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2025年1月30日 木曜日

2025年1月30日 コーヒーは頭頚部がんのリスクを減らし紅茶は喉頭がんのリスクを上げる

 首から頭部にかけての複数の臓器のがんをまとめて「頭頚部がん」と呼ぶことがあります。具体的には、口腔がん、咽頭がん(上咽頭がん、中咽頭がん、下咽頭がん)、喉頭がん、鼻腔がん、副鼻腔がん、唾液腺がんなどです。GLOBOCANというデータベースによると、このなかで最も多いのが口腔がん、次いで喉頭がん、上咽頭がん、中咽頭がん、下咽頭がん、唾液腺がんと続きます。世界全体では毎年約89万人に頭頚部がんが見つかり、毎年約45万人が死亡しています。頭頚部がんによる死亡者はがん全体の死亡者の約4.5%を占めています。

 頭頚部がんについてまとめられた2023年の論文によると、頭頚部がんは「世界で7番目に多いがん」とされています。発症因子はかなりはっきりとしていて、タバコ、アルコール、ビンロウ(台湾の路上で見かける血を吐いたような唾液が出る実です)、HPV感染です。先進国ではすでにHPV関連の頭頚部がんがタバコやアルコールによるがんを上回っています。

 今回紹介したいのは「リスク」でなく「リスクを下げる因子」で、それがコーヒーと1日1杯未満の紅茶です。医学誌「Cancer」2024年12月23日号に掲載された論文「コーヒーと紅茶の摂取と頭頸部がんのリスク:国際頭頸部がん疫学コンソーシアムにおける最新の統合分析(Coffee and tea consumption and the risk of head and neck cancer: An updated pooled analysis in the International Head and Neck Cancer Epidemiology Consortium)」から引用します。この研究は、これまでに公表されている14件の研究から9,548 件の頭頸部がんの症例と15,783件の対照例を元に分析したものです。結果は次のようになります。

・カフェイン入りコーヒーを1日4杯以上飲む人は、まったく飲まない人と比較して、頭頚部がんのリスクが17%低い。口腔がんのリスクは30%、中咽頭がんのリスクは22%低い

・カフェイン入りコーヒーを1日3~4杯飲む人は、下咽頭がんのリスクが41%低い

・カフェイン抜きのコーヒーを飲むか1日1杯未満のカフェイン入りコーヒーを飲む人は、口腔がんのリスクが25%低い

・紅茶を飲む人は、下咽頭がんのリスクが29%低い

・紅茶を1日0~1杯飲む人は、頭頚部がんのリスクが9%、下咽頭がんのリスクは27%低い

・紅茶を1日1杯以上飲む人は喉頭がんのリスクが38%高い

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 カフェイン抜きのコーヒーでもリスク低下がみられたのはおそらくコーヒーに含まれるポリフェノールの影響でしょう。

 コーヒー好きの人はいいとして紅茶派の人たちはこの結果に戸惑うのではないでしょうか。「1杯以下ならOKで、1杯以上は喉頭がんのリスクを上げる」というのですから。なぜ、咽頭がんのリスクは下がるのに喉頭がんは上がるのでしょう。咽頭は熱に強くて喉頭は弱いということなのでしょうか。だとすると、紅茶はコーヒーに比べて熱い温度で飲んでしまうのでしょうか。

 いずれにしても頭頚部がん予防のためにコーヒーや紅茶を飲むのは筋違いだと思います。リスクを下げたいなら、禁煙、禁酒/節酒、台湾(だけではないですが、私は台湾でしか見たことがありません)渡航時にはビンローを買わない、そしてHPVワクチン接種を検討する、ということになるでしょう。

 

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2025年1月19日 日曜日

第257回(2025年1月) 「超加工食品」はこんなにも危険

 「超加工食品」という言葉が日本語として正しいのかどうか分かりませんが、海外メディアではここ数年「ultra-processed foods」という言葉が繰り返し登場しています。ここではとりあえず「超加工食品」という言葉を採用して、これがどれだけ魅力的か、そしてどれだけ危険かを振り返ってみたいと思います。

 まずは言葉からみていきましょう。超加工食品という言葉は、2009年、ブラジルのCarlos Monteiro医師によって提唱されました。Monteiro医師はすべての食品を加工の程度によって分類することを試みました。この分類を「NOVA分類(≒新分類)」と呼びます。

