はやりの病気
2013年11月20日 水曜日
第123回 マラソンに伴う健康被害と利点 2013/11/20
マラソンブームと言われて久しいように思われます。ここ10年くらいで日本のマラソン人口は急増し1千万人とも2千万人とも言われています。マラソンはもちろん健康にいいことですから我々医療者としても喜ぶべきことなのですが、危険がないわけではありません。しかも命に直結するような病気のリスクもあります。
今回はマラソンに伴う身体のリスクについてまとめていきたいと思います。しかしその前にこのマラソンブームの背景を振り返っておきたいと思います。
健康のためにジョギングをする人は昔からいましたが、フルマラソンにチャレンジする人は1980年代まではさほど多くなかったと思います。マラソン大会では制限時間がだいたい5時間くらいに設定されているのが普通ですから、日頃トレーニングをしているような人でなければハードルが高いのです。
マラソンが一般人にとって敷居が低くなったのはホノルルマラソンが注目を浴びだしたからではないかと私はみています。1989年頃から、私の周りにもホノルルマラソンにチャレンジするという人がちらほら現れだしました。円高とバブル経済のおかげで、ハワイがすでに憧れの地ではなく気軽にいける旅行先になったことがその理由です。しかし、ホノルルマラソンが一躍注目を集めた最大の理由は「制限時間なし」というルールにあります。これなら日頃トレーニングをしていない人でも出場することができます。そして、冷やかし半分で出場したような人たちもゴールをすると感動に包まれ、それが口コミで広がっていったのではないか、と私は分析しています。後に改めて述べますが、マラソンとは誰もが感動できるスポーツかつイベントであり、精神衛生上も非常にすぐれたものなのです。
日本経済が停滞することがなければマラソンブームはもっと早く訪れたのではないか、というのが私の分析です。不景気で失業する人が増えるなかで、のんきに「ホノルルマラソンで感動を・・・」などと言っている場合ではなくなってしまいました。転機が訪れたのは2007年の東京マラソンでしょう。この頃は円安でしたが、好景気に見舞われ(といっても多くの庶民に好景気という感覚はありませんでしたが)、健康ブームが重なっていました。そして制限時間を7時間としたのが結果的にあのブームを引き起こしたのではないかと私はみています。42.195kmを7時間でゴールしようと思えば平均速度は6.03km/hですから、これなら早歩きの程度で完走することができます。東京マラソンが口火をきったかたちとなり、その後全国に次々と制限時間のゆるやかな市民マラソンが誕生しました。
大阪マラソンが始まったのは2011年で、2013年の今年は3回目の開催となりました。今年は私もランナーを支援したいと考え、医師として救護所で待機する係を引き受けました。(本当は私自身も走りたかったのですが、今年は応援係として業務をまっとうすることにしました)
あまり報道はされていないと思いますが、フルマラソンが開催されると軽症から重症まで大勢のランナーが身体のトラブルに遭遇します。なかには命にかかわるような重篤な事態になることもあります。私の担当したポイントでは、生命に関わるような大きなアクシデントはありませんでしたが、それでも救急車を2台要請せざるを得ませんでしたし、軽症ではあるものの医学的なケアの必要なランナーが次々と救護所にやってきました。
マラソンに伴う健康被害を私なりに分類すると次の4つになります。①熱中症・脱水及び低ナトリウム血症、②筋肉、靱帯、関節などの整形外科的疾患、③不整脈や虚血性心疾患(これが最重症になります)、④その他、の4つです。「その他」は、持病の悪化(喘息発作や糖尿病の人の低血糖症状など)、低体温症(冬場)、風邪(大会に参加して風邪をひく人は少なくない)、あるいは2013年4月15日にボストンマラソンでおこった爆破テロなどです。以下に①②③をみていきます。
①の熱中症・脱水については炎天下のマラソンでは当然おこりえます。低ナトリウム血症についても、最近はかなり周知されてきているように思われますが、マラソンの現場では決して少なくありません。単に水分を摂るのではなく塩分(電解質)も摂取しなければ、低ナトリウム状態が進行し、行くところまで行けば生命が危険な状態になることもあります。ですから、最近のマラソン大会の給水ポイントでは、水だけでなく「OS-1」のような電解質を含んだ飲料水も置かれています。しかし大会によってはいまだに水だけのところもあるようです。
低ナトリウム血症が怖いのは、なかなかそれを自覚できない、ということです。単なる脱水であれば、喉が渇けば水を飲めばそれで事足ります。低ナトリウム血症になると、身体はしんどくなりますし、汗で水分が失われているのは事実ですから水を飲めば回復することを期待してしまいます。そして水を飲むわけですが、塩分の含まれていない水であれば余計に低ナトリウム血症が進行してしまいます。
マラソンやジョギングの途中や走行後に採血をしてナトリウムの濃度を調べるようなことを普通はしませんから気づきませんが、けっこうな人が低ナトリウム血症になっているのではないかと私はみています(注1)。そんなに距離を走ったわけでもないのに、疲労感が急激に進行し、嘔気がでてきたようなときは迷わずに塩分を摂るべきです。ランナーのなかには「塩タブレット」を携帯し、症状から低ナトリウム血症を疑えばそれを直ちに飲むという人もいます。
②の整形外科的な疾患は軽症のものを含めれば頻度としては一番多いでしょう。足底にマメができた、靴擦れがおこった、という程度であればテーピングのみでマラソンを続けられることもありますが、肉離れや強い関節痛などが生じればリタイヤせざるを得ません。単なる筋肉痛であれば続けられることもありますが、場合によってはそれ以上筋肉を動かすことがかなり困難になります。
ときどき、元々体力はあるはずで息切れはほとんどしていないのに途中から筋肉が動かなくなり歩いてゴールした、という人がいますが、これは運動不足があればよくおこります。筋肉を使うことにより血中乳酸濃度が上昇し、その濃度がおよそ4mmol/L(ミリモル/リットル)を超えると筋肉が硬直してしまい動かなくなるのです。しかし、この問題はトレーニングにより克服することができます。つまり効果的なトレーニングにより血中乳酸濃度の上昇を遅らせることができるのです。(このコラムはマラソンのタイムを上げることを目的としていませんのでこれ以上は述べません。興味のある方はマラソンの指南書を参照してみてください)
ランナーを救護する立場の医療者からみれば整形外科的疾患というのはあまり怖くありません。なぜなら重症化することはまずないからです。医療者が最も懸念するのが不整脈や虚血性疾患などの死に直結するアクシデントです。
私の知る限り、国内の市民マラソンでの死亡事故はないと思いますが、心肺停止は何度か報告されています。有名なところでは2009年の東京マラソンで、15km地点で心筋梗塞を起こし致死的な不整脈がでたものの救護班の迅速な対応で一命を取り留めたタレントの松村邦洋さんが有名です。このアクシデントは、もしも医療者が近くにおらずAED(注2)がなければ松村さんは助かっていなかったでしょう。
松村さんが日頃どのようなトレーニングをしていたのか私には分かりませんが、15km地点で発症したことを考えると、それほど本格的なトレーニングをされていなかったのではないでしょうか。医療者からみて、最も危惧すべきなのは、日頃からトレーニングをしているベテランのランナーが30kmを超えたあたりです。実際、過酷なランニングのトレーニングを続けると心臓の障害につながる、とするアメリカの研究(注3)もあります。
さて、マラソンの否定的な側面ばかりをみてきましたから、最後にマラソンの利点を確認したいと思います。まず、当たり前のことですが持続的なトレーニングは適正体重を維持し生活習慣病の予防になります。「走った距離は裏切らない」は野口みずきさんの名言ですが、私はこの言葉は、健康のためにランニングをするすべての人にあてはまると思っています。
もうひとつの利点は、精神状態に大変いい、ということです。運動そのものがうつ状態を改善させることはよく指摘されますし、質のいい睡眠につながることは容易に想像できるでしょう。私がそれ以上に主張したいことは、ゴールしたときの感動、です。といっても私はフルマラソンを走った経験がないので、完走したランナーに聞いたことばかりなのですが、大勢の人に声援をかけられてゴールしたときの感動は何にも変えられないと、誰もが口をそろえていいます。年に一度のマラソン大会を励みに日々の仕事をがんばっているという人もいるほどです。ここまでくると、マラソン大会とは一種の<祝祭>とも言えます(注4)。
ランニングは「百薬の長」と言えば言いすぎかもしれませんが、身体的にも精神的にも大変すぐれた低コストで簡単に始められる健康増進法なのです。ただし、過ぎたるは及ばざるがごとし・・・、トレーニングのしすぎは心臓を障害する可能性を指摘されていることはお忘れなく・・・。
注1:採血は容易にできませんが、低ナトリウムをおこしたかどうかを簡便に知る方法はあります。それは体重を量るという方法です。低ナトリウムが進行すると身体がむくみ体重が増加します。通常はランニングの後は体重が減りますが(フルマラソンでは約2キロ減ると言われています)、減っていないときは低ナトリウム血症になっている可能性があります。
注2:AEDについては下記コラムを参照ください。
メディカルエッセイ第48回(2007年1月)「あなたはAEDが使えますか」
注3:この研究は医学誌『Mayo Clinic Proceedings』2012年6月号(電子版)に「Potential Adverse Cardiovascular Effects From Excessive Endurance Exercise」というタイトルの論文が掲載されています。下記のURLで概要を読むことができます。
http://www.mayoclinicproceedings.org/article/S0025-6196%2812%2900473-9/abstract
注4:祝祭が人間個人にとって(あるいは社会にとって)いかに有益なものかというのは社会学や人類学ではよく指摘されることです。例えば年に一度のホノルルマラソン(東京マラソンでも大阪マラソンでもかまいませんが)を生活の中心に据えて、日頃のライフスタイルやトレーニングを考える、というのは医学的にも社会学的にも大変健全なことではないかと私は考えています。
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|2013年10月21日 月曜日
第122回 飛行機の中の病気 2013/10/21
数年前の12月31日午後、東南アジアに向かう機内で2本目のビールをあけた私は、機体の小さな揺れを心地よく感じまどろんでいました。読んでいた英字新聞が頭に入ってこなくなり前の座席に押し込んで腕を組んで少し本格的に眠ろうと思ったときにその機内アナウンスが聞こえてきました。
乗客の中に医師、看護師、または他の医療従事者はいませんか? お客様の調子が悪く機内の一番後ろのスペースにいます・・・。
いくらお酒を飲んでいても、いくら眠たくても、それが日本語か英語なら医師の聴覚を司る細胞は敏感に反応します。直ちに目が覚めて腰を上げかけた私は、しかしここでたじろぎました。そしておそらくわずか1分程度の短い時間にいくつかのシーンが脳裏をよぎりました。
患者は心臓に持病のある高齢者。診察の結果、緊急性はないと判断しそのままフライトを継続。しかし着陸前に発作が起こり着陸時に患者は死亡。最初は、結果が報われなかったとはいえ、全力で診察し治療を検討した医師を非難する声は上がらなかったが、数日後、その医師が飲酒して正常な判断ができていなかった可能性があることが発覚し・・・。
あるいは・・・。患者は軽症だったのにもかかわらず医師が過剰な診断をし、飛行機は緊急着陸へ。患者は元気で、予定通りの旅行ができなかった乗客からは大変なブーイング。この日は12月31日で、なかには年に一度の家族との再会を楽しみにしていたという乗客も。そして診断した医師が飲酒していたことが判明し・・・。
