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2022年5月15日 日曜日

2022年5月16日 寝室が明るいと血糖値と心拍数が上昇する

 睡眠が健康に重要なのは疑いようがなく、少しでもいい睡眠が取れるようにできることは何でもしたいと考える人が大勢います。過去の医療ニュース「2021年2月28日 睡眠環境の見直しで人生が変わる」では緑の多い地域に住めばいい睡眠がとれるという研究を紹介しました。

 緑の多い地域に引っ越すのは大変ですが、今回紹介する方法は誰もが本日から実践できます。医学誌「Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS)」2022年3月14日号に「睡眠中に光に当たると心臓の機能が損なわれる(Light exposure during sleep impairs cardiometabolic function)」という論文が掲載されました。

 論文の結論は「照明を付けたまま睡眠をとると、インスリン抵抗性が亢進し(つまり血糖値が高くなり)、心拍数が高くなり、心拍変動が低下する(緊張状態が続く)」です。
 研究の対象者は20人の健康な若年成人で2晩施設に泊まってもらっています。10人ずつ2つのグループに分け、第1グループは2晩連続で3ルクスの暗い部屋で眠ってもらい、第2グループは最初の晩は第1グループと同様3ルクスの部屋で、翌晩は100ルクスの明るい部屋で眠ってもらい、その差が比較検討されました。

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 この研究が物語っているのは、人間は暗いところでリラックスできる(緊張状態が緩和され交感神経が落ち着く)ということです。就寝時には電気を消す(暗くする)べきなのは当然です。

 私は個人的には朝早く起きることを推奨していますが、谷口医院の患者さんのなかには「夜型人間(night person)」もいます。職業でいえば、作家や芸術家の人たちです。こういう人は自分のペースを維持すればいいと思いますが、日中の就寝時に暗くする工夫を促したいと思います。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2022年5月9日 月曜日

2022年5月 「社会のため」が偽善かどうかを見抜く鍵は「順番」

 前回のマンスリーレポートで私は、あさま山荘事件、さらにはオウム真理教も引き合いに出し、「社会のため」などと宣う者は、本当は社会や他人のことを考えているわけではなく、自分自身の強すぎる承認欲求を美辞麗句でカモフラージュしている偽善者ではないか、という私見を述べました。

 さらには、そういった罪を犯した者だけではなく、「社会のため」などという言葉を気軽に口にする政治家、経営者、あるいは医師たちも、本心でないきれいごとを言っているにすぎず、大半は偽善者ではないかという意見も付記しました。

 社会のため、あるいは、世のため人のため、といった言葉に嫌悪感を抱くのは私だけでしょうか。世の中の多くの人は、そういう言葉を聞いて「この人は立派だ」と思うのでしょうか。

 幸福学研究者の前野隆司さんの生い立ちを2022年4月11日の日経新聞が記事にしています。そのまま転記します。
 
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人の役に立ちたいという気持ちは持っていました。中学1年のとき、友達に「皆の役に立つために医者になりたい」と話すと、思わぬ反応が返ってきました。きれい事を言うやつとみなされ、「偽善者」とあだ名をつけられたのです。
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 その時代の前野隆司さんを私は存じ上げませんが(お会いしたことはなく今もよく存じませんが)、前野さんが幼少時からどれだけ人格者であったとしても「皆の役に立つために医者になりたい」という表現をとれば、やはり周囲からはいいようには思われないのではないでしょうか。

 では、すべての中学1年生が「将来は医者になりたい」と言って非難されるのかといえば、そういうわけではありません。前野さんのように偽善者と言われてしまう生徒と、そうは言われず、むしろ周囲から応援される生徒にはどのような違いがあるのでしょうか。

 私は20代前半の頃から稲盛和夫さんのファンで著作はほとんどすべて読んでいます。このサイトの過去のコラム「メディカルエッセイ第86回(2010年3月)動機善なりや、私心なかりしか」でも取り上げたことがあります。

 稲盛さんは、DDI(現在のKDDI)を設立されるとき次のような自問をされました。

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 私は自分の本心を確かめるため、毎晩ベッドに入る前に、「動機善なりや、私心なかりしか」と心の中で問いかけることにした。「世間に自分をよく見せたいというスタンドプレーではないか」、(中略)毎日自問自答を繰り返した結果、世のため人のために尽くしたいという純粋な志が微動だにしないことを確かめた私は、この事業に乗り出す決心をした。(『稲盛和夫のガキの自叙伝』日経ビジネス人文庫)
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 稲盛さんが自問された「世のため人のため……」という言葉に対して「偽善者」と言う人はいないでしょう。中学生時代の前野さんとはどこが違うのでしょうか。

 もう1つ例を挙げましょう。東日本大震災が起こってしばらくしてからのある日、谷口医院をかかりつけ医にしている40代のある男性が受診しました。精神的に不安定な男性で、谷口医院を受診している理由も精神疾患が中心です。仕事には就いておらず生活保護を受給しています。その男性が言ったのが次の言葉です。

 「震災の被害者たちが困ってるのに日本政府は何もしない。僕はさっき2万円寄付してきました。こんな国には希望が持てませんからこれからも毎月2万円の寄付をします……」

 男性は少しテンションが上がって興奮気味です。いかにも「いいことをしたでしょ」と言わんばかりの勢いです。この男性、偽善者ではないでしょうし、”いいこと”をしたのは事実でしょうが、生活保護を受給しているこの男性のこの言葉を万人が賞賛するわけではないでしょう。

 では、同じように見ず知らずの人のために尽力したいと考えた稲盛さんの言葉が美しいのに対して、生活保護を受給している男性の言葉が空しく聞こえるのはどこに違いがあるのでしょうか。

 私の答えは「順番」です。稲盛さんはカネもコネもほとんどないなかで京セラを立ち上げ、大きくし、社員を守りながら(京セラが従業員を大切にするのは有名)、その上で当時電話を独占支配していたNTTに立ち向かったのです。

 一方、生活保護受給の男性の発言を我々が素直に賞賛できないのは、「国を批判する前に、生活保護をもらっている自分のことを考えたら?」という気持ちが拭えないからです。

 では、前半で紹介した前野隆司さんの場合はどう考えればいいのでしょうか。おそらく周囲の生徒たちからは、「そんな大それたことを宣う前に、両親など自分がお世話になった人たちを幸せにしろよ」と思われたのではないでしょうか。あるいは、例えばクラスに障がい者がいたのならば、「皆の役に、などと言う前に近くにいる苦しんでいる仲間を助けることを考えろよ」との思いがあったのかもしれません。

