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2013年6月22日 土曜日

100 美容医療と一般医療はどこが違うのか 2011/5/20

2011年4月20日、警視庁捜査1課は「業務上過失致死」の疑いで東京都の美容クリニックで手術を担当した医師H(37歳)を逮捕し自宅などを家宅捜索したことが報道されました。

 報道によりますと、医師Hは美容外科医で、2009年に当時70歳の女性患者に脂肪吸引術をおこない、その際腸管に傷をつけたことが原因で死亡に至ったそうです。

 どの程度の脂肪を吸引したのか、亡くなった患者さんが元々どのような病気を持っていたのか、麻酔や術後のケアはどのようになされたのか、などといったことが報道からは分かりませんから、私は逮捕された医師Hに過失があったのかどうかを考察することはできません。術中や術後に患者さんが亡くなることは実際にはあり得るわけで、もちろん患者さんが死亡すれば医師が即逮捕、というわけではありません。逮捕されるのは医師にあきらかな「過失」があるときです。

 捜査1課はこの手術現場のビデオを押収し、専門医から「器具を操作するスピードが速すぎる」との意見を得ており、粗雑な手法が事故を招いたという理由で逮捕に踏み切った、と報道されています。

 私はこの事件を聞いたとき、「逮捕につながる執刀医を非難するようなコメントを医師がおこなった」ということに驚きました。もちろん、ビデオを見た医師は注意深く手術の様子を観察し、ビデオからは得られなかった情報(患者さんの基礎疾患や体質や術後のケアなど)を入手し、何度も検討して結論を出したのだと思います。しかし、現場にいなければ分からないことも実際にはあるわけで、にもかかわらず同業者を結果として非難することになるコメントを発したことに(それが苦渋の決断だったとは察しますが)驚いたのです。

 さらに、医師限定の掲示板などをみていると、捜査1課に協力した医師と同じように、逮捕された医師を非難するコメントが多数寄せられていることに気づきました。

 同業者である医師からここまで非難の声が上がる最大の理由は、医師Hがおこなったのは一般医療ではなく美容医療だからでしょう。

 手術で患者さんが死亡し執刀医が逮捕された事件はいくつかありますが、最も有名なもののひとつは福島県立大野病院産科医逮捕事件です。これは、2004年12月に同病院で帝王切開手術を受けた産婦が死亡し、執刀医が業務上過失致死と医師法違反の容疑で2006年2月逮捕された事件です。(下記コラム参照)

 この逮捕に対しては、当初から警察及び検察に対する非難の声が医師から上がりました。日本産科婦人科学会などいくつかの学会は「座視することができない」、「事件は産婦人科医不足という医療体制の問題に根ざしている。医師個人の責任を追及するのはそぐわない」などのコメントを発表しています。この事件は最終的には医師の無罪が確定されたわけですが、この執刀医に対して非難の声を寄せた医師はほとんど皆無だったと思われます。

 一方、脂肪吸引術で死亡させて逮捕された医師Hに対しては、非難の声の方が大きく医師Hを擁護するようなコメントはあまり聞きません。

 福島県立大野病院産科医逮捕事件の場合は、妊婦に対する帝王切開術ですから必ず実施しなければならない手術だったのに対し、美容外科の場合は、「どうしてもやらなければならない手術だったのか」という疑問は確かにあります。また、美容外科の手術は通常高額ですから、「一部の金持ちだけができる手術じゃないのか」、さらに「手術する医療機関や医師にも高収入が入るのではないか」というイメージがあるのかもしれません。

 端的に言えば、「大金をほしがる医師がひきおこした事件であり、安い収入で一生懸命がんばっている(普通の)医師とは一緒にしないでほしい」という気持ちが一般の医師の間にあるのかもしれません。

 しかし私はここでひとつの疑問を感じます。それは「美容医療と一般医療の境界はどこにあるのか」ということです。福島県立大野病院産科医逮捕事件は前置胎盤という疾患を抱えた妊婦に対する帝王切開ですから当然「一般医療」、脂肪吸引術は「美容医療」ということは自明です。しかし、治療の内容によっては「一般医療」と「美容医療」はそれほどクリアカットに線引きできるわけではありません。

 ひとつの考え方として、保険診療がおこなえるものは「一般医療」、保険が使えないものは「美容医療」という意見があるかもしれません。ではケミカルピーリングはどうでしょう。最近はニキビの治療も効果的なものが普及してきましたから以前に比べるとニキビでケミカルピーリングをおこなうケースは減ってきていますが、それでも有用な治療法には変わりありません。そしてケミカルピーリングには保険適用がありません。

 肥満に対する外科手術がアメリカなどではかなり普及してきています。日本で実施している施設はまだ多くないと思いますが、技術的にはさほどむつかしくはないと考えられます。では、肥満に対する手術を自費診療でおこなったとして、これは「美容医療」になるのか、という問題があります。肥満というのはそれ自体が病気であると考えられていますから、ある意味では「一般医療」と言えるわけです。しかし、最近気になってきたおなかの贅肉を少しとりたい、ということであればこれは「美容医療」の範疇となるでしょう。では、その境界はどこにあるのでしょうか。例えばBMIいくら以上なら「一般医療」というガイドラインを設けたところで、その境界は人為的なものですし、境界を越えたから手術の方法が異なるというわけではありません。

 要するに、ここから先は美容医療になりますよ、という線引きは現実的にはできない、というのが私の考えです。

 しかしながら、ならばお前は一般医療も美容医療もまったく同じ医療だというんだな、と問われると、私の意見はそうではありません。実は、私自身も今の美容医療に首をかしげているところがあります。

 例えば、美容クリニックがおこなっている「カウンセリング無料」、「1年間の安心保障付き」、「キャンペーン価格」などには大いに疑問を感じます。以前別のところ(下記コラム参照)で述べたことがありますが、そもそも医療行為というのは法的には「準委託契約」と呼ばれるもので、一般のサービス業とは契約の種類が異なるのです。しかし、現在の美容医療はあたかも施術そのものがサービス業であるかのようなPRをしています。

 医療機関は営利団体ではありません。そして、異論もあるでしょうが、美容医療を担う医療機関も営利を追求する団体になってはいけないと私は考えています。

 「保険診療ではできないことがわかっています。でも私の肥満は何をしても治らないので、この脂肪をとってほしいのです。リスクがあることも承知しています」、という患者さんに対し、手術について説明し、充分な知識と経験のある医師が手術をおこなったとき、通常の保険診療と本質的な差がどれほどあるのでしょうか。

 美容医療に否定的な印象が払拭できない最大の理由は、先にも述べたように美容医療が「金儲け」とみられているからではないでしょうか。しかし、美容医療に携わる全ての医師が「金儲け」を考えているわけではないでしょう。

 美容医療に伴う「金儲け」という先入観を取り除くためにも、「カウンセリング無料」「安心保障」「キャンペーン価格」などはやめて、「困っている患者さんの力になりたい」という医療の原点に戻ってみればどうでしょうか。美容医療を担う医師からは「余計なお世話だ」と言われるかもしれませんが、あたかもサービス業であるかのような現在の美容医療のPRのあり方を改善しない限りは、誤解や偏見は世論からだけでなく医師の世界からも取り除けないのではないかと私は感じています。

参考:
メディカルエッセイ第67回「医療の限界」
メディカルエッセイ第92回「手術が成功しなくても代金が安くならないのはなぜか」

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2013年6月22日 土曜日

99 放射線の”恐怖感”を克服するために 2011/4/20

2011年4月12日、経済産業省の原子力安全・保安院と国の原子力安全委員会は、福島原発の事故評価を、チェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」に引き上げました。最近まで当局は「レベル5」と言っていたところを一気に2段階も引き上げたわけですから、世論が疑心暗鬼となっている「放射能恐怖」はさらに加熱することが予測されます。

 当局がレベル7の発表をおこなう1週間前の4月5日、気象庁はIAEA(国際原子力機関)の要請に基づいて、放射性物質の拡散予測をウェブサイトで公表したそうです。<したそうです>と書かざるを得ないのは、この原稿を書いている4月18日時点では、その「拡散予測」が見当たらないからです。気象庁のウェブサイトのトップページには「放射線」という文字がまったくありませんし、サイト内検索をかけても詳しいデータはでてきません。

 一方、4月4日の読売新聞(オンライン版)によりますと、ドイツやノルウェーなど欧州の一部の国の気象機関は日本の気象庁などの観測データに基づいて独自に予測し、放射性物質が拡散する様子を連日、天気予報サイトで公開しているそうです。

 ヨーロッパの天気予報で毎日拡散予測が報じられる一方で、当地の日本国民は知らされていない・・・。これは誰が考えてもおかしな話であり、ほとんどの国民は納得できないでしょう。

 では、実際のところはどうなのかと言えば、首相官邸のサイトに掲載されている「福島第一原発周辺のモニタリング結果」をみてみると、原発から20km以上離れていれば、高いところでもせいぜい10~20マイクロシーベルト/時ですから、普通に生活している分には身体への影響は無視できる程度と考えていいでしょう。

 しかし、これは20km以上離れている地域の話であり、原発近辺のデータがなく、また、風向きを加味した予測がわからないために、特に近くに住んでいる人たちからみれば「本当に大丈夫なの?」と疑いたくなるのも無理はありません。原発直近であれば、1,000ミリシーベルト/時(マイクロシーベルトではなくミリシーベルト)レベルの放射線が検出される可能性もあり、こうなると風の向きと強さによっては「20km離れているから安心」とは言えなくなるかもしれません。

