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2025年7月31日 木曜日

2025年7月31日 砂糖入りだけでなく「人工甘味料入りドリンク」もアルツハイマー病のリスク

 「認知症のリスク」と言えば、2024年8月以降最も注目されているのが「LDLコレステロール」です。なにしろ、それまでほとんどノーマークだったこのありふれた項目が、血圧、喫煙、飲酒、糖尿などを差し置いて「アルツハイマー病の最大のリスクだ!」と言われるようになったのですから(参考:はやりの病気第253回(2024年9月) 「『コレステロールは下げなくていい』なんて誰が言った?」)。

 ですが、アルツハイマー病はできるだけ回避したい疾患ですから他のリスク因子にも注意する必要があります。最近注目されているのが「甘い飲み物」で、医学誌「Aging & Mental Health」2025年6月13日号に掲載された論文「砂糖および人工甘味料入り飲料とアルツハイマー病リスクの関連性:前向きコホート研究の系統的レビューと用量反応メタアナリシス(The association between sugar- and artificially sweetened beverages and risk of Alzheimer’s disease: systematic review and dose-response meta-analysis of prospective cohort studies)」で紹介されています。ポイントは次の通りです。

・「砂糖入りドリンク」の摂取量増加とアルツハイマー病リスク上昇には有意な関連がある(相対リスクは1.42)。たくさん飲めば飲むほどリスクが上昇する

・人工甘味料入りドリンクも同様に相関する(相対リスクは1.42)

・砂糖も人工甘味料も入っていないドリンクではアルツハイマー病との関連はない

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 砂糖または人工甘味料が加えられたドリンクは一切飲まないのが一番です。具体的には、缶コーヒー、砂糖の入った紅茶、コーラ、サイダー、ポカリスエットなどのスポーツ飲料水、果汁100%でないフルーツジュースなどです。さらに、栄養ドリンクも要注意です。

 リポビタンDの場合、なぜか日本の製品やウェブサイトには記載されていませんが、タイのサイトには砂糖含有量が記されています。リポビタンD1本(100mL)あたりなんと18グラム! これはウェブサイトに誤った数値が書かれたわけではありません。その証拠にタイで販売されているリポビタンDの写真(下記)が掲載されています。この写真にはたしかに「炭水化物21グラム。そのうち砂糖が18グラム」と書かれています。一般に、角砂糖1個が3グラム程度とされていますから、リポビタンDを1本飲めばそれだけで角砂糖6個にもなります。

 尚、人工甘味料についてはメルマガで好評だったために毎日メディカルで取り上げましたのでこちらもご参照ください(無料です)。

毎日メディカル2025年6月9日「カロリーゼロでも太る? やせたいなら、食べてはいけない『人工甘味料』」

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2025年7月27日 日曜日

2025年7月27日 コロナワクチンが救ったのは1440万人ではなく250万人

 2021年のあの狂乱を覚えているでしょうか。救世主のように登場した新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)のワクチンを大多数の国民が奪い合うように求めていたあの異常な状態を。

 その後、オミクロン株が流行し始めた頃あたりから、コロナワクチンの有効性を疑問視する声が増え始めました。しかし、それまでは有効であった、しかも劇的に有効であったことはいくつもの研究が示しています。よって、オミクロン株が日本で流行し始めたのは2022年の初頭くらいですから、「2021年には、つまりワクチンが登場した年には、高い効果を有していた」のは事実ということになります。ただし、「有効だと示した研究が正しければ」ですが……。

 コロナワクチンが有効であることを示した論文は多数ありますが、最も有名な1つをここで紹介しましょう。「THE LANCET infectious diseases」2022年9月に掲載された「コロナワクチン接種1年目の世界的な影響:数理モデル研究(Global impact of the first year of COVID-19 vaccination: a mathematical modelling study)」です。下記のグラフを見れば一目瞭然です。

 黒の実線が実際にコロナ関連で死亡したと考えられる人数で、赤の実線がワクチンをうっていなかったときの死亡者の予測数です。コロナワクチンが世界中の大勢の人々を救ってきたことが分かります。この論文によるとワクチンで救われた人は世界中に1440万人もいます。

 この「ワクチンで救われた1440万人」という数字に聞き覚えのある人もいるかもしれません。数字の出処はおそらくこの論文です。この「1440万人を救った」という”事実”はWHOのサイトにも記載されています。

 では、コロナワクチンは今でこそ効果が見劣りしてきているけれど、2021年の頃には大勢を救ったメシアのような存在だったのでしょうか。

 実は最近、コロナワクチンはこれまで言われていたほどには効果が高くなかったのでは?と、有効性に疑問を呈する論文が発表されました。「JAMA Network」につい最近掲載された「2020年から2024年にかけてコロナワクチンで救われた命と生存年数の世界推定(Global Estimates of Lives and Life-Years Saved by COVID-19 Vaccination During 2020-2024)」です。

 この論文によると、「世界の1440万人を救った」とするような初期に発表された論文では、コロナによる致死率の前提が悲観的と呼べるほど過度に高く、ワクチンの有効性は楽観的なほど過度に高く推定されていた、とのことです。では、この論文からポイントをまとめてみましょう。まず表を示します。

 ポイントをまとめると次のようになります。

・コロナワクチンが救った命は1440万人(2020年12月8日から2021年12月8日の間)からはほど遠く、実際には2020年から2024年までで250万人

・ワクチンで救えた10人のうち9人は60歳以上(89.6%)。10人中7人は70歳以上。ワクチンで命を救えた20歳未満は(世界中で)わずか299人。全体の0.01%(ワクチンで救えた1万人のうち20歳未満は1人だけ)。20~30歳では1,808人で、全体の0.07%(ワクチンで救えた1万人のうち7人が20~30歳)(*注)

・5,400回ワクチンが接種され1人の命が救われた。30歳未満でみれば、1人の命を救うために10万回のワクチンが接種された

 この論文よると、これまでコロナワクチンは世界中で合計136億4千万回使用されています。その結果、救えた命は250万人、30歳未満でみると2千人ちょっとです。その2千人に入った(かもしれない)人は胸を撫でおろしているかもしれませんが、では、ワクチンが原因で死亡した、あるいは重篤な後遺症を残した人はどれくらいいるのでしょうか。

 年代ごとのデータは見当たりませんが、日本だけでも、厚労省の資料によると、2024年6月の時点でワクチン被害に対する厚労省の「進達受理件数」が11,305件です。「進達」の意味がよく分かりませんが、被害者が申請して受け取ったという意味だと思います。ということは受け取ってもらえなかった、あるいは初めから諦めて申請していない人は含まれていないわけです。

 他国をみてみると、英国では17,500人以上が、ワクチン接種によって自身または家族が被害を受けたとして政府のワクチン被害補償制度に申請しています。

 過去にも述べたことがありますが、国を挙げてコロナワクチンに狂乱していた2021年のあの夏、私はメディアに「コロナワクチンはうってもうたなくてもリスクがある」という旨のコラムを書きました。すると、このコラムが炎上し、「お前は非国民か!」と言わんばかりのクレームが多数寄せられました。しかも、匿名の医師からのものも複数ありました。

 当時、ワクチン推進派の医師たちは「同居するおじいちゃんやおばあちゃんを守るためにワクチンをうとうね」などと子供に呼び掛けていました。彼(女)らはそんなことを言っていた自分の過去を今どのように考えているのか聞いてみたいものです。

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注:ワクチンで命を救えた20歳未満は表でも299人とされていますが、その内訳を合計するとなぜか298人になります。20~30歳もやはり表では1,808人とされていますが、内訳の合計は1,807人となります。この差の原因は論文を読んでも分かりませんでした。

