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2023年6月11日 日曜日

2023年6月 医師は”幸せ”になれない

 過去2回にわたり「幸せ」について論じてきました。太融寺町谷口医院は土壇場で新天地で新たな「谷口医院」に生まれ変わることが決まりましたが、太融寺町を離れるわけですから「太融寺町谷口医院」は6月30日をもって「閉院」となります。ということは、太融寺町谷口医院からお届けするマンスリーレポートは今回が「最終回」ということになります。その最終回は「幸せ」のとりあえずの完結編とします。その完結編では「医師は幸せか」を取り上げてみたいと思います。

 過去のコラム「なぜ「幸せ」はこんなにも分かりにくいのか」の結語として、私は次のように述べました。

「私にとって「幸せ」とは何か。いまのところ自分ではまったく分かっていないようです…」

 他方、私が発行するメルマガで、次のように述べたことがあります。

「医師としての仕事が好きならばこれほど幸せな人生はない。なにしろ贅沢なものにお金を使おうという気にすらならないのだから……」

 このコメントは「医師は儲かるか」という読者からの質問に私が答えたものです。医師は比較的高収入だが、お金を使うことよりも仕事に没頭できるので医師は幸せだ、としたのです。

 では医師の仕事はそんなに幸せ、つまり楽しくて仕方がないのでしょうか。

 結論から言えば「楽しくて仕方がない」などということはまったくありません。はっきり言うとその正反対です。この仕事はそれなりの”覚悟”がないと初めからやらない方がいいと断言できます。つまり、将来のビジョンを考えるときに安易に医学部を選択すべきでないのです。

 医師になるということは、患者の苦しみを聞き続ける、ということに他なりません。その苦しみというのは、ときに家族や友達にも言えないことです。医師ならば理解してくれるだろう、と期待するからこそ患者は本音を語るのです。

 その本音の苦しみを聞いた医師はそれを受け止めなければなりません。突然のがんの宣告、交通事故に巻き込まれ脊髄損傷、軽い気持ちで受診したのに難病を告知された、といったことが医療機関では日常茶飯事です。患者さんの側からみればその病気や怪我で人生が大きく変わってしまうわけです。なかにはその病気や怪我を受け止められない人もいます。

 過重労働や仕事のストレスがある患者さんに対して、私は医師として「オン・オフを切り替えましょう」と助言することがあります。ですが、医師の仕事をしている限り、オン・オフの切り替えなどできません。患者さんの苦しみを忘れることはできないわけです。

 医学部の学生の頃、先生たちから何度か「患者の立場になれ」と言われたことがあります。けれども、そんなこと言われなくたって、患者さんから話を聞けばその辛さや悲しみは自然に伝わってきます。

 医師になってしばらくして私が自分自身に誓ったことは「患者さんを不幸だと思ったり憐れんだりしてはいけない」ということです。このような考えをもってしまうと、上から目線になってしまうからです。患者さんの多くは、病気を宣告されたときは動転したとしても、やがて現実を受け入れていきます。この姿には、私は患者さんに敬意を抱くことがしばしばあります。客観的には不幸にみえたとしても患者さんがそれを受け入れている以上、我々治療者がその境遇を憐れむのは失礼です。

 一方、患者さんがその疾患と現実を受け入れられないこともしばしばあります。例えば、がんやHIVを告知されたとき、それが晴天の霹靂であったような場合なら、ほとんどの人はすぐには受け入れられません。「どうして自分(だけ)が……」という気持ちになるのです。このようなときも、我々医療者は患者を憐れんではいけません。私は医師と患者は”完全に”対等であるべきだとは思っていませんが、医師が患者を不幸だと思ったり、憐れんだりする資格はないのです。

 しかしながら、患者が病気自体を受け入れたとしても苦しみや悲しみが消えるわけではありません。いえ、実際苦しいのです。悲しくて辛いのです。その苦しさは完全には理解できないのだとしても、医師は可能な限り理解すべきだと私は思っています。

 四六時中考え続けるわけにはいきませんが、忘れることはできません。私は医師になってから患者さんの夢を見ない日はほとんどないと言っていいかもしれません。広範囲の熱傷、転落事故、関節リウマチ、潰瘍性大腸炎、HIV感染、脊髄損傷、多発性硬化症、悪性リンパ腫、抗NMDA受容体抗体脳炎……、こうして目を閉じると、これらの患者さんの顔が次々と脳裏をよぎります。

 階上ボクシングジムの振動のせいでいつ針刺し事故が起こるかもしれない状況となりました。この状態で診療をを続けるわけにはいかず「閉院」を決めました。もちろん、それまでにさんざん移転先を探したのですが、主に「コロナを診る医療機関はお断り」という理由で入居できるビルが見つかりませんでした。

 ならば何もかも終わらせるしかない。そう考えて私はいったんは閉院を決め、そして海外に出る計画を立てました。様々な国が候補に挙がりましたが、最終的にはタイに居住する計画を立て始めました。タイの田舎に住んで、タイ全土のエイズ施設や障がい者の施設でボランティアをするつもりでいました。「閉院」を正式に発表したのが1月4日。以降しばらくは毎日患者さんに「すみません。閉院します」と頭を下げる日々でした。

 ところが、「それは困ります」という声があまりにも多く、診察室で泣き出す人が後を絶ちませんでした。私からみれば「2年間移転先を探し続けたけどなかったんだから理解してください」という気持ちでしたが、「もう一度探してください」という声が多く、なかには休日に街を歩いて空き物件を探しに行ってくれた人もいました。不動産会社で働いている人や不動産業を営んでいる患者さんたちは、自社で扱っている物件を持ってきてくれました。

 私が幸運だったのは、新型コロナウイルスの勢いが衰え、不動産業界がコロナを診る医療機関を門前払いしなくなってきたことでした。そして、最終的には、不動産会社の社長を務める患者さんが探してきてくれた物件で新しいクリニックをオープンできることが決まったのです。こんな私は幸せか不幸せか。当然”幸せ”です。

 では医師は「幸せ」か。患者の苦しみや悲しみ、あるいは患者の家族やパートナーの苦しさも共有するのが医師です。24時間そういった苦しさを噛みしめているわけではないにせよ、その苦しみを完全に忘れることなどできるはずがありません。そして、その苦しみは患者を診れば診るほど積み重なっていくわけです。

 医師になって確信したことがあります。生きるとは楽しいことよりも辛いことの方がはるかにたくさんあるということです。そして、人々が感じる楽しさではなく苦しさを共有していくのが医師の使命なのです。こんな宿命を背負っている医師という職業、あなたには幸せにうつりますか。それとも不幸せに見えるでしょうか……。

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2023年6月4日 日曜日

2023年6月4日 治る糖尿病は1%だけ?