 気象庁がデータを公表しないことが原因かどうかは分かりませんが、韓国では、4月7日、ソウル近郊に位置する京畿道で126の小中学校、幼稚園が休校、休園に踏み切ったことが報道されています。また、通常通り授業が行われた他の都市でも、登校時に子どもたちがマスクをしたり、レインコートで全身を覆ったりしている様子が伝えられています。

 いくら何でも放射線の影響が韓国にまで及ぶとは考えられませんが、重要なのは、放射線が降ってくるという「噂」だけでなく、実際に126もの学校・幼稚園が休校・休園を実施したということです。もちろん韓国にも科学者はいるわけです。常識的に考えて科学者が休校を指示したというようなことはないでしょうから、科学者が抑制できないほどの”恐怖感”が韓国民の間に生じているとみるべきだと思います。

 この”恐怖感”は韓国だけにおこっているわけではありません。例えば、インド政府は4月5日、原発事故に伴う放射性物質の影響を考慮して、日本からの食品輸入を3ヶ月間、全面的に禁止するという発表をおこないました。しかし、さすがにこの決定には釈然としないものがあったようで、日本政府の抗議もあり、4月8日には「まだ決定を下していないと」と慌てて発表しています。

 タイでは日本料理屋から客が遠のいているそうです。少し考えれば分かりますが、タイの日本料理屋では食材をすべて日本から輸入しているわけではありません。輸入している材料などごくわずかでしょうし、レストランによっては、材料はすべてタイ国内で調達しています。にもかかわらず「日本料理はキケン」という噂が飛び交っているのです。

 私はNPO法人GINA(ジーナ)の関係もあり、タイの情報は頻繁に入ってくるのですが、震災直後からタイ人の多くが日本を心配し支援してくれています。例えば、バンコクのBTS(モノレール)の主要な駅周辺には募金箱が置かれ、実に多くのタイ人が募金をしてくれているそうなのです。しかも、BTSに乗ることのできる金持ちだけでなく、普段はBTSを利用しない一般的なタイ人(タイの庶民は料金の高いBTSではなく冷房のないバスに乗ります)も募金をしてくれているそうなのです。

 また、日本通としても有名なタイの国民的歌手のバード(名前はトンチャイ・メーキンタイですが通称の「バード」の方が一般的です)は、日本を応援する歌をつくりました。この歌は後半が日本語の歌詞となり、ビデオを見ると多くのタイ人が、日本語・タイ語・英語などで日本を応援するメッセージを掲げています。(下記URLを参照ください)

 話を戻しましょう。自国よりも豊かな生活をしている日本人をタイ人の多くは一生懸命応援してくれているのです。しかし、その一方で、感情的な”恐怖感”のせいで「日本料理はキケン」という誤った噂が蔓延しているのも事実なのです。

 ”恐怖感”がいかに理性を奪うかということを示す例をもうひとつ挙げたいと思います。科学作家の竹内薫氏は『週刊新潮』の連載コラム(2011年4月7日号)で、ヨウ素131の入った水を乳児に飲ませてはいけないと聞いたことがきっかけで、ヨウ素やセシウムを除去できる浄水器を購入しそうになった、と告白しています。竹内氏は、震災の数ヶ月前には、「原発が怖い」というラジオのレポーターに対して「勉強不足だねぇ、安全だから大丈夫だよ」と答えていたそうです。しかし、娘の安全が脅かされるかもしれないと感じ、放射線に対する考えが変わったそうです。

 私はまず、竹内氏がこのような自分の感覚を正直に語られた勇気に敬意を払いたいと思います。そして、あらためて、科学者(科学作家)でさえも、払拭することができないこの”恐怖感”の大きさを認識しました。

 おそらく気象庁が放射線拡散予測のデータを公表しないのも、世間に蔓延するこの”恐怖感”のせいでしょう。官僚は、データ公表により風評被害が拡散し”恐怖感”が大きくなることに危機感を抱いているのではないかと思われます。しかし、インターネットで世界の情報が瞬時にわかる現代では、データを公表しないことの方がむしろ”恐怖感”を増大させることになります。

 放射線に関しては高校の物理に毛がはえた程度の知識しかないこの私に危険性について語る資格はありませんが、私は正常な理性を奪う”恐怖感”の存在を認めた上で正しい知識の普及に貢献できれば、と考えています。このまま”恐怖感”が日本と世界に広がっていけば、福島県出身という理由で就職や結婚ができなくなったり、日本人という理由で入国を断る国がでてきたり、ということが起こるかもしれません。

 そうならないためには、できるだけ”恐怖感”を追いやって正しい知識の習得につとめなければなりません。気象庁のサイトをみても事実が分かりませんし、首相官邸のサイトもいまひとつ重要なことが書かれていません。私が調べたなかでは、日本放射線影響学会のサイト(http://jrrs.kenkyuukai.jp/special/?id=5548)が最も分かりやすく解説しているように思われます。また、国立がん研究センターのサイト(http://www.ncc.go.jp/jp/)にも、簡単ですが、恐怖を感じる必要がないことがまとめられています。

 私見を述べれば、現在の放射線に対する世論は、どこか社会不安障害や強迫性障害の症状に似ているような気がします。こういった精神疾患には認知療法が有効であるように、まずは我々ひとりひとりが得体の知れない”恐怖感”に捉われるのではなく、正しい知識の吸収につとめなければなりません。

 気象庁にはすべてのデータを公表して正しい知識を伝える義務があることは言うまでもありません。

注:バードの日本応援歌は下記URLで観ることができます。

http://www.youtube.com/watch?v=WRwTc7a_Jzs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=1wopMK2xILI&feature=related

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2013年6月22日 土曜日

98 被災者に対してできること 2011/3/14

2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0(当初は8.8と発表されたが13日に9.0に修正)を記録する地震が東北地方太平洋沖で発生し、現在も被害が続いています。

 3月14日午前0時の警察庁の発表では、死者1,597人、行方不明者1,481人、負傷者1,923人となっていますが、13日時点で宮城県警は死者が1万人を超える可能性があることを発表し、宮城県の村井知事は「被害額は東北全体で阪神淡路大震災を上回る」とコメントしています。

 これだけの大災害ですから、世界のメディアは一斉にトップ記事で報道し、世界中の人々から注目されています。すでにアメリカ、韓国、中国などが支援を開始しているとの報道もありますし、また大国だけでなく、AFP通信によりますと、例えばアフガニスタン・カンダハル州は5万ドル(約400万円)の義援金を被災地に送ることを表明しています。アフガニスタンの国民の大半は1日あたり2ドルの生活水準だそうですから、この金額は相当大きなものです。

 もちろん日本国内でも、多くの人が今自分に何ができるかということを考えています。ひとりでも多くの人を救おうと、現地入りを考えている医療者も少なくありません。ただし、現時点では交通機関が麻痺したままですから、個人の判断で現地に到着することができません。そのため東京で待機している医療者もいるようです。

 医療者専門の掲示板では、「医療者を求む」というページよりも、「現地に行って診療を手伝います」というページの方にたくさんの声が寄せられており、少しでも役に立ちたいと考えている医療者がいかに多いかということが分かります。日本プライマリ・ケア連合学会では、ウェブサイトのトップページに支援関連の情報を掲載し、いくつかの病院では後期研修医を現地に向かわせる計画もあるそうです。

 現地では計画停電が実行される予定で、電力がなければ業務が中断するどころか患者さんの命に影響を与えることを知っている医療者は「節電」ということに敏感になっています。関東地方ではすでに節電が呼びかけられていることを受けて、いくつかの医療者のメーリングリストでは、「西日本や九州でも節電を心がけ東北地方に回そう」という内容のメッセージが出回りましたが、後にこれはガセネタのチェーンメールであることがわかりました。関西と関東では周波数が異なりますから、西日本の電力をそのまま利用できないということはよく考えれば分かりそうなものですが、一気にメールが回ったということは、それだけ「なんとしても東北地方の被災者の力になりたい」と多くの人が考えている証と言えるでしょう。

 このような未曾有の事態が起こっているのにもかかわらず、少なくともマスコミの報道から伝わってくる現地の姿は、被災者の多くは落ち着いており、例えば強盗や略奪といった凶悪犯罪もおこっておらず、混乱は最小限に抑えられているようです。これは海外からも驚かれているようで、地震が起きた最初の時点から、日本の政府のみならず、被災者が見せた冷静で秩序だった行動に、改めて日本の民度の高さを感じた、という声が各国から上がっているそうです。

 菅直人首相は12日夜、「一人でも多くの命を救うために全力で、今日、明日、あさって、頑張り抜かねばならない。未曽有の国難とも言うべき地震を、国民一人一人の力と、それに支えられた関係機関の努力で乗り越え、未来の日本で『あの苦難を乗り越え、こうした日本が生まれたんだ』と言えるよう、それぞれの立場で頑張ってほしい。私も全身全霊、命がけで取り組む」とコメントしました。(報道は3月13日の毎日新聞)

 このところ非難されることの多かった菅首相であり、このコメントに対しても冷ややかにみる向きも少なくないようですが、私自身は菅首相のこのコメントを信じたいと思っています。このような事態のときに絶対に必要なのは「強いリーダーシップ」だからです。強いリーダーシップなくして、この惨劇から立ち直ることはできません。リーダーが「全身全霊、命がけで取り組む」と言っているのであり、我々はこの言葉を信頼すべきだと思うのです。

 では、私自身に何ができるのか、と考えてみると、残念ながら直接役立つことはほとんど何もありません。しかし、少しでもできることはないかと考え、震災の翌日(12日)から、クリニックに募金箱を設置し私自身も募金をおこないました。集まった募金は義援金として全額を日本赤十字に寄附する予定です。

 現時点では、被災者の方々は落ち着いて理性的に行動されており、菅首相は強いリーダーシップが期待できるコメントを発表しており、国内だけでなく海外からも支援の申し出が次々と寄せられています。現在は、自衛隊を中心とした救助が続けられています。