このようなシーンが次々と浮かび心臓の鼓動が早くなっています。そのとき2回目の機内アナウンス、「乗客の中に医師、看護師、・・・」が流れてきました。もう一度考えよう・・・、しかし、心の奥から聞こえてきたその声は無視され、私の身体はすっと立ち上がっていました。そして後先のことは考えずに小走りで機内後方に向かいました。
奥のスペースで寝かされていたのは10代半ばの白人女子。母親と思われる中年の白人女性が付き添っていました。フライトアテンダントとその母親から情報収集すると、搭乗時には問題なかったが食事をとってしばらくしてめまいと嘔気が出現、気分不良がおさまらないためにフライトアテンダントを呼んだ、とのことでした。母親によれば過去にも何度か同じ状態になったことがあるとのことでした。
私が呼びかけるとその女子は反応しきちんと受け答えができます。呼吸・脈は正常であり、学校は好きか、とかペットは飼っているか、とかたわいもない世間話をしばらくしていると少しずつ笑顔が戻ってきました。血圧が正常であることを確かめた私は、母親とフライトアテンダントに「大丈夫です。気分不良が続くならもう少しこのまま寝ていてもらってもいいですが、着陸する頃には元気になっていると思います」と答え、席に戻りました。
席に戻ると一気に疲労感が出てきましたが、これは一仕事終えた充実感ではなく、「軽症でよかった~」という安堵感からくるものでした。
さて、私が機内で診察した(というほどのものではありませんが)この女子は、普段は健康だけれどもときどき乗り物酔いを起こすとのことでした。当たり前ですが、飛行機で途中下車はできませんし、乱気流に入ると大きな揺れを避けることもできません。水は用意してくれますが薬はごく一部のものを除きあらかじめ自分で準備しなければなりません。
飛行機の中は危険な環境で病気を発症しやすい・・・、などと言うと航空会社や旅行会社からクレームが来そうですし、機内は食事や飲み物を用意してくれて映画や音楽も楽しめるのだから極楽じゃないか・・、という声もあるでしょう。そういう私にとっても、先に紹介した<恐怖の呼び出し>がなければ、ゆっくり本を読めて飲み物をサービスしてくれる機内は大変快適な時空間です。
しかしながら、機内というのは場合によっては大変危険な時空間となります。なぜ危険かというと、揺れるとかテロの標的にされるとか、そういった問題は除くとしても、飛行機に乗る限り絶対に避けられない環境の変化が2つあるからです。ひとつは気圧が低いということ、もうひとつは空気が乾いている、ということです。
機内の気圧は0.8気圧程度しかありません。それがどうしたの?と感じる人もいるでしょうが、気圧の変化というのは一部の病気、特に呼吸器や心血管系の病気を悪化させます。また、乾燥もときに問題になります。一般に機内の湿度は5~15%程度に調節されており、これはサハラ砂漠よりも乾燥していると言われることもあります。
乾燥のせいで皮膚がかゆくなる、という程度であればいいのですが、例えば、気管支喘息があれば、普段は安定しているとしても機内で悪化することがあります。飛行機に長時間乗ると咳が出るとか、喉がイガイガする、という人がときどきいますが、これも機内の乾燥に原因がある可能性があります。
気圧と湿度が低いことで悪化する可能性のある疾患は多数あり、喘息の他、COPD(酸素ボンベは持ち込めませんから必要な場合はあらかじめ航空会社に酸素の用意をお願いしなければなりません)、気胸(過去に気胸を起こしたことがあれば搭乗できないこともあります)、狭心症や心筋梗塞、間質性肺炎、などですが、普通の風邪でも咳が悪化することがあり注意が必要です。
特に喘息については、日頃落ち着いていたとしても、突然機内で発作を起こすことがありますから、発作時用の吸入薬と、場合によっては内服ステロイドを持参してもらうこともあります。機内で喘息発作が起これば本人も大変ですが、周囲の人も慌てることになりますから充分な準備をしておかなければなりません。
普通の風邪で症状が軽ければ搭乗してもかまいませんが、インフルエンザの場合は確定がついておらず疑いがあるという程度でも搭乗は見合わせることを検討すべきです。日頃健康な方であれば機内で急変という可能性はほとんどありませんが、他人へ感染させるというリスクがあります。もしも新型インフルエンザに罹患しており、それを機内で蔓延させたとなると責任を追及される可能性もなくはありません。
注意すべき感染症はインフルエンザだけではありません。SARSやMERS(中東呼吸器症候群)、あるいは結核などは確定診断がついていなくても、感染の可能性があることを知っていながら搭乗したとなると大変な問題になります。また、風疹や麻疹(はしか)も同様です。もしも風疹にかかっていて、機内に妊婦さんが乗っていたとすると、国際問題にもなりかねません。
機内の病気で忘れてはならないのがエコノミークラス症候群(ロングフライト血栓症、旅行者血栓症)です。この疾患については過去に取り上げたときに述べましたが(下記「はやりの病気」参照)、エコノミークラスかどうかに関係なく同じ姿勢をとり続けることが発症のリスクになります。長くてもせいぜい2時間程度の国内線であればそれほどリスクは高くありませんが、4時間を超える国際線では注意が必要です。
特に、高齢者、肥満がある人、女性、手術の後、喫煙、薬を用いている人などは要注意です。薬で特に忘れてはいけないのがピルや更年期障害に用いるホルモン剤です。低用量ピルを飲んでいる人のなかには薬という意識に乏しい人がいますし、貼り薬のホルモン剤を使っている人も危険性を理解していないことがあります。特に低用量ピルを飲んでいる女性で喫煙している人は要注意です。このような場合、まずはできるだけタバコをやめることが必要で、機内の中では、通路側の席をとる、こまめにトイレに行く、水分をとる、お酒を飲まない、足を組まずに定期的に足を動かす、などの対策が必要になります。
太融寺町谷口医院の患者さんのなかにも低用量ピルを服用している患者さんは少なくなく、なかにはタバコを完全に止められてないこともあり、飛行機に乗ることがあるか何度も聞くことがあります。きっと一部の患者さんにはしつこいと思われていることでしょう・・。しかしこれは大変重要なことで、もしも機内で血栓症を起こして呼吸困難にでもなれば大変なことになります。特に、個人輸入でピルを買っているという人のなかに、このような知識がないことが多く驚かされることがあります。
今何らかの病気がある人、過去に呼吸器や心血管系の病気をしたことがある人、現在何らかの薬(個人輸入のピルなども含めて)を飲んでいる人などで、飛行機に乗る機会のある人はかかりつけ医に相談するようにしましょう。
参考:
トップページ:旅行医学・英文診断書など → 機内での注意
はやりの病気第92回(2011年4月)「エコノミークラス症候群を防ぐには」
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|2013年9月20日 金曜日
第121回 肌が白くなる病気のいろいろ 2013/9/20
カネボウなどの一部の化粧品メーカーがスキンケア製品に配合していたロドデノールが肌を白くすることが判り現在大変な問題になっています。一部のマスコミがこの副作用を過剰に報道していることもあり、不安を抱えている人も少なくないようです。(詳しくは下記医療ニュースを参照ください)
一般に肌が白く抜ける現象を「白斑」と呼びます。白斑には様々な原因があり、そのひとつが今回のロドデノールのように、何か物質に触れることによって生じるタイプの白斑です。きちんとした病名があるわけではありませんが、病名をつけるとすると「化学物質性白斑」くらいになるかと思います。
さて、今回は「肌が白くなる疾患」についてまとめてみたいと思います。肌が白くなる疾患には様々なものがあり、簡単に治るものから、生涯つきあっていかなければならないものまで様々です。また白さの程度も様々で、周囲の皮膚と比べると少し白いかな、というものから、明らかに白くて目立って外出もためらわれる、というものまであります。
まずは軽症のものから紹介していきましょう。夏になると増える疾患に「癜風(でんぷう)」と呼ばれるものがあります。これはマラセチアという真菌(カビ)による感染症です。マラセチアは誰の皮膚にも存在しているいわゆる常在(真)菌なのですが、汗をかいて真菌が増殖しやすい環境になると一気に仲間を増やして皮膚の色を変色させます。
通常、癜風は痛みも痒みも伴いません。そして発症部位は、手足など自分で見つけやすいところではなく、胸や背中、首のうしろなど、改めて鏡をみないとわかりにくいところですから、医療機関を受診するのはそれなりに進行してからであることが多いと言えます。
癜風は、色が白く抜けるタイプ以外にも、赤くなるタイプや黒っぽくなるタイプのものもあります。一度発症すると、汗をかく季節になると必ず出るという人もいます。(実は私も20年以上ほぼ毎年この癜風が出現します。しかしこの後述べるようにすぐに治ります)
癜風は診断も治療も簡単です。疑えばその部分をピンセットやセロテープを使って検体を採取し(痛くありません)、顕微鏡で癜風そのものを確認すれば確定診断がつきます。薬は軽症であれば外用薬だけ、やや重症化していれば飲み薬を1週間程度併用すればまず間違いなく治ります。その後は再発を防ぐために、マメにシャワーをするようにしてもらいます。
癜風は夏に患者さんが増えますが、一年を通してときどき相談されるのが「老人性白斑」と呼ばれる治療の必要のないタイプの白斑です。「老人性」という名前がついていますが、実際は早ければ30代から生じます。大きくてもせいぜい1センチ未満で痛くもかゆくもありません。境界は不鮮明でよく見ないとそれほど目立ちません。相談されるのは男性よりも圧倒的に女性に多いのですが、これは女性に多いからではなくおそらく女性の方が気になるからでしょう。治療は不要です。気になる人にはコンシーラーなどでメイクするよう助言しています。
子供の顔が部分的に白くなれば単純性粃糠疹を疑うことになります。これは別名「はたけ」と呼ばれるもので頬部にできることが多いと言えます。通常かゆみはないかあっても軽度ですし、境界不鮮明でそれほどくっきりと目立つわけではありませんので放置しておくことが多いと言えます。アトピー性皮膚炎があると生じやすいと言われています。アトピーがあると鱗屑(りんせつ)と呼ばれる粉がふいたような状態になりやすく、ここを強くこすると余計に色が薄くなりますから、触りすぎるのはよくありません。
日常の診療で比較的よく遭遇して難治性の肌が白くなる病気は「尋常性白斑(じんじょうせいはくはん)」と呼ばれるものです。別名「しろなまず」とも呼ばれます。尋常性白斑は日本人の1~2%に生じると言われており決して珍しい病気ではありません。マイケル・ジャクソンもこの病気に罹患していました。
尋常性白斑の原因は免疫異常であると言われています。また他の疾患を合併していることもあり、実際に尋常性白斑から甲状腺異常や膠原病が見つかることもあります。また円形脱毛症を合併することは少なくないような印象があります。治療は、ステロイド外用のみで治ることもありますが、重症化していくこともしばしばあります。
急速に進行していくような場合にはステロイド内服を使うこともないわけではありませんが、ステロイドは長期で内服すべきではありませんし、使用量が増えていくことも避けなければなりませんから、多くの場合においてあまり現実的な治療ではありません。
ここ数年で普及してきているのは「ナローバンドUVB」と呼ばれる紫外線を当てる治療法です。大病院の皮膚科であればこの治療がおこなえる機械を置いてあるのが普通ですが、最近はクリニックでも置いているところが増えてきています。(当院には置いていませんが・・)
では、ナローバンドUVBで尋常性白斑が何事もなかったかのように完全に治るかというとそういうわけではありません。治療には長期間を要しますし、症状が改善したとしても患者さんが満足のいくレベルまでは届かない場合もあります。では、そのような場合どうするのかと言うと「化粧品」を使います。カモフラージュメイクと呼ばれるメイクが有効で、一部の化粧品メーカーが積極的に開発しています(注1)。
