はやりの病気
2015年3月20日 金曜日
第139回(2015年3月) 不眠症の克服~「早起き早寝」と眠れない職業トップ3~
前回は、充分な睡眠時間を取ることが健康に必要であり、フレンチ・パラドックスの原因のひとつに、質が良く時間も充分な睡眠があるのでは?、という自説を述べました。
今回は、ではどのように睡眠を取ればいいのか、ということを述べたいのですが、その前に、睡眠不足がいかに有害かを示すいくつかのデータを紹介したいと思います。
私は産業医をしていることもあり、また太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)の患者さんの多くは働く若い世代であることから、残業時間が多すぎて睡眠時間を確保できないという悩みを聞くことがしばしばあります。また、その逆に、企業を経営している人からは、新しい社員をすぐに増やすことは困難で結局は現在の従業員に長時間働いてもらうしかなくて・・・、という相談を受けることもあります。
こういった相談をされたときに私がよく言うのは、深夜の残業は飲酒運転と同じですよ、というものです。科学誌『Nature』にも掲載された有名な研究があります(注1)。この研究では覚醒時間の長さと作業能力との関係が調べられています。覚醒時間(起きている時間)が13時間を越えるあたりから作業能力は急激に低下し、17時間を越えると、血中アルコール濃度が0.05%の飲酒運転と同程度の能力以下になるのです。酒気帯び程度であれば血中濃度は0.03%であり、0.05%というのはかなり酔っている状態で、心拍数が上がり理性を失う濃度です。
朝6時に起床している人であれば13時間が経過した午後7時くらいから急激に作業能力が落ちだし、17時間が経過する午後11時を回ると理性を失うほど酔っ払ったのと同じ状態になるわけです。こんな状態でいい仕事ができるはずがありません。
もうひとつ興味深い研究を紹介したいと思います。それは、睡眠不足があるとダイエットの効果が出にくい、というものです。同じようなダイエットをする対象者を2つのグループに分け、一方は8.5時間の睡眠時間、もう一方は5.5時間にします。8.5時間睡眠のグループは体脂肪が1.4kg減少しているのに対し、5.5時間睡眠群では0.6kgしか減少していなかったのです(注2)。
睡眠時間が関係するのは作業能力や体脂肪だけではありません。疾患のリスクとの関係も随分研究されてきています。一晩徹夜をすると拡張期血圧が10mmHgも上昇するという研究(注3)、7時間の睡眠時間が最も糖尿病のリスクが低く7時間より短くても長くてもリスクが上昇するという研究(注4)、睡眠時間が7~8時間の人で最もうつ病が少ないとする研究(注5)などがあります。
ここまでをまとめると、適切な睡眠時間の確保が、高血圧や糖尿病といった生活習慣病を防ぎ、太りにくい体質とし、うつ病のリスクを低減させ、仕事のパフォーマンスを低下させない、ということになります。これだけ科学的なデータを並べられると、前回紹介したような「四合五落」という言葉や、中年オヤジ社員の「オレの若い頃は毎日深夜までがんばるのが常識だった・・・」といった言葉がいかに馬鹿げているかが分かります。
さて、今回はここからが本題です。では、どのようにして質のよい充分な睡眠をとればいいのでしょうか。2つの段階にわけて考えましょう。まず1つめは、「物理的に睡眠時間を確保するにはどうすればいいか」ということです。
残業がほとんどない国、例えば北欧やフランスやドイツで働く、というのは現実的でないでしょう。日本でそのような会社を探すというのは考えてみてもいいでしょうが、自分のやりたい仕事がそのような職場にあるとは限りません。考えるとすれば、職場の近くに住むということですが、これもすでにマイホームを購入済の人はむつかしいでしょう。
睡眠不足が続けば続くほどミスが増えやすいというのは感覚的に理解できることだと思います。残業も積み重なればパフォーマンスが落ちます。私のおすすめの方法は「ノー残業デイ」の活用です。多くの企業ではノー残業デイを水曜日にしていると思いますが、これは実は大変理にかなったことです。つまり、月曜と火曜に遅くまで残業しても水曜日に早く帰宅して月曜と火曜の睡眠不足を補えば、木曜・金曜と再び頑張ることができるわけです。ここで重要なのは、日曜日に寝だめをしておく、という考えは捨て去ることです。睡眠不足の後にしっかり睡眠をとることで回復することはできますが、その逆の「寝だめ」はできないことが分かっています。
このサイトで私が繰り返し提唱している健康の秘訣に「3つのEnjoy」があります。その3つのうち1つが「Early-morning wake up」で(あとの2つはExercise(運動)とEating(食事)です)、一番いいのは「毎日同じ時間に起きて同じ時間に寝る」ということです。 残業が多い人はこれができませんから、月・火は残業で寝る時間が遅くなっても、水曜日には早く寝る、同様に木・金は遅くまでがんばって土曜には早く寝る、とすればどうでしょう。つまり「同じ時間に寝る」が無理でも「同じ時間に起きる」を実践するのです。
そして最も大切なのが、土曜日も日曜日も早く起きる、ということです。谷口医院の患者さんをみていると、平日は限界までがんばって、土日は朝寝坊・・・という人が少なくありません。たしかに土曜日の朝などはゆっくりと寝ていたいという気持ちは分かるのですが、ここで勝負するのです。土日にも平日と同じ時間に起きるのです。そして、可能なら朝にジョギングなどの運動をします。その後はゆっくりお風呂に入るなり、豪華な食事をするなり、何でも好きなことをすればいいのです。
平日に睡眠不足があり、土曜日に早起きすれば、当然土曜日の日中は眠くなります。昼寝したいという欲求もでてくるでしょう。しかし昼寝をするなら10分程度、長くても30分までにすべきです。そして夜は早く寝て日曜の朝もまた早く起きます。もしも日曜の朝寝坊をすると夜に眠れなくなり、翌日の月曜日から睡眠不足と戦わなければならなくなります。
次に、2つめの段階として、「睡眠時間を確保したけれど眠気がこなくて眠れない」という問題を考えたいと思います。しかし、「眠れないんです・・・」と言って受診される患者さんも、上に述べたように土日の早起きを実践してもらうだけで眠れるようになりました、という人は少なくありません。つまり、安易に睡眠薬は使うべきでないのです。
先に述べたのは、残業時間が長くて睡眠時間が短い人は月・火は遅くなっても水曜日は早く寝ましょう、ということでしたが、睡眠時間を確保しても眠れないという人の場合、もっとも重要なのは「それでも朝早く起きる」ということです。そして、眠れないなら思い切って起きておくのもひとつです。
眠れないのにベッドに入ると「寝なければ・・・」というプレッシャーで余計に眠れなくなります。寝室に入っただけでそのプレッシャーを感じることもありますから、寝室に入らずに好きなことをすればいいのです。ただし、パソコンやタブレットはブルーライトの影響で眠れないとする研究がありますから、眠れない夜にすることは普通の本を読むのが一番のおすすめです。私は不眠を感じることはあまりありませんが、眠れない日には「本が読めてラッキー!」と思うようにしています。
軽症の不眠であれば、翌日も同じ時間に起きるようにすればその日の夜はよく眠れます。翌日も眠れずに、毎日睡眠時間が2~3時間しかない、という場合は薬の使用を検討することになりますが、いわゆる「睡眠薬」から始めるのではなく、メラトニン受容体に作用する薬剤を使うべきです(注6)。これは海外ではサプリメントの扱いであり、副作用がゼロとはいいませんが比較的安心して使えます。一方いわゆる「睡眠薬」は悲惨な事件につながることもありますから(注7)、充分な注意が必要です。
ところで、不眠に悩みやすい職業トップ3は何かわかりますでしょうか。きちんと統計をとったわけではありませんが、谷口医院の患者さんで不眠を訴える職業トップ3を紹介したいと思います。
3位は「医師・看護師・介護士」です。これらの職業が不眠になる理由はあきらかで「夜勤があるから」です。2位は「客室乗務員」です。1位の看護師や介護士に比べると受診者数は少ないですが割合でいえば客室乗務員で不眠を訴える人は非常に多いといえます。この理由もあきらかで「時差があるから」です。
では1位はというと、ジャーナリスト、記者、作家、翻訳家などのいわゆる「物書き」の人たちです。インディペンデント(フリー)の人もいれば、出版社などに勤務しているサラリーマンの物書きの人もいますが、何かを書いて生計をたてている人では、むしろ不眠でない人の方が少ないのではないか、と感じることすらあります。この理由は、おそらく「オン・オフの切り替えができないから」でしょう。つまり、物書きの人たちは、常にネタを探し内容について吟味し、頭のなかでどのような表現を使うか、ということを休憩することなく考えているのです。
私は不眠を訴えて受診する人が「物書き」である場合、先に述べたノー残業デイの活用の話も長時間勤務は飲酒運転と同じという話もしません。同じ時間に起きることはすすめますが、比較的早い段階で睡眠薬の使用に踏み切ることもあります。物書きの人たちは知的レベルは極めて高いのですが、決して健康とはいえない人が多く、不眠は仕方がないにしても、喫煙率が高くまた運動不足の人が少なくありません。ですから、睡眠薬は使用してもらうにしても、トータルで健康になってもらう工夫が必要になります。
繰り返しになりますが、すべての人にすすめたいのは可能な限り「同じ時間に起きる」(early-morning wake up)で、早寝早起きではなく「早起き早寝」です。すでに睡眠薬を飲んでいると言う人もこれを実践することにより薬を減らしていくことが期待できるのです。
注1 この論文のタイトルは「Fatigue, alcohol and performance impairment」で下記URLで概要を読むことができます。
http://www.nature.com/nature/journal/v388/n6639/full/388235a0.html
注2 この研究は「医療ニュース」で過去に紹介していますので詳しくはそちらを参照ください。
医療ニュース2010年11月4日「睡眠不足は脂肪を蓄積」
注3 この論文のタイトルは「Total Sleep Deprivation Elevates Blood Pressure Through Arterial Baroreflex Resetting: a Study with Microneurographic Technique」で、下記URLで概要を読むことができます。
http://www.journalsleep.org/ViewAbstract.aspx?pid=25905
注4 この論文のタイトルは「Sleep Duration as a Risk Factor for the Development of Type 2 Diabetes」で、下記URLで概要を読むことができます。
http://care.diabetesjournals.org/content/29/3/657.full?sid=526401be-3de8-40d5-9364-296abbcc5e9f
注5 この論文のタイトルは「The Relationship Between Depression and Sleep Disturbances: A Japanese Nationwide General Population Survey」で、下記URLで概要を読むことができます。
http://www.psychiatrist.com/JCP/article/Pages/2006/v67n02/v67n0204.aspx
注6:この薬については下記コラムを参照ください
はやりの病気第86回(2010年10月)「新しい睡眠薬の登場」
注7:「悲惨な事件」については下記コラムを参照ください。
はやりの病気第124回(2013年12月)「睡眠薬の恐怖」
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|2015年2月20日 金曜日
第138回(2015年2月) 不眠症の克服~睡眠時間が短い国民と長い国民~
その昔、誰に聞いたかは忘れましたが、それは学校の先生か、塾の先生か、あるいは勉強のできる友達か先輩あたりだと思うのですが「四合五落」という言葉を教えてもらいました。これは、受験生は四時間の睡眠時間なら合格できるけれど五時間も眠れば落ちる、という意味です。
この言葉は私が高校を卒業してからは一度も聞いていないので、すでに「死語」になっているのではないでしょうか。今、このような言葉を生徒に教えている教師がいるとすればそれは問題です。
私自身は「四合五落」という言葉を心底から信じたわけではありませんが、高校三年の終盤、受験勉強を初めて真剣にやりだした時は睡眠時間が五時間を越えないように努めていた記憶があります。もっとも、私の場合、無理をして睡眠時間を短くしていたわけではなく、中学・高校とラジオの深夜放送にはまっていたために、中一の夏頃にはすでに連日が睡眠不足という日々が続いていました。中高時代はその生活に慣れてしまっていて、五時間の睡眠時間でも、日中に(つまり授業中に)30分程度の昼寝をすれば、それほど苦痛ではありませんでした。
