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2016年2月19日 金曜日

第157回(2016年2月) 世にも奇妙な医療機関

 最近、医学部教授に対する否定的な報道が増えてきているように思います。

 最も目立つのが、東大医学部教授で附属病院救急部部長の矢作直樹教授でしょうか。矢作教授は著書『人は死なない』がベストセラーになり、その後「手かざし治療」や「霊感セミナー」をおこない、さらに「ヘッドギア」を販売しているとし、週刊誌から否定的な報道がおこなわれています。しかし、現在も東大大学院及び東大附属病院のウェブサイトに矢作教授の名前や写真が載っています。もしも報道が事実なのだとしたら、当然大学や大学病院から処分を受けるはずですから、報道がすべて正しいわけではなさそうです。

 2014年には、岩手医大のW教授(当時)が、外国人のホステスと一緒に覚醒剤を使用していたことが『週刊文春』により報道されました。同紙の違法薬物の徹底した取材は有名で、最近では元プロ野球選手のK氏の逮捕のきっかけが同紙の報道と言われていますし、2014年に逮捕された大物デュオA氏も同紙の報道が始まりだったとされています。その『週刊文春』がスクープしたわけですからW教授も事実なのか、と思われましたが、こちらはその後の報道がありませんし、同大学のウェブサイトによれば、2015年8月に新しい教授が就任するまでは教授職にとどまっていたようですから、少なくとも大学側は週刊文春の報道を事実とはみていないということになります。

 2015年12月、兵庫医大が当時医学部教授の西崎知之氏を懲戒解雇にしました。理由は、西崎氏の著書『認知症はもう怖くない』で、自身の研究を「2008年に兵庫医科大学倫理委員会の承認を得た」としていることです。実際には、大学はこの研究に何ら関与しておらず虚偽記載であることから懲戒解雇という判断が下されました。

 これに対し、西崎(元)教授もウェブサイト上で反論しています。しかしその内容は「ライターが誤って書いた」とするもので説得力がありません。ライターが書いたのだとしても、自分の名前で出版する以上はきちんと校正し言葉のひとつひとつに責任を持たねばなりません。このような反論なら逆効果になるだけです。

 報道というのはときに過剰になっていくものです。噂が噂を呼び大きくなっていくこともよくあります。ですから否定的な報道をされた人物に対しては、その人物の立場に立って物事を見ていく必要があります。しかし、いくらひいき目にみてもこの元教授のしていることには共感できません。効果がはっきりしないサプリメントを高額で販売する会社に与しているようであり、また件の研究に自信があるなら再度研究をやり直す、あるいは一流紙に掲載されるよう努力をする、といったことをされればいいと思うのですが、そういう記載はありません。

 そして、私が最も不審に思ったのは、この元教授が関係している「世にも奇妙な医療機関」です。その医療機関の名称は「新大阪キリシタン病院大隈研究所」。ウェブサイトをみると、トップページに「兵庫医科大学西崎研究所と共に認知症の患者がより世の中で過ごしやすく、以前と変わらぬ暮らしができるように日々研究を積極的に取り組んでいます」と記載されています。つまり、認知症の治療を主目的とした、元教授が深く関わっている医療機関ということになります。

 トップページの写真は明らかに医療機関の受付と待合室であり「初診」という文字も読み取れます。ページ左の目次には「看護部案内」というものもありますから、やはり医療機関なのでしょうか。(しかしこの「看護部案内」はクリックしても開きません)

 所長挨拶のところには、「1902年に設立された新大阪キリシタン病院を前身とする医療施設です。理念としては、地域に愛される「良心」を基調に(中略)「良心をもって高齢者の医療を充実させ地域に愛される病院施設」を揚げ活動を行っています」と書かれています。しかし奇妙なことに、その所長の名前が記されていません。文脈からは西崎元教授が所長なのかと考えられますが、その記載はありません。また、アクセスが不明で、このサイトを隅から隅まで読んでも、この医療機関がどこにあるのかが分からず、どうやって行けばいいのかがまったく不明なのです。

 さらに奇妙なのはここからです。ウェブサイトの左下に「研究員名簿」という欄があります。この「研究員」が不可解なのです。たとえば、上から三番目の「西マサミ」という名前をクリックすると「1998年1月 山口県生まれ、山口県立山梨高等学校を首席で卒業、卒業後は北九州民族大学医学部にて救命救急医として研修医生活を行う」とあります。

 この時点で疑問だらけです。まず1998年生まれなら2016年現在18歳ということになります。18歳で医学部を卒業し研修医生活をおこなうことは絶対にできません。それに「北九州民族大学医学部」などというものは実在しません。まだあります。「経歴」に「2012年11月 院内ベストオブ2012を受賞」とあります。1998年生まれで2012年ということは14歳ということです。14歳で「院内ベスト」とは何を指しているのでしょう。2012年12月には、「地方雑誌「淀川サタン」に研究レポートの抜粋が転載されると予想」とあります。そのような雑誌の存在自体が疑問ですが、自身のレポートが転載されると”予想”というのはどういうことなのでしょう。また、「2013年04月 実家へ帰省」とあります。なぜ実家へ帰省することが「経歴」なのでしょう??? 分からないことだらけです。

 西マサミ氏の写真も不自然です。このような疑問を感じたのは私だけではないようで、ある医師のポータルサイトに、この奇妙な医療機関についての投稿があり、そこでこの西マサミ氏の写真は「恋愛jp」というウェブサイトから転載されていることが暴かれていました。

 他の「研究員」も見てみると、「安倍美織」のページには、プロフィールに「それなりの成果を上げ仲間からも認められる医師」と書かれています。それなりのってどういうことか、と言いたくなりますが、それはさておき、写真が明らかに不自然というか、ナースキャップを被った写真なのです。今どき看護師でさえナースキャップは使用しません。これが医師の写真とは到底思えません。

 研究員「市川杏奈」のプロフィールには「北九州大学医学部にて精神科医の資格を習得」とありますが、そもそも北九州大学(北九州市立大学)には医学部はありません。研究員「磐田奈菜」の経歴は「私立神戸学院大学医学部に入学」とありますが、神戸学院大学にも医学部はありません。1984年生まれとされており「奈菜」という名前は女性を思わせますが、掲載されている写真は30代の女性ではなく、どうみても50代のおじさんです。

 まだまだありますがこれくらいでやめておきましょう。こんなサイト、野放しにしておいていいのでしょうか。この医療機関が実際に存在しているならまともな診療をしているとは到底思えません。

 あるいは、このサイトは何かの「テスト」のようなものなのでしょうか。この”医療機関”は認知症を専門にしていると書かれています。このサイトをみて、「ここで認知症を治してもらおう」と思って連絡する人は「進行した認知症」、「なんだこのサイト、うさんくさいな・・、こんなサイト相手にすべきじゃないな」と判断し、連絡をしなければ「正常」。そのような「テスト」として機能させているサイトなのでしょうか。しかし、この”医療機関”には連絡先が書いてありません・・・。

 兵庫医大を懲戒免職になった西崎元教授には、自身の研究をやり直す前に、この「新大阪キリシタン病院大隈研究所」という世にも奇妙な医療機関の説明をしてもらいたいと私は思います。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2016年2月14日 日曜日

第150回(2016年2月) エンテロウイルスの脅威

 2016年2月現在、世界で最も関心の高い感染症はジカ熱をきたすジカウイルス感染症だと思います。WHOが「緊急事態宣言」をおこない、単に発熱をきたすだけでなく、感染するとギラン・バレー症候群や小頭症をきたす可能性が指摘されているわけですから、それは当然でしょう。