 最近、何かの熱に受かされたように「ウクライナ人を助けよう!」と言い出している人たちに私が辟易としているのも同じ理由です。ウクライナの人たちが見聞きするのに耐えられないような状況に追い込まれているのは事実ですから「力になれることは何でもしたい」と考えることは理解できます。ですが、それならば、凄惨な事態となっているミャンマーにはなぜ見向きもしないのでしょうか。行き場をなくしたロヒンギャ難民のことはどう考えているのでしょうか。

 私がヨーロッパ人だとすればミャンマーよりもウクライナ人の力になろうと考えます。しかし私は日本人ですから、ミャンマー人には何もせずにウクライナ人を助けたいとは思えないのです。

 「ミャンマー(やロヒンギャ)について、メディアではウクライナほどの報道をしないからよく分からなかった。私はウクライナ人が悲惨な状態になっていることを知って純粋な気持ちから助けたいと思っただけ」という人も少なくないでしょう。ですが、それならば、「同じアジアの自分たちを無視して欧州人を優先する日本人」をミャンマーの人たちはどう感じるかについて、改めて思いを巡らせてほしいのです。

 そろそろ私見をまとめたいと思います。まず、「社会のため」「世のため人のため」などという言葉は安易に口にすべきではありません。そういったことを考えるのは自由ですが、言葉にするならば「それを言う資格があるか」を考えるべきです。

 「社会のため」よりも大切なのは「自分の身近な人たちのため」です。自分の周囲の人を蔑ろにして、あるいは自分自身が自律(自立ではない)できていないときに「社会のため」などと言い出しても、それは偽善にしか聞こえないのです。

 こう考えれば、あさま山荘事件の革命戦士たちも、オウム真理教の幹部たちも、あるいは実績が伴っていないのに「社会のため」などと宣う政治家たちも、その主張に説得力がない理由が見えてくるのではないでしょうか。

 コロナ流行以降、私が医師に幻滅しているのも、日ごろ診ている患者さんが発熱などで苦しんでいたときに「うちでは診られないから自分で受診先を探せ」と言って見放した医者があまりにも多かったからです。そのような医者には金輪際「患者さんのため」という言葉を使ってほしくありません。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2022年4月30日 土曜日

2022年4月30日 適切な睡眠時間で心房細動を予防

 心房細動というのは年齢と共に発症率が上昇する不整脈のひとつで、頻度は比較的高いものです。全年齢では日本人の1~2%ですが、年齢と共に増加し、70代で3%を超え、80代になると1割以上になると言われています。よく、「昔に比べて増えている」と言われるのは、時代と共に何か特別な出来事があったわけではなく、単に平均寿命が延びていることが最大の要因でしょう。

 心臓の病気の代表と呼べる虚血性心疾患(狭心症や心筋梗塞など)は、生活習慣病の1種と考えられています。ですから、肥満、喫煙、高血圧、糖尿病などがあればリスクは急上昇します。心房細動も、こういったものがリスクになるのですが、何の基礎疾患もない(年齢以外にリスクのない)人でも起こります。長嶋茂雄さんもその一人だと思います。

 心房細動になって最も困ること。それは、心臓の中で血の塊(血栓)ができて、それが脳の血管まで飛んでいき、脳の血管を詰まらせて脳梗塞を起こすことです。こうなると、よほど治療が迅速かつ的確におこなわれない限りは、多少なりとも後遺症を残します。私を含めて多くの医師は、この説明をする際に長嶋茂雄さんの話をさせてもらっています。

 よって、心房細動が見つかったならまったく何の症状もなかったとしても、脳梗塞を予防するために血栓溶解薬(血をサラサラにする薬)を飲みましょう、となるわけですが、この「決断」は簡単ではありません。なにしろ、そのような薬を飲むということは、今度は血が固まりにくくなるリスクが上昇するわけです。たいていのスポーツは慎まねばなりません。転倒して頭をうてば、それが重篤な脳出血を招くおそれがあります。

 これまで私が診てきた患者さんのなかにも、「現時点では血栓溶解薬は飲まない」という決断をしている人もいます。たしかに、心房細動があれば全員が脳梗塞を発症するわけではなく、そのリスクは年間5%程度と言われています。興味深いのは、「5%もあるのならすぐに(血栓溶解薬を)飲みます」と言う人もいれば、その逆に「その程度ならもう少し様子をみます」と答える人もいることです。

 さて、前置きが長くなりましたが、今回お伝えしたいのは「長すぎても短すぎてもダメで、適切な睡眠時間(6~8時間)が最も心房細動のリスクが低い」という研究です。この研究は「吹田研究」と呼ばれる、国立循環器病研究センターが実施した大阪府吹田市民を対象とした、主に循環器疾患に関する調査を解析したものです。医学誌「EPMA Journal」2022年2月26日に「予測医療、予防医療、個別化医療の文脈における睡眠時間と心房細動のリスク:吹田研究と前向きコホート研究のメタアナリシス(Sleep duration and atrial fibrillation risk in the context of predictive, preventive, and personalized medicine: the Suita Study and meta-analysis of prospective cohort studies)」というタイトルで掲載されています。

 対象とされたのは吹田研究に参加した30~84歳の、それまでに心房細動を発症したことのない6,898人(男性3,244人、女性3,653人)で、追跡期間中(中央値14.5年)にどれだけの人が心房細動を発症するかが調べられ、さらに、睡眠時間との相関関係が検討されました。対象者は睡眠時間で次のように分類されました。

#1 6時間以下(短時間群)
#2 6~8時間未満(標準群)
#3 8時間以上(長時間群)
#4 不規則(不規則群)
 
 追跡期間中に合計313人(対象者の4.5%)が新たに心房細動を発症しました。#2標準群の6~8時間を基準とすると、#1の短時間群で発症リスクが1.36倍上昇、#4の不規則群では1.62倍上昇していました。#3の長時間群も数字の上ではリスクが上昇していたのですが、有意差は認められていません。

 しかし、年間人口千人あたり何人が心房細動を発症するかを解析すると、#2の標準群では2.53人なのに対し、#1は3.11人、#4は6.70人、#3も3.97人と高くなっています。

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 過去にも述べたように、私自身が睡眠に関してはかなりの期間無関心で(というよりも、むしろショートスリーパーであることを誇りに思っていたほどで)、40歳を超えるまではまともな睡眠をとっておらず、今では後悔しています。

 この社会で生きていく以上、ある程度は睡眠は不規則になりますが、それでも規則的な生活、適度な睡眠時間(6~8時間)が大切であることは忘れてはいけないと自分自身をも戒めています。

医療ニュース
2017年8月31日 長時間労働で心房細動発症のリスクが大幅上昇
2021年11月25日 ω3系脂肪酸は心房細動のリスク
2015年7月31日 運動は心房細動のリスクを上げる?下げる?

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2022年4月21日 木曜日

第224回(2022年4月) 酒さの治療が変わります!

