はやりの病気

2018年8月20日 月曜日

第180回(2018年8月) 月経に対する考え方のコペルニクス的転回

 男女は社会的には平等であらねばならないわけですが、生物学的・医学的には「同じ」ではありません。我々医療者は常にその「差」や「違い」を考えて診察をおこないます。妊娠の可能性があれば放射線の曝露を避けねばならない、奇形のリスクがある薬を避けなければならない、などは分かりやすい例だと思います。

 では、妊娠・出産・授乳などだけを問診で確認すればいいかというとそういうわけではなく、そもそも妊娠に気付いていない女性は少なくありません。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)でも、「妊娠は絶対にありません」と主張するものの実際は妊娠していた、というケースがありました。我々医師は医学生の頃に「女性をみれば妊娠を疑え」と習います。この言葉は、解釈の仕方によっては「避妊の管理くらいきちんとできています」という女性には失礼でしょうし、そもそもまったく性行為がない、あるいはパートナーが同姓という場合には失礼を通り越した無礼な考えだと思います。ですが、もしも妊娠の可能性があれば医療行為が大変な事態を引き起こすことになりかねませんから我々はかなり慎重にならざるを得ないのです。

 もうひとつ、妊娠以外に、というよりも”妊娠していないからこそ”考えなければならないのが「月経との関連」です。多くの疾患や症状において、月経時あるいは月経前に悪化する、あるいは改善するものがあります。男性の場合(ストレートだけでなくゲイであったとしても)は、こういったことを考える必要がありませんからある意味でラクです(ただしホルモン剤を使用しているトランスジェンダーの場合は別の視点から考える必要があります)。

 月経に関連する症状や疾患として、まず(当たり前ですが)月経痛や月経過多(月経血が増える)があります。子宮筋腫があればこれらの症状は悪化します。子宮内膜症も同様です。

 PMS(月経前緊張症候群)という病名は随分と人口に膾炙してきました。月経前に、イライラ、不安感、抑うつ感、不眠、集中できない、涙もろくなる、などいろんな精神症状が出現します。身体の症状も伴うことがあります。例えば、むくみ、おなかのはり、頭痛、めまい、腰痛、便秘や下痢、動悸、発汗、乳房痛や乳房のはり、などです。

 ニキビも月経周期に関連することが非常に多いと言えます。月経前に悪化し月経が始まると改善するというパターンが一番多くて、これは黄体期(排卵から月経までの期間)に分泌される黄体ホルモン(プロゲステロン)が皮脂の分泌を促すことが一因です。通常のニキビの治療をおこなってもどうしても月経前だけは悪化するという人は少なくありません。

 谷口医院は「どのような症状でも相談してください」と12年間言い続けています。他の医療機関では診断がつかず、いわゆるドクターショッピングを繰り返している人も大勢います。めまい、腹痛、動悸などで長年苦しんでいる人が受診した場合、男性であれば最も多いのが自律神経のバランスが乱れて諸症状が出現しているケース、次に多いのがうつ病など精神疾患に伴って症状が現れているケースです。もちろん、女性の場合もこういったことが原因である場合は多いのですが、月経に関連しているかどうかを必ず確認しなければなりません。

 月経に伴い症状が出現するなら女性ホルモンが関連しているだろうから避妊用のピルを用いてホルモン量を適切にコントロールすればいいのでは、という考えが当然でてきます。実際、一部の女性には以前から月経に関連する症状や疾患の改善目的で避妊用ピルが使われてきました。そして、子宮内膜症がある場合に限り保険適用になる「ルナベル」という薬が2008年に発売され、2010年には超低用量ピル「ヤーズ」が登場し、こちらは内膜症のみならず「月経困難症」があれば保険で処方できることになり、これで一気に使用者が増えました(ただし、発売直後に重篤な副作用の報告が相次ぎ慎重になる声もありました(注1))。

 月経困難症というのは月経痛や月経過多を含む月経に関する諸症状のことを言いますから、軽症であっても何らかの症状があれば保険でピルが使用できる可能性がぐっと高まったのです。さらに「ルナベルULD」という超低用量ピルも2013年に登場し、低用量ピルのルナベルは2013年より「ルナベルLD」と名前を変え、内膜症のみならず月経困難症にも保険で処方できるようになりました。また、ルナベルLDの後発品「フリウェル」が登場、費用は3割負担で1000円を切るようになりました。尚、避妊目的の自費のピルと区別するために、最近は自費のものを「OC」(oral contraception)とし、月経困難症などに治療目的で保険処方できるものを「LEP」(Low dose estrogen-progestin)と呼ぶようになってきています。

 そして、さらに大きな展開がありました。2017年4月、上述のヤーズが「ヤーズフレックス」と名前を変えて発売となりました。ヤーズフレックスの成分はヤーズとまったく同じです。1錠あたりの値段は少し安くなっていますが基本的には「まったく同じ」です。では何が違うのか。ヤーズは毎月一度出血を起こすように説明されているのに対し、ヤーズフレックスは休薬せずに続けて飲んでもOK、とされたのです。最長120日まで連続してもいいですよ、ということになったわけで、この飲み方をすればこれまで毎月来ていた(来させていた)月経が年に3回だけになるのです。

 ということは、毎月経験していた「苦しみ」も年に3回だけになります。これはありがたいことですが、そんな”自然に反したこと”をしてもいいのでしょうか。

 まさにこの点がヤーズフレックスの「ポイント」です。実は以前から、月経が毎月起こるのが正常なのかはずっと議論されてきました。たしかに、少子化などと言われるようになったのはせいぜい過去数十年の話であり、それまでは生涯に4~5人、あるいはそれ以上出産する女性も珍しくなかったわけです。そして、妊娠中と授乳中(の一定期間)は月経がとまったままです。ということは、妊娠10か月及び出産後3か月は無月経だったとして、それが5回あったとすると少なくとも65か月間は無月経ということになり、現代に比べて平均寿命が短かったことや栄養状態がよくなかったことなどを考えれば、さらに月経の回数が少なかったことが予想されます。

 ということは、現代のように少子化、あるいは生涯まったく子供を産まなくなった時代、10代半ばに始まった月経が50歳前後まで毎月続くとなると、こちらの方がずっと”不自然”、少なくともこれまでの人類の歴史上なかったことを経験しているということになります。実際、子宮内膜症や月経困難症が過去数十年で急増している理由が「月経の回数が増えたからではないか」と言われています。

 谷口医院は例によって発売直後の薬は慎重に進めます。ヤーズフレックスはヤーズと同じものですが、連続服用の日本でのデータが多くないために積極的に勧めていませんでした。ですが、発売1年以上経過し、全国的に使用者が増え、大きな副作用の報告もないことから、必要と思われる患者さんには説明し処方を開始しています。今のところ際立った副作用はありません。ただ、いきなり120日間連続服用するのではなく、最初は2か月くらいで休薬して出血を来させる方法を選択する人が多いようです。また、ヤーズフレックスに替えてから月経予定日を自由自在に決められるのがありがたいという声は多く寄せられています。

 おそらく今後も、「月経は毎月こさせるのではなく自分自身で調節する」ことを選択する女性は増えていくでしょう。

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注1:医療ニュース2013年10月28日「超低用量ピルでの2人目の死亡例」

参考:はやりの病気第87回(2010年11月)「超低用量ピルの登場」

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2018年7月26日 木曜日

第179回(2018年7月) 認知症について最近わかってきたこと(2018年版)

 80歳になると二人に一人が罹患すると言われている認知症。かつてはワクチンに期待されたこともありましたが、手掛けていた製薬会社はすべて研究を中止し、一応は効果があるとされている数種類の治療薬も「進行を遅らせることもある」というだけであり、劇的な効果は期待できません。

 ならば早期発見をということになりますが、4年前のはやりの病気「第131回 認知症について最近わかってきたこと」で取り上げた87%の確率で推測できるとするオックスフォード大学の研究もその後報道されておらず、おそらく実用化は困難ということでしょう(注1)。〇〇を食べれば予防になる、有酸素運動は有効?…、などいろんなことが言われていますが、現時点では「△△をすれば確実に防げる」「◇◇をすれば確実に進行が止まる」というものはありません。それでも、世界中からいろんな研究が発表されていますので、今回はそれらを紹介したいと思います。

 まずは「遺伝」についてみていきましょう。アルツハイマーになりやすい遺伝子は”確実に”存在します。そして(ほぼ)万人が認める特定の遺伝子も特定化されています。それは「ApoE遺伝子」と呼ばれるものです。過去のコラム(メディカルエッセイ第179回(2017年12月)「これから普及する次世代検査」)でも紹介したように、ApoE遺伝子をε4・ε4で持っていれば(ε4をホモで持っていれば)、ε3・ε3の人に比べてアルツハイマーになるリスクが11.6倍にもなります。ε4を1つ持っている場合(ヘテロで持っている場合)でも3.2倍になります。

 現在この検査を受ける人が増えてきています。リスクが判ったところで治療法がないのだから検査すべきでない、という人がいますし、例えば結婚前にそんな検査をしてApoE遺伝子を持っていることが判ると、婚約者(やその親)から破談を宣告されかねない、という意見もあります。ですが、例えば現在50代の中小企業の経営者がいたとして、自身のリスクを知っておくことは悪くないかもしれません。なぜなら、将来のアルツハイマーのリスクがあるなら早めに後継者を育てなければならない、とか、今から新しい事業に手を出すなら慎重に進めなければならない、などと考えることもできるからです。この遺伝子検査をすべきかどうかというのは医療者によっても意見が分かれます。

