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2025年9月18日 木曜日
第265回(2025年9月) 「砂糖依存症」の恐怖と真実
週刊誌などのメディア媒体やテレビ局からの取材依頼が来たとき、私は断ることが多いのですが(自分が言ったことが曲解して報道されることがあるからです)、例外的に長期連載を引き受けているのが、毎日新聞の「毎日メディカル(旧・医療プレミア)」と「日経メディカル」の連載です。毎日新聞は連載開始から10年を超え、日経メディカルの方も7年以上になります。
記事を書くときに気になるのが、製薬会社や食品メーカーに対する否定的コメント(要するに「悪口」)をどこまで書いていいか、あるいは名指しにしていいか(「某○○社」などの表現にしなくていいか)ということです。もちろん、悪口自体は言う方も気持ちのいいものではありませんから、できればそのような内容のコラムは書きたくないわけですが、放っておいてはマズイもの、つまり真実を知ってもらわねば困るような内容については書かざるを得ません(「書かなければならない」という衝動を抑えきれなくなってきます)。
毎日新聞と日経メディカルを比較したとき、以前はどちらかといえば日経メディカルの方が思い切った表現を許してくれるかな、と感じていたのですが、最近はそうでもなくて、毎日新聞から意外な対応(これは「いい意味」です)をされることもあります。
印象的だったのが2025年8月18日に公開した「夏になると、血糖値が急上昇? 原因は『健康によいから』『夏バテ防止に』と飲み続けていた〇〇〇だった!」で(「毎日メディカル」の記事は無料です)、大塚製薬と大正製薬を名指しで非難しました。脱稿し提出するときには「この原稿はこのままでは使えないだろう」と考えていたのですが、意外なことに「まったく問題なし」でした。それどころか、悪口を言っている商品「ポカリスエット」と「リポビタンD」については編集者がわざわざ写真撮影をしてそのページに掲載してくれたのです。この記事、たぶんいずれかのメーカーから(あるいは両社から)毎日新聞にクレームが来ていると思うのですが、私のところには知らされていませんから毎日新聞社がうまく対応してくれたのでしょう(スポンサーから外れなければいいのですが……)。
対照的なのが日経メディカルで、該当記事は9月17日に公開された「HbA1cを12.8%へ押し上げた『健康ドリンク』」です(日経メディカルを閲覧できるのは医療者限定)。短期間で糖尿病がものすごく悪化した男性患者さんの事例を取り上げています。先に毎日新聞の記事が公開されていたこともあり、今回も製品の実名を載せてもらえるだろうと”犯人”のドリンクをそのまま商品名で記載した原稿を送ったところ、結果はNG。コラムは採用されたものの商品名は隠すことになりました。
ここで簡単に、短期間で重症の糖尿病をもたらせたそのドリンクについて紹介しておきましょう。一応先に断っておくと、この男性はこの1本555mLの健康ドリンクを毎日4~5本飲んでいました(少量摂取なら糖尿病を起こさなかった可能性もあります)。ドリンクに含まれる有害と思われる物質は「砂糖類(果糖ぶどう糖液糖(国内製造)、砂糖)」、「甘味料(アセスルファムK、スクラロース、ステビア)」、「カラメル色素」の3種で、これら3種は成分表の「炭水化物」に相当します。「炭水化物」の正体がこれら3種の甘いものであることを見抜くのは困難だと思われますが、わざとそのように分かりにくい表記にしているのでしょう。「炭水化物」(=これら3種の甘いもの)が100mLあたり4g含有されていると書かれていますから、555mLだと22.2グラム。仮にこれがすべて砂糖だとすると、1本あたり7.4個の角砂糖が入っている計算になります。このドリンク、「低カロリー」と謳われていますが、はたして角砂糖7.4個が低カロリーと呼べるでしょうか。
尚、「砂糖換算はおかしいのでは? 人工甘味料も含まれるじゃないか」という反論に答えておくと、人工甘味料も砂糖と同様、糖尿病や肥満をもたらせることを示した研究は多数あります。詳しくは「毎日メディカル」「カロリーゼロでも太る? やせたいなら、食べてはいけない『人工甘味料』」を参照ください。
さて、この男性の場合、このいかにも健康的な商品名の健康ドリンクを箱ごと購入して毎日4~5本飲んでいました。1本あたり7.4個の角砂糖と考えれば、5本では毎日37個の角砂糖を食べていた計算になります。短期間で糖尿病が劇的に悪化したのも無理もありません。
気の毒なことに、この男性、この健康ドリンクを「夏バテ防止の目的」で飲んでいました。ウェブサイトには「(前略)「体内効率設計」に基づき、「アルギニン」「シトルリン」の2つのアミノ酸と、「ビタミンC」「クエン酸」を配合。レモン&アセロラ味の甘酸っぱいおいしさ。(無果汁)低カロリー」と書かれているわけですから、そう考えるのも無理もありません。
しかし、おそらくこの男性も飲み続けているうちに、(私や看護師には話していませんが)「ちょっとおかしいぞ……」と感じていたのではないかと私は疑っています。なぜなら、この男性、「最近のどが渇いて仕方がない。いくら水分を摂っても夜中に何度もトイレに行かねばならない」と言っていたからです。口渇や頻尿は糖尿病の症状そのものですが、体重はむしろ減ってきていました。だから、「糖尿病なんかであるわけがない」と考えただけでなく、最初のうちはまさか健康目的で飲んでいるドリンクが”犯人”などとは思いつかなかったのでしょう。
この体重減少は危険な兆候です。尿検査をすればケトン体が強陽性。これはインスリンの働きが低下して、体内の脂肪を分解してエネルギーを取り出していることを示しています。もう少し進行すると命に関わる状態にもなるはずです。男性は元気だと言っていましたが、おそらく間一髪のところで間に合ったのでしょう。このライフスタイルを続けていれば命も危なかったと予想されます。
さて、では、男性は「この健康ドリンクは危ない」と薄々気付いていたのにも関わらず、なぜやめることができなかったのか。それはおそらく砂糖の「依存性」です。実は砂糖には強烈な依存性があり、やめようと思ってもやめられないのです。精神疾患の診断と分類に使われる国際的基準「DSM-5」で定められる「薬物乱用基準」というものがあって、下記11の基準をいくつ満たすかで重症度が判定されます。6つ以上で「重度の物質使用」とみなされます。
#1 適切な量または期間を超えて物質を摂取する
#2 物質の使用を減らしたい、またはやめたいと思っても、それができない
#3 物質の入手、使用、または回復に多くの時間を費やす
#4 物質を使用したいという渇望と衝動がある
#5 物質使用のために、職場、家庭、または学校ですべきことを行えない
#6 人間関係に問題が生じても、使用を続ける
#7 物質使用のために、重要な社会活動、職業活動、または娯楽活動を断念する
#8 危険にさらされても、物質を繰り返し使用する
#9 物質によって引き起こされた、あるいは悪化した可能性のある身体的または心理的問題があることを認識しているにもかかわらず、使用を続けること。
#10 望む効果を得るために、より多くの物質を必要とする(耐性がつく)
#11 離脱症状が現れる
英紙The Telegraphによると、砂糖はこれら11のすべての基準を満たすといいます。#5、#6、#7あたりはちょっと言い過ぎかな、という気がしますが、他の項目はのきなみ砂糖の依存性を表していると言えるのではないでしょうか。
毎日メディカルに(無料ですから)近々、「砂糖の有害性はなぜ何十年も隠蔽されてきたのか」、「砂糖が心疾患、がん(特に乳がん)、認知症などのリスクになること」などについてのコラムを掲載する予定なので、そういったことに興味がある方はそちらを読んでもらうとして、ここでは「砂糖はやめたくてもそう簡単にはやめられない依存性の強い物質」であることを強調しておきたいと思います。
しかし、砂糖は完全に止める必要はないにせよ、控えていかなければ残りの人生を台無しにしてしまうかもしれません。ではどうすればいいか。いずれ本サイト、毎日メディカル、日経メディカル、あるいはメルマガのいずれかで秘策を紹介したいと思います。
