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2020年4月12日 日曜日
第200回(2020年4月) 新型コロナ、緊急事態宣言下ですべきこと
2020年4月7日、大阪府を含む7つの都府県で新型コロナに対する緊急事態宣言が発令されました。発令以降、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)にも、電話で、メールで、あるいは受診時に不安感を訴える人が少なくありません。なかには、早朝に電話をかけてきて(10時までは私自身が予約の電話ととるため、この時間を狙ってかけてくる人もいます)、不安なことを次々に話す人もいます。
その気持ちは分かりますし、今回の緊急事態宣言はおそらく戦後生まれの人たち(もちろん私も含めて)にとってはこれまでの人生で最大の社会的危機だと思います。私は2005年にタイ南部のある県に戒厳令が発令されている最中に訪れたことがありますが、それほどの緊迫感は感じませんでした。ちなみに、タイでも現在全土に緊急事態宣言が発令され、県境では検問が実施されています。外国人は外出時にパスポート携帯とマスク着用が義務付けられ、夜間外出禁止令(例えば、バンコクは22時から4時、プーケットは20時から5時と県による異なっています)も出ています。タイに長年住む日本人は「多数の犠牲者がでたクーデターや戒厳令は何度も経験してきたが、これだけ生活を制限されるのは初めて」と言います。
話を戻しましょう。まず最も大切なのは「落ち着くこと」です。不安なことが次々と出てくるでしょうし、(後述するように)専門家の言っていることもバラバラですから、いったい何を信じていいのか分からなくなることもあるでしょう。だからこそ谷口医院をかかりつけ医にしている人はメールや電話で相談されているわけです。なかには「何度もすみません」と断りを入れて連絡してくる人もいますが、そういった谷口医院への気遣いは一切不要です。
2007年の開院以来、谷口医院では「困ったことがあればいつでもメール相談を」と言い続けています。実はこのメール相談、一部の医療者からはとても不評です。「メールでは正確なことが言えない」「訴訟のリスクがある」「そもそも無料でやるのがおかしい」などと言われるのです。ですが、私自身はやめるつもりはありません。
患者さんのなかにも「いつも無料で相談に乗っていただいて恐縮します」という人もいますが、そのようなことは一切気にしないでください。そもそも医療機関は営利団体ではありません。我々は公的な存在であり、そして医療者は「公僕」であるということも、私が長年言い続けていることです。
具体的な話をしましょう。まず、新型コロナはどの程度の脅威なのかをおさらいしておきましょう。1月に中国で報告が相次いだ時点ではまだ重症度がよく分かっていませんでした。「インフルエンザと変わらないのでは?」という意見もありました。しかし、現在ではインフルエンザなどとはまったく異なる脅威であるのは自明です。
それを決定づけたのが2月7日、武漢中心医院の30代の医師・李文亮氏の死亡です。李文亮氏はいち早く新型コロナの存在に気づき、SNSなどで発表したところ、中国当局から「デマ拡散」の罪で処罰されました。氏の死亡後に中国当局は「烈士」の称号を与えました。烈士とは中国で自らの命と引き換えに国民や国家を守った者に与えられる褒章制度です。
通常のインフルエンザで30代の医師は死にません。その後、武漢では20代医師や51歳の病院長も他界しました。つまり、2月の時点で新型コロナが侮ってはいけない感染症であることはすでに疑いようがなかったのです。
しかし、この時点でもまだ楽観視する声がありました。よく引き合いに出されるのが、「日本ではインフルエンザで毎年数千人が死んでいる。新型コロナはまだ数十人だ。だから新型コロナはそんなに恐れる必要がない」という理屈です。しかし、20代や30代の医師が次々と死亡するインフルエンザなどありません。
2月27日、ある大手メディアから私のところに電話がかかってきました。政府が突然発表した「全国の小中高一斉休校をどう思うか」というものです。この時点では小児の感染例の報告はわずかでしたし、小学生が高齢者に感染させたという事例もありませんでした。しかし、登場したばかりで教科書にも載っていない感染症についてすべてが分かるわけがありません。こういう時は慎重に物事を進めなければなりません。普段はマスコミの取材は受けないようにしているのですが、電話をかけてきたのが知り合いのジャーナリストであったこともあり協力しました。私のコメントは「休校はやむを得ない」というものです。
ところが意外なほど、私の意見は医療者からも一般の方からも反対されました。医療者からは「エビデンスがない」、一般の人からは「子供の母親が仕事に行けない」というのが最も多かった反論です。しかし、登場したばかりの感染症に対してエビデンスなどあるはずがありませんし、「母親が仕事に…」というのは分かりますが、そんなことを言っている場合ではもはやなかったわけです。
ただ、前回のコラムで述べたように、「結論」が正反対になったとしても医療者や専門家の考えていることは人によってまったく異なるわけではありません。正反対の結論となったとしても考えるプロセスは同じであり、一斉休校に反対した医師の意見もある程度理解できます。なぜなら、そういう医師も子供の感染や子供から大人への感染の可能性を否定しているわけではないからです。
ここからは現実的な予防法について述べていきましょう。マスクについては前回述べたので省略しますが、「マスクで新型コロナは防げない」ことは確認しておきましょう。ではどうすれば感染を防げるか、ポイントは4つあります。
1つは、咳やくしゃみをする人から遠ざかることです。といっても電車の中などでは誰かが偶発的に咳をする可能性があります。そんなときは手に持っている物やあるいは上腕でさっと鼻と口を抑えればOKです。
2つめは「顔を触らない」です。「手洗い」が重要であるのは事実ですが、洗ったときはある程度きれいになったとしても、それでウイルスが完全にゼロになるわけではありませんし、手洗いの後、何かに触れてすぐに”不潔”になります。実際、新型コロナの院内感染は紙のカルテやタブレットが原因になったことが指摘されています。そういったものに触ることは避けられませんが、その手で顔を触らなければ感染することは理論的にあり得ないわけです。ちなみに、医学部の学生をビデオに撮って調べた研究では1時間に平均23回も顔を触っていることが分かりました。
3つめは「うがい」です。ところが、新型コロナに対してはうがいの重要性を指摘する声が不思議なほど上がってきません。おそらくこの理由は2つあります。1つは新型コロナに関して「うがい群と非うがい群」に分けて効果を調べた研究がないこと、もうひとつはうがいの習慣がない海外からの報告がないことです。ですが、うがいが風邪に有効とする日本のデータはあります。この研究では水うがいが風邪予防に有効であることを示しただけではなく、当時は有効性があると言われていたヨード(注1)に風邪予防の効果がないことが示されています。
コロナウイルスはインフルエンザやライノウイルス(風邪ウイルスの代表)に比べて、咽頭よりも鼻腔に病原体が多いことが明らかになっています。医学誌『Nature Medicine』2020年4月3日号に掲載された論文によると、コロナウイルスは咽頭よりも鼻腔に10,000倍以上多く棲息しているのです(インフルエンザもライノウイルスも1,000倍程度)。
ならば理論的に、ガラガラのうがいよりも「定期的な鼻うがいが有効」ということになります。ただ、残念ながらエビデンスがありません。しかし諦めるのはまだ早い。通常「鼻うがい」というのは専用の器具を用いて生理食塩水を一定量使います。生理食塩水の量は多ければ多いほど有効であると考えられますが、大量の生理食塩水を調達するのは困難です。それに、従来の鼻うがいであれば専用器具を清潔な状態に保つのも困難です。
そこで私がすすめているのが「谷口式鼻うがい」です(参照:「世界一簡単な「谷口式鼻うがい」」)。谷口式鼻うがいは水を大量に使いますが、その水はシャワー水ですからいくらでもごく安い費用で利用できます。また、器具は1本100円程度のシリンジで、少なくとも100回以上は使えますし、何度も洗浄できますから器具を清潔に保てます。コロナウイルスは他の風邪ウイルスと同様ほんの少しのウイルスが鼻腔粘膜に付着しただけでは感染が成立しません。鼻腔粘膜で増殖しやがて人の細胞に侵入していくわけです。であるならば、繰り返し(とっても1日2度が限界でしょうが)シャワー時に谷口式鼻うがいを大量のシャワー水でおこなえば新型コロナの予防になるはずです。
4つ目は「治療」です。現在新型コロナに有効性が認められた薬剤はありません(参照:医療プレミア「新型コロナ 「効く薬」の候補は?」)。現在期待されているいくつかの薬剤も高価すぎるか簡単に入手できないものが大半です。ですが、使えるものがないわけではありません。
ひとつは「麻黄湯」です。麻黄湯はインフルエンザを含めて風邪に有効とされています。副作用が少なく安い薬ですから新型コロナを含めて風邪に使わない手はありません。ただし「ごく初期」にしか利きませんから、症状が出てから医療機関を受診するのでは手遅れです。日ごろから携帯しておく必要があります。
