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2013年6月22日 土曜日

109 糖質制限食はダイエットにどこまで有効か 2012/2/20

ダイエットを確実に成功させるには「カロリー制限」をおこなえばいいわけですが、なかなか簡単にはいかないものです。今から10年ほど前、つまり21世紀に入った直後くらいから「糖質制限ダイエット」が注目されだし、様々な議論が交わされてきました。日本でもここ2~3年は積極的にすすめる医療者が増えてきています。

 太融寺町谷口医院でも、糖質制限について患者さんから質問を受ける機会が増えてきています。質問を受けたとき、「糖質制限については、推奨する医療者が増えてきているのは事実ですが、一方では危険性を指摘する専門家もいて、現時点では自信を持って勧められるわけではありません。また当院の患者さんのなかにも実践した人は何人もいますが、炭水化物を制限するのは予想以上にしんどいようですよ」、とこのような内容を話すのですが、最近ますます質問を受けることが多くなり、また以前にもまして糖質制限の高い効果がマスコミなどで取り上げられるようになってきています。今回は、この「糖質制限」の有効性と現実性について考えていきたいと思います。

 まずは言葉の整理から始めましょう。「糖質制限」が一躍有名になったのは、英国のロバート・アトキンス博士が考案した「アトキンスダイエット」ではないかと私はみています。アトキンスダイエットを一言で言えば、糖質(炭水化物)の摂取を大きく制限することで痩せる、という方法です。この方法はたしかに理に適っており、糖質(砂糖などの甘いものだけではなく、米やパン、パスタなどの炭水化物も含みます)を制限すれば、インスリンの分泌量が高くならず血糖値もあまり上昇しません。そのため身体は体内に蓄えられている脂肪を分解してエネルギーを得るようになり、結果として痩せることになります。

 日本ではアトキンスダイエットという言葉以外にも、例えば、低炭水化物ダイエット、ケトン式ダイエット、ローカーボダイエット、低糖質ダイエット、低インスリンダイエットなどの言葉がありますが、内容はどれも似たようなものと考えて差し支えありません。(便宜上、ここからは「糖質制限」という名称に統一します)

 糖質制限が注目されるにつれて、ダイエットに成功したという人、また糖尿病が改善した、と言う人が増えてきて、成功談が取り上げられる機会が増えてきました。彼(女)らの話は、カロリーを一切制限せずに、肉やワインなど好きなものを好きなだけ食べて飲んで成功した、というわけですから、これまでカロリー制限に苦労してきた人にとってみれば「夢のダイエット法」にみえるのもうなずけます。

 21世紀初頭あたりから、糖質制限ダイエットは世界中でムーブメントを巻き起こしましたが、盛り上がるにつれて、危険性が指摘されるようにもなってきました。頭痛や下痢は比較的高頻度におこりますし、長期的な安全性が保障されていないことを危惧する学者もでてきました。

 そんななか、糖質制限ダイエットの火付け役でもあったアトキンス博士が突然死亡(享年72歳)するという出来事が起こりました。死因は自己転倒で頭を強打したからとされていますが、心臓病があったことや死亡時の体重が100kgを超えていたとの報道がおこなわれ、言いだしっぺのアトキンス博士が肥満で死亡した、という噂が流れ、糖質制限ダイエットは一気に下火を迎えることになります。実際、アトキンスダイエットの普及につとめていたアトンキンスニュートリッショナルズ社は倒産することになります。

 しかし、糖質制限ダイエットは、理論的に考えて、血糖値がさほどあがらずにインスリンの分泌量が減り、脂肪が蓄積されにくいわけですから、肥満や糖尿病の予防・改善には有効である可能性があります。医療者のなかにも積極的に糖質制限をすすめる者もいれば、危険性を重視して反対する者もいるといった状態が続いていました。

 そのような状況のなか、学術的に意義のあるダイエットの研究がイスラエルでおこなわれ、これが医学誌『The New England Journal of Medicine』2008年7月17日号に掲載されました(注1)。

 この研究では、イスラエルの40~65歳のBMI27以上で、2型糖尿病もしくは冠動脈疾患を持っている人322人が対象とされています(注2)。その322人の対象者を、①低脂肪かつ低カロリー食(要するに従来からすすめられているダイエット法)、②地中海食(オリーブオイルを多用し、肉より魚を優先したカロリー制限食)、③糖質制限食(初期は炭水化物を1日20グラムに制限し、その後も1日120グラム未満に制限。ただしカロリー制限はなし)、の3つのグループにわけて2年間の追跡調査がおこなわれました。

 その結果、3つのグループのいずれもが体重減少に成功しているのですが、驚くべきことに、①の低脂肪かつ低カロリー食よりも、②地中海食(注3)や③糖質制限食の方が体重減少の程度が大きかったのです。(具体的な体重減少の値は、①低脂肪食2.9±4.2kg、②地中海食4.4±6.0kg、③糖質制限食4.7±6.5kg)

 糖質制限食の有用性を検討した研究というのは実はたくさんあるのですが、この研究は、対象者が少なくなく、2年間という(この手の研究にしては)長期間の調査であり、なおかつ一流の医学誌に掲載された(それだけ厳しい基準をクリアした)ために、この研究は今でも重要視されています。

 さて、今後、日本で糖質制限食がどのような位置づけをされるか、という点について考えていきたいと思います。まず、これからも糖質制限をすすめる医療者は増えていくことが予想されます。ダイエットを試みる人たちも、「カロリー制限なし」というのは大変魅力に感じることでしょう。

 しかし、糖質制限が本当にできるかどうかは、始める前にじっくりと検討しておいた方がいいでしょう。アトキンスダイエットや、上に述べた研究にあるような1日20グラムの炭水化物の制限は相当厳しいですし、最近はそこまで制限しなくても1日130グラム程度で充分とする説もでてきていますが、これとて簡単ではありません。

 茶碗に軽くもったご飯でだいたい50グラムですから、これを考えれば1日130グラムならやっていけそうな気がしますが、糖質はお菓子など甘いものやパンやご飯といった「いかにも炭水化物」というものだけではありません。いもや豆にはけっこうな量の炭水化物が含まれていますし、健康にいいとされている海草類や乳製品、果物などに含まれる量も少なくありません。

 糖質制限を宣伝するコピーに「焼酎飲み放題、ステーキ食べ放題」というのを見たことがあります。たしかに焼酎は糖質ゼロで、牛肉そのものにもほとんど糖質は含まれていません。しかし、ステーキにかけるソースには大量の砂糖が使われているでしょうし、付け合せのじゃがいもや豆も高炭水化物です。ステーキと一緒にパンやご飯が食べたくなる人は少なくないでしょう。

 私自身は、糖質制限を否定しませんが、多くの人にとって実践するのは非常に困難であると考えています。ですから、上に述べた研究のように「カロリー制限なし」とすることには抵抗があります。カロリー制限もおこないながら、同時に「可能な範囲で糖質の摂りすぎに注意する」くらいが現実的ではないか、と考えています。

 逆に、炭水化物は「腹持ち」がいいですからカロリー制限をおこなうには適しているともいえるわけです。マラソンランナーは試合の前日に炭水化物を積極的に取りますが(これを「カーボローディング」といいます)、持久力をつけるのに炭水化物は最適です。また、空腹時に食堂にいくとドカ食いしてしまうという人もいるでしょうが、そんなときチョコレートを1粒食べれば血糖値があがって食欲が抑えられます。血糖値が上がるのは問題じゃないか、と思う人もいるでしょうが、1粒ならせいぜい20~30Kcalです。これで、空腹感がおさまりドカ食いを防げるなら、こちらの方がダイエットにつながるわけです。

 糖質制限ダイエットの「カロリー制限なし」ばかりに目を奪われて、気付いたら前より太っていた・・・、などということは避けたいものです。

注1:この論文のタイトルは、「Weight Loss with a Low-Carbohydrate, Mediterranean, or Low-Fat Diet」で、下記のURLで概要を読むことができます。

http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa0708681

注2:BMIはBody Mass Indexの略で、体重(キログラム)÷身長(メートル)の2乗で算出します。例えば、88キログラム、2メートルの人であれば、88÷2の2乗=88÷4=22となります。2型糖尿病とは、詳しく説明するのはなかなか困難なのですが「生活習慣からくる糖尿病」と考えてだいたい差支えありません。冠動脈疾患とは狭心症や心筋梗塞を指しますが、肥満や高血圧、高血糖などが危険因子となります。

注3:本文では地中海食について詳しく述べていませんが、日本では地中海食はさほど普及しないと私はみています。オリーブオイルは、たしかに味も悪くなく健康にいいとされていますから、積極的に使っている人は日本人にも大勢いますが、この研究では1日30~45グラムのオリーブオイルを毎日摂り、さらに1日5~7個のナッツを食べることが条件となっています。イタリア料理などオリーブオイルやナッツをふんだんに使った料理は確かに美味しいですが、それを毎日のノルマにされると、どれだけの日本人が続けられるのか疑問です。この研究はイスラエルだからこそできた、と考えるべきでしょう。

参考:メディカルエッセイ
第94回(2010年11月) 「水ダイエットは最善のダイエット法になるか」
第93回(2010年10月) 「ダイエットの2大法則」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2013年6月22日 土曜日

108 医師がストレスを減らすために(後編) 2012/1/20

太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)が他のプライマリケアのクリニックと異なる点のひとつに、働いている患者さんが多い、ということが挙げられます。農村や郊外にあるクリニック(診療所)では、患者さんの大半が高齢者であるのが普通であり、年齢だけでなく、かかっている病気の種類も随分と異なります。

 高齢者の多いクリニックでは、高血圧、腰痛、骨粗鬆症、悪性腫瘍、などの疾患が多いのに対し、谷口医院の場合は、高血圧や高脂血症、糖尿病といった生活習慣病や上気道炎や感染性胃腸炎といった”かぜ”は若い世代にも多く共通していますが、花粉症や喘息といったアレルギー疾患、ニキビやアトピー性皮膚炎といった皮膚のトラブル、HIVなどの感染症、などは比較的若い世代に多いという特徴があります。

 そして見逃せない症状・疾患として、不眠、不安、抑うつなどの精神症状があります。もちろん、高齢者の多いクリニックでもこうした精神疾患は珍しくありませんが、谷口医院の患者さんの大半は、「働いていることや職場の環境が原因もしくは増悪因子になっている」という特徴があります。実際、出向や転職によって症状が改善(もしくは増悪)した、ということは珍しくありません。

 前回は、医師は長時間労働を強いられ、患者さんから誤解されることが多く、それが耐えられないほどのストレスになる、という話をしました。職場で多大なるストレスを受ける、という意味では、医師も、谷口医院に通院している患者さんも同じようにみえますが、私はあるときから「医師と他の職業ではストレスの種類が違う」ことに気づきました。

