はやりの病気

第85回(2010年9月) NDM-1とアシネトバクター 

 どんな抗菌薬(抗生物質)も効かない細菌(superbug)がインドで発見された!

 2010年8月11日、ロイター通信でこのニュースが報道され(注1)、全世界でNDM-1と呼ばれる酵素を持つ細菌の存在が注目されるようになりました。ロイター通信がこのニュースを配信したのは、医学誌『ランセット』2010年8月11日号に掲載された論文(注2)が元になっています。

 日本では、このNDM-1という厄介な薬剤耐性菌が取り上げられだしたちょうど同じ時期に、帝京大学医学部附属病院での院内感染が注目されることになりました。

 報道によりますと、2010年4月頃から同病院でのアシネトバクターの感染者が相次ぎ、7月に内部調査委員会が設置されたものの、8月に実施された国と東京都による合同立ち入り検査の際に報告していなかったことが判明しました。同病院は、「もう少し早く公的機関に報告し、公表すべきだったと反省している」と会見で述べました。

 その後の同病院の報告によりますと、ほとんどの抗菌薬が効かない多剤耐性アシネトバクターが、2009年以降46人の患者から検出され、そのうち27人が死亡しています。その27人のうち9人は院内感染が死亡の原因になっている可能性がある、とされています。

 さて、偶然にも同じ時期に、NDM-1という酵素をもつ薬剤耐性菌が世界のマスコミで報道され、国内では帝京大学の多剤耐性アシネトバクターが報道されました。しかし、アシネトバクターの報道は(少なくとも私の知る限り)国内だけで、海外からは目を向けられていません。まずはこの理由について確認しておきたいと思います。

 院内感染は確かにあってはならないことですが、今回問題となっているアシネトバクターや緑膿菌、あるいはMRSAなどは、健常人に感染しても通常は問題になりません。問題となるのは、悪性腫瘍が進行している場合や、移植を受けている場合など、何らかの理由で免疫能が極端に低下している患者さんに感染したときです。

 ですから、そのような患者さんが入院している病棟で勤務する医療従事者は細心の注意を払わなければなりません。徹底した感染予防対策というのは、実は大変困難なものではありますが、だからと言って院内感染を発生させ、それが理由で患者さんが死亡するようなことはあってはなりません。

 一方、インドやパキスタンで問題となっているNDM-1を持つ新型の薬剤耐性菌は、健常者にも感染するということが最大の特徴です。NDM-1というのは酵素の名前で、その酵素を持った細菌が「どんな抗菌薬も効かない細菌」(これを英語でsuperbugと言います)となります。NDM-1を持つことができるのは、アシネトバクターのような健常者に感染しても怖くない細菌だけではありません。(健常者からすれば、NDM-1を持ったアシネトバクターが登場したとしても怖くありません) NDM-1は、例えば病原性大腸菌や肺炎球菌、あるいはサルモネラ菌や赤痢菌といった健常者も苦しめる細菌が持つこともあり得ます。すると、通常なら抗菌薬で治癒できるはずなのに、NDM-1を持っているから抗菌薬が一切効かず治療の施しようがなくなるのです。(「NDM-1を持つ新薬剤耐性菌」をここからは便宜上「NDM-1」とします)

 健常者がNDM-1に罹患し初の死亡者が出た、というニュースはベルギーから発せられました。8月13日のAFP通信は「South Asian superbug claims first fatality」(南アジアのsuperbugで最初の死者)というタイトルでこれを報道しています。AFP通信によりますと、ベルギー人男性(年齢は報道されていません)が、パキスタンを旅行中に自動車事故に遭い、同国の病院からブリュッセルの病院に搬送されたもののNDM-1を死滅させることができず救命できなかったそうです。 

 欧米のメディアによりますと、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、カナダ、アメリカ、オーストラリアでもNDM-1の感染が確認されているそうです。日本でも、2009年5月に独協医大附属病院に入院していた50代の男性がNDM-1に感染していたことがわかり、これを9月6日厚生労働省が発表しました。

