はやりの病気

2013年6月15日 土曜日

第83回 感染性胃腸炎とO157 2010/7/20

O(オー)157などによる腸管出血性大腸菌感染症が増加しています。

 国立感染症研究所感染症情報センターによりますと、今年(2010年)の年明けから5月中旬まで、週の報告数は10~30例前後でしたが、その後増え始め、6月7~13日の週は174例にまで増加しました。6月13日までの累積の報告数は、2000年以降の同時期で2番目に多い779例になっています。

 「記憶に新しい」という言い方がすべての人に当てはまるかどうかは分かりませんが、O157と言えば、1996年に大阪の堺市で集団発生し死者も出て、カイワレ大根が一時悪者扱いされた事件を覚えている人は多いでしょう。

 今回は、全国的に感染性の下痢が増加していて、太融寺町谷口医院にも毎日のように下痢を訴えて受診する人がいますから感染に注意しましょうね、という話をしたいのですが、O157についてまずは簡単に振り返っておきたいと思います。

 O157が初めて登場したのは(「登場した」ではなく「発見された」が適切かもしれませんが)、1982年のアメリカで、このときはハンバーガーによる集団感染でした。日本では1990年に埼玉県で幼稚園の井戸水で集団感染し園児2人が亡くなっています。このときもマスコミに報道され注目されましたが、やはり決定的に有名になったのは1996年でしょう。

 まず5月に岡山で集団感染が報告され、7月には大阪府堺市で爆発的な増加をみせます。最終的な患者数はおよそ8千人で、死者も3人となりました。このときのマスコミの報道は、予防や治療に重点を置いたものというよりは、O157の原因探し、もっと言えば”犯人探し”に躍起になっていたように思われます。そしてついにカイワレ大根が犯人としてまつりあげられました。

 このとき私はまだ医師ではなく医学生でしたが、当時の厚生省に対して「そんなこと発表していいの??」という気持ちになったのを覚えています。というのも、そもそもカイワレ大根からはO157が検出されていないのです。そして、1982年のアメリカ以降、O157が検出されているのは、ほとんどが肉類なのです。常識的に考えれば、まずは弁当や給食に使われていた肉や精肉業者を考え、たとえ肉からO157が検出されなかったとしても、カイワレ大根の可能性があるなどと公式発表するなんていうのは方向違いもいいところです。(参考までに、カイワレ大根生産業者らは風評被害を受けたとして国家賠償を求める裁判をおこし国が負けましたが、これは当然です)

 その後、O157の名前をあまり聞かなくなったな、と思っていると2000年代に入って2~3年に一度程度、ときどき報道されるのを耳にするようになりました。最近では、昨年(2009年)大手ステーキチェーンの「ペッパーランチ」が東京と大阪を含む全国数店舗で食中毒を起こし、その原因としてO157が報告されました。

 そして、今年(2010年)初頭から急激に報告数が増加・・・。多くの感染症は定期的に猛威をふるいますが、1996年以来14年ぶりに今年はO157の流行の年となるかもしれません。

 O157というのは大腸菌の1種です。大腸菌のなかにもいろんな種類のものがあり、実は大半の大腸菌は無害であり誰の腸内にも生息しています。ですから、「腸内で大腸菌が見つかったから治療をおこなわなければならない」というのは誤りです。

 多くの種類がある大腸菌のなかでいくつかは人間に悪さをします。この悪さをする大腸菌のことを「病原性大腸菌」と呼びます。しかし、「病原性大腸菌」のなかにもいろんな種類があって、腸管侵入性大腸菌(EIEC)、毒性原性大腸菌(ETEC)、腸管病原性大腸菌(EPEC)、・・・、といった感じで分類されています。病原性大腸菌のなかに腸管出血性大腸菌(EHEC)というものもあり、O157はこのグループに所属します。

 O157を含む腸管出血性大腸炎の最大の特徴は、血便をきたす、ということです。下痢で医療機関を受診すると、「血便はないですか」と聞かれますが、医師からみたときに、この血便の有無というのは非常に大切な情報なのです。

 血便をきたす疾患には実に様々なものがあり、単なる痔(ぢ)であることもあれば、潰瘍性大腸炎といった非感染性の炎症性疾患であることもありますし、中年以降であれば大腸ガンがみつかることもあります。大腸ポリープによる血便、抗生物質の副作用による血便(偽膜性腸炎)、高齢者であれば虚血性腸炎なども考えられます。危険な性交渉がある人であればアメーバ赤痢がみつかることもあります。

 急性の発症で強い腹痛や発熱、嘔吐などがあれば細菌性の大腸炎を考え、血便があればO157も疑います。O157を含む腸管出血性大腸炎がなぜ血便をきたすのかというと、このタイプの大腸菌は「ベロ毒素」と呼ばれる強い毒素を産生するからです。ベロ毒素は腸管粘膜に侵入すると細胞を死滅させ、その結果出血がおこるのです。ベロ毒素が血中に入り、腎臓まで到達すると腎臓の尿細管細胞を破壊し、急性腎不全(溶血性尿毒素症候群)が起こることもありますし、脳に到達すると急性脳症を起こし致死的な状態になることもあります。要するにベロ毒素が大変な曲者で、こいつが血便、腎不全、脳症などの原因になるというわけです。

 一般に、「感染症による下痢は下痢止めを使って下痢をとめてはいけない」、と言われますが、O157の場合は特に重要です。なぜなら、下痢止めを使って腸管の動きを止めてしまえば、それだけベロ毒素に悪さをする時間を与えるようなものだからです。

 細菌性でもウイルス性でも医師が感染性の下痢を考えたときには、よほどのことがない限り下痢止めは処方しません。放っておいたら下痢がどんどんひどくなり脱水になるような場合であっても下痢止めは使わないのです。脱水のリスクがあると考えれば点滴をおこないます。

 さて、O157の被害が小学校や幼稚園、あるいは高齢者の施設に偏って起こっているのはなぜでしょうか。これは、子供や高齢者は抵抗力が弱いために一気に病原体が体内で増殖するからです。実際、成人であればO157に感染しても、無症状、もしくは軽度の下痢で済んでいる可能性があります。症状が軽度であれば医療機関を受診しないでしょうから、O157に感染している人数は、国立感染症研究所感染症情報センターの報告よりもはるかに多いと考えられます。

 「生肉なんて食べていないし、食べ物はすべて加熱しています」という人でも感染性の下痢を起こすことはよくありますが、これはなぜでしょうか。よくあるのが、生肉を調理したまな板でサラダ用の野菜を切っていたとか、生肉を調理した後、手をよく洗わないままおにぎりを作った、などというケースです。ですから、料理をする人はこういった点に充分に注意しなければなりません。

 O157の場合は、食べ物→人、だけでなく、人→人という感染経路もしばしば報告されますし、人→人の感染性下痢はO157に限らず他の病原体でもおこりますが、これはなぜでしょうか。それは、例えば、下痢をしている人がトイレに → お尻をふくときに病原体が手に付着した → 手洗いが不十分でその手でトイレのドアノブを触った → 次にトイレに入る人がそのドアノブに触れた → その人も手洗いが不十分でトイレから出た後おにぎりを手で食べた、という経路での感染です。

 下痢が周囲で流行りだしたとき、いつもにも増して手洗いを徹底しなければなりませんし、料理をつくる人はまな板や包丁にも注意をしなければなりません。それでも気になる人には、携帯できるタイプの消毒液をすすめることがあります。これは、元々医療者用に開発されたものだと思うのですが、最近は薬局で誰でも買えるようになっています。ジェルタイプのものならすぐに乾きますし大変便利ですから、一度試されてはいかがでしょうか。

 そしてO157で言えば、最も大切なことは「肉料理に充分に注意する」ということです。少なくとも、カイワレ大根を食べるときよりは注意が必要です・・・。

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2013年6月15日 土曜日

第82回 熱のない長引く咳は百日咳かも・・・ 2010/6/20

百日咳が流行しています。百日咳と言えば子供の病気というイメージがありますが、ここ数年は成人の百日咳が増加しており、国立感染症研究所の報告では、今年(2010年)は、第20週(5月17~23日)の時点で、20歳以上の割合が5割を超えています。

 20歳以上の割合は5割、と聞くと、それでも約半数は子供なんだ、と思ってしまいますが、この数字は実態を反映していないと考えるべきです。

 まず、なぜ百日咳の患者数を国立感染症研究所が把握しているかというと、百日咳を診断した医療機関はそれを当局に届出なければならないからです。一般に、「特定の感染症」を診断したとき、医師には届出義務が生じます。

 この「特定の感染症」というのは、法律で定められており、すべての感染症が該当するわけではありません。例えば、足の水虫を診断したり、腟内のカンジダが確認されたりしてもそれらを届ける必要はありません。「特定の感染症」は、例えば現在流行しているA型肝炎や手足口病、HIV、麻疹などが相当します。そして、百日咳も「特定の感染症」に相当します。

 ここからが少しややこしくなります。実は「特定の感染症」というのは、「全数届出感染症」と「定点届出感染症」に分けられます。前者(全数届出感染症)は、すべての医療機関で届出義務が課せられる感染症です。HIV、エボラ出血熱、A型肝炎、などが相当します。一方、後者(定点届出感染症)は、あらかじめ指定されている医療機関にのみ届出義務が課せられます。