日常よく診る「肌が白くなる病気」でもうひとつおさえておきたいものがあります。それはきちんとした病名があるわけではありませんが、「炎症後の色素脱失」とでも呼ぶべきものです。アトピー性皮膚炎などで慢性の皮膚の炎症があると、ときに一部が白くなることがあります。また、何らかの物質で「かぶれ」を起こすと、その治癒後に肌の一部が白くなることもあります。「炎症後色素沈着」と呼ばれる炎症の後に色素沈着が残ることはよく知られていますが、その逆に色が白くなることもときどきあるのです。
何か物質に触れることによって起こる白斑をまとめてみたいと思います。ロドデノールが一躍有名になりましたが、このいわば「化学物質性白斑」とでも呼ぶべき原因物質で比較的多いのがハイドロキノンです。ハイドロキノンは美白剤として有名で一般の化粧品にも低濃度で含まれていることもあります。医療機関で処方するのは化粧品よりも高濃度であり、たしかに高い効果は期待できるのですが、色が白くなり過ぎてトラブルになることもあるのです。
また、ステロイドの副作用としての色素脱失もあります。ステロイドの副作用に色素沈着がある、と世間では”噂”されているようですが、これは間違いです。(ちなみに、このような”噂”があるのは世界広しといえども日本だけだそうです) ステロイドを外用して色素沈着が起こるのは、ステロイドによるものではなく皮膚の炎症の後の色素沈着です。しかし、ステロイドの副作用で色素脱失があるのは事実です。
産業医学の分野では、フェノール化合物による色素脱失(白斑)が有名です。特にp-t-ブチルフェノール(PTBT)と呼ばれる物質はよく知られており、過去には多くの労働者が白斑の被害に合っています。以前は粘着テープなどの原料として用いられていたそうです。
肌が白くなる病気は教科書的には今回述べた以外にも複数あります。例えば先天性の「眼皮膚白皮症」や、眼症状を伴うことの多い「Vogt-小柳-原田病」などは、医師であれば知っておかなければならない(医師国家試験対策には必須です)疾患です。しかし、日常の診療で目にする機会はあまりありません。
さて、ロドデノールに話を戻したいと思います。現時点ではロドデノールは「化学物質性白斑」とでも呼ぶべき白斑でありメカニズムは不明です。(PTBTは色素細胞に対する毒性作用が指摘されていますがロドデノールでははっきりしていません)。もしもロドデノールの白斑が、上に述べた炎症の後の一次的な色素脱失であるならばロドデノールの使用をやめれば何もしなくても治っていくはずです。色素細胞に毒性があるなら、何もしなければ治らない可能性もあります。その場合、ナローバンドUVBは治療の選択肢となるでしょうが、有効性は現時点では不明です。
白斑はロドデノールで有名になりましたが、実際の臨床の現場では「色が白くなりました」と言われて受診される原因は様々です。気になることがあればかかりつけ医に相談してみてください。
注1:カモフラージュメイクに積極的に取り組んでいる代表的なメーカーは
GRAFA(http://www.grafa.jp/individual/)
資生堂(パーフェクトカバー)(http://www.shiseido.co.jp/pc/)
マーシュフィールド(http://www.marsh-f.co.jp/)
などです。
一部の大学病院の皮膚科外来では、白斑の患者さんのためのメイクアップ外来をおこなっています。またリハビリメイクという言葉が有名になったかづきれいこさん(http://www.kazki.co.jp/rehabilimake/)は白斑のメイクにも積極的に取り組んでおられます。
参考:
トップページ:ロドデノール含有化粧品が原因の白斑
医療ニュース:2013年9月13日「ロドデノールの被害に対する”誤報”」
はやりの病気第58回(2008年6月)「カビの病気1(癜風・水虫)」
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|2013年8月20日 火曜日
第120回 高血圧を考え直す 2013/8/20
京都府立医科大学や東京慈恵会医科大学でおこなわれた降圧剤に関する研究に不正があったことが明らかになり、現在国内外で大変な問題になっています。この血圧の薬は、商品名は「ディオバン」、一般名は「バルサルタン」といい、製造会社はスイスに本社がある「ノバルティスファーマ株式会社」です。
血圧を下げる薬にはいくつかの種類があり、代表的なものを挙げると、①カルシウム拮抗薬、②ARB(アンジオテンシンII受容体拮抗薬)、③ACE阻害薬(アンジオテンシン変換酵素阻害薬)、④利尿薬、⑤β遮断薬(ベータ・ブロッカー)となります。(これ以外にもいくつかのタイプがありますが、これ以上は言及しないでおきます)
ディオバンは上記②のARBのひとつで、日本で発売されたのは2000年11月です。発売翌年の2001年の売上は160億円に過ぎなかったものが、降圧剤の市場が拡大し、そのなかでも特にARBの普及が広がったことを受けて、同社は売上目標を上方修正していきます。2002年には「100Bプロジェクト」と命名された社内プロジェクトが発動されたそうです。100BのBはビリオン(10億)のB、つまり100Bプロジェクトとは10億の100倍で1,000億を目指すプロジェクトのことだそうです。そして、問題となった慈恵医大の論文が発表された2007年には1,276億円の売上を達成し、京都府立医大の論文が発表された2009年には1,400億円を超える売上を記録しています。
ディオバンに関する研究や論文について、何が問題であったかというと、「ディオバンは単に血圧を下げるだけでなく、他のARBとは異なり、脳卒中や狭心症を減らせる」という結論が主張されていたからです。この結論に対して疑問視する専門家の声もありましたが、研究が大規模であったこと、メーカーが主導した研究ではない(と思われていた)こと、『ランセット』など一流の医学誌に論文が掲載されたことなどから、「ARBで一番いいのはディオバン」という雰囲気が国内でできていたのは事実でしょう。
実際、私の記憶をたどってみても、2007年頃からディオバンを絶賛する専門家の座談会を取り上げた記事のようなものが医学誌で目立つようになっていました。医学の商業誌では、ディオバンの広告がやたらと目立ちました。一般の商品のCMと同じように、派手な広告や専門家が絶賛する記事を繰り返し目にするようになると、無意識的に「ARBならディオバン」という式が頭の中にできてしまうのかもしれません。
では私は、というか、太融寺町谷口医院ではどうしていたかというと、実は、これまでにディオバンを処方したことは(前医からの引き継ぎ処方など特別な場合を除けば)一度もありません。この理由は、私は初めからディオバンが胡散臭いことを見抜いていた・・・、というわけでは残念ながらなくて、単に「値段が高いから」というものです。
異論があることは認めますが、おおまかに言うと、ARBの効果は上記③ACE阻害薬と効果に大差はありません。副作用に注意しなければならないのと、容量の調節が少しむつかしいことを除けば、ARBを使わなくてもACE阻害薬でもほとんどのケースで充分に対処できるのです。そして、ACE阻害薬には随分前から値段の安い後発品(ジェネリック薬品)がありました。そこで太融寺町谷口医院ではオープンしてから(オープン当時は「すてらめいとクリニック」)しばらくは、ACE阻害薬の後発品を使用し、ARBは特別な場合を除いて処方していなかったのです。
そして2012年6月、ついにARB初の後発品が登場することになりました。「ニューロタン」という商品名で知られていた一般名「ロサルタン」の後発品が発売開始となったのです。そこで、当院では新規に降圧薬を処方する場合や、これまでACE阻害薬の後発品を使用していた患者さんに対しても、この「ロサルタン」の後発品を使い始めることになったのです。
さて、ここで高血圧の原点に戻ってみたいと思います。まず、特に自覚症状のない高血圧は本当に治療しなければならないのか、ということを考えてみたいと思います。
高血圧も極端にひどくなれば、例えばだいたいの目安として収縮期(上の血圧)で180mmHgとか200mmHg以上になれば、頭痛や頭重感が生じることがあります。これは大変な苦痛ですから血圧を下げなければならないのは理解しやすいと思います。しかし、現在降圧薬を飲んでいる、もしくは飲まなければならないと医師から言われている患者さんの多くは何も自覚症状がないでしょう。ではなぜ血圧を下げなければならないのかと言うと、それは動脈硬化や脳卒中のリスクを下げるためです。動脈硬化は自覚症状のないまま進行し、ある日突然胸痛が発症(心筋梗塞)したり、ある日突然右半身が動かなくなったり呂律が回らなくなったり(脳梗塞)します。また、突然脳の血管が破綻すると(脳出血)、そのまま帰らぬ人となることもあります。こういったリスクを下げるために症状がなくても薬を飲んで血圧は下げなければならないというわけです。
では、血圧はどこまで下げるべきなのでしょうか。多くの患者さんが、そして以前は私自身も感じていたことですが、高血圧の基準はどうして以前と異なるのか、という疑問を持つのではないかと思います。昔の高血圧の基準は、160/95mmg以上(上が160、下が95)でしたが、これが次第に引き下げられ、現在の日本のガイドライン(JSH2009)では130/85mmHg(若年者・中年者の場合)とされています。
こんなにもどんどん下げられれば、高血圧です、と言われる人が当然のことながら増えていきます。すると、これまた当然のことながら降圧薬がよく処方されるようになるのです。となれば、特に穿った見方をしなくても、血圧の基準が厳しくなることによって製薬会社(及び医療機関)が得をするだけではないのか、という疑問が出てきます。
しかし、答えを言えば、そういうわけでもありません。動脈硬化やその他高血圧が原因で発症する疾患を防ぐためには血圧をどれくらいに保つべきかというのは世界中で研究が行われていて、日本だけが逸脱したガイドラインをつくっているわけではないからです。欧米の一流誌はかなり査定が厳しく、きちんとした科学的な裏付けがなければ論文が掲載されることはありません。今回のディオバンのような不正が世界同時におこなわれるようなことは考えにくいですから、世界的に承認されているものは、もちろん絶対とは言えませんが、ある程度信用していいのではないかと思われます。
それに、日本のガイドラインも適宜見直しが行われています。実は上に述べたJSH2009というガイドラインは現在改訂準備中で、来年(2014年)にはJSH2014というものが発表される予定なのですが、最近入手できた情報では、どうも高血圧の基準が緩和され140/90mmHgとなる可能性が強くなってきているようなのです。
ただし、ガイドラインというのはあくまでもガイドラインに過ぎません。我々医師は、盲目的にガイドラインに従っているわけではありませんし、診察室で測定した血圧が基準値を超えていればそれで「高血圧」という病名をつけるわけではありませんし、すぐに薬を処方することもありません。
よほどのことがない限り、まずは食事の見直し、運動などを開始してもらいます。喫煙者には禁煙をすすめます。食事・運動の見直しというのはもちろん簡単なものではありません。まず患者さんは、どのようなライフスタイルを送っているのか、仕事はどのようなものか、労働時間は?、通勤はどのように?、朝・昼・夜それぞれ何をどれだけ食べているか?、間食は?、お酒は?、休日は何をしているか?、過去のスポーツ歴は?、趣味は?、ストレスは?、睡眠は?、家族からの協力は得られるのか?、などの質問をして話を進めていきます。
生活習慣の改善を試みてもどうしても下がらないときは薬を検討することになります。先に5つのタイプの降圧薬を紹介しましたが、これら以外の降圧薬を使うこともありますし、ときには漢方薬で血圧を下げることもあります。