 このことを説明するのに、病院で事務をしている40代のある男性(仮にAさんとしておきます)を紹介したいと思います。(ただし本人が特定されないように若干のアレンジを加えています)

 中規模の病院で事務員として働くAさんは、労働時間そのものはそれほど長くないものの、仕事でのストレスから不眠と抑うつ状態が続いています。薬を飲めば眠ることができますし、抑うつ状態やイライラもある程度は薬で改善します。夏休みにはまったく症状がでない、と言いますから、このことからもAさんの精神症状の原因(もしくは増悪因子)が職場にあるのは間違いありません。

 ではAさんはなぜ職場からそれほど強いストレスを受けているのか、というと、「誰からも感謝されないことがつらい・・・」と言います。これはどういうことなのでしょうか。

 Aさんは仕事上「事務長」という立場にいます。事務長というと聞こえはいいのですが、実際は「クレーム係」だそうです。病院中のクレームをひとりで引き受けていると言います。

 患者さんからのクレームは、「それはもっともだ!」と感じるものから、言いがかりにしか思えないようなものまで様々だそうです。しかし、Aさんが辛い立場にいるのは患者さんからのクレームを聞くからだけではありません。そのクレームを医師や看護師に伝えたときに、医師や看護師からも怒鳴られることがある、そうなのです。例えば、「ある患者さんから、先生の説明は難しすぎて分からないし、ひどいことを言われた、という意見がありましたが・・」とある医師に伝えたとき、「こっちは説明すべきことはきちんとしている。そんなクレームそっち(事務)でなんとかしろ!」と逆ギレされたそうです。要するに、Aさんは患者さんからのみならず医療従事者からもクレームをつけられることが日常茶飯事なのです。また、医師からは、事務職が定時に帰り残業時間が少ないことからラクな仕事と思われていることも辛い、とAさんは言います。

 Aさんが感じていることはもっともなことでしょう。人が気持ちよく働けるのは、「自分が他人の(もしくは社会の)役に立っている」と感じることができるときです。役に立っている、という感覚がなければ高い給料を支給されたとしても心底満足することはできないのが人間というものです。

 Aさんは自分の存在価値が分からないといいます。「自分探し」をするような年齢ではありませんが、今のままの自分でいいのだろうか・・・、何のために生きているのだろうか・・・、などと考えることもあると言います。仕事にやりがいが見つからないなら趣味に生きようと考え、料理や英会話、ヨガなどの教室に通ったこともあるそうですが、それなりに楽しいものの心を満たしてくれるわけではなかったと言います。「やっぱり仕事でやりがいを感じたいんです!」 私にはAさんのその言葉が大変印象に残っています。

 もうひとり、20代半ばの女性の患者さん(Bさんとしておきます)を紹介したいと思います。Bさんは関西では有名な私大の経済学部を卒業し大学院の修士課程も修了しています。学生の頃はシンクタンクや大手金融機関への就職を考えていましたがうまくいきませんでした。いくら履歴書を送っても面接にすらたどりつけないことも多く、いつしかBさんは不眠に悩まされるようになり私の元を受診するようになりました。睡眠薬で眠れるようにはなったものの仕事を見つけなければ食べていけません。そこでBさんは一時的な”つなぎ”として、ファストフード店のアルバイトを始めました。なんで大学院まで出てファストフードのアルバイト・・・と当初は感じていましたが、元々がんばりやのBさんは半年後には「社員」へと昇進したそうです。何年働いてもアルバイトのままの若者が多いなかでBさんは異例の出世をしたといってもいいでしょう。

 ところがBさんの気分はすぐれないままです。Bさんは言いました。「あんな仕事あたしじゃなくてもできるんです。マニュアルにそってやるだけなんですから・・・」

 AさんとBさんの仕事の悩みの共通点は「自分が必要とされていると感じることができない」というものです。おそらく二人とも今よりも給料が上がったとしても精神的に満たされることはないでしょう。もちろん、仕事をしたくても就職が決まらない人たちからみれば二人の悩みは贅沢なものにうつるに違いありません。そしてそれはもっともな意見であり、仕事のない人からみれば、仕事のやりがいなどで悩めること自体が幸せなことでしょう。

 さて、こういった点から医師という仕事を考えてみたいと思います。例えば普通に外来を一日していれば、患者さんから「ありがとうございました」という言葉を何十回と聞くことになります。「ありがとうございました」という言葉は、ファストフードのレジをしていても、レストランのウエイトレスをしていても聞くでしょうが、医師が患者さんから聞く「ありがとうございました」は質が異なるものであることが多いのです。

 なぜなら、患者さんは他人には気軽に言えないような症状を医師に伝え(ときには家族にさえ言えないような悩みも話されます)、医師は全力でその悩みに応えようとします。治療により病気が治れば(実際には医師の治療でなく患者さんの自然治癒力で治っていることも多いのですが)患者さんは喜びます。そして(おそらく)心の底から「ありがとうございます」と言ってくれます。もちろんすべてのケースで上手くいくわけではなく、医師のなかには「上手くいかなかった(治療をしたけどよくならなかった)症例を経験する辛さが上手くいったときの喜びを打ち消す」と感じている者もいるでしょう。

 しかし、医師という職業は、他の多くの職業に比べ、他者(患者さん)の最も関心の強いことがら(病気)に関与し、それを解決するという仕事(治療)は責任のある仕事であると同時にたいへんやりがいのあるものです。そして、必ずしも解決するわけではないにせよ、治療が奏功すれば、患者さんから心の底からの感謝の言葉を聞くことができます。これほど幸せな仕事があるでしょうか。私自身も医師という仕事から強いストレスに押しつぶされそうになることがときどきありますが、そんなときは患者さんからかけてもらった「ありがとうございます」という言葉を思い出すようにしています。ときには患者さんからいただいた手紙やメールを読み返すこともあります。これが医師のパワーの源となり、強いストレスに打ち勝つ最善の方法ではないかというのが私の考えです。

 けれども、日々の臨床のなかでは、患者さんがこちらを見て丁寧に頭を下げ感謝の気持ちを述べてくれているのに、私の指は電子カルテのキーボード、目は画面を見たままで社交辞令のように「お大事に・・・」と言っているだけのときもあります。待ち時間が長い中で次の患者さんを1秒でも早く診察するため、というのは言い訳に過ぎません。

 このような行為は失礼極まりないものであることを、今このコラムを書きながら反省しています・・・。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2013年6月22日 土曜日

107 医師がストレスを減らすために(前編) 2011/12/20

ちょうど1年前のメディカルエッセイ第95回では、「医師による犯罪をなくすために(前編)」というタイトルで、医師の犯罪として報道されるもののなかで薬物がらみとわいせつ事件が多いということを述べました。

 この1年(2011年)を振り返ってみると、東日本大震災の被災者に対して尽力した医師が取り上げられることも多く医師に肯定的な報道が例年に比べると目立ったように思われます。(しかし皮肉なことに、震災関連の報道では実の医師よりもニセ医師の米田きよしなる人物が取り上げられて話題になっていました・・・)

 一方、医師による犯罪の記事も例年同様少なくなく、新聞紙上でときおり見かけました。もはや医師の事件は珍しくないのか、それほど大きく取り上げられることもなくなってきているように感じられます。

 少し例をあげておくと、わいせつ事件でいえば、最も卑劣で許しがたいのは9月に逮捕された秋田県の26歳の研修医Sです。このSは、2011年4月から7月にかけて13歳未満の女児の裸をデジカメ内蔵の腕時計で撮影していたそうです。秋田県警の捜査により、Sの自宅のパソコンには十数人の女児の動画が見つかったことも報道されています。またSは8月には温泉施設で父親と一緒に入浴していた8歳女児を盗撮して逮捕されています。

 S以外の事件で今年報道されて目だったものに、東京の大学病院勤務の37歳医師Sが14歳女性を自宅に呼び込みわいせつ行為をおこない逮捕、北海道の39歳産婦人科医Sが女性患者の下半身の動画を撮影し逮捕、東京の33歳の救急医がサウナで女性の胸を触って逮捕、兵庫県の68歳のクリニック院長が障がいのある女性患者の下半身や胸を触って逮捕、和歌山の52歳の耳鼻科クリニック院長Nが22歳女性の事務員の胸を触り逮捕、などがあります。

 今年報道された医師の犯罪事件では車に関するものが多かったように思われます。最も大きな事件となったのは5月に千葉の病院の院長T(60歳)が起こしたひき逃げ事件です。通行人の65歳男性を車ではねて死亡させただけでなく逃亡していますから罪は小さくありません。

 10月には神戸で70歳の開業医Sが64歳の男性をひき逃げしています。被害者の男性は骨折を伴う重症なのにもかかわらず、この医師Sも逃げていることが許せません。12月には千葉で65歳の外科医Yがやはりひき逃げ事件を起こしています。この被害者は軽症だったそうですが、Yの車がフェラーリだったからなのかマスコミで取り上げられました。

 また、ひき逃げではありませんが、2月には神奈川県の46歳の医師Kが、37歳の会社員男性に殴る蹴るの暴行を加えて逮捕されています。暴行の理由が「車を割り込まれて頭にきた」ということだそうです。7月には広島の29歳の産婦人科医Oが飲酒検問での呼気提出を拒否し、その後強制採血でアルコールが検知され逮捕されています。

 医師が起こした薬物事件は今では珍しくもなんともありませんが、今年は自宅で大麻を栽培していた医師が2人も逮捕されたことに私は驚きました。ひとりめは、自宅のベランダで大麻3本を栽培していたことで7月に逮捕された山梨県の39歳の医師Mです。個人での使用のみでも医師が大麻となると許されるものではありませんが、自宅で栽培ときましたからこれは大きなニュースとなりました。

 もうひとりは、11月に自宅での大麻栽培で逮捕された千葉の産業医Nです。こちらは育てていた大麻が133本といいますから、おそらく売買にも関与していたのでしょう。しかし、なぜか取り上げられ方は山梨県のMよりも小さかったような気がします。山梨のMの”二番煎じ”と世間では思われたのでしょうか・・・。

 わいせつ行為、ひき逃げ、暴行、飲酒運転、違法薬物の使用などはどれも許される行為ではありません。しかし、高い大志を持って医師を目指したはずの彼らはなぜそのような犯罪に手を染めたのでしょうか。
 
 医師が犯罪に手を出す理由として、私はメディカルエッセイ第95回で「周囲からの強い社会的プレッシャーのなかで苦しんでいたからではないか」ということを述べました。そして、それを解決するひとつの方法として、「(どんな誘惑があろうともそれをおしのける)高い倫理観を持っているのが医師の矜持であることを認識する」ということを述べました。