 NOVA分類は当初は3つのカテゴリーでした。

<グループ1>加工されていない、または最小限に加工された食品(unprocessed or minimally processed foods):野菜、米、牛乳、卵、魚など

<グループ2>加工された原材料(processed ingredients):砂糖、小麦粉など

<グループ3>超加工食品(ultra-processed food products):パン、ソーセージ、チーズ、缶詰など

2017年に4つのカテゴリーに再分類されました。

<グループ1>加工されていない、または最小限に加工された食品(unprocessed or minimally processed foods):果物、野菜、ナッツ、種子など

<グループ2>加工された料理用原材料(Processed culinary ingredients):砂糖、植物油、バター、塩など

<グループ3>加工食品(Processed foods):缶詰野菜、チーズ、できたてのパン(freshly made breads)など

<グループ4>超加工食品(Ultra-processed foods):スナック菓子、ソーダ、即席ラーメン、冷凍ピザ、大量生産のパン(mass-produced packaged breads)など

 2017年分類の「グループ4=超加工食品」を毎日のように食べている人も少なくないのではないでしょうか。日本人がグループ4をどれくらい摂取しているのかを示したデータは見当たりませんが、米国では食品の約60%を占めていて、子供や10代の若者に限ればその割合はさらに高く、食べているものの約3分の2が超加工食品だとされています。

 では、超加工食品を摂取すれば何が悪いのでしょうか。第二次トランプ政権で保健関連の要職につくとされているロバート・F・ケネディ(RFK)・ジュニアは「反ワクチン派」であることから科学者や医療関係者からは否定的にみられていますが、以前から超加工食品を「毒」とみなしていて、この点は世界中で評価されています。

 「毒」という表現が適しているかどうかは別にして、超加工食品を否定的にみているのはRFKジュニアだけではありません。

 コロンビアは2023年11月、超加工食品に課税することを発表しました。ブラジル、カナダ、ペルーなどは超加工食品の摂取を制限するよう勧告しています。

 では超加工食品のいったい何が悪いのでしょうか。

 まず、超加工食品の摂取割合が増えれば確実に太ります。それを示した研究もあります。

 肥満でない20名の被験者(平均年齢31.2歳、BMI27)を2つのグループに分け、一方のグループには超加工食品を、もう一方のグループには未加工食を2週間食べてもらいました。食事は、カロリー、主要栄養素、糖分、ナトリウム、繊維質が一致するように設計されました。どれだけ食べるかは被験者の自由とされました。
 
 結果、超加工食品摂取のグループは毎日500Kcal多く摂取していました。炭水化物と脂肪を多く摂っていて、蛋白質は未加工食のグループと差がありませんでした。超加工食品のグループは体重が0.9kg増え、対照的に未加工食のグループでは0.9kg減っていました。

 では、なぜ我々は超加工食品をたくさん食べてしまうのでしょう。当然すぎる答えですが「美味しいから」です。超加工食品には「脂肪と糖分」「脂肪と塩分」「炭水化物と塩分」のいずれかの組み合わせが多く、これを英紙「エコノミスト」は「”超嗜好性”ミックス(”hyper-palatable” mixes)」と呼んでいます。

 興味深いことに、これらの組み合わせは自然界には存在しません。そして食べやすい形と柔らかさが特徴です。超加工食品はたいてい袋をあければすぐに食べられますし、やわらかいですから食べるスピードが早くなります。早く食べてしまうと、満腹中枢が働き始めるころにはすでに後の祭り、となってしまっているわけです。

 超加工食品は太るだけではありません。寿命も縮めます。米国の健康な男性の医療者39,501人と女性看護師74,563人を対象とした興味深い研究を紹介しましょう。

 30年以上に渡る調査期間で死亡したのは男性18,005人と女性30,188人。超加工食品の消費量でグループを4つにわけると、最も多い1/4のグループは最も少ない1/4のグループに比べ、全死亡率が4%高くなっていました。がんと心血管疾患を除くと9%高くなっていました(つまり、意外ではありますが、超加工食品を摂取してもがんと心血管疾患の死亡は増えなかったのです)。

 肉/鶏肉/魚介類(Meat/poultry/seafood)をベースにした調理済み製品(加工肉など)は、死亡率との強い関連性を一貫して示し、6~43%の死亡リスク上昇が認められました。砂糖や人工甘味料を加えた飲料では9%、乳製品ベースのデザートでは7%上昇していました。

 肥満と死亡リスクの上昇以外にも様々なリスクがあります。食事中の超加工食品摂取量が多い上位10%の人は、不眠を抱えるリスクが男性で9%、女性で5%上昇するという研究があります。