ときどき誤解している人がいますからここではっきりと述べておくと、我々医師は「薬を処方すること」ではなく「いかに薬を減らすことができるか」を考えています。高血圧の基準が厳しくなって製薬会社は嬉しいのかもしれませんが、医療機関はそういうわけではありません。薬には副作用もありますし、何よりもお金がかかります。特に高血圧のように長期間(あるいは一生)飲まなければならない薬はその費用負担が大変です。我々医師は、患者さんが負担する費用のことも(充分とは言えないかもしれませんが)考えています。
そうは言っても薬を処方すれば医療機関が儲かるのでは?、と思う人もいるかもしれませんので説明しておくと、薬の利益というのは消費税を含めて考えれば実は粗利1%もありません。消費税が上がればほとんどの薬は処方すればするほど赤字になるのです。
高血圧も含めて生活習慣病の治療についてまとめると、「(血圧や血糖値などの)数字に惑わされることなく、まずは生活習慣の改善をおこなう。薬は最終的な治療法であり、初めから薬を使うべきでないし、薬を飲んでいるから生活習慣を見直さなくていいというわけでもない」、と月並みな言葉になってしまいますが、それでもこれが最も大切なことには変わりないのです。
参考:医療ニュース
2010年1月27日「高血圧の半数の人が受診せず」
2009年12月16日「不規則な生活で血圧上昇」
2009年10月26日「喫煙+高血圧+高コレステロール=寿命10年短縮」
2009年5月1日「高血圧はメタボより危険!」
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|2013年7月22日 月曜日
第119回 VPDを再考する 2013/7/22
VPDという言葉を聞いて、その意味がすぐに分かる人はまだそれほど多くないかもしれません。しかし、それでも今から10年前に比べれば随分と社会に浸透してきているのではないでしょうか。
VPDとは、Vaccine Preventable Diseasesの略で、日本語にすると「ワクチンで防げる病気」となります。このサイトで以前から何度も指摘しているように、日本は「ワクチン後進国」であり、世界からは奇異な眼で見られています。見られている、というよりは「世界に迷惑をかけている」と言った方が適切かもしれません。
例えば、2007年に修学旅行でカナダへ行った日本人の高校生が麻疹(はしか)を発症し、学生と教師160人がホテルへ隔離された、という事件がありましたし、同じ2007年には米国でも似たような事件がありました。米国に遠征試合に出掛けた日本の少年野球の12歳の男子が麻疹の感染源になっていたことを米国CDC(疾病対策センター)が発表しています。
また、最近では2013年6月、米国CDCが、日本(及びポーランド)では風疹が流行しており、妊婦や妊娠の可能性のある女性は日本へ渡航する場合は事前に医師への相談が必要という事実上の渡航制限をおこなっています(注1)。また、ヨーロッパでも、欧州疾病対策センター(ECDC)が、6月27日発行の報告書で、日本の風疹流行をトップ扱いで紹介し、やはり事実上の渡航制限をおこないました。
このように、世界的にみて日本がワクチン後進国であるのは事実ですが、それでもVPDという言葉が少しずつ普及し、ワクチンを積極的に接種する人が多少は増えてきているのもまた事実です。これは、現場の医師がきちんと説明するようになってきたからであり、また『KNOW・VPD!』(注2)のようにすぐれたウェブサイトができたからだと思います。
一方、マスコミや市民団体の力も大きな影響を与えています。子宮頸がんのワクチンがその代表です。子宮頸がんのワクチンはメーカーだけでなく市民団体も活動をおこない、タレントがテレビCMでPRもおこない、世論が動いた結果、ついに定期接種にまで組み入れられることになりました。
しかし、その子宮頸がんのワクチンについて、2013年6月、厚生労働省は「子宮頸がん予防ワクチンの接種を受ける皆さまへ」というタイトルの注意勧告を出しました。PDFで2ページのこの勧告(注3)には、赤の背景に白色の大きな字で「現在、子宮頸がん予防ワクチンの接種を積極的にはお勧めしていません」と記載されています。
積極的に勧めていない、という日本語が分かる人はそう多くないでしょう。もしも私が接種対象者の父兄なら、「接種すべきなのかすべきでないのかはっきりしてくれ!」と言いたくなります。
そもそも子宮頸がんのワクチンは、ヒブ(Hib)ワクチン、(小児用)肺炎球菌ワクチンと並んで2013年4月1日から「定期接種」に組み入れられたばかりのワクチンです。それが3ヶ月もしないうちに「積極的に勧めていない」とはどういうことなのでしょうか。
これはつまり、ワクチンの副作用として、失神がおこったり、長期間続く痛みが残ったり、といった報告が増えてきており、それを重要事項と認識した厚労省が、「そんな副作用があるかもしれないことをあらかじめ言っておきますね。だから副作用がでても文句を言わないでね」と言いたいのがホンネなわけです。
これに対し、子宮頸がんのワクチン接種を積極的に推奨している人たちは、「世界では多くの国で公的接種となっている」「WHO(世界保健機関)も接種を推奨している」「失神や痛みはワクチンのせいではなく、小さな女の子にうつからその痛みやショックで生じた副作用だ」などと言って、ワクチン接種の必要性を引き続き訴えています。
ここで私の考えを述べておくと、結論としては「子宮頸がんのワクチンは、そんなに急いで接種しなくてもいいんじゃないの?」というものです。
そもそも子宮頸がん予防ワクチンのターゲットであるHPV(ヒトパピローマウイルス)は性交渉でしか感染しないものです(注4)。風疹や麻疹(はしか)、水痘(みずぼうそう)やおたふく風邪は、”普通に”生活していても感染者に近づくだけで感染します。しかし、HPV(のハイリスク型)は、性交渉をしない限りはうつりません。
ではなぜ、HPVワクチンは中学1年生になれば接種しなければならないことになっているのでしょうか。(推奨年齢は小学6年生~高校1年生とされていますが、定期接種になってからは原則中学1年生になっています) HPVは性交渉を介して感染するわけですから、初めて性交渉を行う前にワクチン接種をしておけば感染を防げると考えられるからです。
しかし、この理屈に疑問を感じる人も少なくないのではないでしょうか。私は以前ある患者さん(40代女性、娘が中学生)から「うちの娘はそんなこと(性交渉)を中学の間にするなんてことはありません。高校を卒業してからじゃ遅いんですか?」という質問を受けたことがあります。
これはもっともな意見でしょう。現実的には、親が「うちの子に限って・・・」と思っていたのに中学生で性交渉の経験がある、なんてことはよくあります。しかし、だからといって、「あなたの娘さんは中学生の間に性交渉を開始する可能性がありますからワクチンは中学生になったら打ってください。成人してから接種するのは勝手ですが、今じゃないと無料で打てませんよ。成人してから自費で打つとおよそ5万円もかかりますよ。今打った方がいいでしょ」、と言うのは問題です。もちろん行政は実際にこのような乱暴な言葉を使っているわけではありませんが、「中学1年生で打てば無料、成人してからだと有料、さあ、どちらにしますか?」、と言っていることに変わりはありません。
子宮頸がんについてポイントを整理すると次のようになります。
・原因のウイルス(HPV)は性交渉を介して感染する
・ワクチン接種をしても子宮頸がん全体の7割程度を防げるだけで、接種していても子宮頸がんになることもある
・ワクチン接種をしてもしなくても定期的な子宮頸がんの検査は必要
・定期的に検査を受けていれば子宮頸がんは早期発見できて完全に治すことができる
私自身はHPVのワクチンは医学史に残る大変すぐれたワクチンだと思いますし、多くの人が接種すべきだと考えています。しかし、中学生の女子がどうしても接種しなければならないのか、と問われれば、そうではないでしょ、と言いたくなります。
その理由として、ひとつめには、先に例にあげたお母さんのように「娘に性交渉をさせない」という考え方があってもいいと思いますし、もっと言えば、保護者ではなく中学生の女子自身が自分で判断すべき、と私は考えています。これに対して、「中学生に性に関する適切な判断ができない」という反論はあるでしょう。しかし、女子中学生の立場からすると、「あたしは高校生になるまで(高校を卒業するまで)好きな人ができてもプラトニックラブを通すつもりなのに、なんで中学1年でそんなワクチンをうたないといけないの? あたしがいい加減なやつだとでもいいたいわけ?」となるのではないでしょうか。
では、どうすべきかというと、中学1年生(あるいは小学生の間でもいいと思います)になると、「性交渉と性感染症、子宮頸がんについてきちんと学校で授業をして正しい知識を持ってもらう。HPVワクチンについては接種するかどうかを自分で考えてもらう」、とするのがいいでしょう。そして、原則としてワクチンは、いくつになっても(その人が性交渉を開始するようになるまで待って)無料で接種できるようにすべきです。ワクチン積極推奨派の人たちは、失神や痛みを「まだ幼い少女だから注射そのものの痛みが原因で・・」と言いますが、それならば接種する年齢を上げればいいわけです。
もうひとつ、私が子宮頸がんのワクチンを「そんなに急いで打たなくても・・・」と感じる理由があります。それは、「他に急ぐものがあるでしょ」というものです。
風疹が2回接種する必要があることはかなり周知されてきましたが、麻疹については2007年のブームが去ってから関心が薄くなっているように思われます。また日本では水痘(みずぼうそう)のワクチンが未だに定期接種に組み入れられておらず、任意接種のままです。(ちなみに水痘ワクチンは日本人が開発しています) みずぼうそうはたいしたことがないと思っている人もいますが、重症化することもあり毎年10人程度は死亡しています。成人してから罹患すると、死に至ることはないにしても瘢痕がかなり長期に渡り残ることがあります。
おたふく風邪のワクチンもいまだに任意接種のままです。おたふく風邪も軽症と思われていますが、重症化すると生涯治らない重症の難聴になることがあります。
B型肝炎ウイルスのワクチンについてはこのサイトで何度も述べていますのでここでは繰り返しませんが、集団発生(注5)もあり、年間数百人もが感染後数ヶ月で劇症肝炎で死亡しています。また、太融寺町谷口医院で最近発覚するB型肝炎ウイルスには慢性化するタイプのものが多く、こうなれば極めて長期間(あるいは生涯にわたり)高価な薬を飲まなければなりません。
一方、ロタウイルスのワクチンは任意接種ではありますが、なぜか最近とても有名になりワクチンが足りなくなることもあるようです。費用は2回接種のタイプでも3回接種のタイプでも合計3万円近くもするのに、です。
誤解のないように言っておくと、私はHPVワクチンやロタウイルスワクチンを「打つ必要がない」と言っているわけではありません。その逆に「積極的に接種すべき」と考えています。しかし、どのワクチンが優先順位が高いか、ということと、いつ接種すべきか、についてはよく考えなければなりません。
VPDという言葉がもっと普及し、そして行政が決める「定期接種」「任意接種」ではなく、本当に必要なのはどのワクチンで、優先順位はどのように捉えるべきか、多くの人にこのことを考えてもらいたいというのが私の願いです。
注1:New York Timesが「Rubella Epidemics in Japan and Poland」というタイトルで報道しています。下記URLを参照ください。
http://www.nytimes.com/2013/06/25/health/rubella-epidemics-in-japan-and-poland.html?_r=1&
注2:『Know・VPD!』については下記を参照ください。
http://www.know-vpd.jp/index.php
注3:厚生労働省のこの注意勧告は下記URLで閲覧することができます。
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000034kbt-att/2r98520000034kne.pdf
