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2023年2月9日 木曜日

2023年2月9日 夜勤もシフト勤務も認知症のリスク

 夜勤が様々な疾患のリスクになるという話はこのサイトで何度も述べてきました。どのような疾患のリスクになるか、少し例を挙げてみると、乳がん、心筋梗塞などの心疾患、高中性脂肪血症、糖尿病、肥満、交通事故のリスク上昇などです。

 そして、今回お伝えしたいのは「夜勤は認知症のリスク」というショッキングな研究です。

 医学誌「Frontiers in Neurology」2022年11月7日号に掲載された論文「シフト勤務、夜勤と認知症との関係:系統的評価とメタ分析(Relationship between shift work, night work, and subsequent dementia: A systematic evaluation and meta-analysis)」を紹介します。

 研究の対象者は過去の4つの研究の対象となった合計103,104人で、これらを総合的に解析(これをメタ解析と呼びます)することで検討しています。

 結果は、夜勤をすると夜勤をしない人と比較して、認知症発症のリスクが12%高いことが分かりました。他方、シフト勤務では「全体としては」そのようなリスク上昇が認められませんでした。しかし、50歳以上に限定して解析しなおすと、シフト勤務をすればしない場合に比べて認知症発症リスクが31%上昇していました。

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 認知症のリスク、と言われると、さすがに夜勤に抵抗が出てくる人も少なくないのではないでしょうか。こういったことをあまり言い過ぎるのは、夜勤で頑張ってくれている人に対して失礼な行為ではあります。

 ですが、やはりこういった信ぴょう性の高いデータは社会で共有する必要があるでしょう。過去のコラム(下記)にも書いたように、夜勤は若いうちに体験して(そして稼いで)、社会全体で様々な疾患のリスクを減らし、そして医療費も削減する、というのが私が考える理想です。

参考:はやりの病気第192回(2019年8月) 「夜勤」がもたらす病気

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2023年2月9日 木曜日

2023年2月 閉院でなく「移転」は可能か?

 2023年、当院が診療を開始したのは1月4日の午後でした。その日の午前にはスタッフ全員が集合し、毎年恒例の「新年会議」を開き、「これ以上針刺し事故のリスクを抱えられない。よって6月30日をもって閉院する」と発表しました。その後、本ウェブサイトでそれを公開し、その日の午後から受診するすべての患者さんに閉院を決定したことを告げました。

 私の今後の身の振りはまったく決まっていません。意外なことに、閉院を公表後、全国の病院から「うちで働きませんか」というオファーをいただきました。こういった話はとてもありがたいのですが、私自身は病院勤務は考えていません。

 大学病院の総合診療科で勤務していた頃はとても楽しかったのですが、「いつでもどんなことでも相談してくださいね」とは言えませんでした。それは大学病院を含め、病院のすることではないからです。病院の役割として「診断がつきましたから次からは近くの診療所/クリニックに行ってください」と言わねばなりません。また、総合診療科以外の病院の科はいわゆる”縦割り”になっていますから、現在おこなっているような、例えば、子宮内膜症と片頭痛と過敏性腸症候群と気管支喘息とアレルギー性鼻炎とじんましんを同時に診る、といったことはできません。

 病院だけでなく、「クリニックを引き継いでもらえませんか」という申し出を、開業している複数の医師からもらいました。これは魅力的な話なのですが、いくつか解決せねばならない問題があります。まず、その診療所が入っているビルが「発熱患者もOK」と言ってくれなければならないのですがそういうところはほとんどありません。あったとしても、再び新型コロナウイルスが強毒化したり、似たような感染症が流行したりしたときに当院の患者さんがバッシングを受けることはないかと懸念します。

 一番いいのは医療モールに入居することですが、総合診療科の当院は他の科から嫌われます。実際、ある医療モールに入居を申し込むと、モールのオーナーからは「歓迎します」と言われたのですが、そのなかに入っているクリニックから反対されてこの話はなくなりました。

 ということは、当院に残された方法は、ビル一棟をまるごと借りるとか、土地を探して建物を建てるといったものになります。しかし、このあたり(大阪市北区)では土地が高すぎてとても手が出ません。

 ここまで八方塞りになると、通常の臨床医は諦めざるを得ません。そこで、私は、通常の臨床でない医師、例えば、産業医や労働衛生コンサルタント(共に資格があります)、学校医(留学生の多い大学などを考えています)、刑務所の医師(法務省の矯正医官と呼びます)、外務省の医師(医務官と呼びます)などを考え始めました。

 あるいは、さらに選択肢を広げ、いっそのこと「医師を辞める」道も考えるようになりました。海外の大学に行く、あるいは海外を放浪する、というのもいいかな、と様々な生き方を想像するようになりました。この1ヵ月の間、将来のビジョンが日ごとに変わっているような状態です。

 診療はこれまでと同じように続けています。診察室で私の方から閉院の話をすると、ときに患者さんは涙を浮かべ、「新しいところ、なんとか見つけてください」と訴えられます。私の方ももらい泣きしそうになることもあります。なかには、「自分がなんとか見つけます」と言って物件を探してきてくれたり、知り合いの不動産屋を紹介すると言ってくれたりする人もいます。不動産関係で勤務している人は「探してみます」と言ってくれます。

 そこまで言われる人の訴えを聞いていると、閉院するということがどれほど「罪」なのかが分かってきます。閉院を伝えた後、「新しい受診先を紹介します」とは伝えますが、たしかに当院のなかには紹介先を探すのに相当苦労するだろうな、と思われる患者さんが少なくありません。

 意外なことに、単純な疾患で診ている患者さん(たとえば、喘息だけ、とか、高血圧だけ、とか、じんましんだけ、というケース)のなかにも「先生(私のこと)には何でも相談できると思っているから(当院に)来ている」という声が多くありました。私にはこれがとても意外でした。数年間、ひとつの症状だけで通院し、いつも診察時間が短時間で終わっていた患者さんからもこのようなことを言われるからです。

 そのような状況のなか、閉院を公表してから新たな受診先を見つけられた患者さんはまだ3人だけです。

 涙を見るから心が動く、という単純な話ではありませんが、「閉院は困ります」という患者さんたちからの訴えを繰り返し聞いているうちに、私の心は次第に揺れ動いてきました。いったん決意したはずの「永遠に閉院」が「なんとかならないか……」に変わってきたのです。しかし移転先はさんざん探して見つかりませんでした。

 ではどうすればいいか。現在考えているのは「少し遠くの場所で探す」という方法です。医療法上、移転は半径2km以内にしなければならないという規定があります。これにこだわるから移転先が見つからないのであって、それ以上遠くに行けばいいわけです。つまり、医療法上の狭義の「移転」ではなく、医療法を外れた”移転”をすればいいのです。

