マンスリーレポート

2013年6月13日 木曜日

2011年10月号 私の英語勉強法

 このコラムでは過去2回に渡り勉強について述べてきました。今回はもう少し具体的な勉強法の話として「英語」を取り上げたいと思います。英語は大学受験を含む多くの試験で必要ですし、多かれ少なかれ大半の仕事で必要(少なくとも英語ができれば有利)と言えるでしょう。最近では楽天やユニクロ(ファーストリテイリング)のように英語が社内公用語となる企業も出てきました。

 すべての日本人が強制的に英語を学ばなければならないということはありませんが、あえて「英語を学ばない」という選択をすべき立場の人というのもまた多くはないでしょう。「英語ができることで得られるメリット > 英語を勉強することでかかる時間とコスト」、と考えられる人が実際は大半を占めるのではないでしょうか。

 私自身のことを振り返ってみると、英語には随分助けられている、というか、英語ができなければこれまでの人生は全然違うものになっていたでしょうし、これからの人生も大きく異なったものになるに違いありません。

 といっても、私は自分の英語の能力は「上手」とか「得意」と言えるレベルでは決してありません。発音は今でも自信がありませんし、英字新聞を読むときに知らない単語が出てくることがあり辞書は今でも必要です。映画を字幕なしで見ることはありますが、きちんと理解できているわけではありません。(そのため、後で字幕をみるとまるで違った理解をしていた、ということがしばしばあります)

 というわけで、私自身がまだまだ発展途上の段階にあるのですが、それでもこれまで、多少英語ができるようになって随分と得をしています。そもそも私は、英語が苦手で嫌いでしたから、1991年に企業(商社)に就職したときは、人事部に対して、「僕は英語が苦手ですから海外事業部ではなく国内営業を希望します」と言ったのです。しかし、配属されたのは海外事業部・・・。その発表を聞いたとき、人事部のH部長をうらんだことを今でも覚えています。

 しかし、入社早々、希望していない部署に配属になったからという理由で退職するというわけにもいきませんし、劣等感と抑うつ感を感じながらも新入社員として働く(というより先輩社員に迷惑をかけながら研修させてもらったというのが実情ですが)ことになりました。働き始めた当初は、回ってくるFAXや文書が英語ですから訳が分かりませんし、電話がなると恐怖におののいていました。

 企業が社員を採用する条件というのは、「その社員を雇うことにより企業に得られるメリット>その社員を雇うことによりかかるコスト」、となるときだと思いますが、私は少なくとも最初の2年間はいくらひいき目にみても、私がいることで企業に利益をもたらすということはありませんでした。
 
 今思えば、私にとって生まれて初めて真剣に長期間勉強したのがその時期でした。大学(関西学院大学)受験時は、直前2ヶ月でほとんど過去問を暗記するのみ、という勉強を、学校もさぼって1日15~16時間くらいしましたが、これはわずか2ヶ月間のことです。関西学院大学時代は、勉強はたしかに好きにはなっていましたが、それは「興味のある分野の本を読むのが好き」という程度であり、真剣に勉強したとは言えません。長期間に渡り毎日「勉強」を、つまり「強いられておこなう勉強」をおこなったのは会社員時代の英語が初めてだったというわけです。

 後で述べますが、現在と当時(1990年代前半)は英語の勉強に対する環境が随分と異なります。現在はお金をかけずに大変効率のよい勉強をすることができます。ここでは、当時の苦労話をしても仕方がないので、これから英語を勉強しようと考えている人の参考になるような勉強法を紹介したいと思います。

 まず、よくある質問が「英会話学校はいいですか」というものですが、結論から言えば私はすすめません。私自身も入社直後から就業後に英会話学校に週2~3回通っていましたがあまり効果はありませんでした。もちろん予習や復習もしましたが役に立った実感はありません。この最大の理由は、先生一人に生徒が複数だから、というものです。複数の生徒であれば英会話学校というのは時間をかけるほどの価値はないというのが私の考えです。(では、マンツーマンならいいのか、となりますが、これについては後で述べます)

 次に、CDを聴く、ラジオ(ニュースや英語講座)を聴くという方法ですが、通勤時間や車の中で聞くことは悪くはありませんが(注1)、自宅での勉強にはすすめません。なぜなら、テレビ(注2)やインターネットを使う方がはるかに有効だからです。

 1991年から現在も続けている私の勉強法のひとつはNHKのテレビ講座です。NHKはいつも初心者から上級者向けの複数の英語講座を用意してくれています。そして、これらはいずれのプログラムも非常によくできています(注3)。私は複数の英語勉強用のプログラムをテレビのハードディスクに録画して後から見るようにしています(注4)。

 これらNHKの英語勉強用のプログラムには、専用のテキストも販売されていますが、買う必要はないと思われます。(もちろん買ってもかまいませんが・・・) 話される内容のキャプションがでますから、必要あればそれを書き留めればテキストは不要というわけです。書き留めるときにも、まず英語を聴き取ってそれを書いてあとからテレビ画面をみて確認するという方法をとれば、大変有効な書き取り(dictation)の勉強になります。

 おそらく私はこれからも、日本に住んでいる限りは、NHKの英語勉強プログラムは一生見ることになると思います。それくらい、有効で楽しく勉強できるツールなのです。

 他にテレビを用いた英語の勉強で私が長年おこなっていたのは、NHKの夜7時のニュースを英語で見るという方法です(2ヶ国語放送ですから録画しておいて後から副音声でみるのです)。いきなりBBCやCNNは難易度が高いですし、これらは有料になります。NHKのニュースであれば、通訳者が日本語を聞いて同時通訳しているために、平易な英語が使われ、聴き取りやすいのです。

 しかし、現在私はこの勉強はしていません。もっと有効な方法があるからです。それは、NHKのウェブサイトで英語のニュースを聞くという方法です。この方法が有効なのは、キャスターが話す英語が、その横に記載されているからです。同じようなサイトはBBCでもありますからこちらもおすすめです。インターネットであれば無料ですから、私はわざわざ英語を勉強するためにお金を払ってBBCを契約する必要はないと考えています。(実際、私はBBCのウェブサイトが充実しだしてから有料のBBCの契約を解除しました) また、Voice of Americaのサイトは、英語をゆっくりと発音してくれますのでdictationを本格的に勉強するには適しています。

 これまで述べてきたNHKのテレビ、インターネットを用いたニュースでの勉強はほとんど無料でおこなえます。特にインターネットの登場は英語の勉強を劇的に変化させました(注5)。しかも、これがほぼ無料なのですから、英語の勉強法はわずか20年で革命的に進化したといってもいいでしょう。

 無料ではありませんが、もうひとつ英語の勉強におすすめしたい方法があります。それは、英語を母国語とする外国人をみつけてプライベートレッスンを受けるという方法です。インターネットを使えば簡単に講師がみつかります(注6)。

 以前私は1年間ほど週に一度のペースでオーストラリア人の講師からレッスンを受けていました。毎回喫茶店などを利用し、前半の30分はテーマを決めたディスカッション、あとの30分は、私が1週間で疑問に感じたこと(例えば英字新聞のわからないところ)を質問したり、英作文の添削をしてもらったりしていました(注7)。講師への授業料は、私の場合は1時間2,000円でしたが、実感としてはこの何倍もの価値がありました。 

 勉強は楽しんでおこなうもの、というのが私の持論ですが、私の英語に関しては振り返ってみれば、最初の頃はほとんど強制的にさせられたというのが事実です。しかしそのおかげで人生が大きく変わり視野が広がり今の自分があるのもまた事実です。もしも、あのとき英語を勉強させられていなかったら・・・、と考えるとぞっとします。

 新入社員の配属発表のその日、不本意な辞令を受けた私はH部長をうらみましたが、今では「私の人生を変えた運命的なメンター」として感謝しています。

 最後に、私の英語勉強法をまとめておきます。

   ・ ほとんどの日本人に英語は必要。少なくとも英語ができると人生がより楽しめる。したがってよほどの理由がない限りほとんどの人は英語を勉強すべき。

   ・ テレビとインターネットを使えばほとんど無料で効果的な英語の勉強ができる。ラジオやCDは悪いわけではなく、通勤時間などを利用すれば効果的な勉強ができるかもしれないが、自宅での勉強はテレビやインターネットがおすすめ。

   ・ニュース番組はテレビをみるよりインターネットがおすすめ。NHKやBBCのサイトで、キャスターの話す英語を聞くことができ、その内容が文字で読める。また、その場でネット上の辞書がひける。

  ・お金と時間に少しの余裕があれば、プライベートレッスンもおすすめ。その際は会話だけでなく英作文の添削が非常に有効。

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注1: 「CDなどで英語の歌を聴くのはどうですか」と尋ねられることがありますが、「英語の勉強にはまったく意味がない」というのが私の考えです。娯楽として聞く分にはもちろんかまいませんが、英語の歌を聴いて英語が上達する人というのはごくわずかです。しかし、英文法などの知識はほとんどなく英語が読めないのに、英語の歌を聞くとそのまま同じ発音で歌える人(なぜかほとんどが女性です)がときどきいて驚かされます。このような人が真剣に勉強すればとてつもないレベルになると思うのですが、私の知る限り、このような人はなぜか文法を勉強せず、読む英語は苦手なことが多いようです。

注2: 「映画を観るのは英語の勉強になりますか」と尋ねられることがありますが、「あまりすすめられない」というのが私の考えです。DVDでは英語の字幕も見ることができますから、映画の種類によってはいい勉強ツールとなるかもしれませんが、時間をかけるだけの効果があるか、と考えたときに疑問です。少なくとも仕事で英語が必要な人は、ニュースの方がはるかに勉強になるのは間違いありません。

注3: 私は拙書『偏差値40からの医学部再受験・実践編』で、NHKをほめすぎたことで数人の人から「NHKと何かやましい関係があるの?」と聞かれましたが、そのようなものがあるわけではありません。何かと批判されがちなNHKですが、多くのプログラムのレベルは(BBCには負けるかもしれませんが)相当高いと私は感じています。英語勉強のプログラムに関しては、すべての人に推薦したいと思います。

注4: 私も含めて多くの人が、複数の番組をみる時間的な余裕がないと感じているでしょう。そこで私は日本人講師の日本語での解説などは、1.5倍にして見ていますし、英語のシーンも簡単なところは1.5倍にしています。ちなみに現在私が観ているのは「トラッドジャパン」「ニュースで英会話」「3ヶ月トピック英会話」です。(「リトルチャロ2」は前回のクールでみましたので今回はみていません)

注5: インターネットの登場により紙の辞書も不要になりました。インターネットでNHKやBBCを読んで、聞いて、分からなければその場でネット上の辞書を引けばいいのです。辞書のサイトによっては発音もしてくれます(例えばGoo)。しかも無料なのです! 