ただ、もう一度人生をやり直せるとしたら、今度はもっと睡眠をとるような生活を心がけます。「寝る子は育つ」が事実だということを知ったのは私が医学部に入学してからで、このときに10代の頃毎日深夜まで起きていたことを後悔しました。私の身長は172cmでこれは中3から止まったままです。もしもしっかり睡眠を取っていたらあと5cmは伸びたかな・・、といった空想をときどきしてしまいます。もっとも、私が中学・高校時代を過ごした1980年代はラジオの深夜放送の全盛期であり、タイムスリップしたとしてもやっぱり同じことをしてしまうかな・・・、などとも考えてしまいます。
話をすすめましょう。睡眠は1日に何時間くらいが適切か、というのは誰もが考えたことがあり、過去に多くの考察があります。だいたいは、7時間程度が適切だが個人差がある、といった内容のものが多く、経験的にも、そんなものかな・・、という感じがします。しかし、科学というのはもっときちんとしたものでなければなりません。
医学誌『Sleep Health』2015年2月2日号(オンライン版)に、NSF(National Sleep Foundation、和訳すると「米国睡眠財団」くらいになるでしょうか)と呼ばれる組織が、これまでの研究を総括するような睡眠時間の勧告をおこないました(注1)。
専門家たちからなる研究チームは、これまでに報告されている多数の論文を拾い上げ、合計575本の論文を吟味し、最終的に科学的に有用と判断された312の論文を解析しています。これだけ大規模な研究ですから、信憑性はかなり高いといえると思います。
結果は年齢別に公表されています。14~17歳では、最適睡眠時間は8~10時間で、これより短くても長くても適切でない、とされています。18~64歳では7~9時間、65歳以上では7~8時間です。18歳でも7時間以上は必要なわけで、昔の大学受験生が聞かされていた「四合五落」などというのは完全な誤り、ということになります。
「四合五落」といった馬鹿げた言葉があるのはおそらく日本だけでしょう。では、世界各国ではどれくらいの睡眠時間を取っているのでしょうか。OECD(経済協力開発機構)が興味深いデータを公表しています(注2)。各国の平均睡眠時間が比較されているのです。
このデータによりますと、OECD加盟国の平均睡眠時間が8時間19分で、日本は7時間43分とかなり短く順位は下から2番目です。ちなみに最も睡眠時間が短いのは韓国で7時間41分ですが、全体からみれば日本と韓国の二国が群を抜いて短い睡眠時間であることが分かります。
一方、睡眠時間が多いのは、このデータではニュージーランドの8時間46分ですが、南欧はどこも多いようです。どこで聞いたかは忘れましたが、世界一睡眠を大切にする国はフランス、という言葉を耳にしたことがあります。そこでフランスをみてみると8時間29分とやはり長いようです。
このサイトで何度か「フレンチ・パラドックス」について述べたことがあります。フランス人は脂っこい料理をよく食べておまけに喫煙率も高いのに心筋梗塞などの心疾患の罹患率が少ない、というものです。一部の学者は統計の取り方に問題があり、フランス人に心疾患が少ないわけではない、すなわちフレンチ・パラドックスは存在しない、と言いますが、依然フレンチ・パラドックスを支持する意見も多数あります。またフランス人は肥満が少ないというデータがありこれは客観的な事実です(注3)。
フレンチ・パラドックスが生じる理由に赤ワインが指摘されることがありますが、私は「何を食べるか何を飲むかではなく、ゆっくりと食べることが健康にいいのでは?」という自説を述べました(注4)。
私はフレンチ・パラドックスの本当の理由としてもうひとつ、「睡眠時間の長さ」があるのではないかと考えています。私がこれまでに接したフランス人はそれほど多くはありませんが、彼(女)らは「よく眠れたか」など睡眠に関する話題をよく口に出します。フランスベッドが高級品であることからも分かるように、フランス人は睡眠時間だけでなく睡眠の質にこだわります。
健康を維持する秘訣として、私が以前から提唱しているのは「3つのE」です(注5)。これは「3つのEnjoy」と覚えてほしいのですが、Early-morning wake up(早起きして質のいい睡眠を確保する), Exercise(運動), Eating(食事)です。Early-morning wake upは、早く起きることそのものよりも重要なのは毎日同じ時間に起きて同じ時間に眠る、ということです。フランス人は、これができて、食事もゆっくりと食べることで健康を維持できているのでは、というのが私の考えです。
以前フランスに詳しいある人(日本人男性)から興味深いことを聞きました。その男性は強靱な肉体を維持していて自衛隊に入隊していたこともあるそうなのですが、フランスで街を歩くと、ヒールを履いた女性に追い抜かされるというのです。つまりフランス人は速く歩くことによって効果的な運動(Exercise)もできているというわけです。歩く速さは大阪が世界一とどこかで聞いたことがあるのですが、フランス人の歩く速度は大阪人よりも速いのでしょうか。ちなみにこの日本人男性によると、フランス人(特に女性)に抜かれることと、犬の糞があまりにも多いことがフランスの歩道の特徴だそうです。
以上をまとめると、フランス人は、睡眠、食事、運動のすべてにおいて健康的ということになります。OECDのデータによると、フランスの平均寿命は82.1歳(2012年)で、これは、日本、アイスランド、スイス、スペイン、イタリアについで第6位になります。もしもフランス人の喫煙率が下がればもっと伸びるのではないでしょうか。(尚、ここで詳しい言及は避けますが、日本人の平均寿命が長いのは「寝たきり」が多いからであり、健康年齢でみると海外諸国よりも短いのでは?という意見もあります)
さて、問題はここからです。18歳以上は7時間以上の睡眠が必要、と言われても、残業時間の多い人などは物理的にそんなに睡眠時間を確保できないと考えるでしょう。また、時間を確保できたとしても眠りたいのはやまやまだが眠れなくて困っている、という人もいるでしょう。
眠れないなら睡眠薬、という考えは間違いです。実際、医療機関では「眠れないから睡眠薬を処方してください」という患者さんに、「はい。では出しましょう」と簡単に睡眠薬を処方するわけではありません。まずは、薬なしで睡眠がとれる生活習慣の指導から始まります。次回はそのあたりをお話したいと思います。
注1:この論文のタイトルは「National Sleep Foundation’s sleep time duration recommendations: methodology and results summary」で、下記URLで全文を読むことができます。
http://www.sleephealthjournal.org/article/S2352-7218%2815%2900015-7/fulltext
注2:OECDのこのデータは下記で参照することができます。
http://www.oecd.org/gender/data/balancingpaidworkunpaidworkandleisure.htm
注3、注4:詳しくは下記コラムを参照ください。
メディカルエッセイ第142回(2014年11月)「速く歩いてゆっくり食べる(後編)」
注5:逆にすぐにでもやめるべきなのは「3つのS」です。詳しくは下記コラムを参照ください。
メディカルエッセイ第129回(2013年10月)「危険な「座りっぱなし」」
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|2015年1月23日 金曜日
第137回(2015年1月) 脳振盪の誤解~慢性外傷性脳症(CTE)の恐怖~
2014年の「感動した出来事」に、フィギュアスケートの羽生結弦さんの健闘をあげる人が少なくないようです。特に2014年11月8日に上海で開かれた大会で練習中に中国選手と激突し、頭部から出血ししばらく起き上がれなかったものの、自身の強い意志で予定通り出場し2位を獲得したことは日本中に大きな感動を呼びました。
しかし、当初から関係者の間では「出場させるべきではなかった」という声が少なくありませんでした。脳振盪というのは、主にスポーツなどで頭部を強打した直後に一時的に意識がぼーっとする状態になることを言います。かつてはそれほど重視されていませんでしたが、後で詳しく述べるように、ここ数年は、特にアメリカで最も注目されている疾患のひとつと言えます。
脳振盪というのは、スポーツなどで頭部に外力が加わり、一時的に意識障害を来すものの障害は一過性である、というのがおおまかな定義になると思います。「一過性」であるわけですから、意識が戻れば心配がない、と従来は考えられていました。
ただし、頭を強打したときには、単なる脳振盪ではなく、「急性硬膜外血腫」や「急性硬膜下血腫」といって頭蓋内に出血が起こり入院・手術が必要になる場合もありますし、あまりに衝撃が強いと「びまん性脳損傷」(「びまん性軸索損傷」ともいいます)といって長期間障害が残ることもあります。急性硬膜外血腫や急性硬膜下血腫の場合はCTで、びまん性脳損傷の場合はMRIで診断をつけます。
さて、ここまでは私が医学部の学生の頃に学んだことなのですが、今回お話ししたいのは2000年代に入ってから注目されている脳振盪を原因とした脳の疾患についてです。この疾患は「慢性外傷性脳症(chronic traumatic encephalopathy)」(以下CTE)と呼ばれる疾患で、ボクサーに多いことから以前はパンチドランカーと呼ばれていたもののことです。
最近になって注目されるようになったきっかけは、米国のアメリカンフットボールのスーパースター、マイク・ウェブスターの死亡です。日本のマスコミでほとんど報道されていないと思いますので経緯を簡単に振り返っておきます。
ウェブスターが死亡したのは2002年9月24日。当初、死因は心疾患と報道されましたが真相は異なっていました。死体を解剖した病理医が、脳皮質にタウ蛋白陽性の神経原線維変化が存在することを見つけたのです。そして、この神経原線維変化は、ボクサーに見られる脳障害と酷似していることをつきとめ、アメリカンフットボールのプレイで頭部への衝撃(つまり脳震盪)が繰り返されたことが病因であるCTEである可能性を疑ったのです。
ところで、当初心疾患が死因と考えられていた死体の解剖でなぜ脳細胞が詳しく調べられたのでしょうか。それは、引退後ウェブスターが奇妙な行動を取るようになっていたからです。浪費を繰り返すようになり、記憶障害やイライラ・抑うつなどの精神症状が出現し、家を失い、妻には去られ、ついにホームレスにまで転落していました。そこで担当した病理医は認知症を疑い、脳細胞を詳しく調べたというわけです。
この病理医は解剖の所見を論文にまとめて公表しました。そして脳振盪が従来考えられていたような一過性の軽度のものではなく、ウェブスターにおこったように精神を蝕み悲惨な顛末となるCTEの原因となる可能性を指摘しました。
ところがNFL(National Football League)が真っ向からこの病理医の見解に反対し、論文撤回を求めました。NFLとしては、アメリカンフットボールが危険なスポーツであると思われることを何としても避けたいという思惑があります。そこでNFLは学者を抱え込み、脳振盪はたいしたことがないんだ、という言わば<初めに結論ありき>の調査をおこなったのです。
そしてNFL主体の研究チームは、「脳振盪を繰り返し起こしたとしても心配する必要はない」と結論付けました。脳振盪の症状が回復していない時期に、再度衝撃が加わるとsecond impact syndrome(SIS)と呼ばれる後遺症を残す疾患が知られていますが、アメリカンフットボールの選手には生じていないとし、ボクサーに見られるような脳の症状は認められないと強調しました。
NFL主体のこの論文が審査にも通り堂々と発表されたのは政治的な要因があったのではないかと言われています。また、NFLは潤沢な資金を用いマスコミを誘導し、アメリカンフットボールの脳振盪は心配ないことを世間にアピールするようになりました。となると、ウェブスターを解剖した病理医は世間を騒がせ「誤診」をした医師とみなされることになってしまいます。
しかし、すぐに立場が逆転することになります。病理医はウェブスターに続く第2例目の解剖結果を発表したのです。2例目は、引退後うつ病を患い2005年に自殺したテリー・ロングというウェブスターの元チームメイトです。脳細胞に、ウェブスターと同様、タウ蛋白陽性の神経原線維が広範な領域に認められたのです。また、脳振盪の危険性に注目していたのはこの病理医だけではありませんでした。全米で次第にアメリカンフットボールの選手の脳振盪がCTEのリスクであるとするデータが集まり出したのです。