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|2025年9月15日 月曜日
2025年9月15日 猛暑は「老化」「早産」「暴力」「犯罪」「成績低下」などの原因
熱中症に罹患したことがある人のなかには「えっ、この程度の暑さで熱中症?」と感じたことがある人も多いのではないでしょうか。「外出していないのに」「外は曇っていたのに」「そんなに短時間で……」など、まさかその程度で熱中症で倒れるなどとはまったく考えていなかったという人は少なくありません。
そして、猛暑がやっかいなのは、頭痛、倦怠感などの狭義の熱中症をもたらすからだけではありません。他にも多くの疾患や症状のリスクがあります。しかも、それらも「えっ、その程度で?」というケースが思いのほか多いのです。ざっと挙げてみましょう。以下はすべて猛暑が原因となる症状です。
・イライラして気が短くなる。怒りっぽくなる
・認知機能が低下し、成績が低下する
・暴力が起こりやすくなり、犯罪が増える
(スパイク・リー監督『Do The Right Thing』は猛暑で人々が次第におかしくなっていく様子が描かれています)
・デッドボールが増える
・老化が促進され寿命が短くなる
これらはすでに下記のメディアで紹介しました(双方とも無料で読めます)。
〇「毎日メディカル」2025年9月1日「怖いのは熱中症だけじゃない! 猛暑は老化を加速する」
〇「医療プレミア」2024年7月29日「炎熱の地球を生き延びる知恵~その3・暑さで低下する脳機能 試験の成績は落ち、犯罪も増える?~」
今回は、これら2つのコラムで取り上げなかった論文を紹介したいと思います。
1つは「猛暑が老化を加速する」ことを支持する台湾の研究です。上記「毎日メディカル」のコラムでも台湾の研究を紹介しているのですが、それは2024年に発表された、対象者は2,084人と比較的小規模のものでした。最近、より規模の大きな研究が発表されました。
医学誌「Nature Climate Change」2025年8月25日号に「熱波による加速老化への長期的影響(Long-term impacts of heatwaves on accelerated ageing)」という論文が掲載されました。研究には台湾の24,922人のデータベースが用いられました。結果、猛暑下では年間0.023~0.031年、生物学的年齢が実際の暦よりも老化していたのです。
「年間0.023~0.031年」といわれてもピンときませんし、「その程度ならいいんじゃないの?」と感じられますが、この数字、論文によると、喫煙、飲酒、運動不足などの健康阻害リスクと同じだといいます。
では、どのような人がリスクになるのか。これは予想通り、肉体労働者や農作業従事者、そしてエアコンの少ない地域に住む人です。要するに、「年を取りたくなければ外出を控えてエアコンの効いた部屋で休んでおきなさい」ということです。しかし、上記「毎日メディカル」でも述べたように、そうすれば運動不足が促進され、どちらにしても老化が加速されてしまいます……。
もう1つ紹介したい研究は「猛暑が早産の原因になる」とするものです。医学誌「Nature Medicine」2024年11月5日号に論文「熱中症が母体、胎児、新生児の健康に及ぼす影響に関する系統的レビューとメタアナリシス(A systematic review and meta-analysis of heat exposure impacts on maternal, fetal and neonatal health)」が掲載されました。
この論文は、これまで66か国で発表された198件の研究を対象としたメタアナリシス(総合的に分析したもの)です。結果、出産前の1か月間に女性がさらされる平均気温が1℃上昇するごとに早産の確率が約4%増加することが分かりました。熱波に晒されれば早産の可能性は25%以上増加、さらに、高温への曝露は、死産のリスクを13%、先天異常のリスクを48%、妊娠糖尿病のリスクを28%増加させるといいます。
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現在の夏はもはや昔のように「待ち遠しくてワクワクするシーズン」ではありません。真夏日には日中は自宅で過ごし、仕事を含め活動は夜間にシフトしていくような社会にすべきではないでしょうか。仕事のみならず、運動も日が暮れてからおこなえば運動不足にならずに済みます。日中の肉体労働や農作業に従事しなければならない場合は、「ひとりあたり1日〇時間まで、かつ年間△日まで」というようなルールを設け、リスクを社会全体で分けあうようにしていく政策が必要ではないかと思えます。
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|2025年9月9日 火曜日
2025年9月 人間に「自殺する自由」はあるか
本サイトで初めて「自殺」を取り上げたのは、まだ谷口医院を開院する前の2005年でした。「メディカルエッセイ」に3回連続で「自殺」をテーマとしたコラム(「なぜ日本人の自殺率は高いのか①」、「なぜ日本人の自殺率は高いのか②」、「なぜ日本人の自殺率は高いのか③(最終回)」)を公開しました。社会学者デュルケームの『自殺論』を引き合いに出し、日本で自殺者が多い理由を自殺が少ないタイと比較し、「階級社会」、「死体のタブー視」、「輪廻転生」などをキーワードにして、日本人の死生観や人生観についての私見を述べました。
20年前のこれらコラムでははっきりと言及していませんが、私は「日本人の自殺者は多すぎる。社会全体で減らしていくべきだ」という見解を述べてはいるものの、自殺を「否定」はしていません。つまり、私自身は「自殺否定者」ではないということです。
「自殺が罪」という視点は私にはなく、もちろん推奨したことはありませんが、「死者を悪く言ってはいけない」という価値観以上のもの、言葉にするなら「自殺はひとつの選択肢であり、自殺の自由は認められねばならない」という考えを持っていました。その根底にあるのが「他者に迷惑をかけるのでなければ個の自由は尊重されなければならない」という、いわばジョン・ロックにも通ずる自由論なようなものです。そして、この考えは私特有のものではなく、社会全体にこのようなコンセンサスがあったように感じていました。
実際、私が若き日々を過ごした80年代、90年代には自殺した人たちを悪く言うような意見はほとんど聞かれず(これは今でも同じではないでしょうか)、特に有名人の自殺の場合は神格化する風潮さえありました。もっとも、自殺した有名人の話で盛り上がるなどという悪趣味を有している人はそうおらず、自殺について積極的に話題にする人はあまりいないわけですが。
ただ、どういうわけか、私は「自殺」という現象に非常に興味があり、また「仲間を殺す」という事件にも強く惹きつけられました。「仲間を殺す」事件として、昔から私が最も関心を持っているのが1972年の「あさま山荘事件」です。連合赤軍の内部で「総括」と呼ばれる自己批判の名のもとに合計12人もの仲間が殺害されたこの事件について、私が概要をきちんと知ったのは1つ目の大学に入学した直後、1987年でした。わずか15年前に、社会をよくしようと立ち上がった若者らが、やがて憎しみ合うようになり「内ゲバ」の末、殺し合ったという現実。これ、かなり衝撃的な事件だと思うのですが、この事件をきちんと”総括”して教えてくれた大人たちは私が大学に入学するまでいませんでした。
入学して少したったときに、大学の先輩からあさま山荘事件という恐ろしい事件があったという話を聞いたのですが、その先輩もさほど詳しいわけではなく、当時はインターネットも登場しておらず、例えば大学の先生に聞けばよかったのかもしれませんが、80年代後半のあの当時は日本全体が浮かれていた時代で、そういう話を口にすることが野暮ったいというか、おかしな奴だと思われますから、結局、私も興味を封印することにしました(尚、その後も興味がなくならなかった私はこの事件を追い続けています。2022年のマンスリーレポート「『社会のため』なんてほとんどが偽善では?」でも一部述べています)。
