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2025年4月27日 日曜日

2025年4月28日 認知症予防目的に帯状疱疹ワクチン

 「はやりの病気」第258回(2025年2月)「認知症のリスクを下げる薬」で、「帯状疱疹のワクチンが認知症のリスクを下げる」という話をしました。最近、それを補強する研究が公表されたこともあり、ここでもう少し詳しく掘り下げたいと思います。

 科学誌「Nature」2025年4月2日号に掲載された論文によると、生ワクチンの接種で女性の認知症のリスクが約2割下がります。

 この研究が興味深いのは英国ウェールズのワクチンプログラムに基づいているからです。通常「〇〇のワクチンを接種すると△△の発症リスクが下がる」と言われても、そのまま鵜呑みにはできません。なぜなら、そもそもワクチンを接種する人は日頃から健康意識が高いことが多く△△に対する予防行動もとっている可能性があるからです。

 今回の研究で使われたワクチンプログラムは(拒否しなければ)該当者は誰もが(たぶん)無料で受けられるものです。 2013年、ウェールズ政府は1933年9月2日以降に生まれた人々に対し、弱毒生帯状疱疹ワクチンの提供を開始しました。この日付の直前と直後に生まれた人々を比較することで認知症のリスクを検討することができます。この研究では1925年9月1日から1942年9月1日の間に生まれた28万人以上の認知症診断が追跡調査されました。

 女性については結果があきらかでした。研究者によると、認知症発症のリスクがおよそ2割減少しました。他方、残念ながら男性にはその効果が認められませんでした。

女性は生ワクチンを接種すれば認知症発症リスクが約2割低下する

 

男性は効果がない

 

 もう1つ研究を紹介しましょう。冒頭で紹介した「はやりの病気」でも紹介した2024年7月に「nature medicine」で発表された研究です。

 こちらの対象者は米国民です。米国では2017年に帯状疱疹のワクチンが生ワクチンから組換えワクチン(不活化ワクチンの一種)に全面的に変更されました。その前後で帯状疱疹の発生率のみならず、認知症の発症率がどの程度変化したかが調べられたのです。結果は下記グラフの通りです。

組換えワクチンに切り替わった2017年以降帯状疱疹発症率が低下した

 

 

2017年以降、認知症の発症も減少した

 

研究者によると、組換えワクチンは接種後6年間の認知症リスクが生ワクチン接種時よりも有意に低いことがわかりました。さらに女性の方が男性よりも効果が高かったとされています。

 ただし、帯状疱疹ワクチンがなぜ認知症のリスクを下げるのか、その理由はいまだ解明されていません。

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 なぜ、帯状疱疹のワクチンが認知症のリスクを予防するのか。ものすごく単純に考えれば「水痘帯状疱疹ウイルスが認知症の原因のひとつだから」となります。

 しかし、現在認知症の原因は「アミロイドβ蛋白、またはタウ蛋白の蓄積」とされています。「それは間違っている。実は感染症が認知症の原因だ!」などと言えば馬鹿にされるだけです。しかし、私自身は認知症の一部は感染症によるものではないかと本気で考えています。いずれその考えを公開したいと思います。 

 

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2025年4月10日 木曜日

第260回(2025年4月) 人工甘味料はなぜ太るのか

 2021年5月に開始したメルマガは、患者さん(というよりもこのウェブサイトを閲覧している人)と、メルマガ読者から寄せられる質問から成り立っています。メルマガで質問に回答すると、それに対してさらなる質問や感想が寄せられることも多く、意外な「回答」に反響が大きいことがあります。今回取り上げる「人工甘味料」もそのひとつで、大勢の方から感想や相談をいただきました。そこで今回の「はやりの病気」はこのテーマを取り上げたいと思います。

 発端となったのは「コーラゼロを飲んでいるのになぜやせないのか」という読者からの質問でした。この質問は我々の立場からみれば珍しい類のものではなく、言わば「定番の質問」であり、谷口医院をオープンした2007年から、少なく見積もっても100人以上の患者さんから診察室で尋ねられています。

 では、私は最初から的確な回答をしていたのかというと、そうではありませんでした。以前私が答えていたのは「やっぱりオリジナルのコーラの方が美味しいから満足度は高いし、砂糖がたっぷり入っているからそれ以上身体に悪いものは摂らないようにしようと考える。他方、コーラゼロなら”罪悪感”がないから、他のジャンクフードに手がでやすいんじゃないですかね」という感じのことです。

 なんと非科学的な……、と思われるかもしれませんが、その後の研究で、この私の「仮説」はまんざら間違っていないことが分かってきました。ちなみに、私自身もコーラは大好きですが「コーラゼロ」にはまったく興味がなく、いつもオリジナルのものを選びます。もしも瓶入りのコーラが売られていれば、缶には見向きもせず瓶をとります。瓶の方がずっと美味しい(と思う)からです。ただし、瓶入りでも缶入りでも健康に悪いのは分かっていますからせいぜい月に1本程度しか飲みません。

 なぜ人工甘味料が太りやすくなるのか、その理由を述べる前にまずは代表的な人工甘味料にはどのようなものがあるかをみていきましょう。おそらく人工甘味料で最も有名なのは”歴史”のあるサッカリンだと思うのですが、最近はほとんど聞かなくなりました。この理由ははっきりしませんが、おそらく「発がん性が広く知れ渡ったこと」と「(下記に述べる)他の人口甘味料が主流になったこと」でしょう。現在、飲料品などに最もよく使われている人工甘味料は次の3つだと思います。いずれもショ糖(砂糖)の〇百倍などと形容されます。尚、「コーラゼロ」には#1と#2が使われています。

#1 スクラロース
#2 アセスルファムカリウム
#3 アスパルテーム

 人工甘味料に反対する人は、その理由としてしばしば「発がん性」を挙げます。上述したようにサッカリンが人気をなくしたのもおそらくそれが原因でしょう。そして、これら3つについてもやはり発がん性がよく指摘されます。しかし、これらはすでに数多くの飲料品や食品に使われていますが「全面的に禁止しよう」という流れにはなっていません。よって、たとえ発がん性や毒性があるにしてもそれは程度の問題となります。それに、あきらかに「人工甘味料が原因で〇〇がんになった」人や、そういう人を知っているという人もほとんどいないでしょうから「人工甘味料はがんの原因になるからやめましょう」はそれほど説得力がありません。むしろ、「少々のがんのリスクを抱えてもカロリー摂取量が減ってやせられるのならそちらを取る」という人も少なくないでしょう。