脳振盪がCTEの原因であることがアメリカで広く知られるようになったのは、元プロレスラーのクリス・ノウィンスキーの貢献によるところが大きいようです。自らCTEであることを疑ったノウィンスキーは、脳振盪の危険性を訴えるためにマスコミを利用しました。2007年1月18日、『The New York Times』の第一面に、「自殺の原因は脳障害。アメリカンフットボールが原因で認知症やうつ病が起こる」という内容が掲載され(注1)これで一気に米国民に認知されることになりました。
この頃から精神症状に苦しめられていた元アメリカンフットボールの選手たちが次々とNFLを訴えることになりました。2013年8月の時点で「脳震盪訴訟」の原告となった元選手の数はなんと4,500人にも達し、それまで脳振盪はCTEの原因でないと真っ向から反対していたNFLも、ついに2009年に自説を撤回し原告の要求に応じることになります。2013年8月、損害賠償総額7億6500万ドル(約918億円)で和解が成立したことが発表されました。
雑誌『The New Yorker』の2014年1月27日号にオバマ大統領への取材記事が掲載されています。この取材で、フットボール選手のCTEの問題について聞かれたとき、オバマ大統領は「もし自分に息子がいたとすれば、フットボールの選手にはさせない」と発言しています(注2)。
アメリカで人気のスポーツには、アメリカンフットボール以外に野球(メジャーリーグ)があります。野球はフットボールほど頭部外傷が多くありませんが、それでも脳振盪が起こらないことはありません。2012年12月、元大リーグ選手のライアン・フリールがショットガンで自殺をしました。その1年後の2013年12月、フリールの遺族は、彼がCTEを患っていた事実を公表し全米の野球ファンを驚かせました。
アメリカの実際の状況を知ることは私にはできませんが、ここまで事実が積み上げられ、NFLが訴訟に応じ、大統領が「自分の息子には・・・」という発言をしているのです。アメリカでは今後コンタクトスポーツをおこなう子どもが減っていくことが予想されます。
では、日本ではどうでしょうか。私の知る限り、冒頭で紹介した羽生結弦さんの脳振盪の報道でCTEに触れたものはありませんし、それどころかこれまでCTEの文字を一般のマスコミで見かけたことすらほとんどありません。認知症予防に有効かもしれないとされるサプリメントの情報を必死で集めるような国民が、スポーツによるCTEの情報に興味を持たないはずがないと思うのですが、私の知る限り新聞や週刊誌に記事を載せるジャーナリストも見当たりません。
これは、NFLが当初そうであったように、コンタクトスポーツを回避すべきとする情報が流布することをスポーツ団体が危惧しているのでしょうか(注3)。それともスポーツ関連企業の圧力があるからなのでしょうか。
コンタクトスポーツには大変魅力があり、自分でやることはないものの、実は私も、ボクシングを初めとした格闘技やサッカー、アメリカンフットボールなどを観戦するのは大好きです。しかし、その選手たちが引退後にうつ病や認知症を患い、さらに自殺を遂行する可能性があると考えると複雑な気持ちになります。
それぞれのスポーツのCTEのリスクは実際にはどの程度なのでしょうか。アメリカではこれだけ大きな問題として注目されているわけですから、日本も行政主体の大規模調査をおこなうべきではないでしょうか。
注1:『The New York Times』のこの記事のタイトルは「Expert Ties Ex-Player’s Suicide to Brain Damage」で、下記URLで全文を読むことができます。
http://www.nytimes.com/2007/01/18/sports/football/18waters.html
注2:『The New Yorker』のこの記事は下記URLで全文を参照することができます。
http://www.newyorker.com/magazine/2014/01/27/going-the-distance-2
注3:ちなみに日本脳神経外科学会は2013年12月16日付けで「スポーツによる脳損傷を予防するための提言」と題した提言書を公表しています。ただしCTEについての記載はありません。
http://jns.umin.ac.jp/cgi-bin/new/files/2013_12_20j.pdf
また、日本サッカー協会(JFA)はウェブサイトのなかで「メディカルインフォメーション」というページで脳振盪の危険性について指針を公表しています。ただしCTEについての記載はありません。
http://www.jfa.jp/football_family/medical/b08.html
参考:
1.『ジ・エンド・オブ・イルネス 病気にならない生き方』デイビッド・B・エイガス 、クリスティン・ロバーグ 著(日経BP社)
2.医学書院ウェブサイト内のコラム李啓充氏による「続・アメリカ医療の光と影」
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03060_04
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|2014年12月23日 火曜日
第136回(2014年12月) 巻き爪はテーピングだけで大きく改善
あまり深刻な病気とは捉えられませんが「巻き爪」で悩んでいる人は少なくありません。ときに眠れないほど痛くなることもありますし、細菌感染を起こして抗菌薬が必要になる場合もあります。
巻き爪の治療というのは従来は手術が基本でした。最も古典的な治療法は「爪をすべて取ってしまう」という荒っぽい方法ですが、その後いろんな手術法が考案されています。実は、私自身が医師になり初めてひとりでおこなうことを許された手術が巻き爪の手術です。
私が形成外科で研修を受けていた頃、ほぼ毎日何らかのかたちで外科的な処置をさせてもらっていたのですが、自分ひとりで最初から最後まで手術をおこなうということはなかなか許してもらえませんでした。しかし、当時はどんなことでも勉強になりましたから、どのような手術でも補助的なことをさせてもらうために積極的に関わらせてもらっていました。
縫合にはいろんな方法があり、きれいに縫うためにはかなり訓練をつまなくてはなりません。技術がないのに患者さんの皮膚を縫うわけにはいきませんから、手術であまった糸をわけてもらい、縫合の練習用のシリコンシートと持針器やハサミを寮に持ち帰り練習していました。ある程度できるようになると、自分の当番のとき以外も深夜の救急外来に入らせてもらい、縫合が必要になる症例がくると「自分にやらせてください」と言って縫合の機会を増やしていきました。
不謹慎な表現と思われるでしょうが、当時の私は縫合が楽しくて仕方がありませんでした。転倒して頭から血を流している泥酔者や、リストカットをしてわめいている若い女性というのは、医療者からすると好まれないことが多いのですが、私はこういった患者さんもまったく苦にならずに喜んで縫合させてもらっていました。もっとも、私は他の研修医に比べると、泥酔者や精神錯乱をきたしている若い女性とのコミュニケーションもさほど苦痛に感じなかったので、こういった症例には向いていたのかもしれません。
傷を負って救急外来を受診される症例と、腫瘍摘出などの手術症例とはまったく異なります。手術は医師がメスで患者さんの皮膚に傷をつけるからです。そのため、皮膚腫瘍の手術を、最初から最後までひとりでおこなうことはなかなかさせてもらえないのです。
話が大きくそれてしまいました。巻き爪に話を戻します。私が初めてひとりでおこなうことを許された手術が巻き爪の手術で「フェノール法」という方法です。もっとも、この手術はメスを使わずに、麻酔をかけてハサミで爪を縦に切り「爪母」と呼ばれる爪の根元にフェノールを塗布して爪がはえないようにするという方法です。麻酔をかけて爪をハサミで切るだけの単純な処置ですから、手術と呼ぶほどのものではないかもしれません。しかし自分が初めて「執刀医」をした手術ですから今もそのときの様子は鮮明に覚えています。もちろん手術記録も残しています。
さて、巻き爪というのはありふれた疾患ですから、形成外科での修行を終えた後、大学の総合診療部に入ってからも私はフェノール法で巻き爪の治療をおこなっていくつもりでいました。
ところが、です。その後皮膚科や形成外科の研修を続けているうちに、フェノール法を含めて「爪を切る」という治療が最善でないことを知ることになりました。フェノール法以外には「鬼塚法」という術式があるのですが、この方法でも爪を縦に切ることになります。これらの術式であれば手術をすればすぐに痛みから解放され、術後の患者さんの満足度は高いのですが、数年から10年くらい経過すると再び残った爪が巻いてくることがあるのです。こうなると次は爪をすべて取ってしまわなければなりません。
足の親指の爪というのは意外に重要で、スポーツ選手などは爪がなくなるとパフォーマンスが大きく落ちるという人もいます。おそらく体幹のバランスをとるのに何らかの関与をしているのでしょう。そして、こういった点を考慮すると、フェノール法でも鬼塚法でも、あるいは他の方法でも巻き爪の治療で爪を切ること自体が適切でないということになります。
そこで、爪を温存したまま巻き爪を治す治療法について勉強することになりました。私が総合診療部に籍を置きながら勉強に行っていた皮膚科・形成外科のクリニックではVHO法という術式をおこなっていました。これは爪の両端に特殊なワイヤーをかけて曲がった爪をまっすぐにする方法です。非常によく考えられた方法ですが実践するのには訓練が必要でライセンスを取得しなければなりません。そこで私はメーカーが主催するセミナーに参加しライセンスを取得しました。
ただしVHO法は保険適用がなくコストが高くなりますので、もう少し安い治療法も検討すべきです。比較的簡単な方法に、形状記憶の金属プレートを爪に装着させる、と言う方法があります。専用の長方形のプレートを爪に接着させ、毎日患者さんに自宅でドライヤーを用いて熱を加えてもらうという方法です。熱が加われば金属はまっすぐになろうとし曲がった爪がまっすぐになるというわけです。
爪と皮膚の間にセルロイドのシートを置く、という方法もあります。これはレントゲンのフィルムのようなセルロイドのシートを食い込んでいる爪の下に置く方法で痛みが速やかに軽減されます。また、点滴に用いるチューブを1~1.5cmくらい切り取って縦にハサミを入れそれを巻いている爪を保護するようなかたちで留置する、という方法(これを「ガター法」と呼びます)もあります。
こういった方法を組み合わせれば、フェノール法をおこなわなくても、つまり爪を切らなくても治療ができるわけで、クリニックをオープンした年(2007年)にはそれなりにおこなっていました。
しかし、以前にも述べたことがありますが、大きな手術でないとはいえ、これらの処置には麻酔を要することも多くそれなりに時間がかかります。医師ひとりのクリニックでは到底おこなうことができず1年もたたないうちに中止せざるを得なくなりました。巻き爪だけでなく、オープンした当時は皮膚腫瘍摘出術なども積極的におこなっていましたが、巻き爪と同様、時間的な制約から続けることができなくなりました。
しかし巻き爪の患者さんは少なくありません。そこで私は患者さん自身に自宅でテーピングをおこなってもらう方法を伝えるようにしました。重症化するとこの方法では治りませんが、軽症から中等症くらいであれば多くの症例で、少なくとも痛みに関しては改善するのです。初診時には、手術が必要になるかもしれないと思える症例や難治性の症例でも適切なテーピングだけで痛みから改善され、見た目には劇的な改善をしていなくても治療を要するほどではなくなることも多いのです。
そして、巻き爪にはテーピングが有効であるということをまとめた論文が最近発表されました。『The Annals of Family Medicine』という家庭医(総合診療医、プライマリ・ケア医)向けの医学誌の2014年11月12月号に掲載されており(注1)、執筆したのは日本の医師です。この論文が皮膚科・形成外科の専門誌でなく家庭医向けの医学誌に掲載されたということは、テーピングによるこの方法が有効であるというだけでなく、簡単におこなえるということを物語っています。
論文を執筆した医師は、テーピングを指導した合計541例(男性182例、女性359例)の症例を分析しています。2ヶ月が経過した時点で、約半数の44.5%で爪の形が改善したそうです。残りの半数では他の治療が必要となったものの、それでもほとんどの症例ではテーピングだけで痛みが改善したそうです。
では、どのようにテーピングをおこなうかですが、これを文章にするのは困難なので、この論文に掲載されている写真を参照してみてください(注2)。
ところで巻き爪は治療よりも大切なことが2つあります。1つは「爪を切りすぎない」ということで、実際巻き爪の原因のほとんどが爪の切りすぎです。足の爪については多くの人が切りすぎています。手の指は少々深爪をしても問題になりませんが、足の指は要注意です。どれくらいが適切かというと、足の裏からみて爪が見える程度、靴下をはくときに爪がひっかかってはきにくいと感じる程度がいいと私はよく患者さんに話しています。