注6: たとえば、「英語」「家庭教師」などのキーワードで検索をかければいくつもサイトがでてきます。講師のプロフィールをみて、気に入った講師がみつかれば、サイト運営者に数千円を支払うとその講師のメールアドレスが送られてきます。あとは直接その講師にアクセスすればOKです。このとき注意したいのは、英語教師にはある程度の「学力」を求めることです。学歴だけがすべてではありませんが、正しい文法の知識を持っていて語彙がある程度豊富で教え方がうまいのは(例外もありますが)大卒以上と考えるべきでしょう。

注7: プライベートレッスンというと英会話が中心と考える人が多いようですが、英作文にも非常に有効です。聞く、話す、読む、書く、のなかで私は「書く」が一番得意(といってもたいしたことはありませんが)なのですが、これは会社員時代に、カナダ人の同僚に徹底的に添削してもらったおかげです。「書く」が苦手という人は、ぜひプライベートレッスンで添削を受けてみてください。英作文は何もむつかしい文章を書かなくても、電子メール(それは友達へのものでも仕事上のものでも)の添削をしてもらえばいいのです。

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2013年6月13日 木曜日

2011年9月号 楽しい勉強を自分のものにするために

 前回のこのコラムでは、試験勉強についてお話しました。最大のポイントは「過去問を繰り返し解く」ということだったわけですが、この勉強はお世辞にも楽しいものとは言えません。初めのうちは、最初は解けなかった問題が解けるようになると多少は気分がいいかもしれませんが、そのうちに必ず飽きてきます。しかし、飽きてしまう程に過去問を解けば合格はすぐそこにある、とも言えるわけです。試験勉強に楽しみがあるとすれば、過去問を解く過程のなかで自分の知らなかった世界がみえたときでしょうか。しかし、解答が要求されるのは面白さとは別のところにあることが多いものです。模擬試験で高得点を取れたときに嬉しくなるのは事実ですが、これは学問本来の楽しみではありません。

 さて、今回お話したいのは、試験勉強とは異なる勉強についてです。そして、これが「本来の勉強」であり、「知識を増やすことを目的とする楽しんでおこなえる勉強」です。「試験を受ける必要のない勉強」という言い方でもいいでしょう。

 ところで、私のところにメールで勉強の相談をしてくる人は全員が何らかの試験を受けることを前提としています。これは当たり前のことで、試験を受ける必要のない勉強のことで悩みを相談しようとする人などいるわけがありません。なぜなら楽しんでおこなえる勉強は各自が勝手に楽しめばいいわけで、他人に相談するような性質のものではないからです。

 例えば、日本史に興味がある人は、本屋に行くか、インターネットで検索して他人の書評や本の売れ行きを参考にして面白そうな本を買えばそれで済む話です。これからの世界経済に興味があって最新の考えを知りたいなら、インターネットで情報を集めたり、新聞社主催のセミナーにでかけたり、専門家のブログを参照したりすればいいだけの話です。

 では、今回私は何を話したいのかというと、それは「得た知識や情報をいかにして忘れないようにするか」ということです。あなたには、次のような経験がないでしょうか。

・あのときのあの先生の講義はすばらしかった記憶があるのだけれど、今ではその内容をほとんど思い出せない・・・

・あのときに読んだあの本は感動して何度も読み直すことを誓ったけれど、一度も読み直していない。何が書いてあったかさえもうろおぼえになっている・・・

・数ヶ月前に新聞で面白い記事を見つけた。役に立つからと思ってその記事を切り抜いたけれどどこかに紛失してしまった・・・

 いかがでしょうか。多少なりとも似たような経験があるのではないでしょうか。実はここに挙げた3つの悩みはいずれも私自身が経験しているものです。私はこのような体験をすると「もったいない」という気持ちに襲われて自分がイヤになるために、なんとか得た知識を効率よく整理する方法はないか、ということを長年考えてきました。これまでに試みた方法は多数あり、例えば大きめの手帳にポストイットを貼りまくったり、クリアファイルを使って新聞や雑誌のスクラップをつくったり、ノート整理の時間をつくるようにしたり、少し高級なキャビネットを買ってみたり・・・、と様々な方法を試して、そして併用して、また自分なりの改良を加えて悪戦苦闘してきました。しかし、残念ながら結果に満足のいくものはありませんでした・・・。「でした」と過去形なのは、現在はかなりこの問題を克服することができていると考えているからです。

 というわけで今回お話したいのは、私が日々おこなっている「知識や情報の整理術」についてです。といってもこの方法は何も奇をてらったようなものでも意表をつくようなものでもなく、ごく簡単な方法で、コストも安く、誰にでもできる方法で、読む人によっては「なんだ、そんなの自分が前からやっていることじゃないか」と感じる人もいるかもしれません。

 では、その方法をお話したいと思います。それは「パソコンのテキストファイルで情報を整理する」というものです(注1)。あまりにも幼稚な方法に愕然とした人がいるかもしれませんが、もう少し読んでもらえると嬉しいです。例をあげて説明したいと思います。

 私は職業柄、学会で講演やセミナーを聞いたり、勉強会に出席したりする機会が多く、これらは私にとって効果的な勉強のチャンスです。その道の専門家が話をし、その場で質問をすることだってできるわけです。私は時間の許す限りこのような機会をつくるようにしています。最近のスケジュールを話せば、8月28日(日)は東京で開催されたアレルギー専門医セミナーに出席し、9月4日(日)は大阪でおこなわれたプライマリケア関連の勉強会に出席しています。これらは大変貴重な経験であり得たものは少なくありませんでした。もちろんメモを取りますが、このメモを見直さなかったとすると、半年もすれば、そのセミナーに出た価値もなくなる程に記憶があいまいになります。そこで私はセミナーなどに出席した場合は原則24時間以内に、テキストファイルでメモ(ノート)を整理することを習慣にしています。そして適当なタイトルをつけパソコンに保存しておきます。

 本を読んで有益なものがあったときは、それをやはり24時間以内にテキストファイルでメモをつくります。本は最後まで読むと、どこに何が書いてあったかが分からなくなりますから、気になったところには折り目をつけておきます。そして読み終えてから、パソコンに向かいながら折り目のついたページのみを読んでいき、必要と感じたことをメモするのです。

 新聞については国内外のものをインターネットで多数読むようにしています。しかし「読む」のは記事ではなく見出しです。見出しに興味があれば「出だし」(英語ではleadと言います)を読み、面白ければ続きを読みます。そして後から参照する価値があると判断すれば、文章をコピーしてテキストファイルに貼り付けます。もしもその記事に図表や写真があれば、それをコピーするのではなく、その記事のURLのみを貼り付けておきます。図表や写真はファイルが重たくなるために何かと不都合があるからです。ファイルはあくまでも「テキストファイルのみ」としておくのがポイントです。

 海外の新聞に比べると日本の新聞はオンライン版のグレードは相当低いと言わざるを得ません。しかし、日経新聞は有料ですがかなり充実しています。私は日経の現在の有料のオンラインサービスが始まるまでは、新聞記事を切り抜いてそれをスキャナーで取り込んでファイルに保存していました。すると、検索ができないだけでなくファイルが重くなるために何かと不都合だったのですが、オンラインサービスが始まってからこの問題が一気に解消されました。現在私は日経については従来の紙媒体とオンラインサービスの両方を申し込んでいるためコストは高くつきますが、そのコストに見合う価値があると考えています。

 論文については、著名な医学誌に掲載されている論文が少なくとも概要(abstract)についてはインターネット上で無料で読めますし、最近は全文が無料のものもあります。また有料のものも通常は5~10USドル程度で購入できますから、必要なものはクレジットカードでその場で決済して読むようにしています。そして、やはりテキストファイルで文章を保存しておきます。

 自分で作成した講義やセミナーのノート、本を読んだ後に作成したメモ(注2)、新聞や雑誌のオンライン版や論文のコピーなどは、すべてテキストファイルに変換し、これを月ごとのフォルダーに入れていきます。このときのポイントは「どのような内容であれすべてその月のフォルダーに入れる」ということです。講義ノートも新聞記事も論文もすべて同じフォルダーに入れるのです(注3)。

 さてこの方法が本領を発揮するのはここからです。私のような凡人でなくても多くの人はファイルを作ってから半年もたてば、どのファイルに入れたかの記憶が曖昧になるのではないでしょうか。例えば、新聞で、「葉酸の取りすぎに注意」というような記事をみたときに「たしか2~3年前に、葉酸は積極的に摂取しなければならないという話を聞いた気がする・・・」と感じたとしましょう。このとき、パソコンの検索機能を使って調べるのですが、どのフォルダーにその情報が入っているのかを思い出すのは大変困難です。しかし、「2~3年前」というのはまあまあ当たっているものです。自信がなければ「過去4年間」に検索条件を変えればいいだけの話です。せっかく検索をかけるなら過去4年間で自分が葉酸について興味深いと感じた記事を全部みてみようと思ったとします。検索条件を「過去4年間」としキーワードを「葉酸」とすればそれらがすべてでてきます。これをグーグルやヤフーを使って「葉酸」で一般的な検索をすると莫大な情報が出てきますから、過去に自分が興味深いと感じたファイルだけが検出されるのとは天と地ほどの差があります。