 この考えは今も正しいと思っていますが、「高い倫理観」「医師の矜持」といった意識だけでは日頃のストレスに押しつぶされてしまうかもしれません。実際、(上には述べていませんが)5月に覚醒剤取締法で逮捕された東京の44歳の整形外科医Nは、「覚醒剤を使うと仕事のストレスや不安が解消した」と答えているそうです。

 過酷な労働条件はたしかにストレスを蓄積していきます。もちろん過酷な労働条件に置かれているのは医師だけではありません。しかし残業時間は月に200時間を越えることも珍しくなく、夜中に起こされるのも当たり前、という労働条件は過酷そのものです。

 医師の場合、さらに「世間の医療を見る目の厳しさ」という問題があります。一部のマスコミの報道をみていると、人間はいつか死ぬ、という当たり前のことが忘れ去られているように感じることすらあります。医療に100%完璧ということはありえないのですが、治療や手術が上手くいかなければすぐに医師の過失を問われるような風潮は医師と患者のギャップを増大させます。

 警察庁の調べによりますと、2010年の医療・保健従事者の自殺者数は374人で、そのうち「うつ病」と特定されたのは約3割の117人に上るそうです。そして、自殺の原因・動機のトップとなっています。

 実は医師の自殺というのは珍しくなく、同じ大学の同級生か1つ2つ先輩か後輩のなかには必ずといっていいほど自殺した医師がいます。私の同級生もひとり、研修医の頃に、自ら命を絶っています。また自殺にまでいたらなくてもいつの間にか出勤しなくなった医師やうつ病で休養している医師も少なくありません。

 これらの原因をすべて「ストレス」とはできないでしょうが、多少なりともストレスが関与している可能性はあるでしょう。

 医師になりたての頃は、ほぼ全員が強い使命感を持ち患者さんのためになろうという意識を持っています。それが、激務が続き、患者さんから誤解されトラブルを起こし、やり場のないイライラ感や焦燥感がつのり、抑うつ気分が出現し、少しずつ精神的に追い詰められていくのです。しかし、医師は自分が精神疾患に罹患しているとは考えたくありませんから、精神科医にも産業医にも簡単には相談しません。

 そしてこの追い詰められた精神状況が限界を超えると自殺につながることがあるのです。また、決して許されることはありませんが、この追い詰められた精神状況が先に述べたような犯罪のきっかけになるるのではないか、と私はみています。

 ではどうすればいいのでしょう。医師がストレスを軽減するためにすべきこととは何なのでしょうか。次回はそのあたりを考えていきたいと思います。

参考:メディカルエッセイ第95回(2010年12月)「医師による犯罪をなくすために(前編)」

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2013年6月22日 土曜日

第106回(2011年11月) 「開業医は儲かる」のカラクリ

 開業医の月収は231万円!

 これは厚生労働省が2年に一度おこなっている実態調査の結果で2011年11月2日に発表された数字です。その調査によると、今年(2011年)6月の月収は2年前と比べて開業医で9.9%、民間病院の勤務医で4.9%増えたとなっています。この厚労省の発表を受けて各マスコミが一斉に報道しました。ほとんどの報道は「開業医は儲け過ぎではないか」というニュアンスを含んでいます。

 そして、厚労省の発表と同時に、与党民主党は医療機関に支払われる診療報酬について、2012年度改定で引き下げることを視野に検討に入ったことを発表しました。その理由として、「賃金の低迷が続きデフレ脱却のめども立たないため医療機関の収入増を図ることに国民の理解を得るのは難しい」とし、また、「東日本大震災からの復興に巨額の費用が見込まれ医療費の一部を負担する国の財政が逼迫している」という理由も付け加えています。

 これは、このまま聞くと、「医者、特に開業医は儲けすぎじゃないか。不景気だから国の政策で診療報酬を引き下げるのは当然のことだ。儲かっている医者の収入を減らしても誰も困らない。めでたしめでたし……」と感じられます。

 しかし、「医師が儲けすぎ」という数字を出したのと同時に診療報酬引き下げの方針を民主党が発表したのには理由があるのです。

 厚労省と民主党の発表がおこなわれる約1ヵ月半前の(2011年)9月20日、小宮山洋子厚生労働相は、記者会見で「今の財源の状況で大幅というのは無理だが、少しでも上乗せしたい」と述べ、診療報酬の引き上げを目指す考えを示しました。また、野田佳彦首相は、首相になる前の8月の党代表選で、社会保障政策を問われた際に「基本的にはマイナスはない」と発言しています。

 野田首相と小宮山大臣が、「診療報酬のマイナスはなく引き上げを検討したい」と意思表明していたところを、「引き上げはやめにして引き下げますよ」とするには無理があると判断した与党政治家及び官僚が、マスコミを利用し、まず「医師(特に開業医)が儲けすぎである」との世論誘導をおこない、そこで「儲けすぎた医師の給料を減らすことに問題はないでしょ。だから診療報酬を引き下げてもいいですよね」と世論に訴えかけたというわけです。

 ここで私の考えを述べておくと、診療報酬引き下げについては本筋では止むを得ないと考えています。誰もが感じているように、これだけ景気が悪化し、東日本大震災の復興にお金がかかるのも事実です。今の日本は誰もが力を合わせて助け合っていかなければならないということに誰も異存はないでしょう。

 問題は、「開業医の月収が231万円」などという情報(”デマ”といってもいいと思います)を堂々と発表して、あたかも開業医が本当にそんなお金を手にしているように世論に誤解を与えていることです。今回はこのカラクリについて説明したいと思います。

 まず1つめのポイントは、開業医の7割は診療所(クリニック)を医療法人にしておらず個人事業のかたちをとっている、ということです。個人事業であれば、会計上は事業の利益がそのまま事業主(つまり開業医)の収入とされます。一般の会社では、株式会社などの法人であれば会社の利益と社長の給料は同じではなく、会社の利益のなかから社長の給料も払われています。事業での利益をそのまま社長の収入と計上すれば、実態を反映しないということは簡単に理解できるでしょう。

 例をあげて説明しましょう。例えば月収250万円の(医療法人にしていない)開業医がいたとして、まず半分は税金(所得税や住民税など)で消えます。この時点で125万円となります。そしてここから借入金の返済をおこなわなければなりません(借入金の利子は経費となりますが元本は経費とはなりません)。借入金は個々によって異なりますが、仮に50万円としましょう。この時点で75万円が残っています、しかし、決して安くない保険代を払い(注1)、その他経費と認められないけれども実際にかかる費用を支払わなければなりません。これらを合わせると25万円程度にはなるでしょう。すると残りは50万円です。どうでしょう、ざっと簡単に計算してみただけで「手取り」はこの程度にしかならないのです。もちろん50万円というのは決して少なくない金額であることは承知しています。けれども、労働時間は、医師にもよりますが、週あたり80~100時間はあるはずです。在宅医療を担っていれば深夜に患者さん宅にかけつけなければならないこともあるのです。

 法人にしていないからそのようなややこしいことになるわけで、法人にすれば院長の月収と借入金は別になりますし、保険料などの多くは経費として認められます。そして「開業医は儲けすぎ」といった”デマ”を流されることもなくなるかもしれません。それならば開業医も法人にすればいいじゃないか、という意見は当然でてくるわけで、私もまったくその通りだと思います。実際私は、クリニックを開業してから”最短で”医療法人にしました。しかし医療法人というのは通常の株式会社などの法人とは異なる点がいくつかあり、これが簡単には法人化できない理由となっているのです。

 まずひとつめは、少なくとも1年間は「個人事業」のかたちで診療所を続けなければ法人申請ができない、という規則です。普通の会社なら必要な手続きをおこなえばすぐに会社(法人)が設立できますが、医療法人は(いまだにその理由が私にはわからないのですが)少なくとも1年間は申請ができないのです。

 次に、医療法人は解散するときに利益のすべてが国に没収される、という規則があります。これについては、医療機関というのは営利団体ではありませんから、必要以上に利益がでれば国民に返すのは当然ともいえるわけで私には異存はありません。しかし、そうは言っても、今の日本の不安な年金政策を考えると、残せれば残しておきたいと考える医師がいることも理解はできます。解散するときに利益がすべて没収される、と法改正がされて実際に施行されたのは(たしか)2007年だったと思います。それまでに設立された医療法人であれば国に没収されることはありませんから、規則が変わった2007年以降に診療所の法人化が減ったといわれています(注2)。

 医療法人であれば院長にも給与が払われるわけですから、231万などという給与になるわけがありません。おそらく医療法人にしているほとんどの開業医の月収はその半分以下、いえ半分にも程遠いというのが現実だと思います(注3)。もちろん、これが安いとは言いませんが、世間で言われているほど高くないことは分かってもらえると思います。もうひとつ付け加えておくと、医療法人の院長は役員の扱いとなるためボーナスを受け取ることができません。太融寺町谷口医院は、待ち時間が長いという理由で患者さんからよくお叱りを受けますし、「儲かってるんですね~」などと言われることもしばしばありますが、そのようなことはないのです(注4)。

 開業医が高収入という誤った情報が流布されることによる弊害として、医師・患者関係がおかしな方向にいかないか、ということをまず懸念します。患者側に「開業医は儲かっているんだからたまには無料で診てよ」という意識が生まれないでしょうか(私が患者ならそう感じます)。

 また、医師を目指している受験生にも悪影響を与えます。私は受験に関する書籍を上梓していることから受験生からよくメールなどで相談を受けます。なかには、残念ながら「医師になって高収入を得たい」という内容もあります(直接このような表現は使われていませんが内容からそれが分かります) はっきり言うと、高収入を求めて医師になれば確実に後悔します。私は、「金持ちになりたい」という夢が悪いとはまったく思いませんが、それを目指すなら「医師という職業はその期待に応えられないですよ」ということはあらかじめ受験生に知っておいてほしいのです。

 私が政府に求めるのは、開業医が儲けすぎなどという”デマ”を流して(注5)、診療報酬引き下げを発表するのではなく、正々堂々と「現在の日本にはお金がありませんから診療報酬を引き下げたいと思います」と言ってほしいのです。我々医師は、患者さんの多くが経済的に困窮していることを知っていますし(政治家や官僚の方々よりはよく知っているつもりです)、東日本大震災に多額の復興費が必要であることも理解しています(注6)。

