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2013年6月17日 月曜日
4 forget-me-not 2004/6/9
2004年4月、それまで1年間研修医として勤務していた星ヶ丘厚生年金病院(以下、星ヶ丘)を退職しました。この一年間で数え切れないほどのことを学んだように思います。これまでの人生を振り返って、これほどたくさんのことを学んだ一年間はなかったように感じます。
あらためてこの一年間を思い返してみると、本当に数々のドラマがありましたし、医師としての知識や技術も大幅に向上したように思います。私は何とめぐまれていたのか、こう感じてやみません。
知識の習得という観点だけで考えてみると、医学部受験を目指した一年間や、医師国家試験の勉強に従事した一年間の方が得たものが大きかったかもしれません。また、ドラマという点からみれば、私が18歳から20歳まで経験した旅行会社でのアルバイトの方が大きかったかもしれません。
けれども、生と死の狭間にいる患者さんやその家族、不治の病におかされた患者さんらと接したことで得られたものは計り知れません。また星ヶ丘の先生方や看護師さん、その他のスタッフの方々からも多くのことを学ばせていただきました。本当にいくら感謝してもしきれないように思います。
私は医師としての最初の一年間は大学で研修を受けました。大学病院には、大学病院でしかみることのできない疾患を経験することができますし、多くのスタッフの方に丁寧に指導していただいたのも事実です。しかしながら、結果として言えば、医師二年目の一年間、すなわち星ヶ丘で過ごした一年間の方がずっと心に残るものが多かったといえるように感じます。
大学病院を去るときは、それほど感慨深いものはなかったのですが、星ヶ丘を去るときには感謝の気持ちと同時に、さみしさで胸がいっぱいになりました。いま、星ヶ丘を去って一ヶ月がたちましたが、毎日のように星ヶ丘での出来事を思い出します。指導していただいた先生方、一緒に喜びや虚しさを語り合った研修医の先生たち、いつも患者さんの立場にたって優しく患者さんと接しておられた看護師さんたちやその他のスタッフの方々、そして、本当は私がしっかりしないといけないのに、逆に私に生命の尊さを教えてくれたり励ましてくれたりした患者さんたち・・・、このような人たちとめぐりあえた私は何と幸せなのでしょうか・・・。
今私が思うのは、いつかこの星ヶ丘に何らかのかたちで恩返しがしたいということと、私のような研修医が、一年間というわずかな期間だけだけれど、多くのことを学ばせてもらったということをスタッフの方々がときどき思い出してくれたらな・・・、ということです。
そんな思いを込めて、私は星ヶ丘を去る前日に、体育館の横の草木が茂っている場所に、12株の忘れな草を植えました。12という数は、私を含めた研修医の数です。忘れな草は多年草となることもありますが、多くは一年で枯れてしまいます。けれどもこの生命力の極めて強い草は、きっと一年後にも芽が出るものと思います。
この前久しぶりに病院を訪ねて、こっそりとその忘れな草を見てきました。花は枯れているものもありましたが、まだ葉は堂々と元気な様子を見せてくれました。
現在私は、大学の医局を離れ、大好きだった星ヶ丘も退職し、昼間は大阪市内のクリニックで無給で修行を重ね、夜は当直のアルバイトで当面の生活をしのいでいます。収入も減り、医師免許は持っているとはいえ、いわばフリーターの生活です。この夏にはタイ国に医療ボランティアに行きます。こんな生き方、自分の好きで選択したこととはいえ、ときには不安になることもありますし、同級生のように安定した医師の生活がふとうらやましくなることもあります。
けれども、私が自分で植えた忘れな草を見て感じました。この草のように、力強く生きていこう。夏の暑さに負けていったん枯れてしまったとしても、翌年にはまた芽を出す。そんな生き方がしたいな・・・と。
そしてこのようにも思います。もし私がくじけてしまったら、一年間お世話になった星ヶ丘の患者さんやスタッフの方々に合わせる顔がない。あの忘れな草が芽を出し続ける限り、私も頑張らなければ・・・と。
私の本の読者の多くは医学部を目指している方々だと思います。学力や年齢、その他の環境のために、周囲から医学部受験を反対されている方も少なくありません。そんな方々に今ひとつアドバイスをさせていただくとするならば、街に出て自然を見つけてほしいと思います。周囲の環境に負けず、堂々と生命力を披露している草木を見て感じて、自分を鼓舞してほしいのです。きっとからだの奥底から生命力があふれてくるはずです。
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|2013年6月17日 月曜日
3 差別される病気 2004/3/19
病気になると様々な苦悩が伴うことが多いと言えますが、医療従事者から軽視されがちと私が感じることのひとつに「差別」という苦悩があります。病気の苦悩と言えば、痛み、呼吸苦、不快感、痒み、あるいは不安、抑うつなどもそうでしょうが、なかなか「差別」という苦悩については、大きく取り上げられることは少ないように感じます。
この理由として、まず我々医師や看護師などの医療従事者が「差別」に対する教育を受けていないということがあげられます。痛みや痒みに対しては、薬剤もありますし、患者さんの訴えがあればすぐに対処しようとします。ところが、「差別」に対しては、患者さんの訴えを聞くことがあっても、現場の医療従事者はほとんど無力です。
次に、患者さんが「差別」に対しては、なかなかその苦悩を訴えないということがあります。いくら差別に悩んでいたとしても、医師や看護師との間に、ある程度の信頼関係ができるまで言い出し辛いのです。やっとの思いでその苦悩を口にしたとしても、なかなかきちんと聞いてくれなかったり、初めから相手にされなかったりということも珍しくないようです。
では、医者は患者の「差別」について取り組まなくてもいいのでしょうか。そんなはずは絶対にありません。そもそも医療というのは、身体面だけをみているだけでは不十分なはずです。健康というのは、身体だけでなく、精神的、社会的にも健康でなければならないはずです。
病気であるがゆえに「差別」を受けているとすれば、これは健康からはほど遠い状態にあるわけです。たしかに、上にあげた理由もあり、患者の「差別」という苦悩に対する対処はむつかしいのですが、医師である以上は、病気に伴うすべての苦悩について取り組まなくてはならない、私はそう考えます。
では、どんな病気が「差別」されるのでしょうか。まずひとつは、結核やハンセン病などの感染症があげられます。結核患者は現在でも隔離されることが多いですし、ハンセン病などは、見た目で分かることもあり、歴史的に差別されてきた事実があります。昨年、九州のある旅館で、ハンセン病の患者の宿泊を拒否したという事件もこのことを物語っています。
身体障害者も差別されることが少なくありません。小学校のとき、小児麻痺の生徒がいじめられたり、ばかにされたりといったいわれのない差別を受けていたことを思い出します。大人でも、例えば、一生車椅子を強いられた人は、健常人からは分からないようなところで様々な差別を受けているという現実があります。
別のところでも書きましたが、皮膚疾患もそうです。見た目ですぐに病気とわかる疾患は何かと差別の対象になるものです。実は私が医師になりたいと思った動機のひとつに、「差別に取り組みたい」というのがあります。私は、皮膚疾患もそうですが、もうひとつ、差別に取り組みたい疾患が、「性感染症」です。
AIDS患者が差別されている現状は明らかでしょう。私は今年の夏に、タイ国にあるパバナプ寺というAIDS患者がおよそ400人ほど収容されている施設にボランティアに行く予定ですが、日本よりも断然患者数の多いタイ国でさえ、AIDS患者は差別されています。家族からも見放されることさえ少なくありません。
私は一昨年もその施設に行ったのですが、ボランティアをしている医師からこのようなことを聞きました。レントゲン撮影のできないその施設で、どうしても胸部レントゲンを撮る必要のある患者がいて、その医師は近くの病院にその患者を送ったそうです。ところが送り先の病院では、その患者がAIDSであるという理由で撮影を拒否したというのです。そしてこのようなことは日常茶飯事だというのです。
差別される性感染症は何もAIDSだけではありません。すべての性感染症が差別の対象となっているといってもいいでしょう。クラミジアでもヘルペスでも感染すると、患者さんはなかなか人にはそのことを告げられません。勇気をだして病院に行ったとしても、なかなか堂々と症状を訴えることはできません。
そして、性感染症は、身体障害や通常の皮膚疾患など、他の社会的に差別を受けている疾患と大きく異なる点があります。それは医療従事者からも差別的な発言をされることがあるということです。誰にも言えない病気にかかり、やっとの思いで病院に行っているのに、その病院で医者や看護師から差別的な発言をされることも少なくないのです。「不潔なことをするからそんなことになるんだ」とか「君みたいな女がいるから世の中の性病はなくならないんだ」とか、そんなことを言われることもあるのです。
私が実際にある女性から聞いた話を紹介しましょう。その女性は、私の知人の知人で、あるとき数人で食事をしていたときに、たまたま席が横になったので話すことになりました。当時私は医学部の学生で、まだ臨床医学をほとんど知らない頃でした。話の流れで自分は医学部生だという話題になったときに、彼女は私にだけ聞こえるように身の上話を始めました。
彼女は数年前に、ある風俗店で働いていたというのです。風俗店で働くということは、言うまでもなく、様々な性感染のリスクがあります。特に症状が出たわけでもないのですが、性感染が心配になった彼女は、いくつかのクリニックを受診したそうです。
彼女は、医師や看護婦には、「なぜ受診したか」ということを正直に話しました。彼女は、現在の仕事のことも話しました。社会的には何かと差別の対象になる仕事ですが、医療従事者ならそのまま受け止めてくれて相談にのってくれると考えたのです。
ところが、彼女がかかったクリニックの医療従事者は全員、冷淡な態度をとったというのです。
「そんな仕事をしているのが悪いのです。」「すぐに仕事をやめなさい。」
