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2019年7月19日 金曜日

第191回(2019年7月) 複雑化する食物アレルギーと私の「仮説」

 他のアレルギー疾患に比べると、食物アレルギーは患者数が増え、またどんどんと複雑化してきています。喘息は吸入薬の普及でもはやほぼ完全にコントロールできるようになり、夜間に救急車を呼ばなければならないようなケースは激減しています。アトピー性皮膚炎は、タクロリムスの普及などでかつてのようなステロイドを繰り返し塗らなければならない例が大きく減っています。スギ花粉症やダニアレルギーは大勢の人が罹患していますが、舌下免疫療法の普及で「すでに治った」という人も増えてきています。

 一方、食物アレルギーは増加の一途を辿っているだけでなく、重症例も少なくなく(注1)、また「食べられないものがどんどん増えていく」という悲鳴も聞かれます。先日、あるLCCの客室乗務員から「搭乗拒否」を告げられたイチゴアレルギーのイギリス人女性について紹介しました(医療ニュース:2019年6月30日「イチゴアレルギーで搭乗拒否」)。このケースでは航空会社の対応に問題がありますが、実際に「乗ってはいけない」場合もあります。

 例えば、谷口医院では過去に「新鮮な海鮮料理が毎晩ふるまわれる数日間のクルージングに参加したい」という重症のアニサキスアレルギーの患者さんに「許可できない」と伝えたことがあります。この女性は「なにかあればエピペン(食物アレルギーが重症化したときの治療薬)を自己注射するからどうしても参加したい」となかなか譲らなかったのですが、重症化すればエピペンを注射すればOKというほど単純なものではありません。エピペンという注射は使用後に直ちに救急車を呼び、しばらくの間は病院で経過をみなければならないのです。海上で重症化すれば病院までの搬送にはヘリコプターを要請しなければなりません。

 増えている食物アレルギーとしてまず筆頭に上がるのが今紹介したアニサキスアレルギーです。「診断がついてないだけで昔から少なくなかった」という意見もあるのですが、私の印象で言えば重症化する例が増えてきています。このアレルギーは、重症化すればほとんどの魚介類が煮ても焼いても食べられなくなってしまいますので、可能な限り回避したいものです。

 個人的な考えですが、アニサキスアレルギーを防ぐにはアニサキス症の予防と胃炎の治療をしておくべきです。これについては、過去に毎日新聞の「医療プレミア」で書いたことがあるのでそちらを参照してほしいのですが、結論だけを言っておくと「生きたアニサキスが寄生している可能性のある食べ物を極力避ける」と「胃炎があるときは特に注意する」という方法で、実際私はきずしなど可能性のあるものは極力食べないようにしています。

 増えているアレルギーとして次に取り上げたいのが「ナッツアレルギー」です。このアレルギーが興味深いのは、ピーナッツやアーモンドなど1つだけがダメという人もれば、複数のナッツ類がダメという人もいることで、私が診てきた範囲でいえば一切の「法則性」がありません。例えば、カシューナッツが食べられない人のなかにもピーナッツはOKという人もNGという人もいます。ヘーゼルナッツもまた同様に、という感じです。ですから、これまでのエピソードをしっかりと問診して必要な検査を適宜おこない、今後どのナッツを食べるかを検討することになります。

 尚、ピーナッツアレルギーは従来の考えと異なり、現在では「母親は妊娠中にナッツを積極的に食べるべきで、出生後は、早期に積極的にナッツを食べさせた方がアレルギーを起こしにくい」ことが分かっています(参照:医療ニュース2015年6月29日「ピーナッツアレルギー予防のコンセンサス」)。

 ピーナッツアレルギーは重症化することが多く、なんとキスだけで死亡した例もあります。2005年、カナダの15歳の少女がボーイフレンドにキスしたことでアナフィラキシーショックを起こし他界しました。ボーイフレンドは直前にピーナッツバタースナック(peanut butter snack)を食べていたそうです。この事故を報道した「Chicago Tribune」によると、全米では毎年50~100人がピーナッツアレルギーで死亡しているそうです。

 この記事にはもうひとつ興味深いことが書かれています。それは、ピーナッツアレルギーが増加している理由として、ピーナッツオイルを含むベビークリームやローションが原因の可能性を指摘していることです。

 ここでピンときた人もいると思いますが、これはまさに我が国で社会問題となった「茶のしずく石鹸」が原因のコムギアレルギーと同じメカニズムです。「茶のしずく」が問題となったのは 2010年頃ですから、その5年前から似たような事象が海外で起こっていたということになります。

 このサイトで繰り返し指摘してきているように、これらは「食物アレルギーの機序についての二通りのアレルゲン曝露仮説」で説明することができます。イラストにあるように、食べ物が皮膚から侵入するとアレルギーが成立し、その後は食べると様々な症状が発症するという「仮説」です。

 この「仮説」で説明できるこれまで本サイトで紹介してきた食物アレルギーは、コムギ以外には、魚(パルブミンやコラーゲン)、カンパリなどのコチニール、ビール、ココナッツ、牛肉やカレイ(ダニ及び一部の薬)、サーファーの納豆アレルギー(クラゲ)などがあります。ピーナッツも、唇や口の周りがあれているときにピーナッツバターが付着したというストーリーが考えられます。最近、オート麦のアレルギーが増えていて、これもオート麦エキス配合のスキンケア製品が原因ではないか、と私は疑っています。

 ラテックスフルーツ症候群という疾患があり、風船や医療用グローブなどのラテックス製品にアレルギーがあると、キウイやアボカドなどの食物アレルギーが合併します。私の経験上、この疾患はアトピー性皮膚炎とよく合併します。これはすなわち、ラテックスの成分が炎症のある部位に侵入しラテックスアレルギーとなり、ラテックスとかたちが似ているキウイやアボカドにもアレルギーが生じたと考えられるのですが、その逆もありえます。つまり手荒れなどがあり、その手でキウイの皮をむいてキウイエキスが皮膚から、あるいは口内炎などがある部位から侵入したというストーリーです。

 近年急速に増えているアレルギー疾患にPFAS(花粉食物アレルギー症候群)があります。目立つのが、ハンノキやシラカンバといった樹木の花粉症があると、様々な野菜や果物の食物アレルギーが起こる現象です。詳しくは過去のコラム「急増するPFAS(花粉食物アレルギー症候群)」をみてもらいたいのですが、これを起こすと実に多くの食べ物が食べられなくなってしまいます。特に目立つのが、リンゴやモモ、ナシ、ビワといったバラ科のフルーツが食べられなくなるケースです。

 2019年6月、東京都大田区のビワを食べた11人の児童が救急搬送されたことが報道されました。この原因として私は、児童たちはハンノキやシラカンバといった樹木のアレルギーがありすでにPFASが成立していたのではないか、と考えています。実際、各公園の樹木を紹介している「公園情報センター」によれば、大田区の公園にはハンノキやシラカンバが植えられています。では、なぜ児童たちは樹木のアレルギーになったのか。まったくの推測ですが、風邪を引いて鼻粘膜や咽頭に炎症があり、そこから樹木の花粉が侵入したのではないでしょうか。

 先述したように、私は、アニサキスアレルギーはアニサキスが(生きていても死んでいても)胃粘膜の炎症部位に触れて発症する可能性を考えています。胃粘膜の炎症部位からアレルゲン(死んだアニサキス)が侵入するなら、鼻粘膜や咽頭粘膜の炎症部位からアレルゲン(花粉)が侵入する可能性もあると思います。

 つまり、私の「仮説」は、皮膚だけでなく、「鼻粘膜、咽頭、胃粘膜などにも炎症があればそこから食物もしくは花粉が侵入しアレルギーが成立する」というものです。突拍子もない考えかもしれませんが、可能性はあるのではないでしょうか。だとすると、すでにコンセンサスが得られている「食物アレルギーを回避するためにスキンケアをしっかりおこない湿疹を予防しましょう」という考えに加え、「風邪をひかないようにしましょう」「胃炎を起こさないようにしましょう」ということが言えます。