 テキストファイルでの保存とその検索、という方法で私の勉強法・整理法は随分と変わりました。「革命」と言ってもいいでしょう。なにしろ、「あの情報(あの記事、あの講義ノート)はどこへ行った?」と悩む必要がもはやないのです。私のイメージでは、パソコンのファイルは私の「第2の脳」となっているのです(注4)。

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注1 テキストファイルの管理にはWordなどではなくエディタを使うべきです。エディタであれば、立ち上がりが早く余計な機能が一切ついていませんから検索も非常に早いのです。文書の整理にはエディタに勝るソフトはないと私は考えています。エディタには様々なものがありますが、私は「秀丸」を14年間ほど使い続けています。

注2 新聞記事や論文の整理、講義やセミナーのメモ作成などは、私は職場でおこなっていますから職場にあるパソコンに保存しています。しかし、本を読んだ後につくるメモは自宅であったり、出張先であったり、旅行先であったりします。しかしこれらのメモも他の情報と一緒にしておいた方が便利です。そこで私は、読書後のメモは、例えば出張先に持っていたノートパソコンで作成し、【書評】という文字を入れたタイトルをつけて、自分宛にメールをして、後から職場のパソコンにうつしています。この作業は少々面倒くさいですが、忘れたとしても後からメール検索をすればすぐに見つかりますから実際には問題になることはありません。

注3 フォルダーは基本単位を「2011年9月」といった月単位にするのが便利です。この下に下位レベルのフォルダーをつくってもかまいません。私は「医療関連」「社会関連」「GINA関連」の3つの下位フォルダーをつくっています。「2011年9月」の上位レベルのフォルダーとして「2011年」というものをつくります。あとから「あの情報はたしか2011年に得たものだ・・・」と考えれば、「2011年」のフォルダーを対象として検索をかければどの下位フォルダーに入っていても検索されます。

注4 パソコンが壊れたとき、あるいは火災などにあったときにすべての情報が失われてしまうというリスクがあります。そこで私は、月に一度程度、これらファイルを圧縮して(テキストファイルだけですから容量はわずかです)自分の複数のメールアドレス宛に送信するようにしています。このことにより私の「第2の脳」は、例えばグーグルが倒産しない限りは永遠に失われることはないのです。

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2013年6月13日 木曜日

2011年8月号 勉強、してますか?

 このコラム(マンスリーレポート)の1月号で、今年は勉強に関するアドバイスをしっかりとおこなっていきたいという私の今年の目標を公表したわけですが、恥ずかしながらもう2011年も半分以上過ぎているのに、ほとんど何もできていません・・・。

 私の元に直接届く相談メールに対しては、身元が明らかで内容がしっかりしたものであれば返信するようにしていますが、それは以前からしていたことであり、今年の目標を踏まえておこなっているわけではありません。

 実は年初から、様々なアイデアを考え、ウェブサイトをつくろうか、とか、どこかで「勉強カフェ」のようなものがつくれないか、とか、アイデアだけは次々と出てくるのですが、どれも実際に実行するとなるといくつもの壁が立ちはだかり・・・、と、つまらない言い訳のオンパレードとなってしまっています。

 そこで、苦し紛れの対策として・・・、とは思いたくないのですが、この「マンスリーレポート」のなかで、少しずつ勉強に関する私の考えを紹介していきたいと思います。

 初めに基本的な点についておさえておきたいと思います。(いくつかは拙書『偏差値40からの医学部再受験』などで述べたことと重複してしまうことをお断りしておきます)

 まず、勉強に関する基本中の基本事項を確認しておきましょう。それは、「試験勉強と本来の勉強は全く異なる」ということです。ここで言う「試験勉強」とは「試験に合格することを目的とした勉強」であり、「本来の勉強」とは「知識を増やすことを目的とする楽しんでおこなえる勉強」ですが、便宜的に「試験を受ける必要のない勉強」としておきたいと思います。

 試験勉強であれば、最も大切なのは「過去問を繰り返し繰り返し解く」ということにつきます。特に大学受験であれば、過去数年間の過去問は簡単に入手できるでしょうから、暗記するほどにまで過去問を解くことが最も大切です。過去数年間の問題を、最初の問題文を2~3行読んだだけで、解答がすっと出てくるようになれば、もう合格はすぐそこにあります。

 大学受験以外の試験でも、過去問の入手できるものであればどんどん解いていって暗記するほどになるのが合格への最短距離です。拙書でも述べましたが、初めのうちは、まったく理解できなかったとしてもその難解さを”感じる”だけでかまいません。その後、その難解な過去問を(例えば1年後に)すべて解けるようになるにはどうすればよいか、ということを考えていけばいいのです。そして、試験が近づいてくれば、解き飽きた(はずの)過去問をさらに何度も解くのです。

 以前も述べたことがありますが、「いい問題をつくろうと思えば必然的に過去問と似たような問題になる」のです。過去に紹介したのは、静岡県の県立高校の試験問題で「35問中33問が前年度のものと同じだった」という事件で、これはさすがに試験が無効となり再試験になったそうですが、問題作成者のコメントは「完成度の高い問題を集めるとそのようになってしまった」というものでした。(詳しくは下記メディカルエッセイを参照ください)

 大学受験では、「絶対に合格すると誰からも思われていた受験生が不合格となった」という話がきっとあなたの周りにもあるのではないでしょうか。これは医師国家試験でも同様です。医師国家試験というのは合格率がおよそ9割の、いわば”普通に”勉強していれば合格する試験ではあるのですが、学年1位2位を争うような”天才”が不合格となることがあるのです。

 私の分析では、そのような”不運な”人たちの共通点は「過去問をおろそかにしていること」です。確かに、彼らは(なぜかこのタイプは男性に多い)、最新の医学に精通し、最先端の論文を英語で読んでいます。ときには、若い医師の知らないことですら熟知していることもあります。学生からだけではなく先生たちからも一目置かれていることもあります。けれども、このような人たちの一部は医師国家試験で不合格となるのです。これが何を意味するかというと、合格率9割の試験では、「他人が知らないことは知らなくていい」のです。もっと言えば、「正解を導くというよりも大多数の人が考えるのと同じように考えることが大切」なのです。そのためには過去問が最も有益なことは容易に理解できるでしょう。

 さて、これを読まれている人のなかには、医師国家試験のように合格率が9割となるような試験ではなく、せいぜい1割、あるいは数パーセントしか合格できない試験を考えている人もいるでしょう。そのような人たちからは、「他人が知らないことを知っていなくては合格できません!」と反論がきそうです。

 しかし、そうともいえません。志望者のごく一部しか合格せずに難関と言われている国公立大学医学部の受験で考えてみましょう。まず医学部に合格するにはセンター試験で最低9割はほしいところですが、苦手分野をつくらずに標準的な問題を解けるようにしておき単純なミスをしなければ得点することは可能です。センター試験の全科目の問題をひとつひとつみても、得点率が例えば1~2割しかないような問題というのはないはずです。(あれば不適切問題とみなされ無効になります)

 二次試験でも、多くの大学では合格者の平均点が7~8割程度になっているでしょう。やはり二次試験でも、先に述べたセンター試験と同様のことがいえるわけです。

 ただし、この点については少し補足しておく必要があります。というのは、実は二次試験の合格平均点が極端に低い大学があるからです。代表は東大の数学です。東大の数学は極めて難問が出題され、1問でも完答できれば医学部でも合格できると言われています。実際、合格者の多くは1問も完答できず、部分点だけで得点しているとも聞きます。また、東大ほどではないにせよ京大の数学も極めて難問が出題され、合格平均点はかなり低いことが予想されます。こういった大学受験では、たしかに「他人が解けない問題を解く能力」が必要となるかもしれません。少なくともそのような”能力”があれば有利になるでしょう。

 東大と京大という2つの大学が”別格”であることは大勢の人が認めるところであり凡人には解けない難問が出題されるということは納得しやすいと思われます。しかし、医学部受験に限っていえばもう少し注意が必要です。それは、「医学部単科大学では難問が出題される傾向にある」ということです。このため、偏差値は東大や京大ほど高くなくても、医学部単科大学の受験は、(塾などで)特別な訓練を受けていないと、特に数学と理科ではそれなりの苦労を強いられる、といったことが起こりえます。

 では、特別な才能もなく、特別な訓練も受けていない人が医学部に合格するにはどうすればいいのでしょうか。そのひとつの対策として、東大と京大をのぞく総合大学の医学部を受験する、ということを提案したいと思います。総合大学の理系には、医学部以外に、理学部や工学部などがあり、そういった他の理系学部と医学部の入試問題は同じになっているはずです(例外はあるかもしれませんが)。そしてこういった総合大学の医学部合格者の平均点は軒並み高くなっているはずです。このような大学が「特別な才能もなく特別な訓練も受けていない」(医学部受験当時の私のような)凡人には最も合格しやすいのです。これを逆に「合格平均点が高いところは難しい」と考えている人がいますが、少なくとも凡人にとっては正しくありません。

 というわけで、本日のまとめとしては、次のようになります。

   1、 試験勉強に最も有効なのは過去問を繰り返し解くこと。

    2、良問は過去に何度も出題されており、良問を作成しようと思えば過去問と似てしまうのは必然である。

    3、自分が受ける試験の合格率と合格者の平均点を意識することが大切。
    合格率もしくは合格者の平均点のどちらかが高ければ”凡人”でも充分合格可能。

    4、合格率と合格者の平均点の双方が極めて低いような試験では、特別な才能か特別な訓練が必要となることもある。

参考:メディカルエッセイ第10回(2005年3月)「過去問やってますか?」

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2013年6月13日 木曜日

2011年7月号 運命が決める医師の道

去る2011年7月2日、3日、札幌で日本プライマリ・ケア連合学会の第2回学術大会が開かれました。この学会は昨年(2010年)に第1回の学術大会が東京で開催され、かなりの盛り上がりをみせたのですが、今年も昨年と同様、来訪者が多く、かなり広い会場を使っているのにもかかわらず、シンポジウムによっては立ち見でも入れないほどでした。

