はやりの病気
第76回 インフルエンザ菌とそのワクチン 2009/12/21
通常「インフルエンザ」と聞けば、ほとんどの人は「インフルエンザウイルス」を思い浮かべるのではないかと思います。現在世界規模で流行している「新型インフルエンザ」も、もちろん「インフルエンザウイルス」に属します。
「インフルエンザウイルス」の他に、「インフルエンザ菌」という細菌が存在することをご存知でしょうか。今回は、インフルエンザ菌に感染すると、ときに重症化をきたし、特に子供では死亡例も少なくない、という話をしたいのですが、まずは、なぜこのようなややこしい名前の細菌が存在するのか、ということについてお話したいと思います。
インフルエンザウイルスは、現在流行している新型インフルエンザ以外にも、これまでスペイン風邪、アジア風邪、香港風邪などのように歴史に残る流行をみせています。20世紀以前にも、世界史を変えるような流行が何度もあったと考えられています。
19世紀の後半、ヨーロッパでインフルエンザが大流行をみせましたが、原因となる病原体はなかなか発見されませんでした。そんななか、ドイツのある細菌学者(北里柴三郎という説もあります)がインフルエンザに罹患している患者の咽頭からある細菌を見つけ出すことに成功し、これがインフルエンザの原因菌と考えられ、「インフルエンザ菌」と命名されました。
ところがこれが誤りであったことが後に判明します。この患者の咽頭にインフルエンザ菌が存在していたのは”たまたま”であり、高熱などの症状の原因となっていたのはインフルエンザウイルスであったと理解されるようになりました。
では、なぜインフルエンザウイルスがなかなか発見できなかったのかというと、当時の微生物学の知識と技術ではウイルスの存在が分からなかったのです。通常の光学顕微鏡では見えないウイルスの存在は、1935年にアメリカのスタンレーという学者がタバコモザイクウイルスの結晶化に成功したときに初めて科学的に証明されたのです。
では話を戻しましょう。
インフルエンザウイルスが毎年のように流行し誰でも知っている感染症なのに対して、インフルエンザ菌は一般的にはあまり馴染みがないと思われます。しかしながら、この細菌により死亡している5歳未満の小児は、世界で年間371,000人(2000年)にもなるというデータがあります。(『Lancet』2009年9月12日号)
インフルエンザ菌が原因となる最も重要な疾患は髄膜炎です。髄膜炎は、脳や脊髄を覆う髄膜に病原体が侵入し炎症を起こす病気です。細菌性の髄膜炎は重症化しやすいのですが、その約6割はインフルエンザ菌が原因です。インフルエンザ菌が原因の髄膜炎に罹患すると、約5%が死亡し、15~20%は発達の遅れ、てんかん、聴覚障害などの後遺症を残すと言われています。
死亡者の多くは衛生環境の整っていない発展途上国であるのは事実ですが、日本でも毎年何十人もの子供が亡くなっています。一方、日本以外の先進国ではインフルエンザ菌による死亡者はほとんどいません。これはなぜかというと、インフルエンザ菌には優れたワクチンがあるからです。ワクチン接種をきちんとしておけばこの病原体に悩まされることはないのです。
では、なぜ日本ではインフルエンザ菌によって死んでしまう子供が少なくないのか。これはもちろん日本人がワクチンをうたないからです。麻疹(はしか)が流行する先進国は日本だけ、というのはこのウェブサイトで何度もお伝えしていますが、麻疹の場合は、ワクチンが存在しているのにもかかわらず意図的に接種しない人(させない親)が少なくないからです。(参考までに、2001年度に麻疹に罹患したアメリカ人は116人なのに対し、日本人は278,000人にもなるというデータがあります)
インフルエンザ菌の場合は麻疹とは事情が異なります。インフルエンザ菌のワクチンが日本で接種できるようになったのは、なんと2008年12月からです。参考までに、アメリカでは1987年よりすでに定期的に接種されています。つまり、国がワクチン接種を最近まで認めていなかったために接種しようと思ってもできなかったというわけです。
2008年12月からは日本でも接種できるようになりましたから、これで一安心、と思いたいところですが、現実は少し厳しいようです。その一番の理由は費用です。
日本ではワクチン接種を「定期予防接種」と「任意予防接種」に分けています。「定期予防接種」は公費で、すなわち無料で接種することができるのに対して、「任意予防接種」は無料にならないどころか保険適用もありませんから全額自費となります。現在定期予防接種に指定されているのは、小児のBCG,破傷風・百日咳・ジフテリアの三種混合ワクチン、麻疹、風疹、日本脳炎、ポリオウイルスと、65歳以上のインフルエンザのみで、これら以外は「任意」となります。また規定の年齢を外れればやはり「任意」となり有料となります。
インフルエンザ菌のワクチンは「任意予防接種」であり、さらに合計4回(生後2~7か月の間に3回、1歳で1回の合計4回)の接種となりますから金銭的負担がかなりのものになります。医療機関によって値段は異なりますが、だいたい4回で3万円前後のところが多いようです。
3万円となると負担できない人(親)は少なくないと思われます。そして、このワクチンがスムーズにおこなえない理由がもうひとつあります。それは供給不足です。インフルエンザ菌のワクチンが重要なのは随分前から指摘されていましたから、わが子に接種したいと考える親御さんたちは少なくありません。麻疹ワクチンの接種率が低すぎる一方で、予防医学に対する関心が高い人も大勢いるのが日本の現実というわけです。
供給不足は深刻化しており、各地でインフルエンザ菌のワクチンが不足することとなり、4回目の追加接種を待ってほしいと呼びかける医療機関が現在相次いでいます。
さて、私がインフルエンザ菌のワクチンを検討しているのは、小児だけでなく成人の免疫不全状態にある人、あるいは免疫力が低下している人に対してもです。WHOは2006年に、「年長小児や成人でも、HIV感染者、免疫グロブリン欠損者、造血幹細胞移植を受けた者、悪性腫瘍で化学療法を受けている者、無脾症者なども少なくとも1回は接種を受けるべきである」とコメントしています。(WHO, WER, 81, No.47, 445-452, 2006)
特に私が懸念しているのは、日本で増加の一途にあるHIV陽性者に対しての予防接種です。また喘息や糖尿病などの持病がある人にも積極的に接種すべきではないかと考えています。実際、インフルエンザ菌は髄膜炎の起炎菌だけではなく、細菌性肺炎の原因菌としては肺炎球菌に次いで2番目に多いのです。
しかし現実は、ワクチンが認可されてまだ1年しかたっておらず、供給量が不足しているわけですから、成人に対する予防接種が浸透するのは当分先のこととなるでしょう。
注:インフルエンザ菌の学名は「Haemophilus influenzae type B」です。これを略し「hib」という言い方も普及しています。書物やウェブサイトによってはインフルエンザ菌のワクチンを「hibワクチン」としているものも多数あります。
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