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2014年7月22日 火曜日
第138回(2014年7月) 認知症の鉄道事故、なぜ議論が盛り上がらない? (追記:2016年3月)
2014年4月24日、名古屋高裁は、愛知県大府市の認知症の男性が徘徊してJR東海の電車にはねられて死亡した事故について、「見守りを怠った」という理由で91歳の妻に359万円の支払いを命じました。
自分の夫が電車にはねられ死亡して、さらにその鉄道会社から359万円も請求されるという判決に違和感を覚えるのは私だけではないでしょう。この判決は(おそらく)すべての全国紙で報じられましたから、大変な物議を醸すことになるだろう・・・、私はそのように予測していました。JR東海に非難が集中し、場合によっては不買運動ならぬ「JR東海不乗運動」まで起こるのではないかと私はみていたのですが、そのようなことはまったく起こっていないようです。
この事件は、認知症の患者さん、その家族、医療や介護関係者には他人事ではないはずで、同じような事故が日本全国で起こることが充分予想されます。はねられた認知症の患者さんの家族に責任を追及するのはおかしいですし(私はそう思います)、しかし、かといって鉄道会社が寛容になれば解決するものでもありません。問題の根は深いわけですが、まずはこの事件(事故)を振り返っておきたいと思います。
2007年12月7日、当時91歳の認知症の男性が徘徊し線路内に進入しJR東海の電車にはねられ死亡しました。この男性は「要介護4」の認定を受けており、当時85歳の妻と同居していました。その妻が目を離したすきに男性は外出し電車にはねられたというわけです。
JR東海は電車が遅れたことにより損害が発生したと主張し、損害賠償を求め訴訟を起こしました。2013年8月、地方裁判所はJR東海の請求通り720万円の支払いを命じました。さらに地裁はこの死亡した男性の長男にも注意義務違反を認定しました。しかし、長男は経済的に父親を支援していたとはいえ、20年以上別居しているそうです。電車事故で夫に先立たれた高齢の女性に高額の支払いを命じ、さらに20年以上別居している長男にも責任を追及するというのはあまりにも気の毒です。
当然弁護側は控訴をおこないました。そして2014年4月、名古屋高裁で先に述べた判決が出たという次第です。報道によりますと、弁護側は上告も検討しているそうですが、それは当然でしょう。
ここで私が問題として取り上げたいのは、ひどすぎる判決よりもむしろ、なぜマスコミがこのようなJR東海や司法判決に黙っているのかということ、そして一般の人たちはなぜJR東海の対応に怒りを示さないのか、ということです。
最近は些細なこと(当事者にしてみればそうではないのかもしれませんが)で企業やショップ、レストランなどに苦情(クレーム)を言う人が増えてきていると聞きます。店員に土下座をさせてそれを写真に撮りネット上で流した人もいるとか・・・。私個人の印象を言えば、最近は消費者が過剰に権利を主張しすぎるように感じますし、また店員の対応も丁寧すぎるというか、言葉遣いからお礼の仕方まで行き過ぎでは?と感じることがしばしばあります。例えば、タクシーに乗るときはわざわざドライバーが外からドアを開けるサービスは行き過ぎています。自動でドアが開くだけでも親切すぎるくらいで、私自身の希望を言えば、乗せる側が開けるのではなく乗る側が自分で開ける方がいいと思います。実際海外にいけばタクシーのドアは自分で開けるのが普通です。
話を戻しましょう。企業に完璧さを求める消費者たちはなぜJR東海の対応に怒りをぶつけないのでしょうか。他人のことには興味がないということなのでしょうか。しかし、徘徊の症状が出ている認知症を家族に持つ人なら他人事ではないはずです。また、今は親が認知症でなくても、80歳を超えると程度の差はあるものの半数が認知症を発症すると言われています。ですからほとんどの日本人にとって人ごとではないのです。
医療機関や介護施設からももっと大きな声が出てきていいはずです。もしも入院中や介護施設に滞在中に抜け出して線路に進入し電車にひかれたとすれば、誰が責任を追及されるでしょうか。おそらくこの場合は、鉄道会社からも家族からも医療(介護)施設に矛先が向けられることになるでしょう。ちなみに私は、研修医時代に担当の患者さんが病院を抜け出して(脱走して)問題になったことがあります。その患者さんは認知症を患っていたわけではありませんが、反社会的な側面を有していたために何か問題を起こさないかとヒヤヒヤしました。結局夕食の時間には戻ってきていましたが。
では、認知症の患者さんが電車にはねられた場合、鉄道会社は黙っているのがいいのか、というとそういうわけでもありません。鉄道会社は大企業ですから、それでもやっていけるでしょうが(昔は飛び込み自殺があったときは遺族感情に配慮して訴訟などは起こさないことが多かったはずです)、これが個人ならどうでしょう。例えば、徘徊したときに他人の家に火をつけた場合はどう考えるべきでしょう。あるいは、徘徊しているときに若い女性がひとりで歩いていれば、強姦される可能性もないわけではありません。実際、医療・介護の現場では女性職員が認知症の患者さんからセクハラを受けることは日常茶飯事ですし、なかにはレイプまがいの事件もあります。
つまり、徘徊した患者さんが何か事件を起こしたときに、家族や入居施設に損害賠償を請求すれば解決するものではもちろんないわけですが、その一方で(JR東海のような)”被害者”が黙っていればそれで解決するという問題でもないというわけです。ちなみに、2013年1年間で、認知症で行方不明になったと警察に届出をされたのが約10,300人で、そのうち390人が死体で発見されたそうです。(警察庁が2014年5月14日衆議院の厚生労働委員会で発表しています)
ではどうすればいいのでしょうか。もしも最高裁でも今回の事件の判決が覆らなければ、家族や医療・介護施設は認知症の患者さんを徘徊させないようにあらゆる手段を講じるでしょう。つまり、最終的にはベッドに縛り付けて身動きがとれないように拘束することが予想されます。
ところで、医療や介護の現場で「抑制」という言葉を聞いたことがありますでしょうか。私は医師になりたての頃、随分とこの言葉に戸惑いました。医療者や介護者がいう「抑制」というのは、要するに認知症などでベッドから落ちる(あるいはベッドから抜け出して困った行動をとる)可能性のある患者さんの手足をベッドの柵にくくりつけて身動きがとれないようにする”医療行為”のことを言います。「抑制」などという表現であればなんとなくソフトなイメージが沸きますが、やっていることは「拘束」です。
私はここで、「抑制」などというマイルドな言葉を使って非人道的な処置をとる医療者・介護者を糾弾すべき、と言っているわけではありません。患者さんの手足を拘束しなければ転倒や他人に危害を加える事故を防ぐためにそのような処置はやむをえないと思います。
認知症で徘徊する患者さんが人や会社に迷惑をかければすべて介護者の責任にされるのなら、患者さんの自由を奪う行為、つまり事実上の身体拘束が激増するだろう、ということをここで指摘しておきたいと思います。
認知症の問題は社会全体で考えていかなければなりません。今回のJR東海の事故のようなことが起こったときにお金が保証される損害保険のようなものがあればいいという案も出ているようですが、保険に入るお金がないという人も必ずでてきます。町中に監視カメラをつけるとかGPS機能のついた腕時計を装着させるとか(あるいはGPSのカプセルを皮膚に埋め込むとか)いう案も出てくるかもしれません。しかし、このような案が出てくれば、人権侵害ではないか、という意見もでてくるでしょう。
ひとついえるのは、家族だけで認知症のケアはできない、ということです。また、医療機関や介護施設、介護サービスなどにも限界はあります。つまり社会全体でこれからの認知症対策を考えていく必要があるのです。北欧では高齢者の認知症対策が上手くいっており徘徊する者はいない、と言われることがあり、見習えるところはあるかもしれませんが、日本の方が高齢化は進んでいますし、社会保障のあり方も異なりますし、国民性も異なるでしょうから、そのまま北欧のケアの方法をまねるだけでは上手くいかないでしょう。