 この学術大会では、プライマリケアに関する多くのことが学べて大変勉強になるのですが、今年私が一番注目していたのは、個々の疾患に対する講演やシンポジウムではなく、東日本大震災に関連した報告や発表でした。

 日本プライマリ・ケア連合学会は、震災の発生2日後の3月13日に「東日本大震災支援プロジェクト(以下PCAT)」を立ち上げました。翌14日には第1回本部会議を開催しています。そして17日には先遣隊として1名の医師が被災地に派遣されています。

 一般的に災害発生の初期には、自衛隊や災害救助隊などの活動が中心となり、医療者で言えばDMATと呼ばれる災害急性期の医療を担うチームが活躍することになります。しかし、亜急性期から慢性期にかけては(そして慢性期はかなり長くなるのですが)、急性期の災害医療に長けた医療者よりも、慢性疾患や生活習慣病、心のケア、公衆衛生、介護などの分野で活躍できるプライマリケア医の出番となります(注1)。そこで、日本プライマリ・ケア連合学会は社会的な使命を担ってPCATを立ち上げたという次第です。

 PCATがどのような活躍したかを、私が聞いた報告を元に簡単に紹介しておきたいと思います。PCATがまずおこなったのは、現地で被災した医師の支援をおこなうことでした。そして次のステップとして、医師、歯科医師、看護師、介護師、薬剤師、栄養師、理学療法士、作業療法士などのスタッフを全国から集めて医療チームとして現地に派遣しています。このとき、現地の医療者と常に連携を取るようにし、被災者にとって最良の医療ケアを供給するよう努めています。

 また、PCATは、妊婦さん、あるいは産褥期の女性に対するケアも重視しました。今回の震災では、様々なルートから大勢のボランティア医師が被災地に集まったのは事実ですが、出産のケアができる産科医はほとんどいなかったそうです。それだけ日本全国で産科医が不足しているということです。一方、海外の医療救護隊、例えばイスラエルの医療チームは、被災地での産科ケアが必要になることを自明と考えており、分娩台や新生児の蘇生台を持参してきていたそうです。

 そこでPCATは、出産時及び産後のケアのできるプライマリケア医を全国から被災地の分娩施設に集めました。日本では出産については産科専門医がおこなうのが一般的で、プライマリケア医がお産に立ち会うケースというのはまだまだ少数なのですが、世界的にはプライマリケア医が出産を担うことが多いのです。

 さらにPCATは、避難施設で医療行為をおこなうだけではなく、避難施設に来ることができず家庭で持病を患っている患者さんの自宅訪問も開始しました。そして他の医療スタッフと協力して、栄養改善や環境改善にもつとめています。

 PCATのスタッフの報告によりますと、被災地ではこれからのケアも重要になると考えており、最低でも2年、できればあと5年は現地で活動を続ける予定だそうです。

 さて、札幌での学術大会では複数の医師によるPCATの報告があったのですが、どの医師の発表も非常に興味深いもので、現地で活躍している医療者に対し、私は少しうらやましく感じたのと同時に、多くのところで共感しました。

 私はタイのエイズ施設でボランティア医師として働いていた経験がありますが、そのときに感じたのは、「エイズを診る医師はエイズという”病”だけを診るのではなくエイズを患っている”人”を診なければならない」、というものでした。

 私がボランティアをしていた頃は、まだ充分に抗HIV薬が普及しておらず、エイズとはまだまだ「死に至る病」だったのです。その施設には軽症の人から、数日後には他界するだろう、という人まで様々な状態の患者さんがいました。同じエイズと言っても、下痢で困っている人、皮膚の痒みに悩まされている人、熱が下がらない人、結核を発症したかもしれない人、前日に自殺未遂をした人、HIV脳症を発症し夜間に徘徊する人、進行性多巣性白質脳症(PML)という病気を発症しすでに意識のない人、などいろんな患者さんがいるわけで、当然ひとりひとりに対するケアの内容は異なります。薬もしくは点滴ですぐによくなる場合もあれば、まったく何もできないようなこともあります。ときには患者さんの手を握ってうなずくだけ・・・、ということもあります。

 さらにエイズを発症してその施設に入所している人の多くは社会的な問題を抱えていました。具体的には、違法薬物に依存していたり、10代前半で親に売られ売春を強制させられていたという過去があったり、幼少児に男性からレイプをされたことで自分の性がいまだによくわかっていない男性がいたり・・・、といった感じです。また、エイズを発症したことで、地域社会から、病院から、そして家族からも追い出されてこの施設にたどり着いたという人は想像を絶するほどの心の苦痛を有しています。医師にできることが限られているのは事実ですが、こういったことに対するケアも必要になってきます。(この施設での私の経験で言えば、心のケアに対しては医療者よりもむしろ僧侶や牧師といった宗教家の方が患者さんの支えになっていたように思えます)

 タイのエイズ施設での経験を通して、私のその後のたどる道を決定付けたのは欧米から来ていたプライマリケア医の存在でした。私がタイの施設で出会った医師たちは、いわゆる専門医ではなく日頃から多くの疾患をみて患者さんに最も近い位置にいるプライマリケア医だったのです。実際、彼(女)らは、エイズを患っているどんな患者さんのどのような悩みにも応えるようにしていました。私がいた施設ではエイズ専門医は月に1~2度施設にやってきて我々と会議をおこない、必要な患者さんに抗HIV薬の処方を検討するというもので、実際に患者さんに長い時間接するのはエイズ専門医ではなくプライマリケア医だったのです。

 タイから帰国した私は、プライマリケア(総合診療)を本格的に学ぶことを決意し、母校の大阪市立大学医学部の総合診療科の門を叩くことになります。

 PCATのメンバーとして活躍している医師の講演を聴いて私が感じたのは、「研修医を終えた時点で私はタイのエイズ施設に行くことを決めていたわけだが、もしも東日本大震災が研修医時代に、あるいは研修医を終えた直後に起こっていたとしたら、私はPCATに参加していたかもしれない。そして、エイズという疾患を通してではなく、震災医療を通してプライマリケア医を目指すことを決意していたかもしれない・・・」、というものです。

 PCATで活躍している医師達のことを想うと、現地で活躍できるということに対してうらやましい気持ちが増してくるのですが、現在の私は太融寺町谷口医院がありますから、クリニックを閉めることはできず、現地に行くべきではないと考えています。(被災地での医療も含めて、「プライマリケアは長期で」、というのが私の基本的な考えです) 

 よく考えてみると、私がタイに行くことができたのは様々な偶然やいくつかの幸運なことが重なったからであり、タイ渡航とエイズに直面した経験からプライマリケア医を目指すことになった道のりは、あらかじめ私に定められた運命だったのかもしれません。そういう意味では、PCATに加わり現在被災地で活躍されている医師たちもまた、そのような運命なのかもしれない、と思えてきます。

 私の現在の生活の中心は、太融寺町谷口医院での日々の診療とNPO法人GINAの活動ですが、これらは運命が与えてくれた私のミッションということなのかもしれない・・・。最近の私はそのように考えています。

 
注1 慢性期のケアはプライマリケア医が担うべき、という私の考えを、最近「LAZAR(ラゼール)」というタブロイド紙で述べました。近いうちに、その内容をこのサイトもしくはGINAのサイトで紹介したいと思います。

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2013年6月13日 木曜日

2011年6月号 勉強し続けなければ仕事ができない・・・

われわれが学生の頃に学んだことの多くは役に立たない・・・

 これは私が医学部在学中に教わった先生たちから何度も聞かされた言葉です。そりゃ医学は日進月歩なんだし、新しい薬は次々と市場に出てくるんだから当然でしょ・・・。私はそのように感じていて、そういう言葉を聞いたときも特に驚くことはありませんでした。それに、私自身はサラリーマンの経験がありますから、一般社会だって新しい商品は次々と出てくるし会社の方針はころころ変わるし、医者だけじゃなくってどんな仕事でも勉強し続けなければならないのは一緒でしょ・・・。と、ちょっと斜に構えて先輩医師達の意見を聞いていました。

 医師という職業は、医学部受験よりも医学部在学中の勉強の方が大変で、その医学部在学中の勉強よりも医師になってからの勉強の方が大変で重要ということは充分承知しているつもりですから、もちろん私自身は医学に関する何らかの勉強を継続しておこなっています。(もっとも医師であれば誰でもおこなっていることで、とりたてて強調すべきことではありませんが・・・)

 勉強を継続する、といってもまったく新しいことを学ぶのであれば(例えばベンガル語をゼロから開始する)、かなり高いハードルが立ちはだかるでしょうが、基礎的な医学の知識がある上での新しい医学の勉強ですから、例えば論文を読んで内容を理解するのに苦しむということはあまりなく、現在おこなっている医学の勉強というのは、これまでの知識の整理や付記・追記などであることが多く、それほど苦痛を伴うものではありません。(時間を確保するのが最も大変なことです)

 しかしながら、これまでの概念をくつがえすような理論が登場すると話は変わってきます。これまで当然と考えられていたことが実は誤りだった、となれば勉強しなければならないことは相当なものになります。もちろん、純粋に「学問を学ぶ」という観点から考えたときには、これほどおもしろいことはないのですが、医学というのは目の前の患者さんに役立てていかなければならないわけで、正しい理論があっちに行ったりこっちに行ったりすれば、まともな臨床ができなくなります。

