マンスリーレポート

2024年9月8日 日曜日

2024年9月 「反ワクチン派」の考えを受けとめよう

 新型コロナウイルス(以下、単に「コロナ」)について私が記事やコラムを書くと、興味深いことに、ワクチン賛成派からもワクチン反対派(以下「反ワクチン派」)からも苦情やクレームがきて、一部の人たちからは「私の人格を否定するようなメッセージ」が届けられました。以前から薄々気付いていた、コロナを通してはっきりと分かった自分自身のことが2つあります。

 1つは「私自身は他人からの悪口に極めて鈍感」なことです。医師によっては、自分が非難されたり否定されたりすることが耐えられないらしく、例えばX(旧ツイッター)で非難されると、すぐさまそれに対して攻撃的な言葉を使って”応酬”することがあります。私にはそういうことをする人たちの”神経”が理解できず、そんな”攻防”を冷めた目でみてしまいます。

 なかには非難されたことに耐えられず、名誉棄損の訴訟を起こした医師が何人もいると聞きます。たいていは医師側が勝利するそうですが、お金よりも、そういう面倒くさいことにかける時間がもったいないのに……、と私は考えてしまいます。たしかに、SNSの書き込みで自殺にまでいたったケースがあるわけですから言葉が人間を傷つけることは理解できるのですが、ネット上の文字が人間の身体に変化して画面から飛び出して襲ってくるわけでもあるまいし(こんなホラー映画がかつてあったような……)、と私は考えてしまいます。

 そもそも見ず知らずの人たちから非難されてなぜ自分が傷つく必要があるのでしょう。そういう人たちはもしかすると、世界のすべての人から承認されたい、とでも思っているのでしょうか。「承認欲求」の話はこのサイトで何度も述べましたからここでは繰り返しませんが、私の考えを再度紹介しておくと「承認されるのは数人の身内からだけでじゅうぶんであり、見ず知らずの人たちからは何を言われてもかまわない」となります。

 念のために付記しておくと、これは「人格に対して」という意味です。例えば、あなたが芸人だったとして、その芸が誰からも認められなければ食べていけなくなります。しかし、万人から支持される芸人がいたとすればまず間違いなくその芸は面白くありません。また、芸人に限らず芸術家の場合、「人格は承認されずに作品は認められる」ということもよくあって、これでOKなのです。

 例えば、私自身はピカソという人物を”尊敬”していますが、それは一人で15万点もの作品を残したことにあります(芸術性の高さはよく分かりませんがこれは私に芸術のセンスがないからです)。しかし、その尊敬は作品(の多さ)に対するものであり、だらしない女性遍歴については異なります(ロマンスやセックスへの執着の強さと作品に関連があるかもしれないという意味で興味はありますが)。

 コロナワクチンに話を戻すと、公衆衛生学者や感染症専門医の立場からはワクチンを推奨するしかないわけで、少なくともオミクロン株登場までは、コロナワクチンが多数の命を救ったのは事実です(この点について、反ワクチン派から正統なコメントを聞いたことがありません)。だからそういう立場の人は「ワクチンは有効だ(だった)」と言えばいいわけです。

 しかし、ワクチンというのは元々全員が賛成するものではありませんし、ワクチンの被害に遭う人もいるわけですから、万人から支持されないことは初めからわかっていたはずです。SNSで「ワクチンをうちましょう」と言えば、当然「ワクチンなんて誰がうつか!」というコメントが届くことも予想できたのです。そして、それがエスカレートして人格が攻撃されることも起こり得るのは自明です。ですから、たとえ「殺すぞ」などと強迫めいたメッセージが届いたとしても放っておけばいいのです。実際に殺しにくることなどあり得ないからです。

 私の場合は初めから一貫して「コロナワクチンはうってもうたなくてもリスクがある」と言い続けて一度も主張を変えていません。これを最初に書いたコラムを公開したとき、多数の苦情がきました。編集者がタイトルを変更したほどです。このコラム、もともとは「コロナワクチン、うってもうたなくても『大きなリスク』」だったのですが、これなら炎上するだろうとのことで編集者に「新型コロナワクチン 打つも打たぬもリスク大きい」に替えられました。ところがこれでも炎上したために「新型コロナ ワクチン接種はよく考えて」という何の変哲も面白味もないタイトルに替えられてしまったのです。