どこへ行ってもそのように言われて、なぜ仕事を続けなければならないかという点については、誰も聞いてくれなかったというのです。彼女にとって、性感染のことを真剣に相談できるのは医療機関をおいて他にはなかったのです。本当は彼女だって仕事のことは誰にも言いたくなかったのです。
それに、彼女は好き好んでそのような仕事をしているわけではないのです。彼女の場合、両親の残した巨額の借金を返済するために、仕方なく働いていたそうです。もちろんこれは本当のことかどうかは分かりませんが、少なくとも私が聞いた印象では、高収入が得られるからとか、嫌いな仕事じゃないから、とかそんな理由で働いていたとは思えませんでした。
性感染症、これほどまで差別の対象となる病気は他にないのではないでしょうか。誰にも言えずにひとりで悩まなくてはならず、さらに医療機関でさえも差別的な発言を受けるのです。
彼女は、なぜ言う必要のない過去の嫌な思いを私に話したのでしょうか。現在は借金を返済し終えており、忘れたいことをわざわざ話す必要などなかったはずです。
私はこのように考えました。「私も数年先には医師になる以上、性感染症の患者をみることがあるかもしれない。私には他の患者と同様、差別することなく診てほしい。」、彼女はそれを伝えたかったのではないかと思うのです。
私は、そのとき、彼女の連絡先どころか名前も聞きませんでした。今ではどこにいるのかも分かりません。これから会うこともないでしょう。
けれども、私はこのことを語っているときの彼女の目を忘れることができません。そしてこのエピソードが、私が性感染症に取り組みたいと思った最大の理由なのです。
ちなみに性感染症を扱っている科というのは、まず性病科が筆頭にきますが、「性病科」の看板をあげているクリニックはほとんどありません。実際は、皮膚科、泌尿器科、婦人科などが、部分的にみているというのが現状です。
「部分的に」というのは、例えば、婦人科では男性はみませんし、皮膚科ではヘルペスやクラミジア、梅毒といった皮膚に症状の出る疾患は得意としますが、クラミジアや淋病といった疾患については通常みることはありません。これとは逆に、泌尿器科では、クラミジアや淋病以外の疾患はあまり得意としていません。
ところが、患者さんの立場にたったときに、これは相当不便です。というのは、まずひとつめに性感染というのは、重複感染していることが多いという問題があります。例えば、クラミジアとヘルペスに同時に感染したなどという場合、クラミジアは泌尿器科で、ヘルペスは皮膚科でというふうに、複数の医療機関を受診しなければならないのです。
もうひとつ、性感染は、パートナーを同時に治療しなければ意味がありません。勇気を出して、ふたりで婦人科に行っても、男性はみてくれないのです。
私は、あらゆる性感染症をパートナーも含めてトータルで治療していく必要があると考えています。
このような経緯があって、私は性感染症をトータルにみることのできる皮膚科医をめざそうと考えたわけです。
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|2013年6月17日 月曜日
2 人間見た目が大事 2004/2/19
私が皮膚科に入局して(現在は退局してます)、よく聞かれることのひとつに、「どうして皮膚科をやろうと思ったのですか。」という質問があります。『偏差値40からの医学部再受験』にその理由を詳しく書いていますが、質問する人たち全員に、「本を読んでください」、などと言うわけにもいかないので、このように言うようにしています。
「人間見た目が大事だから。」
これは誤解を招きやすい言葉かもしれませんが、私が皮膚科に決めた最大の理由を短い言葉で説明するとこのようになります。
「いや、人間は見た目ではなく中身が大切だ。」このような反論もあるでしょう。しかし、そんな意見は、その人の見た目がそこそこだからこそ言えるのです。
例えば、あなたの顔面に直径10cmを超える大きな良性腫瘍があったとしましょう。「そんなことあるわけないから想像もできない。」とあなたは言うかもしれませんね。けれども、そのような皮膚疾患で悩んでいる人は、それほど少なくはありません。なぜあなたがそのような人を見たことがないかと言うと、そういう病気を持った人というのは、通常外出をしないからなのです。そしてこの人の腫瘍は良性腫瘍のために、生命が短くなるということもあまりないのです。
皮膚科の患者さんの、最も頻度の高い疾患のひとつにアトピー性皮膚炎があります。きっとあなたの身近にもひとりやふたり、アトピーで悩んでいる人がいるでしょう。たいがいは、肌に優しい化粧品を使ったり、症状が出やすい首を露出しないような服を着たりして、対処しているものと思います。
ところが、このアトピー性皮膚炎にしても、重症例になると、見た目がボロボロで、化粧などまったくできなくなります。カサカサして粉がふいたような顔になったり、真っ赤になって顔が腫れたりします。アトピーでも重症になると、例えば無垢な子供が見れば泣き出してしまうような醜貌になってしまうのです。
にきびにしてもそうです。重症例になると、肌がでこぼこになって、ちょっとやそっとの化粧では隠すことができません。化粧をしない男性ではさらにその醜い肌が露出されることになります。
もうひとつ例をあげましょう。男性でも、そして最近では女性も、若くして脱毛症に悩む人が増えています。50代、60代になってからならまだしも、20代で脱毛が始まれば、その人の人生は大きく変わってしまうこともあります。最近は手術にしても内服薬にしてもかなりいい治療法ができてきていますが、それでもまだまだ悩む人は後を絶ちません。
皮膚疾患というのは、社会的に非常につらい疾患です。例えば、皮膚疾患に悩むために、就職活動を断念した、とか、皮膚症状が目立つようになってきたために、友人の披露宴や同窓会にも出席できないという人がいるのです。
これを一般の内科・外科疾患と比べてみましょう。心臓が悪くても、肝臓が悪くても、かなり症状が進行しない限り、他人からは病気であることすら分からないことが多いと言えます。さらに重症化し、誰の目からも病気であることが明らかになったときは、他人がかなり心配してくれるのではないでしょうか。例えば、職場の人が肝炎や腎炎で入院すれば、同僚がお見舞いにいくのはよくあることです。
ところが、皮膚疾患が重症化すれば、まず患者さん自身が他人と会うことを嫌がります。皮膚の悪性腫瘍の場合など、ほとんどの人が目をそむけるような醜貌に加え、強烈な悪臭がその患者さんの周縁に充満するのです。
つまるところ、端的に言えば、軽症のうちは、死ぬ病気じゃないからということもあり、誰も気に留めず、重症化すれば見舞うことすら困難になるのが、皮膚疾患と言えるのです。
また、もっとも差別を受けやすいのが皮膚疾患であるとも言えると思います。
昨年、ハンセン病の患者の宿泊を拒否したという旅館がマスコミで取り上げられましたが、これとて、ハンセン病という皮膚症状が前面に出る疾患だからこそです。たしかにB型肝炎やC型肝炎の患者さんも、(針刺しや性行為で)他人に感染させる可能性があることから、差別を受けることもありますが、通常の社会生活では、他人に知られることはまずありません。
これに対し、ハンセン病など、皮膚症状が露骨になる疾患では、他人から隠すことができません。そのため、宿泊拒否などいわれのない差別を受けることになるのです。
AIDSにしてもそうです。AIDS患者はそれ自体で差別を受けているという現実がありますが、症状が出るまでの間は、少なくとも街を歩いていて差別を受けることはないでしょう。ところが症状が出現すると、AIDSの症状というのは、カポジ肉腫であったり、皮膚の悪性腫瘍であったりと、皮膚症状から差別を受けることが多いのです。
私が、一昨年に出向き、また今年の夏にも行く予定のタイ国にあるパバナブ寺という寺では約400人のAIDS患者さんが収容されていますが、患者さんの何割かは、皮膚症状が出現して、家族や知人から受け入れられなくなり、社会的に差別を被っている人たちです。
どのような病気をどのように捉えるかは、人それぞれで、医師によってもまちまちですが、私は皮膚疾患がもっともつらい病気だと感じています。これが私の皮膚科志望の最大の理由です。
「人間見た目が大事」なのです。
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|2013年6月17日 月曜日
第117回(2013年5月) 便秘を治す(後編)
前回は便を柔らかくするタイプの便秘薬について述べました。今回は、腸管を刺激するタイプの薬についてまずは説明していきます。
一般的に薬局で購入されることが多い腸管刺激薬として「ビサコジル」というものがあります。商品名でいえば、「コーラック」が一番有名でしょうか。(ただし、後述するように「コーラックソフト」は他の成分でできています。その他別の種類のコーラックもあります) 他には、ビューラック、スルーラックなども主成分はこのビサコジルです。
私の印象でいえば、ビサコジルは使い始めたときはいいのですが、そのうち次第に効かなくなっていくことがしばしばあります。すると、もちろん添付文書では許可されていませんが、自分の判断でどんどん量を増やしていく人がいます。ひどい人になってくると、1日に30錠以上飲んでいる、ということもあります。
効かないだけならまだいいのですが、一部の腸管にのみ効くことがあります。すると、その先で通過障害が起こり、それでもその手前の腸は動かされますから、これが腹痛を起こすのです。腸管を刺激するタイプの便秘薬で最も注意すべきなのはこの腹痛であり、これが最も起こりやすい腸管刺激薬がビサコジルであるという印象が私にはあります。尚、医薬品としてもビサコジルは座薬のタイプならありますが、あまり広く使われていません。
薬局で購入できる腸管刺激剤では「センナ」も有名です。センナ茶なるものも出回っているようで、私の印象で言えばビサコジルよりはマイルドです。医療機関でも従来からよく処方されています(注1)。前回述べた酸化マグネシウムとセンナの組み合わせは、多くの医師が用いている処方です。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)でも、この組み合わせの処方をしばしばおこないます。
