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2013年6月15日 土曜日

第87回 超低用量ピルの登場 2010/11/21

日本ではピルを使っている人がまだまだ少ないとは言われますが、それでも1999年の低用量ピル解禁以来、利用者は着実に増え、2009年の時点でおよそ82万人の女性がピルを服用しています。これは16~49歳の女性の約3%に相当します。

 もっとも、諸外国に比べると依然ピル利用者は少なく、少し例を挙げると、フランス43.8%。スウェーデン27.4%、イギリス26.0%、アメリカ18.3%、韓国3.7%と、特に欧米諸国の使用率とは大きな差があります。(数字は国連の「World Contraceptive Use-2007」より抜粋)

 ピルが諸外国に比べ日本で普及していない理由は、解禁されてまだ11年しかたっていないという歴史の問題もありますが、「副作用が気になって・・・」という人が少なくないからというのも理由の1つではないかと思われます。

 私はピルをそれほど積極的に勧めているわけではありませんが、それでも女性の患者さんで、例えば避妊に失敗して緊急避妊を繰り返している人や、パートナーとの関係で弱い立場にいる人(要するに「夫やボーイフレンドに何度言っても避妊をしてくれない」と嘆いている女性)、複数のパートナーがいる人(これは倫理的な問題があるかもしれませんがここでは触れないでおきます)などにはすすめることがあります。

 また、月経痛や月経不順のある人には、症状緩和の1つの方法として勧めることもあります。さらに、月経前緊張症候群(PMS)やニキビなどでは治療の1つの選択肢としてピルの話をすることもあります。

 ピルは避妊ができるだけでなく、こういった効果も期待できるため、人によっては一石二鳥にも三鳥にもなることがあります。当院の患者さんで例をあげれば、29歳のある女性は、避妊目的で低用量ピルを飲みだしてから、生理が安定し、生理痛はほとんどなくなり、生理の量も少なくなり、ニキビはよくなり、イライラや落ち込みといった月経前緊張症候群の症状がほとんどなくなったと言います。その結果、私生活が充実し仕事にも好影響がでているそうです。

 しかし、当然のことながら薬剤にはいい面もあれば悪い面もあります。私が誰にでもピルを積極的にすすめているわけではないことには理由があります。その最たるものは副作用です。日本人は肥満の人が多くないため、血栓症のリスクは欧米諸国よりも小さいことが指摘されていますが、それでも皆無というわけではありません。血栓症というのは、わかりやすく言えば静脈内に血の塊ができて、それで血流がストップしてしまう病態です。下肢の静脈がつまれば足が腫れて痛みがでますし、肺の血管が詰まれば突然呼吸困難に陥ることもあります。ピルを飲めば、それだけで血栓症のリスクが上がる可能性があるのですが、これに肥満、喫煙、高血圧などがあればさらに上昇します。(ですから、少しでもリスクがある人には血が固まりやすくなっていないかどうかを調べるための定期的な血液検査をすすめています)

 ピルの副作用は他にもあります。比較的頻度の高いものに、吐き気、むくみ、不正出血などがあります。頭痛はピルを飲んで改善することもありますが、片頭痛はピルで悪化することもあります。

 さらに、乳がんのリスク上昇を完全に否定できるか、という問題もあります。一般的には、「更年期以降に用いるホルモン補充療法では乳がんのリスクが上昇する可能性があるけれども(注1)、低用量ピルではその心配がない」、と言われています。しかし、なかには低用量ピルで乳がん(それもホルモン非依存性の乳がん)のリスクが上がるという報告もあります。(注2)

 さて、今回お話したかったのは、ピルの歴史を大きく変えることになるかもしれない「超低用量ピル」についてです。これまでも海外では販売されていて、日本でもインターネットなどを通して購入している人がいましたが、ついに今月(2010年11月)、日本でも発売となりました。

 この超低用量ピルは「ヤーズ」という名前で、まず1つめの特徴は、含まれているエストロゲンの量が0.02mgと非常に少ないということです。これに対し現在発売されている低用量ピルはエストロゲン含有量が0.03~0.04mgです。

 さらに、もうひとつのホルモンである黄体ホルモンの種類が「ドロスピレノン」といって、これは従来の低用量ピルに含まれている黄体ホルモンとは異なるタイプです。ドロスピレノンは、体内に自然につくられる黄体ホルモンと非常によく似ていると言われています。ということは、少なくとも理論的には吐き気やむくみといった副作用が出にくいということになります。

 超低用量ピルは、従来の低用量ピルと飲み方がかわります。従来の低用量ピルは21日間内服して7日間は休薬(もしくは偽薬を飲む)のに対して、超低用量ピルでは、実薬24日+休薬4日となります。

 そしてヤーズの最大の特徴は、月経困難症に対して保険適用があるということです。「月経困難症」というのは、分かりやすく言えば「生理痛」のことです。生理痛があれば保険でヤーズを処方することが可能となるのです。これまでは、ルナベルという低用量ピルに保険適用がありましたが、これは「子宮内膜症に伴う月経痛」という制約がありました。ヤーズは子宮内膜症の有無に関係なく生理痛があれば保険診療で処方可能となるのです。

 このようにみてみると超低用量ピル・ヤーズはいいことばかりに思えますが、使用にはいくつかの注意が必要です。

 まず1つは飲み忘れたときのリスクです。従来の低用量ピルの場合、飲み忘れたとしても通常1~2日程度以内であれば、気付いたときに飲めば避妊効果は得られます。(ただし不正出血のリスクはあります) 一方、超低用量ピルの場合は、低用量ピルに比べると、飲み忘れることにより排卵が起こってしまい、避妊効果が得られなくなるリスクが上昇します(ただし24時間以内に気付けば問題ないと言われています)。毎日決まった時間に飲むのが苦手な人には不向きかもしれません。

 現在低用量ピルを飲んでいる人が超低用量ピルに変更したときには、不正出血が起こるリスクが上昇するかもしれません。これは、中用量ピルを長期で飲んでいた人が低用量ピルに変更したときにもしばしば観察されることです。

 さらに、一般論をいえば、新しい薬には予期せぬトラブルが起こる可能性があります。ヤーズの場合、例えば、当初の予想よりも不正出血の副作用が多いとか、期待していたほどむくみや吐き気の副作用が軽減されなかったとか、あるいは避妊に失敗して妊娠してしまったというケースがでてきた、とか・・・、そういう可能性がないわけではないと考えておくべきでしょう。もちろん、発売開始となるまでにたくさんの症例で検討され、高い効果と安全性が認められたからこそ発売となったわけですが、いったん発売された薬がその後中止となったという薬剤は過去にいくつもあります。

 当たり前のことですが、薬には利益(ベネフィト)だけでなく危険性(リスク)もあることを忘れないようにしましょう。

 
注1 ホルモン補充療法の有用性と副作用について検証された最も有名な大規模調査はWHI(Women’s Health Initiative study)というものです。この調査は、介入期間の平均が5.6年の時点で、浸潤性乳癌リスクの上昇と、乳癌診断が遅れる危険性が指摘され、そのリスクは利益を上回ると判断されたために、本来2005年3月31日までおこなわれる設計になっていたのですが、2002年7月7日に中止されたという経緯があります。これを受けて、2002年以降、ホルモン補充療法はすべきでないという意見が増えましたが、更年期障害の様々な症状を改善することも判っているため、症例によっては積極的に検討すべき、という意見もあります。

注2 例えば、医学誌『Cancer Epidemiology, Biomarkers & Prevention』オンライン版2010年7月20日号に掲載された論文「Oral Contraceptive Use and Estrogen/Progesterone Receptor-
Negative Breast Cancer among African American Women」では、低用量ピルでアフリカ系アメリカ人の乳がんのリスクが上昇したという調査結果が報告されています。下記URLでその論文の概要を読むことができます。

http://cebp.aacrjournals.org/content/early/2010/07/19/1055-9965.EPI-10-0428.abstract

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2013年6月15日 土曜日

第86回 新しい睡眠薬の登場 2010/10/20

不眠で悩んでいる人は少なくなく、当院にも不眠を抱えて受診する人はかなりの人数になります。ただし、当院の患者さんの特徴としては、不眠だけの人はそれほど多くなく、不眠+花粉症、不眠+慢性胃炎、不眠+繰り返す膀胱炎、など複数の訴えがあるというケースが大半です。もちろん、不眠+うつ、不眠+不安という人も少なくありません。

 不眠を放っておくとなぜいけないか、については改めて論じる必要はないでしょう。不眠が続けば、日中の倦怠感がとれませんし、そのうち身体が重くなり何もできなくなってしまいます。ときどき、「寝なくても平気」と言って四六時中ハイテンションの人がいますが、このような状態が長続きするはずはなく、もし続いているとすれば何らかの病気(躁病が代表です)か、(違法)薬物を摂取しているかのどちらかを考えるべきでしょう。

 不眠を放っておくと、うつ病などの精神障害をきたすことがあります。うつがあるから不眠になる、という場合もありますが、不眠を放置した結果うつ病を発症した、というケースもありますから、長引く不眠は放っておいてはいけないのです。

 前置きが長くなりましたが、今回は、身体に優しい(と思われる)新しい睡眠薬が普及しだしましたよ、という話をしたいと思います。しかし、その前に、まずは睡眠薬にはどのようなものがあるかについてみていきましょう。

 最初に、薬局で処方せんなしでも買える睡眠薬についてみておきましょう。現在は複数の製薬会社からこういった睡眠薬(睡眠改善薬)がでています。代表的なものは、エスエス製薬の「ドリエル」、グラクソ・スミスクラインの「ナイトール」あたりだと思われますが、他社からも発売されています。

 睡眠薬を一般の薬局で売っちゃってもいいの??、と感じる人もいるかもしれませんが、これら薬の主成分は、実は抗ヒスタミン薬です。抗ヒスタミン薬というのは花粉症や皮膚の痒みに使う薬で、風邪薬の中にも鼻水を止めることを目的として入れられていることがあります。