日本独自の認知症対策について国民全員が真剣に考えなければならない時代にすでに入っているのは間違いありません。
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追記(2016年3月7日)
2016年3月1日、最高裁判所は「妻と長男は監督義務者にあたらず賠償責任はない」と結論づけ、JR東海の敗訴が確定しました。
このコラムのタイトルにもしたように、2014年の名古屋高裁の判決の時点では遺族の責任が追及されているのにもかかわらず世間での議論はそれほど盛り上がりませんでした。しかし、今回の最高裁の判決はマスコミからも注目されたようです。
特に、長男の妻が世間の注目をあびました。長男夫妻は両親の元を離れて横浜に住んでいたそうです。しかし認知症の義父と高齢の義母の面倒をみるために、長男の妻は夫から離れて単身で愛知県に引っ越し、義父に対して熱心に介護をおこない献身的な日々を過ごされていたそうです。
2016年3月7日の日経新聞一面のコラム(春秋)では、小津安二郎監督の映画『東京物語』で長男の妻の役を演じていた三宅邦子さんを引き合いに出していました。偶然にも、私が今回の訴訟に関する一連の報道を見聞きして思い出したのも『東京物語』でした。しかし、私が思い浮かべたのは三宅邦子さんではなく、戦死した次男の妻を演じた原節子さんでした。原節子さんは『東京物語』のなかで、義父と義母に対し実の息子や娘以上に献身的な態度で接します。『東京物語』が公開されたのは1953年です。もしも現在高齢の方が初めてこの映画を見れば、「こんなによくできた義理の娘などこの時代にいるわけない」と感じるのではないでしょうか。
日経新聞のコラムでは、献身されたこの妻に対し「無私の5年余に頭を下げたい」という言葉で結んでいます。私もまったく同じ気持ちです。
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|2014年7月11日 金曜日
2014年7月号 手術を受けることになりました
すでにウェブサイトのトップページでお知らせしていますが、2014年8月1日から17日まで(医)太融寺町谷口医院は休診とさせていただきます。これは院長の私自身がある疾患で手術を受けることになったからです。
何人かの患者さんからは、「2週間以上も入院しなければならないということは、かなり大きな手術ですよね。ということは大変な病気なんですか・・・」、と聞かれました。医師が自分の疾患を公表するべきではないかと当初は考えていたのですが、多くの患者さんから質問される、というよりも、心からご心配いただいていることがひしひしと伝わってくることも少なくないために、きちんと説明すべきと考えるようになりました。
私の病歴は以下のようになります。
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2014年1月4日。とあるフィットネスクラブにて。懸垂をしようと思い、鉄棒にとびついたときに左後頚部に鈍い痛みを感じました。両手で鉄棒を把持しているものの、いつもと感覚が違います。左上肢に力が入らず懸垂ができなくなっていることに気付きました。
鉄棒から降りてじっとしていると、強くはないものの鈍い痛みが左後頚部から背部に広がっています。また、左手の親指側に、強くはありませんがしびれがあります。しかし握力はそれほど落ちていないようです。実際、懸垂はできなくなっていましたが、鉄棒にぶらさがっていることには問題ありませんでした。ただし、筋力低下は明らかにあります。どの筋肉に力が入らないのかを調べるためにいくつかの筋トレをおこなってみました。ベンチプレスはまずまず可能です。しかし、ダンベルを持って肘を曲げる筋トレができません。普段は12~14kgのダンベルを持つのですが5kgのダンベルでも上がらないのです。
これらから私がつけた自己診断は「頸椎椎間板ヘルニア」です。おそらく鉄棒に飛びついたときの勢いで椎間板が後ろに飛び出たのだろう、そのように考えました。というのも、このような頸椎の形態異常に起因する疾患はいくつもありますが、症状出現のきっかけがはっきりしている場合はヘルニアである場合が最も多いからです。例えば後縦靱帯骨化症や脊椎管狭窄症ではじわじわと症状が出現しだし、患者さんに「いつからですか」と尋ねても、2~3年前くらいから・・、といった曖昧な答えが返ってくるのが普通です。一方、椎間板ヘルニアの場合は、患者さんが「〇月△日に★★をしていたときからです」、と答えることがしばしばあるのです。
腰椎の場合もそうですが、頸椎の場合も、椎間板ヘルニアはしばらくすると自然に症状が取れることもよくあります。椎間板は骨ではなく比較的柔らかい組織ですから、マクロファージなど貪食機能のある細胞が、後ろに出てしまった椎間板を少しずつ小さくしてくれることが期待できるのです。実際、頸椎ヘルニアの患者さん(太融寺町谷口医院では月に1~3人程度みつかります)に対して、私は専門医に紹介することはありますが、手術を強く薦めることはほとんどありません。そして専門医を受診してもらっても、その専門医から手術を薦められることもあまりありません。
頸椎の椎間板ヘルニアで手術が積極的に薦められない理由は、何もしなくても症状が軽快することが多い、ということだけではありません。腰椎に比べると手術が上手くいかないケースが多いということの方が大きな理由でしょう。「上手くいかない」というのは、手術をした後もしびれなどの症状が残る、ということだけではありません。手術の合併症に苦しめられる、はっきり言えば、手術が失敗して余計にひどくなる、最悪の場合は寝たきりになるというリスクもあるのです。そこまでのリスクを背負ってまで手術する必要があるケースというのはそう多くはないというわけです。
この時点で私は手術などまったく考えなかったばかりではなく、医療機関を受診するつもりもありませんでした。とりあえずは3ヶ月ほど様子をみよう、そのときに症状が悪化していればそのときに考えようと楽観的な気持ちでいました。そう思えた最大の理由は、日常生活にはほとんど問題がなかったからです。懸垂をしたり5kgのダンベルをもったりしなくても生活はできますし、医師としての仕事にも影響はほとんどありません。
しかし私の希望的観測は裏切られることになります。3ヶ月と少したった4月のある日の午後の診察室。くしくもその患者さんは右腕のしびれと右肩の痛みを訴えました。ヘルニアかどうかは別にして、私と同じ頸椎からきている状態だなと考えた私は、診察するために、患者さんの腕をもったり首を後ろに傾けてもらったりしていました。
そのときです。患者さんの後ろにまわり患者さんの両腕を持ち上げたときに、私の左腕に力が入らないことに気付いたのです。患者さんにはそれを悟られないようにしたつもりですが、私の筋力低下が一気に進行したのは明らかでした。しかもごく軽いものが持てなくなるほどの筋力低下です・・・。その次に診察した患者さんは長引く咳が訴えでした。私は聴診器で患者さんの肺の音を聞いていたのですが、左手が震えて聴診器を胸にあてておくことができないではないですか・・・。
これはまずい・・・。その日の夜、いくつかの実験をしてみました。まず茶碗を上げて維持することができません。歯磨きもできません。(私は左利きで歯ブラシは左で持ちます) 携帯電話も20秒もすると腕を維持してられずに会話が続けられなくなります。このままでは日常生活も医師としての診察もままなりません。現在太融寺町谷口医院では以前のような手術はしていませんし、左腕の強い力が必要な処置などもほとんどありません。しかし聴診器が使えなくなれば診察が成り立ちません。
手術の心構えはできていませんが、とりあえずMRIで頸椎の評価をしてみようと考えた私は5月のある日、ある医療機関を受診してMRIを撮影してもらいました。MRIのフィルムを見せてもらったとき、すぐに決心がつきました。というより決心せざるをえませんでした。これは手術しかないと・・・。