注4:ただし、だからといって子宮頸がんを「性病」のように捉えるのは適切ではありません。これについては以前述べたことがあるのでここでは言及しません。興味のある方はNPO法人GINAのホームページ「子宮頚ガンとHPVワクチン」(http://www.npo-gina.org/tuite/#a39)を参照ください。
注5:B型肝炎ウイルス(HBV)の集団感染は、格闘技系のクラブ活動での集団発生がありますし、最も有名なものとして、2002年4月に発生した「佐賀保育所HBV集団発生事件」があります。この事件は、園児19名、職員6名の合計25名がHBVに集団感染したもので、感染源は元職員であったことが推定されています。詳しくは、佐賀県の下記ホームページを参照ください。
http://kansen.pref.saga.jp/kisya/kisya/hb/houkoku160805.htm
参考:
はやりの病気第97回(2011年9月)「新しいHPVワクチンと尖圭コンジローマ」
はやりの病気第77回(2010年1月)「子宮頚ガンのワクチンはどこまで普及するか」
メディカルエッセイ第89回(2010年6月)「日本は「ワクチン後進国」の汚名を返上できるか」
NPO法人GINAウェブサイトより「悩ましき尖圭コンジローマ」
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|2013年6月21日 金曜日
第118回(2013年6月) ダニほど誤解だらけの生物はいない
太融寺町谷口医院で1日外来をしていると「ダニ」という言葉を何度も患者さんから聞くことになります。「ダニのせいで鼻水が止まりません」「草むらでダニに血を吸われました」「汚いホテルに泊まったらダニに刺されて身体がかゆくなりました」、などです。
大変興味深いことに「ダニ」に対するイメージは人それぞれのようで、例えばアトピー性皮膚炎で悩んでいる患者さんやそのお母さんは、ダニと言えばアトピーの悪化因子を考えています。一方、アウトドア派の人たちは、ダニとは草むらで咬まれて皮膚から離れないやっかいなもの、という印象をもっています。また、不潔なホテルなどに棲息しており手足を刺されて赤く腫れあがるのがダニ、と思っている人もいれば、ダニはネズミに寄生するんだからまずはネズミを駆除すべき、と考えている人もいます。最近ではSFTSがマスコミで報道されたことで、ダニは咬まれると死ぬこともある怖いもの、というイメージを持っている人もいます。
さらに興味深いことに、ダニがどのようなもので人にどのような症状をもたらすかについては、医療従事者のなかにもきちんとした知識を持っていない人がいます。さすがに医師のなかにはいないでしょうが、看護師をしている患者さんで、「イエダニ」がハウスダストの原因のダニ、と勘違いしている人がいて驚かされたことがあります。医療者でさえ誤解しているくらいですから、おそらく一般の人できちんとダニの説明ができる人はそう多くないでしょう。
いったいダニとは何者なのでしょうか。「刺されて死ぬ」と「吸い込んで鼻水」では随分と異なりますが、これが同じ生き物のなせる仕業なのでしょうか。というわけで、今回はダニの総復習をおこないたいと思います。
まず「ダニとは何か」ですが、ダニは昆虫ではありません。マダニなど比較的大きなダニであればルーペを使えば足が観察できますから機会があればよく見てみてください。足は合計8本あります。8本足ですからダニは昆虫ではなくクモの仲間です。
生物学的な話には深入りせずに病気の観点から話をすすめていきます。生物学の教科書にどのように書かれているかは分かりませんが、私の頭の中の分類は次のようになっています。
①アレルギー症状をきたすダニ(コナヒョウヒダニ、ヤケヒョウヒダニ、など)
②ネズミに寄生しネズミだけでなく人も吸血するダニ(イエダニ)
③人を刺し痒みや痛みをきたすダニ(ツメダニ、シラミダニ、など)
④野原に棲息し人も吸血する大きなダニ(マダニ)
⑤人に寄生し人から人に感染するダニ(ヒゼンダニ)
⑥ニキビダニ(デモデックス)
生物学者からは「いい加減な分類」と馬鹿にされるかもしれませんが、少なくとも患者さんから「ダニ」という言葉を聞いたときに、患者さんが何を考えているかを推測するのにこの分類は大変役に立ちます。
①のアレルギー症状をきたすダニは、ダニが人に噛み付いたり吸血したりするわけではありません。ダニも生物ですからご飯を食べて消化管で消化をおこない糞をします。消化の際に消化管から消化酵素というものが分泌され、これが糞に混ざって体外に排出されるわけですが、この消化酵素(タンパク質でできています)がアレルギーの原因、すなわちアレルゲンとなると考えられています。
ほこりっぽい部屋に入ると、鼻水がでて、目が痒くなり、咳がでて、皮膚がかゆくなるのは、ダニの糞や死骸を吸い込んだり、浮遊しているものが目に入ったり、皮膚に付着したりするからなのです。つまりほこりっぽい部屋とはダニの糞や死骸が空気中に蔓延しまくっている空間なのです。そして、いわゆる「ハウスダスト」の多くはこういったダニの糞や死骸のことを指します。
またこのタイプのダニは、日本ではお好み焼き粉の中に潜んでいることがしばしばあります。そのためお好み焼きを食べた後にじんましんがでてきたり、ひどい場合は喘息発作や呼吸困難に陥ったりすることもあります。なぜ焼いているのに・・、と思う人がいるかもしれませんが、お好み焼きのなかにいるダニは熱で死にますが、消化酵素は熱で変性するわけではないからです。ちなみに冷凍させてもアレルゲン(消化酵素)は変性しません。
ここで多くの人が誤解している重要な点を指摘しておきます。このアレルギーを来たすコナヒョウヒダニやヤケヒョウヒダニを「イエダニ」と表現する人がいますが、これは完全に誤りです。さらに、この誤解は誤解として認識されておらず「家ダニ」と思ったり書いたりする人がいます。すると、「ハウスダスト」の「ハウス」と「家ダニ」の「家」が無意識的にシンクロし、その結果「ハウスダスト=家ダニ=イエダニ」というイメージができ上がっているのです。
もちろんこれは完全な誤解であり、正しくは、イエダニというのは、ネズミ、特にクマネズミに寄生するダニです(上記②)。クマネズミは名前とは裏腹に小型のネズミで運動神経もよく、わずかな隙間から侵入し、都会のマンションなどにも棲息しています。そしてイエダニはネズミの血を吸って生きています。きれい好きな日本人は、自分の住居にネズミを見つけると駆除することを考えます。そしてネズミの駆除はそうむつかしくありません。
駆除されるとネズミは困りますが、ネズミの血という「ご飯」がなくなったイエダニも困ります。そこでイエダニは「ご飯」のターゲットをネズミの血から人の血に変更します。これまでネズミに向けてきた牙を人に向けてくるというわけです。
イエダニに血を吸われるとその部分は赤くなり痒みがでます。イエダニによる皮膚症状の特徴は、おなかや太ももなどやわらかいところに出やすいということ、赤みは比較的強いということ、よくみると発赤部位の中央部に吸血した瘢があること、などです。治療は簡単ですが、再発予防のために、今度はネズミ駆除ではなくイエダニの駆除を考えなければなりません。
③のダニはかなりの痒みをきたしますが治療は簡単で数日間のステロイド外用で治ります。ツメダニというのはダニを食べるダニ、シラミダニは昆虫に寄生するダニという程度を覚えておけばいいでしょう。(別に覚えておく必要もないですね・・・)
④のマダニはときに重要になります。2013年になってから脚光を浴びだしたSFTS(注1)はすでに8人の死亡者(2013年5月時点)を出しています。また、他のところでも述べましたが、マダニに刺されることによっておこる感染症には、日本紅斑熱、ツツガムシ病、ライム病などもあり、診断と治療が遅れると、ときに「死に至る病」になります。また海外にも致死的なマダニ関連の感染症があります。(詳しくは下記医療ニュースを参照ください)
私はマダニが媒介する感染症の不安を煽るようなことをしたくありません。SFTSが怖いから楽しみにしていたハイキングを中止する、といったことはやめてもらいたいと考えています。しかし、あまりにも無防備なのも困ります。私自身はSFTSを含めてダニに刺されて死亡した患者さんを診察したことはありませんが、蚊の対策を怠ったがためにデング熱を発症した人を何度かみたことがあります。なかでもタイで出会った日本人のひとりは、デング出血熱と呼ばれる重症型に進行し、一時は命も危うい状態になりました。
キャンプやハイキング、トレッキングや登山に行く時は長袖・長ズボンに虫除けスプレーやクリームを忘れないようにしなければなりません。マダニに刺されると吸血されるのですが、おなかいっぱいまで吸血されれば自然に離れていきますから痛くないこともあります(注2)。しかし、まだおなかいっぱいになっていないときに手でマダニを皮膚から剥がそうとすると上手くいかないことがあります。マダニの口がギザギザした針のようになっており、このギザギザした部分が皮膚にひっかかるからです。そして無理に剥すと、皮膚に残ったそのギザギザの部分が周囲の皮膚組織に炎症をきたしそれが瘢になることもあります。
⑤のヒゼンダニは疥癬(かいせん)というたいへんやっかいな感染症をきたすことがあり、ヒトからヒトに感染します。老人ホームなどで集団感染することもありますし、タオルを介しての家族内感染や性交渉を介しての性感染もあります。顕微鏡で診断をつけることは可能なのですが、なかなか見つからないこともあり、湿疹と誤診されることもしばしばあります(注3)。
⑥のニキビダニは誰の皮膚にも棲息していると言われており、通常は問題になりません。ただし、ステロイドを長期で外用したときなどはこのダニが異常増殖し、ニキビや酒さ(しゅさ)のように見えることもあります。
ダニかなと思ったり、友達から「ダニが原因で・・・」という話を聞いたりしたときは、これら6つのどのタイプのダニかをまずは考えるようにしてみてください。自ずと対処方法が見つかるかもしれません。
注1 SFTSについては下記の厚生労働省のサイトも参照ください。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/sfts.html
注2 刺された部分は肉眼でも分かることが多いと私はこれまで考えていましたが、SFTSでは刺し傷が見つかっていない症例が多数あるそうです。刺し傷がなく(SFTSのように)症状が出ることもなければ医療機関を受診することはないでしょうから、実際にはマダニに刺されて吸血されたけれどもまったく気づいていなかった、ということは珍しくないのかもしれません。
注3:疥癬については下記も参照ください。
http://www.stellamate-clinic.org/seikansensho-ketuekikansensho/#14
参考:
医療ニュース2013年5月31日「SFTS、マダニからウイルス検出される」
医療ニュース2012年9月15日「ダニに刺されて発症する新しい感染症」
マンスリーレポート2009年8月号「虫刺されと夏の風邪」
はやりの病気第36回(2006年8月)「夏のかゆみにご用心」
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|2013年6月17日 月曜日
第117回(2013年5月) 便秘を治す(後編)
前回は便を柔らかくするタイプの便秘薬について述べました。今回は、腸管を刺激するタイプの薬についてまずは説明していきます。
一般的に薬局で購入されることが多い腸管刺激薬として「ビサコジル」というものがあります。商品名でいえば、「コーラック」が一番有名でしょうか。(ただし、後述するように「コーラックソフト」は他の成分でできています。その他別の種類のコーラックもあります) 他には、ビューラック、スルーラックなども主成分はこのビサコジルです。
私の印象でいえば、ビサコジルは使い始めたときはいいのですが、そのうち次第に効かなくなっていくことがしばしばあります。すると、もちろん添付文書では許可されていませんが、自分の判断でどんどん量を増やしていく人がいます。ひどい人になってくると、1日に30錠以上飲んでいる、ということもあります。