 最近は花粉症や皮膚の痒みに用いる抗ヒスタミン薬は眠気がこないものを使いますが、こういった眠気のない抗ヒスタミン薬というのは比較的最近開発されたもので、従来の抗ヒスタミン薬は副作用としての眠気がつきものでした。ですから、古いタイプの抗ヒスタミン薬というのは、医療機関では次第に処方されなくなってきています。そして、古いタイプの抗ヒスタミン薬の副作用を利用したのが、薬局で売られている睡眠薬というわけです。

 ところで、古いタイプの抗ヒスタミン薬は、医療機関でまったく処方されなくなったのかといえば、そういうわけでもなく、当院の場合、まず妊婦さんの皮膚の痒みや鼻炎に処方することがあります。これは、新しい抗ヒスタミン薬は妊婦さんに投与してはいけないことになっているのに対し、古いタイプの抗ヒスタミン薬は従来から妊婦さんにも使われており、ある程度安全であることが分かっているからです。(ただし、妊婦さんに対しても簡単に処方すべきではなく 、どうしても必要な場合に限られます。さらに眠気の副作用について理解してもらった上での処方となります)

 妊婦さん以外にも、花粉症や皮膚の痒みに処方することがあります。それは、副作用の眠気がまったく起こらない人に対してです。古いタイプの抗ヒスタミン薬は値段が非常に安いのが魅力です。(3割負担で1錠あたり2~3円となります。ただし、診察代や処方代がかかりますから、実際の支払い合計は初診であれば千円程度にはなります) 当然ながら、このタイプの人に不眠があれば、薬局で売られている睡眠薬は効きません。

 もうひとつ、妊婦さん以外に花粉症や皮膚の痒みに処方する、というか”処方せざるを得ない”のは、「お金がない人」に対してです。眠気のこない新しいタイプの抗ヒスタミン薬は1錠あたり(3割負担の場合)数十円はしますから、古いタイプのものに比べると10倍以上も高いのです。(注1)

 そして、当院での古いタイプの抗ヒスタミン薬の最後の使い方は、「不眠」に対する処方です。(注2) この場合、何らかの事情で、どうしても(ベンゾジアゼピン系を代表とした)一般的な睡眠薬を使いたくない、あるいは使えない、といった患者さんが対象となります。つまり薬局で売られている「ドリエル」や「ナイトール」と同じようなものを処方しているということになります。(注3)

 現在最も一般的に使われている睡眠薬はベンゾジアゼピン系(マイナートランキライザーとも呼びます)のものです。代表的なものを商品名であげれば、レンドルミン、ハルシオン、ベンザリン、ロヒプノール、エリミン、といったあたりでしょうか。

 ベンゾジアゼピン系の睡眠薬は、適切な使用方法を守れば特に怖がる必要はないのですが、例えば上に挙げた商品で言えば、ハルシオンやエリミンあたりは(詳しくは述べませんが)本来の目的とは違った(危険な)用途に使われることもあり、闇の世界ではそれなりの値段で取引されているそうです。また、使用方法を守ったとしても、長期使用になれば、耐性(効きにくくなること)や依存性が出ないとも限りません。

 さらに、ベンゾジアゼピン系の睡眠薬は、中途覚醒したときにその記憶が曖昧になることがあります。つまり、これらを内服し夜中に目覚めたとき、もしもコンビニにでかけたり、誰かにメールをしたりすると、その記憶がなくなっていることがあるのです。ですから、私はベンゾジアゼピン系の睡眠薬を処方するときは、「内服すれば朝まで寝てください。たとえ眠れなかったり、途中で目覚めたりしたとしても、外にでかけることや電話・メールをすることはやめてください」、と助言しています。

 さて、そろそろ冒頭で述べた新しい睡眠薬についてご紹介しましょう。これはロゼレム(一般名は「ラメルテオン」)といって、メラトニンの受容体に選択的に結合する薬品です。

 メラトニン・・・、聞きなれない言葉かもしれませんが、簡単に言えば、メラトニンは脳内で分泌される睡眠を司っているホルモンです。ロゼレムは体内で生成されるメラトニンと同じように、メラトニン受容体に結合することによって睡眠が誘導されるというわけです。ベンゾジアゼピン系の睡眠薬とは異なり、メラトニン受容体の存在する部位にしか作用しませんから、ベンゾジアゼピン系睡眠薬で生じたような副作用が極めて少ないことが予想されます。

 実は、メラトニンはサプリメントとして10年以上前から個人輸入で購入することが可能でした。しかし、何かとトラブルの多い個人輸入ですから、ニセモノをつかまされたり、代金は支払ったのに商品は届かなかったり、という問題もあり、我々医師は「医療機関で処方できるようにすべき」と感じていました。「ロゼレム」は、米国では2005年に承認されていましたが、遅れること5年、2010年4月についに日本でも承認されたのです。

 医療機関で実際に処方できるようになったのは、2010年の7月からで、当院では様子をみながら取り扱いを検討し、先月(2010年9月)から処方を開始しています。ロゼレムをすでに積極的に処方している医師に聞いてみると、「効き具合はベンゾジアゼピン系の睡眠薬に比べるとやや鈍いような印象があるが、続けて使用すれば効きやすくなるようだ。ベンゾ系でおこりうる副作用も認められず、今後睡眠治療の第一選択薬となるのではないか」、とのことでした。

 新薬には蓄積されたデータが多くなく、予期せぬ副作用が出現しないとも限りませんから、使用には充分な注意が必要ですが、ロゼレムは今後歴史に残るような優れた睡眠薬となるかもしれません。

 しかし、その前に、なぜ不眠があるのかについて考えなければなりません。不眠があるから睡眠薬、と単純には進められないことをお忘れなく・・・。

注1:薬の値段が10倍以上違うからといっても総額はさほど変わるわけではありません。例えば、初診で受診し1錠5.6円の古い抗ヒスタミン薬が10錠処方されたときと、1錠116.1円の新しい抗ヒスタミン薬10錠が処方されたとき、3割負担で前者が1,020円、後者が1,350円になります。ただし、当然のことながら、処方が長期になれば差は開いていきます。上記の試算を10錠ではなく30錠とすれば、前者が1,080円、後者が2,070円となります。

注2:「不眠」に対して抗ヒスタミン薬を処方することは保険診療上認められていません。したがって、当院で不眠に対し抗ヒスタミン薬を処方しているのは、「痒み」や「鼻炎」といった他の症状も合併している場合です。(自費診療でなら不眠の治療目的でも処方可能です) 

注3:「ドリエル」や「ナイトール」といった薬局で売られているものも、当院で不眠の治療に用いている抗ヒスタミン薬も共に「古いタイプの抗ヒスタミン薬」ですが、正確に言えば薬の成分は異なります。「ドリエル」など市販の睡眠薬の抗ヒスタミン薬はジフェンヒドラミン塩酸塩というもので、当院で処方しているものは、クロルフェニラミンマレイン酸塩というものです。ジフェンヒドラミン塩酸塩は医療機関で処方する商品名で言えば「レスタミン」というもので、当院には置いていませんが、これを処方している医療機関もあります。

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2013年6月15日 土曜日

第85回(2010年9月) NDM-1とアシネトバクター 

 どんな抗菌薬(抗生物質)も効かない細菌(superbug)がインドで発見された!

 2010年8月11日、ロイター通信でこのニュースが報道され(注1)、全世界でNDM-1と呼ばれる酵素を持つ細菌の存在が注目されるようになりました。ロイター通信がこのニュースを配信したのは、医学誌『ランセット』2010年8月11日号に掲載された論文(注2)が元になっています。

 日本では、このNDM-1という厄介な薬剤耐性菌が取り上げられだしたちょうど同じ時期に、帝京大学医学部附属病院での院内感染が注目されることになりました。

 報道によりますと、2010年4月頃から同病院でのアシネトバクターの感染者が相次ぎ、7月に内部調査委員会が設置されたものの、8月に実施された国と東京都による合同立ち入り検査の際に報告していなかったことが判明しました。同病院は、「もう少し早く公的機関に報告し、公表すべきだったと反省している」と会見で述べました。

 その後の同病院の報告によりますと、ほとんどの抗菌薬が効かない多剤耐性アシネトバクターが、2009年以降46人の患者から検出され、そのうち27人が死亡しています。その27人のうち9人は院内感染が死亡の原因になっている可能性がある、とされています。

 さて、偶然にも同じ時期に、NDM-1という酵素をもつ薬剤耐性菌が世界のマスコミで報道され、国内では帝京大学の多剤耐性アシネトバクターが報道されました。しかし、アシネトバクターの報道は(少なくとも私の知る限り)国内だけで、海外からは目を向けられていません。まずはこの理由について確認しておきたいと思います。

 院内感染は確かにあってはならないことですが、今回問題となっているアシネトバクターや緑膿菌、あるいはMRSAなどは、健常人に感染しても通常は問題になりません。問題となるのは、悪性腫瘍が進行している場合や、移植を受けている場合など、何らかの理由で免疫能が極端に低下している患者さんに感染したときです。

 ですから、そのような患者さんが入院している病棟で勤務する医療従事者は細心の注意を払わなければなりません。徹底した感染予防対策というのは、実は大変困難なものではありますが、だからと言って院内感染を発生させ、それが理由で患者さんが死亡するようなことはあってはなりません。

 一方、インドやパキスタンで問題となっているNDM-1を持つ新型の薬剤耐性菌は、健常者にも感染するということが最大の特徴です。NDM-1というのは酵素の名前で、その酵素を持った細菌が「どんな抗菌薬も効かない細菌」(これを英語でsuperbugと言います)となります。NDM-1を持つことができるのは、アシネトバクターのような健常者に感染しても怖くない細菌だけではありません。(健常者からすれば、NDM-1を持ったアシネトバクターが登場したとしても怖くありません) NDM-1は、例えば病原性大腸菌や肺炎球菌、あるいはサルモネラ菌や赤痢菌といった健常者も苦しめる細菌が持つこともあり得ます。すると、通常なら抗菌薬で治癒できるはずなのに、NDM-1を持っているから抗菌薬が一切効かず治療の施しようがなくなるのです。(「NDM-1を持つ新薬剤耐性菌」をここからは便宜上「NDM-1」とします)