もうひとつ大切なことは、もしも爪の水虫があれば速やかに治療をおこなうということです。爪の水虫は爪が濁ってきますから、それを取り除こうとしてついつい爪を切りすぎてしまいます。また水虫に侵されることで爪がボロボロになり切らなくても爪が短くなっていくことがありこれも巻き爪のリスクになります。
では巻き爪をまとめておきましょう。
・巻き爪の原因のほとんどは「爪の切りすぎ」であり、多くの人が切りすぎている。(つまり、多くの人が巻き爪になるリスクがある)
・爪の水虫があると巻き爪をおこしやすい。速やかな治療を検討すべき。
・巻き爪で手術をおこなうと将来再発することが多い。VHO法、ガター法など手術の前に検討すべき治療法がいくつもある。(ただしこれらの一部は保険適用外の治療です)
・医療機関で治療をおこなわなくても自身でおこなうテーピングで改善することが多い。
注1:この論文のタイトルは「Patient-Controlled Taping for the Treatment of Ingrown Toenails」で、下記URLで全文を読むことができます。
http://annfammed.org/content/12/6/553.full
注2:下記URLで写真を見ることができます。
http://annfammed.org/content/suppl/2014/11/07/12.6.553.DC1/Tsunoda_Supp_App.pdf
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|2014年11月21日 金曜日
第135回 乾癬(かんせん)の苦痛 2014/11/21
あなたは「見た目」で差別されたことがあるでしょうか。例えば、背が低いことでバカにされた、太っていることでいじめられた、ヨーロッパに留学していたときに東洋人というだけで差別をされた、髪が薄いことを笑われた、といったあたりは自身に経験がなくても比較的よくある話だと思います。このようなことで差別をするのが「間違っている」ことは自明ですが、世界中から完全になくなることはないでしょう。
では、他人に危害を加えるわけでもないのに患っているというだけで温泉や銭湯の入場を拒否されるとしたらどうでしょう。こうなると「間違っている」を越えて「決して許してはいけない」というレベルになります。
今回お話したいのは乾癬(かんせん)という皮膚の疾患についてなのですが、この疾患は患者数が多い割にはそれほど有名でなく、患者さんの苦痛が伝えられることは比較的少ないように感じられます。しかし、この疾患を患うと痛みや痒みよりもむしろ、見た目から相当辛い思いをする場合があります。
乾癬とは慢性の皮膚疾患のひとつで、痒みとともに独特の皮膚症状を呈します。重症化すれば痛みの伴う関節炎症状が加わることもあります。皮膚症状には特徴がありますから、多くは見ただけで診断がつきます。
乾癬の皮膚症状は、よくなったり悪くなったりします。後で詳しく述べますが、生活習慣の乱れやストレスなどから一気に増悪することがあり、そうなると全身に皮疹が出現し、赤みが強いことからかなり目立つようになります。
このような状態で銭湯や温泉に行くと、ひどい場合は入場を断られるのです。乾癬は悪化すると見た目が”派手”になりいかにも重篤な疾患のように見えるのですが、他人に感染させる疾患ではありません。しかし実際には社会から正しく理解されていません。
私はこれまでに何度か「この病気は感染させるものではないということを会社や家族に伝えてほしい」と患者さんから頼まれたことがあります。おそらく乾癬(かんせん)も感染(かんせん)も発音が同じために「他人にうつす病気」というイメージがなんとなくできてしまうのでしょう。
ここでもう一度「見た目」で銭湯や温泉の入場を断られるという辛さを考えてみてください。このようなことはあってはならないわけで、実際に起こってしまっているのは社会に対しての啓発活動が不充分な我々医療者の責任もありますが、銭湯や温泉、あるいは宿泊施設の方々にもきちんと理解してもらいたいと思います。
「見た目」の病気を理由に温泉施設の利用を断られた最近の事件として有名なものに、2003年の熊本の「ハンセン病元患者宿泊拒否事件」があります。これは国立療養所菊池恵楓園というハンセン病の元患者さんが入所している施設の行事として計画されていた温泉旅行で、いったん予約を入れた宿泊先のホテルから「他の宿泊客への迷惑」という理由で宿泊を断られたという事件です。
もっとも、ハンセン病はすでに「治る病気」であり、この事件は”現在の”「見た目」で宿泊を拒否されたのではなく(もしかすると後遺症で手指や鼻が変形していた人がいたのかもしれませんが)、ハンセン病のイメージがホテルにこのような行動をとらせたのでしょう。この事件についてここではこれ以上深入りしませんが、結論を言えば、このホテルは社会から非難をあび、現在は廃業しています。
ハンセン病がなぜこれほどまでに差別を受けるのでしょうか。ハンセン病の感染力というのは非常に弱く、よほど緊密な接触がなければ感染しません。にもかかわらず隔離されて差別を受けていた歴史があるのは「見た目」の理由が大きいでしょう。顔面にも特徴的な皮疹が出現しますから重症化するとかなり目立ちます。感染力が弱いとはいえ、感染症であるのは事実ですからあってはならない差別が生まれてしまったのです。
ちなみに私は医学生の頃からハンセン病に何らかのかたちで関わりたいと考えており、宿泊拒否事件で報道された国立療養所菊池恵楓園にも訪れたことがありますし、北タイにあるMcKean Hospitalというハンセン病の専門病院にも数年に一度は訪問しています(注1)。そういう事情もあって、ハンセン病の話をしだすと止まらなくなるので、このあたりで乾癬に話を戻したいのですがもうひとつだけ。
日本映画史に残る名作中の名作に『砂の器』というものがあります。著名な音楽家がなぜ殺人を犯したのか、それがラストのオーケストラの演奏と同時に描写されるのですが、これをみればハンセン病という病がどれだけ差別を受けてきたか、ハンセン病を家族にもつ者がどれだけ辛い思いをしてきたかが分かります。
この映画の最後に「本浦千代吉(映画に登場するハンセン病の患者)のような患者はもうどこにもいない」というキャプションが流れるのですが、今の時代にこれを見ると少し違和感を覚えます。「もうどこにもいない」とするより「今も差別は完全になくなっていない」とする方がいいのではないかと私には思えるのですが、おそらくこの映画が作製された1970年代には今よりも差別が根強く残っていたのでしょう。「現在は治療できる病気です」ということを強く訴えたかったがゆえにこのようなキャプションが入れられたのではないかと私は推測しています。
さて乾癬に話を戻しましょう。信憑性のあるデータを見つけることができなかったのですが、この病気は確実に増えています。元々は白人に多い疾患でしたが日本人にも増えています。これは生活習慣病と同様に戦後欧米型の食事が普及したからだと思われます。
また、これもきちんとしたデータは見たことがないのですが、あるベテランの皮膚科の先生から、日本人よりも在日韓国人に多いようだ、と聞いたことがあります。これは日本人に比べて韓国人の方が肉を食べる機会が多いからではないかとその先生は話されていました。
肉食が乾癬を悪化させるのはほぼ間違いありません。糖尿病や高脂血症(特に高トリグリセライド血症)のある人が、西洋型の食事から和食に替えると数値が改善しますが、乾癬も(あるいは乾癬の方がむしろ顕著に)大きく症状が改善することが多いのです。一部の症例では”劇的に”とも言えるほど改善します。私が研修医時代に診た患者さんは、入院を要する程重症化していましたが、入院後1週間もすれば入院前と薬を替えたわけでもないのにもかかわらずほとんど完全に皮疹が消えた程です。
乾癬の患者さんのなかには、食事に気をつけて規則正しい生活を送っているのにもかかわらず重症化していく人もいます。そういう人のなかには、爪や関節にも症状が及び、やがて日常生活もままならなくなっていく人もいます。そこまでいくと強力な免疫抑制剤や生物製剤といって関節リウマチに用いるような高価な薬剤が必要になります。まだ完全に解明されたわけではありませんが乾癬は関節リウマチと遺伝子学的に近い病態であることが指摘されています。
規則正しい生活を送っていても関節リウマチを発症するのと同様に、乾癬の場合も生活習慣に問題がなくても発症することがあります。ですから、乾癬は生活習慣が乱れているからだ、ということを言い過ぎると”差別”を生むことになりかねません。
ですが、それなりに重症の人でも食事の内容を変えるだけで、あるいは禁煙をするだけで見違える程改善する人が少なくないのも事実です。実際、太融寺町谷口医院の乾癬の患者さんの多くは、初診時には「皮膚をなんとかしてほしい」といって受診されますが、そのうちに生活習慣病の治療や指導、禁煙治療などが主になっていきます。
そして、全例とは言いませんが、大部分の人は生活習慣病がよくなり、禁煙も成功します。これは、辛い思いをした皮膚症状に二度と悩まされたくないという気持ちがあるからではないでしょうか。皮膚のところどころが真っ赤になり他人から避けられるという辛さ、さらに実際に銭湯や温泉の入場が断られる(かもしれない)という恐怖は並大抵のものではありません。
ところで「世界乾癬デイ」はいつかご存知でしょうか。私はこれまでいろんな医師に尋ねてみましたが、皮膚科専門医も含めて答えられた医師はひとりもいません。しかし私は知っています。なぜかというと「世界乾癬デイ」は私の誕生日と同じ10月29日だからです。私は自分の誕生日が近づくと、「見た目」で温泉の入場を断られたという乾癬の患者さんを思い出すのです。
注1:McKean Hospital及びタイのハンセン病の事情についてNPO法人GINAのサイトで詳しく書きました。興味のある方は参照してみてください。
GINAコラム「タイのハンセン病とエイズ」2006年5月
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|2014年10月21日 火曜日
第134回 誤解だらけの脂肪肝とNASH 2014/10/21
患者さんの病気に対する認識が我々医療者の認識と随分と異なっていて驚かされることがしばしばあります。例えば、抗ガン剤は百害あって一利なしと思っている人、ステロイドが猛毒だと信じている人、すぐれた薬が開発されたからHIVは予防しなくてもよいと思っている人、活性酸素が怖いといって一切の運動を行わない人、などいくらでも挙げることができます。
今回はそんな患者さんの”誤解”のなかで、最近特に目立つと私が感じている「NASH」について紹介したいと思います。NASHは「ナッシュ」と呼び、正式名は「Nonalcoholic Steatohepatitis」で、日本語では「非アルコール性脂肪肝炎」と言います。(steato-というのは脂肪という意味の接頭語で医学用語ではよくでてきます)
患者さんにこの病気について最初に話をするときは「非アルコール性脂肪肝炎と呼ばれる病気で・・・」というような説明をすることもありますが、患者さんにも「ナッシュ」という呼び名を覚えてもらうように私はしています。ナッシュという言葉の響きがどこかかわいらしいですし(病態自体は憎いものですが)、ほとんどの患者さんは「非アルコール・・・」よりも「ナッシュ」の方が覚えやすいと言います。
このNASHについて何が”誤解”かというと、NASHという病気の名前を知っていてもただの脂肪肝と思っている人が非常に多いのです。これは完全な誤りで、NASHとは放っておけばガンになるかもしれない大変重要な病気です。実際、NASHの診断がついた人の1~2割は10年後に肝臓ガンになることが指摘されています。
ここで言葉を整理したいと思います。NASHすなわち非アルコール性脂肪肝炎という病名に、わざわざ「非アルコール性」と付けられているのは「アルコール性」と区別する必要があるからです。
周知のようにアルコールを飲み過ぎると肝臓がやられます。まず「アルコール性脂肪肝」という状態になり、これが進行すると「アルコール性肝炎」となり、さらに進行すると「アルコール性肝硬変」あるいは「肝臓ガン」にまで進展します。こうなれば命にかかわる状態となります。つまりアルコールというのは肝臓の組織を崩壊させ死に至る病に移行させることもある大変危険な物質なのです。(もちろん適量であれば病気をもたらすどころか、その逆に健康増進につながるものでもあります)
一方、アルコールによるものではない、単に食べ過ぎや肥満から起こる脂肪肝はそれほど重要視されてきませんでした。アルコールは依存性があるために簡単にやめられないのに対し、食べ過ぎや肥満から起こる脂肪肝は「やせればいいんでしょ」というふうに捉えられることが多いからでしょう。(実際はやせるのも大変な場合が少なくないのですが)
