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2025年7月11日 金曜日

2025年7月 「人は必ず死ぬ」以外の真実はあるか

 これを哲学的思考と呼んでいいのかどうかは分かりませんが、私は物心がついたときから「絶対に正しいことは何か」を考え続けてきました。すぐに思いつくのが「人は必ず死ぬ」で、これは「絶対に正しいこと」と言えるでしょう。今後、自分の脳内の神経の状態をコンピュータに再現させて、そのコンピュータのなかで半永久的に生きていくという方法が開発されるかもしれませんが、それは厳密な意味で「死なずに生きている」とは言えないと思います。

 「人は必ず死ぬ」以外に絶対の真理は存在するのでしょうか。「1+1=2」はどうでしょう。屁理屈に聞こえるでしょうが、例えば愛し合う男女がいたとして子供ができれば「1+1=3」になります。「ボールを空に向けて投げればやがて地面に落ちる」は今ここでそれをやればその通りになるでしょうが、万有引力の法則は相対性理論と相いれないことを考えると「絶対に正しい」とは言えません。

 「科学は必ず勝つ」も正しくありません。前世紀に比べ科学が発達した現在が、人々の暮らしを必ずしも幸せに導いていないことは自明です。「知識は身を助く」が正しいことを示す経験は無数にありますが、常にそうだとは限りません。「腐っているものを食べてはいけない」という知識を学んで命が救われる人もいるでしょうが、「ワクチンで感染症を防げる」と聞いてそのワクチンの副作用で死ぬ人もいます。

 だからこそ、知識を得れば得るほど人は謙虚にならねばなりません。その知識が「絶対に正しい」わけではないからです。それに、仮にその狭い世界で「正しいこと」があったとしても、それは別の人からみればどうでもいいこと、という場合は往々にしてあります。

 幸運なことに、私自身はそのことに早い段階で気付くことができました。1つ目の大学の1回生、私がまだ18歳だった頃、いくつかのアルバイト先でそれを知ることができたのです。例えば、旅行会社に籍を置いてリゾート地でアルバイトをしていた頃、「予約していたのに宿が空いていない」というクレームがよくありました。客の側からすればすでに支払いをしてクーポンを持っているのにその宿に泊まれないと言われるわけですから怒り心頭に発します。

 こんなとき、なぜそんなことが起こったのかを理屈で説明しようとするアルバイト(偏差値の高い大学生である場合が多い)はお客さんの怒りの火に油を注ぐだけです。しかし、上手に相手の懐にとびこんで、いつの間にか怒っていたはずのお客さんを笑わせてこちらのペースに巻き込むアルバイトもいるのです。飲み会の場などでも(昭和の終わり頃はとにかく飲み会がたくさんありました)知識をひけらかすタイプはたいてい嫌われます。おそらくこれは令和の今もそうでしょう。「知識をひけらかす者は嫌われる」は「絶対とは言えないもののかなり真実に近いこと」です。

 そういう考えのまま医学部の5回生になり臨床実習に入った私には一部の医師の姿が異様に見えました。「なんでそんなに上から目線なの?」と思わずにはいられない場面が少なからずあったのです。例えば、「医者の勧める薬を飲まない患者はおかしい」と堂々と発言する医師がいました。そもそも会って間もない、しかも人間性もよく分からない医者から偉そうに言われて信じろ、という方がおかしいわけです。「おかしいのはあんたの方やで」と心の中で毒づいたことは一度や二度ではありませんでした。

 このサイトでも繰り返し述べたように、新型コロナウイルスのワクチンが登場したとき「有効性も安全性も高いからワクチンを打って当然」のようなことを堂々と発言する医師がいて、私には彼(女)らがとても奇妙にみえました。私が「新しいワクチンだからうつことにリスクがある」とメディアで述べると、ワクチン推奨派から一斉に攻撃されました。攻撃してきた者のなかには匿名の医師も何人かいてやたら理屈をぶつけてきました。「この論文を読んだのか!」などと偉そうなことを言ってくるわけですが、同じ論文を読んだ結果、私は「これをそのまま応用するわけにはいかない」と判断していたのです。腹が立つという感情にはなれず、私にはそういう医師たちの姿がとても滑稽に感じられました。

 ビジネスの現場で意見が対立すると、いかに自分の主張が正しいかを必死で説こうとする人がいます。間違ったことをしたときに、あるいはミスをしたときに、必死で言い訳をしようとする人がいます。こういう人たちを私が哀れに思うのは「議論に勝っても事実上負けている」ことに気付いていないからです。議論で勝つ価値があるのは、大学生どうしのディベートや政治家の答弁のときくらいです。もしもあなたが相手を議論で打ち負かしてしまえば、打ち負かされた方はあなたのことを必ず嫌いになります。あえて敵や嫌われる相手をつくる必要はなく、恨まれて得をすることなどどこにもないはずです。