しかし、「封印する」といっても、仲間が仲間を殺し合う、社会に絶望して自らの命を絶つ、といった現象への興味は捨てられません。情報収集に苦労しつつも(といってもインターネットの登場など夢にも思わず、当時は情報収集が骨の折れる作業が当然であり「苦労」とは感じていなかったのですが)、少しずつ、60年代から70年代にかけての学生運動や欧米での反戦運動などに関する知識が増えていきました。
『フランシーヌの場合』という歌を知っている人はどれだけいるでしょう。発売は1969年で歌い手は新谷のり子。当時は80万枚を売り上げ、学生運動に熱を入れる若者たちの間で相当盛り上がっていたそうです。フランシーヌのフルネームはフランシーヌ・ルコント、30歳のフランス人女性です。1969年3月30日、パリで焼身自殺を遂げました。ベトナム戦争などの世界の悲劇に対する抗議からの行動だったのです。私はこの話を過去にいろんな世代の人にふってみたことがあるのですが、興味を示した人はほとんどいません。当時、学生運動のど真ん中にいたはずの世代の人たちも「その話は、あまりしたくない……」という態度になります。たいていはその場の”空気”を読んで話をやめることになります。
「高野悦子」という名前に聞き覚えのある人はどれだけいるでしょうか。パリでフランシーヌが焼身自殺を遂げた約3ヶ月後、高野悦子は京都の山陰本線の二条駅から花園駅の間の貨物列車が走る線路に身を投げ自殺を遂げました。1949年に栃木県で生まれた彼女は立命館大学文学部に在学中でした。彼女が亡くなる直前まで綴っていた日記は、死後『二十歳の原点』として出版され、さらに映画化までされました。加えて、過去の日記が『二十歳の原点ノート』、『二十歳の原点序章』として出版されました。
私が高野悦子の存在を知ったのは、たしか1つ目の大学の4回生の頃でした。就職活動をしているときに、いろんな企業の人に会いに行き、もうそれはどの会社の誰だったかの記憶も曖昧なのですが、学生運動のなかで生じた葛藤や疑問から自殺した立命館の女子大生(当時は女子大学生/女性大学生がそう呼ばれていました)がいたという話を聞いたのです。その話だけでも当時のバブル経済真っただ中の平和な時代を過ごしていた私には衝撃的でしたが、その女子大生の日記がベストセラーとなり映画化までされたという事実に驚きました。
しかし、それ以来、私は様々な世代の人に「高野悦子って知ってる?」と尋ねてきましたが、「知っている」と答えた人はほとんどいません。さすがに立命館大学出身者なら知っているだろうと思って同大学の卒業生数人にも聞いてみましたが、誰も「知らない」と言います。もしかすると、知っていても「ただでさえ学生運動の暗いイメージがつきまとう立命館の印象を損ないたくない」と考えて嘘をついたのかもしれませんが……。尚、これは余談ですが、当時学生運動のメッカだった立命館大学の現在の姿には、もやはその面影は微塵もなく、関西でもっともファッショナブル、そして高偏差値大学へと変貌しました(対照的なのが私の出身の関西学院大学です……)。
フランシーヌも高野悦子も、英雄視しているわけではありませんが、彼女らの意思を毀損する気持ちは私には毛頭ありません。そして、社会に強い印象を残して命を絶ったのは彼女たちだけではありません。
「みんなちがって、みんないい」のフレーズが有名な詩人の金子みすゞはブロムワレリル尿素(ブロモバレリル尿素)を含む市販の鎮痛剤で死を遂げました。文字通り「みんなちがって、みんないい」を実践したと言えば不謹慎でしょうか。三島由紀夫、太宰治、川端康成、芥川龍之介など、自殺で人生を終えた文学者は少なくありません。「自殺の自由」という言葉を使うとき、私の脳裏にはまずフランシーヌと高野悦子の姿が浮かび、次いで数々の文学者の残像が脳内を駆け巡ります。彼(女)らを誹謗することなどできるはずがなく、その逆にどこか厳かな感情が芽生えるような気すらします。だから、自殺に賛成することはないにせよ、人間には最終的には「自殺する自由」はあって然るべきだ、と考えていたのです。
そして2007年、私は大阪市北区に谷口医院をオープンさせました。総合診療の谷口医院には心の悩みをもった若い男女も大勢訪れます。なかには死をほのめかしたり、自殺未遂の体験を話したりする人もいます。もちろん、「人間には自殺の自由がありますから、どうぞあなたの意思を尊重してください」などとは言いませんが、「この社会から消えてしまいたくなるのですね……」と共感することはあります。自殺企図(自殺願望)がある場合は精神科受診を促すこともあります。ただし、精神科を受診して解決するわけではなく、結局また戻ってくることが多いのですが。
そのうち、死の相談をする患者さんの年齢が次第に高くなってきました。2年前に新しい場所に移転してからはその勢いが加速しています。
そして「安楽死」という問題が浮上してきました。
次回に続きます。
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|2025年8月31日 日曜日
2025年8月31日 インフルエンザワクチンで認知症を予防する
本サイトでは2025年4月の医療ニュース「認知症予防目的に帯状疱疹ワクチン」で取り上げた「帯状疱疹ワクチンが認知症のリスクを下げる」という話は過去数か月でいろんなところで取り上げられている気がします。
なぜ帯状疱疹ワクチンが認知症を予防するのかについて、HSV(単純ヘルペスウイルス1型)が関与しているのではないかという話は、「はやりの病気」第262回(2025年6月)「 アルツハイマー病への理解は完全に間違っていたのかもしれない(後編)」ですでに述べました。
今回、改めて検討したいのは「インフルエンザワクチンが認知症のリスクを下げる」とした研究です。3つの論文を紹介しましょう。
1つはすでに、「はやりの病気」第258回(2025年2月)「認知症のリスクを下げる薬」で紹介済です。2022年6月に医学誌「Journal of Alzheimer’s Disease」に掲載された論文「インフルエンザワクチン接種後のアルツハイマー病発症リスク:傾向スコアマッチングを用いたクレームベースコホート研究(Risk of Alzheimer’s Disease Following Influenza Vaccination: A Claims-Based Cohort Study Using Propensity Score Matching)」です。この研究ではインフルエンザのワクチン接種で認知症発症リスクが、なんと40%も低減するとされています。研究の対象者は米国の65歳以上。インフルエンザワクチンを接種した935,887人と、未接種の同じ人数が比較されました。平均年齢73.7歳、追跡期間は46ヶ月です。この間にワクチン接種者では5.1%(47,889人)が、未接種者では8.5%(79,630人)が認知症を発症しました。この研究では「匿名化された保険請求データ」が用いられました。
メタアナリシス(これまで発表された質の高い研究をまとめなおして総合的に解析する方法)もあります。医学誌「Ageing Research Reviews」に2022年1月に掲載された「インフルエンザワクチン接種は認知症リスクを低下させる:システマティックレビューとメタアナリシス(Influenza vaccination reduces dementia risk: A systematic review and meta-analysis)」です。評価された論文は273件で、ベースライン時点で認知症のない高齢者292,157人(平均年齢75.5歳、女性46.8%)が対象とされました。平均9年間の追跡調査で、インフルエンザワクチン接種は認知症の相対リスクを29%低下させました。
そして、インフルエンザワクチンが認知症のリスクを下げるとした3つ目の論文は医学誌「Age and Aging」2025年7月号に掲載された「インフルエンザワクチン接種と認知症リスク:系統的レビューとメタアナリシス(Influenza vaccination and risk of dementia: a systematic review and meta-analysis)」で、こちらもメタアナリシスです。8件の質の高い研究がピックアップされ、対象者の合計は9,938,696人です。結果、対象者を「全人口」とすると、インフルエンザワクチンと認知症との間に関連性は認められなかったものの、認知症に「高リスク患者」に限定すると、インフルエンザワクチンが認知症リスクを低減することが分かりました。