 百日咳は定点届出感染症に指定されており、「定点」は通常は小児科の医療機関が選ばれます。もちろん、「定点」に選ばれない医療機関もあるわけで、「定点」に指定されているAクリニックを受診すれば届出をされて、「定点」でないBクリニックを受診すれば百日咳と診断がつけられ治療をおこなわれても届出はされないことになります。つまり、あなたがAクリニックを受診するかBクリニックを受診するかによって、その週の百日咳の患者数が変わる、ということになります。

 通常、成人が長引く咳で医療機関を受診する場合、「内科」を受診することがほとんどで、あえて「小児科」を受診することはないでしょう。自分の子供を小児科クリニックに連れて行って、子供と同じような症状のある自分を”ついでに”診てもらう、とか、「小児科・内科」で診療をしているクリニックで診察を受けた、という場合であれば届出されることになりますが、一般の内科系クリニックを受診した場合は、届出はされないことになります。

 ですから、数字には上がってこないだけで実際には百日咳に罹患している成人は相当数に上るはずです。

 しかしながら、百日咳が流行したからといって慌てる必要はありません。なぜなら、ほとんどの場合、成人の百日咳は、咳には苦しめられるものの、通常高熱はでませんし、多少時間がかかることはありますが無治療でも自然治癒することが少なくないからです。

 一方、小児では事情が異なります。小児の百日咳は、熱もでますし、激しい咳は周囲が苦しくなる程ですし、嘔吐することもあれば、咳発作が重症化して呼吸困難に陥ることもあります。ワクチン接種をしておらず、無治療であれば、死に至ることも珍しくありません。実際、日本でもワクチンが普及する前は死亡率が10%もあったとする報告もります。

 ワクチンが普及すれば、感染者は劇的に減少するのですが、実は百日咳ワクチンには様々な歴史があって、副作用が問題になりいったん供給が中止となったこともあります。改良が重ねられ、現在ではジフテリア、破傷風との混合ワクチン(DPT三種混合ワクチン)が登場し、1994年からは1回目の接種が生後3ヶ月となりました。それまでは2歳で1回目の接種をすることになっていたのですが、生後3ヶ月に早められたのは、百日咳は生後6ヶ月未満で発症することが少なくないからです。(注1)

 一般に生後だいたい6ヶ月くらいまでは、お母さんからの免疫(これを「経胎盤移行抗体」と呼びます)があって、多くの感染症にはお母さんが培った免疫力で対処できるのですが、百日咳の場合は、この免疫が期待できないのです。そこで、ワクチンをできるだけ早くから接種する必要があるというわけです。

 さて、成人の百日咳ですが、統計に反映されない感染例がかなり多くあり現在も流行していることはほぼ間違いありません。では、医療機関では百日咳を疑った場合はどうしているのでしょうか。

 太融寺町谷口医院にも長引く咳を訴えて受診される方は少なくありません。このような訴えは年中あるのですが、ここ1~2ヶ月は特に増加しているように思われます。ただ、長引く咳→百日咳、と短絡的に決められるわけではなく、アレルギーが関与している咳や、持病の喘息や慢性気管支炎が悪化した場合、ウイルス性の感冒がダラダラ続いている場合、また、マイコプラズマ肺炎であることもありますし、頻度はそれほど多くありませんが結核が見つかることもあります。またタバコを吸う中高年の場合は、COPDと呼ばれる肺の病気であることもありますし、逆流性食道炎の1つの症状といった気道とは関係のないことが原因となっている長引く咳もあります。

 一般的に咳が長引いていれば胸部レントゲンを撮影することになるのですが、百日咳はレントゲンで特徴的な像を呈するわけではありません。ですから、レントゲンは、百日咳を見つけるために撮るというよりも、百日咳以外の重症な疾患(結核や肺ガンなど)を除外するために撮影する、といった意味の方が大きいといえます。

 血液検査はどうかというと、実は成人の百日咳の場合は、決定的な指標というものがありません。子供の場合は、血液検査の値が百日咳に特徴的になるのですが、成人の場合は、凝集価という値や抗体(IgG抗体)を調べることがありますが決定的なものではありません。また、遺伝子診断(PCR)をおこなえば確定できることがありますが、これは保険適用がなく、もしも検査をするとなるとかなりの高額になります。それにいずれの検査をしたとしても、結果がでるまでに数日から1週間以上かかります。

 もしも、百日咳という病気が、何らかの理由で「100%の診断がつかなければ治療を開始してはいけない病気」であれば、なんとしても確定診断をつけなければなりませんが、実際はそうではありません。例えば、クラリスロマイシン(商品名はクラリス、クラリシッドなど)という抗生物質は百日咳によく効いて、同時に同じく長引く頑固な咳の症状がでるマイコプラズマにもよく効きます(注3)。

 ですから、少し荒っぽい言い方をすれば、その咳がウイルス性やアレルギー性のものではなく、細菌性の上気道炎である可能性が強く(注2)、咳が主症状であれば、クラリスロマイシンを投薬してみるというのは臨床の現場ではしばしばおこなわれる方法のひとつです。もちろん、抗生物質というのは安易に処方すべきものではありませんし、百日咳であることを強く疑っても、ピークを過ぎて治癒過程にあるような場合は、あえて何も処方しない(もしくは一般的な咳止めのみの処方とする)こともあります。

 成人の百日咳は、咳が長引くことはあるものの発熱はないことが多く日常生活が妨げられるようになることはそれほど多くありません。また、確定診断がつかなくても治療が開始されることもあり、ほとんどは数日後には治癒しますから、それほどやっかいな病気ではないと言えます。しかしながら、まだワクチン接種をしていない子供にうつしてしまうと大変なことになりかねません。周りに小さなお子さんがいる方は早めに医療機関を受診すべきでしょう。

注1 百日咳のワクチンは終生免疫が得られるわけではなく、成人する頃にはワクチンの効果が消失していると考えられています。また、DPTワクチンは通常下記のようなスケジュールで接種します。
・1期初回接種を、生後3ヶ月から1歳までの間に、3~8週あけて合計3回。
・1期追加接種を、初回接種後1年から1年6ヵ月後に1回接種。
(2期接種を、11歳くらいにおこないますが、通常このときは、DTワクチン(ジフテリアと破傷風)のみで百日咳はおこないません)

注2 「上気道炎(風邪症状)がウイルス性のものなのか細菌性のものなのかをどうやって区別するのですか」という質問をときどき受けます。それらを区別するには、問診、肺野の聴診、咳や痰の性状、発熱の有無(これはあまりあてになりませんが)、その人の基礎疾患(アレルギー疾患の有無、糖尿病や悪性腫瘍、HIV感染などはないか)、などもありますし、肺炎を疑った場合は胸部レントゲンを撮影しますが、当院では咽頭スワブの染色(咽頭を綿棒でぬぐいそれをスライドに引いて特殊な染色をおこない顕微鏡で観察します)を重要視することがしばしばあります。細菌感染の場合、炎症細胞と呼ばれる一部の白血球が集まっている像が観察されることが多いのです。また、最近ではプロカルシトニンという値を血液検査で測定して細菌感染の有無の参考にするという方法もあるのですが、結果がすぐに出ないことと高価なことから当院ではあまりおこなっていません。

注3(2012年10月21日付記):本文にはマイコプラズマにクラリスロマイシンが「よく効く」と記載されていますが、2010年後半頃よりクラリスロマイシン耐性のマイコプラズマ(つまり、クラリスロマイシンが効かないマイコプラズマ)が急増し、2012年後半の現在では、もはや「ほとんど効かない」と考えるべきです。

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2013年6月15日 土曜日

第81回 慢性腎臓病と塩分制限 2010/5/19

 「慢性腎臓病」という病気の名前を聞いたことがあるでしょうか。

 「慢性」も「腎臓病」も別段真新しいネーミングではありませんから、なんとなく昔からあったように感じられますが、「慢性腎臓病」というこの病気の名前はそれほど古くからあったわけではありません。
 
 慢性腎臓病(Chronic Kidney Disease、略してCKDと呼ばれることも多い)は2002年に提唱された、新しい病気の概念です。

 この病気の定義は、専門的に言えば、3ヶ月以上続く尿蛋白など腎臓病を疑う異常所見、もしくは3ヶ月以上糸球体濾過量(GFR)が60ml/分(正常100ml/分)、のいずれかを満たす状態、となります。糸球体濾過量というのは、腎臓を構成する糸球体と呼ばれるフィルターの役割を担っている組織が1分間にどれくらいの血液を濾過し尿をつくれるかを示す数値なのですが、これを正確に計測するのはかなり大変です。そこで、実際には、血液検査でわかる腎臓の数値をみて推定式にあてはめることによって、およその糸球体濾過量を算出します。

 もう少し現実的な話をすると、例えば健康診断で蛋白尿がみつかり再検査でも蛋白尿が続いたので採血をしてみてその結果から慢性腎臓病という診断がついた、とか、何らかの理由で血液検査をおこなったところ、偶然に腎臓の数値が悪くなっていることが発覚して、そこから慢性腎臓病の診断を受けた、などということが多いと言えます。ここで言う「腎臓の数値」とは通常クレアチニン(Cre)を指します。

 慢性腎臓病になるとどのような症状がでるのかというと、初期であれば、まったくといっていいほど無症状です。ある程度進行したところで初めて、尿の量が多い(特に夜間に何度もトイレに行く)とか、身体がむくむ、といった症状が出現します。