 糖尿病の治療を受けている患者の約1%だけが薬が不要になる……。

 これは医学誌「Diabetes Obesity and Metabolism」2023年5月8日号に掲載された論文「日本における2型糖尿病の寛解と再発の発生率と予測因子: 全国患者登録の分析 (JDDM73)(Incidence and predictors of remission and relapse of type 2 diabetes mellitus in Japan: Analysis of a nationwide patient registry (JDDM73))」の結論です。

 この研究の対象者はタイトルから分かるとおり日本人です。「糖尿病データマネジメント研究会(JDDM)」という研究会が保有するデータベースが分析されています。研究の対象者は18歳以上の日本人48,320人で、この研究での糖尿病の定義は「HbA1cが6.5%以上、および(または)糖尿病の薬が処方されている」です。

 「寛解」というのはおおまかには「治ること」と考えていいのですが、この研究での定義は「糖尿病の薬を中止して3カ月以上HbA1cが6.5%未満を維持している状態」とされています。

 解析の結果、中央値5.3年の追跡期間中に3,677例が寛解に至り、年間1000人あたりの寛解率は10.5(およそ100人に1人)でした。

 寛解に至りやすい特徴としては「治療期間が短い」「調査開始時のHbA1cが低い」「調査開始時のBMIが高い」「1年でBMIが大きく低下している」「調査開始時に糖尿病の薬を飲んでいない」でした。

 ただし、寛解した3,677人のうち2,490人(67.7%)が1年以内に再発(HbA1c値の再上昇)していました。

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 この研究は、日本の糖尿病関連サイトでも報告されています。

 この日本語の報告では、「糖尿病は意外にも治る人がいる」というような紹介をされています。

 しかし谷口医院の経験でいえば、糖尿病が「治る」のは1%程度ではありません。1割までは届かないと思いますが、少なく見積もっても5%程度(20人に1人程度)の患者さんは薬を中止できます。残念ながら再発する人がいるのは事実ですが、この研究のように7割近くなどということはありません。せいぜい2~3割程度です(さらに長期間観察すれば上昇するかもしれませんが)。

 そもそも他院から谷口医院に移ってきた時点では、「これまで食事にも運動にも気を使っていなかった」という人が大半です。そういう人には、まず薬を止めたい意思があることを確認し、生活習慣を改善させればそれが可能であることを説明します。

 糖尿病で重要なことのひとつは「薬を使うかどうか別にして、治療開始を遅らせない」ことです。糖尿病はいったん発症して長期化すると、血管がボロボロになり、物理的に傷んだ血管はもはや修復不能になります。

 そうなる前に生活習慣を改め必要最低限の薬を使えばいいのです。

 「糖尿病は治らない」なんて考え、もはや古すぎます。

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2023年5月28日 日曜日

2023年5月28日 「常に夜勤」はアルツハイマー病のリスクが2倍以上

 夜勤やシフト勤務が認知症のリスクになると言う研究は最近「夜勤もシフト勤務も認知症のリスク」でお伝えしたばかりですが、今回も似たような研究を紹介したいと思います。

 医学誌「Journal of Neurology」2023年4月6日号に掲載された論文「夜勤とすべての認知症およびアルツハイマー病のリスクとの関連性:英国バイオバンク参加者245,570人を対象とした縦断研究(The association of night shift work with the risk of all-cause dementia and Alzheimer’s disease: a longitudinal study of 245,570 UK Biobank participants)」をまとめていきます。

 研究の対象者は英国のデータベース(UK Biobank)に登録されている245,570人、追跡期間の平均は13.1年です。夜勤とすべての原因による認知症およびアルツハイマー病の発症との関連性が調べられています。結果は次の通りです。

・すべての原因による認知症を発症したのは1,248人。アルツハイマー病発症者は474人

・すべての認知症の発症リスクは、常に夜勤をしている人が最も高い(リスクは1.465倍)。

・不規則なシフト勤務者のすべての認知症のリスクは1.197倍

・アルツハイマー病の発症リスクは、常に夜勤をしていれば2.031倍にもなる

・常に夜勤勤務をしている人は、AD-GRS(Alzheimer’s disease genetic risk score/アルツハイマー病遺伝的リスクスコア)が高、中、低のいずれであっても、アルツハイマー病のリスクが高くなる

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 今回も対象者が多い大規模研究です。もはや夜勤が認知症のリスクとなるのは自明といっていいでしょう。

 遺伝的リスクが低くても高くてもアルツハイマー病を発症するリスクが上がるわけですから、リスクが高い人(ApoE遺伝子をε4で持つ人)は早い段階で夜勤中止を検討すべきでしょう。

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2023年5月22日 月曜日

第237回(2023年5月) 麻疹(はしか)とこれからの発熱外来

 麻疹(はしか)が流行しつつあります。麻疹そのものについての情報提供はこれまで、このサイトおよび他のサイトに私が書いたものもありますので(下記の毎日新聞「医療プレミア」の麻疹に関するコラムはすべて無料で読めます)、興味のある方にはそちらをご覧いただくとして、ここでは今後「麻疹かもしれない」と思ったときにどのように医療機関を受診すべきかについて述べていきたいと思います。

 まず、「麻疹の再感染及びワクチン接種後の感染」について話をしておきましょう。

 先日(2023年5月17日)、テレビ朝日の「ABEMA Prime」の出演依頼を受けて麻疹に対する話をしました。生放送ということで、どのような質問をされるのか不安があって、さらに、リハーサルなし、それどころか私自身が出演者と面識がないどころか、失礼ながら私がテレビを見ないこともあって、キャスターやパネリストがどのようなキャラクターの方々なのかもまるで分からない状態で番組がスタートしました。

 しかも、私の出演はオンラインですからスタジオの”空気”が読めません。生放送で場違いなことや、空気が読めない発言をすれば大変なことになります。番組の「台本」のようなものを開始直前に受け取ったのですが、それをすべて読み終わらないうちに番組が始まってしまいました(下記URLで1週間はオンデマンドで診られるそうです)。