興味深いことに、2~3回接種ではリスクが16%低下するのに対し、4回以上の接種では57%も下がるという結果がでています。
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では、なぜインフルエンザワクチンが認知症のリスクを下げるのか。これについてはどの論文も触れていません。
ならば自分で推測するしかありません。
おそらく、インフルエンザがもたらす、高熱、頭痛、倦怠感などで各臓器に炎症が生じ、結果、炎症性サイトカインが分泌されます。これらサイトカインが脳に作用をもたらし、結果として認知機能を損なうのでしょう。そして、(これは私の仮説に過ぎませんが)脳が炎症を起こしたときにHSVが関与して、その結果、アミロイドβやタウ蛋白が異常蓄積するのではないかと私は考えています。
上述のコラム「アルツハイマー病への理解は完全に間違っていたのかもしれない(後編)」でも述べたように、脳の外傷で認知症が起こるときにもHSVが絡んでいることが指摘されています。
ということは、認知症予防の目的で「脳のHSVを大人しくさせておく」、そのためには「あらゆる炎症を防ぐ」、さらに「感染症はできる限り防ぐ」が重要となります。
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|2025年8月28日 木曜日
2025年8月28日 悪玉コレステロール(LDL)を上昇させる真犯人
卵を食べるとコレステロールが上がるから控えるように言われています……。
谷口医院をオープンしてから、何人の患者さんにこのセリフを言われたか、たぶん千回は超えているでしょう。その度に私は「そんな必要ありません」と答えてきました。なぜか。私のそれまでの臨床経験から判断して「たしかに卵をたくさん食べてLDLコレステロールが上昇する人がいるが、上がらない人もいる。むしろ他の”犯人”が重要」だからです。
この私の考えに自信ができたのは2015年の米国のガイドラインでした。食事性コレステロールが「懸念される栄養素」から削除されたのです。このガイドラインにははっきりと「卵を食べてもいい」とは書かれていませんが、「食事性コレステロール」の代表が卵です。つまり、このガイドラインは「卵には健康上有害性がない」と断言したのです。
しかしながら、一方では、卵が血中コレステロールを上昇させ心血管系疾患のリスクになることを示唆する研究もあります。いったい、どちらが正しいのか。その答えは「個人差が大きく試してみるまで分からない」となります。ただし、私の個人的な臨床経験で言えば「卵を制限する必要はほとんどない」です。
医学誌「The American Journal of Clinical Nutrition」の2025年7月号に掲載された論文「卵と飽和脂肪酸由来の食事性コレステロールがLDLコレステロール値に与える影響:ランダム化クロスオーバー研究(Impact of dietary cholesterol from eggs and saturated fat on LDL cholesterol levels: a randomized cross-over study)」によると、飽和脂肪酸の摂取量を減らせば、むしろ卵を2個食べた方が卵を食べないときよりもLDLコレステロールが低下することが分かりました。
では、いったい何がLDLコレステロールを上昇させるのか。その「答え」はこの論文に書かれているように「飽和脂肪酸」です。当院の経験でいえば、飽和脂肪酸を多く含む食品のなかでも最もLDLコレステロールが上昇しやすいのは次の3つです。
・ポテトチップスを代表とするスナック菓子
・ケーキやシュークリーム
・揚げ物(フライドポテトやから揚げなど)
上記論文にも述べられているように、卵は「食物コレステロールは豊富で飽和脂肪が少ないユニークな食品」です。卵も極端に大量に食べればLDLが上昇するかもしれませんが、論文では「1日2個の摂取でLDLコレステロールが低下する」としているわけです。そして、卵は良質な蛋白質やアミノ酸がたくさん摂れます。一方、飽和脂肪酸は”諸悪の根源”なのです。
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診察室で患者さんから話を聞いていると、「卵を控えてこれまでの人生、随分損をしてきましたね」と言いたくなることがあります。もしも今も控えている人がいるなら、そんなルールは直ちに撤廃して卵料理を楽しみましょう。
しかし、なかには卵を増やして上昇する人がいるのは事実です。たとえば、卵が入ったお菓子を増やせばLDLコレステロールは上昇します。私の場合、夜中に大量の脂っこい料理の外食を続けた結果、LDLコレステロールが一気に上昇したことがあります(参考:はやりの病気第65回(2009年1月)「突然やってきた脂質異常症」)。
また、どのように食事を変更しても一向にLDLコレステロールが改善しない人もなかにはいます。卵をどのように増やしていけばいいのか、現在の食事内容に問題はないのか、などについて疑問がある人はかかりつけ医に相談しましょう。
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|2025年8月17日 日曜日
第264回(2025年8月) 「ブイタマークリーム」は夢の若返りクリームかもしれない
「米国では1本23万円もする若返りクリームが、日本ではなんと約98%引きのわずか5400円!」と聞けば興味が出てこないでしょうか。
この表現をきちんと理解するにはいくつかの条件があるのですが、まったくのデタラメを言っているわけではありません。今回はこの、日本では驚くほど安い値段がついている魅惑的なクリームについての紹介をしたいと思います。
ブイタマークリーム(以下、単に「ブイタマー」)は2024年10月29日に処方薬として登場しました(なぜ10月29日に登場したかについては2014年のコラム「乾癬(かんせん)の苦痛」を読んでもらえれば分かります)。処方薬ですから、医療機関でしか扱っていませんし、希望したから処方を受けられるというわけではありません。おそらくは現時点では、まともな医療機関であれば「自費でお金を出すから売ってほしい」とお願いしても販売してもらえないでしょう。ただし、例えば、やせ薬の「リベルサス」や「マンジャロ」が美容クリニックでは気軽に買えるように(高いですが)、ブイタマーもそのうちお金さえ出せば簡単に手に入る薬となるでしょう(もしかすると、めざとい営利主義のクリニックはすでに販売しているかもしれません)。
処方薬として登場したということは、処方可能な「病名」があるはずです。その病名とは「アトピー性皮膚炎」(以下、単に「アトピー」)と「尋常性乾癬」(以下、単に「乾癬」)です。これらいずれかの疾患を有していて、医師が必要と判断し、なおかつ患者さんが希望すればブイタマーが処方されます。
薬価は1グラム300.8円。1本15グラムですから1本あたりの薬価は4,512円となります。3割負担の場合は4,512 x 0.3 = 1,353.6円です。冒頭で述べたのが60グラムの価格なのは、米国では1本60グラムで処方されているからです。
薬価(健康保険を適用した価格ではなくそのままの値段)でいえば、日本では1グラム300.8円。60グラムなら18,048円。一方米国では1510.03ドル(≒23万円)。この時点で日本の値段は米国の92%以上の割引となります。なぜ日本の値段はこんなに安いのかについてはよく分からないのですが、そのことはいったんおいておいて、谷口医院でこれまで処方してきたブイタマーの「成績」について述べていきましょう。
アトピーの治療の基本はシンプルであり、ルールはただひとつ、「リアクティブ療法→プロアクティブ療法」だけです。「リアクティブ療法」とはかゆいところにひたすらステロイドを塗りまくるだけの治療で、どれだけ重症のアトピーでも(全身が真っ赤に腫れあがり一睡もできないほどかゆい状態でも)1週間ステロイドを外用すれば治ります(ときどき「ステロイドをいくら塗ってもかゆみがゼロにならない」と言う人がいますが、それは外用量が少なすぎるからです)。