 食物アレルギーはいったん起こすと、治らないことが多く、治る場合もかなり時間がかかります。エビデンスはありませんが、湿疹だけでなく日ごろから体調管理に気を使うべきだというのが私の考えです。

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注1:他界された症例として、2012年に東京都調布市の小学5年生の女子生徒がチーズ入りのチジミを食べてアナフィラキシーを起こしたことは記憶に新しいと言えるでしょう。日本では1988年に札幌の小学6年生の男子生徒が給食のソバを食べて下校時にアナフィラキシーが生じ他界した例もあります。

参考:はやりの病気
第157回(2016年9月)「最近増えてる奇妙な食物アレルギー」
第166回(2017年6月)「5種類の「サバを食べてアレルギー」」
第184回(2018年12月)「急増する「魚アレルギー」、寿司屋のバイトが原因?」
第173回(2018年1月)「急増するPFAS(花粉食物アレルギー症候群)」
第144回(2015年8月)「増加する野菜・果物アレルギー」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2019年7月8日 月曜日

2019年7月 医師にメール相談をしよう

 過去にも述べたように、13年前に太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)をオープンさせるとき、「ウェブサイトはつくらない方がいいよ」と助言してくれた医師が何人かいました。その理由は「ネットで医療機関を探す患者は、ドクターショッピングを繰り返していることが多く診察に時間がかかるから」というものでした。そして、私の答えは「だからこそつくるんです!」でした。これまで医療機関でイヤな思いをしたという人にこそ受診してもらいたいと考えていたのです。

 大学(大阪市立大学)の総合診療科の医師たちはこの私の考えに賛成してくれて、私のやろうとしている総合診療をウェブサイトで社会に知ってもらうべきだ、と励ましてくれました。ですが、「メール相談を無料でおこなう」という私の意見に賛成してくれた医師は(ほぼ)ゼロでした。そして、今も私は「メール無料相談を始めようよ」と他の医師に促すのですが、同意してくれる医師は少数です。つい最近開業した大学の総合診療科の若い先生もウェブサイトはつくっていますが、そのサイトからメール相談はできません。

 メール無料相談は患者側だけでなく医師側からみてもとても有用なものであることを私は確信しています。ですから、残りの医師としての人生をかけてでも、私と同じようなメール無料相談をする医師を増やしていきたいと考えています。

 今回はメール相談にはどのようなものが多いかについて紹介していきたいと思います。しかしその前に、このようなメール無料相談をしている医師は私だけではないということを紹介しておきたいと思います。

 過去のコラムで報告したように、私は自身が患者として2014年に脊椎の手術を受けました。その病院を受診する前、私はその病院のウェブサイトから医師に直接メールを書きました。驚いたのは同日に返事をいただいたことです。そして、その返事が励みとなり疾患に向き合う気持ちになり、その医師に手術をしていただきました。その後、私は医師として、自分が診ている患者さんが重度の脊椎疾患があればその医師に相談させてもらっていますが、翌日には返信メールが届きます。かなり多忙な医師なのにもかかわらず、です。

 もうひとつ、私の身内の話をします。あるがんの末期で、大学病院で「手術不能で余命数ヶ月」と言われたのですが、ある病院の医師にその病院のウェブサイトからメールをしたところ同日に返答がとどき、とんとん拍子に話が進み、手術を受けられることになりました。それから数年が経ちますが、今も元気で再発がありません。この話はまさに”奇跡”で、もちろんその医師の技術が極めて高度だったからでありますが、メールがきっかけで手術が受けられるようになったのは事実です。

 このようにメール相談を受け付けているのは決して私だけではないのですが「メール無料相談などやるべきでない」と考えている医師の方がずっと多いのが実情です。その理由として、「メールだと不正確な情報しか分からないからきちんとしたことが言えない」「誤ったことを伝えて後で訴えられたらどうするのだ」「長文メールが何通も届くと対応できない」などとよく言われて、それはそれで正しくはあるのですが、私からすれば「どこに行っていいか分からず苦しんでいる人はどうするんだ!」となるわけです。今、紹介した二人の医師は(私とは異なり)全国的に有名で多忙な医師です。その医師たちが患者からのメール相談を受けて、実際救われている患者(私も含めて)がいるのですから、他の医師にもやってもらいたいと私は言い続けているのです。

 過去12年半の間に谷口医院に寄せられたメール相談は約9千です。メールが1通もこない日はほとんどなくて、多い日は10通近くが届くこともあります。そのひとつひとつに回答しているわけですから平均すると毎日1時間程度はメールの返信に費やしていることになります。メールを分類してみましょう。

〇当院を受診したことのある患者さん

 「予想より早くよくなったから薬を中止してもいいか」「薬疹が出たかもしれない」「いったんよくなったけど再発したみたい」といった内容が多く、皮膚疾患の場合は写真を添付されることもあります。診察中は私は電話に出られませんし、夜間も(現在は)電話に出ませんから、このようなメールでの質問は非常に効果的です。患者さんは受診しなくてすみますし、私からみても受診不要な患者さんの見極めができれば、その分の時間を他の患者さんにあてることができるからです。

 家族のことで相談される人も少なくありません。その家族は未受診であっても、メールをされている患者さんのことは分かっていますから(顔を思い浮かべて返信できますから)、ある程度詳しいことまで伝えることができます。受診してもらうこともありますが、「受診する必要はありません。悪化すればまた教えてください」で済ませられることも多々あります。

 このように再診の方であれば、本人のことはもちろん、家族でも、あるいは友達のことでもメール相談はたいていスムーズにうまくいきます。

〇当院未受診の患者さん(どこも受診していない場合)

 「健診で異常が出たが受診すべきか」「1か月前から〇〇の症状がある」「(私がメディアに書いた記事などを読んで)△△という病気が怖くなった」など、質問の種類は多岐に渡ります。顔を見たことのない人からの相談の場合、その人のキャラクターが分かりませんから、あまりつっこんだことまでは言えず、どうしても一般的なことのみの説明に限定されてしまいます。これでは答えになってないな、という場合も多いのですが、意外なことに「ようやく受診する決心がつきました。ありがとうございます」といったお礼のメールをいただくこともしばしばあります。このタイプのメールは遠方からも届きます。

〇当院未受診の患者さん(他院でイヤな思いをした場合)

 長文メールが多いと言えます。医師やその病院の悪口を延々と書いてあるものもあります。ですが、たいていの場合よく読むと、その医師の人格を否定しているのではなく、「きちんと診てもらえなくて不安が強い」というのが本音であることが分かります。こういうケースでは、そのように思われたのも無理はないということを伝え、そして同時に「医療不信にならないで」ということを訴えます。その後も何度もメールが届くことが多いのですが、根気よく対応していると(途中で無視することはありません)、たいていは最終的には受診できる医療機関が見つかったとの連絡が来ます。このタイプは過半数が他府県(文字通り北海道から沖縄まで)です。

〇その他メール

 私は受験や勉強の本を出版していることもあり「医学部受験や看護学校の受験を考えている」「資格を取ろうと思っている」というメールがときどき来ます。私が書いたり取材を受けたりしたメディアの記事を読んで感想を送ってくれる人もいます。また、「医師の彼氏に二股をかけられていた。復讐したい」とか「主治医に恋してしまった」というような相談(?)もときどきあります(なんで私に相談されるのか不明ですが…)。

 過去のコラム(マンスリーレポート2019年5月「教科書を読めない人」はそんなに多いのか)で述べたように、2019年1月31日で谷口医院のスマホサイトを閉鎖したところ、メール相談が一気に減りました。そのコラムで述べたように、PCでなくスマホしか見ない人にも再びメールを活用してもらおうと考え結局スマホサイトを復活させることになりました。ウェブサイト作成会社からは「いったん閉鎖すると再びアクセス数が増えるまでに時間がかかる」と聞いていますが、メール相談の数は少しずつ再び増加してきています。

 以前にも述べたように、当院未受診でメール相談をされる人が実際に谷口医院を受診するのは5%未満ですから、医療機関を運営(経営)の観点からみると「費用対効果が悪すぎる」と指摘されるのですが、そもそも医療機関は営利団体ではありませんし、メールだけで済ませることができれば他の患者さんに時間を取れますから双方にとって有益なわけです。「メール相談は医師のノブレス・オブリージュ」というのが私の考えです。

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2019年6月30日 日曜日

2019年6月30日 乳幼児期に犬と過ごせば食物アレルギーを予防できる?

