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2018年9月10日 月曜日

2018年9月 人生を逆算するということ

 12年近く続いた「午前10時から診察開始」いう習慣が「11時から」に変わって10日ほど経過しました。幸いなことに、今のところ患者さんには理解をしてもらっていて特に大きなトラブルもなく診察ができています。前回のコラムで述べたように、私の出勤時間はこれまで通り6時45分とし、電話を取り始める午前8時までを自分の貴重な勉強時間として使っています。

 これまでは生活にまったく余裕がなく、勉強時間が捻出できないのが悩みでしたが、これからは貴重な1時間を使ってたくさんの論文を読んで(たまには書いて)有意義に過ごすつもりです。

 改めて「時間の使い方」を考えてみると、限られた残りの人生の時間をどう使うべきかという問題に直面します。診療に費やせる時間は、仮にあと10年間がんばれたとすると、だいたい月に20日診療をしていて1日平均患者数が70人とした場合、1カ月で1,400人、1年で16,800人、10年で168,000人となります。こう考えるとものすごく多いような気もしますが1年たてば1割減るわけです。月並みな言い方になりますが、一日一日を大切にし、一人一人の患者さんをじっくり診察しなければ、という気持ちになります。

 このように私は以前から、「この環境はあと〇年(△ヶ月)しか続かない。”卒業”までにしなければならないことがすべてできるか」と自分に問う「習慣」があります。この習慣は「自分を律する」という意味でとても有効なものだと思っています。そこで今回は(「余計なお世話だ」と感じる人もいるかもしれませんが)私のこの習慣を紹介します。

 ただし、最初に断っておくと、「自分を律する」を常に実践しているつもりですが、私の人生は計画通りに進んでいません。そして、50歳の誕生日を迎える前に気付いたひとつの「真実」があります。それは、「人生は思い通りにはいかない」ということです。

 人生は自分の思うようにはならずたいていは冷たいものです。そして、計画通りに事は運びません。私の人生など思い通りに進んだ試しがありません。職業にしても、過去に何度か述べたように自分が医師になるなどとは微塵も思っていませんでした。私が医師を真剣に目指しだしたのは医学部の4回生になってからです。そして、医師になった今も、この職業でよかったのか、自分に向いているのか、といったことに答えが出ていません。

 しかしながら、かといって「成り行きまかせだけの人生」には私は反対です。なぜなら、これは私見ですが「生涯を通して努力を続けなければならない」と考えているからです。「努力」というのは常にしんどさが伴います。ですが、たいていはその努力を終えた後は「やって良かった」と毎回感じるわけで、「初めから努力しなければよかった」と思うことはほとんどありません。これはその努力が結果につながらなかったときも、です。

 分かりやすい例をあげましょう。例えばあなたが「1年間勉強して医学部合格を目指す」と考えたとしましょう。その場合、基礎学力にもよりますが、医学部受験にはそれなりの努力が必要になります。そして1年間努力を続け、その結果、不合格だったとして、この努力はムダになるでしょうか。それは、努力と結果の程度によります。もしもあと一歩のところで合格に及ばず、そして翌年に合格したとすれば、もちろん(1年目の)その努力に価値があったわけです。

 では、努力したものの合格点には到底及ばず夢を諦めざるをえなくなった場合はどのように考えればいいのでしょう。この場合は、「その努力が充分であったかどうか、つまり精一杯努力したかどうか」を考えます。もしも「充分」であったなら、まず自分の実力を自分自身が客観的に評価できたという意味でやはり価値はあったのです。「努力しても到達できないことがはっきりした」ことを認識するのに意味があります。

 私自身も、過去に述べたことがあるように、研究者にはセンスも能力もないことを自覚してやめましたし、フランス語(以下仏語)にも挫折しました。私は医学の研究がしたくて医学部に入学し一生懸命に本や論文を読み、医学部のカリキュラムにある実験も積極的に取り組みました。ですが、あるときに「自分には無理」と納得せざるを得ませんでした。仏語にしても、医学部1回生のときに私が最も時間をかけて勉強した科目なのです。そして、あるとき「No Way!」(仏語ではなく英語で)と一人で大声をだして匙を投げました。医学の研究も仏語も、あっさりと諦められたのはなぜか。それはそれまで「精一杯努力をしていたから」です。もしも私の努力が中途半端なら、もっとやればできるかも……、といった甘い期待を捨てきれなかったかもしれません。

 では、努力は具体的にどのようなことをすればいいのでしょうか。これを考える上でのキーポイントが「逆算」です。今の例でいえば、私は「研究」については、医学部4回生のときまでに基礎の基礎をマスターすることを考えました。ですが、いつまでたっても劣等生のままであることに気づき「期限切れ」であることを認めました。仏語についてはほぼ1年間必死でおこないましたが、英語で言えば中1の二学期レベルくらいのあたりから伸びませんでした。私の目標は「1年で簡単な仏語の本を読む」でしたから、これでは人生500年あっても足りない、と考えて諦めました。

 逆算の「究極のかたち」は何でしょうか。それは「自分が死ぬ時からの逆算」です。そしてこのことに私が気づいた、というか教えてもらったのは、このサイトでも何度か紹介した『7つの習慣』です。同書の「第2の習慣」が書かれている章の冒頭に、自分が愛する人の葬式に行くと死んでいたのは自分自身だった、という逸話が紹介されています。これは、自分の葬式にはどんな人に来てほしいか、どんな言葉を述べてほしいかを常日頃から考える習慣を身につけなさい、というエピソードです。これを実践すると、では向こう30年間で誰とどのような時間を過ごし、どのような努力をすべきなのかをイメージすることができます。それができれば、10年後、5年後、3年後、1年後、1カ月後…、そして今日中にすべきこと、がイメージできるようになります。

 どのような葬式にするかは別にして、あなたが死んだときにあなたとの思い出をなつかしんでくれる人や、あなたが努力してきたことを認めてくれる人、さらにあなたに感謝の言葉をかけてくれるような人がいれば、あなたの人生は幸せだったと言えるのではないでしょうか。

 自身の最期までにすべきことは? 30年後に達成していたいことは? 1年後は?……、と考えれば自ずと重要なことがみえてきます。それは「時間をムダにしてはいけない」ということです。若い頃なら少々ムダな時を過ごしてもいいでしょうが、年齢を重ねるにつれて時間はとても貴重なものになってきます。年をとるほど時間がたつのを早く感じるのは万人共通でしょう。

 ただ、この「究極の人生の逆算」にはひとつ問題があります。それば「自分がいつ死ぬかが分からない」ということです。人生はいつも計画どおりに進まないのです。いつ寿命が尽きるのか、そして死因は何なのかが分かれば計画が立てやすいのに……、という考えても仕方のないことに私は今も思いを巡らすことがあるのですが結論はいつも同じです。それは「明日死ぬかもしれない。それでも後悔のない生き方をするにはどうすればいいのか。それは今日という一日をムダにしないことだ」というものです。

 こういったことを考えながら、私は毎朝7時からの1時間、勉強に勤しんでいるというわけです。

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2018年8月27日 月曜日

第146回(2018年8月)タイの医療機関を受診~ワクチン・HIVのPEPを中心に~

 GINAのウェブサイトをみて、「タイではどこの病院に行けばいいですか」という問い合わせをしてくる人が大勢います。受診理由として最も多いのが「HIVのPEPはどこで受けられますか」というものです。また、HIV陽性の人から、「タイでHIVの治療を受けるならどこがお勧めですか」、という質問もときどき届きます。