 ただし、この方法であればいったん「廃院」し、新たに別のクリニックを「新規開業」するというかたちになります。いくら詰めたとしても数か月のブランクがあきます。それに、そもそも北区に見つからないものが隣の区まで探したとしてもそう簡単に見つかるとは思えません。適切な物件というのは、一棟そのまま借りられるようなものか、土地を購入するというプランです。そう都合のいい物件はないでしょう。

 しかし、患者さんや医療者が持ってきてくれる情報から、検討できそうな物件もありそうなことが分かってきました。これからしばらくの間、休診日に物件探しに明け暮れることになります。

 ただし、新たな”新規開業”にたどり着けたとしても、相当先の話になります。早くても年明けになるでしょう。ブランクの期間は、私の知人の開業医に頼んでその分の処方をお願いしようと思っています。また、新規開業後も、初めのうちはオンライン診療のみになるかもしれません。

 この話を数人の患者さんにしてみると、全員が「それで充分ですから絶対にまた開業してください!!」と言ってくれました。もちろん、「そんなブランクができるなら、もうけっこうです。新たなクリニックを探します」という人もいるでしょう。新たな開業ができるという保証は現時点では確約できないわけですから、そうしてもらう方がいいと思います。

 実際には、このような条件を受け入れてでも「新規開業すればまた受診する」と言ってくれる患者さんが少なくなく、そういった人たちの存在を考えると、「何としても新規開業に向けて全力を尽くさなければ」、という気持ちが体の底から沸き上がってきます。

 私が発行するメルマガ(谷口恭の「その質問にホンネで答えます」)及び次回の「マンスリーレポート」で進捗状況をお伝えしたいと思います。

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2023年1月29日 日曜日

2023年1月29日 「鼻腔」の免疫向上に「マスク着用」「鼻を触らない」

 最近公開した「はやりの病気」2023年1月号の「「湿度」を調節すれば風邪が防げる」で、マスクはなぜ風邪予防に有効かについて「気道の湿度を保てるから」という研究を紹介しました。しかし、マスクが有効な理由はそれだけではなさそうです。

 そのコラムを書いた数日後、たまたま興味深いレポートと論文を発見しました。米国の医療系ニュースサイト「Health Day」に「鼻腔が冷えることが冬に風邪が流行る理由かもしれない(Cooler Noses May Be Key to Winter’s Spike in Colds)」という記事が載っていました。この記事では、医学誌「Allergy and Clinical Immunology」2022年12月6日号に掲載された論文「寒さに晒されると細胞外小胞による鼻腔内のウイルスに対する免疫が下がる(Cold exposure impairs extracellular vesicle swarm-mediated nasal antiviral immunity)」を引き合いに出しています。

 Health Dayによると、鼻に細菌が入って来たとき、鼻腔の前部に存在する細胞が働きます。細胞は、まずその細菌を検知し、数十億もの小さな液体で満たされた”袋”を鼻腔粘液に放出します。すると、その”袋”が細菌を攻撃するのです。そして、この袋のことを「細胞外小胞(extracellular vesicles, EVs)」と呼びます。

 ではウイルスではどうでしょうか。上述の論文はそれを調べたものです。1種のコロナウイルス(新型コロナウイルスとは別のコロナウイルス)と2種のライノウイルスを健常者に感染させ、細胞外小胞がどのように反応するかを調べました。それぞれのウイルスに対し、異なる方法で反応することが分かりました。ウイルスがヒトの細胞に感染する前に、細胞外小胞がウイルスを捕まえることも分かりました。

 しかし、研究では細胞外小胞のこの素晴らしい機能が低温化では妨げられることが分かりました。華氏40度(摂氏4.4度)の寒い環境では、細胞外小胞のそのウイルスを捕まえる効果が87.5%も抑制されることが分かったのです。また細胞外小胞の放出も大幅に低下しています(注)。

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 鼻腔内の温度を下げないようにするにはマスクが最適です。そして、記事によると、大切なのは鼻腔の奥ではなく手前(前方)の部位です。この部分の細胞が”敵”が侵入したことを検知し、多量の細胞外小胞を放出するのです。

 ということは、「はやりの病気」で述べたように、「鼻毛を抜く」「鼻をほじる」などの行為は感染予防上、最悪の行為ということになります。

 「マスクをする」「鼻を触らない」がものすごく重要というわけです。

注:細胞外小胞の放出が大幅に低下することは論文のグラフで示されているのですが、具体的な数字は書かれていません。ですが、Health Dayの記事には42%低下と書かれています。

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2023年1月23日 月曜日

2023年1月23日 コロナ後遺症を予防する2つの薬

 新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)は随分と軽症化してきました。ワクチン普及がその理由だとする意見が多いのですが、おそらくそれだけではないでしょう。ウイルスが変異を繰り返した結果、重症化しにくいタイプに”進化”してきている可能性もあります。そもそも、できるだけ遺伝子を残したいと考えるウイルスにとっては、宿主のヒトを重症化させて殺してしまうよりも、軽症にとどめて自粛などさせず広範囲を動き回らせる方が自分たちの遺伝子を広めることができるわけですから、軽症化する方が彼(?)らにとっても都合がいいわけです。

 他方、軽症化はもちろんヒトにとってもありがたい話で、「死に至る病」でなく「単なる風邪」なら重症化リスクのない人にとってはたいして注意する必要がなくなります。ただし、重症化リスクのある人に感染させると、最悪の場合その相手が死亡……、という事態も起こり得ることは忘れてはいけません。

 「他人への感染」以外に、もうひとつやっかいなコロナの特徴が「後遺症」です。最近はあまり報道されなくなりましたが、後遺症は依然として存在します。私は2020年4月に「これは非常にやっかいなことになるに違いない……」と感じ、2020年5月12日公開の医療プレミア「新型コロナ 治療後に健康影響の懸念」で初めて注意を促し、その後繰り返し訴えてきました。

 案の定、後遺症を訴える患者さんは急増しました。大部分は(時間はかかるものの)完治するのですが、完治とは言えない人もいます。特効薬はなく、非常に苦しい日々を強いられることもあります。一時「コロナワクチンが治療になる」という話もあり、谷口医院の患者さんのなかにも「ワクチンをうって後遺症が治った」という人もいるのですが、その逆にかえって悪くなったという人もいます。