 高血圧と認知症の関係は以前も何度か紹介しました。若年者(60歳未満)の高血圧はアルツハイマー病のリスクになるという報告(医療ニュース2017年6月28日「60歳未満の高血圧は認知症のリスク」)があります。しかし、高齢になってから血圧が上がると認知症のリスクは低下し、その逆に下がる(下げる)とリスクが上がるという研究もあります(医療ニュース2017年4月7日「血圧低下は認知症のリスク」)。この報告は興味深いので、ここでも簡単に振り返っておくと、80歳以降で高血圧を発症した人は、90代で認知症を発症するリスクが正常血圧の人に比べて42%も低かったというのです。また、別の研究では、最も血圧が下がっていたグループは、血圧が最も上昇していたグループと比較して、認知症のリスクが大きく上昇していたとされています。収縮期血圧(上の血圧)の低下は46%もリスクを上昇させ、拡張期血圧(下の血圧)の低下は54%上昇させる、というのです。

 比較的最近発表された論文にも興味深いものがあるので紹介しておきます。医学誌『European Heart Journal』2018年6月12日号に掲載された論文によると、心血管疾患のエピソードのない場合、50歳の時点で収縮期血圧130mmHg以上であれば、認知症のリスクが47%も高いことが判ったといいます。

 これらをまとめると、若い頃(60歳くらいまで)は血圧が高くなると認知症のリスクが上昇し、80歳以降の高齢になればその逆に血圧が上がればリスクが下がるということになります。規則正しい生活、運動・食事療法などで若いうちは正常血圧を維持することが認知症のリスクを下げるのは(おそらく)間違いないでしょうが、薬を使って正常血圧を維持すればリスクが下がるかどうかは分かりません。しかし、80歳以降になって血圧が上がった場合は薬を使うべきでないということは言えそうです。

 血圧以外の認知症のリスクで、最近話題になっている研究を紹介したいと思います。

 まずはヘルペスウイルスとの関連です。科学誌『Neuron』2018年6月21日(オンライン版)に掲載された論文によると、アルツハイマー病患者の脳では、そうでない人の脳と比べてHHV-6A(ヒトヘルペスウイルス6A)及びHHV-7(ヒトヘルペスウイルス7)の量がおよそ2倍に増加していることが判りました。さらに、これらのウイルスは、アルツハイマー病のリスクを高める遺伝子との相互作用があるといいます。

 HHV-6及びHHV-7はほとんどの子供が幼少期に感染するウイルスです。ワクチンはなく、他のヘルペス科、例えば水痘帯状疱疹ウイルスやEBウイルス、サイトメガロウイルスなどと同様、一度感染すると体内から追い出すことはできません。そして、現在のところHHV-6(A)及びHHV-7がアルツハイマー病のリスクであったとしても、これらのウイルスに有効とされている薬はありません。

 「運動」はどうでしょうか。残念ながら、運動に認知症を遅らせる効果は「ない」とする研究が権威ある医学誌で報告されました。医学誌『British Medical journal』2018年5月16日号(オンライン版)で紹介されています。軽度~中等度認知症に対し、中~高強度の有酸素運動と筋力トレーニングを実施したところ、これら運動で認知障害の進行を遅らせる効果はなく、さらに驚くべきことに、運動をした方が(差はわずかですが)しないよりも認知症が進行したことが判ったのです(当然といえば当然ですが「体力」は改善しました)。

 飲酒はどうでしょうか。大量飲酒が認知症のリスクになるのは疑いようがないようです。医学誌『The Lancet Publish Health』2018年3月号(オンライン版)に掲載された論文でフランスでの110万人以上の認知症患者のデータが解析されています。アルコール依存があると、認知症発症のリスクが男性3.36倍、女性3.34倍に上昇しています。さらに、65歳未満で発症する「若年性認知症」患者の57%がアルコール依存症でることが判りました。

 ここまでをおおまかにまとめると、アルツハイマー病は遺伝である程度決まっており(遺伝子を変えることはできない)、血圧に依存し(血圧の変動はある程度遺伝で決まっている)、運動は無効、ヘルペスウイルスには治療薬がない、飲酒はNG…。では何をすればいいのでしょうか。〇〇を飲めば予防効果あり、といわれるものはいかがわしいサプリメントから医薬品(たとえばアスピリンに予防効果ありとする論文もあります)までありますが、どれもエビデンスレベルが高いとは言えません。現時点で、充分なエビデンスがあるとは言えないながらも誰もが取り組めるもの(取り組むべきもの)は「睡眠」です。

 たった一晩の睡眠不足でもアルツハイマー病リスクが増大するという研究もあるほどで、睡眠不足がいろんな意味でNGなのは間違いありません。では睡眠時間が長ければいいのかというと、そういうわけでもありません。医学誌『Journal of the American Geriatrics Society』2018年6月号に日本人を対象とした研究が紹介されています。

 睡眠時間が5時間未満だと、認知症のリスクは2.64倍、死亡リスクは2.29倍になります。興味深いことに、睡眠時間が10時間を超えると、認知症のリスクが2.23倍、死亡リスクは1.67倍となります。さらにこの研究が注目に値するのは睡眠薬の使用との関連が調べられていることです。睡眠薬を使用すると、認知症のリスクが1.66倍に、死亡リスクは1.83倍になることが判ったのです。

 さて、あなたが今日から取り組むべきことはどんなことでしょうか。

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注1:ただし、それなりに精度の高い検査として「MCIスクリーニング」という検査が普及してきています。詳しくは、次世代検査を参照ください。

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2018年6月23日 土曜日

第178回(2018年6月) 「咳止めが効かない」ならどうすればいいのか 

 「長引く咳」は太融寺町谷口医院を受診する患者さんの訴えで最も多いもののひとつであり、ドクターショッピングを繰り返している人も少なくありません。「何種類もの咳止めを使ったけれども効かなくて・・・」と訴える人は大勢います。

 一方、インターネットのヘビーユーザーの中には、どこで情報を仕入れたのか「咳止めは飲んでも意味がないんですよね・・・」と診察室で話す人もいます。たしかに、この情報は1年くらい前からメディアで何度か流れたようで、「咳止めは効かない」は少しずつ人口に膾炙しているような感じがします。

 そこで今回は「咳止め」は本当に効かないのか、民間療法としてもてはやされているハチミツやチキンスープは有効なのか、咳止めが効かないなら何をすればいいのか、といったことについてまとめてみたいと思います。

 およそ1年前から「咳止めは危険」と言われだした発端は(私の見解では)2017年4月20日のFDA(米国食品医薬品局)の発表です。咳止めとしてよく使われるコデインリン酸塩及びジヒドロコデインリン酸塩(長いので以下「コデイン」とします)を含む医療用医薬品の12歳未満の小児への使用を禁忌(要するに禁止)とすることを発表しました。

 (おそらく)これを受けて、日本の厚労省は米国と同様12歳未満へのコデインの処方をおこなわないよう通知をおこないました。

 しかし、大人でも夜間の咳はつらいものですが、咳で眠れない子供をみると、薬を使って咳を鎮めてあげたいと誰もが思うはずです。ではどうすればいいか。医学誌『CHEST』2017年11月号(オンライン版)に興味深い論文が掲載されました。

 この論文では、市販の咳止めや民間療法としてのチキンスープなども含めて、咳を止める効果についてこれまで発表された論文を総合的に解析しています。その結果、「咳に効果がある」というエビデンス(科学的確証)のある治療法はひとつもない、ということが分かりました。

 風邪の民間療法というのはどこの国にもあり、米国ではチキンスープが主流のようですが、日本ではハチミツがよく使われます。この論文ではハチミツの効果も検討されています。ハチミツは、ある程度効果があるとする研究がいくつかあるようですが、強いエビデンスがある、とまでは言えないようです。

 また、この論文では、風邪によく使う痛み止め(NSAIDs)や鼻水をおさえる抗ヒスタミン薬も咳の治療として効果はない、という結論がでています。(これらは薬理学的にみても咳に効くとは思えません)

 さらに興味深いのはコデインについてです。論文の著者らはFDAの勧告の12歳ではなく、副作用のリスクから18歳未満にコデインを使うべきではないと結論づけています・

 なんだか「夢のない」研究、というか、これまで世界中でおこなわれていた咳の治療は何だったのでしょう。我々はハチミツに劣る咳止めを求めて薬局や病院を巡っているということなのでしょうか。

 ではハチミツはどの程度効果があるのでしょうか。違う研究をみてみましょう。過去にも紹介したことのある「コクラン・ライブラリー」というエビデンスを集めたサイトがあります。そのなかに「小児の急性咳嗽に対するハチミツ(Honey for acute cough in children)」というタイトルの論文があります。

 これによれば、エビデンスのレベルは高くないもののハチミツはある程度有効のようです。しかし、その効果も3日までで、それ以降は効果がありません。他の薬とも比較されていて日本でもよく使われるデキストロメトルファン(商品名は「メジコン」など)と同じ程度効果があるとされています。(ということはデキストロメトルファンも少しは有効ということになります)

 ここまでを(少し強引ですが)まとめてみたいと思います。

・咳に有効な治療:何もないとする研究もある。ハチミツは少し効果あり、デキストロメトルファンも多少効果があるとするデータもある。

・咳に効果がないもの:NSAIDs(ロキソニンやイブ、ボルタレンなど)などの鎮痛剤、ほとんどの抗ヒスタミン薬

・危険で使いにくいもの:コデイン(FDAは12歳未満、上記論文では18歳未満は使わないよう注意勧告)、デキストロメトルファン(下記参照)