 比較的よくある(皮膚の)病気なのに、その名前があまり知られておらず、患者さんのいくらかは行き場をなくしているのが「酒さ(しゅさ)」です。

 太融寺町谷口医院(以下、谷口医院)にも、コロナ禍以降はやや減少していますが、それでも「酒さを治してください」と言ってやって来られる初診の患者さんが月に何人かはいます。しかも、かなりの遠方から来られる人もいます。

 また、これまで「誤診」されていたケースも目立ちます。皮膚科専門医や(私のように)皮膚科でトレーニングを受けている医師にとっては、一目で診断がつく、よくある病気(common disease)のひとつなのに、「顔が赤くなって、いろいろと受診したけれど全然治らずに、これまで酒さと言われたことは一度もない」と言う人もいます。

 医師は「前医を悪く言ってはいけない」というルールが我々の世界にはあるのですが、前医では漠然とステロイドを長期間処方されていたというケースもあって、対応に困ることもしばしばあります。そのステロイドのせいで余計に悪くなっていることもよくあります。ちなみに、誤診されている疾患の第1位は脂漏性皮膚炎(酒さが正しいのに脂漏性皮膚炎と言われていた)、第2位はアトピー性皮膚炎です。

 その酒さの治療が変わります(治療の幅が広がります)、ということを今回は述べたいのですが、先に酒さの基本的な事項をまとめておきましょう。尚、文脈によっては「酒さ」と「酒さ様皮膚炎」を区別しますが、ここでは双方を「酒さ」と呼ぶこととします。

 酒さの定義は「顔面に生じる原因不明の慢性炎症性疾患」です。通常、痛みや痒みは伴いません。顔以外に広がることもありません。では、何が問題なのか。「見た目」です。しかも、「ある日突然」とまで言うと言い過ぎかもしれませんが、それまで何の問題もなかった自慢の白く透き通るような肌が見ている間に真っ赤に腫れていく、ということもあります。そうなると、外出さえ憚られ、精神的に落ちていく人も少なくありません。

 人は見た目じゃない、という言葉がありますが、そんなことはありません。人間「見た目」はとても重要です。顔が赤くなることを気にするのは女性だけでは?という人がいますが、谷口医院の患者さんで言えば性別の区別はありません。男性も「見た目」を女性と同様、あるいは女性以上に気にします。というより、このような問題に性差はありません。

 話を進めましょう。なぜ酒さが起こるのか。谷口医院の患者さんで言えば、最も多いのが「ステロイドの不適切使用」です。ステロイドを顔に塗らなければならないことはもちろんあるのですが、外用してもいいのは(程度にもよりますが)せいぜい数日以内です。原則として1週間以上塗り続けることはありません。というより、そのようなことをしてはいけません。

 にもかかわらず、このような”タブー”を侵犯している人が少なくないのです。ステロイドはいろんなものがありますが、私の経験で最も多いのが「ロコイド」というステロイドで、患者さんのなかには「前の病院で、『これは顔用のステロイドだからいくら塗ってもいい』と言われた」と言う人がいて驚かされます。実際には医師はそんなことを言っていないとは思うのですが、患者さんがそう解釈しているのは事実です。

 このコラムで、特定の商品名を取り上げて悪口を書くのは問題かもしれません。ですが、あまりにも「ロコイドのせいで……」と言う人が多いのです。一度、ロコイドを発売している製薬会社のMR(営業担当者)にも聞いてみたことがあります。「当社では長期間の使用を控えるように案内しています。先生(私のこと)の言うように数日以内の使用にしなければならないと考えています」と言われました。ただし、念のために付記しておくと、私は「ロコイドが悪い」と言っているわけではなく、たしかに2-3日間、(もちろん酒さでない患者さんに対し)顔面に塗ってもらうこともあります。とてもいい薬剤であることを再度強調しておきます。

 ステロイドの話はまだ続きます。顔面に塗ったステロイドで酒さが誘発、という以外にステロイドの内服や注射が原因になっている(と思われる)ことがあります。これは、たいていの場合、証明することまではできないのですが、谷口医院の患者さんで言えば、数年前にステロイドを飲んでいた、あるいは注射をしていた、という人がけっこう多いのです。もちろん、一律にステロイド内服・注射が悪いといっているわけではありません。それらは必要だったから使われたのでしょう。ですが、個人輸入で入手して自分の判断で内服したり、やってはいけないとされている花粉症へのステロイド注射を受けたりして、酒さを起こした人をみると、「先に相談してくれればよかったのに……」と思わずにはいられません。

 ステロイド以外で明らかな酒さの原因は「紫外線」です。中学・高校と紫外線に当たる環境にいて、30歳を過ぎてから酒さを発症というケースがよくあります。「10年以上前の紫外線曝露が原因となぜ断定できるのか」と問われれば、たしかに証拠は示せないのですが、こういうケースがあまりにも多いのです。

 その他の要因としては「ピロリ菌の感染」があり、たしかにピロリ菌の除菌をおこなうと劇的に改善する人もいます。ですが、一方でまったく変わらない人もいるために、酒さの治療目的のみで除菌をすべきかどうかはよく検討してからになります(ちなみに、谷口医院ではピロリ菌陽性でも無症状であれば除菌を選択しない患者さんも少なくありません)。

 考えられる原因は他にもありますが、話を「治療」に進めましょう。現在、世界的に最も使用されている薬はメトロニダゾールという外用薬で、商品名を「ロゼックス」と言います。酒さは英語でrosacea(無理やりカタカナにすると「ロゼイシア」が近いと思います)と言います。名前が似ていることからも分かるように、この薬は様々な用途で用いるのですが酒さをメインのターゲットにした薬です。

 しかし、このロゼックス、日本ではこれまで褥瘡(とこずれ)に対してはできたものの、酒さに対しては保険適用がなく処方できませんでした。「ロゼックスだけ自費でください」と言われることもあるのですが、診察代を保険にすると混合診療となってしまいます。すべてを自費とするとかなりの高額になってしまうため、自費での処方も(酒さだけで受診している人にとっては)現実的ではなかったのです。

 そして最近になって、ようやくこのロゼックスが酒さに対して保険で処方できることが決まりました。谷口医院ではすぐにでも処方できる準備が整っているのですが、現時点(2022年4月20日時点)ではまだ保険処方のゴーサインが厚労省から出ていません。ただ、近日中には出されるはずですので、そこからは全国的に「酒さの治療はまずロゼックス」となることは間違いありません。

 これまで「どこでも診てもらえなかった」という患者さんは激減、というより皆無になるでしょう。酒さがよくある病気(common disease)のひとつとして認識され、またロゼックスはそれなりによく効きますから「見た目」で苦しむ人が減少するでしょう。