 この状態がさらに進行すると慢性腎臓病は重症化し、こうなると病名も「慢性腎不全」もしくは「尿毒症」となり、倦怠感、息切れなども出現します。ここまで来れば有効な治療法は人工透析か腎臓移植ということになってしまいます。

 慢性腎臓病という病気は2002年に提唱された、と上に述べましたが、実は米国では随分前から、この概念が重要視されていました。それは、腎不全にまでは至らないけれども腎臓の機能が少し低下した状態(要するに慢性腎臓病の状態)になると、将来的に心血管障害(心筋梗塞や脳梗塞など)を起こすリスクが高くなることが分かっていたからです。

 ところで、どのような人が慢性腎臓病になるのでしょうか。圧倒的に多いのが生活習慣の不摂生が原因となっている場合です。実際、メタボリック症候群(もしくは予備軍)の人が慢性腎臓病を合併しているケースは非常に多いと言えます。太融寺町谷口医院の患者さんをみてみても、慢性腎臓病と診断がついているのは、40代から60代くらいのメタボ体型の男女が目立ちます。(しかし痩せている人でも慢性腎臓病は珍しくはありません)

 ですから、運動療法と食餌療法をしっかりとおこなえば慢性腎臓病のリスクは随分と減らすことができるのですが、そのなかでも最も重要なのは「塩分の制限」です。しかし、塩分の制限というのは決して簡単ではありません。

 そもそも塩というのは大昔には大変貴重なものであり、人間の身体は少ない量の塩分摂取で生きることができるようにつくられています。もしも大量の塩分を摂らないと生存できないような身体であれば子孫を残せなかったというわけです。しかし、その逆に、大量の塩分を摂取したときには不要な分は排出する、などといった都合のいい対処をおこなうことはできないのです。

 よく言われるように、国際的にみて日本人の塩分摂取量はトップレベルです。2008年の厚生労働省の調査では、成人男性の1日の塩分摂取量は平均11.9グラム、女性で10.1グラムとなっています。昭和時代には15グラム以上、東北地方に限って言えば20グラムを超えていたという報告もありますから、最近は随分と改善してきていますが、現在でも適正摂取量からはほど遠いと言われています。

 慢性腎臓病の概念を早くから重要視していた米国では、塩分の制限が盛んに議論されるようになり、今年(2010年)3月には、ニューヨークで、「塩を使って料理をすると店主に罰金 1,000ドル(約 90,000円)を科せる」という法案が提出されました。(報道は2010年3月12日のTelegraph、下記注参照)

 さすがにこの法案は議会を通過しなかったそうですが、もしもこの法律が日本で成立したとすると生き残れるレストランは1つでもあるのでしょうか・・・。これほどまでに現在のアメリカでは塩に対する風当たりが強くなっているのです。

 塩分制限の世界的な流れを受けてなのか、2010年4月に改定された厚生労働省の「日本人の食事摂取基準」では、塩分の適正摂取量が男性9グラム未満、女性7.5グラム未満に改められています。(5年前の旧基準では男性10グラム未満、女性8グラム未満でした)

 塩分の適正摂取量には様々な議論がありますが、例えば、日本高血圧学会が推奨する1日の適正な塩分摂取量はわずか6グラムです。6グラムという基準をすべての日本人が守らなければならないかというと異論は多いでしょうが、慢性腎臓病という診断がつけられれば6グラム以下にすべきというのは、ほとんどの医療者が賛同するところです。(慢性腎臓病のガイドラインにもそう書かれています)

 では、食塩6グラムとは実際にはどの程度なのでしょうか。

 味噌汁、鍋焼きうどん、五目そば、これら3つの1杯ずつの塩分はどれくらいでしょう。正解は、順に、2グラム、7.4グラム、8グラムです。つまり、慢性腎臓病になるとうどんの1杯も食べられないということになってしまうのです。

 もっとも、汁を一切飲まなければ少しくらいは食べてもいいということにはなるでしょうが、塩分摂取量を適正に保とうすれば、寿司や刺身を食べるときも醤油はほとんど使えないでしょうし、健康にいいと言われている青魚でも、塩サバや塩サンマなんてものも食べられなくなってしまうわけです。

 では、いったい何を食べればいいのでしょうか。アボリジニ人やアフリカの一部の民族は塩分をほとんど摂らないそうですが、日本で長年生活している人がそういった民族料理で生きていくのは不可能でしょう。

 Telegraphの報道によりますと、ニューヨークのマイケル・ブルームバーグ市長は、「すでに公共区域での喫煙は禁止した。レストランでは、メニューにカロリー量の記載を義務付けている。塩の制限は高血圧の人たちを救えるのだ」とコメントしています。

 健康のため、病気の予防、などと言われればまったく反論できなくなるのですが、「もしも自分自身が塩分を6グラム以内にせよと言われたら到底不可能だろう・・・」、そんなことを感じながら、私は日々患者さんに塩分制限の話をしています。これではとうてい説得力がありません・・・。

 私は一応禁煙には成功したつもりですが、もしも塩分を6グラムにするよう強制されればやっていけるかどうか自信がありません。禁煙にもかなりの努力を要しましたが、塩分制限は禁煙よりもキツイことになるでしょう。

 「健康のため」というプロパガンダは、人々からタバコを奪い、高カロリー食を奪い、ついに塩分の制限まで強制するようになってきました。次のターゲットはおそらくアルコールになるでしょう。我々は、人生を楽しむためではなく、「健康のため」に生きているのでしょうか・・・、と皮肉のひとつも言いたくなります・・・。

注1:本文で紹介したTelegraphの記事のタイトルは
「NY restaurants face total salt ban if politician gets his way」で下記のURLで読むことができます。
http://www.telegraph.co.uk/foodanddrink/foodanddrinknews/

注2:どのような料理にどれだけ塩が含まれているかについては、厚生労働省が作成している下記のウェブサイトが参考になります。

http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/seikatu/himan/

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2013年6月15日 土曜日

第80回 くも膜下出血と脳ドック 2010/4/20

最近、頭痛を訴える患者さんが増えてきたな、と感じていたのですが、この原因はどうやら読売ジャイアンツの木村拓也コーチがくも膜下出血で他界されたことと無関係ではなさそうです。実際、当院だけでなく、総合内科や総合診療科の外来がある医療機関では、大学病院も含めて、「自分の頭痛の原因はくも膜下出血ではないか」と考えて受診する人が急増しているそうです。

 くも膜下出血は、緊急処置(手術)を要する脳外科的疾患でみると、比較的よくある疾患です。全体の頻度でみれば、脳梗塞や脳出血の方が多いでしょうが、これらは高齢者に多いのに対し、くも膜下出血は年齢に関係なくおこります。したがって、我々医師は、救急の現場にいるとき、比較的若い年齢で激しい頭痛を訴えて救急搬送された患者をみた際に、まず考える疾患のひとつがくも膜下出血なのです。特に、外傷のエピソードがなく、これまで経験したことのない激しい突然の頭痛、などと言われれば、患者さんが到着するまでにCT撮影の準備をしておきます。

 しかし、くも膜下出血の患者さんがいつも激しい頭痛を有しているかというとそういうわけでもありません。それほど痛がっていない場合もありますし(「病院に来るべきかどうか悩んでいた」と言われることもあります)、数日前から頭痛が続いていると言われて受診することもあります。若い人にときどきあるのが、例えばスノーボードで転倒してから次第に頭痛を自覚するようになったというようなケースで、この場合、このスノーボードのエピソードを聞きだせるかどうかが、診断のポイントになってきます。

 くも膜下出血という病名は、(少なくとも同じ脳外科領域の出血性の疾患である急性硬膜外血腫や慢性硬膜下血腫に比べると)、比較的よく知られていると思われます。しかし、病名が有名な割にはその病態は意外に知られていないように思われますので、まずは、くも膜下出血はどのようにして起こるのかについて確認しておきましょう。

 脳は外側から硬膜、くも膜、軟膜の3つの膜で覆われています。そして、くも膜と軟膜のすき間はくも膜下腔と呼ばれています。(硬膜とくも膜のすき間は硬膜下腔と呼ばれます) くも膜と軟膜は密着しておらず、無数の線維の束で結ばれています。そしてその入り乱れた無数の線維がクモの巣に似ていることからこの真ん中の膜が「くも膜」と呼ばれているというわけです。(参考までに英語で「クモの巣」はspider webですが、植物学用語では「クモの巣」の形容詞はarachnoidとなります。そしてくも膜の英語はarachnoid membraneです)

 くも膜下出血の原因で圧倒的に多いのは、脳動脈の一部が膨らんでできた動脈瘤(どうみゃくりゅう)の破裂によるものです。動脈瘤というと言葉がむつかしいですが、要するに脳を走っている動脈にできたコブです。このコブの壁は、普通の血管壁に比べると、構造がもろく高圧に耐えられないために、何かの拍子に血圧が上がったときに一気に破れてしまうのです。これがくも膜下出血のメカニズムです。

 先に、「数日前から頭痛が続いている」という例を挙げましたが、この場合、一気にコブが破れたのではなく、少しずつコブから出血が起こっていた可能性があります。(これを「警告出血」と呼びます) また、先にあげたスノーボードの例では、動脈瘤がなく外傷を機転としています。これを動脈瘤の破裂によるものと区別して「外傷性くも膜下出血」と呼ぶこともあります。