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2025年7月21日 月曜日

第263回(2025年7月) 甲状腺のがんは手術が不要な場合が多い

 新型コロナウイルスが流行しはじめて間もない頃、まだほとんどのクリニックが発熱外来を実施しておらず、遠方から当院を受診する患者さんが少なくありませんでした。「他に診てもらえるところがない」という理由で、40代のある女性が大阪南部のある市からはるばるやってきました。風邪症状は大したことがなく、コロナの検査も不要であることを説明し、これには納得されたのですが、問診時に気になることがありました。

 「最近、近くのクリニックで甲状腺がんが見つかって手術する予定」と言います。「手術は半年先と言われているが、そんなに遅くて大丈夫なのか不安」、さらに「大きさは6mmと言われている」とのこと。

 「手術は急いで実施する必要がなさそうで、サイズはわずか6mm……」、本当に手術が必要なのか、気になります。しかし、我々医師には「前医を批判してはいけない」というルールがあります。もしも、「そのがんはおそらく手術不要です。その医療機関には二度と行かない方がいいですよ。こちらでフォローします」などと言えば大問題になります。まして、この女性は当院を初診、しかも風邪症状での受診です。

 私は「手術についてもう一度説明をしてもらえばどうでしょうか」と答えましたが、女性の心配事項は私と正反対でした。「がんなんだから早く手術してほしい」が彼女の思いでした。

 この女性の「思い」はもっともです。がんなら早期治療(つまり早期の切除)が原則です。しかし、甲状腺がんはその「例外」となります。少し詳しく解説していきます。まず、甲状腺がんはおおまかに次の4種類に分類できます。

#1 乳頭がん
#2 濾胞(ろほう)がん
#3 髄様がん
#4 未分化がんまたは低分化がん

 このなかで9割以上と大部分を占めるのが#1の乳頭がんで、これは生涯にわたり手術をしなくてもいいか、または手術をするにしても発見から長期間経過してからすべきがんです。病理学的には(細胞を顕微鏡で評価すると)乳頭がんは列記としたがんなのですが、このがんは例外的に進行が極めて緩徐で、たいていは放置しても問題ありません。

 「がんを放置していい」などと言われると戸惑う人も多いでしょうから、エビデンスを示しましょう。これをクリアカットに説明するのに最適な論文が韓国から発表されています。2014年に医学誌「The New England Journal of Medicine」に掲載された論文「韓国における甲状腺がん”流行” ― スクリーニングと過剰診断(Korea’s Thyroid-Cancer “Epidemic” ? Screening and Overdiagnosis)」です。

 この論文、本文はわずか67行。しかも文章は平易で医師でなくても読めるコンパクトなものなのですが、内容は衝撃的です。興味がある人は是非読んでみてください(ただし有料です)。この論文のポイントは「韓国では甲状腺の超音波検査をどんどんやったおかげで早期発見が相次いだ。そして積極的に手術を実施した。しかし甲状腺がんで死亡する人は、まったく減っていない」というものです。グラフをみれば明らかでしょう。

 

 甲状腺がんの”発症率”は極端な右肩上がり、2000年頃から急激に増えています。1993年には人口10万人あたり5人未満で、2011年には70人近くにまで増えていますから10倍以上になっています。ところが、甲状腺がんの死亡率をみてみると(グラフの一番下の緑の線)、人口10万人あたり1人程度で、昔からほとんど変わっていません。

 つまり、韓国では甲状腺のスクリーニング検査に力を注ぎ、どんどん患者をみつけ、どんどん手術をしたけれど死亡率は変わらなかった。要するに全体的な視点、公衆衛生学的な視点からみれば「検査するだけ無駄だった」、そして「無駄な手術を大量に実施した」というわけです。

 では、なぜそのようなことが起こったのかというと、「がんのほとんどが乳頭がんだから」です。上記のグラフをもう一度よくみてください。右肩上がりの甲状腺がんの”発症率”のすぐ下にも同じような点線があります。これが「乳頭がんの発症率」です。このグラフをみれば「甲状腺がんのほとんどは乳頭がん」ということが分かります。

 甲状腺乳頭がんがどれくらいありふれたものかを確認するために他の論文をみてみましょう。フィンランドのある研究では合計101例の剖検(死亡者の解剖)での所見が調査されています。結果、101例の死亡者のなかで、甲状腺乳頭がんがあったのは36例(35.6%)、つまり3人に1人以上で乳頭がんが見つかったのです。しかも有病率は年齢と相関しなかった(高齢になれば有病率が上がるわけではない)というのです。

 フィンランドには若年者に限定して調べた研究があります。40歳未満の小児および若年成人93名の剖検例から得られた甲状腺を調べたところ、13人(14%)に乳頭がんが見つかりました。

 もうひとつ、別の論文をみてみましょう。こちらはこれまでに発表された年齢別のデータがある16件の研究を総合的に解析した研究です。剖検総数は6,286件で、乳頭がんの有病率は12.9%でした。年齢別のデータを見ると、40歳以下で11.5%、41~60歳は12.1%、61~80歳では12.7%、81歳以上は13.4%と大差なく、特に高齢になってから発症するがんではないことが分かります。このことから、甲状腺乳頭がんは、加齢とともに発生が増えるがんとは異なり、「若いうちに発生してほとんど進行しない」ことが分かります。

 では実際にはどうすればいいのでしょうか。今まで述べてきたことは全体の視点、あるいは公衆衛生学的な視点からです。韓国のような検査方法は正しくなくて、医療費の無駄であることが分かります。手術をしてしまえば、ほとんどの例で生涯にわたり甲状腺ホルモンを飲み続けなければなりません。もちろん、手術には合併症(神経を切断してしまったり、副甲状腺を破壊してしまったり、といった後遺症を残すものが多い)のリスクもあります。

 ただし、甲状腺がんのスクリーニング検査を受けて早期発見、早期治療が功を奏して「放っておけば死に至る甲状腺未分化がんを根治できた」という人も少数ながら(かなり少数ではありますが)存在するわけです。ということは、「その少数に入るのはイヤだから検査を積極的に受けたい」という考えの人もでてきます。

 ならば、スクリーニング検査(超音波検査)で「乳頭がんかそれ以外のがんを正確に見極めればいい」ということになり、これはまったく正しいと言えます。しかし、それが極めて困難なのです。当院でも「乳頭がんと思われるが、他のがんも否定できない」という事例がときどきあります。そんなときは針生検(そのがんに直接針を刺して一部の組織をとる検査)目的で大きな病院を紹介することになります。ここで乳頭がんであることが分かり、「手術は不要です」となることも多いのですが、針生検をしても結局「乳頭がんであることを保証できない(未分化がんなど手術しなければならないがんの可能性もある)」と判断される場合もあって、この場合は手術せざるを得ません。

 そういうわけで甲状腺がんというのは実に医療者を悩ませるがんなのです。しかし、やはり早期発見は重要です。谷口医院ではがんが疑わしい場合にはだいたい半年に一度くらい超音波検査を実施し、前回との「差」を見極めて、針生検に進むかどうかを検討しています。

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参考:毎日メディカルの谷口恭のコラム
2025年7月9日「早期発見・早期手術も、変わらない死亡率 それでも続ける?原発事故後の甲状腺がん検査」
2025年7月16日「いまも続く福島県の甲状腺がん検査 国際的な評価は--?」