 健常者がNDM-1に罹患し初の死亡者が出た、というニュースはベルギーから発せられました。8月13日のAFP通信は「South Asian superbug claims first fatality」(南アジアのsuperbugで最初の死者)というタイトルでこれを報道しています。AFP通信によりますと、ベルギー人男性(年齢は報道されていません)が、パキスタンを旅行中に自動車事故に遭い、同国の病院からブリュッセルの病院に搬送されたもののNDM-1を死滅させることができず救命できなかったそうです。 

 欧米のメディアによりますと、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、カナダ、アメリカ、オーストラリアでもNDM-1の感染が確認されているそうです。日本でも、2009年5月に独協医大附属病院に入院していた50代の男性がNDM-1に感染していたことがわかり、これを9月6日厚生労働省が発表しました。

 欧米のメディアは、なぜインドでNDM-1が蔓延したかという点に関して、「インドには、欧米諸国から美容外科手術(cosmetic surgery)を受けに行く人が多い」、と指摘しています。美容外科手術に際して抗菌薬を必要以上に使用したがためにNDM-1のような厄介な薬剤耐性菌を産み出したのではないかと、やや非難を込めて報道しています。

 一方、インド側は、この指摘に対しては認めていないものの(美容外科手術は重要な外貨獲得の手段ということもあるのでしょう)、ラオ保健次官は「インドでは多くの人々が医師の診察を受けず、自分で薬を買い求めるため、抗菌薬の多用により、体内の菌が薬物への耐性を獲得することにつながる。これはやめさせなければならない」と、地方紙に語ったと報じられています。

 よく、「日本ほど抗菌薬を乱用している国はない」と言われます。詳細は覚えていませんが、私が90年代半ばに読んだ本には、「抗菌薬の世界全体の消費量の4分の1は日本である」と書かれていました。実際、日本人は医師側も抗菌薬を処方しすぎると言われていますし、患者側も求めすぎる傾向があります。

 しかしながら、(日本人の抗菌薬の大量消費を正当化するつもりはありませんが)日本では普通の薬局で処方せんなしに抗菌薬を購入することは不可能です。しかし、インドを初めとする南アジアや、また東南アジアでも、抗菌薬が薬局で、医師の処方せんなしに簡単に買えてしまいます。

 私はNPO法人GINA(ジーナ)の関係でタイに渡航することが多く、薬局に何度か行ったことがあります。抗菌薬であってもごく簡単に買えるのが実情です。それだけではありません。みやげ物などの屋台でも抗菌薬を見かけることがあります。(本物かどうか疑わしいですが・・・) 

 最近タイでは、抗菌薬に関する本格的な調査がおこなわれました。この調査は、マヒドン大学(Mahidol University)、コンケン大学(Khon Kaen University)、ソンクラー大学(Prince of Songkla University)による合同調査で、入手方法や使用状況について聞き取りがおこなわれています。その結果、42%が薬を処方通りに服用していないことが判りました。また医師の過剰投与が問題とする意見も見受けられます。(注3)

 欧米ではどうなのでしょうか。欧米の医師は抗菌薬をよほどのことがない限りは処方しない、と言われることがあります。実際、オランダでは抗菌薬の多くには保険が効かず全額自己負担となると聞いたことがあります。欧米の医師と話していても、彼(女)らは「抗菌薬は明確な理由がなければ処方してはいけない」と言います。

 しかし、すべての欧米人が抗菌薬をよほどのことがない限り服用しないのか、と言われればそうでもないような気もします。例えば、欧米からアジアにくる旅行者やバックパッカーのなかには、複数種の抗菌薬を携帯している人がいますし、日本では入手しにくいマラリアの薬などを持っていることもあります。彼(女)らはそれなりに医学に詳しいこともありますが、医師の処方や指示なしに自分の判断で抗菌薬を内服しているのです。
 
 今後NDM-1に効く薬剤が開発されたとしても、世界規模で抗菌薬に対する厳格な規制を設けない限りは同様の問題がそのうち発生することは間違いありません。

****************

注1:このニュースのタイトルは、「Scientists find new superbug spreading from India」で下記のURLで読むことができます。
http://www.reuters.com/article/2010/08/11/infections-superbug-idUSLDE67A0O120100811

注2:この論文のタイトルは、「Emergence of a new antibiotic resistance mechanism in India,Pakistan, and the UK: a molecular, biological,and epidemiological study」で、下記のURLで概要を読むことができます。

http://www.thelancet.com/journals/laninf/article/PIIS1473-3099%2810%2970143-2/abstract

注3:この記事のタイトルは、「Abuse of antibiotics is rampant, say researchers」で、下記のURLで内容を読むことができます。

http://www.bangkokpost.com/news/local/194770/abuse-of-antibiotics-is-rampant-say-researchers

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2013年6月15日 土曜日

第84回 「ひきこもり」という病 2010/8/20

家や自室に閉じこもって外に出ない若者の「ひきこもり」が全国で70万人に上る。また、将来ひきこもりになる可能性のある「ひきこもり親和群」も155万に上る・・・

 これは、内閣府が2010年7月23日に公表した全国実態調査の結果です。この調査は、2010年2月18~28日、全国の15~39歳の男女5,000人を対象に行われ、3,287人(65.7%)から回答を得ています。

 「ひきこもり」はその定義にもよるでしょうが、あなたの周りにもひきこもっている人が増えていると感じないでしょうか。

 私からみると(医師としてみても一社会人としてみても)、ひきこもりは着実に増えています。私は精神科専門医ではありませんが、それでも日頃はひきこもっているという患者さんや、その家族からの相談を受けることがあります。少し実例を紹介しましょう(注1)。

【症例1】31歳女性。3~4年前から突然ニキビができてひどくなりだした。これまで複数の医療機関を受診したがよくならず、鏡を見るのが苦痛になりうつ状態となった。そのうち仕事を辞め、ひきこもるようになった。新しい仕事を探さなければならないと思うが、ニキビが気になり面接に行くことができない。ひきこもり歴は1年半。

【症例2】38歳男性。3年間コンビニ以外には出かけたことがない。生活は同棲している女性が支えている。1ヶ月以上咳が続いており、心配した同棲相手が相談のため受診した。本人は「病院には絶対に行きたくない」と言っているとのこと。

【症例3】40歳男性。以前は大企業に勤めており性格も活発であったが、母親によると、ある日突然気分が落ち込み、そのうち退職し、すでに5年以上ひきこもっているとのこと。母親に強く言われ当院を受診した。(母親の付き添いはなく本人がひとりで来院した。尚、母親は「ひきこもりについて相談してくるように」とは言わなかったとのこと) 診察室で、「今日はどのような症状で来られましたか」と尋ねると、「最近太ってきたのが気になって・・・」と、ひきこもりのことには触れない。そこで、「普段は何をされていますか」と聞くと、「自動車関連の会社で内勤をしています」と、ひきこもっていることを言わない。「仕事は楽しいですか」と聞くと、「しんどいこともありますが、人間関係には恵まれていて・・・」、とあくまでもひきこもっていることや精神的に不調なことを隠し通した。

 これらはいずれも「ひきこもり」と言える症例だと思います。症例1の女性は、最近少しずつ元気になってきて、ニキビも完治したとは言えませんが、以前ほど悪化しなくなりましたので近いうちに社会復帰が期待できるかもしれません。

 しかし、症例2と症例3は、私にはなす術がありません。ひきこもりを専門にしている精神科医を紹介することさえできません。なぜなら、2人とも治療意欲がまるでないからです。しばらくは、同棲相手や両親が見守るしかないでしょう。(しかし、この「見守る」という姿勢は大変重要です)

 ところで、ひきこもりが増えていることは専門家からみても間違いないようです。例えば、ひきこもりの第一人者として知られる精神科医の斉藤環氏は、著書『社会的ひきこもり 終わらない思春期』(1998年)のなかで、精神科医を対象としたひきこもりに対するアンケート調査(実施は1992年)の結果を紹介しているのですが、そのなかで、「このような事例の経験がない治療者が意外に多かった」、とコメントしています。90年代前半当時は、精神科医でさえひきこもりはそれほど頻繁に遭遇する現象ではなかったことを示しています。

 ひきこもりが増えていること以外にも、以前と現在では特徴に違いがあります。

 1つは高年齢化です。以前は、ひきこもりとは若者に特徴的な現象だったのです。1998年に上梓された上記書籍のなかで、斉藤氏はひきこもりの定義を次のようにしています。

 「20代後半までに問題化し、6ヶ月以上自宅にひきこもって社会参加をしない状態が持続しており、ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくいもの」

 さらに、氏は同書で「実際には20代前半までで事例のほとんどをカバーできる」と述べています。つまり、90年代のひきこもりは若者がほとんどだったのです。それが、現在では高年齢化がすすみ、以前の定義には合わなくなってきているのです。

 高年齢化に伴い、ひきこもる「きっかけ」も変わってきています。80~90年代にかけてのひきこもりは、圧倒的に不登校がきっかけとなるケースが多く、社会人にはみられない現象だったのです。実際、斉藤氏は同書で「ある程度の社会的な成熟を経た後には、こうしたひきこもり状況はほとんど起こりません。少なくとも私はそのような事例を知りません」と述べています。

 現在のひきこもりは、「社会人を経験した後で」というパターンが増加しています。冒頭で紹介した内閣府の調査では、ひきこもったきっかけについて調べられています。調査によると、1位が「職場になじめなかった」で23.7%です。「病気」(23.7%)、「就職活動がうまくいかなかった」(20.3%)が2位、3位と続きます。
 
 90年代以前のひきこもりと現在のひきこもりを比較したとき、もうひとつ大きな違いがあります。それは、「精神疾患がある程度の割合で混在していること」です。

 先に紹介した斉藤医師が90年代に作成した定義では、「ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくいもの」という条件が入れられています。ところが、2010年4月に施行された「子ども・若者育成支援推進法」に併せて厚生労働省によって作成された「ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」によりますと、引きこもりは次のように定義されています。