 「猫好き女子は肺がんで死にやすい」「単身者が犬を飼えば長生きできる」「乳児期に犬や猫に接するとアレルギーになりにくい」(いずれも下記「医療ニュース」参照)など、ここ1~2年で犬・猫が健康に与える研究がよく発表されるようになってきました。それだけ世間の関心が高いということでしょう。

 今回紹介するのは「乳幼児期に犬と過ごせば食物アレルギー発症率が90%低下する」という俄かには信じがたい研究で、医学誌『Allergy』2019年5月11日号(オンライン版)に掲載されています。タイトルは「Dog ownership at three months of age is associated with protection against food allergy」(生後3か月で犬を飼っていれば食物アレルギーが予防できる)です。

 英国の研究者が対象としたのは、「Enquiring About Tolerance(EAT)」と呼ばれる食物アレルギーの無作為化試験(聞き取り調査のようなもの)に登録された生後3ヵ月の乳児1,303人です。犬飼育の有無とアレルギー発症との関連が検討されています。生後36ヶ月時に食物アレルギーが発症したかどうかが調べられています。

 その結果、「食物アレルギー」の診断がついたのは全体の6.1%。犬猫の飼育と食物アレルギーの関連を調査したところ、犬と一緒に過ごしていれば食物アレルギーの発症率がなんと90%も低下していたのです! さらに、2匹以上の犬を飼育していた家庭の乳児49人では発症者がゼロであり、犬の数が多いほど食物アレルギーを防ぐ可能性が高いことをほのめかしています。

 ただ、残念なことに犬を飼っていてもアトピー性皮膚炎発症の予防にはならなかったようです。

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 アトピー性皮膚炎、喘息、アレルギー性鼻炎など他のアレルギー疾患と比較すると、食物アレルギーは過去10~20年間で、世界中で急増しています。そして、他のアレルギー疾患に比べると重症化、あるいは死に至る確率も高いと言えます。いったん発症すると、治癒しないことも多く、また完全な食物除去は思いのほか大変ですから、予防できる方法があるならありがたい話です。

 この研究ひとつだけで「将来の食物アレルギー予防のために犬を飼いましょう」とまでは言えないでしょうが、犬を飼うことには他にもいくつもの利点がありますから、今後は(猫よりも)犬がペットとして注目されることになるかもしれません。

参考:医療ニュース
2019年2月23日「乳児期に動物に接するとアレルギーを起こしにくい?!」
2019年4月25日「ネコ好き女子は肺がんで死にやすい?!」
2018年1月26日「単身者は犬を飼えば長生き 雑種より猟犬が良い?」

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2019年6月30日 日曜日

2019年6月30日 イチゴアレルギーで搭乗拒否

 少し古い話ですが、世界中で話題になっている事件なので報告しておきます。

 2018年9月、英国のLCC「トーマス・クック」が19歳の英国人女性を「イチゴアレルギーがあるから」という理由で搭乗拒否しようとしました。英国の3つのタブロイド紙による報道から概要をまとめてみます(注)。

 19歳の英国人女性とその恋人の21歳の男性が休暇を利用してギリシャのザンテ島(Zante)にバカンスに出かけました。往路は問題なく搭乗できたものの、帰りの便の搭乗間際に「問題」が起こりました。女性は二人の客室乗務員にイチゴアレルギーの話をし、客室乗務員は「イチゴの成分が含まれるマグナーズ(アイルランド製のイチゴ入りビール)やロゼ・ワインを機内サービスで他の乗客に提供しない」と約束しました。

 ところが、上司の女性客室乗務員がこれに納得しませんでした。報道によればこの客室乗務員は「あなたのせいで200人以上の乗客に機内サービスができないのは不快だわ。あなたはどういうつもりなの?(I’m not happy not serving these products because we’ve got more than 200 guests and what do you expect them to do?)」と言い、女性の搭乗を拒否しようとしたのです。

 すると、女性の恋人がこの客室乗務員に「乗客の安全を重視しないのか」と詰め寄り、また他の客室乗務員もこの女性の味方となり、最終的には搭乗拒否しようとした客室乗務員も渋々女性の搭乗を認めました。そして、「重度のアレルギー患者が同乗しているため、イチゴの含まれたものは供給できません。また、フライト中はイチゴの飲食を控えてください」と機内アナウンスしたそうです。

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 帰国後、この女性は今回の事件をSNSなどで公表し世界中で話題になりました。さて、このケース、航空会社が他の乗客へのイチゴを含む飲料の供給を中止したのは正しかったのでしょうか。

 たしかに空気中に浮遊するアレルゲンを吸い込むことによって生じるアレルギーはあり得ます。Mayo Clinicのウェブサイトによれば、例えばピーナッツオイルのクッキングスプレー(私はそのようなものを見たことがありませんが)を吸い込んでアレルギー反応が起こることがあるそうです。

 ですが、イチゴ入りのアルコールを飲んだ他の乗客の呼気でアレルギー反応が起こるとは到底考えにくいのです。ただし、万が一にでも発症すれば命に関わる可能性がありますから、これは今後科学的に検証していくべきでしょう。

 ところで、太融寺町谷口医院の12年半の歴史を振り返ると、イチゴアレルギーはどんどん増えているような印象があります。オープンした2007年の時点では「フルーツのアレルギーは次第に種類が増えていき、そのうちに食べられるものが減っていくかもしれません」という説明をするときに、「イチゴアレルギーは稀です」と話していました。

 それが、年を追うごとにイチゴアレルギーの患者さんが増えています。もっとも、イチゴだけでなく、他のバラ科のフルーツのリンゴ、モモ、ナシ、ビワ、サクランボなども増えているのも事実です。ただ、昔からリンゴやモモ、ビワなどのアレルギーは珍しくありませんでしたが、以前は「イチゴだけはOK」という人も少なくなかったのです。

 ちなみに、イチゴアレルギーを含むバラ科のフルーツにアレルギーがある人はハンノキやシラカンバなどの樹木の花粉症も併発していることが多いと言えます。これをPFAS(花粉食物アレルギー症候群)と呼び、最近増加しています。

 いずれにしても食物アレルギーがある人が搭乗するときは、早い段階で航空会社に相談しておくべきでしょう。アレルギーが理由で断られることはないと信じたいのですが、トーマス・クックのことを考えると「LCCは避けた方が……」という声が出てくるかもしれません。

注:英国のタブロイド紙である『Express』『The Sun』『Mirror』の記事です。

参考:はやりの病気
第173回(2018年1月)「急増するPFAS(花粉食物アレルギー症候群)」

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2019年6月13日 木曜日

第190回(2019年6月) 誤解だらけの膀胱炎の治療

 太融寺町谷口医院はオープンした2007年から「どのような症状やどのような悩みでもお話ください」と言い続けています。もちろんどんな治療でもできるわけではなく、診断がつかなかったケースや入院や手術などが必要な症例は病院や専門クリニックに紹介しています。どれくらいの患者さんを紹介しているかというと、2018年を例にとると、1年間での総受診者数が15,080人、入院・手術・専門医の診察が必要で紹介したのがそのうち137人、「紹介率」は0.9%となります。