 ならば「予防薬」に期待したいところです。そして、予防になるかもしれない薬が現在2種類あります。

 1つは重症化リスクのある人に適応のある「パキロビッド」です。エビデンスレベルが高いとは言えないのですが、論文「パキロビッドと新型コロナの急性期後遺症リスク(Nirmatrelvir and the Risk of Post-Acute Sequelae of COVID-19)」によると「新型コロナに感染したと診断されてから90日後に、12種類の後遺症のうち1種類以上に悩まされるリスク」を、パキロビッドは26%下げることが分かりました。

 もうひとつの薬は糖尿病薬のメトホルミンです。論文「メトホルミン、イベルメクチン、フルボキサミンによる新型コロナのの外来治療と、10か月にわたるフォローアップによる後遺症の発症(Outpatient treatment of Covid-19 with metformin, ivermectin, and fluvoxamine and the development of Long Covid over 10-month follow-up)」によると、メトホルミンで後遺症のリスクが42%低下します。
 
 この研究ではメトホルミン以外にイベルメクチンとフルボキサミン(抗うつ薬)についても調べられましたが、これら2種では後遺症の予防はできませんでした。

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 太融寺町谷口医院では、患者さんが拒否しない限り、重症化リスクのある人にはパキロビッドを推薦しています。重症化を防いでくれるだけでなく、後遺症のリスクが減少する可能性があるわけですから積極的に服用すべきだと思います。

 一方、メトホルミンは元々糖尿病がある患者さんには谷口医院で処方していることが多いのですが(谷口医院では糖尿病で最も処方している薬がメトホルミンです)、糖尿病がない人に処方することは(少なくとも保険診療上は)できません。

 追加の研究が増えてエビデンスがそろえば保険診療で使えるようになると思いますが、まだまだ先になりそうです。とはいえ、これまで手がなかった後遺症の予防薬となる可能性があるわけですから(しかもとても安くて3割負担で1錠3円程度です)、これからの研究に注目したいと思います。

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2023年1月20日 金曜日

第233回(2023年1月) 「湿度」を調節すれば風邪が防げる

 随所でお知らせしているように、太融寺町谷口医院は2023年6月30日をもって閉院せざるを得なくなりました。この「はやりの病気」は閉院後も継続する予定ですが、私の身の振り方によってはそれができなくなるかもしれません。よって、閉院までの間、大勢の方が関心を持つような内容にしたいと思います。

 このコラムの第1回のタイトルは「インフルエンザ」で、公開したのは谷口医院がオープンする2年前の2005年2月3日です。この頃の私は、大学病院の総合診療科の外来を担当しながら、他の診療所や病院にも研修(修行)に出て、夜間は当時の自宅の1階を改造してつくった「日本一小さな診療所」を運営していました。

 改めてその第1回の自分の文章を読んでいると、まあおおまかには現在と変わっていないのですが、現在の見解は下記のように変更しなければなりません。

・(2005年には)タミフルを絶賛している → タミフルは、健常者に対しては有症状期間を少し短くするだけであり、小児・高齢者などハイリスク者以外は使う必要がないことが分かっています

・(2005年には)リレンザ・イナビル・ゾフルーザの話がでてこない → 抗インフルエンザ薬のラインナップが増えています。また、現在は感染者に接してからの予防投与(これをPEPと呼びます)も推奨される場合があります

・(2005年には)手洗い・うがいを推奨している → これらは現在も変わりませんが、私としては現在は「谷口式鼻うがい」を推奨しています

・(2005年には)「換気」について触れられていない → 当時は換気についてさほど注目されていませんでしたが、現在は重要であることが分かっています

・(2005年には)「麻黄湯」(や葛根湯)の有用性について触れられていない → 当時の私はまだ有効性をそこまで確認できていませんでした。今は確信しています。

 新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)が猖獗を極めていたのは2020年の年明けから2021年の終わり頃までといっていいでしょう。当時はハイリスク者のみならず、40代、あるいは30代の健常者にも「死」のリスクがありました。現在は「死に至る病」とは言えなくなり、基礎疾患のない若者であれば特に恐れる必要がありません。

 コロナのおかげ(という表現は変ですが)で、「風邪の予防」に対する世間の感心が高まりました。コロナが始まった2020年の前半はやたら「接触感染」という言葉が飛び交いました。このため、オフィス内や飲食店内では手洗いだけでなく手指消毒、さらに机、テーブル、ドアノブなどが繰り替えし消毒されるようになりました。そして一部の企業や飲食店では今も続けられています。

 一方、接触感染を軽視する声もあります。「コロナの重要な感染ルートは飛沫感染と空気感染であり、触れる物には過敏になる必要がない」という意見です。しかし、これは極端な意見です。私の経験からいっても接触感染はコロナだけでなくインフルエンザでも少なくはありません。これは2005年の第1回のコラムには書きませんでした。当時の私はまだこのことに気付いていなかったからです。

 ですが、今は確信しています。コロナ、インフルエンザを含むほとんどの風邪の病原体は接触感染します。とはいえ、一部の企業や店舗のように執拗に消毒処置をする必要はありませんし、手荒れするほどアルコール消毒をするのはナンセンスです。手洗いは「水道水」が基本であり、アルコールは「水道が近くにない場合」のみ、つまり補助的な使用に留めるべきです。

 では過剰な消毒やアルコールの手指消毒をしないならどうやって接触感染を防げばいいのでしょう。それは「鼻を触らない」です。ただし、コロナが流行しだした頃にさかんに言われたように、「ちょっとでも顔を触るのはNG」はやり過ぎです。谷口医院の患者さんから話を聞いて分かるようになったのは「鼻をほじる」「鼻毛を抜く」などの行動をとる人がよく風邪を引くことです。よってこういった行動を慎めばそれだけで風邪をひくリスクは下げられるのです。

 今回は新たな風邪の予防法についての話をしましょう。それは「湿度の調節」です。

 昔からよくある疑問に「なぜ冬になると風邪をひくのか」というものがあります。「寒いから」と答える人が多いわけですが、ではなぜ寒さが発症因子になるのでしょうか。実はこれについては医学の教科書にきちんと書かれていません。そこで、私が「なぜ冬に風邪をひきやすいか」についてその理由を並べてみます。

#1 冬には日光を浴びる量が少なくなりビタミンDの生成が減少し、免疫能が低下する(可能性がある)

#2 冬は寒いために屋内にいる時間が長くなり、窓を閉め切るために換気が効率的におこなわれず、そのため他者からの飛沫感染、あるいは空気感染のリスクが上がる(これは間違いありません)

#3 空気が乾燥する(湿度が低下する)

