ、などで簡単に分かるということです。時間のないときは、一面と二面だけ読むとか、各ページの大きな見出しだけ読む、といった調節ができます。これで、大きなニュースに付いていけなくなることが防げます。

 次に、紙の新聞には、コラムや社説、連載記事(コラム)、特集記事などが読めるというメリットがあります。これはインターネットの記事配信にはないサービスです。

 私は20年近く、日経新聞を愛読していますが、同新聞の連載コラムや特集は非常に充実していると感じています。私は(医学専門誌を除けば)週刊誌や月刊誌をほとんど読みませんが、これは日経新聞を読んでいるだけで充分と感じているからです。様々な分野の人がコラムやエッセィを書かれ、経済や金融などについては特集記事が充実していますから、毎日朝刊と夕刊を読んでいるだけでかなりの勉強ができます。しかも月4千円ちょっとの費用しかかからないのです。

 一方で、インターネットで新聞を読むメリットもたしかにあります。保存が簡単なことも理由ですが(新聞のスクラップはタイヘン!)、最大の利点は、「キーワード検索ができる」ということでしょう。各新聞を横断して検索できるサイトを使えば、多くの新聞の記事を一度に拾ってくることができます。

 紙の新聞を愛読する私も、検索機能と保存の便利さについてはインターネットを用いてその利便性を享受しています。いくつかの新聞記事配信サービスを申し込んでいますし、保存は(古典的な紙のスクラップではなく)インターネット上の記事をテキストファイルに変換してパソコン上に取り入れています。紙のスクラップだと、いったん保存したものを取り出すのに大変な時間がかかりますが、パソコンの中にテキストファイルで保存してあれば、その中身が煩雑になっていたとしても、再び「キーワード検索」をかけることで簡単に呼び出すことができます。ちなみに、この検索機能を発揮するのは、ワードなどのワープロよりも、エディタ(私は「秀丸」を使っています)の方がはるかに優れています。

 インターネットで新聞を読むもうひとつのメリットは「英字新聞の記事が簡単に入手できる」ということです。

 これは本当にすばらしいことだと思います。インターネットには様々な利便性がありますが、この「英字新聞の記事の入手」が私にとっては最大のメリットだと考えています。

 インターネットが普及していなかった頃、私は紙の英字新聞を買っていました。当時最も安かった「Daily Yomiuri」を購読していましたが、日本語の新聞と英字新聞の両方を購読するとそれなりのコストがかかります。それに、じっくり読もうと思えば必ず辞書が要りますから、新聞を読むのにちょっとした”やる気”が必要になります。

 インターネットを使えば、(新しい記事であれば)ほとんどは無料で読めますし、パソコン上の(またはウェブサイト上の)辞書を使えば重たい辞書を用意する必要はありません。(ちなみに翻訳ソフトは、現時点では私の知る限り役に立つものはなく、単語を調べる辞書が現実的です) さらに、検索機能を利用すると、実に世界中の新聞記事が瞬時に手に入るのです!

 今のところ、世界中の新聞の横断検索ができる検索サイトで使い勝手がいいものは、私の知る限りありませんが、いくつかの新聞のトップページからキーワード検索をかけると、必要な記事がごく簡単に手に入ります。参考までに、私がよく閲覧する新聞は、「Reuter」、「AP」、「CNN」、「BBC」、「China Daily」、「The Independent」(UKのタブロイド紙)、「News.Com.Au」(オーストラリアの新聞)、「Bangkok Post」(タイの英字新聞)、などです。

 もちろん、英字新聞は単にニュースを得るだけでなく、英語の勉強にもなります。英語の勉強を意識した英字新聞配信サービスでは、記事をネイティブ・スピーカーが読み上げてくれるものもあり、こういうサービスを利用して、聞き取りやディクテーションなどをおこなえばリスニングの上達につながります。ということは、インターネットで英字新聞を読むことで、かなり効率的な英語の勉強ができるということになります。しかも、コストはほとんど無料!なのです。

 さて、新聞を読むことで得られるメリットをまとめてみましょう。

 まず、社会・経済・政治・金融・科学技術・医療・文化など各領域の最新の情報についていけます。各分野で活躍する人のコラムなどが読めて、特集記事では様々な領域の勉強ができます。インターネットを用いれば、検索が容易にできて、保存と取り出しが簡単にできます。さらにインターネットで英字新聞を読めば、世界中のニュースを瞬時に入手することができて、英語の勉強がほとんど無料でできます。