 HIV関連以外では、「タイで病気や怪我をしたときにお勧めの病院はありますか」、というものはよくあります。最近は、「タイでワクチンをうつと日本とは比較にならないほど安いって聞いたんですけど……」という問い合わせも増えています。

 そこで今回は、タイで医療機関を受診するならどこがいいのかについて目的別に紹介していきたいと思います。まず、総論として次のポイントを押さえておきましょう。

・タイの社会保険を持っていないなら基本的には自費診療。突然の病気や怪我の場合は海外旅行保険が使えることが多い。

・タイで働いている人は(working permitを取得していれば)社会保険が使える。ただし、受診先は勤務先が指定する場合が多く、指定病院は(ときに設備が充分でない)公立病院となる。そういった病院では、日本語は通じず、医師以外の医療者は英語ができないこともある。

・「豪華な病院」にはたいてい日本語の通訳がいる。費用は高く救急車を呼べば数万円のことも。海外旅行保険が使えることが多いが、保険会社が認めなければ救急車の費用などは適用されないこともある。

・クリニックはたいてい自費診療。ただし日本と異なり病院とは費用に差があり、一般に病院よりも安い。タイ語ができれば問題なく受診できる。英語だけでも医師との対話はまずOK。

・夜間などクリニックが開いていない時間帯で「豪華な病院」を避けたい時は、タイ人が利用する公立病院受診を検討すればよい。クリニックと同様、タイ語ができれば問題なし。英語だけでも医師との対話はOK。

 だいたいこんなところです。ではバンコクの情報をお伝えします。チェンマイは後半に記します。今回は他の地域の情報はありません。

〇突然の病気や怪我が起こったとき

 バンコク近郊にいるときに「軽症」なら次の2つのクリニックは検討してもいいでしょう。日本人御用達のクリニックで日本語の通訳が常駐しています。下記URLも日本語です。

DYM+ Clinic
BLEZ Clinic

 「重症」の場合や上記クリニックが閉まっている時間であれば下記の3つのいずれかの「豪華な病院」が適しています。いずれも日本語の通訳がいます。下記URLも日本語です。

Bumrungrad International Hospital 
Samitivej Hospital
Bangkok Hospital 

〇HIVのPEP/PrEPを希望するとき 

 最もお勧めなのはタイ赤十字が運営する「Anonymous Clinic」http://en.trcarc.org/?page_id=632。タイではPEPは日本とは異なった使い方をします。(参照:Thailand National Guidelines on HIV/AIDS Treatment and Prevention 2017)

#1 テノホビルジソプロキシルフマル酸塩(Tenofovir disoproxil fumarate)300mg + エムトリシタビン(emtricitabine)200mg(ツルバダ)
#2 リルピビリン(Rilpivirine)25mg 
#3 ラルテグラビル(Raltegravir)400mg(アイセントレス)

 日本では#1を1日1錠と#3を1日2錠飲み、1日あたり約10,000円もかかります。タイの標準的な飲み方は#1と#2を1日1錠ずつです。費用はAnonymous Clinicを利用した場合、#1は一番安いジェネリック薬品を用いればなんと1錠12.25バーツ(約37円)、#2は1錠6.25バーツ(約19円)(いずれも2018年8月現在)です。合計で1日あたり18.75バーツ(60円未満)、なんと日本の170分の1の値段です。

1日あたり60円なら、日本で感染の機会があったとしても翌日にLCCなどを利用してバンコクに渡航する価値が充分にあるでしょう。ちなみに、タイのLCCノックスクートは10月30日から関空→バンコクを飛ばしますが、セール価格は8,900円です。

タイで日本と同様#1と#3の組み合わせにするのは、感染したかもしれないウイルスが耐性ウイルスである可能性を考えたときです。#3はタイでも高価ですが、それでもAnonymous Clinicでは1錠128バーツ(2018年8月現在)です。これを1日2錠のみますから、1日あたりのPEPは#1の12.25バーツ+#3の128×2(=256バーツ)で合計268.25バーツ(約810円)となります。

 PrEPは日本でもタイでも#1を1日1錠が基本です。日本では一月あたり10万円以上かかりますがタイではわずか1,200円程度です。

 当然のことながら治療を受けるときも日本とは比較にならないくらい安くつきます。薬の組み合わせによっては日本で3割負担の治療を受けるよりもはるかに安くなるというわけです(もっとも、日本では所得にもよりますが厚生医療の適応になりますから本人負担はさほど高くありません)。

 タイではHIVは日本よりもはるかに感染者が多くコモン・ディジーズとなっていますから、基本的に多くの病院/クリニックで治療が受けられます。GINAが調べた範囲ではAnonymous Clinicが最も安い費用で提供しています。

〇ワクチンを接種するとき

 ワクチンは次の2つのいずれかがおそらくタイで最も安いでしょう。ただし双方とも日本語は通じません。タイ語か英語がある程度できなければ受診は困難でしょう。

Thai Travel Clinic
  マヒドン大学の熱帯医学病院の中にあります。ワクチンのプライスリストはウェブサイトで閲覧できます。

・タイ赤十字のImmunization and Travel Clinic 
  先述のAnonymous Clinicと同じ敷地にあります。このクリニックのすぐ隣には「ヘビ園(snake farm)」があり観光名所となっています。ワクチンのプライスリストは公開されておらずクリニック内に掲示されているだけです。

 例えば狂犬病ワクチンは日本では1本15,000円ほどしますが、上記クリニックではいずれも1,100円ほどです。麻疹・風疹混合ワクチンは日本では10,000円以上しますが(さらにすぐに在庫切れになる)、上記クリニックではMMR(麻疹・風疹・おたふく)ワクチンが600円ほどです。

〇チェンマイの医療機関

 クリニックについては情報不足でよくわかりません。基本的にはタイ語か英語ができないと受診は困難です。メサドン療法(麻薬依存症の治療)を実施しているクリニックもあります。

 日本人が受診しやすいのは次の5つの病院です。

Chiangmai Ram Hospital
トータルでみれば一番お勧めです。救急車は無料ですし日本人スタッフが丁寧に対応してくれます。

Rajavej Chiangmai Hospital 
タイで働いている人なら社会保険も使えることがあるそうです(受診前に確認してください)。日本語の通訳がいます。

Lanna Hospital  
Rajavej Chiangmai Hospitalと同様、社会保険が使えることがあるそうです(やはり受診前に確認してください)。日本語の通訳がいます。

Bangkok Hospital Chiang Mai
費用が元も高いと言われています。救急車要請は数万円かかることもあるようです。日本語の通訳がいます。

McCormick Hospital
これら5つの病院で最も費用が安いと言われています。ただし日本語の通訳はいませんから、タイ語か英語での診察となります。

 その他下記の病院があります。いずれも旅行者向けではありません。

Nakornping Hospital 
国立病院です。

Maharaj Nakorn Chiang Mai Hospital
通称Suandok(スワンドーク) Hospital。チェンマイ大学医学部附属病院で国立です。

Chiang Mai Neurological Hospital 
神経疾患の専門病院でチェンマイ市立病院です。

〇最後に

 上記情報はいずれも2018年8月現在のものです。受診前には直接医療機関に問い合わせられることを勧めます。医師と患者には”相性”がありますが、タイの医療機関を受診した人たちの話によると通訳との相性も重要のようです。「あそこの病院は通訳がイヤだから二度と行きたくない」という声も何度も聞きました。個人的には、タイが好きな人やタイに繰り返し渡航する人はタイ語か英語を勉強して通訳なしで受診することを勧めます。