 #3の湿度について。最近の研究で、病原体増殖の至適湿度というものがあることが分かってきました。メリーランド大学の公衆衛生学者Donald Milton氏によると、風邪のウイルスとして有名なライノウイルスは高い湿度を好むそうで、そのため米国では初秋に流行するようです。一方、インフルエンザウイルスやコロナウイルスは冬に流行しやすく、湿度が40%を下回った環境を好むようです。これらは科学系メディア「ScienceNews」に掲載されています。

 では、インフルエンザやコロナはなぜ乾燥した環境で感染しやすくなるのでしょうか。通常、ウイルスが人の呼気から放出されるとき、裸の状態で飛び出すわけではなく、唾液や鼻水などに包まれて体外に出ていきます。これら体液には、粘液や蛋白質などの成分が含まれていて、ウイルスを殺菌する効果もあります。湿度が高い状態であれば、体液が乾きにくく、時間をかけてウイルスを殺すことができます。体液は身体を離れてもウイルスをやっつけてくれているというわけです。その逆に、湿度が低ければウイルスを包んでいる体液がすぐに蒸発してしまい、殺菌効果が期待できずウイルスの感染力が維持されてしまうのです。この研究は査読前論文を集めたbioRxivという医学誌に掲載されています。

 上述のScience Newsの記事には興味深い顕微鏡の写真が掲載されています。湿度が低ければ(40%)、体液が乾燥しウイルスがむき出しとなっています。インフルエンザやコロナはこの状態のときに感染しやすいと考えられます。湿度が中等度(65%)であればウイルスが体液に包まれておりウイルスを不活化させると予想されます。しかし、興味深いことに湿度が高すぎれば(85%)、ウイルスは死滅しにくいようです。

 乾燥は「次に感染する人」の防御力にも影響を与えます。「乾燥した空気は気道の表面に存在する細胞死を引き起こす」ことを示した動物実験があります。気道粘膜の表面を守っている細胞が死んでしまえば、当然病原体は奥に侵入しやすくなりますから、「乾燥→気道粘膜の表面の細胞死滅→病原体が侵入し感染成立」となるのです。

 以上をまとめると、環境を病原体が感染しにくい湿度にすべきであり、それは乾きすぎても湿気が多すぎてもダメで、50~65%程度が望ましいということになります。自宅、特に寝室は空気清浄器(できればHEPAフィルター付き)と共に加湿器や除湿器を置いて対処するのがいいでしょう。もちろんその前に用意しなければならないのは湿度計です。

 では、自分の意図で調節できない職場やビルの中、あるいは地下街ではどうすればいいのでしょうか。マスクがお勧めです。マスクが感染予防に有効なことは明らかで、いくつもの信頼度の高い論文があります。マスクをしていても病原体が口腔内や鼻腔に入ってくるのは事実ですが、感染者が病原体を排出しにくくなります。コロナではなんと100%カットしてくれるという研究もあります。これだけでも(少なくともコロナには)マスクは「感染させない」という意味でかなり有用なわけですが、「感染しない」という意味でも非常にすぐれたツールです。気道の乾燥を防ぐことにより気道粘膜の表面のバリア機能を正常に保ってくれるからです。

 最後にもう一度まとめてみましょう。インフルエンザ、コロナを含めて有効な風邪の予防対策は、「鼻うがい」「手洗い」「鼻を触らない」「換気」「湿度の調節」「マスク」「麻黄湯」です。ちなみに、私が最後に風邪をひいたのは2012年の12月。それから鼻うがいを始め、その後一度も風邪をひいていません。インフルエンザにもコロナにも無縁です。

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2023年1月4日 水曜日

2023年1月 「閉院」を決めました

 階上のボクシングジムが作り出す振動で度々診察を妨げられるようになった2021年1月より2年間にわたり、ジムとビルに対し防振工事をするよう申し入れてきました。しかし、ジムの社長にもビルの担当者にも「壁にヒビが入るほどの振動のなかで医療行為はできません」と繰り返し訴えても、「それが何か……」という態度で初めからコミュニケーションがとれるような相手ではありませんでした。

 そこで裁判を起こしました。振動がどれだけひどいものかを証明するために一級建築士に振動の数値を計測してもらって、その結果を裁判所に提出してもらいました。しかし、裁判所が「防振工事が必要」と判断したとしても、実際にジムとビルが防振工事を開始するまでには相当の年月がかかることが判りました。

 ならば、当院が「移転」をするしかないと考え、複数の不動産会社に相談し、私自身も実際に何日間も歩いて当院の近辺の物件をかたっぱしから探し回りました。けれども、適切な移転先は見つかりませんでした。医療モールへの入居も希望し、モールの運営会社からは了承されたのですが、入居している他の医療機関から断られ、この話もなくなりました。

 この2年の間、患者さんには振動の恐怖を与え、注射や点滴での針刺し事故のリスクを背負わせています。激しい痛みや倦怠感などの苦痛を抱え、やっとの思いで受診にたどりつき、点滴治療を受けているときに大きな振動に見舞われ、治療を受けたせいで余計に苦しくなってしまった患者さんもいます。レントゲン撮影時の大きな振動で撮り直しを余儀なくされ、余計な被爆をさせてしまったこともあります。我々は幾度となく苦情を聞き大変申し訳なく思っています。苦痛であることを口にしないどころか「私は大丈夫です。先生や看護師さんが心配です」といった言葉をいただいたことも何度もあります。
 
 ひどい振動のために壁の一部にはすでにヒビが入っています。最近は、振動の頻度は大きく減ったものの(ジムの客が激減していることが予想されます)、悪質な振動を突然起こされることが増え、針刺し事故のリスクが上昇しています。これ以上、事故のリスクを抱え続け、患者さんに恐怖と苦痛を与えることはできないと結論するに至りました。

 したがって、クリニックを閉院することを決めました。針刺し事故のリスクはすぐにでもなくすべきであり、そういう意味では直ちに閉院した方がいいでしょう。ですが、突然治療を中断するわけにもいかず、また、医療機関の閉院はそれほど簡単にできるものではありません。大阪府の許可を取り、行政の手続きが完了するまでにおよそ半年がかかります。よって、診察は6月末まで続ける予定をしています。

 当院は2007年の開院時から「他のどこからも診てもらえなかった人」に受診してもらえるように努めてきました。当院の発熱外来開始は2020年1月31日と、かなり早期に立ち上げたのもそのような理由です。発熱外来一人目の患者さんは「10軒以上の医療機関から見放された中国人」でした。

 「他では診てもらえないから」という理由で、かなり遠方から新幹線を利用して長年受診している患者さんもいます。もちろん近くにお住まいの患者さんや、勤務先が近いから利用しているという患者さんも大勢います。そういった患者さんたちを裏切ることになり、お詫びの言葉もみつかりません。