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2025年7月11日 金曜日

2025年7月 「人は必ず死ぬ」以外の真実はあるか

 これを哲学的思考と呼んでいいのかどうかは分かりませんが、私は物心がついたときから「絶対に正しいことは何か」を考え続けてきました。すぐに思いつくのが「人は必ず死ぬ」で、これは「絶対に正しいこと」と言えるでしょう。今後、自分の脳内の神経の状態をコンピュータに再現させて、そのコンピュータのなかで半永久的に生きていくという方法が開発されるかもしれませんが、それは厳密な意味で「死なずに生きている」とは言えないと思います。

 「人は必ず死ぬ」以外に絶対の真理は存在するのでしょうか。「1+1=2」はどうでしょう。屁理屈に聞こえるでしょうが、例えば愛し合う男女がいたとして子供ができれば「1+1=3」になります。「ボールを空に向けて投げればやがて地面に落ちる」は今ここでそれをやればその通りになるでしょうが、万有引力の法則は相対性理論と相いれないことを考えると「絶対に正しい」とは言えません。

 「科学は必ず勝つ」も正しくありません。前世紀に比べ科学が発達した現在が、人々の暮らしを必ずしも幸せに導いていないことは自明です。「知識は身を助く」が正しいことを示す経験は無数にありますが、常にそうだとは限りません。「腐っているものを食べてはいけない」という知識を学んで命が救われる人もいるでしょうが、「ワクチンで感染症を防げる」と聞いてそのワクチンの副作用で死ぬ人もいます。

 だからこそ、知識を得れば得るほど人は謙虚にならねばなりません。その知識が「絶対に正しい」わけではないからです。それに、仮にその狭い世界で「正しいこと」があったとしても、それは別の人からみればどうでもいいこと、という場合は往々にしてあります。

 幸運なことに、私自身はそのことに早い段階で気付くことができました。1つ目の大学の1回生、私がまだ18歳だった頃、いくつかのアルバイト先でそれを知ることができたのです。例えば、旅行会社に籍を置いてリゾート地でアルバイトをしていた頃、「予約していたのに宿が空いていない」というクレームがよくありました。客の側からすればすでに支払いをしてクーポンを持っているのにその宿に泊まれないと言われるわけですから怒り心頭に発します。

 こんなとき、なぜそんなことが起こったのかを理屈で説明しようとするアルバイト(偏差値の高い大学生である場合が多い)はお客さんの怒りの火に油を注ぐだけです。しかし、上手に相手の懐にとびこんで、いつの間にか怒っていたはずのお客さんを笑わせてこちらのペースに巻き込むアルバイトもいるのです。飲み会の場などでも(昭和の終わり頃はとにかく飲み会がたくさんありました)知識をひけらかすタイプはたいてい嫌われます。おそらくこれは令和の今もそうでしょう。「知識をひけらかす者は嫌われる」は「絶対とは言えないもののかなり真実に近いこと」です。

 そういう考えのまま医学部の5回生になり臨床実習に入った私には一部の医師の姿が異様に見えました。「なんでそんなに上から目線なの?」と思わずにはいられない場面が少なからずあったのです。例えば、「医者の勧める薬を飲まない患者はおかしい」と堂々と発言する医師がいました。そもそも会って間もない、しかも人間性もよく分からない医者から偉そうに言われて信じろ、という方がおかしいわけです。「おかしいのはあんたの方やで」と心の中で毒づいたことは一度や二度ではありませんでした。

 このサイトでも繰り返し述べたように、新型コロナウイルスのワクチンが登場したとき「有効性も安全性も高いからワクチンを打って当然」のようなことを堂々と発言する医師がいて、私には彼(女)らがとても奇妙にみえました。私が「新しいワクチンだからうつことにリスクがある」とメディアで述べると、ワクチン推奨派から一斉に攻撃されました。攻撃してきた者のなかには匿名の医師も何人かいてやたら理屈をぶつけてきました。「この論文を読んだのか!」などと偉そうなことを言ってくるわけですが、同じ論文を読んだ結果、私は「これをそのまま応用するわけにはいかない」と判断していたのです。腹が立つという感情にはなれず、私にはそういう医師たちの姿がとても滑稽に感じられました。

 ビジネスの現場で意見が対立すると、いかに自分の主張が正しいかを必死で説こうとする人がいます。間違ったことをしたときに、あるいはミスをしたときに、必死で言い訳をしようとする人がいます。こういう人たちを私が哀れに思うのは「議論に勝っても事実上負けている」ことに気付いていないからです。議論で勝つ価値があるのは、大学生どうしのディベートや政治家の答弁のときくらいです。もしもあなたが相手を議論で打ち負かしてしまえば、打ち負かされた方はあなたのことを必ず嫌いになります。あえて敵や嫌われる相手をつくる必要はなく、恨まれて得をすることなどどこにもないはずです。

 心理学や社会学の世界で有名な「ダニング・クルーガー効果」という現象があります。一言でいえば「バカな人ほど自分が聡明だという自信をもっている」となります。「バカな人は自分が正しいと思えばそれを決して譲らない」現象のことです。譲らないどころか、自分の意見や考えと異なる、あるいは対立する意見を示されたときに、かえって自説に強くこだわることすらあります。これは心理学用語では「バックファイアー効果」と呼ばれます。

 「知識は身を助く」ことはたしかに多数あります。例えば、私がタイに滞在していた頃に、デング熱に一度も感染せず、大麻や覚醒剤にも手を出さず、HIVにも感染しなかったのは「知識」のおかげです。ですが、その知識を、必要としている人には伝授すべきですが、求めていない人に知識の押し売りするのは避けなければなりません。そういう知識を求めていない人にそんな話をすることを試みれば、すればするほど嫌われるだけです。

 私がこのこと、つまり「いくら丁寧に伝えようとしても知識が伝わらないときは伝わらない」を改めて実感したのは2016年、ドナルド・トランプ氏が米国大統領選挙に出馬しようとしていた頃です。このときに氏は無茶苦茶な理屈を連発していたわけですが、それが間違っていると指摘されたときに大統領陣営は「alternative fact(もうひとつの事実)」という言葉を持ち出して、「大統領が(大統領も)正しい」と堂々と主張しました。こんな屁理屈が許されるなら何を言おうが「言ったもの勝ち」になってしまいます。それを大勢の米国市民は受け入れたのですから、知識で対抗しようとしても無駄な努力に終わることはもはや明らかです。

 誰が言い出したかがよく分からないのですが、この現象は「ポスト・トゥルース(真実の後)の時代」とうまく表現されました。この表現の何が”うまい”かというと「ポスト・ドゥルーズの時代」という言葉を連想できるからです。ドゥルーズというのはフランスの哲学者で、書物はものすごく難解なのですが、ドゥルーズの思想をあえて一言でいえば「既存の枠組みを破壊せよ!」という感じです。そして、「ポスト・トゥルース」と言われると、かつて現代思想を一世風靡したドゥルーズにとって代わる新しい思想のパロディに聞こえるのです。ドゥルーズは「既存の枠組みを破壊せよ!」と言い、トランプ大統領のように無茶苦茶なことを正しいと言い切る思想は「既存の知識を破壊せよ!」と言っているように聞こえます。きっと私と同じことを考えた人が世界中に何人かはいると思うのですが、「ポスト・トゥルース、ポスト・ドゥルーズ」などで検索してもヒットしません。まあ、ダジャレで盛り上がっても面白くありませんが。

