はやりの病気
第201回(2020年5月) ポストコロナのパラダイムシフト~元の世界には戻らない~
今月号(2020年5月号)の「マンスリーレポート」で述べたように新型コロナは医療界のみならず世界史を塗る変えるほどのインパクトがあります。その理由として、①決して軽症の感染症ではなく(インフルエンザとはまったく異なる)若年者の死亡例も少なくない、②脳、心臓、腎臓など全身の臓器を障害し足の切断もありうる、③無症状者から感染する、④すでに世界中に広がっている、といったことが挙げられます。
上記①②と似た感染症にエボラ出血熱があります。一般に「出血熱」と名の付く感染症は致死率が高いと考えて差し支えありません。マールブルグ出血熱、クリミア・コンゴ出血熱、デング出血熱などで、これらは「死を覚悟せねばならない」感染症です。ただし、これらはそう簡単にはかかりません。地域が限定されているからです(デング出血熱はデング熱の重症型ですが繰り返し感染しなければ発症しません)。ですから、日本に住んでいる限りエボラ出血熱やクリミア・コンゴ出血熱に怯えて暮らす必要はありません。いくら重症化しようが感染の可能性がなければ心配不要なわけです。
ところが①②に③と④が加わると状況は一転します。すでに社会に蔓延しており、感染者は自分が感染していることに気づいておらず、そういった人から感染させられると、感染させた本人は軽症なのに感染させられた自分が死に至るということもあるわけです。まるでゾンビのようです。実際、私は新型コロナ重症化のいくつかの情報を入手した時、数年前の韓国映画「新感染」を思い出さずにいられませんでした。
ここで断っておきたいのは、私は患者さんに不安を煽りたくないということです。ですが、おしなべて言えばまだまだ多くの人がこの感染症を軽く考えすぎています。よくメディアは「感染しても8割は軽症」と言います。この「軽症」の意味が世間では誤解されています。我々医療者が言う「重症」というのは、人工呼吸器が必要、あるいはそこまではいかなくても入院して酸素投与が必要な場合を言います。つまり「軽症」というのはそこまでの治療はその時点で不要という意味に過ぎません。感染者の声を聞いてもらえれば分かると思いますが、30代であったとしても数日間はトイレに這っていかねばならないほど倦怠感が強くなることもあるのです。そして、重要なのはそれで済まないことです。今月号の「マンスリーレポート」にも書いたように「後遺症」が長期間(あるいは生涯)残る可能性もあります。
上記①②③④のなかで、①②④の3つは医療界のみで解決すべきことです。問題は③の「無症状者からの感染」です。といってもまったくの無症状者、つまり感染してもまったく症状が出ずに治癒する人からの感染はほとんどないとされています。「無症状者からの感染」のほとんどは「発症前数日間の感染」です。数日後に発熱を起こさない、あるいは数日後に味覚がおかしくならない、と100%の確証を持って言える人はどこにもいません。ということは、目の前の人がどれだけ元気であろうが、その人の数日後の様態が分からない以上はすべての人から感染させられる可能性がでてきます(参考:毎日新聞「医療プレミア」2020年4月20日「新型コロナ 「マスク着用」に二つのリスク」)。
今、私は「すべての人から感染させられる」と言いました。これには反論があるでしょう。「一度感染して治った人からは感染しないんじゃないの?」というものです。しかし、新型コロナに感染してできる抗体は中和抗体(ウイルスをやっつけてくれる抗体)である保証はどこにもありません。例えばC型肝炎ウイルスやHIVは感染すると抗体ができますが、この抗体は新たに体内に入ってくる病原体を退治することはできません(参考:メディカルエッセイ第69回(2008年10月)「「抗体」っていいもの?悪いもの?」)。また、新型コロナはすでに遺伝子の変異が複数みつかっています。一度感染した人が今度は違う遺伝子型に感染、ということも起こり得ます。
というわけで、過去に新型コロナに感染したことがあろうがなかろうが、いついかなるときに誰と出会おうが、その時は元気だったその人から新型コロナウイルスに感染させられて10日後には人工呼吸器につながれて……、という可能性があります。特に、若い人と接するのが危険になります。なぜなら若い人の場合、例えばごく軽度の味覚障害や鼻水といった、症状がほとんどでないケースが多いからです。