頸椎の一部が見事に変形しており、変形した骨(頸椎)が脊柱管を圧迫していたのです。私の「椎間板ヘルニア」という自己診断は”誤診”であり、「変形性脊椎症(頚椎症)」が正確な病名です。つまり椎間板ではなく骨そのものが変形しており、変形した骨が脊髄を圧迫していたのです。実は私は12年前の2002年に交通事故で頸椎のMRIを撮影しています。そのときは右上肢に痛みが生じたのですが、MRIではほとんど異常を認めませんでした。頸椎の変形もほぼありませんでした。頸椎の変形というのは加齢と共に生じますが、33歳の時点では正常であったわけですから、この12年間で加齢が進行したということになります。鉄棒に飛びついたときに初めて症状がでたのは、おそらく症状が出る前から骨が脊髄を圧迫する寸前であり、鉄棒に飛びついたときに骨がごくわずかに動き、そのために症状が突然出たのでしょう。
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というわけで、私は手術を受けることになりました。先にも述べたように頸椎の手術は簡単ではなく術後の後遺症の問題もあります。頸椎の手術を受けたという患者さんをこれまでたくさんみてきましたが、手術が成功したという症例でも何らかの後遺症が残ることが少なくありません。
一般に、頸椎の手術というのは、脊髄損傷のリスクもあり、術後車椅子の生活を余儀なくされる、あるいは寝たきりの状態になる可能性もなくはありません。このため、頸椎の手術がすすめられるのは、脊髄の症状が強くなり、例えば下肢にまでしびれや疼痛が出ている場合や、膀胱直腸障害といって排尿や排便が困難になった場合、あるいは上肢が動かなくなった場合など、重症化した場合に限られます。
私の場合は、持った茶碗を維持することはできませんし、両手を使って頭を洗えないなどといった不便さはありますが、最低限の日常生活はできないことはありません。しかし、聴診器を自由に使えない、患者さんの腕や足を持ち上げられない、といった医師生命に関わる不自由さがでてきたために手術を受けるべきと判断しました。(術式については、大きく分けて前方固定術と後方除圧術があります。私が手術をお願いすることになった先生は、低侵襲の手術をされる大変ご高名な先生ですが、これ以上の説明はここでは省略します)
8月18日からは仕事に復帰するつもりでいます。しかし、比較的大きな手術ですし、術後しばらくの間は安静を余儀なくされます。冒頭で紹介した患者さんは、私が大変な病気に罹患したから長期間入院することになったと考えられたわけですが、疾患自体は悪性のものではありませんし、寿命が短くなるものではありません。しかし術後の安静が強いられるために長期間休まなければならないのです。
術後の経過、そして予定通り8月18日から診療を再開できるか、などについては、ホームページでお伝えしていく予定です。しばらくの間ご迷惑をおかけしますことをお許しください。
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|2014年7月7日 月曜日
2014年7月7日 「赤ワインが健康に良い」は、もはや幻想・・・
「フレンチ・パラドックス」という言葉をご存知でしょうか。これは、フランス人はあぶらっこい肉料理を好んで食べて、おまけに喫煙率も高いのに、心筋梗塞など心血管系疾患の罹患率が低いことを表した言葉です。フレンチ・パラドックスの原因として90年代初頭に「赤ワイン」が注目を浴び、日本でも「健康で長生きするために赤ワインを」としきりに言われていた時期がありました。
しかし、その後の研究などで、フランスでの心血管疾患に対する統計の取り方に問題があることなどが指摘されるようになり、実際のところは他のヨーロッパ諸国と心血管疾患の罹病率に大差がないとする研究が発表されました。
これをもって、フレンチ・パラドックスは誤りだった、と多くの関係者や医師は考えたわけですが、世の中には簡単には引き下がらない人たちもいるようで、赤ワインに含まれるポリフェノールの1種のレスベラトロールこそが寿命を延ばすんだ、と主張する人たちがでてきました。レスベラトロールのサプリメントも登場し、いまやアメリカだけでレスベラトロールのサプリメントの市場は3,000万ドル(約30億円)にもなるそうです。
しかし、赤ワインが健康食品として一人歩きしたように、レスベラトロールも有効性が充分に検証されないまま市場に大きく広がってしまいました。(おそらくこの”首謀者”は、赤ワインやサプリメントが好きな医療者や研究者でしょう。マルチビタミンやミネラルなどのサプリメントについては、ここ10年くらいは有害性が次第に指摘されるようになってきていますが、それでもごくわずかとはいえサプリメントを信奉する医師がいるのも事実です)
そんななか、ついにレスベラトロールが心血管系の予防には無関係であるという研究結果がでました。医学誌『JAMA Internal Medicine』2014年5月12日号(オンライン版)で発表されています(注1)。
この研究の対象者は、イタリアのトスカーナ州のキャンティと呼ばれる地域(ワイン生産で有名な土地だそうです)に在住の65歳以上の男女783人です。調査期間は1998年から2009年で、各人につき9年間の追跡調査がおこなわれています。期間中に合計268人が死亡し、そのうち174人が心血管系疾患、34人が悪性腫瘍であったようです。
レスベラトロールの尿中濃度により対象者が4つのグループにわけられています。尿中濃度が最も高いグループと低いグループで死亡率に有意差が認められず、心血管疾患に対しても悪性腫瘍に対しても予防効果はなかったようです。さらに、この研究では、心血管疾患や悪性腫瘍の指標に使われる検査値(C反応性蛋白(CRP)、IL-6、IL-1β、TNFなど)にも、レスベラトロールの濃度による差は一切認められなかったようです。
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私がこの研究を初めて目にしたのは医学関連の情報ツールではなく、一般の週刊誌(『週間ダイヤモンド』)でした。この研究は少し対象者が少ないように思われますが、一般の週刊誌が取り上げたということはそれだけ世間から強い関心が持たれているということでしょう。
赤ワインにもレスベラトロールにも長寿や疾患予防への期待はすべきではありませんが、赤ワインを飲んではいけないというわけではもちろんありません。少量の飲酒が心血管系疾患のリスクを減少させるという研究はいくつもあります。ただし、飲み過ぎると健康を害するのは間違いなく、また比較的少量のアルコール摂取でも発ガンリスクが上昇するという研究もあります。
つまらない結論になりますが、赤ワインに過度な期待をするのではなく、少量を味わって楽しく飲むのが一番いいというわけです。
(谷口恭)
注1:この論文のタイトルは、「Resveratrol Levels and All-Cause Mortality in Older Community-Dwelling Adults」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://archinte.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=1868537&resultClick=3
参考:医療ニュース
2011年10月26日「女性は中年期の適量の飲酒で高齢期が健康に」
2011年9月10日 「適度な飲酒がアルツハイマーを予防」
2010年8月23日「飲酒が関節リウマチに有効?」
2010年5月21日「飲酒によりリンパ系腫瘍のリスクが低減」
2010年4月8日 「適度な飲酒は女性の体重増加を抑制」
2013年10月4日「女性も多量飲酒で脳卒中のリスクが増加」
2011年4月18日「ビール中ジョッキ1杯で発ガンリスクが上昇・・・」
2009年10月8日 「酒飲みの女性は乳ガンになりやすい」
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|2014年7月4日 金曜日
2014年7月4日 ヒラメの刺身の食中毒にご用心
最近医師の間でしばしば話題になる食中毒に「クドア」があります。
医療者以外の方でこの「クドア」について知っている人はほとんどいないのではないでしょうか。恥ずかしながら、私自身も2~3年前までは「クドア」という病原体の名前すら知りませんでした。ここ1年くらいの間に医療系のサイトやメーリングリストなどでクドアについての記事を目にする機会が増えてきています。先日参加したある寄生虫関連の講演会でも注目の話題になっていました。
