はやりの病気
第32回(2006年5月) そろそろ本格的な禁煙を!~前編~
生活習慣病の二大大敵は「肥満」と「喫煙」です。この他にも、野菜果物の低摂取、飲酒、性交渉でのパピローマウイルス感染など、たくさんありますが、「肥満」と「喫煙」ほど、確固とした地位を築いている大敵はいないでしょう。
前回は、「肥満」や「喫煙」を棚に上げて、どれだけ積極的に身体にいいものを食べようが、サプリメントを摂取しようがほとんど意味がない、という話をしました。今回お話するのは、「喫煙」についてです。
まずは、タバコがリスク因子となる疾患をみていきましょう。
悪性腫瘍(がん)の多くは生活習慣病であると言えます。そして、全世界のがんによる死亡の21%が喫煙に関係しているというデータがあります(Lancet誌2005年11月19日号)。
タバコが原因のがんと言えば、肺がん(一部タバコが原因でない肺がんもあります)が有名ですが、他にも、胃がん、食道がん、咽頭がん、喉頭がん、口腔がん、舌がん、膀胱がんなどがあります。
がん以外で、タバコが関係している疾患も非常に多く、肺気腫、喘息、慢性気管支炎、心筋梗塞、狭心症、脳梗塞などが有名ですが、他にも動脈硬化を促進させたり、傷の回復を遅らせたり、手足の冷えを助長したり、と悪いことばかりです。先日、厚生労働省研究班がおこなった4万人を対象にした調査によりますと、喫煙者の心筋梗塞は非喫煙者に対して約3倍も高いことが分かったそうです。
私が医学部の学生の頃は、いくつかの病気に対してはタバコが有用ではないか、といった説もありました。具体的には、パーキンソン病、クローン病、潰瘍性大腸炎などで、これらの予防、もしくは治療にタバコが薦められるのではないか、という議論があったのです。
しかしながら、最近はこういった議論はほとんど聞かれなくなり、現在タバコの有用性を訴える医師や研究者はほとんどいないのではないかと思われます。
世界保健機構(WHO)は、世界を率先するかたちで、2005年12月「喫煙者を雇用しない」という方針を発表しました。
医学界だけではなく、社会的にもここ数年で禁煙へのムーブメントが一気に広がっています。レストランやファストフード店のなかには、全面禁煙の店もでてきましたし、喫煙が可能でも狭いスペースに喫煙コーナーを設ける店舗が増えてきています。
海外ではその傾向がいっそう顕著です。
2003年7月にはニューヨークで禁煙法が施行されました。これにより、レストランやバーなども全面禁煙となり、喫煙できるのは市役所から許可をもらった一部のシガーバーだけとなりました。
ヨーロッパでは、アイルランドが2004年に禁煙法を施行し、これに追随するかたちで他の欧州諸国が喫煙に対する法律を整備しだしました。
英国では、2005年1月に北アイルランドが、2006年3月にはスコットランドが全面的な禁煙法を施行し、バーやクラブを含めて喫煙できる公の場がなくなりました。この流れは加速度的に広まり、ついに2007年の夏には、ロンドンを含むイングランドが全面禁煙になることが決定しました。ウェールズにおいても2008年中には、全面禁煙になるであろうと言われています。
また、オーストラリアでも2007年中には全面禁煙になる見込みだそうです。
アジアではどうでしようか。
中国は、都市部と地方では、同じ国と思えないほどの経済格差があり、また生活様式も異なります。今やどこからみても先進国としか思えない上海では、禁煙レストランが急増しているそうです。
私が商社に勤めていた頃、仕事で中国人と食事を供にすると、よくタバコを勧められました。それが好意を示す行為であるという話を聞いたことがありますが、今ではそのような慣習も減ってきているそうです。
中国と同様に、タイも都心部と地方では驚くほどの経済格差があります。地方はさておき、都心では高級レストランだけでなく100円以下で食事ができるような食堂でも全面禁煙の店が増えてきています。また、ロビーを禁煙にしたホテルが急増しています。