もうひとつは抗インフルエンザ薬です。抗インフルエンザ薬が新型コロナに有効とするエビデンスは一切ありません。ですが、新型コロナが話題になる直前、興味深い研究が報告されています。医学誌『Lancet』2020年1月4日号に掲載された論文で、「インフルエンザでなかったけれどもインフルエンザの様な症状を呈した患者に抗インフルエンザ薬が有効だった」とするものです。残念ながら、私が診た新型コロナの患者さんのなかに前医で抗インフルエンザ薬が処方されていた人がいましたが効果はありませんでした。しかし、この患者さんに抗インフルエンザ薬が処方されたのは発熱して4日経過してからでした。インフルエンザに対する抗インフルエンザ薬は早期に使わなければならないのと同様、この患者さんにももっと早い時点で使われていればあるいは……、と考えたくなります。
最後に新型コロナに関して私が最も重要と考えていることを述べておきます。それは「感染者を支援する」ということです。もはや誰が感染してもおかしくありません。あなたの知人や大切な人も感染するかもしれません。感染した人は世間からの冷たい視線に苦しんでいます。いわれなき差別を受けている人もいます。感染が発覚すれば会いに行くことは慎まねばなりませんが、電話やメールで連絡して、玄関に食料品や日用品を届けに行くことはできるはずです。「医療プレミア」のコラムにも書いたように新型コロナを社会で克服するには「譲り合いと絆」が絶対に必要です。
緊急事態はまだしばらく続き、いつ解除されるかは未定です。「緊急事態」であったとしてもなかったとしても、谷口医院をかかりつけ医にされている人は不安なことがあればいつでも相談してください。これを読まれている方が谷口医院未受診で、他にかかりつけ医をお持ちでないのであれば、どうぞどのようなことでもご相談ください。
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注1:ヨードうがい液の代表が「イソジン」です。商品名を出して欠点を述べることは「上品な行為」ではありませんが、イソジンには風邪の予防効果がないというデータが15年前に出ているわけですから、製薬会社がイソジンの販売を続けるのなら、少なくともこれを覆すデータを出すべきだ、ということを私は15年前から言い続けています。尚、このグラフは私が毎日新聞「医療プレミア」に書いたコラムに載せています(同社の著作権でここには転載できません)。
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|2020年4月6日 月曜日
2020年4月 新型コロナ騒動で偶然発見できた長年探していた名言
前回のマンスリーレポートで、新型コロナが流行しだしてから他人を罵ったり蹴落としたりする行為が目立つが、人間とはそもそもそういうものであり、人生は辛いことの方がずっと多く他人から優しさを期待すべきでない。そして、だからこそあなたが「優しさ」を作り続ければいいのだ、という話をしました。
私がこのような考えに到達するようになったのは、知人が、タイや日本で診てきた患者さんが、そして私自身が幾たびの裏切り行為を経験しているからではありますが、こういった考えが「真実」であることを確信している理由は他にもあります。それは2004年にタイで聞いた「名言」です。その名言は私の心の中にずっと残っていて、私自身を長年”支配”しているといってもいいかもしれません。
ですが、不思議なことに、それだけ説得力のある名言をきちんと文字で確認しようと書籍やインターネットを探してみてもどこにも見つからないのです。2004年当時のメモも残していないため長年の間うろ覚えのままの状態です。
その言葉を初めて聞いたのはタイのあるエイズ施設で複数の外国人と昼食を摂っているときでした。スウェーデン人の女性がメモを取り出し「とても感動する言葉」と話し始めました。その名言はマザー・テレサのもので、「人間は合理的でなく自分勝手なもの。だからこそ人に優しくしなさい」といったような内容でした。ちなみにこの女性、専業主婦で10代の娘と息子がいるという立場ながら半年の予定でタイのエイズ施設にボランティアに来ており、その二人の子供たちが休暇を利用して母親にタイまで会いに来ていました。
その約2週間後、今度はタイにボランティアに来ていた日本人の女性から同じ話を聞いてその偶然に驚きました。後から思えばこの女性にこの言葉を詳しく教えてもらえばよかったのですが、それほどの名言ならマザー・テレサ関連の書籍に当たればすぐに見つかるだろうと考えました。短期間に何の接点もないスウェーデン人と日本人から同じ名言を聞いたわけですから、すぐに見つかるだろうと考えたのは無理もないでしょう。
ところが、です。この言葉がどこを探しても見つからないのです。そのスウェーデン人にも日本人女性にも連絡先を聞いていません。その後は誰からもこの言葉の話を聞くことはなく、本当にその言葉がマザー・テレサのものかどうかも疑わしいと思うようになり月日が過ぎていきました。なにしろマザー・テレサ関連の書籍を日本語、英語の双方であたってみても出てこないのですから。
およそ16年後の2020年3月、この名言を少し思い出しながら先月のマンスリーレポートを書きました。人間は優しくなくて人生は辛いことばかり、だからこそあなたが優しくならねばならない……。私が長年言い続けていることです。
そして、”奇跡”が起こりました。私が探していたまさにこの名言をミュージシャンの宮沢和史氏が3月29日に公開された自身のコラムで紹介されていたのです。これには本当に驚きました。16年間探し続けていたその名言を少しずつ思い出しながらコラムを書きあげたところ、1カ月もたたないタイミングでその「完成版」に巡り合えたのですから。
宮沢氏によると、この名言のタイトルは「あなたの中の最良のものを」といい、かなり有名なものだそうです。ということは私の探し方が下手だったということなのでしょう。しかし、探しても見つからなかった理由があったのです。この言葉はマザー・テレサ関連の書籍にはなく、氏によると「人から人に口頭や手紙、インターネットなどを介してつたわり、ゆっくりと、じんわりと世界中に広まっていった」名言なのだそうです。ここでその冒頭の言葉を紹介しましょう(注1)。私が16年間うろ覚えながらずっと胸に秘めていた言葉です。
人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく 人を愛しなさい
あなたが善を行なうと 利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく 善を行いなさい
目的を達しようとするとき 邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく やり遂げなさい
改めて読んでみるとひとつひとつの言葉が胸に染み入るような感覚を覚えます。この6行だけで心が救われるような気がします。過去のコラム(例えばメディカルエッセイ第14回(2005年8月)「習慣としての奉仕」)で何度か述べたように、ボランティアの話になると「それは自己満足でないのか」と言い出す人が必ずいます。ですが、マザー・テレサが言うように「気にすることなく」行動すればそれでいいのです。
この言葉の後半には「助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。気にすることなく、助け続けなさい」という一節が出てきます。これは、前回のコラムで私が述べた「自分が裏切られるのはかまいませんが、裏切ってはいけないのです」とほとんど同じことです。16年前にタイで聞いた言葉が私の身体に染みわたっているのかもしれません。
宮沢氏がこの言葉を自身のコラムで紹介されたのは、新型コロナが原因であらわになった人間の醜い姿を嘆いてのことです。氏の言葉を引用します。
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マスクやトイレットペーパーを必要以上に買い占めている「世の中のものを自分にしか与え続けていない」人間を見ると、この上ない失望感に苛まれる。しかし、いざとなれば人間とはそういうものだ、ということをも、新型コロナウイルスの蔓延によって世界中の人々は同時に学んだわけだ。
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これは私が前回のコラムで言いたかったこととほぼ同じです。そのコラムで私は「それよりも(差別を嘆くよりも)、これが人間の実態であることを認識し、その上で”幸せ”を探す方が現実的です」と述べました。
太融寺町谷口医院には、新型コロナを疑って問い合わせをしてきたり受診したりする人が少なくありません。できるだけ電話もしくはメールで症状を確認し、受診してもらうときは午前診もしくは午後診の最後の時間に来てもらっています。受診してもらわずに電話とメールのみのやり取りをして、検査を希望されれば谷口医院から相談センター(保健所)に交渉して検査を受け入れてもらうこともあります。
患者さんのなかには検査を拒否する人もいます。2週間隔離され強制入院になることを避けたいというのです。軽症で一人暮らしの場合はそれでもOKです。そういう場合は谷口医院から毎日電話で様子を伺って助言をしています。新型コロナにかかったかもしれないということは気軽に他人に話せるものではありません。差別の対象となる可能性があるからです。ですから、感染を疑い自宅待機というのはともすれば一日中誰とも話さず、外出もできず、という事態となります。強制入院も辛いですが、その場合は日に何度も医療者と話をすることになりますし三度の食事は出てきます。一方、自宅療養の場合は完全な孤独と戦わねばなりませんし食事の調達も自分でしなくてはなりません。
もし身近に新型コロナに感染した人が出たら、まず声をかけることが大切です。現時点では診断がつけば直ちに強制入院ですから、できることは励ましのメールを送るくらいしかないかもしれませんが、これからは「重症でなければ自宅で安静」という方針に転換されます。患者数増加に伴い、新型コロナ陽性者用のベッド(病床)がもうすぐ底をつくからです。
