マンスリーレポート
2020年6月14日 日曜日
2020年6月 「我々の本質は優しくて思いやりがあり助けあうもの」ではない
「ピケティに次ぐ欧州の知性」と呼ばれている若きオランダの歴史家ルトガー・ブレグマン(なんとまだ32歳!)は、最近『Humankind: A Hopeful History』というタイトルの書籍を出版しました(私はまだ読んでいませんが)。出版に際して、英紙「The Guardian」はブレグマンのインタビュー記事を掲載しています。著書のタイトルから分かるように、ブレグマンは「歴史は希望に満ち溢れている」と考えていて、The Guardianは「UBI(ユニバーサル・ベーシック・インカム)を以前から絶賛しているブレグマンはポストコロナでさらに注目されるだろう」と分析しています。その記事でブレグマンは「我々の本質は優しくて思いやりがあり助けあうもの(Our true nature is to be kind, caring and cooperative)」と述べています。
世界中から注目されている偉大な歴史家を安易に批判したくはありませんが、私には到底ブレグマンの主張に同意できません。ただし、ブレグマンが人気があるのは分かります。なぜならほとんどの人にとって「希望のある明るい話」は心地いいからです。現在のように閉塞感が社会を支配しているときにはなおさらです。ですから、私のような悲観的な物の見方をする者は大勢から嫌われて相手にされないわけです。
ですが、最も大切なのは楽観論か悲観論かという二元論的な議論ではなく「現実」を正確に分析することです。
新型コロナ流行後の「悲しい事件」を挙げればきりがありませんが、今回はまず映像付きのこの記事を紹介しましょう。記事では国籍には触れられていませんがアジア人のカップルがシアトルで米国人に襲われています。たまたまこのシーンが防犯カメラに捉えられていて世界中で報道されたのです。
よく言われるように米国人は中国人・韓国人・日本人の区別がつきませんから、もしも日本人のあなたが同じ状況にいれば暴行を受けた可能性もあるわけです。3月にはパレスチナ人の女性が日本人女性を「コロナ、コロナ」とからかい、日本人女性がスマホでそのパレスチナ人を撮影しようとしたところ、パレスチナ人女性が逆上し日本人に襲い掛かるという事件が起こりました。この事件も防犯カメラに偶然うつっていて拡散されました。
新型コロナのせいでこのような事件が増えていますが、アジア人差別は今に始まったことではありません。欧米で最も差別が少ないと言われている米国の西海岸でさえも、です。西海岸で日本人に人気があるのはシアトルの他、ポートランド、サンフランシスコ、ロサンゼルスあたりだと思います。これらの地でも長期滞在すれば否が応でも辛い経験をすると聞きます。
フランス人は「フランスには差別がない」と言いますが、「The Guardian」の記事によると、2016年には20代のアフリカ系フランス人男性が警察の職務質問を受け、連行され警察署で死亡しています。先日(2020年5月25日)ミネアポリス近郊で警察官に殺害されたアフリカ系アメリカ人ラッパーの黒人男性を彷彿させる事件です。
新型コロナ流行以降の日本人が日本人を差別する事件も、すでにこのサイトで何度か紹介しました。医療者による医療者の差別もあれば、美容室の予約を断られた医療者もいます。なかには「感染が起きた病院関係者に「ごえんりょを」」と張り紙をした美容院もあるとか。また、自身が医療従事者であるという理由だけで子供の登園を認められなかった事件が続出し、厚労省は4月17日に「医療従事者等の子どもに対する保育所等における新型コロナウイルスへの対応について」という異例の通知を全国の自治体に出しました。
もちろん差別される対象は医療者だけではありません。新型コロナウイルスに感染した人への差別や海外からの帰国者に対する差別もあります。なかには感染したことが原因で仕事をなくし、さらに引っ越しを余儀なくされた人もいると聞きます。
人間とはなんと残酷な生き物なのでしょう。感染した人にいったいどんな罪があると言うのでしょう。私には新型コロナに感染した人を差別するのは、まるで交通事故の被害者を犯罪者扱いし加害者の責任を問わないような行為に思えます。また、感染して重症化している人たちの命を救うために仕事をしている医療者やその家族を差別するなどという行為はまったく理解できません。
すでに新型コロナは「知識」(とちょっとした「訓練」)でほぼ100%感染を防ぐことができることが分っています(参照:「新型コロナ 感染防止に自信が持てる知識と習慣」)。過剰に怖がり感染者や医療者を差別する人たちは、そういった知識がないことを暴露しているようなものです。
もちろん今後の動向を楽観視してはいけません。どの国もこのまま”鎖国”もしくはそれに近い状態を続けて海外渡航の制限を続けるなら、日本でもやがて新型コロナは終息していくでしょう。ですが、いつまでもこの状態を続けるわけにはいきません。近いうちに海外渡航を緩和し国際間での人の移動を元に戻すべきです。もしかすると、この考えに反対する人もいるかもしれません。たとえば厭世主義に陥り、他人との接触を極力避け人気のない地域に住むことを考えるような人たちは、鎖国を続けるべきだ、というかもしれません。
私はそのような厭世主義には同意できません。私は自分自身を悲観主義者だと思っていますが、悲観主義と厭世主義は異なる概念です。私の考えは、「世界は交流を活発にし、貧困、戦争回避、地球温暖化などの問題に共に立ち向かっていかねばならない」というものです。もちろん、新型コロナを含めた医療に関する諸問題も世界が一丸とならねばなりません。”鎖国”している場合ではないのです。
しかし、「人類皆兄弟」などと言って、簡単に人を信用し性善説に基づいた行動をとるのは危険すぎます。私は、基本的に人間は残酷で非情なものと考えるべきだと思っています。それが言い過ぎだとしても、人間はときに残酷で非情な存在となり得る、というのは真実だと思います。この私の意見に反対する人には、先述した目を覆いたくなるような差別の数々について考えてもらいたいと思います。
とはいえ、私自身以前はこのような悲観的な考えは持っていませんでした。ほとんどの諍い事は「誤解」から来ているわけで、きちんと話し合えば人間は皆分かり合えるとかつての私は本気で思っていました。それが幻想であることに突然気付いたわけではありません。他人の残酷な行為や裏切りを見聞きするにつれて、少しずつ人間の非情さを認めざるを得なくなったというのが実際のところです。
冒頭で紹介したブレグマンの現在の年齢と同じ32歳の頃、私は医学部の6回生でした。この頃には医師になることを決めており(医学部入学当時は研究者志向で医師になるつもりはありませんでした)、医療に関するすべての「誤解」(それは患者さんの医療不信であったり、特定の病気に対する偏見などであったり、です)は自分の力で解いてみせる、と意気込んでいました。
しかし、その後様々な現実を目の当たりにし(それは医療の世界もプライベートも含めて)、「人間は残酷で非情なもの」という結論に達しました。けれども、だからこそ、あるべき人間の姿、つまり「人間は利他的な存在であるべきだ」ということを強く実感するようになりました。「我々の本質は、優しくなくて、思いやりがなくて、助けあうことなど考えない」と認識した上で、病気や人種で他人を蔑むことがどれだけ愚かなことかをこれからも訴え続けていくつもりです。
そんな私はブレグマンの20年後の著作を楽しみにしています。
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