 興味深いことに、そして非常に幸いなことに、キャスターの益若つばささんが冒頭で私にとってとてもありがたいコメントをしてくれました。益若さんは最近帯状疱疹に罹患されたそうです。そのときに「子供の頃に水痘(みずぼうそう)にかかったことがリスクと言われた。麻疹もそうなのかどうかが心配です」といったことを発言してくれたのです。しかも番組の途中で、再度その疑問を取り上げてくれました。

 これは多くの人が知りたいことであり、医師の立場からみれば「極めて良い質問」です。そして、この答えは「麻疹の再感染はない」です。益若さんが苦しまれた帯状疱疹はたしかに過去の水痘ウイルスの感染が原因です。ですが、麻疹の場合は感染して治癒すれば強力な「抗体」ができて二度と感染することはありません。

 その番組で私は「個人的な意見だが麻疹のパンデミックは起こらない」と述べました。その理由は2つあります。1つは2006年に麻疹ワクチンは2回接種が定期化されたために現在の18歳未満のひとたちはしっかりとした抗体があるから。そしてもう1つは現在55歳(あるいは60歳)以上の人たちの大半は感染しているために自然の抗体ができているからです。

 通常、パンデミックが起こって多数の犠牲者が起こる感染症は免疫能が不十分な小児と高齢者を襲います。ところが麻疹の場合は、この2つのグループが強固の免疫で守られていますからパンデミックの心配はないのです。

 では、ワクチンを2回接種した場合はどうでしょう。この場合はなかなか100%感染しないとは言えません。ワクチンを2回接種したのにも関わらず感染してしまう可能性はあります。ただし、ワクチンを2回接種していれば重症化することは(ほぼ)ありません。高熱が出ず、皮疹もごくわずかの軽症で済むのです。これを「修飾麻疹」と呼びます。
 
 本稿執筆時点で2023年4月から5月にかけて麻疹を発症した事例が4例報告されています。1例目はインドで感染した茨城県の30代男性、2例目と3例目は1例目の男性と同じ新幹線の車両に乗車していた30代女性と40代男性。そして4例目が神戸の事例で、1例目の男性が神戸に移動していたことからこの男性から感染したものとみられています。これら4例のうち神戸の事例については公表されていないので詳細が分かりませんが、他の3例についてはいずれもワクチン未接種(または接種歴不詳)とされています。

 茨城と東京の3例はいずれも入院しているようでおそらく軽症ではないのでしょう(4例目の神戸の事例は詳細不詳)。ということは、やはり麻疹対策での最重要事項はワクチンということになります。つまり、高齢者は既感染で、18歳未満は2回のワクチン接種で免疫を得ているわけですから「20~50代のワクチン追加接種」がパンデミックを回避するための最大のポイントになります。

 もしもあなたがワクチン未接種または1回接種のみだったとして、麻疹かもしれない発熱が出たときはどうすればいいでしょうか。麻疹は「皮疹」が有名ですが、これは後半に出ます。もう少し正確に言うと、麻疹の発熱は「二相性」といっていったんは解熱します。そのときに口の中に白い斑点(これを「コプリック斑」と呼びます)ができ、その直後に2回目の発熱が起こり、このときに全身に皮疹が出現します。

 1回目の発熱時ですでにかなりの倦怠感が伴います。この時点では麻疹よりは新型コロナ、またはインフルエンザが疑われることもあるでしょう。つまり、皮疹があろうがなかろうが、高熱と倦怠感があれば、医療機関の発熱外来を受診するしかないわけです。過去3年で私は何十回と繰り返して訴えてきたように「発熱外来」のあるかかりつけ医を見つけておくのがものすごく大切です。

 では、軽症の場合はどうでしょうか。これも何度もお伝えしているように「新型コロナであろうがインフルエンザであろうが、重症化リスクのない人の場合は医療機関受診はそもそも不要」です。何もしなくてもそのうち治るからです。もっともこれは受診してはいけないという意味ではありません。場合によってはオンライン診療も含めて受診を検討すべきでしょう。

 では軽症の麻疹を疑ったときにはどうすればいいのでしょうか。例えば、微熱と(特にかゆくない)皮疹が出た場合、我々はほぼ全例で麻疹を鑑別に加えます。そして、麻疹の疑いがあればどうするか。答えは「隔離」です。場合によっては軽症でも保健所と相談して入院先を探すこともありますし、入院できない場合は他人と接することのないよう自己隔離してもらいます。

 なぜ、麻疹に感染すると隔離されなければならないのか。もちろん他人への感染リスクを下げるためですが、それならばインフルエンザや新型コロナと同じと思われるかもしれません。ですが、違うのです。新型コロナやインフルエンザよりも麻疹の方が他人への感染リスクを下げることがずっと重要なのです。

 2016年にインドネシアで麻疹に感染した30代の日本人男性は現地で重症化し、意識をなくし人工呼吸器の装着を余儀なくされました。帰国後はリハビリを開始しましたが、後遺症が残ったと報告されています。風疹と異なり、麻疹は妊娠中の女性が感染しても母子感染はありませんが、赤ちゃんのみならず母体の命が危険に晒されます。つまり、ワクチン未接種(または1回接種のみ)の人たちがそれなりに多い現状に鑑みると、他人への感染は可能な限り避けなければならないのです。

 麻疹の潜伏期間は10~12日程度あります。この間にも他人に感染させる可能性があります。発症後も、軽症であれば行動を控えない人もいるでしょう。一般的に麻疹に感染すると発症から完全治癒まで2~3週間はかかります。こんなにも自己隔離することはできない、と考える人もいるでしょう。ですが、成人が麻疹に感染したときのリスクを甘くみてはいけません。実際、4月から5月に感染した人たちは入院しているわけです。

 日本には「はしかにでもかかったようなもの」という慣用句があり、これは一過性の発熱のみ、つまり「軽症」であることを示しているわけですが、成人に感染した場合のことを考えるとこの慣用句は必ずしも適切ではないのです。

参考:
マンスリーレポート
2016年9月 麻疹騒動から考える、かかりつけ医を持たないリスク
医療ニュース
2017年5月29日 ワクチン1回では不十分~後遺症も残る麻疹脳炎~
2016年8月31日 麻疹とマスギャザリング

「医療プレミア」
2022年12月19日 麻疹 「世界の全地域で差し迫った脅威」とWHOが訴えるわけ
2019年9月22日 人ごとでないフィリピン「ワクチン不信」と麻疹急増
2017年6月4日 本当に「大丈夫」?渡航前ワクチンの選び方
2016年4月3日 SSPE 恐ろしい「はしかのような」病から学ぶこと
2016年3月27日 麻疹感染者を増加させた「捏造論文」の罪

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2023年5月7日 日曜日

2023年5月7日 ペットを飼ってもストレスは減らない?