 木村コーチはシートノックの最中に倒れたようですが、一部の報道によりますと、前日から頭痛でほとんど眠れなかったと関係者に証言していたそうです。強靭な体力と精神力を有しているプロスポーツ選手ですから、普通の人なら耐えられないような痛みを隠してノックをしていたのかもしれません。

 さて、先ほど、便宜上「何かの拍子に血圧が上がったときに」と述べましたが、脳動脈瘤が破れてくも膜下出血をきたした人は、何か特別なことをおこなっている最中にコブが破れたとは限りません。これまで私が救急の現場でみてきた患者さんたちも、食事中に、デスクワークをしているときに、夕食後テレビを見ているときに、などというケースもありましたから「○○をするときには気をつけましょう」という具合に予防できるわけではないのです。もっとも、高血圧、喫煙、過度の飲酒などがあればコブが破れるリスクが高くなるのは事実です。

 では、事前にくも膜下出血を防ぐにはどうすればいいのでしょうか。単純に考えれば、まずは自分にその血管のコブ(脳動脈瘤)があるのかどうかを調べてみよう、ということになります。実際、脳ドックの1つの目的はこのコブの有無を調べることです。

 となると、いったいどれくらいの割合の人がこのコブを持っているのかが気になりますが、だいたい人口の5%程度だろうと言われています。(最近、医療技術が向上し、より小さなコブも見つけられるようになったことと、脳ドックを受ける人が増えたことで、見つかる人が増えて5%よりも多いのではないかと言われることもあります)

 ここでむつかしいのは、その人口の5%の人たちの全員のコブが破れてくも膜下出血が起こるわけではないということです。破れていないコブ(これを「未破裂脳動脈瘤」と呼びます)が、どれくらいの確率で破れるのか、というのは昔からよく議論されていて、私が学生の頃は、「1年間に破裂する確率はだいたい1%程度」と習いました。

 しかしながら、この1%という数字は信憑性が乏しく実際はこれよりもずっと少ないのではないかと言われることが増えてきています。日本脳神経外科学会が立ち上げている未破裂脳動脈瘤悉皆調査(UCAS)のウェブサイトでは、「未破裂脳動脈瘤の破裂する正確な率は不明」とした上で、1998年の国際報告を引き合いに出しています。その報告によれば、1センチ以下のものでは破裂率は年間0.05%、1センチ以上のものでは年間0.5%、となっています。

 では、たまたまMRIを撮影したり、脳ドックを受けたりして、自分の脳にこのコブが見つかってしまったときはどうすればいいのでしょうか。「くも膜下出血を発症する前にこのコブを治療してしまおう」というのも1つの考え方です。発症前に治療をしてしまえば、くも膜下出血を発症するリスクはかなりゼロに近づくでしょう。

 不幸なことに木村コーチが他界されたように、くも膜下出血というのは重篤化する病気です。くも膜下出血を発症したとき、元通りの生活に戻れる人は3分の1程度だろうと言われています。そして3分の1が死亡、残りの3分の1は、命は助かるものの寝たきりや麻痺といった後遺症を残します。

 では、そんな重篤な疾患のリスクがあるなら積極的にコブの有無を調べて、もしもあればすぐに手術をすればいいじゃないか、と考えられるかもしれません。しかしながら、手術にはリスクが伴います。

 全身麻酔の下、開頭し、脳外科医が顕微鏡を用いてコブまでたどりつき、コブの根元にクリップをかけます。これでコブには血液が流れなくなり出血をきたす可能性が極めて低くなります。この手術を「脳動脈瘤クリッピング術」と呼び、コブの治療では最も一般的なものです。他の治療法としては、「コイル塞栓術」と言って、太ももの太い血管から管を入れて、その管の先端を脳動脈のコブまでもっていき、管からやわらかいプラチナ製のコイルをコブに流し込んで詰めてしまうという方法があります。どちらの方法でも、コブができている場所にもよりますが、治療は極めてむつかしくベテランの脳外科医にしかおこなうことができません。(「コイル塞栓術」は放射線科医がおこなうこともありますが、いずれにしても極めて難易度の高い治療法です)

 脳ドックなどでたまたま脳動脈のコブを見つけてしまったときに手術をすべきかどうか・・・。これには絶対的な正解がないというのが現状でしょう。実際には、その人の年齢、既往(過去にどんな病気をしているか)、血縁者にくも膜下出血を発症した人がいるか、高血圧の有無、その人にとっての全身麻酔のリスク、コブの位置と大きさ、などによります。場合によっては、脳外科医の間でも意見が分かれることがあるかもしれません。
 
 もしもコブが見つかったらどうすべきか、また、それ以前にそもそも脳ドックは果たして受けなければいけないものなのか、という問題もあります。少なくとも、現在無症状で血縁者にくも膜下出血を起こした人がいないのであれば、慌てて調べる必要はないでしょう。

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2013年6月15日 土曜日

第79回 気軽に始める禁煙法 2010/3/19

2010年2月28日、米国大統領就任後初めて健康診断を受けたオバマ大統領は、担当医から健康面に心配はないと言われたものの「禁煙の努力を続けること」と勧告を受けたそうです。オバマ大統領は、立候補の条件として奥さんのミッシェルさんに禁煙を”公約”していたそうですが、依然守られていないことになります。

 2010年2月28日で、WHO(世界保健機関)が「タバコ規制枠組み条約」を発効してから5年が経過したことになりますが、WHOは「世界的に喫煙者数が減少しているとは言えない。途上国では増加傾向にあり、女性の喫煙者は増えている」とのコメントを発表しています。WHOは、タバコを「法律で禁止されていない唯一の有害物質」と位置づけ、世界の喫煙人口を13億人とし、年間500万人が、喫煙が原因の病気で死亡していると推定しています。喫煙者は2025年までに17億人に増えるとの推計もあります。

 これら2つのニュースだけをみると、「禁煙とは大変むつかしいもので、世界的にみて禁煙対策はほとんど進んでいない」ということになりますが、実際は各国とも禁煙対策に相当力を入れています。世界一喫煙人口が多いと言われている中国でも、2010年5月から開催される上海万博に向けて、市内のあらゆる公共施設を全面禁煙にする罰則付き条例が3月1日に施行されました。

 日本でも禁煙への流れは着実に進行しています。

 厚生労働省は2月25日、受動喫煙による健康被害を防ぐため、飲食店や遊技場など不特定多数の人が利用する施設を、原則として全面禁煙とするよう求める通知を各都道府県に対して発行しました。この通知には、罰則規定はないものの、対象施設は、学校や病院だけでなく、官公庁、百貨店、飲食店、ホテルなども含まれており、また鉄道やタクシーといった交通機関も明示されています。

 日本で最も禁煙対策が進んでいるのは神奈川県といって間違いないでしょう。同県では、受動喫煙防止条例が2010年4月から施行されます。この条例では、飲食店も含めた公共的な施設に禁煙や分煙を義務付け、違反者には罰金が科されます。この条例施行に先がけて、マクドナルドでは県内全298店舗を3月1日から全面禁煙にしています。

 禁煙対策や禁煙ブームは、ここ数年間加速度的に高まっていますが、輪をかけるように10月からはタバコ税率が上がり、1本あたり5円程度の値上げが実施される見込みです。また、一部の銘柄(外国製)は6月から1箱20円程度値上げされるようです。

 世界の歴史上、かつてこれほどまでに禁煙への取り組みがおこなわれたことはなかったのではないでしょうか。愛煙家にとっては生きにくい時代と言えるかもしれませんが、逆に禁煙を考えている喫煙者にとっては、チャンス到来とも言えます。

 太融寺町谷口医院にも禁煙治療を希望して受診される方が増えています。以前、このサイトで「谷口医院では禁煙の成功率は高いが、それは初めから成功しそうな人にしかおこなっていないから」、ということを述べました。それはそれで悪くはないかもしれませんが、同時に私には、それでいいのか・・・、という悩みがありました。

 まだ禁煙を考えていない人や、できれば禁煙したいとは考えているけれども成功しそうにない人に対しても、禁煙してもらう方法はないのだろうか・・・。あるいは、成功しそうな人でも100%が成功するわけではなく、いったん禁煙に成功して半年程度過ぎたあたりで再び喫煙を開始したという患者さんもときどきおられます。このような人たちには今後どのようなアプローチをすべきなのか・・・。

 そのような悩みを感じていたとき、日本禁煙推進医師歯科医師連盟という禁煙を支援する団体が禁煙指導者のトレーニングをしていることを知りました。私は、早速そのトレーニングを申し込むことにしました。このトレーニングプログラムがユニークなのは、単に講義やビデオを使った研修だけではなく、ワークショップが開催され、他の禁煙指導者と一緒になってケーススタディを学ぶことやロールプレイングができるということです。3月7日にそのワークショップが実施されたのですが、私には予想を上回る収穫がありました。

 まず、多くの指導者(主に医師と看護師)は、患者さんが禁煙したいと話したとき、私のようにその患者さんの禁煙に対する決意が中途半端であれば時期尚早と判断するのではなく、「簡単に始められて楽に続けられますよ」と話して禁煙を勧めていることが分かりました。

 しかし、私の経験上(自分自身のことも含めて)いったん禁煙に成功したとしても数ヶ月もすれば、吸いたくなる欲求に襲われます。そのときに、確固とした禁煙の動機を思い出すことができなければ、”1本の誘惑”に負けてしまうことになります。