 平日に少しの時間をとることで、このようなことが再びできるようになった私は、”幸せだな・・・”と思うのです。

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2013年6月13日 木曜日

2008年2月号 市場経済の中でのすてらめいとクリニック

開業医も含めてすべての医師(医療従事者)を公務員にすべきである。

 これは私が一貫して主張していることですが、実際はほとんどの医療機関が市場経済の中で機能しています。「市場経済の中で機能している」というとむつかしく聞こえますが、要するに「利益を出さなければつぶれる」ということです。

 しかし、医療の原則を考えたときに、医療機関は利益を追求すべき組織ではありません。そもそも病気や怪我で元気に働けない患者さんからお金を徴収するわけですから、医師としてはできるだけ患者さんにとって安くつく治療を考えます。疾患によっては、保険適用外の薬がある場合もありますが、この場合でも、まずは保険診療でまかなえる安い治療法からすすめるのです。

 けれども一方では、「利益を出さなければつぶれる」のは事実なわけで、いくら一生懸命診療をしても税金が払えなければ倒産してしまいます。

 ならば、例えば開業医の給与を公務員くらいのものに定めて、「利益」や「納税」のことを考えなくてもいいようにすればどうでしょう。こうすれば、医師は医療に専念できますし、これが結果として患者さんのためにもなるでしょうし、不正請求のような問題もなくなって、いいことばかりとなるのです(と私は思っています)。

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 すてらめいとクリニックはオープンして1年がたったところで棚卸しをおこないました。

 棚卸しをしてみて驚いたのは、想像をはるかに超える在庫をかかえていたことです。薬や注射器などの衛生材料、検査キットなどの総額が一月分の売り上げ額ほどにもなっており、顧問税理士によれば、すてらめいとクリニックは「過剰在庫を抱えた不健全な経営状態」なのだそうです。

 患者さんからみれば、待ち時間が長いことが多いですし、ほとんどいつもたくさんの患者さんが待合室にいますから、「ここのクリニックは儲かっているんだろうな・・・」と感じられるかもしれません。
 
 しかし実際には、一応一年目で黒字経営にはなっていますが、「儲かっている組織」とはとてもいえない財政状況です。

 この理由のひとつが「過剰在庫」にあります。では、なぜ過剰に在庫を抱えているかというと、これまですてらめいとクリニックでは、「たとえひとりの患者さんだけに必要な薬でも仕入れる」ことを徹底していたからです。

 以前にも述べましたが、ほとんどすべての患者さんは院外処方よりも院内処方を望みます。これは薬局に薬を取りに行く手間が省けるからだけではなく、院内処方の方が「安くつく」からです。

 患者さんが望むなら院内処方にしよう・・・。これを1年間続けた結果が過剰在庫になったというわけです。

 ところで、4月の保険点数及び薬価改正で、医療機関の利益(特にクリニックの利益)は確実に下がります。これは国の財政状況が芳しくないことが原因ですから、やむをえないことだと思いますが、私たちのようなクリニックに勤務する者からすれば死活問題となります。

 院内で討議した結果、今後すてらめいとクリニックでは、一部の薬剤については院外処方とさせてもらうことにしました。具体的にどういった薬剤を院外処方とするかについてはまだ完全に決まっていませんが、緊急性のないような薬、例えば、漢方薬や生活習慣病の薬が候補に上がっています。逆に、できるだけ早く投薬を開始すべきような薬剤(抗生物質や鎮痛剤、ステロイドなどが該当します)は、従来どおり院内処方となる予定です。

 もうひとつ、今月からすてらめいとクリニックでできなくなる診療があります。それは「手術」です。実は、保険診療での手術はほとんど利益がありません。すてらめいとクリニックでの手術は、皮膚のできものをとる手術が中心ですが、できるだけ傷跡を目立たせないようにするために、表面の縫合以外に、皮下で吸収糸の縫合をおこなってきました。使用していたのは半年ほどで皮下組織に吸収される特殊な糸です。傷を目立たなくするためには、この皮下での縫合がポイントで、手術の大部分の時間はこの縫合に費やされます。糸の値段も高ければ縫合に時間もかかるのです。しかし、現行の保険制度では、このような縫合をおこなっても評価されませんし、糸の価格を患者さんに請求するわけにはいきません。