そういう知人がいたとすればあなたの出番です。電話やメールで様子を伺い、食品や日用品を届けてあげることを考えてみてはどうでしょうか。直接会うのは避けた方がいいですから、荷物を持って行っても玄関に置いてすぐに帰らなければなりませんが、その知人もあなた自身も本来の人間のあるべき姿を実感できるはずです。「不合理、非論理、利己的」な人間が多い世界の中で、あなたとあなたの知人は”真実”に触れることができるのです。
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注1:ネット上に出回っていたこの言葉の日本語版と英語版を下記に転記します。いくつものサイトがみつかりましたが、ほぼすべてが個人のブログでした。つまり、やはり現在でも出版はされていないようです。尚、宮沢氏によれば、この言葉はマザー・テレサのオリジナルではなく、米国のケント・M・キースの『逆説の10カ条』を読んだマザー・テレサが広めたものだそうです。
人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい
あなたが善を行うと、利己的な思いでそれをしたと思われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい
目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい
善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく、正直であり誠実であり続けなさい
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい
助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい
あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても
気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい
最後に振り返ると、あなたにもわかるはずです
結局は、全てあなたと内なる神との間のことで
あなたと他の人との間であったことは一度も無かったのです
People are often unreasonable, illogical, and self-centered;
love them anyway
If you are kind, people may accuse you of selfish ulterior motives;
Be kind anyway
If you are successful, you will win some false friends and some true enemies;
Succeed anyway
If you are honest and frank, people may cheat you;
Be honest and frank anyway
What you spend years building, someone could destroy overnight;
Build anyway
The good you do today, people will often forget tomorrow;
Do good anyway
Give the world the best you have, and it may never be enough;
Give the best you’ve got anyway
You see, in the final analysis it is between you and God;
it was never between you and them anyway
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|2020年3月29日 日曜日
第199回(2020年3月) 新型コロナ、錯綜する情報
新型コロナ(以下COVID-19)の混乱がおさまりません。科学的に間違った行動をとる人が少なくなく、いわれなき差別や諍いが生まれ、さらに医療者の発言も誤解されてもおかしくないようなものが見受けられるからです。
一方、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)をかかりつけ医にしている人は、不安なことがあればメールや電話で相談し、受診時に困っていることを話されて、我々の説明に納得してもらっています。「もっと早く相談すればよかった」と言われることも多々あります。
今回はCOVID-19について世間で流布している情報を整理したいと思います。ただし、明らかなデマ(例えば、COVID-19のウイルスは「お湯」で死ぬからお湯を飲めばいい、など)は除外します。まずはマスクについて取り上げましょう。
先日、タクシーの運転手に教えてもらって驚いたのは「いくつかの薬局ではマスク目当てに開店前から行列ができる」ということです。そもそもマスクはそれほど有用な感染予防ツールではありません。このことを指摘しているメディアも少なくないわけで(例えば、私は毎日新聞「医療プレミア」で私自身が日ごろマスクをしていないことを述べました)、にもかかわらずマスクで行列ができるというのが不思議です。マスクが入荷しないことに腹を立てた客が店員に激しく詰め寄ることもあるとか……。
あるときこの話を谷口医院の患者さんに話すと、「仕方ないんですよ。うちの会社ではマスクがないと出勤禁止って言われてるんです」とのこと。しかもマスクは会社で支給してくれないそうです。先述のコラムでも述べたように、マスクはまったく不要というわけではなく、人が密集する場所、例えば満員電車やライブハウスでは必要となります。実は、先述の毎日新聞のコラムで、「ライブハウスは注意」と書いたのですが、皮肉なことにこれが公開された直後に大阪のライブハウスでの集団感染が発覚しました。もっとも、ライブハウスではドリンクも楽しむのが普通ですから、初めから終わりまでマスクをするのは無理でしょう。
マスクで店員に暴言を吐いたり、マスクをしていない人を非難したりするのは直ちにやめるべきです。マスクがなくても日常生活に問題はありません。ちなみに、私はマスクを持ち歩いていますが、めったに着けることはありません。ライブハウスなどには行きませんし、電車に乗るときは混雑する時間を避けているからです。マスクを携帯している理由は自分自身が咳をしたときに「咳エチケット」として必要だからです。ですが、前回のコラムでも述べたように私は過去7年間風邪をひいていませんから、実際にはマスクの出番はほとんどありません。
ところでCOVID-19って、本当はどれくらい”怖い”感染症なのでしょうか。これの答えはそう単純なものではありません。どうやら世間では「とても怖い」と考える人と「全然大したことがない」と考える人に二分しているそうですが、ことはそんなにクリアカットに論じることはできません。おそらく「医師によって意見が違う」と嘆く人は、マスコミに登場して”分かりやすい”ことを言う医師の言葉を聞いているからだと思います。
医学のことを論じるのはそう簡単ではありません。ですから、例えばテレビの短い時間で正確なことを述べよ、と言われればその医師がまともであればあるほど内容は分かりにくくなるはずです。ですが、テレビの番組制作者が好むのは「分かりやすく断定的にものを言ってくれる専門家」です。しかし、専門家としてはいい加減なことや誤解を生むような発言はしたくありません。これが、一般に「医師がテレビに出ることを嫌がる最大の理由」です(注)。
話を「COVID-19はどれくらい怖いのか」に戻します。例えば中国ではデリバリーで食事をオーダーすると、料理した人と包んだ人の体温が送られてくるそうです(ネットで写真をみつけたのですが削除されていました)。また、中国では店員と顧客のやり取りが糸電話やロープが使われています(ネットで見つけたツイッターより)。
フランスでは外出禁止令が発動し、米国では飲食店での飲食禁止や10人以上の集会の禁止が命じられているわけですし、イタリアではミラノのある大病院では60歳以上は人工呼吸器を使ってもらえないことが大手メディアで報道されています。60歳で日ごろ健康な人であれば、COVID-19に感染し重度の肺炎に進行したとしても、一時的に人工呼吸器を用いれば回復することが充分に期待できます。「60歳以上は見殺し」が続けられるのだとしたら、例えば60歳の優良企業の社長と59歳の殺人歴のある無職の者のどちらの命を救うべきか、という議論も必ず出てきます。我々はそういうレベルにまで来ているわけです。
一方、日本の一部の識者は今も「COVID-19はインフルエンザを少し強くした程度。過度に恐れる必要もなければ学校を休校にする必要もない」と主張しています。海外での対応と日本人のこういった意見を聞くと、同じ病原体による同じ疾患による対策とは到底思えません。では、どちらの主張が正しいのでしょうか。答えは「双方とも正しい」です。
最近は「日本の医療は遅れている。だから富裕層は海外で治療を受ける」という人もいるようですが、日本の医療技術が他国と比べて低いわけではありません。しかも世界的には驚くほど安い費用しかかかりません。お金がないから受診できないということは(絶対とは言いませんが)ほとんどありません。また、国民の平均的な清潔度が高く、民度も高く、いざとなれば(ある程度は)利他的になることができて秩序を守ります。このような国であれば、楽観論者の言うように通常の風邪予防の対策でかなりコントロールできます。