 被災者に対してできることは何でもしたい・・・。そう考える人は大勢おられると思います。しかし、現時点で現地に行こうとしても余計に交通に混乱を与えることになりかねませんし、たとえ現地入りできたとしても、各自が勝手に振舞えば、それを善意でやっていたとしてもかえって混乱が増幅しかねません。

 まずは、首相をトップとする組織を信頼し、我々ひとりひとりは当局からの呼びかけに応えることを考えるべきでしょう。例えば、首相官邸のウェブサイトではすでに関東地方の方々に対して「節電」を呼びかけており、原子力施設への影響に伴う避難についての情報も発信しています。

 次に我々ひとりひとりができることですが、一般に震災の被害というのは、急性期、亜急性期、慢性に分けて考えられます。慢性の被害はかなり長期間に及びます。実際、阪神淡路大震災の被災者のなかには、今でもPTSDに悩まされている人が少なくありません。

 現在の急性期の時点では、募金以外にできることはほとんどないかもしれませんが、亜急性期、慢性期へと以降するにつれて、支援できることが増えていくこともあります。それに、募金というものは確実に役立つものです。日本以外の国であれば、不正が横行しており被災者の元に届かないということがしばしば指摘されますが、この日本という国においてはそのような心配は無用でしょう。(少なくとも私はそう信じています)

 最後に、WFP(国連世界食糧計画)のジョゼット・シーラン事務局長が、震災が起こった日(3月11日)に発表した声明文の一部を紹介したいと思います。

このような大きな悲劇を受け、思い出されることがあります。それは、過去に世界各国で同様の惨事が起き、日本がWFPと共に緊急対応をした際のことです。緊急対応にかけつけた日本の支援隊の勇敢で献身的な姿勢、そして人命を救い被害を食い止めるために日本政府がとった断固たる処置の数々に、私たちWFPの職員すべてが感銘を受けました。

私たちは、日本から、困難に立ち向かう回復力というものを学び、そのような精神を持つ日本に対し、敬服の念を覚えています。日本は、世界で悲劇が起きWFPが出動した際、最も多くの支援を差し伸べてきてくれた国の一つです。そして今日、WFPは日本と共にあります。

WFPは、日本の役に立てることであれば、どのような支援でも行う用意があります。あらためて、今回の地震で被災された多くの日本の皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

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2013年6月22日 土曜日

第97回(2011年2月) 鎮痛剤を上手に使う方法

 一生の間に一度も鎮痛剤(痛み止め)のお世話にならない人はそう多くはないでしょう。太融寺町谷口医院にも、頭痛、生理痛、関節痛などで鎮痛剤を求めて受診される方は少なくありません。私自身も2002年に交通事故で首を痛め、その後しばらくは数種類の鎮痛剤に頼っていたことがあります。

 2011年1月21日、第一三共ヘルスケアは「ロキソニンS」という解熱鎮痛薬を発売しました。「ロキソニン」という同じ薬効の薬がありますが、これは医療機関で処方されるものです。ロキソニンSは薬局で買える「スイッチOTC薬」として発売されたのです。スイッチOTC薬とは、これまでは医師の判断でしか使用できなかった医薬品が、薬局で買えるようになったもののことをいいます。(OTCとはover the counterの略です)

 ロキソニンは医療機関で最も処方されることの多い解熱鎮痛剤の1つです。ですから、ロキソニンを処方してもらうことのみを目的として受診される患者さんも少なくないのですが、これからは医療機関で長時間待たされなくても、薬局で簡単に買えるようになったのでこれは歓迎されるべきことです。

 では、頭痛、生理痛などが起こったら直ちに薬局に行って「ロキソニンSをください!」と言えばいいのか、というとそこまで単純に考えるべきではありません。

 まず、ロキソニンの副作用に注意しなければなりません。ロキソニンは薬理学的な分類では、非ステロイド性抗炎症薬(non-steroidal anti-inflammatory drugs、以下NSAIDs)に入ります。NSAIDsの副作用で最も頻度が高いのが「胃の痛み」です。これはロキソニンを含むNSAIDsの成分が胃粘膜の微小血管を障害するためにおこります(注1)。最初は胃があれる程度ですが、進行すると潰瘍(かいよう)といって胃の粘膜がただれた状態になり、さらに進行すると胃に穴があいてしまうこともあります。

 ロキソニンを飲んで胃が痛くなる、というのは決して珍しい副作用ではなく、(正確な数字は見たことがありませんが)けっこうな割合で起こっていると思われます。最初はまったく症状がなかったけれど飲み続けているうちに胃が痛くなってきた、という人もいます。ですから、医療機関ではロキソニンを処方するときに、元々胃が弱いという人には、胃薬を同時に処方することがあります。なかには、ロキソニンの処方時にはほぼ全例胃薬を処方するという医師もいるほどです。(胃薬が必ずしも有効とは限らないのですが・・・)

 スイッチOTCとして発売されたロキソニンSは、腸で体内に吸収されてから活性型となる(効果を発揮する)いわゆるプロドラッグ製剤で、第一三共ヘルスケアのウェブサイトには「胃への負担が少ない」と書かれています。

 しかし、プロドラッグ製剤だからといって胃への負担がなくなるわけではありません。なぜなら、先に述べたようにロキソニンを含むNSAIDsは体内に吸収された後で胃粘膜の微小血管を障害するからです(注1も参照ください)。そもそも医療機関で処方される従来のロキソニンもプロドラッグでありますから、ロキソニンSとの差がどれほどのものなのかよくわかりません。

 ここは大切なポイントなのでもう1つ例をあげて確認しておきたいと思います。ときどき「鎮痛剤は胃に負担がかかるから飲み薬ではなく座薬を使えばいい」と考えている人がいますが、これは完全な誤りです。なぜなら、胃粘膜の微小血管を障害するのはいったん体内に吸収された後であり、座薬の場合は吸収のスピードも速く、また1回使用量が内服よりも多いのが普通ですから、むしろ飲み薬よりも胃への障害が起こりやすいのです。

 というわけで、ロキソニンSを使用するとき、あるいは使い続けるときは、「胃の痛みがでればすぐに中止しなければならない」と肝に銘じておくべきです。しかしながら、NSAIDs全体でみたときには、ロキソニンは胃への負担が少ない方です。

 ロキソニンと同じカテゴリーに入る鎮痛剤にブルフェン(注2)というものがあり、一般名称は「イブプロフェン」といいます。イブプロフェンは昔から市販の鎮痛剤や風邪薬の主成分として広く使用されています(注3)。ロキソニンはイブプロフェンよりも歴史が新しく、イブプロフェンに比べて胃への副作用が少ないと言ってもいいと思います。ということは、薬局で買える鎮痛剤としては、今後ロキソニンSがイブプロフェンにとって代わるようになることも考えられます。

 ロキソニンでも胃痛を起こす人が少なくないなら、もっと胃にやさしい鎮痛剤はないのだろうか、という疑問がでてきますが、実はロキソニンを飲む前に推薦したい解熱鎮痛剤があります。

 それはアセトアミノフェンという物質で、海外では「パラセタモール」(後述するように「タイレノール」も有名。他には「パナドール」も)という名前で多くの薬局で売られているものです。実は私も頭痛時や発熱時にはまずアセトアミノフェンを使います。アセトアミノフェンは日本の医療機関では「カロナール」という名前で処方されていますが、数多くの後発品(ジェネリック薬品)が発売されており、様々な名前のものがでています。アセトアミノフェンの最大の特徴は、胃への負担がほとんどなく胃痛は極めて起こりにくい、ということです。

 アセトアミノフェンはいくつかの風邪薬の主成分として使われていますが(注4)、単独製剤としては、(日本では「パラセタモール」という名前で販売されているものはなく)「タイレノール」という名前でジョンソン・エンド・ジョンソンから発売されています。これは私の偏見かもしれませんが、私にはこのタイレノールよりもイブプロフェンが主成分の「イブ」などの方が世間で名が通っているように感じています。イブプロフェンで副作用が出なければいいのですが、私としてはまずすすめたいのはタイレノールの方です。

 しかしタイレノールが不利、というか日本では使いにくい理由があります。それは1回使用量に制限があるということです。タイレノールは使用説明書によれば1回1錠の服用で1日3回までとなっています。日本製のタイレノールは1錠につきアセトアミノフェン300mgですから、アセトアミノフェンの量で考えれば1回300mg、1日900mgまで、となります。ちなみに、以前私がタイのチェンマイの薬局でアセトアミノフェン(パラセタモール)を購入したとき、タイでは1回600mgの内服が基本と言われました。タイ人の方が日本人よりも小柄なのにもかかわらず、です。

 実は医療機関でアセトアミノフェンを処方するときも、少量しか処方が認められていないことがネックになっていたのですが、つい最近(なぜかロキソニンSの発売と同じ2011年1月21日)、1回処方量が300~1,000mg、1日最大量4,000mgと、海外と同じ量が処方できるようになりました。薬局でタイレノールを購入して自分の判断で量を増やすことは危険ですが、医療機関での処方量が大きく改善されたことにより、今後アセトアミノフェンが使われる機会が増えることになるでしょう。

 このように、解熱鎮痛剤に関する私の基本的な考え方は、胃痛を含む副作用の観点から、ロキソニンやイブプロフェンなどのNSAIDsよりも、まずはアセトアミノフェンを使うべき(もちろん症例によっては例外も多々あります)なのですが、今後アセトアミノフェンがさらに積極的に使われるのではないか、と私が感じている理由が他にもあります。