 日本にお金がないことは分かっていますから、「診療報酬を引き上げてほしい」などとは言えませんし、言いたくもありません。日本国民全員でこの国を建て直し、東日本大震災の被災者を助け合おう、という気持ちを国民から引き出して維持するのが政治家の仕事ではなかったでしょうか。診療報酬引き下げではなく、むしろ、「強制ではないが、医師で高額所得者は収入の一定額を国に寄付することを求める」と言ってくれれば、医師の大半は同意するに違いありません。

 病気を抱えながら頑張っている患者さんを我々医師は日々みています。そして、医師全員が……、とは言い切れないかもしれませんが、ほとんどの医師は困窮している人々の力になることを生きがいとしています。

 政治家の先生方には、卑怯な手を使って都合のいい理屈を押し付けるのではなく、医師の矜持というものを知ってもらいたいものです。

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注1 開業医ももちろん看護師や事務職のスタッフを雇用していますから、自分自身が倒れたときのためにスタッフを守るための保険(所得保障保険)をかけておかなければなりません。これがかなりの費用になるのですが、この保険は個人事業であれば一切経費として認められません。その他、法人にしていれば認められるような生命保険の類も一切経費計上できないのです。

注2 ちなみに、太融寺町谷口医院が法人になったのは2008年ですから、当院も解散時には利益が(あれば、のことですが)国のものになります。

注3 詳細に言及するのは避けるべきだと思いますが、私のことを少しだけ話しておくと、月収はもちろん231万円の半分にもほど遠く、時給に換算すれば、残業代が法律どおりに支払われたと仮定して計算すると、2,700~2,800円程度です。もちろんこれが安いとは言いませんが……・。

注4 では、すべての診療所がギリギリの経営状態なのかと言うと、そういうわけではないかもしれません。診療所の売り上げの内訳を少し紹介しておくと、実は検査や薬の処方は必要なコストを考えるとほとんど利益になりませんが、診察代については、高額ではないものの人件費以外のコストはかかりませんから利益率は大変高いという特性があります。しかも診察時間は3分であろうが1時間であろうが金額は同じです。ですから、患者数を増やせば増やすほど安定した利益が確保できるのは事実です。けれども、患者さんからしっかり話を聞いてある程度きっちり診察をしようと思えば、(私の場合)1日にせいぜい60人くらいが限度です。(理想は40人以下ですがそれでは経営的に破綻します) 70人を超えると2時間待ち、80人を超える日は2時間以上の待ち時間がでます。一方、例えば、セラチア菌の院内感染を起こして2008年に事件となった三重県伊賀市の診療所は1日に200人以上も診察していたと報道されていましたから、それくらい患者数を診ることができれば、かなりの利益が得られるものと思われます。しかしそのような診療の仕方は例外的と考えるべきでしょう。

注5 これは与党だけに問題があるのではなくマスコミにも責任があります。新聞で論説をおこなうほどの知識がある人であれば、本文に述べたように「月収231万円」などというのは実態を反映しておらず、一般の人を誤解させることは分かっているはずです。にもかかわらず、正確な解説をせずに「儲けすぎている開業医の収入を減らすのは当然」という論調を各誌ともおこなっていることに私は強い違和感を覚えます。

注6 しかし日本医師会など医師側の団体は診療報酬引き上げを要求しています。けれどもこれは、医師にもっと儲けさせてくれ、と言っているわけではありません。診療報酬引き上げを要求する理由は、医療機関によってはこれ以上診療報酬が引き下げられると倒産するところがでてくるからです。これを解決するための究極の方法は、以前も述べたことがありますが、医師を開業医も含めてすべて公務員の扱いにすることです。それが無理なら、「医師の収入の上限と下限を決めればいいのではないか」と私は考えています。例えば、いくら稼いだとしても年収の上限を1,200万円とする一方で、最低年収として500万円を保障し、看護師や事務職の最低賃金を保証する、としてくれれば、医療費が今よりも抑制できて我々も安心して働けます。今のところこのような意見は聞いたことがないのですが、早急に議論されるべきではないかというのが私の意見です。

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2013年6月22日 土曜日

105 お茶とコーヒーとチョコレート 2011/10/20

健康のためにサプリメントを摂取する人が多い中、最近発表される研究結果はサプリメントの効果を疑問視するものが目立ちます。効果がないだけでなく、なかにはビタミン剤で発ガンのリスクが上昇するといったものもあり、摂取することが逆効果になるとする研究も増えてきています。

 そんななか、サプリメントに頼るのではなく、従来の飲食品で健康を維持しようとするムーブメントがここ数年間で広がっているように思われます。今回は、代表的な飲食品として、お茶、コーヒー、チョコレートの最近の研究結果を報告したいと思います。

 まずはお茶(日本茶)に関するものです。今回紹介するのは日本での研究で、国立がん研究センターが実施したものです。その結果は意外にも、「閉経前の女性は、緑茶をよく飲む人ほど甲状腺がんになりやすい・・・」というものです(注1)。一方、閉経後の女性では、その逆に「緑茶をよく飲む人ほど、甲状腺がんになりにくい」という結果がでています。

 この研究では、岩手、秋田、茨城、新潟、長野、大阪、高知、長崎、沖縄各府県の40~69歳の男女約10万人が対象となり、1990年~2007年まで追跡調査が実施されています。緑茶の摂取量によって対象者を4つのグループに分類し、甲状腺がんとの関連が調べられています。追跡期間中に男性26人、女性133人が甲状腺がんを発症しています。

 女性について閉経前後で分析すると、閉経前の女性では、緑茶の摂取が「1日1杯未満」のグループに比べ、「1日3~4杯」のグループは1.64倍、「1日5杯以上」のグループは1.66倍、それぞれ甲状腺がんのリスクが高かったそうです。一方、閉経後では、「1日3~4杯」緑茶を飲むグループが「1日1杯未満」に対して0.69倍、「1日5杯以上」では0.47倍とリスクが低下しています。興味深いことに、「1日1~2杯」のグループは、閉経前後のいずれでも、「1日1杯未満」よりリスクが低下しています。

 なぜこのような結果となったのか、現時点では断定できる理由はありませんが、研究者らは、緑茶に含まれるカテキンが女性ホルモンのエストロゲンに似た働きがあることが関係しているのではないかとみているようです。

 尚、この研究では、コーヒー摂取と甲状腺がん発生との関係も調べられていますが、男女ともに関連は認められなかったようです。

 お茶の次はコーヒーについての研究を紹介したいと思いますが、おしなべて言えば、ここ数年間のコーヒーに関する研究はほとんどが肯定的なものです。様々なガンの予防になるとするものが多いですし、高血圧や糖尿病にもいいとか、リラックス効果があるからなのか精神状態にもいいとされています。

 今回は最近発表された「女性のうつ病とコーヒーの関係」についてご紹介したいと思います。この研究は、米国ハーバード大学公衆衛生学教室によっておこなわれたもので、対象者はアメリカ在住の女性看護師約5万人です。「Nurses’ Health Study」と命名された大規模調査のデータを解析することによって研究がおこなわれています(注2)。
 
 この研究では、1996年に抑うつ症状がなかった50,739人(平均年齢63歳)の女性看護師が対象となり、2006年まで追跡調査がおこなわれています。10年間にわたる追跡期間中に2,607人がうつ病を発症しています。コーヒーの摂取量を週1杯以下、週2~6杯、1日1杯、1日2~3杯、1日4杯以上に分けてうつ病発症との関係が解析されています。

 その結果、「1日2杯以上のコーヒーを飲む女性は、うつ病になりにくく、4杯以上でさらにリスクが低下する」ということが判ったそうです。どれくらいリスクが低下するかというと、2~3杯で相対リスクが0.85に、4杯以上で0.80とされていますから、コーヒーを1日4杯飲めば、「うつに2割なりにくい」という言い方ができるかもしれません。(「2割なりにくい」という表現は意味不明ですが、コーヒーをあまり飲まずにうつになってしまった10人がもしも1日4杯以上のコーヒーを飲んでいたら、うち2人はうつにならなかった、ということになります)

 尚、カフェイン抜きのコーヒーでは、うつとの関連性は認められなかったそうです。

 なぜコーヒーがうつの予防になるのか、ということについて、研究者は、「カフェインは短時間の間、気分に良い影響を及ぼし、活力が増し、目がさえるという自覚的な感覚をもたらす。長期間にわたるコーヒー消費がうつ病発現のリスク低下につながるのは理解できること」としています。

 しかし、この研究をよく読むとコーヒー摂取に少し気になることがあります。それは、コーヒー摂取頻度が高いグループほど、肥満や高血圧、糖尿病など生活習慣病が少なかったという結果がでており、これはもちろんいいことなのですが、その一方で、コーヒーをよく飲む人ほど、喫煙率が高く、アルコール摂取が多く、さらに教会や地域グループへの参加が少なかったそうなのです。うつ病の予防になるかもしれない、というのは、コーヒー好きな人には嬉しい研究結果ですが、もしもあなたがコーヒーも好きだけど、アルコールと喫煙もたしなみ、地域社会との交流に乏しいとしたら、要注意かもしれません。

 最後にチョコレートに関する最近の研究結果をご紹介したいと思います。チョコレートは、糖分と脂肪が豊富に含まれ高カロリーであることから「嫌われ者」にされることが多いようですが、実はポリフェノールが豊富に含まれ、抗酸化作用や降圧作用にすぐれていることは随分前から指摘されていました。

 英国ケンブリッジ大学の研究者が、これまでに発表されているチョコレートと心血管疾患などとの関連性について調査された合計7つの研究を対象にメタ解析(複数の研究結果を総合的に分析しなおすこと)をおこない、医学誌『British Medical Journal』2011年8月29日号(オンライン版)で発表しています(注3)。

 研究の対象となったのは、ドイツ、オランダ、スウェーデン、日本、米国などの合計114,009人で、「チョコレート」には、板チョコ、チョコレートドリンク、チョコレートビスケット、チョコレートデザートなどを含みます。

 その結果、チョコレートを週1回以上摂取する人は、それ以下の人に比べ、心疾患リスクが37%、糖尿病リスクが31%、脳卒中リスクが29%低下していることが分かったそうです。糖尿病に関しては日本人のみを対象としたデータもあり、男性で35%、女性で27%リスクが低下しています。

 この結果はチョコレート好きには嬉しいものでしょう。しかし、チョコレートが身体にいい理由は原料のカカオにフラボノイド系ポリフェノールが含まれているからです。ですから、健康にいいから、という理由で、これまで以上にチョコレートを食べる必要はなく、野菜や果物からポリフェノールを摂取した方がいいのは間違いありません。とはいえ、これからはチョコレートに少しくらい甘くなってもいいのではないでしょうか。

