はやりの病気
2026年3月19日 木曜日
第271回(2026年3月) 入浴と室温の工夫で不眠を克服
不眠については本サイトで度々取り上げ、過去にも述べたように、当院では「睡眠薬の処方」よりもむしろ「睡眠薬をやめること」を目的に受診する人が増えています。彼(女)らのなかにはいわゆるドクターショッピングを繰り返している人も多く、東京を含めた遠方からオンライン診療で「睡眠薬を断ち切りたい」と訴えるケースも少なくありません。
このような治療を20年間続けてきて確実に言えるのは、「眠れない」よりも「睡眠薬依存症から抜けられない」の方がはるかに苦しいということです。本人には依存症だという自覚がない場合も不幸な事故が起こり得ます。2023年のコラム「睡眠薬の恐怖」で紹介した「意識のないまま5歳のわが子を殺めた40代の女性」がその典型です。この女性が飲んでいたマイスリー(ゾルビデム)は、当院の経験でいえば、記憶が消えることが非常に多いのですが、非常に興味深いことに「前のクリニックでは一番軽い睡眠薬と言われた」と信じられないことを言う患者さんがいます。1人だけならその患者さんの勘違いかもしれませんが、複数の人が同じ証言をするということは、実際にそのように伝えて気軽に処方している医師がいるのでしょう。
東京在住のある患者さんの情報によると、彼女の住む地域ではクリニックが複数あって睡眠薬の入手にはまったく困らないそうです。なかにはきちんとした問診もなく、希望する睡眠薬は何でもすぐに出してもらえるとのこと。彼女はそのせいでベンゾジアゼピン依存症になってしまったのですが、不思議なことに、そういうクリニックは睡眠薬をすぐに処方するものの、睡眠薬依存症の治療は一切おこなっておらず、ひどい医師になると「一生飲み続けても問題ない」と断言するとか。
谷口医院もいつのまにか開院してもうすぐ20年が経過します。総合診療を実践していますから患者さんの訴えは実に様々です。そして、最も治療に難渋する疾患のひとつが「睡眠薬依存症」です。
睡眠薬依存症に陥らないために最も重要なこと、それは「依存性のある睡眠薬には初めから手を出さない」につきます。では、いくら不眠に苦しんでいても絶対に飲んではいけないのかというとそこまでは言えないのですが、薬の特徴とリスクを理解した上で上手に付き合っていく必要があります。このあたりは最近「毎日メディカル」に「不眠でも睡眠薬には手を出さないで! 依存と副作用避けるために」というタイトルのコラムを書きましたからそちらを参照してもらえればと思います。
さて、今回お伝えするのは、「ちょっとした入浴と室温の工夫で不眠を克服する方法」です。そんなことで眠れるなら誰も苦労しない、と思う人もいるでしょうが、これらの方法、意外に効果は高く、きちんとしたエビデンスもあります。
まずは入浴から。以前、不眠で悩むある患者さんから「少しでも寝たいから早くベッドに入るようにしている。風呂もさっとシャワーで済ませる」という話を聞いたことがあります。それで寝つきがいいのかと聞くと、まったくそんなことはなくて眠れないのが辛いと言います。睡眠の基本は「眠くなるまでベッドに入らない」です。「早くベッドに入る」はむしろすべきでないのです。
重要なのは「湯舟につかること」です。特に冬場に言えることですが、夏も入浴する方がよく眠れます。このときに重要なのは「時間」と「温度」です。
非常に興味深い日本の論文を紹介しましょう。医学誌「Journal of Physiological Anthropology」2023年5月号に掲載された「入浴による体温変化が睡眠に及ぼす影響(Effects of bathing-induced changes in body temperature on sleep)」です。
研究の対象者は「シャワー群」「短時間入浴群」「長時間入浴群」の3つに分けられています。「短時間入浴群」は5.2分、「長時間入浴群」は16.1分、湯舟につかりました。3つの群のそれぞれのシャワーや湯舟の温度は40度に設定されました。シャワーまたは湯舟につかった後に、各自が寝床につきました。
驚くほどきれいな結果が出ています。下記の図をみればあきらかでしょう。「長時間入浴群」は「寝つき(falling asleep)」も「睡眠の質(sleep quality)」も有意差をもって他の2つのグループとは大きくかけ離れて優れていることが一目で分かります。

この論文から言えることは「入浴は長めに。5分ではなく15分くらい」です。ここまでくると、では30分なら?、60分なら?と考えたくなりますが、それはデータがないので、まず15分での寝心地を確認した上で、少しずつ伸ばしていくのがいいでしょう。当院の患者さんのなかには「30分くらい入浴するとぐっすり眠れる」という人もいます。なかには「風呂のなかで寝てしまう」という人もいて驚かされます。