 それは、NSAIDsの心血管系疾患に対するリスクが注目されだした、ということです。『British Medical Journal』という医学誌に最近掲載された論文(注5)によりますと、ほとんどのNSAIDsは、心血管系疾患のリスクを増大させ、逆に安全性を示すデータはほとんどありません。例えば、脳卒中では、イブプロフェン服用でリスクが3.36倍増加、ジクロフェナク(商品名は「ボルタレン」)では2.86倍増加とされています。

 私はこれからの日本の医療にはセルフメディケーションが不可欠と考えています。盲目的に医療機関を受診するのではなく、ある程度の医学知識を持ってもらって薬局で買える薬はできるだけ薬局で買うべきだと思うのです。もちろん、薬局の薬が効かないときや、副作用がでた(かもしれない)ときは直ちに医療機関を受診しなければなりませんが・・・。

 では、今回のポイントをまとめておきましょう。

1、ロキソニンSがスイッチOTCとして2011年1月21日より薬局で買えるようになった。

2、ロキソニンはNSAIDsと呼ばれる解熱鎮痛剤のなかでは胃への副作用が少ない方で、理論的にはイブプロフェンよりも安全と言える。

3、しかし胃粘膜に対する障害がないわけではなく、胃痛を放置すると潰瘍になることもある。

4、ロキソニンやイブプロフェンを含むNSAIDsは心血管疾患に対するリスクも考慮しなければならない。

5、アセトアミノフェンは胃痛が起こりにくく、心血管疾患に対するリスクも極めて小さいと考えられる。

6、アセトアミノフェンは日本の薬局では「タイレノール」という商品名で発売されているが、認められている使用量は少ない。

7、どれだけ安全と言われている薬でも、予期せぬ副作用が起こる可能性があるということを忘れてはいけない。副作用を疑えば直ちに医療機関を受診することが必要。

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注1 この機序を少し細かく解説すると、まずNSAIDsのほとんどはCOX(シクロオキシゲナーゼ)という酵素を阻害する作用があります。COXにはCOX-1とCOX-2があり(最近ではCOX-3の存在も指摘されています)、このうちCOX-1が阻害されるとPGE2(プロスタグランジン)という物質の産生が低下します。PGE2はTNF-αという物質の産生を抑制しているのですが、PGE2の産生量がCOX-1の阻害により低下すると結果としてTNF-αの産生量が増加します。TNF-αというのは血管内皮細胞を障害するために胃粘膜の微小血管が障害を受け、その結果胃粘膜に潰瘍ができるというわけです。

注2 NSAIDsを大まかに分類すると「酸性」と「塩基性」に分けることができます。「酸性」のものをさらに分類すると、サリチル酸系、フェナム系、アリール酢酸系、プロピオン酸系、ピリミジン系、オキシカム系となります。ロキソニンもブルフェン(イブプロフェン)も共にプロピオン酸系に入ります。

注3 イブプロフェンが主成分の薬局で買える薬剤は、最も有名なのが「イブ」(エスエス製薬)でしょうか。「ナロンエース」(大正製薬)、「ノーシンピュア」(アクラス)や「リングルアイビー」(佐藤製薬)も相当します。風邪薬ではパブロンエース、パブロンN、ベンザブロックL、ベンザブロックIP、ルルアタックあたりの主成分となっています。尚、ナロンエースはイブプロフェンの他に「ブロモバレリル尿素」という大変依存性の強い物質が含まれているため依存症に注意しなければなりません。

注4 アセトアミノフェンが配合されている風邪薬には、ジキニン、エスタック、コルゲンコーワ、新ルルA、ストナなどがあります。

注5 この論文は『British Medical Journal』オンライン版の2011年1月11日号に掲載されており、タイトルは、「Cardiovascular safety of non-steroidal anti-inflammatory drugs: network meta-analysis」で、下記のURLで全文を読むことができます。

http://www.bmj.com/content/342/bmj.c7086?sid=a47bf2f5-21d8-41d7-9aca-369fb73fc1c7

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2013年6月22日 土曜日

96 医師による犯罪をなくすために(後編) 2011/1/21

前回は、医師あるいは医学生になってしまえば、高い倫理観を持たねばならず、それができないなら別の道に進みなおさなければならない、ということを述べました。

 現役で医学部に入学すれば18歳です。彼(女)らの多くは、中学・高校と勉強一筋できており、これまでの社会活動といえばせいぜい学校内のクラブ活動程度で、アルバイトや校外での社会活動の経験豊富な18歳の医学部一年生というのはほとんどお目にかかったことがありません。

 18歳で医学部に入学し6年間で卒業し医師になったとすれば、研修医1年目の4月はまだ24歳です。それまでの人生経験によっては24歳ともなれば立派な大人になっているでしょうが、中学・高校・大学と勉強ばかりの生活では、狭い社会しか知らない24歳になるのは仕方のないことです。しかし、患者さんからみれば医者は医者ですから、24歳であっても医師として、そして社会人としてのプロ意識を持ってもらわなくては困る、ということになります。

 医者患者間に生じるギャップの原因のひとつがこのあたりにあると私は感じています。医師からみると、「あの患者はどうしてこんなことが理解できないんだ。どうしてあんなに非常識な行動をとるんだ」、となり、患者サイドからみれば、「あの医者の言っていることは理解できないし、バカにされているようで質問もできない。あれが他人に接する態度か。非常識にもほどがある」、となるのです。<医者の常識は世間の非常識、世間の常識は医者の非常識>、なのです。

 拙書『医学部6年間の真実』でも述べましたが、私が研修医の頃、例えば九九が言えない患者さんや漢字をほとんど書けない患者さんを「信じられない」と言っている研修医をみて呆れたことがあります。私からみれば、九九が言えないくらいで「信じられない」と言っている研修医こそが信じられませんでしたが・・・。

 また、これも同書で述べましたが、怒られることに慣れていない若い医学生や研修医があまりにも多いことに驚きました。特に、年下の看護師から強い口調で注意されることが許せないという学生(男女とも)の話を何度も聞きました。そもそも、職場というところは年齢よりも立場やキャリアが重視されるべきところで(そうでなければ組織が成り立ちません)、自分よりキャリアが上の年下の人間に注意されたくらいで怒っていては、仕事になりません。

 けれども、小さい頃から優秀だとあがめられ、周囲も優秀な人間ばかり(九九の言えない者は皆無)、アルバイトは家庭教師や塾講師のみ(ここでも「先生、先生」と崇められます)、クラブ活動も医学部内のみ(なぜか医学部の部活というのは医学部生だけで運営されており通常は他学部との交流はありません)では、彼(女)らの価値観というか考え方が偏ってしまうのは無理もないことです。

 しかし私は、彼(女)らの”信じられない”言動を何度も体験しても、その場では否定的な感情を持ってしまうこともありますが、それでも彼(女)らに好意を持つのは(どうしても好意を持てない学生や研修医もなかにはいますが・・・)、元々持っている人間性が大変魅力的だからです。

 実際、彼(女)らの多くは大変素直で、大人の言うことをよく聞きます。なかには反抗期というものをほとんど経ずに成人したような男女もいます。世の中のドロドロした部分をこんな素直な子たちに見せたくない・・・、と思うことすらあります。この子は性格がよすぎるから詐欺にひっかかってしまうんじゃないかな、とか、将来クレームを言ってくる患者さんと対面したときに上手く振舞えずに心が病んでしまうんじゃないかな、とか心配してしまうこともあります(おせっかいですが・・・)。

 ありていの言葉で言えば、彼(女)らは「温室育ち」なのです。しかし、温室であろうがどこで育とうが、社会人になれば甘えは許されませんし、その社会人の中でも医師という職業に従事するには高い倫理観が要求されます。甘い言葉でせまってくる数々の誘惑に打ち勝たなくてはなりませんし、低次元の欲求に対しては厳格にコントロールしなければなりません。

 では、どうすればいいのでしょうか。

 私の医学部の同級生のひとり(彼は現役で合格していました)は、このまま医師になってしまえば社会のことが何も分からないから、という理由で1~2年間の休学を考えたそうです。そしてその1~2年の間に医大生ではできないような経験、例えば会社勤めとか、起業とか、語学留学とか、海外でのボランティアとか、そういったことをやってみようと考えたそうです。私はそれは名案だと思いましたし、彼の気持ちがよく理解できました。しかし、大学側の回答は、「医学部には休学制度がない。どうしてもしたければ授業料を払って留年しなさい」というもので、結局彼のプランは実現しませんでした。

 もしも休学制度がある大学医学部であれば、この私の同級生が考えたように医学部を卒業する前に他の経験をしておくというのはいい方法だと思います。あるいは、医学部を卒業してから1年間から数年間、何か別のことをするというのもひとつの方法ではないかと思います。「これほどの医師不足があるなかでそんな勝手なことは許されない。医師免許を取ったのなら国民のために働け!」という厳しい意見もあるでしょうが、医師側からみたときには数年間遅れたくらいで就職に困るということはありませんから、自分のため(そして将来診ることになる患者さんのためにもなるかもしれません)にいろんな経験を積んで置くのは有意義に違いありません。

 少し私の個人的な経験を話しておきますと、私が自分の人生で初めて頭を打ったと感じたのは18歳で大学(関西の私大です)に入学して数ヶ月が経過した頃でした。当時の私は第1希望の大学に現役合格できたことで有頂天になっていました。わずか2ヶ月でしたが寝食を惜しんで勉強した結果、平均偏差値40だったのにもかかわらず現役合格できたのです。しばらくは、怖いものは何もない、くらいの気持ちでいたことを覚えています。