 では99.1%の患者さんにどのような治療をしているのかというと、原則として、どの疾患もガイドラインに従った治療をおこなっています。ガイドラインが存在しない疾患も多々ありますが、その場合も「エビデンスのある標準的な治療」を基本としています。つまり「独自の検査・治療」は原則としておこなっていません。

 ただし「膀胱炎」は例外になると言えるかもしれません。といっても、私は膀胱炎に対して奇をてらった治療をおこなっているわけではなく、私の診断法及び治療法を感染症科の専門医、もしくは感染症に詳しい医師に話すと、ほぼ全員が同意してくれます。あえて喧嘩をふっかけるようなことはしたくありませんが、膀胱炎の治療についてはガイドラインの方が”過剰”なのです。

 実は、このことは毎日新聞の「医療プレミア」で指摘したこと(注1)があり、読者の方からの反響もそれなりにありました。その頃はまだ「医療プレミア」はまだ月に5本までは無料で読めていたのですが、現在は1本読むのも有料化されてしまっています。そこで、今回はそのときに述べたことを簡単にまとめてみたいと思います。

 まず、膀胱炎の前提として、原因のほとんどは細菌感染です。そして、次の2つが細菌感染の治療の原則です。

#1 細菌の種類を特定(または推定)し、重症度を判定する
#2 細菌の種類と重症度から抗菌薬の種類と投与量を決める

 ときどき「膀胱炎になったから抗生剤をください」とか、もっとひどい場合は「膀胱炎です。クラビットを5日分ください」という患者さんがいますが、そもそも膀胱炎かどうかは少なくとも尿を調べないと分かりませんし、細菌性膀胱炎が確定した場合も、上記の原則に従って抗菌薬を検討しなければなりません。

 今私は、「もっとひどい場合」とあえて失礼な言葉を使いましたが、このようなことを言い出す患者さんだけがおかしいのかといえば実はそうではありません。この患者さんの要望は、感染症の原理原則から完全に逸脱していますが、実はガイドラインに似たようなことが書いてあるのです。

 膀胱炎について書かれた日本のガイドラインとしてはいくつかあり、ここでは「医療プレミア」でも引き合いに出した日本化学療法学会のガイドライン標準医療情報センターのガイドライン、さらに日本産科婦人科学会のガイドラインを見てみたいと思います。

 どのガイドラインにも共通しているのは、抗菌薬にニューキノロン系と第3世代セフェム系(注2)が推奨されていることです。これらの2つには共に小さくない問題があります。ここではニューキノロンの問題をみていきます。

 まず、ニューキノロンというのは極めて強力な抗菌薬で安易に使ってはいけないものです。海外では、これらを使い過ぎた結果、薬剤耐性菌が多量に出現したことを反省し、現在はニューキノロンの使用は最重症例に限る方向にあります。英国ではニューキノロンの使用を控えることで耐性菌が減少したという報告もあります。

 米国泌尿器学会の提言では「合併症のない女性の膀胱炎に、安易にニューキノロンを使ってはいけない」とされています。「合併症」というのは、悪性腫瘍や未治療のHIV、重症の糖尿病といった「重症の病気」です。つまり、そういった重症の病気がない日ごろは健康な女性にニューキノロンは簡単に使ってはいけません、と警告しているわけです。

 これを受けて(かどうかは分かりませんが)日本化学療法学会のガイドラインにも「ニューキノロンは安易に使わない」と確かに書かれています。ですが、推奨する具体的な抗菌薬としてニューキノロンが書かれているのです! 問題はまだあります。ニューキノロンはそれだけ”強力な”抗菌薬(注3)ですから費用も高いのです。なかには1日あたり400円以上するものもあります。

 太融寺町谷口医院の診断と治療の話をしましょう。治療の話で言えば1日あたり数十円ですみます。これはペニシリン系、もしくは第一世代セフェム系を中心としているからです。もちろん安いという理由だけでこれらを処方しているわけではありません。先述した#1のように正確に診断することが不可欠です。

 そして、正確に診断するにはグラム染色をおこなえばいいのです。これにより細菌が大腸菌を代表とするグラム陰性桿菌なのか、ブドウ球菌などのグラム陽性球菌かが分かります。グラム染色の費用は3割負担で660円ほどです。しかも10分程度で結果が出ますし(当院を受診されたことのある方はお分かりだと思いますが)細菌と炎症細胞の様子をモニタで見てもらうことができます。

 つまり、単純な膀胱炎なら、グラム染色で原因の細菌と炎症の程度が簡単に分かり、そこから適切な抗菌薬の種類と量が簡単に推測できるわけです。これでほぼ100%治ります。発熱や背部痛などがあり重症化している場合はニューキノロンや点滴の抗菌薬を用いることもありますが、基本的には下腹部痛や残尿感だけならニューキノロンは不要です。要するに、日本のガイドラインが”過剰”なのです。私が考える膀胱炎の治療の1つめの「誤解」が「日本のガイドラインに従わねばならない」です。

 ちなみに、このグラム染色という方法は風邪(急性上気道炎)のときの抗菌薬の必要性を検討するときにも極めて有用ですし、怪我で皮膚に傷ができたときにもどのような細菌が感染したかを知る上で極めて便利です。私は医師になってから、このグラム染色の有用性を主張し続けています。ほとんどすべての医師が「それは有用だ」と同意はしてくれますが、残念ながらどこの医療機関でも実施しているわけではありません。その最大の理由はちょっと手間がかかる(といっても10分程度ですが)割に、保険点数が少ない(だから安い)からではないかと疑いたくなってきます。

 2つめの膀胱炎の治療に対する「誤解」は「薬局に相談する」です。私は常々、困ったことがあればいつでも相談してくださいと言っていますが、それと同時に、セルフメディケーションも勧めています。つまり、病院でなく薬局で相談するということも推奨しているのです。しかし、こと膀胱炎に関してはそのせいで重症化してしまうことがよくあります。巷には「ボーコ・・・」といったいかにも膀胱炎に効きそうな市販薬がありますが、これらは抗菌薬ではありません。こういった薬を飲んで医療機関受診が遅れて膀胱炎が重症化してしまうケースは決して少なくありません。この点は薬剤師に対し文句を言いたいところです。

 では今回のまとめです。

・膀胱炎のほとんどは細菌感染であり抗菌薬で治療する。したがって、薬局でなくかかりつけ医に相談する。(これを読んでいるあなたが薬局勤務の薬剤師なら、よほどの自信をもって細菌性が否定できなければ直ちに医療機関受診を勧めてください)

・膀胱炎が疑われれば、まずは細菌の種類と量を調べなければならない。

・細菌の種類と量を調べるには尿のグラム染色が最も有用。すぐに分かり、費用も安い。

・細菌の種類と量が分かれば適切な抗菌薬の種類と量が決められる。発熱や背部痛がなければほぼ100%安い抗菌薬で治療することができる。

・単純な膀胱炎で、日本のガイドラインで推奨されているニューキノロン(及び第3世代セフェム)が必要になることはほとんどない。

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注1:3週連続で下記のコラムを書いています。
2017年9月10日「日米でこんなに違う 膀胱炎の治療方針」
2017年9月17日「膀胱炎は”研修医レベル”の治療でOK?!」
2017年9月24日「膀胱炎治療にサプリや漢方がNGの理由」

注2:以前から「なぜ海外ではほとんど用いられない第3世代セフェムの内服抗菌薬が日本では多用されるのか」は多くの識者が指摘しています。私は「医療プレミア」(「第3世代セフェムはなぜ「乱発」されるのか」)で書いたことがあります。はっきり言うと、第3世代セフェムの内服抗菌薬はほとんど用がなくて、最近では一切の処方をやめる医療機関が増えてきています。

注3:ニューキノロン系の抗菌薬の代表が、クラビット、タリビット、シプロキサン、オゼックス、グレースビット、スオード、アベロックス、ジェニナックなど(すべて先発の商品名)です。