 つまるところ、ワクチンというもともとコントロバーシャルなものを取り上げて文章を書くのなら(それが140字であっても、医療プレミアのように長いコラムであっても)批判されるのは初めからわかっているわけで、それが過激な表現になることも予想できるのです。ホラー映画のように画面から何かが飛び出してくることはないわけですから、こんなことを気にするのは時間の無駄です。

 もうひとつ、私が以前から気づいていたことでコロナを通して確信したことは、「反医学的な話を聞くことに抵抗がない」です。このことに対して「あれっ、自分はどこか違う……」と初めて気付いたのは、20年以上前の皮膚科での研修時代でした。ステロイドをやたら忌避する患者さんに対して、ほとんどの医師は「ああいう非科学的な人たちは来ないでほしい」などと言うわけですが、私にはこの感覚が理解できませんでした。むしろその逆に「そのような考えに至るまでにきっといろんなことがあったんだろう。この人のそんな人生を一緒に振り返ってみたい」と感じてしまうのです。

 コロナワクチンが始まったとき「ワクチンにはマイクロチップが埋め込まれていてワクチンをうてば国家に監視されてしまう」というデマがありました。ほぼすべての医師がこのようなデマを一蹴したわけですが、私が感じたのは「それを信じている人と話をしたい!」でした。もっとも、あの頃にそんな時間を捻出する余裕はなかったわけですが。しかし、谷口医院にも何人かこの説を信じている患者さんが受診されました。できるだけ表情に出さないようにして冷静に話すように努めましたが、誤解を恐れずに言えば、私はそういう人たちとの会話が楽しいのです。もっとも診察室ではあまり踏み込んだ話はできませんが。

 ちなみに、いまだに私が出会ったことがなくていつか巡り合えることを楽しみにしているのは「地球が平面だと信じている人」(英語では「flat earther」と呼びます)です。地球が平面だなんて馬鹿げていると思う人が多いでしょうが、実は国際学会「Flat Earth International Conference」も存在します。

 では、なぜ私がそんな非科学的な説を信奉している人(=science denier)に関心があるかというと、そういう人たちは「過去に人生に挫折していたりそれなりの苦悩を経験していたりするから」です。ステロイドを毛嫌いする人たちは、まず間違いなく自分か知人がステロイドをうまくつかえずに余計にアトピーが悪化した、またはステロイドの副作用に苦しんだ経験があります。「そんな経験があるならステロイドを嫌いになるのは無理もない」と私には思えますが、大半の医師はそうは考えず「自分の言うことが聞けないならもう来るな!」という態度になります。

 コロナワクチンの場合も同様です。そして、その”苦悩”はワクチンによるものとは限らずに、どんな背景でも起こり得ます。例えば、仕事や人間関係でうまくいかないことがあって人生に絶望しているときに「政府や専門家が推薦しているコロナワクチンは実は有害で、真実は別にある」と”理解”すれば、自分だけが正しいことを知っているという優越感、さらには高揚感が出てきます。そしてさらにこの感覚が生きがいにつながることさえあるのです。

 そういう人たちに対して正論を唱えてもまったく効果がないばかりか逆効果になります。反ワクチン派の人に対して、ワクチンが有効だとするエビデンス(科学的証拠)を示せば示すほど、「”真実”が分かっていない気の毒な人」と思われるだけです。ならば、初めから正論を主張するのではなく、まずは目の前の患者さんがなぜそのような考えを持つにいたったのかを理解すべきです。「オレの言うことが聞けないならもう来るな!」という態度をとれば医師・患者の双方にとっていいことが何一つないのは明らかでしょう。

 残念なことに、コロナワクチンが原因で、あるいはマスクや自己隔離などに対する考えを巡って友達や家族の間で対立が生まれてしまい関係を修復できなくなった人たちがいます。そのような経験がある人は、この次その相手に出会ったときに、どうかこのコラムを思い出してみてください。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