クドアとは主にヒラメに感染する寄生虫で、刺身を食べたときに食中毒を起こすことがあります。寄生虫ですから熱すれば死滅します。ですから生でヒラメを食べなければ心配する必要はないのですが、ヒラメの刺身が好物という人も少なくないでしょう。
クドアは正式名を「クドア・セプテンプンクタータ(Kudoa septempunctata)」という舌を噛みそうな名前の寄生虫です。寄生虫というと何やら気持ち悪い生き物を想像する人が多いと思いますが、クドアは気持ち悪いどころか大変美しく花びらのような形をしています。先に紹介した講演会で講演していた医師は、顕微鏡の拡大写真を提示して「女性のワンピースやスカートの柄にすれば売れるだろう」と話していました。これはもちろん冗談ですが、それくらい美しいのです。
クドアによる食中毒と思わしき症例は2000年以降増加しており、正式にクドアが原因と同定されたのが2010年のようです。その後も増加傾向にあり、2014年1~4月でみると、7件のクドア食中毒が発生し、92人が発症したと報告されています。いずれもヒラメ刺身を食べた後の発症だったようです。2013年は21件、患者数244人の報告ですから単純に考えればほぼ同じペースで推移していることになりますが、ピークが8~10月ですから、今年(2014年)は昨年の記録を上回るかもしれません。
クドアを含むヒラメを食べるとどうなるかというと、症状は下痢と嘔吐です。しかし重症化することはほとんどなく、自然に治っていくようです。今のところ薬はありません。
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2013年1年間に保健所に届られた報告が21件、244人と聞くと、たいしたことないな、と感じる人もいるでしょう。しかしこれは実態を反映していません。例えば、スーパーで買ってきた刺身を家で食べて軽い下痢をして保健所に届ける人はいないでしょうし、仮に医療機関を受診したとしても診察した医師はまず保健所には届けないでしょう。症状が重症化しませんから医療機関を受診するケースもそう多くないと思います。また専門医の話によると、状況から疑ったとしても患者の体内からクドアを検出するのは困難なようです。以上から、保健所に届られているクドアの食中毒は氷山の一角といえます。
予防法としては、ヒラメは生で食べない、ということになりますが、刺身好きの人に対してはそれでは答えになっていないでしょう。寄生虫ですからおそらく冷凍すれば死滅するはずです。しかし、ヒラメの刺身が解凍したものであれば味が落ちることは必至でしょう。下痢や嘔吐のリスクを背負って生で食べる、という人もいるかもしれません。
ただし、食中毒であることには変わりありませんから、寿司屋などは今後ヒラメの刺身や寿司を出すことを止めるかもしれません。被害にあった人は寿司屋のことを悪く思わないかもしれませんが、例えば集団で発生した場合は診察した医師は保健所に届けざるを得ません。保健所としては食中毒が発生した可能性があれば調査せざるを得ず、クドアが検出されれば一定の期間店を閉めなくてはなりません。そこまでのリスクを背負ってヒラメを供給し続ける店は今後急減するのではないかと私はみています。
(谷口恭)
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|2014年6月30日 月曜日
2014年6月30日 今からでも語学を勉強すれば老化の予防に
以前バイリンガルは認知症になりにくい、というインドの研究を紹介しました(下記参照)。また、決定的なエビデンス(科学的確証)があるとまではいえないものの、語学の習得がアルツハイマーなどの認知症のリスクを下げるとした研究は他にもあります。今回新たに、語学の勉強で脳の老化を防げるという研究が発表されましたので報告したいと思います。
2つ以上の語学が話せれば高齢になったときに脳の老化が予防できる。そして語学の習得は成人になってからでもかまわない・・・。
これは医学誌『Annals of Neurology』2014年6月2日(オンライン版)に掲載された研究です(注1)。
この研究の対象者は1936年にスコットランドで誕生した英語を母国語とする合計853人です。対象者が70代になった2008年から2010年に面談がおこなわれ、語学の習得度と脳の老化との関連性が検討されています。
対象者のうち262人は英語以外に少なくとも1つ以上の言語を話すことができ、そのうち195人は18歳以前に(うち19人は11歳以前に)2つめの(英語以外の)語学を習得していたそうです。残りの65人(注2)は18歳以降の習得だそうです。160人は2ヶ国語、61人は3ヶ国語、16人は4ヶ国語、8人は5ヶ国後を話す、とされています。170人は日常生活では英語だけを話し、残りの90人は専門分野などで2番目の言語を用いているようです。
2つ以上の言語を話す人は、70代になってから受けたメンタルスキルテストの結果が良かったようです。そして、興味深いことに、この傾向は幼少期に語学を習得したグループと成人してから習得したグループで差がなかったようです。
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今回の研究結果は、なんで幼少時期に習字とそろばんをさせられて英語を習わせてくれなかったんだ・・・、と英語が苦手なことを親のせいにしているような人には朗報ではないでしょうか。
たしかにリスニングとスピーキングについては、幼少時期から始めた方が有利かもしれませんが、読み書きは必ずしもそうではありませんし、今から初めても老化防止になるなら、やはり勉強した方がいいでしょう。
ただし、論文には、2番目の外国語ができるという表現を「to a degree allowing them to communicate」としています。つまり読み書きだけではダメだということです。なんとか他人とコミュニケーションをとれるレベルにまで持っていく必要がありそうです。
(谷口恭)
注1:この論文のタイトルは「Does bilingualism influence cognitive aging?」で、下記URLで概要を読むことができます。
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ana.24158/abstract
注2:母国語(英語)以外の語学ができる人が262人、そのうち18歳未満でできるようになった人が195人ですから、それ以降にできるようになった人は262-195=67人になるはずですが、なぜか原文では65人になっています。この差の理由は不明です。また何ヶ国後を話すかの合計人数も262人になりませんがこの理由もわかりません。
参考:
医療ニュース2013年11月30日「バイリンガルは認知症になりにくい可能性」
はやりの病気第95回(2011年7月)「アルツハイマーにどのように向き合うべきか」
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|2014年6月30日 月曜日
2014年6月30日 コーヒーで基底細胞癌のリスクが43%も減少
コーヒーは大変身体にいいもので、生活習慣病や多くのガンのリスクを減少させてくれる、という話はこのサイトで何度もしています。
何度もそういうことを述べているからなのか、一部の患者さんから「あたし、コーヒー飲めないんですけど、やっぱりマズイですかね~」などと質問されることがときどきあります。コーヒーが健康にいいことを言い過ぎると、飲めない人は傷ついてしまう・・・、ということがあるのかもしれません。しかし、コーヒーがすべてというわけではもちろんなく、他に健康を維持する方法、というよりコーヒーなどより重要なことはたくさんあるわけで、コーヒーが飲めない人はこのような話は軽く聞き流してください。
さて、今回お伝えしたいのは、皮膚ガンの1種である「基底細胞癌」のリスクがコーヒーを飲むことで43%も減少する、という研究です。医学誌『European Journal Cancer Prevention』2014年5月16日号(オンライン版)に紹介されています(注1)。