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2018年8月20日 月曜日

第180回(2018年8月) 月経に対する考え方のコペルニクス的転回

 男女は社会的には平等であらねばならないわけですが、生物学的・医学的には「同じ」ではありません。我々医療者は常にその「差」や「違い」を考えて診察をおこないます。妊娠の可能性があれば放射線の曝露を避けねばならない、奇形のリスクがある薬を避けなければならない、などは分かりやすい例だと思います。

 では、妊娠・出産・授乳などだけを問診で確認すればいいかというとそういうわけではなく、そもそも妊娠に気付いていない女性は少なくありません。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)でも、「妊娠は絶対にありません」と主張するものの実際は妊娠していた、というケースがありました。我々医師は医学生の頃に「女性をみれば妊娠を疑え」と習います。この言葉は、解釈の仕方によっては「避妊の管理くらいきちんとできています」という女性には失礼でしょうし、そもそもまったく性行為がない、あるいはパートナーが同姓という場合には失礼を通り越した無礼な考えだと思います。ですが、もしも妊娠の可能性があれば医療行為が大変な事態を引き起こすことになりかねませんから我々はかなり慎重にならざるを得ないのです。

 もうひとつ、妊娠以外に、というよりも”妊娠していないからこそ”考えなければならないのが「月経との関連」です。多くの疾患や症状において、月経時あるいは月経前に悪化する、あるいは改善するものがあります。男性の場合(ストレートだけでなくゲイであったとしても)は、こういったことを考える必要がありませんからある意味でラクです(ただしホルモン剤を使用しているトランスジェンダーの場合は別の視点から考える必要があります)。

 月経に関連する症状や疾患として、まず(当たり前ですが)月経痛や月経過多(月経血が増える)があります。子宮筋腫があればこれらの症状は悪化します。子宮内膜症も同様です。

 PMS(月経前緊張症候群)という病名は随分と人口に膾炙してきました。月経前に、イライラ、不安感、抑うつ感、不眠、集中できない、涙もろくなる、などいろんな精神症状が出現します。身体の症状も伴うことがあります。例えば、むくみ、おなかのはり、頭痛、めまい、腰痛、便秘や下痢、動悸、発汗、乳房痛や乳房のはり、などです。

 ニキビも月経周期に関連することが非常に多いと言えます。月経前に悪化し月経が始まると改善するというパターンが一番多くて、これは黄体期(排卵から月経までの期間)に分泌される黄体ホルモン(プロゲステロン)が皮脂の分泌を促すことが一因です。通常のニキビの治療をおこなってもどうしても月経前だけは悪化するという人は少なくありません。

 谷口医院は「どのような症状でも相談してください」と12年間言い続けています。他の医療機関では診断がつかず、いわゆるドクターショッピングを繰り返している人も大勢います。めまい、腹痛、動悸などで長年苦しんでいる人が受診した場合、男性であれば最も多いのが自律神経のバランスが乱れて諸症状が出現しているケース、次に多いのがうつ病など精神疾患に伴って症状が現れているケースです。もちろん、女性の場合もこういったことが原因である場合は多いのですが、月経に関連しているかどうかを必ず確認しなければなりません。

 月経に伴い症状が出現するなら女性ホルモンが関連しているだろうから避妊用のピルを用いてホルモン量を適切にコントロールすればいいのでは、という考えが当然でてきます。実際、一部の女性には以前から月経に関連する症状や疾患の改善目的で避妊用ピルが使われてきました。そして、子宮内膜症がある場合に限り保険適用になる「ルナベル」という薬が2008年に発売され、2010年には超低用量ピル「ヤーズ」が登場し、こちらは内膜症のみならず「月経困難症」があれば保険で処方できることになり、これで一気に使用者が増えました(ただし、発売直後に重篤な副作用の報告が相次ぎ慎重になる声もありました(注1))。

 月経困難症というのは月経痛や月経過多を含む月経に関する諸症状のことを言いますから、軽症であっても何らかの症状があれば保険でピルが使用できる可能性がぐっと高まったのです。さらに「ルナベルULD」という超低用量ピルも2013年に登場し、低用量ピルのルナベルは2013年より「ルナベルLD」と名前を変え、内膜症のみならず月経困難症にも保険で処方できるようになりました。また、ルナベルLDの後発品「フリウェル」が登場、費用は3割負担で1000円を切るようになりました。尚、避妊目的の自費のピルと区別するために、最近は自費のものを「OC」(oral contraception)とし、月経困難症などに治療目的で保険処方できるものを「LEP」(Low dose estrogen-progestin)と呼ぶようになってきています。

 そして、さらに大きな展開がありました。2017年4月、上述のヤーズが「ヤーズフレックス」と名前を変えて発売となりました。ヤーズフレックスの成分はヤーズとまったく同じです。1錠あたりの値段は少し安くなっていますが基本的には「まったく同じ」です。では何が違うのか。ヤーズは毎月一度出血を起こすように説明されているのに対し、ヤーズフレックスは休薬せずに続けて飲んでもOK、とされたのです。最長120日まで連続してもいいですよ、ということになったわけで、この飲み方をすればこれまで毎月来ていた(来させていた)月経が年に3回だけになるのです。

 ということは、毎月経験していた「苦しみ」も年に3回だけになります。これはありがたいことですが、そんな”自然に反したこと”をしてもいいのでしょうか。

 まさにこの点がヤーズフレックスの「ポイント」です。実は以前から、月経が毎月起こるのが正常なのかはずっと議論されてきました。たしかに、少子化などと言われるようになったのはせいぜい過去数十年の話であり、それまでは生涯に4~5人、あるいはそれ以上出産する女性も珍しくなかったわけです。そして、妊娠中と授乳中(の一定期間)は月経がとまったままです。ということは、妊娠10か月及び出産後3か月は無月経だったとして、それが5回あったとすると少なくとも65か月間は無月経ということになり、現代に比べて平均寿命が短かったことや栄養状態がよくなかったことなどを考えれば、さらに月経の回数が少なかったことが予想されます。

 ということは、現代のように少子化、あるいは生涯まったく子供を産まなくなった時代、10代半ばに始まった月経が50歳前後まで毎月続くとなると、こちらの方がずっと”不自然”、少なくともこれまでの人類の歴史上なかったことを経験しているということになります。実際、子宮内膜症や月経困難症が過去数十年で急増している理由が「月経の回数が増えたからではないか」と言われています。

 谷口医院は例によって発売直後の薬は慎重に進めます。ヤーズフレックスはヤーズと同じものですが、連続服用の日本でのデータが多くないために積極的に勧めていませんでした。ですが、発売1年以上経過し、全国的に使用者が増え、大きな副作用の報告もないことから、必要と思われる患者さんには説明し処方を開始しています。今のところ際立った副作用はありません。ただ、いきなり120日間連続服用するのではなく、最初は2か月くらいで休薬して出血を来させる方法を選択する人が多いようです。また、ヤーズフレックスに替えてから月経予定日を自由自在に決められるのがありがたいという声は多く寄せられています。

 おそらく今後も、「月経は毎月こさせるのではなく自分自身で調節する」ことを選択する女性は増えていくでしょう。

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注1:医療ニュース2013年10月28日「超低用量ピルでの2人目の死亡例」

参考:はやりの病気第87回(2010年11月)「超低用量ピルの登場」

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2018年8月6日 月曜日

2018年8月 診察時間の変更と私の「終活」

 20代30代の若いうちは、本当はそうでなくても「体力だけは自信があります!」と宣言してしまうのも、「己の身体で生きていく」を実践していく上でのひとつの方法だということを先月のコラムで述べました。