センナというのは南アジアや中東でよく育つマメ科の植物で、そのためなのか、身体にやさしい、というイメージが流布しています。センナとは別の植物の根茎を基原としたものに「大黄(ダイオウ)」があり、こちらは漢方薬のひとつの成分として有名です。薬局で買える漢方系の便秘薬の大半はこの大黄が主成分です。
医療機関で便秘に処方される漢方薬の定番は、大黄甘草湯、大承気湯、麻子仁丸、桃核承気湯、防風通聖散…、などで、これらも大黄が主成分のひとつです。では、これら複数の漢方薬はどのように使い分けるべきか。便秘以外の症状も考慮し、必要に応じて舌や脈、おなかのはりかたなどを東洋医学的な観点から診察し決定します。
例えば、谷口医院を受診される便秘の患者さんは若い女性が多く、便秘だけでなく、のぼせ、頭痛、めまい、不眠、不安などの症状を訴えることがしばしばあります。このような症例に、月経不順や月経困難が伴っていれば「桃核承気湯」が第一選択薬となることが多いといえます。
腸管を刺激する薬剤としてもうひとつ有名なものがあります。それは「ピコスルファートナトリウム水和物」というもので、医療機関で処方される商品名でいえば「ラキソベロン」が一番有名でしょう。(他にもありますし、後発品も多数発売されています) ピコスルファートナトリウム水和物は、他の腸管刺激剤に比べると、副作用の腹痛が起こりにくいという特徴があります(私の印象ですが)。
これまでみてきた他の腸管刺激薬は、効果がないからといって量を増やせば、けっこうな確率で腹痛が生じます。特にビサコジルでは顕著です。一方、ピコスルファートナトリウム水和物の場合は、量を増やすと、効果は期待できて副作用は起こりにくいのです。実際、大腸ファイバー(大腸の内視鏡)の前には、通常の内服量の10倍に相当する量を飲んでもらうことがありますし、便秘がひどい人の場合はさらに増やすこともあります。しかし腹痛は、まったくとは言いませんが、それほど起こらないのです。ですから、どうしても便を出したいときには、思い切って10倍量を飲むというのはひとつの方法です。(自己判断でおこなうのは危険です)
ピコスルファートナトリウム水和物は医療機関でよく処方されますが、現在は薬局でもほぼ同じもの(スイッチOTC)が処方箋なしで購入できます。製品名でいえば、「コーラックソフト」(先に述べたように従来の「コーラック」とはまったく別のものです)、「ピコラックス」、「ソフィットピュア」などが相当します。
さて、ここまで述べてきたのは「便を柔らかくする薬」と「腸管を刺激する薬」です。では、これら「2本立て」で便秘は解決するのか、と問われれば、実はまったくそうではありません。(今回のコラムでは重要なことを後回しにして話をすすめています)
では、これら2系統の薬よりも大切なものとは何か。ですが、その前にこれまで述べてこなかった薬について説明します。そして、実は「2系統の薬」より、こちらの方が重要です。
その薬とは「プロバイオティクス(整腸剤)」です。便秘というのは、急性の一時的な疾患ではありません。長期的な観点から(というよりは生涯にわたり)考えていかなければなりません。そういう視点でみたときに最重要の薬剤がプロバイオティクスなのです。プロバイオティクスは、腸内環境を整えて、腸の機能向上や下痢・便秘などの症状を解消するもの、とされていますが、もっと簡単に言えば「腸内に生息している善玉菌を増やしてくれる薬」です。「薬」とも呼ぶべきでないかもしれません。私は患者さんに説明するときは「良質のヨーグルトを錠剤にしたようなもの」と言うこともあります。
ではプロバイオティクスは一生飲まなければならないのか、という質問がきそうですが、そんなことはありません。替わりになる食べ物を積極的に摂ればいいのです。もしもあなたの便秘が成人になってからのものであり幼少時にはなかったとすれば、子供の頃に食べていて今は食べていないものを考えてみてください。そこに、漬物や味噌汁はないでしょうか。発酵食品がプロバイオティクスの替わりになるのです。和食でいえば、漬物や味噌汁の他に納豆などもあてはまります。洋食でいえば、ヨーグルトやヤクルトなどです。成人してからの便秘であれば、子供の頃のなつかしい食べ物を食事に取り入れてみてはどうでしょう。(ただし和食の摂り過ぎは塩分過多に要注意です)
便秘解消の食べ物としてよく取り上げられるのが「食物繊維」です。食物繊維は確かに重要ですが、実際には「ゴボウを多量に食べて余計におなかがはった」という人もいます。これは「食物繊維のバランス」に問題のある可能性があります。食物繊維には水溶性と不溶性があり、これらをバランスよく取らなければなりません。栄養学的には水溶性と不溶性の比率を重要視するのですが、実際にそこまで考えて食事をとるのは大変です。不足がちになるのは水溶性の方で、水溶性の食物繊維として比較的摂りやすいのがコンニャクと海藻です。ゴボウやサツマイモといった「いかにも食物繊維」にみえるのは不溶性です。
さて、最後に、私が最も主張したい最強の便秘解消法について話したいと思います。(今回は最も言いたい大切なことを最後までとっておいたのです)
それは「運動」です。谷口医院を定期的に受診している人からは「聞き飽きた」と言われるかもしれませんが、運動は「万病の予防法」であり便秘もその例外ではありません。もしもあなたが、成人してから、特に、高校を卒業してから便秘が始まった、というのであれば運動量が減っていないでしょうか。中学高校と部活(運動部)をしていてその後運動習慣がなくなってから便秘が始まったという人は非常に多いのです。それに、本格的に運動をしている人、特にプロのスポーツ選手で便秘に悩んでいる人はほとんどいません。
どんな運動がいいのかといえば、最も重要なのが「継続しておこなえる運動」です。気が向いたときだけプールに行くとか、春と秋の登山を恒例としている、などで便秘が解消されるわけではありません。「継続しておこなえる」を前提として、有酸素運動と腹筋運動を組み合わせるのがおすすめです。有酸素運動でいえば、体力に自信のない高齢者などではウォーキングでもいいと思いますが、可能であれば、ジョギング、ランニング、水泳などを無理のない範囲でされることをすすめます。運動が苦手でウォーキングしかできない、という人も、最後の100メートルか200メートルくらいは、ラストスパートとして息が切れるくらいに飛ばしてみましょう。こうすることにより腸の動きが活発になります。
腹筋もできる範囲でかまいません。一番いいのは古典的な腹筋運動(クランチ)にひねりを加えたものですが、腰痛がある方は、アイソメトリックな筋トレ(腹筋に負荷をかけて身体を固定させる筋トレ。V字腹筋やプランクなど)でもOKです。
ストレッチも効果的ですが、それ以上にすすめたいのが自分でおこなうマッサージです。入浴時に腸管のかたちをイメージしてゆっくりとおなかに圧力をかけてマッサージをおこなうのがいいでしょう。リラックスしておこなうのが最大のコツです。今回はほとんど述べていませんが、おなかを動かすのは副交感神経の働きで、副交感神経はリラックスしたときに活動してくれるからです。
最後に便秘をまとめておきましょう。
1、便秘の大半は「純粋な便秘」だが、なかには他の疾患により便秘が生じていることもある。特に重要なのが、大腸ガン、甲状腺機能低下症、糖尿病、パーキンソン病、などである。
2、過敏性腸症候群により便秘が生じることもある。
3、便秘薬は「便を柔らかくする薬」と「腸管を刺激する薬」にわけて考えると理解しやすい。
4、「便を柔らかくする薬」は酸化マグネシウムが最もよく使われる。新薬の「アミティーザ」は今後期待される薬剤。
5、「腸管を刺激する薬」には、ビサコジル、センナ、大黄、ピコスルファートナトリウム水和物などがある。製品によっては一時的に大量に飲んでもらうこともあるが自己判断での増量は危険。
6、便秘以外に症状のある場合は漢方薬が有効であることも多い。
7、プロバイオティクス( 整腸剤)は有効である。発酵食品を積極的に摂ることも推薦される。
8、食物繊維は内容にも注意を。ゴボウやサツマイモなど(不溶性)だけでなくコンニャクや海藻(水溶性)も積極的に。
9、「運動」は最強の便秘解消法。できれば有酸素運動は息が切れるまでおこなう。腹筋はひねりを加えたクランチがベストだが、アイソメトリックなものでもOK。
10、マッサージも有用。入浴時にリラックスした状態でおこなうのがコツ。
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注1:医療機関で処方されるものの代表を商品名で記しておくと、アジャストA、ヨーデル、アローゼン、センノサイド、プルゼニド、などです。(これらはいずれも先発品で、後発品も多数あります)
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|2013年6月17日 月曜日
第116回(2013年4月) 便秘を治す(前編)
便秘には多くの人が悩まされています。しかしながら、これだけありふれた疾患ながら「便秘のみ」で受診する「初診の」患者さんはそれほど多くありません。
例えば、腹痛で受診し、問診から便秘があることが判り、便秘を治すことによって腹痛が改善した、というケースはよくありますし、全身倦怠感や身体のむくみで受診し、やはり問診から便秘もあることが判った、というケースにも遭遇します。こういう場合は全身に様々な症状をきたす疾患が隠れていることがあり、「便秘」が診断の大切な手がかりになることがあります。
「便秘のみ」を訴える人のなかには、よく聞くと「大腸ガンが心配で・・・」が本当の受診理由であることがあります。これはまったく正しい考え方で、目安として40歳を超えてから便秘に悩みだした、という人は医療機関を受診すべきです。こういう人の多くは、雑誌やテレビ、インターネットなどで、「大腸ガンの症状は便秘・・・」というものを目にして受診することが多いと言えます。(ただし、「便秘があって大腸ガンが心配・・・」と言って受診する人で、大腸ガンが実際に見つかることはごくわずかです)
純粋に「便秘」だけを目的に受診する人はそう多くはありません。これは、おそらく「便秘ごときで医療機関を受診すべきでない」と考えている人が多いからでしょう。
医療機関を受診しなくても、市販の便秘薬で対処できるのであれば問題ないでしょう。しかし、その市販薬の使用量が次第に増えてきているとすれば問題ですし、市販の薬で改善しないのであれば医療機関を受診すべきです。たかが便秘・・・、という見方もあるかもしれませんが、便秘は勉強や仕事の効率を落とし、場合によっては生活の質(QOL)を大きく損ねることになります。