 ポスト・トゥルースが当然の時代となった今も知識が依然生活に役立つのは事実ですが、知識を持っている者が偉いわけでも権力を手にすることができるわけでもありません。そして、改めて考えてみると「知識をひけらかす者」が嫌われるのは古今東西変わらないわけで、知識で他人より上の立場に立とうと考えている者がいたとすれば、いつの時代もそれは勘違いも甚だしい愚行なのです。

 私はトランプ大統領を一切支持しませんし、ポスト・トゥルースなどと言う言葉が堂々とまかり通るばかりか、こんな思想が席捲していることを考えるとめまいがしそうになりますが、本来の人間の姿は理性的なものからほど遠く、人間社会が秩序を維持することなど到底できないことを世間に知らしめた点についてはどこか清々しさを覚えます。

 「秩序」とは社会を維持しその社会の一員に自身を入れてもらうためにつくりあげた幻想のようなものなのでしょう。社会に頼らなくても生きていける者は秩序などには従わず、権力やカネやそしてときに暴力で相手をねじ伏せます。科学に基づいた客観的な知識などなくても真実はつくりだせばいいわけです。そんな人間が大国のリーダーであると考えると絶望的な気分になりますが、それが現実であることは受け入れざるを得ません。それを受け入れた上で、これからも知識を増やし、必要としている人には伝授し、自分と異なる考えをもつ人にはその人から学ぶ姿勢を維持していけばいいわけです。

 「人は必ず死ぬ」以外に「絶対に正しいこと」などやはりどこにもありません……。という言葉で本稿を締めようと思ったのですが、脱稿直前にもうひとつの真実がみつかりました。「地球は必ず滅びる!」です。

 

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2025年6月29日 日曜日

2025年6月29日 食物アレルギーがある人の搭乗、重症化したり拒否されたり……

 国際航空輸送評価機関のSKYTRAXは毎年航空会社のランキングを発表しています。2025年の航空会社トップ10は次の通りです。

1位 カタール航空
2位 シンガポール航空
3位 キャセイパシフィック航空
4位 エミレーツ航空
5位 全日空
6位 ターキッシュエアラインズ
7位 大韓航空(Korean Air)
8位   エアフランス
9位 日本航空
10位 海南航空(Hainan Airlines)

 シンガポール航空は「航空会社のランキング」では2位ですが、「客室乗務員ランキング」では世界一、「ファーストクラスランキング」でも世界一です。

 では、そんなシンガポール航空の「ビジネスクラス」に登場すればどれだけのおもてなしを期待できるのでしょうか。

 報道によると、2024年10月8日、ニューヨークの小児科医Doreen Benary氏はフランクフルト発ニューヨーク行きのシンガポール航空SQ026便のビジネスクラスに搭乗しました。氏は重度の甲殻類アレルギーを有しているために事前に客室乗務員にその旨を申告していました。ところがエビが入った機内食を出され、異変に気付いた氏が客室乗務員に質問したところ、客室乗務員はミスを認め謝罪しました。しかし様態は重症化し、緊急着陸が必要となり、氏はパリで救急搬送され、2つの医療機関で治療を受けました。

 航空会社ランキング世界2位のシンガポール航空がこの対応では大変心許ないわけですが、では他のランキング入りしている航空会社なら安心できるのでしょうか。

 英国のリアリティ番組「Love Island」の出演者Jack Fowler氏は、カタール航空搭乗時にナッツアレルギーであることを客室乗務員に申告していたのに、二度も機内食として出されあやうく死にかけたことを自身のSNSに投稿したことが報道されています。氏はカタール航空の客室乗務員に、ナッツにアナフィラキシー反応を起こすことを5回も伝え、食事が提供されるたびにナッツが入っていないことを保証してくれるようお願いしていました。しかし、搭乗直後に供されたペストリーにはナッツが使われていました。それを客室乗務員に伝えると、客室乗務員は謝罪したそうです。しかしその後、砕いたピスタチオが入ったアイスクリームを提供され、それには気付かず口にしてしまいました。幸いなことに、数秒以内に喉が詰まって舌が腫れ始めたためにすぐに吐き出して事なきを得たようですが、もしもある程度の量を飲みこんでいたら大変な事態になっていたでしょう。これは2023年の出来事です。

 2024年、Jack Fowler氏に再び悲劇が襲いました。今度はカタール航空ではなく、エミレーツ航空です。やはり、食事前に客室乗務員にナッツアレルギーについて伝えていました。ところが提供されたチキンカレーを食べた直後に異変に気付き、客室乗務員に「息ができない」と伝え、食事にナッツが入っているかどうか尋ねました。客室乗務員は「食事にナッツは入っていない」と言いましたが、同乗していた友人がメニューを見てカレーにカシューナッツが含まれていることに気づきました。氏は着陸を急いでもらいドバイの空港に着陸後救急病院に搬送されました。氏は自身でエピペンを注射する動画と、酸素マスクを着用した写真をSNSに投稿しています。エミレーツ航空の広報担当者は、氏の体験について謝罪し「お客様の安全と健康を非常に真剣に考えています」と述べました。

 優良航空会社とされているからこそ報道されるのかもしれませんが、シンガポール航空、カタール航空、エミレーツ航空と超一流とされている航空会社がこれだけの失態をおかしていることを考えると食物アレルギーを持っている人たちは不安でならないと思います。

 一方、これらとは正反対の対応をして、そして非難をあびているのがLCCです。2018年に、イチゴアレルギーだからという理由で英国のLCC「トーマス・クック」の便への搭乗を拒否された19歳の英国人女性については過去の医療ニュース「イチゴアレルギーで搭乗拒否」で紹介しました。

 トルコのLCC「サンエクスプレス」で似たような事件がありBBCが報道しています。2024年5月21日、BBCのフリーランスの気象キャスターGeorgie Palmer氏が家族と共にロンドン・ガトウィック空港発、(トルコの)ダラマン行きの便に登場し離陸を待っているときに、ピーナッツアレルギーをもつ12歳の娘Rosieさんにアレルギー症状が出始めました。乗客が食べているピーナッツが原因と考えたGeorgie Palmer氏と夫は乗務員に「(乗客に)ピーナッツを食べないようアナウンスしてほしい」と要請しました。ところが、客室乗務員と機長はその要求を受け入れず、結果、家族一同が飛行機から強制的に降ろされる事態となりました。

 機内でピーナッツアレルギーを発症するのは空気中に浮遊しているピーナッツの粒子よりも、椅子やテーブルに付着しているピーナッツの破片を口にしてしまうことで発症するケースが多いと言われていますが、このアレルギーは一気に重症化する可能性があり、また機内は室内よりもずっと空気が乾燥していることからアレルギーを持つ当事者や保護者はやはり乗客がナッツ類を口にするのは避けてほしいと考えます。

 実際、上記のBBCによると、ブリティッシュ・エアウェイズ、イージージェット、ライアンエアー、ジェット2などの航空会社は、乗客からの要望があれば客室乗務員がアナウンスを行いナッツを提供しないそうです。

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 これらの情報をまとめると、超一流の航空会社では乗客が申告しているのにも関わらず、アレルギー物質が含まれるものを提供し、他方LCCでは搭乗に慎重になりすぎているような印象を受けます。実際には、このような出来事が報道されるのはごくわずかでしょうし、日々いろんなトラブルが生じているのでしょう。

 英国からフランスへのフライト中に食物アレルギーで他界した15歳の少女は、空港内のサンドイッチ店で購入したバゲットに含まれていたゴマが原因でした。父親は娘にエピペンを2本打ちましたが助かりませんでした。父親はこうした悲劇を防ぐために、他界した娘の名前を付けた「The Natasha Allergy Research Foundation」を2019年に設立しました