 もうすぐ50歳の誕生日をむかえる今の私の立場からみても、若いうちは「体力」を武器にすべきだという考えは変わりません。そして、そのことを裏返してみると「老いれば体力は落ちる」という当たり前の事実です。

 来月(2018年9月)から太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)の診察開始時刻を1時間遅らせて午前11時からとさせていただきます。「ただでさえ予約が入りにくいのに!」とお叱りの声もあると思いますが、過去数カ月間いろんな観点から熟考した上での結論です。

 なぜ診察開始時刻を遅らせるのか。最大の原因は私の体力の問題です。2007年にオープンしてから今までの間、私のスケジュールは、7時前にクリニック到着 → 7時から10時前:前日のカルテ記載およびメール相談の返答 → 10時から13時半頃:午前の診察 → 13時半から16時半:昼食、昼寝、午前診察のカルテ記載、論文や医学誌、教科書などの抄読 → 16時30分から21時30頃まで:午後の診察 → その後帰宅・就寝 → 翌朝4時45分起床、という感じです。

 数か月前まではこのスケジュールが自分に合っていたようで、睡眠時間は夜間の5時間と昼寝15分くらいでちょうどよかったのですが、最近これでは身体がもたなくなり、ついつい昼寝の時間が1時間を超えてしまう日が相次ぐようになってしまいました。しかも、昼寝タイムの後半は、熟睡しているわけではなく「起き上がって論文を読まなければ…」という気持ちがあるけど身体が動かない…、という状態で目覚めもよくありません。

 ではどうすべきなのか。最終的に出した結論が、論文などの抄読を朝の診察前に持ってきて昼休みは1時間弱くらい眠る、というものです。起床時間を遅らせるという方法も考えたのですが、私の場合長年4時45分に起きるという習慣が根付いていますし、朝は朝でやることが多くここは変えられないという結論になりました。週に4回ほどジョギングをしていて、これは5時台に走るから交通量が少なく走りやすいのであって、1時間遅らせば一気に走りにくくなります。

 ただ、自分の都合で診察開始時刻を遅らせて患者さんの不利益になることは極力避けなければなりません。そこで、午前の診察の終わりを30分ずらして14時までとすることにしました。そして予約枠を少し増やすことにしました。また、最も予約が埋まりやすい土曜日はこれまで通り午前10時から開始のままにします。こうすることで、時間変更後予約が取りにくくなったという声を最小限に抑えられるのではないかと考えています。

 予約枠を増やしたなら診察時間が短くなるのでは?、という声もあるでしょうが、案外そうでもないのでは、と考えています。というのは、最近、具体的には2~3年前から極端に時間のかかる患者さんが減ってきているからです。以前は初診なら30分以上かかるような人も日に1~2名いて、待ち時間が大幅に遅れることもあったのですが、最近こういう症例は稀です。その理由はいくつか考えられますが、おそらく最大の理由が「景気が良くなったから」ではないかというのが私の分析です。

 谷口医院は「精神科」を標榜していませんが、心の不調を訴えて受診する人がオープン以来たくさんいました。しかし最近、こういった人たちが激減しています。その理由として考えられるのが、そういった人たちが仕事を得ることができて元気になった、ということです。実際、過去にも述べたように「どんな抗うつ薬も僕には効きません。きちんと給料の出る仕事が得られればうつ病は治るんです」と診察室で主張した患者さんも何人かいました。さらに、仕事をしているということは受診するにしても、仕事が終わってから、つまり午後6時以降の受診となります。谷口医院は午前は予約制、午後は「受診された順」です。仕事がなければ午前に受診する時間がありますから、以前はそういった人達が午前の予約枠を利用していたのです。

 もちろん午前のひとりあたりの診察時間が減った理由がこれだけですべて説明できるわけではありませんが、平均診察時間が減少しているのは間違いありません。こう言うと、なんだか開始時刻を遅らせることへの「言い訳」に聞こえるような気がしますし、そもそも、「谷口医院の近くで11時から仕事が始まる。だからいつも10時に予約していたのに」という患者さんにはお詫びするしかありません。ですが、予約表上の予約枠数はほぼ変わっていないのでなんとかやっていけるのではないかと考えています。

 ところで、私は今年50歳になりますから、当然と言えば当然ですが「若く」ありません。年を取ることに抗っているわけではありませんし、いわゆる「アンチエイジング」というものにも興味がありませんが、最近あるメディアの人から「若手のために文章を書いてください」と言われて心臓が止まりそうになりました。というのは、「えっ、僕が”若手”じゃなかったの?」とまず思ったからです。

 私は別の大学と会社員を経て医学部に入学しましたから、現役で医学部に入った同級生より9歳年上です。といっても、研修医のときに30代前半ですからまだまだ「若僧」です。研修医のときもそれ以降も私は、時間さえあれば(お金は借りてでも)いろんな学会や講演会に参加していました。ちなみに今も学会参加は私の「趣味」のようなものです。学会の種類にもよりますが、たいてい参加者の平均年齢は私よりずっと上です。いい質問(かどうかは分かりませんが)をすると、年配の先生方から「君のような”若い”医師にがんばってもらいたい」という言葉をかけてもらえるわけです。また、私自身、教科書や論文の読み方、つまり勉強の仕方は研修医の頃と何ら変わっていませんから、無意識的に今も研修医(つまり若い医師)のつもりでいたのです。

 「若手のために書いてください」と言われて驚いた私が次に感じたことは、「よし、やってやろう!」ということです。このサイトでも伝えたように、私自身、数年前から「新しいことを学びたい」という気持ちを維持している一方で、「学んだことを若手に伝えていかなければ…」という思いがだんだんと強くなってきています。

 当院に来る研修医にはそれを伝えていますが、もっと広く伝えられないか、と思案していたというわけです。「若手のために…」と言ってくれたメディアの人は『日経メディカル』の編集者です。そういう経緯があって、先月(2018年7月)末から、「梅田のGPがどうしても伝えたいこと」というタイトルで私の連載が始まりました。GPとはgeneral practitionerの略で「総合診療医」という意味です。ただ、このサイトは医療者限定のものですから、一般の方は読むことができません。ちなみに、私がウィークリーで連載を担当している毎日新聞の「医療プレミア」は、2018年3月までは月に5本まで無料で読めましたが、4月以降は1日読み放題100円コースに申し込むか、月の契約をしなければ閲覧できなくなってしまいました。

 私は以前から50歳になったときにそれまでの人生を「総括」しようと思っていたのですが、どうやらそのタイミングが前倒しで来てしまったようです。体力の低下を自覚し、診察開始時刻を遅らせ、医療への取り組みは「勉強」から「伝授」に少しずつシフトしてきています。患者さんを診察できるだけの体力と知力を維持できる期間はあと10年くらいでしょうか。それとも20年くらいは頑張れるでしょうか。

 私の「終活」が今、始まっているような気がします。

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2018年8月6日 月曜日

2018年8月6日 アボット社の「FreeStyleリブレ」は普及するか

 歴史に残る画期的な家庭用医療機器になるだろう…。

 これは、2017年1月、アボット社の「FreeStyleリブレ」(以下「リブレ」)が発売されたときの私の最初の印象でした。なにしろ、針を刺すことなく身体にパッチを貼るだけで血糖値が24時間モニタできるのです。今までのように一日に何度も針を刺して血を出して測定する必要がありません。