 さて、では実際にはどうすればいいのでしょう。また、コデインは18歳以上なら使ってもいいのでしょうか。それを知るには「咳止めがなぜ効くか」を考えるのが適切です。デキストロメトルファン、コデインを含む”普通の”咳止めのほとんどは「中枢性鎮咳薬」といって、脳の咳中枢を抑えるものです。咳は出そうと思って出るものではなく、脳の「咳担当の部分」があなたの意思に関係なく「咳をせよ」と身体に”命令”するわけです。つまり、中枢性鎮咳薬はこの咳中枢を一時的に麻痺させるのです。では、なぜ中枢性鎮咳薬は危険なのか。大きな理由は2つあります。ひとつは「眠気」です。程度の差はありますが、中枢性鎮咳薬は多かれ少なかれ眠気がきます。部分的にとはいえ、脳を麻痺させるわけですから当然といえば当然です。

 もうひとつの問題は「依存性」です。コデインはモルヒネに似た麻薬です。またエフェドリンというやはり中枢性鎮咳薬は覚醒剤の一種です。コデインやエフェドリンを含む咳止めや風邪薬や薬局で簡単に買えますから容易に依存症をつくりだします。特にこれら2種の双方が入っているものはダウン系(コデイン)とアップ系(エフェドリン)が同時に体内に入りますから、大量摂取すれば、いわば「スピードボール」と同じように危険なものですし、簡単に依存症になってしまいます。(デキストロメトルファンには依存性がないと言われています)

 では、困った咳にはどのように対処すればいいのでしょう。当たり前ですが、その「原因」を突き止めることが重要です。百日咳やマイコプラズマ、クラミジア(クラミドフィラ)肺炎のように細菌感染が原因になっている場合は抗菌薬が有効ですし、アレルギー関与の咳であればアレルギーを抑える方法を検討すべきです。長引く咳の原因が逆流性食道炎ということは珍しくなく、この場合胃薬を使います。

 その逆に、原因を究明しないまま、漠然とコデインやデキストロメトルファンを飲むなどということは18歳以上であっても眠気やそれ以外の副作用のリスクを背負うだけです。しかし、こういった咳止めはまったくの「悪」ではなく、期間限定(長くても1週間以内)であれば、咳中枢を一時的に麻痺させてでも夜間の咳をとりぐっすり眠れるようにするのが効果的な場合もあります。また、一部の漢方薬はいくつかのタイプの咳に有効なことがあります。

 以上をまとめると、咳にとって重要なのは、①まず咳の原因をはっきりさせる、②それぞれの咳止めの特徴を理解し副作用に注意する、③自分の判断で漠然と咳止めを飲み続けない、ということになります。

参考:はやりの病気
第110回(2012年10月)「長引く咳(前編)」
第111回(2012年11月)「長引く咳(中編)」
第112回(2012年12月)「長引く咳(後編)」
第82回(2010年6月)「熱のない長引く咳は百日咳かも・・・」
第19回(2005年10月)「咳」

 

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2018年5月21日 月曜日

第177回(2018年5月) アトピー性皮膚炎の歴史が変わるか

 アトピー性皮膚炎(以下「アトピー」)で太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)に通院している患者さんがもしもどこかに集まる機会があるとすれば、おそらく私は「しつこいくらいにプロアクティブ療法の話をする医師」と言われていると思います。

 「ステロイドは短期間たっぷりと」「痒みがとれればタクロリムスでプロアクティブ療法」「身体はタクロリムスでうまくいかなければステロイドでプロアクティブ療法」…、こういったことを何度も聞かされた、という患者さんは数百人以上に上るはずです。実際、プロアクティブ療法をきちんと理解できれば、「もうステロイドを一切使わなくなって2年以上たつ」という患者さんも少なくありません。

 ですが、一方で、ステロイドのプロアクティブ療法を実施しても、しばらくすると痒みが再発するという患者さんもいないわけではありません。そういった重症の患者さんに対しておこなわれてきた治療がシクロスポリン(商品名は「ネオーラル」など)と呼ばれる免疫抑制剤の内服薬です。しかし、これは全身の免疫力を下げますし、他にも副作用が少なくありませんから、なかなか使いにくい薬です。もちろん、ステロイド内服についてはよほどのことがない限り用いるべきではありませんし、使ったとしても最小限(数日以内)にとどめなければばなりません。

 2018年4月、アトピーの歴史を塗り替える(と考えられている)画期的な薬剤が発売されました。その名はデュピルマブ(商品名は「デュピクセント」)。これまで伝わってきた情報(注1)によると、「効果はバツグンで副作用もほとんどなし」です。

 今回は、この薬が今後どれだけ普及していくかについて考えてみたいと思います。まずは、この薬がなぜ効くかについて述べていきますが、これを理解するには免疫学の少し詳しい知識が必要になります。このあたりの説明は免疫学に興味のない人には複雑怪奇に見えるでしょうから、できるだけ分かりやすく解説したいと思います。

 免疫を司る白血球は、好中球、好酸球、リンパ球、単球、好塩基球の5種類に分類できます。アトピーの人は好酸球の数値が高い人が多いのですが、ここでは好酸球ではなくリンパ球の話になります。リンパ球には、ナチュラルキラー細胞(NK細胞)、T細胞、B細胞の3種があります。そして、今回の話はT細胞のなかの1種です。T細胞は骨髄のなかで誕生したばかりのときはみんな同じようなものですが、それが成長するにつれていろんなタイプに分かれていきます。

「CD4」というとHIVを思い出す人が多いと思います。HIVに感染するとCD4が次第に低下していきエイズを発症、とよく言われます。では、そのCD4とは何かというとT細胞の表面に存在する糖タンパクの一種です。こう言われると突然難しくなると感じる人もいるようですが、ほぼすべてのT細胞にはCD4かCD8のどちらかがあると考えてもらってOKです。CD4があればCD4陽性細胞、CD8ならCD8陽性細胞と呼ばれます。

 T細胞の話になると触れておかなければならないのは、最近メディアでよく取り上げられる「Tレグ」です。正式には「制御性T細胞」と呼ばれるTレグもT細胞の1種です。Tレグは大阪大学の坂口志文教授が発見され、教授はこの功績により2015年にガードナー国際賞を受賞されています。Tレグの働きを一言で言えば「過剰な免疫応答の抑制」です。ややこしいのは、T細胞がCD4陽性細胞、CD8陽性細胞、Tレグの3種類に分類できる、という単純な話ではなく、TレグもCD4、CD8のどちらかを持っています。

 CD4陽性細胞に話を戻します。大まかに言えばCD4陽性細胞の大半は「ヘルパーT細胞」と呼ばれるものです。そしてヘルパーT細胞は「Th1細胞」「Th2細胞」「Th17細胞」の3種に分類できます。

 さらに細かい話に入るとついていくのが大変になってきますので、ここまでの話をまとめておきます。

    好中球
    好酸球
白血球 単球
    好塩基球
    リンパ球 NK細胞
         B細胞
         T細胞 CD8陽性細胞
             CD4陽性細胞(≒ヘルパーT細胞)Th1細胞
                            Th2細胞→IL-4産生
                               Th17細胞
                
 こまかいことを言い出せばこの分類は完璧なものではないのですが、大まかな理解としてはこれでOKです。ここからは上の図の右端のTh1,2,17細胞の話になります。医学部の学生に対してならこれらをひとつずつ解説していきますが、どんどん複雑な話に入っていくことになりますから、ここではアトピーに関わるTh2細胞の話のみをします。

 アトピーの皮膚病変にはTh2細胞が過剰に存在していることがわかっています。ならばそのTh2細胞を取り除く薬があればいいということになりますが、そんな都合のいい薬は今のところ存在しません。そこでTh2細胞がつくられるメカニズムに注目することになります。ヘルパーT細胞がTh2細胞になるには「IL-4(インターロイキン-4)」と呼ばれるサイトカインが必要です。(サイトカインというのは、とりあえず血中や皮膚組織に存在する小さな物質と考えてOKです)そして、IL-4によってヘルパーT細胞がTh2細胞となり、今度はTh2細胞がIL-4をつくりだすことがわかっています。

 ここまでくれば”ゴール”はもうすぐです。Th2細胞がヘルパーT細胞から誕生するにはIL-4がヘルパーT細胞に「結合」する必要があります。この結合はヘルパーT細胞の表面にある「受容体(レセプター)」と呼ばれる部分にIL-4がはまり込むと考えてください。ならば、IL-4よりも先回りしてT細胞の受容体の表面にフタをしてしまえばIL-4がくっつけなくなります。そして、この”フタ”こそがアトピーの新薬デュピルマブというわけです。つまり、デュピルマブによりヘルパーT細胞のIL-4がくっつく部分が塞がれてしまい、その結果ヘルパーT細胞は残りの2つ、Th1細胞かTh17細胞にならざるを得ない。そしてTh2細胞が激減するわけだからIL-4がつくられなくなり、ますますTh2細胞は減少する、というわけです。(ここまで理解できれば、免疫学が少し身近に感じられるのではないでしょうか)

 アトピーから少し話がそれますが、Th1,2,17は免疫を語る上でけっこう重要なポイントなどで少しまとめておきます。上記の図の右端をもう少し細かくみてみましょう。

 ヘルパーT細胞 →(IL-12があれば)→ Th1細胞 → IFN-γ(インターフェロンγ)産生
                     →(IL-4があれば) → Th2細胞  → IL-4産生
         →(IL-6 + TGF-βがあれば) → Th17細胞 → IL-17産生