一方、海外(の多くの国)ではそうはいきません。日本よりもずっと移民が多く(ただし、この点については日本の移民・難民政策が厳しすぎることが問題であり、日本は”遅れて”います)、良質な医療が全員に行き渡っているわけではありません。日本ほど民意度の高い国はそう多くありません。この意見には反論が多いかもしれませんが、世界に目を向けると識字率がほぼ100%の国はそう多くないのが現実です。
しかし、日本は鎖国しているわけではありません。日本に住む外国人も決して少なくはありませんし、現在の騒動がどれくらい続くかは分かりませんが、これだけ広がったCOVID-19が(SARSやMERSのように)急速に勢いをなくすとも思えません。日本人はたとえ自身が海外に渡航しなかったとしても、世界の住人の一員という自覚を持つべきだと思います。
現在数字で表れている日本の感染者数が実態を反映していないことは理解しておいた方がいいでしょう。3月22日時点で日本の感染者は1,054人で世界第22位、死亡者数は36人で世界第14位です。死亡者数は事実ですが、感染者数は検査をしていないからこれだけ少ないわけで、疑いのある人すべてに検査すれば、少なくとも数万人にはなると思います。そして、ここがポイントになります。もしも日本が感染者の実数を把握できれば、死亡率は驚くほど低値になります。つまり世界各国と比較して極めて高いレベルの治療ができていることが明らかになるはずです。
個人的にはこれを世界にアピールすべきだと思っています。日本の医療技術が高いことを自慢する必要はありませんが、公衆衛生の向上に努め検査や治療の優先順位を的確におこなえば現在日本以外の国で恐れられているほどの恐ろしい感染症ではないことは訴えていいと思います。
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注:そんなことを言っておきながら、私自身も先日NHKの取材を受けて、そのインタビューシーンが放映されました。内容は「COVID-19を疑った患者が医療機関から診察拒否されている現状」についてです。この内容なら引き受けて問題ないだろうと判断したのですが、例えば「検査の対象を広げるべきか」「COVID-19はそんなに恐ろしいのか」といったコメントを求められるとするなら「テレビで短くコメントできるほど単純な話ではありません」と言って取材を断ります。
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|2020年3月12日 木曜日
2020年3月 新型コロナから考える「優しさ」という幻想
前回は新型コロナの現実にきちんと向き合いリスクを正しく評価しようという話をしました。楽観視しすぎるのも不安視しすぎるのも正しくなく、そのような見方をしてしまうのは「常に”幸せ”でないと気が済まない」という誤った考えだ、ということを述べました。
過去に述べたように「人生は辛いことの方がずっと多いもの」です(私はそう考えています)。ですが、辛いことばかりではなく幸せを感じることもできるのが人生のいいところです(私はそう考えています)。一人きりで何かをしているときが幸せと感じる人も少なくないでしょうが、そういう人たちでも生涯において他者と接することを苦痛と感じ続ける人は少数でしょう。どのような趣味や仕事を持つ人も、家族、パートナー、友達といった他者とのふれあいやコミュニケーションに幸せを感じるのではないでしょうか。
では、他人との関わりで幸せを感じるのはどんなときでしょうか。優しくされたり、優しくしたりといった体験があったときに何とも言えない平和的な気持ちで満たされたという経験はおそらく誰にでもあるでしょう。
さて、新型コロナです。新型コロナの問題が大きくクローズアップされ始めた2020年1月末、私が懸念したことのひとつは武漢から帰国した日本人に対する差別が起こらないか、ということでした。残念ながら私の予想は当たってしまい「武漢に行っていた」というだけで、当事者や、さらには検査やケアを担った医療者までが差別的な扱いを受けました。
その後も新型コロナに関する「差別」は広がる一方です。驚くべきことに医療者の間でさえも広がっています。武漢から帰国した日本人や「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客乗員へのケアをおこなった医療者に対する医療者による驚くべき差別が生じていることを日本災害医学会が報告しました。
同学会によると、「職場において「バイ菌」扱いされるなどのいじめ行為」、「職場管理者に現場活動したことに謝罪を求められる」といった、信じがたい不当な扱いを受けた事案が報告されています。同学会は「当事者たちからは悲鳴に近い悲しい報告が寄せられ、同じ医療者として看過できない行為であります。もはや人権問題ととらえるべき事態であり、強く抗議するとともに改善を求めたいと考えます」と述べています。
同じ医療者として、というより一人の日本人として到底許せない行為です。しかも、きちんとした知識があるはずの医療機関でこのようなことが起こっているわけです。医療機関以外の職場でもこれと同じか、あるいはもっとひどい差別が生まれるかもしれません。
もしも私の目の前でこのような差別的な発言をする者がいればその場で注意します。ですが、こういった事態が相次いでいる現状を考えると、このサイトで正論を振りかざしてもほとんど意味がないでしょう。それよりも、これが人間の実態であることを認識し、その上で”幸せ”を探す方が現実的です。
基本的に私は、人の優しさとはとても脆いものだと思っています。これは歴史を見れば明らかです。政治的ダイナミクスにより「昨日の友は今日の敵」となることなど人間社会では日常茶飯事ですし、戦争で国が分断されかつての同胞が敵となり殺し合うという歴史もあります。信頼していた家族やパートナーに裏切られたという経験がある人もいるでしょう。生涯に渡り親友が続けばそれは素晴らしいことですが、必ずしもそうはなりません。
近しい相手からでさえ裏切られることがあるわけですから、これが単なる職場の同僚であればなおさらです。学校や職場でいつイジメやハラスメントが起こっても不思議ではありません。もちろん見ず知らずの赤の他人から優しさを期待することなどできません。ここである患者さんの話をしましょう。
40代女性のその患者さんは花粉症があります。そしてこの季節に風邪をひくと咳がなかなか治らないと言います。薬(吸入薬)でかなり症状は改善するのですが、それでも偶発的に咳が出ることがあります。この女性、最近は怖くて電車に乗れないと言います。といっても乗らなければ出勤できません。朝は始発に乗って混雑を避けることができますが、帰りの電車が恐怖で、車両が混んでいれば何本でも電車を見送るというのです。また、駅のトイレなどで行列をつくっているときに咳がしたくなったときは、その場を離れて咳をしにいくそうです。今の世の中、咳をしただけで他人から白い目で見られるというのです。
実際、福岡市の地下鉄内でマスクをしていない男性が咳をして乗客と口論になり非常ベルが押されたという事件がありました。この女性も、この事件を聞いて電車が怖くなったそうです。どうも今の世の中、自分の身を守るために他人を排除しようとする人たちが増えているようです。
しかし、このようなことは今に始まったことではありません。小学生の頃には「困っている人を助けましょう」「他人に親切にしましょう」と習いますが、現実には世の中はいつの時代も優しくありません。小学校で習うことを世間の大人たちはできていないわけです。社会とは「渡る世間は鬼ばかり」であることがほとんどです。昨年(2019年)の流行語「ワンチーム」も、東日本大震災の年に流行した「絆」も幻想に過ぎなかったと言えば言い過ぎでしょうか。
他人からの優しさなど期待できないと考えるべきです。そんな世の中でも夢を持つことができれば幸せかというと、多くの夢はいつまでたってもかないません。優しさのないつまらない日常が淡々と時を刻んでいるのが現実なのです。
ならばそんな世の中でいったい何をすればいいのでしょう。厭世観を抱き社会から逃避することでしょうか。私はそうは思っていません。皮肉な表現に聞こえるかもしれませんが、「優しさ」がほとんどない社会だからこそ、その「優しさ」が貴重なのです。ならば、その「優しさ」はあなたが作り出せばいいわけです。
過去のコラム「日本人が障がい者に冷たいのはなぜか」で、私は「障がい者や困っている人がいれば何かを考える前にまず駆け寄る」ということを提唱しました。これを心がけている私は、ときに自分の予定がずれこんだり、数字の上では金銭的なロスが生じたりすることもあるわけですが、決して「損をした」という気持ちにはなりません。このことは多くの人に理解してもらえると思います。ボランティアをしたことのある人なら「ボランティアをする気持ちよさ」を体験しているでしょうし、そういった経験がない人も他人から感謝の言葉をかけてもらえれば「やってよかった」と感じるはずです。
さらに言うと、感謝の言葉も期待するべきではありません(参考:日経メディカルのコラム「医師は感謝を期待してはいけない」)。感謝されるから他人に優しくするのではなく、それが人間にとっての原理原則だから優しくすべき、というのが私の考えです。
新型コロナは自分が感染するのはときにやむを得ないわけですが、他人、特に高齢者や持病のある人への感染は防ぐよう努めなければなりません。人の優しさについては、自分が裏切られるのはかまいませんが、裏切ってはいけないのです。
これを実践するだけで、つまり裏切られても他人に優しくすることを忘れなければ”幸せ”は少しずつ増えていきます。
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|2020年2月25日 火曜日
第198回(2020年2月) 世界一簡単な「谷口式鼻うがい」