 これから半年をかけて、当院を長年かかりつけ医にされていた患者さんの新たな受診先を探していきます。すぐには見つからないケースも多々あるでしょうし、おそらく半年では見つけられない場合もあると思います。よって、閉院してからも患者さんからのメール相談は続けます。少なくとも新たなかかりつけ医が見つかるまでは無期限にメールでの相談や質問を承ります。

 このサイトでは何度か、個人の「ミッション・ステイトメント」をもつ素晴らしさについて言及してきました。私が初めて自分のミッション・ステイトメントをつくったのは1997年の、たしか春頃でした。その後は、毎年1月1日にミッション・ステイトメントの改定作業をおこなっています。

 今から1年前の2022年1月1日、その日は私が好きな西日本のある町で数時間一人きりの時間をつくって自分の内面を掘り下げていきました。これから一個人として、医師として何を大切にして、何をすべきかについて考え直しました。そのときに出た自分の「答え」は、「太融寺町谷口医院の患者さんとスタッフを守る。振動に負けず司法の力を借りて振動工事をしてもらう」というものでした。

 私には「勝算」がありました。我々の主張が正しいことは自明だからです。病気や怪我で苦しんで受診している人に振動で恐怖を与えていいはずがありません。振動のせいで針刺し事故が起こって、神経損傷や院内感染が生じていいはずがありません。

 当院は「多額の慰謝料を払え」とか「ジムは出ていけ」と言っているわけではなく、「防振工事をしてください」とお願いしているだけです。それに、もしも当院が移転したとしても、こんなにひどい振動が起こるフロアを当院の後に借りる業者が現れるはずがありません。いずれにしても防振工事をする以外に選択肢はないはずです。

 裁判を進めてもらうなかで分かって来たことがあります。このビルは「鉄骨」という構造でつくられています。「鉄筋」や「RC(鉄骨鉄筋)」と呼ばれる頑丈なつくりではなく、「鉄骨」のビルは振動が生まれれば簡単に階下に伝わります。それが分かっていながら、ビル側はボクシングジムを誘致したのです。

 当院の患者さんのなかにはジムに苦情というかお願いをされた方もいます。それに、ジムに通うお客さんもそのうちに「下にクリニックがあるのはおかしい」と気づくでしょう。高齢者や辛い病状を抱える患者さんとエレベータに同乗すれば、こんなところで振動をおこせば何が起こるのかは分かります。ということは、クリニックの上でボクシングジムを経営するということは客が来なくなり、自分たちを苦しめるだけになります。

 実際、以前と比べて振動が生じる時間は大幅に減っています。これは客がまったくいない時間帯が増えていることを意味します。部屋全体が揺れるほどの振動は最近では週に2~3回に減ってきています。ですが、その1回の振動は以前よりも大きくなっており、針刺し事故のリスクはむしろ上がっているのです。

 ボクシングジムはサービス業ですからイメージが大切になるでしょう。医療機関の上に開いて患者さんを苦しめるようなことをやれば大きなイメージダウンになるはずです。にもかかわらず振動を巻き散らす理由は、「太融寺町谷口医院を追い出したいから」に他なりません。

 では、ジムはなぜそのようなことを考えるのか。ジムの関係者が私や当院のスタッフに恨みを持っている可能性もあるかもしれませんが、おそらく当院を追い出したいと考えているのはビルの方だと思います。その理由は皆目見当がつきませんが、体よく当院を追い出すのには「振動による嫌がらせ」は都合のいい方法だからです。先述したように、当院が退去してもこの振動に耐えられる業者はありませんから、当院の退去後に防振工事を始めるに違いありません。あるいは、当院が退去すればジムも撤退するのかもしれません。おそらく、「家賃を無料にするからクリニックが出ていくまで暴れまくってほしい」とビルがジムに依頼したのではないか、というのが現時点の私の推測です。

 2023年1月1日、前年とはまた別の、私が大好きな西日本のある町でミッション・ステイトメントの見直しをおこないました。大切なスタッフと患者さんを守るには「閉院以外にはない」という結論に至りました。

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2022年12月30日 金曜日

2022年12月30日 運動で認知症を予防できる?できない?

 認知症の予防を確実にできる方法はありません。一方、認知症のリスクとなるものは多数あります。飲酒、喫煙、片頭痛、睡眠不足、ベンゾジアゼピンの使用、などが挙げられますが、最たるものはやはり「遺伝子」です。過去にも何度か紹介したように(例えば「はやりの病気第179回(2018年7月)認知症について最近わかってきたこと(2018年版)」)、ApoE遺伝子をε4・ε4で持っていれば、ε3・ε3の人に比べてアルツハイマーになるリスクが11.6倍にもなります。

 確実にリスクとなる因子がいくつもあり、リスクを低減させる方法がはっきりしないというのは何とも心許ないものです。「そんなはずはない、従来健康的とされている方法を続ければきっとリスクは下がるはずだ」、と考えるのは人間にとってごく自然なことでしょう。

 いつの時代も健康向上に不可欠とされている「運動」はどうでしょうか。最近、「運動が認知症の予防になるかもしれない」という研究が発表されました。

 医学誌「Journal of Applied Physiology」2022年10月4日号に掲載された論文「有酸素運動は高齢者の脳の血管の抵抗を低下させる:1年間の無作為対照試験(Aerobic exercise training reduces cerebrovascular impedance in older adults: a 1-year randomized controlled trial)」です。

 研究では73人の高齢者を有酸素運動(aerobic exercise training )のグループ36人とストレッチ+トーニング(stretching and toning)と呼ばれるワークアウト(筋トレ)(後述します)に分け、脳内の血管の抵抗が比較されています。脳血管の抵抗(インピーダンス)が低ければ血流が良いことを示します。調査は1年間続けられ、41人の血管の抵抗が調べられました。

 結果、有酸素運動のグループは血管抵抗が有意に低下していた(つまり血流が良くなった)のに対し、ストレッチ+トーニングのグループでは変化がありませんでした。このことから著者らは「高齢者の有酸素運動は脳の循環を良くする」と結論づけています。

 脳の血流がよくなれば脳が若さを保つことができて、その結果認知症のリスク低減が期待できるかもしれません。

 尚、トーニング(toningまたはtoning up)とは、体脂肪を落とし筋肉をしっかりさせるワークアウト(筋トレ)のことで、筋肉量を増やすことを目的としたワークアウトはバルキング(bulkingまたはbulking up)と呼ばれます。この研究では、バルキングについては検討されていません。