 けれども、簡単に禁煙を勧める医師たちは、「それでもかまわない」、と言います。禁煙治療をおこなわなければまったく減ることのなかったタバコが、少なくとも禁煙治療中(薬服薬中)は、ほとんどの人がタバコを吸わなくなり、またそれ以降もある程度は禁煙期間が続く場合があるからです。

 ところで禁煙治療は保険を使っておこなうことができるのは12週間です。そしていったん終了すると、その後1年間は保険を使っての禁煙治療はできません。しかし、考え方をかえてみると、たとえ3ヶ月だけでも禁煙できたとすると、禁煙3ヶ月→喫煙1年間→禁煙3ヶ月→喫煙1年間→・・・、となり、単純計算で15ヵ月のうち3ヶ月は禁煙できていることになります。これを120ヶ月(10年間)続けたとすれば、このうち禁煙期間は24ヶ月(2年間)になります。10年のうち2年間は禁煙ができたなら、様々な病気のリスクをある程度は減らすことができます。

 しかもこの計算方法は、3ヶ月禁煙した後はすぐに喫煙を再開するという前提です。もしも、薬をやめてからもある程度禁煙が続いていたり、吸ってしまったとしても以前に比べて本数が減少していたりするなら、さらに喫煙による病気のリスクを減らすことが期待できるというわけです。

 さて、私自身は完全禁煙を遂行してから2年以上がたちますが、実は今でも吸いたくなることがあります。それも、突然強烈な欲求に駆られ、いてもたってもいられないような衝動に襲われることもあります。それでもタバコに再び手を出さないでいられるのは、禁煙の「動機」を思い出し、理性を取り戻すようにしているからです。

 私が、禁煙治療を希望する患者さんに必ず「動機」を尋ねるのは、自分自身の経験もあるからなのです。「動機」がしっかりしたものでなければ、数ヶ月の禁煙が続いたとしても、やがて誘惑に負ける時がやってくる・・・。このような考えから、私は「動機」が曖昧な人には禁煙治療をすすめていませんでした。

 しかしこれからは、(私自身は再び喫煙する気持ちはありませんが)、禁煙治療をおこなった患者さんが再び吸い出すことになったとしても、それでもいいじゃないか、と考えるようにしてみようと思っています。

 「とりあえずやってみましょうか」という気軽な気持ちで始めてみる・・・。こんな禁煙法を勧めてみることを検討しています。

参考:
はやりの病気第32回(2006年5月)「そろそろ本格的な禁煙を!」
はやりの病気第66回(2009年2月)「メンソールの幻想と私の禁煙」
禁煙外来

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2013年6月15日 土曜日

第78回(2010年2月) アトピービジネスとステロイドの誤解

 2010年1月13日、アトピー性皮膚炎を患っていた福岡県の生後7ヶ月の長男が両親から適切な治療を受けさせてもらえずに死亡したという痛ましい事故が起こりました。

 この両親はある宗教団体の職員で、その団体が提唱する「浄霊」という患部に手をかざす行為でアトピーを治そうとしていたそうです。この男児はアトピーから感染症を併発し、最終的には敗血症(細菌が全身に波及した状態)となり死亡したと報道されています。

 この両親は、マスコミの取材に対し、「信仰を重んじて病院へ行かなかった。子供を見殺しにしてしまった。人間本来の自然治癒力で良くなると信じていた。後悔している」と供述しているそうです(2010年1月14日読売新聞)。

 この宗教に問題があるのは明らかですが、私はこのニュースを聞いたときにまず感じたことは「ステロイド外用を中心とするアトピーの標準的な治療法に対する誤解はまだまだ根強いんだな・・・」というものです。

 最近は少し改善してきていますが、1980年代後半くらいからステロイドに対する誤解がはびこるようになり、医療機関で標準的な治療を受けることを拒否する患者さん(小児の場合は治療を受けさせることを拒否する親)が増えだしました。

 90年代前半にはある報道番組の人気キャスターが、堂々とテレビでステロイドに対する誤解を増長させるような発言をおこない、これが全国に波及しました。その結果、その直後からアトピー性皮膚炎が重症化し入院せざるをえなくなった小児が急増したと言われています。

 その後次々とアトピーが治ると謳った高額な化粧品、水(温泉水、酸性水、深海水など)、エステ、健康食品などが登場し、「アトピービジネス」という言葉が誕生しました。この背景には、標準的治療法であるステロイド外用剤に対する根強い誤解と偏見があります。テレビで堂々とステロイドが毒であるかのような発言をおこない、一般市民にステロイド恐怖を植え付けた先に述べたキャスターの罪は決して小さくないと私は考えています。

 もちろん「アトピービジネス」でアトピーが治れば何の問題もありませんが、実際にはほとんど治らないどころかむしろ悪化させているケースも少なくありません。ときどき治ったという報告もありますが、自然治癒したのかその治療で治ったのかの検証ができていません。もしもそのアトピービジネスで治るのなら、その後は「ビジネス」ではなく「標準的治療」として取り上げられるはずです。

 ステロイド恐怖を植えつけられた患者さんたちは、わらにもすがる思いで”奇跡の治療薬”を入手しようとします。最近話題になった事件としては、2009年3月に奈良県の化粧品販売会社が中国から仕入れた「がいようクリーム」というクリームに極めて強いステロイドが使われていたというものがありました。奈良県によりますと、ステロイドを使いたくないアトピーの患者さんが、”保湿クリーム”としてこの強力ステロイド入りクリームを使用していたそうです。

 医療の現場では顔面には絶対に使わないような強いステロイドが入っているクリームが「ステロイドが入っていないアトピーに効く奇跡のクリーム」として中国から輸入されるという事件はこれまでもときどき起こっています。これらが発覚するまでには相当の時間がかかるでしょうから、実際には強いステロイドが入っているとは気づかずに怪しげなクリームを使用している人は今も大勢いるのかもしれません。

 さて、ではなぜこのようにステロイドには大きな誤解があるのでしょうか。例えば、細菌感染に対する抗菌薬のように数日間の投薬で完治するような治療法であれば、アトピーに対するステロイドがこのように誤解されることもないでしょう。

 アトピーの場合、慢性疾患であることと、再び増悪することがあること、ステロイド外用の方法を必ずしも患者さんが適切におこなえていないこと(もちろんこの責任は説明不足の医師にありますが)などが、ステロイドの誤解の原因ではないかと私は考えています。

 「アトピーは完治しますよ」と患者さんに言ったときに、びっくりされることが多いのですが、アトピー性皮膚炎という病は、じっくりと向き合い適切な治療をおこなえば治らない病気ではありません。私の言葉で言えば、ステロイドが怖いのは、その副作用が怖いのではなく、「適切に使わないことによる弊害が怖い」のです。

 適切にステロイド外用を使えば1週間で改善しないケースはありません。そして(ここからが肝心です)、その後はタクロリムス(注1)と保湿剤のみと生活習慣の見直しで、ほとんどがほぼ治癒した状態になります。

 「生活習慣の見直し」といっても、仕事を変えなければならないとか引越しをしなければならないとか、そういうものではありません。また、ストレスを避けましょう、といった、もっともらしいけども実際には何をしていいか分からないようなものでもありません。アトピー性皮膚炎に必要な生活習慣の見直しとは、例えば繰り返しシャワーをおこなう(石ケンは不要です)とか、寝室の環境を整えて就寝時に汗をかかないようにするとか、乾燥シーズンには部屋を暖かくして加湿器を置く、とかそういった類のものです。

 患者さんからじっくり話を聞いてときどき感じるのが、ステロイドを適切に使えていない人が意外に多いというものです。ステロイドを怖がってからなのか、充分な量のステロイドを使っていない人は少なくありません。ステロイド(特に強いステロイド)は、「短期間にたっぷり塗って中止。その後はタクロリムス(注2)で維持する」が基本です。

 次に、ステロイドの使い分けについて、医師がきちんと伝えたつもりでも結果として患者さんに理解してもらっていないことがあります(これはもちろん医師の責任です)。私は全身に症状のあるアトピーの患者さんに対して、それなりに重症であれば、少なくとも2~4種類のステロイドを処方します。これは皮膚というのはその部位によってステロイドの吸収の度合いが全く異なるからです。例えば、掌や足の裏は吸収されにくいため、一般的には強いステロイドを使います。一方、顔面や陰嚢、外陰部など吸収されやすいところにはごく弱いものを使用します。もしも足の裏用のものと顔面用のものを逆に使ってしまうと、顔面は副作用に苦しめられ足の裏は一切効果なし、ということになってしまうのです。

 アトピーの治療の基本は、増悪時にはステロイドを適切に使うことです。「適切に」というのは、適切な強さのステロイドを適切な部位に適切な期間、適切な回数使うということです。そして、症状は必ず改善しますから、その後はタクロリムス(注3)と保湿剤の使用でいい状態を維持するのが基本です。

 もちろん、患者さんによって環境が異なり、状態が異なり、生活習慣も異なるわけですから、基本事項以外にも様々なバリエーションがあります。患者さんによっては食事指導をしたり(ただしそれほど厳密なものではありません)、漢方薬を処方したりすることもあります。

 ステロイドは使い方を間違えると副作用に苦しめられます。長年不適切な使用をしていたために取り返しのつかないような状態の皮膚になってしまっている患者さんもいます。しかしながら、強い炎症を取り除くための最初の治療法としては極めて有効な薬なのです。