 「様々な要因の結果として社会的参加を回避し、原則的には6ヶ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態を指す現象概念である。なお、ひきこもりは原則として統合失調症の陽性あるいは陰性症状に基づくひきこもり状態とは一線を画した非精神病性の現象とするが、実際には確定診断がなされる前の統合失調症が含まれている可能性は低くないことに留意すべきである」

 要するに、「ひきこもりのなかには統合失調症が含まれている」と厚労省は考えているわけです。さらに、内閣府の公開講座で公表されたデータでは、ひきこもりのなかで「発達障害」が27%、「不安障害」が22%、「パーソナリティ障害」が18%、「気分障害」が14%、「適応障害」が6%、「統合失調症」などの「精神病性障害」が8%認められたとされています。これら精神疾患を合わせると、実に「ひきこもりの95%に発達障害なども含めた精神疾患が確認された」ことになります。

 ただし、私見を述べれば、「パーソナリティ障害」や「適応障害」が本当に病気と言えるか、という疑問が残ります。もちろん病気と呼ぶにふさわしいレベルのものもあるでしょうが、このような”障害”は、定義や解釈の仕方によって正常にも異常にもなります。ですから、「ひきこもりは精神疾患のひとつの症状」としてしまうことには、個人的には抵抗があります。

 しかしながら、ひきこもりを治療するに当たっては、最初から医師(重症度の高い症例であれば初めから精神科専門医)が関与するべきだと私は考えています。友達や親戚だけで社会復帰させようとすると、ときに逆効果になることもあり得ます。周囲の者は不安になったりイライラしたりするでしょうが、まずは「暖かく見守る」ことが最も大切なのは間違いありません。

 ひきこもりが長期化し、ついに社会復帰できないまま・・・、ということも今後起こりうるでしょう。しかしながら、ひきこもりの生活を終了し社会復帰した人も少なくないことにも注目すべきです。最後に、ジャーナリスト池上正樹氏の『ドキュメントひきこもり「長期化」と「高年齢化」の実態』に登場する、ひきこもりから抜け出した40歳女性のコメントを紹介しておきます。

 「ひきこもりを経験して私が思うのは、ひきこもりを抜け出すことによって、新しい人生の価値観が得られるということです。だから、ひきこもりは、新しい自分探しのチャンスだと本人にも家族にも思ってほしいのです」

注1:ここで紹介している3つの症例は、私が診察した患者さん(とその家族)をヒントにしてつくりあげたフィクションです。もしもあなたに、登場人物と似たような境遇の知り合いがいたとしても、それは単なる偶然であるということを銘記しておきたいと思います。

参考:
斉藤環『社会的ひきこもり 終わらない思春期』PHP新書(1998年)
池上正樹『ドキュメントひきこもり「長期化」と「高年齢化」の実態』宝島社新書(2010年)

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2013年6月15日 土曜日

第83回 感染性胃腸炎とO157 2010/7/20

O(オー)157などによる腸管出血性大腸菌感染症が増加しています。

 国立感染症研究所感染症情報センターによりますと、今年(2010年)の年明けから5月中旬まで、週の報告数は10~30例前後でしたが、その後増え始め、6月7~13日の週は174例にまで増加しました。6月13日までの累積の報告数は、2000年以降の同時期で2番目に多い779例になっています。

 「記憶に新しい」という言い方がすべての人に当てはまるかどうかは分かりませんが、O157と言えば、1996年に大阪の堺市で集団発生し死者も出て、カイワレ大根が一時悪者扱いされた事件を覚えている人は多いでしょう。

 今回は、全国的に感染性の下痢が増加していて、太融寺町谷口医院にも毎日のように下痢を訴えて受診する人がいますから感染に注意しましょうね、という話をしたいのですが、O157についてまずは簡単に振り返っておきたいと思います。

 O157が初めて登場したのは(「登場した」ではなく「発見された」が適切かもしれませんが)、1982年のアメリカで、このときはハンバーガーによる集団感染でした。日本では1990年に埼玉県で幼稚園の井戸水で集団感染し園児2人が亡くなっています。このときもマスコミに報道され注目されましたが、やはり決定的に有名になったのは1996年でしょう。

 まず5月に岡山で集団感染が報告され、7月には大阪府堺市で爆発的な増加をみせます。最終的な患者数はおよそ8千人で、死者も3人となりました。このときのマスコミの報道は、予防や治療に重点を置いたものというよりは、O157の原因探し、もっと言えば”犯人探し”に躍起になっていたように思われます。そしてついにカイワレ大根が犯人としてまつりあげられました。

 このとき私はまだ医師ではなく医学生でしたが、当時の厚生省に対して「そんなこと発表していいの??」という気持ちになったのを覚えています。というのも、そもそもカイワレ大根からはO157が検出されていないのです。そして、1982年のアメリカ以降、O157が検出されているのは、ほとんどが肉類なのです。常識的に考えれば、まずは弁当や給食に使われていた肉や精肉業者を考え、たとえ肉からO157が検出されなかったとしても、カイワレ大根の可能性があるなどと公式発表するなんていうのは方向違いもいいところです。(参考までに、カイワレ大根生産業者らは風評被害を受けたとして国家賠償を求める裁判をおこし国が負けましたが、これは当然です)

 その後、O157の名前をあまり聞かなくなったな、と思っていると2000年代に入って2~3年に一度程度、ときどき報道されるのを耳にするようになりました。最近では、昨年(2009年)大手ステーキチェーンの「ペッパーランチ」が東京と大阪を含む全国数店舗で食中毒を起こし、その原因としてO157が報告されました。

 そして、今年(2010年)初頭から急激に報告数が増加・・・。多くの感染症は定期的に猛威をふるいますが、1996年以来14年ぶりに今年はO157の流行の年となるかもしれません。

 O157というのは大腸菌の1種です。大腸菌のなかにもいろんな種類のものがあり、実は大半の大腸菌は無害であり誰の腸内にも生息しています。ですから、「腸内で大腸菌が見つかったから治療をおこなわなければならない」というのは誤りです。

 多くの種類がある大腸菌のなかでいくつかは人間に悪さをします。この悪さをする大腸菌のことを「病原性大腸菌」と呼びます。しかし、「病原性大腸菌」のなかにもいろんな種類があって、腸管侵入性大腸菌(EIEC)、毒性原性大腸菌(ETEC)、腸管病原性大腸菌(EPEC)、・・・、といった感じで分類されています。病原性大腸菌のなかに腸管出血性大腸菌(EHEC)というものもあり、O157はこのグループに所属します。

 O157を含む腸管出血性大腸炎の最大の特徴は、血便をきたす、ということです。下痢で医療機関を受診すると、「血便はないですか」と聞かれますが、医師からみたときに、この血便の有無というのは非常に大切な情報なのです。

 血便をきたす疾患には実に様々なものがあり、単なる痔(ぢ)であることもあれば、潰瘍性大腸炎といった非感染性の炎症性疾患であることもありますし、中年以降であれば大腸ガンがみつかることもあります。大腸ポリープによる血便、抗生物質の副作用による血便(偽膜性腸炎)、高齢者であれば虚血性腸炎なども考えられます。危険な性交渉がある人であればアメーバ赤痢がみつかることもあります。

 急性の発症で強い腹痛や発熱、嘔吐などがあれば細菌性の大腸炎を考え、血便があればO157も疑います。O157を含む腸管出血性大腸炎がなぜ血便をきたすのかというと、このタイプの大腸菌は「ベロ毒素」と呼ばれる強い毒素を産生するからです。ベロ毒素は腸管粘膜に侵入すると細胞を死滅させ、その結果出血がおこるのです。ベロ毒素が血中に入り、腎臓まで到達すると腎臓の尿細管細胞を破壊し、急性腎不全(溶血性尿毒素症候群)が起こることもありますし、脳に到達すると急性脳症を起こし致死的な状態になることもあります。要するにベロ毒素が大変な曲者で、こいつが血便、腎不全、脳症などの原因になるというわけです。

 一般に、「感染症による下痢は下痢止めを使って下痢をとめてはいけない」、と言われますが、O157の場合は特に重要です。なぜなら、下痢止めを使って腸管の動きを止めてしまえば、それだけベロ毒素に悪さをする時間を与えるようなものだからです。

 細菌性でもウイルス性でも医師が感染性の下痢を考えたときには、よほどのことがない限り下痢止めは処方しません。放っておいたら下痢がどんどんひどくなり脱水になるような場合であっても下痢止めは使わないのです。脱水のリスクがあると考えれば点滴をおこないます。

 さて、O157の被害が小学校や幼稚園、あるいは高齢者の施設に偏って起こっているのはなぜでしょうか。これは、子供や高齢者は抵抗力が弱いために一気に病原体が体内で増殖するからです。実際、成人であればO157に感染しても、無症状、もしくは軽度の下痢で済んでいる可能性があります。症状が軽度であれば医療機関を受診しないでしょうから、O157に感染している人数は、国立感染症研究所感染症情報センターの報告よりもはるかに多いと考えられます。

 「生肉なんて食べていないし、食べ物はすべて加熱しています」という人でも感染性の下痢を起こすことはよくありますが、これはなぜでしょうか。よくあるのが、生肉を調理したまな板でサラダ用の野菜を切っていたとか、生肉を調理した後、手をよく洗わないままおにぎりを作った、などというケースです。ですから、料理をする人はこういった点に充分に注意しなければなりません。

 O157の場合は、食べ物→人、だけでなく、人→人という感染経路もしばしば報告されますし、人→人の感染性下痢はO157に限らず他の病原体でもおこりますが、これはなぜでしょうか。それは、例えば、下痢をしている人がトイレに → お尻をふくときに病原体が手に付着した → 手洗いが不十分でその手でトイレのドアノブを触った → 次にトイレに入る人がそのドアノブに触れた → その人も手洗いが不十分でトイレから出た後おにぎりを手で食べた、という経路での感染です。