 先述したように、IL-4があればヘルパーT細胞からTh2細胞ができてTh2細胞はIL-4を産生します。同様に、IL-12があればヘルパーT細胞はTh1細胞になりTh1細胞はIFN-γを産生します。IL-6とTGF-βがあればTh17細胞になりこれはIL-17を産生します。これ以上詳しく述べるとさらに複雑になってしまいますからこのあたりでやめておきますが、ここで紹介したIL-12、IL-17、IFN-γなどもいくつかの病気を考える上で重要な要素です。

 デュピルマブについてもう少し詳しく述べると、阻害するサイトカインはIL-4だけではなくIL-13(今出てきたIL-12ではありません)も阻害します。しかし現時点では、アトピーに効果があるのはIL-4の方だろうと言われています。また、デュピルマブの効果が期待できるのはアトピーだけではなく、喘息や副鼻腔炎にも有効であるとする報告(注2)もあります。

 先述したように現在までに私が入手した国内外の情報ではデュピルマブは「抜群にいい薬」のようです。ですがこの費用を捻出できる人がどれだけいるのかが疑問です。なにしろ1本81,640円もするのです(注3)。3割負担の場合、1本24,500円ほどで、初回だけ2本注射、その後は2週間に1本のペースで続けていきます。これに診察代と定期的な採血(副作用の確認に必要になります)が加わりますから、(3割負担で)年間70万くらいはかかるでしょう。

 これまでの「薬の歴史」を振り返ると、発売してから重篤な副作用の報告が相次いだり、効果はそれほどでもなかったことが判明したりして消失していったものがたくさんあります。谷口医院ではほぼすべての薬は発売直後には処方をおこなわないポリシーです。デュプリマブも同様で、しばらく様子をみたいと考えています。

 それに冒頭で述べたように、よほどの重症にならない限り、アトピーの大半はタクロリムスのプロアクティブ療法、もしくは少量ステロイドのプロアクティブ療法だけで充分コントロールできるのです。

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注1:例えば、下記の論文はデュピルマブの有効性と安全性を示しています。論文のタイトルは「Two Phase 3 Trials of Dupilumab versus Placebo in Atopic Dermatitis」で、下記URLで概要を読むことができます。
https://www.nejm.org/doi/10.1056/NEJMoa1610020

注2:この論文のタイトルは「Effect of Subcutaneous Dupilumab on Nasal Polyp Burden in Patients With Chronic Sinusitis and Nasal PolyposisA Randomized Clinical Trial」で、下記URLで概要を読むことができます。
https://jamanetwork.com/journals/jama/fullarticle/2484681
尚、デュピルマブはその後、喘息と副鼻腔炎に対しても保険診療で使用できるようになりました。

注3(2020年4月1日付記):2020年4月1日、デュピクセントの薬価が1本81,640円から66,562円に下がりました。これにより(3割負担で)年間50万円ほどで治療が受けられるようになりました。

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2018年4月20日 金曜日

第176回(2018年4月)「心不全」を防ぐには

 俳優の大杉漣さんが突然他界されたのが2018年2月21日未明、数時間前にドラマの共演者らと食事をしホテルに戻り日付が変わる頃に腹痛が生じ仲間にLINEを送信したと報道されています。そして、メディアに報じられた死因が「心不全」です。太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)でも、患者さんから「心不全って何ですか?」と何度も質問されました。

 我々医師が言う「心不全」とメディアが報道した”心不全”は、おそらくニュアンスが少し異なります。今回はこれらの違いを明らかにして、「本当の心不全」を防ぐ方法を解説したいと思います。

 まず「心不全」の定義を確認しておきましょう。2017年10月31日に日本循環器学会が一般向けに発表した定義は「心臓が悪いために、息切れやむくみが起こり、だんだん悪くなり、生命を縮める病気」です。

 定義をきちんと理解しておくことは重要です。4つの文節を詳しくみていきましょう。まずは「心臓が悪い」です。これがどのようなことを表すのかについては後でみていきます。ここで重要なのは「もともと心臓が悪い状態にある」ということです。2番目は「息切れやむくみ」といった症状です。3番目は「だんだん悪く」、つまり突然ではないことを意味します。そして4つめが「生命を縮める」です。

 これら4つのポイントを改めて振り返ってみると、大杉さんにあてはまるのは4つめだけです。つまり、もともと心臓が悪かったわけではなく(そのような報道は見当たりません)、息切れやむくみといった症状も報じられていません。そして、数時間後に息を引き取ったのですから、だんだん悪くなったわけではありません。

 つまり、大杉さんの”心不全”は日本循環器学会の心不全の定義と合致しないのです。では、なぜ心不全と報道されたのか。おそらく、受診した病院ではっきりと診断がつかないまま急激に悪化して心臓が止まった、あるいは診断がついたものの治療に間に合わず心臓が停止した、ということだと思われます。心臓が止まったから心不全、という単純な発想です。

 では本当の死因は何だったのでしょうか。腹痛が生じた数時間後に他界されていることを考えると、最も疑わしいのが「大動脈解離」です。心臓から下腹部に走行している大動脈が突然破れてしまう疾患で、これなら説明がつきます。ちなみに、2016年2月、大阪梅田の繁華街で突然乗用車が暴走し11人が死傷した事故がありました。この車を運転していた51歳の男性は大動脈解離が突然生じたことが判っています。大杉さんはドラマの共演者がタクシーで病院まで連れて行ったそうですが、たとえ救急車を呼んでいても間に合ったかどうかは分かりません。

 次に考えられるのが心筋梗塞です。心筋梗塞の症状は突然の胸痛や胸部絞扼感(しめつけられる感じ)がよく知られていますが、腹痛や胃痛を訴えて受診する人も珍しくありません。大動脈解離と同様、心筋梗塞も適切なタイミングで救急搬送されたとしても間に合わないことがあります。他に考えられる疾患として、心筋炎、心筋症、感染症なども挙げられないわけではありませんが、私は大動脈解離か心筋梗塞のどちらかではないかとみています。

 さて「本当の心不全」の話をします。先ほどの4つのポイントを振り返ってみましょう。まず1つめの「心臓が悪い」です。心臓が悪くなる疾患、つまり心不全の「元の病気」として、日本循環器学会は一般向けに5つを紹介しています。その5つは、①高血圧、②心筋症、③心筋梗塞、④心臓弁膜症、⑤不整脈です。このうち③については先述したように、それまでまったく症状がなく突然胸痛が生じ救急搬送されたものの帰らぬ人となった、という場合もありますが、治療がおこなわれて助かったけれど、心臓の機能が以前より衰えてしまって、という場合もよくあります。これが心不全の「元の病気」となるのです。

① 高血圧は、相当な年月を経なければ無症状ですが、息切れやむくみが生じるようならすでに心不全が起こっている可能性があります。②心筋症は高血圧よりも年齢が若く現れることが多く、やはり症状が出る頃には心不全の状態となっています。④弁膜症も同様で、症状が出現する頃には心不全が進行していると考えなければなりません。⑤不整脈は種類にもよりますがやはり心不全の「元の病気」になります。一般に心房細動は血栓(血の塊)が脳の血管までとんでいって脳梗塞を起こす、と考えられていますが(長嶋茂雄さんがそうです)、心不全のリスクでもあるのです。

 では、現在これら5つの「心不全の元の病気」がなければ大丈夫なのかというと、もちろんそういうわけではなくて、これらのリスクがある人は要注意です。それらは、糖尿病、脂質異常症(コレステロールや中性脂肪が高い)、肥満、喫煙、運動不足、アルコール、覚醒剤、放射線などです。ですから、もうさんざん聞き飽きたというようなこと、つまりきちんと健診を受けて規則正しい生活をして、食事、運動、禁煙、節酒などに注意しようね、ということが大切だというわけです。

 4つのポイントの2つめは「息切れやむくみ」といった症状です。だいたいの目安として40歳以上でこういった症状があれば一度は心不全を疑わなくてはなりません。ただ、30代でもおこりえます。谷口医院の30代前半の男性患者さんでも、息切れがひどい人がいて、胸部レントゲンを撮り心不全が判り、大学病院の集中治療室に入ってもらい一命をとりとめた例があります。ただし、若い女性の場合は、息切れやむくみは心不全よりも貧血や栄養不足で起こることの方が圧倒的に多く、全例にレントゲンや心電図が必要になるわけではありません。

 3つめのポイントは「だんだん悪く」です。大杉さんの”心不全”がこの定義に当てはまらないことは先に述べました。ただ、「急性心不全」という概念もあります。これは文字通り「急性」に心臓の働きが悪化します。ですが、たいていは1つめのポイントの「心不全の元の病気」があって、それまで症状はあまり出ていなかったものの徐々に進行していて、突然激しい症状が出るような病態を指します。これを乗り越えると「慢性心不全」に移行します。また、「だんだん悪く」はゆっくりと少しずつ悪くなっているとは限りません。ある日突然悪化して入院して、改善してしばらくは安定していて、またある日突然悪化して…、といったような場合もよくあります。このように慢性心不全の経過中に突然悪くなったときに「急性心不全」または「慢性心不全の急性増悪」と呼ぶこともあります。

 では心不全の診断はどうすればいいのでしょうか。レントゲン、心電図、心エコーなどがありますが、1回の検査で正確な結果がでるとは限りません。心エコーは有用な検査ですが、これは技術と経験のある専門医か臨床検査技師でないとできません。(私は研修医時代に練習しましたが自信がありません。谷口医院には腹部エコーしか置いておらず、心エコーが必要な患者さんは専門医に紹介しています)

 また、心不全はあきらかに心臓のポンプ機能が落ちている状態(これを「HFrEF」と呼びます。発音は「ヘフレフ」、へとレにアクセントがあります。ただし日本人からしか聞いたことがないので欧米人はどう発音しているのか私は知りません)だとエコーで判りやすいのですが、機能がある程度保たれている場合(これをHFpEF、ヘフペフ、やはりアクセントはヘとプ)もあり、心エコーだけで100%評価するのはときには困難です。