 それに、すてらめいとクリニックでは手術日をつくっているわけではありませんから、これまで手術は午後2時から4時の休憩時間におこなっていました。手術は私ひとりではできず、必ず看護師にはそばにいてもらう必要があります。こうなると看護師の休憩時間がなくなります。

 こういった理由で、少しさびしい気もしますが、当分の間すてらめいとクリニックでは手術をしない(手術をある程度専門でやっているような他の医療機関に紹介する)方針でいこうと考えています。(事故などで出血があってその場で縫合が必要な場合は従来どおり縫合処置をいたします)

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 この市場経済の中で医療機関が利益を出そうと思えば、何かに特化して診療をおこなうのがいいでしょう。例えば、同じような疾患だけをみれば使う薬が限定され大量購入によって仕入れコストは下がります。

 また、手術だけをおこなうようにすれば、高価な糸を安く仕入れることも可能ですし、効率よく業務を運営していけるでしょう。

 一方、すてらめいとクリニックのように、「どんな方のどんな症状でも診ます」というコンセプトでいけば、経営的には非効率と言わざるを得ません。

 しかしながら、「これまでどこに行くべきか分からなかったけどここで診てもらえてよかった」という患者さんの声を励みにがんばってきた我々にとっては、今後もこの方針だけは変えないつもりです。

 開業医を公務員に、というのは現在では非現実的でしょうが、少なくとも市場原理主義にのっとった利益追求を目指すのではなく、「どんな方のどんな症状でも診ます」は最後まで貫くつもりです。

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2013年6月13日 木曜日

2008年1月号 ワークライフバランス

2007年を振り返ると、クリニックにも他の病院にも学会や研究会にも行かずに、丸一日の休暇がとれた日は一日もありませんでした。夏ごろから勉強に費やす時間がほとんどなくなり、10月ごろからは新聞すらもろくに読めないという忙しさになりました。

 年末年始はGINAの関連でタイに渡航することを決めており、3月にすでにチケットを取っていたのですが、精神的に行き詰っていたこともあって、GINA関連の人に合うのは最小限にしてひとりでゆっくり過ごすことにしました。けれども、タイに渡航していた年末年始は、結局はタイの友達たちといろんなところに観光に行くことになり、あまりひとりの時間はつくれませんでした。

 (余談になりますが、私はタイ航空でマイルを貯めているので年末年始にもチケットが取れました。航空会社によってはお盆や年末年始の繁忙期にはマイルが使えないところもあって、そんなシステムなら多くの人がせっかく貯めたマイルが使えないのではないでしょうか・・・。私はタイ航空以外に、もうひとつ、主にショッピングでマイルを貯めている航空会社があるのですが、マイルは貯まるけれど実際には使えないという事態に陥っています。なんとかならないのでしょうか・・・)

 私は、毎年、年の始めにその年のテーマを決めることを習慣にしています。昨年は「貢献」、おととしは「勉強」、その前は「奉仕」でした。

 今年はバンコク行きの飛行機の中で、すでにテーマが決まっていました。

 2008年の私のテーマは、「バランス」です。

 昨年は「ワークライフバランス」という言葉をよく耳にしました。一般的には、仕事と生活の調和という意味で使われることが多いと思います。ほとんどすてらめいとクリニックのことが生活のすべてになっていた私にはこの言葉がとても魅力的に感じられました。

 すてらめいとクリニックがオープンした年ということもあって、私の2007年はクリニックがほとんどすべてになっていました。医師というのは患者さんと向き合っているときだけが仕事というわけではありません。診断のつかなかった患者さんのことで調べ物をしたり勉強をしたりといったことは毎日しなければなりませんし、レントゲンや血液検査のデータを見直したりといったようなタスクもあります。

 それに、これはクリニックを開院させて初めて分かったことですが、保険請求に伴う仕事や(詳細は、マンスリーレポート2007年7月号「私の一番キライな仕事」に紹介しています)、税務関係、労務関係の仕事、その他雑用も含めて、本来の医療以外の仕事にかなりの時間をとられます。

 郵便物だけでも毎日5通から10通近くが届きます。さらにFAXで送られてくる書類もありますし、メールも大量に届きます。郵便物、FAX、メールの処理だけで丸1日を使わせてほしいと思うほどです。