 私なら、美味しくもなんともないサプリメントに頼るのではなく、カフェインがたっぷり入った美味しいホットコーヒーとチョコレートでリラックスする方を選択します。

注1 この研究結果は国立がん研究センターのサイトで詳細が紹介されています。詳しくは下記URLを参照ください。

http://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/2829.html

注2 この論文のタイトルは、「Coffee, Caffeine, and Risk of Depression Among
Women」で、下記のURLで概要を読むことができます。

http://archinte.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=1105943

注3 この論文のタイトルは「Chocolate consumption and cardiometabolic disorders:
systematic review and meta-analysis」で、下記のURLで全文を読むことができます。

http://www.bmj.com/content/343/bmj.d4488?sid=889db0ba-816a-401e-bf25-9b86ebba6b7f

参考:
はやりの病気第22回「癌・糖尿病・高血圧の予防にコーヒーを!」
はやりの病気第30回「コーヒー摂取で心筋梗塞!」

医療ニュース
2008年9月13日「子宮体癌の予防にコーヒーを」
2008年6月30日「コーヒーはいいことばかり」
2007年10月16日「お酒の代わりにコーヒーを、すい臓ガンを予防」
2007年9月3日「コーヒーは肝臓癌のリスクを下げる」
2007年8月4日「大腸がんの予防、男性ビタミンB6、女性はコーヒー」
2008年2月25日「禁煙すれば緑茶が胃癌の予防に」
2007年5月14日「緑茶が脳梗塞を予防する可能性」
2010年11月4日「緑茶に乳ガンの予防効果なし」

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2013年6月22日 土曜日

104 塩分制限が不要というのは本当か 2011/9/20

コレステロールは下げる必要がないのではないか、という議論が物議をかもしており、大変な論争になっているということを以前お伝えしましたが(下記コラム参照)、今度は「塩分制限は不要」という意見がでて混乱を招いています。

 まず、現在の医療の前提となっている、「塩分過剰摂取は悪いこと」、についてまとめておきましょう。過剰な塩分摂取→血圧上昇、というのは常識中の常識です。ナトリウムが血中に増えることにより水分が血管内に引き寄せられ血管内に水分が豊富になり、これが高血圧をもたらすのです。(化学が得意な方は、Na↑→浸透圧↑と考えてもらえれば簡単に理解できるでしょうが、浸透圧という言葉に馴染みがなくても、ナトリウムが水をひっぱる、というイメージをもってもらえれば理解しやすいと思われます)

 血圧が高くなれば、動脈硬化のリスクになり、動脈硬化が進展すると虚血性心疾患(狭心症や心筋梗塞)、脳卒中(脳出血、脳梗塞など)を起こしやすくなります。ですから、こういった疾患を予防するには血圧を低く保つ必要があり、そのためには塩分を控えなければならない、という理屈です。

 このことは疫学的にも実証されています。日本ではかつて塩分がものすごく摂取されていました。特に東北地方では、1日あたりの塩分摂取量が20gを超えており、これが原因で脳卒中を起こす人が多かったのは間違いありません。実際、塩分摂取が次第に減少してきたことに相関して脳卒中の発症率は低下しています。しかし、それでも日本人は(全国的に)塩辛いものを好むようで、世界的にみても現在でも食塩摂取量はかなり多いと言われています。

 その日本の厚生労働省が発表する食塩の摂取基準は、1日あたり、男性で9グラム、女性で7.5グラムとされています(2010年4月に改定された厚生労働省発行の「日本人の食事摂取基準」より)。また、すでに高血圧があったり慢性腎臓病があったりすれば、男女とも1日6グラム未満にすることが推奨されています。しかし、同省の2008年の調査では、成人の1日あたりの塩分摂取量平均は、男性で11.9グラム、女性で10.1グラムです。

 塩分を減らすというのは決して簡単ではなく、特に日本食が好きな人は相当困難です。味噌、しょうゆにも塩分は含まれていますし、漬物や佃煮、せんべいなどはかなり制限しなければなりません。鍋焼きうどん1杯で7.4グラムの塩分(厚生労働省のウェブサイトより)を摂取することになりますから、6グラムなんていうのは至難の業であることがおわかりいただけると思います。

 もっとも、最近の健康ブームで減塩ブームもおこっており、専門のウェブサイトもいくつもありますし(注1)、以前に比べると、梅干にしても佃煮にしても「減塩」を謳った製品が増えてきています。しかし、塩分制限というのは思いのほか大変で、医療現場では日々減塩指導をおこなうのですが、1日6グラム未満を遵守できる人はそう多くはありません。

 ところがです。この塩分過剰摂取はNGという医学界での常識中の常識が覆されようとしているのです。まず、議論を呼んだのは、ポーランドとベルギーの研究で「尿中ナトリウム排出量が高くても高血圧や心疾患合併症のリスク上昇と関連がみられなかった」とするもので著明な医学誌『JAMA』に2011年5月に掲載されました(注2)。

 この研究では、心血管疾患にかかったことがない対象者3,681人(平均41歳)の24時間尿を採取しています。約8年間の追跡期間中、尿中ナトリウム排泄量が最も低かったグループ(つまり塩分摂取量が一番少なかったグループ)に心血管死の増大がみられたというのです。また、約6.5年間の追跡がおこなわれた2,096人の対象者を調べた結果では、ナトリウム排出量の高さと高血圧との間に関連性は認められなかったそうです。

 ただし、この研究では、研究者が「今回の結果から、全員に対して塩分の制限を推奨する現在のガイドラインを支持することはできない」としながらも、同時に、「高血圧患者の減塩による降圧効果を否定するものではない」とも言及しています。

 この研究は規模がさほど大きくありませんが、一流雑誌に掲載されたことで話題を呼びました。そして、さらに大きな議論となったのが2011年7月に公表されたコクランレビューです。

 まず「コクランレビュー」とは何か、ですが、コクラン共同計画というのがあって、これは健康に関する大規模調査や研究を的確に評価することを目的として設立された国際プロジェクトのことです。要するにコクランレビューで公表される研究結果は、国際的に信憑性が極めて高いと考えられている、というわけです。

 2011年7月6日、そのコクランレビューが「減塩の心血管疾患や死亡に対する効果は不明」という発表をおこないました(注3)。

 コクランレビューのこの発表は瞬く間に全世界に伝わり、イギリスの大衆紙Expressは、同日に「NOW SALT IS SAFE TO EAT(塩分摂取はいまや安全)」というタイトルでいささか過激な報道をおこないました(注4)。イギリスでは日本でいう厚労省に相当するNice(the National Institute for Health and Clinical Excellence)という行政機関が、塩分の1日摂取量を2015年までに6グラムとし、さらに2025年までに3グラムにするという方針を打ち出しているのですが、この記事では、そのような基準を守ることはもはや有益でなく、フィッシュ&チップスの愛好家には嬉しいニュース、と報道されています。

 もちろんこの話題を取り上げたのはイギリスだけではありません。たしか日本のマスコミでも報道されていたはずです。(塩分摂取の多い日本ではイギリス以上に大きく取り上げられるかと私は予想していたのですが、なぜかさほど日本では盛り上がらなかったようです)

 さて、コクランレビューのこの発表を受けて、医療者はどうしているかというと、おそらくほとんどの医師は、減塩が必要と思われる患者さんには「これまでどおり減塩の努力をしてください」と言っていると思われます。私もそうしています。もちろん、コクランレビューの研究結果を否定するつもりは毛頭ありませんが、疫学調査をそのまま個人にあてはめることはできないのです。

 実際に医療現場にいるとよく分かりますが、減塩をがんばっている患者さんは、それだけで(薬を使わなくても)血圧が正常値に戻ることがしばしばあります。コクランレビューは、決して「高血圧を放置しておいてもよい」と言っているわけではありません。おそらく、コクランレビューの研究の対象者のなかには、「塩分をあまりとっていなかったけれど何らかの理由で血圧が徐々に上昇したような人」が相当数混じっていたのではないかと思われます。高血圧がむつかしい理由のひとつは、ある程度は遺伝的な要因に規定されていて、減塩をして血圧が下がる人もいればそれほど下がらない人もいるということです。
 
 ここ数年間の各国の減塩に対する行政指導は、それが理論的には正しいとしても、現実的には「絵に描いた餅」になっているように私は感じています。先に述べた1日3グラムなどという基準を、どれだけのイギリス人が遵守できるのでしょうか。また、以前別のところで述べましたが、ニューヨークでは、2010年3月に、「塩を使って料理をすると店主に罰金 1,000ドル(当時のレートで約 90,000円)を科せる」という法案が提出されています。さすがにこの法案は否決されましたが、アメリカではレストランで塩を使うことを禁止しようとする動きすらあるということは注目に値するでしょう。

 今回のコクランレビューの研究は、(研究に携わった公衆衛生学者が意図したかどうかは別にして)、最近の急激に進行している減塩ムーブメントに対するアンチテーゼのような印象が私にはあります。

 血圧が遺伝的な要因で高い人のなかには、いくら減塩しようが体重を落とそうが有酸素運動をおこなおうが、下がらない人がいます。そのような人は比較的早期から降圧剤を使用するべきでしょう。一方で、減塩で降圧が期待できる人は、できる限り薬を使うことを遅らせて、まずは生活習慣の改善に努力すべきでしょう。

 大切なのは、コクランレビューも含めて疫学的な調査結果に振り回されるのではなく、個人にとって最適なケアを医療者と共に考えていくことです。

参考:
はやりの病気第81回(2010年5月) 「慢性腎臓病と塩分制限」
メディカルエッセイ第101回(2011年6月) 「過熱するコレステロール論争」

注1 例えば、「塩を減らそうプロジェクト」( http://www.shio-herasou.com)があります。

注2 この論文のタイトルは、「Fatal and Nonfatal Outcomes, Incidence of
Hypertension, and Blood Pressure Changes in Relation to Urinary Sodium Excretion」で、下記のURLで概要を読むことができます。

http://jama.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=899663

注3 この論文のタイトルは、「Reduced dietary salt for the prevention of
cardiovascular disease」で、下記のURLで概要を読むことができます。

http://www.cochrane.org/contact

注4:Expressのこの記事は下記のURLで読むことができます。

http://www.express.co.uk/news/uk/257048/Now-salt-is-safe-to-eat

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2013年6月22日 土曜日

第103回(2011年8月) 僕は友達ができない

 現代社会はいとも簡単に”友達”ができてしまう社会・・・、と言っていいのではないかと思えます。この原因はもちろんインターネットの普及です。若い世代になると、mixiの経験がない、という人を探すのに苦労するくらいですし、他国に比べて普及していないと言われているフェイスブックの利用者もどんどん増えています。