 大学入学後は勉強以外のことは何でもやってみようと考えていて、複数のサークルやクラブに顔を出し、いろんなアルバイトを始めました。そのなかで、ある旅行会社でのアルバイトの経験が私の人生に大きな影響を与えることになります。この会社にはいろんな大学の学生やフリーター(当時まだこの言葉はありませんでしたが)が集まってきており年齢もバラバラでした。当時はまだコンピュータも普及しておらず、「予約していた宿に泊まれない」「来るはずのバスが来なかった」といったクレームやトラブルが日常茶飯事でした。このようなとき、状況を的確に判断し、怒っているお客さんに納得してもらい(逆に笑いをとるつわものもいました)、さらにスタッフをまとめて的確な指示を出せる人というのは、決して高学歴の人間ではなかったのです。このような経験を何度か経て、私は偏差値の高い大学に現役合格できたことで有頂天になっていた自分を恥じました。そして、自分がいかにちっぽけな人間かを知ることになりました。

 その後私はいくつかのアルバイトを経て、大学卒業後は関西のある商社に4年間勤務しました。医学部入学後もいろんなアルバイトをしましたが、私がアルバイトを選ぶ基準は、「いかに自分が学べるか」です。それまでしたことのないような経験ができて、他のスタッフや社員から学ぶことがあるか、ということを考えるようにしました。もちろん、数え切れないくらいの失敗談もありますし、とてもここには書けないような恥ずかしい体験もあります。

 これまでの経験を噛み締めて、そして医師という職業を相対的に考えたとき、「職業に貴賎がない」という言葉は事実だとしても、医師には高い倫理観が求められ、さらに私生活も含めて何事に対しても誠実にならなければならない、そしてこれこそが医師の矜持である、ということがすっと腑に落ちるのです。

 前回紹介したような犯罪に手を染めた医師たちも、きっと医師という職業を相対化できていれば、つまり医師という職業を客観的にみることができる程度まで人生経験や苦労を重ねていれば、倫理観に背く行動が医師の矜持に反するということが理解できたのではないかと思うのです。

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2013年6月22日 土曜日

95 医師による犯罪をなくすために(前編) 2010/12/20

医師は社会的地位の高さからなのか、犯罪に手を染め逮捕されると実名入りで報道されることが多いと言えます。

 今年(2010年)報道された医師による事件のなかで多くの人にとって印象深いのは、2009年1月に不倫相手の女性に子宮収縮剤を飲ませ流産させ、2010年5月に逮捕された東京慈恵会医科大学附属病院の30代内科医Kと、2010年5月28日に福岡県大牟田市の旅館経営者を殺害し7月に逮捕された仙台医療センターの20代研修医Iではないかと思われます。これら2つの事件はメディアで大きく取り上げられ、特に内科医Kの事件は、看護師である不倫相手の陰謀ではないかとの噂も流れ週刊誌の格好の的となりました。

 これら2つの事件ほどではないにせよ、医師による事件が大きく報道されることは枚挙に暇がありません。2010年に逮捕された医師についてインターネットを使って調べてみると、実に簡単に事件の詳細と実名がでてきます。ここでは全てを記すことはできませんが、例えば薬物関連の事件を経時的にみてみると、

・済生会福岡総合病院の40代麻酔科医Hが覚醒剤使用で5月に逮捕

・埼玉県の30代開業医Iが覚醒剤使用で10月に逮捕

・国立成育医療研究センター(東京都)の30代精神科医Bが覚醒剤使用で10月に逮捕

・福岡県の40代医師Yが大麻取締法で10月に逮捕

・同僚の看護師と共に麻薬を使用していたとして横浜市立大学附属市民総合医療センターの30代麻酔科医Nが11月に逮捕

などがあげられます。

 次に、ワイセツ関連の事件をみてみると、

・神奈川県の綾瀬厚生病院の50代外科医Mが、2009年2月と4月に当時高校1年の女子生徒ら2人に計5万円を渡しワイセツ行為をしたとして2月に逮捕

・市立広島市民病院の40代の救急診療部副部長のKが、5月に19歳の専門学校生のスカート内を盗撮して現行犯逮捕

・山口県の50代の開業医Uが、6月に新幹線の車内で女性を盗撮して現行犯逮捕

・鳥取大学医学部附属病院の20代研修医Aが、7月にホテルの女風呂を盗撮する目的で敷地内に侵入して現行犯逮捕

・広島市民病院の40代の内科副部長のKが、2009年11月に勤務する病院の診察室で当時8歳と11歳の姉妹の上半身を隠し撮りしたことが発覚し、7月に強制わいせつ罪で逮捕

・茨城県のひたちなか総合病院の研修医Kが、2010年2月当時中学3年生だった少女に3万円でワイセツ行為をおこない9月に逮捕

・千葉大医学部の2年生Iが女子高生のスカート内を盗撮したとして10月に現行犯逮捕

・東京都の30代の泌尿器科医Yが、2010年6月横浜市のホテルで高校1年の女子生徒に2万円でワイセツ行為をおこない11月に逮捕

などが出てきました。

 名前についてはここではすべてイニシャルで表記しましたが、インターネットを使えば簡単に実名が分かります。いったんインターネット上に名前が出回ると、それを消去することはできないでしょうから、向こう何十年、あるいは百年以上も過去の汚点が大勢の人に晒されることになります。

 ということは、このような事件で逮捕されると、医師として再就職というのは相当困難になります。患者さんが、自分を診てくれている医師の名前を検索すると過去に薬物やワイセツ行為で逮捕されていた、なんてことが分かると病院の存続にも影響するからです。

 それにしても、医師による犯罪を調べてみると、薬物関連とワイセツ関連が多いことに驚かされます。(これら以外では、医療ミスが取り上げられることが多い傾向にあります)

 こういった事件が報道されると、当然「医師なのに許せない・・・」という世論の声がでてきますが、その一方で「医師も人間なんだから実名まで報道しなくても・・・」という同情の声も少しは聞こえてきます。

 特に、今年の事件で言えば、ホテルの女風呂をのぞこうとして建造物侵入罪で逮捕された鳥取大学の研修医Aは、10月に大学病院を解雇されたことも報道され、「気の毒に・・・」という声も一部から聞かれました。

 たしかに、この研修医が医師ではなく他の職業についていたとしたら、そもそも建造物侵入罪で実名が大きく報道されただろうか、という疑問がありますし、解雇され、さらに少なくとも医師として再起することは絶望的ですから、同情の声がでてくるのも分からないではありません。
 
 しかしながら、同じ医師として言わせてもらうと、やはりこの研修医は二度と医師の世界に戻るべきではありません。それは、医師は同性のみならず異性の裸も診察することがあるからです。(女性の)患者さん側からみれば、過去に女風呂をのぞこうとして逮捕された医師に自分の裸を診てもらおうとは思いません。そのような医師とは良好な医師・患者関係が確立できるはずがないのです。

 というわけで、私はこの研修医Aを含めて上に述べた今年逮捕された医師の誰ひとりとして擁護するつもりは毛頭ありませんし、同情もしません。医師というのは、高い倫理観が要求される職業であり、高い倫理観を持っていること自体が医師の矜持でもあるのです。

 けれども、これは詭弁に聞こえるかもしれませんが、私は、特に研修医Aに対しては、やってしまった行動を弁護するつもりはありませんが、医師になる前のA君に対しては、同情してしまいます。私は、研修医Aにも、医師になる前のA君にももちろん会ったことはありませんが、A君は医学部を卒業してから「もうお前は医師なんだから・・・」という周囲からの強い社会的プレッシャーのなかで苦しんでいたのではないかと思うのです。

 先ほど、高い倫理観を持っていること自体が医師の矜持、と述べましたが、これを理屈だけでなく心底から実感できるようになるには、それなりの人生経験と苦労の体験が必要だと私は考えています。

 私に高い倫理観があるとは言いませんが、少なくとも薬物やワイセツ行為をしようと思わないのは、これまでの人生経験があるからであって、品行方正な性格だからというわけでは決してありません。生まれたときから高い倫理を有している人もいるのかもしれませんが、そのような人はむしろ例外でしょう。大半の人間は、それは医師も含めて、”人間”なのです。教科書どおりの生き方ができるわけではないのです。

 しかし、医師になってしまえば(あるいは医学部に入学してしまえば)、高い倫理観を持たねばならず、それが持てないなら別の道に進みなおさなければなりません。

 では、どのようにして経験や苦労を積み、高い倫理観を持てばいいのか、特に18歳で医学部に入学した(してしまった)人たちはどうすればいいのでしょうか。次回はそのあたりを考えてみたいと思います。

つづく・・・

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2013年6月22日 土曜日

第94回(2010年11月) 水ダイエットは最善のダイエット法になるか

 今回はまず、人間はどれくらいのカロリーを摂取すれば、体重が維持される、すなわち「消費エネルギー=摂取エネルギー」となるかについて考えてみましょう。年齢や性別、どのような仕事をしているかにもよりますが、成人で事務職、激しい運動はしていない、と仮定すれば、だいたい男性で1,800~2,200kcal、女性で1,500~2,000kcal程度ではないかと思われます。

 次に1日あたりどの程度のカロリーを摂取しているかについて考えてみましょう。モデルケースとして、朝は①トーストセット(トースト1枚、マーガリンとジャム、ホットミルク付き、サラダなし)、昼間に②スパゲッティ・ミートソース(ドリンクは水だけ、サラダなし)、おやつに③カフェオレ(砂糖なし)とシュークリーム1つ、夕食に④とんかつ定食を食べたとしましょう。これで1日の総摂取カロリーは、①690kcal+②930kcal+③210kcal+④1,270kcal=3,100kcalとなります(注1)。

 例えばあなたの1日の消費カロリーが1,800kcalとすると、この食生活では1日あたり1,300kcalのエネルギー過多となります。1gは7kcalでしたから(前回の「ダイエットの第2法則」参照)、1日あたり186グラム体重が増えることになります。1ヶ月では5.58kgも太ることになってしまいます・・・。(もちろん前回述べたように、これらには小さくない個人差があります)