NASHの詳しい説明に入る前にもうひとつ別の病名を紹介したいと思います。それは「NAFLD」というもので「ナッフルディー」と呼びます。正式名称は「Nonalcoholic Fatty Liver Disease」で日本語では「非アルコール性脂肪性肝疾患」です。ナッシュと同様、これも日本語の「非アルコール性・・・」は覚えにくいでしょうから、ナッフルディーと呼ぶ方がいいでしょう。
NAFLDはNASHを含む非アルコール性の肝障害をすべて包括したものです。NASHは「肝炎」ですから肝細胞に炎症がある状態で、NAFLDの重症型と言うことができます。そして日本人のNAFLDの1~2割がNASHであると言われています。日本では健康診断を受けた人の1~3割、あるいは日本人の1,500万人~2,000万人がNAFLDであることが指摘されています。ただ、健診の結果の説明を受けるときは、「あなたはNAFLDですよ」という言われ方はあまりしないと思われます。実際には、「肝臓の数字が少し悪いですね」とか「脂肪肝になってますね」という言い方をされているはずです。
日本で1,500万人~2,000万人がNAFLDで、そのうち1~2割がNASH、そしてNASHが進行すると肝硬変や肝臓ガンになる、10年後の発ガン率は1~2割・・・、と言われればなんとしても防ぎたい疾患であることがわかると思います。
ではNAFLDにならないように肥満に気をつけよう、という考え方は間違っていません。さらに、NASHは脂肪の摂り過ぎという生活習慣の乱れからきているんだから、他の生活習慣病も一緒に予防すればいいんだな、という考えも正しいといえます。実際、NASHのなかで肝臓ガンが発生しやすい人というのは「肥満が顕著で生活習慣病を合併している人」です。例えば、NASHがあり、BMI35(身長160cmなら約90kg、170cmなら約100kg)で肝臓ガンの発生率が4倍になり、糖尿病があれば2~4倍、また高血圧も発ガンのリスクであることが分かっています。
NASHは肥満があれば起こりやすいわけですから、男性では肥満者が増加する30~40代から増え出します。女性の場合は閉経後に増えるという特徴があります。しかし、男女とも小児期から肥満があれば20代でも起こりえます。
では、やせていれば問題ないのかというと、そういうわけでもありません。特に怖いのが極端にやせている人、とりわけ拒食症を患っている人です。拒食症が「死に至る病」であることは以前紹介しましたが(注1)、拒食症の死因のひとつがNASHであろうと言われています。カレン・カーペンター(といっても若い人は知らないかもしれませんが)は拒食症から心不全を来したとされていますが、直接の死因はNASHだったのではないかとの噂もあります。
肥満がある人はやせること、あるいは拒食症の人は食べること、つまり適正体重を保つことがNASHの予防になるわけですが、では進行してしまったNASHに対してはどのような治療をすればいいのでしょう。残念ながら現在NASHに有効な薬はほとんどありません。新しい薬に期待できないのかというと、最近(2014年8月)米国でNASHに対する新薬が承認されましたので近いうちに日本でも処方可能になるかもしれません。しかし、大切なことは薬に頼るのではなく、どの段階であったとしても、つまりすでに肝細胞の障害が進行していたとしても、適正体重にもっていく努力をすることです。
どうしてもやせることができないという人には手術という選択肢もあります。どこの医療機関でもおこなっているわけではありませんが、食事量を減らすことを目的とした胃の手術がいくつかあります。(ただし、現時点ではこれらの手術に保険適用はなく全額自費診療となります)
最も侵襲性が低い(身体への負担が小さい)手術は「内視鏡的胃内バルーン留置術」と呼ばれるもので、簡単にいえば、胃カメラを用いて胃の中でバルーン(風船)を膨らませてそれを胃内に留置するという方法です。バルーンのせいで胃の体積が減ることで食事量が減るというわけです。
全身麻酔下で腹腔鏡を用いた手術(腹部を大きくあけるのではなく小さな穴を3カ所ほど開けてそこから器具を挿入する手術)もあります。「腹腔鏡下調節性胃バンディング術」といって胃全体を外側からバンドでくくって胃内の体積を小さくする方法や、「腹腔鏡下スリーブ状胃切除術」といって胃の大部分を切除して胃を腸のような細い管にしてしまう方法があります。
NASHは生まれたときから患っている人はいないわけですし、感染するものでもありません。たしかに、遺伝的に太りやすい、脂肪をためやすい、そしてNASHになりやすいということはあります。実際、米国でもヒスパニック系はNASHに遺伝的になりやすいことが指摘されています。
ただしすべて遺伝で決まるわけではなく、実際には遺伝よりも生活習慣の占める割合の方が大きいのです。ならば肥満(あるいは極端なやせ)がある人は、今一度肥満(やせ)のリスクについて再考し、生活習慣の見直しをするべきということになります。
NAFLDという言葉を聞いたことがないという人も、もしも健康診断などで「軽度の肝機能障害がある」、「肝臓の数字が少し悪化している」、「脂肪肝がある」などということを言われたことがあれば、NASHの可能性はないのかどうか、日常生活でどのようなことに気をつければいいのかについてかかりつけ医に聞いてみることをすすめます。
おどかすようで恐縮ですが、NAFLDの1~2割がNASHであり、NASHの1~2割が10年後に肝臓ガンになるということは覚えておいた方がいいでしょう。
注1:詳しくは下記を参照ください。
はやりの病気第38回(2006年10月)「本当に恐ろしい拒食症」
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|2014年9月22日 月曜日
第133回 デングよりチクングニアにご用心 2014/9/22
今月(2014年9月)に日本で最も注目された感染症といえばデング熱でしょう。8月27日に国内での感染が1945年以来69年ぶりに報告され、その後感染の報告が相次ぎました。厚生労働省の発表によりますと、9月19日時点で感染者は141名に上り、大半は代々木公園を中心とした東京の公園に近づいた人ですが、なかには、最近東京を訪れたことがなく、海外への渡航歴もない千葉県の男性が感染していたという報告もあります。
2014年8月は連日エボラ出血熱の報道が相次いでいたわけですが、それが東京でデング熱の報告があったとたんに、各マスコミは手のひらをかえしたようにエボラ出血熱にはほとんど触れなくなり、連日デング熱一辺倒となりました。(エボラ出血熱は9月中旬の時点で終息に向かっておらず今回の流行による感染者は6千人にせまる勢いで、すでに2,700人以上が死亡しています)
デング熱を媒介する蚊はネッタイシマカとヒトスジシマカの2種が知られており、ネッタイシマカの方が感染を広げやすいと言われています。日本にはネッタイシマカは存在せず、それほど感染が広がらないと言われているヒトスジシマカのみが生息しているだけであり、さらにそのヒトスジシマカも気温が下がれば生息できませんから、今後急速に感染者の報告がなくなることが予想されます。マスコミは次々に旬の話題を探しますから、おそらく10月になれば紙面から「デング熱」という文字が消え去ることでしょう。
来年(2015年)以降はどうかというと、ヒトスジシマカが再び出現しだす5月頃からデング熱の新たな報告が出始めるかもしれません。国内在住の日本人の感染が起こるとすれば、おそらく今回と同じように海外から渡航した感染者を日本の蚊が刺すことから始まるものと思われます。(『医療ニュース』「デング熱騒ぎで報道されない2つの重要なこと」(2014年9月5日)で述べたように、流行地域から来日した外国人のなかに感染者がいた可能性を私は考えています)
デング熱は現在台湾や香港でも問題になっています。地球温暖化と共にデング熱の流行地域も少しずつ北上しているわけで、地理的に考えると、日本で流行するならまずは沖縄が考えられます。台湾の最北部である基隆市と与那国島は100km程度しか離れておらず、天気のいい日は与那国島から台湾が、また台湾から与那国島が見えることもあるそうです。(台湾のどこから与那国が見えるのかは分りません。私は一度台湾の基隆市を訪れたときに港まで行ってみたのですが曇っていたこともありまったく見えませんでした)
ただ、私は台湾や香港から沖縄へデング熱が波及するのには少し時間がかかるのではないかと考えています。東南アジアから中国大陸は陸続きですし、中国大陸と台湾は目と鼻の先で、数多くのフェリーが運行しています。しかし、台湾と沖縄は、かつては人の行き来が相当盛んであったのにもかかわらず、現在は文化的に遮断されているとまでは言えないでしょうが、かつての交流が嘘のように社会的距離が遠のいています(注1)。
台湾や香港、あるいは中国南部とのフェリーの行き来がほとんどない沖縄にデング熱が流行するのにはしばらく時間がかかると思われます。しかし、今年(2014年)に東京で流行したのと同じ理由で沖縄に感染者が出る可能性はありますし、沖縄で最も注意が必要な点は、ネッタイシマカが生息しうる気候であるということです。
現在ネッタイシマカの生息地域はじわじわと東南アジアから北に上ってきており、すでにベトナムとの国境付近の中国や台湾でも生息が確認されています。もしもネッタイシマカが沖縄に上陸すれば一気に蔓延する可能性があります。実際、現在は沖縄にネッタイシマカはいないとされていますが、過去には報告もあったのです。そして、先にも述べたようにデング熱はヒトスジシマカよりもネッタイシマカで流行しやすいのです。
さて、前置きが長くなりましたが、今回はここからが本題です。デング熱に注意が必要であることには変わらないのですが、私は今後日本人が蚊が媒介する感染症で最も注意しなければならないのはデング熱ではなくチクングニア熱(注2)ではないかと考えています。
『医療ニュース』「米国国内で蚊からチクングニアに感染」(2014年8月18日)でお伝えしましたように、現在フロリダではカリブ海由来のチクングニアが問題になっています。ちょうど日本のデング熱流行と同じように、カリブ海から渡航した人を元々フロリダにいた蚊が刺して、次に米国人に刺してウイルスが感染、というケースが考えられているそうです。
『医療ニュース』でも少し触れましたが、現在カリブ海ではチクングニア熱が極めて早いスピードで蔓延しています。この感染症は従来この地域になかったものです。1~2年前から広がったのではないかと言われていますが、チクングニア熱のカリブ海沿岸での正式な報告はつい最近、2013年の12月です。その後瞬く間に感染者の報告が増え、これまでにカリブ海沿岸の約50万人が感染したと言われています。この増殖のスピードはデング熱の比ではありません。
チクングニアと聞くと、今はアジア方面によく旅行に行く人はガイドブックなどでも目にするでしょうが、そのアジアでもこれだけ有名になったのはつい最近のことです。チクングニアはアジア発症ではなくアフリカ由来の感染症です。私が医学部の学生時代にはチクングニア熱などという疾患名はほとんど聞きませんでしたが(アフリカにはもっと重要な感染症が山ほどあります)、チクングニアというこの”奇妙な”名前はタンザニア語で「折り曲げる」という意味だそうです。感染すると、関節痛がひどいために身体を”折り曲げて”歩くようになるからこのように命名されたのだそうです。そして、世界初のチクングニアの報告は1953年のタンザニアです。
ちなみにタイでは初めてのチクングニアの報告は1958年ですが流行にはいたっていません。1995年に小さな流行がありましたが翌年には終息したそうです。ところが2009年に南部地方を中心に流行が起きその後は現在も感染者が増加する一方です。カリブ海沿岸諸国と同様、やはり流行のスピードには注目すべきです。2009年前半に2万人以上の報告が寄せられましたが、このときの首都バンコクでの報告は10人未満です。
チクングニア熱について、最近ではマスコミの記事が散見されるようになってきましたが、どうも「デング熱と同じようなもの」というニュアンスで伝えられているような感じがします。しかし、これは一見正しいようで正しくありませんのでここで解説しておきたいと思います。
まず、デング熱と似ているのは、ネッタイシマカとヒトスジシマカが媒介すること(注3)、蚊に刺されて比較的短期間で発症すること、ワクチンも特効薬もないこと、重症化することは少ないこと、などです。
ここからは異なる点をあげたいと思います。
まずは多くはありませんが「重症化」についてです。デング熱で重症化することがあるとすればデング出血熱を発症する場合ですが、これは2回目以降の感染時に前回とは別のタイプのデング熱ウイルスが感染した場合とされています。一方、チクングニア熱は、1回目の感染でも(頻度は多くありませんが)呼吸不全、心不全、髄膜脳炎、劇症肝炎、腎不全などが起こることがあり、さらに死亡例の報告もあります。