 とはいえ、ロゼックスだけでは完全に治らない(ロゼックスが効く場合も、中止するとたいていは悪化します)人もいますから、「ロゼックスさえあれば何も怖くない」という単純な話ではありません。

 やはり慢性疾患の酒さには長期的な対策が必要です。かかりつけ医(または皮膚科専門医)に相談するようにしましょう。

参考:
医療プレミア2017年7月9日「酒さもじんましんもピロリ菌除菌で改善?」
(無料で読めます)

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2022年4月10日 日曜日

2022年4月10日 日本人の薬物乱用頭痛の実態

 「あなたは薬物乱用頭痛です」などと言うと、たいていの患者さんは驚くか、ムッとするために私自身はあまりこの言葉を使わないのですが、「薬物乱用頭痛」はかなり多い頭痛です。

 この病気に誤解が多いのは「薬物乱用」という表現が入っているからで、あたかも「違法薬物のユーザー」と言われたような印象を持ってしまうからでしょう。薬物乱用頭痛の「薬物」とは違法薬物ではなく、処方された鎮痛薬や市販の鎮痛薬を飲み過ぎたことによって生じる頭痛のことです。

 ただし、麻薬(オピオイド)の摂取のし過ぎでも起こり得るので、その場合はたしかに「違法薬物による薬物乱用頭痛」ということになります。とはいえ、日本では大麻や覚醒剤に比べると麻薬はほとんど出回っていませんから、日本人では麻薬という違法薬物による薬物乱用頭痛は極めて稀だと思います。

 このように誤解が多いために、私は以前から薬物乱用頭痛でなく「鎮痛薬乱用頭痛」と呼ぶことを(勝手に)提唱しているのですが、誰も話を聞いてくれないので、診察室では「痛み止めを飲み過ぎて起こる頭痛」と、そのままの病名を告知しています。最近は英語のMedication Overuse Headacheの頭文字をとった「MOH」が使われることもありますが、まだまだ人口に膾炙しているとはいえません。とはいえ、病名を決めないと話が前に進まないので、ここからはMOHとします。

 太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)の患者さんで言えば、最も多い頭痛は「初診時の訴えが頭痛の人」のランキングで言えば片頭痛が第1位です。一方、患者さん全体でいえば筋緊張性頭痛が第1位となります。これは、筋緊張性頭痛は軽症であることから、わざわざこの目的で受診する人が少ないからで、何度か(別のことで)受診している間に頭痛の相談もされるようになります。

 さて、MOH(ここからは薬物乱用頭痛とは呼びません)について。谷口医院の患者さん全体では1位の筋緊張性頭痛、2位の片頭痛に次いで第3位です。けっこう多いのです。男女比は2:8くらいで圧倒的に女性が多いのが特徴、年齢は10代から80代まで様々です。

 医学誌「Neurological Sciences」2022年1月19日号に「糸魚川市における薬物乱用頭痛の有病率に関するアンケート調査(Questionnaire-based survey on the prevalence of medication-overuse headache in Japanese one city – Itoigawa study)」という論文が掲載されました。新潟県糸魚川市でMOHに関するアンケート調査が実施されたのです。

 対象者は糸魚川市の15~64歳の住民5,865人。MOHの定義としては、「1ヵ月当たり15回以上の頭痛及び過去3ヵ月間で1ヵ月当たり10日または15日以上の鎮痛薬の使用」とされました。

 結果は次の通りです。

・MOHの有病率は2.32%(136人/5,865人)
・女性が80.8%
・年齢層で最多が40~44歳で5.28%
・乱用されていたのは市販(OTC)の鎮痛薬及び処方薬で、処方薬はロキソプロフェンとアセトアミノフェンが多かった。
・頭痛の予防薬を使用していたのは7.35%のみだった。

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 8割が女性というのは、谷口医院での実態とピッタリ一致します。論文からは市販の鎮痛薬の名称が分からないのですが、谷口医院の患者さんで言えば圧倒的に多いのが「イブ」「リングルアイビー」「バファリンルナ」、そして、悪名高き「ナロンエース」など、イブプロフェンを主成分とする鎮痛薬です。

 MOHでよくある誤解を2つ紹介しておきます。1つは「アセトアミノフェンは副作用が少ない」という誤解です。たしかに、カロナールを代表とするアセトアミノフェンは妊娠中の女性にも、新生児にも使うことがあり、さらに胃腸や腎臓への副作用が少ないことからイブプロフェンやロキソプロフェンに比べると安全な鎮痛薬といえます。ですが、MOHは比較的簡単に起こりえます。

 もう1つは「トリプタン製剤ならMOHが起こらない」という誤解です。ときどき「MOHが怖いからトリプタン製剤を使いたい」と言う人がいますが、トリプタン製剤でもMOHは起こります。ただ、トリプタン製剤は月あたりの処方量が保険診療のルール上制限されているために、入手しようと思っても(ドクターショッピングをしない限りは)困難で、実際にはあまり多くありません。

 MOHを疑ったときは、というより鎮痛薬の使用が増えてきているのなら早めにかかりつけ医に相談しましょう。場合によっては予防薬の検討が必要かもしれません。

 最後に、日本人の頭痛に関する最も重要な問題を改めて強調しておきます。それは「ブロモバレリル尿素には絶対に手を出してはいけない」ということです。(麻薬を除けば)すべての鎮痛薬で最も依存しやすいのがこの劇薬です。処方薬でこんな危険な薬剤は存在しませんが、薬局では簡単に手に入ります。その代表が「ナロンエース」なのです。

参考:
日経メディカル:谷口恭の「梅田のGPがどうしても伝えたいこと」2020年6月30日
「悪名高いOTC鎮痛薬、販売継続の謎」
メディカルエッセイ第97回(2011年2月)「鎮痛剤を上手に使う方法」

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2022年4月10日 日曜日

2022年4月 「社会のため」なんてほとんどが偽善では?