 では、現在日本で最も注目されている感染症は何かというと、おそらくエンテロウイルスだと思われます。昨年(2015年)の秋頃から、急性弛緩性麻痺といって突然手足が動かなくなる病気が急増し、その原因が「エンテロウイルスD68」であることが指摘されているのです。今回は、このウイルスと麻痺について述べていきたいと思います。

「エンテロウイルス」は「属」「種」といった生物の分類の知識がないと混乱しやすいので、まずは言葉の整理から始めたいと思います。

 ウイルスは遺伝子をDNAで持つかRNAで持つかによって2つに分類できます。RNA型ウイルスにピコルナウイルス科と呼ばれる「科」があり、これは6つの「属」に分かれます。エンテロウイルス属、ライノウイルス属(風邪のウイルスとして有名です)、ヘパトウイルス属(A型肝炎ウイルスはここに含まれます)、カルジオウイルス属、アフトウイルス属、パレコウイルス属です。

 エンテロウイルス属には、ポリオウイルス、コクサッキーウイルス、エコーウイルス、エンテロウイルス、また動物に感染するタイプのものも多数あり、多くの種類があります。生物の分類は、このように「科」「属」「種」の順番に細かくなっていきます。新聞報道などで、エンテロウイルスとライノウイルスが似たようなものとされていることがあるのは、同じ「ピコルナウイルス科に所属」するからであり、エンテロウイルスとポリオウイルスが同じ仲間と言われるのは同じ「エンテロウイルス属に所属」するからです。図示すると次のようになります。

 ピコルナウイルス科 —-  ライノウイルス属  —- ライノウイルスなど
                ヘパトウイルス属 —- A型肝炎ウイルスなど
                     カルジオウイルス属
                     アフトウイルス属
                     パレコウイルス属
                     エンテロウイルス属 —-  ポリオウイルス(Ⅰ~Ⅲ型)
                                        —- コクサッキーウイルス(A10,16など複数種)
                                        —- エコーウイルス(1~34まで)
                                        —- エンテロウイルス(D68、71など複数種)
                                        —- 動物エンテロウイルス
                                        —-    ・
                                        —-    ・

 英語が得意な人は「エンテロ(entero)」と聞くと「腸」を思いだすかもしれません。それは正しく、実際エンテロウイルス属のポリオウイルスは不衛生な水や食べ物から感染します。しかし「腸」にこだわるとエンテロウイルスの理解を複雑にしてしまうことがあります。

 手足口病は過去数年間に何度か流行しています。文字通り、手と足と口に水疱ができる感染症で、感冒症状が伴うのが普通です。小児の感染症として有名ですが、近年は成人が発症することも珍しくありません。成人の手足口病は子供に比べて皮膚症状が重症化することがあり、なかには爪の変形が伴う場合もあります。爪がとれてしまうこともあります。

 手足口病の原因ウイルスは複数種あり、コクサッキーウイルスA10、A16 やエンテロウイルス71などが有名です。上の図でいえばエンテロウイルス属に入るウイルスです。しかし、いつも「腸」から感染して手足口病を発症するわけではありません。経口感染が多いのは事実ですが、他人の咳やくしゃみから感染する、いわゆる「飛沫感染」もあります。発熱を伴うことがありますし、そもそも手足口病は「夏風邪」の代表のひとつです。(夏だけに生じるわけではありませんが)

 原因が複数種あるなかでエンテロウイルス71の手足口病が最も重症化する傾向にあります。また、このウイルスは数年前から注目されており、特に2012年4月から7月にカンボジアで生じた流行では、78人の小児が感染し、なんとそのうちの54人が死亡しています(注1)。

 2013年にはシドニーでもエンテロウイルス71がアウトブレイクし100人以上の小児が入院しました。やはり死亡例を認め、1年以上が経過した時点でも重篤な後遺症に苦しめられている小児もいました。最近、このときの流行で、死亡を含む神経症状を有した患者61人を1年間にわたり調査した論文(注2)が発表されました。61人のうち4人(7%)は病院に到着した点で心肺停止状態にあり数時間以内に死亡が確認されています。生存した57人には重篤な神経症状が出現し、12ヶ月後に51人は回復しましたが、残りの6人は依然神経症状に苦しめられていたそうです。

 2014年には米国ミズーリ州とイリノイ州でエンテロウイルスD68(71ではない)がアウトブレイクし全米に広がりました。エンテロウイルスD68は1962年に米国カリフォルニア州で検出されたのが世界初とされていますが、その後世界的にもほとんど流行していません。ところが、2014年の夏頃より突如としてエンテロウイルスD68による重症呼吸器疾患の報告が相次ぎ、特に喘息を有する小児の間で広がりました。神経症状が生じた例も少なくなく、特に急性弛緩性脊髄炎(AFM)や急性弛緩性麻痺(AFP)と呼ばれる重篤な神経疾患が目立ち、長期間脱力などの神経症状が残存したケースもありました(注3)。最終的には2015年1月15日までに、呼吸器疾患を発症してエンテロウイルスD68が検出された患者は49州で1,153人となり、うち14人が死亡しています。

 米国CDC(疾病管理センター)は2014年12月、「新たな感染症の脅威(New Infectious Disease Threats)」というタイトルで4つの感染症を挙げ、そのうちのひとつがこのエンテロウイルスD68です(注4)。ちなみに他の3つは、エボラウイルス、MERS(中東呼吸器症候群)、薬剤耐性菌です。

 そして日本です。国立感染症研究所によりますと、2005~2014年9月までに日本国内で31都府県の272人からエンテロウイルスD68が検出されていて、夏から秋にかけて感染者が増加する傾向があります。2010年と2013年には感染者数が100人を超えていました。しかし、重症化するケースはまれであり、あまり大きな問題にはなっていませんでした。

 ところが、2015年8月以降、エンテロウイルスD68の報告が突然急増しだし、同時に急性弛緩性麻痺の症例の報告が相次ぎ、一部の患者からエンテロウイルスD68が検出されたのです。エンテロウイルスD68による急性弛緩性麻痺が増加していることを強く示唆しています。そのため、厚生労働省は、2015年10月21日、「急性弛緩性麻痺(AFP)を認める症例の実態把握について(協力依頼)」という事務連絡を発令し、全国の小児科医療機関に依頼をおこないました。

 現時点では、急性弛緩性麻痺を発症した全例からウイルスが検出されているわけではなく、未解明の点もあるのですが、米国の状況と合わせて考えると、エンテロウイルスの今後の動向には充分な注意を払うべきでしょう。

 エンテロウイルスが注目されている理由はまだあります。感染すると1型糖尿病(生活習慣が原因でない小児にも起こる糖尿病)のリスクが上昇するという研究があるのです。医学誌『Diabetologia』2014年10月17日号(オンライン版)に掲載された論文(注5)によりますと、台湾の健康保険請求データに基づいた解析から、エンテロウイルス感染歴のある小児は、感染歴のない小児に比べ1型糖尿病発症リスクが48%高くなることが判りました。

 死亡例や重篤な神経の後遺症を残すことがあり、さらに1型糖尿病のリスクも挙げるエンテロウイルス。従来は、単なる夏風邪の代表の手足口病の原因であったエンテロウイルス71がカンボジアやオーストラリアで猛威を振るい、1962年に発見されて以来特に問題のなかったエンテロウイルスD68が突如としてアメリカ、そして日本で脅威となっています。

 なぜ、このような事が起こるのでしょうか。鍵のひとつは遺伝子の「かたち」です。エンテロウイルスは遺伝子をRNA型の1本鎖で持っています。ウイルスの遺伝子の「かたち」には、DNA2本鎖、RNA2本鎖、DNA1本鎖、RNA1本鎖の4種があります。そして、遺伝子は時と共に変異をします。一般にRNA型の遺伝子はDNA型の遺伝子より不安定であり、RNAの変異のスピードはDNAの100万倍以上と言われています。また、遺伝子というのはらせん状の長い分子になっていますから共にらせんを形成する2本鎖の方が1本鎖よりはるかに安定しています。つまり遺伝子をRNA1本鎖でもつ生物は、動物などのDNA2本鎖の生物よりも、何百万倍、何千万倍、あるいはそれ以上のスピードで変異を起こすのです。ちなみに、新型が次々と現れるインフルエンザの遺伝子もRNA1本鎖です。

