はやりの病気
第12回 エイズと差別 ① 2005/07/16
私は、いわゆる「エイズ専門医」ではありませんし、これからも「エイズ専門医」になる予定はありません。その理由はいくつかありますが、最大の理由は、「エイズの専門治療に専念するのではなく、HIV陽性の方のかかりつけ医となって、風邪や頭痛から、ケガ、あるいは不安・不眠症状やうつ状態などまで、あらゆる症状を幅広くみたいから。そしてエイズ発症者に対しては、エイズ専門医と協力しながら、どんなことでも患者さんと一緒に考えることのできる医師を目指すから」というものです。
先日(2005年7月1日から5日まで)、神戸でICAAP(アジア・太平洋国際エイズ会議)が開催されました。この会議の参加者は、約2,800人で、アジアを中心とした世界中から多くの人が集まりました。通常の学会や国際会議と異なり、参加者は医師中心ではなく、むしろ、HIV陽性の方や、ドラッグユーザー(及びその擁護者)、セックスワーカー(及びその擁護者)、ボランティア、学生、NPO法人・・・、などたくさんの職種の方が集まりました。
通常の学会と異なり、展示場では、複数のグループが、音楽やダンスを披露したり、また夜には、いろんなグループが、神戸のいくつかの店を借り切って様々なイベントを開催していました。
学術的な発表以外にも、多くのワークショップが開かれ、世界中の人と意見を交換することができました。
ただ、ひとつ残念だったのは、日本人の参加者が少なかったということです。発表によると、日本人は800人しか参加していなかったそうです。そして、さらに残念なのは、日本の厚生労働大臣をはじめ、官僚がほとんど参加していなかったということです。WHOや国連のトップの方々はそろって参加されていた、のにです。
これには、世界中の方々が驚いていたようで、「日本のエイズに対する関心が低いことがよく分かった。それが分かっただけでも日本で開催した意味があったのではないか。」と発言されている人もおられました。
これはもちろん皮肉でありますが、日本のマスコミの方の参加が少なかったことも踏まえて考えると、日本ではエイズとは過去の忘れ去られた病気とでも思われているのでしょうか。
さて、エイズについてはお話すべきことが山ほどあるのですが、まずは日本の現状を確認しておきましょう。
厚生労働省の最新の発表では、日本のHIV陽性者とエイズ発症者の累計は、約1万人です。UNAIDSという国連の下部組織の統計では、約1万2千人となっています。よく、「先進国で感染者が増えているのは日本だけ」という言われ方をしますが、これは正確には誤りで、お隣の韓国も感染者が増えており、その上昇の仕方は、日本よりも深刻です。
次に、言葉の定義にうつりましょう。HIVとエイズの違いを言えるでしょうか。実は、正確にこれらの違いを言える人はそう多くはありません。医療従事者のなかにもよく分かっていない人がいます。
HIVとは「human immunodeficiency virus」の頭文字をとったものであり、日本語では「ヒト免疫不全ウイルス」といいます。つまり、HIVとはウイルスの名称です。
次にAIDSですが、これは「acquired immunodeficiency syndrome」の略で、日本語では、「後天性免疫不全症候群」といいます。つまりエイズとは病気の名前です。
そして、ここからがあまり知られていないのですが、エイズとは「単にHIV感染者の免疫力が低下した状態ではない」、ということです。エイズと診断するには、①HIV陽性であること、②特定23疾患のいずれかを発症している、の2つを満たしてなければなりません。
23疾患のそれぞれをここでは述べませんが、有名なカリニ肺炎やカポジ肉腫なども含まれています。ただ、この23疾患にもそれぞれに規定があって、例えば23疾患のひとつである、「ヘルペス感染症」は、「一ヶ月以上持続する粘膜、皮膚の潰瘍を呈するもの」という取り決めがあります。つまり、HIV陽性の人が、性器ヘルペスを発症しても、薬を塗って2週間程度で治ってしまえば、これはエイズではありません。
さて、言葉の定義よりも重要な問題があります。これは誤解している人がいまだに大勢いるのですが、「HIVに感染しても必ずエイズを発症するわけではない」ということです。
現在は、抗HIV薬で優れたものがたくさん開発されており、適切な時期に、専門医の指導のもとで、適切に薬を服用すれば、エイズの発症を防ぐことができます。寿命が縮まるわけではなく、エイズとは「死に至る病」ではないのです。このあたりの情報が適切に社会に浸透していないことが、「いわれのない差別」が発生する原因のひとつではないかと思われます。
また、HIVに感染しても、必ずしも全員が、無治療であってもエイズを発症するわけではない、という事実もあります。これは、現在多くの研究機関によって調査されていますが、どうやら特定の遺伝子を持つ人にこの傾向がみられるようです。
それから、「HIVに感染すると二度と性行為ができない」と思っている人がいるのも残念なことです。実際はまったくそんなことはありません。もちろん、コンドームは必要ですが、HIV陽性者の人も、陰性者と同様、性行為を楽しんでいます。
さらに、母子感染もかなりの確率で防げるということは知っていただきたいと思います。たしかに、少し前までは、HIVの母子感染が問題になっていました。現在でも、例えばタイ国などでは、地域にもよりますが、母子感染が後を絶ちません。
しかしながら、最新の医学をもってすれば、かなりの確率で母子感染を防げるのです。父親だけが陽性者であれば、精子からウイルスを取り除く技術がかなり実用化されていますし、母親が陽性者であっても、専門医が帝王切開することにより、ほとんど感染を防ぐことができるのです。
もちろん、HIVは容易に感染するようなウイルスではなく、HIV陽性者とキスをした、とか、HIV陽性者と鍋をつついた、とか、一緒に風呂に入った、というようなことでは感染しません。
このように考えると、HIV陽性者の方が、社会から差別を受ける理由はまったく見当たりません。性感染は確かに起こりえますが、コンドームを使用することによって完全に防ぐことができます(ただし、オーラルセックスの際にもコンドームを使用しなければなりません)。
血液感染も起こりえますが、こんな病気は山ほどあるわけで、HIVだけが差別されるのはおかしいわけです。
ひとつ例をあげましょう。HTLVというウイルスがいます。これは日本に感染者が多く、日本国内で120万人のキャリア(ウイルスを保有していて病気を発症していない状態の人のこと)がいると言われています。このウイルスは「成人性T細胞白血病」という白血病をおこします。白血病のなかには、化学療法で劇的に治癒するタイプのものもありますが、この白血病は有効な治療法がありません。
また、HTLVに感染すると、「成人性T細胞白血病」を起こさなかったとしても、「HAM」と呼ばれる、神経の病気が起こることがあります。これを発症すると、全身が動かなくなり車椅子の生活を強いられることも珍しくありません。そして、「HAM」の場合も有効な治療法がありません。
そして、HTLVは、HIVと同様、血液と精液に含まれており(ただし腟分泌液には含まれていません)、注射針の使いまわしや性行為で感染します(ただし女性から男性には感染しません)。
HIVに感染しても薬を飲むことでエイズが発症しないのに対して、HTLVは有効な治療法がないのです。ということは、HIVが差別の対象になるのなら、HTLVはもっと差別されなければ論理的な整合性がとれません。
もちろん、私は、日本に120万人いるHTLVのキャリアを差別せよ、と言っているわけではありません。
HIV陽性者やエイズ発症者が、社会的差別を受けるのは、はなはだおかしい、と言いたいわけです。
つづく
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