マンスリーレポート
2019年9月11日 水曜日
2019年9月 ”副腎疲労症候群”にかかる人たち
「えっ、先生、”ふくじんひろうしょうこうぐん”を知らないんですか?」
これは太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)をオープンして間もない頃、20代女性の患者さんから言われたセリフです。「副腎疲労症候群」、そんな病名、聞いたことがありません。医学の教科書に記載されている病気で私の知らない病気はまったくない、とまではいいませんが、患者さんが「よくある病気」と思っていて、医師が知らないものというのはまず存在しません。それに私は自分の性格上、知ったかぶりをするのが嫌いなので、正直に「知りません」と答えました。
するとこの患者さんは「そんなことも知らないんですか?」と呆れた口調で私を軽蔑するような態度に変わりました。「そのような病気はありません」と答えるのは上からの態度になりますし、「きちんとした医学では認められていません」と言うのも相手をいい気分にはさせませんから、「その”病気”のことはさておき、どのような症状でお困りか話してもらえますか?」と質問してみました。
分かったことは、何年も前から疲れが取れないこと、しかし仕事には積極的で休日出勤も多く、一方では旅行が趣味で頻繁に海外に出かけていること、健康診断で異常はなく体重は変わらないこと、これまで数件の医療機関に行ったけどマトモなところはなかったこと、谷口医院なら何でも相談できると思ったから受診したこと、などです。しかし、彼女が「副腎疲労症候群」という言葉を口にする度に私が不甲斐ない返事をしたからなのか、不満げな表情を浮かべて「もういいです!」と捨てゼリフを吐いて帰っていきました。
その後、年に2~3人から「副腎疲労症候群だと思うんです……」という訴えを聞くようになりました。しかし、まともな医師ならこんな疾患が存在しないことは病名からすぐに分かります。慢性疲労症候群という疾患は存在しますし、言葉もおかしくありません。これは「慢性に疲労を感じる病態」です。一方、「副腎」という臓器が「疲労」することはあり得ません。臓器が疲労を自覚することはできません。
先述した20代女性に対する私の対応は失敗と言わざるを得ませんが、その逆に、そんな病気は存在しないということを説明して理解を得られたこともあります。ですが、理解してもらえるのは何度か受診されている患者さんです。「副腎疲労症候群の検査と治療をしてくれないのであれば受診する意味がない」と頑なに信じている初診の人を説得するのは困難です。
そんなある日、ついに「これは放っておけない」と考えなければならない女性がやって来ました。30代のその女性、なにやらクリエイティブな仕事をされているようで東京在住ながら全世界を飛び回っていると言います。訴えは「副腎疲労症候群でコートリルを飲んでいるのだが切れてしまった。2週間後には東京に戻るのでそれまでの処方をしてほしい」というものでした。
コートリルというのは内服ステロイドの商品名です。私は当初、この女性は「副腎疲労症候群」ではなく「副腎皮質機能低下症」があるのかと思いました。副腎皮質機能低下症というのは体内のステロイドをつくりだす副腎機能が低下しており、外から(つまり薬を飲むことで)ステロイドを補わなければなりません。この場合、コートリル(ステロイド)を切らせば大変なことになりますから処方しなければなりません。しかし、その前に問診が必要です。
医師(私):副腎の機能が低下する病気があるということですね。当院は初診になりますから少し話を聞かせてください。まず、診断がついたのはいつですか。
患者:半年くらい前です。専門のクリニックで言われました。
私:ということは生まれつきではないのですね。副腎の機能が低下する原因は何なのですか?(注1)
患者:金属と食べ物と腸内細菌が原因です。
私:……
絶句してしまいました。これは副腎皮質機能低下症ではありません。このとき私は「副腎疲労症候群」の”正体”が分かりました。メディアや世論が勝手に作り出す病名というのは他にもあります。有名なのは「新型うつ」や「アダルトチルドレン」でしょうか。これらにも様々な問題がありますが、こういう診断がついたからといって危険な薬を処方されることはあまりないと思います。ですが、この女性の「副腎疲労症候群」の場合、ステロイドが処方されているわけですからこれを見逃すわけにはいきません。
私の予想通り、副腎機能を示す検査(例えば、コルチゾールやACTH)は測定されていないと言います。その代わり(?)に、毛髪からの金属と”遅延型食物アレルギー”の有無を調べたことがあるそうです。遅延型食物アレルギーというのは過去に指摘したように、存在しないもので多くの被害者が出ています(参照:医療ニュース2014年12月25日 「遅延型食物アレルギー」に騙されないで!)。こういうタイプの患者さんに説明するのはものすごく困難ですが放っておくわけにはいきません。
私:副腎疲労症候群という病気は認められていません。副腎の病気でコートリルが必要な人はたしかにいますが、それは副腎皮質機能低下症という特殊な病気にかかった人で、定期的に体内のステロイドホルモンの数値を調べなければなりません。
患者:先生は副腎疲労症候群を知らないんですね。(東京の)私のクリニックの先生は「この病気は多くの医師が知らない」と言っていました。コートリルを飲めば疲れがなくなるんです。私の先生が正しいんです!