 谷口医院の患者さんのなかにはペット好きが少なくありません。なかにはネコを20匹以上買っているとか、毎月の給料の大半をイヌとネコのエサ代や砂代に費やしているという人もいます。

 それだけの手間とお金をかけても精神的なストレスが緩和され、幸せ感を自覚できるのであればやはりペットと過ごす暮らしは理想だと言えるでしょう。ですが、最近、そうではなくてペットでストレスが減るわけではない、という意外な報告がありました。

 医学誌「Plos One」2023年4月26日号に掲載された論文「新型コロナウイルス流行中の飼い主とペットとの関係、ストレス、孤独の変化、及びメンタルヘルスに対するペット所有の影響:縦断調査(Temporal patterns of owner-pet relationship, stress, and loneliness during the COVID-19 pandemic, and the effect of pet ownership on mental health: A longitudinal survey)」を紹介します。

 研究の対象者は新型コロナウイルス流行前(2020年2月)とロックダウン中(2020年4月~6月)の感情を振り返りました。2020年9月と2021年を通して四半期ごとに追跡調査が実施され、約4,200人以上の回答が分析されました。

 結果、ネコとイヌの飼い主は新型コロナウイルス流行期間を通してペットとの絆が着実に深まっていると感じていました。 家でより多くの時間を過ごし、他者から隔離されていることが、ペットとの関係が強化されたと考えられます。

 ところが、です。メンタルヘルスに対するペットの影響は期待に反するものでした。ペットがストレスと孤独を和らげると予想されましたが、ペットを飼っている人は、飼っていない人に比べて、同じ程度の孤独を自覚しており、時にはより高いストレスレベルを自覚していることがあったのです。

 ただし、ペットを飼うことにより、ロマンティックな関係(恋愛)に関連する孤独感が緩和されることを示唆する結果が得られました。

 また、ペットを飼っていない人はストレスの量が少なく、猫を飼っている人は最もストレスが多いことが分かりました。ロックダウン中に獣医を受診したり、日々のケアにお金がかかったりすることは、ペット所有者のストレスの一因となった可能性が示唆されました。

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 まとめなおすと、「ペットが必要な人は元々ストレスが多い」、「ペットの必要性を感じていない人は元々ストレスが少ない」と言えるかもしれません。

 論文が示すように、ペットを買えば、そのペットを受診させる必要もあり、エサ代や砂代でそれなりの出費を覚悟せねばならず「責任」がでてきます。これが新たなストレスになる場合があるのでしょう。

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2023年5月7日 日曜日

2023年5月 「幸せ」がお金で決まらないとすれば何が重要なのか

 前回のマンスリーレポート「「幸せはお金で買える」という衝撃の結末」では、従来言われていたように「ある程度の年収があればそれ以上の収入増加は幸せ増大につながらない」という説を覆し、「年収は高ければ高いほど幸せで、幸せ度が上がらない人には不幸な原因がある」という結果を導いた衝撃的な研究を紹介しました。

 その研究は学術的には重要なのでしょうが、私はどうしてもその結論に納得できません。では「お金だけではない」とすれば、幸せは何で決まるのでしょうか。これまでこのサイトで取り上げてきた研究も踏まえて改めて考えてみましょう。

 幸せについて本サイトで初めて触れたのは2006年8月、太融寺町谷口医院はまだ存在せず、私が大学病院で勤務していた頃でした。コラムのタイトルは「世界一幸せな国 」。2つの研究を紹介しました。

 1つは、英国のNPO、NEF (The New Economic Foundation)が、世界178か国を対象とした「幸せ度数」のランキング、もうひとつはやはり英国のレスター大学が「生活満足度」を基にした「幸せの世界地図」で、こちらも対象は世界178か国です。結果は次のようになります。

 NEFのランキング:1位バヌアツ、2位コロンビア、3位コスタリカ
 レスター大学のランキング:1位デンマーク、2位スイス、3位オーストリア

 尚、NEFのサイトを改めてみてみると、2006年から2020年のトータルランキングが掲載されていて、1位から3位は、コスタリカ、バヌアツ、コロンビアとされています。つまり、14年間が経過しても上位3国は変わらないことになります。

 バヌアツ、コロンビア、コスタリカの一人あたりの実質GDP(GDP(PPP) per capita)は、Worldmeterによると、それぞれ3,215、14,503、17,110USドルです。ちなみに日本は42,067ドルです。そして、第1位はカタールで128,647ドルです。カタールは、すべての国民の平均年収が1500万円(4人家族なら世帯収入が6千万円)もあるのです。では、大金持ちのカタール人はなぜ幸せランキングの上位にこないのでしょうか。カタールはNEFのランキングではなんと152か国中152位、つまり最下位です。

 前回のコラムで紹介したように、ノーベル経済学受賞者が「収入は多ければ多いほど幸せ」と言っているところに、私が「それはおかしい!」と言ったところで誰も耳を傾けないでしょう。ですが、NEFの幸せランキングが正しいとすれば、なぜ世界一の金持ち国家のランキングが世界一不幸とされているのでしょう。

 他の「幸せランキング」も見てみましょう。国連が運営する非営利団体「Sustainable Development Solutions Network」が2023年3月20日、「世界幸せレポート(World Happiness Report 2023)」というものを発表しました。結果、幸せな国家第1位に選ばれたのはフィンランドで、これで6年連続第1位となります。

 OECDの「Better Life Index」というものもあって、こちらでもフィンランドが第1位です。

 谷口医院の患者さんにはなぜか「フィンランド好き」が少なくありません。特にアカデミックな環境にいる人、例えば大学院生、高校教師、医療者などからは絶大な人気があり、実際に長期留学で同国に赴く人も目立ちます。この国のどこに魅力があるのでしょうか。