問題はこの後、つまり1週間のリアクティブ療法でかゆみと炎症がとれた後です。ここからは「プロアクティブ療法」となります。プロアクティブ療法とは一言でいえば「かゆくないところに薬を塗っていい状態を維持すること」、つまり「予防」です。プロアクティブ療法に使用できる薬が、これまでは3種ありました。プロトピック(タクロリムス)、コレクチム(デルゴシチニブ)、モイゼルト(ジファミラスト)の3種です。いずれも「先発品の名前(一般名)」で表記しています。尚、ここからは便宜上、プロトピックはタクロリムスと呼び(「タクロリムス」は一般名かつ後発品の名称です)、コレクチムとモイゼルトはそのままそのように呼びます(これらには後発品がありません)。
2024年10月28日まではアトピーのプロアクティブ療法はこれらの3種のうちのいずれかを、あるいは複数種を組み合わせて使用していたわけですが、10月29日からブイタマーがラインナップに加わって4種類のプロアクティブ療法専用の薬が出そろいました。尚、ステロイドをプロアクティブ療法として使用するという方法もあり、リアクティブ療法が終了した後、同じステロイドを(あるいはランクを落としたステロイドを)1日1回うすく塗ります。
医療機関によっては、タクロリムス、コレクチム、モイゼルトの3種もプロアクティブ療法だけでなくリアクティブ療法として使用するよう勧めているところもあるようですが、谷口医院ではこれらはあくまでもプロアクティブ療法として使用するよう助言しています。理想は「1週間以内のステロイドによるリアクティブ療法。これが人生最後のステロイド。その後はタクロリムス、コレクチム、モイゼルト、ブイタマーのいずれかで、または組み合わせてプロアクティブ療法をおこない一生かゆみとは縁がない」です。
谷口医院では、およその目安として、「発売後1年以内の薬は原則として処方しない」をルールとしているのですが、ブイタマーはいつのまにか例外となりました……。初回処方は乾癬の患者さんに対してでした。
乾癬の基本的な治療は「ステロイドによるリアクティブ療法→ビタミンDによるプロアクティブ療法」です。ただ、これができれば理想なのですが、実際にはそううまくいきません。ビタミンDが万人に効くわけではないからです。ステロイドによるリアクティブ療法がうまくいっても(こちらは全例でうまくいきます)、ビタミンDによるプロアクティブ療法に切り替えたとたんに悪化して、再びステロイド……、となってしまうことがしばしばあるのです。それで、しかたなくステロイドを少量使用するか、あるいは重症の場合はオテズラ(アプレミラスト)という「ホスホジエステラーゼタイプ4阻害薬」と分類される内服薬を使うか、生物学的製剤とカテゴライズされる非常に高価な薬(こちらは内服と注射があります)に踏み切ることになります。
つまり、プロアクティブ療法に使える薬が(ブイタマー登場前は)3種類あったアトピーに対し、乾癬はビタミンDの1種類しかなく、しかも全例で効かないのです。そういうケースでやむを得ずブイタマーを処方したのが谷口医院の第1号でした。この患者さんはオテズラも効かず、生物学的製剤を導入したのですが、効果は不十分でしかも免疫抑制の副作用に苛まれることになりました。そこでブイタマーを「ダメ元」で使ってみたのです。ダメ元という表現はブイタマーに失礼ですが、生物学的製剤が無効な乾癬が外用薬で改善するなどとは思ってもみなかったのです。
結果は、意外にも劇的に効きました。それまで何をやってもうまくいかず、生物学的製剤でも効果が乏しかった超難治性の乾癬がブイタマーでほぼ治ったのです。しかも、非常に興味深いことに、再発もしていないのです。通常、乾癬は一時的によくなったとしてもプロアクティブ療法をやめれば悪化します。しかし、この事例ではブイタマーを中止してみて数か月経過しても再発しないのです。一例だけで薬の評価をするわけにはいきませんが、「奇跡的に効いた」という表現があてはまります。その後調べてみると、米国の報告でも乾癬の場合はブイタマーで症状がとれた後は何もしなくてもきれいな状態が維持できる事例がいくつもあることを知りました。
ここまで劇的に効いた薬を放っておくわけにはいきません。タクロリムス、コレクチム、モイゼルトよりも値段が高いことを説明した上で、アトピーの患者さんにも処方を開始しました。結果、副作用で使えなかった人も少数ながらいるのですが、軒並み評価は良好です。ただ、費用が高すぎて(下記に示すようにタクロリムスの薬価の8倍以上です)、「使いたいけど使えない」あるいは「全身に使いたいけど顔面だけにする」という声が多いと言えます。
☆各外用剤の1グラムあたりの薬価
タクロリムス軟膏(プロトピック) 36.7円
コレクチム軟膏 143円
モイゼルト軟膏 146.3円
ブイタマークリーム 300.8円
ブイタマーが魅力的なのはその効果だけではなく「クリーム」であることも挙げられます。タクロリムス、コレクチム、モイゼルトはいずれも「軟膏」です。すなわちべとつきます。他方、ブイタマーはクリームなのでスキンケア感覚で使用できます。よって手だけにハンドクリームのように使用するという人もいます。ブイタマーをハンドクリーム代わりとはなんとも贅沢な気もしないではないですが、患者さんの満足度が非常に高いのは間違いありません。
ここまでをまとめると、ブイタマーはアトピーにも乾癬にも非常によく効く。副作用はゼロではないが、患者さんの評価は軒並み高い。ただし費用(薬価)が高いのが欠点、となります。
さて、ここからが今回のポイントです。ブイタマークリームがなぜアトピーと乾癬に効くのかというと、強力な抗炎症作用があるからです。加えて、強力な抗酸化作用もあります。メカニズムは非常に複雑ですが、少しだけ説明しておくと、まずブイタマーを皮膚に塗ると有効成分が芳香族炭化水素受容体(=AhR)と結合します。この「ブイタマー+AhR」が皮膚の細胞の核内に入り、特定の遺伝子に働きかけます。これにより、抗炎症作用、抗酸化作用、さらには皮膚バリア機能の改善も起こります。これによって皮膚のうるおいが維持され肌が丈夫になるのです。つまり、抗炎症作用のみならず、抗酸化作用、皮膚バリア機能改善効果で皮膚を若々しい状態に保つことが期待できるわけです。
上述したように、なぜ日米でこれだけの価格差があるのかは分かりません。例えばRSウイルスの予防薬「ベイフォータス」は日本の価格は米国の10倍以上もします(米国519.75ドル、日本906,302円)。これを考えると、価格差の理由のことなど気にせずにブイタマーの恩恵に預かった方がよさそうです。まず間違いなく美容クリニックなどでは若返りを希望する人に自費で販売されることになると私は予想しています。
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|2025年8月3日 日曜日
2025年8月 「相手の面子を保つ(save face)」ということ
前回のコラム「『人は必ず死ぬ』以外の真実はあるか」で述べたように、「知識をひけらかす人」はたいてい嫌われます。こういう人たちが滑稽に見えるのは、「とても格好悪いことをしていることに気付いていない」からです。
しかし「知識人」と呼ばれる人たちは、自分の知識を伝えることが仕事です。そして、広義には我々医師も「知識人」に含まれます。では、「(職業人として)知識を伝える」と「知識をひけらかす」の違いはどこにあるのでしょうか。
例えば、医師がプライベートの飲み会でうんちくを垂れ始めればたいてい嫌われることになります。しかし、学会で専門的な話のディベートになれば、言葉選びは慎重にしなければならないにせよ、きちんと理論整然と説明すればそれは知識のひけらかしではありません。
では診察室や病室で医師が患者さんに説明する行為はどのように考えればいいのでしょう。この場合、職業人としての説明ですから「知識を伝える」となりそうですが、ときに医師は「失敗」します。私は医学生の頃から、そんな失敗の数々をみてきました。先輩医師たちのそういう姿がとても勉強になったことを自負しているくらいです。
例を挙げましょう。心臓の症状に非常によく”効く”薬に「救心」があります。
患者:検査では心電図にもレントゲンにも異常がないと言われるんですけど、動悸がしんどいんですよ。救心を飲めばラクになるんですけど、私の病気は何なんですか?