 食物アレルギーが怖いのは一気に重症化して命に関わることもあるという点です。そしてときに原因物質を偶発的に口にしてしまうこともあります。特に海外滞在時や飛行機への搭乗には注意が必要で、谷口医院ではエピペンの携帯だけでなく、英文の診療情報提供書をパスポートにはさんでおくよう助言しています。

参考:医療プレミア
2024年9月23日 エピペンは万能ではない 注意しすぎることはない食物アレルギー
2024年9月30日 死に直結する食物アレルギー 悲劇を繰り返さないため、注目したい二つの薬

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2025年6月1日 日曜日

2025年6月 故・ムカヒ元大統領の名言から考える「人は何のために生きるのか」

 元ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ(José Mujica)氏が2025年5月13日、89歳の生涯に幕を下ろしました。死因は公表されていませんが、The New York Timesによると食道がんと何らかの自己免疫性疾患に罹患していたそうです。

 大統領就任時の純資産が1,800ドルだったこと、大統領の月給の9割に相当する約12,000ドルを慈善事業に寄付し、ウルグアイの平均月収775ドル相当しか受け取らず、1987年製フォルクスワーゲン・ビートルを愛車にしていたこと(純資産の1,800ドルはこの車だったそうです)から、国際メディアはムヒカ氏を「世界一貧しい大統領」と呼びました。

 日本のメディアもこの名称を使っていますが、上述のThe New York Timesによるとムヒカ氏はこの呼び名を嫌悪しています。そして、「貧しい人というのは、ものを持っていない人ではなく、もっともっと多くを渇望する人のことだ(It’s not the man who has too little, but the man who craves more, who is poor)」と、しばしばローマの哲学者セネカの言葉を引き合いに出しました。

 日本のメディア(例えば東洋経済)もムヒカ氏を取り上げ、この「名言」の話し手として紹介していますが、これはムヒカ氏のオリジナルではなくセネカの言葉です。しかし、ムヒカ氏はおそらく何度もこの言葉を引用しているのでしょう。2012年のBBCのインタビューでは、「私は貧しい大統領と呼ばれていますが、自分が貧しいとは思いません。本当に貧しいのは、高価な暮らしを維持するためだけに働き、もっともっと欲しがる人たちです(I’m called ‘the poorest president’, but I don’t feel poor. Poor people are those who only work to try to keep an expensive lifestyle, and always want more and more)」と、セネカの名言を自分の言葉に置き換えてわかりやすく語っています。

 さらに、「これは自由の問題です。所有物が少なければ、それらを維持するために奴隷のように一生働く必要はなく、自分のための時間が増えるのです」と続けています。

 ムヒカ氏の他の言葉もみてみましょう。The New York Timesの記者との対談を紹介しましょう。

 ムヒカ氏は人間が無駄なことをしている例として、「ウルグアイの人口は350万人なのに2700万足もの靴を輸入している。私たちはゴミを出し、苦痛に耐えながら働いている」と例を挙げ、「時間を自分の欲望のために費やすなら、欲望が倍増すればそれを満たすためにまた人生を費やすことになる。この<必要の法則>から逃れることができてようやく人は自由になれるのだ」と述べています。そして「人間は無限の欲求を生み出している。市場は私たちを支配し、私たちの命を奪っているのだ」と説きます。

 ではどうすればいいのか。氏は続けます。「労働時間を減らし、自由時間を増やし、もっと地に足のついた人間になればよい。なぜこんなにゴミが溢れているのか。なぜ車や冷蔵庫を買い替える必要があるのか」「人生は一度きり。その人生に意味を見出さなければならない。富のためではなく、幸せのために生きていこう」と訴えます。

 では労働時間を減らし、欲望を減らしてできた時間に何をすべきか。ムヒカ氏は2つを挙げています。1つは「本」です。氏は言います。「本は人類の偉大な発明だ。人々がこれほど読書をしないのは残念でならない」。なぜ現代人は本を読む時間がないのかについて、氏は携帯電話が原因だと指摘します。しかし、氏は他人とのコミュニケーションをやめよと言っているわけではありません。「我々は言葉だけで話しているのではなく、身振りや皮膚で意思を伝えるのだ。そういう直接のコミュニケーションこそがかけがえのないものなのだ」と続けます。

 ムヒカ氏の言葉に共感できる人はどれくらいいるでしょう。過去のコラム「『幸せはお金で買える』という衝撃の結末」で示したように、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは当初こそ「年収75,000ドルを超えてもそれ以上幸せになれない」と主張した論文でノーベル賞を受賞しましたが、後にこの考えが「間違いだった」と認め、「人はお金があればあるほど幸せになる」と180度見解を変えました。さらに、収入が増えても幸福度が上がらない人は「過去に悲惨な経験がある」とまで言うのです。ムヒカ氏とは正反対です。

 ここで人生の意義、つまり「人は何のために生きるのか」を考えてみましょう。こういう話題は気軽に始めると「おかしな人」と思われますし、いきなりこんな質問をされるとほとんどの人が困るでしょうが、過去のコラム「医師になるつもりもなかったのに医学部に入学した理由(前編)」で述べたように、私は物心ついた頃からこの問いへの答えをずっと考え続けています。一時、一つ目の大学生の頃にはこのような疑問は忘れるようにしてワクワクすることを求めて生きていましたが、その後再び「何のために生きているのか」と考え始めるようになりました。

 その答えはまだ出ていないのですが、ひとつ「確信していること」があります。これは最近になって分かったわけではなく、実は子供の頃から気づいていたことです。それは「人はカネのために生きるわけではない」ということです。文脈によってはこの言葉はきれいごとになってしまいますし、お金がほんの少ししかなければ生きていけないのは事実です。ですが、ひとりの人間が食べられる量も身に纏える衣服の量もすぐに限界がきます。むしろ私には「カネを求めて生きる人生はものすごく格好悪い」と感じられます。

 過去のコラム「競争しない、という生き方」で述べたように、私は社会人1年目の22歳のとき、初任給が同期の者より2千円ほど低く、私自身はなんとも思わなかったのですが、それを知った私の上司が怒りまくって人事部に苦情を言いに行き、それが私の目にはとても奇異にうつりました。自分のために戦ってくれたことはありがたかったのですが、なんでそんなに怒るのだろう、と不思議だったのです。

 それ以降も私は少なくとも「他人よりもカネを稼ぎたい」と思ったことはありません。会社をやめたのは社会学部の大学院を目指したからですし、医学部に変更したのは人間についての研究がしたかったからです。研究者の道を諦め臨床医に転向したのは研究者としてのセンスも才能もないことを思い知らされたからで、開業したのは「どこからも見放された患者さんの力になりたい」という思いが抑えきれなくなったからです。そして現在56歳の私が今からカネの亡者になるとは思えませんし、「他人よりも稼ぎたい」などという気持は今も微塵もありません。

 ではこんな人生が幸せなのかというと、それは今もよく分かりません。実家を離れるまでは、寝ている時間と外出している時間を除けば不幸しかありませんでしたし、18歳以降もいろんな人に裏切られ、傷つけられてきました。しかし、こんな私を慕ってくれて、人生で大切なことを教えてくれた友人や先輩はいますし、生きる喜びを教えてくれた人たちもいます。そういう人たちに巡り合えただけで、私の人生はきっと幸せなのだと思います。

 では「人は何のために生きるのか」の答えは何なのでしょう。ムヒカ氏に習うなら「本を読んで、人と(携帯電話ではなく)直接会うために生きる」でしょうか。「カネのためではない」は間違いありません。