 一部の保守的な人たちからは、顔も見ずにネットで知り合った人を友達と呼べるのか、と否定的な意見も出ているようですが、その”友達”に就職先を紹介してもらったり、周囲の誰にも話したことのない悩みを打ち明けたり、あるいは結婚にまで至ったケースもあったり、というのが現実ですから、現代社会では、まだ顔を見ていなくても”友達”と言ってもかまわないでしょう。

 私自身はこのようなツールを利用していませんが、関心のある人は積極的にITを使って”友達”との交流を楽しむべきだと考えています。IT技術が発達したおかげで、相手の都合を考えずにメッセージを送信することができるのはひとつの産業革命とも言えます。電話しかない時代には、「この時間相手は何をしているかな。もう寝ているかな・・・」ということをまずは考えなければなりませんでしたし、時差のある海外に連絡をとるのは一苦労でした。もう我々は電話しかなかった時代に戻ることはできないでしょう。せっかくこの時代に生きているのですから、時代の特権を利用してどんどん友達をつくるべきだと思います。

 mixiやフェイスブックといったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を使えば、世界中で”友達”が簡単にできます。性別、年齢、国籍、住所を問わず、気の合う友達がもてる、というのは本当に夢のような社会だと思います。私の周りをみてみても、例えば40代の大変地味な生活をしている男性が、たくさんの大学生の”友達”が(それも世界中に)いたり、30代の普通の主婦が世界中に同世代の主婦とネットワークをもっていたり、といった感じです。

 しかし、このような時代の中でもSNSを使って安易に友達をつくってはいけない人たちがいます。それは「医師」です。

 2011年7月14日、英国医師会(British Medical Association)は、同会のウェブサイトで「フェイスブックなどで友達をつくってはいけない」という内容の忠告を同国内の医師に対しておこないました(注)。

 英国医師会は、その忠告のなかで、現在診療中の患者や過去に診療したことのある患者も含めて、交流サイト「フェイスブック」経由の「友達リクエスト」を認定すべきではないと勧告しています。同医師会は、(元)患者と医師が「友達関係」となるのは不適切、と考えているというわけです。ただし実際には「友達リクエスト」を承認する医者は少ないだろうとの見方を示しています。さらに、英国医師会は、医師だけでなく医学生であっても同様である、ということを強調しています。

 この英国医師会の忠告をみたほとんどの世界中の医師は、おそらく「そりゃそうだろ」と感じていると思います。この感覚は、実際に医師になってみないとわからないかもしれませんが医師と患者は友達になれない(なるべきでない)のです。しかし、この感覚はまだ医師になっていない医学生にはなかなかわかりづらいものがあります。英国医師会のこの忠告を読んだとき、私は医学部の授業のひとつのシーンを思い出しました。

 それは医学部4回生のときのある先生の講義でした。ある日その先生は、「患者とばったり道端で会い話しかけられたときどうすべきか」という質問をしました。そして、なんと学生全員(約80人)にその回答を聞いて回られたのです。医学部の授業時間というのは学ばなければならない量を考慮すると非常に短いため授業時間は大変貴重なものです。その貴重な時間を使って学生全員にこの質問をされたのですから驚かずにはいられませんでした。学生の回答は「挨拶だけしてすぐにその場を立ち去る」というものから、なかには「喫茶店などに入って話を聞く」というものまでありました。この質問に対する先生が話された<正解>は「できるだけ速やかにその場を立ち去り患者さんの話はできる限り聞かない」というものでした。この質問に対して私自身が何と答えたかは記憶にないのですが、この<正解>を意外に感じたことは覚えています。「ちょっと(患者さんに対して)冷たすぎないか」というのが私の率直な印象だったのです。

 けれども、今になればこのことは充分に理解できます。医療機関の外で医師と患者が話をすれば、医師患者関係があいまいになる可能性があります。すると、場合によっては、医師に対する誤解・偏見が生まれ、その結果医師本人や勤務先の医療機関が損失を被る可能性があります。また、医師と患者が近づきすぎると、コミュニケーションの内容によっては、後から「言った・言わない」という問題が起こらないとも限りません。また、それ以前に「特定の患者さんと医療機関の外で会う」ということ自体が(それがたまたまであったとしても)他の患者さんからみれば公平ではありません。

 英国医師会は、友達認定を禁止する理由として、ネット上の表現の解釈のされ方によっては名誉毀損罪や侮辱罪が適用される可能性や、患者のプライバシーが守られなくなる可能性(他人もウェブサイトを閲覧できるから)も挙げています。

 現在の私は、電子メールで患者さんからの質問に返答することがありますが、それはあくまでも医師患者関係に基づいたものです。mixiやフェイスブックは時間がないこともありますが始める予定はありません。私にとって英国医師会の忠告はすっと腑に落ちるものであり、日本でもはっきりと文書化されたものがいずれ必要となるであろうと思っています。

 医師が(元)患者と友達になるべきでないのはもっともだとしても、医師が患者でない他人と友達になるのはかまわないのでは?という意見があるかもしれませんが、現実的にはこれも困難です。というのは、医師でない人たちからすれば医師は医師であり、なかなか”普通の”友達としてはみてもらえないのです。仮に最初は”普通の”友達として付き合いが始まったとしても、そのうち身体のことや健康に関する話題になることがあり、意見を求められることが(よく)あります。そのときに何らかのコメントをすると、それは「友達としてのコメント」ではなく「医師としてのコメント」と見なされてしまうのです。こうなると友達関係なのか医師患者関係なのかが曖昧となってしまいます。ですから、私自身は、新たに、(元)患者さん以外の友達ができたとしても、ある程度の距離をとり、健康の話題には触れないようにしています。

 というわけで、私は医師になってからできた友達と呼べる関係の人というのは、ほとんどが医療従事者かGINAの関連で知り合った人(ボランティアなど)です。昔からの友達の友達は、一応友達になるのかもしれませんが、やはりその人からみれば、私を医師としてみることが多く、なかなか深い関係にはなれません。昔からの友達を通してしか会えないというのが現状です。

 20代の頃の私は、積極的に自分とは別の世界にいる人と友達になるようにしてきました。大学生(関西学院大学)の頃は、大学生以外の友達を見つけるようにし、会社員の頃は同じ会社の人達ばかりと過ごすことを避け、自分の知らない世界を見るように努めていました。そしてこれは私にとって非常にいい経験となったことを自負しています。

 しかし現在は、新たに友達をみつける時間がとれないということもありますが、ある程度親密な関係になる友達というのは、ほぼ医療者かGINA関連で知り合った人に限られます。これをどのように捉えるかですが、これはこれで止むを得ないこと・・・、と今は納得するようにしています。

 けれども、医師を引退してからなら、また別の世界がもてるかもしれません。そのときにはmixiもフェイスブックも始めて世界中で友達を探すことになるかもしれません。そうなると、元患者さんとも友達になれるのでしょうか・・・。この答えについては医師を引退してから(遠い先の話ですが)ゆっくりと考えてみたいと思います。

************

注(2019年12月1日改訂):この忠告が読めた過去のページは現在は存在しませんが、「Using social media: practical and ethical guidance for doctors and medical student, standing up for doctors BMA」で検索すると、同じもののPDFが参照できます。UKの新聞「The guardian」はこの忠告を報道しています。その後、英国医師会は医師のソーシャルメディアとの関わりについて何度か忠告を発表しています。2019年3月には「Social media guidance for doctors」が発表されています。このなかで引き合いに出されている2018年に発表された「Social Media, Ethics and Professionalism Guidance」(「Social Media, Ethics and Professionalism Guidance, BMA」で検索するとPDFが参照できます)には「Facebookで医師は患者からの友達リクエストを承認すべきでない」と書かれています。

参考:The Guardian2012年10月28日「恋した患者はFacebookで医師を追う(Infatuated patients use Facebook to stalk doctors )」

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2013年6月22日 土曜日

102 招かれざる患者と共感できない医師 2011/7/20

 作家の中村うさぎ氏が『週刊文春』の連載コラムのなかで、2011年6月16日号と23日号の2週にわたり、東京のある大学病院を受診して不快感を覚えたということを書かれています。(コラムには大学病院の実名が載せられていますがここでは伏せておきます)

 中村氏の主張していることをまとめると次のようになります。

 まず、中村氏は風邪の症状を自覚したけれど、単なる風邪ではなくもっと重い病気かもしれないと考えて、近くのクリニックではなく大学病院を受診しました。「レントゲンやMRIなどのある病院できちんとした診察を受けたい」と述べられています。

 その大学病院の受付で「紹介状がないから」という理由で、診察代のほかに「選定療養費」と呼ばれる特別料金3,000円が必要なことを知らされました。しかし、中村氏はどうしても大学病院で診察を受けたかったようで、その選定療養費を支払い、診察を受けることになりました。

 ところが、対応した医師の対応が(中村氏の言葉をそのまま書けば)「町医者以下の手抜き診療」だったそうです。氏は次のように述べています。

 患者は自分が風邪なのかどうかもわからず、もっと重い病気かもしれないと疑ったからこそ、設備の整った大病院に来るわけだ。もしかすると思い過ごしで単なる風邪なのかもしれないが、それは検査していただかないとわからない。高い選定療養費を払うということは、そういうことではないか。

 この中村氏の主張に対し、インターネットやツイッターでは白熱した議論が繰り広げられました。医師専用の掲示板でも取り上げられ物議をかもしていました。医師のコメントはだいたい一致していて、まとめると次のようになります。

 風邪かどうかは別にして、診察した結果、それ以上の検査が必要ないと考えたから画像検査や血液検査をしていないのであり、希望したから検査が受けられるというのは患者(中村氏)の誤解である。医療をホテルや飲食店と同じようなものと勘違いされているのではないか。そもそも、大学病院とはクリニックや他の病院からの紹介状を持参して受診するところであり、選定療養費というのは、「紹介状がないけれどもどうしても診てほしい」という要望に応えるための止むを得ない措置なのである。

 だいたいこんなところだと思われます。私自身は医師ですから、医師たちのこの意見はよく理解できます。過去に述べたことがありますが、医療はサービス業ではないのです。ですから、患者さんが希望した検査が(少なくとも保険診療では)できるわけではありません。

 それに、医療機関にはそれぞれの役割というものがあります。患者さんが健康のことで困ったことがあればまず受診すべきなのは近くのクリニックです。そこで、診断がつかなかったり、高度な医療が必要と判断されたりすれば、クリニックでは紹介状を書くこととなり、その紹介状を持参して大きな病院を受診する、というのが日本の医療システムです。

 海外の多くの国(特にヨーロッパではほとんどの国)では、紹介状がなければ大きな病院を受診しても門前払いをされます。何かあればまずは近くのクリニックに、必要あれば紹介状を持参して大病院に、というシステムが確立されているのです。