2024年9月5日 木曜日

2024年8月 谷口医院が「不平等キャンペーン」を手伝うことになった経緯

 すでに2024年7月号の「GINAと共に」でも述べたように、ついに谷口医院も(すでに一部の人からは)悪名高い「不平等キャンペーン」に手を貸すことになりました。

 まずは、このキャンペーンの概要を説明し、その上で何が不平等なのかを、実際に過去に当院に寄せられた”クレーム”を通してみていきたいと思います。

 キャンペーンの内容は「HIV、梅毒、B型肝炎の検査を行政のお金(税金)を使って無料でおこなう」もので、一見気前のいいキャンペーンに思えます。不平等なのは「ただし、この検査を受けられるのはゲイ(性自認が男性で性指向が男性である者)のみ」だからです。

 数年前、初診のある女性から「HIVと梅毒の検査、無料って聞いていたX診療所に行ったらゲイだけだと言われたんです。ここ(谷口医院)なら女性でも受けられますか?」と問われました。X診療所は性病検査で有名なところで、その診療所がこのゲイを対象とした無料検査を実施していることは我々も知っていました。なぜなら、事前に行政から「谷口医院もこのキャンペーンに参加してほしい」と依頼されていたからです。

 こんな検査、谷口医院でできるはずがありません。あきらかに「差別」だからです。そもそも私が、大学の医局に籍を置きながらとはいえ、比較的早い段階で開業したのはその「差別を許せなかったから」です。現在はある程度ましになっていますが、谷口医院が開業した2000年代当時、セクシャルマイノリティという理由で医療機関でイヤな思いをしたという声が私に多数寄せられていました。なぜ、私のところに寄せられていたのかというと2006年にNPO法人GINAのウェブサイトを立ち上げていたからです。

 今でこそウェブサイトなど何も珍しくありませんが、当時はウェブサイトを設けて読者の相談を受け付けていた、医師が中心となりHIVの支援をする団体はさほど多くなかったのです。毎日のように相談メールが寄せられ、そのなかに医療機関で差別的な扱いを受けたというゲイを含むセクシャルマイノリティの人たちからの相談がたくさんありました。

 こういう相談メールを読む度に、私の身体の奥から「こんなことが許されていいはずがない!」という怒りの感情が湧いてきて、いつしか「これが現実なら自分が差別のない医療機関をつくればいい」と考えるようになりました。セクシャルマイノリティのなかでも「差」はあります。最も差別的な扱いを受けているのはトランスジェンダーの人たちです。

 ゲイの場合、それをカミングアウトしなければいいわけですが、しかし疾患によってはそれを伝えた方が診察がスムースにいくと思われるケースがあります。例えば、肛門疾患がそうですし、あるいは精神疾患も該当することがあります。ところが勇気を振り絞って自身のセクシャリティを医師に伝えたところ、態度が急変し、なかには「専門のところに行ってください」と冷たく言われたり(「専門のところ」ってどこなのでしょう?)、なぜか名前ではなく番号で呼ばれるようになったという人もいました。看護師の対応があきらかに変わったという人もいました。また、当時は(残念ながら今でも似たような話があるのですが)HIV陽性であることを伝えると医師の態度が急変し「もう来ないでください」と露骨に言われたという話も珍しくありませんでした。

 こんなことが許されていいはずがありません。そこで私はHIVの有無に関わらず、セクシャリティに関わらず、平等に診察するクリニックをつくることを決意しました。この「平等」の意味はHIVやセクシャリティだけではありません。当時は(やはり今でも、ですが)、外国人だから診てもらえないとか、職業によって差別されたとか、あるいは「それはうちの科ではありません」と言われ、ドクターショッピングを繰り返さざるを得ない人たちが少なくなかったのです。

 研修医を終えてから開業するまでの約3年間、私は総合診療の修行をしてきました。まずタイのエイズ施設で約半年間にわたり米国人の総合診療医の指導を受け、帰国後は大学の総合診療部に籍を置き、大学以外にも様々な病院や診療所で研修を受けてきました。開業時には、すべての病気を治せるわけではありませんが、どのような症状であっても初期対応はできる自信がありました。そのうち9割以上は自分自身で治療できることを確信していて、残りの1割も紹介はしますがその後のフォローは自分でするようにしていました。決して「それは分かりませんから自分で別のところを探してください」とは言いませんし、実際、言ったことはありません。