医師:それは病気ではありません。救心が効くのは気持ちの問題です
患者:そんなことありません。救心は効くんです
医師:救心なんてものにはエビデンスがないんですよ。それは病気ではありません
患者:もういいです!
サプリメントや健康食品というものを医師は嫌うことが多いのですが、なかでも救心はそのトップにきます。私はこれまで医師が救心を否定する場面を数十回は見てきました。そして、お決まりのセリフが「エビデンスがない」。
これは医師の方が間違っています。「エビデンスがない」は便利な言葉で、一部の医師はこの一言で患者を黙らせることができると思っているようですが、「エビデンスがない」を示すのであれば、例えば二重盲検法などのエビデンスレベルの高い臨床試験を実施した結果「有効性がない」ことを証明しなければなりません。それができてはじめて「エビデンスがない」と言えるわけです。だから救心にはエビデンスがないのではなく、そもそも「エビデンスが検証されていない」が適切な表現です。
「病気ではない」も医師が間違っています。病気かどうかは「病気」の定義によって異なります。患者さんが動悸でしんどいのは事実です。しんどいわけですから少なくとも広義には「病気」と呼ぶことに問題はないはずです。自分の「ものさし」でみようとするから話が通じないわけです。
ちなみに私は医学生の頃から数えると、たぶん百人以上の患者さんから「救心は効く」と聞いています。そのため、検査で異常がなくて動悸や息切れでしんどいという人に救心を私の方から勧めることがあるくらいです。これはほとんどの医師からバカにされるでしょうが、実際に何割かは救心で症状が取れるわけで、これがバカな行為ならバカでけっこう、と思っています。という話を以前当院に来た研修医に話すと驚いていました……。
救心の例も含めて「知識をひけらかす」話者に常に共通しているのは「相手の気持ちが分かっていない」ことです。原則として、たいていどんなときも、まずは相手の気持ちを理解することに努めなければなりません。次に、その気持ちを理解していることを相手に理解してもらわねばなりません。つまり、目の前の相手に「ああ、この人は私が考えていることをきちんと理解してくれているんだな」と思ってもらう必要があるわけです。ここまできて初めて「知識を伝える」スタート地点に立つことができます。
結果として、目の前の相手が初めに考えていたことと正反対のことを伝えなければならなくなったとしましょう。例えば「救心で胸の症状が改善するそうだが、心電図に気になる所見がある。入院して精密検査が必要。しかし患者さんは入院を望んでいない」という場面に遭遇したとしましょう。
こんなとき「救心が効いていると感じるのは気のせいです。心電図に異常があるんだから入院して精密検査を受けてください」などと頭ごなしに言ってしまえば、患者さんはいい気持ちがしません。ときには反抗的になって「何があっても入院しません!」という態度になるかもしれません。わざわざ「気のせい」などという言葉まで使って患者さんの考えを否定することに意味はまったくないわけですが、なぜかこういうことを平気で言う医師がいます。
「相手を否定しない」、言い換えると「相手の面子を保つ」はこの社会で生きていく上で絶対に必要なマナーのようなものです。これは世界共通のマナーで、英語ではsave face、タイ語では(カタカナにすると)「ラックサー・ナー」(直訳すると「顔を守る」)となります。
個人的な体験になりますが、私がこの「相手の面子を保つ」の重要さを初めて身をもって知ったのは18歳の頃、アルバイトの場面です。当時旅行会社でアルバイトをしていた私は、ある日、神戸の三ノ宮駅で朝6時半からツアーのパンフレットを配布する役割を担っていました。パンフレットを駅前まで運ぶのは入社したばかりの社員の役割です。私を含めて合計5人ほどのアルバイトは全員遅れずに集まったのですが、待てど暮らせどその社員が来ません。その社員が来なければ肝心のパンフレットがないわけですから配布ができません。結局1時間ほど待っても社員は来なかったので我々アルバイトは何もせずに帰りました。
その日の夜、その会社の事務所に顔を出しました。ホワイトボードに日々のパンフレットの配布枚数が記載されていて、その日の三ノ宮の実績は当然「ゼロ」と書かれていました。これを見て社長から怒られるのは我々アルバイトです。このままではアルバイトがさぼったみたいです。そこで、私はそのホワイトボードに「〇〇さんが来なかったため」と書いたのですが、1つ上のアルバイトの先輩が立ち上がってそれを消し、さらに社長のところに赴いて「明日からまた頑張ります」と頭を下げたのです。私が「責任は社員の〇〇さんじゃないですか」と言うと、先輩は「社会っていうのはこういうもんや」とつぶやきました。このとき私は18歳で先輩は19歳。それから40年近くたった今も、私はその先輩を師と仰いでいます。
私見ですが、最近見事なsave faceを成し遂げたのが米国のトランプ大統領です。トランプ大統領についてはこのサイトでも否定的なことしか述べていませんし、私自身はまったく支持しませんが、イランに対する「外交」は見事でした。
2025年6月22日、米国空軍および海軍がイラン国内の複数の核関連施設に対し軍事攻撃を成功させると、翌日、イランは報復として、カタールの米軍基地に対してミサイルによる攻撃をしかけました。イランの被害が(諸説ありますが)かなり大きかったのに対し、イランの攻撃は最小限のものでした。しかし、米国のみならずイランも「勝利宣言」をしました。
つまり、トランプ大統領が非常にスマートにイランの「面子を保つ」ことに成功したのです。もしもイランが「戦争に勝った」と言うことができなければ、国民の支持を一気に失い、もしかするとやけくそになってイスラエルや米国に核戦争をしかけたかもしれません。繰り返しますが、私はトランプ大統領を一切支持しません。ですが、戦争という極めて難易度の高い交渉においてこれだけ見事に「相手の面子を保つ」ことに成功したことは賞賛されるべきだと思います。
政治家だけでなく我々一般人にも「相手の面子を保つ」に注意しなければならない場面はいくらでもあります。ついつい上から目線になってしまいがちな知識人は特に注意をしなければなりません。自分の価値観で、あるいは自分の「ものさし」で考えを押し付けてはいけません。
最後に、最近、御堂筋の「北御堂」の階段に掲げられていた掲示板の写真を張り付けておきます。
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|2025年7月31日 木曜日
2025年7月31日 砂糖入りだけでなく「人工甘味料入りドリンク」もアルツハイマー病のリスク
「認知症のリスク」と言えば、2024年8月以降最も注目されているのが「LDLコレステロール」です。なにしろ、それまでほとんどノーマークだったこのありふれた項目が、血圧、喫煙、飲酒、糖尿などを差し置いて「アルツハイマー病の最大のリスクだ!」と言われるようになったのですから(参考:はやりの病気第253回(2024年9月) 「『コレステロールは下げなくていい』なんて誰が言った?」)。
ですが、アルツハイマー病はできるだけ回避したい疾患ですから他のリスク因子にも注意する必要があります。最近注目されているのが「甘い飲み物」で、医学誌「Aging & Mental Health」2025年6月13日号に掲載された論文「砂糖および人工甘味料入り飲料とアルツハイマー病リスクの関連性:前向きコホート研究の系統的レビューと用量反応メタアナリシス(The association between sugar- and artificially sweetened beverages and risk of Alzheimer’s disease: systematic review and dose-response meta-analysis of prospective cohort studies)」で紹介されています。ポイントは次の通りです。