この研究の対象となったのは、米国コネチカット州在住の40歳未満の非ヒスパニック系白人767人です。この研究は前向き研究(これから何人が発症するかをみる研究)ではなく、後ろ向き研究です。つまり、767人のうち、基底細胞癌をすでに発症している377人と、その対照(コントロール)として良性の皮膚疾患を発症している390人を、聞き取りによりコーヒーなどをどれくらい飲んでいたかを調べているのです。
その結果、最もカフェインをたくさん摂取していたグループでは、まったく摂取していなかったグループに比べて、基底細胞癌発症のリスクが43%も低かったそうです。
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この研究はコーヒーだけでなく紅茶(論文ではteaとなっていますが、英語でteaと言えば日本茶や緑茶でなく紅茶のことをいいます)も合わせて検討されています。つまり、コーヒーでも紅茶でもいいからカフェインを多く摂っている人は基底細胞癌のリスクが減少していた、というのが結論です。ですから、今回の研究に関していえば、コーヒーが飲めない人は紅茶を飲めばそれでいい、ということになります。
ところで基底細胞癌というのは、長年の紫外線暴露が最大のリスク要因であり、日本では、例えば農作業に従事していた高齢者などに多いという特徴があります。私がこの論文を読んでまず感じたのは、白人では基底細胞癌を発症する40歳未満がそんなにも多いのか、ということです。私はこれまで40歳未満どころか、50代の基底細胞癌も診たことがありません。
そういう意味ではこの研究は日本人には縁のない話かもしれません。日本人が基底細胞癌のリスクを減らすのに重要なことは、カフェインをたくさん摂る、ではなくて、若い頃から紫外線対策をしっかりおこなう、ということです。
(谷口恭)
注1:この論文のタイトルは「Tea, coffee, and caffeine and early-onset basal cell carcinoma in a case?control study」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://journals.lww.com/eurjcancerprev/Abstract/2014/07000/Tea,_coffee,_and_caffeine_and_early_onset_basal.11.aspx
参考:
医療ニュース2013年4月18日「コーヒーでも緑茶でも脳卒中のリスク低減」
医療ニュース2013年1月8日「コーヒーで口腔ガン・咽頭ガンの死亡リスク低下」
医療ニュース2012年12月3日 「コーヒーも紅茶も生活習慣病に有効」
医療ニュース2012年10月1日 「コーヒーは消化管疾患と無関係」
医療ニュース2010年5月24日 「紅茶で大腸ガンのリスクが上昇?」
はやりの病気第22回(2005年12月)「癌・糖尿病・高血圧の予防にコーヒーを!」
はやりの病気第30回(2006年4月)「コーヒー摂取で心筋梗塞!」
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|2014年6月20日 金曜日
第130回 渡航者は狂犬病のワクチンを 2014/6/20
私が代表をつとめるNPO法人GINA(ジーナ)は、現在主にタイのエイズ施設やエイズ孤児の支援をおこなっていますが、タイのエイズに関する日本のいくつかの団体も支援しています。そのひとつの団体が発行する機関誌に興味深い体験談が載っていました。
体験談を書いたのはある男子大学生で、タイ北部でのボランティアに志願し現地に行ったそうです。そしてイヌに咬まれて病院に行き、破傷風と狂犬病のワクチンを接種したそうです。この体験談からは緊迫感が伝わってこずに、むしろ自分の失敗談をおもしろく語っている、というような印象を受けたのですが、私はこれは問題だと感じています。
後から、この団体の幹部クラスの人から、その後この大学生は何の問題もなく暮らしている、ということを聞き安心しましたが、そもそもワクチンを接種しないで現地に行っていること自体が問題です。
たしかに狂犬病はイヌに咬まれてからでも速やかにワクチン接種をおこなえば助かる病気ではあります。しかし対応が遅れて発症すると(ほぼ)100%死に至ります。
以前、たしか医療者(だったと思います)が書いた何かの雑誌に掲載されていた文章に「狂犬病を発症して助かった者は世界中で4人しかいない」というものがあり、私自身も何度か「世界で4人」という話を聞いたことがあるのですが、どうもこの情報は疑わしく、私は今ではこれは一種の都市伝説ではないかとみています。
というのも、きちんとした論文で、狂犬病を発症して助かった症例というのを見たことがありませんし、「●●●(例えばプノンペンやバラナシといったバックパッカーが大勢たまっているところ)で知り合った日本人がすごいヤツで、アフリカで狂犬病を発症して1ヶ月意識がなかったけれど助かったらしい。狂犬病で助かったのは世界で4人しかいないそうだ」という話を、日本人のバックパッカーから何度か聞いたことがあるからです。もしもこの「アフリカで狂犬病を発症して助かった日本人」が同じ人物なら納得いきますが、その日本人の情報がときには東京出身であったり九州出身であったり、また年齢も様々で到底同じ人物とは思えないのです。それに医療者からならまだしも、バックパッカーたちから次々と「世界で4人・・・」と聞くと、正直に言うとこの情報を信用しにくいのです。というわけで、私はこの「世界で4人が助かった」という話も現在は都市伝説に過ぎないのではないかとみています。
話を戻しましょう。狂犬病は絶対に発症させてはいけない感染症であり、最善の対策はワクチン接種です。ワクチン接種をしていない場合は、「咬まれたら直ちに医療機関を受診してそこでワクチン接種」ということになります。狂犬病(と破傷風)は例外的に病原体が感染してからでも間に合う可能性のあるワクチンなのです。ワクチンのことについては最後にもう一度確認するとして、まず発症するとどのような転帰をたどるかについて述べておきます。
といっても私は狂犬病の患者さんをこれまでひとりも診察したことがありません。教科書には、水を怖がる、幻覚をみる、興奮・精神錯乱などの症状が生じ、最終的には昏睡し死に至る、となっています。日本で医療をしている限り、よほどのことがない限りは狂犬病の患者さんを診る機会はないだろう、と考えていたのですが、先日ある学会で貴重なビデオを見ることができました。
これは1950年に当時の厚生省が作成したもので、当時4歳の男の子が狂犬病で入院して死に至るまでの経過がビデオカメラにおさめられています。今の時代であればプライバシーの観点からこのようなビデオが作られることはないでしょうし、仮にあったとしても表情をぼかすなどの措置がとられることになると思いますが、当時はそのような配慮はなされておらず表情もそのままうつっています。
入院したばかりの頃は子どもらしい笑顔でベッドに座りとても愛くるしい顔をしています。それが日がたつにつれて落ち着きをなくしていきます。教科書には「水を怖がる」と書かれていますから、水から逃げるのかと思いきや、そうではなく、カップの水を求めます。水を飲まなければ生きられませんからそれは当然でしょう。しかし水を口に含むと興奮を抑えられない不可解な行動をとりだします。その後けいれんを繰り返し、最後には死に至ります(注1)。
現在では狂犬病というと、外国の病気、というイメージが強いのかもしれませんが、このビデオがつくられたのは1950年ですし、その後の国内での発症もあります。ここで日本の狂犬病の歴史を振り返っておきましょう。
日本に古来からあったのかどうかは不明です。18世紀前半には狂犬病と思われる感染症が広がったとする記録があるそうです。どれだけ正確に報告されているか、という問題はありますが、狂犬病のピークは1920年代のようで、1925年には年間2千件以上の報告があったそうです。1920年代後半から減少傾向となり、先に紹介したビデオがつくられた1950年には狂犬病予防法が施行され、飼い犬の登録と(飼い犬への)ワクチン接種が義務化され、さらに野犬の駆除が徹底化され、1956年以降国内感染の報告はありません。