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注1,2,3(2020年6月21日追記):従来は短期間のステロイド外用の後、タクロリムスでいい状態を維持する「プロアクティブ療法」が基本でしたが、2020年6月からはコレクチムで代用できるようになりました。

参考:はやりの病気第44回「患者さんごとのアトピー性皮膚炎」

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2013年6月15日 土曜日

第77回 子宮頚ガンのワクチンはどこまで普及するか 2010/1/21

2009年12月、子宮頚ガンの原因ウイルスであるHPVのワクチンがついに日本でも発売となりました。子宮頚ガンのワクチンは、2007年4月にオーストラリアで接種が開始されて以来、現在では世界100ヶ国以上で使用されています。
 
 日本でも随分前から発売が待ち望まれており、今回ようやく認可されたことは歓迎すべきことなのですが、ワクチンが高額であるためどこまで普及するのかはまだ分からないと言えます。ワクチンは医療機関にもよりますが、3回接種でだいたい5~7万円程度は必要になるのではないかと考えられています。

 一方、世界に先駆けてHPVワクチンの接種を開始したオーストラリアでは、12歳から26歳までの女性であれば誰でも公費で(無料で)ワクチン接種をおこなうことができますし、他の先進諸国でも費用の全額、もしくは一部が公費でまかなわれているようです。

 このウェブサイトでは何度も指摘しているように、日本という国は予防医学に力を入れているとは言えず、ワクチンに関しては完全に「後進国」であり、多くのワクチンが普及していませんし費用の公的負担も多いとは言えません。例えば、前回のコラムで紹介したインフルエンザ菌のワクチン(hibワクチン)もそうですし、新型インフルエンザをみてみても、先進諸国のほとんどが無料もしくは一部を行政が負担していますが、日本では生活保護受給者など一部の人を除いて全額自費(全国一律3,600円)となっています。

 このような「ワクチン後進国」の日本で、HPVワクチンがどこまで普及するか、私個人としては疑問に感じていたのですが、驚くべきニュースが2009年12月にとびこんできました。

 新潟県魚沼市が、予防接種を希望する10代前半の女性を対象として、ワクチンの費用の全額を負担することを発表したのです。同市の大平悦子市長が2009年12月10日の市議会でこれを表明しています。(報道は2009年12月11日の共同通信)

 子宮頚ガンのワクチンは、接種すればガンの発症を100%防げるというものではなく、接種したとしても一定の年齢になれば定期的なガン検診が必要です。しかし、公衆衛生学的にみれば、その地域の全女性に接種したとすれば、その地域の子宮頚ガンの発症を大幅に減らすことができます。

 このワクチンの有効率は7割以上と言われています。ということは、ワクチンを接種していなかったとしたら子宮頚ガンに罹患したと予想される7割もの人を救うことができるわけで、これは行政の立場からみれば医療費を大きく軽減させることにつながります。つまり、予防接種を徹底することによって、全額を行政が負担したとしても、結果としてその地域で必要な医療費が大幅に削減できることになるのです。

 このように長いスパンで考えれば、行政的には個人負担をゼロにして全額を行政負担にした方がずっと有益なわけですが、今のところ魚沼市以外の地域はこのような政策を発表していません。では、これから同市に追随してワクチンの全額(もしくは一部)を負担する市町村が登場するか、あるいは国の予算からワクチン負担が捻出されるかというと、事は簡単にはいかないのではないかと思われます。

 その最たる理由が、子宮頚ガンとHPVの説明を10代前半の女性に、さらに父兄に説明することが簡単ではないからです。

 周知のようにHPVは性交渉で感染します。ワクチン接種が10代前半の女性で特に大切なのは、「まだ性交渉の経験がない時点で接種すべきだから」です。教育者の立場からすれば、まず性交渉について教える必要があり、さらに性交渉によって感染する病原体があり、そのひとつがHPVであることを教育しなければなりません。

 すると、一部の保守的な人たちから、「少女に性交渉のことを学校で教育するなどけしからん! そんなことをすれば不順異性交遊が増えるではないか!」という意見が出てくるのです。私は、NPO法人GINA(ジーナ)の関係で、教育者の方々から、教育の現場でいかに性交渉や性感染症のことを教えるのが困難かという話をときどき聞きます。一部の教育者やPTAからの反対ばかりか、ときには右翼団体から嫌がらせをされることもあるそうです。

 そんななか、魚沼市が今回の決定をしたことに私は大変注目しています。今後同市でワクチン接種が徹底され、その後の追跡調査で同市の子宮頚ガン発症率が大きく減少することを楽しみにしたいと思います。そして、他の自治体も同市を見習って行政負担でワクチン接種を普及させてもらいたいと考えています。

 ところで、HPVワクチン普及に際して、私には2つの気になることがあります。

 1つは、HPV感染に対する誤解です。HPV(のハイリスク型)は、多くの女性が生涯を通して一度は感染すると言われています。ときどき、書物やインターネットなどに、HPV感染のリスクは、不特定多数との性交渉、危険な性交渉、などと書かれていますが、これは必ずしも正しくありません。なぜなら、生涯ただひとりの男性しか知らないという女性でもHPVに感染し子宮頚ガンを発症することがあるからです。

 私は、HPVというウイルスが世間に広く認識されるにつれ、子宮頚ガンの患者さんが「危険な性交渉の結果なんだから自業自得の病気だ」と思われないかを危惧しています。教育者の方には、HPVワクチンの説明をする際にこの点には充分に注意してもらいたいと考えています。

 もうひとつ、私が気になることは、HPVワクチンが普及することはもちろん歓迎すべきなのですが、HBVワクチン(B型肝炎ウイルスのワクチン)を忘れないでもらいたい、ということです。

 HBVは感染力が極めて強い感染症で、性感染で考えるとコンドームでも完全には防げません。感染後数ヶ月で劇症肝炎を起こし命にかかわる状態になることもありますし、また最近では慢性化するタイプのウイルスが増えてきています。HBVワクチンの接種は世界的には常識で、現在では国連加盟国192ヶ国中171ヶ国が生まれてくる子供全員にワクチン接種をしています。ところが、日本でHBVのワクチン接種をしている人はまだまだ多くはありません。

 実際に性感染症を心配している患者さんと話をしてみても、例えばHIVの知識は豊富なのに、HIVとは比べ物にならないくらい感染力が強く予防を考えなければならないHBVについては関心がなくて驚かされることがしばしばあります。HIV予防のスローガンで「コンドームをしていればHIV感染は防げます」と言われますが、これはHBVのワクチン接種を済ませているということが前提です。もしも医療現場で院内感染を考えるときに、HBVをないがしろにしてHIV対策ばかりやっていれば本末転倒と言わざるをえません。性感染症の予防も同じことです。

 今のところ、地方自治体でHBVワクチンを行政負担でおこなっているところはないと思われます。HPVワクチンが接種したとしても子宮頚ガンのリスクをゼロにすることはできず、ワクチン接種の有無に関わらず定期的な子宮頚ガンの検診を受けなければならないのに対し、HBVはワクチン接種をして抗体をつくればほぼ100%感染を防ぐことができます。HPVワクチン普及と同時に、HBVワクチンの重要性も世間に伝わってほしいと切に願います。

参考:「子宮頚ガンとHPVワクチン」

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2013年6月15日 土曜日

第76回 インフルエンザ菌とそのワクチン 2009/12/21

通常「インフルエンザ」と聞けば、ほとんどの人は「インフルエンザウイルス」を思い浮かべるのではないかと思います。現在世界規模で流行している「新型インフルエンザ」も、もちろん「インフルエンザウイルス」に属します。

 「インフルエンザウイルス」の他に、「インフルエンザ菌」という細菌が存在することをご存知でしょうか。今回は、インフルエンザ菌に感染すると、ときに重症化をきたし、特に子供では死亡例も少なくない、という話をしたいのですが、まずは、なぜこのようなややこしい名前の細菌が存在するのか、ということについてお話したいと思います。

 インフルエンザウイルスは、現在流行している新型インフルエンザ以外にも、これまでスペイン風邪、アジア風邪、香港風邪などのように歴史に残る流行をみせています。20世紀以前にも、世界史を変えるような流行が何度もあったと考えられています。

 19世紀の後半、ヨーロッパでインフルエンザが大流行をみせましたが、原因となる病原体はなかなか発見されませんでした。そんななか、ドイツのある細菌学者(北里柴三郎という説もあります)がインフルエンザに罹患している患者の咽頭からある細菌を見つけ出すことに成功し、これがインフルエンザの原因菌と考えられ、「インフルエンザ菌」と命名されました。

 ところがこれが誤りであったことが後に判明します。この患者の咽頭にインフルエンザ菌が存在していたのは”たまたま”であり、高熱などの症状の原因となっていたのはインフルエンザウイルスであったと理解されるようになりました。

 では、なぜインフルエンザウイルスがなかなか発見できなかったのかというと、当時の微生物学の知識と技術ではウイルスの存在が分からなかったのです。通常の光学顕微鏡では見えないウイルスの存在は、1935年にアメリカのスタンレーという学者がタバコモザイクウイルスの結晶化に成功したときに初めて科学的に証明されたのです。

 では話を戻しましょう。

 インフルエンザウイルスが毎年のように流行し誰でも知っている感染症なのに対して、インフルエンザ菌は一般的にはあまり馴染みがないと思われます。しかしながら、この細菌により死亡している5歳未満の小児は、世界で年間371,000人(2000年)にもなるというデータがあります。(『Lancet』2009年9月12日号)