 すてらめいとクリニックは、木・日・祝が休診日ですが、昨年末まで休診日には他の病院や診療所で仕事をしていました。これらは、クリニックがオープンする前からしていた勤務をそのまま継続しておこなっていたものです。代わりの医師がなかなか見つからなかったために継続せざるをえなかったというのもありますが、経済的にしんどかったというのも理由のひとつです。(クリニックの利益だけでは自分の収入まではなかなかまかなえないのです。すてらめいとクリニックは待ち時間が長くていつも患者さんがいっぱいと思われている方もおられるでしょうが、それでも生活はギリギリなのです。「医師(開業医)は儲かる」というのは、ほとんど都市伝説のようなもので、実際はなんとか生活できているというのが実情なのです・・・)

 休日がまったくない状況で、医療以外の業務をおこなおうと思えば、平日の夜中しかありません。最後の患者さんが帰られてからはカルテの整理をおこなわなければなりませんが、これが終わる頃には日付が変わっています。それから様々な所用を開始するのですが、夜中までおこなってもとうてい終わりません。

 結局私の考えた方法は、木・日・祝のクリニックの休診日にそういった業務をこなすという方法です。(今、これを書いているのも1月20日の日曜日、場所はクリニックの診察室です)

 幸いなことに、木曜日の他院での外来は代わりの医師が見つかりましたし、日・祝の他院勤務も大幅に減らせることになりました。

 ワークライフバランスは、仕事と生活の調和を意味するものと思いますが、「生活」というのは人によって様々でしょう。”家族との語らい”であったり、”子育て”であったり、”趣味”という人もいるでしょう。

 私の場合は、まず、”医療行為以外の業務”とのバランスを取らねばなりません。このウェブサイトをもっと充実させることも早急にしなければならないことだと感じています。(実際、「医療ニュース」は最近ほとんど更新できていません・・・。これは早急に元の状態に戻すつもりです)

 それから、”GINAの業務”とのバランスを取らねばなりません。幸いなことにタイでの活動は、GINA関連の人々のおかげで成り立っていますし、日本での活動も新たなスタッフが支えてくれています。ただ、ウェブサイトの充実度は次第に低下してきており、このウェブサイトの「医療ニュース」と同様、「GINAニュース」の更新ができていません。タイでは、総数ではHIV陽性者はやや低下していますが、エイズ孤児や少数民族の陽性者の問題は深刻化していますし、新たな感染者の低年齢化という問題もあります。GINAが2008年にできることはまだまだあるはずです。

 さらに、”勉強”とのバランスは医師にとって大変重要です。現在では、毎月送られてくる複数の学会誌に目を通すことすらおぼつかなくなっています。学会や研究会、シンポジウムなどにも参加しなければなりませんし、私自身が講演を依頼されることも増えていくかもしれません。

 また、これは”勉強”というよりは私の”趣味”ですが、昨年の夏頃から語学の勉強がほとんどできていません。(年末年始にタイに渡航した時はタイ語、英語ともボキャブラリーが減っていることに気づいてショックを受けました)

 医療行為、クリニックの所用、勉強、語学、これらのバランスをとっていくのが私にとっての2008年の目標です。

 あとひとつ付け加えるなら、これら以外のプライベートの充実となりますが、ここまでは望むのは贅沢かもしれません・・・

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2013年6月13日 木曜日

2007年12月号 すてらめいとクリニックとスタッフと私の2007年

これまでこんなこと考えたことは一度もなかったけど、あたしも医療機関で働きたいと思うようになりました・・・

 これは最近ある患者さんから言われた言葉です。

 この患者さんはある病気で悩んでおり、その検査と治療目的で数ヶ月間すてらめいとクリニックに通うことになりました。その病気は最近ようやく治り、「元気になりました」という報告をしにクリニックに来られ、冒頭の言葉を述べてくれたのです。

 この患者さんはその病気のせいで不安にさいなまれ、元来無縁だった不眠や不安症状も出現するようになり、身体だけでなく精神的にもしんどい状況が続いていました。

 スタッフ間のミーティングでも、この患者さんのことはよく話題に上っていてスタッフ全員が気にかけるようにはしていたと思います。その思いが伝わっていたのか、その患者さんは、「看護師や受付スタッフが暖かい笑顔で接してくれて彼女たちのおかげで元気になれた。クリニックの仕事なんて考えたことがなかったけれど、人にやすらぎを与えることのできるこんな仕事をやってみたい」、と言われたのです。