・「砂糖入りドリンク」の摂取量増加とアルツハイマー病リスク上昇には有意な関連がある(相対リスクは1.49)。たくさん飲めば飲むほどリスクが上昇する
・「人工甘味料入りドリンク」も同様に相関する(相対リスクは1.42)
・砂糖も人工甘味料も入っていないドリンクではアルツハイマー病との関連はない
************
砂糖または人工甘味料が加えられたドリンクは一切飲まないのが一番です。具体的には、缶コーヒー、砂糖の入った紅茶、コーラ、サイダー、ポカリスエットなどのスポーツ飲料水、果汁100%でないフルーツジュースなどです。さらに、栄養ドリンクも要注意です。
リポビタンDの場合、なぜか日本の製品やウェブサイトには記載されていませんが、タイのサイトには砂糖含有量が記されています。リポビタンD1本(100mL)あたりなんと18グラム! これはウェブサイトに誤った数値が書かれたわけではありません。その証拠にタイで販売されているリポビタンDの写真(下記)が掲載されています。この写真にはたしかに「炭水化物21グラム。そのうち砂糖が18グラム」と書かれています。一般に、角砂糖1個が3グラム程度とされていますから、リポビタンDを1本飲めばそれだけで角砂糖6個にもなります。
尚、人工甘味料についてはメルマガで好評だったために毎日メディカルで取り上げましたのでこちらもご参照ください(無料です)。
毎日メディカル2025年6月9日「カロリーゼロでも太る? やせたいなら、食べてはいけない『人工甘味料』」
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|2025年7月27日 日曜日
2025年7月27日 コロナワクチンが救ったのは1440万人ではなく250万人
2021年のあの狂乱を覚えているでしょうか。救世主のように登場した新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)のワクチンを大多数の国民が奪い合うように求めていたあの異常な状態を。
その後、オミクロン株が流行し始めた頃あたりから、コロナワクチンの有効性を疑問視する声が増え始めました。しかし、それまでは有効であった、しかも劇的に有効であったことはいくつもの研究が示しています。よって、オミクロン株が日本で流行し始めたのは2022年の初頭くらいですから、「2021年には、つまりワクチンが登場した年には、高い効果を有していた」のは事実ということになります。ただし、「有効だと示した研究が正しければ」ですが……。
コロナワクチンが有効であることを示した論文は多数ありますが、最も有名な1つをここで紹介しましょう。「THE LANCET infectious diseases」2022年9月に掲載された「コロナワクチン接種1年目の世界的な影響:数理モデル研究(Global impact of the first year of COVID-19 vaccination: a mathematical modelling study)」です。下記のグラフを見れば一目瞭然です。
黒の実線が実際にコロナ関連で死亡したと考えられる人数で、赤の実線がワクチンをうっていなかったときの死亡者の予測数です。コロナワクチンが世界中の大勢の人々を救ってきたことが分かります。この論文によるとワクチンで救われた人は世界中に1440万人もいます。
この「ワクチンで救われた1440万人」という数字に聞き覚えのある人もいるかもしれません。数字の出処はおそらくこの論文です。この「1440万人を救った」という”事実”はWHOのサイトにも記載されています。
では、コロナワクチンは今でこそ効果が見劣りしてきているけれど、2021年の頃には大勢を救ったメシアのような存在だったのでしょうか。
実は最近、コロナワクチンはこれまで言われていたほどには効果が高くなかったのでは?と、有効性に疑問を呈する論文が発表されました。「JAMA Network」につい最近掲載された「2020年から2024年にかけてコロナワクチンで救われた命と生存年数の世界推定(Global Estimates of Lives and Life-Years Saved by COVID-19 Vaccination During 2020-2024)」です。
この論文によると、「世界の1440万人を救った」とするような初期に発表された論文では、コロナによる致死率の前提が悲観的と呼べるほど過度に高く、ワクチンの有効性は楽観的なほど過度に高く推定されていた、とのことです。では、この論文からポイントをまとめてみましょう。まず表を示します。
ポイントをまとめると次のようになります。
・コロナワクチンが救った命は1440万人(2020年12月8日から2021年12月8日の間)からはほど遠く、実際には2020年から2024年までで250万人
・ワクチンで救えた10人のうち9人は60歳以上(89.6%)。10人中7人は70歳以上。ワクチンで命を救えた20歳未満は(世界中で)わずか299人。全体の0.01%(ワクチンで救えた1万人のうち20歳未満は1人だけ)。20~30歳では1,808人で、全体の0.07%(ワクチンで救えた1万人のうち7人が20~30歳)(*注)
・5,400回ワクチンが接種され1人の命が救われた。30歳未満でみれば、1人の命を救うために10万回のワクチンが接種された
この論文よると、これまでコロナワクチンは世界中で合計136億4千万回使用されています。その結果、救えた命は250万人、30歳未満でみると2千人ちょっとです。その2千人に入った(かもしれない)人は胸を撫でおろしているかもしれませんが、では、ワクチンが原因で死亡した、あるいは重篤な後遺症を残した人はどれくらいいるのでしょうか。
年代ごとのデータは見当たりませんが、日本だけでも、厚労省の資料によると、2024年6月の時点でワクチン被害に対する厚労省の「進達受理件数」が11,305件です。「進達」の意味がよく分かりませんが、被害者が申請して受け取ったという意味だと思います。ということは受け取ってもらえなかった、あるいは初めから諦めて申請していない人は含まれていないわけです。
他国をみてみると、英国では17,500人以上が、ワクチン接種によって自身または家族が被害を受けたとして政府のワクチン被害補償制度に申請しています。
過去にも述べたことがありますが、国を挙げてコロナワクチンに狂乱していた2021年のあの夏、私はメディアに「コロナワクチンはうってもうたなくてもリスクがある」という旨のコラムを書きました。すると、このコラムが炎上し、「お前は非国民か!」と言わんばかりのクレームが多数寄せられました。しかも、匿名の医師からのものも複数ありました。
当時、ワクチン推進派の医師たちは「同居するおじいちゃんやおばあちゃんを守るためにワクチンをうとうね」などと子供に呼び掛けていました。彼(女)らはそんなことを言っていた自分の過去を今どのように考えているのか聞いてみたいものです。
************
注:ワクチンで命を救えた20歳未満は表でも299人とされていますが、その内訳を合計するとなぜか298人になります。20~30歳もやはり表では1,808人とされていますが、内訳の合計は1,807人となります。この差の原因は論文を読んでも分かりませんでした。
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|2025年7月21日 月曜日