 

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2025年6月1日 日曜日

2025年6月1日 一度の採血でがんを診断し治療薬まで決められる「革命」

 2025年5月30日から6月3日までシカゴで米国臨床腫瘍学会(American Society of Clinical Oncology’s Annual Meeting = Asco)が開催されています(本稿執筆は6月1日)。その学会の前夜にあたる5月29日、英国の画期的ながんの治療方針が発表されました。英紙The Telegraphは「革命(revolutionise)」という言葉を用いてこの発表を取り上げました。

 その「革命」の解説の前に、最近の肺がんの治療の特徴をまとめておきましょう。

 日本でも過去数年で肺がんの治療が大きく変わってきています。2017年8月、「EGFR遺伝子変異検出」が保険承認され臨床現場で使われるようになりました。「遺伝子検査」と聞くと、「その人がどんな遺伝子を持っているかを調べる検査」とイメージしがちですが、この遺伝子検査はそうではなく、誰もが持っている「EGFR遺伝子」に「変異」があるかどうかを調べるものです。肺がんを発症すると一部の患者さんに(日本人の肺がん患者の3~4割に)EGFR遺伝子に変異が起こります。

 この検査は生検(がんの一部を採取する検査)した組織を使って実施します。単に「変異の有無」が分かるだけでなく、「どのような変異があるか」まで調べることができます。たとえば、「exon19欠失」(非小細胞肺がんでよくある変異)、「L858R変異」(肺腺がんによくある変異)といった感じで、どのような変異があるかが分かるのです。そして、その変異の起こり方でどの薬が効くかを予測することができます。

 以前は(2017年までは)、肺がんの診断がついてもどの抗がん剤が有効かについてはおおまかなことしか分からず、そのため抗がん剤の効果が出ずに副作用に苦しめられるということが多々ありました。ところが、現在では、すべての肺がんで、というわけにはいきませんが、肺がん患者の3~4割はEGFR遺伝子に変異があり、その変異の内容を調べることで、あらかじめ効くと分かっている分子標的薬(従来の抗がん剤とは異なるカテゴリーの薬)を使えるようになったのです。残念ながら、そのうちに「耐性」ができ(つまり、それまで効いていた分子標的薬が効かなくなって)完治するまでには至らないことが多いのですが、それでも余命を大きく伸ばすことができるようになりました。

 では、話を英国の「革命」に進めましょう。英国が発表したのは、この遺伝子検査を「生検したがんの組織」で調べるのではなく、「血液検査」で実施するというものです。これを「リキッドバイオプシー」と呼びます。生検はがん組織を直接取る検査で、気管支鏡を使うか、あるいは胸腔鏡下に直接取ります(手術のようなものです)。もちろん、どちらもそれなりに大変です。これらをせずに採血で済ませるというのですから、「革命」という表現もあながち大げさとは言えないでしょう。では、日本ではなぜ生検をするのか。それはリキッドバイオプシーだと精度に劣るからです。

 ところが英国ではリキッドバイオプシーを広く普及させると言うのです。ということは、詳しいことはまだ分かりませんが、英国ではリキッドバイオプシーの精度向上に成功したということでしょう。The Telegraphによると、英国では今後リキッドバイオプシーが肺がんの標準検査となり、さらに女性の乳がんも対象とし、今年は2万人(肺がん15,000人、乳がん5,000人)に実施し、今後膵臓がん、胆嚢がんを含む合計6種類のがん患者を対象とする予定です。

 驚くことはまだあります。なんと英国ではこのリキッドバイオプシーを「がんの早期発見」に使うというのです。つまり、現在の日本のように「遺伝子検査をがん治療の方針決定のためにおこなう」のではなく、「リキッドバイオプシーでがんの早期発見をする」というのです。そして、最終的には、「40歳以上のすべての人にリキッドバイオプシーをがんのスクリーニング検査として実施する」ことを計画しています。

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 これが実現すればまさに「革命」でしょう。40歳になれば健康診断のひとつの項目に「リキッドバイオプシー」が加えられ、早期発見・早期治療ができるようになるというのですから。しかも、「採血→検査→薬剤投与」という流れになり、今後検査の質が上がって薬が改良されていけば、以前は「死に至る病」だったがんが、「採血と内服で完治する病気」になるかもしれません。

 医療費も大きく減少します。The Telegraphは「リキッドバイオプシーの導入で、肺がん治療費が年間1100万ポンド(約20億円)削減される可能性がある」としています。

 

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2025年5月30日 金曜日

2025年5月30日 若者の半数がネットのない世界を望み7割がSNSで病んでいる

 「はやりの病気第257回(2025年3月)人生が辛いなら『スマホを持って旅に出よう』」では、若者が心を病んでいる最大の原因がSNSであることが自明なのに人類はもはやSNSの”魅惑”から逃げられない現実について述べ、ならばスマホを持ったまま旅に出て、画面上ではなく現実の非日常を求めてみてはどうか、という私見を述べました。 

 では、若者はSNSに対してどう考えているのでしょうか。最近、英国で若者を対象とした興味深い調査が実施され、The Guardianが報じました。

 British Standards Institutionが16~21歳の1,293人の若者を対象に実施した調査で、結果は下記の通りです。

・46%が「インターネットのない世界で暮らしたい」と考えている

・68%がSNS利用で自己嫌悪感に苦しみ精神を病んでいる

・50%が午後10時以降のSNS利用を禁じる「デジタル禁止令」を支持している

・4分の1は1日4時間以上SNSを利用している

・42%はオンラインでの行動について両親や保護者に嘘をついている

・42%が年齢を偽ったことがある

・40%が偽アカウントや「使い捨て」アカウントを持っている

・27%が全くの別人になりすましたことがある

・27%が自分の位置情報を知らない人に教えたことがある

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 冒頭のコラムを書いたとき、「まだアイデンティティが確立していない脆弱な発達段階でSNSに触れるのが危険であることに当事者の若者は気づいていないだろう」と私は考えていました。ところが、この英国の調査に鑑みれば、すでに若者自身がSNSの弊害を察しているようです。

 だからといって実際にSNSと縁を切れる若者はほとんどいないでしょうし、現在英国が進めようとしている「午後10時以降のSNSへのアクセス禁止案」もそれほど効果がでるとは私には思えません。

 しかし、誹謗中傷や他者の比較に辟易としている若者も増えてきているのでしょう。ならばSNSから完全に脱却できなくても、従来の(まともな)人間関係構築に向けた動きも広がっていくことを期待したいと思います。もちろん、日本も含めて。

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2025年5月15日 木曜日

第262回(2025年6月) アルツハイマー病への理解は完全に間違っていたのかもしれない(後編)

 アルツハイマー病を発症する理由について、これまでは「アミロイドβの脳内の蓄積」または「タウ蛋白の脳内の蓄積」と考えられてきました。前回述べたように、2006年に科学誌「Nature」に掲載されたミネソタ大学のKaren H. Ashe氏らの研究で「アルツハイマー病を発症するように遺伝子操作されたマウスにはAβ*56と呼ばれるアミロイドβが存在し、認知機能が低下するにつれてAβ*56がたくさん蓄積した。また、Aβ*56を注入されたラットに記憶障害が認められた」、つまり「アミロイドβの蓄積がアルツハイマー病の原因である」ことが”証明”されました。しかしこの論文はデータが捏造されていたことが発覚し、現在は取り下げられています。

 一方、英国の神経学者Ruth F Itzhaki氏らのグループは「アルツハイマー病の真の要因は感染症、とりわけ単純ヘルペスウイルスが最も可能性が高い」と考えています。