 人工甘味料を摂取すべきでない理由は、上述したように「太るから」です。これは一見矛盾しているように聞こえるでしょうが、それを証明した研究も複数あります。例えば、2021年に医学誌「JAMA」に掲載された論文があります。南カリフォルニア大学ケック医大の研究者らが主導したこの研究では、スクラロースを含む飲料は「食欲を亢進」させることが示されました。スクラロースを摂取した被験者は、ショ糖(砂糖)を摂った被験者に対して、体内のホルモンの分泌量や脳の活性部位の分析結果から食欲が亢進していたことが分かったのです。

 似たような研究が最近も発表されました。75人の若年者を対象とし、スクラロース、ショ糖、水のいずれかを摂取します。スクラロースを摂取すると、ショ糖摂取時に比べ、視床下部(脳の食欲を調節する部位)の血流が増え、空腹を感じやすくなったのです。また、水(だけ)を飲むと満腹感は得られませんが、興味深いことに、スクラロースを摂取したときにも空腹感は水のときと変わっていなかったのです。ショ糖を摂取すると血中の血糖値は(当然)上昇します。ショ糖が分解されるとグルコースとフルクトースになり、フルクトースも一部はグルコースに代謝されるからです。ところが、スクラロースの場合は血糖値が上昇しません。だから太らずにダイエットできると宣伝されているわけです。

 血糖値が上がらなければインスリンが分泌されず、結果としてカロリーが細胞に取り込まれることはありません。にもかかわらず太るのはなぜなのか。人工甘味料を摂取したときの私の考えるストーリーは次の通りです。

・舌に分布する味覚細胞:人工甘味料を感知して「甘いものが取り込まれたこと」を脳に伝える

・脳:「甘いもの=カロリーの高いもの」と認識し、「カロリーが吸収されたこと=血糖値が上昇したこと」を確認した上で満腹中枢を作動させて食欲を減らそうとスタンバイする

・小腸:甘いものが取り込まれたと聞いて、グルコースを吸収するようスタンバイしていたが一向にグルコースがやってこず取り込めない。結果、血糖値が上がらない

・脳:血糖値が上がらないため、満腹中枢を作動させる発令を中止せざるを得ない。このままではカロリー不足になるかもしれないと考え、逆に空腹中枢に働きかけ「もっと食べるように」と指示を送る

 かくして、甘いものを摂取したのに満腹中枢ではなく空腹中枢が動き出してしまうのです。これが、私が考える人工甘味料を摂ったときに太るストーリーです。

 そして、実はこのことは難しい医学論文を読まなくても2日あれば簡単に証明することができます。興味がある人は実践してみてください。まず1日目の夕食時、食事を摂る前にオリジナルのコーラ500mL(350mLでも可)を飲んでみてください。20分ほどしてからご飯を食べてください。翌日、今度はコーラゼロを同じ量飲んで同じ時間をあけてからご飯を食べてください。夕食で食べる量(食べたい量)が異なることが分かるでしょう。

 では、コーラゼロではなく、オリジナルコーラを食前に飲むと食事の量が減るからやせるのかというと、残念ながらそういうわけではありません。空腹時に砂糖を摂取すると一気に高血糖となり、インスリンが大量に分泌され、その結果グルコースが脂肪細胞に取り込まれ、さらに中性脂肪として蓄えられます。空腹時に一気に血糖値を上げるのは危険だと考えるべきです。

 ではやせるにはどうすればいいか。興味がある人は「3日目の実験」をしてみてください。3日目は単なる水またはお茶を飲みます。可能なら500mL以上、1リットルでも飲んでみてください。そして、その後ご飯を食べてみてください。オリジナルコーラのときほど顕著ではないかもしれませんが、普段より食べる量が減らなかったでしょうか。実はこの「水ダイエット」、過去のコラムで紹介したことがあるのですが、有効性が高い割に誰も話題にしません。面白みがないですし、誰も儲からないからでしょう。

 ですが、「水ダイエット」こそ、誰でも簡単に安全に、そしてコスト(ほぼ)ゼロでできるダイエット法なのです。ダイエットに興味のない人はやる必要がありませんが、やせたい人もそうでない人も人工甘味料には手を出さないのが賢明です。脳を“だまして”いいことはありません。

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2025年4月10日 木曜日

2025年4月10日 ビタミンAの過剰摂取に注意

 2019年の国民健康・栄養調査では、日本人のビタミンAの摂取量は大幅に少ないことが明らかにされています。男性の摂取量の平均は552ugRAE/日、女性は518ugRAE/日です。必要量は、成人男性で850~900ugRAE/日、成人女性で650~700ugRAE/日ですから、男女ともかなり不足していることが分かります。

 では、サプリメントで補えばいいのか、と考えたくなりますが、現在米国では大変な事態となっています。報道によると、テキサス州ではサプリメントの過剰摂取で「ビタミンA中毒」を起こして治療を受けている子供が増えているのです。

 なぜ、このようなことが起こっているのか。麻疹(はしか)のワクチンをうたなくなったからです。ロバート・F・ケネディ・ジュニア(RFK Jr)保健相の影響を受けて、ワクチンを拒否する人たちが増え、現在テキサス州を中心に麻疹が流行しています。そこで、その予防や治療にビタミンAを内服する人たちが急増し、その結果ビタミンA中毒が相次いでいるというわけです。

 たしかに、麻疹に感染するとビタミンAを治療に使います。ですが、摂取量が過剰になると、頭痛、吐き気、嘔吐、肝機能障害などが起こります。妊娠中に過剰摂取すると新生児の先天異常のリスクとなります(ビタミンAの外用薬が妊娠中に使えないのはそのためです)。

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 栄養調査で「日本人は不足している」と言われ、「サプリメントなどで摂りすぎると危険」と忠告されればいったいどうすればいいのでしょうか。「適量を摂りましょう」とはよく言われるセリフですが、そもそも自身のビタミンAの摂取量は不足しているのか足りているのか、あるいは食事からすでに摂りすぎていないかなどについてはどうやって把握すればいいのでしょう。

 それを調べるには血液検査しかありません。しかし、ビタミンAの血中濃度測定は保険適用がなく自費で実施するしかありません。そして、費用は安くありません(当院の場合3,300円)。ですが、健康の意識が高い人は受けています。これからの時代、ビタミンDや亜鉛などと共に、日本人に不足しがちな栄養素はお金をかけても定期的に調べるべきなのかもしれません。

 