 不眠が生じるなら「うつ病」も起こしそうです。そしてそれを示した研究もあります。米国の42~62歳(平均52歳)の女性看護師31,712人を対象とした研究を紹介しましょう。まず、超加工食品摂取量が多ければ、BMIが高く、喫煙率が高く、糖尿病、高血圧、脂質異常症などの併存疾患の有病率が高く、定期的に運動する可能性が低いことがわかりました。そして、うつ病については、狭義のうつ病発症者は2,122人、広義では4,840人が該当しました。

 超加工食品摂取量で対象者を5つのグループに分けたとき、最も摂取量の多い1/5のグループは、最も少ない1/5のグループと比較して、狭義のうつ病発症リスクが49%、広義のうつ状態の発症リスクは34%上昇していました。興味深いことに、この研究ではどのような超加工食品がうつ病のリスクとなるかも検討されています。特に顕著だったのが人工甘味料入り飲料で37%、人工甘味料も26%のリスク上昇が認められました。

 超加工食品の摂取を1日3回以上減らした人は、摂取量を変えなかった人に比べてうつ病発症のリスクが16%低下していました。

 超加工食品は不眠やうつ病だけでなく認知症のリスクにもなります。医学誌「Neurology」に発表された研究は米国の全国規模の2つのデータベースを解析しています。加工赤身肉の摂取量を1日あたり0.25サービング以上摂取している人は、1日あたり0.10サービング未満の人と比較して、認知症のリスクが13%高く、SCD(Subjective Cognitive Decline=主観的認知機能低下)は14%高くなっていました。SCDとは最近提唱された概念で「試験では認知症ではないが、本人が認知症かもしれないと考えている段階」のことです。サービングについては「1サービング=一皿」と考えてOKです。加工赤身肉の摂取量が多いと、全般的な認知能力の老化が加速することも分かりました。1日1サービングの増加につき1.61歳老化が加速します。言語記憶の能力(単語や文章を理解して記憶する能力)は1.69歳老化します。

 興味深いことに、一日一食分の加工赤身肉をナッツ類や豆類に置き換えると、認知症のリスクが19%、SCDのリスクが21%低下することが分かりました。また、加工されていない赤身の肉であれば、認知症のリスクを上げないことも分かりました。

 英国のデータベースを用いて実施された研究もあります。結果は米国のものと同じようなもので、加工肉の摂取量が1日あたり25g増えるごとに、全認知症発症リスクが44%、アルツハイマー病発症リスクが52%増加します。対照的に、未加工の赤身肉の摂取量が1日あたり50g増加すると、全認知症発症リスクが19%、アルツハイマー病発症リスクが30%低下します。加工(赤身)肉とは、ベーコン、ホットドッグ、ソーセージ、サラミ、ボローニャソーセージなどです。

 どうやら心身ともに健康で長生きするには「いかに超加工食品の誘惑を断ち切るか」が鍵になりそうです。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2025年1月9日 木曜日

2025年1月9日 じんましんを放っておけば死亡リスクが2倍に

 2021年5月から開始したメルマガ「谷口恭の『その質問にホンネで答えます』」は、はや3年半を超え、この間様々な質問をいただいています。もともと谷口医院は2007年の開院以来メールでの質問を常に受け付けているので、以前から全国から(ときには海外からも)多くの相談が寄せられていたのですが、最近はさらに質問の幅が広がっています。メルマガで読者の質問に回答すると、さらに相談が増えることがあります。最近、メルマガ公開後に質問が増えているのが「じんましん(以下、蕁麻疹)」についてです。そのメルマガで紹介した研究についてここで取り上げたいと思います。

 この研究の対象者は米国の慢性蕁麻疹の患者264,680人(及び同数の対象者)です。蕁麻疹があれば、調査開始から3ヵ月後、1年後、5年後の全死因死亡率が、なんと2.09倍、1.77倍、1.69倍にもなるというのです。特に目立つのが若年者(18~40歳)で、死亡リスクは2.14倍にもなります。

 死因としては自殺が多く、自殺念慮/自殺企図は蕁麻疹がない人に比べて3.14倍にもなります。がん(悪性腫瘍)に罹患するリスクも2.09倍とされています。脳血管疾患は2.27倍、糖尿病は2.05倍です。