次に知りたくなるのは「温度」です。この研究では実験の条件が40度で統一されていましたが、では、例えば38度と42度では睡眠に差が出るのでしょうか。
これを調べた研究が2つ見つかりました。いずれも同じ学者によるもので、ひとつは、1996年に医学誌「Journal of Geriatric Psychiatry and Neurology」に掲載された「高齢女性不眠症患者の睡眠に対する受動的な体温調節の効果(Effects of passive body heating on the sleep of older female insomniacs )」。もう1つは、1999年に医学誌「Sleep」に掲載された「高齢女性不眠症患者における受動的な体温調節前後の深部体温と睡眠(Core body temperature and sleep of older female insomniacs before and after passive body heating )」です。
いずれの研究も対象は不眠症に悩む高齢女性で、就寝1.5時間前に熱いお風呂(40~40.5℃)に入ると、ぬるめのお風呂(37.5~38.5℃)のときよりも、睡眠の継続性が有意に改善し、徐波(slow wave sleep)が増加していました。徐波(デルタ波とも言います)とは深い睡眠中に現れる脳波のことで、いわゆる「ノンレム睡眠(NREM)」の中でも最も深いレベルの睡眠時に出現します。徐波がじゅうぶんな時間出現すると、深い睡眠が得られ、身体の疲労回復が効率よくおこなわれ、成長ホルモンの分泌が活性化し、記憶の定着に役立ちます。
最近はAppleWatch、Fitbit、Ouraringなどのwearable deviceを用いればどの時間にどのくらい徐波が出現したかが分かります。どこまで正確か、という問題がありますが、私自身がAppleWatchとOuraringを同時に装着して実験してみたところ、睡眠スコア自体には差が出ましたが(Apple Watchの方が高くでました)、徐波についての記録はほとんど一致していましたからそれなりには参考になると思います。
では入浴後はどうすればいいのでしょう。やはり眠くなるまで待つべきでしょうか。これは私見ですが、適切な入浴をしたのなら眠くなるまで待つ必要はなく、そのままベッドに入ってもいいと思います。ただし、寝室の環境には条件があります。当然ですが、静かで暗くなくてはなりません。「幹線道路沿いのマンションから、奥まったところに引っ越してよく眠れるようになった」という当院の患者さんが複数います。当然といえば当然ですが静かな環境の方がよく眠れます。また明々とした光のもとでは寝にくいのは当然でしょう。真っ暗がいいかどうかは意見が分かれるでしょうが、燦燦とした光のもとでは眠りにくいことに異議を唱える人はいないでしょう。
大切なのは「室温」です。結論からいえば室温はちょっと寒いくらいが理想です。なぜなら、生理学的にみて、深夜に向けて中核体温は自然に約0.5~1.0度下がり、その下がり始めに、末梢(手足)の血管が拡張し「熱放散」が起こり、これが眠気を促すからです。寝室の温度が涼しければこの「熱放散」がスムーズになります。
何度くらいがいいかについては意見が分かれるのですが、The Sunday Timesは「良質な睡眠には涼しい部屋が重要で、体温が約1℃下がると眠気が誘発される。16~18℃が望ましい。ただし、ベッドは暖かくする必要があり、冬は15togの羽毛布団を使うのが賢明」と述べています。
米国オハイオ州クリーブランドに本部を置くクリーブランドクリニック(Cleveland Clinic)という医療機関があります。この施設、「クリニック」と付きますが、実際は世界中から患者が集まる心臓医療でも有名な非営利の医療施設です。クリーブランドクリニックのウェブサイトに「睡眠時の適度な室温」があって、「目安として室温は15~19度が望ましく、涼しく、暗く、静かな環境が必要。21度以上の室温は不適切」とされています。
夏に眠れないという人がいれば是非室温を見直してみてください。おそらく21度を超えているのではないでしょうか。「熱い湯舟にじゅうぶんな時間つかった後、涼しい部屋でぐっすり睡眠」、早速今日からでも実践してみてください。
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