効かないだけならまだいいのですが、一部の腸管にのみ効くことがあります。すると、その先で通過障害が起こり、それでもその手前の腸は動かされますから、これが腹痛を起こすのです。腸管を刺激するタイプの便秘薬で最も注意すべきなのはこの腹痛であり、これが最も起こりやすい腸管刺激薬がビサコジルであるという印象が私にはあります。尚、医薬品としてもビサコジルは座薬のタイプならありますが、あまり広く使われていません。
薬局で購入できる腸管刺激剤では「センナ」も有名です。センナ茶なるものも出回っているようで、私の印象で言えばビサコジルよりはマイルドです。医療機関でも従来からよく処方されています(注1)。前回述べた酸化マグネシウムとセンナの組み合わせは、多くの医師が用いている処方です。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)でも、この組み合わせの処方をしばしばおこないます。
センナというのは南アジアや中東でよく育つマメ科の植物で、そのためなのか、身体にやさしい、というイメージが流布しています。センナとは別の植物の根茎を基原としたものに「大黄(ダイオウ)」があり、こちらは漢方薬のひとつの成分として有名です。薬局で買える漢方系の便秘薬の大半はこの大黄が主成分です。
医療機関で便秘に処方される漢方薬の定番は、大黄甘草湯、大承気湯、麻子仁丸、桃核承気湯、防風通聖散…、などで、これらも大黄が主成分のひとつです。では、これら複数の漢方薬はどのように使い分けるべきか。便秘以外の症状も考慮し、必要に応じて舌や脈、おなかのはりかたなどを東洋医学的な観点から診察し決定します。
例えば、谷口医院を受診される便秘の患者さんは若い女性が多く、便秘だけでなく、のぼせ、頭痛、めまい、不眠、不安などの症状を訴えることがしばしばあります。このような症例に、月経不順や月経困難が伴っていれば「桃核承気湯」が第一選択薬となることが多いといえます。
腸管を刺激する薬剤としてもうひとつ有名なものがあります。それは「ピコスルファートナトリウム水和物」というもので、医療機関で処方される商品名でいえば「ラキソベロン」が一番有名でしょう。(他にもありますし、後発品も多数発売されています) ピコスルファートナトリウム水和物は、他の腸管刺激剤に比べると、副作用の腹痛が起こりにくいという特徴があります(私の印象ですが)。
これまでみてきた他の腸管刺激薬は、効果がないからといって量を増やせば、けっこうな確率で腹痛が生じます。特にビサコジルでは顕著です。一方、ピコスルファートナトリウム水和物の場合は、量を増やすと、効果は期待できて副作用は起こりにくいのです。実際、大腸ファイバー(大腸の内視鏡)の前には、通常の内服量の10倍に相当する量を飲んでもらうことがありますし、便秘がひどい人の場合はさらに増やすこともあります。しかし腹痛は、まったくとは言いませんが、それほど起こらないのです。ですから、どうしても便を出したいときには、思い切って10倍量を飲むというのはひとつの方法です。(自己判断でおこなうのは危険です)
ピコスルファートナトリウム水和物は医療機関でよく処方されますが、現在は薬局でもほぼ同じもの(スイッチOTC)が処方箋なしで購入できます。製品名でいえば、「コーラックソフト」(先に述べたように従来の「コーラック」とはまったく別のものです)、「ピコラックス」、「ソフィットピュア」などが相当します。
さて、ここまで述べてきたのは「便を柔らかくする薬」と「腸管を刺激する薬」です。では、これら「2本立て」で便秘は解決するのか、と問われれば、実はまったくそうではありません。(今回のコラムでは重要なことを後回しにして話をすすめています)
では、これら2系統の薬よりも大切なものとは何か。ですが、その前にこれまで述べてこなかった薬について説明します。そして、実は「2系統の薬」より、こちらの方が重要です。
その薬とは「プロバイオティクス(整腸剤)」です。便秘というのは、急性の一時的な疾患ではありません。長期的な観点から(というよりは生涯にわたり)考えていかなければなりません。そういう視点でみたときに最重要の薬剤がプロバイオティクスなのです。プロバイオティクスは、腸内環境を整えて、腸の機能向上や下痢・便秘などの症状を解消するもの、とされていますが、もっと簡単に言えば「腸内に生息している善玉菌を増やしてくれる薬」です。「薬」とも呼ぶべきでないかもしれません。私は患者さんに説明するときは「良質のヨーグルトを錠剤にしたようなもの」と言うこともあります。
ではプロバイオティクスは一生飲まなければならないのか、という質問がきそうですが、そんなことはありません。替わりになる食べ物を積極的に摂ればいいのです。もしもあなたの便秘が成人になってからのものであり幼少時にはなかったとすれば、子供の頃に食べていて今は食べていないものを考えてみてください。そこに、漬物や味噌汁はないでしょうか。発酵食品がプロバイオティクスの替わりになるのです。和食でいえば、漬物や味噌汁の他に納豆などもあてはまります。洋食でいえば、ヨーグルトやヤクルトなどです。成人してからの便秘であれば、子供の頃のなつかしい食べ物を食事に取り入れてみてはどうでしょう。(ただし和食の摂り過ぎは塩分過多に要注意です)
便秘解消の食べ物としてよく取り上げられるのが「食物繊維」です。食物繊維は確かに重要ですが、実際には「ゴボウを多量に食べて余計におなかがはった」という人もいます。これは「食物繊維のバランス」に問題のある可能性があります。食物繊維には水溶性と不溶性があり、これらをバランスよく取らなければなりません。栄養学的には水溶性と不溶性の比率を重要視するのですが、実際にそこまで考えて食事をとるのは大変です。不足がちになるのは水溶性の方で、水溶性の食物繊維として比較的摂りやすいのがコンニャクと海藻です。ゴボウやサツマイモといった「いかにも食物繊維」にみえるのは不溶性です。
さて、最後に、私が最も主張したい最強の便秘解消法について話したいと思います。(今回は最も言いたい大切なことを最後までとっておいたのです)
それは「運動」です。谷口医院を定期的に受診している人からは「聞き飽きた」と言われるかもしれませんが、運動は「万病の予防法」であり便秘もその例外ではありません。もしもあなたが、成人してから、特に、高校を卒業してから便秘が始まった、というのであれば運動量が減っていないでしょうか。中学高校と部活(運動部)をしていてその後運動習慣がなくなってから便秘が始まったという人は非常に多いのです。それに、本格的に運動をしている人、特にプロのスポーツ選手で便秘に悩んでいる人はほとんどいません。
どんな運動がいいのかといえば、最も重要なのが「継続しておこなえる運動」です。気が向いたときだけプールに行くとか、春と秋の登山を恒例としている、などで便秘が解消されるわけではありません。「継続しておこなえる」を前提として、有酸素運動と腹筋運動を組み合わせるのがおすすめです。有酸素運動でいえば、体力に自信のない高齢者などではウォーキングでもいいと思いますが、可能であれば、ジョギング、ランニング、水泳などを無理のない範囲でされることをすすめます。運動が苦手でウォーキングしかできない、という人も、最後の100メートルか200メートルくらいは、ラストスパートとして息が切れるくらいに飛ばしてみましょう。こうすることにより腸の動きが活発になります。
腹筋もできる範囲でかまいません。一番いいのは古典的な腹筋運動(クランチ)にひねりを加えたものですが、腰痛がある方は、アイソメトリックな筋トレ(腹筋に負荷をかけて身体を固定させる筋トレ。V字腹筋やプランクなど)でもOKです。
ストレッチも効果的ですが、それ以上にすすめたいのが自分でおこなうマッサージです。入浴時に腸管のかたちをイメージしてゆっくりとおなかに圧力をかけてマッサージをおこなうのがいいでしょう。リラックスしておこなうのが最大のコツです。今回はほとんど述べていませんが、おなかを動かすのは副交感神経の働きで、副交感神経はリラックスしたときに活動してくれるからです。
最後に便秘をまとめておきましょう。
1、便秘の大半は「純粋な便秘」だが、なかには他の疾患により便秘が生じていることもある。特に重要なのが、大腸ガン、甲状腺機能低下症、糖尿病、パーキンソン病、などである。
2、過敏性腸症候群により便秘が生じることもある。
3、便秘薬は「便を柔らかくする薬」と「腸管を刺激する薬」にわけて考えると理解しやすい。
4、「便を柔らかくする薬」は酸化マグネシウムが最もよく使われる。新薬の「アミティーザ」は今後期待される薬剤。
5、「腸管を刺激する薬」には、ビサコジル、センナ、大黄、ピコスルファートナトリウム水和物などがある。製品によっては一時的に大量に飲んでもらうこともあるが自己判断での増量は危険。
6、便秘以外に症状のある場合は漢方薬が有効であることも多い。
7、プロバイオティクス( 整腸剤)は有効である。発酵食品を積極的に摂ることも推薦される。
8、食物繊維は内容にも注意を。ゴボウやサツマイモなど(不溶性)だけでなくコンニャクや海藻(水溶性)も積極的に。
9、「運動」は最強の便秘解消法。できれば有酸素運動は息が切れるまでおこなう。腹筋はひねりを加えたクランチがベストだが、アイソメトリックなものでもOK。
10、マッサージも有用。入浴時にリラックスした状態でおこなうのがコツ。
************
注1:医療機関で処方されるものの代表を商品名で記しておくと、アジャストA、ヨーデル、アローゼン、センノサイド、プルゼニド、などです。(これらはいずれも先発品で、後発品も多数あります)
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|2013年6月17日 月曜日
第116回(2013年4月) 便秘を治す(前編)
便秘には多くの人が悩まされています。しかしながら、これだけありふれた疾患ながら「便秘のみ」で受診する「初診の」患者さんはそれほど多くありません。
例えば、腹痛で受診し、問診から便秘があることが判り、便秘を治すことによって腹痛が改善した、というケースはよくありますし、全身倦怠感や身体のむくみで受診し、やはり問診から便秘もあることが判った、というケースにも遭遇します。こういう場合は全身に様々な症状をきたす疾患が隠れていることがあり、「便秘」が診断の大切な手がかりになることがあります。
「便秘のみ」を訴える人のなかには、よく聞くと「大腸ガンが心配で・・・」が本当の受診理由であることがあります。これはまったく正しい考え方で、目安として40歳を超えてから便秘に悩みだした、という人は医療機関を受診すべきです。こういう人の多くは、雑誌やテレビ、インターネットなどで、「大腸ガンの症状は便秘・・・」というものを目にして受診することが多いと言えます。(ただし、「便秘があって大腸ガンが心配・・・」と言って受診する人で、大腸ガンが実際に見つかることはごくわずかです)
純粋に「便秘」だけを目的に受診する人はそう多くはありません。これは、おそらく「便秘ごときで医療機関を受診すべきでない」と考えている人が多いからでしょう。
医療機関を受診しなくても、市販の便秘薬で対処できるのであれば問題ないでしょう。しかし、その市販薬の使用量が次第に増えてきているとすれば問題ですし、市販の薬で改善しないのであれば医療機関を受診すべきです。たかが便秘・・・、という見方もあるかもしれませんが、便秘は勉強や仕事の効率を落とし、場合によっては生活の質(QOL)を大きく損ねることになります。
というわけで、今回は、便秘に対して医療機関ではどのように対処しているかについて述べていきます。
医療機関では、まずその便秘が「純粋な便秘」なのか「何かの病気が原因で起こっている便秘」なのかについて鑑別することから始めます。「何かの病気が・・・」というのは、先に例にあげた大腸ガンや甲状腺機能低下症が代表ですが、糖尿病で起こることもあれば一部の膠原病(強皮症など)でも起こりえますし、高齢者であればパーキンソン病ということもあります。下痢と便秘を繰り返しているなら「過敏性腸症候群(IBS)」という疾患の可能性もあり、これは非常に多い疾患です。また、薬剤が原因ということもあり、この場合は市販の風邪薬でも起こりえますので、注意深い問診がまずは必要となります。