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2025年4月6日 日曜日

2025年4月 階上キックボクシングジム振動裁判は谷口医院の全面敗訴

 2021年1月に突然始まった階上キックボクシングジムによる振動による被害の裁判は谷口医院の全面敗訴となりました。今回はこの経緯を紹介します。別のページにもまとめていますが、まずはこれまでの経緯を簡単に振り返っておきましょう。

 谷口医院がオープンしたのは2007年1月で、大阪市北区太融寺町4丁目の「すてらめいとビル」の4階にありました。2021年1月中旬までの約14年間は平和に診療を続けていました。2018年6月18日に発生した「北摂地震」では棚に置いていた物が落ちるといった程度の被害はありましたが、人災はもちろん自然災害による被害もありませんでした。

 ところが、2021年1月中旬、5階にキックボクシングジム「リフィナス」がいきなり入居してきて激しい振動をまき散らし始めました。入居前にも入居後にも一切の挨拶はなく、これまでいろんな業者がそのビルに入居してきましたが、何の挨拶もないこんなにも非常識な会社や組織は他にはありませんでした。

 壁や天井が揺れる振動が起これば診療を中断せざるを得ません。新型コロナウイルス感染症(以下、単に「コロナ」)を疑い受診した患者さんたちは、他に診てもらえるところがないと言い、這いつくばるようにやってきていました。そこで激しい振動に襲われるわけですからたまったものではありません。キックボクシングジムとビルの管理者に連絡し、繰り返しお願いをして話し合いの場をもってもらいました。

 ところが、やってきたリフィナスの社長はいかにも「仕方がないから来てあげた」という態度でまともな話ができるような人間ではありませんでした。常に上から目線で「クリニックごときがごちゃごちゃ言うな!」という態度です。ビルの方も、こちらとしてはそんなジムを入居させたわけですから社長に出て来てほしかったのですが、社長はどこかに姿をくらまし、やってきた社員は建築の知識が一切ない素人で、何を聞いても「私には分かりません」としか言いません。まるで話になりませんでした。

 それでも話し合いを重ねて、振動のせいでヒビが入った壁や天井を見せて、なんとか「防振工事をする」という約束を文書で取り付けました。しかし、その後リフィナスの弁護士から手紙が届き「やっぱり工事はやりません」とのこと。弁護士も「たかが壁にヒビが入る振動程度で文句を言うな!」とう態度です。

 こうなると、もはや診察は続けられません。リフィナスもすてらめいとビルも話し合う気がないわけですから、これ以上粘っても無駄でしょう。このときにも一瞬裁判を起こそうか……、と考えましたが、まともな相手ではありませんからさっさと身を引いた方が得策だと判断しました。

 そこで移転先を探し始めました。ところが、当時はコロナが猛威をふるっており、ほとんどの貸しビル業者から「発熱患者を診るなら貸さない」と言われました。

 医療モールは裏切らないだろうと思って申し込むと「是非入居してください」とのこと。これで救われた、と思ったのですが、その医療モールに入っている複数のクリニックから「谷口医院がくれば競合するから来ないでほしい」と言われ話は流れてしまいました。当院としては「競合」ではなく「協力」したかったのですが、聞き入れてもらえず話し合いの機会すら拒否すると言われてしまいました……。

 しかし移転以外に道はないわけですから、その後も場所を広げて探し回ったのですが見つからず、さらに振動が、頻度は減ったものの(これはおそらく客が減ったからでしょう)、突然大きな振動に襲われるようになり、針刺し事故のリスクが上がっていきました。

 振動が起これば、聴診、触診、レントゲン、内診(婦人科的な診察)、超音波、呼吸機能検査、心電図など多くのシーンで診療中断を余儀なくされます。そして、最も危険なのは採血や点滴の針を刺すときです。振動で手指がぶれるのは我々だけではなく、突然の振動で患者さんが腕を動かすことがあります。これが危ないのです。

 針が患者さんの血管ではなく神経に触れれば生涯にわたり痛みが残ることがあります。いったん患者さんに刺した針が自分の手指に刺されば院内感染のリスクが生じます。あるとき、ある看護師が採血をしているときに、突然の振動が起こり患者さんが腕を動かし、針刺し事故寸前となりました。この患者さんはHIV陽性でした。この報告を看護師から聞いたときに「移転先探しにこれ以上時間をかけられない。閉院しかない」と決心しました。

 そして2023年1月4日、このサイトで「閉院」を発表し、受診された患者さんにはその旨を説明し新たな受診先を紹介し始めました。ところが「閉院は困る」という患者さんが思いの他多く、診察室で泣き始める患者さんが後を絶たず、なかには泣きながら「わたしが必ず移転先を見つけます!」と言って、実際に街中を歩き回って空き物件を探しに行ってくれた人もいます。そんなある日、当院に長年通院している不動産業を営む患者さんから「物件が見つかりました!」という報告を受けました。それが現在診療をしている谷口医院のビルです。

 裁判で我々が最も訴えたのは「針刺し事故を起こすわけにはいかなかった」という点です。裁判所でそのリスクを認めてもらうには、まず振動があったことを物証をもって示さねばなりません。そこで建築士に依頼して1週間分の振動を測定してもらいました。週に何度か64dBを超える振動が記録されていました。そして、その振動は階上キックボクシングジムが起こしたものだということを裁判所が認めました。これで我々の主張が受け入れてもらえるだろうと思ったのですが、当院の弁護士はそれではふじゅうぶんかもしれないと言います。「突然生じる64dBを超える振動で針刺し事故が起こるリスク」の証拠を示さねばならないとのことです。

 しかし、どの程度の振動下で針刺し事故が起こるか、などを調べた研究はありません。医療行為は振動がない環境でおこなうのが前提だからです。どうすべきかと悩んでいたところ、思ってもみなかった著名な医師が連絡をくれました。神経内科の大御所でEBM(evidenced based medicine)の大家であり、かつては厚労省で勤務されており、現在は法務省の矯正医官をされている池田正行先生が「裁判で振動のリスクについて証言してくれる」と言ってくれたのです。これで針刺し事故のリスクが実証できます。

 裁判では、まず池田先生への尋問がおこなわれました。相手側の弁護士は池田先生に答えようのない質問をします。例えば「あなたはEBMに詳しいそうですが、それが振動となんの関係が?」などです。池田先生にわざとイライラさせて、裁判官の心証を悪くするのが狙いなのではないかと感じられました。しかし池田先生は最後まで冷静に対応してくれました。

 次いで私自身への尋問がおこなわれたのですが、相手側の弁護士はこちらが主張している医療行為が中断された話には一切触れません。そして、「振動が始まったのは2021年1月ではなく2020年11月ではないのか」などとよく分からない質問をしてきました。私が繰り返し「2022年1月からです」と答えると「いつからなんだ!」突然怒鳴られました。終始訳の分からない時間でした。