 1995年、オウム真理教が一連のおぞましい事件を起こしたとき、メディアのプレゼンテーターや知識人たちは「最初は世の中をよくしようと考えていた真面目な若者が……」という論調で語っていました。私には、その言葉に何かひっかかるものがあり、それは今も続いています。

 オウム真理教の話題でよく引き合いに出されるのが60年代から70年代にかけての左翼活動、なかでも「よど号ハイジャック事件」と共に頻繁に取り上げられるのが「あさま山荘事件」です。

 1972年2月、軽井沢にて日本の歴史に残るその凄惨たる事件が起こりました。今年の2月で事件発生から50年が経過したこともあり、この事件を振り返った記事を掲載したメディアがいくつかありました。今回のマンスリーレポートはそのあさま山荘事件を取り上げ、私見をふんだんに取り入れながら人間の心理を紐解くことに挑戦してみたいと思います。

 あさま山荘事件がどのようなものなのか、私がはっきりと把握したのは18歳、大学に入学した直後です。事件が起こったのは1972年ですから68年生まれの私にとってはまだ4歳になっていない頃で、リアルタイムでの記憶はありません。ですが、若者が仲間を殺し合うという凄まじい事件であり、機動隊が現場に踏み込むときの視聴率は90%もあったのですから、その後、繰り返し取り上げられ大勢の人が話題にしていてもおかしくありません。

 にもかかわらず、ぼんやりとしか私が理解していなかったのは、おそらく学校の先生も含めて周囲の大人たちが口を閉ざしていたからではないかと思います。単に、子供に殺人の話をするべきでないという道徳的な配慮というよりも、触れてはいけないタブーのような雰囲気があったのではないでしょうか。

 社会をよくしたいという思想を持った若者が徒党を組み、やがて集団リンチで仲間を次々と殺した、というこの事件に対し、当時18歳で大学生になったばかりの私はとても惹き付けられました。2ヶ月の間で12人もが殺されたのです。しかし、一連の学生運動についてうまくまとめられた書籍は見つからず、断片的な知識は得られるものの、結局よく理解できないまま月日が過ぎていきました。

 それから15年後の2002年、『突入せよ! あさま山荘事件』という映画が公開されました。研修医になったばかりだった私は日曜日のある日、病棟業務を終わらせてから大学病院のすぐ横にある映画館に公開されて間もないこの映画を見に行きました。映画でなら当時の時代背景も含めて全貌が理解できると考えたのです。

 結論から言えばこの映画は期待外れでした。なにしろ、主人公が警察の人間ですから、なぜ理想を抱いた若者たちが仲間殺しに向かったのかがまるで理解できないのです。事件を起こした若者たちはたしかに罪人ですが、この事件で(私にとって)大切なのは、人質を盾に籠城した犯人を追い詰める警察の奮闘ではなく、理想に燃えた若者がなぜ仲間を次々に殺していったのかを解明することです。

 そして、その6年後の2008年、ついに私が待ち望んでいたこの事件の全貌を解明した映画が公開されました。若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』です。これほど衝撃を受けた映画は私は他にはありません。ならば、生涯に観た映画トップテンに入るか、と問われればそれは答えにくく、もう一度この映画を観るには相応の勇気が必要です。

 この映画を観てからしばらくは「総括」とか「自己批判」といった言葉をたまたま見聞きすると、それだけで「思い出したくないシーン」が頭のなかに蘇り、吐き気と動悸がしたほどです。ともあれ、あさま山荘事件について何の知識もない人がいたとしても、私はこの映画を一度は観ることを強く勧めたいと思っています。

 この映画の主役、そしてこの事件そのものの最重要人物が誰になるのかは見方によって変わるでしょうが、永田洋子は外せないでしょう。「革命左派」のリーダーだった永田については過去に複数の書籍が発行されていて、私は何冊か手に取ったことがあります。永田自身が書いた書籍もあったと記憶しています。

 私がこの映画を観る前に抱いていた永田のイメージと映画の永田はほとんど一致していました。美しさからはほど遠く(実際、「美しくない」という理由で好意を持っていた左翼の男性に交際を拒絶されます)、実力者には盲目的に従う一面があり、革命左派の当時の実力者からレイプされています。

 永田は少なくとも大学生の頃には理想の社会を求め、それを追求していました。だからこそ、「自己批判」を繰り返し、さらに「相互批判」を重ねたわけです。理想を求めるが故に、美しく男性からちやほやされていた仲間の遠山美枝子に対し「革命に化粧も長い髪も必要ない」と忠告し、自分で自分の顔面を殴らせ、丸刈りにし、そして他の仲間に死ぬまで暴行を加えさせたのです。

 逮捕から10年後の1982年、永田には死刑が宣告されました。「自己顕示欲が旺盛で、感情的、攻撃的な性格とともに強い猜疑心、嫉妬心を有し、女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味が加わり、その資質に幾多の問題を有していた」というのが裁判官の読み上げた言葉です。「女性特有の…」という表現は今なら大きな問題になるでしょうが、82年当時は許されていたのでしょう。

 この言葉だけを取り出すと、大柄で冷酷な犯罪者のイメージが浮かび上がるかもしれませんが、実際に永田に面会に行った人の話では(随分前に、女性のジャーナリストだったか作家だったかが、面会に行った様子をどこかに書いていたのを読んだのですが詳しいことは忘れてしまいました)、小柄で声も小さく大人しい印象しかなく、このか弱き女性があのような事件の主犯格だとは到底思えなかったそうです。

 では、最初は理想の社会をつくることに情熱をもっていた永田を変えたのは何なのか。私はこのことについて18歳の頃からもう35年も考え続けています。オウム真理教の事件が起こったときにも考えました。オウムの幹部たちは優秀な大学に入学し、社会を理想に近づけることを目指したのになぜ道を踏み外したのか。

 当時のメディアは「麻原彰晃という悪魔に洗脳されたのだ」というようなことを言っていましたが、私はそうは感じませんでした。テレビによく登場していた一部のオウム幹部は視聴者から人気がありましたが、私は上から目線のその話し方に不快なものを感じていました。
 
 その後私はいろんな経験をしました。医師になってからも「社会のため」「正義のため」に活動しているという人の話も聞きました。コロナ禍となり「社会のために……」などと宣う人たちもいます。

 永田洋子を初めとする革命左派や連合赤軍の”戦士”たち、地下鉄サリン事件など一連のオウム事件の犯人たち、さらには現在「社会のために」という言葉を口にしている人たちのいくらかが共通して持っているもの、それは「自分が正しいということを他人に認めさせたいという欲求」、一言で言えば「強すぎる承認欲求」ではないでしょうか。

 「社会のために」「社会を良くしたい」といった言葉は、一見すると正しくてきれいに聞こえます。しかし本当は、自分を認めさせたいという身勝手な欲望をこういったきれいな言葉でカモフラージュしているだけではないでしょうか。と、いつの頃からか思うようになりました。

 しかし、私のこの仮説が正しいとすると、多くの政治家は承認欲求の強い偽善者ということになってしまいますし、きれいごとを言うのが好きな経営者、さらには「患者さんのために」などと大衆の前で宣っている医師も同じ穴のムジナとなるでしょう。

 おそらく真相はもっと複雑であり、別の視点からも考えていかなくてはなりません。ですが、私がこの仮説を考えるようになってから「社会のため」という言葉を聞くと、うさん臭さを拭えなくなったというのが正直な気持ちです。スポーツ選手や何らかの努力をしているタレントがよく言う「みなさんのために頑張ります」という言葉にも嫌悪感を抱くようになりました。「社会のため、みなさんのためではなく、あんたが目立ちたいから、あるいはええかっこがしたいからそんなきれいごとを言ってるだけやろ」と思ってしまうのです。