私:……
結局、この患者さんとも良好な関係を築けませんでした。ステロイドを飲めば疲労感が一時的に取れて元気になるのは当たり前です。徹夜もできるでしょう。スポーツ選手なら記録が向上するでしょう(ドーピングになりますが)。しかし、その反動は必ず来ますし長期的なリスクが多数あります。こんなことを続けていると確実に寿命が短くなります。この女性がステロイド内服の危険性に気づき、副腎疲労症候群などという病気が存在しないことに気づくのはいつでしょうか。それにしても東京にはこのような”治療”をしているクリニックがあることに驚かされます。
この件があってから論文を調べてみました。どうやら「副腎疲労症候群」という”病気”で不安を煽られているのは日本人だけではないようです。科学誌『BMC Endocrine Disorders』2016年8月24日号(オンライン版)に「副腎疲労症候群は存在しない~系統的検討から~(Adrenal fatigue does not exist: a systematic review)」という論文が掲載されています。この研究では、これまでに副腎と疲労感や消耗感などの関係が研究された3,470件の論文から、研究の基準に値する58件を選び出し、それらが系統的に検討されています。解析の結果として、研究者らは「副腎疲労は依然として”神話”である(Therefore, adrenal fatigue is still a myth.)」と結論付けています。
現在も年に数回はこの「神話」について患者さんから質問されます。そして、興味深いことにこういう質問をするほとんどの人が先述した「遅延型食物アレルギー」にも関心をもっていて、「リーキーガット症候群が……」(注2)とか「カゼインアレルギーが……」と言います。すでに「コムギとカゼインは一切摂っていない」(注3)という人もいます。不思議なことにそれだけ健康に気を使っている一方で、何人かは「大麻に関心がある」(注4)と言います。そして、さらに不思議なのがこういう”病気”に興味を持っている人の多くが、知的レベルが高く、英語を使いこなす仕事をしていたり、自身で事業をしていたりする人も少なくないことです。
エビデンス(科学的確証)がすべてではありませんが、我々のようにエビデンスに基づいた医療を基本とする、という考えはこういった人たちには受け入れられないのかもしれません。それだけ医療者が信用されていない、ということなのでしょう……。
************
注1:副腎皮質機能低下症には先天性と後天性があります。先天性には先天性副腎皮質低形成、副腎皮質刺激ホルモン不応症、副腎白質ジストロフィーなどがあり、後天性はアジソン病と呼ばれる自己免疫疾患や結核で発症するものが有名です。他には、副腎への癌転移、薬剤性などがあります。
注2:ただし私自身は「リーキーガット症候群」という概念を否定していません(参照:はやりの病気第172回(2017年12月)「リーキーガット症候群」は存在するか?)。私がそういう医師だから副腎疲労症候群に関心があるという患者さんが谷口医院を受診されるのかもしれません。
注3:コムギの遅延型アレルギーというものは存在しませんが、コムギを避けると体調がよくなるという人はたくさんいますし、私の方から「コムギ製品を控えてみては?」と患者さんに助言することもあります(参照:はやりの病気第158回(2016年10月)「コムギ/グルテン過敏症」という病は存在するか)。
注4:2013年にウルグアイが大麻を嗜好大麻も含めて合法化したことに続き、2018年夏にはカナダも合法化されました。米国でも嗜好大麻を合法とする州と地域は10以上あります(2019年9月現在)し、ヨーロッパや中南米でも個人的使用なら合法の国が増えてきています。たしかに医療用大麻は有用とする意見も多く、日本でも重症のてんかんには近いうちに許可される可能性があります。ですが大麻には有害性があるのもまた事実であり、本文に述べたような人たちはその有害性にはあまり目を向けていないような印象があります。
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