 次に紹介するのは、「運動、マインドフルネス、及び両者の併用は認知機能を改善させなかった」という研究です。

 医学誌「Journal of American Medical Association」2022年12月13日号に掲載された論文「高齢者の認知機能に対するマインドフルネスと運動療法の効果:無作為臨床試験(Effects of Mindfulness Training and Exercise on Cognitive Function in Older Adults: A Randomized Clinical Trial)」を紹介します。

 研究の対象は、「認知症ではないが主観的な認知機能低下を自覚する(with subjective cognitive concerns, but not dementia)」65~84歳の高齢者585例で、運動グループ138人、マインドフルネスのグループ150人、両者併用グループ144人、対照グループ153人です。

 18カ月間追跡し、追跡できた475例の認知機能を解析したところ、運動もマインドフルネスも認知機能の改善にまったく寄与しないことが判りました。尚、認知機能の評価にはエピソード記憶(episodic memory)及び遂行機能(executive function)が調べられています。

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 「運動が認知症やアルツハイマー病のリスクを下げる可能性がある」とする研究は多数あるのですが、決定的なものはありません。一方、上に示したように「運動は認知機能を改善させなかった」とするものも多数あります。

 よって、運動をしたからといって認知機能改善はさほど期待できないと考えた方がいいでしょう。ですが、これは運動をしなくていいという意味ではありません。

 今さら言うまでもなく、運動には心身面で驚くほどの効果があります。運動なしで健康な心身状態は得られない、と考えるべきです。

参考:
医療ニュース
2022年3月27日「片頭痛はやはり認知症のリスク」
2022年1月4日「円形脱毛症は認知症と網膜疾患のリスク」
2021年12月27日「安静時の心拍数上昇が認知症のリスク」
2021年6月17日「中年期の孤独と睡眠不足が認知症のリスク」
2019年12月28日「やはり胃薬PPIは認知症のリスクを増やすのか」

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2022年12月18日 日曜日

第232回(2022年12月) まもなく登場する市販のダイエット薬は効くのか

 2022年11月28日、たまたまネットニュースに目が留まり、その内容に驚きました。日本では未承認の肥満薬「オリルスタット」が処方薬でなく、市販薬として認可されたというのです。オルリスタットは、膵臓や消化管から分泌されるリパーゼを阻害して脂質の吸収を抑制し、体重を減少させる薬です。

 報道によると、販売を手掛けるのは大正製薬で、商品名は「アライ」。添付文書上の「効能・効果等」は「腹部が太めな方の内臓脂肪および腹囲の減少(生活習慣改善の取り組みを行っている場合に限る)」。「腹部が太めな方」の基準は、腹囲が男性85cm以上、女性90cm以上、とのことです。

 さて、このニュースを見て大勢の医療者が驚いたはずです。なぜならこのオリルスタットという抗肥満薬は、”歴史”のあるいわくつきの薬剤だからです。

 オリルスタットは大正製薬が開発した薬ではありません。開発を手掛けたのはスイスの製薬会社ロシュです。1990年代には少なくとも米国FDAからは承認を得て、医薬品(処方箋の必要な薬)として「ゼニカル(Xenical)」という名前で米国の医師により処方されていました。

 日本で導入の動きがあったのは2000年代前半で、製薬会社は中外製薬です。ロシュと協力関係にあった同社が日本での発売を目指して治験に取り組んだのです。ところが、2005年4月、中外製薬は開発のハードルの高さなどを理由に開発を中止することを発表しました。

 ところでオリルスタットを語るときにはもうひとつの薬の話もせねばなりません。その薬とは「セチリスタット」。名前が似ていることからも分かるようにオリルスタットと似たような薬です。リパーゼを阻害して脂質の吸収を抑制し、体重を減少させるメカニズムです。

 セチリスタットの開発を手掛けたのは英国のAlizyme Therapeutics社。2003年、武田薬品が日本における開発・販売の権利を取得しました。その後、2009年にオランダのノルジーン社がAlizyme Therapeutics社から製造・販売などすべての権利を獲得しました。

 つまり、2003年の時点では中外製薬と武田薬品が類似した抗肥満薬の国内導入にしのぎを削っていたわけです。そして、2005年に中外製薬は撤退することを決定し、武田薬品だけが国内販売を目指して動いていたのです。

 武田薬品の”努力”が実りました。2013年9月、厚生労働省の薬事・食品衛生審議会医薬品第一部会により、武田薬品のセチリスタットは「オブリーン錠120mg」という名称でついに承認されたのです。

 あとは「薬価収載」だけです。処方薬が実際に処方されるには、承認後の「薬価収載」を待たねばなりません。通常、承認から薬価収載までは「原則として60日以内、遅くとも90日以内」というルールがあります。よって、遅くとも2013年の年末には医療機関での処方が開始される予定でした。

 ところが、セチリスタットはなかなか薬価収載されません。実は食品衛生審議会で承認された後、薬価収載について協議する中央社会保険医療協議会(通称「中医協」)からセチリスタットの販売を疑問視する声が上がったのです。

 そして2018年7月13日、武田薬品はセチリスタットの販売を断念し、日本での開発・製造・販売権を導入元企業のノルジーン社に返却することを発表しました。武田薬品はそれまでにかなりの大金を費やしていたはずですが、薬価収載の見込みが立たないのならそれ以上引っ張ればさらにムダ金を使うことになります。また、興味深いことに、オリルスタットが世界の多くの国で処方・販売されているのに対し、セチリスタットに関してはそのような話をほとんど聞きません。もしかすると、現在もどこの国でも処方・販売されていないのかもしれません。

 ここで時計の針を2000年代前半に戻します。中外製薬がオリルスタット120mgの国内導入を断念する前年の2004年、国外では新たな動きがありました。英国の製薬会社グラクソスミスクライン(の子会社)が、ロシュからオリルスタット120mgを半分の60mgとした製品の販売権を取得しました。そして、2007年、米国FDAは「ゼニカル(Xenical)」の半量のオリルスタット60mgを薬局で販売することを認可したのです。その商品名が「アライ(Alli)」です。

 オリルスタットが再び日本で話題となりました。2009年1月、今度は(中外製薬ではなく)大正製薬が、グラクソスミスクライン(の子会社のグラクソグループリミテッド)と日本での開発・販売の契約を交わしたことを発表したのです。

 随分ややこしくなってきましたので、ここでこれまでの流れをまとめておきましょう。

〇オリルスタット120mg: ロシュが開発。米国では「ゼニカル(Xenical)」という名前ですでに90年代から処方されていた。日本では中外製薬が販売を試みたが、ハードルの高さから2005年に断念した。