 実は心不全にはすぐれた血液検査があります。NT-ProBNPと呼ばれるもので、それなりに正確に心不全の状態を判定できます。以前はBNPという検査の方が一般的だったのですが、これは採血すると検体をすぐに検査室に運ばねばならないなどの制約があり、大きな病院でないとおこないにくかったのです。NT-ProBNPが測定できるようになって心不全の診断は随分おこないやすくなりました。

 最後に「治療」です。心不全には決定的な治療法があるとは言えません。先述した5つの「元の疾患」の治療をおこない、そのリスクとなるものを取り除くことが重要です。特に重要なのが高血圧で、放置すれば高確率で寿命を縮めると考えた方がいいでしょう。

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2018年3月15日 木曜日

第175回(2018年3月) トキソプラズマ・後編~妊娠前・妊娠中にすべきこと~

 前回、トキソプラズマに気を付けなければならないのは、ネコと過ごすことよりもむしろ、ガーデニングなど屋外での作業、生肉の摂取(タタキ、生ハム、乾燥肉、燻製肉、塩漬肉、滅菌が不十分なミルクなども含む)、さらに生野菜や果物などであることを述べました。

 ではネコとはどのように付き合えばいいのでしょうか。まず、基本事項をおさらいします。生肉は牛でも豚でも鶏でも危険ですが、こういった動物の糞にトキソプラズマが含まれていることはありません。糞に含まれるのはネコだけなのです。ですから、犬の糞を処理するときにはトキソプラズマへの注意は不要です。もちろん、ヒトからヒトへの感染もありません。

 ネコの糞が危険というなら、ネコが糞をすれば直ちに強力な消毒液をかければいいのでは?と思う人もいるかもしれませんが、これは無効です。なぜなら、ネコの糞に混じってでてくるトキソプラズマは「オーシスト」と呼ばれるとても頑丈な構造をしており、消毒薬が効かないのです。オーシストはイメージしにくいと思いますが、外側に頑丈な「殻」のようなものがあると考えればいいと思います。消毒液が無効なだけではありません。土や水のなかに入ると数か月以上生き延びるのです。そういうわけで、屋外での作業や野菜・果物の摂取で感染するのです。

 では、どんなネコの糞にも注意しなければならないのかというとそういうわけでもありません。なぜなら糞にトキソプラズマが混ざるのは、ネコがトキソプラズマに初めて感染したときだけだからです。初めて感染すると数日後から1か月程度の期間に排泄される糞に混ざります。ということは、このときだけを避ければいいわけで、もっと具体的に言えば、①すでに感染して1か月以上経過しているネコ、②まだ感染しておらずしばらくの間感染しないネコ、なら一緒に過ごしても問題ないということになります。

 ということは、妊娠を考えている、またはすでに妊娠している人は、一緒に暮らしているネコの感染の有無を調べるべきだ、ということになります。これは動物病院で血液検査をすれば分かります。では、早速、動物病院へ…、と考えたくなりますが、その前にすべきことがあります。

 それはあなた自身の血液検査です。前回述べたように、トキソプラズマは全世界の人口の約3分の1がすでに感染していて、いったん感染すればその後新たに感染することはありません。また、感染して一定の期間が経過している場合、HIV感染など免疫力が低下する状態にならなければ、発症したり母子感染を起こしたりすることはありません。日本人の陽性率は不明ですが、妊婦健診で1割程度が感染しているという報告があります。もしもこの1割に入っていればトキソプラズマを心配する必要はありません。

 ですから、私がお勧めしたいのは、妊娠してからおこなう妊婦健診ではなく、妊娠を考えた時点でのトキソプラズマの抗体検査です。IgM抗体陰性かつIgG抗体陽性であれば、感染してからしばらく経過していることを意味し、この場合は妊娠中のトキソプラズマ対策は不要となります。ですが、この検査をおこなう人は極めて少ないのが実情です。

 最近は、ブライダルチェックと言って、妊娠前に「無症状だけど感染しているかもしれなくて、感染していれば出産に影響を与えるかもしれない性行為感染症のチェック」をする人が増えてきています。これはとても素晴らしい対策です。尚、ブライダルチェック(bridal check)というのは和製英語ですが、面白いことに英語のネイティブスピーカーにもまあまあ通じます。このブライダルチェックにトキソプラズマ(とサイトメガロウイルス)の検査を加えるべきだ、というのが私の考えです。妊娠前に状態を把握していれば対策が立てやすいからです。

 あなた自身の抗体検査をおこないトキソプラズマに未感染であることが判った場合、飼いネコの検査をするのがお勧めです。ヒトと同様、IgM抗体陰性かつIgG抗体陽性、であれば、すでに感染してある程度の期間が経過していることになりますから、この場合はこのネコの糞に注意する必要がありません。ただし、先に述べたようにオーシストは数か月以上生き続けています。もしもネコが屋外に出ていく場合、感染して排出したオーシストが庭などに残っている可能性はあります。

 血液検査で飼い猫が感染していなかった場合はどうすればいいでしょうか。もしも屋外でネコを飼っている場合は、外で感染してくる可能性がありますから、この場合は要注意です。可能ならネコを屋外に出さないようにします。それができないのであれば、妊娠中は他人に預かってもらった方がいいでしょう。また、ネコ好きの人はネコ好きの友達がいることが多く、その友達がネコを連れてくることがあるかもしれません。これが危険な行為となります。ネコとネコの接触で感染する可能性があるからです。

 もうひとつ重要なことがあります。それは生肉を与えない、ということです。これはイヌ好きの人にも言えることですが、動物は元々生肉を食べていたのだから生肉を与えるべきだ、と考えている人がいます。野生のイヌやネコは生肉を食べているのは事実ですが、ペットからの感染予防を防ぐには生肉はとても危険なのです。

 では、血液検査で愛猫がトキソプラズマに最近感染したばかりで、現在トキソプラズマが糞に混じっている可能性がある場合はどうすればいいでしょうか。この場合は、もしも妊娠中なら一緒に過ごさないのが最善ですが、それができない場合はどうすればいいのでしょう。その場合は、ネコが糞をすれば直ちに処理をすることです。実はトキソプラズマのオーシストは、糞に混じり排出されても24時間以内は感染力がないことがわかっています。ということは、糞が出てから24時間以内に処理をしてしまえばいいのです。同居する妊婦さん以外の者が処理するのがいいわけですが、どうしても妊婦さん自身がしなければならない場合は、1日2回、マスクと手袋をして便を密閉し可及的速やかに処分します。これを徹底すれば感染のリスクを大きく減らすことができます。

 ここまでをまとめてみましょう。

1)まず、妊娠する前に自身の抗体を調べる。
   既感染 → 心配不要(飼い猫の検査は不要)
   未感染 → 2)に進む
  (感染直後 → 精査)

2)飼い猫の抗体検査をする
   既感染 → 心配不要
   未感染 → 外に出さない、他のネコと接しない、生肉禁止
   感染直後 → 可能なら他人に預かってもらう
          同居する場合は糞の処理を1日2回。手袋・マスク着用 
 
 もしも、妊娠中に感染してしまった場合はどうすればいいでしょうか。放っておけば生まれてくる赤ちゃんに小頭症などの奇形が生じる可能性があり、これを先天性トキソプラズマ症と呼びます。ですが、トキソプラズマには現在すぐれた治療薬があります。アセチルスピラマイシンという比較的安い抗菌薬に効果があることが分かっているのです。

 ですが、必ずしも有効とは限りませんし、副作用に悩まされることもありますから、妊娠を考えたときは、上記の1)2)を徹底するのが賢明です。

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2018年2月18日 日曜日

第174回(2018年2月) トキソプラズマ・前編~猫と妊娠とエイズ~

 太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)のような総合診療のクリニックでは妊婦さんからの相談をよく受けます。妊娠に関することは産科医に相談してもらいますが、妊娠中に風邪をひいた、湿疹ができた、頭痛が悪化した、などの場合は谷口医院を受診されます。妊娠前から通院していた人のみならず、妊娠してから谷口医院をかかりつけ医にする人もいます。

 そんな妊婦さんからの質問で、以前からしばしばある誤解の多いものが「妊娠中にネコと過ごすのは良くないのですか?」というものです。そして、妊娠中のネコとの付き合い方やその他の注意点については妊婦さんのコミュニティのなかでも混乱があるようです。それはトキソプラズマという寄生虫に対する誤解があるからです。まずはトキソプラズマ全般のことから述べていきます。

 トキソプラズマに感染すると一生体内から消えません、と伝えると多くの患者さんは驚きますがこれは事実です。ヘルペスウイルスやEBウイルスのようなウイルスなら生涯体内に潜むのはなんとなくイメージできるものの、トキソプラズマは寄生虫だから、そんな”虫”がずっと体内に居座っているなんて気持ち悪いし信じられない、と感じる人が多いようです。

 しかし、トキソプラズマがいったん感染すると生涯我々と共に暮らすことになるのは歴然とした事実で、世界の人口のおよそ3分の1が感染していると言われています。では日本人の陽性率はどれくらいかというと、これがきちんとした調査がなく実態はわかりません。一部の自治体では妊婦健診に取り入れられていて、およそ妊婦さんの1割が陽性と言われています。極端な男女差があるとも思えませんし、そういった報告も聞きませんから、男性もこれくらいの陽性率だと考えるべきでしょう。