 そして、結果は谷口医院の全面敗訴。弁護士から送られてきた判決文を読むと、なんと医療行為には一切触れられておらず、最重要事項の針刺し事故については「針」の文字すら出てきません。しかも池田先生の証言についてもまったく触れられておらず、「池田」という名前すら見当たらないのです。

 「64dBの振動が突然起こる環境のなかでの針刺し事故のリスクは医療者が背負え。振動を起こす者にも振動を起こす者を階上に入居させた者にも責任はない」が日本の司法の判断だというわけです。

 

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2025年3月23日 日曜日

2025年3月24日 魚の油のサプリメントは無効

 魚の油が心血管疾患の予防になることが確立されたのは2002年に医学誌「Circulation」で論文「Fish Consumption, Fish Oil, Omega-3 Fatty Acids, and Cardiovascular Disease」が公開されたときだとされています。そして、この論文が発表されてからも、魚の油が心血管系疾患の予防に、あるいは炎症性疾患や神経疾患など他の疾患にも良いとされる研究が相次いでいます。

 今回はその魚の油は「サプリメントで摂っても意味がない」ことを示した研究を紹介したいと思います。しかし、その前に言葉の整理をしておきましょう。ω3(脂肪酸)、DHA(ドコサヘキサエン酸)、EPA(エイコサペンタエン酸)などの区分がよく混乱されるからです。しかし、この理解は実は簡単で「魚の油≒ω3脂肪酸≒DHA≒EPA」と考えて差支えありません。

 では2つの研究を紹介しましょう。

 糖尿病患者15,000人以上を対象とした無作為化試験で、ω3サプリメントを摂取した人と摂取しなかった人の間で、重篤な心血管イベントのリスクに有意な差はありませんでした。

 25,000人以上が参加した別の無作為化試験では、ω3サプリメントを摂取しても、重大な心血管イベントやがんを発症するリスクは低下しないことが示されました。

 ちょっと古い記事ですが、米紙Washington Postもω3サプリメントが無効であり、健康食品業者が過剰な宣伝をしていることを指摘しています。

 では、医薬品であれば効果はあるのでしょうか。日本には次の2つの製品があります。

・エパデール:EPA

・ロトリガ:DHA+EPA

 効果を添付文書からみてみましょう。エパデールは中性脂肪の数値を1割程度下げます。ロトリガは4グラム(2グラムを1日2回)飲めば、エパデール服用時に比べて中性脂肪がさらに1割低くなる(何も飲まないときに比べると2割低くなる)とされています。両者とも適応は「高脂血症」とされていますが、これらでLDLコレステロールが下がったとする研究は添付文書に記載されていません。

 費用も加味して今回述べたことをまとめると、次のようになります。

・食事からω3系脂肪酸を摂取すれば心血管系疾患のリスクが低下する

・ω3系サプリメントでは効果がない

・効果が期待できる医薬品は2種類あり、添付文書を読む限りロトリガの方がエパデールよりも有効

・ロトリガの薬価は1日2回なら322円(3割負担で1日97円)。安い後発品を使えば157円(3割負担で1日47円)

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 サプリメントの費用を調べてみました。

・Nature Made: EPA+DHA:1日あたり約20円
・FANCL: EPA+DHA:1日あたり約60円
・小林製薬: EPA+DHA(+αリノレン酸):1日あたり約60円
・サントリー: EPA+DHA(+セサミン):1日あたり約220円

 こうしてみてみると、Nature Made製だけは医薬品より安いことが分かりますが、上述した2つの研究が示しているようにサプリメントの効果が否定された以上は意味がありません。FANCL、小林製薬、サントリーは医薬品よりも高額な上に効かないなら購入する理由がありません。

 ところで中性脂肪は運動(特に心拍数を上げる有酸素運動)で大きく下げることができます。その逆に、運動をおざなりにしてω3脂肪酸をいくら摂取しても中性脂肪は(もちろんコレステロールも)下がらないことは覚えておいた方がいいでしょう。

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2025年3月23日 日曜日

2025年3月20日 女性のADHDが増えている

 ADHDやADHDを含む発達障害が増えているかどうかについては議論が分かれますが、私自身は過去のコラム(「はやりの病気」第219回 2021年11月「発達障害」を”治す”方法)で述べたように、増えていると考えています。

 これは日本に限ったことではなく、英国でも同様で、The Timesによると、イングランドでは、ADHD薬を服用している患者総数は10年間で3倍に増加しています。2015年に同地域でADHDの治療薬を処方されたのは81,000人だったところ、2024年には248,000人にも増えているのです。特に顕著なのが20代後半から30代前半の女性で、なんと10倍に増加しています。

 「所得との関係」にも興味深い現象が生じています。2015年の時点では最も貧しい5分の1の地域の患者数は最も裕福な5分の1の地域の約2倍であったところ、2024年にはその差が縮まり、最も貧しい地域での処方箋数は52,262件、最も裕福な地域では49,073件と、ほとんど差が消失しています。

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 なぜ、裕福な地域にも患者が増え、そして若い女性の間で急増しているのでしょうか。その答えは「診断されやすくなったから」でしょう。ADHDの古典的な症状は「落ち着きがなく騒がしい」ですが、そうでない場合もあります。例えば「クラスで目立たない存在で夢見るように窓の外を見つめるタイプ」は周囲からは気づかれにくいと言えます。

 ところでADHDは「治る」のでしょうか。一般的には「治らない」とされています。実際、ADHDは脳の器質異常とされていて、MRIの所見では小脳や前頭前野の活動が低下していることが指摘されています(このような特徴があるのにも関わらず、画像診断を経ずに診断がつけられているのはおかしいのではないか、という私見を上述のコラムで述べました)。

 しかし、私自身はADHDを含む発達障害は「治る」と考えています。証拠を提示することもできます。ADHDの疫学についての研究によると、ADHDは若年者の5.9%、成人の2.5%に発生するとされています。もしもADHDが「治らない」のであれば、若年者が成人より罹患率が高い理由の説明がつきません。もしも治らないのであれば、(成人になってから診断がつく場合もあるわけですから)罹患率は「成人>若年者」でなければなりません。

 この数字からも分かるようにADHDは治るのです。「治る」が不適切な表現であれば「治療が不要なほど社会に適応できるようになる」でもかまいませんが、ADHDのレッテルを貼られても社会から遠ざかる必要はないわけです。