2020年1月23日、毎日文化センターで開催した毎日新聞主催の私のミニ講演会で、最も多くの質問を受けたのが「鼻うがい」でした。この講演会の内容は、同紙「医療プレミア」の編集者が記事「「私は風邪薬を飲みません」 谷口恭医師講演」にしてくれて、それを読んだという人からも「その鼻うがいについてもっと教えてほしい」との声が届きました。そこで、今回はこの「谷口式鼻うがい」について少し詳しく説明したいと思います。
谷口式鼻うがいの最大の特徴は、何といっても簡単なことです。おそらくこれより簡単な鼻うがいは他には存在しないと思います。方法は文字で説明するよりも実際に見てもらった方が簡単にわかりますので、まずはそのビデオ(YouTube)をご覧いただくのが一番いいと思います。ここではその補足をしていきましょう。
まずは「なぜ鼻うがいか」ということから確認していきましょう。現在流行している新型コロナウイルスは、当初は「咽頭痛や鼻水といった上気道炎症状はほとんど起こらず、いきなり下気道症状(咳や呼吸苦)と高熱が出ることが特徴だ」と言われており、医学誌『LANCET』に1月に掲載された論文にはそのように記載されていました。
ですが、その後軽症例やほとんど無症状である場合も多いことが報告され始めました。そして、興味深いことに、ウイルスは咽頭よりも鼻腔から多く検出されることが判りました。医学誌『New England Journal of Medicine』2020年2月19日号に掲載された論文「SARS-CoV-2 Viral Load in Upper Respiratory Specimens of Infected Patients(新型コロナウイルス感染者の上気道のウイルス量)」に詳しくまとめられています。
この論文から分かるのは、新型コロナウイルスも通常のコロナウイルスや他の風邪をもたらす感染症と同様、まず鼻腔に感染する(少なくともそういう例が多い)ということです。新型コロナウイルスが騒がれだした1月は発症者が武漢市に限定されており、中国の医療事情を考慮すると、医療機関を受診したのは症状がそれなりに進んでいた人たちだったのでしょう。つまり肺炎に進行してから医師の診察を受けたために、より重要な臓器である肺(肺炎)の治療がおこなわれ、鼻腔のウイルスなどには注目されなかったと考えられます。
つまり、新型コロナウイルスを含めて飛沫感染するタイプの感染症、つまりほとんどの風邪を考えたときに、最もきれいにしておかなければならないのは鼻腔、ついで咽頭ということになります。咽頭は普通の「ガラガラうがい」でもできますが、鼻腔は汚いままです。そこで鼻うがいが有効ということになります。問題は、どうやってするか、です。
鼻うがいの効果が高いのは(鼻腔を直接洗えるわけですから)明らかだと思いますが、私が鼻うがいに固執したもうひとつの理由を説明しておきましょう。怪我をしたとき、例えば膝をすりむいたとき、私が子供の頃は赤チンを塗られました。これは激痛でした。その後「マキロン」のような消毒が主流となり、いつの頃からかその主役が「イソジン」に代わりました。ところがちょうど私が医師になった2002年頃に「コペルニクス的転回」が起こります。傷の消毒にはイソジンは無効どころかかえって治癒を遅らせることが判ってきたのです。では何が有効なのか。水です。受診された場合は生理食塩水を使うこともありますが、基本的に水道水で問題ありません。時間をかけて水で病原体を洗い流すのが最も有効なのです(参考:はやりの病気第10回(2005年6月)「キズの治療①」)。
理論的に考えれば鼻うがいに風邪の予防効果があるのは明らかでしょう。ではなぜ普及しないのか。そして有効性を検証した論文がないのか。理由は2つあります。1つは「有効なのはわかっているけれども面倒くさい」ということ。もうひとつは、おそらく(ガラガラも含めて)うがいのような習慣があるのは日本くらいで他国では一般的ではなくエビデンスがないからだと思います。日本の医師(の多く)はエビデンスがないことに注目しませんし、面倒くささを考えると患者にどころか自分で実践するのにも抵抗があるわけです。
もっとも、私自身も鼻うがいには長い間”抵抗”がありました。その理由は2つあって、ひとつは生理食塩水を用意するのがとてつもなく面倒くさいこと、もうひとつは専用のデバイス(例えばこういうタイプ)を用意することに抵抗があること、です。私自身は元々旅行が好きですし、学会参加などでよく出張にもいきます。荷物はできるだけ少なくしたいわけで、既存の鼻うがい用のデバイスを鞄に入れることに嫌気が差します。旅行中は鼻うがいを休むという方法もよくありません。なぜなら旅行中にこそ風邪をひくリスクが上がるからです。ですから、鼻うがいが理論的に有効なことは確信していましたが、現実的には無理だよな~とずっと思っていたのです。
しかしあるとき、「シリンジ」を使ってみればどうだろう、とふと思いつきました。過去に薬物中毒を起こしたある患者さんと診察室で話をしているときでした。20代のその女性は、自殺する意図が本当にあったのかどうかは別にして大量に睡眠薬を飲み、それを家族に発見され救急搬送され、そこで胃洗浄がおこなわれたと言います。私も太融寺町谷口医院を始める前は夜間の救急外来での仕事が多く、胃洗浄は何十回と経験があります。管(チューブ)を鼻から胃に入れて、シリンジを使って生理食塩水を注入して吸引するという作業を繰り返します。その患者さんと話していたときにそのシーンがふと蘇り、「そうか、鼻うがいに応用すればいいんだ!」とひらめいたのです。
鼻に水を入れるのが辛いのは、泳いでいるときに偶発的に水が鼻に入ってしまったときのことを思い浮かべれば明らかです。それが分かっていて意識的に吸い込むのは相当な勇気がなければできません。ですが、シリンジで勢いよく注入すれば一瞬で終わります。10mLのシリンジ(実際は13mLくらい入ります)なら1秒で注入できます。ただし、もしもそれで激痛が走るのであれば現実的ではありません。生理食塩水を使えば解決しますが、こんなもの出張や旅行に持ち歩くわけにはいきませんし、塩を持ち歩いてその都度生理食塩水を作るのも面倒です。
では水道水でシリンジを鼻腔に注入したときに痛みはどれくらい生じるのでしょうか。これを初めて実戦するときは少し勇気がいりましたし、実際に少し痛かったのは事実です。ですが、その痛みは考えていたよりも小さくて、何回かおこなううちにゼロになりました。
谷口式鼻うがいには「欠点」もあります。それは鼻腔に入れた水がそのあたりに一気にばらまかれますから人前ではできませんし、周りが汚くなります。つまり、このうがいはシャワールームでしかできないのです。ですから、実践できるのはせいぜい朝と晩の一日に2回だけです。私は仕事がら風邪症状のある患者さんと毎日何度も接しますから、そういった人を近距離で診察したときには次の患者さんを診る前にガラガラうがいと手洗いをしています。
では「谷口式鼻うがい」の効果はどうなのでしょうか。エビデンスというものは比較対象が必要になりますから、そういうものはありません。たった1例の症例報告というものはエビデンスにはならないのです。それを断った上で私自身の話をすると、冒頭で紹介したミニ講演のときにも述べたように、私はこの鼻うがいを始めてから7年間一度も風邪を引いていません。それまでのガラガラうがいと手洗いだけだと必ずといっていいほど年に2~3回は風邪をひいていましたが、過去7年間はゼロです。この記録がどこまで続くかはわかりませんが、私は生涯この鼻うがいをやめないつもりです。なにしろ副作用ゼロですし、費用はごくわずか(シリンジはアマゾンで安く買えます)なのですから。それに、花粉症やその他アレルギー性鼻炎の予防にもなります。
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|2020年2月12日 水曜日
2020年2月 新型コロナの混乱から「幸せ」を考える
前々回は、「承認欲求が強すぎるとしんどくなる→万人から好かれる必要はない」ということを、前回は、「いつも幸せで当然という考えは捨てるべし=人生はたいていは辛いことの方がずっと多いもの」ということを述べ、それを認識している方がかえって”幸せ”なんだ、という自説を紹介しました。
今回は、現在流行し混乱を招いている新型コロナウイルスから「幸せ」について考えてみたいと思います。
まず、新型コロナについて簡単にこれまでの経緯をまとめておきましょう。2019年12月に中国武漢市で発生した新型コロナウイルスは重篤な肺炎をもたらし感染者が次第に増えていきました。毎日新聞主催の私のミニ講演は1月23日に開催され、そのときに「医療プレミア」の編集長から「講演で新型コロナについて何か話すように」という指令を受けました。しかし私の知る情報はWHOなどの公式発表とメディアの報道だけですから面白い話はできません。スライドは1枚だけにしました。このときにはまだ日本では感染者の報告はありませんでした。
その後日本でも感染者がみつかり世界中に広がりました。当初この感染症を診断した武漢市の30代の医師が死亡し、それまで世間に流れ始めていた「さほど深刻なものではないのでは?」という楽観的観測に釘を刺しました。一方では、マスクがどこも手に入らない、新型コロナを積極的に診ている病院の関係者の子供がイジメに合う、中国人が宿泊している旅館の宿泊客のキャンセルが相次ぐ、中国人というだけで診療を拒否される(注1)といった出来事が相次いでいます。マスクを高値で売りさばく輩もいるとか……。
新型コロナに対する世間の反応として私が感じているのは「極端な楽観視」と「極端な不安感」が入り乱れていることです(注2)。「新型コロナなんてインフルエンザと同じようなもの」とツイッターで嘯いている医師もいるという話を聞きました。一方で、不安感から外出を恐怖に感じている人もいるようです。