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2022年3月27日 日曜日

2022年3月27日 片頭痛はやはり認知症のリスク

 片頭痛が認知症のリスクであることはもはや「確定」と言えそうです。

 過去の医療ニュース「2021年11月8日 片頭痛は認知症のリスク」でも述べたように、片頭痛が認知症のリスクであることが大規模調査ではっきりとしました。今回、新たに大規模調査がおこなわれ、やはり片頭痛が認知症のリスクであるという結果となりましたので報告しておきます。尚、片頭痛は脳梗塞のリスクであることもすでにはっきりとしています。

 医学誌「Aging Clinical and Experimental Research」2022年1月31日号に掲載された論文「片頭痛と認知症のリスク:メタアナリシスと系統的レビュー (Migraine and the risk of dementia: a meta-analysis and systematic review)」を紹介します。

 この研究も、過去に発表された質が高い9つの研究を総合的にまとめなおしたメタアナリシスという方法がとられています。9つの研究のうち、7つはコホート研究(前向き研究)と呼ばれる研究です。”まだ”認知症を発症していない片頭痛のある人とない人を追跡した研究です。9つのうち2つはケースコントロール研究(後ろ向き研究)と呼ばれる方法で、”すでに”認知症を発症している人が片頭痛があったかなかったかが調べられています。

 研究の全対象者は291,549人で、結果は「片頭痛があれば認知症のリスクが33%上昇する」というものです。

 興味深いことに、血管性認知症のリスクが85%上昇していた、という結果も出ています。

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 冒頭で紹介した医療ニュースで取り上げた研究では「片頭痛があれば認知症のリスクが34%上昇する」でしたから、ほぼ同じ結果となっていることは注目に値します。

 もうひとつ注目すべき点があります。それはその過去に紹介した研究では「アルツハイマー病のリスクが2.49倍も上昇するが、血管性認知症のリスクは上昇させない」だったのに対し、今回の研究では「血管性認知症のリスクを85%も上げる」とされている点です。

 いずれにしても、現在片頭痛を持っている人は注意した方がいいでしょう。注意すべきは2つ。1つは、「片頭痛の治療、というよりも予防をしっかりとおこなうこと」。もう1つは「脳梗塞や認知症の片頭痛以外のリスクを取り除くこと」です。つまり、規則正しい生活をして、禁煙して、太らないように注意し、運動を積極的におこない、知的な生活をして、社交も大切にする、といったようなことが大切というわけです。

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2022年3月20日 日曜日

2022年3月20日 ADHDには濃いコーヒーが有効かも

 「発達障害ブーム」あるいは「発達障害バブル」と呼んでもいいかもしれませんが、患者さんから「私は発達障害でしょうか」という訴えを10年ほど前からよく聞くようになり、一向に減りません。発達障害の分類については、いろいろと変更があったり、医療の範疇を離れた考えが世間で大きく広がったりして、いまだまとまっているとは言えませんが、「ADHD型とアスペルガー型がある」と考えている人が多いような印象があります。

 そのADHD(注意欠陥多動性障害)にカフェインが有効かもしれない、という研究を紹介したいと思います。

 医学誌「Nutrients」2022年2月号に掲載された論文「カフェインによるADHDの治療:動物研究の系統的レビュー (Effects of Caffeine Consumption on Attention Deficit Hyperactivity Disorder (ADHD) Treatment: A Systematic Review of Animal Studies)」に掲載された研究です。

 論文のタイトルからわかるように、この研究は動物実験を対象としています。ですが、これまで発表された複数の研究をまとめなおした系統的レビューですから、エビデンスのレベルはまったく低いわけではありません。

 結果は、カフェイン摂取により、注意力が上昇し、学習、記憶、嗅覚の識別が向上することが分かりました。しかも血圧も体重も変化していませんでした。また、この結果は神経学的に理にかなったものです。

 ただし、多動性と衝動性に関するカフェインの効果は一定していません(つまり、有効とする研究と無効とする研究があるという意味です)。

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 動物実験レベルの研究をそのまま鵜呑みにするわけにはいきませんが、適量で度を越さなければADHDの人(または疑っている人)がカフェインを試すのはいいかもしれません。そもそも、ADHDにはメチルフェニデートが有効であることが分かっていますから、似たような作用のあるカフェインが有効なのは頷けます。

 メチルフェニデートは覚醒剤類似物質で、商品名で言えばコンサータが該当します。連日内服すれば依存症にもなり得る危険な薬で安易に服用すべきではありません。また、メチルフェニデート以外のADHDの薬も長期服用は危険性が伴うと考えた方がいいでしょう。

 カフェインも大量摂取は危険であり依存性もありますが、自制の効かないものではありません。そういう意味では、今後カフェインがADHDに対する比較的安全で長期使用が可能な”薬”となるかもしれません。

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2022年3月20日 日曜日

第223回(2022年3月) GLP-1ダイエットが危険な理由

 「GLP-1ダイエット」が大流行しています。薬剤を使ったダイエットがかつてこれほど流行ったことはおそらくありません。そして、有効性が高く、また安全性も”一応は”高いのです。実際、有効性・安全性に関したエビデンス(医学的確証)も集まってきています。

 しかし、このダイエットを批判する声も次第に強くなってきています。後述するように日本医師会の副会長はかなり厳しい言葉を使ってこのダイエットを非難しています。では、「やせたい」と考えている人は今後このダイエット法を実践してもいいのでしょうか。今回は、GLP-1ダイエットの有効性と危険性をまとめてみたいと思います。

 まずは歴史と作用機序を簡単に振り返っておきます。

 GLP-1は消化管(胃腸)から分泌されるホルモンの名前で、発見されたのは比較的新しく1983年です。炭水化物を摂取すると分泌され、膵臓のランゲルハンス島β細胞に作用してインスリンを分泌。その結果、血糖値が下がります。ですからGLP-1がきちんと分泌されていれば糖尿病を防ぐことができます。

 「GLP-1ダイエット」と呼ばれていますが、この表現は正確ではありません。なぜならGLP-1とは上述したように、ヒトが分泌するホルモンの名前だからです。「GLP-1ダイエット」という言葉のなかの「GLP-1」は正確には「GLP-1受容体作動薬」を指します。つまり、GLP-1と同じように作用する薬の名前が「GLP-1受容体作動薬」であり、元々この薬は「インスリンを分泌する」わけですから糖尿病の薬です。というより、今も糖尿病の薬です。