 下痢が周囲で流行りだしたとき、いつもにも増して手洗いを徹底しなければなりませんし、料理をつくる人はまな板や包丁にも注意をしなければなりません。それでも気になる人には、携帯できるタイプの消毒液をすすめることがあります。これは、元々医療者用に開発されたものだと思うのですが、最近は薬局で誰でも買えるようになっています。ジェルタイプのものならすぐに乾きますし大変便利ですから、一度試されてはいかがでしょうか。

 そしてO157で言えば、最も大切なことは「肉料理に充分に注意する」ということです。少なくとも、カイワレ大根を食べるときよりは注意が必要です・・・。

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2013年6月15日 土曜日

第82回 熱のない長引く咳は百日咳かも・・・ 2010/6/20

百日咳が流行しています。百日咳と言えば子供の病気というイメージがありますが、ここ数年は成人の百日咳が増加しており、国立感染症研究所の報告では、今年(2010年)は、第20週(5月17~23日)の時点で、20歳以上の割合が5割を超えています。

 20歳以上の割合は5割、と聞くと、それでも約半数は子供なんだ、と思ってしまいますが、この数字は実態を反映していないと考えるべきです。

 まず、なぜ百日咳の患者数を国立感染症研究所が把握しているかというと、百日咳を診断した医療機関はそれを当局に届出なければならないからです。一般に、「特定の感染症」を診断したとき、医師には届出義務が生じます。

 この「特定の感染症」というのは、法律で定められており、すべての感染症が該当するわけではありません。例えば、足の水虫を診断したり、腟内のカンジダが確認されたりしてもそれらを届ける必要はありません。「特定の感染症」は、例えば現在流行しているA型肝炎や手足口病、HIV、麻疹などが相当します。そして、百日咳も「特定の感染症」に相当します。

 ここからが少しややこしくなります。実は「特定の感染症」というのは、「全数届出感染症」と「定点届出感染症」に分けられます。前者(全数届出感染症)は、すべての医療機関で届出義務が課せられる感染症です。HIV、エボラ出血熱、A型肝炎、などが相当します。一方、後者(定点届出感染症)は、あらかじめ指定されている医療機関にのみ届出義務が課せられます。

 百日咳は定点届出感染症に指定されており、「定点」は通常は小児科の医療機関が選ばれます。もちろん、「定点」に選ばれない医療機関もあるわけで、「定点」に指定されているAクリニックを受診すれば届出をされて、「定点」でないBクリニックを受診すれば百日咳と診断がつけられ治療をおこなわれても届出はされないことになります。つまり、あなたがAクリニックを受診するかBクリニックを受診するかによって、その週の百日咳の患者数が変わる、ということになります。

 通常、成人が長引く咳で医療機関を受診する場合、「内科」を受診することがほとんどで、あえて「小児科」を受診することはないでしょう。自分の子供を小児科クリニックに連れて行って、子供と同じような症状のある自分を”ついでに”診てもらう、とか、「小児科・内科」で診療をしているクリニックで診察を受けた、という場合であれば届出されることになりますが、一般の内科系クリニックを受診した場合は、届出はされないことになります。

 ですから、数字には上がってこないだけで実際には百日咳に罹患している成人は相当数に上るはずです。

 しかしながら、百日咳が流行したからといって慌てる必要はありません。なぜなら、ほとんどの場合、成人の百日咳は、咳には苦しめられるものの、通常高熱はでませんし、多少時間がかかることはありますが無治療でも自然治癒することが少なくないからです。

 一方、小児では事情が異なります。小児の百日咳は、熱もでますし、激しい咳は周囲が苦しくなる程ですし、嘔吐することもあれば、咳発作が重症化して呼吸困難に陥ることもあります。ワクチン接種をしておらず、無治療であれば、死に至ることも珍しくありません。実際、日本でもワクチンが普及する前は死亡率が10%もあったとする報告もります。

 ワクチンが普及すれば、感染者は劇的に減少するのですが、実は百日咳ワクチンには様々な歴史があって、副作用が問題になりいったん供給が中止となったこともあります。改良が重ねられ、現在ではジフテリア、破傷風との混合ワクチン(DPT三種混合ワクチン)が登場し、1994年からは1回目の接種が生後3ヶ月となりました。それまでは2歳で1回目の接種をすることになっていたのですが、生後3ヶ月に早められたのは、百日咳は生後6ヶ月未満で発症することが少なくないからです。(注1)

 一般に生後だいたい6ヶ月くらいまでは、お母さんからの免疫(これを「経胎盤移行抗体」と呼びます)があって、多くの感染症にはお母さんが培った免疫力で対処できるのですが、百日咳の場合は、この免疫が期待できないのです。そこで、ワクチンをできるだけ早くから接種する必要があるというわけです。

 さて、成人の百日咳ですが、統計に反映されない感染例がかなり多くあり現在も流行していることはほぼ間違いありません。では、医療機関では百日咳を疑った場合はどうしているのでしょうか。

 太融寺町谷口医院にも長引く咳を訴えて受診される方は少なくありません。このような訴えは年中あるのですが、ここ1~2ヶ月は特に増加しているように思われます。ただ、長引く咳→百日咳、と短絡的に決められるわけではなく、アレルギーが関与している咳や、持病の喘息や慢性気管支炎が悪化した場合、ウイルス性の感冒がダラダラ続いている場合、また、マイコプラズマ肺炎であることもありますし、頻度はそれほど多くありませんが結核が見つかることもあります。またタバコを吸う中高年の場合は、COPDと呼ばれる肺の病気であることもありますし、逆流性食道炎の1つの症状といった気道とは関係のないことが原因となっている長引く咳もあります。

 一般的に咳が長引いていれば胸部レントゲンを撮影することになるのですが、百日咳はレントゲンで特徴的な像を呈するわけではありません。ですから、レントゲンは、百日咳を見つけるために撮るというよりも、百日咳以外の重症な疾患(結核や肺ガンなど)を除外するために撮影する、といった意味の方が大きいといえます。

 血液検査はどうかというと、実は成人の百日咳の場合は、決定的な指標というものがありません。子供の場合は、血液検査の値が百日咳に特徴的になるのですが、成人の場合は、凝集価という値や抗体(IgG抗体)を調べることがありますが決定的なものではありません。また、遺伝子診断(PCR)をおこなえば確定できることがありますが、これは保険適用がなく、もしも検査をするとなるとかなりの高額になります。それにいずれの検査をしたとしても、結果がでるまでに数日から1週間以上かかります。

 もしも、百日咳という病気が、何らかの理由で「100%の診断がつかなければ治療を開始してはいけない病気」であれば、なんとしても確定診断をつけなければなりませんが、実際はそうではありません。例えば、クラリスロマイシン(商品名はクラリス、クラリシッドなど)という抗生物質は百日咳によく効いて、同時に同じく長引く頑固な咳の症状がでるマイコプラズマにもよく効きます(注3)。

 ですから、少し荒っぽい言い方をすれば、その咳がウイルス性やアレルギー性のものではなく、細菌性の上気道炎である可能性が強く(注2)、咳が主症状であれば、クラリスロマイシンを投薬してみるというのは臨床の現場ではしばしばおこなわれる方法のひとつです。もちろん、抗生物質というのは安易に処方すべきものではありませんし、百日咳であることを強く疑っても、ピークを過ぎて治癒過程にあるような場合は、あえて何も処方しない(もしくは一般的な咳止めのみの処方とする)こともあります。

 成人の百日咳は、咳が長引くことはあるものの発熱はないことが多く日常生活が妨げられるようになることはそれほど多くありません。また、確定診断がつかなくても治療が開始されることもあり、ほとんどは数日後には治癒しますから、それほどやっかいな病気ではないと言えます。しかしながら、まだワクチン接種をしていない子供にうつしてしまうと大変なことになりかねません。周りに小さなお子さんがいる方は早めに医療機関を受診すべきでしょう。

注1 百日咳のワクチンは終生免疫が得られるわけではなく、成人する頃にはワクチンの効果が消失していると考えられています。また、DPTワクチンは通常下記のようなスケジュールで接種します。
・1期初回接種を、生後3ヶ月から1歳までの間に、3~8週あけて合計3回。
・1期追加接種を、初回接種後1年から1年6ヵ月後に1回接種。
(2期接種を、11歳くらいにおこないますが、通常このときは、DTワクチン(ジフテリアと破傷風)のみで百日咳はおこないません)

注2 「上気道炎(風邪症状)がウイルス性のものなのか細菌性のものなのかをどうやって区別するのですか」という質問をときどき受けます。それらを区別するには、問診、肺野の聴診、咳や痰の性状、発熱の有無(これはあまりあてになりませんが)、その人の基礎疾患(アレルギー疾患の有無、糖尿病や悪性腫瘍、HIV感染などはないか)、などもありますし、肺炎を疑った場合は胸部レントゲンを撮影しますが、当院では咽頭スワブの染色(咽頭を綿棒でぬぐいそれをスライドに引いて特殊な染色をおこない顕微鏡で観察します)を重要視することがしばしばあります。細菌感染の場合、炎症細胞と呼ばれる一部の白血球が集まっている像が観察されることが多いのです。また、最近ではプロカルシトニンという値を血液検査で測定して細菌感染の有無の参考にするという方法もあるのですが、結果がすぐに出ないことと高価なことから当院ではあまりおこなっていません。

注3(2012年10月21日付記):本文にはマイコプラズマにクラリスロマイシンが「よく効く」と記載されていますが、2010年後半頃よりクラリスロマイシン耐性のマイコプラズマ(つまり、クラリスロマイシンが効かないマイコプラズマ)が急増し、2012年後半の現在では、もはや「ほとんど効かない」と考えるべきです。

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2013年6月15日 土曜日

第81回 慢性腎臓病と塩分制限 2010/5/19

 「慢性腎臓病」という病気の名前を聞いたことがあるでしょうか。

 「慢性」も「腎臓病」も別段真新しいネーミングではありませんから、なんとなく昔からあったように感じられますが、「慢性腎臓病」というこの病気の名前はそれほど古くからあったわけではありません。
 