 この患者さん以外にも、「ここで働いてみたい」と言われる方が何人かおられ、これは私にとっては大変嬉しいことです。

 私も含めて患者さんへの対応は、まだまだ改善しなければならない点はありますが、それでもスタッフをほめてくださる患者さんは少なくなく、「素敵なスタッフと一緒に仕事ができる」というのが私にとっての2007年だったと思うのです。

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 すてらめいとクリニックは、今年(2007年)の1月に開院となりました。ウェブサイト以外は一切の宣伝・広告をおこなわなかったのですが、患者さんが患者さんを連れて来られるようになり、また近くの会社の健康診断などをおこないだしたこともあって、東梅田界隈で働く人たちのかかりつけクリニックとして機能するようになりました。

 また、東梅田という都会に位置していることもあって、遠方から来られる方も少なくありません。三重県や和歌山県から継続して通われている方もいますし、四国や九州から尋ねて来られる方も少なくありません。
 
 患者さんから手紙やメールをいただくこともよくあり、私自身が患者さんから励まされることも多々あります。

 しかし、患者さんからの苦情やクレームもないわけではありません。

 特に、待ち時間が長いということには何度もお叱りの言葉をいただきました。予約がなければ2時間以上待たされるといったこともあり、最長では3時間半も待っていただいた方もいました。「もうこれ以上待てない!」と言って帰られた方もいますし、この点については、今後も”最重要課題”のひとつとしてスタッフ全員で取り組んでいきたいと考えています。

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 私個人としては、今年(2007年)は医師になってからもっとも忙しい年になりました。仕事の内容も大きく変わり、純粋な医療以外の仕事が大幅に増えたことが今年もっとも苦労したことです。

 ”純粋な医療以外の仕事”とは、経理や労務関係の業務、レセプト提出業務、電子カルテなどのシステム関連の業務、などがあるのですが、これらには大変なストレスがつきまといます。

 仕事は選んではいけない!ものなのですが、医療に関する勉強や調査、論文を読むことなどにはそれほどストレスを感じないのですが、上に述べたような業務は苦手分野ということもあって、さらに時間のなさがストレスを助長するために、少し前まで食欲不振と継続する倦怠感で慢性的に疲労が取れない状態が続いていました。

 これではマズイ、と思って、すてらめいとクリニック以外の外来や当直業務を減らすようにしています。しかし、すぐに代わりの医者が見つかるはずもなく(医師は慢性的な人手不足!)、代わりの医師が見つかっていない仕事は今も続けています。

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 休日どころかプライベートな時間がほとんどなく、疲労感がまだまだ抜けないのですが、それでも冒頭で紹介したような患者さんの声を聞くと、すてらめいとクリニックを始めてよかったなぁ・・・という想いで頭がいっぱいになります。
 
 すてらめいとクリニックは常勤スタッフ5名+非常勤数名の小さな組織ですが、大きな組織にはない長所がたくさんあります。そして、スタッフのひとりひとりの魅力を組織の特色にすることができるのは最大の長所です。

 来月から、すてらめいとクリニックのナースふたりがこのウェブサイトにコラムを連載することになりました。また、クリニックに関係するあるドクターにもコラムを書いてもらうことになりました。

 ふたりのナースとひとりのドクターの連載コラムが始まることで、このウェブサイトはかなり充実したものになると思いますが、もちろん、日々の診療の改善には細心の注意を払っていくつもりです。

 というわけで、来年もよろしくお願いいたします。

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2013年6月13日 木曜日

2007年11月号 医師は誰のために存在すべきか 

医師は患者さんのために存在する・・・

 私はこれまでこのように考えて仕事をしてきました。「患者さんのために」というのは医師という職業人にとってのものであり、自分のプライベートや家庭を犠牲にしてまで、という意味ではありませんが、これまでの医師としての生活で、「患者さんのために・・・」という気持ちを忘れたことはないつもりです。

 しかしながら、「自分のために仕事をしている」という側面があるのもまた事実です。医学の勉強を継続するのはタイヘンですが、それでも充分なやりがいがあり、勉強したり知識や技術を習得したりした成果がそのまま患者さんの健康に反映されますから、これほど自分にとって楽しいこともないのです。「楽しむために医師をしている」と言えば、不謹慎な表現に聞こえるかもしれませんが、私が楽しんで仕事をしていることは事実です。