 では、日本の病院でもそうすればいいじゃないか、となるわけで、実際ほとんどの医療者はそのように感じているはずです。では、なぜできないのか、なぜ「選定療養費を払えば紹介状なしでも診察可能」という中途半端な制度になってしまっているのか、といえば、おそらく法律の問題だと思われます。医師法第19条に「応招義務(おうしょうぎむ)」というものがあり、これは「医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」というものです。つまり、患者さんが「診てほしい」と言えば、それを拒否することはできない、と法律で決められているのです。

 中村氏のコラムをよく読めば、氏は制度に対してというよりも、担当した医師に対して嫌悪感を持たれたように思われます。「町医者以下の手抜き診療」という言葉がそれを如実に表しています。「手抜き」と思われたのは、医師の説明不足や態度に真摯さが欠如していたことが原因かもしれませんが、おそらくこの医師も正確な診断をするのに必要な診察はしていたはずです。患者さんの歩き方、話し方、仕草、声の大きさやトーンなどからも医師は情報を集めています。コラムからはよく分かりませんが、咽頭の炎症の程度を視診上確認して、聴診くらいはしていたのではないでしょうか。その上で、画像を含めた検査は不要と判断したのだと思われます。
 
 もう少し医師の意見を補足しておくと、医師はどこで診察をしても「手抜き」をすることはありません。私は大学病院の総合診療科で外来をしていた頃、(ちょうど中村氏と同じように)風邪症状で(選定療養費を支払って)受診された患者さんをたくさん診ましたが、MRIまで撮影することはまずありませんでした(なぜ不要なのかは説明したことはありますが)。その逆に、太融寺町谷口医院で診察をおこなうときも風邪症状の患者さんに手抜きすることはありません。むしろ、太融寺町谷口医院での方が、咽頭のグラム染色(のどを綿棒でぬぐってスライドをつくり顕微鏡でどのような菌がいるかを調べる検査)が簡単におこなえますので(大学病院では医師の各机に顕微鏡はなかったのです)、大学病院よりも丁寧だと言えるかもしれません。

 さて、ここまでは医師側の意見をまとめてきましたが、では、私は中村氏に対してとことん否定的な立場なのかというとそういうわけではありません。氏はコラムのなかで次のように述べられています。

 軽い症状の患者はろくろく診療せずに門前払いする態度を正当化したいのであれば、特別料金など取らず、最初から「別の病院で治療不可能と判断されて紹介状を貰った人以外は診療しません」と掲げればいいだけの話である。

 これはもっともな意見です。「選定療養費を払えば大病院も受診可能」などという複雑で中途半端な制度にしているから患者さんも混乱するわけです。患者さんからみれば、「本当は紹介状が必要だということはわかったけど、その分のお金を払ったんだからちゃんと診れくれるのよね」と思うのは当然のことでしょう。ところが医師の方はそんな患者さんの考えを理解せずに「紹介状なしで来ないでくれよ~」という気持ちがあるために、コミュニケーションが上手くいかなくなるのだと思います。そしてこれはお互いにとって望ましいことではありません。

 どこの医療機関を受診すべきか、というのは多くの人が一度は悩んだことがある問題だと思われます。しかし、答えは簡単です。何でも相談できる医療機関(かかりつけ医)をひとつもっておけばいいのです。実際、太融寺町谷口医院はそのようなクリニックとして機能していますから、患者さんは実に何でも尋ねてきます。「最近歯を磨くと出血するようになった」、「息子がアスペルガー症候群かもしれない」、「姑が認知症かもしれないけど夫には言い出せなくて・・・」、なかには「性欲が強くなってどうしていいか分からない・・・」「以前はかわいかった飼い犬の泣き声がうっとうしくなってきた」といったものもあります。このような相談をされたとき、私が自分で診ることもあれば、紹介状を書くこともあれば、紹介状なしで医療機関を受診するようすすめることもあれば(特に歯科医院)、今のところ医療機関を受診する必要がないということを助言することもあります。

 中村氏も、健康のことで困ったことがあれば何でも相談できる<かかりつけ医>を持たれれば金輪際このようなことで悩まなくなるに違いありません。

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2013年6月22日 土曜日

101 過熱するコレステロール論争 2011/6/20

  日本の医学界で昨年(2010年)最も話題となったひとつに、「コレステロールは高い方が長生きする?」というものがあり、このサイトの「医療ニュース」でも何度か取り上げました。
 
 ここしばらくこの話題が上らなくなってきたな、と感じていたのですが、医療者の間ではある論文をきっかけに再び注目されています。今回はその論文のことも含めて、これまでの流れを振り返っておきたいと思います。

 まず事の発端は、2010年9月に日本脂質栄養学会が学会(学術大会)でおこなった研究発表です。その研究では、「男性ではLDLコレステロール(悪玉コレステロール)が79mg/dL以下の人より、100~159mg/dLの人の方が死亡率が低く、女性ではどのレベルでもほとんど差がない」、とされています。さらに、日本脂質栄養学会が発表した「長寿のためのコレステロールガイドライン」には、「特別な場合を除き、動脈硬化性疾患予防に(コレステロール値)低下目的の投薬は不適切」とまで記されており、これが物議をかもしました。 

 さらに、マスコミが取り上げるときに、「コレステロールが高い方が長生き」という部分を強調して紹介したものですから、医療界のみならず一般の患者さんの間にも動揺が広がり、実際、臨床の現場では少なからず混乱が生じました。

 この混乱に対し、まず反応したのが日本動脈硬化学会です。日本脂質栄養学会の発表は、日本動脈硬化学会のガイドライン(高いコレステロールは下げなければならない)と真っ向から対立するものだったからです。日本動脈硬化学会は、日本脂質栄養学会の主張は科学的に根拠が不十分であることを指摘しました。

 そして2010年10月20日、日本医師会と日本医学会の双方の会長が、公開会見で、日本動脈硬化学会の見解を支持し、日本脂質栄養学会が主張している「コレステロールが高い方が長生きするなどといった考えには科学的根拠なく、必要な患者の治療を否定するような<長寿のためのコレステロールガイドライン>を断じて容認することはできない」、と激しく糾弾しました。

 日本動脈硬化学会、日本医師会、日本医学会が主張しているのは、従来から言われている「コレステロールが高ければ心血管疾患のリスクとなる」ということであり、これは世界的に支持されていることです。したがって、臨床の現場にいるほとんどの医師は従来どおりの考え方に基づいて診療をしているものと思われます。マスコミが盛んにとりあげていた2010年の秋は、患者さんからも「コレステロールは下げない方がいいの?」という問い合わせが相次ぎましたが(私も数人の患者さんから尋ねられました)、最近ではほとんど聞かなくなってきています。

 ただ、日本脂質栄養学会の主張がまったくの誤りかと問われれば、そう言い切れるわけではなく、例えば、中高年で他に心疾患のリスクのない(高血圧、糖尿病、肥満、喫煙などがない)女性であれば、少々(悪玉)コレステロールが高くても、下げる必要がないのではないか、と感じている医師は少なくないと思われます。(私もそのひとりです)

 ですから、「(悪玉)コレステロールの値がいくら以上なら直ちに無条件に投薬開始」と考えている医師は実際にはそれほど多くなく、「コレステロールは高い方がいい」などという奇をてらったような表現には嫌悪感を抱くものの、日本脂質栄養学会の主張にも一理あるように感じている医療者も少なくないのではないかと思われます。(私自身も興味があり日本脂質栄養学会のウェブサイトをときどき閲覧しています・・・)

 さて、「コレステロールは下げなくていい」とする主張をおこなっていたのはそれまで日本脂質栄養学会だけだったわけですが、2011年1月に自治医大が発表した研究結果(注1)が、日本脂質栄養学会の主張と同様、「低コレステロール値が高死亡率と関連していた」とする内容となっています。この研究は、日本の12の地域(北は岩手県、南は福岡県)の12,334人の健常者を対象とした大規模研究で1992年から平均11.9年間の追跡調査がおこなわれており、信頼性がかなり高いと言っていいと思われます。

 この研究を少し詳しく紹介すると、男性では総コレステロール(LDLコレステロールではなく総コレステロール)が基準値である160~200mg/dLのグループの死亡を1とすると、160mg/dL以下の死亡オッズ比は1.38となっています。(「死亡オッズ比」という表現は専門用語になりますが、大まかに理解するには、総コレステロール160~200mg/dLの人に比べると、160mg/dL以下の人は1.38倍死亡しやすい、と考えて差し支えないと思います) ちなみに、総コレステロールが200~240mg/dLのグループのオッズ比は1.09、240mg/dL以上のグループでは1.21となっています。これらをまとめて表現すれば、「男性では総コレステロールが基準値以下の160mg/dL以下になると死亡リスクが上昇する。基準値の160~200mg/dLの人に比べると240mg/dL以上の人は死亡リスクが多少上がるけれど、160mg/dL以下の人ほどではない。つまりコレステロールが基準値より低いグループの死亡リスクが最も高い」となります。

 女性の結果はさらに意外です。総コレステロール160~200mg/dLのグループの死亡を1とすると、160mg/dL以下では死亡オッズ比は1.42にもなっています。さらに驚くべきことに、200~240mg/dLのグループも、そして240mg/dL以上のグループも共に死亡オッズ比は0.93と、なんと正常とされている160~200mg/dLのグループよりも少ないのです。つまり「コレステロールが高いほど死亡リスクは低い」という結果になり、日本脂質栄養学会の主張とまったく一致するのです。

 では、結局のところコレステロールは下げた方がいいのでしょうか。下げるべきでないのでしょうか。ここからは、医師によって意見が分かれるところですので、すでに医療機関にかかっている人は主治医に聞いてほしいのですが、ここでは私個人の見解を述べておきたいと思います。基準値に当てはまっている人はいいとして、問題は基準値より低い場合と高い場合です。

 コレステロールが基準値より低い人は、何かしらの原因がないかを第一に考えるべきです。例えば低栄養状態や無理なダイエットなどはないか、あるいは甲状腺機能亢進症でコレステロールが下がっていることはないか、などです。もしも原因があるならその原因に対する対処(治療)が必要なのは言うまでもありません。

 コレステロールが基準値より高い人は、心血管リスクとなる他の要因がないかどうかを見極める必要があります。必ず必要な項目は、血圧、血糖、中性脂肪、喫煙、肥満、家族歴(血のつながりのある人が心血管系の病気にかかったことがないか)です。これらがまったくなければ、少々コレステロールが高くても薬は必要ないのではないかと私は考えています。コレステロールを下げるよりも、他の心血管のリスク要因の管理の方が重要というわけです。