 インフルエンザ菌が原因となる最も重要な疾患は髄膜炎です。髄膜炎は、脳や脊髄を覆う髄膜に病原体が侵入し炎症を起こす病気です。細菌性の髄膜炎は重症化しやすいのですが、その約6割はインフルエンザ菌が原因です。インフルエンザ菌が原因の髄膜炎に罹患すると、約5%が死亡し、15~20%は発達の遅れ、てんかん、聴覚障害などの後遺症を残すと言われています。

 死亡者の多くは衛生環境の整っていない発展途上国であるのは事実ですが、日本でも毎年何十人もの子供が亡くなっています。一方、日本以外の先進国ではインフルエンザ菌による死亡者はほとんどいません。これはなぜかというと、インフルエンザ菌には優れたワクチンがあるからです。ワクチン接種をきちんとしておけばこの病原体に悩まされることはないのです。

 では、なぜ日本ではインフルエンザ菌によって死んでしまう子供が少なくないのか。これはもちろん日本人がワクチンをうたないからです。麻疹(はしか)が流行する先進国は日本だけ、というのはこのウェブサイトで何度もお伝えしていますが、麻疹の場合は、ワクチンが存在しているのにもかかわらず意図的に接種しない人(させない親)が少なくないからです。(参考までに、2001年度に麻疹に罹患したアメリカ人は116人なのに対し、日本人は278,000人にもなるというデータがあります)

 インフルエンザ菌の場合は麻疹とは事情が異なります。インフルエンザ菌のワクチンが日本で接種できるようになったのは、なんと2008年12月からです。参考までに、アメリカでは1987年よりすでに定期的に接種されています。つまり、国がワクチン接種を最近まで認めていなかったために接種しようと思ってもできなかったというわけです。

 2008年12月からは日本でも接種できるようになりましたから、これで一安心、と思いたいところですが、現実は少し厳しいようです。その一番の理由は費用です。

 日本ではワクチン接種を「定期予防接種」と「任意予防接種」に分けています。「定期予防接種」は公費で、すなわち無料で接種することができるのに対して、「任意予防接種」は無料にならないどころか保険適用もありませんから全額自費となります。現在定期予防接種に指定されているのは、小児のBCG,破傷風・百日咳・ジフテリアの三種混合ワクチン、麻疹、風疹、日本脳炎、ポリオウイルスと、65歳以上のインフルエンザのみで、これら以外は「任意」となります。また規定の年齢を外れればやはり「任意」となり有料となります。

 インフルエンザ菌のワクチンは「任意予防接種」であり、さらに合計4回(生後2~7か月の間に3回、1歳で1回の合計4回)の接種となりますから金銭的負担がかなりのものになります。医療機関によって値段は異なりますが、だいたい4回で3万円前後のところが多いようです。

 3万円となると負担できない人(親)は少なくないと思われます。そして、このワクチンがスムーズにおこなえない理由がもうひとつあります。それは供給不足です。インフルエンザ菌のワクチンが重要なのは随分前から指摘されていましたから、わが子に接種したいと考える親御さんたちは少なくありません。麻疹ワクチンの接種率が低すぎる一方で、予防医学に対する関心が高い人も大勢いるのが日本の現実というわけです。

 供給不足は深刻化しており、各地でインフルエンザ菌のワクチンが不足することとなり、4回目の追加接種を待ってほしいと呼びかける医療機関が現在相次いでいます。

 さて、私がインフルエンザ菌のワクチンを検討しているのは、小児だけでなく成人の免疫不全状態にある人、あるいは免疫力が低下している人に対してもです。WHOは2006年に、「年長小児や成人でも、HIV感染者、免疫グロブリン欠損者、造血幹細胞移植を受けた者、悪性腫瘍で化学療法を受けている者、無脾症者なども少なくとも1回は接種を受けるべきである」とコメントしています。(WHO, WER, 81, No.47, 445-452, 2006)

 特に私が懸念しているのは、日本で増加の一途にあるHIV陽性者に対しての予防接種です。また喘息や糖尿病などの持病がある人にも積極的に接種すべきではないかと考えています。実際、インフルエンザ菌は髄膜炎の起炎菌だけではなく、細菌性肺炎の原因菌としては肺炎球菌に次いで2番目に多いのです。

 しかし現実は、ワクチンが認可されてまだ1年しかたっておらず、供給量が不足しているわけですから、成人に対する予防接種が浸透するのは当分先のこととなるでしょう。

注:インフルエンザ菌の学名は「Haemophilus influenzae type B」です。これを略し「hib」という言い方も普及しています。書物やウェブサイトによってはインフルエンザ菌のワクチンを「hibワクチン」としているものも多数あります。

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2013年6月15日 土曜日

第75回 ニキビの治療は変わったか 2009/11/20

このコラムの2008年10月号でお伝えしたように、2008年10月21日にアダパレン(商品名はディフェリンゲル)が発売になり、ニキビの治療の歴史が変わりました。

 アダパレンは海外では10年以上の歴史を持ち、世界的にはニキビの第1選択薬として広く使われています。しかし、日本では、ピリピリするといった副作用があることや、妊婦・授乳婦には使えない、などといった否定的な側面が懸念されてなのか、2008年になってようやく認可が下りたのです。

 アダパレンが保険適用となり、当院でも多くのニキビの患者さんに処方するようになりました。(保険適用になるまでは自費で処方していました) 副作用の出現頻度は、やはり以前から報告されている通り数パーセントの患者さんにみられます。ただし、大半はピリピリするという副作用はしばらく使い続けているうちに消えていきますし、カサカサするという症状は医療用の保湿剤などを併用することによりかなり改善されます。

 しかしながら、なかには赤く腫れたり、使えば使うほど痒みが増していったりというケースもあり、こうなれば使用を中止しなければなりません。

 さて、日本皮膚科学会では、アダパレン発売後、「ざ瘡(ニキビ)治療ガイドライン」というものを制定しました。同学会は、「欧米のガイドラインをそのまま踏襲することはせず・・・」と述べていますが、完成したガイドラインをみてみると欧米のものとそう大差はありません。ということは、世界中のどこにいってもニキビのガイドラインは大きく異なることはない、ということになります。

 ガイドラインでは、ニキビの重症度に応じておこなわれるべき治療法が推薦されています。そして、治療法にはA、B、C1、C2の4段階のランクが付けられており、これらは以下のように定義づけられています。

 A:行うよう強く推奨する
 B:行うよう推奨する
 C1:良質な根拠は少ないが、選択肢の1つとして推奨する
 C2:充分な根拠がないので(現時点では)推奨できない

 では、簡単にガイドラインにある治療法を紹介していきましょう。

 まず、Aとして推奨されているのは、アダパレン、抗菌薬(抗生物質)外用及び内服で、これら3つの治療は、だいたいどの重症度でも推奨されています。

 Bとされているのは、ステロイド局注ですが、これは「少数の嚢腫/硬結をふくむもの」に対してだけなので、重症化した局所の治療に限定されます。

 C1もしくはC2とされているのは、ケミカルピーリングやイオウ製剤、漢方薬などです。

 最も古典的なニキビ治療薬のひとつであるイオウ製剤はCのランクになっているわけですが、私はアダパレンの登場でますますイオウ製剤が使われる機会が減るのではないかと考えています。というのは、アダパレンを使用すると、もちろん個人差はありますが、肌がカサカサしたり乾燥したりすると言う人が少なくないからです。乾燥した肌にイオウ製剤を外用するとピリピリとした痛みが出現することになりかねません。

 ケミカルピーリングがCにランクされていることを意外に感じる人は少なくないのではないでしょうか。ケミカルピーリングは、アルファヒドロキシ酸 (AHA) やサリチル酸などの薬剤を皮膚の表面に塗布し、新陳代謝の悪くなった角質層を剥がす治療法で、1990年代半ばあたりからニキビやシミ・クスミの改善目的で使用されるようになってきました。当初は医療機関よりもエステティック業界で取り入れられ、トラブルや誤解も相次いだという経緯があり、2001年に日本皮膚科学会がケミカルピーリングのガイドラインを制定しました。保険適用はないものの、数多くの医療機関で自費診療としてケミカルピーリングが開始されるようになり、実際ニキビの治療に積極的に推薦する医師が増えました。

 「日本皮膚科学会ケミカルピーリングガイドライン」には、疾患ごとに、どの程度ケミカルピーリングが推奨されるかが記載されています。各疾患が「高い適応のある疾患」「適応のある疾患」「適応の可能性を検討すべき疾患」のいずれかに分類されており、「高い適応のある疾患」、すなわち、積極的にケミカルピーリングを検討しましょう、と考えられている疾患はニキビだけです。

 つまり、ケミカルピーリングの立場からみたときには、ニキビが最も効果があるとされているというわけです。一方で、ニキビの立場からみたときにはケミカルピーリングはCのランクしか付けられていないということになります。

 こう考えると、ケミカルピーリングは以前謳われていたほどの有効性が期待できないのでは、と感じられます。

 そして、さらにケミカルピーリングがニキビに関して他の治療法よりもおこないにくい理由があります。

 それは、ケミカルピーリングには保険適用がなく全額自費になること、それに定期的に通院しなければならないことです。要するに、ある程度お金と時間に余裕のある人しかこの治療は続けられないということになります。その上、少なくともニキビに関しては他にもっと有効と考えられている治療法がある、とされているわけですから、今後需要が減っていくことが予想されます。