 フィンランドで有名なものといえば、誰もが思いつくのがオーロラ、サウナ、サンタクロースあたりでしょうか。食事はどうでしょう。私が谷口医院の患者さんらから聞いた話では、フィンランドの食事はそんなによくありません。トナカイの肉もそんなに美味しくないと聞きますし、もしも日本人の口に合うのなら巷にはフィンランド料理屋があってもよさそうですが見たことがありません。ある患者さんはフィンランド滞在中、ずっとチョコレートで栄養を摂っていたと言っていました。

 「ヒュッゲ」とはデンマーク由来の言葉だそうですが、フィンランドを含む北欧ではお馴染みの習慣だと聞きます。日本語には訳しにくいものの「ほっこり」「ほのぼの」「しっぽり」「まったり」などが近いようです。おそらく、暖炉のある大きな部屋で家族のメンバーが集まってホットチョコレートでも飲みながらのんびり過ごすようなイメージだと思います。

 ということは一人当たりのGDPが46,344USドル(日本より少し高いくらい)で、自然がきれいとはいえ長くて厳しい冬に耐えねばならず、食事がたいして美味しくない(失礼!)、けれど家族団らんのほっこりした時空間(ヒュッゲ)を楽しめるからフィンランドは世界一幸せな国と考えるべきなのでしょうか。もちろん世界第一位の結果となったのは、福祉制度や環境対策が適切に取られている、教育体制が充実している、医療機関にアクセスしやすい、などの理由があるからですが、ヒュッゲなしではフィンランドの幸福は語れないのではないでしょうか。

 もうひとつ興味深いデータを紹介しましょう。英国の慈善団体CAF(Charities Aid Foundation)が「World Giving Index」という人助けや寄付のランキングを公表しています。

 こちらの2021年のランキングをみると、第1位はインドネシアです。世界で最も他人にやさしい(困っている人がいれば助ける、寄付をするなど)国はインドネシアだというわけです。そして、このランキングで最も興味深いのは「最下位の国」です。調査対象国全114か国で最下位の国、つまり「他人に最も冷たい国」は我が国日本です。

 作家の橘玲氏は著書『幸福の「資本」論――あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』で興味深い提言をされています。幸せを決めるファクターは、「(手持ちの)お金」「(金を稼げる)能力」「友達や恋人」であるとし、これらをそれぞれ「金融資本」「人的資本」「社会資本」と呼んでいます。

 この説が興味深いのは、例えば「金融資本+人的資本=ソロリッチ」(友達・恋人のいない医師など専門職に多い)、「人的資本+社会資本=リア充」(一流企業の若いビジネスパーソンなど)など8つのタイプに分類していることです。ちなみに、金融資本、人的資本、社会資本のすべてがすろった「超充」はめったにないそうです。

 結局のところ、何に幸せを感じるのかは人それぞれであり、お金だけがあれば幸せという人も(たぶん)おらず、お金が無くても愛だけがあればいいというのもまた(たぶん)きれいごとであり、環境保全、社会福祉、助け合い、寄付、(ヒュッゲなど)家族とほっこりできる時間なども誰にとってもそれなりには必要であり、それらのバランスと程度によるというのが現実ではないでしょうか。

 最後に私自身の「幸せの基準」を紹介しておきましょう。私が重視しているのは「将来のビジョンが描けるか」です。例えば、今宝くじで3千万円が当たったとしてもいつまでたってもまともな仕事ができる見通しが立たず友達もいないのなら幸せではありません。他方、まだ見習いの身だけれど今からあと3年かけて技術と知識を習得し誰にも負けない仕事をするというビジョンがあり、支えてくれる友人がいれば幸せです。身体にハンディキャップがあるけれど、作業所で安定した仕事があって信頼しあっているパートナーがいて、貧しいながらもときどき寄付をするような生活がこれからも続きそうなら幸せ度は高いと言えます。

 ということは、今幸せ感の自覚がないのであれば、将来、例えば10年後はどんな生活をしていたいかを思い描き、それを実現するためには3年後は何をしていればいいか、1年後は、3か月後は、……、と考えるようにすれば「幸せへのステップ」が自ずと見えてくるはずです。

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2023年4月23日 日曜日

2023年4月23日 やはりサッカーは危険

 久々にこの話題を取り上げましょう。日本のメディアではいまだにほとんど報道されていませんが、格闘技のみならず、サッカーやアメリカンフットボールなどのプレイヤーはCTE(慢性外傷性脳症)と呼ばれる認知症を伴う脳の障害を患いやすいことが分かっています。本サイトでは何度も繰り返し取り上げていて、今回も似たようなサッカー選手の報告を紹介したいと思います。

 今回は先に、過去の医療ニュース「サッカーは直ちにやめるべきかもしれない」のポイントを振り返っておきましょう。

・スコットランド人男性の元サッカー選手7,676人と、一般人23,028人が比較された

・7,676人の元サッカー選手のなかでCTEを発症したのは386人(5.0%)。対照群では366人(1.6%)。リスクは3.66倍

・最もリスクが低いゴールキーパーは1.83倍。最も高いのはディフェンダーで4.98倍

・キャリアが長いほどリスクは上昇し、15年以上のプロのキャリアを持つ選手ではリスクが5.20倍

 では今回の論文を紹介しましょう。医学誌「The Lancet Public Health」2023年3月16日号に掲載された論文「スウェーデンの男性サッカー選手の神経変性疾患: コホート研究(Neurodegenerative disease among male elite football (soccer) players in Sweden: a cohort study)」です。ポイントは次のようになります。尚、下記に登場する「神経変性疾患」は「CTE」とほぼ同じものと考えて差支えありません。

・スウェーデン人男性の元サッカー選手6,007人と、一般人56.168人が比較された

・6,007人の元サッカー選手のなかで神経変性疾患(neurodegenerative disease)を発症したのは537人 (8.9%)。対照群では3,485人 (6.2%)。リスクは1.46倍。認知症のリスクは1.62倍

・ゴールキーパーの神経変性疾患のリスクは1.07倍。ゴールキーパー以外の選手は1.50倍

・パーキンソン病のリスクはサッカー選手は32%低い

・サッカー選手の全死因死亡率は、対照群より5%低い

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 スコットランドの研究ではサッカー選手のCTEのリスクは3.66倍に上昇しているのに対し、今回のスウェーデンの研究では1.46倍と半減しています。