 心理学や社会学の世界で有名な「ダニング・クルーガー効果」という現象があります。一言でいえば「バカな人ほど自分が聡明だという自信をもっている」となります。「バカな人は自分が正しいと思えばそれを決して譲らない」現象のことです。譲らないどころか、自分の意見や考えと異なる、あるいは対立する意見を示されたときに、かえって自説に強くこだわることすらあります。これは心理学用語では「バックファイアー効果」と呼ばれます。

 「知識は身を助く」ことはたしかに多数あります。例えば、私がタイに滞在していた頃に、デング熱に一度も感染せず、大麻や覚醒剤にも手を出さず、HIVにも感染しなかったのは「知識」のおかげです。ですが、その知識を、必要としている人には伝授すべきですが、求めていない人に知識の押し売りするのは避けなければなりません。そういう知識を求めていない人にそんな話をすることを試みれば、すればするほど嫌われるだけです。

 私がこのこと、つまり「いくら丁寧に伝えようとしても知識が伝わらないときは伝わらない」を改めて実感したのは2016年、ドナルド・トランプ氏が米国大統領選挙に出馬しようとしていた頃です。このときに氏は無茶苦茶な理屈を連発していたわけですが、それが間違っていると指摘されたときに大統領陣営は「alternative fact(もうひとつの事実)」という言葉を持ち出して、「大統領が(大統領も)正しい」と堂々と主張しました。こんな屁理屈が許されるなら何を言おうが「言ったもの勝ち」になってしまいます。それを大勢の米国市民は受け入れたのですから、知識で対抗しようとしても無駄な努力に終わることはもはや明らかです。

 誰が言い出したかがよく分からないのですが、この現象は「ポスト・トゥルース(真実の後)の時代」とうまく表現されました。この表現の何が”うまい”かというと「ポスト・ドゥルーズの時代」という言葉を連想できるからです。ドゥルーズというのはフランスの哲学者で、書物はものすごく難解なのですが、ドゥルーズの思想をあえて一言でいえば「既存の枠組みを破壊せよ!」という感じです。そして、「ポスト・トゥルース」と言われると、かつて現代思想を一世風靡したドゥルーズにとって代わる新しい思想のパロディに聞こえるのです。ドゥルーズは「既存の枠組みを破壊せよ!」と言い、トランプ大統領のように無茶苦茶なことを正しいと言い切る思想は「既存の知識を破壊せよ!」と言っているように聞こえます。きっと私と同じことを考えた人が世界中に何人かはいると思うのですが、「ポスト・トゥルース、ポスト・ドゥルーズ」などで検索してもヒットしません。まあ、ダジャレで盛り上がっても面白くありませんが。

 ポスト・トゥルースが当然の時代となった今も知識が依然生活に役立つのは事実ですが、知識を持っている者が偉いわけでも権力を手にすることができるわけでもありません。そして、改めて考えてみると「知識をひけらかす者」が嫌われるのは古今東西変わらないわけで、知識で他人より上の立場に立とうと考えている者がいたとすれば、いつの時代もそれは勘違いも甚だしい愚行なのです。

 私はトランプ大統領を一切支持しませんし、ポスト・トゥルースなどと言う言葉が堂々とまかり通るばかりか、こんな思想が席捲していることを考えるとめまいがしそうになりますが、本来の人間の姿は理性的なものからほど遠く、人間社会が秩序を維持することなど到底できないことを世間に知らしめた点についてはどこか清々しさを覚えます。

 「秩序」とは社会を維持しその社会の一員に自身を入れてもらうためにつくりあげた幻想のようなものなのでしょう。社会に頼らなくても生きていける者は秩序などには従わず、権力やカネやそしてときに暴力で相手をねじ伏せます。科学に基づいた客観的な知識などなくても真実はつくりだせばいいわけです。そんな人間が大国のリーダーであると考えると絶望的な気分になりますが、それが現実であることは受け入れざるを得ません。それを受け入れた上で、これからも知識を増やし、必要としている人には伝授し、自分と異なる考えをもつ人にはその人から学ぶ姿勢を維持していけばいいわけです。

 「人は必ず死ぬ」以外に「絶対に正しいこと」などやはりどこにもありません……。という言葉で締めようと思ったのですが、本稿執筆時にもうひとつの真実がみつかりました。「地球は必ず滅びる!」です。

 

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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