 すてらめいとクリニックを開院させてはや10ヶ月が経過した今、「誰のために存在すべきか」に対する答えが少し変わってきているように感じます。

 もちろん、「自分のため」「患者さんのため」という意識には今も変わりないのですが、新たに「仲間(従業員)のため」という要素が加わったように感じるのです。そして、誤解を恐れずに言えば、「患者さんのため」よりもむしろ「仲間のため」の方が私にとって重要ではないかと思うのです。

 こんなことは勤務医の頃は考えたことがありませんでした。勤務医の頃は、医療従事者であれば患者さんのために全力を注ぐのが当たり前であって、医療者全員がそのことを考えていればそれだけで充分、と思っていました。

 ところが、すてらめいとクリニックを開院させて、従業員は諸事情によりほぼ全員が入れ替わるかたちとなりましたが、今一緒に働いている仲間は全員が熱心でいつも患者さんの立場でものごとを考えています。勉強熱心であることも、すてらめいとクリニックの従業員に共通することで、週に1から2回の勉強会はいつも大変盛り上がります。そして、勉強会で学んだことを患者さんのために役立たせるような努力もしています。

 こんな仲間をみていると、組織のトップに位置する私としては、「仲間のために」、もっと言うと、「仲間の幸せのために」力を注ぎたいと思うのです。

 そして、私が「仲間の幸せのために」働くことが、結果として「患者さんのために」なるように感じるのです。

 10月29日は私の39回目の誕生日でした。

 その日の昼休みにカルテ整理をしていると、突然スタッフのひとりが私の元にやってきて、なにやら深刻な表情で「先生、ちょっと話があるんですけど・・・」と言ってきました。会社の経営者やその他組織のトップの方なら分かると思うのですが、この従業員の「ちょっと話が・・・」というのは不吉以外のなにものでもありません。最悪の場合、「実家に帰らないといけなくなって・・・」とか「新しい仕事がみつかっちゃって・・・」とか、要するに退職の申し出であることが多いのです。

 私は不吉な予感を払拭できないまま、彼女の指示通り、奥のスタッフルームに足を運びました。

 すると、テーブルが綺麗に整理されており、その真ん中には私のためのバースディケーキが用意されていたのです!!

 これには本当に驚きました。クリニックでは毎朝ミーティングをおこなっていますが、私の誕生日のことなど誰も話題にしていませんでしたし、まさかサプライズで誕生日会を開いてもらえるなどということは夢にも思っていなかったからです。

 私自身がスタッフの誕生日を覚えていてプレゼントを渡していたとすれば、そのようなことを少しは期待したかもしれませんが、プレゼントを渡すどころか、私は従業員の誕生日を調べようと思ったことすらないのです。

 バースディケーキのろうそくを息で吹き消す体験が前回いつだったかはもう記憶がありません。去年の誕生日は数人の方からメールをいただいたことを除けばなにもイベントがありませんでしたし、その前の年はタイにいましたが私は誰にもその日が自分の誕生日であることを告げませんでした。

 ケーキを用意してもらうというのは嬉しい反面、かなり照れくさいものがあり、そのような状況に慣れていない私は、何とお礼を言っていいか分かりませんでした。

 その日の夜、私はスタッフ全員がこの日のために事前に様々な準備をしていてくれたことを想像しました。ケーキは数日前から予約してくれていたでしょうし、私に気づかれないように、何度も秘密のミーティングを重ねてくれていたのでしょう。こんな私のためにアイデアを考えて時間を費やしれくれたことが嬉しいのです。
 
 私は日頃、スタッフに対し優しく接しているわけではありません。スタッフの言動が患者さんに不利益をもたらすことがないよう厳しく注意することもあります。「スタッフからある程度嫌われることがあっても仕方がないな・・・」と考えていたこともありましたから、誕生日会は意外であって、そして本当に嬉しかったのです。

 もうひとつ、その日の夜に考えて分かったことがあります。それは、クリニックのスタッフ全員がとても仲が良いということです。もしも、スタッフどうしの仲が悪ければこのようなイベントは決して開かれることがなかったでしょう。

 スタッフ全員が仲がよく勉強熱心で仕事に真摯に取り組んでいる、これ以上の理想はないでしょう。このような環境で仕事ができる私は本当に幸せだと思います。
 
 医師は患者さんのために存在する・・・。それが真実であることは変わりませんし、私の場合はNPO法人GINA代表の立場でエイズ患者さんやエイズ孤児のために努力し続ける義務もあります。

 しかしながら、それら以上に、仲間に楽しんでもらいたい、幸せになってもらいたい、という気持ちが強くなっているのです。

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2013年6月13日 木曜日

2007年10月号 Give me a rest! 