 慢性腎臓病(Chronic Kidney Disease、略してCKDと呼ばれることも多い)は2002年に提唱された、新しい病気の概念です。

 この病気の定義は、専門的に言えば、3ヶ月以上続く尿蛋白など腎臓病を疑う異常所見、もしくは3ヶ月以上糸球体濾過量(GFR)が60ml/分(正常100ml/分)、のいずれかを満たす状態、となります。糸球体濾過量というのは、腎臓を構成する糸球体と呼ばれるフィルターの役割を担っている組織が1分間にどれくらいの血液を濾過し尿をつくれるかを示す数値なのですが、これを正確に計測するのはかなり大変です。そこで、実際には、血液検査でわかる腎臓の数値をみて推定式にあてはめることによって、およその糸球体濾過量を算出します。

 もう少し現実的な話をすると、例えば健康診断で蛋白尿がみつかり再検査でも蛋白尿が続いたので採血をしてみてその結果から慢性腎臓病という診断がついた、とか、何らかの理由で血液検査をおこなったところ、偶然に腎臓の数値が悪くなっていることが発覚して、そこから慢性腎臓病の診断を受けた、などということが多いと言えます。ここで言う「腎臓の数値」とは通常クレアチニン(Cre)を指します。

 慢性腎臓病になるとどのような症状がでるのかというと、初期であれば、まったくといっていいほど無症状です。ある程度進行したところで初めて、尿の量が多い(特に夜間に何度もトイレに行く)とか、身体がむくむ、といった症状が出現します。

 この状態がさらに進行すると慢性腎臓病は重症化し、こうなると病名も「慢性腎不全」もしくは「尿毒症」となり、倦怠感、息切れなども出現します。ここまで来れば有効な治療法は人工透析か腎臓移植ということになってしまいます。

 慢性腎臓病という病気は2002年に提唱された、と上に述べましたが、実は米国では随分前から、この概念が重要視されていました。それは、腎不全にまでは至らないけれども腎臓の機能が少し低下した状態(要するに慢性腎臓病の状態)になると、将来的に心血管障害(心筋梗塞や脳梗塞など)を起こすリスクが高くなることが分かっていたからです。

 ところで、どのような人が慢性腎臓病になるのでしょうか。圧倒的に多いのが生活習慣の不摂生が原因となっている場合です。実際、メタボリック症候群(もしくは予備軍)の人が慢性腎臓病を合併しているケースは非常に多いと言えます。太融寺町谷口医院の患者さんをみてみても、慢性腎臓病と診断がついているのは、40代から60代くらいのメタボ体型の男女が目立ちます。(しかし痩せている人でも慢性腎臓病は珍しくはありません)

 ですから、運動療法と食餌療法をしっかりとおこなえば慢性腎臓病のリスクは随分と減らすことができるのですが、そのなかでも最も重要なのは「塩分の制限」です。しかし、塩分の制限というのは決して簡単ではありません。

 そもそも塩というのは大昔には大変貴重なものであり、人間の身体は少ない量の塩分摂取で生きることができるようにつくられています。もしも大量の塩分を摂らないと生存できないような身体であれば子孫を残せなかったというわけです。しかし、その逆に、大量の塩分を摂取したときには不要な分は排出する、などといった都合のいい対処をおこなうことはできないのです。

 よく言われるように、国際的にみて日本人の塩分摂取量はトップレベルです。2008年の厚生労働省の調査では、成人男性の1日の塩分摂取量は平均11.9グラム、女性で10.1グラムとなっています。昭和時代には15グラム以上、東北地方に限って言えば20グラムを超えていたという報告もありますから、最近は随分と改善してきていますが、現在でも適正摂取量からはほど遠いと言われています。

 慢性腎臓病の概念を早くから重要視していた米国では、塩分の制限が盛んに議論されるようになり、今年(2010年)3月には、ニューヨークで、「塩を使って料理をすると店主に罰金 1,000ドル(約 90,000円)を科せる」という法案が提出されました。(報道は2010年3月12日のTelegraph、下記注参照)

 さすがにこの法案は議会を通過しなかったそうですが、もしもこの法律が日本で成立したとすると生き残れるレストランは1つでもあるのでしょうか・・・。これほどまでに現在のアメリカでは塩に対する風当たりが強くなっているのです。

 塩分制限の世界的な流れを受けてなのか、2010年4月に改定された厚生労働省の「日本人の食事摂取基準」では、塩分の適正摂取量が男性9グラム未満、女性7.5グラム未満に改められています。(5年前の旧基準では男性10グラム未満、女性8グラム未満でした)

 塩分の適正摂取量には様々な議論がありますが、例えば、日本高血圧学会が推奨する1日の適正な塩分摂取量はわずか6グラムです。6グラムという基準をすべての日本人が守らなければならないかというと異論は多いでしょうが、慢性腎臓病という診断がつけられれば6グラム以下にすべきというのは、ほとんどの医療者が賛同するところです。(慢性腎臓病のガイドラインにもそう書かれています)

 では、食塩6グラムとは実際にはどの程度なのでしょうか。

 味噌汁、鍋焼きうどん、五目そば、これら3つの1杯ずつの塩分はどれくらいでしょう。正解は、順に、2グラム、7.4グラム、8グラムです。つまり、慢性腎臓病になるとうどんの1杯も食べられないということになってしまうのです。

 もっとも、汁を一切飲まなければ少しくらいは食べてもいいということにはなるでしょうが、塩分摂取量を適正に保とうすれば、寿司や刺身を食べるときも醤油はほとんど使えないでしょうし、健康にいいと言われている青魚でも、塩サバや塩サンマなんてものも食べられなくなってしまうわけです。

 では、いったい何を食べればいいのでしょうか。アボリジニ人やアフリカの一部の民族は塩分をほとんど摂らないそうですが、日本で長年生活している人がそういった民族料理で生きていくのは不可能でしょう。

 Telegraphの報道によりますと、ニューヨークのマイケル・ブルームバーグ市長は、「すでに公共区域での喫煙は禁止した。レストランでは、メニューにカロリー量の記載を義務付けている。塩の制限は高血圧の人たちを救えるのだ」とコメントしています。

 健康のため、病気の予防、などと言われればまったく反論できなくなるのですが、「もしも自分自身が塩分を6グラム以内にせよと言われたら到底不可能だろう・・・」、そんなことを感じながら、私は日々患者さんに塩分制限の話をしています。これではとうてい説得力がありません・・・。

 私は一応禁煙には成功したつもりですが、もしも塩分を6グラムにするよう強制されればやっていけるかどうか自信がありません。禁煙にもかなりの努力を要しましたが、塩分制限は禁煙よりもキツイことになるでしょう。

 「健康のため」というプロパガンダは、人々からタバコを奪い、高カロリー食を奪い、ついに塩分の制限まで強制するようになってきました。次のターゲットはおそらくアルコールになるでしょう。我々は、人生を楽しむためではなく、「健康のため」に生きているのでしょうか・・・、と皮肉のひとつも言いたくなります・・・。

注1:本文で紹介したTelegraphの記事のタイトルは
「NY restaurants face total salt ban if politician gets his way」で下記のURLで読むことができます。
http://www.telegraph.co.uk/foodanddrink/foodanddrinknews/

注2:どのような料理にどれだけ塩が含まれているかについては、厚生労働省が作成している下記のウェブサイトが参考になります。

http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/seikatu/himan/

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2013年6月15日 土曜日

第80回 くも膜下出血と脳ドック 2010/4/20

最近、頭痛を訴える患者さんが増えてきたな、と感じていたのですが、この原因はどうやら読売ジャイアンツの木村拓也コーチがくも膜下出血で他界されたことと無関係ではなさそうです。実際、当院だけでなく、総合内科や総合診療科の外来がある医療機関では、大学病院も含めて、「自分の頭痛の原因はくも膜下出血ではないか」と考えて受診する人が急増しているそうです。

 くも膜下出血は、緊急処置(手術)を要する脳外科的疾患でみると、比較的よくある疾患です。全体の頻度でみれば、脳梗塞や脳出血の方が多いでしょうが、これらは高齢者に多いのに対し、くも膜下出血は年齢に関係なくおこります。したがって、我々医師は、救急の現場にいるとき、比較的若い年齢で激しい頭痛を訴えて救急搬送された患者をみた際に、まず考える疾患のひとつがくも膜下出血なのです。特に、外傷のエピソードがなく、これまで経験したことのない激しい突然の頭痛、などと言われれば、患者さんが到着するまでにCT撮影の準備をしておきます。

 しかし、くも膜下出血の患者さんがいつも激しい頭痛を有しているかというとそういうわけでもありません。それほど痛がっていない場合もありますし(「病院に来るべきかどうか悩んでいた」と言われることもあります)、数日前から頭痛が続いていると言われて受診することもあります。若い人にときどきあるのが、例えばスノーボードで転倒してから次第に頭痛を自覚するようになったというようなケースで、この場合、このスノーボードのエピソードを聞きだせるかどうかが、診断のポイントになってきます。

 くも膜下出血という病名は、(少なくとも同じ脳外科領域の出血性の疾患である急性硬膜外血腫や慢性硬膜下血腫に比べると)、比較的よく知られていると思われます。しかし、病名が有名な割にはその病態は意外に知られていないように思われますので、まずは、くも膜下出血はどのようにして起こるのかについて確認しておきましょう。

 脳は外側から硬膜、くも膜、軟膜の3つの膜で覆われています。そして、くも膜と軟膜のすき間はくも膜下腔と呼ばれています。(硬膜とくも膜のすき間は硬膜下腔と呼ばれます) くも膜と軟膜は密着しておらず、無数の線維の束で結ばれています。そしてその入り乱れた無数の線維がクモの巣に似ていることからこの真ん中の膜が「くも膜」と呼ばれているというわけです。(参考までに英語で「クモの巣」はspider webですが、植物学用語では「クモの巣」の形容詞はarachnoidとなります。そしてくも膜の英語はarachnoid membraneです)