 つまり、インフルエンザウイルスが突然変異を起こし、かつて人類が経験したことのないような脅威となるのと同じように、エンテロウイルスもいきなり変異を起こし、ある日突然猛威をふるう可能性があったのです。手足口病が「子供に起こる軽症の夏風邪」だったのは変異が起こる前の話というわけです。

 感染症で頼りになるのはワクチンです。エンテロウイルス属の代表であるポリオウイルスはかつての日本で驚異の感染症であり、ワクチンが導入される前は大勢の子供が感染し、生涯消えることのない「麻痺」を残し、成人となった今も苦しまれています。1960年には北海道を中心に5,000名以上の患者が発生し、日本政府はソ連から1961年に生ワクチンを緊急輸入しました。これにより日本のポリオ患者は激減し、1980年を最後にその後1例も発症していません。

 エンテロウイルスのワクチンは世界中で開発がすすめられていますが、まだ実用化には至っていません。医学誌『Lancet』2013年1月24日号(オンライン版)に掲載された論文(注6)によりますと、中国でエンテロウイルス71のワクチン開発が進んでおり、効果と安全性が確認されているようです。しかし、その後実用化にいたったという話は聞きません。しかもこれは、すべてのエンテロウイルスに有効なわけではなく71のみを対象としたものです。米国が脅威の感染症と認定し、現在日本で流行し重篤な神経症状をきたすと考えられているエンテロウイルスD68のワクチンは目下のところ開発の目処がたっていません。

 当分の間、この脅威のウイルスの動向から目が離せません。

注1:WHOの報告は下記にあります。

http://www.who.int/csr/don/2012_07_13/en/

注2:この論文は医学誌『JAMA Neurology』2016年1月19日(オンライン版)に掲載されており、タイトルは「Clinical Characteristics and Functional Motor Outcomes of Enterovirus 71 Neurological Disease in Children」で、下記URLで概要を読むことができます。
 
http://archneur.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=2482645
 
注3:この論文は医学誌『THE LANCET』2015年1月28日号(オンライン版)に掲載されており、タイトルは「A cluster of acute flaccid paralysis and cranial nerve dysfunction temporally associated with an outbreak of enterovirus D68 in children in Colorado, USA」で、下記URLで概要を読むことができます。

http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2814%2962457-0/abstract

注4:CDCの報告は下記URLを参照ください。

http://www.cdc.gov/media/dpk/2014/dpk-eoy.html

注5:この論文のタイトルは「Enterovirus infection is associated with an increased risk of childhood type 1 diabetes in Taiwan: a nationwide population-based cohort study」で下記URLで全文を読むことができます。

http://www.diabetologia-journal.org/files/Lin.pdf

注6:この論文のタイトルは「Immunogenicity and safety of an enterovirus 71 vaccine in healthy Chinese children and infants: a randomised, double-blind, placebo-controlled phase 2 clinical trial」で、下記URLで概要が読めます。

http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2812%2961764-4/abstract

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2016年2月11日 木曜日

2016年2月 外国を嫌いにならない方法~韓国人との思い出~

 前々回(2015年12月)の「マンスリー・レポート」でイスラムの問題を取り上げたところ、予想以上に多くのコメントをいただきました。ほとんどは「自分もそのように感じていた」と私の考えに同意してくれるものであり、こういう問題を取り上げてよかったと安心しました。もっとも、これまでも、医学以外のことを取り上げたときの方が寄せられる感想が多く、意外なのですが・・・。

 そのような経緯もあって、今回も「国際関係」についてです。国際関係と言っても何もむつかしい話をするのではなく、外国を嫌いにならずに外国人と上手につきあう方法の紹介をしたいと思います。

 ネット右翼(ネトウヨ)という言葉が一般化して随分時間がたちます。ここで私は思想に立ち入るつもりはなく、彼(女)らの主張の善し悪しを検討したいとは思いません。ここでは、海外(特に近隣諸国)を敵対視している日本人が(本当にインターネットばかりしている人たちなのかどうか分かりませんが)存在している、という事実を確認しておきたいと思います。

 ここからは私個人の思い出を語ってみたいと思います。

 私が韓国人と初めてじっくりと話をしたのは1991年の秋、大阪の中堅商社の新入社員だった頃です。日本にやって来たのは取引先の韓国企業の女性社員。ソウルの一流大学を卒業しており、英語も日本語も堪能でまだ入社数年だというのに重要な仕事を任せられているキャリアウーマンです。新入社員の私に重要な商談などできるはずがありません。私に当てられた任務は、半日間で大阪を案内(アテンド)せよ、というものでした。

 高いヒールと高級ブランドのスーツに身をまとい、オフィス街を颯爽(さっそう)と歩いているようなタイプの女性を想像していた私は随分と緊張していたのですが、現れた女性はこちらが拍子抜けするほど大人しい感じの「少女」と形容した方がいいような女性(ここからは「Kさん」とします)でした。日本語が驚くほど上手で、当時英語にまったく自信がなかった私はほっと胸を撫で下ろしました。

 25年前の記憶で、Kさんをどこに案内したのかは覚えていないのですが、私は彼女の怯えたような表情、振る舞い、そして話してくれた言葉を今も鮮明に覚えています。少しはにかんだような笑顔は見せてくれるものの、まるで誰かから追われているかのようにビクビクしています。会社で少し話をし、地下鉄に乗り、ランチをする頃になり、ようやく緊張がほぐれてきました。

 Kさんは、私を「安全な」男と認めてくれたのか、次第に饒舌になってきました。私は事前に上司から「韓国の若い女性が日本にひとりで出張に来るというのはめったにないこと」と聞いていましたから、Kさんはエリート中のエリートで、日本出張は”名誉”なことだと思い込んでいました。しかしKさんは、日本出張を命じられて何度も断った、と言います。日本に行け!だなんてひどい会社だ、と感じ、こんな会社でやってられない、と退職まで考えたそうです。

 私は混乱しました。この話の前に、Kさんは日本文化に興味があり、大学では日本語を学び、日本語の書籍を必死で求めていたという話を聞いていたからです。当時、韓国では日本の書籍は販売禁止でした。日本文化に触れることが禁じられていたのです。もっとも、Kさんのように一部の大学では日本語を学ぶことができていたわけですから、このあたりはダブルスタンダードになっていたのでしょう。

 しかし日本語堪能なKさんも、日本文化を知るための情報源は図書館に置かれている一部の書籍に限られます。テレビで日本の番組を見ることはできませんし、日本映画や日本の歌謡曲は禁止されています。もちろん1991年当時はインターネットもありません。それに日本がいかに凶悪な国かというのを子供の頃からさんざん聞かされているのです。Kさんが言うには、大阪や東京というのは、ヤクザが跋扈(ばっこ)した街で、若い女性は決してひとりで歩いてはいけない、男性から声をかけられるようなことがあれば直ちに逃げないといけない、と聞いていたというのです。たしかに、それならば、日本出張を命じる会社が理解できない、と感じる気持ちが分からなくもありません・・・。

 Kさんは私と一緒に地下鉄に乗ったとき「大(だい)の大人が漫画を読んでいることに衝撃を受けた」と話しました。そして「本当に驚いた・・」と何度も繰り返していたことを覚えています。”暴力的な”日本人が漫画を読むなどということをKさんはそれまで考えたことすらなかったそうです。しかも、地下鉄の中の男性は緊張感がまるでない・・・。「韓国の男性の方がずっと男らしい・・・」、Kさんはそう話していました。