 しかし、単にインスリンを分泌するだけではなく、GLP-1作動薬には食欲抑制効果があります。さらに、中性脂肪が吸収されるのを防ぐ効果もあります。さらに……、という説明を続けると難しくなってきますから、これ以上の説明はやめておきます。ここまでをまとめると、「GLP-1作動薬は糖尿病の薬でインスリン分泌を促す。食欲も低下するからダイエットにつながる。正確にはこのダイエットは、<GLP-1受容体作動薬を使って食欲低下をもたらせるダイエット>とでも言うべきだが、一般に<GLP-1ダイエット>という名前で呼ばれている」ということになります。ここからは「GLP-1ダイエット」で通します。

 さて、実際にGLP-1ダイエットはどれくらいの人が成功するのでしょうか。これには複数の信頼性の高い研究があります。ここでは比較的最近発表された論文を紹介しておきます。

 医学誌「BMJ Open Diabetes Research & Care」2022年1月号に掲載された論文「GLP-1受容体作動薬を用いた英国の2型糖尿病患者の体重変化、服薬遵守、中止について(Real-world weight change, adherence, and discontinuation among patients with type 2 diabetes initiating glucagon-like peptide-1 receptor agonists in the UK)」です。

 研究の対象者は589人。56.4%が女性で、年齢の中央値は54歳。BMI(体重(kg)の2乗/身長(cm))の中央値は41.2(身長170cmなら119kg)です。GLP-1ダイエットを開始し、1年間が経過した時点で「5%以上の減量」を達成したのは3人に1人(33.4%)、2年が経過した時点では43.5%でした。

 1年続ければ3人に1人以上が、2年続ければ4割以上が「5%以上の減量」に成功、しかも重篤な副作用がほとんどなし、というのですからこれはかつてない有用なダイエット法です。実際、海外ではすでに大勢の肥満の人たちがこの薬の恩恵にあずかり、減量に成功しているのです。

 では、このダイエットの何が問題なのでしょう。1つは「現時点で保険適用がない」ことです。GLP-1受容体作動薬は非常に高価な薬です。例えば自己注射型のビクトーザは標準的な使用量では1回0.9mgを1日1回注射します。注射剤は1本18mgで薬価は10,359円(税抜き)です。ということは1本で20日分、費用は少なくとも15,000円くらいにはなるでしょう。尚、注射型のGLP-1受容体作動薬は、ビクトーザの他に、バイエッタ(1日2回)、リキスミア(1日1回)、トルリシティ(週1回)、ビデュリオン(週1回、2022年2月販売中止)、オゼンピック(週1回)、サクセンダ(1日1回)(日本未発売で輸入品のみ、ビクトーザと同じもの)(いずれも商品名)があります。

 GLP-1受容体作動薬には飲み薬も1つだけあります。リベルサス(商品名)という内服薬で、標準的な使い方は1日1錠(7mg)で、薬価は1錠334.2円(税抜き)です。自費で購入するには最低でも1錠500円くらいにはなるでしょう。

 つまり、注射にしても内服にしても最低でも月に15,000円くらいはかかるのです。ただ、「この程度の値段ならやってみたい」と考える人も少なくないでしょう。今までどんな方法でも成功しなかったダイエットが、月に15,000円でかなり高い効果が期待できて、安全性も問題ないのなら始めたいという人は大勢いるに違いありません。

 では、費用を納得して始めることの何が問題なのでしょうか。

 2022年3月2日、日本医師会の今村聡副会長が記者会見を行い、GLP-1ダイエットを実施している医療機関が増加していることを問題視しました。同副会長は「医の倫理に反する」という言葉を使い、さらに「医師が医療機関の名の下に、このような状態に関与していることは同じ医師として大変遺憾に感じている」と憤りを隠さなかったと報道されています。

 実は、今村副会長は2020年6月にも同じような記者会見を開き、これは医師会のウェブサイトにも掲載されています。このときにもやはり「医の倫理に反する」と同じ表現を使っています。

 「医の倫理に反する」というこの言葉、かなりきつい表現です。これを言われた側は、「もうお前は医師じゃない」と宣告されたようなものです。では、なぜ医師会の副会長がこれほどまで尋常でない言葉を使って非難するのでしょうか。それは、一部の医療機関が金儲け主義に走っているからです。いまや美容外科のクリニックはほぼ例外なくGLP-1ダイエットに手を出しているといっていいでしょう。さらに、一部の糖尿病専門医も手を出しているようで(と、太融寺町谷口医院の患者さんが話していました。大阪にあるようです)、今村副会長の面目は丸つぶれです。

 しかし、「医療機関が金儲けをしようがやせたい患者も幸せになれるのならそれでいいではないか」という意見もあります。もしもあなたがこのように感じたとすれば、実際の患者さん(というよりは”被害者”と呼んだ方がいいでしょう)を見れば必ず考えが変わります。

 谷口医院に花粉症の治療目的でやってきたある初診の患者さん(30代女性)が美容クリニックでGLP-1ダイエットの処方を受けていることが分かりました。しかし、この女性、肥満どころか異常なほどやせています。ピンときたために詳しく問診してみると、案の定でした。この女性、重度の摂食障害(拒食症)があり、もともと標準体重よりも少ないのです。そこにGLP-1ダイエットを始めたために病的なやせ方をしています。ですが、本人はそれでもまだ太っていると思い込み、さらなる減量を目指すためにGLP-1ダイエットはやめられないと言います。

 今に始まったことではありませんが、一部の美容クリニックはもう無茶苦茶です。「医の倫理」など考えたこともないに違いありません。

 医師会副会長が憤りを隠さずに表明したように現状を放置していいはずがありません。ではどうすればいいか。答えは簡単です。まず肥満を病気と認めて(これはすでに認められています)、GLP-1ダイエットは、例えばBMI30以上を対象とし、そして保険適用とし、保険適用外の自費診療を禁止するのです。禁止にする法律をつくることはできなくても、患者を登録制として、登録がなければ製薬会社が販売しない方針をとれば事実上の禁止にすることはできます。個人輸入という抜け道は残りますが、税関での審査を厳しくすればある程度は解決します。

 「医の倫理」などとうに失われている現実に目を向けなければなりません。規則を厳しくすることでしか薬のまともな処方ひとつできないのが現在の日本の医師の実情というわけです。

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2022年3月10日 木曜日

2022年3月 『総合診療医がみる「性」のプライマリ・ケア』上梓にあたり

 2022年3月5日、『総合診療医がみる「性」のプライマリ・ケア』という本を上梓しました。一応、医学書というカテゴリーにはなりますが、太融寺町谷口医院をオープンして15年が経過した今、人の身体と精神を診察する上で、そして人間そのものを考える上で「性」がいかに大切かという観点からまとめた本です。

 私の文章を昔から読んでくれている人はもう聞き飽きたと思いますが、私自身が医師を目指すようになったのは医学部の4年生になってからという遅さで、医学部入学時には医師ではなく研究者を目指していました。研究したかったのは「人間の思考、行動、感情」といったもので、一言で言えば「人間とは何か」を知りたかったのです。