 そして「どのような症状も診る」の他に、もうひとつ開院当時から今も遵守していることが「どのような属性の人も診る」です。つまり、どのような職業であっても国籍であっても、そしてどのようなセクシャリティであっても診ることを信条としてきたのです。しかし、セクシャルマイノリティを優先して診るようなこともすべきではありません。いわゆる逆差別もまた差別に変わりないからです。

 そして、ゲイだけが無料で受けられる検査はあきらかに(逆)差別です。こんなキャンペーンなどできるはずがありません。2007年の開院した当初、行政の職員からこのキャンペーンに参加してほしいと依頼され、お断りしました。以降、毎年のように「今年こそ」とお願いされ続けてきて、毎回断ってきました。

 しかし、2024年8月19日から始まる今年のキャンペーンにはついに参加することにしました。理由は主に2つあります。1つは依頼する大阪府の職員の方々が大変熱心で、ゲイを(逆)差別する悪意があるわけではないからです。行政がこのようなキャンペーンを実施するのは公衆衛生学的な理由です。つまり、「大阪のHIV陽性者はゲイが最多だから、母集団をゲイに絞って検査を促せば効率がいい」からこのような企画をするのです。

 もちろん、この理屈は(ゲイ以外の)市民からは受け入れられません。なぜなら「なんで(ゲイ以外の者からも集めた)税金を、ゲイだけのために使うんだ?」という質問に誰も答えられないからです。これは例えて言えば、同じように年会費を払っているホテルなどで「あんたはゲイじゃないから宿泊させません」と言われているようなものです。こんな理屈許されるはずがありません。だから、この点については「ご指摘の通りです。このキャンペーンが不平等なのは明らかです」と謝るしかありません。そこで当院では無料にはできませんが、こういった検査を格安ですべての人に提供することにしました。無料ではなくまだ高いですが(HIV検査は2,200円)、これが限界です。「ゲイは無料なのに……」と言われればやはり謝るしかありません。

 谷口医院がこの不平等キャンペーンに参加することにしたもう1つの理由は、先述したX診療所が閉院したからです。この診療所は通常の診療所とは異なるいわゆる「性病クリニック」で、多数の性病検査希望者が訪れていた有名なところです。

 当院で苦情を言っていたその女性は、sex worker(フーゾク嬢)のようで、普段からX診療所で定期的に性病検査を受けていたそうです。その”世界”では性病検査の情報の拡散が早いらしく、女性は「ゲイなら無料で検査ができる」という噂を聞き、「ゲイが無料なら私達フーゾク嬢も無料になるはずだ」と考え(おそらく「私達もゲイと同じように性病のハイリスクだから」と考えたのでしょう)、X診療所を定期受診したときに、「いつも受けているHIVと梅毒の検査を無料にしてほしい」とお願いして、あっけなく断られ、気分を害して当院を受診した、というのが経緯でした。

 ちなみに、この女性の友達が当院のかかりつけ患者で、その女性はsex workerではありませんが、過去に当院で性感染症の検査を受けたことがあるとのことでした。

 性感染症の検査は一見簡単そうでどこの医療機関でも受けられそうな気がしますが、ちょっと複雑な部分があります。例えば、淋菌やクラミジアは、一般のクリニック(泌尿器科や婦人科)では、尿検査や子宮頸部の検査をしますが、性交渉の仕方によっては咽頭や肛門粘膜も診なければならず、柔軟で適切な対応ができないことがあります。梅毒は今でこそありふれた疾患ですが、2000年代は(泌尿器科や婦人科でも)診察の経験がない医師が多く、X診療所の医師のように日々性病を診ていないと診察しにくいことがあります(尚、私の場合はタイのエイズ施設でかなり多数の梅毒を診てきましたから開業当初から梅毒は”見慣れた”疾患でした)。

 行政の人から「X診療所はゲイのキャンペーンに貢献してくれていた。X診療所が閉院して困っている」と聞きました。この言葉が決め手となって、谷口医院もついに参加することにしたという次第です。ただし、そうは言っても「不平等であることへの違和感」が私のなかで解消されたわけではありません。「GINAと共に」に書いたように、ゲイだけでなく対象者の幅を広げるつもりです。

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追記(2024年8月10日):大阪府は「レズビアンは本キャンペーンの対象ではない」と通知してきました。納得できませんが、府の意向には従うしかありません。

投稿者 医療法人 谷口医院 T.I.C. | 記事URL

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