私がまだ研修医の頃、夜間の救急外来である先輩医師と話していたときのことです。

 その先輩医師は10年目くらいの脳外科医で、ひとりでたくさんの入院患者さんをかかえ、外来もこなし、さらに夜間の救急外来にも週に2回くらい入っていました。それだけではありません。夜間の当直勤務がないときにも、夜中の緊急手術が入るとどこにいても呼び出されます。まさに、24時間365日のほとんどを病院に拘束されているような状態です。

 当時、研修医だった私ももちろん休みはほぼ皆無でしたが、その先輩とは責任の重さがまったく違います。研修医は何かと大変と言われますが、第1執刀医をつとめたり、夜間に意識を消失して搬送されてくる患者さんの全責任を負ったりといったことはありません。

 私はその先輩医師に尋ねてみました。

 「先生は、まったく休みがないんですか?」

 「まったくないわけじゃないよ。月に一度は休みをもらって、その日は病院からの電話がかかってこないということになってるんだ。月に一度でもそんな休みがあるだけでも幸せだよ」

 その言葉を聞いて、私は医師として一人前になるまでは休みをもらおうなんて自分からは言い出さない、ということを自分自身に誓いました。

 そして現在・・・。

 私は今年から一応開業医ということになりましたが、クリニックで得られる利益は私の給料まではまかなえません。それどころか、クリニックにかかる費用を他から捻出しなければなりません。そのため他の医療機関での非常勤医師やアルバイトをおこなわなければ生活ができません。

 実際、クリニックは木、日・祝が休みですが、これらクリニックが休みの日には他の医療機関で働いています。

 月に一度くらいは休みがほしいというのが私の本音ではありますが、医療機関はどこも人手不足が深刻ですからそう簡単に休みをとることはできません。

 予定表を見てみると、この前私が休暇をとったのは5月4日でした。ということは、もう5ヶ月以上も休んでいないことになります・・・。(その間に実施された認定産業医の研修はある意味で休暇でしたが・・・)

 仕事自体は好きなので、ある程度の睡眠時間さえ確保できれば休みなんかなくてもいい・・・。

 少し前まではそう思っていましたが、最近は疲労感がとれず、「休みたい・・・」と思うようになっていました。

 先日、ある病院で夜間に当直をしていた時、夜中の2時半頃に救急車がやってきました。

 以前なら、どれだけ眠たくても、救急室にたどりつくまでに頭が冴えて、どんな患者さんが来られるのかが楽しみでした。

 けれども、そのときはそんな楽しみを感じることができませんでした。それだけでなく、”Give me a rest!”と感じてしまったのです。

 ”Give me a rest!”とは、直訳すれば「休みをください」という意味ですが、英語を母国語とする人たちは、「もうたくさん!」のような意味で使います。以前、知人のアメリカ人にこのフレーズを教えてもらったことがあるのですが、夜間に救急患者を診なければならない事態に直面した私は、心のなかで”Give me a rest!”と叫んでしまったのです。

 そして、そんな思いをもった自分自身がいることに対して頭が冴えてしまい、自分が恥ずかしくなりました。

 幸い、救急搬送されてきた患者さんは、軽度の喘息発作のみで点滴処置をおこなうだけで帰宅できる状態になりました。

 その患者さんが帰った後、私は自分自身を省みました。

 ”Give me a rest!”などと感じてしまった私は、もう休日や夜間の救急外来をすべきでない・・・。これ以上休みなしで働くと、すてらめいとクリニックの患者さんに対して全力で診られなくなってしまうかもしれない・・・。

 今、私はすてらめいとクリニック以外の勤務先に対して、少しずつ勤務の削減、あるいは退職を申し出ています。

 もちろん、急な話なので、実際に月に1~2度の休みをもらえるようになるのは、早くても来年になるでしょう。

 こんな私は医師として失格なのでしょうか。人手不足がますます深刻化する日本の医療業界で、月に1~2度も休むなんてことは許されがたいことなのでしょうか。

 そうかもしれません。しかしながら、私としては、自分が食べていけなくなったとしても、これ以上疲労を蓄積し、目の前の患者さんに集中できなくなるようなことは避けたいのです。

 ”Give me a rest!”などと心で叫んでいる医師に診られたい患者さんなどいるはずがないのですから・・・。

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