 話を前にすすめましょう。最近出てきた理論で私が最も関心を持っているのが、免疫学における「デンジャーモデル」というもので、提唱しているのは、Polly Matzingerという”異色”の女性免疫学者です。”異色の”としたのは、この学者の経歴が非常にユニークだからです。Wikipediaの情報ではありますが、この学者は学者になる前に、バニーガール(原文はPlayboy Bunny)、バーのウエイトレス、ジャズミュージシャン、大工、犬の調教師などをしています。そして、あるバーでウエイトレスをしているときにカリフォルニア大学の教授と出会い、その教授が彼女の能力を見抜いて学問の世界にスカウトしたそうです。

 私が関心を持っているのはもちろんこのような経歴ではなく(たしかにこの経歴は非常に印象的ですが)、彼女の唱えているデンジャーモデルです。デンジャーモデルは免疫学の基礎をひっくり返すほどの強いインパクトがあります。

 免疫学の基礎中の基礎の考え方として、「免疫とは自己と非自己の認識である」というパラダイムがあります。(少し話がそれますが)私は元々社会学を本格的に学ぶつもりで会社員時代は社会学部の大学院進学を考えていました。社会学に関しては様々な分野の本を読んでいたのですが、あるときこの生命科学としての免疫が「自己と非自己を認識する」ということに大変な魅力を感じました。社会学でいうところの「実存」に通じるものがあると感じたからです。多田富雄の『免疫の意味論』や中村桂子さんの『自己創出する生命』を何度も読み返し、この経験が医学部進学を決意するきっかけのひとつとなったのです。

 医学部に入学してから学んだ免疫学も「自己と非自己の認識」というパラダイムから成り立っていました。(私が当初考えていたような「実存」という観点からの考察は医学部ではありませんでしたが) しかし、Polly Matzingerが唱えるデンジャーモデルはこれを根本から覆すものなのです。

 デンジャーモデルをごく簡単に説明すると、「免疫応答とは非自己を認識することにより生じるのではなく、自らの細胞が傷つけられたときに身体が反応するもの」となります。つまり、何らかの原因で自らの細胞が傷つけられたときにT細胞という免疫をつかさどる細胞が活性化を始め一連の免疫応答が生じる、というのです。

 このデンジャーモデルは現時点では正式には認められておらず実証するには超えなければならない壁がいくつもあります。しかしながら、デンジャーモデルを当てはめることによって納得できる臨床上の事象は、私が感じるだけでもいくつかあります。

 例えば、非ステロイド系の軟膏(商品名でいうと「アンダーム」や「スタデルム」)は、アトピー性皮膚炎など慢性の湿疹に使われていた時代がありましたが、効果がほとんどないどころか、かぶれ(接触皮膚炎)を高頻度で起こしうるため、今では「原則として使用しない」ということになっています。ところが、同じ非ステロイド系の湿布では、かぶれは起こりえますが、軟膏に比べると頻度は随分少ないのです。この理由として、アトピーなどの湿疹では掻いてしまうことにより微小な傷ができていて、そこに非ステロイド系の薬を塗ったことで、この薬に対するアレルギー反応が起こった、と考えれば説明がつきます。つまり、デンジャーモデルで説明できるのです。

 また、お茶石鹸のトラブルで有名になった小麦アレルギーも、デンジャーモデルで説明ができます。お茶石鹸で小麦アレルギーを起こしてしまった人たちも、元々は小麦(パンやうどんなど)を食べても問題なかったのです。ところが洗顔で毎日小麦を肌にすりこむことで、そのときに微小な傷があったとすれば、その傷に小麦成分が侵入したことで小麦に対するアレルギー反応が起こった、と考えられるというわけです。

 今のところデンジャーモデルは正式に認められていませんし、日々の臨床で応用している医師もほとんどいないと思いますが、先日(2011年5月15日)幕張でおこなわれたアレルギー専門医セミナーでも、ある講師がこのデンジャーモデルを取り上げていました。

 アレルギーの関連で言えば、先に述べた小麦でもおこりうる「食物依存性運動誘発性アナフィラキシー」は、私が医学部の学生の頃は、せいぜい<トピックス的>なことで、医師国家試験には絶対に出ないような疾患でしたが、今では<比較的よくある病気>と位置づけられています。また口腔アレルギー症候群(OAS)やラテックス・フルーツ症候群(LFS)といった疾患は、感作される物質と反応を起こす物質が異なる(例えば花粉やラテックスでアレルギーが起こる身体となり、フルーツや野菜を食べたときに反応が起こる)という、過去の常識からは考えられないメカニズムでアレルギー反応が成り立っています。この2つの疾患については、私は学生の頃は名前すら知りませんでした。

 新しい疾患が確立されたり、新しい理論モデルが提唱されたり、というのはアレルギーの領域だけではありません。現在(2011年6月10日)の時点では、欧州で発生した集団食中毒の病原性大腸菌について感染経路も含めて分からないことだらけです。基礎医学で言えば、京大の山中伸弥教授が研究されているiPS細胞は実用化まであと一歩のところまできています。(ちなみに山中教授は以前大阪市立大学医学部薬理学教室に在籍されており、私も講義を受けたことがあります)

 われわれが学生の頃に学んだことの多くは役に立たない・・・。医師としての経験を積めば積むほど、この言葉の意味が重たくのしかかってくるように私は感じています。

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2013年6月13日 木曜日

2011年5月号 被災者支援よりも重要なこと

東日本大震災が発生して2ヶ月近くがたちました。発生直後から急速に全国的、あるいは全世界的に広がった「被災者を皆で助けよう!」という熱狂的ともいえる盛り上がりはいくぶん落ち着いたようにもみえますが、それでも依然「被災者のために!」というムードは続いています。

 マスコミの世論調査をみてみても「寄附をおこなった」と答える人は(母集団にもよりますが)過半数を超えていますし、その金額も決して小さくありません。私の周りをみてみても、数万円単位で寄附をしている人もいて、なかには、無職で仕事がない、と日頃は嘆いているのに高額を寄附している人もいますから驚かされます。

 もちろん被災者のために各自ができることをするという考えは間違っておらず、私自身も異論はありません。しかしながら、「被災者に対して何もしていないことがまるで犯罪であるかのような雰囲気」が生じてくるとすればこれは問題です。

 今回は問題となる2つの点について考えてみたいと思います。

 まずひとつめの問題は、被災者を支援する程度(一番分かりやすいのは寄附金の額)が大きければ大きいほど偉いんだ、という空気が広がってしまうことです。すでに、有名人の寄附金のランキングのようなものがインターネット上に出回っているようですが、こんなものには何の意味もありません。匿名で寄附をしている有名人もいるでしょうし、例えばたった一度1千万円を寄附した人と、毎月100万円を今後10年間寄附していく人のどちらが被災者のためになるか、という議論もあります。年収1億円の人と300万円の人では当然支援できる額が変わってきます。改めて言うまでもないことですが、寄附を含めた支援活動というのは「各自のできる範囲」でおこなうべきです。

 被災者支援が盛り上がりすぎることで生じる可能性のあるもうひとつの問題は、「支援が必要なのは被災者だけではないことが忘れられていないか」ということです。

 今の日本には他者からの支援を必要としている困窮者が少なくありません。きっとあなたの周りにも、失業者、ひきこもり、あるいはホームレスとなってしまった人やその予備軍の人もいるのではないでしょうか。また、身体的にハンディキャップを背負っている人、うつや適応障害を含めた精神障害で社会参加ができていない人、あるいはHIV感染が原因で社会から不当な偏見を持たれ疎外されているような人もいるわけです。

 私は、被災者支援が熱狂的になりすぎることで、こういった人たちへの社会からの眼差しがおざなりになってしまうことを危惧しています。例えば、あなたが郵便局に義援金を振り込みに入ったその帰り道に、仕事が見つからず所持金も底をつきアパートを追い出されその日のねぐらとなるインターネットカフェを探している人とすれ違っているかもしれないわけです。

 以前別のところで述べたことがありますが、私は今の日本が世間でよく言われるような「格差社会」だとは考えていません。希望すればほとんどの人が少なくとも高校には進学でき、読み書きができるわけですから内容にこだわらなければ仕事はないわけではありません。生活保護などの公的扶助もこれほど充実している国もそうはありません。インフラが整備されているおかげで、例えば公園の水道水を飲むこともできます。無料で水が飲める国というのはほとんどないのです。また、トイレも、駅や公園、あるいは図書館などで、無料で使用することができます。しかもトイレの紙を便器に流すことができるのです。(我々は当たり前のように感じていますが、お尻を拭いたトイレットペーパーを便器に流していい国は少数で、アジアではほとんどの国がトイレの横に置かれているゴミ箱に大便が付着した紙を捨てます。また、そもそも紙を使わない国や地域もあります)

 もう少し具体的な話をしたいと思います。最近はかなりましになってきたとは言え、タイでは高校どころか中学も、さらに小学校さえも卒業できない子供が大勢います。その子供たちはまだ小学校低学年のときに学校をやめて、農作業や内職を手伝います。ひどい場合には夜中に観光客に花を売ったり、信号待ちしている車に駆け寄り窓を拭いて乗客から小銭を乞うたりしています。子供たちはボロボロの衣服を身にまとい例外なく裸足です。(このような”ビジネス”には元締めがいてボロボロの衣服はパフォーマンスのひとつだ、と言う人もいますが10歳未満の子供たちが深夜に働かされているのは事実です)

 もっと言えば、世界には国籍を持たない人が1,200万人以上もいることが指摘されています。(下記参考文献参照) そのような人たちは仕事ができなければアパートを借りることもできません。もちろん電話を持つことなど不可能です。(実は日本にも無国籍の人が2万人程度いるのではないかと言われているのですが、この問題は今回は取り上げないでおきます)