マスクの効果について復習をしましょう。すでに何度か述べましたが、マスクをしたからとって新型ウイルスに「感染させられない」効果はほとんどありません。サージカルマスク(医療者が通常装着しているマスク)を用いても期待できません。まして布マスクなど(感染させられない、という意味では)ほとんど役に立ちません。N-95と呼ばれる特殊なマスクは結核には有効ですが、新型コロナを完全に予防できる保証はありません。ですが、「他人に感染させない」という意味では、完璧とは言えないものの、かなりそのリスクを下げることができます(参考:毎日新聞医療プレミア2020年4月20日「新型コロナ 「マスク着用」に二つのリスク」)。きちんと検証したデータは見当たりませんが、おそらく布マスクでも「他人に感染させない」という意味ではかなりの効果が期待できます。
すると、ここから導かれる結論は「他人と会うときにはマスクを外さないのがルール」となります。これが社会を大きく変えるのは明らかです。これからは他人の前で自身の鼻と口を見せてはいけなくなるのです。ちょうどブルカやニカブを身に纏ったムスリムの女性のようなファッションが求められるようになるかもしれません(ちなみに、東南アジア、例えばタイ南部やマレーシア、インドネシアではムスリムの女性はヒジャブと呼ばれるスカーフをしていますが、これは鼻と口を覆いません)。
これからは、ビジネスの場面ではもちろん、プライベートも含めてよほど親しい関係にならなくては他人の前でマスクを外せないことになります。マスクなしで外に出て他人に近づく行為は今後「罪」となるかもしれません。実際、すでにマスクなしの外出で罰金が課せられる国もありますし、そこまで強制されなくても、「外でマスクを外す行為は人前で下着姿になるようなもの」と世論が考えるようになるのではないでしょうか。
現在稼働しているライブハウスはほとんどないと思います。緊急事態宣言が解消されれば再稼働できるのでしょうか。ここで確認しておきたいのが緊急事態宣言の「意味」です。緊急事態宣言はあなたのために政府が発令したわけではありません。あなたのためではなく「社会のため」です。このままだと新型コロナの患者で病院があふれてしまい、他の疾患の治療ができなくなるために宣言が出されたわけです。「国民の6~7割が免疫を持てば……」という議論がよくあります。これは「6~7割が免疫を持てば社会が維持できる」という意味であって、あなたが感染しない、ということではありません。つまり、ワクチンや中和抗体のおかげで感染しない人が6~7割になったとしても、あなたが残りの3~4割に入るのであれば感染して重症化する可能性はあるわけです。それに上述したようにいったん感染した後に免疫が成立するかどうかも現時点では分かっていません。
そういう意味で、ライブハウスが再稼働できたとしても元のように盛況する可能性は低いと思います。もちろんライブハウスだけではありません。宴会の自粛はこのまま続き、居酒屋、焼き鳥屋、寿司屋などを訪れる人数も元には戻らないでしょう。つまり、コロナ以前の社会にはもう戻らないと考えるべきなのです。もちろん、強力なワクチンや特効薬が開発されれば話は変わってきます。ですから私自身もそういったものに期待はしています。ですが、中和抗体ができて長期間有効なワクチンが開発される見込みは現時点では乏しいですし、遺伝子の変異がすでに報告されている以上、どの遺伝子型にも効く特効薬はそう簡単には期待できません。
ではどうすればいいのか。まずすべきは「もうコロナ前の社会には戻らない」ことを認識することです。私見を述べていいのなら、この閉塞感を破るためにも「マスクのファッション化」を提案したいと思います。布マスクなら誰にでもつくれますし、ファッションセンスがある人なら「思わず身に纏いたくなるようなマスク」をつくることができるのではないでしょうか。アパレルメーカーはマスク売り場を正面に持ってくるのです。
飲食店ができることは……、美容室がすべきことは……、試みるべきことはいくらでもあるはずです。私自身もいくつかのアイデアを持っていますが、門外漢のおせっかいになりますから控えておきます。
最後にもう一度私見をまとめておきます。他人の前でマスクを外せなくなることで世の中がドラスティックに変化します。パラダイムシフトと呼べるレベルの変化が世界に訪れます。我々はポストコロナを生きていくしかないのです。
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