 上にあげた①~④の食事は現代人の標準的な食事と言えるのではないでしょうか。つまり現代人の<標準的な食事>をすれば月に5kg以上も太ることになるわけです。要するにダイエットをしたければ<標準的な食事>の概念を変えるしかないのです。

 ここで1つの反論が聞こえてきそうです。その反論とは、「私は食べることが好きなので今言われた①~④程度の食事はしたい。だから運動でダイエットをすればいいじゃないか」というものです。たしかに、運動をすれば消費エネルギーが増えるのは事実ですし、運動はいろんな理由から積極的にすべきです。

 しかし結論から言えば、運動だけで体重を落とすことは不可能です。もう一度「ダイエットの第2法則」に戻りましょう。それは「脂肪組織1gは約7kcalのエネルギー」というものでした。その人の体格にもよりますし前回述べたように個人差が大きいのですが、例えば60分のウォーキングなら約200kcal、10kmを1時間かけて走ったならば約700kcalのエネルギーを消費します。ということは、毎日1時間のウォーキングをおこなう程度では、①~④の食生活をしていれば、1日あたり1,100kcalのエネルギー過多になり、1日で157g増え、1ヶ月で4.7kg太ることになります。毎日10kmの距離を1時間かけて走ったとしても(これはかなり大変ですし、実際に毎日おこなえばそのうち足や膝を痛めるでしょう)、1日あたり600kcalのエネルギー過多、1ヶ月では2.5kgの体重増加となります。

 毎日10kmの距離を走ることのできる人は(時間確保の観点からも疲労度の観点からも)そういないでしょう。しかし、たとえ1日かかさず10kmのランニングをおこなったとしても、現代人の<標準的な食事>をしていれば月に2.5kg太ってしまうのです。

 ここまでくればお分かりいただけたと思いますが、結局のところ、ダイエットをしようと思えば摂取カロリーを減らす以外に方法はないのです。
 
 では、どのような食事をすればいいのでしょうか。次のケースを想像してみてください。朝食は⑤納豆定食、昼食に⑥山菜ソバ、おやつに⑦アイスミルクティー(ガムシロップ入り、食べ物はなし)、夕食に⑧幕の内弁当を食べるとします。⑤584kcal+⑥350kcal+⑦55kcal+⑧770kcal = 1,759kcalとなります。1,759kcal≒1,800kcalと考えると、⑤~⑧の食生活を毎日続けると、体重の変化なし、ということになります。

 さらに毎日60分のウォーキングをおこなえば、200kcalx30日=6,000kcalのカロリー消費となり、これを7kcalで割ると、6,000÷7=1,108g、つまり月に1.1kgやせることになります。月に1.1kg、1年で13kgのダイエットに成功!、となるかもしれません。

 しかし、あらためて考えてみると⑤~⑧の食事を継続し、毎日60分のウォーキングを前提としていることには無理があります。外食をまったくしないわけにはいかないでしょうし、お酒を飲む機会もあるでしょうし、たまにはあぶらっこいものも欲しくなるでしょう。
 
 ここで最近話題になっている2つのダイエット法を紹介したいと思います。1つは「梅干ダイエット」で和歌山県田辺市の紀州田辺うめ振興協議会が調査したものです。同協議会によりますと、大粒の梅干2個を50日間食べた人の約7割がダイエットに成功したそうです(注2)。なぜ梅干でダイエットできたかについて、詳しくはわかりませんが、おそらく食事時に梅干を2つも食べることによって、全体のカロリー摂取量が減少したからではないかと思われます。梅干自体が体にいい食品とされていますから、この方法は一見価値があるようにみえますが、気になるのは塩分の過剰摂取です。

 一般的に梅干1個あたりの塩分は約2gとされています。2つであれば4gです。一方、厚生労働省が推奨する1日あたりの塩分摂取は男性9g未満、女性7.5g未満です。例えば五目ソバ一杯で塩分は8gになりますから、気をつけていても日本人の塩分摂取は過剰になりがちです。その上、毎日梅干を2個食べるとなると、塩分のコントロールがかなりむつかしくなってしまいます。梅干好きの私としては、おすすめしたいダイエット法ではあるのですが、塩分をどうやって管理するかが難点です。

 もうひとつ紹介したいのは、いわゆる「水ダイエット」です。方法はごく単純で「食前にコップ2杯程度の水を飲む」というものです。米バージニア工科大学の研究によりますと、このダイエット法により12週間で7kgの減量が認められています。

 この研究を少し詳しく紹介すると、被験者を2つのグループにわけて、双方に1,200~1,500kcalの低カロリー食を食べてもらっています。片方のグループのみ1日3回食前にコップ2杯の水を飲んでもらいます。12週間後、水を飲んだ方は7kg、飲まない方が5kgの体重減少が認められ、その差は2kgということになります。

 今回の研究チームのリーダーであるBrenda Davy氏は、以前、過体重および肥満の中高年を対象とした研究をおこない、「食前に水を飲むと被験者の摂取カロリーが1食につき75~90kcal,1日で300kcal少なくなる」という結果を発表しています。おそらくこの理由は、「水を飲むことによって胃が膨らみ、少ない食事で満腹感が得られるようになる」というものでしょう。

 しかし、今回の研究では、水を飲まなかったグループと飲んだグループで食事量が同じですから、他にも理由があるはずです。

 水ダイエットは、”やりすぎ”は危険かもしれません。水の飲みすぎは度をすぎると「水中毒」をおこし、これが進行すると生命にかかわる可能性すらあります。しかし、毎食前にコップ2杯程度の水であれば、そのような心配は不要であり、大変有用なダイエット法と言えるかもしれません。

 よく「水は健康にいいから」という理由で、水のペットボトルを持ち歩いている人がいますが、これを持ち歩くのではなく、三度の食事の前にコップ2杯の水を飲むようにすれば、当初の目的の「健康にいい」も達成でき、ダイエット効果も期待できるかもしれません。

 私は、「画期的なダイエット法」などという言葉を聞くと、その信憑性を疑ってかかりますが、この「水ダイエット」に関しては、少なくとも試す価値はあるのではないかと考えています。しかも、ほとんど無料で簡単に始められて、医学的な裏づけもあるのです。

 高価なダイエット用品を買い求める前に、食前のコップ2杯の水を試してみればどうでしょう。ただし、ダイエットの2大法則を忘れないように・・・。

注1:本文中の①~⑧のカロリー数は、⑤以外は、『肥満解消のための外食カロリーBOOK男性版』(主婦の友社)からの引用です。⑤は吉野家の下記のURLを参照しました。

http://www.yoshinoya.com/menu/morningset/index.html

注2:本文で紹介した梅干ダイエットについては、2010年8月25日の毎日新聞の報道を参考にしています。


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2013年6月22日 土曜日

第93回(2010年10月) ダイエットの2大法則

 やせる秘訣を教えてください・・・

 診察室でこのような訴えをする患者さんは、当院開院の2007年から今も絶えません。なかには、随分と遠いところから来られて「どうすればやせることができるか」という相談をされる方もいます。当院では、特に「ダイエット外来」のようなものをしているわけでもないのですが・・・。

 やせ薬をください・・・。

 ダイレクトにこのように話す人もいますが、原則としてこのような薬の処方はできません。では、「飲めばやせる薬」はないのか、と問われれば、ないわけではないのですが、”安全な”薬はないのです。

 少し詳しく説明すると、「マジンドール」(商品名は「サノレックス」)という薬があって、日本の医療機関でも肥満外来をおこなっているところでは処方されることもあります。しかしながら、この薬は覚醒剤(アンフェタミン)に類似した物質であり、食欲を抑えることはできるものの(覚醒剤と似ているのですから当たり前です)、長期で使えば依存性が生じるため(これも覚醒剤と似ているのですから当然です)、処方には厳格な規定があります。最大処方期間は3ヶ月とされていますし、処方できるのはBMI35以上と決められています。BMIは体重(キログラム)÷身長(メートル)の2乗ですから、例えば身長160cmの人であれば、BMIが35以上となるのは、89.6キログラム以上の体重がなければなりません。

 マジンドール以外ではシブトラミンという薬があり、米国を含むいくつかの国では数年前から肥満改善薬として処方されていました。ところが最近(2010年10月8日)、FDA(米食品医薬品局)が、米国内でのシブトラミンの販売を中止することを発表しました。販売元のアボット社は、米国以外にもカナダ、オーストラリアを含む他国でも販売中止することをすでに決定しているそうです。シブトラミンは、日本では、エーザイによって2007年11月29日に医薬品製造販売承認申請されていますが、2009年9月26日に取り消されています。

 シブトラミンは日本では認可されていませんが、いくつかの市販のサプリメント(大半はインターネットで取引されています)などに含まれていたことが発覚し、ときどき摘発されています(下記医療ニュース参照)。 もちろん、販売中止となるくらいですから、シブトラミンは副作用が少なくなく、当院にも「”いかがわしいやせ薬”を飲んで、動悸やめまいが出現した」、と言って受診された患者さんがシブトラミンを含むサプリメントを飲んでいた、という例がいくつかありました。

 また、昔からよくあるやせ薬に「甲状腺末」があり、これもやせることを謳ったサプリメントに入れられていることがあり、ときどき発覚しています(もちろん違法です)。甲状腺機能亢進症に罹患すると急速にやせますから、甲状腺末を服用すればやせるのは当然なのですが、同時に動悸や発汗、イライラといった副作用も当然出現しますから、長くは服用できませんし、短期間の服用でも大変危険です。