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2019年6月9日 日曜日

2019年6月 競争しない、という生き方~その2~

 このことは生涯誰にも話さず棺桶まで持っていこう……。そう思ったのは1991年3月、翌月に就職する会社のオリエンテーションのときです。そのときの情景が私にはとてもショッキングであり、「これは誰にも言ってはいけない」と言い聞かせてきました。それから30年近くたちますが、今もときどきそのシーンが蘇ります。その時は(その人の名誉のために)「棺桶まで持っていく」と誓ったのですが、これだけ時間が経てば個人を特定できないでしょうからそろそろ他言してもいいのではないか、と最近になって考えるようになりました。今回はその話をします。

 そのオリエンテーションは一泊二日で会社の保養所でおこなわれました。同期の者どうし酒を飲み議論を交わし深夜まで楽しく過ごしたことを覚えています。ようやくみんなが就寝する頃、私は眠れずにその保養所のキッチンにひとりでタバコを吸いにいくことにしました(当時の私は喫煙者でした)。

 ポケットにタバコがあることを確認しながら廊下を歩いていると、ある部屋からシクシクと泣き声が聞こえてきます。「なにやら聞いてはいけないものを聞いてしまったようだ。そうっと引き返そう……」、と今なら思うかもしれませんが、当時22歳のバカな私は「これは面白い!」と不謹慎なことを考え、ドアの隙間から部屋の中の様子を伺うことにしました。

 泣き声の主は同期の者ではなくその会社の男性社員でした。しかも30代半ばの中堅社員で、このような場で涙を見せるような人ではありません。もうひとりその部屋にいたのがその上司で、どうやら中堅社員が上司に泣きながら何かを訴えているようなのです。そして、その社員が次の言葉を放ったとき、私の身体は凍り付きました。その言葉とは、「なんで僕は出世できないんですか」というものだったのです……。

 過去のコラム「競争しない、という生き方」で、私の初任給が他の同期の者より2千円少なかったことで、私の上司が怒り出したことを紹介しました。実はこのコラムを書いたときも、この中堅社員が泣き出した話も書くことを考えたのですが、そのときは”封印”しておくべきだという結論になりました。しかし、「競争しないこと」をいろんな人に勧めている立場の私としては、この「競争をしらけさせるエピソード」をやはり伝えておくべきだ(もう個人の特定はされないだろう)、と考えるようになりました。

 過去のコラム「己の身体で勝負するということ」で述べたように、私は大学名や家柄といった「肩書」には何の意味もないことを大学生時代に当時の先輩たちから学びました。この頃は「出世」というものを深く考えていませんでしたが、出世とは昇進して課長とか部長といった肩書がつくことですから、先輩たちから真実を学んでいた私からすれば、この中堅社員が涙を流して訴えるシーンがただただ馬鹿馬鹿しく、とても愚かなものに見えたのです。

 果たして人は、上司に涙を流しながら訴えるようなことまでして出世しなければならないのでしょうか。出世すれば給料が上がるのでしょうが、出世しなかったときと比べてそんなに大きな差がつくのでしょうか。むしろ出世して管理職になって残業代がつかずに給与が下がった、という話もよく効きます。出世すれば尊敬されるのでしょうか。そうかもしれませんが、出世に価値を見出さない者は私だけではないでしょうし、私も出世を蔑むようなことまではしませんが、いい歳をした大人が涙を流して訴えるシーンを見てしまうと、私のような性格の者は「そんな出世ならいらない」と考えてしまいます。

 そもそも出世というのは、その会社のなかだけのものであり、取引先の人からはそれなりに評価されることもあるかもしれませんが、その会社に縁もゆかりもない人からは何の興味ももたれません。私が就職したような小さな会社ではなく、大企業の課長さんなどであれば「すごいですね~」と言われるのかもしれませんが、私のように大企業がすごいと思わない者も一定数はいるはずです。

 出世する人は人間的に魅力のある人なのでしょうか。これは私の「課題」として長い間考えてきましたが、今年51歳になる現在の私がたどり着いた結論は「そんなものは関係がない」です。

 学歴や職歴を”無視”して「己の身体で勝負する」を金科玉条としている私は、あえて「出世」や「肩書」を拒否してきました。それでこれまで困ったことは一度もありませんし、冒頭で述べた中堅社員のエピソードを思い出すと、出世を目指すことがつまらないことにしか思えません。

 そして、私のこの考えにさらに拍車がかかったのが、NPO法人GINAの関連で、タイでいろんな人にインタビューをしていたときの経験です。2004~2006年頃、繰り返しタイに渡航していた私は、現地で長期間滞在(多くはいわゆる”沈没組”)している日本人の声を集めていました。買春や違法薬物に手を染めている人たちにインタビューすることが主目的でしたが、結果として”健全な”日本人とも知り合いました。

 興味深いことに、そのような人たちのいくらかは高学歴で大企業勤務の経験があります。なかには官公庁に務めていた人や、進学校の元教師という人もいました。そして、こういった人たちにもいろんなタイプがいて、「ああ、この人のコミュニケーションの取り方は誤解を招くだろうな…」と感じる人もいれば、「この人は話もおもしろくて器が大きい生徒会長タイプなのにどうして…」と思う人もいました。

 何人かにインタビューをして私が感じたことは、(買春や違法薬物はNGですが)一年に一度日本に帰国してアルバイトでそれなりのお金を稼ぎ、タイにやってきてのんびりと過ごしたり、難解な書物を読み解くことに一日を費やしたりしている人は少なくとも”不幸せ”には見えない、ということです。

 タイに滞在しているときは、出世など初めから求めず楽しそうにしているタイ人が気になります。過去のコラム「なぜ「幸せ」はこんなにも分かりにくいのか」で紹介した「タイの農民と日本のビジネスマン」の逸話からもわかるように、彼らの多くはあまり働きません。

 私自身の場合も、出世を求めたことは一度もなく、医師になり研修医を終えてから、しばらく日本でHIVについて学び、その後タイに渡航しエイズ施設でボランティアをおこないました。そこで知り合った欧米の総合診療医達に感化された私は帰国後、母校の大阪市立大学総合診療部の門を叩きました。しかし常勤ではなく他の医療機関にも学びに行くことを選択しました。つまり好きなことをさせてもらっていたのです。出世など頭の片隅にさえない私は周りからみれば気楽な人生を送っているように見えるでしょうが、これはその通りで、「出生しない」「他人と競争しない」と割り切ってライバルをつくらなければ不要なストレスを避けることができ、嫉妬心に悩まされることもありません。

 私自身の人生が他人から羨ましがられることはないでしょうが、出世や肩書を捨ててタイで楽しく過ごしている日本人や、あまり働かないタイ人と比べ、「出世」に躍起している人たちは幸せなのでしょうか。そこに幸せがあると考えるから涙を見せてまで上司に訴えるのでしょうか。

 ちなみに、若い頃の私に「己の身体で勝負せよ」と教えてくれた魅力的な先輩たちも、大企業で役職をもつような「出世」はされずに(一部大企業の幹部になっている人もいますが)、魅力的な仕事を持ち幸せな生活をされています。冒頭で紹介した涙で出世を訴えていた中堅社員の行方は知りません。

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2019年5月30日 木曜日

2019年5月30日 HTLV-1感染増加は九州だけでないと考えるべき

 九州の若年者でHTLV-1感染者が増加していることが各メディアで報じられました。ただ、厚労省の発表とメディアの報道を比較して読んでみると、メディアの報道では誤解が生じるように思えるので、少し詳しく解説してみたいと思います。

 まず各メディアは「九州の男性で増加」と強調しています。これは、今回発表されたのが九州のデータだからであり、全国調査の結果が発表されたわけではありません。ですから、九州以外の地域でも増加している可能性は充分にあります(後述するようにおそらく確実です)。