 くも膜下出血の原因で圧倒的に多いのは、脳動脈の一部が膨らんでできた動脈瘤(どうみゃくりゅう)の破裂によるものです。動脈瘤というと言葉がむつかしいですが、要するに脳を走っている動脈にできたコブです。このコブの壁は、普通の血管壁に比べると、構造がもろく高圧に耐えられないために、何かの拍子に血圧が上がったときに一気に破れてしまうのです。これがくも膜下出血のメカニズムです。

 先に、「数日前から頭痛が続いている」という例を挙げましたが、この場合、一気にコブが破れたのではなく、少しずつコブから出血が起こっていた可能性があります。(これを「警告出血」と呼びます) また、先にあげたスノーボードの例では、動脈瘤がなく外傷を機転としています。これを動脈瘤の破裂によるものと区別して「外傷性くも膜下出血」と呼ぶこともあります。

 木村コーチはシートノックの最中に倒れたようですが、一部の報道によりますと、前日から頭痛でほとんど眠れなかったと関係者に証言していたそうです。強靭な体力と精神力を有しているプロスポーツ選手ですから、普通の人なら耐えられないような痛みを隠してノックをしていたのかもしれません。

 さて、先ほど、便宜上「何かの拍子に血圧が上がったときに」と述べましたが、脳動脈瘤が破れてくも膜下出血をきたした人は、何か特別なことをおこなっている最中にコブが破れたとは限りません。これまで私が救急の現場でみてきた患者さんたちも、食事中に、デスクワークをしているときに、夕食後テレビを見ているときに、などというケースもありましたから「○○をするときには気をつけましょう」という具合に予防できるわけではないのです。もっとも、高血圧、喫煙、過度の飲酒などがあればコブが破れるリスクが高くなるのは事実です。

 では、事前にくも膜下出血を防ぐにはどうすればいいのでしょうか。単純に考えれば、まずは自分にその血管のコブ(脳動脈瘤)があるのかどうかを調べてみよう、ということになります。実際、脳ドックの1つの目的はこのコブの有無を調べることです。

 となると、いったいどれくらいの割合の人がこのコブを持っているのかが気になりますが、だいたい人口の5%程度だろうと言われています。(最近、医療技術が向上し、より小さなコブも見つけられるようになったことと、脳ドックを受ける人が増えたことで、見つかる人が増えて5%よりも多いのではないかと言われることもあります)

 ここでむつかしいのは、その人口の5%の人たちの全員のコブが破れてくも膜下出血が起こるわけではないということです。破れていないコブ(これを「未破裂脳動脈瘤」と呼びます)が、どれくらいの確率で破れるのか、というのは昔からよく議論されていて、私が学生の頃は、「1年間に破裂する確率はだいたい1%程度」と習いました。

 しかしながら、この1%という数字は信憑性が乏しく実際はこれよりもずっと少ないのではないかと言われることが増えてきています。日本脳神経外科学会が立ち上げている未破裂脳動脈瘤悉皆調査(UCAS)のウェブサイトでは、「未破裂脳動脈瘤の破裂する正確な率は不明」とした上で、1998年の国際報告を引き合いに出しています。その報告によれば、1センチ以下のものでは破裂率は年間0.05%、1センチ以上のものでは年間0.5%、となっています。

 では、たまたまMRIを撮影したり、脳ドックを受けたりして、自分の脳にこのコブが見つかってしまったときはどうすればいいのでしょうか。「くも膜下出血を発症する前にこのコブを治療してしまおう」というのも1つの考え方です。発症前に治療をしてしまえば、くも膜下出血を発症するリスクはかなりゼロに近づくでしょう。

 不幸なことに木村コーチが他界されたように、くも膜下出血というのは重篤化する病気です。くも膜下出血を発症したとき、元通りの生活に戻れる人は3分の1程度だろうと言われています。そして3分の1が死亡、残りの3分の1は、命は助かるものの寝たきりや麻痺といった後遺症を残します。

 では、そんな重篤な疾患のリスクがあるなら積極的にコブの有無を調べて、もしもあればすぐに手術をすればいいじゃないか、と考えられるかもしれません。しかしながら、手術にはリスクが伴います。

 全身麻酔の下、開頭し、脳外科医が顕微鏡を用いてコブまでたどりつき、コブの根元にクリップをかけます。これでコブには血液が流れなくなり出血をきたす可能性が極めて低くなります。この手術を「脳動脈瘤クリッピング術」と呼び、コブの治療では最も一般的なものです。他の治療法としては、「コイル塞栓術」と言って、太ももの太い血管から管を入れて、その管の先端を脳動脈のコブまでもっていき、管からやわらかいプラチナ製のコイルをコブに流し込んで詰めてしまうという方法があります。どちらの方法でも、コブができている場所にもよりますが、治療は極めてむつかしくベテランの脳外科医にしかおこなうことができません。(「コイル塞栓術」は放射線科医がおこなうこともありますが、いずれにしても極めて難易度の高い治療法です)

 脳ドックなどでたまたま脳動脈のコブを見つけてしまったときに手術をすべきかどうか・・・。これには絶対的な正解がないというのが現状でしょう。実際には、その人の年齢、既往(過去にどんな病気をしているか)、血縁者にくも膜下出血を発症した人がいるか、高血圧の有無、その人にとっての全身麻酔のリスク、コブの位置と大きさ、などによります。場合によっては、脳外科医の間でも意見が分かれることがあるかもしれません。
 
 もしもコブが見つかったらどうすべきか、また、それ以前にそもそも脳ドックは果たして受けなければいけないものなのか、という問題もあります。少なくとも、現在無症状で血縁者にくも膜下出血を起こした人がいないのであれば、慌てて調べる必要はないでしょう。

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2013年6月15日 土曜日

第79回 気軽に始める禁煙法 2010/3/19

2010年2月28日、米国大統領就任後初めて健康診断を受けたオバマ大統領は、担当医から健康面に心配はないと言われたものの「禁煙の努力を続けること」と勧告を受けたそうです。オバマ大統領は、立候補の条件として奥さんのミッシェルさんに禁煙を”公約”していたそうですが、依然守られていないことになります。

 2010年2月28日で、WHO(世界保健機関)が「タバコ規制枠組み条約」を発効してから5年が経過したことになりますが、WHOは「世界的に喫煙者数が減少しているとは言えない。途上国では増加傾向にあり、女性の喫煙者は増えている」とのコメントを発表しています。WHOは、タバコを「法律で禁止されていない唯一の有害物質」と位置づけ、世界の喫煙人口を13億人とし、年間500万人が、喫煙が原因の病気で死亡していると推定しています。喫煙者は2025年までに17億人に増えるとの推計もあります。

 これら2つのニュースだけをみると、「禁煙とは大変むつかしいもので、世界的にみて禁煙対策はほとんど進んでいない」ということになりますが、実際は各国とも禁煙対策に相当力を入れています。世界一喫煙人口が多いと言われている中国でも、2010年5月から開催される上海万博に向けて、市内のあらゆる公共施設を全面禁煙にする罰則付き条例が3月1日に施行されました。

 日本でも禁煙への流れは着実に進行しています。

 厚生労働省は2月25日、受動喫煙による健康被害を防ぐため、飲食店や遊技場など不特定多数の人が利用する施設を、原則として全面禁煙とするよう求める通知を各都道府県に対して発行しました。この通知には、罰則規定はないものの、対象施設は、学校や病院だけでなく、官公庁、百貨店、飲食店、ホテルなども含まれており、また鉄道やタクシーといった交通機関も明示されています。

 日本で最も禁煙対策が進んでいるのは神奈川県といって間違いないでしょう。同県では、受動喫煙防止条例が2010年4月から施行されます。この条例では、飲食店も含めた公共的な施設に禁煙や分煙を義務付け、違反者には罰金が科されます。この条例施行に先がけて、マクドナルドでは県内全298店舗を3月1日から全面禁煙にしています。

 禁煙対策や禁煙ブームは、ここ数年間加速度的に高まっていますが、輪をかけるように10月からはタバコ税率が上がり、1本あたり5円程度の値上げが実施される見込みです。また、一部の銘柄(外国製)は6月から1箱20円程度値上げされるようです。

 世界の歴史上、かつてこれほどまでに禁煙への取り組みがおこなわれたことはなかったのではないでしょうか。愛煙家にとっては生きにくい時代と言えるかもしれませんが、逆に禁煙を考えている喫煙者にとっては、チャンス到来とも言えます。

 太融寺町谷口医院にも禁煙治療を希望して受診される方が増えています。以前、このサイトで「谷口医院では禁煙の成功率は高いが、それは初めから成功しそうな人にしかおこなっていないから」、ということを述べました。それはそれで悪くはないかもしれませんが、同時に私には、それでいいのか・・・、という悩みがありました。

 まだ禁煙を考えていない人や、できれば禁煙したいとは考えているけれども成功しそうにない人に対しても、禁煙してもらう方法はないのだろうか・・・。あるいは、成功しそうな人でも100%が成功するわけではなく、いったん禁煙に成功して半年程度過ぎたあたりで再び喫煙を開始したという患者さんもときどきおられます。このような人たちには今後どのようなアプローチをすべきなのか・・・。

 そのような悩みを感じていたとき、日本禁煙推進医師歯科医師連盟という禁煙を支援する団体が禁煙指導者のトレーニングをしていることを知りました。私は、早速そのトレーニングを申し込むことにしました。このトレーニングプログラムがユニークなのは、単に講義やビデオを使った研修だけではなく、ワークショップが開催され、他の禁煙指導者と一緒になってケーススタディを学ぶことやロールプレイングができるということです。3月7日にそのワークショップが実施されたのですが、私には予想を上回る収穫がありました。

 まず、多くの指導者(主に医師と看護師)は、患者さんが禁煙したいと話したとき、私のようにその患者さんの禁煙に対する決意が中途半端であれば時期尚早と判断するのではなく、「簡単に始められて楽に続けられますよ」と話して禁煙を勧めていることが分かりました。