 結局のところ、安全なやせ薬というのは存在しないと考えるべきなのです。

 では、やせたいときにはどうすればいいのでしょうか。

 まず、基本的なところをおさえておきたいと思います。今回お話する原理原則は2つあります。これを「ダイエットの2大法則」と勝手に命名したいと思います。まず1つめの法則、すなわち「ダイエットの第1法則」は「消費エネルギー>摂取エネルギー、となれば必ずやせる」というものです。

 こう言えばすごく単純なことになりますが、厳密に言えばもう少し複雑な要因があります。「消費エネルギー」は、誰もが同じように計算できるわけではありません。例えば、先に少し述べたように甲状腺機能が亢進すれば、じっとしていてもエネルギーはどんどん消費されていきます。最近では、レプチンやグレリンといったホルモンがエネルギーの消費に関与していることもわかってきています。また、食後に汗をかきやすい人は褐色細胞と呼ばれる細胞が活発に働くからで、このタイプの人は汗をかかない人に比べるとエネルギーを消費しやすいと言えます。

 ここでのポイントは、こういった「エネルギーを消費しやすいかどうかはかなりの部分で遺伝的に決まっている」、ということです。じっとしていてもエネルギーを消費しやすい人としにくい人がいるのは、大方の部分であらかじめ決まっていて、これを変えることはできないのです。したがって、じっとしているだけではエネルギーが消費されにくい人は、消費されやすい人よりも積極的に身体を動かす必要があるということになります。

 ちなみに、エネルギーが消費されにくい体質の人は自らを”損”と考えるかもしれませんが、生物学的には”得”と言えます。食べ物が手に入りにくかった時代には”有利に”生きられたのです。

 次に「摂取エネルギー」について考えてみましょう。「消費エネルギー」に個人差があるように、「摂取エネルギー」にも小さくない個人差があります。つまり、同じものを食べたとしても、ある人はエネルギーとして体内に取り込まれるけれども、別の人は吸収されずにエネルギーとならない、というわけです。

 これは、消化管でどれだけのエネルギーが吸収されるかによると思われます。大食いでテレビに出るようなフードファイター(competitive eater)の人たちは、体型がやせ型の人が多いようですが、おそらく食べても食べても消化管でエネルギーがあまり吸収されていないのではないかと思われます。そして、この点もおそらくは遺伝でほぼ決まってしまっています。つまり、いくら食べても太らない体質の人をうらやましいと感じたとしても、そのような体質になることは不可能であり、フードファイターは努力よりも持って生まれた素質(?)によるところが大きいのです。

 この場合も、食べた分の大半が吸収される人は太りやすいために自らを”損”と考えるかもしれませんが、生物学的には”得”なのです。少ない摂取量で効率よくエネルギーを蓄えることができるからです。

 何をどれだけ食べれば何キロカロリーの摂取で、どれだけの運動をすれば何キロカロリー消費、といった情報は巷にあふれていますが、こういった情報(数字)は標準的なものであって、個人差が大きいという事実は知っておくべきでしょう。

 では、もうひとつの原理原則にうつりましょう。「ダイエットの第2法則」は、「脂肪組織1gは7kcalのエネルギー」という事実です。これは個人差があるわけではなく、生化学的(熱力学的)に分かっていることです。

 しかし、これだけではわかりにくいので、1ヶ月に2kgの体重減少を目標にすることを仮定して話をすすめていきましょう。まず、1ヶ月に2kg(2,000g)ですから、これを30で割ると、1日あたりでは67gとなります。1g7kcalですから、67gだと469kcalとなります。469kcalといえば、だいたい軽めのラーメン1杯分に相当します。ということは、毎日ラーメン1杯分くらいの摂取量を減らせばそれだけで月に2kgやせることが可能となるわけです。(先に述べたように個人差はありますが)

 次回は、具体的にどのような食事をしてどのような運動をすべきなのか、さらに「ダイエットの2大法則」を踏まえた上で推薦できるダイエット方法についてお話いたします。

参考:
メディカル・エッセイ第55回(2007年8月)「「ダイエットに報奨金」の意味するもの」
医療ニュース
2009年10月26日「タイ産やせ薬で相次ぐ死」
2008年12月15日「やせ薬「ソロスリム」で体調不良」
2007年6月11日「危険な輸入健康食品」
2007年3月23日「ダイエット用食品から未承認医薬品検出」

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2013年6月22日 土曜日

92 手術が成功しなくても代金が安くならないのはなぜか 2010/9/21

まずは次のような場面を想定してみてください。

 あなたは車を購入することを考えています。A社とB社の車に興味があるあなたは、A社、B社それぞれのショールームにでかけて営業マンから話を聞くことにしました。A社の車は非常に魅力的でしたが、価格が高いのが難点です。一方、B社の車は、価格は手ごろなのですが、デザインと機能でA社の車に劣るように思われます。A社、B社ともに営業マンは熱心でしたが、最終的には、値引きはもらえなかったものの、カーステレオを無料でつけてもらえることになったこともありA社の車に決めました。あなたは新車購入の日に指定されたA社の販売店に行き、キーを受け取りました。そして、そのまま新車に乗って販売店を出ました。

 ところが、赤信号のため交差点で止まろうとしたとき、ブレーキがきかないという事態に遭遇しました。このままでは前の車にぶつかってしまうと判断したあなたは、ハンドルを切ってガードレールに車をぶつけ、なんとか止めることができました。ケガはなかったものの買ったばかりの新車のブレーキが効かないことにあなたの怒りはおさまりません。すぐにA社の販売店に苦情を言いに行きました。A社の担当者は深く謝罪しました。後の調査でその車はブレーキに欠陥があることが判明しました。担当者は上司と共にあなたに謝罪に来て、新車購入代金に見舞金を上乗せした金額をあなたに返金しました。

 翌週、あなたはレンタカーを借りて休日のドライブを楽しんでいました。交差点で停止していると、突然後からスポーツカーがつっこんできました。意識を失ったあなたはX病院に運ばれました。幸い命に別状はありませんでしたが、むちうちで両肩が上がらずに腕に力が入りません。半年もの間リハビリをおこないましたが一向によくならないため、医師から手術をすすめられました。外傷性の頚椎椎間板ヘルニアが原因となっているため、手術をすればよくなるかもしれない、と言われたのです。手術は簡単ではないとのことだったため、あなたはセカンドオピニオンを求めてY病院を受診しました。Y病院でもX病院と同じように、手術は簡単ではないがやってみる価値はある、とのことでした。

 結局、あなたは思い切って手術を受けることにしました。しかし、その結果、手術は上手くいかずあなたの腕は上がらないままで、さらに症状が足にも現れ歩くことさえままならなくなってしまいました。

 ある日のこと、あなたのもとに警察がやってきました。交差点で停止中のあなたに後ろから追突してきたスポーツカーの持ち主は逃亡して行方が分からない、と言います。警察としては全力で捜査したものの未だに手がかりがないそうです。

 さて、このストーリーを「お金の動き」という観点からみてみたいと思います。

 まず、A社、B社の営業マンはあなたに新車の売り込みをおこないました。両者ともあの手この手であなたに自社製品の魅力を訴えましたが、あなたはA社の車を選びました。もちろんB社の利益はゼロ(正確には営業マンの人件費がかかりますからマイナス)です。しかし、B社は「これまで説明した分のお金を払ってください」とは言いません。

 A社は営業マンの人件費を使いましたが新車が1台売れましたから販売した時点では利益がでています。ところが販売後すぐに車に欠陥があることが判明し、車はすぐに廃車となりました。A社は新車の購入代金全額にいくらかの見舞金を上乗せした金額をあなたに払い戻しました。

 X病院で、あなたは手術をすすめられました。簡単ではない、とは聞いていましたが、手術前より悪化するなどとは、そのような可能性もあるようなことを聞いた気もしますが、まさか自分に起こりうるとはまったく思っていませんでした。手術をして以前の状態より悪化したのにもかかわらず手術代は支払わなければなりません。また、Y病院では話を聞いただけですが、しっかりとお金を請求されました。

 警察は全力であなたに追突した犯人を捜していると言いますが、手がかりすら見つけられません。しかし「捜査をしているんだから代金を払ってください」と警察があなたに言うわけではありません。また、「犯人がみつかったら捜査代金を請求します」とも言いません。

 あなたはA社、B社、X病院、Y病院、警察の5者と、それぞれ(広い意味での)契約をおこなっています。しかし、A社は車に欠陥があったために全額を返金したのに対し、X病院は手術が上手くいかなかったのにもかかわらず返金がないどころか値引きもありません。これがなぜだか分かりますでしょうか。

 A社のように一般の商品を消費者に販売するときの契約は「欠陥がない商品を代金と引き換えに供給する」というのが前提になっています。要するに、「不良品があればすぐに交換または返金します」、というのが通常の商品売買の契約上のルールなのです。「どれだけ頑張っても欠陥品をゼロにはできません。だから欠陥品を買うことになっても目をつぶってくださいね」、という理屈は通用しないのです。

 一方、医療行為というのは、結果が保障される類のものではありません。薬には副作用がつきものですし、100%の確率で成功する手術などというのはありません。皮膚の小さなできものをとる簡単な手術でさえ、麻酔薬によるアレルギーや術後瘢痕のリスクがあります。分かりやすく言えば、医療機関に支払う代金というのは「検査や処置・手術などそのものに対する代金であって、結果は問われない」性質のものなのです。これを法的には準委託契約と言います。ただし、「結果は問われない」とは言え、診断や手術に不備や過失があった場合は当然のことながら責任が問われます。しかし、どこまでを過失とするか、というのは非常にむつかしく司法に委ねられることも少なくありません。