何かと批判されがちな日本の行政ですが、この成績は立派です。日本に住んでいると、日本という国は対応が遅くて、感染症でいえば、なぜ海外では標準のワクチンが日本では入手すらできないのか、ということが指摘されますし、私自身もしばしば感じることですが、この狂犬病の対策に関しては見事だと思います。もちろん厚生省だけでなく、地域の保健所や獣医師会、そして国民ひとりひとりの協力があってこそですが、それでもこれだけの業績をこれだけ短期間で達成した国というのはおそらく他にはないでしょう。ちなみに、現在でも狂犬病のない国(輸入例は除きます)は(人口数万人以下の島国などを除けば)日本とイギリスくらいではないかと思われます。
話を戻してその後の狂犬病の歴史をみていくと、1970年にネパールを旅行中の日本人が現地でイヌに咬まれ帰国後に発症し死亡しています。その後はまったく報告がなかったのですが2006年に60代の日本人男性2名が立て続けにフィリピンでイヌに咬まれて狂犬病を発症しました。このときは少し話題になりましたが、その後マスコミなどで狂犬病が取り上げられることはほとんどありません。
さて、狂犬病の対策ですが、これはワクチン以外にはありません。狂犬病は発症すれば(ほぼ)100%死亡しますが、ワクチンを接種しておけばこれまた(ほぼ)100%防げる感染症なのです。ワクチンは事前に接種しておくべきですが、イヌに咬まれてからでも間に合います。
しかし、これを過信してはいけません。先に紹介した北タイでイヌに咬まれた男子大学生は現地の医療機関を速やかに受診できたことで事なきをえましたが、もしもこの大学生が少数民族への支援をおこなうために国境付近の山奥に訪れていた場合はどうなったでしょうか。もちろんそんなところに医療機関はありません。もしも、複数箇所咬まれており痛みが強くて移動しにくいような場合、山を越すのは容易ではありません。
海外に支援に行こうという若い人たちを怖がらせるようなことはしたくはないのですが、必要最低限の対策はおこなわなければなりません(注2)。また、狂犬病は日本人の支援が必要なへき地にのみ存在するわけではありません。実際、タイでは北タイや東北地方(イサーン地方)よりもむしろバンコクを含む中心部や南部の方で発生が多いのです。
先進国でも起こりうるのが狂犬病です。そして気をつけなければならないのはイヌだけではないということです。かつての日本を含むアジアではイヌからの発症が大半を占める、というだけで、実際にはコウモリやキツネ、ネコ、アライグマなどからも感染します。
海外で何かトラブルがあったとき、大使館が助けてくれるわけではありません。自分の身は自分で守らなくてはなりません。狂犬病のワクチン接種をお忘れなく・・・(注3)
注1:このビデオはもちろん一般には公開されていません。しかしこの男の子の写真が載ったポスターが厚労省によってつくられています。「私たちは君を忘れない」というタイトルで下記のURLで閲覧することができます。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/pdf/poster02.pdf
注2:海外(特にタイ)にボランティアに行く場合の注意点はNPO法人GINAのサイトに掲載しているコラムが参考になるかと思います。興味のある方は下記を参照ください。
GINAと共に第92回(2014年2月号)「無防備なボランティアたち」
注3:ただし狂犬病ワクチンは慢性的に供給不足となっており、希望すれば誰でも接種できるわけではありません。太融寺町谷口医院では、接種の優先順位を考えて、留学やボランティア、海外駐在や出張に行かれる人(会社の産業医に接種してもらえない場合)を優先しています。短期の旅行やバックパッカーはお断りすることもあるのが現状です。(へき地を好んで訪れるバックパッカーはリスクが高いのは事実ですが・・・)
しかし行政も狂犬病ワクチンが慢性的に不足しているこの事態を手をこまねいてみているわけではありません。日本製ワクチンの製造が間に合わないなら、海外製品を輸入すれば済む話です。まだ本決まりではありませんが、現在ヨーロッパのある製薬会社が作成している狂犬病ワクチンの認可が申請されているようです。
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|2014年6月20日 金曜日
137 24時間働けますか 2014/6/20
私は臨床医以外に、産業医や労働衛生コンサルタントとしての顔もあるために、労働者と面談をしたり、その逆に事業主から意見を求められたりすることもしばしばあります。ここ1年くらいで最も多い相談が「過重労働」に関するものです。少し前までは、いわゆる「新型うつ病」が多かったのですが、最近はなぜか新型うつ病と思われる相談はすっかりと鳴りを潜め、もっぱら過重労働がメインになってきています。
現行の労働安全衛生法の規定では、労働者が、月100時間を超える過重労働が(ひと月でも)あるか、あるいは2~6ヶ月の平均で月80時間を超える過重労働があるかすれば、産業医の面談を受けなければならないことになっています。ここで言葉の定義を確認しておくと、「過重労働」というのは平日の残業時間と休日出勤を足した時間のことです。例えば、平日は毎日3時間残業して毎週土曜日に出勤して5時間ずつ働いたとすれば、3時間x5日x4週間+5時間x4日=80時間/月、となり、これが2ヶ月続けば産業医の面談を受けなければならないのです。
さて、実際に面談をしてみると興味深い事象がみえてきます。例えば、月に120時間を毎月超えているような若い労働者が「まだまだがんばれますよ。今度また大きなプロジェクトがあってしばらく会社に泊まり込みになりそうです。先輩たちは厳しいですけど楽しいことも多いんですよ」というようなことを言う場合があります。このような人は産業医(私)との面談も会社に言われたから”仕方なく”受けているのであって、できることなら早く仕事に戻りたい、このような面談も時間の無駄、と考えていることもあります。
一方で、その逆に、過重労働は60時間程度だけど(先に述べた法律の基準に達していなくても産業医との面談をおこなうことは可能です)、「会社に酷使されている。うちの会社はブラック企業だ・・・」という人もいます。
これら両極端な例をみればわかるように、労働者にとって仕事がどれだけ負担になっているかというのは単純に労働時間だけでは分からないものです。しかし、現在の日本では過重労働からくると思われる心身の疾病がたくさん発症しているのは事実です。厚労省や行政、あるいは会社としては何らかの基準をつくって、心身不調者を早期発見する義務があるわけで、そのスクリーニングとして簡単に数値化できる過重労働の時間を指標にすることは間違っていません。
では、長時間働いてもそれを苦痛と感じない人と、それほど長時間でなくても苦痛を感じさらに心身の不調を訴える人がいるのはなぜなのでしょう。労働時間以外に何がこれらを決める要因になるのでしょうか。
ワタミと言えば今やブラック企業の代名詞のような扱いを受けている企業ですが、なぜここまで注目されるようになったのかというと、従業員が過重労働から自殺をした、という事件があり、さらにマスコミの取材でワタミの社内冊子が白日の下にさらされることになったからです。『理念集』と名付けられたその冊子には、「365日24時間死ぬまで働け」、「出来ないと言わない」などと大変厳しい教訓が書かれているそうです。(『週間文春web』2013年6月5日)
365年24時間死ぬまで働け・・・、はいくら何でもまずいのでは?と、おそらくほとんどの人が感じるでしょう。若いときはがむしゃらに働け!と実際には思っている厳しい中高年の人たちも、このご時世にこの意見に同調するのは気が引けるでしょう。
しかし、です。日本マイクロソフトの元社長(現在HONZ代表)の成毛眞氏は、最近『週刊新潮』(2014年5月29日号)の連載コラムのなかで、とてもおもしろいことを述べられていました。氏は、マイクロソフト社の新入社員が入社前に出席する内定式の挨拶で次のようなことを話されていたそうです。