 興味深いことに、この研究は「治療でリスクが下がる」ことを示しています。まとめると下記のようになります。

 (内服)ステロイドで治療 → リスクは低下せず
 抗ヒスタミン薬で治療 → リスクは低下する
 抗ヒスタミン薬+オマリズマブ(ゾレア)で治療 → リスクはさらに低下

 対象者の薬の使用もとても興味深いものとなっています。

 (内服)ステロイド使用:117,372人
 抗ヒスタミン薬使用:113,334人
 (抗ヒスタミン薬+)オマリズマブ使用:1,414人
 シクロスポリン使用:356人

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 この研究、蕁麻疹が(特に若年者の)死亡リスクになるということにかなり驚かされるのですが、それと同じくらいに衝撃的なのは米国ではこんなにもステロイドが使われているのか、ということです。

 内服(または点滴の)ステロイドは確かに蕁麻疹には”劇的に”効きます。ですから(例えば薬の副作用などで起こる)急性の蕁麻疹には使うことがあります。しかし、慢性蕁麻疹には原則としてステロイドは使うべきでありません。そんなことをすれば取り返しのつかない副作用が生じることは必至だからです。にもかかわらず抗ヒスタミン薬よりも多く使われていることに驚かされます。”雑な治療”と言われても仕方がないでしょう。

 オマリズマブ(ゾレア)は副作用もほとんどなく極めて優れた薬だと言えます。費用が高くつくのが欠点ではありますが、蕁麻疹の死亡リスクがこれだけ高いのならば比較的早い段階から積極的に使用してもいいかもしれません。

 尚、冒頭で触れたメルマガでの相談は「ザイザルを1日2回飲んでも治らない」というものでした。重症例であっても、たいていは、ステロイドでない安全な飲み薬を4~5種類組み合わせれば症状は消えます。その後少しずつ減らしていけば完全に治すことができます。4~5種の内服薬を使っても完全に消えないときにはゾレアを検討することになります。

参考:湿疹・かぶれ・じんましん

 

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2025年1月2日 木曜日

2025年1月 私自身も「同じ穴のムジナ」なのかもしれない

 すでにこのサイトでも何度か述べたように、私は自分の「ミッション・ステイトメント」を持っています。「持っている」というとなにやら厳かなもの、あるいは宗教的なニュアンスが出てきますが、単に「つくっています」と表現するよりは「持っています」の方が適しているように思えます。なぜなら、ミッション・ステイトメントは単なる作文でありながら、自分自身の根幹になるもの、あるいは自分にとっての「掟」にもなるからです。国でいえば「憲法」に相当するといえるかもしれません。

 2025年1月1日、私は28回目となる「ミッション・ステイトメントの見直し」をおこないました。1997年に初めてミッション・ステイトメントを作成し、以降毎年1月1日に時間をみつけ、日ごろは考えないような深いところにまで”降りていき”内省します。このときには、普段は考えたくないようなこと、あえて日ごろは目を伏せているようなことまで掘り下げます。だから、この見直し作業は毎度毎度けっこうな”痛み”を伴うのです。なぜって、日ごろは意識しない自分の深部に直面せねばならないからです。

 2020年1月に始まったコロナ騒動はいまや完全に終息し、過去5年間で医療界は大きく様変わりしました。今回のミッション・ステイトメント見直し作業では医療の流れについて考えてみました。もちろん私が思いを馳せるのは、大手メディアが取り上げるような先進医療のこととか保険証がマイナンバーカードに替わるとか、あるいは医師不足や偏在のことではありません。

 私が5年間のコロナ騒動で最も気になる医療界の変化は「多くの医師がかつての医師ではなくなった」です。これは否定的な意味です。もちろん、私の医師へのイメージも、一般の人と同じで主観的な思い込み、あるいは単なる幻想です。ただ、一般の人とまったく同じかというと、私自身が当時者である分、しかも医学部入学から数えれば四半世紀以上もこの世界に身を置いている分だけはその思い込みは客観性を帯びていると思うのです。

 そんな私からみて「医師はかつての医師ではなくなった」とはどういうことかというと、「利他的で勤勉で献身的で思いやりのある人物」が、まるでその逆のキャラクターに、つまり「利己的で学びもせず自分優先で優しくない人物」に様変わりしたように映るのです。もちろん、過去の医師たちは聖人君子のような人たちばかりだったなどとは考えていませんでしたし、このサイトにも非難されるべき医師を取り上げたことがあります。