次いで母子感染のリスクがあります。デング熱が母親から胎児に母子感染する例はあってもわずかとされていますが、チクングニア熱は母親から胎児への感染率は約50%とされています。(タイの英字新聞『The Nation』2009年7月1日) ちなみに、ウィキペディアでチクングニア熱を調べると「妊婦に対して悪影響はない」と書かれていました・・・。
「慢性化」があるということも知っておくべきでしょう。デング熱は高熱で苦しめられることはありますが、ほとんどは1週間程度で回復します。一方、チクングニア熱は、大半は急性症状を乗り越えれば治癒しますが、なかには1年以上症状が続くこともあり、関節痛がひどくて日常生活がまともに過ごせないこともあります。(チクングニアの名前の由来を思い出してください)
最後に、これは先にも述べたことですが、感染力の強さというか蔓延のスピードをもう一度考えてみてください。カリブ海沿岸では正式な報告の第1号から半年ほどの間に約50万人が感染しているのです。チクングニアがいったん日本で流行しだすと2014年のデング熱騒ぎの比ではないかもしれません。
蚊取り線香、虫除けスプレーやクリーム(DEET)、肌が弱い人はシトロネラ(レモングラスに似た植物です)、などは来年の夏から必需品になるかもしれません。ちなみに、蚊取り線香は日本製が世界で最も優れていると言われています。最近はマンションが増えたこともあり蚊取り線香を使う家屋が減っているかもしれませんが、マンションでも高層階でなければ蚊は出ます。
「日本の夏、〇〇〇〇〇の夏」というのは昔よく聞いた蚊取り線香のメーカーのキャッチコピーですが、今一度日本の”文化”を思い出し、「夏になれば蚊取り線香」という日本人の習慣を取り戻すべきかもしれません。
注1:「表の日本史」には出てきませんが、戦後しばらくの間、八重山諸島は台湾との密貿易で驚くほどの好景気に沸いた時代がありました。これがエスカレートし、沖縄の米軍基地から盗まれた最新の兵器が台湾に流れていることが発覚し、それまで大目に見ていた日米政府が厳しく取り締まるようになったと言われており、八重山諸島の好景気はわずか数年で幕を閉じたそうです。
注2:チクングニア(chikungunya)の日本語表記は、媒体により「チクングニア」であったり「チクングニヤ」であったりしており、このウェブサイトでもこれまではどちらを使ったこともありました。厚生労働省のサイトでは「チクングニア」とされているために、当院でも今後は「チクングニア」に統一したいと思います。
注3;ヒトスジシマカもネッタイシマカも日中にも活動します。一方、マラリアを媒介するハマダラカは夜間に活動します。このためなのか、私は以前、タンザニア方面に長期渡航するという患者さんから「蚊の対策は夜だけでいいですよね。日中は短パンでも問題ありませんよね」と言われたことがありますがこれは完全に誤りです。この患者さんにデング熱やチクングニアを媒介する蚊は昼間に活動すること、チクングニアの名前の由来はタンザニア語であることを伝えると大変驚かれていました。
参考:
医療ニュース「デング熱騒ぎで報道されない2つの重要なこと」(2014年9月5日)
医療ニュース「米国国内で蚊からチクングニアに感染」(2014年8月18日)
はやりの病気第126回(2014年2月)「デング熱は日本で流行するか」
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|2014年8月20日 水曜日
第132回(2014年8月) エボラ出血熱の謎
私は2014年8月1日から変形性頚椎症の治療(手術)目的でしばらくの間入院していたのですが、入院期間中も医学系の情報のみならず一般の新聞などにも目を通していました。座ってパソコンをしたり本を読んだりすることはできませんでしたが、寝たまま両腕を垂直に持ち上げてiPADを眺めることはできたため、インターネットで入手できる情報ならほとんど何でも読むことができました。手術が終わった後も、私の左上肢は力が入らずに、少し重たい茶碗などは持つのに不自由していたのですが、iPADを読めることで随分とストレスの軽減になりました。
医療系の情報は毎日複数のサイトをチェックしました。海外だけでなく日本のサイトでもエボラ出血熱に関する情報が連日取り上げられており、関心の高さを示していました。
今回はそのエボラ出血熱に対して、マスコミが言わないことをここで取り上げたいと思います。まずはこの大変やっかいな感染症について簡単におさらいをしておきましょう。
といってもエボラ出血熱の患者さんを私は診察したことがありません。過去にかかったことがあるという人にもお目にかかったことがありません。数年前、海外で知り合ったバックパッカーのオーストラリア人が「アフリカで過去に感染して治った」というようなことを言っていましたが、旅先で聞くこのような話は大半が眉唾もので、私はその話を信用していません。
私がエボラ出血熱という言葉を初めて聞いたのは医学部3回生のウイルス学の授業です。そのときあることを疑問に感じたのですが、それを解決することはできませんでした。その後、2000年代に入ってからも流行が起こり、比較的短期間で終息する度に、私が初めに抱いたこの「疑問」は大きくなってきています。この「疑問」について述べる前に、重症化する感染症に関する教科書的なポイントをまとめておきたいと思います。
まず「出血熱」という言葉を確認しましょう。出血熱とは一言でいえば「全身から出血が起こり短期間で死に至る病」です。原因はウイルスで、感染すると短期間の間に、高熱と倦怠感に苛まれ、血小板が低下し、全身から出血が起こり死んでしまう、というわけです。今のところワクチンも治療方法もありません。
出血熱にはいくつかありますが、次の4つがその代表と考えて差し支えありません。その4つとは、エボラ出血熱、マールブルグ熱、ラッサ熱、クリミア・コンゴ出血熱です。エボラ出血熱は、一応コウモリが宿主であると言われていますが、コウモリからだけ感染するのではなく、ヒトからヒトへの感染も簡単に起こりますから、特定の生物に気を付ければいいというものではありません。マールブルグ熱はサル、ラッサ熱はマストミスという齧歯類(ネズミの仲間)、クリミア・コンゴ出血熱はダニが宿主とされていますが、これらもエボラ出血熱と同様、ヒトからヒトへの感染が容易に起こります。
出血熱と聞くと、日本人に最も馴染みのあるのはデング出血熱だと思いますが(馴染みがあるといっても国内で発症した例はありませんが)、デング出血熱はヒトからヒトへの感染はなく蚊からの感染に限られますし、またデング熱に一度かかった人が別のタイプのデング熱ウイルスに感染した場合に稀に発症するという程度なので、同じ「出血熱」という名がついても、エボラ出血熱を代表とする4つの出血熱とは分けて考えるべきです。
エボラ出血熱が初めて報告されたのは1976年アフリカのスーダンです。この感染者の出身地の近くにある川がエボラ川という名前であることから、エボラ出血熱と命名されたと言われています。この第1号感染者から近くにいた者へ感染し、ヒトからヒトに容易に感染することが判りました。しかし、そのときは大流行にはいたりませんでした。
その後、忘れた頃に、というか、数年に一度小さな流行が起こります。不思議なことに、感染力が強くヒトからヒトに容易にうつり、また有効な治療薬もなく、そして(失礼ですが)さほど衛生状態が良好とは言えないアフリカ諸国なのにも関わらず、大きな流行にはつながらないのです。
21世紀に入ってから、エボラ出血熱は2008年にコンゴ民主共和国で、2012年にはウガンダで流行しましたが、報告された患者数は数十人程度で(ただし約半数は死亡しています)、おそらく日本ではほとんど報道されなかったと思います。
今回の流行は、2013年の年末頃からギニア、シエラレオネ、リベリアといった西アフリカ諸国で流行が始まり、2014年4月の時点で感染者は150人以上、死亡者も100人を超えました。この頃から日本のマスコミでも報道が開始されるようになりました。その後も勢いが止まらず、1976年以降何度も繰り返されていた小流行とは様相が異なります。
WHO(世界保健機関)の報告(注1)によりますと、2014年8月13日までに感染者数(疑い例を含む)が2,127名、うち死亡者が1,145名で、死亡率は54%になります。西アフリカのギニア、シエラレオネ、リベリアでは「非常事態宣言」がすでに発令されており、さらに、これら3つの国で最も東のリベリアから1,000km以上も東に位置するナイジェリアでも感染者が報告され、同国大統領は非常事態宣言を発令しました。また、WHOは、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」であると公式に宣言するにいたりました。
我々医療従事者にとってショックなのは、米国人の医療従事者が感染したということです。このため、米国途上国支援団体の平和部隊は西アフリカからのボランティアの撤退を決議し、CDC(米国疾病予防管理センター)はついに渡航自粛勧告をおこないました。WHOが緊急事態宣言をおこない、CDCは渡航自粛勧告をおこなったわけです。これは人類にとって極めて危機的な状態だと考えるべきです(注2)。
さて、ここで疑問が出てこないでしょうか。西アフリカの医療機関での衛生状態がいかに劣悪だとしても、国境なき医師団を初め、世界中から医療ボランティアが集まっているのです。彼(女)らは、先進国の医療用具を持参してきていますし、何よりも感染予防の「知識」があるはずです。にもかかわらずアメリカ人の医療従事者は院内感染をおこしたのです。そして、エボラ出血熱はヒトからヒトへの体液などを通しての感染はあるものの空気感染は「ない」とされています。
なぜ感染がこれだけ一気に広がり、医療者にも感染したのでしょうか。推測の域を出ませんが、私は「飛沫感染」により感染しているのではないかとみています。「空気感染」と「飛沫感染」は似ているようで異なります。わかりやすくいえば「空気感染」とはウイルスが”乾いた”空気にも含まれており、例えていえば「同じ教室にいるだけでおこりうる感染」です。代表的なものに麻疹(はしか)や水痘(みずぼうそう)があります。
一方、飛沫感染というのは患者のくしゃみや咳に含まれている病原体が感染することをいいます。患者からエボラ出血熱に感染したアメリカ人の医療者は、患者に直接触れてはおらず、マスクやゴーグルはしていたと思いますが、咳やくしゃみから感染したのではないでしょうか。マスクをしているのに感染?と思う人もいるでしょうが、N95を代表とする微小な粒子をブロックできるマスクというのは、適切に顔面にフィットさせるのは意外にむつかしくきちんと装着できていないことが多いのです。
さて、先に述べたエボラ出血熱に関する私の「疑問」について述べたいと思います。それは、これだけ感染力が強いのにもかかわらず過去に何度かおこった流行は、なぜ小規模に留まり大流行につながらなかったのか、ということです。感染力がこれだけ強く、治療薬はないのです。にもかかわらず、これまでの流行は数十人に感染し半数が死亡した後に、”自然に”終息したのはなぜなのでしょう。
私のイメージで言えば、まるでウイルスに”意思”があり、「今回はこれくらいにしといたるわ」といった感じでウイルス側が暴れるのをやめているように思えるのです。もちろん、私はこのようなウイルスの”意思”を真剣に考えているわけではなく、一昔前のSF小説にあるような、誰かが(秘密の組織が)殺人ウイルスをばらまいている、といったことを考えているわけでもありません。
今回の大流行を終焉させるための、そして今後再び流行させないための鍵は、ワクチンや薬の開発よりもむしろ、なぜこれまでは何度も繰り返してきた流行は治療法がないのにもかかわらず突然おさまったのか、を先に解明してくことではないかと私は考えています。
注1:WHOのこの報告は下記を参照ください。
http://www.afro.who.int/en/clusters-a-programmes/dpc/epidemic-a-pandemic-alert-and-response/outbreak-news/4256-ebola-virus-disease-west-africa-15-august-2014.html
注2:離れている国は渡航を自粛、さらに「禁止」するという方法があるかもしれません。日本のような島国では空港と港で厳重なチェックをすれば感染者の入国を未然に防げるでしょう。しかし陸続きの国ではそうはいきません。すべての道を封鎖すればいいではないか、と思う人もいるでしょうが、アフリカという土地は(私も聞いた話で直接見たわけではありませんが)、現地の人は必ずしもわかりやすい「道」を移動するわけではなく外国の人間からは考えられないような山や荒地を超えていくそうです。また、ナイジェリアですでに感染者が報告され非常事態宣言がおこなわれているということは、リベリアとナイジェリアの間にあるコートジボワール、ガーナ、トーゴ、ベナンでも正式な報告がないだけで感染者は存在すると考えるべきでしょう。もしも今後アフリカ北部にまで広がるようなことがあれば世界中に広がる可能性もなくはないと私は考えています。
参考:
厚生労働省のエボラ出血熱に関するページ