 次に、男性だけで増加しているわけでもありません。たしかに厚労省の発表にも「AYA世代男性での感染者増加」と書かれているのですが、公表されたグラフをよくみると、「生年階層別HTLV-1陽性率」(11ページ)で90年代後半に生まれた女性(つまり現在20代前半の女性)の陽性率が上昇(急増)しています。

 ここで基本的事項をおさらいしておきましょう。

 HTLV-1の感染ルートは、母子感染、血液感染、性感染で、ちょうどHIVと同じです。ウイルス学的にもHIVとHTLV-1はよく似ていて、どちらも「レトロウイルス」に相当します。HIVというウイルスがまだ解明されていなかった頃にはHIVがHTLV-3と呼ばれていたことからもそれは分かります。

 HTLV-1の感染者数はHIVと異なり、90年代以降は下降傾向にありました。これは母子感染予防が実施されたからです。日本には現在も100万人以上の陽性者がいるとされていますが、今後も減少していくであろうと見る医療者の方が多いと思います。 

 ただし現実はもう少し複雑です。

 「第1次HTLV-1水平感染疫学調査」という調査がおこなわれ、医学誌『The Lancet Infectious Disease』2016年8月23日号(オンライン版)で報告されています。この研究が(少なくとも私にとっては)ものすごく興味深いのは「水平感染」を調べていることです。つまり、単に「現在HTLV-1陽性の日本人は〇人」としたものではないのです。

 水平感染というのは母子感染以外の感染、すなわち血液感染と性感染のことを指します。日本ではHIV感染が血液感染であることは非常に稀でほとんどは性感染ですから、HTLV-1も血液感染よりも性感染の方がずっと多いことが予想されます。そして、これまではHTLV-1が性感染でどれだけ感染しているのかがよくわかっていませんでした。

 少し遠回りになりますが教科書をみてみましょう。世界共通の医学の教科書『UpToDate』によると、異性愛者において「男性→女性」は「女性→男性」よりも感染しやすいとされています(100人・年当たり4.9対1.2)。また、例えば日本のセックスワーカーがどの程度陽性かというデータはないのですが、同書によれば、ザイールとペルーでは3.2〜21.8%の範囲で陽性とされています。

 「第1次HTLV-1水平感染疫学調査」は、日赤の献血のデータベースを基におこなわれています。2005年1月1日から2006年12月31日までの期間で、16〜69歳の繰り返し献血をおこなった人のどの程度が新たにHTLV-1に感染したかが調べられたのです。その結果、追跡期間中(中央値4.5年)のあいだに、男性204人、女性328人の合計532人が感染していました。この数字から全国でどれくらいの人数が一年間の間にHTLV-1に新たに感染しているかを算出すると、男性975人、女性3,215人の合計4,190人となりました。ただし、1年間に新たにHTLV-1に感染する男性のストレートとゲイの割合を知る術はありません。

 「第1次HTLV-1水平感染疫学調査」では、もうひとつ興味深いことがわかりました。それは感染者の居住地です。元々HTLV-1は九州(沖縄含む)に多いとされていたのですが、この調査では、女性は九州地方で最も多いのに対し、男性では20代と40-50代で九州よりも近畿地方などに多いことがわかったのです(このデータは先述した厚労省の発表に紹介されています)。

 今回の発表の本質について述べます。「第2次HTLV-1水平感染疫学調査」というのが九州地方でおこなわれ、これが冒頭で述べたようにメディアで報道されています。この調査は2010~2016年におこなわれ、追跡期間中に九州地方でHTLV-1に感染したのは男性124人、女性105人の合計229人です。この数値を第1次HTLV-1水平感染疫学調査と比較すると、男性の新規感染者は大幅に伸び、女性には顕著な変化を認めません。

 まとめていきましょう。

 1つめの重要な点は、「第2次HTLV-1水平感染疫学調査」は九州でのみおこなわれたものであり、全国の状況を反映していません。すでに「第1次HTLV-1水平感染疫学調査」の時点で、男性は九州よりも他地域で感染者が増えていたわけですから、現在も九州よりも他地域で増加していることが予想されます。

 2つめの重要な点は、先述したように現在20代前半の女性感染者が増えていることです。ただし、この傾向が九州だけでなく全国的に認められるのかどうかは分かりません。

 3つめは男性に増えている「理由」です。発表では「AYA世代男性での感染者増加」とされていますが、この理由は解明されていません。大部分が性感染であることはほぼ間違いないと思いますが、感染者がストレートかゲイかは分かりません。ですが、若い女性の感染者が増えていることを考えると、ストレートの男性感染者も少なくなく、さらにその男性から女性に感染が広がっていると考えるべきではないかと思われます。

 現在HTLV-1はすべての自治体で無料検査ができるわけではなく、HIV抗体検査をやっていてもHTLV-1は実施していない地域が大多数です。HTLV-1もHIVと同様、一度感染すると生涯体内に残ります。そして、HTLV-1がHIVよりもやっかいなのは、感染しても初期症状は起こらずに、その後も何の自覚もないままに何年、何十年と経過することです。無自覚・無症状のまま生涯を過ごせることも多く、ここだけを取り出すといいことのように思えなくもありませんが、これは裏を返せば「自覚のないまま他人に感染させる可能性がある」ということに他なりません。

参考:
はやりの病気
第47回(2007年7月)「誤解だらけのHTLV-1感染症(前編)」
第48回(2007年8月)「誤解だらけのHTLV-1感染症(後編)」
医療ニュース
2009年6月29日「HTLV-1が大都市で増加」

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2019年5月30日 木曜日

2019年5月30日 女性の「マイスリー」は危険でない?

 大切なことなのと”悪口”ではないためにあえて商品名を書きます。

 別のところにも書きましたが、以前ある患者さんから次の言葉を聞いて愕然としたことがあります。

「一番弱いと聞いたマイスリーをください。深夜便の飛行機に乗るんです・・・」

 このサイトで繰り返し伝えているように睡眠薬(の大半)は一般の人が思っているよりもはるかに危険です。過去には、マイスリーを飲んで意識がないままわが子を殺めた女性の話や、入院中のお婆さんをレイプした男性の話なども紹介しました。

 今回紹介するのは医学誌『Journal of Clinical Psychopharmacology』2019年5月6月号(オンライン版)に掲載された「ゾルピデム(マイスリーの一般名)と性~女性は本当にリスクが高いのか~」(Zolpidem and Gender Are Women Really At Risk?) というタイトルの論文で、マイスリーを「擁護」しています。

 この論文が作成されるきっかけは2013年にFDA(米国食品医薬品局)が公表したマイスリーの警告です。FDAは、女性は男性に比べて翌日にマイスリーが血中に残りやすいことを指摘し、2013年1月10日、投与量を男性の50%まで減量するよう警告書を発表しました。

 今回紹介する論文はそのFDAの見解に疑問を投げかけています。男性と同様の量を内服した場合、翌日の血中濃度が女性の方が高くなることは認めているのですが、路上走行試験では運転障害に男女差が確認されていないことを挙げ、その他の性差も臨床的に認められていないことを主張しています。

 さらに、女性への投与量を減らすことによって不眠の治療が不充分となり、それがかえって危険なのではないかと結論付けています。

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 日本と同様、マイスリーは米国でもよく処方される睡眠薬で、少し古いデータですが、2011年には約6千万錠が処方され、これは2006年から20%増加しています。

 重要なのは男女差を追求するのではなく、性に関係なくこのような睡眠薬を使わなくてもいい状態に持って行くことで、これこそが「真の治療」です。もちろん、将来的に止めなければならないのはマイスリーだけではありません。冒頭で紹介した患者さんが言うように、マイスリーよりも”強い”睡眠薬は多数あり、私の経験で言えば多くの人がその危険性をきちんと認識していません。よって、当院では「どうやって睡眠薬を減らしていくか」という観点で過去13年間治療をおこなっています。

参考:
はやりの病気第164回(2017年4月)「本当に危険なベンゾジアゼピン依存症」
はやりの病気第151回(2016年3月)「認知症のリスクになると言われる3種の薬」
メディカルエッセイ第165回(2016年10月)「セルフ・メディケーションのすすめ~ベンゾジアゼピン系をやめる~」
はやりの病気第124回(2013年12月)「睡眠薬の恐怖」

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2019年5月22日 水曜日

第189回(2019年5月) 麻薬中毒者が急増する!