 また、医療機関では「説明を聞くだけ」でも代金が発生します。B社の営業マンから説明を何度聞いても無料だったのに対し、Y病院では一度の説明で支払いが発生しています。

 警察についてはどうでしょうか。今回のストーリーで警察は仕事をしたものの結果は何も残せていません。仕事をしていますから人件費は発生しているはずです。しかし警察からあなたに請求書が届くことはありません。警察の人件費やその他諸費用は税金で賄われているからです。

 ここからは私の私見になりますが、私は医療機関とは警察と同じような性質のものだと考えています。つまり、「普段はお世話にならない方がいい。けど困ったときに頼れるべき存在が警察や医療機関」、と考えるべきだと思うのです。消防署や自衛隊なども同じカテゴリーに入るでしょう。

 以前にも何度か述べたことがありますが、私は日本のすべての医療機関(病院もクリニックも含めて)は公的な機関になるべきだと考えています。そして医師や看護師は公僕(公務員)となるべきだと思うのです。そもそも、現在のように医療機関が一般の営利団体と同じように利益を出して税金を払わなければならない、というシステムには矛盾があります。

 我々医師は、病気やケガの患者さんに早く社会復帰してもらえるように治療をしているのです。しかし、実際には、たくさんの検査をして手術をして薬をだして入院させた方が医療機関の利益となってしまいます。それでも我々は、そのような矛盾を感じながらも、できるだけ検査や投薬を減らそうと努力しているのです。

 さらに私見を述べると、警察に相談しても無料であるのと同じように医療費も無料が理想だと考えています。しかし、そんなことは不可能ですし、医療費は年々増えています。「医療費はどのようにして削減すべきか」ということについては今回の趣旨から外れるためにここでは述べませんが、少なくとも現在のように「医療機関が患者数を増やせば増やすほど、そして検査や手術、投薬をおこなえばおこなうほど病院の利益が上がり、その結果医療費がさらに高騰する」、というシステムがおかしいということは広く社会に認識されるべきです。

 同時に、一般のサービス業(A社)と医療機関(X社)では、供給されるモノの性質がまったく異なるということが広く理解されることを望みます。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2013年6月21日 金曜日

第91回(2010年8月) 医師はどのような患者に対しネガティブな感情を抱くか

 以前、米国ジョンズ・ホプキンス大学の研究者が、医学誌『Journal of General Internal Medicine』2009年11月号で、「肥満患者は医師から丁寧に扱われていない」という研究を発表したことを紹介し、私個人の感想として、その研究結果が信じられない、ということを述べました。(メディカルエッセイ第82回(2009年11月) 「肥満患者が医師に丁寧に扱われていないというのは本当か」 )

 この研究では、患者のBMI(注1)が10増加するごとに、医師の患者に対する敬意が14%減少する、としています。「敬意が14%減少する」というのはよく分かりませんが、例えば身長170cmの人2人(AさんとBさん)が受診したとして、Aさんが57.8kg(BMI 20)、Bさんが86.7kg(BMI 30)とすると、BさんはAさんに比べて医師からの扱いが14%悪くなる、とこの論文では言っているわけです。

 肥満があるからといって、コミュニケーションが取りにくいわけではありませんし、医師や看護師に反抗的というわけでもありません。私には、この研究が言うように「体重で医師が患者を差別する」というようなことが到底あるようには思えないのです。

 この論文が発表されてから5ヶ月後、私の感覚どおり、というか、やはりこの研究を否定する論文が発表されました。医学誌『JAMA』2010年4月7日に、米国ペンシルベニア大学のVirginia W. Chang氏らの研究が報告され、この研究結果は、「医師の肥満患者に対する医療の質は、非肥満患者に対するものと比べて劣らない」、と結論づけられています。(下記注2参照)

 この研究は、メディケア(米国の高齢者向けの公的医療保険)加入の36,122人を対象とした1994~2006年の調査結果と、VHA(米国の退役軍人に対する医療保険)加入の33,550人を対象とした2003~2004年の調査結果を分析しています。

 その結果、肥満患者が非肥満患者に比べて、適切な医療サービスを受けていないとするエビデンス(科学的確証)は認められなかったとされています。むしろ、血液検査のいくつかの項目では、肥満患者の方が積極的に検査されており、ここだけを取り上げればむしろ、肥満患者の方が丁寧に診察されている、と言えるかもしれません。

 そうか、やっぱり私の感じていたことが正しかったんだ、一件落着・・・。といきたいところですが、この2つの論文をきっかけに、「では医師はどのような患者に対しネガティブな感情を抱くか」ということを考えてみました。

 まず、肥満患者に関してもう一度よく考えてみました。おしなべて言うと、私は太っている患者さんはむしろ接しやすいように感じています。特に、「やせたいんです・・・」と真剣に訴える人に対しては、「なんとか応援したい」とポジティブな感情が芽生えます。一緒に運動や食事療法について考えて、次の外来のときに「先生、2キロ痩せましたよ!」などと言われると、「医師をしていてよかった。感動を患者さんと分かち合えた!」と感じます。

 しかし、よくよく考えてみるとこの逆のパターンもあります。例えば、高血圧や高脂血症があり、薬よりも何よりもまずは体重を落とすことを優先すべき状態なのに、「今の体重が自分の標準なんや。なんで医者に、やせろ、なんて言われなあかんのや」、というようなことを実際に言う人もいます。こんなとき、私は安易に薬に頼るべきでないことを説明し、減量のメリットを何度も説明することを試みますが、初めから聞く気がない人にはまったく説得力がありません。この場合はけっこう疲れますし、ネガティブな印象を持ってしまうことは否定できません。しかし、このようなケースは例外的であり、少なくとも太融寺町谷口医院を受診される大半の患者さんは、(実際にできるかどうかは別にして)運動や食事の注意点を説明すると耳を傾けてくれます。

 さて、肥満以外にはどのようなケースがあるでしょうか。

 メディカルエッセイ第82回でも述べましたが、患者さんの症状とは関係のない特性で否定的な感情を持つことはありませんし、あってはならないと私は考えています。例えば、過去に犯罪歴があるとか、性的マイノリティだとか、国籍が異なるとか、そういったことでは一切の差別があってはならないのです。

 私が瞬間的にネガティブな感情を持ってしまうことがあるのは、「お金を払うんだから言うこと聞いてよ」、という態度の人です。言い換えれば「医療をサービス業と誤解している人」です。これについては、以前詳しく述べたことがあるので(メディカルエッセイ第68回2008年9月 「「医療はサービス業」という誤解」 )、ここでは繰り返しませんが、典型的な例を挙げると、

・お金を払うんだから、薬を処方してくれてもいいでしょ・・・
・お金を払うんだから、点滴をしてくれてもいいでしょ・・・
・お金を払うんだから、希望する検査をしてくれてもいいでしょ・・・

といったものです。

 つい最近も、ある検査をしてほしいという患者さんが来られました。問診の結果、その患者さんはその検査をする必要がないと私は判断しました。私は、なぜその検査が必要でないのかを説明し、少なくとも保険診療ではできない旨を伝えましたが、患者さんは納得されなかったようで、「検査してくれないならもういいです!」と怒って帰っていきました。私の説明にまずいところがあったとは思いますが、初めから「金を出すんだから希望の検査をしてくれ」という理屈は医療の性質に合わない、ということを理解してもらうのに苦労することがしばしばあります。

 もっとひどい(と我々医師は感じます)ケースもあります。これは私が経験した事例ではなく、ある医師から聞いた話です。

 あるクリニックに20代の女性患者さんが来院しました。その患者さんは、他覚的にはそれほど強い症状がないのですがいくつかの重篤な病気の可能性を考えていたそうです。そこで医師は問診と診察をおこない、それほど心配する必要はないこと、少なくとも現時点では検査や投薬も不要であることを伝えました。なかなか患者さんは納得しませんでしたが、20分以上時間をかけてようやく理解されたそうです。しかし、診察室を出て行くときに残した言葉が、「検査も薬もないんだから今日は無料ですよね」、だったそうです・・・。

 たしかに、サービス業であれば、商品の説明を聞くだけなら無料であることが普通だとは思いますが、医療はサービス業ではありません。そもそも、我々医師の仕事というのは、「いかに検査や投薬を減らすか」、ということに重きを置いているのです。ときどき、勘違いしているマスコミが、「病院の利益のために不必要な検査をおこなっている」、などと書き立てますが、こんなことはあり得ません。(不必要な手術をおこない死亡させたことが発覚した奈良県大和郡山市のY病院のような例も実際にありますが、これは例外中の例外です)

 また、サービス業であれば、通常クーリングオフという制度があります。商品を購入したものの、期待していたものと異なった場合、一定期間内であれば返品できるという制度です。医療行為の場合、もちろんこのようなシステムはないわけで、分かりやすい例を挙げれば、手術が成功しなかった場合でも治療費が値引きされるわけではありません。

 このように医療行為というのは、医師から話を聞くだけでもお金がかかり、病気が治らなかったとしても治ったときと同じ費用がかかります。つまり、サービス業とはまったく異なるのです。しかし、この違いは確かに医療者以外には分かりにくいかもしれません。

 次回はこのあたりをもう少し掘り下げてみたいと思います。

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注1:BMIとはボディ・マス・インデックスの略で、体重(キログラム)を身長(メートル)の2乗で割った数字です。体重88キログラム、身長2メートルの人なら、88÷2の2乗=88÷4=22となります。一般的には22~25くらいが標準とされています。

注2:この論文のタイトルは、「Quality of Care Among Obese Patients」で、下記のURLで概要を読むことができます。

http://jama.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=185629

参考:メディカルエッセイ
第82回(2009年11月) 「肥満患者が医師に丁寧に扱われていないというのは本当か」
第68回(2008年9月) 「「医療はサービス業」という誤解」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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