 観光案内も終盤を迎えた頃、私は思いきってKさんに尋ねてみました。Kさんは日本が好きなのか、日本人をどう思っているのか、そして韓国人は全員が日本を嫌っているのか・・・。実は、私はKさんに会う前に、できればこのようなことを聞いてみたいと思っていたのです。韓国人に直接聞くのは「タブー」だとは思っていたのですが、あわゆくば聞いてみたい・・、という好奇心を抑えられなくなってきたのです。

 Kさんの答えは少し複雑なものでした。日本の文化にはとても興味があり、可能なら日本の漫画も読んでみたいと話しました。日本人が怖いというイメージはなくなったと言います。しかし、日本で短期間働くことはあったとしても、日本に住み着くとか、日本で家庭を持つとかいったことは考えられない。そして何よりも、韓国で「日本が好き」などとは絶対に言えない、と小さいながらもしっかりとした口調で話してくれました・・。

 7年後の1998年。韓国で日本文化が解放され、日本の映画や歌謡曲、漫画などに触れることができるようになりました。この頃私はすでにその会社を退職し、医学部の学生になっており、会社員時代の記憶は次第に薄れてきていました。しかしこのニュースを聞いたとき、Kさんのことを思い出しました。仕事は好きだけど近いうちに結婚して家庭を持ちたいと言っていたKさんはおそらくすでに子供の世話に追われる毎日を過ごしていることでしょう。忙しい家事のなか、ちょっとした休憩時間に日本の漫画を手にしているKさんの姿が私の脳裏に浮かびました。

 ちょうどこの頃、医学部生の私が借りていたアパートに韓国人の男子留学生も住んでいて、ときどきコインランドリーで会いました。彼は日本語を一生懸命に話そうとするのですが、ハングル(韓国語)にない音が上手く言えません。初対面のとき、彼は私に「ミジュ、ミジュ、ナイ」と訴えてきたのですが、それが「水が出ない」ということが分かるまでに随分と時間がかかりました。ハングルには「ズ」という音がなく、よほど訓練しないと「ジュ」となってしまうことをその後知りました。

 日韓共同開催ワールドカップの2002年、大阪ミナミのオープンカフェで知人と話しているとき、ふたりの好青年が「相席してもいいか」ときれいない英語で話しかけてきました。「もちろん」と答えた我々は彼らとしばらくサッカーの話で盛り上がりました。彼らは韓国の大学生で、休暇を利用して日本に観光に来ているとのことでした。二人とも英語が(私とは比較にならないくらい)流暢で、話題も豊富。韓国経済の未来について熱く語っていたのが印象に残っています。

 さて、このような私の経験があれば、韓国という国そのものはさておき、韓国人、少なくとも日本文化に関心があり来日している韓国人に対する否定的な感情は沸いてこないのではないでしょうか。もちろん、どこの国にもおかしな人はいますし、個人の相性もあります。このコラムでは追って「外国を嫌いにならない方法」を述べていくつもりですが、今回は「私の知り合った韓国人」について思い出を語ってみました。次回は中国人の話をしたいと思います。

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2016年2月8日 月曜日

2016年2月8日 ジカウイルスでギラン・バレー症候群

 2015年12月25日の「医療ニュース」で、ブラジルでジカ熱がアウトブレイクしていること、ジカウイルスに妊娠中の女性が感染すると、生まれてくる赤ちゃんが「小頭症」といって成長障害や知的障害を伴う状態になる可能性があることをお伝えしました。

 今回はその続編です。2016年2月1日、WHO(世界保健機関)は、ジカウイルス感染症に対し、いわゆる「緊急事態宣言」を発表しました。日本政府も、この発表を受けてなのか、2月5日、ジカ熱を感染症法の「4類感染症」に指定することを決めました。医師がジカウイルスに感染している患者を診察すれば、保健所に届け出ることが義務付けられます。

 ジカ熱自体は、発症してもたいした症状がでずに、日頃健康な人であれば何もしなくても自然に治ることがほとんどです。問題はジカウイルスに感染したときに生じるかもしれない「小頭症」、そして現在もうひとつ指摘されているのが「ギラン・バレー症候群」です。

 ギランバレー症候群は、「はやりの病気第73回(2009年9月)」で紹介しましたから、ここでは詳しく取り上げませんが、女優の大原麗子さんが長年患っていた全身の神経が障害される死亡することもある疾患です。

 現時点では、小頭症もギランバレー症候群も100%ジカウイルスが原因と断定されたわけではありません。しかし、その可能性は極めて強く、リオデジャネイロ五輪観戦を楽しみにしている人は注意が必要です。

 ワクチンも予防薬も治療薬もありません。蚊対策(注1)が唯一の対策です。

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 ジカ熱及びジカウイルス感染症については、毎日新聞ウェブサイト版「医療プレミア」の私が書いているコラムでも取り上げます。2月10日11日に公開予定です。

注1:下記を参照ください。

トップページ→旅行医学・英文診断書など→〇海外で感染しやすい感染症について
→3) その他蚊対策など

参考:
医療ニュース2015年12月25日「ブラジルで小頭症をきたすジカ熱がアウトブレイク」
はやりの病気第73回(2009年9月)「ギラン・バレー症候群」

 

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2016年2月5日 金曜日

2016年2月5日 受動喫煙も不妊や早期閉経の原因

 自らの喫煙が不妊や早期閉経の原因になることは以前から指摘されていましたが、他人のタバコ、いわゆる「受動喫煙」がこれらのリスクになるのかどうかの大規模研究は(私の知る限り)ありませんでした。しかし、ついに疫学的な研究が発表されました。

・タバコを吸わない女性に比べると、現在の喫煙者または元喫煙者は不妊のリスクが14%上昇し、早期閉経のリスクは26%も上がる。

・タバコを吸わない女性のうち受動喫煙がある人(同居人が喫煙者など)は、不妊のリスク、早期閉経のリスクが共に18%上昇する。

 これらは医学誌『Tobacco Control』2015年12月14日(オンライン版)に掲載された論文(注1)で紹介されています。

 この研究の対象は50~79歳の閉経後の女性93,676人。1993年から1998年にWHI(the Women’s Health Initiative Observational Study)という研究に参加したアメリカ人女性です。

 早期閉経はリスクのパーセント表示だけでなく、期間でも示されています。喫煙経験者は、喫煙も受動喫煙もない人に比べると、閉経が22ヶ月早くなり、受動喫煙があった人はない人にくらべて13ヶ月閉経が早かったそうです。

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 この研究は「後ろ向き研究」と呼ばれるもので、すでに閉経した人から聞き取り調査をしたものです。研究の信憑性がより高いのは、まだ閉経が来ていない人を対象とし、喫煙者、受動喫煙者、非喫煙で受動喫煙もない者の3つのグループにわけて追跡する調査で、これを「前向き研究」と呼びます。

 ただし、そんなに厳密な研究をしなくても、この研究が示していることは明らかです。喫煙する人はタバコの影響をよく考えるべきでしょう。

注:この論文のタイトルは「Associations between lifetime tobacco exposure with infertility and age at natural menopause: the Women’s Health Initiative Observational Study」で、下記URLで概要を読むことができます。

http://tobaccocontrol.bmj.com/content/early/2015/11/19/tobaccocontrol-2015-052510.abstract?sid=5e425fd7-02c6-4406-aa82-171c7fe3af84

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2016年1月29日 金曜日

2016年1月29日 ポテト食べすぎで糖尿病

 すべての医師が認めているわけではないものの、「糖質制限」は糖尿病の新しい食事療法になりつつあります。極端な糖質制限に対してはほとんどの医師は警告を促していますが、マイルドなものであれば注意点を充分理解した上で実践してもらうことに反対する医療者は少数でしょう。