というわけで、今回は、便秘に対して医療機関ではどのように対処しているかについて述べていきます。
医療機関では、まずその便秘が「純粋な便秘」なのか「何かの病気が原因で起こっている便秘」なのかについて鑑別することから始めます。「何かの病気が・・・」というのは、先に例にあげた大腸ガンや甲状腺機能低下症が代表ですが、糖尿病で起こることもあれば一部の膠原病(強皮症など)でも起こりえますし、高齢者であればパーキンソン病ということもあります。下痢と便秘を繰り返しているなら「過敏性腸症候群(IBS)」という疾患の可能性もあり、これは非常に多い疾患です。また、薬剤が原因ということもあり、この場合は市販の風邪薬でも起こりえますので、注意深い問診がまずは必要となります。
この時点で大腸ガンを疑えば、大腸ファイバー(肛門からカメラを入れる検査)を勧めることになります。先にレントゲンを撮ることもありますが、私の場合、大腸ガンの可能性が高いと考えれば、レントゲンを省略して大腸ファイバーを勧めています。(谷口医院では実施できませんので近くの医療機関を紹介しています)
甲状腺機能低下症や膠原病、糖尿病を疑えば血液検査をおこないます。特に甲状腺機能低下症の場合は、血液検査をしない限りは診断がつきませんので、可能性があると考えれば早い段階で採血を勧めることが多いと言えます。
当たり前の話ですが、「何かの病気が原因で起こっている便秘」の場合は、その病気の治療をすすめていくことになります。
便秘の頻度でいえば「何かの病気が原因の便秘」よりも「純粋な便秘」の方が圧倒的に多いと言えます。便秘の患者さんが100人いるとすると「何かの病気が原因の便秘」の患者さんは1人いるかどうか、という程度で、ほとんどの人は「純粋な便秘」です。(ただし、先に述べた過敏性腸症候群(IBS)は頻度の高い疾患です。これについてはいずれ改めて詳しく紹介したいと思います)
冒頭で私は、「便秘」のみを訴えて受診する患者さんは多くない、と述べました。しかし、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)で便秘の治療を受けている人は大勢います。これはなぜかというと、最初に受診したときは便秘とは関係のないことで受診し、そのうちいろんな健康上の悩みを話されるようになり、そのうちのひとつが便秘、というケースが多いというわけです。
ここからは「純粋な便秘」の治療法について話をすすめていきます。
まずすべきことは、それはどのようなタイプの便秘かということです。教科書的にはいろんな分類法があるのですが、私が重視しているのは、まず「腹痛があるかないか」です。腹痛がある場合、市販のものも含めて腸管を刺激するタイプの薬は使うべきでありません。なぜなら腹痛があるということは、腸管の一部が動いているけれどもその先に通過障害があり、そのために痛みが生じている可能性が強く、そのような状態に腸管を刺激する薬を使えば腹痛はさらに増悪することになるからです。
この場合、まず試みるのは便をやわらかくする薬です。酸化マグネシウムが最もよく使われます。副作用がほとんどなく(注1)、値段が安いのが特徴です。後発品を使えば1錠(330mg)あたり5.6円で3割負担では2円未満となります。酸化マグネシウムの1日あたりの投与量は最高で6錠(2グラム)。1日あたり10円(3割負担)という安さです。
酸化マグネシウム以外で便を柔らかくする薬というのは、あまり有名でないものが多かったのですが、2012年11月にまったく新しい便秘薬が発売されました。
この新薬の名前はアミティーザ(一般名はルビプロストン)といい、小腸からの水分分泌を促すことにより、酸化マグネシウムとはまったく異なる作用機序で便を柔らかくします。このアミティーザという薬、便秘薬としては実に32年ぶりの登場です。ちなみに32年前に発売された便秘薬はラキソベロン(一般名はピコスルファートナトリウム水和物)です。(ラキソベロンは腸管を刺激するタイプの便秘薬として次回紹介します)
アミティーザが発売されて数ヶ月が経過しますが(2013年4月現在)、谷口医院では本格的には処方しておらず、一部の患者さんに説明をして同意を得た場合にのみにしています。というのは、まだ、発売後の全国規模での評価が充分におこなわれているとはいえず、どの程度有効なのかが未知だからです(注2)。
それからもうひとつ、谷口医院で本格的に処方をおこなっていない理由があります。それはコストです。アミティーザは1錠あたり156.6円(3割負担で47円)もします。1日2回が基本なので1日あたり3割負担で94円もすることになります。これが2週間になると1,316円。これまで散々苦労してきた便秘が2週間のみの処方で治る可能性は高くなく数ヶ月は続けることになるでしょう。とすると、3ヶ月(12週)で7,900円もすることになります。これに処方代や診察代も加わりますから実際には10,000円を超えることになります。
なかには、それくらいコストがかかっても長年の便秘が解消されるなら飲んでみたい、という人もいるかもしれません。しかし現時点では有効性についてのデータが乏しいこともあって、谷口医院では本格的な処方に踏み切っていないというわけです。
次回は、腸管を刺激するタイプの便秘薬や漢方薬の紹介とその危険性、レントゲン検査について、その他の便秘対策などについて紹介していきたいと思います。
注1:高齢者の場合は稀に高マグネシウム血症になることがあり注意が必要です。また腎臓の機能が低下している場合は使えないこともあります。それ以外にも副作用がないわけではありません。また、下記医療ニュースも参照ください。
注2(2017年10月付記):大規模な集計結果は見たことがありませんが、谷口医院の患者さんで言えば、アミティーザを使っていたけれども現在は他の便秘薬にしているという人が大半であり、また新たな処方はそれほど多くありません。
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|2013年6月17日 月曜日
第115回 慢性胃炎の治療とピロリ菌の除菌 2013/03/20
すでにマスコミでも報じられていますが、2013年2月21日、胃粘膜に寄生し、胃がんなどの原因となっているヘリコバクター・ピロリ菌の検査と治療の保険適用が大幅に拡大されました。今回は、今後胃炎の治療がどのように変化するか、ということとピロリ菌除菌の問題点についてお話したいと思います。まずは、ピロリ菌と胃がんの関係についておさらいしておきます。
胃に細菌が棲息しており、それが胃炎や胃がんの原因ではないかという指摘は随分前から(19世紀後半から)ありました。実際に顕微鏡でそれらしき細菌を見つけた、という報告もあったのですが、一方では強酸の胃粘膜に細菌が棲息できるはずがない、という説も根強く、長い間論争になっていました。
この論争に決着をつけたのは、オーストラリアのロビン・ウォレンとバリー・マーシャルで、1983年、ヒトの胃から、らせん状の細菌を培養することに成功し、この細菌が後にヘリコバクター・ピロリ菌と命名されました。この発見は歴史に残るものであり、2005年には、二人の学者に対しノーベル生理学・医学賞が授与されています。
その後の研究で、ピロリ菌は胃炎を起こすだけでなく、胃がんの原因になっていることも証明されました。それまで胃炎はストレスによるもの、胃がんは塩辛いものの食べ過ぎ、と言われていたわけですから、これらがピロリ菌という細菌による感染症であった、ということはコペルニクス的転回と言っても過言ではないでしょう。ストレスや食生活は容易に改善させることはできませんが、感染症ならその病原体をやっつけてしまえば解決する話だからです。
ピロリ菌の発見はオーストラリアの学者の功績ですが、その功績による恩恵を最も受けている国のひとつが日本です。なぜなら日本は、海外諸国、特に欧米諸国と比べると胃がんの罹患率が極めて高いからです。ちなみに、日本以外で胃がんの多い国としては韓国が有名です。ということは、胃がんの原因の大半がピロリ菌であるのは間違いありませんが、塩分摂取の多い地域で胃がんが多いというのもまた事実です。
日本人ほど塩分を摂る民族はいないと言われることがありますが、実は韓国はその上をいきます。韓国料理は唐辛子が多く使われていますし、サムゲタン(鶏肉に高麗人参やもち米などを入れて煮込んだスープ)は日本人の感覚としては塩分が少なすぎると感じられるために、韓国料理は塩分控えめの健康食のように思われることがありますが、実際はその逆です。この最大の原因はおそらくキムチでしょう。キムチは日本の漬物と同じくらいに塩分が含まれています。
話を戻しましょう。胃炎程度であればともかく、胃がんの原因がピロリ菌であるならば、ピロリ菌保有者にかたっぱしから抗生剤を使って除菌してしまえば、日本人のがんを大きく減らせる、と考えることができます。日本人の男性は1990年代前半までがんによる死亡では胃がんが1位で、女性についていえば2000年でもまだ1位でした。現在でも胃がんは男性のがんの死亡者数の2位、女性の3位を占めています。
もしもピロリ菌の除菌療法が確立した1990年半ばに、国民全員にピロリ菌の検査をおこない、陽性者全員に除菌療法を実施していれば、その後の胃がん罹患者は大きく減少していたかもしれません。(もっとも、胃がんについては内視鏡検査(胃カメラ)が普及し、早期発見ができれば9割以上の確率で治癒します。ですから、胃がんを減らしたければ国民全員に内視鏡検査を実施すべきかもしれません。コストのことを無視すれば、ですが)
しかし、行政はこのような対策はとりませんでした。この最大の理由はコストの問題であろうと予想されます。そもそもピロリ菌は不衛生な環境で感染するものであり、1950~60年頃までに生まれた人では半数以上は陽性であろうと言われています。若年者では陽性率が減少しますが、それでも1~2割くらいは陽性であると考えられています。ということは少なく見積もっても、全国民の4人に1人程度に強力な抗生剤を飲んでもらうことになり、その費用はどうやって捻出するのだ、という問題がでてきます。それに、ピロリ菌を保有している人が全員胃がんを発症するわけでもありませんから、このような治療は「無駄な治療」となる可能性もあり、その無駄な治療で薬による副作用がでたときに誰がどのように責任をとるんだ、という問題もあります。