 さて、話を戻しましょう。世界に目を向けたとき、「日本社会は格差社会などではなく、これほど恵まれた国もない」、というのが私の基本的な考えです。しかし、現実には失業者やひきこもりが少なくなく、若い世代にもホームレスが増えているという報告もあります。(下記参考文献参照) それに、そもそも街に活気がないというか、閉塞感を醸し出している人たち、それも若い人たちが非常に多いように感じます。これは日本よりはるかに格差社会のタイの陽気な雰囲気とは対照的です。

 なぜ、日本は恵まれたインフラが整備されており格差は大きくないのにもかかわらず、これだけ<困窮している人たち>が大勢いるのでしょうか。

 いろいろと理由はあるでしょうが、私は日本社会の最大の問題は「身近にいる困っている人に対する無関心」だと考えています。なぜ、タイではあれほどの格差があり、生活保護などの公的扶助もほとんどないのにもかかわらず、日本社会のような閉塞感がないのか・・・。タイ文化に少し溶け込めば分かりますが、彼(女)らは他人に対する親切を当たり前のことと考えています。隣人が困っていれば食事を分け与えますし、寝床がなければ泊めてくれることも珍しくありません。タイ旅行中にトラブルが起こり現地の人々に親切にしてもらった経験のある日本人も少なくないのではないでしょうか。さらに、最下層(という言い方は失礼ですが)のまったくお金がない人たちも、犬や猫に残ったご飯やパン屑をあげています。

 つまり、タイでは(タイだけではありませんが)自分より困っている人(や動物)を助けるという慣習が不文律として存在しているのです。このため、タイ人と食事に行くと、ほとんどの日本人は(たとえタイ人が何人いたとしても)飲食代金を払わされます。しかも、お礼のひとつもないのが普通です。これは彼(女)らからみれば「お金をよりたくさん持っている人(日本人)が支払うのが当然」だからです。

 ワリカンがいいか悪いかは別にして、身近に困っている人がいれば助けるのが当たり前、という慣習を日本社会も見習うことはできないでしょうか。いえ、「見習う」のではなく「思い出す」が正しいかもしれません。というのは、かつての日本にも相互扶助の精神は存在していたからです。「結(ゆい)」という言葉が有名ですが、これは農作業や住居建築などを皆で力を合わせておこなう相互扶助共同体のことです。今でも沖縄には「ユイマール」と呼ばれる結が残っています。(最近はほとんど消滅しかかっているとも言われますが・・)

 日本人が東日本大震災の被災者にみせた慈悲の精神をもっと身近なところで発揮できれば今よりも遥かに住みやすい社会になるに違いありません。最後に、私の好きな言葉を紹介しておきます。

「大衆の救いのために勤勉に働くより、ひとりの人のために全身を捧げる方が気高いのである」 ダグ・ハマーショールド(元国連事務総長)

参考文献:
『ルポ 若者ホームレス』 飯島 裕子、ビッグイシュー基金 (ちくま新書)
『ビッグイシュー日本版』第166号(2011.5.1)「特集 無国籍」

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2013年6月13日 木曜日

2011年4月号 強力なリーダーシップが必要なとき

東日本大地震が発生した2011年3月11日から1ヶ月近くがたちました。あれだけの惨劇が起こりながら、冷静に行動する被災者の方々に対して、国内外からお見舞いや賞賛の声が寄せられていることが繰り返し報道されており、世界中の人々が被災者を応援していることがよく分かります。

 3月12日に設置した太融寺町谷口医院内の募金箱にもたくさんの方からの寄附金が集まり、3月末でいったん集まった金額を日本赤十字社に寄附しました。これからも当分の間、被災者に対する寄附金をクリニックで集めていきたいと考えています。

 私自身は今回の震災で現地に訪れていませんが、現地に赴いた医師からの報告はメーリングリストなどで伝わってきます。いくつかの報告をまとめてみると、まず今回の震災は阪神大震災のときとは様子がかなり異なるようです。

 阪神大震災では、家屋の下敷きになる人が多く、医師の側からみれば、外傷に対する治療、つまり出血や骨折、打撲などに対する処置が多くの場面で必要とされました。一方、東日本大震災では、地震よりもむしろ津波による被害が多かったこともあり、外傷ではなく、高血圧や糖尿病の悪化など慢性期の疾患に対する治療が求められることが多いようです。このため、被災地に赴いた外科医のなかには、活躍の場がなく早々と引き上げた者もいたそうです。また、家族を亡くした喪失感や災害のシーンが蘇ることなどから「眠れない」「不安がとれない」といった症状が現れるケースが多く、心のケアも必要となっているようです。

 内科的な慢性疾患や精神症状は、かなり長期にわたりケアしていかなければなりません。現場に赴いた医師の感想で最も多いのは、「支援は長期にわたっておこなわれなければならない」というものです。

 医療面以外をみてみても、まず原発の問題の解決に相当時間がかかりそうですし、被爆については風評被害も含めて長期で取り組んでいかなければなりません。被災地の復興には、おそらく阪神大震災のときよりも時間がかかるでしょうし、電力の問題をどうするのか、日本経済はどうなるのか、・・・、と山積みされた問題はどれも長期的な視点から考えていかなければならないものばかりです。

 災害後の心理状態を少し学術的にみてみると、まず災害直後に「茫然自失期」という期間があり、その次に「ハネムーン期」と呼ばれる一種の躁(そう)状態のような心理となります。今回の震災では、「茫然自失期」から「ハネムーン期」への以降はすぐに起こり、国民全体あるいは世界中がハネムーン期になったように私は感じています。

 問題はここからです。ハネムーン期が終わると、今度は「幻滅期」と呼ばれる無力感に覆われる期間がやってくると言われています。被災地以外の人々からは次第に関心が薄れ、ハネムーン期には他人に対する思いやりと正義感から自然にできていた団結力も徐々に薄まっていくかもしれません。

 被災者の方々を支援するためには、「長期的な視点」が絶対に必要です。そして、現在の国内外の盛り上がりを風化させないためには、ひとりひとりが「自分に何ができるのか」を長期的に考えていかなければなりません。

 しかし、戦後最大の危機とも言われている今回の震災に対しては、ひとりひとりの考えだけでは充分ではありません。どうしても必要なのが「強力なリーダーシップ」です。

 では、誰がリーダーシップを発揮すべきか、ですが、これは首相以外にありません。首相が強いリーダーシップを発揮して国民をまとめていかなければこの国の明るい未来はない、と私は考えています。

 この点で私は、震災後のマスコミの報道や知識人のコメントなどに違和感を覚えています。なぜこの時期に首相を批判するような意見を掲載しなければならないのでしょうか。もしも与党や首相がマスコミの批判を気にして、思い切った政策がとれなくなったり、いつも世論を気にするようになったりすれば、結果として困るのは被災者ではないでしょうか。

 参考までに、私は特定の支持政党を持っておらず、選挙で投票する政党は一定していません。そして、ここ何年かの選挙では(詳細は伏せておきますが)少なくとも比例区に関しては民主党に投票していません。しかし、それでも今は菅首相にがんばってもらいたいと考えています。菅首相には世論やマスコミの報道を気にすることなく、信念を持って強いリーダーシップを発揮してもらいたいのです。

 「職場におけるリーダーシップ」というのは、私が関西学院大学社会学部を卒業(1991年)するときに書き上げた卒論のタイトルなのですが、実は今でも私はリーダーシップに関する勉強(というか単なる趣味ですが・・)を続けています。もちろん、学問としてのリーダーシップがそのままリーダーシップの実践につながるわけではありませんが、それでもどのような状況のときにどのようなリーダーシップが求められるか、ということに思いを巡らせることがしばしばあります。

 リーダーシップ論にはいろんなものがありますが、「危機的な状況のときには強いリーダーシップが求められる」という認識は共通しています。もう少し具体的に言えば、今回の震災のような危機的な状況のときは、「和気あいあい型」のリーダーではなく、「厳しい意見も言うことができる専制型」のリーダーが求められるのです。もちろん、その前提としてリーダーが人格者でなければなりませんが、民主的な選挙で国民が選んだ首相は人格者と考えるべき(考えなければならない)でしょう。

 菅首相は震災発生の翌日(3月12日)に「全身全霊、命がけで取り組む」と宣言していますから、何をどのようにやるのかをしっかりと国民に提示して、「みんな、ついてきてくれ!」というような態度を期待したいと私は考えています。

 もうひとつ、これはどのようなリーダーにも要求されることですが、リーダーは今後のビジョンを示す必要があります。人間は将来のビジョンがあれば少々の困難に立ち向かうことができます。そして、そのビジョンが仲間と共有されていれば、さらに頑張ることができます。

 太平洋戦争敗戦後、この国は驚くほどの勢いで復興が進み、戦争終了10年後の1955年には、国民1人あたりのGNP(国民総生産)が戦前の水準を超えました。そして翌年(1956年)の経済白書には「もはや戦後ではない」と記述され、これは流行語にもなりました。戦争終了から19年後の1964年には東京オリンピックが開催され、東京から大阪まで新幹線で移動できるようになったのです。

 この歴史を思い出せば、我々日本人は再び奇跡を起こせるのでは、と考えたくなります。そして、世間にはとにかく早い復旧を求める声も多いようです。しかし、私は個人的にはゆっくりと着実な復興でかまわないと考えています。特に被災者の心理状態を考えると、正常な状態になるには長い時間が必要になるからです。

 この国の首相には、強いリーダーシップを発揮し、国民みんなが共有できる着実でしっかりとしたビジョンを示してもらいたいと思います。そして、そのビジョンを踏まえた上で、国民ひとりひとりが自分に何ができるか何をすべきかを考えていくべきだと思います。

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2013年6月13日 木曜日

2011年3月号 スピリチュアル・ケア

スピリチュアルという言葉がちょっとしたブームになっているようで、最近よく耳にします。なんでも、巷にはスピリチュアル・カウンセラーなどと呼ばれる人もいるようですし、スピリチュアル・スポットと呼ばれるところに集まる人も増えているとか。