 しかも保険適用があると言います。ならば普及するに違いない…、と考えたいところですが、私はそうはならないと思いました。その理由はふたつあります。

 ひとつは、保険適用があるといっても、保険点数が(なぜか)異常に低く設定されており、医師が患者さんに勧めると(まず間違いなく)患者さんは喜ぶでしょうが、医療機関側が赤字になるということです。そしてもうひとつの理由は、保険適用は「インスリンを使っている患者」に限定されていることです。10年前ならある程度普及したかもしれませんが、現在糖尿病でインスリンが必要なケースは激減しています。これはすぐれた内服薬や(インスリンでない)注射薬が登場したからです。

 では自費でもいいから「リブレ」を使いたいという人はいないのか。もちろん大勢の人がそう思うと思います。実際に糖尿病で内服薬を使っている人はもちろん、現在投薬なしで食事療法と運動療法で経過をみている糖尿病(あるいは糖尿病予備軍)の患者さん、あるいは、高血糖を指摘されたことはないけれど自身の血糖値に関心のあるいわば「健康オタク」の人達も関心を持つでしょう。

 問題は費用です。小さな器械を購入する必要がありこれが約8千円、2週間使用できるパッチが1枚約8千円です。ということは最初の月は約24,000円、次の月から毎月約16,000円がかかります。この費用を捻出できる人はそう多くないでしょう。
 
 というわけで、コストが大幅に下がらない限りこの製品が普及することはない、というのが発売時に私が出した結論でした。

 ところが…。私の予想に反して使用している人がじわりじわりと増加してきています。当院の患者さんのなかにも少しずつ増えてきています。私自身は依然「家計が苦しい」と言っている患者さんを多くみていますから好景気という実感はないのですが、生活に余裕のある人が増えてきているのでしょう。

 現在費用が高すぎるといっても、この製品が極めて優れたものであることには変わりありませんから、いずれ価格が下がり広く使われるようになり、針を刺して血糖を測る方法はなくなるでしょう。電子メールが普及してFAXがすたれたように。

 また、現時点では実用化にいたっているとは言えませんが、いずれスマホで血糖値が管理できるようになるでしょう。すでに、いくつかの会社から出ている体重計、血圧計、機能的時計?(なんと呼べばいいのでしょうか。「Apple Watch」や「Fitbit」のことです)を使えば、体重、血圧、24時間の心拍数、睡眠の程度、運動量(消費カロリー)などが記録できます。

 「スマホで健康管理」は確実に進化し続けています。

メディカルエッセイ第150回(2015年7月)「スマホで健康管理」

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2018年7月30日 月曜日

2018年7月30日 ハワイの日焼け止め禁止の続報~多くの日本製も禁止に~

 医療ニュース2018年5月25日「日焼け止めが禁止されてもサプリメントはNG」でお伝えしたように、2021年1月1日よりハワイのビーチで一部の成分を含むサンスクリーン(日焼け止め)が禁止されることになります。

 その医療ニュースで、私は「日本人はさほど心配ない。なぜなら太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)では紫外線吸収剤が含まれているサンスクリーンは勧めていないから」と述べました。

 しかし一部の読者から「それは谷口医院の患者のことであり、紫外線吸収剤が含まれているサンスクリーンが一般的ではないのか」という指摘があり、たしかにその通りですので、今回はその点を補足しておきます。

 まず、ハワイ州が問題にしているサンスクリーンの成分は次の2つです。

・オキシベンゾン(oxybenzone)
・オクティノクセイト(octinoxate)=メトキシケイヒ酸エチルヘキシル(Ethylhexyl methoxycinnamate)

 メトキシケイヒ酸エチルヘキシルは、日本のサンスクリーンで最も高頻度に用いられている紫外線吸収剤のひとつです。

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 これまで谷口医院では(サンスクリーンの相談をされる人のほとんどが肌が弱いということもあり)、サンスクリーンと言えば「紫外線吸収剤が含まれていないもの」を推奨してきました。ですが、上記読者の指摘にあるように、実際に市場に出回っているもの、積極的なCMがおこなわれているものは、ほとんどが紫外線吸収剤が含まれています。そして、その大半がハワイのビーチで禁止されることになる成分が含まれているというわけです。

 今のところ、ハワイのビーチ以外ではこのような禁止措置が取られるという情報は(私の知る限り)ありませんが、今後世界中で同じムーブメントが起こるかもしれません。肌がさほど弱くないという人も、今のうちに紫外線吸収剤を含まず紫外線散乱剤だけでできているサンスクリーンに変更した方がいいかもしれません。

 尚、上記医療ニュースでお伝えしたように「サンスクリーンに置き換わる錠剤やカプセルはない」ことをここで繰り返しておきます。

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2018年7月26日 木曜日

第186回(2018年7月) 裏口入学と患者連続殺人の共通点

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 過去には二十人以上の裏口入学者が出た年もありました。去年は「裏口入学の申込者が七十人くらいいて大変だ」という話を聞きました。去年の一般入試の定員は七十五人ですから、もちろん全員を受け入れたはずはないでしょうが・・・・
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 これは「週刊文春」2018年7月19日号に掲載された東京医大のあるOBのコメントです。75人の定員に裏口入学が20人以上…。これが事実なら(OBが述べているからその可能性が高いでしょう)国を挙げて捜査すべきではないでしょうか。

 裏口入学って本当にあるの? これは私が医学部に入学してから知人から何度も聞かれた質問です。その度に私は「自分の知る限りない」と答えてきました。実際、私の母校の大阪市立大学医学部では「過去も現在も一例もない」と私は今も信じています。6年間の在学中も卒業してからもそのような話は一度も聞いたことがありませんし、極端に学力が低い医学生も見たことがありません。

 ただ、私が医学生の頃から「私立の医大では裏口入学がある」という話は何度か聞いたことがあります。また、替え玉受験の噂も数回聞いたことがあります。ですが、当時も今もそのようなことを検証する気力もコネも私にはありませんし、おそらく他の医大生や医者もそうでしょう。このような「詐欺行為」はあってはならないわけですが、分かりやすい”被害者”がいるわけではありませんから、告発する人がいませんし、訴えがないなら警察や検察も動くことはありません。

 ですが、今年(2018年)に発覚した「東京医大裏口入学事件」をきっかけに不正行為の徹底調査をおこなうべきではないか、と私は思います。いえ、私だけでなくほとんどの国民がそう思うでしょう。先に「被害者はいない」と述べましたが、正確にはいます。まず、不正行為で入学した者のせいで合格点に達していたのに不合格にされた「正直者」は被害者です。また、たとえ医師国家試験に合格していたとしても、医学部に不正行為で入学した者に医療行為を受ける患者さんはどうなるのでしょう。

 医師国家試験に合格しているのだから医学部には裏口入学で入っていても別にかまわない、と思える人はどれだけいるでしょうか。そもそも医師国家試験は合格率が9割を超える”簡単な”テストです。簡単と断言するのは問題かもしれませんが、「それなりの勉強」をしていれば不合格になることはありません。「それなりの勉強」というのは、高校受験や大学受験とは異なります。

 少し話がそれますが、せっかくですから国家試験の種明かしをここでしておきましょう。例えば難関大学の受験(もちろん医学部も)や司法試験などのような合格率が低い試験というのは、他人が解けない問題を解かなければ合格はありません。ですからいわゆる「難問」にも対応せねばならず、全問ではなくても多くの受験生がむつかしいと感じる問題にも正解する必要があります。