ですが、胃がんの可能性を大きく減らせるなら、自費でもいいから検査を受けたい(実際、人間ドックでは実施されていました)、そして陽性なら薬も飲みたい、という人は少なくありませんでした。
では、これまで保険診療でピロリ菌の検査・治療ができたのはどのような場合かというと、内視鏡検査で胃もしくは十二指腸に「潰瘍」があることが確認できた場合です。つまり、単に「胃炎」があるだけでは保険診療でピロリ菌の有無を調べることはできなかったわけです。「潰瘍」というのはわかりやすく言えば、胃炎が悪化して、胃粘膜がただれたような状態のことです。内視鏡をする医師からみれば、胃の粘膜に炎症は確実にあるが「潰瘍」があるとまでは言えない、ピロリ菌は陽性かもしれないが潰瘍がないから保険では検査ができない、となるわけです。
2013年2月21日以降は、内視鏡検査で潰瘍がみつからなくても単に胃炎があるだけでピロリ菌の検査が保険でおこなえて、さらに陽性であれば治療(除菌)もおこなうことができるようになりました。すると、診察代、内視鏡代、薬代をすべて含めても3割負担で自己負担は1万円を超えないくらいです。これは画期的なことであり、これから日本の胃がん罹患者が大幅に減少することが期待でき、2013年を「胃がん撲滅元年」と命名しようという声もあるほどです。
さて、どのような人が内視鏡検査を受けるべきか、ですが、市販の胃薬で胃痛やむかつきがとれない人や、薬は効くけれども常に手放せない、という人は主治医か、もしくは内視鏡を実施しているクリニックを受診するのがいいでしょう。すでにかかりつけ医から胃薬を処方してもらっているという人は主治医に相談すればいいと思います(注1)。
胃炎症状があり、内視鏡をおこないピロリ菌がみつかった場合、がんのリスクを減らせることができるのですから、多くの場合除菌はした方がいいでしょう。しかし、注意点はあらかじめ覚えておくべきです。
ひとつめに、一度の除菌ですべての人からピロリ菌が消えるわけではありません。強い抗生剤を組み合わせて内服しても、残念ながらピロリ菌が死滅しないこともあります。その場合、別の抗生物質を用いて治療をやり直すことになりますが、やはり全例成功するわけではありません。さらに、いったん除菌に成功したとしても新たに再感染することもあります。医学誌『JAMA』2013年2月13日号(オンライン版)に掲載された論文(注2)によりますと、ピロリ菌の除菌治療後に陰性が確認できた人の11.5%が1年後に再感染していたことが判ったそうです。
ふたつめに、除菌後に逆流性食道炎(GERD、もしくは胃食道逆流症ともいいます)を発症する人が多いということが挙げられます。逆流性食道炎というのは、胃酸過多の状態となり、その胃酸が食道に上ってきて食堂粘膜に炎症を起こすことにより胸焼けや吐き気が起こります。ピロリ菌除菌と逆流性食道炎には何ら関係がないとする報告もあるのですが、関連性を指摘する報告もいくつかあり、また私の実感としてもピロリ菌除菌後に逆流性食道炎を起こしている患者さんは少なくないという印象があります。
逆流性食道炎をおこすと、食後、吐き気に悩まされ実際に毎食後嘔吐するような人もいますし、胸焼けや背部痛に苦しむこともあります。強い胃酸抑制剤が手放せなくなることもあります。ピロリ菌を除菌して胃痛から解放されたものの、今度は逆流性食道炎に悩まされる、がんのリスクは下がったそうだけど、そもそもピロリ菌保有者でがんを発症するのはごくわずかであることを考えると、本当に除菌をしてよかったのか、という疑問が出てくることがあるかもしれません。
ただし、逆流性食道炎は治るまでに時間がかかることもありますし、いったん治っても再発することもありますが、それでもきちんと治療をおこなえば多くのケースでよくなりますし、無症状のまま進行し気づいたときには手遅れとなる可能性のあるがんのリスクが減らせるのであれば、ピロリ菌除菌には意味があるわけです。
このあたりのことを主治医としっかりと相談して、内視鏡検査や除菌療法をおこなうかどうかを検討すべきというわけです。
注1:太融寺町谷口医院にも胃炎で通院されている人は大勢おられます。すでに一部の患者さんには説明していますが、薬を手放せない人は内視鏡検査を受けておいた方がいいでしょう。太融寺町谷口医院では、現在内視鏡検査ができませんから、希望があれば内視鏡に対応できる医療機関を紹介しています。
注2:この論文のタイトルは、「Risk of Recurrent Helicobacter pylori Infection 1 Year After Initial Eradication Therapy in 7 Latin American Communities」で、下記のURLで概要を読むことができます。
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|2013年6月17日 月曜日
第114回(2013年2月) 花粉と黄砂とPM2.5
今年(2013年春)の花粉の飛散量は去年より多いと言われており、実際昨年に比べると花粉症の患者さんの受診が早くなっているようです。ただし、マスコミでは花粉の量が2倍とか5倍とか言われていますが、患者数やひとりの患者さんの重症度が倍以上になっているわけではありません。その逆に、昨年(2012年)は花粉量が例年より少ないと言われていましたが、患者さんの人数が少なかったわけではありません。私の実感としては、花粉飛散量の予測と関係なく、毎年一定の患者さんが受診されます。
一方、1月中旬からやや目立っているのは咳を訴える患者さんです。「長引く咳」というのは太融寺町谷口医院では、以前から最も多い訴えのひとつなのですが、今年の特徴として「やっぱりPM2.5のせいですかね~」と、患者さんが言われることが目立ちます。
PM2.5、年明けに突如としてマスコミに登場し、その後連日のように報道されるこの言葉はすでに2013年の流行語とも呼べるでしょう。週刊誌やワイドショーでは特集が組まれ、巷では、「PM2.5対応のマスク」が品切れを起こしているとか・・・。
PM2.5とは何か、をまず確認しておきましょう。PMは、particulate matter、つまり「粒子状物質」の略で、要するに「大気中に浮遊する微粒子」のことです。(私はparticulate materialと思っていましたが、materialではなくmatterが正しいようです) PM2.5とは、その微粒子のなかでも直径が2.5マイクロメートル以下の、より小さいもののことです。
PM2.5がなぜ問題か、というと、粒子自体がそれだけ小さいために、呼吸をすると肺の奥にまで到達しやすくなるからです。粒子が口や鼻から喉(のど)に入ってくると、まず喉に違和感が生じます。激しい痛みまで起こすことはあまりありませんが、「イガイガする」「イガラっぽい」などと表現される不快な感覚になります。粒子がさらに奥に入ると、今度は気管(や気管支)の粘膜に刺激を与えます。そしてこの刺激によって、咳が誘発されます。
黄砂(こうさ)というものがここ数年注目を集めています。中国内陸部の砂漠や乾燥地域の砂塵が上空に巻き上げられ地上に降り注がれる気象現象のことで、春に日本にやってきます。もう少し正確に言えば、3月頃から増加しだし、ちょうどゴールデンウィークくらいから5月中旬くらいまでがピークとなります。
黄砂による症状は花粉症のものと似ています。つまり、顔面(特に目のまわり)が痒くなり、目が痛痒くなり、鼻水がでます。喉がイガイガし、咳もでます。黄砂と花粉症の関係は解明されていない点も多いのですが、花粉症がある人が黄砂の被害も受けやすい、というのは間違いありません。
黄砂によって生じる皮膚の痒みや咳が、刺激によるものか、アレルギーによるものか、ということはまだしっかりと検討されていないと思いますが、私自身は両方の可能性があると考えています。つまり、黄砂の微粒子が皮膚や粘膜を刺激することによって症状が誘発されるのと同時に、黄砂の一部を構成する金属、つまり大陸の砂漠の砂のなかに混じっている金属がアレルギーを引き起こしているのではないかという仮説です。実際、黄砂にはアレルギーを引き起こしやすい金属の代表であるコバルトが含まれているという報告もあります。
黄砂が刺激とアレルギーの両方の機序でおこっているというこの仮説を示唆する理由があります。まず黄砂による症状は花粉症などアレルギーを有している人に圧倒的に出やすいということからアレルギーのメカニズムが働いていることが考えられます。しかし、花粉症に対して有効な抗ヒスタミン薬やステロイド点鼻薬・吸入薬が黄砂に対しては効果が弱いのです。つまり花粉症と同じ治療をすることによって、黄砂のアレルギーによる症状は抑えることができても、刺激による症状にはさほど効果がない、というわけです。
黄砂が飛んだ日は喘息で入院する症例(特に小児)が増えるという報告があり、これは理解しやすいことですが、興味深いのは、黄砂により脳梗塞のリスクが上昇するという研究があることです。(詳しくは下記医療ニュースを参照ください)
黄砂には様々な微粒子が含まれますが、直径4マイクロメートルほどの微粒子が多いと言われており、このサイズであれば肺の奥の方にまで入り込みます。そしてここまでくれば毛細血管にも悪影響を与えるということです。
話は再びPM2.5に戻ります。PM2.5は黄砂よりも直径が小さいわけで、これはすなわち肺のより奥に、つまり身体のより深部に到達しやすいことを意味します。つまり、皮膚の痒み、鼻炎、結膜炎、咽頭痛、喘息といった症状のみならず、アスベストなどのじん肺と同じような機序で肺癌を含む肺障害を起こす可能性、さらに血管に入り込み心筋梗塞や脳卒中などの血管障害を黄砂以上に起こしやすい可能性もでてきます。また、微粒子の毒性により、例えば頭痛や倦怠感といった様々な症状が出現する可能性もあります。
ちょうど昭和30~40年代におこった四日市喘息を彷彿させます。多数の死者を出すこととなった四日市喘息は高度経済成長の負の側面であるわけですが、現在の中国の急激な経済発展を考えれば、ある意味ではPM2.5の大量飛散は必然と言えるのかもしれません。
対策としては、中国政府にリーダーシップをとってもらうのがいいわけですが、それほど事は簡単に運ばないでしょう。さしあたりマスクで予防、となるわけですが、よくマスコミで指摘されるように通常のマスクでは粒子が貫通してしまいます。そこで、特別なマスク、とりわけ「N95」と呼ばれるマスクが注目を集めていますが、それほど単純な話ではありません。