 そのようなスピリチュアル”ブーム”を受けてというわけではないのですが、先日あるプライマリケア関連の研究会で、「スピリチュアル・ケア」を目的とした勉強会がおこなわれたので参加してきました。

 講師は飛騨高山の千光寺の大下大圓(おおしただいえん)住職で、大下住職は、職業としての住職の他、大学の非常勤講師やクリニックでスピリチュアル・ケアワーカーとしても活躍されています。

 実は医療現場にいると、この「スピリチュアル」という概念を意識せずにはいられません。私は現在、病棟勤務から離れているため、死を目前としている患者さんに対する診察やケアから随分遠ざかっていますが、勤務医の頃には患者さんとしばしばスピリチュアルな話をしました。

 霊魂、あの世、来世、輪廻転生、死後の世界、などと聞けば、ハナから否定する人も多く、特に若い人たちの多くはこのような”非科学的な”モノの存在を嫌うのではないかと思います。実際、このようなモノを利用したインチキや詐欺が少なくないのも事実でしょう。

 私自身も、医学部の学生時代に学生とこのような話をした記憶がありませんし、また自分自身も毛嫌いしていたわけではないにせよ、こういったスピリチュアルなモノの存在を肯定していたわけでは決してありません。

 ところが、医師となり、実際に死を目前としている患者さんや、死期が近いわけではないのだけれど病気になったことで死というものを考えるようになった患者さんと話していると、「スピリチュアルな概念を無視するわけにはいかない」ことに気づきました。

 例えば、私が研修医の頃に担当していたある高齢の女性患者さんは、「あの世に行って先に他界した主人に会いたい。あの世で主人とまた幸せに暮らせると思うと病気による苦痛にも耐えられる」と話されていました。また、ここまで直接的に「あの世」などという表現を使わないにしても、言葉の端々からそれらしい雰囲気が伝わってくるような話をされる方は少なくありません。

 スピリチュアルなものの存在を信じているのはもちろん日本人だけではありません。例えば、タイのチェンマイにハンセン病の患者さん専門の病院があるのですが、ここは全世界のキリスト教徒からの寄付金で運営されています。私はこの施設に過去3度ほど訪れ、患者さんだけでなく、医師、看護師、その他スタッフの方と話をしましたが、みんながスピリチュアルな観点から「幸福」というものを考えていることがよく分かりました。

 私が何度も訪問し、GINA設立のきっかけともなったタイのロッブリーにあるパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)は、エイズホスピスとしてすっかり有名になりましたが、施設自体は今もお寺で、何人もの住職の方がおられます。エイズを発症してこの施設に入所し、そして出家というかたちをとり僧侶になる患者さんもいます。

 キリスト教や仏教を含めた宗教を信じるほとんどの人が、程度の差はあったとしてもスピリチュアルなものの存在を信じているのは間違いありません。また、自分の経験から、日本人の多くの人々も、断定まではできないとしても、なんとなくスピリチュアルなものの存在を信じているという人が多いのではないかと感じています。私自身は、もしも「医師としてスピリチュアルなものの存在について話せ」と言われると、「分かりません」としか答えようがありませんが、個人的には「あってもいいんじゃないかな・・・」と感じています。ちなみに、私がたまに実家に帰ったとき、真っ先にすることは、仏壇に線香をあげること、です。

 現在の私の仕事の大半は、クリニックでの外来業務ですから、患者さんひとりあたりにかけることのできる時間はせいぜい10~15分程度です。慢性の病気を患っている人で月に1~2回来られたとしても、月あたりに話のできる時間は30分以内であることがほとんどです。この点が病棟勤務との違いで、病棟勤務であれば、毎日でもその患者さんのところを訪れて話をすることができます。

 ですから、外来での患者さんは、病棟の患者さんに比べると、距離が遠いままであることが普通なのですが、それでも医師・患者関係というのは、他の業種での関係とはまったく異なります。

 普段、会社の同僚や友達、あるいは家族にさえも言えないようなことでも、診察室の中でなら患者さんは医師に悩みを打ち明けることが多く、単に「痛い」「痒い」などだけでなく、心の悩み、そしてスピリチュアルな苦痛を訴えられることもあります。

 また、外来といえども、死を意識せざるを得ない疾患、例えばガンの術後やHIVで通院されている人もいますから、そういった患者さんのなかにはスピリチュアルな観点から話をされる方もいます。

 それに、最近では、特に大きな疾患を抱えていなくても、「就職が決まらない」「婚活が上手くいかない」などの背景から、下痢、動悸、めまい、不眠などが生じて受診される人もいます。彼(女)らのなかには、「生まれかわったら・・・」「運命の・・・」といった表現を使う人がいます。

 スピリチュアルな視点から話をするのは患者さんだけではありません。実は私の方も、「健康の神様の忠告かもしれませんよ」とか「恋愛の神様がみてくれていたのですね」などと言うこともあります。

 結局のところ、健康や病気に対するケアというのは、多少なりともスピリチュアルな観点から取り組まなければならない側面があるのではないかと今は考えています。ということは、医師という職業に従事している限り、どのような診療スタイルをとろうと、何らかのスピリチュアル・ケアができなければならないとも言えます。

 スピリチュアル・ケアの勉強会に参加して思い出した一人の患者さんがいます。それは私がタイのパバナプ寺で遭遇した20代半ばの女性で、すでにエイズ末期の状態でした。当時のタイでは抗HIV薬がまだ普及しておらず、エイズとは「死に至る病」だったのです。彼女は、同じ病棟の他の患者さんが次々と他界していくのを目のあたりにしていましたから、すでに食事が摂れなくなり歩けなくなった自分の死期が迫っていることに気づいていたはずです。しかし、彼女は死を受け入れることができませんでした。私が回診に行くと「早く病気を治して、早く歩けるようにして!」と毎日のように懇願するのです。このとき私が感じた無力感は本当に辛いものでした。彼女に対して、私は何も言えず、手を握ることすら偽善的な感じがしてできなかったのです。
 
 彼女はその後他界されましたが、もしも今私が彼女ともう一度対面したとして、何ができるのでしょうか。死を受け入れることのできていない末期の患者さんに私ができること・・・。今の私には答えがありません・・・。

 これから長い時間をかけてスピリチュアル・ケアについて学んでいきたいと思います。

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2013年6月13日 木曜日

2011年2月号 フェイスブックとタイガーマスク

2010年から2011年にかけてチュニジアで起こった反政府暴動は、政府に不満をもった若者の焼身自殺をきっかけに国内全土に一気に拡大し、最終的にはアリー大統領がサウジアラビアに亡命し、23年間続いた政権が崩壊することとなりました。そして、ここまで一気に国民に情報が広がり、強い団結力が生まれたのは、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サ-ビス)、なかでもフェイスブックによる影響が大きいと言われています。

 おもしろいインターネット上のコミュニティがあるから入らない?、知人にそう言われてmixiに私が入ったのは、たしか2005年だったと思います。しかし、結局私は一度たりともmixiを通して何かを発信することはありませんでした。もっと言えば、mixiというものに何も魅力を感じなかったというのが正直なところです。

 なぜmixiに興味が持てなかったかというと、元々私がパソコンの操作が苦手ということもありますが、それ以上に「匿名」というものに抵抗があったのです。匿名がイヤなら実名を名乗ればいいじゃないか、という意見もあるでしょうが、コミュニケートする相手がどんな人かよく分からないんだからせめて名前だけでも実名を出すべきだろう、と直感として私はそう思うのです。匿名だから言えることもある、という意見もあり、そういった考えも尊重すべきかもしれませんが、どうしても私には馴染めないのです。何か言葉を発するのならその言葉に責任を取らなければならない、無責任な発言はすべきでないし、匿名での発言は無責任化を加速させる可能性がある、というのが私の意見です。

 というわけで、私は「ネット社会の匿名性」というものに抵抗があり、SNSというものを利用した経験がほとんどありません。2チャンネルなどの掲示板も何度か見たことはありますが、実名のない無責任な発言にすぐに嫌気がさして、もう何年も見ていません。

 医師のみが利用できる掲示板もあり、こういったものはたまに見ることがありますが、やはり匿名での無責任な発言にうんざりしてしまうことがあります。ひどいものになると、医者同士のけんかの場になることもあり、見るに耐えられない、というのが正直なところです。

 私が情報収集によく利用するのは実名を前提としたメーリングリストです。毎日チェックするメーリングリストが3つほどあり、これらは大変有用な情報収集ツールとなっています。実名ですから、メッセージを発信する人もいい加減なことは書けないわけです。私自身がメーリンリストに対してメッセージを発信することは年に1~2度程度しかありませんが、自分の言葉には責任をとるつもりで文章を作成します。実名であれば、いつも「言葉の責任」を感じることができます。

 さて、フェイスブックに話を戻すと、フェイスブックの最大の特徴は実名が前提となっているということです。フェイスブックは元々アメリカの学生向けのSNSですが、2006年には一般公開され、日本では2008年から利用開始となっています。2010年にはアクセス数でグーグルを抜き、2011年現在全世界で5億人以上のユーザーがいると言われています。

 私自身は情報のやり取りに関して、発信は特定の個人に向けた通常の電子メールといくつかのメーリングリストで充分だと感じています。情報収集については、まず最も有用なのがネット配信のニュースです。インターネットのおかげで、世界中の新聞がほとんど無料で読めるのです。以前にも述べましたがこれこそが私にとってのインターネットの最大の魅力のひとつです。医学関連の情報については、ほとんどの医学誌が少なくとも論文の概要は無料で読めますし、最近は全文が無料で読めるようなものも増えてきています。これらに加えて、いくつかのメーリングリストで集まってくる情報があり、これでもう充分です。フェイスブックでしか得られない情報があるとは私には到底思えないのです。ですから、絶対にとは言いませんが、私は今後もフェイスブックを含めてSNSを利用することはないと考えています。