このように、禁煙ブームは世界的な広がりを見せており、喫煙者には非常に住みにくい世の中になってきました。
ここまで禁煙ブームが加速すると、喫煙者からは「本当にバーやクラブまで禁煙にする必要があるのか。喫煙者が他人に迷惑をかけているという、なにか科学的なデータでもあるのか」という声が上がりそうです。
しかし、喫煙者にとっては残念なことに、そういうデータが最近登場し始めました。
まずは、アイルランドの調査です。
禁煙法施行前と施行1年後の2回にわたり、アイルランド国内40ヵ所以上のパブの空気調査と、そこで働く81人の男性労働者を対象に肺機能の調査とインタビューがおこなわれました。その結果、1年間で呼吸器に影響を及ぼす大気中の浮遊微粒子が大幅に減少したことが判明し、パブやレストランの労働環境も改善され、息切れ、せきなどの、呼吸器系の症状や、涙目になるなどの刺激を感じるといった症状が、全体で30%から40%減少したそうです。この調査では、「禁煙法によってパブの従業員を間接喫煙の被害から守ることに成功した」と結論づけています。
心臓病に関するデータもあります。
米国コロラド州プエブロ市では、全面的な喫煙禁止条例の施行後に急性心筋梗塞の患者が30%近くも減少したことが分かったそうです。
こういったデータがでてくるようになると、禁煙法は今後もますます普及していくことが予想されます。日本では、まだそのような動きがありませんが、「禁煙法」が国会で議論される日はそう遠いことではないかもしれません。
さて、いくら法律が制定されても、病気になりやすいというデータを示されても、愛煙家にとって禁煙の苦しみが軽減されるわけではありません。タバコを吸わない人が、喫煙者に対して「禁煙しなさい」と言ってもほとんど説得力がないのは、喫煙者にしてみれば「この苦しみの分からないあんたになんでそんなに偉そうなこと言われやなあかんねん!」という気持ちがあるからです。
愛煙家が禁煙に成功するのは、愛煙家自身が固い決意をもって禁煙に取り組んだときだけです。どれだけすぐれた禁煙治療薬を使おうが、本人に固い意思がない限りは絶対に成功しないと考えるべきでしょう。
しかし、例外的に他人の説得が有効なことがあります。
それは、まだタバコを吸ったことのない人に対するアドバイスです。いったん愛煙家になってしまえば、並大抵の努力では禁煙に成功しませんが、まだ吸ったことのない人、あるいは吸い始めて間もない人に対してはアドバイスが非常に有効です。
タバコを吸い始める年齢というのは、だいたい10代後半から20代前半だと思われます。10代前半という人もいますが、そういう人でも依存症になるのは10代後半あたりからであることが多いと言えるでしょう。この年代であれば、まだタバコに対する知識をきちんと持っていないことが多く、吸い出すきっかけは、「友達が吸っているから」とか「なんとなく気持ちよさそうだから」とか「カッコいいような気がする」とか、そういう理由が多いわけです。これくらいの動機なら、「病気になりやすい」、「老けやすい」、「肌が汚くなる」、「口が臭くなる」、など、タバコの否定的な側面をしっかりと教えてあげれば、「初めから吸わない」ということが期待できます。つまり、「理性」で説得することが可能です。
最も効果的な禁煙対策は「初めから吸わない」ことなのです。
ところが、吸い出してから数年がたち、いったんタバコの魅力にとりつかれてしまえば、どんな「理性」をもってきても、愛煙者にしてみれば単なる「正論の振りかざし」にしか聞こえなくなってしまうのです。
「感情には、理性にはまったく知られぬ感情の理屈がある」というのはパスカルの言葉ですが、愛煙者に対しては「理性」は通用しないのです。これが、発展途上国だけでなく、先進国の、しかも高学歴者や知識人のなかにも愛煙家が多い理由なのではないかと私は考えています。
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