 糖質というのは、甘いものの他、コメやコムギ(パン、パスタ、うどんなど)を指しますから従来「主食」と呼ばれてきたほとんどのものが該当してしまいます。そしてときどき落とし穴になっているのが「ポテト」です。日本ではサツマイモを常食にしている人はあまりいないと思いますが、ジャガイモはいろんな料理で日常的に食べている人は少なくないでしょう。

 ポテトは糖質そのものと考えていいのですが、肥満や糖尿病とどの程度相関するのかを検証した大規模研究というのはあまりありませんでした。この度、大規模研究の結果が報告されましたのでお伝えしたいと思います。結論は、もちろん「ポテト食べすぎると糖尿病」です。

 論文(注1)は、医学誌『Diabetes Care』2015年12月17日号(オンライン版)に掲載されたもので、この研究の対象者は米国人ですが、論文を執筆したのは日本人の研究者です。

 研究の対象者は全員医療者で合計20万人近くになります。内訳は、「NHS(Nurses’ Health Study)」と命名された1984~2010年におこなわれた調査に参加した70,773人の女性看護師、1991~2011年の「NHSⅡ」に参加した87,739人の女性看護師、「HPFS(Health Professionals Follow-up Study)」という名前の1986~2010年に実施された調査に参加した40,669人の男性医療従事者です。ジャガイモの摂取量は、食物摂取頻度調査票(FFQ, Food frequency questionnaire)というものが使われて4年ごとに調査されています。

 まず調査開始時点の解析で、ジャガイモの総摂取量が多ければ多いほど、カロリー摂取量、肉や清涼飲料水の摂取量が多く、身体活動度(つまり運動量)が少ないという結果が出ています。
 
 追跡機関中に合計15,362人が糖尿病を発症しています。解析の結果、ジャガイモ摂取量が多ければ多いほど糖尿病のリスクが高いことが明らかになっています。ジャガイモ摂取が週に一度未満の人に比べると、週に2~4回食べる人でリスクが7%上昇し、毎日食べる人では33%もリスクが増加しています。

 料理の仕方にも差があるようです。週に3回食べている人でみてみると、ベイクドポテト、ボイルドポテト、マッシュポテトでは糖尿病リスクが4%高いのに対して、フレンチフライでは19%も高いことが分かったそうです。

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 我々日本人からするとポテトは穀物でありコメやパンと同じ、という感覚ですが、欧米人は「野菜」と思っている人が少なくありません。以前私はイギリス人から、「我々はコメも野菜と考えている」という言葉を聞いて驚いたことがあります。彼(女)らによると、ポテトもコメも畑(コメは田なのですが・・・)から採れるから野菜だというのです。

 しかし、日本でも糖質制限をおこなっている人で、ついついポテトを食べ過ぎている人はいないでしょうか。たとえば、糖質制限をしている人に人気のあるステーキを食べるとき、付け合わせのポテトを食べている人はいないでしょうか。その横にあるニンジンもそれなりに糖質をたくさん含んでいます。そしてステーキにかかっているソースが甘くてこってりしたものであったとしたら・・・。これでは糖質制限をおこなっていることになりません。

注1:この論文のタイトルは「Potato Consumption and Risk of Type 2 Diabetes: Results from Three Prospective Cohort Studies」で、下記URLで概要を読むことができます。

http://care.diabetesjournals.org/content/early/2015/12/09/dc15-0547.abstract?sid=8d7b15ff-969b-41e1-9a8b-786cb93567e5

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2016年1月29日 金曜日

2016年1月28日 夜勤あけは交通事故を起こしやすい

 夜勤が肥満や生活習慣病のリスクになるということは過去にも述べました(下記「医療ニュース」参照)。今回は、夜勤勤務者が交通事故に遭遇しやすいという研究を紹介したいと思います。

 医学誌『Proceedings of the National Academy of Sciences』2015年12月22日号(オンライン版)に論文(注1)が掲載されています。

 研究の対象者は夜勤勤務の16人です。閉鎖されたコースで2時間の運転テストが2回行われています。1回目のテストは、夜勤をせずに平均7.6時間の睡眠をとった後に実施され、2回目のテストは夜勤あけにおこなわれています。

 結果、夜勤あけの運転テストでは、37.5%が急ブレーキを使用し、43.8%が運転テストを続けることができずテストを中断しています。また、運転能力の低下は、運転開始から15分以内に出現していたようです。

 米国では労働者の15%に相当する950万人以上が夜勤勤務に従事しており、居眠り運転は交通事故死の21%を占め、重大な障害事故の13%に関連しているそうです。

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 以前から何度も述べているように、最も健康的なライフスタイルは「同じ時間に起きて同じ時間に寝る」ということです。夜勤の有害性はこれからも報告が相次ぐでしょう。しかし、夜勤は誰かがやらねばならないわけです。日本では、高齢者が「他に仕事がない」という理由で、シフト勤務のガードマンやメンテナンスの仕事をおこなっている人が少なくありませんが、健康リスクの高い高齢者にこのような仕事をやってもらっていいのか、一度社会全体で考えてみるべきだと思います。

注1:この論文のタイトルは「High risk of near-crash driving events following night-shift work」で、下記URLで全文を読むことができます。

http://www.pnas.org/content/113/1/176.full?sid=7c894e9b-bb67-472b-b8e3-5078982453c2

参考:
メディカルエッセイ第128回(2013年8月)「同じ時間に起きて同じ時間に寝るということ」
医療ニュース2014年12月26日「夜勤は肥満のリスク」

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2016年1月22日 金曜日

第149回(2016年1月) 増加する手湿疹、ラテックスアレルギーは減少?

 太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)にはアレルギー疾患を持っている患者さんが少なくなく、また次第に増えているような印象があります。谷口医院をオープンする前、私が複数の医療機関で修行(研修)をしていた頃、皮膚疾患を診ている医療機関ではラテックスアレルギーの患者さんがよく来ていました。そして、今後も増加すると考えた私は、ウェブサイトのコラム『はやりの病気』第35回(2006年7月)でラテックスアレルギーを取り上げました。

 谷口医院がオープンしたのは2007年1月(当時は「すてらめいとクリニック」という名称でした)。その頃には、コンスタントにラテックスアレルギーの患者さんが受診されていたのですが、その2~3年後から次第に減少していきました。

 もちろん、ラテックスアレルギーの患者さんの大半は「ラテックスアレルギーです」と言って受診されるわけではなく、「手があれました」というのが最も多い訴えです。(ラテックスアレルギーは口元や性器にも発症します。これについては後述します) そして「手あれ」自体は減っていないどころか年々増えています。つまり、ラテックスアレルギー以外の「手あれ」が増えているということです。

 ラテックスアレルギーが減少している最大の理由は「手袋の品質が上がった」からではないかと私はみています。ただし、このようなことを検証したデータを私は見たことがなく、他の医師がどう感じているかは分かりません。これは単なる私の日々の診療を通しての「印象」であることをお断りしておきます。

 元々、ラテックスアレルギーの患者さんの半数以上は医療者でした。医師や看護師は日常的にラテックス製のグローブを使います。そのうちに身体がラテックスを異物とみなすようになり(これを「感作(sensitization)」と呼びます)、そうなれば、ラテックスに触れて数分後にアレルギー症状が出現します。

 最初はラテックスが触れた部分のみが赤く腫れ、軽度の痒みが出る程度ですが、そのうちに痒みが痛みになり、さらに重症化すると全身の蕁麻疹、鼻水、呼吸苦なども出現し、悪化すればアナフィラキシーと呼ばれる生命にかかわる状態に移行することもあります。海外では死亡例もあります。つまり、ラテックスアレルギーというのは重症化すると「死に至る病」になるのです。