 しかし、私の経験上(自分自身のことも含めて)いったん禁煙に成功したとしても数ヶ月もすれば、吸いたくなる欲求に襲われます。そのときに、確固とした禁煙の動機を思い出すことができなければ、”1本の誘惑”に負けてしまうことになります。

 けれども、簡単に禁煙を勧める医師たちは、「それでもかまわない」、と言います。禁煙治療をおこなわなければまったく減ることのなかったタバコが、少なくとも禁煙治療中(薬服薬中)は、ほとんどの人がタバコを吸わなくなり、またそれ以降もある程度は禁煙期間が続く場合があるからです。

 ところで禁煙治療は保険を使っておこなうことができるのは12週間です。そしていったん終了すると、その後1年間は保険を使っての禁煙治療はできません。しかし、考え方をかえてみると、たとえ3ヶ月だけでも禁煙できたとすると、禁煙3ヶ月→喫煙1年間→禁煙3ヶ月→喫煙1年間→・・・、となり、単純計算で15ヵ月のうち3ヶ月は禁煙できていることになります。これを120ヶ月(10年間)続けたとすれば、このうち禁煙期間は24ヶ月(2年間)になります。10年のうち2年間は禁煙ができたなら、様々な病気のリスクをある程度は減らすことができます。

 しかもこの計算方法は、3ヶ月禁煙した後はすぐに喫煙を再開するという前提です。もしも、薬をやめてからもある程度禁煙が続いていたり、吸ってしまったとしても以前に比べて本数が減少していたりするなら、さらに喫煙による病気のリスクを減らすことが期待できるというわけです。

 さて、私自身は完全禁煙を遂行してから2年以上がたちますが、実は今でも吸いたくなることがあります。それも、突然強烈な欲求に駆られ、いてもたってもいられないような衝動に襲われることもあります。それでもタバコに再び手を出さないでいられるのは、禁煙の「動機」を思い出し、理性を取り戻すようにしているからです。

 私が、禁煙治療を希望する患者さんに必ず「動機」を尋ねるのは、自分自身の経験もあるからなのです。「動機」がしっかりしたものでなければ、数ヶ月の禁煙が続いたとしても、やがて誘惑に負ける時がやってくる・・・。このような考えから、私は「動機」が曖昧な人には禁煙治療をすすめていませんでした。

 しかしこれからは、(私自身は再び喫煙する気持ちはありませんが)、禁煙治療をおこなった患者さんが再び吸い出すことになったとしても、それでもいいじゃないか、と考えるようにしてみようと思っています。

 「とりあえずやってみましょうか」という気軽な気持ちで始めてみる・・・。こんな禁煙法を勧めてみることを検討しています。

参考:
はやりの病気第32回(2006年5月)「そろそろ本格的な禁煙を!」
はやりの病気第66回(2009年2月)「メンソールの幻想と私の禁煙」
禁煙外来

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2013年6月15日 土曜日

第78回(2010年2月) アトピービジネスとステロイドの誤解

 2010年1月13日、アトピー性皮膚炎を患っていた福岡県の生後7ヶ月の長男が両親から適切な治療を受けさせてもらえずに死亡したという痛ましい事故が起こりました。

 この両親はある宗教団体の職員で、その団体が提唱する「浄霊」という患部に手をかざす行為でアトピーを治そうとしていたそうです。この男児はアトピーから感染症を併発し、最終的には敗血症(細菌が全身に波及した状態)となり死亡したと報道されています。

 この両親は、マスコミの取材に対し、「信仰を重んじて病院へ行かなかった。子供を見殺しにしてしまった。人間本来の自然治癒力で良くなると信じていた。後悔している」と供述しているそうです(2010年1月14日読売新聞)。

 この宗教に問題があるのは明らかですが、私はこのニュースを聞いたときにまず感じたことは「ステロイド外用を中心とするアトピーの標準的な治療法に対する誤解はまだまだ根強いんだな・・・」というものです。

 最近は少し改善してきていますが、1980年代後半くらいからステロイドに対する誤解がはびこるようになり、医療機関で標準的な治療を受けることを拒否する患者さん(小児の場合は治療を受けさせることを拒否する親)が増えだしました。

 90年代前半にはある報道番組の人気キャスターが、堂々とテレビでステロイドに対する誤解を増長させるような発言をおこない、これが全国に波及しました。その結果、その直後からアトピー性皮膚炎が重症化し入院せざるをえなくなった小児が急増したと言われています。

 その後次々とアトピーが治ると謳った高額な化粧品、水(温泉水、酸性水、深海水など)、エステ、健康食品などが登場し、「アトピービジネス」という言葉が誕生しました。この背景には、標準的治療法であるステロイド外用剤に対する根強い誤解と偏見があります。テレビで堂々とステロイドが毒であるかのような発言をおこない、一般市民にステロイド恐怖を植え付けた先に述べたキャスターの罪は決して小さくないと私は考えています。

 もちろん「アトピービジネス」でアトピーが治れば何の問題もありませんが、実際にはほとんど治らないどころかむしろ悪化させているケースも少なくありません。ときどき治ったという報告もありますが、自然治癒したのかその治療で治ったのかの検証ができていません。もしもそのアトピービジネスで治るのなら、その後は「ビジネス」ではなく「標準的治療」として取り上げられるはずです。

 ステロイド恐怖を植えつけられた患者さんたちは、わらにもすがる思いで”奇跡の治療薬”を入手しようとします。最近話題になった事件としては、2009年3月に奈良県の化粧品販売会社が中国から仕入れた「がいようクリーム」というクリームに極めて強いステロイドが使われていたというものがありました。奈良県によりますと、ステロイドを使いたくないアトピーの患者さんが、”保湿クリーム”としてこの強力ステロイド入りクリームを使用していたそうです。

 医療の現場では顔面には絶対に使わないような強いステロイドが入っているクリームが「ステロイドが入っていないアトピーに効く奇跡のクリーム」として中国から輸入されるという事件はこれまでもときどき起こっています。これらが発覚するまでには相当の時間がかかるでしょうから、実際には強いステロイドが入っているとは気づかずに怪しげなクリームを使用している人は今も大勢いるのかもしれません。

 さて、ではなぜこのようにステロイドには大きな誤解があるのでしょうか。例えば、細菌感染に対する抗菌薬のように数日間の投薬で完治するような治療法であれば、アトピーに対するステロイドがこのように誤解されることもないでしょう。

 アトピーの場合、慢性疾患であることと、再び増悪することがあること、ステロイド外用の方法を必ずしも患者さんが適切におこなえていないこと(もちろんこの責任は説明不足の医師にありますが)などが、ステロイドの誤解の原因ではないかと私は考えています。

 「アトピーは完治しますよ」と患者さんに言ったときに、びっくりされることが多いのですが、アトピー性皮膚炎という病は、じっくりと向き合い適切な治療をおこなえば治らない病気ではありません。私の言葉で言えば、ステロイドが怖いのは、その副作用が怖いのではなく、「適切に使わないことによる弊害が怖い」のです。

 適切にステロイド外用を使えば1週間で改善しないケースはありません。そして(ここからが肝心です)、その後はタクロリムス(注1)と保湿剤のみと生活習慣の見直しで、ほとんどがほぼ治癒した状態になります。

 「生活習慣の見直し」といっても、仕事を変えなければならないとか引越しをしなければならないとか、そういうものではありません。また、ストレスを避けましょう、といった、もっともらしいけども実際には何をしていいか分からないようなものでもありません。アトピー性皮膚炎に必要な生活習慣の見直しとは、例えば繰り返しシャワーをおこなう(石ケンは不要です)とか、寝室の環境を整えて就寝時に汗をかかないようにするとか、乾燥シーズンには部屋を暖かくして加湿器を置く、とかそういった類のものです。

 患者さんからじっくり話を聞いてときどき感じるのが、ステロイドを適切に使えていない人が意外に多いというものです。ステロイドを怖がってからなのか、充分な量のステロイドを使っていない人は少なくありません。ステロイド(特に強いステロイド)は、「短期間にたっぷり塗って中止。その後はタクロリムス(注2)で維持する」が基本です。

 次に、ステロイドの使い分けについて、医師がきちんと伝えたつもりでも結果として患者さんに理解してもらっていないことがあります(これはもちろん医師の責任です)。私は全身に症状のあるアトピーの患者さんに対して、それなりに重症であれば、少なくとも2~4種類のステロイドを処方します。これは皮膚というのはその部位によってステロイドの吸収の度合いが全く異なるからです。例えば、掌や足の裏は吸収されにくいため、一般的には強いステロイドを使います。一方、顔面や陰嚢、外陰部など吸収されやすいところにはごく弱いものを使用します。もしも足の裏用のものと顔面用のものを逆に使ってしまうと、顔面は副作用に苦しめられ足の裏は一切効果なし、ということになってしまうのです。

 アトピーの治療の基本は、増悪時にはステロイドを適切に使うことです。「適切に」というのは、適切な強さのステロイドを適切な部位に適切な期間、適切な回数使うということです。そして、症状は必ず改善しますから、その後はタクロリムス(注3)と保湿剤の使用でいい状態を維持するのが基本です。

 もちろん、患者さんによって環境が異なり、状態が異なり、生活習慣も異なるわけですから、基本事項以外にも様々なバリエーションがあります。患者さんによっては食事指導をしたり(ただしそれほど厳密なものではありません)、漢方薬を処方したりすることもあります。

 ステロイドは使い方を間違えると副作用に苦しめられます。長年不適切な使用をしていたために取り返しのつかないような状態の皮膚になってしまっている患者さんもいます。しかしながら、強い炎症を取り除くための最初の治療法としては極めて有効な薬なのです。

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注1,2,3(2020年6月21日追記):従来は短期間のステロイド外用の後、タクロリムスでいい状態を維持する「プロアクティブ療法」が基本でしたが、2020年6月からはコレクチムで代用できるようになりました。

参考:はやりの病気第44回「患者さんごとのアトピー性皮膚炎」

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