まずN95というのは、「0.3マイクロメートル以上の塩化ナトリウム結晶の捕集効率が95%以上」という規格で製造されたマスクのことですが、簡単に言えば、普通のマスクでは貫通してしまうような小さな結晶もブロックできますよ、というものです。最近では、新型インフルエンザが流行した2009年に世間の注目を集めました。医療現場では結核の患者さんに接するときに用いられています。
たしかにN95を用いればPM2.5の予防対策として有効でしょう。ただしそれは”適切に”使用できれば、の話です。N95を適切に使用するのは案外むつかしいのです。つまり、きちんとフィットしておらずに隙間から粉塵や微粒子が入り込んでしまっていることが多いというわけです。これを確認するのにフィットテストという方法があるのですが、テストをしてみると、医療従事者でさえうまくフィットしていないことが多いのです(注1)。N95を装着した2~3割の者しか適切に予防できていなかった、という報告もあるほどです。
また、しっかりと隙間をつくらないようにフィットさせようとしても、顔面の解剖学的な形状とマスクが合わない、ということもあります。N95というのは、米国労働安全衛生局(OSHA;Occupational Safety and Health Administration)が認定しているのですが実は何百種類もあります。様々なメーカーが製造しており、サイズや形状がそれぞれ異なるわけですが、特に顔面の小さな女性などでは、何種類を試しても合うものがなかった、という場合もあります。
自分の顔に合うN95が見つかったとして、適切にフィットさせたとしても、その状態で過ごすのはかなり苦しいことを覚悟しなければなりません。N95を装着した状態で、信号が黄色に変わりそうだから小走りで横断歩道を渡ろう、などということは到底できません。それくらい苦しいマスクを連日装着するというのは現実的でない、と私は考えています。
ではどうすればいいか、ということですが、効果が不十分であったとしても通常のサージカルマスクの2枚重ねくらいで対処するのが現実的かと思います。そして、可能な限りPM2.5飛散量が多い日(注2)には外出を控える、それでも生活に支障が出るなら、思い切ってPM2.5が飛んでこないどこか遠くに引っ越す、というのもひとつの選択肢かもしれません。これを「転地療法」と呼びますが、実際、四日市喘息のときには、きれいな空気を求めて引越しした人も大勢いたそうです。
ではまとめておきましょう。
●2013年春の花粉飛散量は例年より多くなることが予測されている。
●例年春には花粉以外に黄砂が飛散し、花粉症がある人には黄砂による症状もでやすい。
●黄砂による症状は、鼻水・鼻づまりや目の痒みだけでなく、咽頭痛や咳、喘息症状がでることも多い。
●花粉症は治療でコントロールできるが、黄砂は治療をしても効果不十分なことが多く、黄砂に触れない対策が重要となる。
●中国大陸から飛んでくるPM2.5による症状は、投薬で充分な対処ができるわけではなく、可能な限り予防することが大切。
●注目されているN95マスクは、きちんと装着できていないことが多い。適切にフィットさせれば予防効果は期待できるかもしれないが、息苦しくなるため長時間の装着は現実的でない。
究極の治療として「転地療法」を選択せざるを得ない人も今後出てくるかもしれない。
注1:youtubeでN95のフィットテストを見ることができます。興味のある方は下記を参照ください。
http://www.youtube.com/watch?v=kKHnI1piKC8&noredirect=1
注2:PM2.5を含めて大気汚染物質の飛散状況は環境省のウェブサイトで知ることができます。下記を参照ください。
黄砂については気象庁の下記サイトが参考になります。
http://www.jma.go.jp/jp/kosafcst/
また、花粉については環境省の下記サイトがよくまとまっています。
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|2013年6月17日 月曜日
第113回 アナフィラキシーショック 2013/01/21
アレルギーには軽症から重症のものまでいろんなタイプがあり、症状も、目の痒み、皮膚の痒み、口の中の違和感、鼻水・鼻づまり、咳、胃腸症状、などと様々です。原因物質(アレルゲン)を摂取してすぐに症状がでるものもあれば、2~3日してようやく出現するものもあります。
そんなアレルギー疾患のなかで最重症のもののひとつが「アナフィラキシーショック」であり、治療が遅れれば「死に至る病」となります。
2012年12月20日、東京都調布市の市立小学校で小学5年生の女子生徒(11歳)が給食を食べた直後に体調不良を訴え、その後救急搬送されたものの、アナフィラキシーショックが原因で死亡したことが警視庁調布署の調べなどでわかりました。
女子児童はチーズや卵にアレルギーがあり、給食では、こうした材料を除いた特別食が提供されていたそうです。報道によりますと、この日の給食はチーズ入りのチジミで、この女子生徒のものにはチーズが除去されていたそうですが、「おかわり」の際に一般児童用のチーズ入りチジミを食べてしまったそうです。
アナフィラキシーの正確な知識を身につけて実践する、というのは小学5年生ではむつかしいかもしれません。しかし、学校の教師であれば知っておかなければなりません。チーズ入りの一般生徒用のチヂミを食べさせたことは問題(安全注意義務違反)ですが、もっと問題なのは次のステップです。報道によりますと、この女子生徒は「エピペン」を持っていたそうです。
エピペンというのは商品名でアドレナリンの注射のことです(注1)。アナフィラキシーが生じたときに、自身、もしくは両親や教師が迅速に注射すれば、重症化を回避することができます。
報道では、女子生徒が給食を食べ終わってからこの小学校の「校長」が「40分後」にエピペンを注射した、とされています。「40分後」というのが、どの時点からみて40分後なのか分かりませんが、アナフィラキシーというのは通常、原因物質を食べてから5~10分程度で出現することが多いですから「40分後」というのは遅すぎる印象を受けます。そして、それ以上に気になるのが、なぜ「校長」なのか、ということです。担任が自分の判断で注射をうつことができず苦肉の策として校長を呼びにいったのではないでしょうか。
つまり、学校の対応に問題がなかったのか、直ちに担任がエピペンを注射していれば今頃は・・・、という印象を拭えないのです。ただし、私は担任の先生にすべての責任をおしつけたいわけではありません。医学教育を受けていない普通の小学校の先生であれば、注射を女子生徒の太ももに躊躇なくうつのには抵抗があるに違いありません。このニュースを見聞きして、自分なら適切に対処できただろうか・・・、と自問した学校の先生も多いのではないでしょうか。しかし、直ちに注射しなければ生徒が命にかかわる状態になるのは事実です。
ここでもうひとつ事例を紹介しておきたいと思います。
2010年1月、兵庫県姫路市の市立小学校で、食物アレルギーを有する男子生徒が給食を食べた後、アナフィラキシーショックを起こしました。生徒はエピペンを持っていましたが、教師らは使わずに、結局駆けつけた母親が注射をして男子生徒は回復しました。教師らは救急車を要請していましたが、救急搬送される前に母親が間に合ったそうです。この事例が大変幸運なのは、母親とすぐに連絡がついて駆けつけられる距離にいたことです。救急車は通常数分で到着しますから、かなり近くにいたことが予想されます。学校の先生たちは命拾いしたという気持ちだったでしょう。
食物アレルギーは増加の一途にありますから、今後このような事故が増えるのは間違いありません。ではどうすればいいのか。学校の先生にとって重荷になることは承知していますが、教職課程でアナフィラキシーについて学んでもらい、いざというときに直ちに注射ができるように実習を受けてもらうしかありません。すでに教職についている先生たちには今から研修を受けてもらわなければなりません。
学校の先生にはもうひとつお願いしたいことがあります。アナフィラキシーを有する生徒がいじめの対象にならないような対策を講じてもらいたいのです。
医学誌『Pediatrics』2012年12月24日(オンライン版)に興味深い論文が掲載されました(注2)。ニューヨーク州のクラビス子供病院(Kravis Children’s Hospital)の小児アレルギー科の医師Eyal Shemesh氏らの研究によりますと、食物アレルギーを持つ生徒の31.5%がアレルギーが原因でいじめを受けた経験があるというのです。一方、いじめを把握していた親は52.1%にとどまっています。
いじめの方法としては、「からかう(tease)」が最も多く42%、「食べ物を目の前にちらつかせる(waving food)」(30%)、「非難する(criticize)」(25%)と続きます。また、誰にいじめられたかについては、「クラスメート(classmates)」が80%と最多で、次に「他クラスの生徒(other students)」(34%)ですが、意外なのはその次に「教職員(teachers/staff)」が11%と3番目に多いことです。学校の先生が食物アレルギーの生徒をいじめているとは思えませんから、気遣って使った言葉が結果として生徒たちには「いじめ」と感じられたのでしょう。
アナフィラキシーという言葉は、ここ数年で随分社会に浸透してきているように思われますが、症状出現から早ければ数十分で死に至ることもあるということ、その原因がハチであったり、乳製品やエビ、ソバといった食べ物であったり、お茶の石鹸であったり、と身近なもので起こるということは必ずおさえておかなければなりません(注3)。アナフィラキシーの人が身近にいる人であれば、常にそのことを意識しておかないと、例えば一緒に食事に行って、その人に食べ物を小皿にとってあげたときにうっかりエビも入れてしまって・・・、ということも起こりえます。
これまでアレルギーがなかったからこれからも大丈夫、と思っている人がいるとすればそれは誤解です。このサイトでは、お茶石鹸によるアナフィラキシーを何度か伝えていますが、これも成人になってから、しかもそのお茶石鹸を2年以上使ってようやく症状出現、という人もいるのです。