極端な楽観と極端な不安、これらは一見正反対の感情のように見受けられますが、「幸せ」をキーワードに考えてみると、根は同じであるように私には思えてきます。
解説していきましょう。新型コロナを極端に楽観視する人たちというのは「リスクに向き合うことを避ける人たち」です。
興味深い調査を紹介しましょう。群馬大学の片田敏孝教授らが2006年11月の千島列島東方沖の地震後に岩手県釜石市の小学生にアンケートした結果、避難指示を聞いた後、実際に避難したのは290人中わずか7人でした。避難しない理由として、保護者が「大丈夫」「津波は来ない」「前にもあった」などと判断したのです。東日本大震災が起こったのはこのアンケートのおよそ4年後です。
2018年7月西日本の大水害で各地が被害に合いました。特に被害が大きかった岡山では「晴れの国・岡山で大きな水害が起こるはずがないという根拠のない思い込みがあった」と証言する声が報道されました。2019年6月に九州を襲った豪雨で避難指示が出されたとき、鹿児島市の避難率は1%未満だったという指摘もあります。
なぜ避難指示を無視するのか。これを説明するのによく使われるのが「正常性バイアス」と「同調性バイアス」です。正常性バイアスとは、自分にとって都合の悪い情報を無視することで、同調性バイアスとは、他のみんなもそうだから……、と思ってしまうことです。これら心理学用語は心理学者が語るべきかもしれませんが、私見としては「私に限ってそんな不幸が起こるはずがない=私はいつも幸せでいて当然」という気持ちが強いからこのようなバイアスが生まれるのではないかと考えています。
新型コロナにもこういう楽観論がはびこっています。よくあるのが「中国は医療技術が低い。日本なら感染しても死ぬことはない」というものです。ひどいものになると、「アメリカ軍が中国人を殺害するために既存のコロナウイルスにHIVの遺伝子を組み入れて武漢でばらまいた」、という陰謀論もすでに登場しているようです。この陰謀論は「ウイルスは人為的につくられたもの。抗HIV薬のカレトラが新型コロナに効くから(これは事実ですでに日本でも新型コロナに使われています)感染しても心配ない」という考えにつながります。陰謀論というのは自分の考えを正当化するのに(つまり自分の”幸せ”を維持するのに)都合がいいのです。
一方、マスクを探し求めていくつもの薬局を巡るような人たちというのは、「短期間で死亡するかもしれないそんな感染症で自分の”幸せ”を妨害されてたまるか。なんとかしてマスクで自分自身を守らなければ」という思いが強くなりすぎて、たかがマスクを高値で買い求めるという行動に走ってしまうのです。
新型コロナでいえば、マスクはときに大切ですがマスクがなくても感染のリスクを下げることはできます。むしろマスク装着よりも予防に大切なことがいくつもあります(注3)。
今回のこのコラムで私が言いたいのは「新型コロナをどうやって予防するか」ということではありません。言いたいのは「未知の感染症にいつ遭遇するかもしれないという事実を受け入れて理にかなったリスク対策をしよう」ということです。
新型コロナの発端は武漢市の海鮮市場だと言われています。しかし「海鮮」と名がついているものの様々な小動物が生で売られていたそうです。SARSと同じようにコウモリ→小動物→ヒトというルートが指摘されています。さて、ここであなたも考えてみてください。ネット情報によると、この海鮮市場はいわば”観光地”のひとつであり、外国人もよく訪れていました。あなたが、例えばアジアのどこかの街を訪れ、こういった市場があったとすれば近づくことを避けるでしょうか。もしもその街に友達がいたとして、その友達に誘われたとしたら……。
私は武漢市には行ったことがありませんが、動物の市場ということであればタイのイサーン地方(東北地方)や北部にある日本人が行かないような市場を見学したことが何度かあります。そこでは生きたヘビやネズミや、名前も分からないアライグマのような動物も売られていました。今のところ、タイではこういった動物から新種のウイルスがヒトに感染したという報告はありませんが、武漢市で生じたことがタイで起こらないとも限りません。では私は今後そういったところに近づかないかと問われれば、やはりこれまでと同様”観光”を楽しみます。動物に近づかないようにはしますが。
MERSは感染者が大きく減少していますが消滅はしていません。潜伏期間は最長14日程度と言われています。ヒトからヒトへ容易に感染し(2015年の韓国のアウトブレイクを思い出してください)致死率は30%以上です。ではあなたは中東から入国したばかりの人を見かければ逃げ出すのでしょうか。
重篤な感染症に感染するリスクは日常生活のなかでもゼロではないと考えるべきです。また、どこに住んでいても人生には災害や事故などのリスクもあります。つまり、生きている限り突然の不幸に見舞われる可能性はあるわけで、大切なのは「そういったことも起こり得る」ことをきちんと認識した上でリスクコントロールをすることです。「幸せ」が突然終焉を迎える可能性も覚悟しておくべきであり、それを無視することが危険なのです。そして、そのことを理解していれば「生きているだけで”幸せ”」と感じることができます。
いつも幸せでないと気が済まない人と生きているだけで幸せと思える人、本当に”幸せ”なのはどちらでしょうか。
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注1: この「事件」については「医療プレミア」でも「日経メディカル」でも紹介しました。
注2: これも「医療プレミア」(2020年2月13日号)で取り上げました。
注3: 手洗い・うがいが何よりも重要なのは言うまでもありません。先月のミニ講演会で見てもらった「ビデオ」も参照してみてください。
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|2020年1月31日 金曜日
2020年1月31日 電子タバコ、WHOがついに「危険宣言」
電子タバコは有害か否か、禁煙のツールとして有効か否か。
このサイトで何度も取り上げているこの論争、どうやら「電子タバコは有害」という方向に大きく傾いてきました。過去のコラム(はやりの病気第194回(2019年10月)「電子タバコの混乱その2~イギリスが孤立?~」)で取り上げたように、イギリス政府は「電子タバコは禁煙に有効であり、積極的に紙タバコから切り替えるべきだ」という方針を固辞しています。
一方、米国では電子タバコで死者が相次いでいることを問題視し、危険性を指摘する声が強くなってきていました。タイやシンガポールでは所持しているだけで「罪」になることも上記のコラムでお伝えしました。
今回紹介したいのはWHOの見解です。2020年1月29日に更新された電子タバコのQ&Aで、電子タバコの危険性を強く警告しています。
WHOによれば、電子タバコは10代の若者の脳の発達に悪影響を与え、胎児にも障害を与える可能性を指摘しています。また、禁煙の補助ツールになる証拠はない、と断言しています。
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このWHOの見解はイギリス政府の主張とまったく異なるものです。では、イギリスではこのWHOの見解をどのように報道しているのでしょうか。「The Telegraph」が「WHOが電子タバコは有害であり安全でない(World Health Organisation: E-cigarettes are harmful to health and are not safe) 」という記事を掲載しています。
2015年以降、イギリス保健省(Public Health England)は電子タバコの有害性は従来のタバコより95%も低いと断言しています。The Telegraphの記事によれば、この保健省の発表に疑問を感じているイギリスの専門家もいるそうです。
先述のコラムでも述べたように、電子タバコについてはイギリスだけが世界から孤立しているような状態です。今回紹介したWHOのこの発表でその孤立がますます加速することになりそうです。
参考:
はやりの病気第194回(2019年10月)「電子タバコの混乱その2~イギリスが孤立?~」
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|2020年1月31日 金曜日
2020年1月31日 新型コロナ、WHOがついに「緊急事態宣言」
連日メディアで取り上げられている新型コロナウイルスに対し、2020年1月30日、WHO(世界保健機関)は「国際的な公衆衛生上の緊急事態」を宣言しました。1週間前の23日には見送られていましたから、この1週間でWHOが「見解を変えた」ということになります。
1月30日のWHOの発表では、中国全域で7,711人が感染確定、12,167人が疑い例として経過が観察されています。感染確定例のうち1,370人が重症、死亡者は170人に上ります。他国では、18か国で合計82人が確定しており、このうち中国への渡航歴がないのが7人です。
尚、確定感染者と死亡者の最新の数字を調べるにはWorldmeterのサイトがいいと思います。信頼できる情報源からの最新の情報を収集し日々更新されています。
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WHOが緊急事態宣言を見送った2020年1月23日、私は毎日新聞主催のミニ講座を開いていました。編集長から「新型コロナについても何か話すように」と言われていたのですが、この時点でははっきりしたことが分かっておらず、一般のメディアで報道されている内容以上の情報はありませんでした。そこでスライドは1枚だけにし、今後の情報に注意するべきだということを述べるにとどめました。