 ADHDを含む発達障害を議論するときに最も重要なのは「増えているのか、変わらないのか」、あるいは「診断は正しいのか、見逃されていただけではないか」といった議論ではなく、「その人が苦しいのか否か」です。ですから、ADHDであろうがなかろうが、またADHDと診断されようが否定されようが、その人の立場に立って考えれば診断名などどうでもいいわけです。

 「前医でADHDって診断されたんですけど……」と診断に疑問を感じて受診する人や、「わたしはADHDでしょうか……」と相談されに来る患者さんにも私はこのようなことを話しています。

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2025年3月20日 木曜日

第257回(2025年3月) 人生が辛いなら「スマホを持って旅に出よう」

 「格差社会」という言葉が人口に膾炙し始めたのは2000年代前半あたりでしょうか。当時は「勝ち組/負け組」という分かりやすい表現もよく使われていました。しかし、「勝ち組/負け組」はあまりにも露骨な言い回しであり、品がなく、一過性の流行語のように消えていきました。他方「格差社会」という用語は、社会に根付き、一般人から学者まで幅広い人たちに使われています。

 その格差社会は成人のみならず、若年者、さらに10代の若者にも広がっているような気がします。谷口医院の患者さんをみていても、いわゆるスクールカーストの上位にいそうなキャラクターの10代男女もいれば、その反対に中学や高校、あるいは大学で、対人関係が上手くいかず、親友どころか友達もできず、学校から足が遠のき、心を病んでいく人たちがいます。

 そしてその傾向は全国的にみられるようです。まず、不登校の児童の増加ぶりは異常と呼べるほどです。2023年度の不登校の小中学生は34万人を超え、これは11年連続の増加です。東洋経済が作成した下記のグラフを見れば不登校児童が異常なほど急増していることに驚かされます。

https://toyokeizai.net/articles/-/853036?utm_campaign=ADict-edu&utm_source=adTKmail&utm_medium=email&utm_content=20250215

 では、これだけ大勢の若者が病んでいるのは「失われた〇〇年」などという言葉がしばしば当てはめられる日本特有の現象なのでしょうか。そうではなく、若年者が心を病んでいるのは世界共通の現象です。米国の10代のうつ病の増加率は驚くべきもので、5人に1人がうつ病です。

https://www.statista.com/chart/33610/share-of-us-teenagers–12-17-y-o–who-have-experienced-a-major-depressive-episode/

 もっとひどいのが英国で、10代のうつ病罹患者は年ごとに増え、2021年にはなんと4割を超えています。

https://www.statista.com/statistics/1199302/depression-among-young-people-in-the-united-kingdom/

 国の将来を担う10代の4割がうつ病を患っている国家がまともであるはずがありません。日本では10代のうつ病の年次推移を調べたデータは見当たらず、米国や英国との直接比較はできないのですが、日本も深刻な状態にあるのはおそらく間違いありません。自民党の山田太郎議員が不安に関して調査した報告書には、「死んだ方がマシ」「早く死にたい」「死ぬしかない」「正直死にたい」「生きていても意味がない」「ただただ苦しい」「あと何十年も生きるのかと思うと不安」といった若者の言葉が並んでいます。

 「21世紀には明るい未来が待っている」と前世紀に世界中の多くの人が考えていたはずなのに、これだけ大勢の若者が心を病んでいるのはなぜなのでしょう。テクノロジーは発達し、世の中は随分と便利になりました。科学技術だけではなく、医療も大きく発展しました。今やがんやHIVは命をなくす疾患ではありません。関節リウマチや潰瘍性大腸炎といったかつては生活が大きく制限された疾患も今では普通の生活ができるようになっています。薬でやせることができ、髪を増やすこともできるようになり、美容外科が日常となりました。人々は心身ともに若返り、元気になっているはずです……。

 しかし実際には10代の若者の何割かが心を病んでいるのです。格差社会というからには「勝ち組」に入る幸運な若者もいるはずですが、そんな彼(女)らもいつ「負け組」に転落するかもしれないという恐怖に実は怯えているのではないでしょうか。

 では科学も医療も発展したのにも関わらず、心が病んでいくのはなぜなのか。医療のなかでも精神医療だけが遅れているのでしょうか。それもあるでしょう。しかし最大の原因はやはり多くの識者が指摘しているように「SNSの普及」だと思います。そして、これは識者だけでなく、誰もが気付いているはずです。

 もしも、世界からSNSが一掃され、SNSが存在しなかった頃の世界に戻れば、人は人間らしいつながりや絆を取り戻すことができると皆が分かっているのになぜそれができないか。それは、人はSNSの”魅惑”に取りつかれてしまっているからです。豪州では近日「16歳未満のSNSは禁止」というルールが施行されますが、すでにSNSに魅了されている若者はなんとかしてそのルールを破ろうとするに違いありません。それに16歳になれば解禁されるわけですから、仮にそれまで健全な精神を保てていたとしてもSNSの使用開始と同時に病んでいく男女が続出するでしょう。では、「20歳未満はSNS禁止」というルールを世界一斉に発令したとすればどうでしょう。その場合も、大人たちはSNSの使用をやめないわけですから、なんとかしてSNSに手を出そうとする若者が続出することになるでしょう。結局、人類がいったん知ってしまったSNSの”果実”から逃れることはできないのです。

 ではなぜ人はそんなにもSNSに惑わされるのか。おそらくその答えは「SNSによりすぐに孤独から救われるから」でしょう。SNSを続けていればそのうち誰かがメッセージをくれます。人に飢えている人はそれに飛びつきます。SNSの世界ではやたら褒められて承認され、自己肯定感が生まれます。そうすると、人はこの”麻薬”を断ち切ることができなくなります。しかし、その”幸せ”は、本物の麻薬と同じように実は見せかけのものであることにそのうちに気付きます。それでも万が一くらいの確率では生涯の親友やパートナーができるかもしれないという希望が捨てられず、SNSの果てしない”夢”の前には屈するしかないわけです。

 だから、悩める若者に対し「スマホを捨てよ、町へ出よう」と言ったところで絵に描いた餅に過ぎません。この言葉は「書を捨てよ、町へ出よう」と似ているようで、実は意味するところは正反対だからです。「書を捨てよ……」に説得力があるのは、「本を読んでいても本当に大切なことは分からない。人生の真の喜びは人との関係でしか生まれない」ということを我々は本能的に知っているからです。そして、街へ出たから直ちに素敵な出会いがあるわけではありませんが、少なくとも狭いアパートにこもって本を読んでいるよりははるかに期待できるわけです。他方、「スマホを捨てよ……」といっても説得力がないのは、街へ出てもいい出会いに遭遇する可能性はこの社会では限りなく低く、スマホの方がはるかに可能性が高いからです。