この時点で大腸ガンを疑えば、大腸ファイバー(肛門からカメラを入れる検査)を勧めることになります。先にレントゲンを撮ることもありますが、私の場合、大腸ガンの可能性が高いと考えれば、レントゲンを省略して大腸ファイバーを勧めています。(谷口医院では実施できませんので近くの医療機関を紹介しています)
甲状腺機能低下症や膠原病、糖尿病を疑えば血液検査をおこないます。特に甲状腺機能低下症の場合は、血液検査をしない限りは診断がつきませんので、可能性があると考えれば早い段階で採血を勧めることが多いと言えます。
当たり前の話ですが、「何かの病気が原因で起こっている便秘」の場合は、その病気の治療をすすめていくことになります。
便秘の頻度でいえば「何かの病気が原因の便秘」よりも「純粋な便秘」の方が圧倒的に多いと言えます。便秘の患者さんが100人いるとすると「何かの病気が原因の便秘」の患者さんは1人いるかどうか、という程度で、ほとんどの人は「純粋な便秘」です。(ただし、先に述べた過敏性腸症候群(IBS)は頻度の高い疾患です。これについてはいずれ改めて詳しく紹介したいと思います)
冒頭で私は、「便秘」のみを訴えて受診する患者さんは多くない、と述べました。しかし、太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)で便秘の治療を受けている人は大勢います。これはなぜかというと、最初に受診したときは便秘とは関係のないことで受診し、そのうちいろんな健康上の悩みを話されるようになり、そのうちのひとつが便秘、というケースが多いというわけです。
ここからは「純粋な便秘」の治療法について話をすすめていきます。
まずすべきことは、それはどのようなタイプの便秘かということです。教科書的にはいろんな分類法があるのですが、私が重視しているのは、まず「腹痛があるかないか」です。腹痛がある場合、市販のものも含めて腸管を刺激するタイプの薬は使うべきでありません。なぜなら腹痛があるということは、腸管の一部が動いているけれどもその先に通過障害があり、そのために痛みが生じている可能性が強く、そのような状態に腸管を刺激する薬を使えば腹痛はさらに増悪することになるからです。
この場合、まず試みるのは便をやわらかくする薬です。酸化マグネシウムが最もよく使われます。副作用がほとんどなく(注1)、値段が安いのが特徴です。後発品を使えば1錠(330mg)あたり5.6円で3割負担では2円未満となります。酸化マグネシウムの1日あたりの投与量は最高で6錠(2グラム)。1日あたり10円(3割負担)という安さです。
酸化マグネシウム以外で便を柔らかくする薬というのは、あまり有名でないものが多かったのですが、2012年11月にまったく新しい便秘薬が発売されました。
この新薬の名前はアミティーザ(一般名はルビプロストン)といい、小腸からの水分分泌を促すことにより、酸化マグネシウムとはまったく異なる作用機序で便を柔らかくします。このアミティーザという薬、便秘薬としては実に32年ぶりの登場です。ちなみに32年前に発売された便秘薬はラキソベロン(一般名はピコスルファートナトリウム水和物)です。(ラキソベロンは腸管を刺激するタイプの便秘薬として次回紹介します)
アミティーザが発売されて数ヶ月が経過しますが(2013年4月現在)、谷口医院では本格的には処方しておらず、一部の患者さんに説明をして同意を得た場合にのみにしています。というのは、まだ、発売後の全国規模での評価が充分におこなわれているとはいえず、どの程度有効なのかが未知だからです(注2)。
それからもうひとつ、谷口医院で本格的に処方をおこなっていない理由があります。それはコストです。アミティーザは1錠あたり156.6円(3割負担で47円)もします。1日2回が基本なので1日あたり3割負担で94円もすることになります。これが2週間になると1,316円。これまで散々苦労してきた便秘が2週間のみの処方で治る可能性は高くなく数ヶ月は続けることになるでしょう。とすると、3ヶ月(12週)で7,900円もすることになります。これに処方代や診察代も加わりますから実際には10,000円を超えることになります。
なかには、それくらいコストがかかっても長年の便秘が解消されるなら飲んでみたい、という人もいるかもしれません。しかし現時点では有効性についてのデータが乏しいこともあって、谷口医院では本格的な処方に踏み切っていないというわけです。
次回は、腸管を刺激するタイプの便秘薬や漢方薬の紹介とその危険性、レントゲン検査について、その他の便秘対策などについて紹介していきたいと思います。
注1:高齢者の場合は稀に高マグネシウム血症になることがあり注意が必要です。また腎臓の機能が低下している場合は使えないこともあります。それ以外にも副作用がないわけではありません。また、下記医療ニュースも参照ください。
注2(2017年10月付記):大規模な集計結果は見たことがありませんが、谷口医院の患者さんで言えば、アミティーザを使っていたけれども現在は他の便秘薬にしているという人が大半であり、また新たな処方はそれほど多くありません。
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|2013年6月17日 月曜日
第115回 慢性胃炎の治療とピロリ菌の除菌 2013/03/20
すでにマスコミでも報じられていますが、2013年2月21日、胃粘膜に寄生し、胃がんなどの原因となっているヘリコバクター・ピロリ菌の検査と治療の保険適用が大幅に拡大されました。今回は、今後胃炎の治療がどのように変化するか、ということとピロリ菌除菌の問題点についてお話したいと思います。まずは、ピロリ菌と胃がんの関係についておさらいしておきます。
胃に細菌が棲息しており、それが胃炎や胃がんの原因ではないかという指摘は随分前から(19世紀後半から)ありました。実際に顕微鏡でそれらしき細菌を見つけた、という報告もあったのですが、一方では強酸の胃粘膜に細菌が棲息できるはずがない、という説も根強く、長い間論争になっていました。
この論争に決着をつけたのは、オーストラリアのロビン・ウォレンとバリー・マーシャルで、1983年、ヒトの胃から、らせん状の細菌を培養することに成功し、この細菌が後にヘリコバクター・ピロリ菌と命名されました。この発見は歴史に残るものであり、2005年には、二人の学者に対しノーベル生理学・医学賞が授与されています。
その後の研究で、ピロリ菌は胃炎を起こすだけでなく、胃がんの原因になっていることも証明されました。それまで胃炎はストレスによるもの、胃がんは塩辛いものの食べ過ぎ、と言われていたわけですから、これらがピロリ菌という細菌による感染症であった、ということはコペルニクス的転回と言っても過言ではないでしょう。ストレスや食生活は容易に改善させることはできませんが、感染症ならその病原体をやっつけてしまえば解決する話だからです。
ピロリ菌の発見はオーストラリアの学者の功績ですが、その功績による恩恵を最も受けている国のひとつが日本です。なぜなら日本は、海外諸国、特に欧米諸国と比べると胃がんの罹患率が極めて高いからです。ちなみに、日本以外で胃がんの多い国としては韓国が有名です。ということは、胃がんの原因の大半がピロリ菌であるのは間違いありませんが、塩分摂取の多い地域で胃がんが多いというのもまた事実です。
日本人ほど塩分を摂る民族はいないと言われることがありますが、実は韓国はその上をいきます。韓国料理は唐辛子が多く使われていますし、サムゲタン(鶏肉に高麗人参やもち米などを入れて煮込んだスープ)は日本人の感覚としては塩分が少なすぎると感じられるために、韓国料理は塩分控えめの健康食のように思われることがありますが、実際はその逆です。この最大の原因はおそらくキムチでしょう。キムチは日本の漬物と同じくらいに塩分が含まれています。
話を戻しましょう。胃炎程度であればともかく、胃がんの原因がピロリ菌であるならば、ピロリ菌保有者にかたっぱしから抗生剤を使って除菌してしまえば、日本人のがんを大きく減らせる、と考えることができます。日本人の男性は1990年代前半までがんによる死亡では胃がんが1位で、女性についていえば2000年でもまだ1位でした。現在でも胃がんは男性のがんの死亡者数の2位、女性の3位を占めています。
もしもピロリ菌の除菌療法が確立した1990年半ばに、国民全員にピロリ菌の検査をおこない、陽性者全員に除菌療法を実施していれば、その後の胃がん罹患者は大きく減少していたかもしれません。(もっとも、胃がんについては内視鏡検査(胃カメラ)が普及し、早期発見ができれば9割以上の確率で治癒します。ですから、胃がんを減らしたければ国民全員に内視鏡検査を実施すべきかもしれません。コストのことを無視すれば、ですが)
しかし、行政はこのような対策はとりませんでした。この最大の理由はコストの問題であろうと予想されます。そもそもピロリ菌は不衛生な環境で感染するものであり、1950~60年頃までに生まれた人では半数以上は陽性であろうと言われています。若年者では陽性率が減少しますが、それでも1~2割くらいは陽性であると考えられています。ということは少なく見積もっても、全国民の4人に1人程度に強力な抗生剤を飲んでもらうことになり、その費用はどうやって捻出するのだ、という問題がでてきます。それに、ピロリ菌を保有している人が全員胃がんを発症するわけでもありませんから、このような治療は「無駄な治療」となる可能性もあり、その無駄な治療で薬による副作用がでたときに誰がどのように責任をとるんだ、という問題もあります。
ですが、胃がんの可能性を大きく減らせるなら、自費でもいいから検査を受けたい(実際、人間ドックでは実施されていました)、そして陽性なら薬も飲みたい、という人は少なくありませんでした。
では、これまで保険診療でピロリ菌の検査・治療ができたのはどのような場合かというと、内視鏡検査で胃もしくは十二指腸に「潰瘍」があることが確認できた場合です。つまり、単に「胃炎」があるだけでは保険診療でピロリ菌の有無を調べることはできなかったわけです。「潰瘍」というのはわかりやすく言えば、胃炎が悪化して、胃粘膜がただれたような状態のことです。内視鏡をする医師からみれば、胃の粘膜に炎症は確実にあるが「潰瘍」があるとまでは言えない、ピロリ菌は陽性かもしれないが潰瘍がないから保険では検査ができない、となるわけです。
2013年2月21日以降は、内視鏡検査で潰瘍がみつからなくても単に胃炎があるだけでピロリ菌の検査が保険でおこなえて、さらに陽性であれば治療(除菌)もおこなうことができるようになりました。すると、診察代、内視鏡代、薬代をすべて含めても3割負担で自己負担は1万円を超えないくらいです。これは画期的なことであり、これから日本の胃がん罹患者が大幅に減少することが期待でき、2013年を「胃がん撲滅元年」と命名しようという声もあるほどです。
さて、どのような人が内視鏡検査を受けるべきか、ですが、市販の胃薬で胃痛やむかつきがとれない人や、薬は効くけれども常に手放せない、という人は主治医か、もしくは内視鏡を実施しているクリニックを受診するのがいいでしょう。すでにかかりつけ医から胃薬を処方してもらっているという人は主治医に相談すればいいと思います(注1)。
胃炎症状があり、内視鏡をおこないピロリ菌がみつかった場合、がんのリスクを減らせることができるのですから、多くの場合除菌はした方がいいでしょう。しかし、注意点はあらかじめ覚えておくべきです。
ひとつめに、一度の除菌ですべての人からピロリ菌が消えるわけではありません。強い抗生剤を組み合わせて内服しても、残念ながらピロリ菌が死滅しないこともあります。その場合、別の抗生物質を用いて治療をやり直すことになりますが、やはり全例成功するわけではありません。さらに、いったん除菌に成功したとしても新たに再感染することもあります。医学誌『JAMA』2013年2月13日号(オンライン版)に掲載された論文(注2)によりますと、ピロリ菌の除菌治療後に陰性が確認できた人の11.5%が1年後に再感染していたことが判ったそうです。