(前略)最初の3年間は24時間365日仕事だけをしろ、と。仕事以外で許されるのは、週に一度の入浴くらい。恋人がいる人は入社までに別れを告げ、いない人は、すぐにパートナーを作り、やはり入社前にふっておくべきだとけしかけた。
成毛眞氏という人について、私は『週刊新潮』のこの連載が始まるまでほとんど何も知らなかったのですが、この人の文章は内容も表現も大変魅力的で、よくこれだけ興味深い文章が毎週書けるものだと、私は発売日を楽しみにしています。
それにしても、24時間365日働け!、風呂は週に一度!、恋人とは入社までに別れておけ!、とは恐れ入ります。私はこの文章を読んだとき、おかしすぎて声が出てしまったほどです。(入社前にふられたパートナーの人には失礼ですが・・・)
さて、成毛眞氏はこのご時世になぜこのような発言をするのか、そしてこれを読んだ私(を含むほとんどの読者)は氏になぜ否定的な感情を抱かないのでしょうか。それは真意が別にあることが分かっているからです。
成毛眞氏はこのコラムの後半で次のように述べています。
1日8時間働くのと、1日24時間働くのとでは、経験値が3倍異なる。社会人になりたての時期の3倍の差は、どの会社でどんな業務をしているかの違いよりも、遙かに重要である。この頃に離された距離は、その後、どれだけ頑張っても埋められるものではない。だから死にものぐるいで頑張らなくてはならない・・・
もちろんマイクロソフトの若い社員たちは、実際には週に一度どころか毎日シャワーをあびていたでしょうし、恋愛もちゃっかりと楽しんでいたに違いありません(見たわけではありませんが・・)。しかし仕事は猛烈におこない何日も会社に泊まり込んだという人は少なくないでしょうし、帰宅してからも(仕事を持って帰っていなかったとしても)頭の中で四六時中仕事のことを考えていた時期があったはずです。
私は個人としては成毛眞氏の考え方に共鳴します。ただし、医師として、とりわけ産業医としては、全面的に同意します、とは言えません。やはり、ものには限度がありますし、こういった極端なコメントには、それを抑制する方向の意見も必要だからです。
私は、産業医としてはもちろんですが、個人としても、風呂は週に一度、とまでは言ったことがありません。しかし、会社員時代も医師になってからも後輩たちには次のように言っています。
今の仕事が勉強になるかどうか、将来の糧になるかどうかをよく考えるべきだ。今やっていることが少しでも自分のためになる可能性があるならやめるべきではない。君はずっとこの組織(会社・病院)にいるわけではない。どこへ行っても通用する知識と技術を今やっていることを通して学ぶんだ・・・・。
私はこれまでに会社員、十種以上のアルバイト、複数の病院での勤務医、太融寺町谷口医院(医師は私ひとりですが研修医が勉強に来ます)と、様々な勤務地で大勢の後輩をみてきましたが、相談をもちかけられるとこのように答えてきました。そして、これが通じやすいのは一般の会社員よりも医師に対してです。これは医師の方がいったん知識と技術を身につければ他人に貢献できる、つまり身につけた知識と技術が求められる場面が多いからでしょう。
しかし、医師以外の仕事であっても、その会社でしか通用しないことを延々とやらされる仕事と、少々困難ではあるけれど成し遂げれば自分の糧になり将来役立つ可能性のある仕事ではまったく異なってきます。
最近私は産業医として労働者と話すとき、このような点に気をつけています。すると労働時間だけでは決してわからないその人の考えや将来の展望、会社への帰属意識、事実上の疲労度などが見えてくるのです。
ただし私は、まだまだがんばれます!という労働者に対し、ではまだまだがんばってください!と言っているわけではありません。先ほど、医師は知識と技術を身につけるために少々辛いことでもがんばれる、と言いましたが、過労から心筋梗塞を発症した研修医や自殺においこまれた研修医がいるのもまた事実です。
過重労働を強いられている、あるいはブラック企業で働かされている、と感じている人は労働時間に関わりなく上司あるいは産業医に相談することを検討すべきでしょう(注1)。一方、労働時間が多いけれど全然苦痛じゃない、と考えている人も、ときには息抜きに産業医との面談を受けてみてはどうでしょうか。過重労働を苦痛と感じないような仕事のできる人なら、ときには日頃の仕事とまったく異なる分野の人間と話をすることで思わぬ発想がでてきて仕事にいかせることもある、ということを知っているでしょうから。
注1:大企業なら会社に常勤の産業医がいるでしょうし、中小企業でも50人以上の社員がいるところであれば嘱託産業医が月に一度会社に来るはずです。しかし50人未満の企業の大半は産業医と契約を結んでいません。ではどうすればいいかというと、各地域の産業保健総合支援センターや地域産業保健センターに問い合わせればいいのです。無料で産業医の面談が受けられるサービスもあります。
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|2014年6月16日 月曜日
2014年6月16日 梅毒が増えていると言うけれど・・・
ここ1~2ヶ月の間、梅毒が増えているという新聞記事を目にする機会が多いように思われます。記事のタイトルの例(すべてオンライン版)を少し紹介すると・・・
「梅毒、若い男性に増加 妊婦通し胎児にうつる恐れも」 日経新聞(2014年5月23日)
「梅毒、都市部の男性中心に拡大 昨年、21年ぶり千人超」 朝日新聞(2014年6月6日) 「梅毒が東京でアウトブレイク」 読売新聞(2014年5月20日)
「梅毒が若年層に増加 昨年1000人超、「過去の病気」ではない!」産経新聞(2014年4月6日)
「梅毒、なぜか急増 3年で倍、国が注意喚起 検査拡大が必要」共同通信(2014年5月27日)
なぜこのような報道がおこなわれているかというと、2013年の梅毒の届出件数が例年に比べて増加しているからです。
*********
しかしこれは実態を反映していないと私は考えています。つまり、梅毒が突然急激に増えたのではなく単に届けられる件数が増えただけです。感染症の発生動向は、その感染症の種類によって充分に注意をしなければなりません。一般に、重症となりうる感染症については発表される感染者数は比較的正確です。なぜなら診断した医師は届出をおこなわなければならないと考えるからです。HIVがその代表でしょう。ですからHIVについては、医療機関で診断がついた人数と届出された人数にそれほど差はないといえます。(ただし検査を受けておらず感染していることに気付いていない人は大勢います)
一方梅毒は、治療をすれば比較的簡単に治る疾患ということもあり、医師が届けていないことがまあまああるのです。届出を怠れば(たしか)50万円以下の罰金則があったと思うのですが、実際にこれを払った医師というのは聞いたことがありません。届出を怠るのは医師の怠慢ではないか、という声があるでしょうが、届出義務があることを知らない医師も少なくないというのが実情です。
梅毒の届出数が実態を反映していない理由は他にもあります。例えば、医師が梅毒の診断をつけられなかったけれど、リンパ節の腫脹や皮膚症状から抗菌薬を処方して結果的に治った、というケースも少なくないと思われます。また、梅毒がHIVと異なるのは、自然治癒もありうるということです。いつのまにか感染していつのまにか治っていたというケースではそもそも医療機関を受診しません。あるいは細菌性扁桃炎や細菌性腸炎など他の理由で抗菌薬の投与を受け、たまたま感染していた梅毒も治ってしまったと思われる例も少なくありません。
もちろんHIVと同じように、感染していて治療が必要だけれども、無症状のために検査を受けていない、という人も大勢いるに違いありません。
では、現在日本に梅毒に感染している人は実際にはどれくらいいるかというと、発表されている人数の数倍から十数倍にはなるのではないかと私はみています。日本ではHIV陽性者の多くが男性同性愛者であるのに対し、梅毒は女性やストレートの男性にも珍しくありません。実際、太融寺町谷口医院の患者さんをみてみても、梅毒は性別や性指向に関係なくみつかります。
梅毒は簡単に治る病気ではありますが、発見が遅れると、脊髄まで進行して車椅子の生活を余儀なくされたり、母子感染で奇形が生じたりすることもあります。