 ここ数年、私はことあるごとに「日本で麻薬中毒患者が急増する」と言い続けています。今のところ、私に賛同してくれる人は(医療者も含めて)ほとんどいませんし、私自身も自分の予想が外れてほしいと思っていますが、年々不安の程度が強くなってきています。

 まずは症例を紹介しましょう。初診の患者さんと私の会話で、最近こういう展開になることが増えてきています(似たような症例が多数あります)。

医師(私):他の医療機関でかかっていますか?
患者さん:はい。腰痛(首の痛み、膝の痛み、関節痛、頭痛なども)で近所のクリニック(病院)にかかっています。
医師(私):そちらで処方されている薬はありますか?
患者さん:あります。トラマール(ワントラム/トラムセット)です。
医師(私):どれくらい長いこと飲んでいるのですか?
患者さん:もうすぐ半年になります。
医師(私):そんなに長いこと飲んでもいいと言われているんですか?
患者さん:はい。特に期間についての説明は受けていません。
医師(私):副作用やその他注意点については何か聞いていますか。
患者さん:「よく効く薬だ」とは効いていますが、特に注意することは聞いていなかったと思います。

 トラマール・ワントラム・トラムセットという商品名の鎮痛薬はオピオイド系の麻薬であり、ヘロインやモルヒネと同じようなものです。副作用のみならず、依存性があることはしっかりと理解しなければならないのですが、その説明をきちんと聞かれていない患者さんが非常に多いのです。

 先に誤解を避けるために言っておくと、私は麻薬の鎮痛薬を全否定しているわけではありません。がんの末期にはなくてはならない薬剤であり、私自身も在宅医療の研修を受けているときには麻薬の高い効果を実感し、適切に使えば副作用や依存性を恐れる必要がないことがよく分かりました。しかし、末期がんの患者さんはそう遠くない時期に亡くなられます。

 一方、「症例」の患者さんのように腰痛や関節痛、頭痛の患者さんはそういうわけではなく、最近は20代の患者さんが飲んでいることも珍しくなくなってきました。こういう若い患者さんたちはいつまでこれらを飲み続けるのでしょう。

 ここで添付文書を見てみましょう。これら3つの薬(トラマールワントラムトラムセット)の添付文書をみると、ほとんど一字一句違いなく次の文言が記載されています。順番にみていきましょう。

連用により薬物依存を生じることがあるので、観察を十分に行い、慎重に投与すること。

長期使用時に、耐性、精神的依存及び身体的依存が生じることがあるので、観察を十分に行い、異常が認められた場合には本剤の投与を中止すること。

 驚くべきことに、最も重要なこの「依存性」について、きちんと説明を受けてから処方されたという患者さんを私はほとんど知りません。添付文書を続けます。

薬物乱用又は薬物依存傾向のある患者では、厳重な医師の管理下に、短期間に限って投与すること。

 「薬物依存傾向のある患者」はどうやって判断するのでしょう。例えば喫煙者はこれに該当するのでしょうか。私の知る限りで言うと、喫煙がやめられないと言いながらこれら麻薬を内服し続けている患者さんは少なくありません。

 では「長期使用時」の「長期」とはどれくらいを指すのでしょうか。添付文書には次のように書かれています。

慢性疼痛患者において、本剤投与開始後4週間を経過してもなお期待する効果が得られない場合は、他の適切な治療への変更を検討すること。また、定期的に症状及び効果を確認し、投与の継続の必要性について検討すること。

 ようするに、4週間で効果判定をおこない、効果がある場合も「定期的に必要性について検討すること」を添付文書は命じているわけです。これにより、依存性が生じて問題が起こった時、製薬会社としては「そういうことがあるかもしれないから、ちゃんと添付文書で注意してるでしょ。我々の責任じゃないですよ」という「言い訳」ができます。ただ、ここで私が言いたいのは、製薬会社が医師に責任を押し付けているということではなく、処方が必要ならこの点を処方前に患者さんに理解してもらう義務が医師にあるということです(注2)。

 では麻薬依存になってしまうとどうなるのでしょうか。麻薬には「耐性」があります。つまり、次第に多くの量が必要になってくるのです。その結果何が起こるか。実は10年ほど前から米国ではこういった医薬品としての麻薬の消費量が急激に増え、そして実際に様々な問題が生じています。それも国を挙げて取り組まなければならないような大きな問題です。「犯罪」「静脈注射」「HIV感染」「C型肝炎」「平均寿命の低下」などです。

 「犯罪」とは麻薬の違法入手です。日本でも米国でも薬の処方量には制限があり、希望しただけの量を処方してもらえるわけではありません。そこで闇ルートで入手することを考える患者さんが出てくるのです。そして麻薬は内服よりも静脈注射の方が強い効果が得られます。麻薬の入手は違法ですが、針もそう簡単には手に入りません。すると、針の使いまわしが始まります。これによりHIV感染やC型肝炎ウイルスへの感染が起こるのです。そして命が失われていきます。

 CDC(米国疾病管理局)の報告によれば、2017年の一年間で薬物の過剰摂取で死亡した米国人は72,000人以上で、2016年から10%も上昇しています。そのうち68%(約48,000人)はオピオイドが原因です。2002年から比較するとオピオイドによる死亡者はおよそ4倍にもなっています。米国の平均寿命は3年連続で減少しており、その原因がオピオイドであることが指摘されています(注1)。

 現在「薬物」の世界的な流れは”合法化”です。ウルグアイに続き、カナダで大麻が合法化されたことが昨年話題になりましたし、ついに日本でも大麻解禁か、という声も一部には出てきています。一部の疾患に向けて開発された医療大麻は日本でも異例の速さで事実上使用可能になりつつあります。

 元号が変わったばかりで浮かれている日本では(私の知る限り)どこのメディアも報じていませんが、2019年5月8日、米国デンバーではなんとマジックマッシュルームが合法化されることが決まりました。Reuterは前日まで住民投票の結果は反対派が勝利すると報道していましたから私はこの結果に心底驚きました。もはや米国の薬物合法化の動きを止めることはできないようです。

 日本の未来がどうなるかは我々ひとりひとりが考えなければなりません。ちなみに、私自身は慢性疼痛(末期がんを除く)で困っている患者さんに麻薬を処方することはありません。一方で、他院でこれまで麻薬を処方してもらっていたが中止したい(依存を断ち切りたい)という患者さんに協力することはしばしばあります。ですが、減薬がむつかしいのも麻薬のやっかいな点です。添付文書には次のように記載されています。

本剤の中止又は減量時において、激越、不安、神経過敏、不眠症、運動過多、振戦、胃腸症状、パニック発作、幻覚、錯感覚、耳鳴等の退薬症候が生じることがあるので、適切な処置を行うこと。

 「適切な処置を行うこと」で済ませないでほしい!というのがこの文章を初めて読んだときに私が感じたことです。麻薬を断ち切ることを決意したものの、この添付文書にあるようなパニック発作や幻覚で苦しんだ人を診てきた私の経験から言えば、薬を売ったり処方したりする前に危険性を充分に周知させるべきなのです。

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注1:詳しくはNPO法人GINAウェブサイト「GINAと共に」(第151回(2019年1月)本当に危険な麻薬(オピオイド))を参照ください。

注2:本文で述べたようにこれら麻薬の添付文書には「4週間で効果判定」としていますが、医学誌『New England Journal of Medicine』に掲載された論文「Prevention of Opioid Overdose」によれば、使用歴のない人が高用量の麻薬を摂取するとわずか5日で依存症になります。