 ではどうすればいいか。きれいな答えとはほど遠いのですが、私が診察室でときどき若者に言っているのは「スマホを持って旅に出よう」です。さすがに小中学生にこんなことを言うわけにはいきませんが、大学生やときには高校生にもこのような助言をすることがあります。「旅に出る」も「町に出る」も変わらないように感じられるかもしれませんが、旅の場合は、そしてそれが日常からかけ離れていればいるほど予期せぬハプニングやアクシデントが起こります。楽しいハプニングとは呼べないものの方が多いでしょうが、見知らぬ人と接することで、ほっこりしたり、あるいはエキサイティングな気持ちになったりすることもたまにはあるものです。どうせ人生なんて辛いことの方がずっと多いわけです。ならばSNSで完璧な自分を演じようとしてみたり、他人の不幸をかいまみてほくそえんだりするのではなく、自分が主体になって辛いことが大半の舞台に立ってそのときの”役”を演じる方がずっと意味があるのではないでしょうか……。

 と、こんな感じのことをときどき診察室で若い患者さんに伝えたり、メール相談に応えたりしています。若くない人にも同じようなことを話しています……。

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2025年3月9日 日曜日

2025年3月 医師になるつもりもなかったのに医学部に入学した理由(後編)

 前回は、1つ目の大学を卒業後企業に就職したものの学問への興味が強くなり、母校の大学の先生に相談して社会学部の大学院進学を目指すようになったこと、たくさんの文献を読むようになったこと、米国の人類学者Helen Fisherの書籍を読んで神経伝達物質に興味が出てきたこと、さらに、神経伝達物質を解明することで人間の感情・思考・行動などが解読できるのではないかと考えたこと、などを述べました。今回はその続きです。

 神経伝達物質で人間の感情や行動が説明できるとしても、なぜ、そしてどのように神経伝達物質がつくられるのかを知らねばなりません。当時から、人間の遺伝情報はすべて遺伝子によって決定されること、遺伝子は生涯変わらないこと、どの遺伝子が発現するかによりどのような蛋白質がつくられるかが決まること、特定の蛋白質が神経伝達物質になったり酵素として様々な体内の物質に変化を与えたりすること、などは知っていました。

 ということは、どうしても究明しなければならないのはやはり「遺伝子」ということになります。当時はまだヒトのDNAの塩基配列がすべて解き明かされていませんでしたが、いずれそれらが分かる時代が来ると考えられていました。塩基配列の解明はその人間の「設計図」が明らかにされることを意味します。人が人との関係を通して学ぶ人生の教訓でさえも、所詮は遺伝子の塩基配列が決めることなのでしょうか。そう考えると虚しくなる気がしないでもないのですが、私の関心は「こうあってほしい」ではなく「真実が知りたい」でした。どうしても遺伝子を学ばなければならないという気持が強くなってきました。

 ところで、遺伝子の話になると、ひとつ”場違いな言葉”が存在することが当時ずっと気になっていました。「セントラル・ドグマ」です。セントラル・ドグマとは「遺伝情報の伝達は『DNA→RNA→蛋白質』の一方通行であり、その逆はない」とするものです。DNAからRNAに遺伝情報が「転写」され、RNAの情報が蛋白質に「翻訳」されることは高校の生物でも習う基本事項です。それはいいのですが、なぜ”ドグマ”なのでしょう。

 ドグマとは我々社会学(というか人文系の科学)を学んだ者からみれば「真実」を表す表現ではありません。例えば、カルト宗教の教義などを指すときに用いる、明らかにうさん臭さの伴う考えのことを指します。たしか栗本慎一郎さんが似たようなことを指摘していたと思うのですが、ドグマなどと言わず、生命科学の真理であるのなら「rule」とか「law」とか、あるいは「principle」または「theory」などでいいわけです。なぜ、いかがわしい意味がつきまとうドグマなどという言葉が用いられたのでしょう。この理由として栗本さんは「いずれ遺伝情報の流れが一方通行でないことが判ると考えられていたからだ」と指摘されていました。

 そして、栗本さんの指摘どおりセントラル・ドグマは”破られ”ました。つまり「例外」があったのです。セントラル・ドグマと呼ばれていた生物学の常識を破ったのは何を隠そう「レトロウイルス」です。まだ生命科学の文献は英語で読んでいなかった当時の私でさえも「レトロ」が懐古趣味のレトロでないことくらいは分かりました。ですが、このレトロという響き、ドグマと同様、どこかワクワクしてこないでしょうか(私だけでしょうか)。

 ワクワクする言葉はドグマ、レトロだけではありません。レトロウイルスのレトロはreverse transcriptase、つまり「逆転写酵素」からきています。この「逆転写」、そして「逆転写酵素」という響きもどこか魅惑的に感じられないでしょうか。「ドグマ」「レトロ」「逆転写(酵素)」とくると、なんだかこれまで体験したこともない不思議な時空間に放り出された気分にならないでしょうか(私だけでしょうか)。

 まだあります。逆転写酵素はレトロウイルスの持つ遺伝子によってつくられます。その遺伝子には3種類あり、それぞれの名前を「ギャグ(gag)」「pol(ポル)」「env(エンヴ)」というではないですか。ギャグ、ポル、エンヴというこの響きも妙にワクワクしてこないでしょうか(私だけでしょうか)。

 そういうわけで、セントラル・ドグマを打破したのは人間ではなくウイルスであり、そのウイルスに関連した用語が、レトロ、逆転写(酵素)、ギャグ、ポル、エンヴというのです。誰からも理解してもらえないと思いますが、これらの言葉の響きが「もっと詳しく学びたい!」という私の気持ちを強くしたのです。

 話はまだ続きます。先に述べたように、私にとってドグマという言葉には「本当は正しくないけれど人々が信じ込まされている誤った考え」というイメージがあります。その「誤った考え」を暴いたのがレトロウイルスです。ということは、ここまでを振り返れば、レトロウイルスとは「正義の味方」のようなイメージになります。

 ところが、90年代前半も今も、レトロウイルスの代表といえばHIVです。逆転写酵素を”武器”に、ギャグ・ポル・エンヴの”三兄弟”を引き連れて、セントラル・ドグマに”戦い”を挑んで”真実”を暴いたレトロウイルスの”本性”は人間を死に至らしめるHIVだったのです。しかもその方法が、逆転写酵素を使って「ドグマ」を打破し、自らのRNAの遺伝子をDNAに変換した上で人の遺伝子のなかに忍び込ませるというなんとも巧妙な手口を駆使するのです。 