 ならば喜んでいいいのかと問われればそういうわけではもちろんありません。1.46倍でも大変な事態だと思います。双方の研究ともにゴールキーパーのリスクが低いのは他のプレイヤーと比べてヘディングをする回数が少ないからです。

 盛り上がっているサーカー熱を冷ますような意見になってしまいますが、こういう研究結果、もっと世間に周知されるべきではないでしょうか。そして、サッカーを代表とする物理的に頭を使うスポーツを子供たちに教えるときにはこういったことも教育すべきではないでしょうか。

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2023年4月22日 土曜日

第236回(2023年4月) これからの性感染症対策~mpox, DoxyPEP, HIV~

 2023年3月下旬、肛門周囲にびらん(ただれたような状態)のある患者さんが受診し、診断はmpoxでした。この新しい(性)感染症は、感染性が桁違いに強く、この患者さんの場合は自らが疑ってくれていたので事なきを得ましたが、もしもそうでなかった場合は、(新型コロナウイルスの初期のように)谷口医院が「数週間の閉鎖」をしなければならなかったかもしれません。

 2021年より問い合わせが増えだした「DoxyPEP」。最近ますます希望者が増えています。しかし、この予防法は気軽におこなうべきではありません。

 依然感染者が減らないHIV。しかし、毎日飲む抗HIV薬は副作用がほとんどなくなり、しかも1日1錠が標準的な治療となってきています。さらに、2ヶ月に一度実施する注射薬も登場しました(当院ではまだ扱っていませんが)。しかし、治療が簡単になってきたとはいえ、生涯にわたり続けなければなりませんから感染はなんとしても防ぎたいものです。そして、それが可能なのが(PrEPと)PEPです。

 今回の「はやりの病気」は、最近の性感染症の注目すべき点を復習し、今後、感染を防ぐためにはどのようなことに気を付ければいいのか、感染したかもしれないときにはどうすればいいのかを述べていきたいと思います。

 まずはmpoxをみていきましょう。ややこしい名前について先にまとめておきましょう。この疾患は当初はmonkey pox(日本語はサル痘)でした。しかし、「サルに失礼」という声が世界中から寄せられたために、WHOはmpox(Mpoxではなくmpox)に変更しました。このとき、日本では「M痘」になると報道されたのですが、結局厚労省は「エムポックス」としたようです。ややこしいのでここではmpoxで通します。

 mpoxには現時点で特効薬がありません。治験中の薬はありますが、一般の医療機関で処方できるようになるのはまだ当分先の話です。となると、ワクチンに期待したいところですが、このワクチンが非常に複雑です。結論からいえばあまり有用ではありません。解説しましょう。

 mpoxのワクチンは生ワクチンと不活化ワクチンがあります。生ワクチンはmpoxではなく天然痘のワクチンです。これがmpoxにも効くのではないかと考えられているのです。しかし、仮に効いたとしても「禁忌(接種できないケース)」が多くて使い物になりません。そもそもmpoxの最大のリスク因子は「HIV陽性」です。しかし、生ワクチンはそのHIV陽性者に接種できないのです。これは抗HIV薬を服用していてウイルスが血中から検出されない場合でも、です。

 次に、生ワクチンはアトピー性皮膚炎を含む慢性湿疹を患っているか、または過去に患っていた場合も禁忌となります。しかし、(mpoxのように)皮膚から皮膚に感染する感染症は、アトピーなどの炎症があればうつりやすいのです。皮膚のバリア機能が損なわれ感染症に対して脆弱になるからです。

 ということは、生ワクチンは最大のリスク因子であるHIV陽性者に使えず、また、皮膚感染を起こしやすい湿疹のある(あった)人にも接種できないわけです。ハイリスク者に使えないワクチンではどうしようもありません。

 不活化ワクチンは有効で、実際、米国はハイリスク者に集中してワクチンを(無料で)接種したことで短期間でmpox対策に成功しました。このワクチン、本来は1瓶が1回用なのですが、なんと米国政府は1瓶を5分割して5人に接種したのです。従来の筋肉注射ではなく皮内注射で接種しました。このような接種方法は標準的でないことから、ワクチンの製造会社(デンマークのBavarian Nordic社)からは、一時は「米国との取引をやめる」と言われたものの米国は強引に押し通しました。このやり方には賛否両論があるでしょうが、結果として米国がmpox撲滅にほぼ成功したのは事実です。

 一方、日本は不活化ワクチンどころか、(あまり役立ちそうにない)生ワクチンでさえ供給不足です。例えば、すでに感染者の診察をして、今後も診察することになるであろう私でさえ、現在の規定ではワクチン接種を受けることができないのです。

 ワクチンが使えないなら他の予防が重要になります。そして、mpoxは感染力がものすごく強いのは間違いありません。感染者の報告では、ゲイの男性が性行為を通して、というケースが多いのは事実ですが、例えばパーティで皮膚と皮膚が触れただけで感染したストレートの男性や女性の報告もあります。米国では家庭内での小児への感染も報告されています。国立国際医療研究センターによると、複数の男性と性行為をもった30代女性や、初対面の女性と性行為をもった40代の男性らの感染も報告されています。つまり「ゲイに多いのは事実でもゲイの感染症ではない」のです。要するにHIVと同じです。

 ではどのように予防すればいいのでしょう。ECDC(欧州疾病予防管理センター)によると、ベッドリネンなどに付着したウイルスは、数カ月からなんと数年間にもわたって感染性を維持することがあります。ということはmpox陽性者に触れたものに触れば感染の可能性が出てくる、ということになります。

 皮膚にウイルスが触れただけではそう簡単には感染しないでしょうが、そこに傷や炎症があればリスクが出てきます。ということは、傷や炎症がある部分は露出しないようにして、かつ手洗いをマメにすればOKです。mpoxはアルコールで死滅しますが、アルコールを使い過ぎないようにして流水下での手洗いをメインにするようにしましょう。アルコール使用で手荒れが起こればそちらの方がリスクとなるからです。

 そして、言うまでもなく「初対面の人との性行為」はリスクとなります。ロマンスは突然生まれることも多いわけですが、mpox感染のリスクが背負えるかどうかは充分に考えなければなりません。