参考:医療ニュース2019年1月31日「慢性の痛みへのオピオイドの効果はわずか」

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2019年5月16日 木曜日

2019年5月 「教科書を読めない人」はそんなに多いのか

 前回のマンスリーレポートでお伝えしたように、2019年1月31日をもって太融寺町谷口医院のスマホサイトを閉鎖したところ、その影響は予想以上に大きいものとなりました。スマホサイト閉鎖で変わったこととして次のようなものが挙げられます。

#1 「なんで閉鎖したんですか」という意見(クレーム?)が予想以上に多く寄せられた。

#2 スマホサイトからの「メール問い合わせ」がなくなったことにより、相談メールが激減(半分から3分の1に)した。

#3 新患患者数も同様に大きく減少した。当然のことながら、スマホサイト閉鎖以降の初診の患者さんは、谷口医院に通院している人の家族か知り合い、またはPCサイトを初めから読んでくれている人がほとんどとなった。

 これらで意外だったのは#1です。なかには「私の会社で前のよりももっときれいなのを作りますよ」と言ってくれたウェブ作成会社に勤めている人や、「知り合いのウェブデザイナーにお願いしますよ」と申し出てくれる人もいました。もちろん、単に「自分はPCを見ないんでスマホサイトを復活させてください」という人もいました。当初我々は「スマホでPCサイトを見ればそれでいいのでは?」と考えていたのですが、谷口医院のPCサイト(このサイト)は古いタイプの形式のようで、(何でも率直に物を言ってくれる)ある患者さんに言わせれば「読みにくい。どうしても知りたい情報がある人はそれでも読むだろうけど、気軽に情報収集したい人からは避けられる」そうです。

 この意見に対し「谷口医院のPCサイトは読みたい人だけ読めばいい」と言ってしまうのは「上からの目線」だと思います。3ヶ月ほどかけて私の友人知人に”リサーチ”をしてみました。その結果、大半の人は「いまどき旧式のPCサイトだけなんて、時代遅れも甚だしい」という意見で、逆に「PCサイトだけでもいい」と答えた人はゼロでした。

 どうやら私の「ITリテラシー」は相当遅れているようです。私自身もスマホは持ち歩いていますが、例えば国内外のニュースや医療情報などをスマホで調べた経験はほとんどなく、こういった情報は、移動中にはiPAD、自宅か職場にいるときはPCを使っています。ちなみに、私はツイッターやフェイスブックなどのSNSもほとんど利用した経験がありません。

 SNSやスマホが今ほど普及していなかった頃、おそらく2010年代前半頃までは、全員ではないにせよ多くの人がPCを見ていたのではないでしょうか。スマホが急速に使いやすくなったことで、大半の人が「PCはなくてもやっていける」ことに気付いたのではないかと思うのです。我々のように物を書く機会の多い職業に従事していればPCなしの生活は考えられませんが、一般企業勤務のホワイトカラーの人たちでも「報告書は自宅で書く」という人を除けば(最近はこういうことも禁じられていると聞きます)、スマホだけで事足りるのかもしれません。意外だったのは、ある企業のCEOでかつては会社のPCサイトにブログを書いていた人までもが「今はスマホしか見ない」と言っていたことでした。

 私の知人へのリサーチを通してもうひとつ学んだことがあります。それは、「文章を読めない人が増えていることがPC離れを加速させている」ということです。最初にこの話を聞いたときに「この人は何を言っているの?」と思ったのですが、ある会社で人事をしている人に聞くと、入職時の試験で小論文を書かせると、学歴は高いのにほとんど文章が書けない若者が少なくなく、さらに新聞を読めない者も増えているというのです。

 そんなとき、ある書評で高評価を得ていた数学者新井紀子氏の『AI vs.教科書が読めない子どもたち』を読んでみました。この本には興味深いことがいくつも書かれているのですが、特に衝撃的なのは「多くの中高生たちが教科書を理解できない」ことを証明していることです。ここでいう「教科書の理解」というのは国語の難問である「作者はどのようなことが言いたかったのか」が解けるかという意味ではなく、単に各教科の教科書に書かれている平易な記述を理解できない子供たちが多いということです。著書には理解度を問う設問の例が挙げられています。素直に日本語を読めば分かるだろうという設問に、中学生の4割、高校生(しかも対象は進学率が100%の高校)の3割が正解できていないのです。ちなみにこの問題は作者らが開発した試験問題を解くロボット「東ロボくん」は正解しています。著者の新井氏は「中学生の半数は、中学校の教科書が読めていない状況」と断言されています。

 さて、教科書レベルの日本語が読めないのは中高生だけでしょうか。同書では大学生や社会人でさえも簡単な日本語が理解できていないことを独自の調査で明らかにしています。本当に教科書が読めない中学生が増えているならこれは当然のことで、日本の中学生がある時突然読めなくなったわけではないでしょう。おそらく少しずつ日本人の読解力(中学の教科書を読むレベルの読解力)が低下してきているのでしょう。

 だとすると、教科書を読めない人は自分の健康のことで困ったことがあったとしても、わざわざ文字数が多く読みにくいPCサイトを探さないことが予想できます。前回のコラムで、スマホサイトを見ての電話問い合わせで苦労するエピソードを紹介しましたが、おそらく「長い文章は読みたくない。文字が必要ならSNSでやり取りされる程度の簡単なものがいい」と考えている人は少なくないのでしょう。

 興味深いことに、太融寺町谷口医院にはその正反対というか、例えば大量の論文のコピーを持参するような患者さんもいます。彼(女)らは日本語のみならず英語で難度の高い文章をインターネットで入手して読みこなしているのです。「格差社会」という言葉はすっかり人口に膾炙していますが、たいていは収入や資産のことを指しています。ですが、この「文章を読む力」の格差も相当大きく、もしかすると収入や資産以上に広がっているかもしれません。

 ただ、私自身はそういう社会を必ずしも是正しなければならないとは考えていません。「いろんな人がいる」のが社会です。収入や資産の格差社会がいいとは言いませんが、海外に比べると日本の格差などたかがしれています。読解力にしても格差が少ないのが理想かもしれませんが、よく考えてみると日本人の識字率はほぼ100%であり、世界的にみれば最優秀のレベルです。私がタイでボランティアをしていたとき、母国語のタイ語がほとんど読めない患者さんもそれなりにいましたし、小学校にすら行かせてもらっていない子供たちも珍しくありませんでした。新井紀子氏がされている日本人の読解力を向上させる活動に私は賛同しますが、同時に「文章が読めない人もいての社会」を受け入れるべきだとも考えています。

 ロヒンギャ難民が深刻な状態にあることを毎日新聞「医療プレミア」で紹介しました(「少数民族ロヒンギャの命を奪うジフテリア」)。そのコラムでは難民を受け入れない日本を非難し、ロヒンギャからの難民は館林市にしかいないことを指摘しましたが、最近神戸にもやってくるようになりました。彼(女)らを支援している人に話を聞くと「無文字社会のロヒンギャとどうやってコミュニケーションをすればいいかが問題」とのことでした。

 結論を述べます。前回も述べたように、そもそも私が「病院勤務ではなく自分でクリニックを立ち上げなければ」と考えたのは、他の医療機関でイヤな思いをした人や、どこに相談していいか分からないと考えている人たちの力になりたかったからであり、そういう人のなかには「効率よく情報収集できない人」、つまり「スマホは見るがPCはほとんど見ない人」も少なくないでしょう。それから、これも過去に述べたように(「身体の底から湧き出てくる抑えがたい感情」)医療機関を受診できないと考えている外国人がますます増えています。彼(女)らは短期から長期の旅行者が多く、情報収集はPCでなくスマホでおこないます。

 ならばスマホサイトを持つべきなのではないか。結局、そのような考えにたどり着きました。現在、スマホサイト復活の準備を開始し、さらにもっと見やすくて誰もが気軽にメール相談しやすいような工夫を検討しているところです。

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