 一方、医師国家試験のような9割以上が合格する試験の場合は、大半の受験生と同じ選択肢を選べば合格するわけです(医師国家試験はマークシート方式)。さらに医師国家試験の場合は、正解率の低い問題は「無効」とみなされるというルールもあり、合格するには「みんなと同じ答えを選ぶ」が近道になります。実際、私が医師国家試験を受けたとき、「これはよくあるひっかけ問題だな」と感じれば、ひっかからないように回答しましたが、「これはどちらの意味でも解釈できるからおそらく正解率は下がるはず」と感じた問題は不正解でもOKと判断しました。医師国家試験に不合格となる者というのは、勉強のできない学生では決してありません。普通の医学生が読まないような高度な専門書を学生のうちから読んでいて一目置かれているような学生、つまり他の誰もが分からない問題を答えることができる学生が不合格になることもあるのです。

 話を戻すと、医師国家試験に合格したから医学部に不正入学していてもかまわないという考えは完全に間違っています。「医師は公人であり公僕である」というのは私が言い続けている言葉で、これを万人に押し付けるつもりまではありませんが、医師になるための試験には「公正さ」が絶対に必要です。

 ところで、そもそも不正をしてまで医学部に入学するメリットはあるのでしょうか。「ある」からそのようなことをする者がいるということでしょう。これについては後で述べるとして、最近報道された裏口入学以上に衝撃的な事件を振り返っておきましょう。

 横浜市の病院で2016年に起こった連続殺人事件は、ひとりの女性看護師が消毒液ジアミトールを患者さんの点滴に混入させたことにより発症しました。2018年7月の逮捕後「20人以上にやった」と自供しているとか…。
 
 俄かには信じがたいこの事件、動機がよく分かりません。一部の報道では「自分が勤務のときに患者が亡くなると対応が面倒くさい」と話しているとか…。しかし、そのような理由で殺人を犯すでしょうか。これが事実だとすると精神疾患を患っていたということになるのでしょう。とすれば罪に問えなくなるのでしょうか。

 報道から判断すると「この女性は看護師になるべきではなかった」のは間違いありません。患者さんや家族とのみならず他の医療者ともコミュニケーションがとれていなかったようです。看護師には、そして医師にも「向き・不向き」が間違いなくあります。さっさとそれを自覚して、仕事を変えるべきだったのです。

 こういうと「せっかく苦労して資格をとったんだから…」という声が上がりますが、看護師免許があれば有利な仕事は他にもたくさんありますし、看護師として働くとしても患者さんとコミュニケーションをとらない仕事(例えば健診の採血など)もあります。

 医療者にとって絶対に必要なものはいろいろとありますが、私が最も重要だと思うのは「医療に対する畏敬の念」です。過去に紹介した「ヒポクラテスの誓い」やフーフェランドの「扶氏医戒之略」も「畏敬の念」がそれらの基礎にあると私は考えています。我々医療者は医療の原理原則には跪くしかないのです。だから、いかなるときも患者さんの利益にならないことはやってはいけませんし、信頼を失うような言動をおこなってはいけないのです。

 過去のコラムで私は「医師(のほとんど)は人格者だ」と述べました。私を昔から知る人達からは「お前が言うな!」と笑われるでしょうが、そんな私でも「人格者にならねばならない」と日々思い続けています。患者さんは自分の家族にも言えないようなことも医療者には話します。通常の社会生活では他人にホンネを話すことはさほど多くないでしょうが、医療者には本当に困っていること、辛いことを話します。

 我々医療者は、もちろん医師のみならず看護師や他の職種の者も、そんな患者さんの要求に答えなければなりません。それなりに辛いことがあっても、医療者としての矜持は失ってはならず、その矜持を維持するには「医療に対する畏敬の念」が必要です。不正行為が過去にあるなら「畏敬の念」を抱けるはずがありませんし、患者さんとのコミュニケーションを放棄するのならすでに医療者の「矜持」をなくしています。

 裏口入学をおこなった者は直ちに医師を辞めるべきです。それができないのであれば、少なくとも患者さんと接する仕事からは手を引くべきです。それくらいの「良心」はまだ残っていることに期待します。良心の呵責に生涯苛まれながら自身の過去を隠し通して患者さんと関わることは相当辛いに違いありません。美容外科手術で人相を変えて警察から逃げ続ける指名手配犯のようだ、と言えば言い過ぎでしょうか。

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2018年7月26日 木曜日

第179回(2018年7月) 認知症について最近わかってきたこと(2018年版)

 80歳になると二人に一人が罹患すると言われている認知症。かつてはワクチンに期待されたこともありましたが、手掛けていた製薬会社はすべて研究を中止し、一応は効果があるとされている数種類の治療薬も「進行を遅らせることもある」というだけであり、劇的な効果は期待できません。

 ならば早期発見をということになりますが、4年前のはやりの病気「第131回 認知症について最近わかってきたこと」で取り上げた87%の確率で推測できるとするオックスフォード大学の研究もその後報道されておらず、おそらく実用化は困難ということでしょう(注1)。〇〇を食べれば予防になる、有酸素運動は有効?…、などいろんなことが言われていますが、現時点では「△△をすれば確実に防げる」「◇◇をすれば確実に進行が止まる」というものはありません。それでも、世界中からいろんな研究が発表されていますので、今回はそれらを紹介したいと思います。

 まずは「遺伝」についてみていきましょう。アルツハイマーになりやすい遺伝子は”確実に”存在します。そして(ほぼ)万人が認める特定の遺伝子も特定化されています。それは「ApoE遺伝子」と呼ばれるものです。過去のコラム(メディカルエッセイ第179回(2017年12月)「これから普及する次世代検査」)でも紹介したように、ApoE遺伝子をε4・ε4で持っていれば(ε4をホモで持っていれば)、ε3・ε3の人に比べてアルツハイマーになるリスクが11.6倍にもなります。ε4を1つ持っている場合(ヘテロで持っている場合)でも3.2倍になります。

 現在この検査を受ける人が増えてきています。リスクが判ったところで治療法がないのだから検査すべきでない、という人がいますし、例えば結婚前にそんな検査をしてApoE遺伝子を持っていることが判ると、婚約者(やその親)から破談を宣告されかねない、という意見もあります。ですが、例えば現在50代の中小企業の経営者がいたとして、自身のリスクを知っておくことは悪くないかもしれません。なぜなら、将来のアルツハイマーのリスクがあるなら早めに後継者を育てなければならない、とか、今から新しい事業に手を出すなら慎重に進めなければならない、などと考えることもできるからです。この遺伝子検査をすべきかどうかというのは医療者によっても意見が分かれます。

 高血圧と認知症の関係は以前も何度か紹介しました。若年者(60歳未満)の高血圧はアルツハイマー病のリスクになるという報告(医療ニュース2017年6月28日「60歳未満の高血圧は認知症のリスク」)があります。しかし、高齢になってから血圧が上がると認知症のリスクは低下し、その逆に下がる(下げる)とリスクが上がるという研究もあります(医療ニュース2017年4月7日「血圧低下は認知症のリスク」)。この報告は興味深いので、ここでも簡単に振り返っておくと、80歳以降で高血圧を発症した人は、90代で認知症を発症するリスクが正常血圧の人に比べて42%も低かったというのです。また、別の研究では、最も血圧が下がっていたグループは、血圧が最も上昇していたグループと比較して、認知症のリスクが大きく上昇していたとされています。収縮期血圧(上の血圧)の低下は46%もリスクを上昇させ、拡張期血圧(下の血圧)の低下は54%上昇させる、というのです。