http://www.forth.go.jp/useful/infectious/name/name48.html
厚生労働省検疫所FORTHのエボラ出血熱に関するページ
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/ebola_qa.html
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|2014年7月22日 火曜日
第131回(2014年7月) 認知症について最近わかってきたこと
認知症は多くの人にとって他人事ではないでしょう。なにしろ80歳以上の4分の1がアルツハイマーに罹患することが分かっているわけです。そして認知症はアルツハイマーだけではありません。脳血管性のものや他のものも含めると80歳で何らかの認知症に罹患している割合は50%を超えるとも言われているのです。
80歳になれば2人に1人は認知症、などと聞けばよほど楽天的な人でも心配になるに違いありません。また、認知症は自分が罹患することを避けたいのはもちろんですが、家族が認知症を患っても大変です。実際、働き盛りの20代、30代の人たちが、親の介護のために仕事を辞めなければならない、ということはそう珍しくありません。
例えば私が最近知った事例では、20代後半のある非正規社員の男性が仕事を辞めて母親の介護に専念することになりました。60代前半という若さで認知症を患った母親には家族の介護が必要であり、現在50代後半の父親の収入の方が高いという理由で、収入の低いこの若い男性が仕事を辞めることになったというのです。
両親が認知症になっても大変ですし、配偶者がそうなった場合もかなり大変です。もちろん自分自身が認知症を患うこともなんとしても避けたいものです。しかし、80歳になると半数以上が認知症などと聞くと、絶望的な気分になってきます・・・。
治療法があれば救われますが、現在4種の薬があるとはいえ、すべての症例に有効というわけではなく、そもそも使用開始するタイミングが遅ければ効果は期待できません。また高いエビデンスのある(科学的確証のある)予防法も現時点ではあるとは言えません。
ではどうすればいいのでしょうか。今回は認知症に関する最近の見解をまとめてみたいと思います。
まず、認知症を整理しましょう。認知症を分類すると、①アルツハイマー、②脳血管性、③その他、の3つになります。頻度としては①が最多で②がその次で③は少数です。今回は③については述べません。
②の血管性は脳梗塞や脳出血が原因である場合が多く、これらを予防していくのが効果的です。つまり、基本的には生活習慣病を予防することが結果として認知症の予防にもなるというわけです。現在喫煙していたり肥満があったりしている人の中で「病気になって早死にしてもかまわない」と考えている人がいるとすれば、「では早死にするのではなく認知症になってもいいのか」ということを考え直すべきです。
問題は①のアルツハイマー型認知症です。認知症のなかで最多で、この傾向は年々顕著になってきています。そして、アルツハイマーは現在のところ、早期発見する方法が確立されていませんし、劇的に効く薬があるとは言えないのです。また、予防法も確立しているとはいえません。とはいえ、最近は少しずつ検査法、予防法についても研究が増えてきているので今回はそういったことを紹介したいと思います。
まず、アルツハイマーを早期に知る方法として、実用化が現実になるかもしれない検査法について発表がおこなわれました。BBCによると、英国オックスフォード大学の研究チームがアルツハイマーの早期発見が可能な血液検査の方法を開発したそうです。研究チームは千人以上を対象にした研究で、1年以内にアルツハイマー病を発症するかどうかを87%の確率で推測できたそうです(注1)。
87%の確率で推測できる、というのはものすごく画期的な検査です。現在使われているアルツハイマーの薬はどれも早期で使用しなければあまり意味がありません。しかし、適切なタイミングで使用すれば発症を大きく遅らせることも可能です。ということは、例えば60歳になれば国民全員がこの血液検査を受けるようにして、アルツハイマーになることが予想される人に対して薬を予防的に使用するということが可能になります。(しかし、これを実際に実行するとなると莫大な費用がかかります・・・)
この検査が実用化されることになったとしても当分先になると思いますが、既存の検査でもある程度認知症のなりやすさを知ることができる、とする研究もあり、これは日本のものです。2014年7月14日の読売新聞(オンライン版)によりますと、東京都健康長寿医療センター研究所が、「健診の赤血球数、HDLコレステロール(善玉コレステロール)、アルブミンの3つが低いと認知機能の低下が2~3倍起きやすい」という研究結果をまとめたそうです。新聞記事からは、これら3つの項目がどの程度低ければどの程度認知症のリスクになるのか詳細が分からないのですが、同誌によれば、近いうちに医学誌に掲載される予定とのことなのでそちらを待ちたいと思います。
ここからは予防についての研究を紹介していきたいと思います。まずは、やってはいけないこと、をみていきましょう。
ひとつめはタバコです。私の知る限り、喫煙がアルツハイマーのリスクになるとした大規模研究はないのですが、「喫煙で認知症のリスクが2倍になる」という研究が日本で最近発表されました。2014年6月14日に開催された日本老年医学学会で発表されたそうです。研究者は、1988年に健康診断を受けた65歳以上で認知症がない712人(当時の平均年齢72歳)を対象とし、15年間追跡調査をおこない、202人が認知症と診断されたそうです。喫煙者と非喫煙者にわけて解析すると喫煙者のリスクが2倍になったそうです。ただし、これは認知症全体であり、アルツハイマーだけではありません。血管性の認知症は動脈硬化が誘因となりますから、喫煙者に認知症が多いのは当たり前といえば当たり前です。可能なら、認知症全体ではなく、アルツハイマーと喫煙の関係を解析してもらいたいものです。
次は、ベンゾジアゼピン系薬剤です。医学誌『British Medical Journal』2012年9月27日号(オンライン版)にフランスの研究者による論文(注2)が掲載されています。平均年齢78.2歳の男女1,063人を15年間追跡調査した研究により、ベンゾジアゼピン系薬剤を使用しているとおよそ50%認知症のリスクが上昇することがわかったそうです。ベンゾジアゼピン系薬剤というのは、多くの睡眠薬や抗不安薬(日本では「安定剤」という名目で処方されることが多い)を差します。しかし、この論文が少し残念なのは先ほどの日本の研究と同様、アルツハイマー単独のリスクが検討されていないことです。
アルツハイマーのリスクを上昇させるという研究に殺虫剤があります。医学誌『JAMA neurology』2014年3月1日号(オンライン版)に米国人の研究が掲載されています(注3)。殺虫剤に使われるジクロロジフェニルトリクロロエタン(DDT)という物質があるのですが、これが体内に取り込まれるとジクロロジフェニルジクロロエチレン(DDE)という物質に代謝されます。そしてアルツハイマーの患者ではこの物質の濃度が上昇していることが分かったそうです。さらに、特定の遺伝子「APOEε4アレル」を保有する例でDDEの濃度上昇がより強くみられることが分かったそうです。この研究はアルツハイマーの症例が86例で、対照(コントロール)が79例と、対象とされた症例は比較的少数ではありますが、クリアカットに結論が導かれていますから、今後重要視されていくと思われます。あらかじめ「APOEε4アレル」という特定の遺伝子を持っているかどうかを調べて、もしも持っていれば都心の高層マンションなど殺虫剤を使わなくても生活できるところに引っ越しするという選択ができるからです。
他人を信用しないひねくれ者(cynical distrust)は認知症になりやすい・・・。このような研究もあります。医学誌『Neurology』2014年5月28日号(オンライン版)にフィンランド人の研究が掲載されています(注4)。1997年に65~79歳(平均71.3歳)の合計1,146人を対象として、cynical distrust(注5)の強弱と認知症との関係が調べられています。その結果、cynical distrustの傾向が強い人はそうでない人に比べて認知症のリスクが3倍になることが分かったそうです。しかし死亡率には影響がなかったようです。
ここからは、アルツハイマーを含む認知症の予防になるかもしれない、という研究を紹介していきたいと思いますが、まずは残念な研究から・・・。
EPA(エイコサペンタエン酸 )やDHA(ドコサヘキサエン酸)といったω3系不飽和脂肪酸が認知症を予防するのではないか、ということが以前から期待されていたのですが、残念なことに予防効果はなかったという研究が発表されました。医学誌『Neurology』2013年9月25日号(オンライン版)に掲載された論文(注6)によりますと、米国の女性を対象とした大規模研究WHISCA(Women’s Health Initiative Study of Cognitive Aging)に登録されている2,157人の血液中のDHA及びEPA濃度を測定し認知機能との関係を調べています。その結果、これらω3不飽和脂肪酸の濃度と認知症には相関関係がなかったそうです。
ここからは期待のもてる研究の紹介です。
緑茶を毎日飲む人は、まったく飲まない人に比べて認知症のリスクが大きく減少する・・・。これは金沢大学の研究者らによる研究で、医学誌『PLoS One』2014年5月14日(オンライン版)(注7)に掲載されています。研究では、緑茶をまったく飲まないグループを基準とすると、毎日緑茶を飲むグループのオッズ比が0.26(起こりやすさが0.26倍)だったそうです。コーヒーや紅茶では認知症を予防するという結果は認められなかったそうです。オッズ比が0.26というのはにわかには信じがたいような数字ですが、これが事実なら今後世界中で緑茶ブームが起こるでしょう。
次いでもうひとつ日本の研究を。日本の有名な疫学研究に久山町研究というものがあります。これは、福岡市に隣接した糟屋郡久山町(人口約8,400人)の住民を対象に脳卒中、心血管疾患などの疫学調査を1961年から行っている研究なのですが、この研究で、牛乳・乳製品を多く摂るほど認知症リスクが低下する、という結果がでたそうです。医学誌『Journal of the American Geriatrics Society』2014年6月10日号(オンライン版)に掲載されています(注8)。
この結果が意外なのは、世界的には乳製品というのは高脂肪であることから敬遠される傾向にあり、認知症の予防も含めて健康食として何かと取り上げられることの多い地中海料理では牛乳や乳製品はあまり使われないからです。従来高脂肪食をあまり摂らない日本人には当てはまる研究、言い換えると、伝統的な日本食を摂っている人では乳製品が認知症の予防になるということかもしれません。
因果関係が証明されているわけではありませんが、認知症の予防としては地中海料理が有効であろうというのが世界的な流れです。医学誌『Epidemiology』2013年7月号(オンライン版)には、英国の研究者による研究が報告されています(注9)。解析の結果、地中海料理を摂取する人ほど、脳機能が良好で、精神機能の低下が起こりにくく、アルツハイマーのリスクも低いことが示唆されたそうです。
他にも認知症に関連する細かい研究はいろいろとあるのですが挙げていけばきりがありません。今回紹介したもの以外では、やはり運動が有効とする研究が目立ちます。アルツハイマーを含めた認知症を完全に予防する方法はありませんが、禁煙、規則正しい生活、適度な運動、栄養のある食事、素直な性格、勤勉(語学の勉強が有用という研究が複数あります。下記医療ニュースも参照ください)などを心がけるというのが現時点での現実的な予防法ではないでしょうか。
注1:このニュースは日本のマスコミではほとんど報じられていないようですが、BBCでは大きくとりあげています。2014年7月8日付けの記事のタイトルは「Alzheimer’s research in ‘major step’ towards blood test」です。詳しくは下記URLを参照ください。
http://www.bbc.com/news/health-28205680
注2:この論文のタイトルは「Benzodiazepine use and risk of dementia: prospective population based study」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://www.bmj.com/content/345/bmj.e6231.abstract?sid=d1661398-c316-4fcf-8aa8-33e2d43bf2ad