新しいパートナーができれば性交渉を持つ前に検査、が最善ですが、突然生まれるロマンスもあるでしょう。今からでも遅くはないので交際しているカップルは二人で検査を受けるべきです。現在パートナーがいないという人でも思い当たる行為のある人は検査を受けるべきでしょう。
(谷口恭)
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|2014年6月10日 火曜日
2014年6月号 渡辺淳一氏の2つの名作
2014年4月30日、作家の渡辺淳一氏が享年80歳で他界されました。
昨年(2013年)に山崎豊子さんが他界されたときもあまりにも突然のことで驚きましたが、渡辺淳一氏も、つい最近まで週刊誌に連載を持ち、高齢者のED(勃起不全)についての連載小説が新聞で掲載中止にされたことなどが話題になっていましたし、私個人としても氏の作品を楽しみにしていましたから、驚くと同時に生のはかなさを感じずにはいられませんでした。
渡辺淳一氏は直木賞も受賞されていますから、著名な作家が他界された、ということで各マスコミも大きく取り上げました。ただ、その紹介の仕方がどれも同じようなもので、偏っていると言わざるをえず、私は氏に対する報道を目にする度に辟易としました。少し例をあげてみたいと思います。(下記はすべてオンライン版です)
中高年の性愛を大胆に描いた「失楽園」などで知られる作家の・・・(日経新聞)
男女の愛と性を赤裸々に描いた「失楽園」「愛の流刑地」などのベストセラーで知られる作家・・・(朝日新聞)
「失楽園」「ひとひらの雪」など男女の関係を突き詰めた恋愛小説などで知られる作家の・・・(読売新聞)
「ひとひらの雪」「失楽園」などで男女の愛と性を描いた人気作家・・・(毎日新聞)
どれも似たり寄ったりです。読んでいて辟易とするのは、どの報道も「愛」や「性」のことにしか触れていないからです。
たしかに、中高年の恋愛に関する小説を語るなら渡辺淳一氏の右に出る作家はいないでしょう。先に述べた、高齢男性のEDをテーマにして、そしてインポテンツがあったとしても、さらにインポテンツがあるからこそ恋愛ができるんだ、ということを小説にした作家は私の知る限り他にはいません。
しかしながら、渡辺淳一氏の作品の魅力を「愛」や「性」に限局してしまうのは、ある意味公平性にかけるというか、率直にいえば”もったいない”のです。渡辺氏の卓越した著作は恋愛ものだけでは決してありません。私としては、特に医学関連の小説のことをマスコミはもっと取り上げてもらいたい、そして多くの人に読んでもらいたいと感じています。
医師である渡辺淳一氏が本格的に小説家を志したきっかけは、1968年に札幌医科大学の和田寿郎教授がおこなった世界初の心臓移植に関連する不正を暴いた小説を発表したこと、と言われています。この小説は『白い宴』というタイトルで今も読むことができますので、例えば医師を目指しているという人には是非読んでもらいたいのですが、今回は医師だけでなく多くの人に読んでもらいたい渡辺氏のふたつの名作について述べてみたいと思います。
ひとつは野口英世の生涯について記した『遠き落日』です。この小説は吉川英治文学賞を受賞していますから、すでに読んだという人も多いと思うのですが、この本ほど、読んでいるうちに何度も頭を殴られたような衝撃を感じた本を私は他に知りません。
野口英世と聞いて多くの人は、日本を代表する偉人、幼少時に負った大やけどを克服して医師になった努力家、ノーベル賞は受賞できなかったけれど何度も候補に挙がった偉大な研究者、自ら研究していた黄熱に罹患し殉職した天才、などといったイメージを持っているのではないでしょうか。
私自身もそのような像を漠然と描いていました。医学部の3回生の時に「細菌学」の教科書を目にするまでは・・・。
野口英世は著名な細菌学者のはずです。しかしその細菌学の教科書に野口英世の名前が見当たらないのです。そして、索引にも野口英世という名前はありません。つまり細菌の研究でノーベル賞候補にまでなったはずの野口英世は細菌学の教科書に名前すらないのです。
実は野口英世の業績というのは現在ではほとんど評価されていません。黄熱の病原体を顕微鏡でみつけたと発表しましたが、これが後に誤りであることが判りました。狂犬病や小児麻痺の病原体も見つけたと発表していますが、これも誤りであることが判っています。梅毒が脳をも侵す病原体であることをつきとめたことは正しいとされていますが、野口英世は梅毒の病原体の培養に成功したと発表しています。しかし、それから100年以上たった現在でも誰もこの培養の追試に成功していないのです。まるで、その後誰もつくることができていないSTAP細胞のようです。
渡辺淳一氏の『遠き落日』では、そのあたりのことにも触れられていたはずですが、私がこの本を読んで頭を殴られたような衝撃を受けたのは、研究に価値がなかったことよりもむしろ、金と性にとことんだらしないその性格と行動です。返すつもりもないのに多額の借金を繰り返し、その金で遊郭での豪遊、つまり買春を繰り返し、婚約者に対してはひどい行動をとるのです。この本では、そのあたりについての描写がとても興味深いと言えます。
現在の千円札は野口英世ですが、このお札が登場したとき、私は千円札の野口英世の顔を眺める度に複雑な思いに駆られ苦笑いを噛み殺していました・・・。
もうひとつ、多くの人に紹介したい渡辺氏の作品があります。それは『花埋み』(「はなうずみ」と読みます)というタイトルで、国家試験制度ができてから日本で初めて女医になった荻野吟子の生涯を描いた物語です。
日本で初の女医ですからもっと偉人として取り上げられてもいいと思うのですが、一般的には荻野吟子の名前はあまり知られていないのではないでしょうか。その最大の理由は、荻野吟子は、開業医となり多くの患者さんから慕われていた数年間を除けば、生涯を通して成功したとはとても言えない不運な人生を送ったからではないかと思われます。
良家に生まれた荻野吟子は、名主の長男稲村貫一郎と結婚します。稲村貫一郎は後に足利銀行初代頭取になったとされています。ここだけ聞けば不自由ない結婚生活を想像してしまいますが、実際は「最悪」だったようです。何が「最悪」かというと、夫が買春して娼婦から淋病をうつされ、それを荻野吟子にうつしたのです。
淋病など今では抗菌薬を数日間内服するか点滴をするかですぐに治る何でもない病気ですが(ごく稀に重症例もありますが)、当時はまだペニシリンがなかった時代です。結局荻野吟子の淋病は治らずに生涯苦しめられることになります。断続的に高熱にうなされ、起き上がるのも困難なこともあったようです。しかし夫から淋病をうつされたことをきっかけに荻野吟子は医師になることを決意します。
荻野吟子は40歳のとき、周囲の反対を押し切り13歳年下の若い男性と再婚します。恋愛には様々なものがあり他人がとやかく言うものではないと思いますが、このふたりの結婚後の生活を聞いて幸せと感じる人はほとんどいないでしょう。この若い男性は、キリスト教を信仰し北海道に新天地を求めて山奥の開拓をおこないます。そして、荻野吟子は、患者さんに惜しまれながら東京の診療所を閉院して夫についていくのです。開拓が失敗に終わった後、北海道で診療所の開設を試みますがうまくいかなかったようです・・・。
『遠き落日』と『花埋み』。共に医師の生涯を綴ったこれらふたつの作品を、私は渡辺淳一氏の名作中の名作と考えています。愛や性をとことんまで追求した『失楽園』や『ひとひらの雪』なども歴史に残るすぐれた作品であることに同意しますが、ここに紹介したふたつの名作がそういった恋愛小説の影に隠れてしまっているならば、それはとてももったいないことだと思うのです。
しかし、改めてこれらふたつの名作を通して二人の偉人を振り返ってみると、返すあてもないのに他人から借金を繰り返し買春に溺れ、その一方で梅毒の研究に寝食を惜しまなかった野口英世。一人目の夫が娼婦から感染した淋病をうつされ、その後数十年に渡りその淋病で苦しむことになり二人目の夫との結婚も幸せとは言いがたかった荻野吟子・・・。
このように考えてみると、視点は異なるものの、私自身もマスコミの記者たちと同じように、渡辺淳一氏の愛や性の表現に惹かれているのかもしれません・・・。
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