また、薬剤性のアナフィラキシーには充分に注意しなければなりません。
2012年12月13日、日本医療安全調査機構は、医療者が問診票やお薬手帳の記載を見逃して薬剤性アナフィラキシーショックを発症し死亡に至った症例を「警鐘事例」として紹介しました。
この症例は60代の女性で、ある医療機関を受診し、セファゾリンという抗生物質の注射を受け、数秒後にはアナフィラキシー症状が出現し、数分後にはショック(血圧低下)を起こし意識不明となり、11ヶ月後に死亡しました。
日本医療安全調査機構の発表では、問診票の裏面に「CCL(セファクロル)全身まっ赤」と記載があり、「CCL禁 第1世代抗生物質はダメ」と書かれたお薬手帳を持参していたものの提出されていなかったそうです。もしも注射をする前に、医療者が「CCL禁」に気づいていればこのような悲劇は避けられたはずです。今回の発表からは、なぜそのような大事なことが問診票の表ではなく裏面に書かれていたのか、なぜお薬手帳が提出されていなかったのか、については触れられていませんが、医療者も亡くなった女性の家族の方もいたたまれない気持ちでしょう。
今後こういった薬剤の悲劇をなくすにはどうすればいいか。ポイントは2つです。1つは薬にアレルギーがあることが分かっている人は、しつこいくらいに医療者に言うことです。このケースでは注射の直前に「わたしは抗生物質で真っ赤になったことがありますがこれは大丈夫ですか」と聞いていれば助かっていたはずです。もちろんこれは医療者が確認すべきことですが、自分の身を守るために自分から毎回申告するくらいの方がいいと思います。もうひとつは、薬が原因で身体に異変が生じたときは直ちに医療者に報告することです。たいしたことないから報告するまでもないだろう・・、と自己判断しないことが大切です。
食べ物や薬といった日常品のなかには我々に牙を向くものがあり、ときに短時間で命を奪うこともある。アナフィラキシーとはそういうものである、ということは覚えておかなければなりません。
注1 エピペンはどこの医療機関でも処方できるわけでなく講習を終了した医師の管理の下で使用しなければなりません。実は、太融寺町谷口医院でも取り扱う予定をしていたことがあり、私も講習を受け準備をすすめていましたが最終的には中止としました。エピペンは使用すればすぐに医療者に報告しなければならず、谷口医院では24時間365日の対応ができないからです。現在谷口医院ではエピペンが必要な患者さんは、(クリニックや診療所でなく)24時間対応のできる病院を紹介しています。
注2 この論文のタイトルは「Child and Parental Reports of Bullying in a Consecutive Sample of Children With Food Allergy」で、下記のURLで全文を読むことができます。
注3 お茶石鹸のアナフィラキシーについては下記コラムを参照ください。
参考:はやりの病気
第94回2011年6月 「小麦依存性運動誘発性アナフィラキシー」
第107回2012年7月 「薬疹」
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|2013年6月17日 月曜日
第112回 長引く咳(後編) 2012/12/21
今回はまず、タバコが原因で生じる咳についてまとめてみたいと思います。
前回述べたように、タバコはあらゆる咳の悪化因子となりますし、喘息を含め、アレルギーが関与した咳の救世主となるステロイド吸入薬が効きにくくなる、という問題もあります。
さらに、タバコそのもので長引く咳を引き起こす病気があります。それはCOPD(そのままシーオーピーディーと発音します)と呼ばれるもので、罹患者が多い割には病気の名前はあまり世間に浸透していない病気です。しかし、COPDにかかっている人は非常に多く、2001年の時点ですでに日本人の530万人、全体の8.6%が罹患していると言われています。COPDは中年から高齢者に多い疾患ですから、今後高齢化社会が進行すれば全国民の10人に1人以上がCOPDとなるのは間違いないでしょう。
COPD(chronic obstructive pulmonary disease)の日本語の名称は「慢性閉塞性肺疾患」です。以前は、「肺気腫」とか「慢性気管支炎」という病名の方が一般的でしたが、現在はこれら2つの疾患をまとめてCOPDと呼ぶようになった、と考えて差し支えないと思います。
COPDは別名「タバコ病」と呼ばれることもあり、原因のほとんどはタバコです。罹患者の内訳をみると、喫煙者か元喫煙者の他、非喫煙者も全体の数パーセントを占めているのですが、おそらくほとんどは家族内に喫煙者がいるといった受動喫煙者であると推測されます。
COPDの症状は長引く咳や息切れですが、これらだけで済むわけではありません。COPDは「死に至る病」です。実際、厚生労働省の人口動態統計によると、2011年にはCOPDで16,639人が死亡しており、これは日本人の死亡原因の第9位です。10年前と比較すると死亡者はおよそ3割も増えています。
COPDが増加傾向にあるのは世界的にみてもいえることで、WHO(世界保健機関)の統計によりますと、2005年には世界中で300万人以上がCOPDで死亡しており、これは全死亡者の5%に相当します。さらに、2030年にはこの数字が8.6%となり、世界の死亡原因の第3位になると予想されています。(現在でもすでに第4位です。ちなみに1~3位は、虚血性心疾患、脳血管障害、肺炎です)
実は私の祖母もCOPDで他界したのですが、末期は相当悲惨でした。例えばガンの末期は痛みに苦しむことになりますが、モルヒネなどの麻薬を効果的に使えば多くの痛みはコントロールできます。しかし、COPDの末期に現れる「息ができない」という苦痛はどうすることもできません。もちろん酸素投与をしたり、吸入薬を使ったりすると、いくぶんラクにはなるのですが、それらにも限度があります。私の祖母も相当苦しんだようで「こんなに苦しいなら早く死にたい」と何度も漏らしていたようです。しかし、その一方で最後までタバコをやめなかったわけですから、タバコというのは相当恐ろしい薬物だといえるでしょう。
COPDは呼吸ができないという苦痛に襲われ死に至る病でもあります。しかし、それだけではありません。あまり知られていませんが、COPDは、うつ病さらに認知症などが合併することが多いことも分かっています。また、心筋梗塞や心不全といった心臓の疾患も起こしやすいですし、胃潰瘍や逆流性食道炎などの消化器疾患、さらに、糖尿病になりやすいこともわかっていますし、骨粗鬆症のリスクにもなります。つまり、COPDとは単なる呼吸器の疾患ではなく、全身疾患だと考えるべきなのです。
さて、この大変やっかいなCOPDですが、一番大切なことは「予防できる病気」ということです。予防に何をすればいいか。もちろん「禁煙」です。私自身が元喫煙者なのであまりえらそうなことは言えませんが、それでも「進行したCOPDで苦しむことを避けるためにも禁煙をしましょう」と強く訴えたいと思います。
最近はいきすぎた禁煙ムーブメントに不快感を示す人が増えているようですし、「愛煙家の権利を守る」という考えも理解できないわけではありません。私自身は完全に禁煙しておよそ5年になりますが、実は今でも吸いたくなることがあります。ですから、喫煙者の気持ちが分からないわけではありません。しかし、それでもタバコを吸っていいことはほとんどない、というか、トータルで考えればどうみても有害なものです。少し前までは、喫煙所でのコミュニケーションが有益なことがあったり(私には喫煙所でできた友達もいます)、また喫煙することによって仕事や勉強のアイデアがひらめいたりすることもあり(もっともこれらは喫煙者の言い訳にすぎませんが)、タバコの利点もないわけではないと私自身が考えていましたが、現在の私は「すべての人に禁煙を強く勧める」という立場です。タバコを吸い続けCOPDとなり、いつも酸素が手放せないという状況がどれだけQOLを損ねるか、ということをすべての喫煙者の人にもう一度考えてもらいたいと思います。
タバコ以外の吸入で発症する咳で忘れてはならないのが、じん肺、つまり仕事を通して粉塵を吸い込んでその数十年後に肺がやられてしまう疾患です。アスベスト(石綿)が有名ですが、それら以外の粉塵でも生じることがあります。あとは、カビの一種を吸い込んで咳が生じるというケースがあります。よくあるのが、古い木造の家屋に住んでいて木に生えたカビを吸い込んでおこる、というもので「過敏性肺(臓)炎」と呼ばれます。これはカビ(真菌)が直接肺や気管を攻撃するのではなくて、アレルギーのメカニズムによって炎症が起こるもので、前回紹介したアスペルギルス肺炎やカリニ肺炎とは病態が異なります。
COPD、じん肺、過敏性肺炎のいずれもが、原因物質を取り除くことによって事前に防ぐことができる疾患である、という点が重要です。
さて、「長引く咳」で受診される人のなかでときどきあるのが、呼吸器ではなく消化器に原因があるというケースです。つまり、逆流性食道炎による咳です。咳が出ているのだから、気管(支)や肺に問題があるに違いない、と患者さんは考えていることが多く、「その咳は食道が原因かもしれません」と言うと患者さんに驚かれることがしばしばあります。医師の側も、この疾患を咳の鑑別疾患に初めから入れておかないと、ときに見落とすことになりかねません。「数日前からの咳」であればそれほど疑いませんが、「長引く咳」の場合は必ず一度は疑うべき疾患といえるでしょう。
逆流性食道炎というのは、胃酸が食道に逆流して生じるものですから、咳よりも先に胸焼けや吐き気が起こりそうに思われますが、不思議なことにそういった症状は一切なく咳だけが生じるということがあります。では、どのようにして逆流性食道炎が咳の原因であることを疑うのかというと、毎日決まった時間に咳がでる、とか、食後しばらくして咳がでる、という症状がヒントになることがあります。あるいは、可能性があると考えれば、胃酸を抑える薬を試しに使ってみる、という方法をとることもあります。もしも長引く咳の原因が逆流性食道炎なら、これで劇的に改善することもあります。この方法で改善したかどうかはっきりしないけれども逆流性食道炎の疑いがある、というケースはGIF(胃カメラ)を実施することもあります。