 最後に、私自身が現在の日本のコレステロールの治療で最も問題と感じていることを指摘しておきたいと思います。それは、コレステロールを下げる薬剤費の問題です。日本脂質栄養学会によれば、日本人がコレステロールの薬に費やしているお金が年間2,500億円となるそうです。そして、この3割は自己負担としても、残りの7割の1,750億円は公的なお金(保険料もしくは税金)で賄われていることになります。(実際には1割負担の高齢者や自己負担ゼロの生活保護、500円のみ自己負担の母子保険なども考慮すべきですから、もっと多いはずです)。

 問題はこの中身です。コレステロールの薬は頻繁に新しいものが登場しています。最もよく使われているスタチン系の薬剤(新薬)では1錠80円前後のものが多く、これを仮に40歳から40年間服用するとすれば、80円x365日x40年=1,168,000円となります。さらに、最近では小腸でコレステロールの吸収を阻害する薬(ゼチーア)が使われるようになり、こちらは1錠240円もします。これを40年間服用すると350万円を超えます。

 しかし、私の経験で言えば、スタチン系の(新薬でなく)後発品のみで、ほとんどの症例でコレステロールが正常値まで下がります。例えば、スタチンの代表のひとつであるシンバスタチンであれば、その後発品を10mgも使えば9割以上の人は正常値となります。(最近、FDA(米国食品医薬品管理局)はシンバスタチンの使用量を1日80mg以下とするよう勧告をおこないましたが、私の経験で言えばほとんどの人は5mgで充分、不十分な場合でも10mgもしくは20mgまで使えば他の薬を加えなくてもほぼ正常値となります)

 というわけで私は高コレステロールの患者さんに対しては、ほとんどの症例でスタチン系の後発品のみの処方としています。これは「高騰し続ける医療費を抑制するために・・・」という大層な理屈ではなく、単に目の前の患者さんの負担を減らしたいという単純な理由です。それに、最近この私の考えを裏付けてくれるありがたい論文が発表されました。医学誌『Archives of Internal Medicine』2011年5月23日号(オンライン版)(注2)に、プライマリケアでの優先事項に関する論文が掲載されたのですが、この1つに「スタチンはブランド医薬品の前に後発薬を処方する」というものがあるのです。

 現在私は「コレステロールが高いほど長生きする」という考えに賛成しているわけではありませんが、薬が必要な患者さんに対しては、スタチンの後発品を第一選択薬として処方するというポリシーはこれからも続けていこうと考えています。

注1 この論文のタイトルは「Low Cholesterol is Associated With Mortality From Stroke, Heart Disease, and Cancer」で、下記のURLで全文を読むことができます。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jea/21/1/67/_pdf/-char/ja/ 

注2 この論文のタイトルは「The “Top 5” Lists in Primary Care」で、下記URLで概要を読むことができます。ただし「概要」には、上記に述べたスタチンについての記載はありません。

http://archinte.jamanetwork.com/article.aspx?doi=10.1001/archinternmed.2011.231v1&maxtoshow=&hits=10&RESULTFORMAT=&fulltext=Stephen+Smith&searchid=1&FIRSTINDEX=0&resourcetype=HWCIT

参考:医療ニュース
2010年10月27日「悪玉コレステロールを巡る混乱」
2010年10月7日「コレステロール基準についてNPOが見解発表」
2010年9月6日 「やはり悪玉コレステロールが高い方が長生き!?」
2010年7月14日 「悪玉コレステロールが高い方が長生き!?」

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2013年6月22日 土曜日

100 美容医療と一般医療はどこが違うのか 2011/5/20

2011年4月20日、警視庁捜査1課は「業務上過失致死」の疑いで東京都の美容クリニックで手術を担当した医師H(37歳)を逮捕し自宅などを家宅捜索したことが報道されました。

 報道によりますと、医師Hは美容外科医で、2009年に当時70歳の女性患者に脂肪吸引術をおこない、その際腸管に傷をつけたことが原因で死亡に至ったそうです。

 どの程度の脂肪を吸引したのか、亡くなった患者さんが元々どのような病気を持っていたのか、麻酔や術後のケアはどのようになされたのか、などといったことが報道からは分かりませんから、私は逮捕された医師Hに過失があったのかどうかを考察することはできません。術中や術後に患者さんが亡くなることは実際にはあり得るわけで、もちろん患者さんが死亡すれば医師が即逮捕、というわけではありません。逮捕されるのは医師にあきらかな「過失」があるときです。

 捜査1課はこの手術現場のビデオを押収し、専門医から「器具を操作するスピードが速すぎる」との意見を得ており、粗雑な手法が事故を招いたという理由で逮捕に踏み切った、と報道されています。

 私はこの事件を聞いたとき、「逮捕につながる執刀医を非難するようなコメントを医師がおこなった」ということに驚きました。もちろん、ビデオを見た医師は注意深く手術の様子を観察し、ビデオからは得られなかった情報(患者さんの基礎疾患や体質や術後のケアなど)を入手し、何度も検討して結論を出したのだと思います。しかし、現場にいなければ分からないことも実際にはあるわけで、にもかかわらず同業者を結果として非難することになるコメントを発したことに(それが苦渋の決断だったとは察しますが)驚いたのです。

 さらに、医師限定の掲示板などをみていると、捜査1課に協力した医師と同じように、逮捕された医師を非難するコメントが多数寄せられていることに気づきました。

 同業者である医師からここまで非難の声が上がる最大の理由は、医師Hがおこなったのは一般医療ではなく美容医療だからでしょう。

 手術で患者さんが死亡し執刀医が逮捕された事件はいくつかありますが、最も有名なもののひとつは福島県立大野病院産科医逮捕事件です。これは、2004年12月に同病院で帝王切開手術を受けた産婦が死亡し、執刀医が業務上過失致死と医師法違反の容疑で2006年2月逮捕された事件です。(下記コラム参照)

 この逮捕に対しては、当初から警察及び検察に対する非難の声が医師から上がりました。日本産科婦人科学会などいくつかの学会は「座視することができない」、「事件は産婦人科医不足という医療体制の問題に根ざしている。医師個人の責任を追及するのはそぐわない」などのコメントを発表しています。この事件は最終的には医師の無罪が確定されたわけですが、この執刀医に対して非難の声を寄せた医師はほとんど皆無だったと思われます。

 一方、脂肪吸引術で死亡させて逮捕された医師Hに対しては、非難の声の方が大きく医師Hを擁護するようなコメントはあまり聞きません。

 福島県立大野病院産科医逮捕事件の場合は、妊婦に対する帝王切開術ですから必ず実施しなければならない手術だったのに対し、美容外科の場合は、「どうしてもやらなければならない手術だったのか」という疑問は確かにあります。また、美容外科の手術は通常高額ですから、「一部の金持ちだけができる手術じゃないのか」、さらに「手術する医療機関や医師にも高収入が入るのではないか」というイメージがあるのかもしれません。

 端的に言えば、「大金をほしがる医師がひきおこした事件であり、安い収入で一生懸命がんばっている(普通の)医師とは一緒にしないでほしい」という気持ちが一般の医師の間にあるのかもしれません。

 しかし私はここでひとつの疑問を感じます。それは「美容医療と一般医療の境界はどこにあるのか」ということです。福島県立大野病院産科医逮捕事件は前置胎盤という疾患を抱えた妊婦に対する帝王切開ですから当然「一般医療」、脂肪吸引術は「美容医療」ということは自明です。しかし、治療の内容によっては「一般医療」と「美容医療」はそれほどクリアカットに線引きできるわけではありません。

 ひとつの考え方として、保険診療がおこなえるものは「一般医療」、保険が使えないものは「美容医療」という意見があるかもしれません。ではケミカルピーリングはどうでしょう。最近はニキビの治療も効果的なものが普及してきましたから以前に比べるとニキビでケミカルピーリングをおこなうケースは減ってきていますが、それでも有用な治療法には変わりありません。そしてケミカルピーリングには保険適用がありません。

 肥満に対する外科手術がアメリカなどではかなり普及してきています。日本で実施している施設はまだ多くないと思いますが、技術的にはさほどむつかしくはないと考えられます。では、肥満に対する手術を自費診療でおこなったとして、これは「美容医療」になるのか、という問題があります。肥満というのはそれ自体が病気であると考えられていますから、ある意味では「一般医療」と言えるわけです。しかし、最近気になってきたおなかの贅肉を少しとりたい、ということであればこれは「美容医療」の範疇となるでしょう。では、その境界はどこにあるのでしょうか。例えばBMIいくら以上なら「一般医療」というガイドラインを設けたところで、その境界は人為的なものですし、境界を越えたから手術の方法が異なるというわけではありません。

 要するに、ここから先は美容医療になりますよ、という線引きは現実的にはできない、というのが私の考えです。

 しかしながら、ならばお前は一般医療も美容医療もまったく同じ医療だというんだな、と問われると、私の意見はそうではありません。実は、私自身も今の美容医療に首をかしげているところがあります。

 例えば、美容クリニックがおこなっている「カウンセリング無料」、「1年間の安心保障付き」、「キャンペーン価格」などには大いに疑問を感じます。以前別のところ(下記コラム参照)で述べたことがありますが、そもそも医療行為というのは法的には「準委託契約」と呼ばれるもので、一般のサービス業とは契約の種類が異なるのです。しかし、現在の美容医療はあたかも施術そのものがサービス業であるかのようなPRをしています。

 医療機関は営利団体ではありません。そして、異論もあるでしょうが、美容医療を担う医療機関も営利を追求する団体になってはいけないと私は考えています。

 「保険診療ではできないことがわかっています。でも私の肥満は何をしても治らないので、この脂肪をとってほしいのです。リスクがあることも承知しています」、という患者さんに対し、手術について説明し、充分な知識と経験のある医師が手術をおこなったとき、通常の保険診療と本質的な差がどれほどあるのでしょうか。

 美容医療に否定的な印象が払拭できない最大の理由は、先にも述べたように美容医療が「金儲け」とみられているからではないでしょうか。しかし、美容医療に携わる全ての医師が「金儲け」を考えているわけではないでしょう。

 美容医療に伴う「金儲け」という先入観を取り除くためにも、「カウンセリング無料」「安心保障」「キャンペーン価格」などはやめて、「困っている患者さんの力になりたい」という医療の原点に戻ってみればどうでしょうか。美容医療を担う医師からは「余計なお世話だ」と言われるかもしれませんが、あたかもサービス業であるかのような現在の美容医療のPRのあり方を改善しない限りは、誤解や偏見は世論からだけでなく医師の世界からも取り除けないのではないかと私は感じています。

参考:
メディカルエッセイ第67回「医療の限界」
メディカルエッセイ第92回「手術が成功しなくても代金が安くならないのはなぜか」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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