新型コロナウイルスで私が最も懸念しているのは「不当な差別」です。すでに、中国から緊急帰国した日本人を非難する声もあるとか。特に心配なのは子供たちです。文部科学省の通達では、帰国後2週間が経過すれば登校可とされています。風邪が流行っているこの季節、登校したとたんに風邪をひいて咳をしたときに差別的な扱いを受けないでしょうか。
大阪府では吉村知事が、感染者の行動をすべて公開するという方針だそうです。おそらく今後しばらくは感染者が増えるでしょう。感染力の強さと重症の度合いに関係はありませんが、中国では医療者も相次いで院内感染を起こしていることから、”それなりに”気を付けていたとしても感染を完全に防ぐことは困難だからです。すると、大阪府はすべての感染者のすべての行動を公表するのでしょうか。
そうなればおそらく相当の混乱をもたらすでしょう。すでに根拠のないデマも出回っているかもしれません。太融寺町谷口医院にも「マスクはN95でなければ防げないのですか?」という問い合わせが複数届いています。しかし、N95は過去のコラム(はやりの病気第114回(2013年2月)「花粉と黄砂とPM2.5」)で述べたように一般の方には現実的なものではありません。
では何に気を付けてどのように行動すればよいのか。そして、感染したかもしれないときはどうすればいいのか。こんなときこそかかりつけ医に頼るべきです。当院をかかりつけ医にしている人は疑問があればどうぞメールにて(緊急性がある場合は電話対応もします)お問い合わせください。
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|2020年1月20日 月曜日
第197回(2020年1月) いろいろな「かぶれ」の総復習
前回は、すっかり”当然”のようになってしまっている”遅延型食物アレルギー”に高額をつぎこむこようなことを避けてほしい思いから、食物アレルギーの複雑な点について解説しました。今回はその続編として「かぶれ」について事例を取り上げながら紹介していきます。
かぶれの正式病名は「接触皮膚炎」で、文字通り皮膚と何らかの物質が”接触”することによっておこります。正確には接触皮膚炎には「アレルギー性接触皮膚炎」と「刺激性接触皮膚炎」に分けることができて、今回取り上げるのは「アレルギー性接触皮膚炎」の方です。「刺激性接触皮膚炎」というのは、改めて解説するような複雑なものではなく、刺激物に触れれば数分後にかゆくなる皮膚炎のことで”常識的な”ものです。石油に手をつっこんでしばらくすれば痒くなるのが典型例です。
一方、アレルギー性接触皮膚炎はとてもややこしいものです。理解するのにはまず「基本」を押さえて、その後具体的な例を考えて、それから「例外的な」タイプを考えていきましょう。
まずは基本からです。アレルギー性接触皮膚炎(以下、単に「接触皮膚炎」とします)とは「何か」に触れて「しばらくしてから」触れた部位に「湿疹」が起こります。基本的には「湿疹」であり、「じんましん」ではありません。「湿疹」と「じんましん」の違いを簡潔に説明するのは意外に困難なのですが、一番大切なポイントは「じんましんは出たり消えたりする」ということです。一方湿疹は一度出るとなかなか消えません。そして接触皮膚炎は通常じんましんではなく湿疹が起こります。まず、ここが一つ目の重要なポイントです(注1)。
次に重要なのが「しばらくしてから」症状が出現する点です。その物質に触れてから2~3日してから湿疹が生じるのが典型ですが、何度も繰り返していると出現までの時間が短くなってきます。また、一部の物質では触れてからかなり時間が経過してから症状が出ることもあります。例えば「金」の場合、1か月近く経過して(いったん触れてから「触れない状態」が1ヶ月近く経過して)初めて症状が出ることもあります。一方、食物アレルギーでは、前回述べた遅発型食物アレルギーを除き(繰り返しますが”遅延型食物アレルギーではありません)、食直後に出現します。
例を挙げましょう。食物アレルギーとしてのマンゴーアレルギーがある場合、食べた直後に口腔内の違和感が出現し、重症化する場合は息苦しさや全身のじんましんが生じます。一方、接触皮膚炎としてのマンゴーアレルギーの場合は2~3日してから症状が出ます。典型例は、マンゴーを行儀悪くかぶりついて食べたその2~3日後に口の周りがかゆくなる、というケースです。つまり「マンゴーアレルギー」には2種類あるのです。検査方法も異なり、食物アレルギーとしてのマンゴーアレルギーは血中IgE抗体を測定し(ただし、検査をすると陰性と出ることもあります。検査はあくまでも参考です)、接触皮膚炎の場合はパッチテストをおこないます(ただしマンゴーのパッチテストは一般的ではありません)。
ここで接触皮膚炎をおこしやすい典型的な物質を挙げていきましょう。ジャンルにわけて簡単にまとめてみます。
〇植物:ウルシ(マンゴーもウルシの仲間です)、ブタクサ・キク(これらは花粉症の原因にもなります。花粉症と接触皮膚炎はマンゴーと同じようにアレルギーの機序が異なります)、サクラソウ(春になると毎年初診の患者さんがやってきます)、イチョウ(銀杏でも起こります)など。
〇金属:三大アレルゲンがニッケル、コバルト、クロム。金や銀でも起こります。太融寺町谷口医院の患者さんで言えば、ピアス、ネックレス、美顔器、ビューラー、(ジーンズなどの)ボタンなどが多いといえます。
〇毛染め:頻度では他を引き離して最多です(参考:はやりの病気第147回(2015年11月)「毛染めトラブルの4つの誤解~アレルギー性接触皮膚炎~」)。
〇生活用品:比較的多いのが眼鏡、手袋(有名なラテックスアレルギーは狭義の接触皮膚炎とは異なります。ラテックス以外の成分による接触皮膚炎はよくあります(参照:はやりの病気第149回(2016年1月)「増加する手湿疹、ラテックスアレルギーは減少?」)、シャンプーや冷感タオル(イソチアゾリノン)、スニーカー(繊維を付着させる糊が原因になることもある)、家具や建築物(ホルムアルデヒドが最多の原因)など。
〇外用薬(製品名は「」をつけています)
・鎮痛剤:「スタデルム」・「アンダーム」(これらが使われなくなってきているのはあまりにも接触皮膚炎を起こしやすいから)、「ボルタレンゲル」、「インテバン」
・湿布:ケトプロフェン(「モーラステープ」)
・抗菌薬:フラジオマイシン(かなり多い。これが含まれる「リンデロンA」も多い)、クロラムフェニコール(膣錠での発症が多い)
・抗真菌薬:「ラミシール」「メンタクッス」「ペキロン」「ニゾラール」など
・麻酔薬:「キシロカイン」(歯科医院受診数時間~数日後に起こる)
・その他:「レスタミン」「オイラックス」など
接触皮膚炎の特殊型についてみていきましょう。
〇光アレルギー性接触皮膚炎
アレルギーを起こす物質+紫外線で発症します。最多が湿布で、湿布単独でも接触皮膚炎は起こりますが(上記参照)、湿布を貼った部位に光があたって発症するタイプもあります。また、日焼け止めでも起こすことがあります。これは日焼け止めに含まれる紫外線吸収剤(主にメトキシケイヒ酸エチルヘキシル)が原因です。紫外線吸収剤は環境保護の観点から避けられつつあります。かぶれの視点からも紫外線散乱剤だけのものを選ぶ方がいいでしょう(参考:医療ニュース2018年7月30日「ハワイの日焼け止め禁止の続報~多くの日本製も禁止に~」)
〇空気伝播性接触皮膚炎
直接触れているわけではないのに近づくと微粒子が皮膚に接触して起こるタイプの接触皮膚炎です。比較的多いのが香水です。自身が香水をつけていなくても香水の匂いを放っている人に近づけば症状が出る人もいます。次に多いのが線香です。これは(後述する)パッチテストで調べることができます。花粉症としての接触皮膚炎も空気伝播性接触皮膚炎に含めることがあります。
〇全身性接触皮膚炎症候群
これは2つに分けて考えます。ひとつは通常の接触皮膚炎が全身に広がるタイプで、毛染め(パラフェニレンジアミン)が代表です。かぶれるのにもかかわらず、症状を我慢しながら使用し続けると全身に広がり、重症化すれば入院を余儀なくされることもあります。
もうひとつは食べ物によるもので、私見を述べればこれが(広義の)接触皮膚炎で一番ややこしいものです。例えば、チョコレートを食べれば全身が痒くなる場合、チョコレートによる全身性接触皮膚炎症候群の可能性があります。なぜチョコレートでアレルギー反応が生じるかというと、カカオに含まれる金属が原因です(参照:食物に含まれる金属性アレルゲン)。チョコレートには先述した三大金属のニッケル、クロム、コバルトがすべて含まれていますし、他にマンガン、亜鉛、銅なども含有されています。ややこしいのは、チョコレートにアレルギーがあったとしても(狭義の)金属アレルギーのエピソードがないことも多く、またパッチテストをしても陽性反応にならないこともあるということです。尚、しつこいようですがこれは”遅延型食物アレルギー”ではありません。
今、述べているのは「全身性接触皮膚炎症候群」ですが、局所的に生じる皮膚疾患もあります。例えば掌蹠膿疱症がそうです。この疾患は掌または足底(あるいは双方)に湿疹が生じる、ときに難治性の疾患です。重症例は全身に症状が及び高額な治療薬を用いることもあります。掌蹠嚢胞症の原因として、日本では「歯科金属が原因」と言われることがありますが(ただし実際にはそれほど多くない)、私見を述べればチョコレートが(原因とまでは言えなくても)悪化因子になっているケースは非常に多いと思います。また、掌蹠嚢胞症は禁煙するとピタッと治ることがあり、この原因はタバコに含まれるニッケルではないかと以前から個人的には思っています。尚、いまだに掌蹠膿疱症は稀な病気だと”勘違い”している人がいますが、昔からよくある疾患です(参照:はやりの病気第17回(2005年9月)「掌蹠膿疱症とビオチン療法」)。