 次いでDoxyPEPの話をしましょう。この”治療法”の問合せをしてくるのは、ほとんどはゲイの西洋人なのですが、最近少しずつ日本人(やはりゲイ)からも増えてきています。ということは、日本人のストレートの男女からの問合せもそろそろ始まる頃だと思います。DoxyPEPとは、抗菌薬ドキシサイクリン(DOXY)200mg(100mg2錠)を性交後72時間以内に一度だけ内服する方法で、クラミジア、梅毒、淋菌を、それぞれ90%、80%、50%防ぐことができるとされています。ただ、医療ニュース「DoxyPEPを過信するべからず」で述べたように、耐性菌を生み出すリスクもありますから、この方法に頼ってリスクのある性行為を持つべきではありません。

 HIVについては谷口医院を開院した2007年に比べると治療のやりやすさには雲泥の差があります。当時から抗HIV薬はありましたが、副作用がつらくて、できるだけ内服開始を遅らせるのが目標でした。ところが、最近は1日1錠のみの内服で済み、内服を続けられないような副作用はほとんどありません。最近は(谷口医院では実施していませんが)2ヶ月に一度だけ注射すればOKの注射薬も登場しています。

 そして後発品を用いたPEPができるようになったことがかなり大きいと言えます。以前は先発品でしかできませんでしたからPEPを実施しようと思えば30万円近く必要でした。それが現在は後発品が使えますからその6分の1以下の費用でできるようになったのです。それでも依然安くはありませんが、「安心が買える」わけですから非常に有用な治療法です。

 性感染症の予防で最も大切なことは「誠実な相手と交際する」ですが、長い人生の間にちょっとリスクのある行為に及ぶこともあるかもしれません。以前なら、そういう状況を想定して、1)B型肝炎ワクチンの接種と抗体形成の確認、2)コンドームの使用、3)ワクチンでもコンドームでも防げない感染症の検査、の3つが重要でした。

 ところが現在はmpoxという厄介な感染症が加わりましたから、しばらくの間(少なくともmpoxがおさまるまでの間)、リスクをとることを避け、誠実なパートナーを見つけるのが最も優れた対策と言えるでしょう。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2023年4月16日 日曜日

2023年4月13日 DoxyPEPを過信するべからず

 谷口医院に初めてDoxyPEPの問合せがあったのはたしか2021年だったと記憶しています。その後少しずつ質問が増えてきています。この質問をするのはこれまでは100%ゲイの外国人(全員が西洋人)でした。しかし、一流の医学誌「New England Journal of medicine」に論文が掲載されたことから、今後日本人の患者さん(患者ではありませんが)からの質問が増えることが予想されます。

 本稿の結論は「DoxyPEPを過信しないで」です。順に説明していきましょう。まずは「DoxyPEPとは何か」を確認しておきましょう。

 PEPはPost Exposure Prophylaxisの略で、日本語では「曝露後予防」と呼びます。何らかの病原体に触れてから使用する薬剤のことです。代表は犬に噛まれてから注射する狂犬病ワクチン、施設でインフルエンザが発生してから内服する抗インフルエンザ薬のタミフル、などですが、性感染症でいえばHIVのPEPが有名です。

 DoxyPEPで防ぐことができるのは、梅毒、淋菌、クラミジアの3つです。1種の薬で3つの感染症が防げるならお得な気がしますが、実際はそういうわけではありません。成功率が100%からはほど遠いからです。

 HIVのPEPの場合、(ほぼ)100%成功します。少なくとも当院では100%成功しています。ですから、針刺し事故、性暴力の被害、性交時のアクシデント(コンドームが破損するなど)などがあれば積極的に実施すべきです。リスクが低かったとしても、「もしもHIVに感染していたらどうしよう……」という不安感を払拭できるのは大きなメリットです。

 ところがDoxyPEPの場合、最近(2023年4月6日)医学誌「The New England Journal of Medicine」発表された論文「細菌感染を予防する曝露後ドキシサイクリン(Postexposure Doxycycline to Prevent Bacterial Sexually Transmitted Infections)」によると、クラミジア、梅毒、淋病に感染するリスクが、それぞれ90%、80%、50%下がることが分かりました。

 これら3つの感染症は治療すれば治る病気です。この点がHIVとの大きな違いです。ならば、「まずDoxyPEPを実施して感染していれば治療をすればいいではないか。だからDoxyPEPは有用だ」という意見もあるでしょう。

 もちろん、性暴力の被害や予期せぬアクシデントのときにDoxyPEPを実施するのはいい方法だと思います。しかしながら、この方法に頼って無防備な性行為をするようなことは避けなければなりません。成功率が100%でないから、という理由だけではありません。気軽にDoxyPEPを実施し、それを繰り返すようになればそのうち「耐性菌」が生じるリスクがあります。

 Doxyという抗菌薬は性感染症の領域で言えば、いわば「切り札」的な存在です。その切り札が効かなくなってしまえば、次に打つ手がなくなってしまいます。

 リスクのある性交渉には充分注意をしてください。

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2023年4月10日 月曜日

2023年4月 「幸せはお金で買える」という衝撃の結末

 2017年4月のマンスリーレポート「なぜ「幸せ」はこんなにも分かりにくいのか」で、「年収が75,000ドル(約900万円)を超えると、それ以上収入が増えても幸福感は増えない」という説を紹介しました。

 これは科学誌『PNAS』に2010年に掲載された、ノーベル経済学賞受賞者ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)の論文「高収入で人生の評価が改善しても感情的な幸福は改善しない(High income improves evaluation of life but not emotional well-being)」に書かれていることです。ノーベル経済学賞受賞者が「幸せはお金で買えない」と言ったわけですから、この説には説得力があります。

 そのときのコラムで私は「タイの酔っ払いと日本のビジネスマン」の逸話を紹介し、金儲けにどれだけの意味があるのか、について問題提起をしました。

 今から2年前の2021年4月のマンスリーレポート「幸せに必要なのはお金、それとも愛?」では、カーネマンの説を真っ向から否定した『PNAS』の論文を紹介しました。この論文の著者はマシュー・キリングスワース(Matthew A. Killingsworth)。論文のタイトルは「年収75,000ドルを超えたとしても幸せは収入に連れて上昇する (Experienced well-being rises with income, even above $75,000 per year)」。タイトルから分かるように、明らかにカーネマンの「75,000ドル限界説」に対抗しています。