第263回(2025年7月) 甲状腺のがんは手術が不要な場合が多い
新型コロナウイルスが流行しはじめて間もない頃、まだほとんどのクリニックが発熱外来を実施しておらず、遠方から当院を受診する患者さんが少なくありませんでした。「他に診てもらえるところがない」という理由で、40代のある女性が大阪南部のある市からはるばるやってきました。風邪症状は大したことがなく、コロナの検査も不要であることを説明し、これには納得されたのですが、問診時に気になることがありました。
「最近、近くのクリニックで甲状腺がんが見つかって手術する予定」と言います。「手術は半年先と言われているが、そんなに遅くて大丈夫なのか不安」、さらに「大きさは6mmと言われている」とのこと。
「手術は急いで実施する必要がなさそうで、サイズはわずか6mm……」、本当に手術が必要なのか、気になります。しかし、我々医師には「前医を批判してはいけない」というルールがあります。もしも、「そのがんはおそらく手術不要です。その医療機関には二度と行かない方がいいですよ。こちらでフォローします」などと言えば大問題になります。まして、この女性は当院を初診、しかも風邪症状での受診です。
私は「手術についてもう一度説明をしてもらえばどうでしょうか」と答えましたが、女性の心配事項は私と正反対でした。「がんなんだから早く手術してほしい」が彼女の思いでした。
この女性の「思い」はもっともです。がんなら早期治療(つまり早期の切除)が原則です。しかし、甲状腺がんはその「例外」となります。少し詳しく解説していきます。まず、甲状腺がんはおおまかに次の4種類に分類できます。
#1 乳頭がん
#2 濾胞(ろほう)がん
#3 髄様がん
#4 未分化がんまたは低分化がん
このなかで9割以上と大部分を占めるのが#1の乳頭がんで、これは生涯にわたり手術をしなくてもいいか、または手術をするにしても発見から長期間経過してからすべきがんです。病理学的には(細胞を顕微鏡で評価すると)乳頭がんは列記としたがんなのですが、このがんは例外的に進行が極めて緩徐で、たいていは放置しても問題ありません。
「がんを放置していい」などと言われると戸惑う人も多いでしょうから、エビデンスを示しましょう。これをクリアカットに説明するのに最適な論文が韓国から発表されています。2014年に医学誌「The New England Journal of Medicine」に掲載された論文「韓国における甲状腺がん”流行” ― スクリーニングと過剰診断(Korea’s Thyroid-Cancer “Epidemic” ? Screening and Overdiagnosis)」です。
この論文、本文はわずか67行。しかも文章は平易で医師でなくても読めるコンパクトなものなのですが、内容は衝撃的です。興味がある人は是非読んでみてください(ただし有料です)。この論文のポイントは「韓国では甲状腺の超音波検査をどんどんやったおかげで早期発見が相次いだ。そして積極的に手術を実施した。しかし甲状腺がんで死亡する人は、まったく減っていない」というものです。グラフをみれば明らかでしょう。
甲状腺がんの”発症率”は極端な右肩上がり、2000年頃から急激に増えています。1993年には人口10万人あたり5人未満で、2011年には70人近くにまで増えていますから10倍以上になっています。ところが、甲状腺がんの死亡率をみてみると(グラフの一番下の緑の線)、人口10万人あたり1人程度で、昔からほとんど変わっていません。
つまり、韓国では甲状腺のスクリーニング検査に力を注ぎ、どんどん患者をみつけ、どんどん手術をしたけれど死亡率は変わらなかった。要するに全体的な視点、公衆衛生学的な視点からみれば「検査するだけ無駄だった」、そして「無駄な手術を大量に実施した」というわけです。
では、なぜそのようなことが起こったのかというと、「がんのほとんどが乳頭がんだから」です。上記のグラフをもう一度よくみてください。右肩上がりの甲状腺がんの”発症率”のすぐ下にも同じような点線があります。これが「乳頭がんの発症率」です。このグラフをみれば「甲状腺がんのほとんどは乳頭がん」ということが分かります。
甲状腺乳頭がんがどれくらいありふれたものかを確認するために他の論文をみてみましょう。フィンランドのある研究では合計101例の剖検(死亡者の解剖)での所見が調査されています。結果、101例の死亡者のなかで、甲状腺乳頭がんがあったのは36例(35.6%)、つまり3人に1人以上で乳頭がんが見つかったのです。しかも有病率は年齢と相関しなかった(高齢になれば有病率が上がるわけではない)というのです。
フィンランドには若年者に限定して調べた研究があります。40歳未満の小児および若年成人93名の剖検例から得られた甲状腺を調べたところ、13人(14%)に乳頭がんが見つかりました。
もうひとつ、別の論文をみてみましょう。こちらはこれまでに発表された年齢別のデータがある16件の研究を総合的に解析した研究です。剖検総数は6,286件で、乳頭がんの有病率は12.9%でした。年齢別のデータを見ると、40歳以下で11.5%、41~60歳は12.1%、61~80歳では12.7%、81歳以上は13.4%と大差なく、特に高齢になってから発症するがんではないことが分かります。このことから、甲状腺乳頭がんは、加齢とともに発生が増えるがんとは異なり、「若いうちに発生してほとんど進行しない」ことが分かります。
では実際にはどうすればいいのでしょうか。今まで述べてきたことは全体の視点、あるいは公衆衛生学的な視点からです。韓国のような検査方法は正しくなくて、医療費の無駄であることが分かります。手術をしてしまえば、ほとんどの例で生涯にわたり甲状腺ホルモンを飲み続けなければなりません。もちろん、手術には合併症(神経を切断してしまったり、副甲状腺を破壊してしまったり、といった後遺症を残すものが多い)のリスクもあります。
ただし、甲状腺がんのスクリーニング検査を受けて早期発見、早期治療が功を奏して「放っておけば死に至る甲状腺未分化がんを根治できた」という人も少数ながら(かなり少数ではありますが)存在するわけです。ということは、「その少数に入るのはイヤだから検査を積極的に受けたい」という考えの人もでてきます。
ならば、スクリーニング検査(超音波検査)で「乳頭がんかそれ以外のがんを正確に見極めればいい」ということになり、これはまったく正しいと言えます。しかし、それが極めて困難なのです。当院でも「乳頭がんと思われるが、他のがんも否定できない」という事例がときどきあります。そんなときは針生検(そのがんに直接針を刺して一部の組織をとる検査)目的で大きな病院を紹介することになります。ここで乳頭がんであることが分かり、「手術は不要です」となることも多いのですが、針生検をしても結局「乳頭がんであることを保証できない(未分化がんなど手術しなければならないがんの可能性もある)」と判断される場合もあって、この場合は手術せざるを得ません。
そういうわけで甲状腺がんというのは実に医療者を悩ませるがんなのです。しかし、やはり早期発見は重要です。谷口医院ではがんが疑わしい場合にはだいたい半年に一度くらい超音波検査を実施し、前回との「差」を見極めて、針生検に進むかどうかを検討しています。
************
参考:毎日メディカルの谷口恭のコラム
2025年7月9日「早期発見・早期手術も、変わらない死亡率 それでも続ける?原発事故後の甲状腺がん検査」
2025年7月16日「いまも続く福島県の甲状腺がん検査 国際的な評価は--?」
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