 欧米のメディアは、なぜインドでNDM-1が蔓延したかという点に関して、「インドには、欧米諸国から美容外科手術(cosmetic surgery)を受けに行く人が多い」、と指摘しています。美容外科手術に際して抗菌薬を必要以上に使用したがためにNDM-1のような厄介な薬剤耐性菌を産み出したのではないかと、やや非難を込めて報道しています。

 一方、インド側は、この指摘に対しては認めていないものの(美容外科手術は重要な外貨獲得の手段ということもあるのでしょう)、ラオ保健次官は「インドでは多くの人々が医師の診察を受けず、自分で薬を買い求めるため、抗菌薬の多用により、体内の菌が薬物への耐性を獲得することにつながる。これはやめさせなければならない」と、地方紙に語ったと報じられています。

 よく、「日本ほど抗菌薬を乱用している国はない」と言われます。詳細は覚えていませんが、私が90年代半ばに読んだ本には、「抗菌薬の世界全体の消費量の4分の1は日本である」と書かれていました。実際、日本人は医師側も抗菌薬を処方しすぎると言われていますし、患者側も求めすぎる傾向があります。

 しかしながら、(日本人の抗菌薬の大量消費を正当化するつもりはありませんが)日本では普通の薬局で処方せんなしに抗菌薬を購入することは不可能です。しかし、インドを初めとする南アジアや、また東南アジアでも、抗菌薬が薬局で、医師の処方せんなしに簡単に買えてしまいます。

 私はNPO法人GINA(ジーナ)の関係でタイに渡航することが多く、薬局に何度か行ったことがあります。抗菌薬であってもごく簡単に買えるのが実情です。それだけではありません。みやげ物などの屋台でも抗菌薬を見かけることがあります。(本物かどうか疑わしいですが・・・) 

 最近タイでは、抗菌薬に関する本格的な調査がおこなわれました。この調査は、マヒドン大学(Mahidol University)、コンケン大学(Khon Kaen University)、ソンクラー大学(Prince of Songkla University)による合同調査で、入手方法や使用状況について聞き取りがおこなわれています。その結果、42%が薬を処方通りに服用していないことが判りました。また医師の過剰投与が問題とする意見も見受けられます。(注3)

 欧米ではどうなのでしょうか。欧米の医師は抗菌薬をよほどのことがない限りは処方しない、と言われることがあります。実際、オランダでは抗菌薬の多くには保険が効かず全額自己負担となると聞いたことがあります。欧米の医師と話していても、彼(女)らは「抗菌薬は明確な理由がなければ処方してはいけない」と言います。

 しかし、すべての欧米人が抗菌薬をよほどのことがない限り服用しないのか、と言われればそうでもないような気もします。例えば、欧米からアジアにくる旅行者やバックパッカーのなかには、複数種の抗菌薬を携帯している人がいますし、日本では入手しにくいマラリアの薬などを持っていることもあります。彼(女)らはそれなりに医学に詳しいこともありますが、医師の処方や指示なしに自分の判断で抗菌薬を内服しているのです。
 
 今後NDM-1に効く薬剤が開発されたとしても、世界規模で抗菌薬に対する厳格な規制を設けない限りは同様の問題がそのうち発生することは間違いありません。

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注1:このニュースのタイトルは、「Scientists find new superbug spreading from India」で下記のURLで読むことができます。
http://www.reuters.com/article/2010/08/11/infections-superbug-idUSLDE67A0O120100811

注2:この論文のタイトルは、「Emergence of a new antibiotic resistance mechanism in India,Pakistan, and the UK: a molecular, biological,and epidemiological study」で、下記のURLで概要を読むことができます。

http://www.thelancet.com/journals/laninf/article/PIIS1473-3099%2810%2970143-2/abstract

注3:この記事のタイトルは、「Abuse of antibiotics is rampant, say researchers」で、下記のURLで内容を読むことができます。

http://www.bangkokpost.com/news/local/194770/abuse-of-antibiotics-is-rampant-say-researchers

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