はやりの病気
第47回 誤解だらけのHTLV-1感染症(前編) 2007/7/23
「血液感染と性感染が主な感染ルートである重要な感染症を5つあげよ」と問われればいくつあげることができるでしょうか。
正解は、HIV、梅毒、B型肝炎、C型肝炎、そしてHTLV-1感染症です。
これらのうち初めの4つは有名ですが、最後のHTLV-1については、医療従事者にとっては常識ではあるものの、なぜか一般の人々にはあまり認知されていません。
なぜ、これだけ重要な感染症がそれほど世間の話題にのぼらないのかが私は不思議で仕方ないのですが、実際HTLV-1がマスコミで取り上げられることはほとんどありません。
HTLV-1とは、HIVと同じように逆転写酵素を持つRNA型のウイルスです。
「逆転写酵素」「RNA型ウイルス」という言葉は、一般的には馴染みがないかもしれませんのでここで簡単に説明しておきます。
まず、普通は生命体のもつ遺伝情報は、DNA→RNA→蛋白質という流れで伝えられていきます。この流れのことを「セントラル・ドグマ」と呼び、かつては一方通行の流れであると考えられてきました。
ところが、一部の生命体はRNA→DNAという通常とは逆向きの流れで自らの遺伝情報を具現化していくことが分かってきました。この従来の常識をくつがえす奇抜な情報伝達をおこなうには「逆転写酵素」と呼ばれる特殊な酵素が必要で、これをもつRNA型のウイルス(これをレトロウイルスと呼びます)で最も有名なのがHIVというわけです。
HIVは性感染や血液感染のルートで人間の体内に潜り込み、RNAとして持っている自らの情報を人間の特定の細胞の中のDNAに植え付けます。この植え付ける作業に必要なのが「逆転写酵素」なのです。
HIVはいまや誰もが知る感染症となりましたが、HIVと同じ仲間のレトロウイルスであるHTLV-1はそれほど有名ではありません。しかし、これは歴史的には極めて奇妙な話で、HIVがまだ名前もなかった頃には、HTLV-3という名称で呼ばれていたのです。つまり、HTLV-1の方がHIVよりも昔から知られた存在であって、HIVが誕生した頃はHTLV-1の亜型だと考えられていたのです。
HIVに比べてHTLV-1が無名であることが不思議な理由はまだあります。
まず、これら2つのウイルスは感染経路が極めてよく似ています。HTLV-1の主要な感染ルートは、血液感染、母子感染、そして性感染です。細かいことを言えば、HIVが腟分泌液にも含まれているのに対して、HTLV-1は精液には含まれるものの腟分泌液には含まれていないという違いがあげられるかもしれません。しかしながら、同じく腟分泌液には含まれていないと言われているHCV(C型肝炎ウイルス)が女性から男性に性交渉で感染することが珍しくないことを考えれば、HTLV-1の女性から男性への性感染もありうると考えるべきでしょう。(女性の不正出血や子宮けい部の炎症が原因で、実際は腟交渉で血液感染が成立しているのではないか、と私は考えています)
感染ルートが極めて似ており、歴史的にはHTLV-1の方が古いのにもかかわらず、HIVの方が圧倒的に有名なのはなぜなのでしょう。
感染者の数が違うからでしょうか。たしかに、HIV陽性者に対して、HTLV-1陽性者が極端に少ないのであれば、HTLV-1が無名なことも理解できます。
しかしながら、日本国内でみたときに、HIV陽性の人は、累積で1万3千人程度しかいないのに対して、HTLV-1陽性の人は120万人から150万人もいるのです。
では、HTLV-1がHIVに比べて無名なのは、感染してもすぐに治る病気だからなのでしょうか。
事実はまったくの逆です。HTLV-1に感染するといくつかの病気になる可能性があり、代表的な2つはATL(成人性T細胞白血病)とHAM(HTLV-1関連脊髄症)です。現在の医学では、残念ながらこれらの病気に対して有効な治療法があるとは言えません。
これは、すぐれた抗HIV薬が次々と開発されているのとは対象的です。参考までに、現在のHIVの治療は、薬の内服は1日1回が主流になってきています。HIVは1日1回の服薬だけでエイズを発症しないのに対し、HTLV-1は有効な治療法が確立されておらず、ATLを発症すれば8割以上は5年以内に死亡しますし、HAMはやがて寝たきりの状態になります。要するにHIVよりもHTLV-1の方がはるかに「難病」なのです。
これらを踏まえると、感染経路が極めて似ている2つの病原体のうち、陽性者が100倍も多く有効な治療法もない方が世間から注目されていないのです!
ここまでくれば、HTLV-1がもっと注目されるべき感染症であることがお分かりいただけたと思います。
次に、HTLV-1が引き起こす病気について説明しておきます。
私は医師になってから、だいたい年間に2、3人程度のHTLV-1陽性の患者さんと出会っています。
一番よく遭遇するのは、中年以降に全身が真っ赤に腫れ上がる紅皮症と呼ばれる皮膚状態になっている患者さんです。一見アトピー性皮膚炎の重症型にも見えますが、中年以降に突然発症しているのがポイントです。そして、この状態になった患者さんの何割かはいずれ皮膚の悪性リンパ腫を発症することになります。
HTLV-1が引き起こす疾患でおそらく最も有名なのはATL(成人型T細胞白血病)でしょう。白血病にも様々な種類のものがあって、比較的治りやすいものもありますが、ATLの場合は有効な治療法が確立されていません。そのため5年以内に8割以上が死亡という高い致死率となっています。実際、毎年1000人以上の人たちがATLで命を失っています。
HAM(HTLV-1関連脊髄症)という疾患もやっかいです。この病気はゆっくりと進行し、次第に手足が動かなくなりやがて寝たきりの状態となります。他の脊髄疾患や脳梗塞の症状と似ていることもあり、ときに診断がつくのが遅れます。
HTLV-1はワクチン(予防接種)がありませんし、いったん体内に侵入したHTLV-1を駆逐する方法もありません。
では、なぜこのような大変重要な感染症の注目度がこんなにも低いのでしょうか・・・
(つづく)
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