全身性であろうが、局所的なものであろうが、治りにくい湿疹や再発を繰り返す湿疹があって、アトピー性皮膚炎や尋常性乾癬などとは異なる場合は接触皮膚炎に関連したものである可能性を疑ってみるべきだと(私見ですが)考えています。また、アトピーや乾癬にこういった湿疹が合併していることもしばしばあります。
接触皮膚炎の検査は「パッチテスト」であり、血液検査では分かりません。また、食物アレルギーや花粉症の検査に有用なプリックテスト、スクラッチテスト、皮内テストなどでも調べることはできません。そして、パッチテストには最低でも3日かかりますからあらかじめそのつもりで望まなければなりません(参照:「Q4 パッチテストをしてほしいのですが・・・」)。以前にも指摘したように、化粧品が使えるかどうかを検討するときに試しに手背などに塗ってみて15分間で症状がでなければ問題ないと考えている人がいますがこれは間違いです。貼りっぱなしの期間が2日、判定には最低でも3日、場合によっては1週間くらいたってから判定すべきこともあります。
最後にもう一度繰り返しますが、食べ物が原因の接触皮膚炎および全身性接触皮膚炎症候群は”遅延型食物アレルギー”ではありません。
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注1:ただし蕁麻疹が起こる接触皮膚炎も皆無ではありません。稀ではありますが一部の物質で起こり得ます。ただし、この情報を本文に入れると非常に読みにくくなると考え、このように注釈で補足することにしました。最近増えている蕁麻疹型の接触皮膚炎はDEETと呼ばれる虫よけによるものです。蕁麻疹型接触皮膚炎は通常の(湿疹型の)接触皮膚炎に比べて早く症状が出現します。
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|2020年1月11日 土曜日
2020年1月 幸せを求めるから不幸になる
前回のマンスリーレポートでは、「承認欲求が強すぎる人はしんどくなってしまう」という話をしました。「他人の評価などどうでもいいではないか」が言い過ぎだとしても、「すべての人に好かれる必要はない」というのが私の考えです。そういうふうに考えられず、他人からいつも褒められることを求めてしまう完璧主義に陥ると承認欲求の束縛から逃れられなくなってしまうのです。
今回はこの話の続きです。承認欲求を語るときに合わせて考えたいことがあと2つあります。ひとつは「上から目線」、もうひとつが「幸福至上主義」です。
「上から目線」という言葉が人口に膾炙しだしたのは2000年代に入ってからだと思います。それまではあまり聞かない言葉でした。もうすっかり定着してしまって流行語という感じもしません。誰もが簡単に使っている言葉、そして私に言わせれば「簡単に使われすぎている言葉」です。
例えばあなたがどこかの会社の新入社員だとしましょう。研修を受けているときに同期の者から偉そうな口の利き方をされればイヤな気持ちになるに違いありません。同期なのにまるで上司のような話し方をされれば腹が立つのはまともな感性であり、これを「上から目線」と呼ぶことには問題ないでしょう。
では、あなたが新入社員だったとして実の上司から偉そうな口の利き方をされたとすればどうでしょう。もちろんその内容にもよりますが、知識も経験も新入社員よりはるかに豊富な上司のコメントが「上から」であるのは当然です。しかし、上司からの忠告にも「上から目線」という言葉を使う人が最近増えているような気がします。患者さんからこのような言葉を聞く機会が少なくないからです。さらに驚くのはその逆の立場、つまり上司からの「悩み」です。
「上から目線」と同様「パワハラ」という言葉もすっかり定着しています。そして、最近はいわば「パワハラ恐怖症」に陥っている管理職の人が増えています。例えば40代のある大企業の管理職の男性は、きちんと丁寧な言葉を選んでいるつもりなのに、「それ、上から目線ですよ」と部下から言われて困った、と話していました。上司は上の立場なのだから上から目線が当たり前であり、部下に過剰な気を使うのはかえって部下にも失礼のように私には思えますが、どうも世間の風潮はそうではないようです。
もっと驚かされたのが高校で教師をしているある50代男性のコメントです。なんと「上から目線と生徒から言われるのが怖い」と言うのです。50代の教師が10代の生徒に上からの目線になるのは当然です。私が高校生のときは尊敬できるような先生はほとんどおらず、そんな教師たちから何を言われても従わず反抗的な態度をとるか無視するかでしたが「上から目線が許せない」と思ったことは一度もありません。
医師からも似たような話を聞いたことがあります。病院で働くある40代の男性医師が看護師から「さっきの患者、先生から上から目線で話された、と言ってましたよ」との報告を受けたというのです。医師が偉そうにしていいわけではありませんが、医師・患者関係というのは知識と経験の量が絶対的に違うわけで、ときに患者の誤った考えを修正せねばなりません。また、もしもこのクレームを言ってきた患者がこの医師よりもずっと年上だとすれば分からなくはありませんが、この患者は20代というではないですか。もちろん医師の言い方にもよりますし、いろんな患者がいるという前提で診療をしなければならないのは事実ですが、こういう患者とは良好な関係を築くのは簡単ではありません。この40代の医師はコミュニケーション能力が高く、多くの患者さんから慕われているのです。
ところで「ムカつく」という言葉が登場したのはいつ頃でしょうか。私が大学生の頃にはすでに日常会話で使われるようになっていましたが、小学生の頃にはありませんでした。私自身は今もこの表現に少し抵抗があり、使わないことはないのですが使う度に違和感を覚えます。
なぜ私が「ムカつく」という言葉に違和感があるのかというと、「そんな感情は人前で口にすべきじゃない」という意識があるからです。ごく親しい人に言うのならまだ分かるのですが、そもそも「生きる」ことは苦しいことや辛いことの連続なわけで、言いたいことをそのまま口にしてもいいのなら四六時中「ムカつく」と言っていなければならないことになります。辛いことに比べると、楽しいことや幸せなことは圧倒的に少ないものだ、というのが私の考えです。
「ムカつく」などという言葉を気軽に、そして何度も繰り返す人たちに対して、「あなたはずっと幸せな気持ちでいなければならないと思っているの?」と尋ねたくなるのです。
ここで、冒頭で述べたことに戻ります。つまり、承認欲求に捉われ他人からの否定的な言葉に過敏になっている人、上から目線で接する他者に対し不快感が抑えられない人、気に入らないことがあるとすぐに「ムカつく」と言いいつも幸せを求めている人には「共通点」があります。それは「否定的な感情を受け入れることができず常にいい気分でいることを当然と考えている」ということです。
こういうタイプの人たちからみると、私のような生き方、つまり「人生は辛いことの方が圧倒的に多く小さな幸せがときどきあれば充分」と考えるような人生は随分とつまらないものに思えるでしょう。けれども、果たして本当にそうでしょうか。本当に辛いことはどこかに追いやらねばならないのでしょうか。
ここで興味深い心理学の研究を紹介しましょう。専門誌「Emotion」2016年版に「悪い気分はそんなに悪くない。否定的な感情と週末の健康との関係(When bad moods may not be so bad: Valuing negative affect is associated with weakened affect-health links.)」という論文が掲載されています。14~88歳の365人が支給されたスマートフォンで毎日6つの質問に答え、回答と生活の満足度との関係が解析されています。その結果、「否定的な感情が有用(useful)である」と答えた人は、否定的な感情を自覚したときに精神的にも身体的にも悪い状態になりにくかったのです。
この研究結果は当然と言えば当然です。初めから辛いことがあることを前提として生きていれば予期せぬ不幸に見舞われたときにも心が動じないからです。
ところで私がこのような心理学の論文の存在を知ったのはこの専門誌を定期購読しているからではなく、英国発症の人文社会科学系ポータルサイト「aeon」(日本の流通業のイオンとは無関係です)に掲載されたコラム「悲しみを心配しないで。辛い期間には利点がある(Don’t worry about feeling sad: on the benefits of a blue period)」を読んだことがきっかけです。
このコラムの最後のパラグラフがうまくまとまっているので少し抜粋してみます。
「悲しみの期間は長期的には我々に利点をもたらす。逆境の経験は回復力につながる。悲しみを避け、無限の幸福(endless happiness)を追い求めれば幸せは得られず、そんなことをしていると真の幸福の恩恵を享受できない」
他人から承認されなかったとき、上から目線で物を言われたとき、ムカつく体験をしたとき、幸せでないと感じたとき、「それも人生の通過点のひとつなんだ」と思うことができるようになれば「真の幸せ」に近づく。それが私の考えです。
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参考:マンスリーレポート
2017年4月「なぜ「幸せ」はこんなにも分かりにくいのか」
2013年9月「幸せの方程式」
2019年12月「「承認欲求」から逃れる方法」
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