 このように、レトロウイルスの存在は90年代前半、つまり医学部受験を考える前の時期の私にとって衝撃的な「遺伝子に関する出来事」だったのですが、当時、世間では遺伝子といえば別のことが話題をさらっていました。リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』です。ドーキンスによれば、人間の行動はすべて遺伝子に支配されていて、一見利他的に見える行動(「人間らしい行動」と呼べるかもしれません)はすべて遺伝子が規定したものであり、実際には利他的でも何でもなく、遺伝子にとって有利なものに他ならないというのです。

 そんなことがあってもいいのでしょうか。私がそれまでの人生で感動を覚えていた親友や先輩の仁義ある行動が、あるいは当時のパートナーの献身的な行為が、その人たちの遺伝子が利己的に決めたものだとでも言うのでしょうか。しかし『利己的な遺伝子』を読めば(和訳版で読みました)ドーキンスの理屈は間違ってなさそうです。

 少し前まで、社会学や人類学を極めれば人間の感情・思考・行動といったものが解き明かせるに違いない、ひいては人間は何のために生まれて来たのかが解明できるに違いない、と考え、私は社会学部の大学院進学を目指していました。しかし、ドーキンスの理屈を拡大して解釈すれば、ヒトの行動はすべて遺伝子で決まることになってしまいます。

 ここまでくればもうあとには引けません。Helen Fisherの『Anatomy of Love』を読んで神経伝達物質が恋愛までも支配していることを知ってしまい、”ドグマ”を打破したレトロウイルスの正体が人間を死に追いつめるHIVであることを知り、そして、ドーキンスからは「人間の利他的な行動なんて本当は存在しない」と言われ、それまでの私が培ってきた人間に対する美徳が貶されてしまったのです。こうなれば、私自身がこれらの学問を極めて真実を解き明かすしかありません。

 同時に、当時の私は社会学や人文科学を超えた現代思想や精神分析学への探求も続けていました。ミシェル・フーコー、ジャック・デリダ、ドゥルーズ=ガタリなどの書籍に触れ、難解ながらも解読することを試みていたのです。

 そういった書籍を原書(仏語)でマスターし、興味を持ち始めたばかりの生命科学を極め、そしてこれらを”融合”すれば、すべてが解き明かされ「人間の正体」が解明できるのではないか、そしてそれを白日の元に晒すことが私が目指す道ではないか。そんな大それたことは成功しないにしてもそれを突き詰めることが自分が進むべき人生ではないか、と思うようになっていったのです。

 そして医学部を受験し合格しました。当時の私は臨床すなわち医者になることにはまったく関心がなく、入学と同時に基礎医学の分厚い原書を大量に買い込み、仏語の勉強を基礎から始め、少しのアルバイトと友達とたまに会う時間を除けば学問に没頭する日々に耽溺していきました。その後挫折することになるのですが……。

 

 

 

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2025年2月13日 木曜日

2025年2月13日 睡眠薬により脳内に老廃物が貯まるメカニズム

 「睡眠薬には初めから手を出さない方がいい」と当院では言い続けています。この表現は医療者からは嫌がられます。「睡眠障害で苦しんでいる人を余計に苦しめるではないか!」というのが彼(女)らの主張です。ちょうど、「覚醒剤は初めから手を出さない方がいいと」言うと「そんなことを言えば覚醒剤依存症の患者を傷つけるではないか!」という理屈と同じです。

 当院でも大勢の覚醒剤依存症、睡眠薬依存症(≒ベンゾジアゼピン依存症)、その他依存性薬物の依存症の人たちを診てきましたから(今も診ていますから)、依存性物質摂取者をまるで犯罪者のようにみることには反対しますが、かといって最初に手を出す”敷居”を低くすることにはそれ以上に反対します。睡眠薬も覚醒剤も(どうしても必要という場合を除いて)初めから手を出さないのが最善なのは自明だからです。もちろん、「どうしても必要」という場合があるのは事実ですが、それでも危険性を知った上で摂取すべきです。

 科学誌「Cell」2025年2月6日号に興味深い論文が掲載されました。「ノルエピネフリンを介した緩やかな血管運動が睡眠中のグリンパティック・クリアランスを促進する(Norepinephrine-mediated slow vasomotion drives glymphatic clearance during sleep)」です。

 この論文を理解するにはタイトルに含まれる「グリンパティック・クリアランス」を押さえておかねばなりません。グリンパティック・クリアランス(Glymphatic clearance )とは、簡単に言えば「脳内の有害な老廃物が除去される際のプロセス」となります。つまり、このプロセスを経て脳内の老廃物が取り除かれるというわけです。もしも老廃物が脳内に残留したままであれば認知症やその他脳疾患のリスクが上昇するわけです。

 この論文は2つの画期的な事象を証明しました。1つは「グリンパティック・クリアランスがうまく働くにはノルエピネフリンが血管に働きかけるプロセスが必要である」、もう1つは「睡眠薬がこのプロセスを妨げる」です。

 脳の老廃物を取り除くには脳脊髄液(CSF)が循環しなければなりません。その循環には脳の血管がリズミカルに収縮することが必要です。そして、その収縮は脳内神経伝達物質のノルエピネフリンが担います。そして、そのノルエピネフリンは脳の青斑核(locus coeruleus)から放出されます。簡単に言えば次のようになります。

 青斑核 → ノルアドレナリン → 脳内の血管のリズミカルな収縮 → 脳脊髄液の循環

 これを覚醒時と睡眠時で比較すると次のイラストのようになります(この論文のページにあるイラストです)。

https://www.cell.com/cell/fulltext/S0092-8674(24)01343-6

 論文によると、このプロセスはノンレム睡眠(NREM sleep)のときに生じます。そして睡眠薬ゾルピデム(=マイスリー)がこのプロセスを破壊することをこの論文は示したのです。

 もっとも、睡眠薬を使用すれば”深い睡眠”が得られるのは事実です。特に、ゾルピデムのような超短時間型の睡眠薬は「さっと効いてさっと切れる」ために、朝の目覚めも爽快です。だからクセ(=依存症)になるわけですが、実際には重要なクリアランスができなくなってしまっているわけです。

 反対する意見もありますが、ゾルピデムは認知症のリスクを33%上昇させることを示した台湾の研究があります。ゾルピデムのせいで我が子を殺害した40代の母親の話は過去に紹介しました。これらの原因が、ゾルピデムにより上記クリアランスが適切におこなわれなかったことにあると考えるのが自然ではないでしょうか。