 アルツハイマー病の(要因ではなく)「リスク」については本サイトで繰り返し述べているように(例えば「はやりの病気第253回<2024年9月>『コレステロールは下げなくていい』なんて誰が言った?」)「中年期のLDLコレステロール」や「中年期の難聴」が重要です。しかし、これら以外にも「あまり指摘されないけれど確実に認知症を起こしやすい基礎疾患」があります。ダウン症がその一つです。

 ダウン症の人々がヘルペスウイルスに感染しやすいとした報告は見当たりませんが、一般にダウン症の人たちは感染症に罹患しやすいことはよく知られています。そして、感染しやすいだけでなく重症化しやすいのも事実です。つまり、ダウン症の人たちはそうでない人たちに比べて免疫応答に「差」があると考えられるわけです。ならば、ダウン症があれば脳内での感染症に対する免疫応答がダウン症でない人と異なるために、その結果としてアミロイドβやタウ蛋白が蓄積しやすいという仮説が生まれます。

 アルツハイマー病の遺伝的リスクと言えばダウン症よりもApoE遺伝子がよく知られています。ApoE遺伝子をε4で持っていればリスクは上昇し、ε4をホモで持っていれば(2つ持っていれば)、ε3をホモで持つ人に比べて発症リスクが11.6倍にもなります。ε4をホモで持てば75歳でアルツハイマー病を発症する確率は8割にも上ります。しかし、ε4をホモで持つ75歳の人の約2割は発症しないのも事実です。この差はどこからくるのでしょうか。

 実はItzhaki氏は非常に興味深い発見をし、1997年にすでに発表しています。「ApoE遺伝子をε4で持つ人は、脳内に単純ヘルペスウイルス1型を保有している場合にのみ、アルツハイマー病を発症する可能性が高くなる」というのです。

 この研究、ものすごく興味深いと思われますが、これまでなぜかさほど注目されてきませんでした。しかし、これは事実なのでしょうか。これが事実なら「認知症の最大の対策は単純ヘルペスウイルス1型に感染しないこと」となります。俄かには事実と信じられないような研究です。同様の結果を示す別の研究を待つ必要があります。

 その研究は2020年に公表されました。フランスの科学者が、「ApoE遺伝子をε4で持たない人が単純ヘルペスウイルス1型に感染してもリスクは増えないが、ε4を持つ人の場合はアルツハイマー病発症リスクが3倍以上になる」ことを示したのです。

 ところで最近、「帯状疱疹のワクチンが認知症のリスクを下げる」という話がよく取り上げられます(参照:医療ニュース2025年4月28日「認知症予防目的に帯状疱疹ワクチン」)。なぜ、帯状疱疹のワクチンが認知症のリスクを下げるのか。単純に考えれば「水痘帯状疱疹ウイルスが認知症の原因のひとつだから」となります。しかし、Itzhaki氏らの研究が主張しているのは「水痘帯状疱疹ウイルス」ではなく「単純ヘルペスウイルス1型」です。これら2種のウイルスは”親戚”のような関係ですが、同じものではありません。ということは、いずれのウイルスもアルツハイマー病のリスクを上げるのでしょうか。

 実は、「帯状疱疹の発症は認知症のリスクになる」とする研究と、「リスクにならない」という相反する研究があり結論はでていません。例えば、韓国の大規模研究では「帯状疱疹の治療で認知症のリスクが減る」という結論が出ています。他方、英国及びデンマークでは否定的な結果となっています。

 そんななか、非常に興味深い論文が公表されました。研究したのはやはりItzhaki氏らで、2022年医学誌「Journal of Alzheimer’s Disease」に「水痘帯状疱疹ウイルスが静止期の単純ヘルペスウイルス1型の再活性化を介してアルツハイマー病に関与する可能性(Potential Involvement of Varicella Zoster Virus in Alzheimer’s Disease via Reactivation of Quiescent Herpes Simplex Virus Type 1)」というタイトルで掲載されました。この研究で分かったのは、「水痘帯状疱疹ウイルスはアミロイドβやタウ蛋白の蓄積には直接関与しない。しかし、水痘帯状疱疹ウイルスは脳内でおとなしくしていた単純ヘルペスウイルス1型を再活性化させる」ということです。

 認知症のリスクを下げると言われているワクチンは帯状疱疹のワクチンだけではありません。過去のコラム(はやりの病気第258回(2025年2月)「認知症のリスクを下げる薬」)でも紹介したように、インフルエンザのワクチン接種で認知症発症リスクが40%も低減するとする研究や、三種混合ワクチンは30%、肺炎球菌ワクチンは27%認知症のリスクを低下させるという報告もあります。仮設の域を超えませんが、いくつかの感染症は、結果として(例えば、炎症性サイトカインを誘導するなどして)「脳内に潜むヘルペスウイルスを再活性化させ、その結果アミロイドβやタウ蛋白が生成される」という説が考えられます。

 さらに興味深い研究を紹介しましょう。外傷性脳損傷が単純ヘルペスウイルス1型を活性化させ、さらに、アミロイドβとタウ蛋白が産生され蓄積することを示した論文が最近発表されたのです。

 ここまでをまとめると、どうやらアルツハイマー病の真の要因は「アミロイドβやタウ蛋白が増えること」ではなく、「単純ヘルペスウイルス1型の再活性化が真の要因で、アミロイドβやタウ蛋白が蓄積するのはその結果」と言えそうです。ということは、最善策は「初めから単純ヘルペスウイルス1型に感染しないこと」となりますが、これは困難です。些細なスキンシップで感染するこの感染症を予防するのは事実上不可能です。今まで感染していないという人も、今後他者とのスキンシップを拒否して生きていくことはできないでしょう。「単純ヘルペスウイルス1型は生きていればそのうち感染する」と考えるべきです。

 大切なのは「感染しないこと」ではなく「いったん感染した単純ヘルペスウイルス1型を再活性化させないこと」です。そのために気を付けるべきことは「(ヘルペス以外の)感染症の予防をする」「ワクチンがあるものはワクチン接種を受ける(特に帯状疱疹)」「脳の外傷に注意する」といったところになります。

 では、単純ヘルペスウイルス1型の再活性化、つまり顔面のヘルペスの再発を防げば認知症のリスク低減につながるのでしょうか。台湾に驚くべき研究があります。なんと、抗ウイルス薬内服で口唇ヘルペスを治療すると認知症のリスクが9割以上も低下するというのです。

 ちょっと信じがたい数字ではありますが、スウェーデンにも同じような研究があります。こちらは研究の対象者が少ないのですが、発症リスクが7割以上低下しています。しかし、ドイツの研究では抗ウイルス薬の効果は否定されています。

 ヘルペスは軽症であれば内服ではなく外用薬を希望する人がいます。ですが、これらの研究に鑑みれば、現在万人が認めているわけではないとはいえ、脳内のヘルペスウイルスの再活性化はできるだけ食い止めるべきだと言えるでしょう。ということは、感染後は(繰り返しますが、感染を防ぐのは極めて困難です)発症しないように気を付け(紫外線対策、睡眠時間を確保する、ストレスをためないなど)、発症すれば直ちに内服薬を使用する、さらに(帯状疱疹などの)ワクチン接種で単純ヘルペスの再発を防ぐ、ということが大切になってきます。

 

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2025年5月15日 木曜日

第261回(2025年5月) アルツハイマー病への理解は完全に間違っていたのかもしれない(前編)