逆流性食道炎の診断がつけば(胃カメラで確定までしなくても症状から強く疑われれば)、薬の服用以外に注意点を伝えます。大切なのは、まず「食べ過ぎないこと」と「食後横にならないこと」です。さらにできる範囲で「あぶらものを避ける」「飲酒を控える」ということもしてもらいます。それと、やはり喫煙も悪化因子となっていることを説明します。
それでは最後に「長引く咳」をまとめておきたいと思います。
1、「長引く咳」の原因は多岐にわたり重症度もそれぞれ。2~3週間続くなら放っておかずに医療機関を受診すべき。
2、「長引く咳」で重症なものに肺ガンや結核がある。
3、薬剤性の「長引く咳」はときに重症に。死亡例もある。
4、感染症としての「長引く咳」としては、マイコプラズマ、百日咳、クラミジア・ニューモニア、RSウイルスなどが多い。
5、真菌症としての「長引く咳」はアスペルギルス肺炎やカリニ肺炎が有名だが、これらはエイズなど免疫が低下しているときに発症する。
6、アレルギーのメカニズムで起こっている「長引く咳」は少なくない。また、「風邪の後、咳だけが残っている」というケースのなかにもアレルギー関与のものがある。
7、 タバコはありとあらゆる咳の悪化因子。別名「タバコ病」のCOPDは進行すると呼吸困難で苦しむこととなり死亡することも少なくない。また認知症や糖尿病、骨粗鬆症などのリスクにもなる。
8、タバコ以外の吸入物が原因の「長引く咳」としては、アスベストなどのじん肺やカビを吸い込むことによっておこる過敏性肺炎がある。
9、逆流性食道炎が原因の「長引く咳」もある。
10、(本文ではほとんど述べませんでしたが)心因性の(つまり精神的な要因でおこる)「長引く咳」も少なくない。
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|2013年6月17日 月曜日
第111回(2012年11月) 長引く咳(中編)
前回は、長引く咳には多くの原因があること、頻度が少ないが結核を忘れてはいけないこと、感染症として多いのは百日咳やマイコプラズマなどであること、薬剤性も見逃してはいけないこと、などを述べました。
今回と次回は、感染症が原因でない長引く咳について述べていきたいのですが、その前に感染症をもう少し補足しておきたいと思います。
百日咳やマイコプラズマ、クラミジア・ニューモニア(クラミドフィラ・ニューモニア)などは咳が最も目立つ症状となる細菌感染ですが、もちろんこれら以外の細菌感染で咳がでることもあります。例えば肺炎球菌やインフルエンザ桿菌による感染症です。しかし、通常これらは、発熱、倦怠感、咽頭痛など他のしんどい症状の方が強くでることが多く、咳だけが長引く、というケースはそれほど多くはありません。
長引く咳の原因が細菌性の感染症である場合は、抗菌薬を投与することになります。多くの場合、医師の判断で経験的に有効と思われる抗菌薬を選択することになりますが、難治性の場合や長引いている場合は、培養検査といってどのような細菌がどれだけいるのかを調べ、さらに薬剤感受性検査といって、どのような抗菌薬が効くかを調べることもあります(しかしこれらの検査は結果が出るまでに1週間程度はかかります)。
ウイルス感染でも咳が長引くことがあり、最も多いのがおそらくRSウイルスです。RSウイルスって昔は聞いたことがなかったけど最近よく聞くようになった、と感じている人も多いのではないでしょうか。小児の風邪をきたす代表的なウイルスであることが認知され、検査が保険適用されるようになったために次第に有名になってきたウイルスです。ただし、検査の保険適用は「入院患者のみ」とされています。ですから医師が診察してRSウイルスを疑ったとしても、入院とならなければ検査されずに「確定診断」をつけられません。
このRSウイルス、ときに幼稚園などを学級閉鎖に追い込むほど一気に広がります。従来「子供の風邪」と思われていましたが、最近では高齢者の介護施設などでの集団発生も報告されいます。また、重症化することはあまりないでしょうが、成人にもかなり感染者がいるのではないかと私はみています。ただし、成人のRSウイルス感染を疑ったとしても、あえて検査はしませんし(保険適用もありません)、咳止めの薬だけで1週間もすれば治ることが多いと言えます。
ライノウイルスやコロナウイルスなどいわゆる「風邪ウイルス」に罹患しても咳は出ますが、通常これらは重症化しませんから、必要があれば対症療法としての咳止めを処方して様子をみます。
真菌性の呼吸器感染で長引く咳が問題になることもあります。しかし、通常は何らかの理由で免疫力が低下しているようなときです。代表的なのがアスペルギルス肺炎で、例えば悪性腫瘍で化学療法を受けていたり、白血病で骨髄移植を受けていたり、といったケースで発症することがあります。エイズの合併症として有名なカリニ肺炎(ニューモシスチス肺炎、またはPCPともいいます)も真菌性の感染症で咳に苦しめられます。カリニ肺炎はエイズが進行するとかなり多くの症例で出現します。
ここからは「感染症が原因でない長引く咳」についてみていきたいと思います。
長引く咳は、なかなか診断がつかないこともあり、薬が効かないこともあります。そのため、患者さんのなかには次々と病院を変え、ドクターショッピングを繰り返す人もいます。ですから、総合診療の現場では、必然的にこのような患者さんをよく診ることになり、太融寺町谷口医院(以下、谷口医院)も例外ではありません。
谷口医院を受診する「長引く咳」の患者さんに多いのが、アレルギーのメカニズムが働いて咳が長引いているというケースです。子供の頃に小児喘息を指摘されていた、幼少時に(あるいは今も)アトピー性皮膚炎がある、花粉症がある、などのエピソードがある場合に多いといえます。咳は日中よりも夜間に多く、咳で寝付けない、寝ても咳で目覚める、明け方に咳の発作が出現する、というような症状があれば強く疑います。。
このような状態を「咳喘息」あるいは「アトピー咳嗽」と呼ぶこともありますが、すべての医療者が同じようにこれらの言葉を使っているわけではありませんし、「喘息」や「アトピー(性皮膚炎)」というのは通常通年性です。(通常の)「喘息」であれば聴診すれば特有の音が聴こえますし、胸部レントゲンを撮影すれば何らかの所見が得られることもあります。また「アトピー」というのは通常は(ほとんど誰でも)アトピー性皮膚炎の皮膚症状のことを思い出しますが、アトピー咳嗽の人に皮膚症状が出現するわけではありません。したがって、私自身はあまりこのような病名を患者さんに話してはいません。単に「アレルギーのメカニズムで一時的に咳が起こっている」と説明するようにしています。
このタイプの咳には、アレルギーを抑えてあげればいいわけですから、ステロイドと気管支拡張薬が一緒になった吸入薬を用いることがあります。また内服薬の抗アレルギーや貼付薬の気管支拡張薬なども用います。ただし、いくらアレルギーが関与しているからといってもステロイドの内服や注射まですることはまずありません。ステロイドは副作用のほとんどない吸入薬にとどめておきます。
アレルギーが関与している長引く咳の場合、このようにアレルギーに的を絞った治療をおこなえば大半が改善します。「今まで悩んでいたのが信じられない・・」という人までいます。逆に、このタイプの咳には、普通の風邪で用いるような中枢性の鎮咳薬(注1)はほとんど効きません。コデインなど麻薬性の咳止めも効果は不十分です。もちろん麻薬性のものは増量すればそれなりの効果は期待できますが、副作用を考慮すればあまりすすめられるものではありません(注2)。
このタイプの咳のきっかけは様々ですが、季節の変わり目に、というのが最もよくあるケースです。「毎年この季節になると・・・」という言い方をする患者さんが少なくありません。季節で多いのは、空気が乾燥しだす秋から冬にかけて、と、花粉が飛ぶ春です。花粉症の症状で多いのは、鼻水や目のかゆみですが、咳が出るという人も珍しくありません。
季節以外では、ペットを飼いだしてから、とか、引越ししてから、職場がかわってから、というのもよくあります。引越しや転職がきっかけだとしたら、環境に問題がある可能性が強いといえます。ほこりっぽい環境がないか、ダニ対策はできているか、空気清浄機を置いているか、といったことも検討していくことになります。
長引く咳のきっかけが「風邪」で、その風邪自体はたいしたことがなくて、今は熱もないし、のども痛くないんだけれど、咳だけが残っている、という訴えがしばしばあります。これを「感冒後咳嗽」と呼びます。一般的によく使われる先に述べたような中枢性の鎮咳薬は効くこともあれば効かないこともあります。何もせずに放っておいても2~3週間で自然に治ることもあります。治らない場合は、アレルギー関与の咳と同じような治療をおこなえば改善することもあります。そして、このようなケースのなかには、そのうちに軽い花粉症やアレルギー性鼻炎を発症するという人もいます。
アレルギーのメカニズムによる咳の可能性を考えたときには、これまでのアレルギーを示唆するエピソードについて聞きますが、他にも必ず聞くことがあります。それは「喫煙」です。喫煙はすべての咳の悪化因子になりますし、咳そのものの原因になっていることもあります。また、先に述べたステロイド吸入薬は、タバコを吸っている人には効きにくい、という問題もあります。咳で悩んでいるなら絶対にタバコはやめるべきなのです。
次回は、タバコが原因で生じる咳、さらに呼吸器ではなく消化器が原因で生じる咳などについてもお話していきたいと思います。
つづく
注1:中枢性非麻薬性鎮咳薬といいます。一般名でいうと、ジメモルファンリン酸塩(アストミン)、チペピジンヒベンズ酸塩(アスベリン)、デキストロメトルファン臭化水素酸塩水和物(メジコン)、エプラジノン塩酸塩(レスプレン)、ベンプロペリンリン酸塩(フラベリック)、などがあります(かっこ内は先発品の名称です)。
注2:80年代後半、「ブロン」という名の咳止めシロップを大量に内服することによる中毒や依存症が急増して社会問題になりました。このシロップには麻薬のコデインと共に、同じく咳止めの作用があるエフェドリンも入っていました。コデインでダウン系の麻薬効果があり、エフェドリンでアップ系の覚醒剤効果がありますから、いわば合法的に入手できる「スピードボール」(麻薬のヘロインと覚醒剤のメタンフェタミン(コカインのこともある)の合剤)ともいえるわけです。
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