 比較的最近発表された論文にも興味深いものがあるので紹介しておきます。医学誌『European Heart Journal』2018年6月12日号に掲載された論文によると、心血管疾患のエピソードのない場合、50歳の時点で収縮期血圧130mmHg以上であれば、認知症のリスクが47%も高いことが判ったといいます。

 これらをまとめると、若い頃(60歳くらいまで)は血圧が高くなると認知症のリスクが上昇し、80歳以降の高齢になればその逆に血圧が上がればリスクが下がるということになります。規則正しい生活、運動・食事療法などで若いうちは正常血圧を維持することが認知症のリスクを下げるのは(おそらく)間違いないでしょうが、薬を使って正常血圧を維持すればリスクが下がるかどうかは分かりません。しかし、80歳以降になって血圧が上がった場合は薬を使うべきでないということは言えそうです。

 血圧以外の認知症のリスクで、最近話題になっている研究を紹介したいと思います。

 まずはヘルペスウイルスとの関連です。科学誌『Neuron』2018年6月21日(オンライン版)に掲載された論文によると、アルツハイマー病患者の脳では、そうでない人の脳と比べてHHV-6A(ヒトヘルペスウイルス6A)及びHHV-7(ヒトヘルペスウイルス7)の量がおよそ2倍に増加していることが判りました。さらに、これらのウイルスは、アルツハイマー病のリスクを高める遺伝子との相互作用があるといいます。

 HHV-6及びHHV-7はほとんどの子供が幼少期に感染するウイルスです。ワクチンはなく、他のヘルペス科、例えば水痘帯状疱疹ウイルスやEBウイルス、サイトメガロウイルスなどと同様、一度感染すると体内から追い出すことはできません。そして、現在のところHHV-6(A)及びHHV-7がアルツハイマー病のリスクであったとしても、これらのウイルスに有効とされている薬はありません。

 「運動」はどうでしょうか。残念ながら、運動に認知症を遅らせる効果は「ない」とする研究が権威ある医学誌で報告されました。医学誌『British Medical journal』2018年5月16日号(オンライン版)で紹介されています。軽度~中等度認知症に対し、中~高強度の有酸素運動と筋力トレーニングを実施したところ、これら運動で認知障害の進行を遅らせる効果はなく、さらに驚くべきことに、運動をした方が(差はわずかですが)しないよりも認知症が進行したことが判ったのです(当然といえば当然ですが「体力」は改善しました)。

 飲酒はどうでしょうか。大量飲酒が認知症のリスクになるのは疑いようがないようです。医学誌『The Lancet Publish Health』2018年3月号(オンライン版)に掲載された論文でフランスでの110万人以上の認知症患者のデータが解析されています。アルコール依存があると、認知症発症のリスクが男性3.36倍、女性3.34倍に上昇しています。さらに、65歳未満で発症する「若年性認知症」患者の57%がアルコール依存症でることが判りました。

 ここまでをおおまかにまとめると、アルツハイマー病は遺伝である程度決まっており(遺伝子を変えることはできない)、血圧に依存し(血圧の変動はある程度遺伝で決まっている)、運動は無効、ヘルペスウイルスには治療薬がない、飲酒はNG…。では何をすればいいのでしょうか。〇〇を飲めば予防効果あり、といわれるものはいかがわしいサプリメントから医薬品(たとえばアスピリンに予防効果ありとする論文もあります)までありますが、どれもエビデンスレベルが高いとは言えません。現時点で、充分なエビデンスがあるとは言えないながらも誰もが取り組めるもの(取り組むべきもの)は「睡眠」です。

 たった一晩の睡眠不足でもアルツハイマー病リスクが増大するという研究もあるほどで、睡眠不足がいろんな意味でNGなのは間違いありません。では睡眠時間が長ければいいのかというと、そういうわけでもありません。医学誌『Journal of the American Geriatrics Society』2018年6月号に日本人を対象とした研究が紹介されています。

 睡眠時間が5時間未満だと、認知症のリスクは2.64倍、死亡リスクは2.29倍になります。興味深いことに、睡眠時間が10時間を超えると、認知症のリスクが2.23倍、死亡リスクは1.67倍となります。さらにこの研究が注目に値するのは睡眠薬の使用との関連が調べられていることです。睡眠薬を使用すると、認知症のリスクが1.66倍に、死亡リスクは1.83倍になることが判ったのです。

 さて、あなたが今日から取り組むべきことはどんなことでしょうか。

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注1:ただし、それなりに精度の高い検査として「MCIスクリーニング」という検査が普及してきています。詳しくは、次世代検査を参照ください。

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2018年7月19日 木曜日

2018年7月19日 すし詰めバスで22歳女性が脳梗塞

 深部静脈血栓症、DVT、ロングフライト血栓症、旅行者血栓症、エコノミークラス症候群、基本的にはこれらは同じ疾患を示しています。このなかで最も人口に膾炙しているのは「エコノミークラス症候群」だと思います。実際には、ビジネスクラスに座っていても発症しますし、例えば震災などで避難所に同じ姿勢でいたり、軽自動車のなかで眠ったりすればおこりますから、「エコノミークラス」という表現は適切ではないのですが、今も他の表現はなかなか社会に浸透していません。ここでは「深部静脈血栓症」で通します。

 今回紹介したい事例(”事故”と呼べるかも)も飛行機ではなくバスのなかで起こりました。

 2017年(何月かは不詳)、カンボジアからバンコクのすし詰め状態のバス(cramped bus)に14時間乗っていた22歳のスコットランド人の女性が脳梗塞を起こしました。最近(2018年5月)になって、海外のいくつかのメディアが報道しています(注1)。報道では、足にできた血の塊が原因で(つまり深部静脈血栓症が原因で)脳梗塞を発症したとされています。

 女性は左半身が麻痺しましたが、母国でのリハビリの結果、ほぼ完全に回復し5kmのマラソンにも出場したそうです。

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 この報道には疑問があります。メディアは医学系または科学系のものではなく、(どちらかというと)三面記事を中心に扱った媒体であるため仕方がありませんが、深部静脈血栓症が脳梗塞につながるわけではありません。下腿の静脈内にできた血の塊は肺の血管を閉塞して「肺梗塞」を起こすことはありますが、脳の血管をつまらせることは通常はありません。それが起こるのは心臓の壁に穴があいているときで、報道ではその可能性を指摘しているのですが、心臓に穴があいている疾患をもっているのならマラソンは危険です。

 ただ、すし詰めバスに14時間もいれば、容易に脱水状態になることが予想されます。それで、例えば(私の推測ですが)低用量ピルなど血栓を起こしやすい薬を飲んでいたとすれば脳梗塞が起こってもおかしくありません。

 また、この女性は血栓症のリスクとされている肥満や喫煙はなく、アルコールを飲んでいたわけでもないようですが、記事にはこの女性のコメントとして「my drink had maybe been spiked or I had eaten something dodgy」とあります。「飲み物に何か入れられた、あるいは何か危ないものを食べた」という意味ですからいわゆる「危険薬物」を摂取していたのかもしれません。

 いずれにしてもこういった旅行プランでは、深部静脈血栓症(さらには肺梗塞も)のリスクも脳梗塞のリスクもあります。(特に若い人は)正確な知識を身につけて身を守らねばなりません。