注3:この論文のタイトルは「Elevated Serum Pesticide Levels and Risk for Alzheimer Disease」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://archneur.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=1816015&resultClick=3
注4:この論文のタイトルは「Late-life cynical distrust, risk of incident dementia, and mortality in a population-based cohort」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://www.neurology.org/content/82/24/2205.short?sid=6891352b-980a-4a67-ac58-70841f6dcc11
注5:cynical distrustは、さしあたり、「いつも皮肉を言い、他人を信用せず、バカにするようなひねくれ者」というイメージだと思います。この性格の程度を測定する「Cook-Medley Scale」という質問票があるのですが、日本ではあまり使われていないと思われます。少なくとも実際の臨床でこの質問票を用いている医療機関や医師を私は知りません。
注6:この論文のタイトルは「Omega-3 fatty acids and domain-specific cognitive aging」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://www.neurology.org/content/81/17/1484.short?sid=4a5f0dc4-7abc-46d5-b8ba-2f7f3d63a842
注7:この論文のタイトルは「Consumption of Green Tea, but Not Black Tea or Coffee, Is Associated with Reduced Risk of Cognitive Decline」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0096013
注8:この論文のタイトルは「Milk and Dairy Consumption and Risk of Dementia in an Elderly Japanese Population: The Hisayama Study」で、下記のURLで概要を読むことができます。
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/jgs.12887/abstract?deniedAccessCustomisedMessage=&userIsAuthenticated=false
注9:この論文のタイトルは「Mediterranean Diet, Cognitive Function, and Dementia: A Systematic Review」で、下記URLで概要を読むことができます。
http://journals.lww.com/epidem/Abstract/2013/07000/Mediterranean_Diet,_Cognitive_Function,_and.1.aspx
参考:
はやりの病気第95回(2011年7月)「アルツハイマーにどのように向き合うべきか」
医療ニュース2014年6月30日「今からでも語学を勉強すれば老化の予防に」
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|2014年6月20日 金曜日
第130回 渡航者は狂犬病のワクチンを 2014/6/20
私が代表をつとめるNPO法人GINA(ジーナ)は、現在主にタイのエイズ施設やエイズ孤児の支援をおこなっていますが、タイのエイズに関する日本のいくつかの団体も支援しています。そのひとつの団体が発行する機関誌に興味深い体験談が載っていました。
体験談を書いたのはある男子大学生で、タイ北部でのボランティアに志願し現地に行ったそうです。そしてイヌに咬まれて病院に行き、破傷風と狂犬病のワクチンを接種したそうです。この体験談からは緊迫感が伝わってこずに、むしろ自分の失敗談をおもしろく語っている、というような印象を受けたのですが、私はこれは問題だと感じています。
後から、この団体の幹部クラスの人から、その後この大学生は何の問題もなく暮らしている、ということを聞き安心しましたが、そもそもワクチンを接種しないで現地に行っていること自体が問題です。
たしかに狂犬病はイヌに咬まれてからでも速やかにワクチン接種をおこなえば助かる病気ではあります。しかし対応が遅れて発症すると(ほぼ)100%死に至ります。
以前、たしか医療者(だったと思います)が書いた何かの雑誌に掲載されていた文章に「狂犬病を発症して助かった者は世界中で4人しかいない」というものがあり、私自身も何度か「世界で4人」という話を聞いたことがあるのですが、どうもこの情報は疑わしく、私は今ではこれは一種の都市伝説ではないかとみています。
というのも、きちんとした論文で、狂犬病を発症して助かった症例というのを見たことがありませんし、「●●●(例えばプノンペンやバラナシといったバックパッカーが大勢たまっているところ)で知り合った日本人がすごいヤツで、アフリカで狂犬病を発症して1ヶ月意識がなかったけれど助かったらしい。狂犬病で助かったのは世界で4人しかいないそうだ」という話を、日本人のバックパッカーから何度か聞いたことがあるからです。もしもこの「アフリカで狂犬病を発症して助かった日本人」が同じ人物なら納得いきますが、その日本人の情報がときには東京出身であったり九州出身であったり、また年齢も様々で到底同じ人物とは思えないのです。それに医療者からならまだしも、バックパッカーたちから次々と「世界で4人・・・」と聞くと、正直に言うとこの情報を信用しにくいのです。というわけで、私はこの「世界で4人が助かった」という話も現在は都市伝説に過ぎないのではないかとみています。
話を戻しましょう。狂犬病は絶対に発症させてはいけない感染症であり、最善の対策はワクチン接種です。ワクチン接種をしていない場合は、「咬まれたら直ちに医療機関を受診してそこでワクチン接種」ということになります。狂犬病(と破傷風)は例外的に病原体が感染してからでも間に合う可能性のあるワクチンなのです。ワクチンのことについては最後にもう一度確認するとして、まず発症するとどのような転帰をたどるかについて述べておきます。
といっても私は狂犬病の患者さんをこれまでひとりも診察したことがありません。教科書には、水を怖がる、幻覚をみる、興奮・精神錯乱などの症状が生じ、最終的には昏睡し死に至る、となっています。日本で医療をしている限り、よほどのことがない限りは狂犬病の患者さんを診る機会はないだろう、と考えていたのですが、先日ある学会で貴重なビデオを見ることができました。
これは1950年に当時の厚生省が作成したもので、当時4歳の男の子が狂犬病で入院して死に至るまでの経過がビデオカメラにおさめられています。今の時代であればプライバシーの観点からこのようなビデオが作られることはないでしょうし、仮にあったとしても表情をぼかすなどの措置がとられることになると思いますが、当時はそのような配慮はなされておらず表情もそのままうつっています。
入院したばかりの頃は子どもらしい笑顔でベッドに座りとても愛くるしい顔をしています。それが日がたつにつれて落ち着きをなくしていきます。教科書には「水を怖がる」と書かれていますから、水から逃げるのかと思いきや、そうではなく、カップの水を求めます。水を飲まなければ生きられませんからそれは当然でしょう。しかし水を口に含むと興奮を抑えられない不可解な行動をとりだします。その後けいれんを繰り返し、最後には死に至ります(注1)。
現在では狂犬病というと、外国の病気、というイメージが強いのかもしれませんが、このビデオがつくられたのは1950年ですし、その後の国内での発症もあります。ここで日本の狂犬病の歴史を振り返っておきましょう。
日本に古来からあったのかどうかは不明です。18世紀前半には狂犬病と思われる感染症が広がったとする記録があるそうです。どれだけ正確に報告されているか、という問題はありますが、狂犬病のピークは1920年代のようで、1925年には年間2千件以上の報告があったそうです。1920年代後半から減少傾向となり、先に紹介したビデオがつくられた1950年には狂犬病予防法が施行され、飼い犬の登録と(飼い犬への)ワクチン接種が義務化され、さらに野犬の駆除が徹底化され、1956年以降国内感染の報告はありません。
何かと批判されがちな日本の行政ですが、この成績は立派です。日本に住んでいると、日本という国は対応が遅くて、感染症でいえば、なぜ海外では標準のワクチンが日本では入手すらできないのか、ということが指摘されますし、私自身もしばしば感じることですが、この狂犬病の対策に関しては見事だと思います。もちろん厚生省だけでなく、地域の保健所や獣医師会、そして国民ひとりひとりの協力があってこそですが、それでもこれだけの業績をこれだけ短期間で達成した国というのはおそらく他にはないでしょう。ちなみに、現在でも狂犬病のない国(輸入例は除きます)は(人口数万人以下の島国などを除けば)日本とイギリスくらいではないかと思われます。
話を戻してその後の狂犬病の歴史をみていくと、1970年にネパールを旅行中の日本人が現地でイヌに咬まれ帰国後に発症し死亡しています。その後はまったく報告がなかったのですが2006年に60代の日本人男性2名が立て続けにフィリピンでイヌに咬まれて狂犬病を発症しました。このときは少し話題になりましたが、その後マスコミなどで狂犬病が取り上げられることはほとんどありません。
さて、狂犬病の対策ですが、これはワクチン以外にはありません。狂犬病は発症すれば(ほぼ)100%死亡しますが、ワクチンを接種しておけばこれまた(ほぼ)100%防げる感染症なのです。ワクチンは事前に接種しておくべきですが、イヌに咬まれてからでも間に合います。
しかし、これを過信してはいけません。先に紹介した北タイでイヌに咬まれた男子大学生は現地の医療機関を速やかに受診できたことで事なきをえましたが、もしもこの大学生が少数民族への支援をおこなうために国境付近の山奥に訪れていた場合はどうなったでしょうか。もちろんそんなところに医療機関はありません。もしも、複数箇所咬まれており痛みが強くて移動しにくいような場合、山を越すのは容易ではありません。
海外に支援に行こうという若い人たちを怖がらせるようなことはしたくはないのですが、必要最低限の対策はおこなわなければなりません(注2)。また、狂犬病は日本人の支援が必要なへき地にのみ存在するわけではありません。実際、タイでは北タイや東北地方(イサーン地方)よりもむしろバンコクを含む中心部や南部の方で発生が多いのです。
先進国でも起こりうるのが狂犬病です。そして気をつけなければならないのはイヌだけではないということです。かつての日本を含むアジアではイヌからの発症が大半を占める、というだけで、実際にはコウモリやキツネ、ネコ、アライグマなどからも感染します。
海外で何かトラブルがあったとき、大使館が助けてくれるわけではありません。自分の身は自分で守らなくてはなりません。狂犬病のワクチン接種をお忘れなく・・・(注3)
注1:このビデオはもちろん一般には公開されていません。しかしこの男の子の写真が載ったポスターが厚労省によってつくられています。「私たちは君を忘れない」というタイトルで下記のURLで閲覧することができます。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/pdf/poster02.pdf
注2:海外(特にタイ)にボランティアに行く場合の注意点はNPO法人GINAのサイトに掲載しているコラムが参考になるかと思います。興味のある方は下記を参照ください。
GINAと共に第92回(2014年2月号)「無防備なボランティアたち」
注3:ただし狂犬病ワクチンは慢性的に供給不足となっており、希望すれば誰でも接種できるわけではありません。太融寺町谷口医院では、接種の優先順位を考えて、留学やボランティア、海外駐在や出張に行かれる人(会社の産業医に接種してもらえない場合)を優先しています。短期の旅行やバックパッカーはお断りすることもあるのが現状です。(へき地を好んで訪れるバックパッカーはリスクが高いのは事実ですが・・・)
しかし行政も狂犬病ワクチンが慢性的に不足しているこの事態を手をこまねいてみているわけではありません。日本製ワクチンの製造が間に合わないなら、海外製品を輸入すれば済む話です。まだ本決まりではありませんが、現在ヨーロッパのある製薬会社が作成している狂犬病ワクチンの認可が申請されているようです。
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