はやりの病気
第77回 子宮頚ガンのワクチンはどこまで普及するか 2010/1/21
2009年12月、子宮頚ガンの原因ウイルスであるHPVのワクチンがついに日本でも発売となりました。子宮頚ガンのワクチンは、2007年4月にオーストラリアで接種が開始されて以来、現在では世界100ヶ国以上で使用されています。
日本でも随分前から発売が待ち望まれており、今回ようやく認可されたことは歓迎すべきことなのですが、ワクチンが高額であるためどこまで普及するのかはまだ分からないと言えます。ワクチンは医療機関にもよりますが、3回接種でだいたい5~7万円程度は必要になるのではないかと考えられています。
一方、世界に先駆けてHPVワクチンの接種を開始したオーストラリアでは、12歳から26歳までの女性であれば誰でも公費で(無料で)ワクチン接種をおこなうことができますし、他の先進諸国でも費用の全額、もしくは一部が公費でまかなわれているようです。
このウェブサイトでは何度も指摘しているように、日本という国は予防医学に力を入れているとは言えず、ワクチンに関しては完全に「後進国」であり、多くのワクチンが普及していませんし費用の公的負担も多いとは言えません。例えば、前回のコラムで紹介したインフルエンザ菌のワクチン(hibワクチン)もそうですし、新型インフルエンザをみてみても、先進諸国のほとんどが無料もしくは一部を行政が負担していますが、日本では生活保護受給者など一部の人を除いて全額自費(全国一律3,600円)となっています。
このような「ワクチン後進国」の日本で、HPVワクチンがどこまで普及するか、私個人としては疑問に感じていたのですが、驚くべきニュースが2009年12月にとびこんできました。
新潟県魚沼市が、予防接種を希望する10代前半の女性を対象として、ワクチンの費用の全額を負担することを発表したのです。同市の大平悦子市長が2009年12月10日の市議会でこれを表明しています。(報道は2009年12月11日の共同通信)
子宮頚ガンのワクチンは、接種すればガンの発症を100%防げるというものではなく、接種したとしても一定の年齢になれば定期的なガン検診が必要です。しかし、公衆衛生学的にみれば、その地域の全女性に接種したとすれば、その地域の子宮頚ガンの発症を大幅に減らすことができます。
このワクチンの有効率は7割以上と言われています。ということは、ワクチンを接種していなかったとしたら子宮頚ガンに罹患したと予想される7割もの人を救うことができるわけで、これは行政の立場からみれば医療費を大きく軽減させることにつながります。つまり、予防接種を徹底することによって、全額を行政が負担したとしても、結果としてその地域で必要な医療費が大幅に削減できることになるのです。
このように長いスパンで考えれば、行政的には個人負担をゼロにして全額を行政負担にした方がずっと有益なわけですが、今のところ魚沼市以外の地域はこのような政策を発表していません。では、これから同市に追随してワクチンの全額(もしくは一部)を負担する市町村が登場するか、あるいは国の予算からワクチン負担が捻出されるかというと、事は簡単にはいかないのではないかと思われます。
その最たる理由が、子宮頚ガンとHPVの説明を10代前半の女性に、さらに父兄に説明することが簡単ではないからです。
周知のようにHPVは性交渉で感染します。ワクチン接種が10代前半の女性で特に大切なのは、「まだ性交渉の経験がない時点で接種すべきだから」です。教育者の立場からすれば、まず性交渉について教える必要があり、さらに性交渉によって感染する病原体があり、そのひとつがHPVであることを教育しなければなりません。
すると、一部の保守的な人たちから、「少女に性交渉のことを学校で教育するなどけしからん! そんなことをすれば不順異性交遊が増えるではないか!」という意見が出てくるのです。私は、NPO法人GINA(ジーナ)の関係で、教育者の方々から、教育の現場でいかに性交渉や性感染症のことを教えるのが困難かという話をときどき聞きます。一部の教育者やPTAからの反対ばかりか、ときには右翼団体から嫌がらせをされることもあるそうです。
そんななか、魚沼市が今回の決定をしたことに私は大変注目しています。今後同市でワクチン接種が徹底され、その後の追跡調査で同市の子宮頚ガン発症率が大きく減少することを楽しみにしたいと思います。そして、他の自治体も同市を見習って行政負担でワクチン接種を普及させてもらいたいと考えています。
ところで、HPVワクチン普及に際して、私には2つの気になることがあります。
1つは、HPV感染に対する誤解です。HPV(のハイリスク型)は、多くの女性が生涯を通して一度は感染すると言われています。ときどき、書物やインターネットなどに、HPV感染のリスクは、不特定多数との性交渉、危険な性交渉、などと書かれていますが、これは必ずしも正しくありません。なぜなら、生涯ただひとりの男性しか知らないという女性でもHPVに感染し子宮頚ガンを発症することがあるからです。
私は、HPVというウイルスが世間に広く認識されるにつれ、子宮頚ガンの患者さんが「危険な性交渉の結果なんだから自業自得の病気だ」と思われないかを危惧しています。教育者の方には、HPVワクチンの説明をする際にこの点には充分に注意してもらいたいと考えています。
もうひとつ、私が気になることは、HPVワクチンが普及することはもちろん歓迎すべきなのですが、HBVワクチン(B型肝炎ウイルスのワクチン)を忘れないでもらいたい、ということです。
HBVは感染力が極めて強い感染症で、性感染で考えるとコンドームでも完全には防げません。感染後数ヶ月で劇症肝炎を起こし命にかかわる状態になることもありますし、また最近では慢性化するタイプのウイルスが増えてきています。HBVワクチンの接種は世界的には常識で、現在では国連加盟国192ヶ国中171ヶ国が生まれてくる子供全員にワクチン接種をしています。ところが、日本でHBVのワクチン接種をしている人はまだまだ多くはありません。
実際に性感染症を心配している患者さんと話をしてみても、例えばHIVの知識は豊富なのに、HIVとは比べ物にならないくらい感染力が強く予防を考えなければならないHBVについては関心がなくて驚かされることがしばしばあります。HIV予防のスローガンで「コンドームをしていればHIV感染は防げます」と言われますが、これはHBVのワクチン接種を済ませているということが前提です。もしも医療現場で院内感染を考えるときに、HBVをないがしろにしてHIV対策ばかりやっていれば本末転倒と言わざるをえません。性感染症の予防も同じことです。
今のところ、地方自治体でHBVワクチンを行政負担でおこなっているところはないと思われます。HPVワクチンが接種したとしても子宮頚ガンのリスクをゼロにすることはできず、ワクチン接種の有無に関わらず定期的な子宮頚ガンの検診を受けなければならないのに対し、HBVはワクチン接種をして抗体をつくればほぼ100%感染を防ぐことができます。HPVワクチン普及と同時に、HBVワクチンの重要性も世間に伝わってほしいと切に願います。
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