 現在、アルツハイマー病を「最もかかりたくない病気」と考えている人は少なくないでしょう。「認知症は病気ではなく自然の経過だ」という考えは根強くありますが、そのような意見を主張する人でさえも「ではあなたがアルツハイマー病になってもいいですか?」という質問に「イエス」とは答えません。

 アルツハイマー病は単に「認知機能が衰える病気」ではありません。最近「Lancet」に発表された論文によると、「GBD(=Global Burden of Diseases, Injuries, and Risk Factors Study)」と呼ばれる統計データから371の疾患が分析された日本人の死因第1位が認知症で、全死因の12.0%に相当します(ちなみに、第2位から5位は、脳卒中、虚血性心疾患、肺がん、下気道感染症)。また、認知症を発症すれば、あるいは認知機能が低下すれば、健康への関心が低下し、体重コントロール、食事や運動などのライフスタイルが乱れ、他の疾患を発症して認知症以外の死因で死に至ることもあります。つまり、「認知症は万病の元」とも言えるわけです。

 世界規模でみると、現在アルツハイマー病を患う人は3000万人を超えています。65歳を過ぎると発症率は5年ごとに倍増し、85歳になると3人に1人が発症します。

 アルツハイマー病には有効な治療法がありません。世界中の製薬会社がアルツハイマー病の治療薬開発にしのぎを削り、1995年から2021年の間に1000件以上の臨床試験に約420億ドルが投入されました。市場に出ている薬はあるにはありますが、治癒、あるいは予防にはほど遠いものです。

 アルツハイマー病が「どんな人に起こりやすいか」については過去にも繰り返し述べて来たようにかなり検討されています(例えば「はやりの病気第253回<2024年9月>『コレステロールは下げなくていい』なんて誰が言った?」)。しかし、「なぜ起こるのか」についてはいまだに分かっていません。

 もっと正確に言えば「いったんはなぜ起こるかが解明されたと思われたが実は間違いだった」となります。

 これまでアルツハイマー病は「アミロイド仮説」で説明されてきました。タンパク質の一種であるアミロイドβの沈着が脳内の神経細胞の間に蓄積し、神経細胞を障害するというものです。しかし、この説に対しては以前から疑問視する声がありました。例えば、アルツハイマー病の脳には必ずアミロイドβの沈着が観察されますが、沈着があってもアルツハイマー病を発症しない人もいます。それに、アミロイドβの蓄積はアルツハイマー病発症の「要因」ではなく、単なる「結果」である可能性を否定できません。

 2006年、1つの論文が風穴を開けました。ミネソタ大学のKaren H. Ashe氏らによる研究が科学誌「Nature」に掲載され、「アミロイドβが記憶障害を引き起こす」ことが”証明”されたのです。もう少し詳しく言うと「『Aβ*56』と呼ばれるアミロイドのオリゴマー(蛋白質の固まり)がアルツハイマー病の発症に関与している」ことが示されました。さらに詳しく解説すると、著者らは「アルツハイマー病を発症するように遺伝子操作されたマウスにはAβ*56が存在し、認知機能が低下するにつれてAβ*56がたくさん蓄積した。また、Aβ*56を注入されたラットに記憶障害が認められた」と報告したのです。

 アミロイドβには複数のサブタイプがあることが知られていますが、アルツハイマー病との関連については分かっていません。そんななか、アルツハイマー病を引き起こす特定のオリゴマーが発見されたわけですから、この論文は極めて価値の高い、いわばノーベル賞級の快挙です。実際、責任著者のAshe氏は神経科学の世界で名誉あるPotamkin賞を受賞しました。この論文はその後2,500件近くの学術論文で引用され、世界中の科学者が数億ドル規模の公的研究助成金を用いてアミロイドβの研究に勤しみました。

 ただ、この論文にはひとつの「欠点」がありました。「捏造」だったのです。現在もこの論文はウェブ上で閲覧できますが、各ページに大きな字で「RETRACTED ARTICLE(撤回された論文)」と記されています。人間、嘘をついたならできるだけ早くそれを公表し嘘を撤回すべきですが、この論文が撤回されたのは捏造疑惑が生じてから2年後の2024年6月でした。

 ちなみに、現在日米でアルツハイマー病に一応有効とされ発売されている薬「レカネマブ(レケンビ)」「ドナネマブ(ケサンラ)」はアミロイドβを攻撃するとされていますが、認知機能低下の効果はわずかしかなく、脳腫脹や脳出血など危険な副作用のリスクが(特にアルツハイマー病のハイリスクとなるApoE遺伝子をε4で持つ人にとって)あります。ちなみに、レケンビ発売元のエーザイは「論文の不正とレカネマブは関係がない」とする声明を出しています。

 聞くところによると、この捏造論文が撤回された後も、アルツハイマー病の原因が尚もアミロイドβだと考え研究を続けている研究者もいるようです。その一方、「原因は他にある」と考える研究者もいます。現在最も注目されている一人が、英国の神経学者Ruth F Itzhaki氏です。Ashe氏らの捏造論文が登場した1年後の2007年、医学誌「Neuroscience Letters」に「単純ヘルペスウイルスの感染により脳細胞内のアミロイドレベルが劇的に上昇する」ことを示したItzhaki氏の論文が掲載されました(尚、アルツハイマー病ではアミロイドβが細胞の外に沈着しますが、アミロイドβが生成されるのは細胞内です)。

 Ashe氏らの「Nature」の論文が世界に多大なる影響を与えた一方で、Itzhaki氏の「単純ヘルペスウイルスが認知症の原因」とするこの説はあまり注目されず鳴りを潜めていました。しかし、論文捏造で評判を地に墜としたAshe氏とは対照的に、Itzhaki氏に賛同する学者は次第に増え、ついに「AlzPI(Alzheimer’s Disease Pathological Biome Initiative=アルツハイマー病病理研究チーム)と呼ばれるチームが結成されました。チームの使命は「感染症がアルツハイマー病の発症に中心的な役割を果たしていることを正式に証明すること」です。

 アミロイドβ以外にもう1つ、アルツハイマー病で脳内に蓄積する蛋白質があり「タウ蛋白」(または単に「タウ」)と呼ばれます。アミロイドβ説の信奉者は「アミロイドβが増えるからアルツハイマー病を発症する」と考え、タウ蛋白説を信じる人は「タウ蛋白が増えるからアルツハイマー病を発症する」と考えます。一方、Itzhaki氏らAlzPIのメンバーは「アミロイドβとタウ蛋白は脳における病原体に対する最前線の防御線」(=アミロイドβとタウ蛋白が病原体をやっつける)と考えます。

 この根拠となると思われるのが2018年に医学誌「Neuron」に掲載された論文「アルツハイマー病に関連するアミロイドβはヘルペスウイルスによって急速に増殖し脳感染から保護する(Alzheimer’s Disease-Associated β-Amyloid Is Rapidly Seeded by Herpesviridae to Protect against Brain Infection)」です。タイトルから分かるように、「ヘルペスウイルスの脳内の感染でいわば免疫応答としてアミロイドβがつくられる」とこの論文は主張しています。つまり、アミロイドβの生成は感染予防上必要だというのです。しかし、その免疫反応が過剰に働いたときに(いわば余剰につくられた)アミロイドβが脳に蓄積して、アルツハイマー病を発症すると考えられるわけです。

 この説が正しいとするならば、認知症の最大の予防は「ヘルペスウイルスに感染しないこと」、あるいは「ヘルペスウイルスに感染してしまったらできるだけ再発させないこと」が最重要になります。

 次回に続きます。

 

 

 

 

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