 しかし、全体を俯瞰して言えば、医師は高い人格を持ち合わせていると思っていたのです。例えば、2014年には「医師に人格者が多い理由」を書いて、医師がいかに利他的で高い人格を有しているかについて述べました。2017年のコラム「医師に尋ねるべき5つの質問」では、患者から訴えられている見ず知らずの医師をかばい「医師は金のために働いているわけではない」と力説しました。

 それが、5年近く続いたコロナ騒動で、私が抱いていた幻想はまるで指の間を流れ落ちていく細やかな砂粒のように消えていったのです。武漢から帰国した日本人や「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客乗員へのケアをおこなった医療者に対して差別をする勤務医が現れ、発熱で苦しんでいるかかりつけ患者の診察をえげつないほど拒否したくせに発熱患者を診れば補助金が出るとなると一気に患者を取り合う開業医があふれ、「時給18万円」(日給ではない!)のワクチンバイトに群がるフリーター医師が激増しました。

 他にも、「直美(ちょくび)」と呼ばれるわずか2年間の研修しか受けていないのに年収3千万円を求めて美容クリニックに群がる若い医者、臨床経験がほとんどないのに「困ったときにはいつでも駆け付けます!」などと患者にやさしい”フリ”をして夜勤を増やして金を稼ぐ若い訪問診療医などが大量に”生産”されました。2024年後半には「直美」がちょっとした流行語になった一方で「経験の浅い訪問診療医」はまだあまり目立っていませんが、ベテランの往診医や看護師からの情報によると、まあひどいものです。とにかく経験がないものだから基本的な知識や技術が欠落しているわけです。現場の看護師の指示がなければなんにもできない医師も少なくないとか。だけど若い彼(女)らは愛想だけはいいようです。コミュニケーション能力があって見た目が悪くなければ訪問診療医なんて、そして「直美」も誰でもできるとする意見も聞きます。

 さて、ここで私自身の内面の話をしましょう。1月1日、このようにコロナ騒動期間の医師の凋落ぶりを考えていると、「では、そんなに偉そうなことを考えているお前自身はどうなんだ」という声が聞こえてきました。「そんな上から目線で同業者を批判する資格がお前にはあるのか」と問うてくるのです。

 そこで改めて考えてみました。医師になる前からの自分の人生を振り返り、なぜその道に進んだのかを思い直してみたのです。まず確認できたのが「私は常に金儲けとは反対の方向に進んでいる」です。

 私が最初に就職活動をやったのはバブルがギリギリ続いていた1990年代前半、世間は超売り手市場で、「就職説明会は高級ホテルで飲み食い自由」「入社すれば海外旅行に招待」なんていうのは当たり前、「うちにくれば新車一台プレゼント」なんてところまでありました。大学のゼミ仲間(当時の私は関西学院大学の社会学部でした)のほとんどが都市銀行や大手商社などを目指していたなかで、私はできるだけ「小さな企業」に絞っていました。「高収入で会社の歯車になるくらいなら、低収入でも小さな企業でおもしろいことをしたい」と考えたのです。

 就職して、その「おもしろいこと」ができるようになってしばらくすると、これでいいのだろうか、という疑問が抑えきれなくなり、母校の大学院に進学することを考えました。そのため母校のある教授の元を定期的に訪れ論文や教科書を紹介してもらうという生活にうつりました。学問の道に進めば、もちろん収入は激減します。本を書いて売れたりすれば別なのかもしれませんが、通常学者(あるいは学者を志す者)は貧乏です。

 当時の私が研究したかったのは「人間の行動・感情・思考」といったもので、関連の文献を読み漁るなかで、生命科学、とりわけ分子生物学、脳生理学、免疫学、精神分析学といった領域に興味がでてきました。これが社会学から医学への進路変更につながるわけですが、私は医学部入学時には医者になるつもりはまったくなく、医学の研究がしたかったのです。しかし医学部4回生で能力の限界を思い知り諦念し、5回生で臨床医へと進路変更しました。

 医師になってからも定型的な出世コースや金儲けには興味がなく、研修期間が終わると、まずHIVに積極的に取り組んでいた診療所に丁稚奉公させてもらい、その後タイのエイズホスピスを訪れ無償ボランティアに従事しました。ここで米国の総合診療医に師事し総合診療の道に進むことを決心します。帰国後、母校の大阪市立(現・公立)大学の総合診療科の門を叩き、大学に籍を置きながら大阪市北区に開業しました。