〇セチリスタット: 英国の製薬会社が開発し、その後オランダのノルジーン社が製造・販売権を獲得したが、海外での処方・販売実績はほとんどない(と思われる)。日本では武田薬品が治験をおこない厚労省からは承認されたものの、最終段階の「薬価収載」がおこなわれず、結局、販売権をノルジーン社に返却した。

〇オリルスタット60mg: グラクソスミスクライン(の子会社)が、ロシュから半量の60mgの製品の販売権を取得。2007年より米国で「アライ(Alli)」の名前で、薬局で販売され始めた。日本では大正製薬が2009年1月にグラクソスミスクライン(の子会社)と日本での開発・販売の契約を交わした。そして、市販薬として日本の薬局に近日登場予定。

 このような複雑な”歴史”があり、大正製薬はグラクソ(の子会社)との契約から14年近く経過した2022年12月、ついにオリルスタット60mg(=「アライ」)の厚労省からの認可を得たのです。

 さて、今後アライはどの程度普及するでしょうか。報道によれば、薬局での購入までの道のりが少々険しそうです。まず、ネット上で購入することはできず、必ず薬剤師との対面が必要となります。さらに、服薬開始の1か月前から腹囲と体重を記録する必要があるそうです。

 これを面倒くさいと考える人はきっと少なくないでしょう。まあ、実際には適当に数字を書く人も大勢いるでしょうし、薬剤師もいちいちひとつひとつの数字をチェックしないでしょう。個人輸入や美容外科クリニックでやせ薬を買うことを考えればはるかに簡単に購入できます。

 文献上の報告や、個人輸入で入手したことがあるという患者さんからの情報によれば、それなりの頻度で下痢をするそうです。それは脂肪の吸収が妨げられることを意味しますから、人によっては体重減少が期待できるかもしれません。

 ですが、ダイエットの話で私が必ず言うように「その薬を一生続けるのですか」という問題が残ります。ダイエット薬は効果があったとしても、中止すればほとんどの人がリバウンドを起こします。また、極端な糖質制限や短期集中の運動も効果は出ますが、元の生活に戻せば元の木阿弥になるどころか、ダイエット終了後にはより太りやすい身体になります。

 本サイトで繰り返し述べているように、ダイエットをしたいのなら、どのような方法であっても「生涯続けられること」をすべきなのです。

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2022年12月8日 木曜日

2022年12月8日 帯状疱疹を発症すると将来の脳卒中・心疾患のリスクが増加

 最近、「50歳を超えると帯状疱疹を起こしやすいのですか?」という質問が増えています。これはおそらく帯状疱疹のワクチンのメーカーが接種を促すためのマーケティングとして、いろんな手を使ってそういう言葉を広めているからでしょう。

 では、帯状疱疹は50歳を超えれば注意すればいいのでしょうか。そんなことはまったくありません。統計上50歳を超えれば発症率が上がるのだとしても、あなたにとって重要なのは統計ではなく、「あなたはどうなの?」ということだからです。

 実際、太融寺町谷口医院では帯状疱疹の発症率は、(きちんと数字を見直したわけではありませんが)私の印象で言えば、30代であろうが70代であろうがほとんど変わりません。むしろ、一番患者数が多いのは40歳前後のような気がします。なかには20代で発症している人もいます。

 ここで帯状疱疹が発症する理由を確認しておきましょう。発症の理由は「免疫能の低下」です。ですから、睡眠不足、過重労働、精神的ストレスなどがリスクとなります。20代の発症者であれば、いくらかはHIV感染(男性の場合)か膠原病(女性の場合)があります。

 なかには帯状疱疹を繰り返す人もいます。「帯状疱疹が今回で2回目」という人はそれなりの確率で(HIVなどの)免疫能が低下する疾患を有しています。

 では、帯状疱疹を発症すれば、主症状の「痛み」に耐えればそれでいいのでしょうか。どうもそれだけではなさそうです。

 帯状疱疹を発症すれば、その5~12年後に脳卒中のリスクが30%上昇する……

 医学誌「Journal of the American Heart Association」2022年11月16日号に掲載された論文「帯状疱疹の心血管疾患に対する長期的リスク(Herpes Zoster and Long‐Term Risk of Cardiovascular Disease)」でそのような研究結果が報告されています。

 研究の対象は米国の大規模研究に参加した、研究開始時点で脳血管障害のない男女205,030人(男性31,440人、女性173,590人)です。調査期間中に、3,603件の脳卒中と8,620件の心疾患の発症がありました。帯状疱疹の発症との関連は次の通りです。

帯状疱疹発症後1~4年経過で脳卒中を発症するリスク:1.05倍
       5~8年経過脳卒中を発症するリスク:1.38倍
       9~12年経過脳卒中を発症するリスク:1.28倍
       13年以上脳卒中を発症するリスク:1.19倍 

帯状疱疹発症後1~4年経過で心疾患を発症するリスク:1.13倍
       5~8年経過で心疾患を発症するリスク:1.16倍
       9~12年経過で心疾患を発症するリスク:1.25倍
       13年経過で心疾患を発症するリスク:1.00倍

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 この研究は非常に重要だと思います。なぜなら脳卒中や心疾患というのは、発症すればその後の人生に大きく影響を与えるからです。なかには、そのまま死亡したり重篤な後遺症を残すケースもあります。

 ということは帯状疱疹の発症を可能な限り防ぐべきです。そのためにワクチン接種を受けるのは賢明な方法です。50歳になってからではなく、特にストレスや睡眠不足で免疫能が低下していると思われる人は30歳になれば(あるいは20代でも)ワクチンを検討するのがいいでしょう。尚、ワクチンには2種類あり、接種時の免疫能が正常であれば安い方で充分です。安い方なら1回接種でOKです(ただし、過去に水痘に感染していることが条件となります)。

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2022年12月8日 木曜日

2022年12月 誰もが簡単に直ちに幸せになれる方法

 前回は「いずれ人類は絶滅する」という、たいていの人は日頃考えることを避けている「不都合な真実」について私見を述べました。今年最後のマンスリーレポートは「明るい話」で締めくくりたいと思います。

 2022年2月の本コラム「絶望から抜け出すための方法」で、「人・本・旅」に頼ってみよう、という話をしました。「人・本・旅」は私のオリジナルではなく、現在APUの学長をされている出口治明さんの名言です。出口さんは、この3つを「人間が賢くなる方法」あるいは「人生を豊かにする方法」として紹介されています。そのコラムでは、私は「人間関係には絶望しかないのだとすれば、<本>を持って<旅>に出よう」と述べました。今回は「人」の話をします。