 私は10代の頃からこの「疑問」に取りつかれていて、高校生の頃は「人は何のために生きているのか」「自分はどこに行くべきなのか」「自分が生涯をかけてやるべきことはあるのか、あるとすればそれは何なのか」といったことを四六時中考えていました。その時に出た「とりあえずの結論」は、「ここにいてはいけない」でした。

 つまり、「こんな田舎にいても自分の人生を無駄に過ごすだけだ」と考え、都心部に出ることだけを夢見るようになったのです。高校生の頃、大学に(少なくとも偏差値の高い大学に)行けるような学力はなく、このまま卒業して地元の工場で働いて、ささやかな楽しみは車をいじることとパチンコと週末のスナック通いと……、とそんな生活を想像すると耐えられなくなったのです。

 なにしろ、ファストフードは1軒もなく(私が卒業してからマクドナルドができたようです)、喫茶店が数軒あるだけ、映画館はときどきできてもすぐにつぶれ、貸しレコード屋が1軒のみ、とそんな田舎です。高校を卒業すれば、堂々とパチンコ店に入れることと、スナックとやらに行けることくらしか娯楽は増えません。

 その数年後には「勉強が好き」になった私ですが、高校生の頃、勉強は最も嫌なもので楽しいと思ったことなど一度もありません。模擬試験の偏差値が50を超えることはほとんどなく、英語と数学のクラスは成績別でしたが、私はついに最後まで上のクラスには行けませんでした。高3の12月に返って来た河合塾の全統記述模試では総合で偏差値が40です。

 しかし後がない私は「都会に出る」ことだけを心の糧に高3の12月から猛勉強を開始しました。高3の夏休みに見学に行った関西学院大学(以下「関学」)のとても綺麗なキャンパスを思い出し、時計台の前の芝生で寝そべっている自分を想像し、勉強に嫌気がさしてくると関学のパンフレットを取り出してやる気を奮い立たせ、そして、勉強する内容は関学の赤本過去9年分のほぼ丸暗記です。

 この方法で合格できた私は、「やればできる」という感覚をつかんだような気がしました。その後、関学時代も就職してからも「やればできる」をモットーに、苦手だった英語を克服し、一見無理にみえる仕事にも取り組むようになりました。会社員時代は新しいプロジェクトを自分で提案し、キーパーソンへの根回しなど人間関係でも「やればできる」の精神で突き進みました。医学部受験も「やればできる」を信じました。

 「やればできる」は使い古された表現なので、いつしか「no pain, no gain」を口癖のようにしていました。この言葉も受け売りですが、韻を踏んでいるところが気に入ったのです。きっかけは、たしかリチャード・ブランソンの自叙伝だったと思います。

 「医学部受験など真剣になれば誰にでも可能だ」、と当時の私は言い続けていました。そして、その考えをまとめたのが『偏差値40からの医学部再受験』という本で、2002年、私が研修医1年目のときに出版しました。この本はよく売れて改訂版も3度ほど出版され、全国から多くの手紙やメールをいただきました。なかにはこの本を持って私の職場まで会いに来られた人もいました。本を持ってきて「サインをしてください」と言われるのです。

 こういうときはたいてい「何か一言書いてください」と依頼されるので、私はいつも「no pain, no gain」と書いていました。

 さて、冒頭で述べたように最近新しい本を上梓しました。現在谷口医院に勉強に来ているある医師にこの本をプレゼントしたとき「何か一言書いてください」と言われました。本にサインをするのは久しぶりだったので、以前のように「no pain, no gain」と書こうと一瞬思ったのですが、同時に心のなかから「やめておけ」という声が聞こえてきました。

 なぜか。それは現在の私がもはや「no pain, no gain」が正しいと思っていないからです。今年54歳になる今となって思うのは、「人生は努力だけではどうにもならないことがある」ということで、より正確に言えば「努力できること自体が幸運だ」となります。

 過去のコラム「『偏差値40からの医学部再受験』は間違いだった」でも述べたように、私はこれまでの人生で、不幸としかいいようのない運命の人たちに出会ってきました。もちろん、私が直接知らない人のなかにも「不幸」以外に言葉が見つからないような境遇の人は世界中にたくさんいます。ある日突然、戦争が始まり難民になることだってありますし、肌の色が原因でいきなり暴力の犠牲になったり、突然不治の病を宣告されたり、自分に責任のない交通事故の犠牲となり障害を負ったり……、とそういったことはいくらでもあります。そのような運命に遭遇した人に向かって「no pain, no gain」などと言えるわけがありません。

 その過去のコラムで述べたように、「努力ができるのも幸運に恵まれたから」であり、「ならば与えられた境遇で精一杯のことをやる」のが正しい生き方ではないかといつしか考えるようになりました。シェークスピアの名言「All the world’s a stage」が示すように「この世のすべては舞台だ」と考え、与えられた役割を演じるのです。

 私が総合診療医を目指すようになったのは、研修医の頃に訪れたタイのエイズホスピスで出会った欧米の総合診療医たちの影響です。彼(女)らは、患者さんの訴えをすべて聞き入れ、日本の専門医がよく口にする「それはうちの科じゃありません」というセリフを決して言いません。たいていの訴えはきちんと聞いて診察・治療をおこない、自身で診られない症状や疾患についても何らかの助言をおこないます。そういった診療の姿をみるにつれ、「これが医師が患者を診るべき姿だ」と直感した私は帰国後、総合診療医になることを決意しました。

 その後は決意が揺らぐことなく総合診療医の道を進んできました。どのような患者さんのどのような訴えも聞くように努めています。患者さんとの距離は近くなり、家族や親友にも話していないようなことを聞く機会もよくあります。もちろん話を聞くだけでは意味がなく、その患者さんにとって最善の治療をおこなわなければなりません。そのための知識と技術の吸収をやめることはできません。

 そういった診療を15年以上続けてきて思うことのひとつに「<性>は人間にとってとても大切なこと」があります。患者さんの訴えの”裏側”には「性」が隠れていることが多々あるのです。また、生活習慣の改善にはパートナーの協力が得られるか、パートナーのために治療に前向きになることはできるか、そもそもパートナーはいるのか、性的指向は同性か異性か、もしかすると性自認が揺らいでいるということはないか、リビドーがその人の行動に影響を与えていることはないか、といったことを考えるべきこともあります。

 医学部入学、研究者から医師への進路変更、タイでの総合診療医との出会い、帰国後の大勢の患者さんとの出会いなどの運命を通して、培ってきた経験を他人に伝え、そして与えられた”舞台”で役割を演じるのが今の自分の運命だと思っています。

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