 「開業すれば儲かるのでは?」という質問はもう何百回も受けましたが、そもそも総合診療というのはひとりの患者さんに時間を割いて、しかも検査も薬も最小限にすることを心がけますから儲かりようがないのです。実際には、なぜか患者数が急増し、開業2年目には初めて受診する患者だけで4,237人にも上り、それなりに利益が出てしまったのですが、それらは慈善団体に寄付しましたし、待ち時間が長いなどのクレームも急増したおかげで、次第にちょうどいい塩梅へと収斂していきました。ここ数年間の「初めて受診する患者数」は年間千人程度とかつての4分の1以下です。

 長々と振り返ってみましたが、改めて見直しても私には金儲けがモチベーションになったことはこれまでの人生で一度もありません。では、進路選択の真の動機は何だったのか。ひとつめの大学卒業時には「おもしろいことをやりたい」、社会学部大学院を目指していた頃は「人間とは何かを知りたい」で、これが医学部4回生あたりまで続いていました。臨床医を目指すようになった動機は「臨床、特に救急ってけっこうおもしろい」で、タイのエイズホスピスに赴いたのは「HIVが理由で差別される人を助けたい」で、大学の総合診療科に入局しそして開業したのは「他で診てもらえなかった人たちの力になりたい」です。

 こうしてみてみると、私の人生の前半、臨床医を目指すまでの進路選択の動機は「おもしろいもの、ワクワクするものに取り組みたい」で、これは自分勝手なものではありますが、社会から否定されるものではないと思います。少なくとも「金儲け」「高い地位」などよりははるかに受け入れられやすいでしょう。後半の「差別で苦しむ人を助けたい」「他で診てもらえなかった人の力になりたい」は、社会一般的には「美しいもの」と認識されるのではないでしょうか。

 ここまでを考えると、私の歩んできた人生は、「金儲けを考えず困っている人のために尽力する」というとても”美しいもの”になってしまいます。そして、ここで私の疑問が浮き彫りになります。聞こえてくるのは「お前はそんなに高貴な人間のはずがないだろ」という内からの声です。そうです。その通りなのです。私自身のことは私がよく知っています。決して私は高貴な人間でも他人から尊敬されるような人物でもありません。

 しかし私は嘘を言っているわけではありません。これまで金儲けを目標にしたことがなく、今も臨床を続けているのは、他の医療機関から見放された人たちの力になりたいという欲求、あるいは欲求よりももっと強くて根源的な「欲望」と呼ぶべきものです。

 「欲望」というこの言葉を噛みしめたときに分かったような気がしました。欲望は理屈からではなく、身体の芯から湧き出るもの、もしかすると「本能」と呼ぶべきものかもしれませんが、前頭葉で思考するようなものではなく、原始的な脳が求める強い欲求を意味します。そして、その欲望が、医者によっては「カネ」である一方で、私の場合は「差別されたり他の医療機関で見放されたりした人の力になりたい」であるだけなのでは?、ただ単にそれだけのことでは?、と思えてきたのです。

 同業者を差別したり、発熱患者を拒否したり、金儲けに走ったりする欲望は社会からは歓迎されないことに彼(女)らは気づいているはずです。それでもなんらかの言い訳を用意してそれを選択するのは、そうさせる欲望があるからです。他方、私自身にも困窮している人たちを救いたいという、これまた欲望があります。ということは、彼(女)らと私に根源的な差があるわけではありません。

 しかし、疑問が残ります。「困っている人を救いたい」が欲望であったとしても依然それは”きれいすぎ”ます。さらにその奥に何か得体のしれないドロドロとしたもっと原始的な欲望があるのではないか……。今年の元旦、私にはそれ以上掘り下げることはできませんでしたが、もしかすると”恐怖”でできなかったのかもしれません。

 スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek)が最近Telegraphに載せていた言葉を思い出しました。

「私は内にある真実の存在など信じない。自分の外に都合の良い理由を見つけてそれにしがみついていればいいのだ。自分が善良なふりをしてそれに従って行動していれば善良になれる可能性はある。しかし、決して自分の奥深くを見つめてはいけない。そんなことをすれば(sで始まる)とんでもないものしか見つからないのだから……」

because I don’t believe in inner truth. Your ethical duty is to find a good cause outside yourself and stick to it: pretend that you are good and act accordingly and maybe there is a chance you will become good. But don’t look deep into yourself. You will discover only s—.”

 内面へと降りていく私の“探求”はいったん打ち切ることにしました。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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