 ではどのような人がトキソプラズマに感染しやすいのでしょうか。「ネコを飼っている人」と答える人が多く、これは間違いではありませんが、実際に多い感染経路はネコと過ごすことよりもむしろ、生肉の摂取や屋外・野外での作業です。ネコの飼育については後で話すとして、まずはより現実的な話をしましょう。

 牛でも豚でも鶏でも、あるいは鹿や猪でも、肉を生やタタキで食べるとトキソプラズマに感染するリスクがあります。肉の生食で生じる食中毒としては、カンピロバクター、サルモネラ、無鉤条虫、E型肝炎といったところが有名かと思いますが、トキソプラズマも忘れてはならない感染症です。肉の生食は「日本食の文化」という声もありますが危険を孕んでいることを忘れてはなりません。トキソプラズマの場合、生ハム、燻製肉、乾燥肉、塩漬肉などにも注意が必要ですし、滅菌が充分でないヒツジのミルクの危険性も指摘されています。

 屋外の作業で感染するのはネコの糞が口に入るからです。そんなものには触らないし万一触れても口に入ることなどないと考える人もいますが、野生のネコの糞(が散らばったもの)は屋外のあらゆるところ、例えば土や水にも存在すると考えなければなりません。そして、それが手に触れて食べ物に付着して…、ということが実際にあるわけです。ですから、きれいな庭先でガーデニングをしていて感染、ということはあり得ます。これを防ぐには手袋をいつも装着するようにします。
 
 しかし手袋のみですべて防げるわけではありません。屋外に散らばったトキソプラズマが野菜や果物に付着することがあります。ということは、生野菜やフルーツを食べるときにはよく洗わないと感染の可能性がでてくることになります。

 では感染するとどのような症状が出るかというと、ほとんどは不顕性(つまりまったく無症状)と言われていますが、数パーセントに頸部リンパ節炎が生じるという報告もあります。さらに頭痛、発熱、倦怠感が続き、血液検査で異型リンパ球という特殊な白血球が出てくることがあり、見かけ上、急性HIV感染症や、EBウイルスによる伝染性単核球症(いわゆる「キス病」)と区別がつかないこともあります。

 しかしこういった症状は通常は数か月で自然に消失します。ですから、微熱や倦怠感などいろいろと症状が出て長引いて結局原因は分からなかったけれど最終的には治癒した、というエピソードがあったとすればそれはトキソプラズマによるものかもしれません。ただし、一部の人は治癒せずに、肺炎、脳炎、筋炎などを起こすことがあります。トキソプラズマ脳炎は免疫能が低下すると生じますからエイズの合併症として有名ですが、時に免疫正常者でも起こり得るのです。また、後で述べるように、妊娠中に感染すると生まれてくる赤ちゃんに奇形が生じる可能性があります。

 ところで、私がタイのエイズホスピスで本格的にボランティアをしていたのは今から14年前の2004年です。そのときはまだ抗HIV薬が充分に使われておらず、死に至ることが日常的でした。進行すると、脳にも様々な合併症が起こります。その原因はいくつもあり、トキソプラズマ脳炎もそのひとつです。

 このエイズ施設では、重症病棟にもイヌのみならずネコも出入りしていましたからトキソプラズマはいつ発生してもおかしくありません。ただし、エイズ患者にトキソプラズマ脳炎が発症するのは、初感染での可能性もあるでしょうが、むしろ過去に感染して体内でおとなしくしていたトキソプラズマが増殖しだすことの方が多いと考えられます。何しろ世界の人口の3分の1がこの寄生虫を体内に”飼育”しているわけです。

 トキソプラズマのことはいったん置いておくとしても、重症病棟にイヌやネコがいるのはおかしいではないか、と我々日本人は思いますが、そこはタイ。さらに抗HIV薬が使えないとなると、あとは「死へのモラトリアム」となるわけですから、患者さん自身が気にしないというか、むしろ動物と過ごす時間を貴重なものと考えていたのです。ですが、感染予防上好ましくないのは自明ですから、施設に強く抗議をした西洋人もいました。しかし、郷に入っては郷に従え、という言葉があるように、施設側は「自国の価値観を押し付けるな」という対応でした。結局、強く抗議をした西洋人の何人かは施設を追い出されました。

 話を戻します。脳の症状というのは、意識障害、片麻痺(右か左のどちらかの上肢、下肢が動かない)、歩行時にフラフラする、話せない、飲み込めない、物が二重に見える、認知力が低下する、人格が変わる、など様々です。エイズを発症している状態になると、いろんな原因でこういった症状が起こりますから、「これはトキソプラズマが原因に違いない」と推測できることはまずありません。他に、例えば、エイズの合併症として有名なサイトメガロウイルスやクリプトコッカスでもありえますし、結核も鑑別に入れなければなりませんし、進行性多巣性白質脳症という感染症に起因するものもあります。また、HIVが進行すると悪性リンパ腫を起こしやすくなり、脳に起こることもあります。さらにHIV脳症と呼ばれるHIV自体が脳を破壊する病状もあります。これらのいずれでも様々な脳の症状が出てきます。

 当時はちょうど抗HIV薬が無料で入手できつつあったときで、元気のなかった患者さんに使用しだすと、パワーがみなぎってきて食欲が出てくることもありました。ですが、脳に関する症状が出現している場合は、元の姿に戻ることはほとんど望めません。この施設でボランティアをしていたのは医療者だけではありませんでした。性格が狂暴になったり、認知症が進行したり、あるいは夜間に徘徊する患者さんに対するケアというのは本当に困難です。日本の高齢者の施設でも認知症の人は大勢いますが、当時のタイのその施設ではまだ20代の男女がこういった症状を呈していたのです。

 タイのエイズの話になると、ついつい懐かしくなり、述べる予定のなかったことを書いてしまいました。冒頭で言及したように、妊婦さんの話をすることが今回の目的でした。次回は、妊娠を考えたとき、あるいは妊娠しているときにネコとどのように過ごすべきか、そして検査はどのタイミングで受けるべきかについて話していきます。

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2018年1月20日 土曜日

第173回(2018年1月) 急増するPFAS(花粉食物アレルギー症候群)

 果物や野菜のアレルギーが増えている、という話を過去のコラム(はやりの病気第144回(2015年8月)「増加する野菜・果物アレルギー」)で述べました。そのときは、増加しているといっても、そうそう頻繁に診ることはなかったのですが、その後の約2年半でどんどん増えてきています。そして、そのコラムでも述べたように「花粉症との合併」が目立ちます。

 これまで(私の感覚では5年ほど前まで)、野菜・果物アレルギーと言えば、ラテックスアレルギーと合併する「ラテックスフルーツ症候群」がちらほらとあった程度で、そんなに多いという印象はありませんでした。しかし、3~4年ほど前から、主にリンゴ、モモなどのバラ科の植物にアレルギーのある患者さんが増え、私の経験上北海道や東北地方の出身者に多かったために、シラカンバ(シラカバ、白樺)アレルギーがあるからではないかと考えていました。シラカンバの花粉とバラ科の植物の表面の蛋白質の構造が似ているために、シラカンバの花粉症があれば一部の果物を食べたときに口腔内に違和感が生じるのです。そして、シラカンバは北国にしか育ちませんから、西日本にはさほど多くないだろうと考えていたのです。

 ところが、ここ2~3年を振り返ってみると出身地域に関係なくバラ科のアレルギーの患者さんが増えています。また、バラ科だけではありません。メロン、トマト、スイカ、タマネギなどを食べると違和感が出ると訴える人が増えています。さらに、これまでほとんどの患者さんは症状がでても軽症で治療を要するほどではなかったのですが、最近は重症化するケース、例えば息苦しくなり喘息の発作止めを使わざるを得ないようなケースが増えてきています。特に豆乳とスパイス(香辛料)でそのような症例が目立ちます。

 今回は野菜・果物アレルギーと花粉症の関係を整理して、どのような対策をとるべきかについて考えてみたいと思います。

 まずは言葉です。数年前よりPFAS(ピーファスと読みます)と呼ばれる疾患名が注目されるようになってきました。PFASの正式名はPollen-food allergy syndrome、直訳すると「花粉食物アレルギー症候群」となります。概念としては、同じアレルギーのメカニズムで花粉症と食物アレルギーの双方が生じる疾患、となります。その理由は先にシラカンバの例で述べたように、花粉と食物の表面のタンパク質の「かたち」が似ているから同じアレルギー反応が起こるのです。

 どの花粉症があればどの食物アレルギーが起こるのでしょうか。いくつか例を挙げましょう。

・スギ → トマト

・ヒノキ → トマト

・ハンノキ →  バラ科の果物(★)
         ウリ科の果物・野菜(☆)
         ダイズ(主に豆乳)
         その他果物(キウイ、オレンジ、マンゴー)                    
         その他野菜(ニンジン、セロリ、トマト、ゴボウ、アボカド)
         イモ類(ヤマイモ、ジャガイモ)
         ナッツ類(ヘーゼルナッツ)

・シラカンバ → バラ科の果物(★)
         ナッツ類(ヘーゼルナッツ、クルミ、アーモンド、ピーナッツ)
         ウリ科の果物・野菜(☆)
         その他野菜(ニンジン、セロリ)
         イモ類(ジャガイモ)
         その他果物(キウイ、オレンジ、ライチ、ココナッツ)
         ダイズ(主に豆乳)
         香辛料(マスタード、パプリカ、コリアンダー、トウガラシ) 

・カモガヤ・オオアワガエリ → ウリ科の果物・野菜(☆)
                その他果物(オレンジ、キウイ)
                野菜(トマト、セロリ、タマネギ)
                イモ類(ジャガイモ)
                穀類(コメ、コムギ)