 生まれてこの方、出会ってきたすべての人たちが素晴らしく人間関係で苦労したことがない、という人がいたら余程おめでたい人なのか、嘘を言っています。そういう人の言葉は信用しない方がいいでしょう。どれだけ運がいい人であっても、いろんな環境に身を置くにつれて、どうしようもない人と出会うことになります。

 本サイトで繰り返し主張しているように、そもそもすべての人から好かれようと思ってはいけません。まあ、思うのは自由ですが、そんなことをすれば薄っぺらい八方美人になり下がるだけで、真の友人には恵まれません。だから、これも繰り返し述べているように、つまらない承認欲求はさっさと捨て去るべきなのです。そんなものは捨ててしまって、自分の周りのかけがえのない人たちを、自分自身に対してと同じように大切にすればいいわけです。

 では、そのようなかけがえのない人たちを大切にするには何をすればいいのでしょうか。これも過去に述べたように重要なのは「誠実」と「謙虚」ですが、今回は別のことを話したいと思います。それは「感謝」です。

 そして、「感謝」の力が偉大なのは周囲の大切な人をより大切にできるからだけではありません。それほど距離が近くない人たちをも幸せにすることができるのです。さらに「感謝」した自分自身もまた幸せになれます。

 私の個人的なエピソードを紹介しましょう。

 医学部の学生だった頃、アルバイトの関係である同年代の男性と喫茶店で話をする機会がありました。彼が何を注文したのかは覚えていないのですが、ウエイトレスがドリンクをテーブルに置いたときに、男性はそのウエイトレスの方を向いて「ありがとう」と笑顔で答えたのです。たったこれだけの話です。ですが、これだけなのですが、その光景を見ていた私はなぜか幸せな気持ちになり、その気持ちはその日喫茶店を出てその男性と別れてからも続いていたのです。

 もうひとつ例を紹介しましょう。これも私が医学部の学生の頃の話です。ある日のこと、自宅近くのコンビニでレジが混雑していました。混雑の原因はアジアからやってきたと思われる若い男性のアルバイトがもたもたして要領を得ていなかったからです。おまけに日本語もたどたどしくて、早く買い物を済ませたい客は明らかに苛立っていました。

 イライラして急いでいるという態度をみせつけていた横柄な男性が店を出て行った後、私のひとつ前に並んでいた若い女性が商品のペットボトルをレジに置きました。そして、アジア人の店員がおつりと商品を女性に渡すと、彼女は丁寧に受取り「ありがとう」と言ったのです。私は彼女の表情を見ていませんが、それまでぎこちなかった店員から笑みが漏れましたから、きっと他者を幸せにするような素敵な笑顔でお礼を言ったのでしょう。

 何気ないコンビニの一シーンかもしれませんが、それから20年以上経った今も、私の記憶のなかにはそのときの光景がはっきりと残っています。その見知らぬ女性とはその後再会することもありませんでしたが、私が抱いた彼女に対するイメージがひまわりだったことから、勝手に「ひまわり娘」と名付けて、私の頭のなかでは今も笑顔を絶やしません。当時の私が見たのは後ろ姿と横顔だけなのですが。

 この2つのエピソード以外にも誰かが誰かに感謝するシーンで心が温かくなったことが何度もあります。もちろん、自分自身が他人から感謝の言葉を述べられてもうれしく感じます。ただ、私には「医師は患者さんから感謝の言葉を期待してはいけない」という持論があり、いつの間にか私生活も含めて「感謝の言葉をもらうべきでない」というおかしな感覚が身に付いてしまっています(下記コラム参照)。

 その反対に、私自身が他者に対して感謝の言葉を伝えたいと思うことはよくあります。そして、可能な範囲でそうしているのですが、これがなかなかむつかしいのです。例えば上記1つ目のエピソードの男性の真似をして、喫茶店やレストランでウエイトレスやウエイターに「ありがとうございます」と言うように心がけているのですが、その男性のようなさわやかさがまったくない私が真似をするとなんだかぎこちなくなってしまうのです。

 そのうちに「他人に感謝することは大切だけれど簡単ではない」ことが分ってきました。だからいつも、どうやって感謝の言葉を伝えるか、どのような言葉を使ってどのタイミングでどのように言うかを考えるようにしています。そして、それがうまく伝わったとき、とりわけ、日頃は恥ずかしくてそういったことを言いにくい近い関係の人に上手に気持ちを伝えられたときはとても幸せな気持ちになります。

 ここで興味深い論文を紹介しましょう。科学誌「scientific reports」2022年7月9日号に掲載された論文「パートナーに感謝の気持ちを意識的に表明すれば、一緒にいる時間が増え、CD38の変動の影響を緩和する(Implementation intentions to express gratitude increase daily time co-present with an intimate partner, and moderate effects of variation in CD38)」です。

 研究の対象は125組のカップルです。カップルを2つのグループに分け、1つのグループには2人のうちどちらかに「パートナーに感謝を感じたときにはその気持ちをはっきりと表現する」ように指示しました。このとき、その感謝を表現する者はパートナー(感謝を表現される方)に実験の趣旨を伝えないようにしました。

 すると、対象カップルと比較して、どちらかが感謝を意識的に伝えたカップルの方は、一緒に過ごす時間が1日あたり68分も増えたのです。

 感謝したときにそれを言葉にするだけでパートナーと一緒に過ごす時間が68分も増えるのです。「感謝」の効果は凄まじいと言っていいのではないでしょうか。せっかく人間はこんなに素晴らしい感謝の言葉を生み出したのにもかかわらず、使わないのはもったいなさすぎます。

 ここからは論文に書いていない私の個人的意見です。実験では被験者に対して「感謝を”感じれば”言葉で伝えるように」と指示されていました。被験者はこのミッションを聞いて「感謝できるタイミングに注意しよう」と思ったはずです。つまり、少しでも感謝できることがないかを常に考えていたはずです。その結果、パートナーと一緒に過ごす時間が増えて平和で幸せな時間を過ごせたわけです。

 これを応用しない手はありません。つまり、すべての人間関係において、感謝の気持ちが芽生える瞬間を感知するセンサーの感度を上げておくのです。上述したように、感謝の言葉を述べるのはときに気恥ずかしくて照れ臭くて、タイミングを外せば場が白けてしまうというリスクもあります。ですが、この「感謝センサー」の感度を上げておくことで、人生が充実したものになることを私は確信しているのです。

参考:日経メディカル 谷口恭の「梅田のGPがどうしても伝えたいこと」2019年4月5日
「医師は感謝を期待してはいけない」

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