 ラテックスアレルギーはいったん発症すると治すことはできません。つまり、一度ラテックスアレルギーの診断がつけば、生涯ラテックスに触れることはできないのです。そのため、医療者の場合、ラテックス以外の化学物質でつくられた手袋を使用することになります。

 手袋の品質が上がったのは、おそらくラテックスの良質な部分のみを使用するようになったからです。一言で「ラテックス」といっても、分子レベルでみてみると、おそらく数百種のタンパク質が含まれているはずです。そしてそれらタンパク質のすべてがアレルゲン(アレルギーの原因)になるわけではありません。おそらく、分子レベルの研究が進んだことにより、アレルゲンになりうるタンパク質が同定され、そのタンパク質を取り除く技術が発達したのでしょう。

 谷口医院の例でいえば、ラテックスアレルギーが減ったのは医療者だけではありません。以前は工場やパン工房で働く人にもラテックスアレルギーがけっこうあったのですが、最近は減ってきています。やはり、こういった施設でも品質改良されたラテックス製の手袋が使われるようになってきているのでしょう。

 ラテックスアレルギーで忘れてはならないのがコンドームです。性交後に性器が痒くなったり痛くなったりするという人は、男性でも女性でも一度はラテックスアレルギーを疑うべきです。以前は、コンドームによるラテックスアレルギーは決して少なくなく、そのためにポリウレタン製のコンドームを勧めなくてはならなかったのですが、最近はこういった話をする機会も減ってきました。ということは、コンドームも品質改良がおこなわれ、アレルゲンとなりうるタンパク質が除去されているのかもしれません。

 一方、さほど減っていないと思われるのが、ゴムサックと風船です。風船については、関西なら甲子園球場に行くと必ず口の周りが痒くなるという人はラテックスアレルギーを疑うべきです。ゴムサックと風船が減らないのは、おそらく手袋やコンドームと異なり、これらは今も従来のラテックスが使われているということなのかもしれません。

 手袋やコンドームの改良によりラテックスアレルギーは今後も減少の一途をたどるのでしょうか。そうあってほしいと思いますが、ひとつ私が懸念していることがあります。それは「ラテックスフルーツ症候群」です。日本人の何パーセントがこの病気を持っているのかについてはデータを見たことがありませんが、決して少なくないのでは?と私は考えています。現在野菜や果物を食べると口が痒くなる人(これだけなら「口腔内アレルギー症候群」と呼びます)は、今後ラテックスアレルギーが出現する可能性があります(注1)。

 さて、手あれ(手湿疹)に話を移します。ラテックスアレルギーは減っているのに、手湿疹が一向に減らないのは他に原因があるからです。

 古い研究ですが、医学誌『Journal of the American Academy of Dermatology』1991年11月号(オンライン版)に掲載された論文(注2)によりますと、医療者のアレルギー性接触皮膚炎の8割以上は、何らかの促進剤(accelerator)(注3)が原因だそうです。ということは、そもそも手袋を使う以上はラテックスだけに注目していればいいわけではなかった、ということになります。

 ならば、その促進剤を特定して原因物質を調べて、それが含まれていない手袋を使用すればいいではないか、ということになり、確かにその通りです。しかし、これは簡単な話ではありません。たしかに、原因の可能性のある物質を取り寄せて、パッチテストをおこなえば原因物質を特定できることがあります。しかし、現実には、原因となりうる「促進剤」は多数あり、それを入手するのが困難であり、それをいろんな濃度のものを作成し、背中に貼って丸二日シャワーを我慢し、頻繁に医療機関を受診して・・・、と何かと大変です。

 では、どうすればいいのでしょうか。まず手袋が原因で手荒れやかぶれが起こった場合、重症化しうるラテックスが原因なのかそうでないのかに注目します。ポイントは、ラテックスは接触後数分で症状が出るのに対し、ラテックス以外の物質が原因である場合は、1~3日ほど経過してから現れるということです。これは実際には必ずしも簡単に見分けられる方法ではないのですが、このことは知っておくべきです。

 ラテックスが原因でなさそうなら、別の手袋に替えて様子をみるのが現実的な方法です。しかし、症状が強いのなら医療機関を受診してそこで治療を受け、助言を受けるのがいいでしょう。

 もうひとつは、促進剤のなかでも比較的高率にアレルギーを起こすことが分かっている「チウラム」と呼ばれる物質が含まれていない手袋、あるいは含まれていても少量の手袋を選ぶという方法は有効かもしれません(注4)。

 手荒れというのは、もちろん他にも原因があります。手袋をまったく使用していなくてもアトピー性皮膚炎がある人は手が荒れやすいですし、掌蹠膿疱症、尋常性乾癬、汗疱といった皮膚疾患でも手荒れのような症状が起こります。梅毒では手のひらに痒くない発赤が起こることがありますし、手足口病でも発赤が出現します。石けんの使いすぎで手がボロボロになっている人がいますし、飲食店勤務の人は手袋をしていなくても手荒れを起こすことはよくあります。職業でいえば、美容師や理容師の人たちは、手袋も使い、頻繁に手を洗いますから手荒れには常に注意する必要があります。楽器が原因であったり、ガーデニングに問題があったり・・・、と手荒れの原因は様々です。

 原因が何であれ、治らない手荒れ、繰り返す手荒れは一度かかりつけ医に相談すべきでしょう。

注1:下記コラムも参照ください。

はやりの病気第144回(2015年8月)「増加する野菜・果物アレルギー」

注2:この論文のタイトルは「Allergic and irritant reactions to rubber gloves in medical health services」で、下記URLで概要を読むことができます。

http://www.jaad.org/article/S0190-9622%2808%2980977-2/abstract

注3:この部分は非常に訳しにくく困りました。原文をそのまま抜粋すると、「Accelerators, mainly of the thiuram group, antioxidants, vulcanizers, organic pigments」となります。

注4:現在医療機関で比較的よくおこなわれるセットになったパッチテストがあり、そのなかに「チウラム」も含まれます。ただし、これはセットですからチウラムのみを検査することはできません。このセットのパッチテストについては下記を参照ください。

http://www.stellamate-clinic.org/shishin/#q4

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2016年1月22日 金曜日

第156回(2016年1月) 頑張れ 化血研! 東芝も

 今、日本で最もイメージの悪い、「悪徳企業の代名詞」といわれても仕方のない企業が「化学及血清療法研究所」(以下「化血研」)ではないでしょうか。

 少し前までは、粉飾決済が白日の下にさらされ世界的に信用をなくした東芝が最も悪印象の企業だったと思いますが、現在は化血研にその”座”を奪われています。

 2016年1月8日、厚労省が化血研に下した行政処分はなんと「110日間の業務停止命令」。これは医薬品医療機器法(旧薬事法)に基づく過去最長記録となるようです。報道によれば、1990年頃から、血液製剤を安定化させるために、承認されていない方法で製品を製造し、実際の製造記録の他に、国の定期調査に備えた「偽の記録」もつくっていたそうです。しかも、最近作った書類を古く見せるために、紙に紫外線を照射して劣化させていたとする報道もあり、これが事実なら組織の「膿」は相当根深く広がっていると言わざるをえません。

 現在、化血研は医療界、行政、マスコミのいずれからも激しいバッシングを受けており、化血研出身の公明党の代議士も窮地に立たされているとか・・・。おそらく化血研の従業員の家族は相当辛い思いをしていることでしょう。逆に、化血研にエールを送る声は一切ありません。ならば、私が微力ながらこのサイトで応援しよう、と考えてこれを書くことにしました。