 話がそれましたが、フェイスブックに関して私が興味深く感じているのは、日本でのフェイスブックの普及率が極めて低い、ということです。Socialbakersというフェイスブックの国別の利用者を公開しているサイトによりますと、利用者が最も多いのがアメリカで人口の半分に近い約1億5千万人、2位がインドネシアで約3,500万人です。日本は49位で210万人、利用率(利用者/人口)ではわずか1.7%です。利用率は欧米では軒並み3割から5割以上、アジアでも、インドネシア14%、台湾51%、マレーシア38%、フィリピン23%、ですから、日本の利用者がいかに少ないかが分かります。

 なぜ日本ではフェイスブックがさほど普及しないのか・・・。もちろん様々な理由があるでしょうが、最大の要因は「実名公開が前提」ではないかと私は考えています。

 日本人というのは実名を出して物を堂々ということにとまどいがある、あるいは苦手意識を持っているのではないかと私は思うのです。そして、それを示すもうひとつの例がいわゆる「タイガーマスク現象」です。

 2010年12月25日、「伊達直人」を名乗る正体不明の人物から、群馬県中央児童相談所にランドセル10個が送られました。これが報じられると、同様の匿名の寄附行為が全国の児童福祉関連施設に対して次々とおこなわれるようになり、これが「タイガーマスク現象」と呼ばれるようにったのです。

 このブームともなった寄付行為に対して国民の大半は好意的にみているようです。おそらく匿名での寄附という行為にある種の美学が感じられるのでしょう。もしも、同じような寄附をした人が資産家やタレントであれば、どのように受け取られたでしょうか。資産家の寄附であれば、「寄附して当然、もっと出すべき」、企業やタレントであれば「売名行為じゃないの?」と思われるのではないでしょうか。

 名前を名乗らずに寄附をする、という行為が美しくみえるのは事実です。しかしこの美しさを強調しすぎれば、寄附という行為が非日常的な行為となり、簡単に気軽にできなくなってしまうことを私は危惧します。

 私はキリスト教徒ではありませんが、敬虔なキリスト教徒たちから、「わたしたちは小さい頃から寄附をするのが当然の習慣だった」という話を何度も聞いたことがあります。彼(女)らにとっては、寄附とは何も特別の行為などではなく日常的な行為のひとつにすぎないのです。

 タイの大半は仏教徒ですが、タイ人の多くはお寺に寄附(お布施)を気軽にします。この行為はタンブンと呼ばれ「徳のあること」とはされていますが、名前を伏せておこなうようなものではありません。タイのお寺で寄附をしてみれば分かりますが、小額であっても領収書を発行してくれます。おそらく、タイ人からみれば匿名での寄附にさほどの美学は感じないのではないかと思います。以前あるタイ人と匿名での寄附について話をしたことがあるのですが、そのタイ人は、「何か悪いことをして得たお金だから匿名で寄附するんじゃないの?」、と言っていました。仏教徒にとってもお布施(タンブン)は日常的な行為なのです。

 一方我々日本人は堂々と名前を出して寄附をすることに対して、後ろめたさではないにしても、恥ずかしさや照れくささのようなものを感じているのです。

 普及しないフェイスブックとタイガーマスク現象を、共に「匿名をよしとする日本人の性格」が原因と決め付けてしまうのは極端すぎるかもしれませんが、いかなる言葉に対しても、いかなる行為に対しても実名をだして責任を取る姿勢がもう少し重要視されるべきではないかと私は感じています。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2013年6月13日 木曜日

2011年1月号 「与える」ということ

このコラムで毎年書いているように、私は年末年始に自分のミッション・ステイトメントを見直し、さらにその年の課題を決めています。課題は、昨年(2010年)は「仲間との時間を大切にする」、2009年は「周りを理解する」(これについてはコラムに書きませんでしたが)、2008年は「バランスをとる」、2007年は「貢献」、2006年は「勉強」、2005年は「奉仕」でした。

 昨年末から新春にかけての数日間、私は国内のある地方都市でほとんど何もせずにゆっくりと過ごしました。この、何もせずにゆっくりする、というのは私にとって「至福の時間」であり、その何もしないなかで、自分のミッション・ステイトメントを見直し、そしてその年の課題(テーマ)を考えます。1年間(2010年)に起こったいろんなことを思い出して、それらに対し反省と考察を加え、これからの目標や課題を吟味します。丸3日間ほどこの作業を続けていると、脳内が洗われてリフレッシュされるような感覚となり、一年間の疲れが取れていくように感じられます。

 そして、そのような脳内のリフレッシュを経て、決定された私の2011年の課題は「与える」です。

 誰もがそうであるように、私も実社会のなかではいくつかの”顔”があります。私の場合は、まず患者さんと向き合う医師であり、太融寺町谷口医院のリーダーであり、NPO法人GINA(ジーナ)の代表であります。

 2011年の課題とした「与える」は、その立場ごとに何をどのように与えるかが異なります。

 まず、医師として患者さんに自分ができる限りのことを与えたい、と考えています。診察・検査・投薬などだけでなく、食事・運動・禁煙などを踏まえた生活指導をおこない、さらに今年はセルフメディケーションに取り組んでいきたいと考えています。

 よく言われるように日本は完全な医師不足です。医師不足の結果、何が起こっているかと言うと、本当はじっくりと時間をかけて患者さんと話をしたいのだけれどそれができずに溜まる医師側のフラストレーションと、もっと話を聞いてほしいけれど医師が忙しそうにしているから言いたいことの半分も言えない患者さん側の不満がぶつかりあい、お互いの距離が離れたままでコミュニケーションの齟齬が生じているように私は感じています。

 医師側は理解を得られずにクレームを突きつけてくる患者さんをモンスター・ペイシェントと呼び、患者さん側は医師の不親切な態度から医療不信に陥り、それが発展すれば医事紛争になりかねません。もしも充分な時間があり、医師と患者さんがじっくりと話し合うことができれば、互いを理解できるようになり双方にとって満足いくようになるに違いありません。

 しかし、実際にはどこの医療機関でも、待ち時間が長く診察に充分な時間がとれない、というのが現実なわけです。そしてこの状況が改善される見込みはありません。ならば、患者さんができるだけ医療機関を受診しなくてもいいように、適切な予防をおこなってもらい、ある程度の医学的知識を持ってもらうようにセルフメディケーションをすすめていくのが得策です。

 健康上のことで気になることがあれば気軽に受診してくださいね・・・。私はこのように患者さんに言うことがしばしばありますが、例えば、同じような症状で何度も受診している患者さんに対しては、気になることがあれば”盲目的に”受診するのではなく、まず自分でできることがないかどうかを考えてもらいたいのです。そのために、患者さんによっては、ある程度高度な医学的知識まで伝授したいと考えています。

 医師として私が伝授したい(与えたい)と思うのは、患者さんに対してだけではありません。2010年は合計3人の研修医もしくはレジデントの医師が太融寺町谷口医院に研修に来られ、私はできる範囲で自分の知識や技術を伝授したつもりですが、これを今後も続けていきたいと考えています。

 次にクリニックのリーダーとして「与える」ことを実行したいと考えています。この場合は「与える」よりも「分かち合う」と言った方が適切かもしれません。自分が日々の診療のなかで感じている問題点を他のスタッフに共有してもらいたいと考えていますし、仕事の内容によっては業務そのものを委譲したいと考えています。例えば、看護師には薬の説明や電話問い合わせに対する対応をおこなってもらい、事務職にはこれまで私がひとりでやっていた事務作業などを譲渡したいと考えています。

 GINA代表としては、もちろんHIV/AIDS患者さんやエイズ孤児の支援というかたちで「与える」ということを実践したいのですが、残念ながら現地(タイ)を訪問する時間はほとんどありません。そこで、これまで通り寄附をおこない、現地の支援をサポートし、さらに「タイにボランティアに行きたい」という有志を探していきたいと考えています。すでに、今年タイにボランティアに行ってくれるという二人の学生と面談をしましたが、今後さらにこのような有志を募っていきたいと考えています。

 私の公的な3つの顔は、医師、クリニックのリーダー、GINAの代表、となると思いますが、実は数年前からもうひとつ地道に続けている行動があります。

 それは、勉強に対するアドバイスです。

 私は『偏差値40からの医学部再受験』など勉強に関する数冊の本を上梓しており、その関係で受験や勉強に関する相談メールがしばしば送られてきます。きちんとした相談に対しては、できるだけ返事をするようにしていますが、全員には返信できていません。(自分の名前を名乗り、きちんとした内容のものについては全例何らかの返答をしているつもりですが・・・)

 相談内容には同じようなものもあり、受験や勉強で悩んでいる人は相当いるのではないかと感じています。そして、以前別のところでも述べましたが、受験というのは何も医学部受験が特異なわけではなく、他学部の受験でも、各種資格試験でも、TOEICやTOFELでも、あるいは試験のないものでも勉強の要領や醍醐味には共通するものがたくさんあります。

 勉強に対するアドバイスをするといっても、具体的にどのようなかたちでおこなうかはまったく決めておらず「白紙」というのが正直なところですが、何らかのかたちで(例えばウェブサイトをつくるなどして)勉強のアドバイスを効率的におこなえる方法を模索したいと考えています。そして私が知る限りの勉強に関するアドバイスを「与える」のです。

 医師、クリニックのリーダー、GINA代表の3つの顔に加え、勉強アドバイザーとして私の持っているものを「与える」というのが私の課題になりますが、これら以外の立場からも「与える」ことを実践していきたいと考えています。例えば、私は大阪市立大学医学部附属病院総合診療センターの非常勤講師であり、日本医師会認定産業医であり、スポーツ医であり、大阪プライマリケア研究会の世話人でもあります。

 そして、もちろん忘れていないのが家族や仲間に与えるプライベートな時間です。昨年(2010年)の課題とした「仲間との時間を大切にする」は今年も継続したいと考えています。

 今年も多忙な一年になりそうです・・・。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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