ふたつめに、除菌後に逆流性食道炎(GERD、もしくは胃食道逆流症ともいいます)を発症する人が多いということが挙げられます。逆流性食道炎というのは、胃酸過多の状態となり、その胃酸が食道に上ってきて食堂粘膜に炎症を起こすことにより胸焼けや吐き気が起こります。ピロリ菌除菌と逆流性食道炎には何ら関係がないとする報告もあるのですが、関連性を指摘する報告もいくつかあり、また私の実感としてもピロリ菌除菌後に逆流性食道炎を起こしている患者さんは少なくないという印象があります。
逆流性食道炎をおこすと、食後、吐き気に悩まされ実際に毎食後嘔吐するような人もいますし、胸焼けや背部痛に苦しむこともあります。強い胃酸抑制剤が手放せなくなることもあります。ピロリ菌を除菌して胃痛から解放されたものの、今度は逆流性食道炎に悩まされる、がんのリスクは下がったそうだけど、そもそもピロリ菌保有者でがんを発症するのはごくわずかであることを考えると、本当に除菌をしてよかったのか、という疑問が出てくることがあるかもしれません。
ただし、逆流性食道炎は治るまでに時間がかかることもありますし、いったん治っても再発することもありますが、それでもきちんと治療をおこなえば多くのケースでよくなりますし、無症状のまま進行し気づいたときには手遅れとなる可能性のあるがんのリスクが減らせるのであれば、ピロリ菌除菌には意味があるわけです。
このあたりのことを主治医としっかりと相談して、内視鏡検査や除菌療法をおこなうかどうかを検討すべきというわけです。
注1:太融寺町谷口医院にも胃炎で通院されている人は大勢おられます。すでに一部の患者さんには説明していますが、薬を手放せない人は内視鏡検査を受けておいた方がいいでしょう。太融寺町谷口医院では、現在内視鏡検査ができませんから、希望があれば内視鏡に対応できる医療機関を紹介しています。
注2:この論文のタイトルは、「Risk of Recurrent Helicobacter pylori Infection 1 Year After Initial Eradication Therapy in 7 Latin American Communities」で、下記のURLで概要を読むことができます。
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|2013年6月17日 月曜日
第114回(2013年2月) 花粉と黄砂とPM2.5
今年(2013年春)の花粉の飛散量は去年より多いと言われており、実際昨年に比べると花粉症の患者さんの受診が早くなっているようです。ただし、マスコミでは花粉の量が2倍とか5倍とか言われていますが、患者数やひとりの患者さんの重症度が倍以上になっているわけではありません。その逆に、昨年(2012年)は花粉量が例年より少ないと言われていましたが、患者さんの人数が少なかったわけではありません。私の実感としては、花粉飛散量の予測と関係なく、毎年一定の患者さんが受診されます。
一方、1月中旬からやや目立っているのは咳を訴える患者さんです。「長引く咳」というのは太融寺町谷口医院では、以前から最も多い訴えのひとつなのですが、今年の特徴として「やっぱりPM2.5のせいですかね~」と、患者さんが言われることが目立ちます。
PM2.5、年明けに突如としてマスコミに登場し、その後連日のように報道されるこの言葉はすでに2013年の流行語とも呼べるでしょう。週刊誌やワイドショーでは特集が組まれ、巷では、「PM2.5対応のマスク」が品切れを起こしているとか・・・。
PM2.5とは何か、をまず確認しておきましょう。PMは、particulate matter、つまり「粒子状物質」の略で、要するに「大気中に浮遊する微粒子」のことです。(私はparticulate materialと思っていましたが、materialではなくmatterが正しいようです) PM2.5とは、その微粒子のなかでも直径が2.5マイクロメートル以下の、より小さいもののことです。
PM2.5がなぜ問題か、というと、粒子自体がそれだけ小さいために、呼吸をすると肺の奥にまで到達しやすくなるからです。粒子が口や鼻から喉(のど)に入ってくると、まず喉に違和感が生じます。激しい痛みまで起こすことはあまりありませんが、「イガイガする」「イガラっぽい」などと表現される不快な感覚になります。粒子がさらに奥に入ると、今度は気管(や気管支)の粘膜に刺激を与えます。そしてこの刺激によって、咳が誘発されます。
黄砂(こうさ)というものがここ数年注目を集めています。中国内陸部の砂漠や乾燥地域の砂塵が上空に巻き上げられ地上に降り注がれる気象現象のことで、春に日本にやってきます。もう少し正確に言えば、3月頃から増加しだし、ちょうどゴールデンウィークくらいから5月中旬くらいまでがピークとなります。
黄砂による症状は花粉症のものと似ています。つまり、顔面(特に目のまわり)が痒くなり、目が痛痒くなり、鼻水がでます。喉がイガイガし、咳もでます。黄砂と花粉症の関係は解明されていない点も多いのですが、花粉症がある人が黄砂の被害も受けやすい、というのは間違いありません。
黄砂によって生じる皮膚の痒みや咳が、刺激によるものか、アレルギーによるものか、ということはまだしっかりと検討されていないと思いますが、私自身は両方の可能性があると考えています。つまり、黄砂の微粒子が皮膚や粘膜を刺激することによって症状が誘発されるのと同時に、黄砂の一部を構成する金属、つまり大陸の砂漠の砂のなかに混じっている金属がアレルギーを引き起こしているのではないかという仮説です。実際、黄砂にはアレルギーを引き起こしやすい金属の代表であるコバルトが含まれているという報告もあります。
黄砂が刺激とアレルギーの両方の機序でおこっているというこの仮説を示唆する理由があります。まず黄砂による症状は花粉症などアレルギーを有している人に圧倒的に出やすいということからアレルギーのメカニズムが働いていることが考えられます。しかし、花粉症に対して有効な抗ヒスタミン薬やステロイド点鼻薬・吸入薬が黄砂に対しては効果が弱いのです。つまり花粉症と同じ治療をすることによって、黄砂のアレルギーによる症状は抑えることができても、刺激による症状にはさほど効果がない、というわけです。
黄砂が飛んだ日は喘息で入院する症例(特に小児)が増えるという報告があり、これは理解しやすいことですが、興味深いのは、黄砂により脳梗塞のリスクが上昇するという研究があることです。(詳しくは下記医療ニュースを参照ください)
黄砂には様々な微粒子が含まれますが、直径4マイクロメートルほどの微粒子が多いと言われており、このサイズであれば肺の奥の方にまで入り込みます。そしてここまでくれば毛細血管にも悪影響を与えるということです。
話は再びPM2.5に戻ります。PM2.5は黄砂よりも直径が小さいわけで、これはすなわち肺のより奥に、つまり身体のより深部に到達しやすいことを意味します。つまり、皮膚の痒み、鼻炎、結膜炎、咽頭痛、喘息といった症状のみならず、アスベストなどのじん肺と同じような機序で肺癌を含む肺障害を起こす可能性、さらに血管に入り込み心筋梗塞や脳卒中などの血管障害を黄砂以上に起こしやすい可能性もでてきます。また、微粒子の毒性により、例えば頭痛や倦怠感といった様々な症状が出現する可能性もあります。
ちょうど昭和30~40年代におこった四日市喘息を彷彿させます。多数の死者を出すこととなった四日市喘息は高度経済成長の負の側面であるわけですが、現在の中国の急激な経済発展を考えれば、ある意味ではPM2.5の大量飛散は必然と言えるのかもしれません。
対策としては、中国政府にリーダーシップをとってもらうのがいいわけですが、それほど事は簡単に運ばないでしょう。さしあたりマスクで予防、となるわけですが、よくマスコミで指摘されるように通常のマスクでは粒子が貫通してしまいます。そこで、特別なマスク、とりわけ「N95」と呼ばれるマスクが注目を集めていますが、それほど単純な話ではありません。
まずN95というのは、「0.3マイクロメートル以上の塩化ナトリウム結晶の捕集効率が95%以上」という規格で製造されたマスクのことですが、簡単に言えば、普通のマスクでは貫通してしまうような小さな結晶もブロックできますよ、というものです。最近では、新型インフルエンザが流行した2009年に世間の注目を集めました。医療現場では結核の患者さんに接するときに用いられています。
たしかにN95を用いればPM2.5の予防対策として有効でしょう。ただしそれは”適切に”使用できれば、の話です。N95を適切に使用するのは案外むつかしいのです。つまり、きちんとフィットしておらずに隙間から粉塵や微粒子が入り込んでしまっていることが多いというわけです。これを確認するのにフィットテストという方法があるのですが、テストをしてみると、医療従事者でさえうまくフィットしていないことが多いのです(注1)。N95を装着した2~3割の者しか適切に予防できていなかった、という報告もあるほどです。
また、しっかりと隙間をつくらないようにフィットさせようとしても、顔面の解剖学的な形状とマスクが合わない、ということもあります。N95というのは、米国労働安全衛生局(OSHA;Occupational Safety and Health Administration)が認定しているのですが実は何百種類もあります。様々なメーカーが製造しており、サイズや形状がそれぞれ異なるわけですが、特に顔面の小さな女性などでは、何種類を試しても合うものがなかった、という場合もあります。
自分の顔に合うN95が見つかったとして、適切にフィットさせたとしても、その状態で過ごすのはかなり苦しいことを覚悟しなければなりません。N95を装着した状態で、信号が黄色に変わりそうだから小走りで横断歩道を渡ろう、などということは到底できません。それくらい苦しいマスクを連日装着するというのは現実的でない、と私は考えています。
ではどうすればいいか、ということですが、効果が不十分であったとしても通常のサージカルマスクの2枚重ねくらいで対処するのが現実的かと思います。そして、可能な限りPM2.5飛散量が多い日(注2)には外出を控える、それでも生活に支障が出るなら、思い切ってPM2.5が飛んでこないどこか遠くに引っ越す、というのもひとつの選択肢かもしれません。これを「転地療法」と呼びますが、実際、四日市喘息のときには、きれいな空気を求めて引越しした人も大勢いたそうです。
ではまとめておきましょう。
●2013年春の花粉飛散量は例年より多くなることが予測されている。
●例年春には花粉以外に黄砂が飛散し、花粉症がある人には黄砂による症状もでやすい。
●黄砂による症状は、鼻水・鼻づまりや目の痒みだけでなく、咽頭痛や咳、喘息症状がでることも多い。
●花粉症は治療でコントロールできるが、黄砂は治療をしても効果不十分なことが多く、黄砂に触れない対策が重要となる。
●中国大陸から飛んでくるPM2.5による症状は、投薬で充分な対処ができるわけではなく、可能な限り予防することが大切。
●注目されているN95マスクは、きちんと装着できていないことが多い。適切にフィットさせれば予防効果は期待できるかもしれないが、息苦しくなるため長時間の装着は現実的でない。
究極の治療として「転地療法」を選択せざるを得ない人も今後出てくるかもしれない。
注1:youtubeでN95のフィットテストを見ることができます。興味のある方は下記を参照ください。
http://www.youtube.com/watch?v=kKHnI1piKC8&noredirect=1
注2:PM2.5を含めて大気汚染物質の飛散状況は環境省のウェブサイトで知ることができます。下記を参照ください。
黄砂については気象庁の下記サイトが参考になります。
http://www.jma.go.jp/jp/kosafcst/
また、花粉については環境省の下記サイトがよくまとまっています。
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