・ブタクサ → ウリ科の果物・野菜(☆)
        バナナ

・ヨモギ →  野菜(ニンジン、セロリ、レタス、トマト、キウイ)
        ナッツ類(ピーナッツ、ピスタチオ、ヘーゼルナッツ)
        その他(クリ、ヒマワリの種)
        イモ類(ジャガイモ)
        香辛料(マスタード、コリアンダー、クミン、コショウ)

★:リンゴ、モモ・スモモ、ナシ・洋ナシ、ビワ、サクランボ、イチゴ、アンズ
☆:メロン、スイカ、キュウリ、ズッキーニ

 太融寺町谷口医院の患者さんでいえば、この中で最も重症化するのは「豆乳」です。なかには豆乳を飲んで2~3分後に呼吸が苦しくなり、救急車を呼ばねばならなかったという例もあります。そして、全例でハンノキに血液検査で強い反応を示していました。興味深いことに、患者さんは自分自身がハンノキアレルギーという意識がありません。ハンノキというのは北海道から沖縄まで日本全国どこにでも山中に生えている木です。知らない間に山の中で花粉を吸いこみアレルギーが成立していたのでしょう。

 豆乳以外に重症化するのはヨモギアレルギーがある人のスパイス(香辛料)です。東南アジアに住まない限りはコリアンダー(パクチー)を毎日食べる人はそういないでしょうが、マスタードやコショウは日本に住んでいても日常的に口にする機会がありますから、完全に避けるのは思いのほか大変です。この場合は、ヨモギアレルギーの自覚がなかったとしても「秋の花粉症があるかも」とほとんどの人が言います。

 アレルギーがやっかいなのは、現在はなくてもそのうちに出てくることがある、ということです。ですから、花粉症もしくは食物アレルギーがある人は、どういった花粉と食物が関連しているかということをあらかじめ知っておくべきでしょう。そして、いつなんどき食物アレルギーが発症するかもわかりませんから、いつも薬を持ち歩くべきかもしれません。ただし、薬に頼りすぎるのはよくありません。豆乳やスパイスアレルギーがあれば完全に避けなければなりませんし、野菜・果物アレルギーの大半は軽症ですが重症化する例もありますからあなどらない方がいいと思います。

 単なる花粉症であれば、くしゃみ・鼻水・鼻づまりなどの鼻症状と目のかゆみなどの眼症状で苦しむことになりますが、命が脅かされる事態になることはほとんどありません。花粉症で皮膚症状が生じれば生活が制限されるほどの苦痛を伴うことがありますし、喘息症状も辛いものですが「花粉症で重体」というのは極めて稀です。ですが、食物アレルギーの場合は重症化して入院を余儀なくされることはまあまああります。つまり、PFASは「死に至る病」になりうるということです。

 PFASがやっかいな点がもうひとつあります。過去のコラムで紹介した最も難渋するアレルギー疾患といえる好酸球性食道炎がPFASと合併しやすいという報告があるのです(注1)。好酸球性食道炎はいったん発症するとその後の人生が大きく変わりかねない重症性疾患であり、実際厚労省の指定難病に入っています。報告によれば好酸球性食道炎を合併しやすいPFASとして、リンゴ、ニンジン、モモが指摘されています。

 PFASは最近注目されだした疾患です。おそらくこれからいろんなことが分かり、花粉と食物の複雑な関係が少しずつ明らかになっていくでしょう。上に述べた関連以外にも食物アレルギーがあれば花粉症を、花粉症があれば食物アレルギーの可能性を検討していくべきだと私は考えています。

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注1:医学誌『Diseases of The Esophagus』2017年10月26日号(オンライン版)に掲載された論文「Pollen-food allergy syndrome is a common allergic comorbidity in adults with eosinophilic esophagitis」に報告があります。下記URLで概要を読むことができます。

https://academic.oup.com/dote/advance-article-abstract/doi/10.1093/dote/dox122/4566194?redirectedFrom=fulltext

参考:https://www.thermofisher.com/allergy/jp/ja/allergy-symptoms/special-allergies.html

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2017年12月21日 木曜日

第172回(2017年12月) 「リーキーガット症候群」は存在するか?

 コムギアレルギーやセリアック病ではないのに、コムギやグルテンを摂らなくなって身体の調子がよくなったという人が増えており、これを便宜上「コムギ/グルテン過敏症」と呼べばどうか、ということを過去のコラムで述べました。

 今回は、その類似疾患というわけではないのですが、「コムギをやめて便の調子がよくなった」という人の多くが興味を持っている「リーキーガット症候群」について述べたいと思います。(尚、リーキーガット症候群は、コムギ除去をしていない人たちの間でも関心が高くなっています)

「コムギ/グルテン過敏症」という疾患があることをすべての医師が認めているわけではありませんが、上述のコラムで紹介したように、一流の医学誌に掲載された論文に報告があります。一方、「リーキーガット症候群」という病名は、民間療法を支持する人たちの間では昔から語られていますが、きちんとした論文は(私の知る限り)ありません。たしかにリーキーガット(leaky gut)という言葉は教科書的にもあるのですが、身体の様々な症状をこのリーキーガットで説明しようとするあまりにも短絡的な「民間療法的発想」に多くの医師が反発するのです。

 ですが、正直に言うと、私自身は「リーキーガット症候群」という概念を普及させてもいいのではないか、と個人的に思っています。その理由を述べる前に、まずはリーキーガットの説明から始めましょう。

 ガット(gut)は腸、リーキー(leaky)は漏れやすいという意味で、直訳すれば「漏れやすい腸」となります。胃を経て腸に降りてきた食べ物や飲み物のすべてが腸に吸収されるわけではありません。有害なものの侵入はできるだけ回避しなければならないわけですから腸には「バリア機能」があります。このバリア機能というのは非常に複雑なメカニズムで成り立っていて、そのひとつが「タイトジャンクション」と呼ばれるものです。「タイト」は「固い」、「ジャンクション」は「接合」。つまり粘膜の上皮細胞どうしがきっちりと接合され隙間がなくなり、何も通さなくなっている構造を指します。もちろん必要な水分や栄養素は取り込む必要がありますから、人間にとって必要なものだけをうまく取り込むシステムが備わっているのです。

 しかし何らかの原因でタイトジャンクションが壊れるとどうなるでしょう。細胞と細胞の隙間から人間にとって不要なものが侵入してしまいます。そして、不要なもののせいで身体が様々な不調を起こす。これがリーキーガット症候群の”病態”です。

 先述したように、多くの医師はこの”疾患”に抵抗を示します。複雑な身体のメカニズムがそんなに簡単であるはずがない、と感じるからです。ですが、少なくとも過敏性腸症候群や炎症性腸疾患(潰瘍性大腸炎やクローン病)については、リーキーガットと関連があるとする意見が有力ですし、最近は肥満やアレルギー疾患、さらに精神疾患との関連性を指摘する声も広がりつつあります。

 また鎮痛薬や風邪薬に含まれるNSAIDsと呼ばれる薬剤は小腸粘膜を障害し、結果としてリーキーガットを引き起こすという報告があり、実際これらの薬剤は下痢を起こすことがしばしばあります。リーキーガットのせいで不要な物質が体内に取り込まれるなら、その逆にリーキーガットのせいで、必要な水分が身体の中から腸管に漏れてしまうことだって起こり得ます。つまりNSAIDsの乱用で、リーキーガット症候群が起こる可能性が出てくるのです。

 リーキーガット症候群という疾患名の是非は別にして、我々がタイトジャンクションを維持しなければならないということに異論を唱える医療者はいません。そして、NSAIDsの乱用はやめなければならない、ということにもすべての医療者が同意します。NSAIDsは胃の粘膜にも障害を与えますし、短期間の使用でも腎機能を悪化させることがありますし、長期使用で心血管系疾患のリスクになることも分かっているからです。それに、とてもやっかいな「依存症」という問題があります。

 では「NSAIDs多用をやめる」以外にリーキーガットを防ぐには何をすればいいのでしょうか。民間療法を支持する人たちは健康食品を推薦し、コムギ/グルテンの除去を勧め、整体やヨガの有効性を訴えます。そして、こういったエビデンス(科学的確証)に乏しい説が医師の反発を招きます。

 ところが腸内フローラ(腸内細菌叢)の話題が医学界でも増えてくるにつれ、適切なフローラを維持することによりタイトジャンクションを維持、つまりリーキーガットを防げるのではないかと考える医療者が増えてきました。特に、プロバイオティクスは最近注目を集めています。また、数年前より糞便移植が盛んに議論されるようになってきました。健康な人の便をとりこめばリーキーガットが治るという考えです。

 一方、その逆にフローラを増やすのではなく、強力な抗菌薬を使い、徹底的に”悪い菌”をやっつけることによってリーキーガットを治そうとする試みもあります。先進国に住む人と未開社会の人では腸内フローラが大きく異なることが知られています。そして、過敏性腸症候群や炎症性腸疾患は未開社会には存在しない疾患です。ならば先進国に住んでいる人の腸内にいる細菌が悪いに違いない、という理屈が出てきます。そこで、強力な抗菌薬が用いられるのです。実際、過敏性腸症候群にも炎症性腸疾患にも次々と新しい抗菌薬が試されています。クロストリジウム・ディフィシルという極めて難治性の感染症に対して、海外では糞便移植がおこなわれることが増えてきましたが、日本では、強力な抗菌薬を用いるのが依然として主流です。

 プロバイオティクスや糞便移植で「いい菌を増やす」治療と、その逆に徹底的に「悪い菌を殺す」両極端な治療があるというわけです。これらのどちらがいいかを考える上で参考になる疾患があります。