 この論文では、あまりにもクリアカットにカーネマン説を否定しているのが出来過ぎているように(私には)見えること、谷口医院の患者さんを観察して気付いたことは「幸せの最優先事項はお金ではなく仲の良いパートナーの有無だ」という私見を述べました。

 カーネマンの「収入75,000ドル限界説」、キリングスワースの「幸せ収入限界なし説」のどちらが正しいのか。そのコラムを書いた2年前には、私はカーネマンを支持していました。2つのコラムで取り上げた、タイの酔っ払いの話、谷口医院の患者さんのエピソードなどから、「(貧乏はよくないとしても)収入の大きさで幸せかどうかが決まるわけではない」と確信しているからです。

 ところが、です。カーネマン対キリングスワースのこの対決、最近、あっさりと決着がつきました。その結果は、キリングスワースに軍配が上がりました。つまり、「人はお金があればあるほど幸せになる」という結論になったのです。

 その結論を導いた論文を掲載したのはやはり科学誌『PNAS』。2023年3月1日号に掲載された論文のタイトルは「収入と精神的幸福: 対立が解決(Income and emotional well-being: A conflict resolved)」です。

 この論文の著者は、驚くべきことに、なんとカーネマンとキリングスワース。つまり敵対する二人が共同研究をして論文を発表したのです。論文のなかで、この研究は「adversarial collaboration(敵対的協力)」と呼ばれています。つまり、まったく正反対の意見を持つ二人が協力して同じ課題に取り組んだ研究ということです。

 そして、その結果が「お金はあればあるほど幸せになり、(75,000ドルなどの)限界はない」とするものでした。つまり、カーネマンの完全なる敗北です。論文では敗北という言葉が使われているわけではありませんが、カーネマンは自分自身の説を取り下げて、キリングスワースが以前から主張している「幸せ収入限界なし説」を支持したわけです。

 この研究を少し詳しく紹介しましょう。まず、研究の対象者は米国在住の18~65歳の就労者33,391人です。「幸福度」は、1日3回、数週間にわたり、スマートフォンによる報告で計測されました。「今、どんな気持ちですか?」という質問に対し、「非常に悪い」から「非常に良い」までの範囲で回答します。

 その結果、論文のグラフBを見ればあきらかなように、年収と幸福度(Experienced Well-Being)はほぼ正比例の関係となりました(私にはちょっとできすぎた結果のようにみえます……)。このグラフが正しいなら、人(米国人)は年収75,000ドルどころか、少なくとも50万ドル(約6千万円)までは収入が多ければ多いほど幸せと感じる、ということになります。尚、50万ドル以上の年収の対象者は少なすぎて解析できなかったようです(そりゃそうでしょ)。

 この研究ではもうひとつの特徴が示されています。それは、「対象者の約2割は年収10万ドルを超えるとそれ以上幸福度が上がらない」ということです。論文ではこの2割の人たちが「不幸な少数派(unhappy minority)」と呼ばれています。論文のFig.2が示しています。著者らによると、この2割の人たちは収入が増えても気分が改善しない否定的な「悲惨な経験」があるそうで、その経験とは、失恋、死別、うつ病など、とのことです……。

 ノーベル賞受賞者らが執筆したこの論文、学術的な価値はあるのでしょうが、ちょっと強引ではないでしょうか。この論文が正しいとすれば、年収が増えても幸福度が上がらない人は、全員が「不幸な少数派」の烙印を押されることになります。例えば、「お金はほどほどには必要だけれど愛情の方が大切」とか「年収は平均を少し超えるくらいだけれどやりがいのある仕事をしているから幸せ」と考えている人たちの存在がないものとされています。

 この論文の結論を一言でまとめれば「お金はあればあるほど幸せ。そうでないと考える人は皆、不幸な者たちで、失恋から立ち直れなかったりうつ病を患っていたりする」と言っているわけです。

 提唱者であるカーネマン自らが否定したことになりますから「幸福は年収75,000ドル限界説」は、この論文が発表された2023年3月1日をもって消失したと考えなければなりません。

 こここからは私見を述べます。75,000ドルが妥当かどうかは別にして、私自身はカーネマンとキリングスワースのこの研究の結論を肯定しません。そもそも、この結論、経済学の原理に反しないでしょうか。私は経済学にはまったく詳しくありませんが(関西学院大学時代、「経済学」の単位を落としたほどです……)、収入と満足度はいわゆる「diminishing marginal utility(限界効用逓減)」で説明すべきものではなかったでしょうか。これは、「最初の頃は満足度が上がる(効果があがる)けれど、そのうちにありがたみがなくなって最初ほどの満足度(効果)が得られなくなる」とする現象で、グラフでいえば、最初は急激な傾きで、そのうちにその傾きがなだらかになっていきます。

 谷口医院を閉院せざるを得なくなり、私自身の今後の身の振り方は依然未定ですが、幸いなことに(と言っていいのかどうかわかりませんが)、いくつかの病院から「うちで働きませんか?」というオファーをいただきました。年収は谷口医院で働くよりもアップしそうなオファーです。一般に開業医は勤務医より高収入と思われていますが、私自身は谷口医院でそんなにもらっていませんでした。しかし、大切なのはお金ではないのです。

 もちろん、例えば「やりがいのある年収200万円の仕事と、いやなこともある年収1千万円の仕事」なら後者をとるでしょう。ですが、ある程度の収入が得られるなら(例えば日本人の平均くらいの収入があるなら)、私ならやりたい仕事を選びます。

 私が医師6年目(正確には5年目の終わり)という早い段階で開業したのは、勤務医ではできないことをやりたかったからです。大学で総合診療部の外来をしていた頃もやりがいがなかったわけではありませんでした。しかし、大学病院ですから、診断がついて解決すればそれで患者さんとの関係を終わりにしなければなりません。「困ったことがあればいつでも相談してください」ではなく、「次からは何かあれば近所の診療所を受診してください」と言わねばならなかったのです。ですが、その頃にはすでに「診てもらえるところがない」と悩んでいる患者さんの存在を私はたくさん知っていました。「いつでも誰でもどんなことでも受診できる診療所がないのなら自分でつくるしかない」と考えて開業に踏み切ったのです。

 それを16年以上やってこられた自分は幸せだったと思います。閉院は避けられませんが、今診ている患者さんたちを見捨てることが私にはどうしてもできません……。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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