 私が化血研の社員と初めて会ったのは2013年の初頭でした。当時、A型肝炎ウイルス(以下HAV)のワクチンの供給が止まったままで、必要な人に接種できない状態が続いており、これをなんとかしてほしいと販売会社を通してお願いしたところ、わざわざ熊本から担当の方が来てくれました。HAVワクチンが供給不足となったのは何も化血研の責任ではありませんから、私としてはそのような対応を求めていたわけではなかったのですが、その社員の方は、とても丁寧な対応をしてくださり、こちらが恐縮してしまうほどでした。当院としてもHAVワクチンは必要度の高い人だけに限定していることを説明し、その後はワクチンが必要な人の状況を伝えて供給してもらうことになりました。

 ここで少し脱線します。現在私が使っているノートパソコンは東芝の「ダイナブック」で、これは2台目です。実は、最初に使っていたダイナブックで、ネットにつながらないというトラブルがあり、結果としてこのトラブルが私を「東芝ファン」にさせました。

 西日本のある地方都市に私のお気に入りのホテルがあります。そのホテルに泊まりたいという理由だけでその土地に行きたくなることもあるくらい気に入っているホテルです。ある日のこと、そのホテルでインターネットにつなぐために、ダイナブックをLANケーブルに接続したところ一向につながりません。それまで私はそのホテルで別のメーカーのノートパソコンを使ったことがありましたがこのようなトラブルは一度もありませんでした。ホテルのメンテナンスのスタッフに来てもらい見てもらいましたがホテル側に異常はないと言います。

 そこで私は東芝のサービス部門に電話することにしました。電話に出た東芝の女性スタッフは大変丁寧な対応をされ親身になって解決法を考えてくれました。結局あれこれ試した後もネット接続はできず諦めざるを得ませんでした。その女性が言うにはダイナブック自体に問題はないそうです。実際その後もそのホテル以外ではつながるのです。しかしそのホテルでは接続できません。「”相性”といった安易な言葉は使いたくないのですが・・・」と、電話口の女性は申し訳なさそうに話されます。

 私は電話の向こうのこの女性の対応に胸を打たれました。ひとつひとつの言葉、話し方、間の置き方などすべてが大変あたたかいことに驚いたのです。そのとき私は、東芝というこの企業は、電話対応をしているこの部署は、そしてこの女性は、どんな理念やミッションを持っているのだろう、と感じました。そして、そのときに誓いました。次にノートパソコンを買うときも東芝にしよう、と。

 現在の私の最新のノートパソコンはダイナブックです。その後もその地方都市に行くときは、そのお気に入りのホテルを利用しています。そしてこの土地に行くときだけは、昔使っていた使い勝手の悪い別のメーカーのものを持って行きます。そこまでするほど私は東芝ファンになったのです。

 閑話休題。話を化血研に戻します。この時点で誤解のないようにしておきたいと思います。私がこれからも東芝製品を買い続けると決めているのは、ひとりの女性スタッフの応対に感動したからですが、化血研を応援したいのは初めて会った社員の方が真摯な対応をとってくれたからではありません。

 いくら丁寧な対応をされても、製品を承認されていない方法で製造し、それを長年にわたり組織ぐるみで隠蔽していた、ということは許されることではありません。これは血液製剤やワクチンを使っている患者さんの立場になれば当然の感情です。一方、東芝の粉飾決済は株主や製品購入者を裏切ったとする意見があり、然るべき処置がとられなければなりませんが、私個人としては化血研の方が罪ははるかに重いと考えています。

 私が化血研にエールを送りたい理由は、化血研に信頼を取り戻してもらい、日本一ではなく世界一のリーディング・カンパニーになってほしいからです。

 今も熊本に本部を置く化血研は1945年に熊本医科大学(当時)の実験医学研究所を母体として誕生しました。日本のワクチンや血液製剤をリードする企業として長い歴史があります。薬害エイズ事件で提訴されたことなどもありますが、現在まで数多くのすぐれた製品を供給し続けています。狂犬病ワクチンやA型肝炎ウイルスワクチンなどは、日本で製造できるのは化血研の他にありません。

 家電やIT領域などの製品では、日本は諸外国に追いつかれるどころか、とっくに後塵を拝しています。実はこれは医薬品の領域でもそうなのです。iPS細胞では世界の最先端を進んでいると言えますが、予防医学、特にワクチンでは日本は大きく遅れをとっています。ここ10年くらいは、「なんで海外でうてるワクチンが日本ではうてないんだ」という声が大きく、この問題は次第に解消されるようになってきました。

 しかしワクチンの製造は完全に日本は遅れています。ここ10年くらいで日本で承認されたワクチンをみてみると、HPVワクチンはGSK社製のサーバリックス、MSD社製ガーダシル、ロタウイルスはGSK社製ロタリックス、MSD社製ロタテック、肺炎球菌結合型ワクチンはファイザー社製プレベナー、MSD社製ニューモバックス、髄膜炎菌ワクチンはサノフィ社製メナクトラ、ポリオ不活化ワクチンはサノフィ社製イモバックス・・・、とこんな感じでこれらはすべて外資系の製薬会社です。現在世界的に注目されており、メキシコ、ブラジル、フィリピンなどで承認されたデング熱ウイルスのワクチンもサノフィ社製です。

 日本はワクチン開発が昔から苦手だったというわけではありません。ひとつ例を挙げると、水痘(みずぼうそう)ワクチンは日本人が開発し、現在世界中で多くの子供たちを救っています。皮肉なことに、多くの海外諸国ではとうの昔に定期接種に入っているのに、本家本元の日本で定期接種になったのはつい最近、2014年10月ですが・・・。

 化血研のワクチンも高品質で(海外製のものより値段が高いという欠点はありますが)、A型肝炎ワクチンや狂犬病ワクチンはとても優れたものです。製造に時間がかかるために供給が追いついていないのです。一時、狂犬病ワクチンは海外メーカーのものも承認すべきという議論があったのですが、最近この話題は聞かなくなりました。化血研と同じ水準の高品質のワクチンが海外製には存在しないからではないか、と私はみています。

 現在生命科学に興味を持っていて将来はその方面に進みたいと考えている若い人も大勢いるでしょう。そのような若い人たちが今回の化血研の報道をみてどのように思うでしょうか。東芝以上に徹底的に組織の”膿”を洗い流し、もう一度企業のミッションを見直し、研究者を目指す若い人たちの「理想の企業」となってほしい・・・。それが私の化血研に対する願いです。

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2016年1月12日 火曜日

2016年1月 苦悩の人生とミッション・ステイトメント

 昨年(2015年)の7月から毎日新聞ウェブサイト版の「医療プレミア」というサイトに連載コラムを持たせてもらっています。年始には特別企画ということで、年末に編集長が私におこなったインタビューが掲載されました。

 インタビューでは、私が個人的におこなっている健康の秘訣のほかに、なぜ医師になったのか、どのような医師を目指しているのか、といったことなども聞かれました。事前にインタビューを受けることを聞いていましたし、あらかじめ内容も教えてもらっていたのでこのインタビューを私は気軽に考えていました。

 ところが、インタビューは2時間以上に及び、随分と掘り下げたところまで尋ねられた、というか、結果として私が自分自身を日頃おこなわないレベルで省みることになりました。

 さすがは毎日新聞の編集長、楽しい時間をつくりながら巧みに質問を重ねてきます。自身の失敗談なども交えながら私からホンネを引きだそうとしているのかもしれません。インタビュー自体はとても楽しい時間であったのですが、私の回答は事前に”キレイに”まとめたものでは対処できませんでした。

 そのときは、過去のなつかしい思い出などを語ることになり心地よかったのですが、その夜から自分自身をじっくりと省みることとなりました。

 これまでどのような人生を歩んできたのか、というのが質問の骨子でした。私は社会人の経験もありますし、『偏差値40からの医学部再受験』という本を上梓していますから、そのあたりを詳しく尋ねられたのです。