 それは、SIBO(小腸細菌異常増殖、small intestinal bacterial overgrowth)と呼ばれるものです(通常「シーボ」と呼びます)。これは文字どおりの疾患で、小腸に細菌が異常なほど増殖します。症状は過敏性腸症候群に似ていて、両者はかなりの確率で合併していると言われています。この疾患の治療として細菌が異常増殖しているのだから抗菌薬を用いればいいと考えたくなりますが、これがそう単純な話ではなくうまくいかないのです。難吸収性抗菌薬と呼ばれる特殊な抗菌薬を用いる試みも一部にはありますが有効性が高いとは言えません。そして、抗菌薬の開発が望まれているその一方で、まったく逆の発想、つまり「いい菌を増やす」という考えがあるというわけです。

 SIBOに対してどちらの治療が効くかではなく、どちらが安全かを考えてみると、これは勝負になりません。抗菌薬にはイヤというほど副作用がありますし「耐性」というやっかいな問題もあるからです。つまり安全性では比較にならないほど「いい菌を増やす」方に分があります。ですから、まずおこなうべきことは「悪い菌を殺す」ではなく「良い菌を増やす」で、そのなかでも最も簡単にできるプロバイオティクスの積極的摂取がまずは勧められます。もちろんそれだけで治らないケースも多々ありますし、多少効果が出たとしても継続して摂り続けなければなりません。プロバイオティクスは腸内に住み着いてくれるわけではないからです。

 保守的な医療界のなかで、すでにさんざん”手垢”がついてしまっている「リーキーガット症候群」という疾患名が医療者間で普及する可能性は低いと思います。また、多くの医療者は、しきりに自社製のプロバイオティクス/プレバイオティクス(食物繊維やオリゴ糖などプロバイオティクスが腸内で増えるのに必要とされる物質のこと)を宣伝する民間医療支持者を好ましく思いません。ですが、私自身は、原則として抗菌薬が中心の治療よりもまずはプロバイオティクス/プレバイオティクスを摂取すべきだと考えています。ただし、特定の商品を勧めることはしませんし、私の立場はあくまでも通常の食事からプロバイオティクス/プレバイオティクスを摂りましょう、とするものです。

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2017年12月10日 日曜日

2017年12月 大学病院総合診療科の患者満足度が高い2つの理由

 医学部入学時には医師になることを考えていなかった私が、医師を目指すようになったきっかけは、友人や知人から聞かされた「医療不信」でした。過去にも述べたように、医師や病院に対する不満を聞くにつれ、「何とかしなければならない」から「自分がやらねばならない」と思いあがってしまうようになり、医学部生の後半には臨床医を目指すようになったのです。

 そもそも「医療不信」の最大の原因は「コミュニケーション不足」にあります。医療者は患者さんに対して、常に効果と安全性を最大限に考慮し治療をおこないます。一方、患者さんもまた安全で有効な治療を求めるわけですから両者の”利害”は完全に一致しているはずです。医師と患者さんはいわばタッグを組んで疾患に取り組まなければならないのですから”仲間割れ”をしている場合ではありません。

 にもかかわらず「医療不信」が生まれるのは医師と患者さん側のどちらか、または双方に誤解が生じるからであり、その最大の理由がコミュニケーション不足です。ということは、しっかりとコミュニケーションを取ることができれば医療不信のほとんどは解消されるはずです。

 これまで私が患者さんから感謝されることが最も多かったのは大学病院の総合診療科で外来をしていたときです。何度も丁寧なお礼を言われ、涙を流しながら感謝の言葉を述べる患者さんも珍しくありませんでした。なぜでしょうか。最大の理由は「充分な時間をとって診察ができるから」です。そもそも総合診療科を受診する人というのは、これまで満足いく治療が受けられておらず複数の診療所/病院を受診していることが多いのです。そして、たいていの医療機関では診察に充分な時間がとれません。

 私が外来を担当していた頃の大阪市立大学病院の総合診療科では、ひとりの医師が診察する患者数は午前が新患のみで7~8人、午後は再診のみで5~6人でした。ひとりあたり20~30分の時間が取れるわけですから、患者さんはこれまでの苦悩や前の病院での不満をたっぷりと話すことができます。「こんなに丁寧に話を聞いてもらったのは初めてです!」「先生に出会えてよかったです!」このような言葉も頻繁に聞いていました。

 しかし、よく考えればすぐに分かることですが、私は単に話を聞いただけです。もちろん医学的な観点から、問診以外にも聴診・打診・触診などもおこないますし、必要な検査は実施します。大学病院ですからありとあらゆる検査ができます。緊急性があれば放射線科医に無理をいって優先的にCTやMRIを撮影してもらうこともあります。場合によっては緊急入院をしてもらうこともありますし、外科医に依頼し緊急手術になることや、循環器内科医と相談し緊急カテーテル検査を実施することもありました。

 不思議なもので、緊急手術をしてくれた外科医や他の仕事をキャンセルして緊急カテーテル検査をしてくれた循環器内科医よりも、最初に総合診療科の外来で診察をした私を慕ってくれる患者さんが多いのです。私は単に重症性と緊急性を見極めただけであり、実際に治療したのは外科医や循環器内科医なのに、です。患者さんは病気や治療の説明を私から聞こうとするのです。

 つまるところ、患者さんにとって必要で重要なのは「きちんと伝えること」つまり「充分なコミュニケーション」だというわけです。患者さんの訴えにしっかりと耳を傾け、適切な診察・検査をおこない診断をつけ、そして治療をおこなう前に、なぜその治療が最適なのかを説明して理解してもらえれば医師患者関係が悪くなるはずはなく医療不信は生まれません。もしも病状が重症で、専門医の治療が必要な場合はすみやかに紹介し、専門治療が終われば再び我々が診ますからその後の関係も良好のままです。もちろん、治療がうまくいかないケースもあります。しかしその場合も、コミュニケーションがきちんととれている場合は不信感を持たれません。

 大学病院の場合、病状がよくなれば「これからは近くにかかりつけ医をみつけてそこで診てもらってください」と言わねばなりません。私にはこれが辛く、「何かあればどんなことでも相談してね」と言いたいという思いが、自分の診療所をもつしか方法はないという結論に達しました。

 そして現在は太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)で「何かあればどんなことでも相談してね」と言っています。では、谷口医院を受診する患者さんは100%満足しているのか…。残念ながらそうではありません。この最大の理由は充分な時間がとれない、ということですが、他にも理由はあります。

 実は大学病院の総合診療科の外来がうまくいきやすいのは、単に時間がとれるからだけでなく、もうひとつ大きな理由があります。それは「患者さんが藁にもすがる思いで受診している」からです。これまでどこに行っても治らなかった、けど大学病院ならなんとかしてくれるはずだ…。そういう思いがあるが故に、初めから信頼度が高く良好な関係が築きやすいのです。ですから、初めから医療不信ありき、の患者さんは大学病院でもうまくいかないことがあります。医師が言うことのすべてを否定するような人もいて少々時間がかかります。ですが、時間をかけてゆっくりと話をすれば信頼を得られることもあります。マインドコントロールを解くような感じです。

 しかしこのタイプの患者さんが診療所を受診するとたいていはうまくいきません。実際、谷口医院で良好な関係が築けなかった患者さんの大半がこのタイプです。「とにかく点滴をしてほしい」「とにかく検査をしてほしい」「とにかくステロイドがほしい」「とにかく抗生物質がほしい(ひどい場合は抗菌薬の種類や名前を指定)」などなど…。こういう患者さんを診察するときはそれなりに疲れます。医療機関のミッションはいかに検査や薬を減らすかですが、この手の人たちになぜその検査や薬が不要なのかを説明しても初めから聞く耳を持っていません。ひどい場合は、「お金払うって言ってるでしょ!」「検査してくれ、っていう患者の希望を聞けないのか!」などと怒り出す人もいます。

 小児科医や皮膚科医のいくらかが苦手とする患者さんに「ステロイド恐怖症」があります。ステロイドをまるで”毒”のように考え一切受け付けない人たちです。90年代に比べるとこのような人たちは随分と減りましたが、それでもいまだに苦労するという話を他の医師達から聞きます。ですが、私はこういう患者さんがそれほど苦手ではありません。たしかに、診察室に入るなり「あたしはステロイド使えませんから!」などと宣言されると「この患者さんは一筋縄ではいかないな…」と感じますが、全例ではないものの結果として良好な医師患者関係ができることも多いのです。(逆に、「とにかくステロイドがほしい」という人とはうまくいきません)

 なぜ初めから医療不信(ステロイド不信)がある患者さんと良好な関係が築けるか。それは「ステロイドの危険性を認識しなければならないという思いは医師と患者で同じだから」です。アトピー性皮膚炎を代表とする慢性湿疹の治療で最も重要なのは「ステロイドをいかに減らしていくか」です。そのためreactive therapy(痒いところに外用)とproactive therapy(維持療法)の違いをまずはしっかりと理解してもらわねばなりません。私の経験でいえば、ステロイド恐怖症の人でこの「基本事項」をきちんと理解していた人は過去に一人もいません。

 無駄な検査はおこなわないこと、薬を使用するときは安全性に注意を払い最小限の使用とすること。こういったことは医師がいつも考えていることであり、そして、これらは患者さんが求めているものと同じはずです。

 最近は医学部の授業でも対患者のコミュニケーションが重視されています。(今月もその実習で医学部の学生の指導に行ってきました) どのような言葉を使うかよりも、医師・患者の目標は同じであることを再認識する方がずっと重要だ、ということを私は医学生に言い続けています。

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