注:下記を参照ください。

http://www.samuitimes.com/british-woman-suffered-stroke-after-spending-14-hours-on-cramped-bus-in-thailand/

https://www.mirror.co.uk/news/uk-news/young-woman-left-paralysed-stroke-12587230

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2018年7月7日 土曜日

2018年7月 己の身体で勝負するということ~その3~

 組織に頼るな、自分ひとりの力で生きていくのだ…

 私が提唱している「己の身体で勝負すること」というのは、極論するとこういうことになるかもしれません。こういう言葉には「それはできる者の言うセリフだ」「きれいごとだ」という反論があるでしょう。また、「そんなに肩肘を貼らなくても仲間と楽しくやっていけばいいんじゃないの」という声もあると思います。

 私はなにも「組織や上司と対立せよ」と言っているわけではありません。実際、私自身がこれまでの人生で上司に刃向かったことは”数えるほどしか”ありません。

 以前のコラム(「「やりたい仕事」よりも重要なこと~中編~」)で紹介した私の就職活動時の「師匠」、元リクルートのIさんは、「どんな仕事をするときも次への就職活動だと思え」と話していました。つまり、「どのような仕事からも学べることはある。そして、他社の人と会うときは、自分がその会社で使ってもらえるような人間になることを目指せ」ということです。30年近くたった今もその言葉を覚えているわけですから、私にとってIさんのこの言葉は仕事上の「原則」となっています。

 一見雑用に見える、というか雑用にしか見えない仕事からも何かしら学べることはありますし、その雑用を複数人でおこなっているなら、職場の雰囲気をよくして人間関係を構築するトレーニングにもなります。新しいジョークが通用するかどうかを試してみてもいいでしょうし、まったく笑顔を見せない同僚に積極的に声をかけて微笑みをもたらすことを試みてもいいでしょう。

 ただし、どのような仕事からも学べることがあるのは事実ですが、「多くの仕事には見切りをつけるタイミングがある」のもまた真実です。「己の身体で勝負する」を実践するには、ステップアップしていかなければなりません。40代になっているのに20代相当の知識と経験しかないのであればとても「勝負」はできません。

 では、知識と経験のない20代は「勝負」できないのかというとそういうわけではなく、若いが故に有利なことも少なくとも2つあります。そして、私自身は30代前半頃まではその2つを「武器」にしていました。

「武器」の1つは「体力」です。体力といっても強靭な肉体を有している必要はなく、フルマラソンを4時間で完走できる持久力が求められるわけでもありません。これを読んでいるのが20代30代の人で、疲労しやすい持病を持っていないのであれば、実際には自信がなくても「体力には自信があります」と宣言してしまえばいいのです。本当は自信がないのに…という気持ちがあったとしても40代50代の人たちよりは確実に体力がありますから大丈夫です。さらに一歩進めて「体力”だけ”は自信があります!」と言うと、これだけで「こいつ、おもろい奴や」と思ってくれる人もいます。女性がこれを言えば男性よりも効果があることもあります。

 そして、職場の肉体労働的なことを自ら率先してやるのです。例えばオフィスに宅配便が届いたときには真っ先に飛んで行って、配達の人に大きな声で挨拶し、荷物を(少し大げさに)運ぶのです。組織で行事やイベントがあれば面倒くさい雑用を率先してやります。これを続けていけば周囲から「あいつはできる奴や」と思われるようになります。本当はたいしたことをしていないのですが…。

 もうひとつの若者の「武器」は「コミュニケーション」です。コミュニケーションの細かい技術は年齢を重ねるほど上達しますが、若いが故に有利な点もあります。初めて会う人がいれば誰であったとしてもすっと近づいて大きな声で挨拶するのです。こういうアピールはある程度年をとった者がやると滑稽で奇妙にみえますが、若者なら問題ありません。コミュニケーションが苦手、と感じている人もいるでしょうが、誰に対しても笑顔で大きな声で挨拶を自分からおこなう、これを実践しているだけで、あなたに話をしたいと感じてくれる人が増えていくのです。

 ちなみに私は現在医師として研修医に教育をする立場にあります。積極的に教えたいと感じる研修医は、こういうタイプです。つまり「体力(だけ)はあることをアピールし、笑顔で元気がある若者」です。

 ただし、「己の身体で勝負する」を実践するにはこれだけでは不十分です。自分にしかできないこと、というのはめったにありませんが「たいていの人にはできないこと」を見つけていかねばなりません。それにはいろんなものがありますが、ここでは私の経験を話します。

 私の場合、会社員時代に海外事業部に入れられたせいで(おかげで)(このあたりはマンスリーレポート2011年10月号「私の英語勉強法」を参照ください)、英語の読み書きは少々できるようになっていました。また商社で働いているわけですから貿易実務の知識があります。そして、学生時代から(体力とコミュニケーションを武器に)築いた人間関係がありました。そこで、会社員3年目に雑貨の個人輸入をやりだしました。当時はインターネットどころか携帯電話も普及していない時代でしたから、このためにFAXを購入し知り合いを頼りに香港の貿易会社を探して、個人で輸入しそれを知り合いのいくつかの会社に販売したのです。輸入する物によっては法律がややこしく(特に食品)、一筋縄ではいきませんでしたが、やはり人脈に助けてもらい軌道に乗せることができました。(会社員がこういうことをするのは社内規定違反だと思います。四半世紀たった今だから告白できることです…)

 これは一例で、私が小銭を稼ぐためにこれまでの人生でやってきたことは実はたくさんあります。ただ、そのほとんどはお金のためにやったのではなく、おもしろいからやったというのが本音です。きれいごとに聞こえる人もいるでしょうが、昔誰かが言っていたように「お金は後からついてくる」のです(これ、誰が言い出したのでしょう…)。ただし、私の場合、以前にも述べたように、ビジネスへの興味が急激に低下し、代わりに「勉強したい」という欲求に目覚め、その後はビジネスとは無縁の人生になりました。

 今の私の立場で「己の身体で勝負する」と言っても「あんたは医師免許があるから言えるのよ」という反論があると思います。ですが、仮に医師免許を剥奪されたとしても、私には医学の「知識」と「技術」(こちらは最近自信をなくしていますが…)があります。食品会社や製薬会社なら採用してもらえると思いますし(甘いでしょうか…)、そんなことをしなくても医学知識が武器になる会社を興すことを考えます。資格に頼るつもりはありませんが、私は労働衛生コンサルタントの資格も持っていますから、これを使って会社をつくることもできます。また、英語力だけで生きていくことはできませんが、英語と医学の知識を絡めればできることがあるはずです。私はタイ語のレベルは中途半端ですが、もう一度勉強しなおしてタイ語の実力を上げれば、さらにできることが増えるでしょう。

 医師免許がなかったとしても医学の知識があるからそんなことが言えるんだ、と感じる人もいるでしょう。ならば、あなたも何かを必死で勉強すればいいのです。私の医学部の6年間の生活は9割が勉強でした。若い同級生たちの倍は勉強しました。そして、医学の勉強は今も続け、英語もほぼ毎日勉強しています。体力には自信をなくし、コミュニケーションについては新しい人脈は医師になってから医師以外はほとんど広がっていませんが、「己の身体で勝負する」という考えは、私がひとつめの大学時代に先輩たちから学んだ時からまったくかわっていません。

「己の身体で勝負する」という考え、楽しいと思いませんか。不条理な組織の理屈や学歴以外にとりえがない上司の指示に屈するような人生、面白くないと思いませんか。前回述べたように、違法タックル事件の学生をかばう意見が多いことに私は違和感を覚えるのです。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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