 これまでの人生をざっとまとめると、高校時代に勉強ができず偏差値40程度であったが2ヶ月間の猛勉強で関西学院大学理学部現役合格。しかし大学の勉強に馴染めずに退学を考える。ところが同じ大学の社会学部の先輩の一言がきっかけで社会学部に編入を決意、編入学に成功。卒業後社会人になるが、社会学の勉強を本格的におこないたくて大学院進学を考える。ところが、社会学の勉強を続けるうちに生命科学に興味がでてきて医学部受験に方向転換。1年間の猛勉強で入学。医学部入学当初は医師ではなく医学者になることを考えていたが能力の限界を感じ臨床医に転換。どのような医師になるか決めかねていたところ、タイのエイズホスピスで出会った総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後に大学の総合診療部の門を叩く。その後複数の医療機関で研修を受け、クリニックをオープンさせる。

 と、このような感じです。一見サクセスストーリーに見えなくはありませんから、私はこれまでの自分史を事前に”キレイに”まとめていたのです。しかし、実際のところ、私の人生はスムーズに進んだわけではありません・・・。

 まず高校時代に相当悩みました。何に悩んでいたのかと問われれば、それさえも答えられないような悩みで、他人には分かってもらえないようなものかもしれません。当時の私は何が楽しいのかが分かっていませんでした。勉強、スポーツ、音楽活動(少しだけバンドというものをかじったことがあります)、遊び、恋愛、どれも中途半端、というか、何をしてもそれなりには楽しいものの、心のどこかで「何か違う・・・」という違和感を拭えなかったのです。

 何のために生きているのだろう、本当に大切なことは何なのだろう・・・、そんなことばかり考えて空虚な日々を過ごしていました。何もしなくても卒業する日は確実にやってきます。このままいれば高校卒業後は、町工場にでも勤めて、20歳前後で結婚して、その後子供ができて、趣味は車いじりとパチンコと週末のスナック通い・・・。そしてこの空虚感からは永遠に逃れられない・・・。そんなことを考えると、たとえようのない閉塞感に襲われ、息をするのも苦しくなったことがあります。

 当時の私の唯一の希望は「都会への憧れ」でした。いくつもの大学を見に行って関西学院大学を訪れたときに”身体に電流が流れるような衝撃”を受けた私はその後関西学院大学を目指すことだけを「生きる糧」にしました。

 そして合格。しかし今度は、自分が考えていた理想と現実のギャップに悩むことになります。大学進学の目的は都会への憧れ、ただそれだけでしたから、大学生が勉強しなければならないなどとはまったく思っていなかったのです。退学を決意し両親に相談するも却下(当たり前ですが)・・・。そんなとき先輩の一言で社会学部の編入学を考えることになりました(注1)。

 しかし事務局では「理学部から社会学部の編入は前例がないから無理」と却下されてしまいます。「前例は自分でつくるもの!」と考えて猛勉強の末に合格、と言えば聞こえはいいですが、そう簡単に気持ちを切り替えられたわけではありません。最終的には「背水の陣」を敷いて編入学試験に臨みましたが、合格する自信があったわけではありません。何しろ申し込みの時点で「無理」と言われていたのですから。

 編入学試験に合格しその後大学を卒業するまでは夢のような生活でした。時はバブル経済真っ只中、といってもお金はありませんでしたが、それでも毎日が楽しくて仕方がありませんでした。まさに私にとっての「酒と薔薇の日々」です。

 卒業後、私が就職したのは大阪にある商社です。このときは英語で苦労したものの、仕事自体は苦痛ではなくむしろ楽しい思い出の方がずっと多いといえます。

 しかし、楽しいはずの社会生活で再び苦痛に襲われます。このまま今の仕事を続けるべきなのだろうか・・・。これが自分が本当にやりたいことなのだろうか・・・。そのようなことが頭をよぎりだすと、ちょうど高校時代に感じたような閉塞感が再び私を襲ってきたのです。そんなとき、私の出した結論が社会学部の大学院進学。そして独学で社会学の勉強を続けるうちに興味が生命科学に向かうようになり、ついに医学部受験を決意するに至ります。

 そして受験勉強に専念するために退職するわけですが、医学部受験といった突拍子もないことを言い出した私を応援してくれる人などほぼ皆無です。予備校に行くお金などありませんから、独学でひたすら毎日勉強しました。そして1年後に合格を果たすことになります。

 医学部入学後は、再び大学で勉強できることが幸せだったのですが、学年が上がり勉強を重ねるにつれ、次第に「能力の限界」を感じるようになりました。そして、当初考えていたような医学者になることを諦めます。代わりに臨床医を目指すことになるのですが、このときには自分の将来の像が見えていたわけではありません。

 研修医を終えてから訪れたタイのエイズ施設で私の人生がほぼ決まることになります。社会から疎外されている患者さんをみてエイズという病に関わりたいと感じたと同時に、その施設にボランティアに来ていた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)をみて私が進む道が決まりました。帰国後私は大学の総合診療部の門を叩くことになります。

 その後は複数の医療機関、複数の診療科で研修を受け、大学に籍を置きながら大阪市北区に自分自身のクリニックをオープンすることになります。クリニックオープン後もいくつもの苦痛に見舞われましたが、最も辛かったのは、自身の「変形性頸椎症」に対する手術を受けたときです。手術は成功したものの芳しくない術後の経過が私を苦しめました。このときには、過去に診てきた患者さんのことが頭に浮かんだことなどがきっかけとなり、比較的早い段階で苦しみから抜け出すことができました。

 さて、改めて自分の人生を振り返ってみると「転機」が訪れたのは1997年、医学部1年生の終わり頃、28歳のときです。何か特別な事件があったわけではありません。生まれて初めて自分自身のミッション・ステイトメントをつくったのです(注2)。私はそれ以来、精神的な”ぶれ”がかなりなくなったように感じています。高校時代や会社員時代に私を襲った「何のために生きているのだろう・・・」という疑問に苦しめられることがなくなりましたし、将来の方向がはっきりしていなくても自分のミッションを持っていれば悩まなくてもいいことを理解するようになりました。手術を受けた直後には、一瞬それを見失いそうになりましたが、脳裏に現れた過去の患者さんに助けられたことがきっかけで、ミッション・ステイトメントを振り返ることになり自分自身を取り戻すことができました。

 これからも私はいろんな苦痛を感じることになるでしょう。また、文章にはできませんが、これまでの人生で人間関係や恋愛関係で傷つけたり傷つけられたりといったことは多々ありますし、これからもあるでしょう。人間関係からくる苦痛というのは、ときに生きる気力を奪うほど大きなものです・・・。

 私はここ数年、毎年1月1日にミッション・ステイトメントの全面的な見直しをおこなっています。この時間は私にとってとても大切な時間です。今年は、直前に毎日新聞の奥野編集長から鋭い質問を受けたおかげで、例年よりも心の奥深くにまで問いかけ、ミッションの見直しをおこなうことができました。そして、傷つけた人、傷つけられた人たちも含めてこれまで私と関わってきた人たちのことを考えていると、感謝の気持ちが沸き上がり身体の奥底からパワーがみなぎってくるような感覚に包まれました。

 そして、私の2016年がスタートしました。

注1:このあたりのことは過去にも書いたことがあります。興味のある方がおられれば下記を参照ください。

マンスリーレポート
2013年10月号「安易に理系を選択することなかれ(前編)」
2013年11月号「安易に理系を選択することなかれ(後編)」

注2:ミッションステイトメントについては下記も参照ください。

マンスリーレポート
2009年1月号「ミッション・ステイトメントをつくってみませんか」

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