 もっとも、ケミカルピーリングが完全に姿を消すかというと、そういうことにもならないと思われます。なぜなら、それほど医学的な根拠があるとは言えないものの、実際にはシミやクスミがとれたとか、肌が白くなりキメが細かくなったという人もいるからです。今後ケミカルピーリングは、医療現場ではなくエステティック業界が中心となるのではないかと私はみています。

 日本皮膚科学会の「ざ瘡(ニキビ)治療ガイドライン」では推薦されていませんが、過酸化ベンゾイル(benzoyl peroxide)という治療薬があります。これは、海外の多くの国では薬局で販売されており、医師の処方せんがなくても購入することができます。副作用はほとんどなく、高い効果が期待できて、なおかつ値段が安いという大変魅力的な製品なのですが、なぜか日本では発売されていません。

 過酸化ベンゾイルは、米国製のプロアクティブ(Proactive)の主成分のひとつでもあります。ときどき、「プロアクティブはアメリカ製のはよく効くけど、日本製のものは・・・」という声を耳にしますが、この理由のひとつが、日本のプロアクティブには過酸化ベンゾイルが入れられていないことではないかと思われます。

 現時点では、過酸化ベンゾイルを入手しようと思うと個人輸入しかありません。(当院でも海外からの仕入れを検討していますが現時点では目処がついていません) しかしながら、アダパレンが広く使われるようになり、使いやすい抗生物質の外用薬・内服薬がそろっていますから、昔の治療(ビタミン剤や漢方薬が中心だった!)に比べると、ニキビの治療は随分と進化していると言えるのではないでしょうか。

参考:はやりの病気第62回「ニキビの治療が変わります!」

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2013年6月15日 土曜日

第74回 混乱する新型インフルエンザ 2009/10/21

2009年10月16日、厚生労働省の「新型インフルエンザワクチンに関する意見交換会」にて、13歳以上への新型インフルエンザワクチン接種回数を見直し、1回とする意見がまとめられました。

 ところが10月19日、今度は接種を1回にするかどうかの決定を先送りすることが発表されました。したがって10月19日の時点では、厚労省は現時点では2回接種を原則としていることになります。

 新型のワクチンは原則2回接種としておき、16日に突然1回接種とするとし、その3日後に2回接種に戻す、としているわけですから国民の多くはわけがわからなくなっていることでしょう。現場の医療機関でも、19日から医療従事者を対象にワクチン接種を開始していますが、急遽「2回接種を原則とする」とされたことによって混乱が生じています。そして、その後発表された方針では、「20から50代の医療従事者は1回接種とする」とされています。

 このような二転三転する厚労省の対応を批判する声も少なくないようですが、私自身としてはやむを得ないのではないかと考えています。そもそも、感染力の強さも重症度の程度も死亡率もワクチンがどれだけ有効かさえもよく分かっていない状況で、常に完璧な対応を求めることは不可能です。

 さて、ワクチンはいつ接種できるのか、というのが多くの人にとって一番の関心ごとだと思いますが、現時点でいったい新型インフルエンザはどの程度の感染症なのかということについて、まずはまとめておきましょう。

 日本での感染者は、7月以降の感染者が推計で累計234万人と試算されています。(報道は10月16日の毎日新聞など) 死者数は10月16日の時点で27人と発表されています。(報道は10月16日の共同通信など)

 単純にこれらの数字から死亡率を計算すると0.001%ということになり、それほど重症化しないのでは?と感じられるかもしれません。

 しかしながら、比較的若い世代に重症者が多いこと、(糖尿病や気管支喘息といった)持病のない人にも死亡者が少なくないことを考えると、従来の季節型インフルエンザとは異なると考えるべきです。

 海外の発表をみてみましょう。

 まず、新型インフルエンザで死亡した人は、10月11日時点で、世界中で4,735人に達しています。(報道は10月19日の共同通信)

 WHO (世界保健機関)は、冬に新型インフルエンザが流行したオーストラリアやニュージーランドでは「集中治療室(ICU)に収容された患者が例年の4~8倍に上った」と発表しています。新型は季節型インフルエンザと異なり、健康だった人が重症化するケースが多いのが特徴で、こうした患者は症状が出てから3日以内に悪化するとコメントしています。

 『New England Journal of Medicine』という医学誌の電子版10月18日号に掲載された
「Critical Care Services and 2009 H1N1 Influenza in Australia and New Zealand」という論文によりますと、オーストラリアとニュージーランドで、新型インフルエンザで集中治療室(ICU)に入った患者のおよそ3分の1は基礎疾患がまったくなく、集中治療室収容者の65%が人工呼吸器を必要としたそうです。

 アメリカでは、4月から8月に全米10州で、新型インフルエンザで入院した1,400人のデータを解析したところ、46%の人は喘息や糖尿病といった持病がまったくなかったそうです。(報道は10月15日の共同通信)

 また、中南米では新型インフルエンザの死亡率が2%前後の国が多く、メキシコでは7月6日の報告で1.16%を記録していました。この記事は10月14日の「Medical Tribune」という電子媒体が報道していますが、同報道によりますと、メキシコでは4月23日からタミフルを無料配布し、この1週間後から新型インフルエンザによる重症者及び死亡者が激減したそうです。

 このような情報が入ると、ワクチンだけでなくタミフルにも期待をしたいところですが、WHO(世界保健機関)は9月25日の時点で、タミフルが効かない(タミフル耐性)の新型インフルエンザが全世界で28例報告されたと発表しています。(報道は9月29日の共同通信)

 新型インフルエンザの確定診断がついていなくても、「症状から疑わしいと医師が判断したときはタミフルを積極的に投与すべき」との方針が9月18日に厚労省から出されていますが、これには異論もあります。タミフルの副作用が少なくないとする報告があるからです。

 10月11日、日本予防医学リスクマネージメント学会が開催したシンポジウム「医療機関のための新型インフルエンザ対策」で発表されたなかに、タミフルの副作用を報告したものがあり、その発表によりますと、タミフルを服用した215人のうち、何らかの有害事象があったと回答した人は82人に上り(38%)、最も多かったのは30人近くが訴えた疲労です。そのほか、下痢、嘔気、傾眠、腹痛、食欲不振、嗜眠、頭痛、不眠症、発熱などが認められたそうです。

 タミフルに関しては、CDC(米疾病対策センター)は9月8日、新型インフルエンザに感染しても、健康な人はタミフルやリレンザなど抗ウイルス薬による治療は原則として必要ないとする指針を発表しています。(報道は9月9日の読売新聞) ということは日米でタミフルの処方に対する考え方が大きく異なっているということになります。

 特効薬のタミフルは効かないケースもあり副作用も少なくないとすると(もうひとつの特効薬であるリレンザも死亡例の報告があります)、やはりワクチンに期待したいところですが、どこまで効果があるのか、また副作用はどうなのかという点について、はっきりしたことは誰にも分かりません。

 WHOの報告によりますと、中国で39,000人に新型インフルエンザのワクチン接種をした結果、副作用はわずか4人にとどまっており、いずれも頭痛などの軽症とされています。(報道は10月7日の日経新聞) しかしながら、重篤な副作用というのは数十万人に1人程度の割合で発症しますから、39,000人が母数のデータでは「絶対安全」とは言えません。

 日本のマスコミでは、輸入ワクチンにはアジュバントと呼ばれる免疫賦活剤が使われているため副作用が未知数であるとしているものがありますが、これも実際のところはよく分かりません。(厚生省が日本のワクチンメーカー4社と癒着しており、自分たちの利権を守りこれら4社を保護するために、輸入品が危険であるかのような言説をおこなっているとの噂もありますが、真実はよくわかりません)

 また、輸入ワクチンを「金にものを言わせて日本が輸入してもいいのか」という議論もあります。

 例えば、WHO(世界保健機関)の進藤奈邦子医務官は7月16日、都内での講演会後に記者会見し、日本が新型インフルエンザのワクチンを海外から輸入する考えを示していることについて「国際社会で希少なワクチンをさらに日本が買ってしまうのか、私としては残念な印象を持った」とコメントしています。(報道は7月16日の共同通信)

 各国の行政の対応をみてみると、ギリシャとイスラエルはすでに8月に全国民にワクチン接種することを発表しています。イギリスも全国民が2回接種できる量を確保すると8月13日にBBCが伝えています。ニューヨークでは、100万人の子供に無料接種するとマイケル・ブルームバーグ市長が発表しています。

 一方、日本では全国民の分が確保できない状態であり、輸入に頼ることは途上国の分のワクチンを奪うことになり、また副作用の懸念が大きく報道されており、接種回数も二転三転し・・・、と他国に比べると頼りない感じがしますが、一方では、死亡者が少なくとも現時点では他国に比べて極めて少ないという誇るべき点もあります。

 いったい何が正しくて何を信用すべきなのか・・・。新型インフルエンザは”新型”なわけですから絶対的に正しいことは誰にも分かりません。当分の間、二転三転するとしても行政の発表に注目するのが現実的な対処法でしょう。

参考:
はやりの病気 第72回(2009年8月号)「新型インフルエンザの対策は充分か」
はやりの病気 第70回(2009年6月号)「新型インフルエンザの行方」
はやりの病気 第69回(2009年5月号)「疑問だらけの新型インフルエンザ」

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