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2025年2月11日 火曜日

第258回(2025年2月) 認知症のリスクを下げる薬

 周知のように認知症自体を治す薬というのはほとんど存在しません。効果よりも費用が話題になるレカネマブ(商品名「レケンビ」)とドナネマブ(「ケサンラ」)の薬価は年間約300万円です。これらは「進行を遅らせる(かもしれない)」薬で、発症リスクを下げてくれるわけではありません。それなりの副作用のリスクも覚悟しなければなりません。

 「認知症のリスクを下げる薬」として現在最も注目されているのはGLP-1受容体作動薬でしょう。これは元々糖尿病の薬として上市されましたが、実際には「やせ薬」として有名になりました。実際、かなりの確率で体重減少が起こります。そのGLP-1受容体作動薬が認知症のリスクを下げるのではないかと期待されています。

 医学誌「eClinicalMedicine」2024年7月号に掲載された論文「スウェーデンの2型糖尿病の高齢者における認知症リスクに対するGLP-1受容体作動薬、DPP4阻害薬、SU薬の有効性の比較:模擬試験研究(Comparative effectiveness of glucagon-like peptide-1 agonists, dipeptidyl peptidase-4 inhibitors, and sulfonylureas on the risk of dementia in older individuals with type 2 diabetes in Sweden: an emulated trial study)」を紹介しましょう。

 研究の対象者はスウェーデン在住で糖尿病の治療を受けている65歳以上の88,381人で、調査期間は2010年1月1日から2020年6月30日。対象者でGLP-1受容体作動薬を処方されていたのは12,351人、DPP4阻害薬は43,850人、SU薬は32,216人。平均追跡期間は4.3年で、この間に認知症を発症したのは4,607人でした。薬ごとにみると次のようになりました。

・GLP-1受容体作動薬:278人 (発症率は1,000人年あたり6.7)
・DPP4阻害薬:1,849人(発症率1,000人年あたり11.8)
・SU薬:2,480人(発症率1,000人年あたり13.7)

 これらを計算すると、GLP-1受容体作動薬を使用すれば、DPP4阻害薬、SU薬のときに比べ、それぞれ、23%、30%認知症発症リスクが低下しています。

 糖尿病の薬ではメトホルミンも認知症のリスクを下げることが指摘されています。台湾の14,558人を対象とした研究では、60歳以上の2型糖尿病患者がメトホルミンを使用すると、認知症を発症するリスクが低下することが示されました。しかも用量が多ければ多いほどリスクが低下します。下のグラフは驚くべき結果を示しています。

 ただ、メトホルミンは認知症のリスクを上げるとする研究もあります。韓国の糖尿病患者70,499人を対象とした研究(2002~2017年)では、メトホルミンを使用すれば認知症発症リスクが50%増加した、とされています。糖尿病の罹患が長ければ長いほど、またうつ病を伴っていればリスクは上がりやすいようです。

 他にも認知症のリスクを下げる薬を紹介しましょう。2008年から2020年に米国ニューヨーク市で診察を受けた約200万人の患者のデータを使用した研究です。認知症のリスクを下げるという結果がでたのは、ロスバスタチン(コレステロールを下げる薬)、シタロプラム及びエスシタロプラム(抗うつ薬)、オメプラゾール(胃薬)でした。意外なのがオメプラゾールです。この胃薬はPPI(プロトンポンプ阻害薬)に分類され、PPIは認知症のリスクになると言われているからです(参考:医療ニュース2019年12月28日「やはり胃薬PPIは認知症のリスクを増やすのか」)。

 もうひとつ興味深い研究を紹介しましょう。1億3000万人以上の患者と100万件の認知症症例のデータを使用した14件の研究を対象とした分析によると、アルツハイマー病や認知症のリスクを増減させる薬を特定することはできなかったものの、抗菌薬、ワクチン接種、抗炎症薬はリスクを低減させることが分かりました。リスクを上げるのは、糖尿病薬、ビタミン・サプリメント、抗精神病薬です。

 この研究結果に頷けるのは、抗菌薬、ワクチン接種、抗炎症薬はいずれも「炎症を軽減する薬剤」だからです。ですから、薬が認知症のリスクを下げるというよりも、感染症を予防して、感染すれば効果的な治療を速やかに開始するのが認知症予防に有効だと考えるべきでしょう。

 ワクチンが認知症を予防するという報告は複数あります。

 2022年に医学誌「Journal of Alzheimer’s Disease」で報告された研究では、インフルエンザのワクチン接種で認知症発症リスクが40%も低減するとされています。研究の対象者は米国の65歳以上で、インフルエンザワクチンを接種した935,887人と、未接種の同じ人数が比較されました。平均年齢73.7歳、追跡期間は46ヶ月です。この間にワクチン接種者では5.1%(47,889人)が、未接種者では8.5%(79,630人)が認知症を発症しました。

 帯状疱疹ワクチンの認知症リスク低減効果も有名です。2024年7月に公表された研究では、生ワクチン、不活化ワクチン(組換えワクチン)ともに認知症発症リスクを低減させることが示されています。

 2023年に医学誌「Journal of Alzheimer’s Disease」に掲載された論文では、三種混合ワクチン(正確にはTdap/Tdワクチン)、帯状疱疹ワクチン、肺炎球菌ワクチンが、それぞれ認知症のリスクをどの程度軽減するかが調べられています。結果、三種混合ワクチンでは30%、帯状疱疹ワクチンでは25%、肺炎球菌ワクチンでは27%、認知症のリスクを低下させるという結果が出ました。

 最後に、「サプリメントで認知症のリスクが下がるかもしれない」夢のような研究を紹介しましょう。2023年に医学誌「Alzheimer’s & Dementia: Diagnosis, Assessment and Disease Monitoring」に掲載された「ビタミンD補給と認知症発症:性別、ApoE、ベースライン認知状態の影響(Vitamin D supplementation and incident dementia: Effects of sex, APOE, and baseline cognitive status)」です。研究の対象者は米国の12,388人です。

 結果、ビタミンDを摂取する人は、しない人と比べて認知症の発症率が40%も低下することが示されました。各グループに差があり、男性よりも女性、軽度認知障害がある人よりもない人、ApoEε4保有者よりも非保有者で認知症予防効果が高いことがわかりました。しかし、それでもハイリスクグループでも予防する可能性があることが示されています。

 これらをまとめると、日頃からビタミンDのサプリメントを摂取し、ワクチンを積極的に接種し、糖尿病になれば早い段階からメトホルミンとGLP-1受容体作動薬を使う、ということになるのかもしれません。

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